日月神示。二チャンネルでの発言

日月神示。二チャンネルでの発言 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】

296 :あらわれ:2011/09/26(月) 22:17:04.65 ID:nxaKmChe0

青葉-6。和合せねば誠のおかげないぞ。

先づ自分と自分と和合せよ、

それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ、

すべてはそこから生れ来るものなのぞ。

和合を語り合って独自な主張なり、個人的な経験なりを披露されるのも結構と思います。

が、もう少し神示の真実に向かうようにしてもらえると、おおくの人たちへの歓びの種が蒔けると思います。

「和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ」

が、今までのお話し合いにどのように繋がり、神示の一貫性に繋がるのか示してもらいたいものです。

和合がなぜ魂の、男女の、肉体の、ギミの、日と月の、善と悪の、和合になるのか、

単なる現象、経験の見せ合いをどのように神示の真実に引導を渡すのか、

あるいは、今までの雑談が>>201のような感想を与えないように、

雑感を神示の○チョンへ導くような良質なひふみファン魂を見せてもらいたいところです。

298 :あらわれ:2011/09/26(月) 22:18:38.57 ID:nxaKmChe0

和合において神示が、隠しているものと知らせたいもの、の両方を探したらいいと思います。

知らせ現すとは、表したいことの他に、謎と暗示呪示に留めておきたいものと、

表象形象を使って直接性を避けたいことと、

物理的物質的表現の例えでしか言わないこと等が、あるでしょう。

ことに神示は最初から皆に知らせるつもりが無い表記として降ろされています。

通じる表記を得たといっても、通じる内容実体実相を得ているのではありません。

表記上の理解了解ができても、それで内容に達していると思うのは早計です。

和合の和はアメツチの心と言っているのですから、

ひふみの神様アメノヒツク神のこととか、

「アメツチ」は古事記の冒頭の言葉で、それとの関係とか、

ヒツク-ヒツキ、アメツチ-アメツク-アメツキとか、

漢語の心、唐心、和合から得るイメージや現象を昇華する話が聞けたらいいなと思います。

309 :あらわれ:2011/09/26(月) 23:41:54.03 ID:nxaKmChe0

>>303「自分の言葉で表現」

>>296。に「先づ自分と自分と和合せよ」とあります。

これは引用のミスではなく、「自分と」が二回繰り返されています。

この意味するところは、自分の意見など無い、「自分の言葉で表現」してはいけない、ということです。

神示はどこにも「自分の言葉で表現」することを薦めていません。

神示は天之日津久神さんの「自分の言葉で表現」されたものですか。

大禍津日の神さんはまた別に「自分の言葉で表現」するのですか。

八百万いるのですよ。67億人いるのですよ。

67億をまとめる世直し法がひふみではなかったのですか。

67億の「自分の言葉で表現」することを和合するのがひふみではなかったのですか。

351 :あらわれ:2011/09/27(火) 01:48:16.74 ID:O2HR1bnz0

>>341。「自分の言葉がだめだとするなら、日月について語るブログは

みな禁止、悪となり、また、このスレの存在も否定ということでは

ないですかね」

もちろん、当然そうなります。

日月ブログ、このスレだけなどと偉そうには言えません。すべてです。

すくなくとも、神示の全世界的な視点からはそうなります。

それを言い張れる、そして世界を運用できる、神示の視点、神代記(古事記の)視点、

神道の視点、大和日本という存在そのものの視点、

があるから、私達はこうして議論もできます。

>>「自分の言葉で書いてある

ブログのほうが、日月教えを示してると思いますが。」

もちろん、当然そうなります。

日月ブログ、このスレだけなどと偉そうには言えません。すべてです。

354 :あらわれ:2011/09/27(火) 05:21:33.76 ID:O2HR1bnz0

皆さん神を語り、お気に入りの神さんの何らかを語っていますが、そんなことはもう二千年続いているのです。

近年は神さんのことは知らなくとも自分の神さんまでいます。

これから後どれだけ神に祈って魂を磨きましょうなどというつもりでしょうか。

ひふみの神さんなどはウルトラCまで期待されています。

予定日以前のものは皆当たっているといい、大事の予定日はまだ誰も知らないので、あれこれ言われる対象になっています。

また今後の二千年間を魂磨きと祈りに費やすために現われたのではありませんし、

時が近づいたから神示を実行せよ、などというつもりで現われたのでもありません。

そんなことは二千年間続けられてきたことです。神を口にしたり、世界平和を口にしたりすることも同類です。

ひふみのそんなトリックに引っ掛かったら、これからまた二千年間「ありがたや、ありがたや」の繰り返しになります。

355 :あらわれ:2011/09/27(火) 05:22:07.49 ID:O2HR1bnz0

ひふみの神にしろどこの神にしろ、自分の知らない神は語らないようにしましょう。

知っている神様、自分の体験した神さんがいるなら、自証はできても他証ができなければ、

その人は未熟児ですから口出しは控えましょう。

自分が求め、自分が知ることができ、それを他の人たちに証明できる神様だけを語りましょう。

それ以外は単なる個人的な体験体感があるというだけの、犬が電柱に引っ掛ける小便みたいなものです。

それにしても、降ろされた神示類、御告げ類があるじゃないかと言われることでしょう。お気に入りにもなっていることでしょう。

心霊神力の現象をどうするのか。

356 :あらわれ:2011/09/27(火) 05:22:51.52 ID:O2HR1bnz0

その時は自分の心でサニワして下さい。

それに納得して、神から来た言葉を知ったのなら、知った自分を立てて、

果たして自分はその神を知っているか、感じているだけなのか区別をして下さい。

知らないけれど感じているなら、要するに「感じ」止まりの出来事ですので、

他の人の感覚には伝わらないし、知的な概念などは求めないことです。

それ以上の口出しは、おとぎ話の創造作家となります。

感じているものを、知的理性的に語ることはできませんし、それを強行突破しますと、頭を疑われることになります。

この「感じ」次元を超えた宗教家は今だかつていません。いないから、宗教家となれるのです。

357 :あらわれ:2011/09/27(火) 05:24:59.01 ID:O2HR1bnz0

これから先は神道・言霊学しかありません。もちろん現代ではまともな神道は存在していませんが、

ひつく神示も、神をサニワし自分を立てることのできるものの端くれです。

つまり神示に到達するには、字面だけのお気に入り解釈もさることながら、

この二千年間の宗教の総合的な総括が必要です。

魂を磨けと言われているのですから、世界宗教の一つや二つぐらい身に付けていなければならないでしょう。

分かり易い言葉で読めるからと言って、二千年間の拝む宗教を自分に立てているわけではありません。

神示は役目を言っていますから、それぞれやってもいいように思えますが、役目の「御用」というのは、「五葉」のことで、

自分の「五葉」が立てられればということです。

この「五葉」の三番めが宗教次元全体ですので、魂磨きに当然含まれています。

358 :あらわれ:2011/09/27(火) 05:27:10.34 ID:O2HR1bnz0

そんなことを知らなくとも、しなくとも、自分の知っている分っている了解できる範囲でやっているよ、

他人にも知らせている、という方もいるかと思います。

それなら、神という言葉を抜かしてもできるはずです。またその方が普遍性を持ちます。

神など持ちださず、神示など持ちださないで続けてください。

>>346。神示は「ポジテイブな意図で表現する」ような、ケチなことは言いません。

そんなことは今までの殺戮世界戦争の元ではないですか。

わたしのいう言霊、ひつく神示でいう言霊は「ポジテイブな意図」などというものに左右されません。

346さんは常に体感経験があって、それに「ポジテイブな意図」が直ぐに付随してくるわけですが、

付随するものを受け入れる以前の世界がひつく神示の世界です。

「ポジテイブな意図」現象を起こさせない以前があることを、神示の文章に見いだしてください。

>>296。「それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ、

すべてはそこから生れ来るものなのぞ。」

「ポジテイブな意図」は瞬間的に付随して来るように見えますが、その前に「アメツチ」があります。

人の心は、神道は、「アメツチ」に始まって「アメツチ」に終わるのです。

406 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:28:02.50 ID:5QLXN8qK0

>>393 :雪丸ちゃん 「言霊学が江戸から始まり大本さんが広めたにしても、

アはこういう意味を持つというのはどういう風にしったんでしょうか?

霊的能力で意味がわかったんではないですか?

古事記にアはこうだとか、一番最初に研究した人は誰ですか?」

394>>: ◆x6s/29sxi2 「 人によって見え方が違うだろうから

自分の見えた景色を語ればいいんじゃないかと思う。」

ひつく神示は根本的にこういった心の持ち方をでんぐり返し止揚しなさいと言っていますが、

それを納得させるには393 の質問に答えねばなりません。

407 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:29:04.10 ID:5QLXN8qK0

「それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ、」から話が始まります。

361「アメツチの和合とは、 天地の和合。天と地、 つまり、相反するものとの和合であり、調和です。」

わたしはこう思いこう考えている、あなたはこう思っていてこう考えているでしょうというところを、基本にしますときりがありません。

自分の知っている知識を基準にしますが、それを基準にするとひっちゃかめっちゃか、主張の仕合いになります。

(ついでに、それが「北が攻めてくるという神示の意味です。北、きた、気の田、霊の田(言霊全体のこと)。、

規範としての主張する霊の田(きた、きたない)が自己から出ているということで、

五感感覚欲望、概念知識次元の主張のことを言います。)

394さんの体感経験からすればこんな言い合いは、知的な知識概念が無くともバッサリできるものですが、どうでしょうか。

ところが前とは違って、394 みたいなことを言い出してきて、非常に危機的な心持ちにあるようにみえます。

ひつく神示の字面から得て、進展してきた感想を述べることもそれなりに重要なことです。

そしてそれも間違えでないのは、つまり勝手な自己主張をしても間違えでないのは、

規範として神示が立っているからです。

408 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:30:26.25 ID:5QLXN8qK0

ということでわたしのいう和合も、皆さんのいう和合も神示から得られた感想の延長としてはそれで構いません。

それぞれ正しいところがあります。(しかし全員駄目なのもはっきりしています。)

正しいというのは、個人の感想の延長で思い考えたというだけの範囲内でのことならということです。

自分の意見を言えばすぐ肯定否定疑問等が相手からきます。それらの反応の範囲も、個人の感想の延長でしかありません。

立派な知識や文献の援助や常識等が助っ人になりますが、その人の規範に沿ったように読み込まれていきます。

自分の意見を自証したところで、当たり前です。(個人的な経験を語る人がよくいます。せっせと自証してみせるわけです。)

しかし、他者において、他証に成功したためしがありません。(その方法が神示の内容=神代巻の暗喩なのです。)

「言霊学が江戸から始まり大本さんが広めた」にしても、それなりの根拠があり、

それを繰り返しているという範囲が守られている限りで正しい意見です。でもそれだけのものです。

もちろん学者みたいに言霊学という言葉はいつから使用され出したのかなどという、眠った頭脳のことなどは、

無視しています(すくなくとも神示を知ってるのですから)。

409 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:34:29.74 ID:5QLXN8qK0

相変わらずくだくだした文章です。いつもいつも前提が長すぎます。

というのもでんぐり返しの意味が、心の持ちようの、前提にあるからです。

解釈されて発表されているものは全て現象でしかありません。

そんなものは神示の字面からの感想に過ぎません。心の持ちようがぐらっとくるのです。

人の心は=神道は=神示は=神代巻は、「アメツチ」に始まって「アメツチ」に終わるのです。

アメツチは決して天地、日月とかではありません。それは漢語、唐心第一からする解釈です。

漢字以前の平仮名に戻してください。

アメツチを漢字を配当したらうまい具合に天地があったというだけです。

だからといって天地の意味内容をアメツチにするなんてことは本末転倒ではないですか。

汚き北に攻められるということになります。(気・霊・田無い)

アは阿弥陀、アーメン、アッラー、その他等々宗教語では、主体意識の全体を汲み上げる意識対象です。

アッ、と驚き主体意識が全部持ち去られるので、イッ、と驚くことはありません。

410 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:36:25.40 ID:5QLXN8qK0

「霊的能力で意味がわかったんではないですか?」

どこの誰のことを指しているのか指示してもらえるといいのですが、。

http://onisavulo.jp/genreigaku/75/0a.html 。標準言霊海。

というのがあります。

これなどは、全体的に言えば、ア(その他も)の印象を現象に当てはめたり、現象をアで解釈したりしているだけのものです。

非常な労作ですが、恣意的なもので、誰でも当てはめくっつけ体験はできそうなもので、「霊的能力」とは無縁です。

心の現われというものがないし、心の動きも示していません。「ア」という心とは何なのかがありません。

経験現象的にこじつけが可能ですが、もちろんそれだけの仕事をしたのは大変なことですが、

「霊的能力」で現象をこじつけしたわけではないでしょうから、「霊的能力」というのはまだ別にあるようですね。

411 :あらわれ:2011/09/28(水) 04:42:39.90 ID:5QLXN8qK0

そんなことを期待しないで、「アメツチ」の、阿弥陀、アーメン、アッラー、アメのひつくの神の、「ア」について、答えなくてはなりません。

「あぁ、楽しい」、「あぁ、悲しい」、「あぁ、喜ばし」の「あ」もあります。

自分のこと、私を指して、吾「あれ」といいます。わたしは「ア」ですね、

あなた、お前は「われ」(我) といいますね。あなたは「ワ」ですね。

淡路(あわじ)というのはよくでてきますね。

「あ」と「わ」の間の路、わたしとあなたの間ということですが、

日月神示解釈派では淡路島地震になっていますね。

501 :あらわれ:2011/09/29(木) 04:18:30.85 ID:W9eGNfPq0

>>453。

個人的な幻視、観想念、幻覚、霊視、等々には口出ししないようにしています。

いくらでも自証でき、繰り返すことも可能でが、

どれほど自証してみても、

他証に成功した方はいません。/

言葉の説明を持ちだせば空虚になり、

自分の体感経験さえ疑うようになってしまいます。

同意、共感、共通性を求めることも不要と思います。

もともと、他者、他物、他の経験、他の概念、等に結びつく以前に、

自らが広がって、強烈に自己主張をしてしまいます。

そうなれば、そこから先はもう手がだせません。

拡がってしまう前に、精神的肉体的に自己の範囲内にて活動表現をすることと、

強制的に押し込め、納得させるか、

自分から出ていき他者他物でやれるならやってみろ、と突き放すか、

ですが、

何分にも自分の内部でおきることなので、既に良いにしろ悪いにしろ、

自己所有感に浸ってしまっているので、追い出すことはできないようです。

そこで他者において、自証したものを証明できるかどうかの選択を真面目にできるかどうかになります。

質問という形では到底それは可能ではありません。なぜなら、自己否定も覚悟する勇気決断がないからです。

日月神示「心口行一致道場」 日月神示「心口行一致道場」

637 :本当にあった怖い名無し:2012/04/02(月) 21:46:09.40 ID:Qu4e0Yu30

>>633

カスガよ

次の歌を詠め

万葉集巻第十六 3816 穂積親王の御歌一首

家にありし 櫃に鍵刺し 蔵めてし 恋の奴の つかみかかりて

訳。家の一番奥にある、一番頑丈な櫃に鍵をかけて、

決して二度と表に出ることがないようにしまい込んでおいた

遠い日にあの女性のことをただひたすらに想い慕っていた「恋心」というものが、

私の全く気がつかないうちに櫃からスルリと抜け出て、

今、私を激しく揺さぶっている。

父、母やカタカムナを出さずとも

「カギ」は読めるのじゃ

「カギ」は「カゲ(影)」の友ぞ

「カ」すべてを生み出す力」、とは言っても生み出してしまったらそれで終わってしまうではないか。

そうなると「ギ」につなぎ合わす道がないだろう。

「カ」は自己に明らかなれど、その内に迷いを内包しておるのじゃ

「ギ」を内側に収める、とすることはよいが、カギは開け閉めぞ

収めたものはどうする

新しき「カ」を足して「カギカ」にするのか、三語になるぞ

そんなことは聞いたことがないだろう

「ギ」には収めるだけでなく、自分に引き寄せることがなければならないだろう

「カ」と「ギ」の二語で「カギ」の全てを現せなくてはならない

足りないものは想念を加えるなどというなよ

カスガよ、父、母、カタカムナを出さずとも、よくできているぞ

隠れたところにいらっしゃる方のこと、分かっておるな

--------------

654 :本当にあった怖い名無し:2012/04/04(水) 19:00:24.90 ID:g2JgToPf0

>> カスガ

「カ」すべてを生み出す力をもち、

その内包する側面に影、渦、迷いを持つことが体現できたなら、

いよいよ、「カ・ミ(神)」の「カ」を思ってみたら

「カミ」じゃないぞ、まず「カ」からだぞ

でも急ぐなよ、一年かかっても二年かけても、早急なことは口にするな

歴史全体が相手だぞ

637もここも外野席からの発言だぞ

父でもないしカタカムナでもない、

鍵もちて、ちぎるイザナミ雲の上、

起こせし蛭子、黄泉に生みなし

http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no170/no170.htm

参考になるHPを紹介する

カタカムナではないので気に入らなければ見るな

662 :本当にあった怖い名無し:2012/04/06(金) 00:32:54.17 ID:9gJBQCWj0

>>657

縦のしがらみは何も無し。

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神代文字は多数あることは知っているでしょ。例えば竹内文献に載っています。49種。

http://sydneyminato.fc2web.com/102.html

古代ではスメラミコトが代を変える毎に新しい文字を制定したようです。

もちろん一般向きにではなく、スメラの職務遂行の力脳を見極めるためと思われます。

神代文字に全て共通しているのは現在のアイウエオ五十音図に通じることです。

そして、スメラの能力の判定は現代のような血統によるのではなく、

五十(弱)の文字を一度だけ使用して、人の生きる道、考え方、心の運用を書き表すことでした。

五十の文字はそれぞれ意味を持っていますから、五十の意味を連続させて、

立ったの一文に、意味、形共に仕立て上げるのです。これができなければ、スメラにはなれません。(推定です)

カタカムナ文字もその中の一つですが、はっきりしたことは分かりません。

おそらくカタカムナは形の上ではアイウエオ五十をクリアーしていますが、

一回だけ文字を使用して、意味の連続した一文にすることに、

かなり接近してはいますが、不完全です。

歌の多くが一回だけ仮名を使おうとしているのに気付くでしょう。

今からすれば意味の通じないような単語になっていますが、

それを単語ではなく単音に戻せば通じるもののはずです。

古代大和の文字はその単音の意味の発見があったからこそ、できたものです。

ですので多くの文字群があっても、どれでも単音は共通の意味を持っていて、

それを変形できず、勝手な解釈もできないのです。

では何処に基本となる単音の意味を記したものがあるかといえば、

古事記神代の巻きの冒頭五十神がアイウエオ五十に相当するばかりでなく、

その意味を暗示暗喩している原理となっています。

だからといってカタカムナ文字が駄目ということはなく、立派な心と道を説いたものとなっています。

発見者が科学者だったためにそちら方面に解されていますが、

カタカムナも心の運用原理を扱ってるので、可能となることです。

でもカタカムナを最期の一厘とする意見は全然いただけません。

日月神示 第十九巻 【肯定派専用】 日月神示 第十九巻 【肯定派専用】

14 :あらわれ:2011/10/04(火) 16:02:41.27 ID:pTzyMq5W0

>>11を利用して。旧暦九月八日。

神示は予言だ現象派。旧九月八日か、新十月八日の何かの現実「これで一(はじめ)の御用 は済みたぞ、」で、次ぎに行く出来事。

神示は言霊だ原理派。九月は長月(ながつき・名が付き)八日(ようか・用か)=名が付き用を成す。

何も無い頭の中にイメージができて、イメージが言葉を探して、探した言葉に名が付いて、

その言葉が発せられ、相手対象に届いて整理選択され、了解されて、記憶する、(これが言霊五十神)

という一過程の流れの中での、主体が係わる重要な過程部分、思惟思考行為実践においても同じ構造。

表現あらわれとなる前に、主側の意図が主体内に打ち立てられること。

それが、「二(つぎ)の仕組、」へ行き、言葉表現の「集団(まどい)。 作りてよいぞ。」となる

先天構造(頭の中から)から後天現象(物質表現)へ行くこと。

頭内にどれほど高尚な思い思想愛慈悲があろうと、名をつけて形にし物象化できなければ、

夢と希望を鼻先にぶら下げるだけで、九月=名が付き初めて八日=用ができるものとなるのです。

神示で愛と慈悲を説くやり方がいかに神示的でないかが分かると思います。

「八分通りは落第ぢゃぞ」というのは、意図、目的、したいことの形成において、

既に言霊の先天構造を無視しているので「八分通りは落第ぢゃぞ」になる。

「八分」というのは全部ということ。

注意。原理のそのまま適応し過ぎには要注意。

15 :あらわれ:2011/10/04(火) 16:19:27.76 ID:pTzyMq5W0

易に問う。

『 ひつく神示の真実の内容とは何か。』

山雷?(さんらいい)の三爻

-------------------------

どなたか解せる方がいましたらお願いします。

18 :あらわれ:2011/10/04(火) 17:16:06.33 ID:pTzyMq5W0

>>15-16

お二方ともさっそくかたじけない。

「よい世の中は」、「未来の創造は」、という主語は、卦のどこにあるのでしょうか。

20 :あらわれ:2011/10/04(火) 17:50:15.79 ID:pTzyMq5W0

>>19。

易の卦の解なんてどうせ正しい解釈はでないのですから、

知っていても知らなくても、たいして違いはないですが、

非常に斬新な「言葉遊び」にびっくりしました。

一時、易に凝りましたから、解釈は分っていますが、

そういった既知の解を振り回そうとした瞬間に、

出てきたアッパーカットです。

久しぶりに易神さんに聞いてみたというわけですが。

既知の解釈なんて何にもならないのですね。わたしの負けです。

22 :あらわれ:2011/10/04(火) 18:28:44.19 ID:pTzyMq5W0

>>21。易おそるべし。

今は易はやっていないのですが、最初に振った最初の卦がまた凄かった。

近年はよく「未来は決まっているか」といったことがいわれています。

易は何でも知っているなどという意見などに関心をもって、それなら「未来はきまっているか」と、

問うたらどうなるかと思い、初めて卦をとりました。

でた卦が、水火既済、でした。

どうしてものめり込まざるを得ませんでした。

24 :あらわれ:2011/10/04(火) 20:21:38.64 ID:pTzyMq5W0

>>15。『 ひつく神示の真実の内容とは何か。』。「サニワ」で。、

神示は常に内容に関しては「言うてはならず」 止まりで、

現象字面読みを強制されています。

もうその時期は過ぎたようです。

どなたか「サニワ」できる方がいましたら、聞いてみてください。ただし、

第14代仲哀〔ちゅうあい〕天皇の話しに出てくるように、ちゃんとやってください。

26 :あらわれ:2011/10/04(火) 20:57:33.14 ID:pTzyMq5W0

>>24。15。

自分でやってみました。

キーワードを設定しないで、ランダムに無数のブログから記事を選ぶ機能、

ヤフーの"ランダムブログ"を利用して、最初の記事を答としました。

『 ひつく神示の真実の内容とは何か。』

答え。『落ち葉の季節』

と出ました。

これも凄い答ですね。

ひつく神示=日付く=霊付く=言霊が付く=言の葉が落ちて地に付く=落ち葉の季節

ブログの記事は読んでいませんから、内容にはノータッチです。プラスマイナスどう動くのか知りません。

(無料占いの新分野確立ってとこかな。)

61 :あらわれ:2011/10/05(水) 15:39:39.79 ID:rqvgZlG90

>>52。

続けてください。。心の動きを探してください。

音韻、音調とか、響きとかは、単なる肉体生理感情上の作用半作用でしかありません。

響きの方向が心となるような、、

心が響きの方向をあらわすような、

その発見の後に初めて言霊学のスタートが設定されます。

次ぎに、腹で、

そして次ぎに、音声(胸)で、

発音に結びつく、心の表現を探してください。

音韻の生理上の感じは隠れた実在する基礎となりますが、

それは心の表現にならないと言葉になりません。

どうか次ぎに「ア、、、が抜ける」響き音調の次元から、

「(ア、、、)の心の動きが」心の上下斜めから抜けると、

それぞれどのような心の表現になるか見てください。

肉体上の変態変調に留まると、単なる気の感じとかクンダリニー覚醒とかで終わってしまいます。

どうしても、でんぐり返しをして、

動物生理の感情から、心、精神の感情に飛躍してください。

感じ感情から心を組んで似せて(く・に)ください。

ここはどこのほそみちじゃ=このままでは、単なる生理感情のほそみちです。に・く、で終わらないように。

こわいながらも=でんぐり返しです。

とおりゃんせ とおりゃんせ とおりゃんせ とおりゃんせ とおりゃんせ とおりゃんせ

199 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:17:32.88 ID:iluZEHlY0

>>180、165 :1 ◆x6s/29sxi2 「文字書くのは心であるが、心は見えん、」

「途中から判らなくなるのぢゃ。そこが大切ぞ。」

答はご自身ですでに引用しています。

「判らなくなったら神示(フデ)よめよ。」

ということです。

ところが神示読んで分かる人はいません。字面を越えて精神的な意味はどう見いだすのか、誰もがまいった降参です。

知ったこと知っていること経験体験、概念総動員して分からないのですから、

自分と思って今まで駆使していた自分はどこにもないということです。

持っていた知識智恵等、求めたい知識智恵等、選択したい知識智恵等、何も無かったことに気が付けばいいだけです。

そうすれば、 「道が見えない 。 何をすればいいんだ?」、もそんなものも何も無いではないですか。ところが、

疑問で苦しんでいるのに、それでは逃避とか放棄とか無責任とかになる。

新たにそんな思いがでてきます。

心の持ちよう道徳的に嫌だと言ったところでどうにもならないことです。

そんな心配事があっても、どうにもならないことを、まだ知らないからです。

200 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:18:27.58 ID:iluZEHlY0

そこで神示は暗喩指示を与えてくれます。

「出足の港は二二の理(ミチ)からぢゃと申してあろう。」

出足の港を見てください。疑問に悩むというのは既に出港しているからです。

それなのに、出足の港「からぢゃ」というわけです。ここに言霊学の大ヒントがあります。

出足は腰から下の二本足全体のことです。男も女も陰部を持って創造活動を始めるところです。

神示さんも冗談やこじつけの天才ですから、イロ(始めのこと)だとか、

男女の道だとか機転の効いた事に言い換えています。

疑問がある今は右足が出たところです。次の左足がでません。

左が出なければ次の次の右足どころではないのに、概念はいろんなものを伴ってさらにさらに前に行けます。

それを止めましょう、ということです。出た船を港に戻せということです。

では出した右足をどうするのか、。引っ込めるのです。疑問に疑問を加えず、得た知識を捨てていきます。

元に戻すのです。港に戻るのです。そこで、

戻ればまた同じ事を始めるじゃないかと心配ができます。

やりもしない前からさっそく顔をだすのは何でしょう。余計なお世話です。出てくるなとひっぱたきましょう。

201 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:22:04.55 ID:iluZEHlY0

こうして二本の足は戻り閉じました。

その港にあるのは、イロ、男女の道をはじめる全世界を前にした自分自身の意志と、今までのこと全体です。

今までしてきたことは、捨てたのではなく、そこにありますから心配なく。そして、

やりなおします。足が動けば、一歩歩き出して二に分かれます。そこで止まります。

確認了解自証し、他証もできるまで留まります。

新たな知識も自証了解するだけでなく、他の人達も理解しているものかどうか確かめます。

納得できたら留まっていた状態からまた一歩出て二を作ります。続いてまた留まります。

いちに、いちに、いちに、「二二、二二、二二、、、」の納得了解運用、納得了解運用の繰り返しです。

余計な概念知識が一人立ちしないように、いちいち港に戻ります。

202 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:35:22.47 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。1

