6 言霊学の原理とは古事記の冒頭の百神のこと

言霊学の原理とは、古事記の冒頭の百神が出てくるまでを指します。

古事記の冒頭原文 = 謎々で書かれたこころの原理論

天地・あめつち

吾()の

眼()を

付()けて

智()となす

と読むことから始まります。

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古事記の原文

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言霊学01、02、03

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかあま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、

言霊学04

天の御中主(みなかぬし)の神。次に

言霊学05

高御産巣日(たかみむすび)の神。次に

神産巣日(かみむすび)の神。

この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。

言霊学06

次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、

宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に

天の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、

国の常立(とこたち)の神。次に

豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。

言霊学07

次に成りませる神の名は、

宇比地邇(うひぢに)の神。次に

妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に

角杙(つのぐひ)の神。次に

妹活杙(いくぐひ)の神。次に

意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に

妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に

於母陀流(おもだる)の神。次に

妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。

言霊学08

次に

伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に

妹伊耶那美(み)の神。

以上十七神が言霊学の先天原理。(アマツイワサカ)

言霊学09

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。

かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、

塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、

これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。

その島に天降(あも)りまして、天の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、

「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、

伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。

かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、

伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、

後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。

言霊学10

おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処(くみど)に興(おこ)して

子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。

ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、

子淡路の穂の狭別の島(みこあわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。

次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。

次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)

次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。

次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。

次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。

次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。

次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。

然ありて後還ります時に、

吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。

次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。

次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。

次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)

次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。

言霊学11

既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は

大事忍男(おおことおしを)の神、次に

石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に

石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に

大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に

天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に

大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に

風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に

(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に

水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に

(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。

言霊学12

この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

沫那芸(あわなぎ)の神。次に

沫那美の神。次に

頬那芸(つらなぎ)の神。次に

頬那美の神。次に

天の水分(みくまり)の神。次に

国の水分の神。次に

天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に

国の久比奢母智の神。

言霊学13

次に

風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に

木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に

山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に

野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。

この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

天の狭土(さづち)の神。次に

国の狭土の神。次に

天の狭霧(さぎり)の神。次に

国の狭霧の神。次に

天の闇戸(くらど)の神。次に

国の闇戸の神。次に

大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に

大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、

鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に

大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……

言霊学14

次に

(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。

言霊学15

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまびこ)の神。次に

金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は

波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に

波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。次に

和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

言霊学16

かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、

名は泣沢女(なきさわめ)の神。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

言霊学17

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

言霊学18

殺さえたまひし迦具土の神の

頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に

胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に

腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に

陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に

左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に

右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に

左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に

右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

言霊学19

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。

ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、

伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。

然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、

(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、

胸には火(ほ)の雷居り、

腹には黒雷居り、

(ほと)には柝(さく)雷居り、

左の手には若(わき)雷居り、

右の手には土雷居り、

左の足には鳴(なる)雷居り、

右の足には伏(ふし)雷居り、

并せて八くさの雷神成り居りき。

言霊学20

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。

ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、

またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。

また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。

ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いぶや)坂といふ。

言霊学21

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)

に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

言霊学22

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に

投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に

投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

時量師(ときおかし)の神。次に

投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に

投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

道俣(ちまた)の神。次に

投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

奥疎(おきさかる)の神。次に

奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

辺疎(へさかる)の神。次に

辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

言霊学23

ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に

大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神。次に

大直毘(おほなほひ)の神。次に

伊豆能売(いずのめ)

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に

底筒(そこつつ)の男(を)の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

中津綿津見の神。次に

中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

上津綿津見の神。次に

上筒の男の命。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

言霊学24

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

天照らす大御神。次に

右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

月読(つくよみ)の命。次に

御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

建速須佐の男の命。

言霊学25

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、

すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、

天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。

かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。

次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

(かれ)、各(おのおの)(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。

以上が言霊学の原理となる原文。

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