03【言霊ワ】 神産巣日の神(かみむすびのかみ)

03【言霊ワ】 神産巣日の神(かみむすびのかみ)

高御産巣日・言霊アは主体宇宙、神産巣日・言霊ワは客体宇宙であることを示しています。言霊アは心の先天構造内の主体宇宙のことであり、言霊ワは客体宇宙のことであります。

次に高御産巣日の神(たかみむすび)、次に神産巣日(かみむすび)の神。

言霊ア。ワ。広い何もない宇宙に何かが起る兆しとも謂うべき動きが始まりました。言霊ウです。次に人間のこれは何か、の思考が加わりますと、たちまち言霊ウの宇宙が剖判して言霊アと言霊ワの宇宙に分かれます。宇宙の剖判です。

高御産巣日(たかみむすび)の神。神産巣日(かみむすぴ)の神。

言霊ア、ワ。広い宇宙の一点に何か分からないが、ある事の始まりの兆しとも呼ぶべきものが生れます。それに対し太安万侶は天の御中主の神という神名を付けました。言霊ウです。次にそれが何であるか、の問いかけが人の心に生じる途端に、言霊ウの宇宙は言霊アとワの両宇宙に分かれました。安万呂はその両宇宙に高御産巣日の神、神産巣日の神の名を付しました。言霊ウの宇宙が言霊アとワの両宇宙に分かれる事は、意識の対象として、即ち現象として捉え得る事ではありません。飽くまで心の中の実在の活動であり、意識によってではなく人の内観・直観によってのみ捉える事が出来る事でありますので、これを宇宙剖判と申します。剖判の剖は「分れる」であり、判は「分る」です。分れるから分る、分かれなければ分らない。分るとはこういう事であり、それが同じであることを言葉が示しています。日本語の妙であります。

上の言霊ウの宇宙が剖判して言霊アとワ、即ち主体と客体、私と貴方、始めと終り……の両極が生じて来る消息を一つの実験によって逆に証明出来る事を説明しました。人は自分に対するものを見聞きした時、自らの存在、即ち自我を意識します。その現象は言霊ウの宇宙から言霊アとワの宇宙が剖判した事の一つの説明になります。それとは逆に、自我を意識している自分から、その自分に対立して存在するものが(仰向けになって見る雲一つない空が対立する雲がない事によって)なくなることによって、自意識が次第に消えて行ってしまう実験でありました。自意識が消えてしまうと、仰いで見入っていた空が自分を呑み込んでしまったのか、自分が空になってしまったのか、全く何だか分らない状態、即ち「天地の初発の時」の言霊ウになってしまう実験であります。それは言霊ウから言霊アとワが剖判する消息を、逆に言霊アとワとの対立から、対立が消えて初めの対立のない、禅でいう一枚の言霊ウに戻って行く事で証明する実験という事が出来ます。

言霊ウから言霊ア・ワが剖判して来る事を簡単に確かめる心理実験として、上の如くビルの屋上で仰向けになって、雲一つない澄んだ空を見る事についてお話をしたのですが、これに関して蛇足かもしれませんが、二つの注意事項をお話をして置きます。

十年以上前の事、ある右翼の幹部の方が私の処へ言霊の話を聞きに来ました。ところが心の先天構造という事がどうしても分からない、と言うのです。そこで私は所謂「仰向け実験」の話をしました。その実験で彼が人の心の本態が宇宙そのものなのだ、という事を知って貰えるかなと思ったからです。数日後、彼は再びやって来ました。そして「貴方の言った事は嘘だ。言われた通りに幾度もやってみたが、一度として自分と空とが一体となる事はなかった」と言います。私は彼が実験した時の心理を種々尋ねてみました。そして彼が一度として成功しなかった原因が分り、大笑いしたのでした。彼は実験を始めるや、宇宙との一体感を味わうという好奇心に胸をふくらませて、その現象が今起るか、今起るかと期待して待っていた、というのです。これでは空との一体感などいくら待っても起るはずがありません。彼は視覚に相対する物という対象の代わりに、彼の心の中に「一体感」という期待を強固に持ってしまったのです。知識人は経験的知識に頼って物事に対処するという癖が強くて、「ただ漫然と見る」という事すら出来なくなっていたのです。