「 霊的成長度の高い人」とかいう全く下司な考えの虜にならないように。

人でいう役員を指すだけではないのです。

ひつく神示の精神的な意義を見つけてください。

精神そのものの次元でその意味を探してください。

神示は少なくとも精神の教えです。

地位とか、成長とか、高いとか低いとか、現象次元をいう前に、

精神の中で言う役員を体得してください。

精神の原理規範を打ち立ててください。

203 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:36:08.53 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。2

「 ここに一本の木が立っています。この立っている、ということはどういうことなのでしょうか。

立っていると見ている人がいなければ立っているか否かが分かりません。

また木が物として存在しなければ見ることができません。

現象があるというのはこのように見る主体と見られる客体双方に関係します。

現象の認識は単に物があることを見る、五感認識ばかりとは限りません。

体験認識の体系化の次元、

感情界の次元、

事物の選択に関する道徳、政治等々の高度の次元にも起こります。

これら全ての現象において純粋の主体と純粋の客体はどういう経緯で現象を産むのでしょうか。

204 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:38:18.72 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。3

例えばここに鐘があります。棒で突きます。鐘が振動して空気を震わせます。

空気中に波動が起こります。

しかしこの波動自体がゴーンという音を立てているわけではありません。

その波動が人間の耳に入った時、初めてゴーンという音に聞こえるわけです。

鐘自体は無言の波動を出しているだけです。

客体である鐘の発生する波動と、主体である人間の認識知性の波動とがぶつかって、

双方の波動の波長がある調和を得た時、すなわち感応した時、

初めて人間は鐘がゴーンと鳴ったのだと認識するのです。

205 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:39:17.12 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。4

このように、シンクロナイズしてそれぞれに現象を産むためには、

それぞれを結びつける懸け橋となるものが必要です。

この役目をするのがキシチニヒミイリの八つの父韻なのです。

純粋な主体と客体を結び付ける人間知性の根本韻律はこの八つより他にはありません。

客体から発する波動は科学的に計測される波長を持った波動エネルギーです。

それとシンクロナイズして、あらゆる現象を産み、認識する人間の主体側の原律が八つの父韻です。

206 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:41:30.02 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。5

ここで自分の心の中を考えて見ますと、

この生命創造意志の世界が他の世界の現象を産む原動力であることが理解されます。

欲望の世界である言霊ウも、経験知の世界の言霊オも、言霊アの人間感情も、

言霊エの選択や道徳の世界も、

生命の創造意志が働かない限り、何の現象も萌すことはないでしょう。

欲望が起こるのも生きる意志があってです。

経験を成り立たせる好奇心も、哀しいうれしいの感情も、いまここでいかなる道に進むかの選択も、

すべて創造意志が縁の下の力持ちとして働いて初めて出てくるものです。」

207 :あらわれ:2011/10/06(木) 23:43:11.47 ID:iluZEHlY0

役員たちとその囚われの者たちへ。及び神示の真の理解へ。6

原理規範としては、これが神示のいう「役員」です。

神示のどの頁でも、上記と違うところがあれば見つけてください。

この精神原理規範の上でなら、皆さんからは隠れたところでお世話をする役員も、

全体を見渡せる視野と指導力のある役員のことも、途中でこそこそする役員のことも、

同じ精神原理の上で動いていることが分かるでしょう。

-------------------------

以上でわたしの出番は終了です。

みなさま、さようなら。

【大峠入口】 日月神示 第二十巻 【肯定派専用】 【大峠入口】 日月神示 第二十巻 【肯定派専用】 、

585 : あらわれ : 2011/11/04(金) 09:28:20.04 ID:UPJHzFrn0 [1/3回発言]

久しぶりに覗いてみました。

>>583さん

グレンとは何ですか。「グレン、言うては成らず、言わねば成らず、どっちやねんと。」

神様の口真似ですか、結局分からないのですか、教えないつもりですか。

答えをおねだりしていいですか。

私自身もう一つ確信が持てないので、救助信号を出してみました。

594 : あらわれ : 2011/11/04(金) 11:57:58.10 ID:UPJHzFrn0 [3/3回発言]

以上の事柄から前もって解読のヒントを得ると。

上下関係。知識、学でやると。秋の空(明らかな気が空(くう)になること)。地獄。

春マケ、ハルマゲドン(マケ、マゲは真気のこと)。

こんなものがヒントに使用できるかとおもっています。

しかし、文章にするための芯が見つからないので、うまくいきません。

暮れる、ぐれる、等もうまい文章作りに成りません。

719 : 世界の中心 : 2011/11/07(月) 12:40:43.45 ID:f+Pr6ZtI0 [1/7回発言]

123神示/海の巻/第11帖(502)

だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、

この道理判るであろう、

ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、

タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、 世界の事ぞ、

タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、

日の本と云ふ事ぞ、 キミの国ざぞ、 扶桑(ふそう)の国ざぞ、

地場ざぞ、 判りたか。

地場を固めなならんぞ、

五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。

社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、

マコトの八尋殿。何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名の神がかりして、

何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、今に尻尾を出して来るぞ、

尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。

世界の中心。

宇宙は広いものです。ですのでどの一点を取っても中心となります。

地球は丸いものです。ですのでどの一点を取っても中心となります。

東経135度の丹波を世界の中心と読み替えるあまりの幼稚さに笑ってしまいましたが、

それも一点の一つですので、今は微笑むだけにします。

少なくとも日月神示を読むのですから、でんぐりかえしの片棒を担ぎましょう。

720 : 世界の中心 : 2011/11/07(月) 12:42:26.80 ID:f+Pr6ZtI0 [2/7回発言]

「 タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、 世界の事ぞ」の語呂合わせが何も理解できていないのが原因ですので、

神示さんの真意を分かる範囲で提供しておきます。

くれぐれも丹波ハイキングと日月神示いうでいう世界の中心と結びつけないようにしてください。

宇宙の中心となる一点は、あなたでありわたしであります。あなたの言う135度の丹波という意見であり、

語呂合わせに引っかかったあなたを笑うわたしでもあります。

ここに二点の中心が出来ていますが、さらにそれを一点にまでするにはどうしますか。回答は共通点を見つけること。

わたしもあなたも、考え感じている、頭という宇宙世界があるという一点に行き着きます。

各人が宇宙の中で頭という宇宙世界を持っています。

その現れがあなたでありわたしです。そこに世界の中心がでてきます。

頭という宇宙世界そのものを見ていけば十一帳の言うことがより理解できていきます。

721 : 世界の中心 : 2011/11/07(月) 12:46:48.71 ID:f+Pr6ZtI0 [3/7回発言]

タンバは・地名ではありません。語呂合わせのこじつけに持ち出されたものです。

タニハ、田庭とは・田の庭・言霊五十音図の庭、原とも言います(高天原、あわぎ原)

日の本の国ぞ、・霊(ひ)の元、日本は言霊五十音図によって作られた国ということです。

世界の事ぞ、・世界の国々ということではなく、世、世の中ということです。

この世は五十音図によっているということ。

タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、・(イチ・一番)を付け加えた語呂合わせが続きます。

広げたものを元に頭脳の方向に戻します。

世の中心はタの庭にある、五十音図であることを示しています。

日の本と云ふ事ぞ、・霊(ひ)の活動、働きの元を示したいのです。

キミの国ざぞ、・伊耶那岐の神+伊耶那岐の神のギミのこと

(ついでに言えば君が代の君も天皇のことではありません)で、

キ・ミによる国(組んで似せる)働きによるということです。

扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、・昔からの中国の憧れの地、その日本にいることを忘れるな、

というぐらいの大した意味のない言葉のようです。

地場を固めなならんぞ、・主体となる各人の頭を見直せ、

五十鈴の川は・五十音図の象徴。鈴は横から見れば口を開いて言葉を発している形。

ムツの川、・陸奥・道奥(みちのおく)のことを日月神示の真理である言霊学にかけたもの。

723 : 世界の中心 : 2011/11/07(月) 12:53:04.44 ID:f+Pr6ZtI0 [4/7回発言]

和合の川ぞ。・和合の相手は、主体(わたしであり、あなたであり、・・・)と客体(世、宇宙世界)。

社殿(やしろ)は八方に開く時来たら・は神社でなく、心の八城(八をしろしめす)のことですが、

城(しろしめす)を借りただけで、頑丈堅固を心得るならば、主体意志の確立、日月神示の教えを守りたいのなら、

八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、・古事記のおのごろ島の段落での言葉。おのれのこころの島の実体内容。

(皆さんご存じの八通りという主張の根拠)。

八尋殿は意識の先天構造内にあるものですから、通常は無自覚自動的です。

マコトの八尋殿。・そこで、無自覚に流されることの起こらないように自覚せよ。

マコトを知れ、となります。

全文を通しての解読は各人でどうぞ。

TPPとか核戦争とか中米どっちに着くかとかは世界の中心を考えるものにはなりません。

日月神示の言うのは世界の運用指導規範を立てることです。

それは暗喩呪示でしか語っていない日月神示ではなく、

日月神示自身の実体内容を探れと言っているのです。

あらわれ。

724 : 便所掃除する役員 : 2011/11/07(月) 13:59:03.28 ID:f+Pr6ZtI0 [5/7回発言]

「 この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、

役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。」

便所は厠(かわ屋)・カからワへの屋で、

イザナギがイザナミを追っかけて行って見てきた黄泉(よもつ)国、

蛆がたかって音を立てている国、のことです。

要するに今われわれが生きているこの世のことです。

死者の国ではありません。

カからワは、五十音図を見てもらえればすぐ気付くはずです。

アという主体を抜かして、カサタナハマヤラワとなったものです。

自覚的主体規範のないまま自分の意見を述べることです。

役員は、・ヤクイン、八区・イ・ん、のこと。

八尋殿(やひろどの)を行き来する隠れた仕事師のこと。人事上での役職地位を持った人物ではありません。

人の心の八尋殿(やひろどの)である、イ(伊耶那岐の神)の運行(言霊ん)を指したものです。

それがちょうど人事上の役員であるかのようだということで、象徴的に使用されました。

725 : 便所掃除する役員 : 2011/11/07(月) 14:00:14.68 ID:f+Pr6ZtI0 [6/7回発言]

便所を掃除する・は、カからワへ向う思考の回路を掃き清めることです。

カから始まるのを金木音図といい、清められたのを天津太祝詞音図といいます。

配列は、あ・たかまはらなやさ・わ、です。

書く役員、・一般原理原則を掲げ公示するに相当します。

神示うつす役員、・実情に合わせて原則を写しかえるに相当します。

神示説いてきかす役員・賛否や疑問不明点を説明することに相当します。

本来なら次に執刀執行する役職がきますが、日月神示の次元では

それを明かすことが出来ないので書かれていません。

日月神示には実践実行用の言葉がどこにもありません。具体性を装った抽象だけです。

上記三役しか書けないのは、日月神示にはアンタッチャブルな領域があるからです。

この決定的な領域が示されないために、全ての日月神示ファンの不安と怪しさ感の源泉となっているものです。

それは、言霊とは何かと、言霊そのものを示すことが出来ないからです。

あらわれ

726 : 便所掃除する役員 : 2011/11/07(月) 14:04:03.84 ID:f+Pr6ZtI0 [7/7回発言]

参照。日月神示でいう言霊。

●神は言葉ぞ、言葉とはマコトぞ、いぶきぞ、道ぞ、マコトとはまつり合はした息吹ぞ、

言葉で天地にごるぞ、言葉で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神の国になる ぞ、

言葉ほど結構な怖いものはないぞ。

●天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。

言葉の生命は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。

子音と 母音と組み組みて父(ふ)音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ。

今の人民のは言葉でないぞ、日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕 組み。

796 : 言霊循環 : 2011/11/12(土) 09:30:16.74 ID:zj1pWGMK0 [1/1回発言]

言霊循環

始め

→空世界宇宙(主体の先天性の実在実体となる空世界、蛭子と淡島のこと)

→空世界を反映する主体側の先天世界(先天十七神)

→先天世界が主体内に映されるイメージ世界(未鳴)

→イメージ世界が言葉(物象)へわたされ、言葉がイメージとなる世界(真名)

→言葉となって表出され第三者的な物象となる世界(神名)

→物的な世界を受領復誦解明消化し、煮詰めて、同調共感を得る世界(真名)

→了解されて全主体側の実体構造に戻る世界(天名へ)

→客観性を得て客体側となり空世界宇宙となる。

→始めへ戻り、上昇昇華する循環を繰り返す。

始めに戻る

以上が「あ」と言おうとして、頭脳内で「あ」をイメージして、

「あ」という言葉を探して、「あ」と言って、「あ」を到達させて、

「あ」を聞いて、「あ」と共感して、「あ」と納得して、

「あ」に続く言葉の元となる「あ」となったものです。

これが言霊一循環の姿で古事記の神代の巻、冒頭の百神の流れです。

この循環は原理として、単音の次元で確立していますから、

どのような心の活動、働きにも同じ姿で現れます。

810 : 一厘の仕組み : 2011/11/13(日) 16:32:41.61 ID:G2dRrBNl0 [1/8回発言]

「九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、」

数字上の九分九厘に対する一厘ではなく、現実の在り方に対する最後の一%でもありません。

つまり現象世界のことをつべこべ言っても、たんに普通のこと(悪のやり方)を述べたものに過ぎません。

多くの日月神示ファン達がイメージしてこうだああだと語っていますが、すべて間違えです。

「九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。」

「今の人民 九分九厘は死んでいるぞ。」

駄目で、悪で、間違い、であろうともこの世は一厘欠いたままで成就しています。九分九厘死んでいるというのはそれが普通ということです。

つまり一厘無ければ無いで何でもない、当たり前ということです。

日月神示ファンであろうとなかろろうと、普通の死んでいる人間たちということです。

(自称俺は役員だという方は>>724 )

811 : 一厘の仕組み : 2011/11/13(日) 16:33:40.87 ID:G2dRrBNl0 [2/8回発言]

「今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。」

「一厘」に向かわず、幽界へ向い、幽界を喋りだす駄目な人たちで一杯ということです。

幽界霊界体験を語るのがご自慢な方達の駄目さ加減を言っています。

「人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは

天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に (テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。」

数少ない一厘とは何かの説明です。もちろん日月神示は暗喩象徴でしか語りません。

こんなものを聞かせてもどうせ分かりません。

「残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ」

現象世界で言う一厘ではありません。また心象、イメージ世界での一厘という語呂合わせでもありません。

「心で取る」方なら通じるところがあるでしょう。

812 : 一厘の仕組み : 2011/11/13(日) 16:38:34.61 ID:G2dRrBNl0 [3/8回発言]

注意してもらいたいのは「魂を磨く」とかいう現実現象的な方法ではないということです。

ですので良心とか、愛とか、調和とか、感謝とかを心がけることでもありません。

また再臨を望まれた聖者を待つことでもありません。

岩戸を開いて神の出現に歓喜することでもない。

「残る一厘は、悪の中に隠してあるぞ」

だからといって、悪党どもをやっつける、暴露するなんていうおっちょこちょいもいます。

何を隠しているのかなどという、現実を探すことに無駄な時間を使う人たちがいます。

(ufo探し、秘密兵器探し、陰謀探し等々)

現実界の話ではないということに気付いてください。

現実界ではありませんが、実在界のことです。(あらわれ)

818 : 一厘の仕組み : 2011/11/13(日) 20:16:07.63 ID:G2dRrBNl0 [4/8回発言]

>>813

終りの姿はいつでも同じです。その原型は、古事記の言霊百神の終了の所に記されています。

『 この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、

「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」』

「いつまで研究してるんだ」というあなた自身が伊耶那岐です。

言い終わったところで『大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、』

ですので、もう次の言葉を書く必要がありません。

次回に書かれることはまた別の次元となります。

書いてしまったという自分の創造物(文章813)『「吾は子を生み生みて、』が実現しているからです。

そこに不満不足が無ければ『生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」』

となります。三はしらというのは天照、月読、スサノオの三神さんです。

その心は、欲望的に(スサ)、知的に(月)、選択実践(天照)的に完了しているということになります。

私の場合はまだそこまでいかないので、続いています。

2ちゃんに来てひつくをつついているのは、頭の体操みたいな遊び半分です。

また古事記では「歓喜(よろこ)ばして」となっていますが、

もちろん他の感情でも構いません。締めくくりは感情になるという代表として現わされたものです。

「いつまで研究してるんだ」の「研究」は知的な次元での言葉ですが、

その内容には知的な部分は無く、あなた自身の感情の納得了解を示したものでしょう。

わたしに面白い気付きを与えてくれたことに感謝します。

(あらわれ)

821 : どうせ解釈の問題だから : 2011/11/13(日) 21:59:12.53 ID:G2dRrBNl0 [5/8回発言]

>>819

「どうせ解釈の問題だから」とわたしも含めどなたも言います。

ひつくも八通りに読めるといっています。

しかしここで言う「八通り」と「どうせ解釈」とでは同じことを言っているのでしょうか。

そんなことをいっても「解釈」に任せねば仕方ないといいます。

後は論争か殴るか、真実事実とか言うものを見せつけるかです。

「どうせ解釈」に「自分としては」と付け加えれば鬼に金棒です。

相手のことなど知ったこっちゃありません。

ここで「そんなことでいいのか」などといっても誰も聞きませんし、無力な言葉です。

ひつくはこういった無政府のような、弱肉強食の様な、勝手気ままな我良しを認めているのでしょうか。

「どうせ解釈だから」の道を乗り越えることはできるでしょうか。

ひつくは既に自分の読み方を示していますが、読む人に「どうせ解釈だから」と言われるだけなのでしょうか。

823 : どうせ解釈の問題だから : 2011/11/13(日) 22:00:18.03 ID:G2dRrBNl0 [6/8回発言]

「どうせ解釈だから」といいながら、自分の意見を述べるのはどういう気持ちでいるのでしょうか。

気持ちも「どうせ解釈だから」ということでしょうか。

賛同が得られればうれしいと思いますがその時は「どうせ解釈だから」は自動停止するのでしょうか。

誰もが「どうせ解釈」と言いながら、そうじゃないよという心を持っています。

「解釈」という言葉の次元で、己は他とは違う、もっと上等だとかいう自負心もあります。

知識の量が後ろ楯になったり、経験に固執したりすることが自分を守るように感じられもします。

あなたはどう思う、なんて聞く以前に「どうせ解釈だから」を超える道はあるでしょうか。

ここに集う良質な日月神示ファンの皆さんは「どうせ解釈だから」をどうを扱うのでしょうか。

826 : どうせ解釈の問題だから : 2011/11/13(日) 23:01:21.72 ID:G2dRrBNl0 [7/8回発言]

>>自分用に利用します。

解釈=真実だとは思っていないし =嘘だと思っていないし

自分の解釈を過信するつもりも無いし= 無視するつもりもないし

自分の解釈が間違いであるという可能性も考慮に入れている=正しいという可能性も考慮に入れている

日月神示にこのような悪循環を超える方法が示されていればいいのですが、

「御霊磨き」だけではさっぱりできません。

もちろん自利的な満足なら得られるでしょう。

心を開いて愛と希望も与えられるでしょう。

しかしそんなことなら数千年前から行われてきた、何の成果もない絶望と虚無の提供者となるだけでしょう。

日月神示は「誰も知らぬ所に仕かけてある」「云うてはならぬ」と、繰り返しているだけです。

日月神示の読者は一厘の秘密を知らされず、危機を煽らされているだけなのでしょうか。

831 : 分かってくるよ : 2011/11/14(月) 00:01:23.04 ID:G2dRrBNl0 [8/8回発言]

>>826

戦争になるよ、原爆落ちるよ、津波が来るよ、貧乏になるよ、殺されるよも、

後で「分かるようになるよ」 ですね。

全部結果を見て後からこねあげたものたちです。

できるのはせいぜい予測だけですか。

神示がこうなると断定しているのとは格段の違いですね。

わたしは遠慮しておきます。おやすみなさい。

891 : 春の巻、37 : 2011/11/14(月) 10:00:41.88 ID:obGeLkgy0 [1/2回発言]

>>858 :春の巻、37

ここでは「全体」を悟れといっています。

858氏のように、対処と受ける、八割と残り、迷わす者と他の者、、

という分類をしてはならないということです。

十二、二十、三十六とかいうように、部分的に現象的に物事を扱ってはならないということです。

したがって、外面的な了解事項からする理解ではない、他のことがまだあります。

単体で扱われる数字以外を見ると、

相手八と出たら二と受けよ=10、

十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ=100

二十と出たら八十と和せよ=100、

というように10、100に気付きます。

これが「立体」の暗喩呪示です。

この内容を解説しても分からないでしょうから、しません。

相手の858氏が99と出たら1と受けよ、という一つの実例でした。

「全て書いてあるでしょ」から一厘引いてください。(あらわれ)

896 : 春の巻、37 : 2011/11/14(月) 10:55:34.20 ID:obGeLkgy0 [2/2回発言]

>>892 :春の巻、37

二十と出たら八十と和せよ=100、というように10、100に気付きます。

これが「立体」の暗喩呪示です。

世界経済の生産流通消費が100です。デン繰り返しはこの100が対象です。

TPPは未だに部分的なものです。

世界は、米国は、TPP の次の段階が視野に入っています。

ひつくは世界のデン繰り返しの後まで視野に入れています。

今の日本とその住民には世界経済を指導する100の視点がありません。

世界経済の指導を生産量とか物流に換算すれば858や892氏の「対処」になってしまいます。

しかし、100の日月神示の視点は徐々に拡大しているのは感じられます。

【大峠入口】日月神示 第二十一巻【肯定派専用】 【大峠入口】日月神示 第二十一巻【肯定派専用】

38 :2012年の十大ニュース:2011/11/16(水) 17:23:25.37 ID:62FC+cKG0

2012年の十大ニュースが決まりました。

0) 古事記の神代記が人間の精神原理そのものであることが天皇に復言された。

1) 無し。

2) モーゼが古代大和のスメラミコトから使命を受けていたことが確認された。

3) ユダヤの世界権力が日本に大政奉還された。

4) 伊勢神宮が解体され神社組織が消滅した。

5) 世界宗教者、哲学者会議において、神を拝むことが廃止された。

6) 世界自然科学者、宗教者合同会議において物心の世界が解決された。

7) 世界政治指導者会議において生存競争が廃止され、他者のための政治に転向し転換した。

8) 世界の軍備が廃止され、戦争の為の軍隊が消滅した。

9) 世界有数の資本家たちが富の独占的蓄積を放棄し再分配をはじめた。

10) 有り余る生産力を受けて貨幣が単なる紙の印刷物であることが確認された。

42 :2012年の十大ニュース:2011/11/16(水) 20:57:06.10 ID:62FC+cKG0

>>41。「乾為天」初九。

時間的に見て、

潜龍であったとき、じゃりじゃり騒がれた。「身魂磨き」という精神的貧困者を鼓舞できた。

しかし、時は過ぎた。

現在、今後の使用に日月神示は耐えられなくなった。

44 :易経と言霊学:2011/11/16(水) 21:54:56.48 ID:62FC+cKG0

竹内古文書には「鵜草葺不合(うがやふきあえず)王朝五十八代御中主幸玉(みなかぬしさちたま)天皇の御代、

支国(えだくに)(中国)王伏羲(ふぎ)来り、

天皇これに天津金木を教える」と記されています。

では易経を初めて称えた中国の伏羲という王は何時頃の人なのでしょうか。

これまでの中国古代史研究では、中国の歴史は紀元前十八世紀頃の殷(いん)の時代から始まるとするのが定説。

近年は、それ以前の夏の時代の存在を証明する考古学的発見が主張されています。

とすると、殷が今より三千八百年前、その前の夏(か)は四千数百年前となります。

中国伝説には夏の前に三皇五帝の代があったと説かれ、

易を始めた伏羲王は三皇(燧人[すいじん]氏、伏羲氏、神農氏)の一人であります。

この様に太古を探って行きますと、伏羲の時代が少なくとも今より五千年以上前という事になります。

竹内古文書にも「伏羲が帰る年を神武天皇即位前二千二百八十年」とあります事からも

その年代の正確である事が確認されます。

伏羲来朝の時の天皇は葺不合王朝五十八代であり、

その葺不合(ふきあえず)王朝の前に日本には言霊原理に基づく政治が行われた邇々芸、

日子穂々出見の二王朝がありました事から考察しますと、

日本民族の祖先による言霊学の発見は今より八千年乃至一万年前と見るのが妥当という事になりましょう。

易経は言霊学の天津磐境を中国語の概念と数の法則に脚色して伝授したものと考えられます。

51 :ごもく:2011/11/17(木) 21:34:20.85 ID:fLUgbiQd0

>>17:48:47:大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、 大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ

広辞苑では、ごもくは、ごみ、はきだめ。

もう一つ、五木(ごもく、ごぼく)。

上記引用と広辞苑から「ごもく」とは、表記で、五木になり、、

五木は暗喩として、五気、になる。、

五木とは先天のイエウオアの言霊世界(五気)を、五木の実在世界にすり替えること。

上記引用から、ごもくに対するのは大空、すなわち、空、何も無し、霊のこと。

つまり五実在世界と空、霊世界の対比。

ここまで言えば後は分かるでしょう。赤児になれよ、ごもく捨てよ、。ゴモクを吐き出し、 大空を、、。

58 :ごもく/目黄不動:2011/11/18(金) 11:04:16.19 ID:kVvbEqfB0

>>55

黄(言霊イ)どうなるでしょうか。

いずれにしても中華、仏教、五行からの逆輸入品ですので、

原産地大和の日月に戻った方がよろしいかと思います。

×・日月に戻る

〇・日月の源泉に戻る

67 :皇室の碁盤:2011/11/18(金) 20:39:42.98 ID:kVvbEqfB0

通常は十九路盤

深曽木の儀の碁盤(日置盤)は二十×二十の皇室専用

脇に二個の青の碁石

そして飛び下りる

日置盤は霊(ひ)隠岐(おき)(伊耶那岐が隠れている=スメラミコトが未成年)

