03 アワギ原

阿波岐原(あはぎはら) 「身禊」。

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。

伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。

天津管麻音図の阿波岐原(あはぎはら) 音図

(精神活動場)

ア・--------・ワ

オ・--------・ヲ

ウ・--------・ウ

エ・--------・ヱ

イ・・ヒチシキミリイニ・・ヰ

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下記のHPから全文引用です。

homepage2.nifty.com/studio-hearty/kototama_ver.1/

● 竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。

伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。

次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。

次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。

次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。

次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。

次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

いよいよ人間精神上最高の心の働きである「禊祓」の言霊学上の解明が行われる事となるのですが、ここで今までに幾度となくお話した事ですが、この禊祓が行われる場面の状況について重ねて確かめておき度いと思います。

伊耶那岐の命と伊耶那美の命は共同で三十二の子音言霊を産みました。ここで伊耶那美の命は子種が尽き、自分の仕事がなくなったので、本来の住家である物事を客観的に見る黄泉国(よもつくに)へ高天原から去って行きました。

一人になった伊耶那岐の命は先天十七言霊と後天三十二言霊、計四十九言霊をどの様に整理・活用したら人間最高の精神構造を得るか、を検討して、建御雷の男の神という音図を自覚することが出来ました。

この主観内の自覚である精神構造が、如何なる世界の文化に適用しても人類文明創造に役立ち得る絶対的真理である事を証明しようとして、伊耶那美の命のいる黄泉国へ高天原から出て行き、そこで整備された高天原の精神文明とは全く違う未発達・不整備・自我主張の黄泉国の客観的文化を見聞きして、驚いて高天原へ逃げ帰りました。

逃げ帰る道すがら、伊耶那岐の命は十拳(とつか)の剣の判断力で黄泉国の文化の内容を見極め、黄泉国の客観世界の文化と高天原の主観的な精神文化とは同一の場では語り得ないという事実を知り、同時にその客観世界の文化を摂取して、高天原の精神原理に基づいてその夫々を世界人類の文明の創造の糧として生かして行く自らの精神原理(建御雷の男の神)が立派に役立つものである事をも知ったのであります。

以上簡単に述べました事実を踏まえながら、伊耶那岐の命は自ら体験した黄泉国の文化の内容を、世界人類の文明創造に組入れて行く行法を「禊祓」という精神の学問、即ち言霊原理として体系化する作業に入って行きます。更に申しますと、右の状況を踏まえる事、同時に伊耶那岐の大神の立場に立つ事、言い換えますと、伊耶那岐の命の高天原の原理を心とし、黄泉国の伊耶那美の命の心を自らの身体と見る伊耶那岐の大神の立場に立つ事という二つの条件を満たした時、初めて「禊祓」の大業が成立することとなります。これよりその作業の実際について解説して行きます。