注意の二つ目は次の通りです。「ビル上の仰向け実験」は心の本態が宇宙そのものである事、また言霊ウより言霊ア・ワへの宇宙剖判を体験する簡単な実践です。けれど「心即宇宙」を自覚することではありません。これを自覚し、この自覚の下に一切の自分の行為を律して行く事が出来るようになる為には、種々の体験と反省の行為が必要であることを御理解頂き度く思います。この事については後程詳しくお話申上げます。そしてこの「仰向け実験」を何回も繰返してやれば、心即宇宙の境地を自覚することが出来る、と勘違いして、実験を度々行ったり、また面白がって遊び心で行う事は決してなさりませんよう御注意申上げておきます。この間の事情に精通した熟練者の指導の下に行わない限り、或る心理障害を招来する危険があることを忘れないで下さい。以上二つの注意を申上げました。

言霊アとワの指月の指として太安万侶は高御産巣日の神、神産巣日の神という神名を当てました。高御産巣日は主体であり、神産巣日は客体です。二神の名を片仮名で書くと「タカミムスビ」「カミムスビ」となり、主体を示す高御産巣日の頭に「タ」の一字が多い事だけの違いという事に気付きます。とすると「タ」の一音によって高御産巣日は主体を意味する事となります。

高御産巣日のタを除いたカミムスビから検討しましょう。カミは「噛み」です。産巣は産む、生じる事、日は言霊特にその中の子音を指します。カミの噛みは二つのものが出会う事で、心理学的に言えば感応同交という意。そこでカミムスビ全部で(主体と客体が)感応同交して言霊子音を生む、となります。では高御産巣日の冠に付く「タ」とは何を意味するのでしょうか。音声学という学問ではアイウエオ五十音表のタ行のタチツテトの五音はすべて陽性・積極性を意味する音とされています。日本の九州地方に伝わる剣道に示源流という流派がありますが、この剣法は剣を持って人と向かい合うと、剣を八双に立てて構え、そのまま敵に突進し、近づくと剣を上段に挙げ、気合諸共剣を敵の真向から斬り下げます。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と自分の肉を斬らせて敵の骨を断つという玉砕剣法ですが、この剣を振り下ろす時の掛声がタ行の音「チェストー」です。以上の事で分りますように、「タ」とは積極・主体性を表わします。

何もない心の宇宙に初めて言霊ウが生れ、それが剖判して言霊ア(高御産巣日の神)と言霊ワ(神産巣日の神)が生れて来ますが、このアとワは一方は積極性の我であり、主体であり、片方は消極的な客体であり、貴方であることがお分かり頂ける事と思います。この私と貴方、主体と客体が感応同交をすることによって何かの出来事が生れます。現象が起ります。即ち現象である子音が創生されることとなりますが、この主体と客体の感応同交に於てイニシアチブを取るのは飽くまでも主体アであり、客体ワは主体アの問い掛けに答えるだけであります。

初め心の宇宙から言霊ウが芽生え、それが剖判して言霊アとワの宇宙に分かれます。そしてその言霊ア(主体)と言霊ワ(客体)の感応同交によって人間に関する一切の出来事(現象)が生れ出て来ます。人間の一切の行為の元はこの言霊ウ、アワの三言霊から始まります。これが人間の心の重要な法則でありますので、言霊ウ・ア・ワ即ち天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神の三神を造化三神と呼ぶのであります。

広い何もない心の宇宙に初めて生れ、動き、蠢き出すもの、即ち言霊ウはやがて人間の自我意識に発展し、欲望性能が現れ、社会の中の産業・経済活動となって行きます。そのウの宇宙が剖判して出来た言霊ア(ワ)の宇宙からは人間の感情性能が発現し、その性能はやがて社会の中で宗教・芸術活動となって行くものです。03