日置盤を高天原とするのは、まだ現実の統治行為の方法を知らないスメラがいる所の意。

二個の青石は、ア・ワのタカミとカミムスビ、

タカミムスビは言霊ア、アは青。

そこに将来スメラとなる御中主が降りてくる。飛び降りる。

全部で天地の初発の時の造化三神の象徴。

盤面が二十路なのは、布斗麻邇(ふとまに・二十真似)にかけたもの。

二十(ふと)は百音図(いえうおあ五十音図を二つ重ねたもの)の母音側十と

半母音側十の象徴。五+五と五+五。

従って中央の盤面400目は40を基盤とした百音図ということで、

八十禍津日の神の先天象徴(未成年、壺切りに達していないから)、八十禍津日の言霊アと一致している。

未だに子音の創造を知らないという象徴。

スクスク伸びる成長を祝うというのは、

言霊の真意が隠没させられた後の後世のこじつけ。

81 :こじつけと理屈:2011/11/18(金) 22:54:46.62 ID:kVvbEqfB0

>>76

記帳と書いて、つけちょうと読む。店、飲み屋で飲食をつけですると、付け帳に記入する。

古事記を読むと、こじつけ、故事付け。なるほど古事記はこじつけ。

ひつくの原文はこじつけ上手な人が訳したからあなたも読める。

古事記や日月神示の読み方は、こじつけが基本です。

「理屈は悪ぞ」とは全然別次元の話。

こじつけて読めない人は、いつまでたっても進めない。

ひつく読みのひつく知らず。

93 :身魂磨き:2011/11/19(土) 09:54:22.78 ID:+NazAhYA0

>>86。

「悪も抱き参らせて…」をお忘れです。

まっすぐ目的に向おうにも、途中には山川樹木が、欲や知識や強制命令などがあります。

身魂・みたま、とは、三・タの間,です。

三貴子、天照らす大御神。 月読(つくよみ)の命。 建速須佐の男の命のことで、

その実体は三柱の綿津見の神

その働きは底中上筒の三柱の神

三つの大洗濯の中身です。

その実在主体は各人一人一人、あなたでありわたしのことです。

三つのタの間の所有者です。

もちろんまた「グズグズ言っている」と聞こえているでしょうけど、

この世は気に入らない他人の講釈垂ればっかりです。どうしましょうか。

くれぐれも次元上昇だとか、神界霊位とか、下級霊とか上級動物霊とか、

ハルマゲドンとか世界戦争だとかに迷わされることの無い様に。

また、自覚の無い身魂磨きは、自利自証だけの個人行となります。

神を頼ったり、念仏宗教へ転落しやすいのでご注意を。

ここまでだけなら、単なる自己防御です。我を出すことです。

身魂磨きのできるかたは世界に一人いるかいないかでしょう。

われわれは身魂磨きという我に踊らせられているのです。ア・ワ踊り。

94 :碁盤=田:2011/11/19(土) 10:51:26.54 ID:+NazAhYA0

>>84。「わたくしなれば自然と皇居内に設けられた水田を連想させられてしまいますね。」

碁盤は水田ですが、皇居内の田ということではありません。

象徴儀式ですので物証を探しても実相は出てきません。

儀式には通常一般の19路盤ではなく、20路盤という物を使います。

19では、361目になってしまい100を基調とする言霊学上の田に該当しないので、

20(20×20)にしてあります。

10×10ではあまりにも簡単に秘密をばらすようなのでこうなったと思われます。

また、この碁盤=田=言霊学上の田=五十(百)音図は大嘗祭での

ゆきでん【悠紀殿】、主基殿 (すきでん)の意味合いは無いようです。

ユき田、スき田はあいうえお五十音図を半分にすると

スとユが中央にきて五穀豊穣の中央神への感謝になりますが、

碁盤は未成人のスメラの自覚以前の姿ですので、

アイウエオ五十音図でなく、イエウオアのスメラの五十音図かと思われます。

すがすがしい精神規範を初めて得ることの象徴でしょう。

そして、盤面(五十音図)アの最上部から降りて自覚を持たせます。

横にある青の石(青はア)は踏まずに超える(アを超えるに相当する)らしいです。

97 :碁盤=田:2011/11/19(土) 11:28:51.91 ID:+NazAhYA0

19路盤の

マス=324

目=361

21路盤で

20×20マス

21×21目

ですね。

100 :碁盤=田:2011/11/19(土) 14:52:12.71 ID:+NazAhYA0

「右手に扇、左手にマツとヤマタチバナの若木を持った悠仁さま」産経新聞

右手に扇・右は精神規範を使用する側、扇は闇淤加美の神 、闇御津羽の神二神の象徴。現代語で言えば帰納法と演繹法。

左手は受動側で使用されるもの。マツとタチバナ。

マツは「梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ」でみなさんお馴染み。

松の枝を持っていますが枝ではなく、松葉が重要。造化三神の象徴。(隠されている一厘のこと)

ヤマタチバナの若木、ヤマは「山の神名は大山津見の神」言霊ハの暗喩。

タチバナの若木、タチバナは「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはら)

でいう橘、常緑の柑橘類で物事が変わらぬ香りを放つようにハッキリ分かる(すっぱいので)ような、

タチ、たちが良い悪いの性格、さが。言霊のタチ。実体実相。

バ、は・葉・言霊のこと。上記↑ヤマのこと。実体が葉となる、現象となる。

ナ、言葉の名の意味。

タチバナで言葉の実体をハッキリさせるの暗喩。

若木はスメラの成人以前の状態。実は初期の判断規範を手にしたということ。

閉じたり開いたりする扇(和久産巣日の神-建御雷の男の神の判断規範)

用語解説の後の総合は各自でどうぞ。

109 :碁盤=田:2011/11/19(土) 21:05:45.96 ID:+NazAhYA0

>>101

全体が成人式以前(壺切り前)の話しです。

右は大体常に主体側、能動側、母音側、身切り(みきり)

左は受動側、客体側、半母音、霊足り(ひたり)

母音半母音を同時に左に全部納めることは出来ません。一または、柱になります。

山橘は先天の次元まで下がれば父韻かもしれません。そうすると、

もっと前の儀式で何かありそうです。

賜剣の儀(しけんのぎ)が新生児のときにあるそうです。

「右の扇はオとウの気でツクヨミとスサノオ。」二者は完成した姿ですから

まだそこまで行かないと思います。

五歳で「イ」になりますので、碁盤から降りることが「イ」の象徴でしょうか。

声を出して降りるそうです。何と言うのでしょうか。

碁盤=稲田の稲(イ)はまだ刈る年になっていないので、ちょっとだけ髪(神)を刈られるというのが、

将来スメラの仕事となる稲刈りの予行演習ということでしょうか。

「「えいっ」と掛け声をかけて南に向かって飛び降り、一連の儀式は終わる。」というのが見つかりました。

「オとウ」ではなく「エとイ」らしいですね。

110 :碁盤=田:2011/11/19(土) 21:08:28.89 ID:+NazAhYA0

第二考。

広辞苑では深曽木は髪を切るとしか書いていないので、メインはこちらかもしれません。

語彙をすぐ大量に覚えられる年代です。

そうすると深曽木は、ふかそぎ・布(ふ)神(か)注(そ)ぐ気(き)・神の布に気を注ぐ、に。

神の言霊の組織(縦横の織物布)に気(言霊)を注ぐ、

知識欲旺盛なこの時期に言霊原理のスメラの未来像を教え込むことか。

神とは髪、頭、意識、言霊で神を髪にかけた象徴暗示行為。

124 :今迄の衣:2011/11/21(月) 11:05:24.59 ID:tOq9uB6U0

>>122

こんな意見が書きたくなりました。

引用したくなる、お気に入りの言葉が見つかったのはおめでたいことです。

理解するしない、出来る出来ない、に係わりなく、

心に共感が起きて心地よい反応があったからでしょう。

それを、無情にも「想念の世界に行く」とか「神人になる」とかいって、

自らを主張するのが「今迄の衣」です。

ぬいでくだされ。

(あらわれ)

128 :同じ名の神二つあるぞ:2011/11/21(月) 21:57:31.50 ID:tOq9uB6U0

>>125。

神示ではあちこちで「同じ名の神二つあるぞ。」が出てくるようです。

「一切のものはウズであるぞ。同じことくりかへしているように」「宇宙のすべてがつながりであるぞ。」

「人民三つ四つにもおろがんで御座るぞ」

引用をしてもしなくてもわたしの頭の体操の仕組みは変わりません。

「同じ名の神」の基本的な理解のヒントを出しておきましょう。

125を読んだって何を言っているのか分かりません。

誰も分かってはいないのに、引用だけはされる変な書物が日月神示です。

各人勝手に解釈でき、誰が何を言ってもそのように感じさせるからです。

日月神示は現代語で言えば認識原理論ですが、原理論そのものではなく、

原理論が根底にあるのだぞ、と言っているだけのものです。

あるぞあるぞというだけで、実物を出すことはしませんから、

幾ら読んでも無駄になります。

129 :同じ名の神二つあるぞ:2011/11/21(月) 21:58:11.44 ID:tOq9uB6U0

それでも気に入られるような言葉が多いので、勝手も意味付けを得意としたファンも大勢います。

『同じ神の名2つあるぞ。四海の秘密じゃぞ。これが解ると謎が解けるぞ。』

とあるらしいですが、神示からは秘密は喋らない主義です。

神示は遊び心満載ですから、名二つ、四海、とヒントだけは出しています。

今までは字面を直接分析してしまい、象徴暗喩であることに気付くいていないので、

勝手な解釈が横行していました。

125にも別のヒントとして「アワ」が出てきますが、四もアワも全て古事記からとられていますが、

古事記の人気は最低次元で低迷していますから、解釈の助けになっていません。

個人で考えると称して勝手なことを言う方が気にいているようです。

130 :同じ名の神二つあるぞ:2011/11/21(月) 22:06:28.22 ID:tOq9uB6U0

本来ならば、古事記の神代の巻を言霊学で読み直してもらえれば、

日月神示の暗喩指示は解けて、統一された理解に導かれていくのですが、

ほとんどの方はそういった回りくどいことを敬遠して、

オカルト方面からの誤解を楽しんでいるようです。

神示自身が自分を分かってもらおうとする積もりがない書き方ですから、

読む方は読む方で勝手にしているわけです。

その分読んで判ったとか分からないとかのネタを投げ合う楽しみが与えられているわけです。

133 :同じ名の神二つあるぞ:2011/11/21(月) 22:26:49.42 ID:tOq9uB6U0

さて、

同じ名の神二つあるぞ、とアワと四海を繋げてみましょう。

ここでも、「神示読むのが先ざぞ。」といわれていますが、どこかにある、

「声を出して読む」をそのまま、実行している方もいるようですが、

声を出して読むというのは、昔の言葉で言えば「のりたまう」です。

それを声を出して読んで自分なりに考えるとしているのが現代風です。

125でいう「神示読むのが先ざぞ」は、のりたまい、いつくことをせよということで、

声を出すこと念仏することではなく、いつくこころに導くことです。

同じ名の神でいえば、声をだした後自分の考えをひねることではなく、いつくことです。

135 :同じ名の神二つあるぞ:2011/11/21(月) 22:29:33.43 ID:tOq9uB6U0

では、

というところで、続きは止めることにしました。(あらわれ)

140 :宮中新嘗祭祭具:2011/11/22(火) 09:44:03.02 ID:0Lc+r6g+0

>>新嘗祭

五穀豊熟天下太平ヲ神祇ニ祈奉ルヘシ

大嘗祭と同様、毎年11月に行われる新嘗祭の神事において最も重要なことは、

天皇が皇祖天照大神に新穀をはじめとする神饌を供え、ともに召し上がる儀式である。

この儀式の際、窪手(くぼて)と呼ばれる柏の葉でできた角形の容器や、

枚手(ひらで)という同じく柏葉の小皿、

さらにはピンセット状の竹の箸といった簡素な食器が用いられる。

141 :宮中新嘗祭祭具:2011/11/22(火) 09:44:34.61 ID:0Lc+r6g+0

窪手(くぼて)と呼ばれる柏の葉でできた角形の容器、

枚手(ひらで)という同じく柏葉の小皿、

ピンセット状の竹の箸・>>100松葉と同じ意味。しかしここでは「竹・たけ・田のけ(気、霊)」に変身。

何故柏の葉っぱなのかは、18巻の525、528を参照。

くぼで、ひらでの意味について。

全ては精神意識上の出来事と取ることが必要。稲お米を食べることではありません。

稲・米にまでもっていくには、まだ途中の連関の輪が必要です。

くぼでは、くぼめる手、ひらでは開く手、握った手の開閉の動き。

これは思考の帰納法演繹法の象徴。それによって稲を(物事事象)を食する考えるということ。

つづく。

142 :宮中新嘗祭祭具:2011/11/22(火) 09:47:01.49 ID:0Lc+r6g+0

「やがてぼうっと見える向う側の天幕のなかから、絃楽音がひびき、同時に

「おうーおうー」と低い神楽歌の朗唱が始まる。地底から湧き上る神秘な呪術の合唱のようである。」

「古代から現代まで天皇から天皇に口伝と所作をもって伝えられてきた、いわば呪術的な秘儀である

(皇太子は陛下のあとにつづいて神殿内に入り、陛下の御直会の始終を見て、その秘儀を身につけるのである)。

そしてそこにはいろいろな作法があるらしい。

たとえば三度の拍手、三度の静め(ご飯を三度舐めること)、あるいは

白酒四度、黒酒四度の口づけなどのようにー。

しかしその辺のことはよくわからない。ただ天皇より次の天皇に黙示をもって伝えられるのみである。」

----全文引用-------------------------

143 :宮中新嘗祭祭具:2011/11/22(火) 09:52:36.85 ID:0Lc+r6g+0

ここでは「おうーおうー」「白酒四度、黒酒四度の口づけ」について。

引用文では合唱だなどといっていますが、オとウの発声にも暗喩された意味があります。

なぜ、オ・ウーなのか。感のいい方はもう感じたいうことでしょう。

言霊オは色霊黒、言霊ウは色霊白とに関連しているからです。

ところが、色の関連は発見できても、「白酒四度、黒酒四度」五穀豊穣が何故

白黒・ウオ・で象徴されるか難しいところです。

言霊学ではウの世界は欲望とその出来上がる五感感覚で出来上がる産業経済世界、

オの世界は、経験知識、記憶概念学問科学等の世界です。

現代に当てはめればちょうど、この世の発展の成果のことを示しています。

144 :宮中新嘗祭祭具:2011/11/22(火) 10:07:42.74 ID:0Lc+r6g+0

>>139。難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、三分位でよいぞ。

神示さんは自分のやったことを棚に上げて、誰に語っているのでしょうか。

程々に、三分位でいいということですので、この辺で。

中行かな行かれんのざぞ、

149 :三木(さんもく)・古今伝授:2011/11/23(水) 10:34:47.76 ID:ZeW/Y3d60

>>61。「さんもく(三木)」の方がふさわしいように思えるな。」

何故「三木」といわれるのか分からなかったので、少し調べてみました。

戦国の世にたった一度朝廷が武士の世に口出した例とありました。

その理由が歌の道の伝統が途絶えるのを防ぐ為というものです。

秘伝を持った一人の男、細川幽斎、を救うために戦いを止めさせたというのです。

「三木」の中身です。

・「おがたまの木」・ モクレン科の常緑高木。わが国南西部の暖地に自生。

・「めどに削り花」・ 妻戸に花を挿す。蓍萩(メドハギ)につけた削り花。

・「かはなぐさ」・ 川に生えている水草の一。

この三つの言葉を守るため戦いを止めさせました。

花草の名前を言っているだけです。当時も、現代の歌人もその意味を掴めていません。

幽斎は決死の覚悟を決めていたので、最期とする歌も残していました。

「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」

秘伝には「三木」と「三鳥」があり、「三木は三鳥より重し」とされていました。

150 :三木(さんもく)・古今伝授:2011/11/23(水) 10:37:30.35 ID:ZeW/Y3d60

・三鳥(サンチョウ)

「よぶこどり」・ 人を呼ぶような鳴き声をする鳥。筒鳥、カッコウなどを指す。

「ももちどり」・ 色々な説がある。多くの鳥。いろいろの鳥。鶯(ウグイス)。千鳥の異称。

「いなおほせどり」・ 秋来る渡り鳥というだけで不明。セキレイその他諸説がある。

こんなことを暗記しているだけで、天皇から命を助けられちゃうのですね。

152 :三木(さんもく)・古今伝授:2011/11/23(水) 11:01:06.56 ID:ZeW/Y3d60

「よぶこどり」・ 人を呼ぶような鳴き声をする鳥。筒鳥、カッコウなどを指す。

「ももちどり」・ 色々な説がある。多くの鳥。いろいろの鳥。鶯(ウグイス)。千鳥の異称。

「いなおほせどり」

153 :三木(さんもく)・古今伝授:2011/11/23(水) 11:05:49.16 ID:ZeW/Y3d60

152は全削除。

そこで残した歌と三木と三鳥を見ていたら、共通項がありました。、

三木は三気で、

「おがたま」は緒が霊、緒の言霊、

「めどに削り花」は易で使う筮竹(ぜいちく)、玉の緒の言霊を導く。

「かはなぐさ」不明・

多分導かれた言霊を「か(火、日)」のように明らかに「は(言葉)」を持った「な(名)」現象表現とする、という意味。

「よぶこどり」・ 言霊運用に関する手順。

「ももちどり」・ ももち、百の道。 千の道。

「いなおほせどり」・イのナを言う、で五(五十)の名を仰せになる。

とり・は共通で、十理で、十の理。

154 :三木(さんもく)・古今伝授:2011/11/23(水) 11:13:03.47 ID:ZeW/Y3d60

細川幽斎「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」

明治天皇「天地を動かすという言の葉の誠の道を誰か知るらん」

全部が言霊の話になりました。

現代の歌は、事物事象感情などのよしなしごとを、自由に歌うだけのものですが、

昔の歌は歌の中に言霊の原理を折り込むことが隠された規則でした。

日月神示もそのように読むと基本的に判るようになっています。

165 :上位概念???:2011/11/23(水) 19:59:00.24 ID:ZeW/Y3d60

>>163

どうぞそのように「思って」いてください。

このようにしか返事できないこと、ざんねんに思います。

文献的に調べられるところだけをちょっとだけ。

163の神さんは直接には「先代旧事本紀」からきているようです。

天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊(あめゆずるひあめさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)

そのもっともっと「上位」を知りたければ、

竹内文献には、驚くほど多くの神の名前が上がっています。

上位概念だなんて呑気ないい方に耐えられないことでしょう。

ご自身の頭脳を使ってどこまで追体験できるか試してみてはどうでしょうか。

また、仏教でいう唯識論などと比べてみるのも、結構楽しめそうですよ。(あらわれ)

177 :三木と三鳥:2011/11/24(木) 19:36:01.21 ID:SJCvY6DG0

>>164

国立国会図書館(近代デジタルライブラリー)で物凄いものをみつけました。

もう間違いありません。

ご覧ください。 http://www.ndl.go.jp/exhibit60/data/L/008/008-00-004l.html

上下に対応しています。

「をがたまの木」・八咫の鏡・

「めどにけづり花」・八尺の勾玉

「かはなぐさ」・草薙の剣。

わたしのちゃちな説明が恥ずかしいです。

209 :八倉:2011/11/27(日) 09:50:29.23 ID:1e71+Eeo0

>>206

八倉毘売神社もあることだし、

古代大和語の世界への伝搬の証拠となればいいですが、。

チャクラも八箇所(6、7も)ありますからね。

それが音韻の発生と結ばれればいいのですが。

そろそろ世界の言葉の語源辞典を作る時代になりそうですね。

210 :神示読みの神示知らずのファンの皆様方:2011/11/27(日) 10:35:48.41 ID:1e71+Eeo0

>>神示読みの神示知らずのファンの皆様方

207の引用をよみました。

想念の世界で語る。→普通の凡人→神示読みの神示知らずの可能性大

「口に出して」語る。→普通の凡人→神示読みの神示知らずの可能性大

音読で語る。→普通の凡人→神示読みの神示知らずの可能性大

以上は霊とか魂とか言いながら、物理世界物の世界に固執執着しているところから出発する→普通の凡人→神示読みの神示知らずの可能性大、です。

現象界のあれこれを言い合うしかない姿を取っています。

天明も教祖も翻訳者も権威者たちも神示ファンも同じ上記の次元にいます。

そういった次元にいる人たちは、現象界の違い物理次元の相違が重要で、

「口に出して実行するのは重要な事だと」して、

その構造方法機能形式見方等々に囚われていきます。

ですので大げさな言い方の奴隷のようになります。

211 :神示読みの神示知らずのファンの皆様方:2011/11/27(日) 10:36:48.90 ID:1e71+Eeo0

ですのでせっかくヨハネの言葉を引用しても、言葉現象から出発しています。

引用された全文はすばらしいものですが、字面外見的なもので、根本において無意味です。

想念の意味が言葉から与えられた意味になってしまっています。

神示はそのような次元には無いことに注意してください。ここは逆転しなければいけません。

神示は想念を生む前次元からことが始まっています。

しかし注意してください。

想念を生む前次元を神霊魂としてしまうと、また同じ次元に堕落します。

ここを了解するには骨が折れ、全ての理解の仕方、全ての人が一時敵となってしまうので、

それをまた超えねばなりません。

「声出して読む」を発音して読む、と理解している方は、全て神示読みの神示知らずです。

この程度のところで網に引っかかっているようでは、岩戸はまだ開けません。

212 :神示読みの神示知らずのファンの皆様方:2011/11/27(日) 10:41:29.92 ID:1e71+Eeo0

もう少し書かせてください。

「想いを実現する為には思っている事を口に出して実行するのは重要な事だと思います。」

ということが、

「之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。」(199に引用されています)

という理解に達するには、どうしてもでんぐり返しが必要なのです。

神示の世界はいわば、まず悟りを得ることが出発点となります。

坊主のように悟りを一生の仕事にするなんていう呑気な世界ではありません。

それが、「神の申す通りすれば」「声出して読みてさへおれば」という、

「・・・ば」の内容です。

神示さんは自分を語る時には強制命令、断定でしかものを語れないのです。

しかしもうじきそういった時代ではないことが、みなに知れ渡ります。

そうすれば、いつまでも肝心なことは秘密にして、真実を出せないでいる、

そんな態度の神示さんの出番はなくなります。

もう既に感じている方もいます。

213 :大東亜戦争開戦前秘話:2011/11/27(日) 10:51:52.72 ID:1e71+Eeo0

音韻学という学問があります。

「アー」という響きはどういう意味があるのか、そういう表現から五十音の言霊を研究なさった方(山腰明将さん)です。

昭和十五年、その翌年に大東亜戦争が始まりました。

日本の内閣とか、または軍部がアメリカ、イギリス、その他と戦争するについては勝つという自信がない。

そのために蒙古来襲の時に神風が吹いた如くに、日本の支柱、所謂支えがあるはずである。

神国といわれるからにはあるはずである。それは何であろうか。

神社神道に求めても、東京帝国大学の所謂国学派の人達が

神主さんたちの受け売りをしていたわけですから、それではあまり信用ならない。

214 :大東亜戦争開戦前秘話:2011/11/27(日) 10:53:44.71 ID:1e71+Eeo0

荒唐無稽のものである。そうじゃない、

自分の国家として成り立っている自信を持って外交を進めていく日本を救う何かがあるはずである。

そういうことから山腰明将さんと言う方に気が付かれて、

内閣の主要な方、陸海軍の大将、元帥という、

皇族の何宮、天皇のご家族らが築地の水交社、

海軍の将校達のサロンに十回ほど集まりまして、山腰明将さんが名演説をされた。

音韻学でもって言霊の学問を古事記に則って説明した、

素晴らしい明将さんが渾身の力を振り絞ってお話したのだと思います。

天皇は出席されませんでしたが、

前述の方々に加えて警視総監というような方たちを前にして講演されました記録が残っております。

215 :大東亜戦争開戦前秘話:2011/11/27(日) 10:56:36.83 ID:1e71+Eeo0

ところが、残念ながら山腰明将さんもよくお解りになってなかった。

何か素晴らしい学問であるということは聞いている方が理解できたでしょうが、

だからといってその学問を政治に当てはめたら、

どういうことになるのかの具体的なことまでいかなかったようです。

だから結局翌年、戦争を起こして敗れてしまった。

以上全文引用。

http://imakoko.seesaa.net/archives/201111-1.html

227 :踊る、踊らせられる理由。:2011/11/28(月) 13:32:29.88 ID:0bFSiQJt0

>>225とその他のひつきファンの方々

とうとう、、「ひつき念仏」ですか

あとは信念を貫き、感謝の日々を送るだけですね。。あるいは

不足不満、まだまだ感からもっと前進したいとお思いのことでしょうか

もう一つ霊界現象の世界に入ることもありますね。

経験現象であるのに現象として扱えないので、お手上げでしょうけれど。

228 :踊る、踊らせられる理由。:2011/11/28(月) 13:33:11.21 ID:0bFSiQJt0

ひつき理解のコツは、現象以前にある抜け穴を探すことです。

皆様方の言うこと書くことは、ご自身の体験で経験で保証されているだけです。

神示を出汁にした子供の社会科見学の感想になっています。

音読の並べ立てられた効果には、すぐ別の例が当て馬として出てくるでしょう。

神示が皆さんに与えられたのは、そんなプラスマイナスが拮抗する

実用現象効果の有る無しを言うためではありません。

あればあったで結構なことで、無ければ改善に向うでしょう。そんなことは神示無しでできることです。

そのあとはそれぞれの自己防衛の実体験感想談話しか出てきません。

そこには神示の出番はありません。神示の言うことは根本的に別のことです。

229 :踊る、踊らせられる理由。:2011/11/28(月) 13:36:36.17 ID:0bFSiQJt0

神示は真実を言うことは無い、隠してあると自分で断っていますから、

もともと神の隠したものを探すこともありません。

時系列で見ますと、神示でいう隠し事は既に明治天皇に知られていました。

その前後に多くの神道系の新興宗教が起こりました。

それなのに後になって付け足しのように秘密は言わないぞという日月神示がでてきました。

明治天皇以降は民間によって秘密は解明されてしまっていましたから、

神示が出てくる理由も無いのです。

それにもかかわらずこうして人気があるということは、何なのでしょうか。

神の秘密に関しては他の系列による民間によって解明されているので、

日月神示は別のご用があった。

神を助ける御霊、霊学はそれぞれ皇室・神道と民間の研究で明かされたので、

それ以外の大衆の啓蒙の仕事が残っている。

筆先から筆へ、梅で開いて松でおさめる、岩戸の前では

うずめの裸踊りのどんちゃん騒ぎが必要となっている。

230 :踊る、踊らせられる理由。:2011/11/28(月) 13:42:21.45 ID:0bFSiQJt0

なるほど。

こう考えてくると秘密は明かしちゃいけないのだ。

日月神示のように知っているけど言わないよ、もっと踊れと煽り立てる、

そういった役目も必要になる。

今までわたしは日月神示の秘密を解くことが必要と思っていましたが、

ひつきの出生を見返すと、既に分かっているのに後からのこのこと出てきたことになりますから、

わざわざうずめ達に解明の必要はないことに気付きました。

そうですか、それでいいのです。

大いにやってもらいましょう。

世界改善の最良な先端部にいるのは日月神示ファンです。

来年の2012年の十大ニュースが決まりました。>>38

247 :神示ファンと神示理解:2011/11/28(月) 21:45:18.02 ID:0bFSiQJt0

>>神示ファンと神示理解

中日ファン、巨人ファンの人達は、球団経営の内容などを知らなくともよいのです。

ファンらしくその御用を努めればよろしい。

神示ファンもファンらしくその御用を努めるのがよろしい。

神示自身が秘密は語らないと言っているのですから、

神示ファンの100パーセントの人達は神示の内容が理解できなくて当然であるし、理解している人はいません。

中日、巨人ファンのそれぞれにファンなりの程度があります。

しかし球団経営に口出すことはできません。

神示を理解したいと考え努力しているファンもいますが、神示の秘密に口出すことはできません。

球団経営に口出したいのなら、ファンとは違う立場があります。

神示理解に口出したいのなら、やはりファンの思い考えとは違う立場があります。

ということで皆様方のでんぐり返しをお待ちしております。

(役員の話ではないのでお間違えなく。)

-------------

259 :掃除。祓い清め。:2011/11/29(火) 16:42:04.93 ID:5TaxtHBb0

>>掃除。祓い清め。

掃除といっても、部屋、便所、天地、魂の掃除と色々で、それぞれの次元の掃除があります。

それぞれ違った味の「ありがたさ」を得るでしょう。

掃除のできない掃除もあります。九分九厘を掃除して、一厘を得る掃除です。

しかし、潜在意識の浄化だとかいった、一方向に凝り固まったならぬよう、お願いします。

どの段階過程役目の次元にいても、神示のいう掃除の原理は同じです。

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>>掃除は掃き清め綺麗にし、汚い臭い悪いところを無くし

浄化抹消抹殺殺菌することではありません。

日月神示は精神の教科書ともなるものですから、少なくとも、

精神的な意味、掃除の精神的な意味が隠されています。

例えば掃除に必要な「道具」がいるという時には、道具の、口、心、行がいるばかりか、

それらを統合している一厘が要るといった具合です。

260 :掃除。祓い清め。:2011/11/29(火) 16:42:57.05 ID:5TaxtHBb0

>>「日月神示を読むと、 身の回りと御魂の掃除をしなさい、と、

何度も書かれていますが、 その大切さが、日月神示を読むと、

その大切さが、ようやくわかってきた今日このごろです。」

というような感想を持つ方がいます。

この延長上で日月神示ファンになってしまうかたが多いのですが、

そのままでは単に物理現象の扱いを得るだけのことです。

そんなことだけなら、お掃除教室で教わればいいのです。

ひつきにはひつきの「口と心と行と三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。

神の臣民みな命(みこと)になる身魂、 掃除身魂結構。」という掃除があります。

工夫をこらして一厘を得る掃除に挑戦してみてください。

たとえ魂の浄化という言葉を使用していても、「魂という物質」の浄化になってしまわないよう、

精神意識、心の次元にまでひっくり返して下さい。

261 :掃除。祓い清め。:2011/11/29(火) 16:44:41.55 ID:5TaxtHBb0

>>

掃除は祓い清めることです。その心は光を得ることです。

現象としてならば、除いて余計なもの不要なものを払いさることです。

精神的には、掃除しつつ、掃除したことによって出現することの光(いろんな形容がありますが)を受け取ることです。

相手と自分と自分の行為とその運用と結果と成果の了解との全体が心の鏡に投影されることになります。

要点は現れたものが、他に渡されそこに何かが現れてくることになります。

ゴミが現れ、塵取りに渡され、清潔が現れると言った具合です。

これを日月神示に沿ってさらに抽象しますと、身魂掃除(三たま、口心行)を例にとれば、「身魂というゴミ」を掃除することになります。

おかしく聞こえるかも知れませんが、御霊・御魂ではなく、身魂ですよ。

この身を祓い清めた時に出てくる何か(光)を得ることが掃除となります。

普通の日常行為、朝の洗顔、と変わらないでしょう。

祓い清め去るには祓い清め得る裏側、でんぐり返しすれば表、があります。

288 :「遠慮なく」:2011/11/30(水) 09:15:52.61 ID:KYMuKlY30

>>264「遠慮なく」

後は誰かの言ったことと、自分のひつきへの思いを比較して、後者が勝つか負けるかになります。

勝つ場合には、自分の感情が相手の考えを抑え込むことになるでしょう。

負ける場合には、自分の考えに弱点を見出すからでしょう。

いずれにしても、お互いに気付くチャンスを得られます。

しかし、誰でも自己防御の視点はあります。理解と知識において劣っていても、

感情、感覚、想い、イメージで自己を築き直していきます。

もちろんその逆もあります。

わたしには神示ファンの皆様方の理解は全て間違いだと分かっていますが、

神示への想い、感情、感嘆は真実であることも分かります。

そのような自己経験の感情的な自利を保つ態度が無ければ、続けられません。

自分の主張を、感情経験体験で保証し保護しているからです。

これらの態度は普通に普通なことですから、不平不満な感情を持って、あるいは、

感謝の気持ちを持って対応するのも、表面的な相違だけです。

表面的な相違が後に誤解や、行き違い、延いては感情を交えた論争、戦争へとなっていくのでしょう。

289 :「遠慮なく」:2011/11/30(水) 09:16:44.54 ID:KYMuKlY30

>>

わたしの欠点は相手の感情を無視することですが、相手側の欠点は感情を無視されたと怒ることです。

これがちょうど知的に釣り合えばいいのですが、これを落ち着かす感情が双方にない為、

いつもの結果、2ちゃんねる仕様になります。

そこで右の頬を打たれたら左を出せ、敵を愛せよ、全てを受け入れよ、となります。

そういった心境により近いのは、わたしなどではなく、神示に親しんでいる方のほうです。

わたしの場合は知的な確信が知的にしか保証されていません。

知的な次元以外の世界には盲となっています。

一方ファンの方はファン心が知的な理解の上にあります。

それが知識でなんと言われようとご自身の感情が出てくる元となるものです。

290 :「遠慮なく」:2011/11/30(水) 09:19:02.45 ID:KYMuKlY30

このような対立した次元を超えることが必要です。

自分の状況超えるということと、

各人お互いがお互いに対して超えあう、ということと、

自分を他者において対立を超えたことを得ること、などがあるでしょう。

ここでちょっと休憩していたらうんこ氏が出てきました。非常にいいタイミングです。

感情的にも知的にも中立で、本人も言っていることが分かっていてもいなくてもどうでもいいことです。

それでも知に傾く主張が出たり、感情が全面になったりしてときどきぶれていますが。

それにしてもこのように囚われない貴重な書き込みがわれわれもできればいいと思います。

291 :「遠慮なく」:2011/11/30(水) 09:20:19.34 ID:KYMuKlY30

>>開始の268の書き込み開始と282の「待ってて頂戴」、

286「悪魔が居ても可笑しくない」では矛盾し、ひ弱になっていますが、

悪魔もうんこ氏も闇の考案者も、「待っておれ」という相手を想定せざるを得ないという、

一厘の秘密の中にいることから逃れられません。

ですので知的なことを語りだすと、どこからかもらってきた過去知識を、自己体験で保証する方法しかできません。

しかしみんながうんこ氏みたいになったら、うんこ氏の自滅になってしまいまてが、

我々の場合はみんなが共有する方向性があるので、とらわれのない共生に向うことでしょう。

そしてうんこ氏もわれわれと同じように相手を探して寂しい言葉を吐くようになっています。

ひつきファンの方たちがまずうれし楽し喜びを得ることでしょう。

追加。。2012年の十大ニュース>>38は非常に真面目な世界の動向を示したつもりです。

302 :神示予言書への疑問:2011/11/30(水) 22:52:19.89 ID:KYMuKlY30

例を一つ。

「天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、

この世の終りは神国の始めと思へ」星座之巻第二十二帖

これを「光輝く攻撃用のUFOが四つくらい出てきたら、この世の終りと思いなさい。」

というのがありました。複数になった太陽の写真もありました。

ファンになると頭が死んでしまうのですね。

「二つ三つ四つ」というのは三人ということです。

天にお日様一つは、すめらみこと御一人、その下に聖(霊知り)が三人のこと、

冒頭の先天十五神、(淡路の穂の狭別、伊豫の二名、隠岐の三子、竺紫) と、

「北」の岐美の神で先天十七神となります。1+3で全世界をカバーするです。

>>

22帳にある27神は、伊耶那岐の大神以降の運用神(はたらき)が27です。

25は整理分析用の大神になる前の、岐美の神の二神を足して23+2(法)のことです。

神国の始まりには、三人の聖の出現でよろしいということになります。

まるっきり予言などではありません。神代の巻にぴったり対応しています。

ス-ウ< ア・ワの象徴です。

313 :神示予言書への疑問:2011/12/01(木) 09:17:30.95 ID:QfN5q2Z90

>>302

富士の巻 第16帖 と

星座の巻 第二十二帖とが混じり合っている。×。

解説に訂正するところはありません。

二十二帖はまるで言霊学の解説と同じです。

「 アとオとウとは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、

人民に与へられた元の言(コトバ)であるぞ、

五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって

五十神と現はれるのぢゃ。故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、

更に二十七神とはたらき又二十五有法とはたらくぞ。」

言霊学ではこの内容を説明しているのに、

日月神示では、なぜ内容を隠すようにしているのでしょうか。

日月神示の内容が分かってしまうと、

今日は、日月神示の精神は非常に、みみっちいように感じられています。

神示を予言、格言箴言、人生案内としているファンには

申し訳ない言い方になっているかもしれませんが、

悪気はありません。

まもなく皆様方も真実へ導かれることでしょう。

314 :神示予言書への疑問:2011/12/01(木) 09:42:13.62 ID:QfN5q2Z90

>>

時系列では、日月神示の内容(ひつきの存在でなくその内容)は既に明治天皇に知られていました。>>213-215

どうやら水交社と大本との関連から、

日本の精神的支柱を言霊学に求めていた事情を、

天明が聞きつけていたかも知れません。

言霊学は神道、皇室の根幹に関わるものですから、

天明はその重要さを知りながら口には出せなかったのかもしれません。

もちろん天明も大本も言霊学の内容は知りませんが、

日本と世界の将来はそこにしかないことの重要性を認識してしたのかもしれません。

それならば神示の主張が、こうせよこうしろと言うわりには、

内容は秘密にしていたことも分かります。

そのようにしか、神示を書けなかったのです。

--------------

315 :神示予言書への疑問:2011/12/01(木) 10:24:31.29 ID:QfN5q2Z90

>>。

言霊学は世界運用に関わる根幹の理論であり、行動方法指針ですので、

スメラミコトしか知らないものでした。

長い隠された歴史の中では多くの聖人達がその存在に気がついてきましたが、口にしませんでした。

日蓮も自分の教えなど、日が昇った後のろうそくの灯火と言っているくらいです。三沢抄11。

気付いて口にすれば弾圧(大本弾圧)を受ける時代でした。

だからといって神示が天明自演自作と言っているのではありません。

言霊学に気がついたといっても内容は知らないのですから、

形式的なことを書くだけでも、それを諭したもの(お告げ)があったことでしょう。

時代の流れからすれば、真実の内容を明かす時には速すぎますし、

放っておけば、日本消滅=言霊学消滅の危機感があったのでしょう。

後は皆様方の心持ち次第です。

321 :神示予言書への疑問:2011/12/01(木) 17:32:37.55 ID:QfN5q2Z90

>>318

為せば成る時が来てゐるのぢゃ。

為さねば後悔ぞ。

時すぎて種まいても、くたびれもうけ。

「と月光の巻 50帖にあります。」

325 :白状:2011/12/01(木) 20:40:21.57 ID:QfN5q2Z90

>>318

誤解の無いように次のことを白状しておきます。

言霊学の内容は、幾ら誰が勉強しても分からないのです。

御中主の神が言霊ウで、以下古事記の冒頭の五十神に言霊が当てはめられています。

これを祭り上げ拝み音読したところで、誰かに理解しろといったところで、

一億の神示ファンを集め現代の知性を総動員したところで、

神々の御名を言霊で現わすことは、誰にもできません。

神示を取り上げて何かをいっているお偉いさん達がいますが、

何も知らない子猫ちゃんです。

神道や皇室が残してきた事物の伝統がある御蔭で、それらがヒントになり、

古事記の内容、日月神示の真実が言霊学であることが明確になっているのです。

326 :白状:2011/12/01(木) 20:42:46.79 ID:QfN5q2Z90

>>323。足元。

足元。葦の芽。あしかびひこじ。豊葦原(旧日本国名)。アシについて。

天津太祝詞五十音図のア-シから取られたようです。

あ・たかまはさなやさ・わ

い・ちきみひりにいし・ヰ

え・

お・

う・

勢いよく萌え出ずる(い)全体的な姿(あ)の象徴。

足元から飛び立つ鳥は三十二の子音です。としてみました。

アとオとウとは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、

人民に与へられた元の言(コトバ)であるぞ、

五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現はれるのぢゃ。

故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、星座の巻22。

>>317。318。アホの無理押し。

この段落の三十二神は言霊学でなら簡単に解することができます。

こんなことを言うから、「よいことを・悪く・曲げるぞ」と

無理押しを感じるのでしょうか。、

336 :白状:2011/12/01(木) 23:47:43.92 ID:QfN5q2Z90

>>328

「神示解釈に誤り?が多い」のではなく、根本的に無知なのです。

ですが、その外面表面的な形式的な、理解はあれでいいのです。

根本内容は正しくて、外面は間違うようでは、神示の用をなしません。

言霊から来る言葉が正しいから、その現れも通用して正しいのです。

そうでなければ神示を利用して踊れません。

329以降には踊りを期待する書き込みなどもあります。皆さんがんばってください。

357 :個人名が出てきて「○○ご苦労」:2011/12/02(金) 08:45:41.54 ID:iD3U50gB0

>>331-332。個人名が出てきて「○○ご苦労」

「神業を手伝っていた」方々49名の名前の一部ということですね。

実際に該当者がいたのか確かめていません。

出所は松の巻26ですね。他の個人名もあるかもしれませんが、調べませんでした。

さらに一厘に近づくために。

カイ奥山開き・落つる隈(くま)なく、に関することです。隈はあっちのすみっこ。

358 :個人名が出てきて「○○ご苦労」:2011/12/02(金) 08:47:18.29 ID:iD3U50gB0

>>

カイは境目、さかいめ、のカイ、山と山の間

ショウダは、正しい田、333の腹、原、五十音図

イソガミは、イを素(ソ)として始める(カミ、上)へ

イシモトは、イシ(五あるいは五十)に止まる(シ)そのもの(モト)、つまり五十音図

ご苦労、というのは、その原則に立って

アサカワは、アからサへの川を

カドタは、角のタから始めて、た・かまはらなや・さ、 と流れ

カトウは、下隅角のウ、つまりさ行のウ=スへ運用すること。

ご苦労する、運用する、になります。

359 :個人名が出てきて「○○ご苦労」:2011/12/02(金) 08:50:20.87 ID:iD3U50gB0

>>

この場合の、天津太祝詞五十音図は>>326に。

中山は、介添えとある通り、途中の通過、五十音図の横列を通過すること

全体で宮(都、みやこ、霊屋子、)、言霊による創造の仕方についてです。

360 :個人名が出てきて「○○ご苦労」:2011/12/02(金) 08:52:58.78 ID:iD3U50gB0

>>333 :「この神示腹に入れよ」

見事な実践的な解釈です。さらに一厘に近づくために。

腹はハラ、原、野原で「腹にひしひしと響き出す」音のはら、五十音図のこと。

音図を原と見立て、同音の腹で暗喩表徴。

星座の巻22でいう、「新しく生まれる」三十二神を五十音図の原(腹)に、

霊至霊止(ひしひし)と響くとなります。

361 :だから素直に:2011/12/02(金) 09:19:34.22 ID:iD3U50gB0

>>356

最近は、それは学だから、ということで相手をなぎ倒す、風潮ですね。

皆さんが萎縮している、つらいところにいることは分かります。

「だから素直に神示を直接読んでいるのが一番よい」

と、言い切る前に

「だから素直に」で、一旦区切りを入れて、間をとり

朝日を見つめてはいかがですか。

365 :ミミ:2011/12/02(金) 10:23:44.75 ID:iD3U50gB0

362。

あなたの心のミミのミ、と、神様のミ

わたしの心のミミのミ、と、神様のミ

あなたとわたしの心のミミのミ、と、神様のミ

だから△

あなたの心のミ、と、わたしの心のミ、と、神様のミ

ミ(自称の人称代名詞、われ、自分)と神様のミ

自称の人称代名詞、われ、我、吾(わ)、

わ(主)とあなた(客)と神のミで三輪、三和。

ミミに聞かすぞ

367 :ミミに聞かしてみろ:2011/12/02(金) 10:56:30.41 ID:iD3U50gB0

366。

新しい注文が入りました。ミミに聞かしてみろ、です。

主、客、とその中を仲介する音声等の物理的条件の三つを思って下さい。

聞かす、が、発音側の気(霊)をかす(貸す、課す)となるでしょう。

ここでは画面が仲介していますが゛発信側主体の気を読者にカスわけですね。

主体発信側にある気(心に思っていること)が、貸し出されるだけなので、発信者側の

本意が伝わるかどうかは不明となります。

身実、御身ではさらに不明です。

キカス、気貸す、に留めず確実に相手に伝わるようにするのがようにするのが、

前出のカイの奥山開きです。

371 :ミミにきかせろ:2011/12/02(金) 11:16:48.39 ID:iD3U50gB0

369。

発信位置が相手か自分かで文法上の変化がありますが、

神示の原理構造には変わりはありません。

カイの奥山開きです。

378 :「存在価値皆無」とやられると:2011/12/02(金) 15:24:50.13 ID:iD3U50gB0

>>373 -377。「存在価値皆無」とやられると

心理的な反発が大きくなって、少々言葉使いが派手になっていますよ。

神示の内容について検討することがもっぱらの関心事なので、他のことには対応できません。

「67億のどんちゃんww」ではなく、「67億のどんちゃん騒ぎと笑い」です。

歓喜(よろこ)び、と書けば間違われることも無かったですね。

「言霊絶対主義、言霊真理教」。始めて聞く言葉です。

お互いに、明日の朝には無効な言葉となっていることを願いましょう。

385 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 11:25:16.04 ID:LYMEbMdc0

至恩は四の音のこと。四の開示がこの巻のテーマです。

「1、天は天の、2、地は地の、3、人民は人民の、4、動植物は動植物の、それぞれの」と、

ありますように、この世(四)を四つに分けています。

天。芸術、宗教、総合観念、悟り、全体感、統合感情の世界。

地。実験、経験、実物実証、概念記憶、学問、科学の知識の世界。

人民。行為選択、実践、割り当て配当分配の世界、それらを先導する智恵の世界。

動植物。欲望充足、経済産業生産、したいやりたい欲しい頂戴の世界。

386 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 11:28:01.25 ID:LYMEbMdc0

1帳。

この世(四)を四つに分けることが始まりです。

これに意義を申し立てる方には役立ちませんので。

もし異議申し立てが内容に関しては2「地」の世界、

申し立てしたいという思いなら、4「動植物」の世界、

申し立てという選択をしたのなら、3「人民」の世界、

申し立ての全体感情に関することなら、1「天」の世界、

のこととお気づきでしたら、気を持ち直して読んでみてください。

そしてそれ以外に何があるか探してみてください。

先回りしていうと、

残りはイワトの(0)「精神意志」の世界になります。

意志そのものは現れない。

387 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 11:31:36.42 ID:LYMEbMdc0

1帳。

「それを自分のものさしで計って」とありますが、

これは2「地」の世界のことで、得られた経験知識の過去概念で判断するということです。

ですので他の世界は生き続けます。知識概念と感情、意志、欲望等は別だということになります。

別だといっても人の中では、統一されている姿がイワトの中にいるということです。

ですので知識についてはぼろくそ言われても、感情次元欲望次元では全然別の話として受け止めることができます。

388 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 11:34:39.47 ID:LYMEbMdc0

1帳。

「こんなものぞと定めてゐると」、というのも四つあるということです。

このように人の世界は、精神意志世界の上に四重の構造物が立っていることになります。

五重の塔の根元思想で、仏教以前の言霊フトマニ思想の現れです。

それが住んでいるところに、人がいると家(五重(いえ)になります。

そこで活動生活を運用運転することのラ行の流動するを付けて、居る(五、いる)になり、

その活動動力因子と見立てた気を吸い込むことが、息(五気)で、

それによって生存している、生きるが(五気、いき)るとなります。

そして人々の意志の現れが、四つの世界構造になり、それが世(四)です。

その持続が命、五の地で、イが地に付くことで、霊が地につく、日付き、ということです。

389 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 11:38:55.35 ID:LYMEbMdc0

2帳。

世界、世(四)があるだけでは石ころがあるだけのことですので゛

そこに人間の関わりがなければ、作用反作用の自然の運行です。

その関わりが、123~910です。つく、つき、の動力因です。

神示でさえびっくりしている「大宇宙の法則」のことです。

これを一万年前に古代大和のスメラミコト達が発見したので、

自然人間の歴史でなく、人間社会の歴史が始まり世界に伝搬したのです。

ですので神示は世界運用をする視点が根本にあるのです。

382でいう十四、豊の日月神示での解釈のもとはここにあります。

1帳と2帳で十四です。足し算ではないですよ。それぞれ独立した要素ですので。

390 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 12:13:50.51 ID:LYMEbMdc0

2帳。

2帳と3帳では数列が違っています。はじめの0がありません。

また4帳では漢数字で記さています。全部意味が違うからです。

神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ

天之鈿女の命の巻物には12345678910と書いてあった

この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、となっています。

0から始まり0へ戻すのが、神示の、スメラミコトの、理想的な思惟運用判断となります。(0)。

0のないウズメは凡人、学者もひっくるめた普通の人の思考判断です。(2、4)

漢数字のは情緒感情、宗教、芸術の経験、あるいは空相へいたる判断です。(1)

391 :十四とは。至恩=四音の巻から:2011/12/03(土) 12:27:38.96 ID:LYMEbMdc0

2帳。

4帳では「始めに〇チョンがなくてはならん、〇チョンは神ぞ。」となっています。

2での始めの0と終りの0との合一され、上昇循環されでんぐり返しされた姿が〇チョンです。

「神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ」で、

11桁同士を足せば二十二になります。

その意味は、上がって下がってぐるりと回って上昇循環すると22ということです。

ご自身の思考運用、言葉の使い方、省みてください。

394 :冬に桜。:2011/12/03(土) 21:08:07.85 ID:kjg8u8cX0

>>393。 冬に桜。

「 、 、 、ウ、うにアエオイウざぞ。昔の世の元ぞ。 、 、 、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。

サタナハマからあるぞ。一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。

五十九の神、七十五柱これで判りたか。 は ざぞ。 には裏表上下あるのざぞ。

冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。

用意せよ、冬に桜咲くぞ。十一月二十二日、ひつ九 。日月の巻 第26帖 (199)」

「 八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、

辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。

冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。八月二日、ひつくのかみ。下つ巻 第30帖 (072)」

以上二カ所が「冬に桜」の出典です。

どうしたら「大地震」と結びつくのでしょうか。

神武天皇は辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ、に即位しました(らしい)。

397 :あなたの真理を証明してください。 :2011/12/04(日) 09:29:38.68 ID:pjW5b/f50

>>あなたの真理を証明してください。

一つの方法として

・予言書にしてしまうと、その部分を選ぶ態度になってしまい、

全編に応用できません。

・箴言格言、生きる道しるべにしていると、お気に入りで取る取らないになり、

全編あることの意義が見出せません。

・日月神示を神と一緒に信仰や拝む対象としますと、

理解する必要もなく白黒ハッキリした判断が持てるでしょう。

・言霊の勉強のために日月神示を利用する人もいるでしょうが、

納得して分かるものは無いでしょう。

・人生に健康体を作ろうと読む方もいますが、

神示からの抜粋集を作っても、一か二ページしかないでしょう。

398 :あなたの真理を証明してください。 :2011/12/04(日) 09:30:48.62 ID:pjW5b/f50

・古事記古神道との連関を調べる積もりの方もいるでしょうが、

古事記古神道そのものがある何ものかの表現ですから二番煎じでしょう。

・それで最期の砦が、人それぞれ八通りに読めるとなって、

ひとそれぞれ元の木阿弥となるでしょう。

・思い切って全面おまかせ私たちのことを思ってくれている、という態度もあるでしょう。

理解できたとかできないとかに関心は薄れてしまいますが、安心感、精神衛生にはいいでしょう。

そこで、

・日月神示を認識論の原理として捉え直すと、

後で全編に、そしてどんなことにも応用可能になることもあるかもしれません。

399 :あなたの真理を証明してください。 :2011/12/04(日) 09:34:22.55 ID:pjW5b/f50

・「赤とか白とか一色にすることではないぞ」を、船井研では、

「日月神示の中に、「一色に染めるのではない。色とりどりの教えがあって、

みんなが和合するようになる」という言葉があります。

とてもいい言葉だなと思いました。

日月神示は、これだけが絶対に正しいなどとは言っていません。 みんなそれぞれにちがっていていいし、

大事なところでつながっていれば大丈夫だよということではないかと思います。」、

、と読んでいるようです。

これは読み方上手というもので、とても聞きやすい解説となっています。

しかし、それでは実際に和合はどうするかに対しては、全く無力です。

正しい方向が出ている場合には、有害でさえあります。

401 :「冬に桜咲く」考:2011/12/04(日) 15:58:44.19 ID:pjW5b/f50

神示は暗喩象徴表現であることをお忘れなく。

冬に桜咲く、にイメージは各人ありますが、それらのイメージを全て、

上昇昇華して出てくるものといったら、最後は論理的な判断規範です。

日月神示の内容は理想的な判断規範を創造するために、あれやこれやの

比喩や暗号、人生お役立ち情報等を与えているものです。

冬の白一色雪景色の何も無いところに、桜咲くです。

別の言い方では、梅で開いて、というのを御存知と思います。同じことです。

梅=ウメ=ウの芽、の内容を

桜=サクラ=サの倉=タカマハラナヤサの八番目のサの倉が咲く、

と表現しているのです。

394の引用には特殊文字が反映されていませんので、訳本を見てください。

402 :「冬に桜咲く」考:2011/12/04(日) 15:59:45.16 ID:pjW5b/f50

冬=判断規範の出てくる以前

桜=意識の芽、予兆

咲く=意識に昇る

ですが、現象として現れた意識の表現とはまだなっていない段階でのことです。

例えば、わたしの投稿を読んだ人が、いい加減なことを言ってやがると思いますが、

その思いが何故どうして出てくるかの過程を述べています。

言ったことの内容ではなく、その先天の意識過程のことです。

日月神示が何故そんなことを述べるのかということは、

日月神示の全文章がその答えとなっています。

つまり全人類の思惟意識の行為の原論を述べ、世界平和に

「もしこうなら、、のはずだ、、、ならば」という言い種を持ち込まないようにするためです。

まだ全部解読できていませんので、またいつか。

406 :やよい・うづき:2011/12/04(日) 19:51:48.76 ID:yXnV2J/i0

>>403

やよい・うづきと読み替えてください。

日の出の06帳、学も悪となる、魂磨けの段落中にあります。

三月やよい、でア・ヤ・ワの中の「ヤ良い」、で、そのことによって

四月うづき、で始めてウに付いて発生して現象表現となる、

ウに付いて始めて現象が起きることですから、それは確かにどえらい事でしょう。

冬に桜咲くを今度は、アヤワで示して、うづきのウに付く、ウの芽を、

どえらいものとしたものです。401と同内容です(全巻同じですけど)

暦上の三四月の読み方にかこつけたものです。

三四月のどえらい事件簿など調べる事の無い様にしてください。

407 :やよい・うづき:2011/12/04(日) 19:56:03.92 ID:yXnV2J/i0

説明が下手で、読むのが大変でしょうけど。

例えば、自分の頭に到来する、思い考えアイデアが、

その各人の頭に、どのように到来してくるのか、

考え思いの内容ではなく、

思いが浮かぶそのこと自体の原理構造に関する事です。

三月やよい、をアヤワの「ヤ良い」にしたもので、

ヤとは思考活動の力動因(父韻)の暗喩です。

この父韻の働きによって、思考活動が働く秘密を述べています。

408 :やよい・うづき:2011/12/04(日) 20:07:42.89 ID:yXnV2J/i0

桜はサクラで、サの倉、ア・タカマハラナヤサ・ワの全体がサで代表され、

サ一語の倉に収まっているということです。

それを矢の動きになぞらえ、タカマハラナヤサをヤ一語で代表させ、

アヤワの動きが完了すると、ものが生ずるどえらいことになるということを言っています。

神示の原理次元でのことですので、考えの内容とかの次元、

わたしのあなたの誰かの考えている何々ということではなく、

それら全体をひっくるめた原理構造です。

410 :やはり言っておこう:2011/12/05(月) 17:02:51.94 ID:m6THe2Cb0

何を言っているのか分からないとおもいます。

でも、神示自身が秘密は「ゆうてはならず」と宣言しています。

ということはわたし自身もその秘密を知らないということです。

しかし、解明の形式上の回答はこれしかないと思っています。

それが言霊学ですが、この言葉は誤解されて拡がっています。

普通に言われて本屋に売っている言霊関係の本とは全然別なものです。

神示を解く古事記の言霊学は本屋に行っても見つかりませんので、

探しても無駄なことです。

古事記の言霊学の教科書は古事記そのもので、それへの誘いが神示です。

411 :やはり言っておこう:2011/12/05(月) 17:05:40.04 ID:m6THe2Cb0

巻頭と最後。

富士は=二二八晴れたりも、八(母音行と半母音行)の中に二十と二十が入った形です。

/二二\ これで全部揃ったという八ができた格好です。八ができて晴れ=八れになります。

五十音図の完成ということです。日本とは、神道とは、天皇とは、神示とは、

人間とは、行為実践とは、文化創造とは、世界とは、この五十音図ということです。

最後紫金之巻第十四。「八尋殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ。」

八尋殿は古事記のオノコロ島(おのれの心の島)に出てくる言葉で、

左右に母音半母音の宮が立てば、五十音図の左右と上で外枠。

その中にできるのが三十二の現象子音、身屋みや、それが一つ出てくるということです。

こうして神示は最初から終りまでアイウエオ五十音図の話となります。

もうじき2012年ですから、少しは言っておくことにしました。

428 :三位一体:2011/12/06(火) 14:43:48.29 ID:Yrpgpg9k0

三位一体の「三」の扱いは、神示でも意識のそれぞれの次元でことなります。

「三位一体?ゝと○とあと何だっけ?」次元

でんぐり返しの前と後、一厘の次元、九分九厘の次元、

例えば中矢何とか氏の次元では父母地

弥勒菩薩を出したい人や、その他の名前の神を出したい人、

器物や象徴、事物、行事で示したい人、神を持ち出したい人もいます。

言葉にできない体験で、分かった分かったというだけの人もいます。

「三」というものに持つ人間意識への原理的な理解があれば、

それが全ての大本となります。

そうすれば後は簡単に解けるでしょう。

まずは「三」を目指す人間の精神的意識とその意義を

日月神示で探せばいいのではないかと思います。

あれやこれやの「三」を探す前に、せっかく神示が精神意識原理としての「三」を

教えて導くことをしているのですから、そちらから入った方が早く応用が効くかとも思います。

また世界共通となっている人間意識に宿る「三」の思想概念の大本は

古代大和にあったこともお忘れなく。

437 :裸:2011/12/07(水) 09:21:06.77 ID:A2kutsYL0

>>433 : 「本性をあらわすことが裸になるということだと思う。」

日月神示の読み方では、全てを精神心的な意識、心の問題として読み込めば神示さんも喜ぶと思います。

433の引用元は日の出の一帳です。

短い文章ですが、前、中、後ろと全体を一つにまとめづらいと感じていると思います。

日月神示はただ一つのこと、一厘の秘密を気付かせようとするものですから、

この一帳も全体的に、「裸」を暗喩とした一厘のこと、精神意識、心の問題として捉えることができます。

438 :裸:2011/12/07(水) 09:25:44.70 ID:A2kutsYL0

「春とならば萌(もえ)出づる」

「石(意志)もの云ふ時来たぞ、此の道」

「岩戸は五回閉められてゐる」

「裸にならなならんぞ、裸程結構」

春萌えいづる以前の木々は裸

意志(石)をもって行為する以前の心は裸

各岩戸の開閉以前は世界が開ける前は何も無い裸

というように、世界の在り方、精神の在り方の始めのことを言っています。

例えていえば、先入観を持つな、「本姓をあらわ」すな、ということになるでしょう。

神示は世界の在り方が「五」であることを教え、裸の「五」から出発せよといっています。

「本性」という分厚い着物を着てしまう以前の世界が一厘です。

439 :肉類:2011/12/07(水) 09:49:10.59 ID:A2kutsYL0

>>434 : 「魚と鳥って食べても大丈夫なのかな」

神示は精神の書です。

・一つには肉類食べて大丈夫かという現実現象に関する精神、

・もう一つは、肉類食べて大丈夫かという現象判断をもたらす大本となっている、

精神原理上での「肉類食べても大丈夫か」という、心の原理。

後者が神示の世界ですが、前者は後者の精神世界から浮きでたものです。

神示暗喩表徴で語っている世界ですから、肉類食べるも精神世界の暗喩表徴です。

前者においては実際の肉類が問題ですが、

後者においては精神の肉類を指していますので、眼で見える肉類のことではありません。

これも精神の心の問題として、一厘へ向う方向を取れば神示さんは喜びます。

441 :216と144:2011/12/07(水) 16:35:27.41 ID:A2kutsYL0

>>440

五十黙示録 第01巻 扶桑の巻 第一帖から取られた数字ですね。

この帖にはいろんな謎々の数字があって、頭の体操によろしいようで。

5、14、50、500、5000、1、4、7、216、144、360、 と

数字がそのまま記されています。

ひふみ算数、ひふみ魔方陣から解説しているサイトがあります。もし興味があれば、

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1606363.html

わたしは今考慮中。

442 :216と144:2011/12/07(水) 16:56:36.00 ID:A2kutsYL0

易経繋辞上伝にも同じ216と144が出てきます。

天に象る乾の筮竹の数は太陽三十六×六の二百十六、

地に象る坤の筮竹の数は少陰二十四×六の百四十四である

(乾の策は二百一十有六、坤の策は百四十有四)。

乾の筮竹の数と坤の筮竹の数を合わせると三百六十となり、

日本の神様が216、144、360を知っているのですから、

易経は神示のパクリですよね。

445 :216と144:2011/12/07(水) 20:13:21.16 ID:A2kutsYL0

>>443

おおむ返しの岩ということですね。

これで一帖全体の数字間の連関がつけられ、神示の意味がつかめそうです。

でもまだ一帖の精神的な意義に達するには、不十分なので、もう少し時間を使ってみたいと思います

447 :216と144:2011/12/07(水) 21:41:07.61 ID:A2kutsYL0

わたしのつっかえていたのは

「伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、」の「三」と「二」でした。

またうまい具合にそれは「バランス」だと指摘されなるほどと思いました。

こうしてみんながうまい具合に繋がっているのですね。皆さんに感謝です。

ところがわたしのできることはフトマニ言霊学で解釈をほどこすだけです。

そうすると悲しいことに、>>444、443、440さんたちと全然別のことを

言わなければならなくなります。

お蔭様で「モノ言うイシ」と「三、二」の関連が分かりました。

他にまだ不明なところがありますので、また後ほど。

一帖は長い文章ですが、最初の「モノ言うイシ」と最後の「何も彼も鏡にうつる」とが、

同じ意味内容の繰り返しであることが感じられています。

453 :216と144:2011/12/08(木) 07:40:58.01 ID:1+kAJCil0

扶桑の巻 第一帖

巻の総称は扶桑で=外国からみた日本国の異称のことで、

一帖では見ることと見られることの精神構造がテーマです。

頭で考えていることイメージしていることと、とその表現、書く喋る等、そして聞く了解する通用する、等の

それぞれの間の乖離を経験しますが、何故なのかを神示は教えています。

扶桑=モノ言うイシ=岐美の神の三と二=何も彼も鏡にうつる、という心の構造です。

それを説明するために途中に色々と数字が入っています。

第一帖の謎はほぼ解けました

456 :216と144:2011/12/08(木) 12:42:46.45 ID:1+kAJCil0

扶桑の巻 第一帖 に出てくる数字部分だけに挑戦してみます。

五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、

直接的には手(五)の親指(一)と他の指(四)、

神示の精神意識上の意義は世界区分(五)が根本にある意志意図活動(一)の世となる後天現象(四)となること。

ひらけば五十となり、

直接的には左右の手を開けば五十、

精神意識上は働く意識の単位要素が五十(アイウエオ五十音の言葉)

五百となり、五千となる、

直接的には単位要素が(話し言葉、記憶概念等)増えていくこと、

精神的な意義は、五百五千は500、5000個ではなく、五を基調とした100、

五を基調とした1000、万、八百万の運用になるということ。

握れば元の五となる、、、

直接的には拳を作っても五本指、、、

精神的な意義は幾ら数が増えようとも、五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ

457 :216と144:2011/12/08(木) 12:44:50.03 ID:1+kAJCil0

五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞこのほうを五千の山にまつれ、、、前出ですが、、、

直接的にはここでは要素と運用によって現れる個々の現象判断の5000箇所の山、

神示の意義は5000であろうと八百万であろうと単位要素は「五の一四」であるからこれを柱とせよ

これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ、

直接的には5000、50の連なり、、、

神示的には五を基調とした千、五を基調とした十。

七の印(しるし)、、、

直では天地の七つの印、、、

神示の精神ではウアワオヲエヱの七つでそれが意志意図でなくモノとなること

天は三であり、地は四である、、、

直では天が三地が四、、、

神示ではウアワの三つが天、オヲエヱの四つが地

458 :216と144:2011/12/08(木) 12:48:19.58 ID:1+kAJCil0

ここからひふみ算数ひふみ方陣の知識が必要です。(HP神の数学参照、ひふみよいむなや・ )

天の数二百十六、、、地の数一百四十四となりなり、

直接的には、易経繋辞上伝や階乗や数霊

神示的には、、基調の「五」を形成するのが「十(0123456780)」で、

0123456780合計は36。3+6は9で=0これが基本。

つまりひふみ算では書く単位数値(単位言葉)に0が含まれている。

その方陣を設定する=要素+運用=要素アイウエオ五十音+運用アイウエオ五十音で百音図、

天の単位(単位言葉)がウアワオヲエヱなので、そこからウの大本を除く六つに、

単位数値をかけると36×6で216、2+1+6は9で、ひふみ算9=0で、

全体に0の「ウ」が含有される。御中主の神。

459 :216と144:2011/12/08(木) 12:52:00.95 ID:1+kAJCil0

地の数百四十四、、、

直接的には階乗や数霊、、、

神示的には、イシもの言ふぞの、

イシ(意志意図、そのもの自身は現象とならないから5-1の四で

後天現象部分36×4は144、ということ。

日月神示は数値による駄洒落が好きですけど、数値そのものは意味が無く、

フトマニ言霊の解説の用をなしているだけです。

伊邪那岐三となり、伊邪那美二となり、、、

直接的には単なる3と2、、、

神示的には、イザナギは身、実(三)、霊の現れとなり、

イザナミは、ギの命を似せる真似る似るの似(二)となる、(数値の意味は無しの語呂合わせ)

461 :216と144:2011/12/08(木) 13:00:42.22 ID:1+kAJCil0

これがイシもの言う、オウム石、鏡に映るとなる。簡単に言うと

自分の思い考えイメージすることを、しゃべり書き話すとその両者は同じとしているのが

普通人と直接解釈の形ですが、

実はそうではなく、先天的に216+144の脳内の言語形成過程があるということで

たった一言「あ」というだけでも360のサイクルを経過しているということ。

その循環の基礎が

ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、

直では、五は360

神示では、一列36が10列=上下に五十音図で百音図。これでアならアの出現。

462 :216と144:2011/12/08(木) 13:04:06.31 ID:1+kAJCil0

全て同じことの繰り返しです。数値で言えば、ひふみよいむなや=9=0=ことたりで、

神名で言えば御中主の神で、神示で言えば一厘で、五十音図が基礎となっています。

それを神示流の言葉にすると、

天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、

天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。

となります。

速い話こんな書き方の神示を理解する人はいません。神示は世界最高の悪文です。

ひとまず終了。

(最後に注。神示で何はこれだといっても、上昇する循環のため、

「これだ」はいつまでも「何」ではありません。)

466 :216と144:2011/12/08(木) 16:02:16.07 ID:1+kAJCil0

「モノ言うイシ」は直接的な判断では伊勢志摩のオウム岩、山彦木霊となっオヴム返しをする岩になりそうです。

では神示の精神の書としてはどういう意味でしょうか。

オウム返しは、音読せよ、意味も内容も分からないのだから音読していればいいというものです。

これは非常に大事なことで全ての物事の始めの基礎です。

例えば自分の喋っている日本語をどう覚えたかを省みれば明らかです。

これと同じ構造が先天意識内の構造にあるというのが、日月神示です。

それを覚えよと口を酸っぱくして神示は繰り返しますが、誰も言うことを聞きません。

467 :216と144:2011/12/08(木) 16:03:15.69 ID:1+kAJCil0

神示は先天内の構造を知らせようと現象的な、直接的な言葉で引っかけ釣っていますが、

相手は返って現象的な言葉に口を開けたまま釣られっぱなしになっています。

というのも意味内容は「ゆうてはならず」を神示は固持しているので、真実を示しません。

真の意味内容は知らなくとも、現象的な判断で十分人々は引きつけられています。

というのも神示の言葉は、真の内容から出てきているものですから、その表面も正しいのです。

ですので音読するだけでもいいのです。

音読する側は神示内にある隠された精神の先天構造を知らず知らずの内に受け取るようになります。

神示はイシ言うイシですが、読者はモノ言うイシです。

468 :216と144:2011/12/08(木) 16:16:47.37 ID:1+kAJCil0

>>465

>>442に書きました。

易の思想は古代大和のフトマニ言霊学からの、パクリと書いています

中国のことを昔は支那と言いました。古代大和において枝葉の国であったからです。

http://www.futomani.jp/lecture/no185/no185.htm

479 :「バカには」:2011/12/09(金) 15:23:41.58 ID:Jf1dfHEw0

>>

うんこさんがバカだバカだというから、すぐ音読して真似するじゃないですか。

これが神示の求める音読の効果です。

音読してうまい具合に元気はつらつになればいいですが、

刃物を求める人もいます。

バカを八通りに読んだその二つ目の現れです

今思いつきました。

問題。「バカ」を八通りに読めるといいます。

では、後の六つはどうなるでしょうか。

皆さん奮って応募を。

482 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:27:28.90 ID:Jf1dfHEw0

神示に八通りに読める、と書かれていることは誰でも知っていますが

自分のことをそのように言う方は誰もいません。

全ての方達はご自身の経験体験から自分の意見を述べていますが、

その体験経験が八分の一でしかなく、そこからしか述べていないのに気付きません。

自分の体験経験を八通りに述べることができていません。

経験は自分のもの、自分がしたのだから自分のものというだけです。

そこから出てくることは、自力で成した、個人的な自利なものでしかありません。

このように言われると頭に来るかもしれませんが、知識の次元にも経験の次元にも、

感情情感を得る次元にも日月神示では八通りがあるといっています。

せっかくの神示の教えがあまりにもないがしろにされ、

自己の経験しか語れないことが、返って残念に思われます。

神示は精神の書ですので、自分の成したことを八通りに語る手引きとなるでしょう。

483 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:30:21.25 ID:Jf1dfHEw0

ところが神示はその八通りとはどのようなものかを教えていません。

それどころか八通りとは何かをわれわれに語らせれば、

八百万通りの勝手な意見が出てきて当然という風潮でさえあります。

「身魂相応に読める」、「四方八方」、「全方位360度」、

「過去現在未来へ」「身体全体で肝に入れて」とかいいますが、

誰一人八通りを実行している人はいません。

結局、読む人によって、理解する人によって、それぞれでよしよし、ということになり、

速い話がどうでもいいから、勝手にしていればよいを薦めているのと同じです。

それを盾にとって自分はこうだから、あなたも何かあるけど知ったこっちゃ無いとなります。

それはあまりにもひどい言い方だと言う方には、自利でなく利他の八通りをしめしてもらいたい。

これは日月神示が教科書の用をなしていないからできません。

484 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:36:03.45 ID:Jf1dfHEw0

『七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、

七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。

一厘が、 かくしてあるのぢゃ、』

誰もが自分だけの一通りの、個人的な自利の我よしだけの意見しかなく、

とうてい七通りなど判っていないのに、神示さんはいい気なものです。

将来みんなが判るという予言もありません。

「七つの花が」とは。。ウ、アワ、オヲエヱの花が。(実在世界の先天意識で実は四つの次元相のこと)

「八つに」とは。。チイキミシリヒニの八つにそれぞれ咲くぞ。(心の力動韻)

以上が先天構造内のこと。

以下は後天現象でのこと。

「七通りまでは今の人民何とか判るなれど」。。ウ、アワ、オヲエヱの後天現象となり、現象は喋れるけれど、

「八通り目は中々ぞ。 一厘が、 かくしてあるのぢゃ」。。先天のチイキミシリヒニではなく、

ウ、アワ、オヲエヱの七つの一つ上、つまり「ス・〇ちょん」が八通り目のこと。

現象を生じる隠し玉。いつまで経っても語るつもりは無いらしいが、

その後の指定は無いようだから誰でもが語っても良い。

485 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:38:56.73 ID:Jf1dfHEw0

八通りに読めるを、「読み手によって感じ方や捉え方は違って、完璧にとらえることできない」としたり、

それが神示の人間的なところなんて言う人もいるけれど、それでは神示の程度をあまりにも落とし過ぎ。

八通りに読めるというのは、上記「〇チョン、ス」から出発して、八通りに読めなけりゃ駄目じゃということ。

その方法がヒフミヨイムナヤコトとかタカマハラナヤサの運用法となっています。

この段落の注意点はいつものように後天現象と先天構造が指示されないまま語られていること。

一段落の中で一回転、でんぐり返しをして読み直すことです。

神示さんの悪い癖にひっかからないように。

486 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:42:22.61 ID:Jf1dfHEw0

参考までに八通りを作ってみましょう。

うんこさんがバカというのがお好きなようで、それをお題としていただきます。

七つの花のバカ。

一ウ)。バカをしたい,やりたい、バカを言いたい、バカにしたいというバカの内容に関係なく

したいやりたいに関するバカの世界。

二ア三ワ)。情緒、感情的に、あるいは宗教的に、色々な芸術的に得るバカの感情の世界。

四オ五ヲ)。バカという知識内容、概念記憶、科学的な知見等、得られた概念で扱われるバカの世界。

六エ七ヱ)。これはちょっと難しい世界で、人を指すのにバカという言葉を選ぶ世界。

うんこさんのように相手に対してバカの内容を投げているのではなく、

バカという選択肢の、高度な世界。

487 :七つの花が八つに咲くぞ、:2011/12/09(金) 20:46:58.83 ID:Jf1dfHEw0

上記四つの世界の裏表が、心の発動因と結ばれると、イメージが現象となってくる。それが、

八つに咲くバカ。

1チ)。に咲く

2イ)。に咲く

3キ)。に咲く

4ミ)。に咲く

5シ)。に咲く

6リ)。に咲く

7ヒ)。に咲く

8ニ)。に咲く・・で、

隠された、八通り目のバカが。

0ス)

(七つの花が八つに咲くぞ、から個人の経験→自利我良しの主張に行く道を

辿る積もりでしたが途中で終わっています。

神示の謎、その実相を、世界で始めて解説するのはあなたです。)

509 :三五七に切って宣れよ:2011/12/11(日) 08:50:22.17 ID:BObWxczH0

いつまでも日月神示を謎のままで泳がせておくこともないでしょう。

神秘性が有り難くそれが気に入っているのか、、

理解可能な人生指針をお気に入りにして、

その上に被されたムニャムニャお告げが有り難いのか、

五パーセントの判ったところを取るのか、95パーセントの理解不能部を取るか、

一度、音読して 95パーセントが変化していくか試してみる時期でしょう。

既成の理解法や読み方は、多くの言霊学の書き込みや、沈黙してしまった人達が

いることからして、既にその一角が崩壊しているのが判ります。

それでもお気に入りの指針を受け取った実践がある、日々の実践じゃ、

信不信は個人の自由というのもあるでしょう。

そこまで行くと神示の出番でなくともいいことになってしまう。

510 :三五七に切って宣れよ:2011/12/11(日) 08:55:07.48 ID:BObWxczH0

世界のでんぐり返しには神示でないと駄目なのです。

みなさん、どうしますか。

予言だ、予言があたっているぞと、脅し文句に頭を垂れるのですか、

宗教じゃない宗教じゃないと、これから何百年も言い続けるのですか、

肉食止めて玄米食にして丈夫な身体を作るだけが神示ですか、

みんなそれぞれ違っていていい、そのうち何とかなるだろうのスーダラ節ですか、

祝詞の実践あるのみ、というのもあるでしょう。

「神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。」

この神々しい音霊が感ぜられぬのかと、言ってみますか。

それだけですか?。歌っているだけですか。

では三五七の意味を聞かれたら何と答えますか ?。

謎のままで神示を泳がせていたってなんにもならないでしょう。

AKB神示48音読合唱団でも作るつもりですか。

世界のでんぐり返しには神示でないと駄目なのです。

511 :三五七に切って宣れよ:2011/12/11(日) 09:18:11.03 ID:BObWxczH0

下つ巻 第七帖 (四九)

この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。

この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、

それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、

小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。

一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、

神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。

しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。

天津祝詞の神ともこの方申すぞ。

前回の、>>482 -487:七つの花が八つに咲くぞと、

今回の三五七に切って宣れよが、同じ内容であることにお気づきですか。

神示は一貫して同じことを示していると読まなければ、意味のないものとなります。

菜食お料理学校の先生だったり、世界破滅の予言をする閻魔大王だったり、

日常生活の一口知識を与えるご隠居だったり、聖者、神だったりして、

ファンのすそ野を拡げておくことだけを目指したものではありません。

でんぐり返しの実体、実相がどこにあるかを示したものです。

519 :三五七に切って宣れよ:2011/12/11(日) 21:59:04.54 ID:BObWxczH0

七つの花が八つに咲くと三五七に切って宣(の)るは同じであることを示してさっさと止めておきましょう。

「三」とは。七つの花の上三つ。ウ-ア-ワの三つ。造化三神。

「五」とは。七つの花の下四つ。ウ-ア-ワの造化三神を一つの全体とした1+4で五つ。

「七」とは。七つの花全体であると同時に、5+2で、2は、神の息、イキ、イの気、伊耶那岐と伊耶那美の神の二神の気を足したもの。ウアワオヲエヱ+イヰで七。

神の息に合わすは、八父韻に展開しますから、花が八つに咲くで、そのところをここでは、

「しまひだけ節(ふし)長くよめよ」と祝詞に引っかけてイを長くよめといっています。

八つの節(フシ、二四が八)を渡っていく、ギミの二の息を八に展開することです。

三たびよみとは。三回読めではなく、実田,みた、の霊、ひ、を読むで、

三五七とイで五十音図全体が出来上がりますから、

それを宣りあげることになります。

最後の天津とは。先天の、元々あるという意味。要するに、

祝詞をあげる以前元々に先天的にある我々に備わった精神原理の構造を示したものです。

神示は全てこうした数霊、暗喩での表現ですから、そこから実体内容は探れず、

数霊で示されたその奥がまだあると示しているだけです。

520 :三五七に切って宣れよ:2011/12/11(日) 22:02:52.63 ID:BObWxczH0

もちろん現象面字面だけでよんでも間違いではなく、そう読めるようになっています。

しかしその奥は、ゆうてはならず、というのが神示の基本ですから、幾ら読んでも分からないようになっています。

幾らがんばっても駄目です。もちろんわたしも駄目です。

これには世界のでんぐり返しの道を歩むという決心が要ります。

奥を開くには神示は何の役にも立ちません。

これらを現実に則して言うことと、その原則とは何かを知らせることがまだこの後残っています。

神示はいつまでたっても、ゆうてはならず、を固執していますので、そこから先は神示から出なければなりません。

ということで本日はここまで。

このスレではあまりにも迷惑でしょう。

来年は神示の数霊と暗喩比喩を、精神原理を通過し、

現実に戻して語ることが必要になるでしょうか。

546 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:35:40.56 ID:uzw1jwKs0

よく自分には個人的経験体験があるというだけで、

個人的な自利小乗でしかない体験を隠し持っていることを書く人がいます。

自分の体験でしか真理を証明できないのに、そのため、

相手に通じなのを相手の未熟なせいにして卑屈な満足感を得ています。

自分が特殊体験の金メダルを得ているかのようです。

その心はあるかないか、できるかできないかで、金か糞メダルかになるとしています。

現象が異なるのは当たり前です、できるできない、分かる分からない、知る知らないの、

違いがあるのは当たり前です。体験の違いは当たり前です。

そんな体験の収集をして慰め合おうとする意見が出てきました。

非常に衰弱した精神機能と思われます。

体験の蓄積、過去経験の貴重さを自利小乗から解放する原理が見つからないからです。

547 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:41:15.30 ID:uzw1jwKs0

そして今まではこの違いに、価値、権威、量の値打を設け、

効用、利便の違いを心で表現してきたのです。

そういった今までの心をでんぐり返ししようというのが日月神示です。

もちろん歴史的には全ての宗教や道徳思想が、それに挑戦してきました。

尊い教え、有り難い教えとかになって、いくらでも転がっています。

今でも教え広めようとする人もいます。

経験を交換し合おう,伝え合おうというところでしょうか。

二千年間の偉大な宗教家、聖人を差し置いて自分が立候補したいということらしいです。

しかし、どの宗教、聖人聖者も世界を導くのに成功した方はいません。

この数千年間物質上の産業繁栄はなされましたが、多くの犠牲と後遺症を伴っていました。

負の遺産を我慢しろ、耐えろ、希望と愛を持て、明日がある、死後がある、天国があるといって、

神の名の元に意気消沈をくい止め頑張るように仕向けてきました。。

548 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:43:02.64 ID:uzw1jwKs0

日月神示は今までの宗教ではない、として新しい産声を上げましたが、

その原理を知らせることはなく、躊躇し隠没したままでいることを承認しています。

神示の主張は躊躇と隠没の一厘を開示していないため、自らを表現するのに数魂を使用しています。

よくよく注意してください、

大昔は、実在の自然の物理的な脅威を感じていました。

ついで抽象化によって自然の総体の偉大さを創造主にしました。

ここから創造文化の花が開き、多くの神々が生まれました。

この名残りが現在細かく言われている神々です。

そして最近世界に神示が出現して、神を数霊に置き換え、数を神として読むようにしました。

神自らが自らを数としたのです。

549 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:47:03.89 ID:uzw1jwKs0

ではこの後、数はどうなるのでしょうか。

数は言葉になります。

そしてその後言葉はどうなりますか。

言葉は人になります。

人はどうなるか?

人は現実です、現実となります。

神示で数として表現されてしまった神は、数へ、言葉へ、人となって、もう神には戻れなくなります。

こうして神は人となり、わたしがあなたが神となるのです。

神示の示した数の後に体験を持ってくるとどうなるでしょうか。

過去の体験のワッショイワッショイで終わります。

個人的な自利小乗を基本とした体験のでんぐり返しを、神示は示し提供しているのです。

550 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:52:43.96 ID:uzw1jwKs0

ここでの問題はいつまでも「神」という言葉を使用していることです。

神示でさえ神という言葉を使用しているので、それを読むわれわれも神といわされます。

しかし、神示はでんぐり返しの半回転まではできて自らを、数としたのです。

そのあとの半回転で数を言葉にするのはわれわれです。

われわれは自然な物理的な精神的な意図する心を持つ生きた物体です。

半回転後の言葉はそのようなものとなるでしょう。

神は喜んで消滅していき言葉なかへ、そして心の中へと移り住んでいくことになります。

552 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 22:55:25.26 ID:uzw1jwKs0

ここにリンゴがあります。大昔は実在する甘酸っぱい自然の味に神威を感じ、、

そのような超越的な創造主体への思いから、創造主へ、神の創造となり、一転して、

神への感謝から、この世への感謝、愛となり、

神示の出現でリンゴの甘酸っぱさは数で示されました。

人は甘酸っぱさの数を解くのに言葉を用い、言葉にある甘酸っぱさを得ます。

人は甘酸っぱさという言葉と現実の一致に目覚め、リンゴを得ます。

そこでは、神は味わうわれわれの口の中で消化されていくのです。

神示の神も丑寅の神も同様です。

神示は自ら消滅する道を選んでいます。消化できるかどうかはわれわれ次第です。

553 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 23:08:48.37 ID:uzw1jwKs0

数の後にくるものは、言葉です。

言葉は実在・現実を求めます。

体験と言い換えてもいいです。

ただし個人的な体験の殻の中にいることしか出来なのがほとんどです。

でんぐり返しができなければ相手に伝わらず、伝わらないことを良しとする優越感に堕していきます。

良心的な方ならば、ジレンマに陥り、聖人となって洞窟に閉じこもる事になります。

意気消沈をくい止めるため神と自己の経験にすがるようになるでしょう。

実在とは今ここにいるわたしであり、あなたです。

わたしとあなたの実在とは、心の構造でありその動きです。

過去の経験と自分を鼓舞する夢や希望だけではありません。

自分の希望に沿うように、自分の思いに沿うようにさせるのは、

自利小乗の放漫です。

でんぐり返しをした後には神とは人々の心のこととなっています。

こうして、宗教の、既成の神の出番はもうなくなります。

それが神示さんの希望です。

554 :数の後にくるものは:2011/12/13(火) 23:45:52.09 ID:uzw1jwKs0

551を読んだ後の追加。

非常に結構なお言葉です。では真面目にそれを実行してもらうとどうなるでしょうか。

良質な良心の行き着く先は、ジレンマか孤高か、良心を言いふらしながらの仲間作りになるでしょう。

既に二千年間の間に多くの偉人が、多くの負の結果と共に成した道です。

神示は始めてそれらを超える道を示しました。暗喩指示でしかありませんでしたが、

一応古事記のフトマニ言霊の方向を取るように導きました。

未だにそれを拒否する方たちがいますが、もう後ろに回転することはないのです。

この間まだまだ多くの感想意見が出てきます。

新しい体験を語る人も出ます。

言葉を畏れ行に邁進一心不乱になる方もいるでしょう。

極まった感情や崇高な感情を持ったりする人も出るでしょう。

それが普通のことです。

神示はそれらの中の一厘をどうしても開かさない積もりですが、

一厘を見つけてもらい、自分が葬られるを楽しみにしているのです。

608 :日月神示が希望していること:2011/12/18(日) 13:40:14.15 ID:HY4b1fg40

富士山頂の噴火口を見るには山頂以上に高い場所にいることが必要です。

あなたの頭頂のつむじは小学生幼稚園児には見ることができません。

神についてあれこれ言うにも同じことです。

何だかんだと知識を貯め、勉強してもせいぜい相手・神の顔を見るだけのことです。

山頂を超え、頭頂以上に高い場所を確保しなければ、

ごちゃごちゃ言うだけの概念知識を得るだけのことです。

全ての宗教で神を言う方達、日月神示ファンも同類です。

二、三千年来何の進歩もありません。

609 :日月神示が希望していること:2011/12/18(日) 13:41:31.54 ID:HY4b1fg40

そこで始めて神を超える視点を提供したのが日月神示なのに、

ファンの方達は未だに気付かないまま、神を口にしています。

「『元の元の元の神』は何も彼も終ってゐるのであるぞ。」という『元の元の元の神』と、

皆さんの口にする『元の神』との違いに日月神示以外に気付いたものはいません。

この両者の違いを見極めましょう。

その道筋は日月神示で示されています。

「外にあるもの内にあるぞ。」

「神を求めよ。己に求めよ。求めて、理解した後 為せ。」に、

「元の元の元の神」と「元の神」との違いを理解し、

分かりもしない「神の仕組み」等を口にしないようにしましょう。

610 :日月神示が希望していること:2011/12/18(日) 13:45:09.94 ID:HY4b1fg40

富士山頂より高く昇らねば、神より高く昇らねば、神を知ることなどできません。

ところで、平地にいて、火口を覗き神を知る方向を示しているのが、日月神示です。

残念なことに神示の役目はそこまでで、実際にどうするのかは言わないままです。

音読しろとか肉食うなとかたわいもない、暗喩指示しか与えていません。

というのも一厘の実体内容は既に古事記の冒頭で与えられてしまっていて、

その開示は日月神示の役目ではありません。

それはわれわれ人間のすることです。

神示だとか神だとかが、内容を開示したところでなんの意味もないからです。

これからが良質な神示ファンの腕の見せ所です。

611 :日月神示が希望していること:2011/12/18(日) 14:16:28.52 ID:HY4b1fg40

神示だとか神示の神だとかに頼ってその内容の開示を期待していたのでは、

われわれ、人間の出番がありません。

ここは神の世ではなく人の世です。

地球生物の出現の歴史を見たって神さんが関与していたのはほんの少しの時間だけで、

人の発生した後からしか出てきませんでした。

ヒッグス粒子に固まれ固まれ固まってマグマになれ、などと言って時間潰しをしていたのですか。

カンブリア紀のミミズに神さんはどんな説教をたれたというのですか。

元の元の元の神と、元の神、人間の知っている神と知らない神とは全く別物です。

人を知っている神と人を知らない神とは別物です。

623 :太刀とつるぎ、:2011/12/19(月) 22:07:00.70 ID:KkpdWpvu0

>>618

剣の精神的な意味が解ければ二四も解けます。

剣はつるぎ。つるぎは日本刀とは違って片刃ではなく、両刃です。

片刃は、たち、太刀、になります。

剣は分別判断、理解分析の象徴です。たちは絶ちという判断、

つるぎは連(つ)る気という判断です。断ったものを連ねる。

断ったから連ねる、この両者が一緒になって始めて人間の判断となります。

何を断ち連ねるのかと言えば、相手対象です。

相手対象はあちら側、こちら側には剣をもった判断主体。

その両者の間を渡るのが虹のかけ橋、二四は虹です。

そのあとに出てくるのは剣、鏡、たま(まがたま)で「霊(たま)」となっていますが、

この漢字の使い方では不正確で、勾玉のたまの誤訳です。

戦いとか大将とか、普通に理解できる用語がありますが、全て暗喩指示です。

全体では心の判断規範の原則を述べたものです。

624 :太刀とつるぎ、:2011/12/19(月) 22:47:52.00 ID:KkpdWpvu0

>>620

十種の神宝は人の根本的な表現様式、典型的には文字、のことで、両端の、

母音行にたるたま、半母音行にみちがえしがきて中間に他の八つが入ります。

この八つが八通りに読めるとなるわけです。

「死人も生反らむ」というのは、どんな表現も物理的に何らかの固定されたものですが、

意味を取って心の内容が甦るということです。

【十理が鳴く】日月神示 第二十二巻【肯定派専用】 【十理が鳴く】日月神示 第二十二巻【肯定派専用】

109 : あらわれ : 2012/01/26(木) 01:00:46.95 ID:K84EpGuQ0 [1/4回発言]

「やっぱり繋がってるんだなあ・・」 (◆x6s/29sxi2)

了解しました。

自由平等博愛の「体験」と「愛」にまだ足りないものは

個人行修練を超えた「和」の実践です。

いつまでも預言と 預言の解釈に係わっている時代は既に終わりました。

112 : あらわれ : 2012/01/26(木) 04:28:29.48 ID:K84EpGuQ0 [2/4回発言]

>>110

現皇室は昭和天皇の人間宣言によって、古事記の霊統とは断絶しているため、

スメラミコトとしての天皇は存在していません。

従って歌にも言霊の秘語は呪示されていません。

しかし血統、伝統、行事、数多くの秘儀は伝承されています。

113 : あらわれ : 2012/01/26(木) 04:31:47.23 ID:K84EpGuQ0 [3/4回発言]

さらに歴史の魂というものがあるとするならば、岸の御題をして、言霊霊が

両者に降臨したものとして、扱うこともできますが、

そんなことをすれば、われわれにも降りかかってくるでしょう。

例えば、シオン賢者の議定書。二十四プロトコル。日月神示ならどのページでも。

114 : あらわれ : 2012/01/26(木) 04:37:46.80 ID:K84EpGuQ0 [4/4回発言]

津波来し時の岸辺は如何なりしと 見下ろす海は青く静まる

朝まだき十和田の湖岸におりたてば はるかに黒き八甲田見ゆ

しかし、何と言えばいいのか、言霊学で解したくなくなります。

それでもやはり、霊が二人に降りたのでしょうか。

わたしは、こういった分野にはあんまり入りたくないのですが。

291 : あらわれ : 2012/01/31(火) 04:23:57.67 ID:M/8qVIaP0 [1/1回発言]

ダボスみたいな会議さえ日月神示では主導できていない

神示でしか世界は運用できないことを、神示読み達自身が知らないからなのか、

知ってはいるが、そのときが来るまで爪と自信を隠しているからなのか。

今年からはもうそういう時代になっています。

ね、みなさん。

348 : あらわれ : 2012/02/02(木) 02:45:12.52 ID:eCIN3IDF0 [1/4回発言]

>>◆x6s/29sxi2/

火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。

>>ここに「カミ」の記述あるよ~ 火(カ)水(ミ)

では、「ぶったり=火、か、たたいたり=水、み」ですか?。なぜ洗礼、銘刀と言っているのですか。

神を火水とかけて何と解く、「ここに記述あるよ」と解く。

その心は?。

349 : あらわれ : 2012/02/02(木) 02:53:26.90 ID:eCIN3IDF0 [2/4回発言]

世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ

350 : あらわれ : 2012/02/02(木) 03:18:02.14 ID:eCIN3IDF0 [3/4回発言]

甕速日神(ミカハヤヒ)。

建御雷神 【紀】武甕槌神(タケミカヅチ)

カミ←→ミカ

カミの対極にミカ有り。

魂磨く、みがいて、がの点々がとれて、カになって、ミカ

デングリ返しして、カミ、となる。

360 : あらわれ : 2012/02/02(木) 18:13:28.72 ID:eCIN3IDF0 [4/4回発言]

>>352 ◆ぶったり、たたいたり

黄金巻89・ 創造神の織る布の縦横、つまり五十音図の縦横の経綸についてです。

ぶったり殴ったり平手打ち等は手の横水平の動き、水が広がり流れる

たたくは杭打ち釘たたきの上下縦下の動きのことです。火の立ちのぼる。

この先はことたま学になりますので、ここまで。

383 : あらわれ : 2012/02/03(金) 17:28:02.49 ID:lHRklgZQ0 [3/3回発言]

>>382

ひつく神示も「でんぐり返し」といっています。

その方法の原理が古事記の冒頭であり、

サブリーダーがひつく神示として、現れています

688 : あらわれ : 2012/02/10(金) 22:06:22.00 ID:16XzXZ0A0 [1/2回発言]

>>683

ひつく神示は人々を言霊学に目覚まさせるのが使命で、

理解するとか、正しいことを言うとかは、まだ先の話になります。

当面は賛否両論の勝手な、「御緒を陰部に押し込んで」の「御魂石拾い」、

どんちゃん騒ぎに協力してもらっていることになります。

これが神示さんが本当に喜んでいることです。

721 : あらわれ : 2012/02/11(土) 17:07:26.59 ID:91lDB6/t0 [1/4回発言]

>>701>>666/625

もちろん「つ」があれば何でもいいんです。

天地・あめつち・・アの目が「つ」いて地に成る

日月神示・ひつき・・霊(ひ)が「つ」き、神示となる。霊(ひ)がついて気(霊)となるにならない。

ひつく神示・・霊(ひ)が「つ」いて、く(九)の神示となる。十に成らず地に成らない。一厘欠如。

なぜなら神示は古事記の下位文書で禊祓えを説かないから。

祝詞はあってもシャンソン。

「つ」がア~ワの全体で、私とあなた・主と客そのものではなく、取り持ち役(役員のこと)。

729 : あらわれ : 2012/02/11(土) 21:17:40.58 ID:91lDB6/t0 [2/4回発言]

>>725>>701>>666>>625>>海(欲望)を支配しているのが月。

出典は三貴子で、大本の解を取り入れたようにみえます。(大本略義をちらりと見たもので)

「夜の食国」を昼との対比で大本さんがとらえたところから来る間違いのようです。

また、「食」を胃袋が喰うものとした連想の間違いで、食うには、知識概念比喩を食う、

選択按配、意思決定を食う、等の次元の違いもあります。

そんなことを食うと言うかなどとおっしゃらないように願います。

733 : あらわれ : 2012/02/11(土) 23:24:04.11 ID:91lDB6/t0 [3/4回発言]

>>730>>725>>701>>666>>625>>ひつ九のまキ・第二十八帖

「アは、、、」の次に、「<ヨ>は、、、」とあって、

○の中に「ヤウ」の入った記号を<ヨ>と読ましていますが、

これは、<ヲ>の間違いでしょう。

<を>と読まねば、<ヨ>では意味が通じません。

もしかして、「云ふてはならぬ事ぞ」。アメのヒつ九。

737 : あらわれ : 2012/02/12(日) 00:00:02.20 ID:91lDB6/t0 [4/4回発言]

>>735

ワヤのようですね。

そうなるとわたしのでは、通りが悪い。

もう一度。

740 : あらわれ : 2012/02/12(日) 02:14:01.17 ID:yYhHNoa10 [2/2回発言]

>>666で主客の関係と言いますが、実は主客に関係はありません。

私とあなた、私とオバマ、あなたと野田、この二者間には何の関係もなく

「くもでて くにとなったぞ」日月28、となってから関係が出ます。

くも・は組む、ということで主体側の実践行為、

くに・は組んで似せる、で主体側の意志意図に似せようとすること。

主と客が主体側の意図が動くことで始めて関係が出てきます。

この関係を結ぶのがアワ、またはヤワの8つ。

その結ばれ方に8910。

ひ(主体側の意図)をつけようとすること。ひつき、ひつく。

ウオエを使用しないで、主、客、と両者間の介在者の三態での説明も原理は同じなので略。

894 : あらわれ : 2012/02/17(金) 01:08:45.95 ID:QSHBU+7j0 [1/5回発言]

2月9日の朝日新聞朝刊「科学」欄に、以下のような記事が載っていました。

<< 朝日新聞からの引用開始 >>

語順のルーツは日本語風

大昔、言語の語順は日本語風だった--そんな分析をノーベル物理学賞を受賞した米

国のマレー・ゲルマン博士らが米科学アカデミー紀要に発表した。主語(S)・述語

(V)・目的語(O)の語順を持つ英語などが世界で幅をきかせているが、実はSOV

の語順がより古く、基本的といえるという。

最近の研究によると、5万年ほど前に私たちの祖先は突然、洗練された道具を使った

り、絵画など芸術活動をしたりするようになった。そのころ人類は、複雑な言語を使い

始め、抽象的な思考ができるようになったからではないかと考えられている。

895 : あらわれ : 2012/02/17(金) 01:12:10.83 ID:QSHBU+7j0 [2/5回発言]

そうした「最初の言語」がどんな語順を持っていたのかを推定するため、ゲルマン博

士らは世界2135の言語について、生物学で使われる系統樹の手法なども応用して、さま

ざまな語順を詳細に検討した。

その結果、単一の言語の祖先が存在するとすると、それは日本語と同じSOVの語順

を持っているはずだと結論づけた。また、英語や中国語と同じSVOの語順は、SOV

の語順が変化してできたもので、さらにVSOやVOSの語順にも変化していったとし

た。

1969年にノーベル賞を受賞したゲルマン博士は、物質を作る最も基本的な粒子で

あるクォークを提唱したことで知られるが、言語学にも詳しい。

(小坪遊)

<< 朝日新聞からの引用、終わり >>

896 : あらわれ : 2012/02/17(金) 01:17:38.29 ID:QSHBU+7j0 [3/5回発言]

このノーベル賞学者は「単一の言語の祖先が存在するとすると」という仮定から出発してます。

この仮定を唯一証明できるのが、日月神示と古事記です。

いよいよみなさんも出番です。

898 : あらわれ : 2012/02/17(金) 01:41:22.77 ID:QSHBU+7j0 [4/5回発言]

>>897

あなたも出番を全うしました。

多いに続けてください。

899 : あらわれ : 2012/02/17(金) 01:42:48.06 ID:QSHBU+7j0 [5/5回発言]

>>◆x6s/29sxi2>>「自然物として存在する元素の数は「九二」種」

拾った御神籤(石も)を祀りあげるようにみえます。これが最初の感想。

ついで。古事記に「国」を追えば、

天地の初発の時⇒国若く⇒国の常立⇒漂える国を修め作り固め成せ⇒国を産もう⇒

国を生み終え⇒カミを生む⇒(用意がととのったところで)⇒夜の食国おすくに。

ここから、一連の「国」循環を「拝み祀る」か、「斎く」かの違いになります。

客体側にいるか、主体側にいるか、の違いです。

【十理が鳴く】日月神示 第二十三巻 【十理が鳴く】日月神示 第二十三巻

138 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:31:18.31 ID:lO4NpABd0

神示を引用しないで神示を語れる人がいない

その代わり、○チョンを引用しないで神示を語る人ばっかり

ところで、○チョンは一厘のヒミツ、言うてはならぬ

つまり、神示を語る人は皆いい加減な人ばかり

+追加して連結。

でも、体験にしがみつく真面目さがあるから救われている、皆良質な心を持っている

でも、残念なことに貴重な個人的な体験をあらわす言葉を知らない

でも、神示にはその方法が書いてある

でも、誰も知らない

139 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:36:45.40 ID:lO4NpABd0

日月神示に書いてある真実と

でんぐり変えし後の真実とは別なのですよ。

今ここでよく読んで分かることも、お気に入りで暗記していることも

神示がまことと言ってなるほどと思っていても

こちら側のわたしたち、神示ファン、世界の全員は

皆悪のやり方、の上に乗って、勝手な了解をしているだけなのです

神示さんは、言いたくてうずうずしているけれど、

言うてはならずの一厘

でんぐり返し後の真実が、別にあるのです、

140 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:40:01.21 ID:lO4NpABd0

心口行一致というけれど、九分九厘皆悪のやり方の上に乗っているから、

心口行一致と言われるのです

当然その理解も、改心の仕方も、行の仕方も皆悪のやり方なのです

2チャンに考えを書き散らすわたしを含めた全員は皆悪のやり方なのです

でんぐり返しの後、皆が一厘のやり方を知って身に付けたら

わざわざ心口行一致など言いふらすこともないでしょ

141 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:45:30.32 ID:lO4NpABd0

神示を祀って拝んで音読しているかぎり

神示の本当の意義は分かりません

だってそう書いてあるじゃないか、というでしょう

坊主が並んで読経しているでしょ

分からないもの同士安心できるから

神示がそんなこと薦めると思いますか

音読じゃなくて、オン・トク、音解く、音を解いて、音を説くですよ

そして音読して広めることですよ

142 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:48:08.38 ID:lO4NpABd0

音解くして、音説いて、音読を拡げて、皆が分かるようになったら、

いつまでも音読しているわけにはいかないでしょ

いつまでも神示は真実だなどと宣伝して歩くこともないでしょ

音読するのは、坊主連中か、日月神示ファン連中か、

役員連中か、天使連中か、それとも○チョンか、わたしかあなたか、

それぞれ役割が違うでしょ

143 :あらわれ:2012/02/25(土) 05:53:00.32 ID:lO4NpABd0

(世界政庁の長となって)

でんぐり返しの後と、

途中経過の事象とを

まぜこぜにしないこと

日月神示もでんぐり返しのあとは

自ら消滅するのです。

今だからまつりあげる対象になってますが

その必要がなくなれば、消えて無くなります

164 :あらわれ:2012/02/25(土) 17:28:51.91 ID:lO4NpABd0

>>161 >「私には通じない」

私には通じないという相対的な意見を相手にしていれば、きりがないのです

あなたの主張が世界に皆のために広がり、皆が喜んで受けいれたら

わざわざ言うことがなくなるでしょ

そのときあなた消滅するのです

ご用が済んだからです

そのくらいの覚悟をもってください

165 :あらわれ:2012/02/25(土) 17:59:07.65 ID:lO4NpABd0

・日月神示に書いてある真実と

でんぐり変えし後の真実とは別なのですよ。

今ここで読んで分かることも、お気に入りで暗記していることも

なるほどと思ったことも、こちら側の人間全員は

皆悪のやり方の上に乗って、勝手な了解をしているだけなのです

正しいとか、間違いとか、言い合うキャッチボールなのです

神示さんは言いたくてうずうずしているけれど、

言うてはならずの一厘

でんぐり返し後の真実が、別にあるのです、

166 :あらわれ:2012/02/25(土) 18:19:48.05 ID:lO4NpABd0

・神示もでんぐり返しのあとは

今までの神示は自ら消滅するのです。

現状だから信仰、祀りの対象になってますが

その必要がなくなれば、消えて無くなります

・そこからが日月神示の出番です。

日月神示に書いてある真実と

でんぐり変えし後の真実とは別なのですよ。

同じ言葉でも別に読むのです

229 :あらわれ:2012/02/27(月) 17:27:11.72 ID:81facwCn0

>>◆x6s/29sxi2

至音の巻 は全体が一つの循環を作ってます。

8帖は1からきて910下へと続きまた1に戻ります。

8で「 ナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ」、「両神の交流、歓喜、弥栄は中絶」

第九帖で「 その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、」

「此処に大きな神秘がかくされている、」そして、

「生長し弥栄し行くのであるぞ。」と910下に続きます

230 :あらわれ:2012/02/27(月) 17:28:41.08 ID:81facwCn0

9で「一神で生む限度」がいわれ、というのは

「国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、」

この限界のなかにいて「時の来るのをおまちになってゐ」るからです。それが

1112では「いよいよ判らん」となり、

1314で「時がいよいよが来たので皆に知らす」ことになり、

15下で抽象的な教えが開陳されます。

231 :あらわれ:2012/02/27(月) 17:31:49.26 ID:81facwCn0

何故抽象的かというのは、日月神示自身が「国常立尊」(別名、国之常立神)

によって降ろされているからです。

この神さんは10の中で自分を白状していることに注意してください。

「地は智の神が」以上には出られないからです

10以下のプロセスを神として知ってはいても、言える立場にないからです。

これが日月神示の限界「死んでから又甦られるように死んで下され」であり、

またそこから始める端緒となっています。

232 :あらわれ:2012/02/27(月) 17:34:26.29 ID:81facwCn0

神示ファンになってしまいますと、(どのファンも皆そうですけど、)

「死んでから又甦られるように死んで下され」が

が出来なくなってしまいます。

ご注意ください。

235 :あらわれ:2012/02/27(月) 18:43:50.88 ID:81facwCn0

日月神示を個人の歓喜の中に閉じ込めないでください。

いちいち口にしなくてもみんな喜んでいることを察してください。

日月神示の相手は世界です。

個人の悩みを救うのとは違います。

命の共鳴=世界の命の共鳴ですね。うれしい言葉です。

265 :あらわれ:2012/02/28(火) 18:33:00.84 ID:h4iHNFH60

>>261

日月神示を自分に引き下げ共感した嬉しいときと

自分を日月神示に引き上げ共感した嬉しいときの

違いがあります

前記にはふつうの嬉しさから歓喜まで、仏教キリスト教まで

後者では、

「自分を救うことが出来たならば、今度は世界を救いなさいよ、」へ

323 :あらわれ:2012/03/01(木) 20:01:53.25 ID:TvCBHhS40

>>◆マツリの巻-1の「澄みきり」

日月神示を読むときにはなるべく漢字の影響を受けないように、

まず全部ひらがなにして読んでください。その後で変換します。

「 <うず> の澄みきりが <○チョン> (おおかみ)ぞ」

澄みきり⇒すみきり⇒隅切り⇒天津管麻音図の四隅を切り取る⇒アワイヰの四つになる

⇒イヰが詰まってギ、アワギ(イヰ)⇒すみきり⇒

古事記の 伊耶那岐の大神の禊の段落へ

「小門(おと、音)の阿波岐原(あはぎ、アワギはら、音図)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

⇒「 <うず> の澄みきりが <○チョン> (おおかみ)ぞ」

しかし、ご注意ください。日月神示の神さんには禊を説明する権限はないのです。>>231

だからいつでも、こうじゃこうじゃ違うのじゃ、というだけなのです。

324 :あらわれ:2012/03/01(木) 20:09:37.69 ID:TvCBHhS40

>>◆「神」「かみ」を区別して意識

これは禊祓え以前の態度です。

禊の後には統合、和合、大神です。

331 :あらわれ:2012/03/01(木) 20:48:23.30 ID:TvCBHhS40

>>325

中心の神、が記載されていないのにお気づきですか

ここでは、神とカミ、の区別なく全部が神で記載されています

ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、

中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。

380 :あらわれ:2012/03/03(土) 18:15:50.45 ID:JoJMOLED0

>>369、引用。

神名と五十音の対応は公開されてはいませんが、皇室内にあります。

戦前軍部は米国とは力量において自信なく戦えないことは知っていましたが、

「神風」への期待に変わるものとして、精神支柱として言霊が引っ張りだされました。

「そういうことから山腰明将さんと言う方に気が付かれて、内閣の主要な方、陸海軍の大将、元帥という、

皇族の何宮、天皇のご家族らが築地の水交社、海軍の将校達のサロンに十回ほど集まりまして、

山腰明将さんが名演説をされた。」

「天皇は出席されませんでしたが、前述の方々に加えて警視総監というような方たちを前にして講演されました記録が残っております。」

「ところが、残念ながら山腰明将さんもよくお解りになってなかった。」

「結局翌年、戦争を起こして敗れてしまった。」

381 :あらわれ:2012/03/03(土) 18:17:14.07 ID:JoJMOLED0

>>369、引用のみ。

その「山腰明将さんに教わりましたのが小笠原孝次さん」

「小笠原孝次という方と植芝さんとは昔から友達でして、植芝盛平さんが言ったそうです。

「私は学問が生れた時から大嫌いだから理論的なことは小笠原さん頼むよ。だけど古神道の武道を私は好きだから、

体を動かすことは好きだから、私が責任を持つからね。お互いがんばりましょう」と言われたらしいです。

植芝さんは大本教に関係していた。「言霊は学問では小笠原さんに任せます。

私は合気道で極めましょう」って仰っていた。

「昭和37年の当時は言霊に関する本が一冊も出ておりませんでした。」

小笠原先生は「普通の学問だとこうこうこうだよ、と言って、あゝ、そうですかって、それで済みます。

ところがこの学問は、こうこうこうだよ、と言って、あゝ、そうですね、と了解を得たところから始まります。」

「私は筋道は教えます。それ以後は私の責任ではありません。

貴方の責任です。それでいいですか?」

382 :あらわれ:2012/03/03(土) 18:28:05.86 ID:JoJMOLED0

>>369、引用のみ。

小笠原先生が「歴史というのは一回しか起こらない。二回はない。

だから間違えると永遠に間違いを人に教えることになる。

それは誠に申し訳ないことながら、何回歴史のことをご破算にして

考えを積み立てていっても最後に来ると同じ所に来てしまう。

だから島田さん、この歴史は本当です」って。

「古池や蛙飛び込む水の音」というのはただ一匹の蛙が古池に飛び込んで水の音がした、というそれだけのことですから。

そのほかのことは何にもありません。それでいて俳句の代表とされている。

蛙が飛び込んだ微かな水の響きがポチャン……ンとどこまでも宇宙に響き渡るような、

それでいて永遠の時間の中にあって、ただの一点であるという「今・此処」というね。

そんな理屈をこねなくても感じさせてしまう。

383 :あらわれ:2012/03/03(土) 18:31:48.34 ID:JoJMOLED0

>>◆「意味内容表すときに濁音は必要だと思う」

発音はあっても表記がないこともありますが、

祝詞いろは歌五十音図に濁音がないのは、必要としないからでしょう。

物質の元素周期表を現すのに、合成合金を記載しないようなものです。

現象したものを扱うときと、現象の要素を扱うときはまた別です。

「あ~降りてるな~って感じるとき360」の意識を自分で名付け表現してみることをまず試みてください。

その表現に成功したら、「意味内容表すときに濁音は必要」か、自分で名付けた意識を濁音化してみてください。

そこに現れる差異が「本質の理解」に繋がると思います。

wiki「四つ仮名」は音韻学での解説、現象分析で、

フトマニ言霊学とは関係ありません。

語頭に濁音ではじまる大和語、濁音で始まる神名はないのがヒントになるでしょう。

392 :あらわれ:2012/03/03(土) 23:52:44.00 ID:JoJMOLED0

>>388、引用。

出口直氏のコトタマは平田実篤の霊的な考察からのコトタマ論、

皇室に連綿と保存されている正統なコトタマ学ではありませんでした。

言霊ウと申しますと天の御中主の神。

欲望が発露する元の宇宙として説くのがコトタマ学の初歩ですが、

大本教のコトタマ論は

「霊妙不可思議、霊妙なる玉の中心が天の御中主の神である、

天地の中心にある最高神なり。」

393 :あらわれ:2012/03/03(土) 23:55:23.78 ID:JoJMOLED0

>>388、言霊とコトタマ。

引用でも御お分かりのように、もちろん最初の出だしから違います。

教祖や降臨された者や解説者たちが多く歴史上いましたが、

太安万呂以降誰一人として「皇室に連綿と保存されている正統なコトタマ学」を、

理解した人はいないという立場です。

ただ一人の例外が島田正路氏です。

(その師が小笠原氏ですが、音韻言霊学で、コトタマ学にはなっていないということです。)

降臨した教説はコトタマ学を基本原理としています。その点においてわたしも口出ししています。

しかし、コトタマを了解できない今までの教祖や降臨を請け負った者たちが、

言霊(学)にしてしまったということです。

ですのでわたしは言霊学という言葉を使っていますが、内容はコトタマ学の積もりでやっています。

当然島田氏以前の言霊解釈やこの日月スレの解釈を受けいれるにはコトタマに変換したあとにしています。

394 :あらわれ:2012/03/04(日) 00:00:45.80 ID:JoJMOLED0

>>388、言霊とコトタマ。

日月神示もその原理をコトタマ学に負っていることを、馬耳東風式に聞いてもらえればいいだけです。

聞いてもどうせ分かりませんから、分かるとか分からないとかの次元の話になりません。

喋るわたしが分かっていないのはもちろんのこと、

なにしろ依然として誰一人理解者はいないのですから。(島田氏は故人になりましたので)

しかし、記憶にも残らないような馬耳東風の力を信じております。

人は137億光年前の光を見つけることができるのです。

たった、一万年にしかならない隠されたコトタマの原理を発見できないはずはありません。

「天地」・あめつち・宇宙世界が待っています。

あ・め・つ・ち、とは、あ(吾、わたし)の目(め、意識)が付(つ)いて地(ち)になることで、

外界の事象や神の創造した宇宙のことではありません。

もうじき「神」などと言っていたことが恥ずかしくなるほど、「神」の内容が明かされていくでしょう。

399 :あらわれ:2012/03/04(日) 02:35:02.88 ID:siK1hbrG0

>>398、、>「総合的に考えるべきだ」

大いに期待しております。

400 :あらわれ:2012/03/04(日) 02:37:42.71 ID:siK1hbrG0

>>「第一歩の前に〇歩があるぞ。〇歩が大切ぞ。心せよ」 『月光の巻』 第四十七帖 [834]

「世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も繰り返したのであるぞ、

その時はそれはそれはでありたぞ、火と水のドロドロであったぞ、

その中に五色五頭の竜神が御ハタラキなされてつくり

修理かため固成なされたのぢゃ」 『扶桑の巻』 第二帖 [851]

「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ」 『至恩の巻』 第七帖

わたしの方は当面「「第一歩の前に〇歩があるぞ。」に向かいつつあります。

417 :あらわれ:2012/03/04(日) 17:34:10.73 ID:siK1hbrG0

>>415、katakamuna123

カタカムナ神科学内での記事

「カタカムナ文字は、「文字の形状」と、その文字の「意味」を司る実体的存在とが正確に対応した

「性質記述」なのである(厳密には「性質記述」を「略記」したものである」

http://www.h3.dion.ne.jp/~k-kagaku/c4.htm

を少し解説してもらえたら有り難いのですが。

420 :あらわれ:2012/03/04(日) 18:51:17.82 ID:siK1hbrG0

>>419

労作を拝読しました。続きを待っています。

ヒフミヨイムナヤコトに、上に位置する半円がありません。何故ですか。

(上に位置する半円は、ウ、ヘ、ニ、)

半円状の小丸はヒフミヨイムナヤコ・トに関しては、左まわりですね。

「われ(伊耶那岐)は左より廻り逢はむ」

伊耶那岐の動きですね。

421 :あらわれ:2012/03/04(日) 19:05:49.01 ID:siK1hbrG0

>>416、419、420

・ヒフミヨイ・マワリテメクル・ムナヤコト

まわりてめくる→廻りて「め(心の目、芽)」がくる→

「め」は「あめつち」のめ、あ(吾)の目(め、意識、心)が付(つ)いて地(ち)になる→

ヒフミヨイは行く働き、それが廻り巡って帰ってくる、ムナヤコト

ア→ワ、ワ→ア、のこと。

422 :あらわれ:2012/03/04(日) 19:25:01.67 ID:siK1hbrG0

・往復して最初に成立するのが「ア」という意識の全体、先天性。

・そして現象と成るときにはまず「ウ」から、ということでこの「ウ」には心の「ウオエイア」全体の象徴。

・現象が動き出すのは言葉を宣「ノ」べることから

・「ス」は「ノ」につく動詞の語尾、のる、ということ。

・「ヘ」はのるという方向へ、

・「シレ」、ヒフミヨと行って廻り巡って帰ってムナヤコトになるように、心の持ち方の始めの「あ(吾)の意識」を

現象化させて「ウ(オエイア)」と宣りあげる方向へ向かうには、

次のことを知りなさい

・「カタチ」

425 :あらわれ:2012/03/04(日) 19:55:40.42 ID:siK1hbrG0

>>424

アッラーのア、アーメンのア、阿弥陀のアもあるし、

あーあーやんなっちゃうなのアもあるし、

あ、空を見ろ、スーパーマンのアもあるし、

宇宙世界にはいっぱいありますね。

437 :あらわれ:2012/03/05(月) 00:19:43.52 ID:Ox9G4av60

>>katakamuna123

どうもありがとう。暖かいおかあさんみたい。

>>422の続きをプレゼントします。

・「カタチ」与えられた現象の取り扱いにおいて、

・「サキ」は裂きで、現象の分析では、

・「ソ」、それを、

・「ラ」、ラは流れる全体、つまり現象の時処位、全関連性において、

・「ニ」、似せる。

ここまでで、「与えられた現象の取り扱いにおける分析では、それを全体の流れの中に置き直して、

・「モ」、現象が何故どのように久しく繁ってきたのか、

・「ロ」、ロは廻りながら切り開く運動から、「ラニモ」の演繹帰納、このラニ・モロで意識行為の行って帰る様子、

・「ケ」、は気、霊を「ケ」と言っている。

・「セ」、は背にして負うこと。ケ・気・霊の原理原則の元にということ。

・「ユヱヌ」、は結う、結ぶ。原則を「ロ」に結ぶには、

・ 「オヲ」、オは事象の事。事象を、

・「ハエツ」、生えるように、ことの生成が映えるように、八つに並べることによって。

・「ヰネホ」、稲穂、「イ」の客体受動側が「ヰ」、つまり、成果全体が。

・「ホ」、久しく保持され、

・「 ン」、正しく運ばれ流通していく。

453 :あらわれ:2012/03/05(月) 19:22:30.21 ID:Ox9G4av60

>>449

漢字の解説を見ますと

古代大和が漢字を作り与えた、

ように思えますが。

そういう漢字をとりあげているわけですか。

459 :あらわれ:2012/03/06(火) 03:57:46.06 ID:iSoPm1Cb0

>>455@@「当てはめて考えている」

455は私にはまるでいただけるごちそうではありません。

360度(180+180)わたしとは方向が違いますが、「日」と「月」の解説が完成しましたら

また拝読させてもらいます。

460 :あらわれ:2012/03/06(火) 04:08:50.53 ID:iSoPm1Cb0

>>◆「北から来るとは子から来るという意味もあるかもですね。

親が子になり子が親になる」

わたしも感じます。桶屋が儲かる式で遊ぶだけですが、こんなのもありかな

北=水=黒・壬・癸(みずのえ、みずのと)・玄武・腎臓に通じる

みずのえ、みずのと、を読み替え書き換えて、見ずの智慧、見ずの十、に攻められる

486 :あらわれ:2012/03/06(火) 21:16:44.63 ID:iSoPm1Cb0

>>「おれ」は「おのれ」の転訛で、鎌倉時代以前は二人称として使われたが

次第に一人称に移行し、

江戸時代には貴賎男女を問わず幅広く使われた。(wiki )

歴史的な考察がないと、戸惑います。

「鎌倉時代以前は二人称」

「貴賎男女を問わず」

今でも老女は「オレ」と言っているところもあります。

525 :あらわれ:2012/03/08(木) 02:28:45.57 ID:uFmmrUby0

>>

「空の鳥を見なさい。

神示を見なさい。

種蒔きもせず,刈り入れもせず,倉に納めることもしません。

原因を探すこともせず、整理分析もせず、記憶概念にすることもしません。

けれども,あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。

けれども、あなたがたの先天の人としての力能がこれを養っていてくださるのです。

あなたがたは,鳥よりも,もっとすぐれたものではありませんか。」

あなたがたは、日月神示よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」

(マタイ6:26)

540 :あらわれ:2012/03/08(木) 19:43:23.46 ID:uFmmrUby0

>>525◆ん~神示さんがらみですることが大幅に減るわけですがw

神示全体が自分のことでしょ。

「大幅に」増えるじゃありませんか。

神示をまつり上げる人たちには「大幅に減るわけですがw」。

なぜなら、自分のことを棚に上げて神示のせいにするから。

だから努力目標とか魂磨きとかの青い鳥を自分の外に作ってしまうでしょ。

あなたがたは,鳥よりも,もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたは、日月神示よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

(マタイ6:26)

神示は最後の一厘を言うことのできないかたわ者でしょ。

世は日々実行している者たちで満ちています。

現象を見ても、貧しきものは幸いという人や、衆生は悟っていると言う人までいます。

580 :あらわれ:2012/03/09(金) 19:22:16.60 ID:aHEL6qei0

>>578◆「神と金」

中華読みの、キン、ではないですよ。

金=カネ、カナ=仮名=仮名文字の音(おと)=肉(似組、にく、似せて組む、霊に似せて組む)

中華読みは避けてください。

724 :あらわれ:2012/03/15(木) 01:49:00.04 ID:Ob4NDFFg0

>>◆。666

スフィンクスの謎々は、

人間の肉体の形を謎にしたものでした。

666 の

ヨハネ黙示録=ふみ神示の)謎々は、

人間の精神の形を謎にしたものです。

「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。

その数字とは、人間をさすものである。

そして、その数字は666である」。『ヨハネの黙示録』(13章18節)

「666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿」碧玉の巻第十五帖

謎は解けていますが

理解さすことができません。

738 :あらわれ:2012/03/15(木) 15:45:19.83 ID:Ob4NDFFg0

>>731。「九九」 世界の何処さがしても、 「今」では「九九(ここ)」より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

「六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、碧玉の巻第十五」。

まことの道、世でも、「動きがない」。

「まことでも、弥栄せんのぢゃ」

まことと言うのは「獣」道なのです。「動きのない」「みろく、まこと、今、ここ、九九」

と言うのは「獣」なのです。

「今九九」が何故、「獣」なのか、ID:Cld2Eoeo0ひふみ神示:に聞いてみるのも手です。

「六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、

六六六は天地人の大和の姿であるなれど、

動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ」

749 :あらわれ:2012/03/15(木) 20:15:03.25 ID:Ob4NDFFg0

引用。弥勒菩薩とは

弥勒菩薩は阿逸多(あいった)という人です。

阿逸多は出家前は大変な悪人で悪逆の限りを尽くした人です。

『涅槃経』というお経に説かれてあります阿逸多(あいった)という人のお話しであります。

昔、波羅奈城に阿逸多という悪人がおりました。その阿逸多は、こともあろうか、自分の母親を愛してしまったのであります。

そのため、自分の父を殺し、母を妻としたのであります。

父の師匠であった阿羅漢が、この阿逸多を戒めた処、この阿羅漢も殺しました。

母親は恐ろしくなって他人のもとに嫁ぎました。

すると、阿逸多は母親までも殺したのであります。

五逆罪のうち三逆罪までを犯してしまったのであります。

751 :あらわれ:2012/03/15(木) 20:18:45.40 ID:Ob4NDFFg0

そのような阿逸多に対して、近隣の人達は、誰も相手にしなくなり、阿逸多も世間の風当たりの強さに耐えられなくなり、

祇園精舎に行って「出家をしたい」と願ったのあります。

ところが、多くの僧侶達は、阿逸多が三逆罪を犯した極悪人であることを知っておりましたので、

出家することを断ったのであります。

阿逸多は、益々、悪心・瞋りの心を起こして、その日の夜に、僧坊に火をつけて、

多くの罪の無い僧侶を焼き殺したのであります。(釈尊にも切り付けたということも聞きました)

その後、阿逸多は王舎城の釈尊の所(みもと)に行って、出家することを願ったのであります。

釈尊は出家することを御許しになりました。

そして、阿逸多の為に、御説法され、阿逸多の積んできた重い罪をだんだんに軽くされ、

そして、ついに極悪人の阿逸多に発心させ、阿逸多は釈尊のもとで修行を積み、立派な僧侶となられたのであります。

753 :あらわれ:2012/03/15(木) 20:37:50.39 ID:Ob4NDFFg0

ミロクの誕生談を抜かすと、

五十六億七千万年後に生まれ変わって、この世に下生して衆生を済度すると云われる未来仏です。

この五十六億七千万年後(五六七)を数字で解くのもいろいろあります。

真面目に、素直に思ったら、

こんな長い時間の後に出てくるミロク菩薩とかミロクの世などは、

無能なカスといってもいいでしょう。

人間などもう存在せず、地球さえもぶっ飛んでいることでしょう。

ですのでミロクの世を素直にお迎えしたい日月神示ファンには頭が上がりません。

より素直に疑問を持てば、ミロクの五十六億七千万年というのは、精神的な表徴で、

心の何かを伝えたいということになるでしょう。

もしここで精神的なことに思いを変換したら、無能なカスなどと言ったら怒られる。

ミロクという無能なカスが自分にあることを発見したら、

あーあ、こりゃコリャ、今九九、今九九。

754 :あらわれ:2012/03/15(木) 20:55:30.22 ID:Ob4NDFFg0

>>

間違えないで下さいね

369、666 六六六、ミロク、等は

駄目なことの象徴なんです。

ところがこの駄目駄目が人間の心に当然のようにして現れるのです。

当然に現れるのだから、誰もが必然的にそれに従い跪いています。

離れようにも捨てようにも、水行なんかしようと、拝もうと、かないません。

なにしろそれがマコトと言われるくらい最強なんですから。

そこででんぐり返しをして全部受けいれるのです。

そのためのひふみ歌です。

755 :あらわれ:2012/03/15(木) 21:00:48.99 ID:Ob4NDFFg0

>>740

ミロクの世を作ると解釈や宗派や教祖などがありますが、>>738碧玉15にあるとおり、

「六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、

動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ」なのです。

その理由はまさに「「残る心」が「獣」ってことかな?」です。

獣=けもの=気物=気(心)が物(現象、表現)となって固定してしまう、です。

そこで、心の形、現代風に言えば、認識運用論みたいなものを

思ってもらえれば、「6 」がでてきます。

(ついでにカゴメ、ユダヤマークですよ)

756 :あらわれ:2012/03/15(木) 21:30:02.18 ID:Ob4NDFFg0

>>。火と水の解釈。>>744

「世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。日月28」

世の元=火と水であるぞ、で分離できないのを分離するのが、369、666、ミロクです。

火は霊、こころ、のことですが、ここでは、

主体側の「チョン」から客体側の「チョン」に、「人」が渡る形を火から借りました。

人が渡るというところが、流れる水で、母音と半母音を父韻が結んで、世となる。

火は左側チョンからはじまりますが、これが女先にものを言うで蛭子を生む元になります。

つまり369、666、ミロクの世とは蛭子の世のことで、われわれが日夜生んでいる普通の世のことです。

この自覚の後にでんぐり返しがあり、「動く666」になります。

761 :あらわれ:2012/03/16(金) 03:28:40.66 ID:gxfscPGC0

>>759。

思うのも結構、考えるのも結構、閃くのも結構、教え教わるのも結構

御告げを聞くのも結構、神にあやつられて喋るのも結構

それらの総体が今の歴史の流れを作ってきました

大いにやってもらい、考えてもらって結構です

ところが、ここに、ひふみ神示が出ました。

それの言うところは、前記のこと共は全て、でんぐり返しせにゃならんのじゃ、

マコトとなるには一厘足らんからじゃ、ということでした。

762 :あらわれ:2012/03/16(金) 03:29:58.17 ID:gxfscPGC0

神示さんは、本当のことは教えないよヒミツだよと、無責任な態度ですが、

実は、これは彼(国之常立神、天之日月神)の限界なのです

こんな言い方をすると蹴っ飛ばされるかもしれませんが、

神示の言うことには、ミソギを扱ったものが少ないでしょう。

洗濯掃除魂磨けというだけです。

そうしないと全世界をでんぐり返しできないぞ、逆に、つぶされ攻められるぞ、というわけです。

マコトと言いながらも、その内容を明かさず、これがマコトと言いながら、

音読しろだとか、拝めだとかしか言っていません。

読む側としてはこれは非常に腹が立つところです。

全部こちらにまる投げして知らんふりです。

763 :あらわれ:2012/03/16(金) 03:33:49.93 ID:gxfscPGC0

神示を読んで腹を立てる人はそういませんので、

ここは、神示に影響を受けて自分の魂を全部神示に預けている人のことにしましょう。

素直な良い子ちゃんになるか、憎まれっ子になるかです。どっちでも同じことですから。

そこで日月神の無責任さを感じる人と、素直に従う人の両方を見ると、

両者共にかけているところが、日月神から出てきているのが見つかります。

現代語で言えば自覚がない、黙示録なら獣の666を解く智慧がない、

神示でなら一厘チョンが入っていない、になります。

>>754

764 :あらわれ:2012/03/16(金) 03:37:43.02 ID:gxfscPGC0

>>760

父と母だけじゃ子供はできません。

もう少し上手に頑張ってください。

いい年して「神様ごっこ」を続けるのか、本職になるのか

腹を決めてください。

768 :あらわれ:2012/03/16(金) 06:10:21.85 ID:gxfscPGC0

>>。

「ふじはれたり、にほんばれ」、は、

「不似は晴れたり、二本晴れ」、にするとヒフミ全体がよく分かるようになります。

769 :あらわれ:2012/03/16(金) 06:12:07.39 ID:gxfscPGC0

訳では富士を当てはめたりしていますが、(二二もあった)

心を現すのに富士など持ち出しても何の意味もありません。

富士から同音異議語を集めるだけのことでしょう。

ふざけるな、不似も同音異義語じゃないかと怒る方もいるでしょう。

しかしそれは、富士を基本にしてからです。

神示は富士なんて言う漢字は使用していないのです。

770 :あらわれ:2012/03/16(金) 06:15:21.10 ID:gxfscPGC0

無知な訳者がしたことを、後からわれわれがくっついて行っただけです。

もちろん、「不似」では普通に通用しないので、富士にして正解ですが。

しかし、単に文章があるというだけのことで、

そこから出てくる解は不正となります。

では、不似について説明します。

771 :あらわれ:2012/03/16(金) 06:19:20.15 ID:gxfscPGC0

>>。

では、不似(二二、ふに、不似→富士)について説明します。

やめ、急いで、寝ることにする。

790 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:16:22.68 ID:gxfscPGC0

>>。二二。不似○。富士×。

皆さんは訳者の表記を読んで、そこから出発して平気な顔をしています。

もう少し素直に見れば、訳表記はいろいろな表記現象の一つで、

それが富士の漢字を選択したというだけでしょう。

確かにぴったりカンカン読みごたえは良いですが、

表現表記と内容実体は別であることは、誰でも経験しているでしょう。

自分の喋ることと言いたい内容が離れていることの経験はよくあるでしょう。

しかも、「二二」の訳なのですから。

「二二は晴れたり、日本晴れ。」ふひみ神示データーではそのまんまです。

791 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:18:04.47 ID:gxfscPGC0

表記を富士にしないと不満ならそれでも結構です。

富士の表記をその正しい内容である不似(二二)で説明すればいいのですから。

ただし、説明できても、富士→不二→不似→二二に行くのは、駄目というのです。

元は二二でしょ、それが「・・ひらがな・・」になって、

その後で、何かの漢字が配当され、通用する言葉なりにしてあります。

でんぐり返しは「まだまだ後のステップ>>766」ではなくて、毎日毎時の自覚的なできごとです。

それを拒む心の形を666といいます。

別にこれを拒否しても人には避けられない心のサガですから、

受けいれてでんぐり返しすれば、

不似が晴れて、元に似て、元に似た自分と相手の二本が立つということです。

最初から表記表現を受けいれ立てると、晴れないよということになります。

792 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:22:22.18 ID:gxfscPGC0

分からないのが普通です。

これは理解する問題ではなく、知識のあるなしではありません。

感情をベースにした智慧の分野ですから、分からすことは出来ないといいました。

日々の何でもない日常経験の現象世界でのことです。

表現現象である富士という表記から出発するのでなく、

元に戻って○にして、チョンを入れ、候補を選んで、そして富士にしているのだから、

まずは富士の表記現象以前に戻ることです。

言葉の表現以前に戻ることです。

絵画の見方が参考になります。

793 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:26:27.12 ID:gxfscPGC0

表記以前に戻るとどうなりますか。

後から配当された漢字の富士でなく、○になっちゃうでしょう。

そこにあなたがチョンを入れるのです。

チョンを入れてそこで出てきた形があなたです。

それが富士ならば、それしかないのだから、それで結構です。

わたしの不似からすれば余程美しい言葉です。

○から出発して富士になったものは誰も間違いだとは言えません。

しかしそこで主張をしますと自分の心の形を固定してしまいます。

せっかく○から出てきた富士を殺すことになります。→肉喰うなです。

そこでこんどはミソギの出番となります。

神示はこのミソギを語りません。神示さんの役目ではないからです。

彼の役目は○に戻ること、すべての人の心の動きを元に戻すことを自覚させることです。

794 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:30:34.50 ID:gxfscPGC0

>「富士とは神の山のことぞ。。。手を合わしたら、富士の形になる。」

神示なのですから、言葉の精神的な意味を見つけることが重要でしょう。

いつまでも形にこだわることを、「二二」が晴れない、といいます。

前にも言いましたが、富士が晴れないのは人のサガで、当然のことです。

ここを自覚しないと「身を晴らす」になりません。

「富士を開くとは心に神を」というように、いつも「こころ」と言っているでしょう。

手を合わして富士の形を作るとかを言い出すと、では指先は、爪先は、腕は、どうするのかとなってしまいます。

そうじゃないそんなこと言っていないと廻れ右をすると、そこには心が待っています。

795 :あらわれ:2012/03/16(金) 19:37:57.59 ID:gxfscPGC0

形から心に戻れ、戻るには自覚のでんぐり返しがいる、ということです。

しかし注意してください、ただ戻るだけで、心を形にすると、獣(気物)に陥ります。

666(心の形)を山越えして見晴らす(みそぎする)のは容易なことではありません。

昔から神さん達は努力目標として私たちに与えるだけですが、

それをやった人がいる。人はやっちゃう立場ですから。

その記録が残っているのですから、凄いものです。

二二=不似=似ていないこと、が晴れたりで、似るようになること。

何にでしょうか。。。。。。。

799 :あらわれ:2012/03/16(金) 22:21:18.13 ID:gxfscPGC0

>>。星座15

易の太極から1-2-4-8と分かれる図を参照してください。

1太極-2陰陽(両儀)-4太老少体太陰陽(四条)-8ケンダリシンソンカンごんコン(八卦)です。

十二人・というのは、陰陽を数えたもの。一段目+二段目+三段目+四段目、1+1+2+8=12です。

一人欠けて十一人となるぞ・、というのは、太極1を欠いて12-1=11、というのも太極は0として出発しますから。

その守護神を加へて・、守護神というのは伊耶那岐の大神のこと、

二十二柱・こっち(主体私側)とあっち(客体あなた側)を行って帰って11+11=22のこと

二十二が・にじゅうにがではなくて、ニとニが、漢字にしたければ似と似が、のこと。

800 :あらわれ:2012/03/16(金) 22:22:28.74 ID:gxfscPGC0

富士ぢゃ、・二二じゃ

真理ぢゃ、又三であるぞ、一段目1+二段目2で3の構造が全体を貫いているということ。

今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、・これが666、六六六の構造。(見つけてくれてありがとう。)

岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、普通易の構造図にないのですが、五段目があります。

大行、です。これが伊耶那岐の大神。四本指+1(母音の働き)五本、八本指+1(父韻の働きなので2のこと)で十本です。

干支ではなく太極構造図を参考にしてください。

ただし易はフトマニを真似たものですから、神示はこの大本のフトマニコトタマを説明しています。

他の引用も同様のことです。

これ以上やっても今のところは無駄ですから、これで終わります。

804 :あらわれ:2012/03/16(金) 23:10:38.48 ID:gxfscPGC0

読みは

>>光の巻 第七

十の流れ、十二の流れ、、ではなく

十の流れ十(とand)二の流れ、です。

つまり伊耶那岐の大神のギミの二神をさします。

前段にヤ・ワが二つづつあります。

807 :あらわれ:2012/03/16(金) 23:33:58.61 ID:gxfscPGC0

日月の方を曲げる、のではなく

正しいかどうかもわからない訳をそのままうけとることを曲げているのです。

811 :あらわれ:2012/03/17(土) 01:53:06.05 ID:WqTlnne60

>>809。

確かに心はころころ曲がっていますし、曲がっていきます。

曲げて見るから曲がって見えるんだね、と言うより、

曲げて見るから真っ直ぐ見えるんだね、という方が、

少々ヒネリが効いているのじゃないでしょうか。

「 道は真直ぐとばかり思ふなよ、曲って真直ぐであるぞ、

人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど曲ってゐるのが神の道ぞ。

曲って真直ぐいのざぞ。人の道も同じであるぞ。(200)」

815 :あらわれ:2012/03/17(土) 02:40:32.40 ID:WqTlnne60

>>812

質問していいですか。

道は曲がっているとか真っ直ぐとかいいますが、

鏡が曇っているとき、普通は

「曲がって写る」とはいいません。

何かの比喩暗示じゃないでしょうか。

曲がった心に結ばれるとするのですか。

他の教えが曲がっているということですか。

829 :あらわれ:2012/03/17(土) 16:52:39.84 ID:WqTlnne60

>>816

説明してもどうせ分からないでしょうから、

前提と結論だけ与えておきます。説明無しの方が後腐れがないので。

「オ、ウなる愛は曲線であり、エ、イなる真は、直線であり、」

愛)愛はLOVEの愛ではなく、「アの神と現われ給い、オとウとひらき給い」の

アに統括されているオウのことです。

それは感情による統括ですので、愛によって表現しました、あるいは仏教的に言えば「執着」の感情です。

真)これも真実とか虚偽とかではなく、結論を出す世界ということです。

曲線)曲がる=まがる=まかる=間かる=間借りる、です。

直線)直線=まっすぐ=ま・すくう=間掬う、です。

間の意味も説明しないで、間を引き出す前提を記すだけにします。

ウオエイアの今という時間意識の構造です。

830 :あらわれ:2012/03/17(土) 16:56:59.14 ID:WqTlnne60

「今」というのは、持続の一点を切り取っただけのスナップ写真で、止まっていますが、現実は流れの中にいます。

そこで、現実の流れとそれを反映する今との関係があり、それぞれが母音と対応していきます。

一、産まれようとしているものが今産まれる、いわば、 今-今の関係、(後にウ)

二、産まれようとしてあったものが今ある、といういわば、 過去-今の関係、(後にオ)

三、それら二態が一挙に俯瞰される状態、いわば、 今-全体の関係、(後にア)

四、そして今あるものがこれから動こうとして産まれる、いわば、 今-未来の関係、(後にエ)、の四態があります。

五、そして上記の四つをそれぞれ足らしめる基底音となる持続する創造能動意志が今の全てを貫いています。今の持続。(後にイ)

これが、今=いま=五間です。

○チョンのチョンを一点と思っているでしょうけれど、その実体は五点あって、そのうちの一つという意味です。

最高機密(の次)を受け取るか破棄するか、どちらも自由ですが、

逃れることはできません。

833 :あらわれ:2012/03/17(土) 17:42:39.37 ID:WqTlnne60

>>◆。日の出7。>御オ。

書き出しの「おろしや」がすぐ「ろしあ」になっていのるに、気づきましたか。

どこかにあるキリス、メリカ同様国名でない場合があります。

心の今のひとつである、オ-ヲの世界(経験知識、記憶概念、学問思想等)観念を持ち越す世界>>830 のことです。

「神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ」です。

「御とは力一杯の事、精一杯の事を申す」

御、オ-ヲ、は経験過去知識の世界ですから、現在から過去へ向いています。

後を向いて疑問を持ってさがしにいかないと手に入りません。

疑問をもったが最後、際限なく力一杯しないと事が成りません。

前方を見て行くエ、目標を未来に立てるエとは違います。

838 :あらわれ:2012/03/17(土) 21:05:42.09 ID:WqTlnne60

>>835

メリカ(アメリカ)=物量生産、欲望の世界、ウの世界。

キリス(イギリス)=キリストから取られた精神感情世界、アの世界。

ドイツもイタリーもオロシア(ロシア)=おろしや(降ろし、尾、緒)で代表される過去知識世界、オの世界。

全部で過去に捕らわれ執着する心の世界ということです。

時代柄、戦争のイメージを持ち易いですが、

神示は精神の書なのですから、心の異議を問うのが普通なのに、

そうじゃない方面が、大いに気にいられていますね。

「外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。」

これは大和の思考法、意識の持ち方を知らない連中が攻めてくるということですから、

外国もそうだし、ここでも日々日常起きていることです。

「用意しておけ」は精神的な武器を整えよで、

○にチョンを入れる思考法、意識の持ち方をこころ得よ、になります。

予言好きに付ける薬はなかなか見つからないものです。

839 :あらわれ:2012/03/17(土) 21:24:11.51 ID:WqTlnne60

>>837

>おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき

奥山に、もみぢ(五)ふみわけ、鳴くしかの(泣沢女)、声聞く時ぞ、ア気は仮名敷き

無上の慶びに震える歌

ありがとうございます

853 :あらわれ:2012/03/19(月) 03:56:59.54 ID:gtR6HzLt0

>>雪丸さん。>。「この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、

病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。」

「九の道は神の理ぞ」

「世界の何処探しても、今では九九よりほかに、神のマコトの道知らすところ無いのざぞ」

・普通に・声出して読め、、、、

・ひふみ風に・12345678・0・12345678・0・12345678・0・、、、、

・数字で・9・9・0・9・9・0・9・9・0、、、、、

・ことばで・こ・こ・ろ・こ・こ・ろ・こ・こ・ろ・、、、、

・わたし風に・ 九番目(0)のエを足して読め、やまい(八迷い)も直る、くさき(九咲き)も、、はな(八名)咲くぞ。

854 :あらわれ:2012/03/19(月) 04:00:34.16 ID:gtR6HzLt0

・ここは心の運用を降ろしたものですので、実体内容世界に配当された言霊エの働きに関するものです。

エという実体でなくその運用です。

エ以前の運用はウ・オで12345678で現され、1-8を統括して0に到達できる

エの働きを足しなさいというものです。

その暁には1-8、0の九となって、不備不十分なウオのやまい(1-8)も昇華止揚し、

九番目の0が咲いたことによって、1-8(ウオ)のはな(八名)も開く、というものでしょう。

エの働きは国常立尊で、数字では(0)123456780の九つを統括しているということです。

ウオの父韻の運用を、エの父韻の運用にしなさいということです。

869 :あらわれ:2012/03/19(月) 17:19:27.33 ID:gtR6HzLt0

>868

>>380-381。植芝盛平氏

>867

帰納の正反合+演繹の正反合=3+3=6 → カゴメ、ユダヤマーク

自分の6を説明するのに6を使って6×6

△の形而上世界と▽の形而下世界、両方で6の世界

その6の結果の世界が6で666=カゴメ=ユダヤ=ミロク

ここに36の世界ができる。

アイウエオの世界五を足して8にすると、8×8の世界

6×6の世界と8×8の世界の思考法、運用法を記した

神器を使用すれば100点満点。

870 :あらわれ:2012/03/19(月) 18:03:52.88 ID:gtR6HzLt0

ユダヤは6×6=36の力(思考法)で二千年間働きここまでの世を作ってきました。

大和には6×6=36に8×8=64を加えた100の出し方があるのに

まだ誰も知りません。二千年間に渡って隠され、岩戸の開かれる時代となりました。

しかし運用主体のスメラミコトが実在していないのです。

それを嘆いて神示が降ろされていますが、

神であってもスメラミコトの領域を教えてしまうことはできず、象徴暗喩となっています。

875 :あらわれ:2012/03/19(月) 19:47:23.30 ID:gtR6HzLt0

>>872

いつも出典の明記ありがとうございます。

天つ-1に三と三があるからといって六にしてもらうのは、ちとまずいのです。

ここはウ<ア-ワ で、ウと、そのウの剖判でア-ワに成るということで、

三は象徴表現ですから三神がいるということでもありません。

一枚のせんべいを半分にすると二枚になりますが、

元の一枚と出来た二枚の数字部分だけを足せば、三というだけです。

時間の止まったスナップ写真を見せると詳細がよく分かるために用いられています。

神示表記--解読のトリックです。

882 :あらわれ:2012/03/19(月) 21:19:39.34 ID:gtR6HzLt0

残念ですが同じことを繰り返すしかないので。

一枚のせんべいを半分にすると二枚になりますが、

元の一枚と出来た二枚の数字部分だけを足せば、三というだけです。

905 :あらわれ:2012/03/21(水) 00:47:07.36 ID:POswLrGV0

>>。>水の巻 第十帖。

「今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、

天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)、

高皇産霊神様(たかみむすびのかみさま)、

神皇産霊神様(かみむすびのかみさま)、

伊邪那岐神様(いざなぎのかみさま)、

伊邪那美神様(いざなみのかみさま)、

つきさかきむかつひめ(撞賢木向津媛)の神様」

2ちゃん。

>>つきさかきむかつひめ(撞賢木向津媛)の神様、

御三体の大神様とは、

▽(または < でもよいし ∨ でも)

天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)、

高皇産霊神様(たかみむすびのかみさま)、

神皇産霊神様(かみむすびのかみさま)、

△(または > でもよいし ∧ でもお好きなように)

伊邪那岐神様(いざなぎのかみさま)、

伊邪那美神様(いざなみのかみさま)、

つきさかきむかつひめ(撞賢木向津媛)の神様」

----------------------------------------

905 :あらわれ:2012/03/21(水) 00:47:07.36 ID:POswLrGV0

>>。>水の巻 第十帖。

「今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、

天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)、

高皇産霊神様(たかみむすびのかみさま)、

神皇産霊神様(かみむすびのかみさま)、

伊邪那岐神様(いざなぎのかみさま)、

伊邪那美神様(いざなみのかみさま)、

つきさかきむかつひめ(撞賢木向津媛)の神様」

----------------------

>>906

この六番目の神について解読ができました。

ぐぐってみると単なる神名で済ましているかただけで、

どこにも説明がありませんでした。

これではでんぐり返しはまだできませんね。

解読できたって、でんぐり返しはできませんけどね。

666陣営から質問されたら、世界大和朝廷側でも答えられなければなりませんから。

用意はしておかないと。

どういう積もりで神示神は

「今の臣民に判る様に申すならば」なんて言っているのでしょうか。

よく読めとか、すなおに読めとか、解けない謎を出しておきながら、

神示神の謎を出す真意がどこかにあるはずです。

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>>922

>>905-906 の続き

六体あるのになぜ御三体かというと

上3と下3がそれぞれ対です。

天之御中主神様=撞賢木向津媛)の神様=おせんべい一枚(一である神)

高皇産霊神様 =伊邪那岐神様、=割れて二枚になるおせんべい(二に成ろうとしている神)

神皇産霊神様=伊邪那美神様=割れて二枚になったおせんべい(二に成った神)

の御三方の関係(構造原理)をいっているからです。

=イコールで結んであるからといって実体内容がイコールではないので間違えないこと

関係を、数で現すことと、実体で現すことは別々です。

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>>923

二神同士が対です。天の元での高-神が対で主客、ツキの元でのナギも対の主客、それぞれが三で示された対の構造です。

後者の二枚を合わせると元の一枚になるでしょう。2+1で3、です。

せんべい(神)は一であり、二であり、三であろうがなです。

このように常に主客の関係をいいます。主客、私とあなた、陽と陰、男と女その他なんでも。

直さんは、梅で開いて松(松葉)で治めるだった。

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>>924

梅-松の要素と実体の三角関係を、裏表で示すと6体になる。

ところが、関係を実体で、実体を数で、成るものを数で、実体を成るもので表現するとそこに混乱が生じます。

「よく見て下されよ。(神は、おせんべいは、) 一であり、二であり、三であらうがな。

三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ」白金-1

手を一回叩きます。右手から音が、左手から音が、両手から音がでました。

1+1+1で音は一であり、二であり、三であらうがな、と神示はいいます。

この謎々、一休さんの橋を渡らないと前に進めません。

人に特有なこの実在と表現の乖離を埋めようと、道を示しているのが神示です。

666-六六六(36)の主客は実在してしまった物に目を向けますが、

それに八(8×8)を加えた神示(=古事記)の生きた実在の思想表現は36+64=100の満点となっていきます。

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>>925

「つきさかきむかつひめ」の漢字表記を見つけました(上記)。しかし誰も説明している人がいません。

単なる名前だ、ということで巣通りされています。

これから説明する方向に沿わすと、

「つきさかきむかつひめ」は、「つき・さか・き・むか・つ・ひめ」とよみ、

衝つき・性さか・気き・向(六)むか・津つ・秘めになるでしょう。

これは古事記の伊耶那岐の大神の段落から取られたものです。

神示もそれを継承し、そこから拝借しています。

「さか」に目を付けた人は岩屋戸の段での賢木に注目したのでしょうが、解読できていません。

「さか」は黄泉国の段にもあり、賢木もこのひめさんも同じ意味です。

「つきさかきむかつひめ」を世界で最初に見付けたつもりですので、前宣伝が入りました。

まだ修行が足りないもので申し訳ない。

対の関係、梅-松の表裏の関係は、

そっちは、読むつもりはないからさっさと終えろ、かもしれないし、

こっちは、読ますつもりもないから、眉唾で聞き流しておけ、かもね。という裏表。

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>>926

どうせなら大盤振る舞いで行きましょう。1-まず字句解釈、概念の説明、

ついで 2-実際の働きを説明しましょう。

・つきさかき

「つきさかきむかつひめ」は、「つき・さか・き・むか・つ・ひめ」とよみ、

衝つき・性さか・気き・向(六)むか・津つ・秘めになるでしょう。

古事記に出てくる順番通りになっている。

衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。。衝つき・これは斎いつきの省略形。

人の思惟行為の性さがをさかと言っている。以下四神のことを言う。

道の長乳歯(みちのながちは)の神。。性さか1

時量師(ときおかし)の神。。。性さか2

煩累の大人(わずらひのうし)の神。。性さか3

道俣(ちまた)の神。。性さか4

人の心の現れは、自らのさがを衝つき・立てることから始まってしまう。

まずこれがつきたてられる、主張される。誰でもそんな調子でしょう。

次いで、

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>>928

・きむかつ・ひめ

つきたてたものの、そのさがを持つ心(気)の動き方、向かい方が次の六神です。

衝つき・性さか・気(き)が・向(六)むか・う、六つのうごきとなって向かうです。

向かうというのは主が客へ向かうということで、その運用実体が六つあるところから、む(六)・かうにも引っかけてある。

行って

1奥疎(おきさかる)の神。次に

2奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

3 奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

返って

4辺疎(へさかる)の神。次に

5 辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

6 辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

向(六)むか・津つ

ひめは秘めで、これらの精神機能が自覚的にしろ無自覚にしろ皆に秘められているということ。

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>>929

上記の11神が「つきさかきむかつひめ」で、一言(梅)で現されています。

その内訳は、数字で言うなら、性さか1234が△▽の666で、

性さか1234と123456奥辺の、6x6=36と8x8=64の全部を用いた

10×10=100=36+64を、いいます。

梅が36で松が64という分け方ではないですよ。

別の言い方では伊耶那岐の大神のことで、伊耶那岐の神+伊耶那美の神のことです。

このそれぞれの三神を形而上にとり、他を形而下にとって、わたしとあなたの主客にしたのが御三体です。

さらに言えば御三体の11体で六神で、表裏のそれぞれが3+3で1になることを言っています。

皆さんお気に入りの○チョンです。

気をつけなければいけないのは、神名に「ひめ秘め」がある通り、ギミの両者を秘めていて、

ギミを示す11神を秘めていますが、同様に禍(まが)も秘められています。

100のなかに36の▽△666の思想が混入しているので、

その禍がまだミソギされていないということです。

神示はミソギを語る権限を持っていないので、ミソギについては語りません。

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>>930

「つきさかきむかつひめ」が11神で構成されているからといって、「つきさかきむかつひめ」は11神ということではありません。

666の禍があるからといって、混じっていることでもそれを取捨することでもありません。

せんべい神の一二三の例と同じです。

スレには、基本的に、要素と運用、実体と関係、数字と内容、現象と先天、表現と構成、陰と陽、光と影、象徴と実体、表と裏等々の

ごった混ぜの書き込みしかありません。

「陰陽二元でないぞ。三元ぞ」の、この三を了解している書き込みがなく、

つまり神示の原理に則った書き込みが無いのです。

2-実際の働き

つきさかきむかつひめは「衝性気・向(六)津秘」となり、

知となった性(さが)を叱りたしなめる次元をもっぱらにしていて、そのことによって、

同時に人間精神機能の大いなる構造と働きが秘めているという意味になります。

衝つきは、斎(いつ)きの「い(五)」の省略形ですから、11神の前半5神のことにもなります。

また同じギミの神の統一体から見れば、自覚の前後、

ミソギの前後の違いもでてきますが、そこまで事を拡げることもないでしょう。

神示の神は基本的には知のミソギはするけど、真の精神のみそぎは語らない神ですから。

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>>931

そこで、実際の動きは11神の動きを解説することになります。

水の巻六体はそれぞれが 3実体(表現)側と 3こころ(裏)側とに分けてあります。

神示では漢数字と数字、ひらがなとカタカナというようになっています。

分けてあるといっても、分けてしまったら駄目ですよ。

歩くスナップ写真は静止した姿で写りますが、止まっているとするのが666で(36)で、

動きからするのが64(8)で、全体を見るのが10(100)の上昇循環です。

写真を見ている限り動いていません。

六体の神も3+3のままなら動きのない木偶の坊です。

動きの無い神の説明は抽象概念、数字遊びになります。

水-10では5、7、8、とでてきますが、写真をとる角度ですから、9でも10でも構わないことで、

・・となるぞ、という、なる成る、に注意を向けています。

神示は「なる、」というこころの解説書です。

-------------------------

一神毎の解説は止め。続きは無しにした。

ここまで。

【大峠入口】日月神示 第二十四巻【肯定派専用】 【大峠入口】日月神示 第二十四巻【肯定派専用】

15 :あらわれ:2012/03/23(金) 18:22:15.75 ID:RHIT/wPz0

>>12。き。

中華の、き

キ、と発音する外国語

キの形

大和日本の、き

言霊とコトタマの違いがありますので、ご注意ください。

神示の内容はもちろん、「大和日本の、き」を扱っています。

が、その表現は自由自在に、形式表記意味発音等外国語も中華も何でもとりいれています。

「大和日本の、き」は「☉(カミ)の七(ナ)ぞ」から出て来たかなをいいます。

「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂」があって、

「この仕組は成就する」からでてきた仮名の一つが、きです。上つ巻13。

48 :あらわれ:2012/03/24(土) 17:37:34.84 ID:24RI1EJR0

>>33。

神示は省略の多い重層ダブリ構造をややこしい平面で述べていたり、その反対だったりする。

立体を立体のように示すのは難しい。

せんべいの例をお忘れなく。元の一枚がある。半分にする。二枚になる。三のせんべいがある。

注。数字で言えば「三」のせんべいがあるので、「三枚」のせんべいがあるのではない。

一二三はうあわ=あやわ、の重層構造を平面で述べたもの。

記号を使えば、一<二三 、う<あわ、あ<やわ

ここも上巻-13と同じことを述べているが、立体を平面で省略しながら述べている。

----

元の三。

上層--ア(う)のせんべい。次層--ア(う)の右のせんべい、ア(う)の左のせんべい。

あやわ、ではアの左右にやわと言っているのだから、そのまま平面に降ろすと、やあわ、わあや。

上三角形の頂点ア(う)と底辺にある二つの頂点ヤワ(あわ)。

松葉の元ア(う)、と剖判して二つに分かれるヤワ(あわ)。

松葉一つ、辺が二つ、だから三つ、という言い方。

一に二が含まれ、三を生んだ。

成り成りの現実の動きでは、一が二であり、三であり、二が一であり、三が一であるというのは、

動きの途中で取られたスナップ写真の数を足したり引いたりしたもの。

49 :あらわれ:2012/03/24(土) 17:39:04.12 ID:24RI1EJR0

何故か。

動きを切り取り、足していくのは人間の本性であるから。その本性はでんぐり返しできるから。

100がある、二つに分ける、50と50になる、ここに100と50と50の三つになり200がある。

自分の考えがある(一)、文章にすると考えと文章になる(二)。(内容と表現でも何でもお好きな表現で)

この二は三を生じ(自分の元と内容と表現)、三は万物を生じる。

だから書けば、思えば、考えれば、それらは全部自分の物と思うようになる、

だから、わたしも、あなたも、誰もかれも、行為実践創造していく。

自分が創造し、自分が豊かに、社会が豊かになると思っている。

確かにそうだけれど、ところがそうじゃない。

自分の裏がある、豊かの裏がある、創造の裏がある、恩恵の裏がある、光の裏がある、

そして神示は神の裏があることを付け加えたのです。裏はでんぐり返しできるということを。

あるものはそうある本性から生じたのだから、否定、反対、破壊することはない、

でんぐり返しをすればわたしもあなたもみんなも、和になれる。

人は元々、仏であった、神であった、創造主であった、自分とは世界であった(お好きな表現でどうぞ)

神示はこのなんでもない秘伝が繰り返し繰り返し述べられているのです。

音読する、素直になる、マコトになる、神を拝む、肉を喰う喰わない、等々の自分がいる(一)

頭の中は剖判する。相手対象となったもの(神、肉、マコト、なんでも)が

いると同時にそれを思っている自分がいる(二)

ここに持続が生じ行為が生じ創造が生じていく(三)

確かにそうだけれど、ところがそうじゃない。この三位一体は創造したが不足している。

そこで△+▽でかごめ(ユダヤ)が生じる。帰納演繹で社会は、世界は進歩豊かになる。

確かにそうだけれど、ところがそうじゃない。かごめ(ユダヤ)は自分のこと自分だけのこと。

本来ならば、自分だけの世界にするか、自分が世界になるはず、かごめ(ユダヤ)はその為のもの。

音読もスナオも肉も神を拝むも何でも自分だけの世界になってしまう。

ここに弱肉強食、生存競争がある。自他を分離する集団ができる。

各人が、音読もスナオも肉も神を拝むといって自分だけの世界を作る。

でも違う。でんぐり返しした人がいる。でんぐり返しできる。

50 :あらわれ:2012/03/24(土) 17:43:17.44 ID:24RI1EJR0

御三体

ここで、う<あ・わ、ア<や・わ、の違い、つまり、古事記と神示の違いについて。

神示は国の常立という言霊えの選択按配実行実践神の記述だから、同じものでも実践の見地から喋っている。

古事記は原理原則の教科書だから、意思原理の発露から語り始める。

ここが混同の元、神示の親切でないところだが、それぞれのテリトリーがあるから、文句を言いたくても受け付けてくれない。

だから、古事記の言霊原理から言えば、ア<やわ、のアは、その上の階層の、う<あ・わ、のあからきている。

ヤは全部を通してということで、既にアが使用されているため、ヤYAで代用。

御三体はどの次元何処にでも有り、どこでも顔を出すベースとなっているもの、松葉のこと。一であり、三であり、八百万。

各々が実在して行くときには、前段を全部背負って行く、螺旋重層(ダブリ)構造。単独平面の原理では松葉。実際は積み重なり。

神示も困っていて、ひらがなとカタカナを併用している。○を付けたり外したり。

○が付いたり前後にあったり、平面・立体、現象・先天、前・後、下段層・上段層、分けているが通じない。

52 :あらわれ:2012/03/24(土) 17:53:57.86 ID:24RI1EJR0

ついで、「神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、の間に一つ、」

神界は七つに分かれてゐるぞ、、、階層ではなくて七つの要素。

図にすると (図の書き方を知らないけど)

http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no217/no217.htm

http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no188/no188.htm

あわ

∧∧

おえをヱ

チイキミシリヒニ

イヰ

七つは、123界の、う・あわ・をおえヱ、の七つで、

普遍的な精神の実在世界(うの欲望、あの感情、おの知識、えの選択智慧の世界。

それぞれの主客、わたしとあなた。(ウはどうなる?については下で説明)

上つ巻 第十三帖では、「元の人三人、その下に七人、」で、三の下に七があるような書きかたですが、

重層構造を平面で述べた形なので、元の三う<あ・わは原理として全ての基底にあるということが省略されている。

ヲオエヱ同様、ウアワも実在精神世界となっている場合には、う<あ・わの原理によって、

ウアワとなるのだから、神界=人間の心の世界のことは七つ。

ただしこれは現れてくる世界で、意志は意図はそのものとしては現れない。

だから神示のいうのは<現れる>神界は七つというとで、七つしかないということではない。

56 :あらわれ:2012/03/24(土) 18:04:05.47 ID:24RI1EJR0

天つ国三つ、、、天が三つに分かれているのじゃなくて、心の主体能動側の階層が三層。うおえ。

地の国三つ、、、地が三つに分かれているのじゃなくて、心の客体受動側の階層が三層。ウヲヱ。

その間に一つ、 、、チイキミシリヒニの八つの働きを一つで表現。

アイウエオと五つあるのになぜウオエの三つなのかは、天照、スサ、月読まで話が繋がり長くなるので省略。

「 天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、」

主体のわたし側うおえの三段と、客体のあなた側ウヲヱの三段、主客を介在する橋渡しが一つ

(実はチイキミシリヒニの八つ)のことで、数字合わせで表現すると331で七つというだけ。

上巻-13では「その下に七七」という表現になっている。七を七にするための一(八通り)ということ。

それが次の表現。

「 その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。」

それぞれが、 う<あ・わの原理の元にあるということ。重層ダブル循環構造。

うおえが実在し自分を立てるには、他者を通過しないと自分が立たないため。

ここがダブル構造の元。

従って、「その下に七七、四十九、合して五十九」

七を七で説明して自分の一ができるのが、七七、四十九。

これは母音世界の誕生のことを言っていて、例えば、

「わたしは書いた」は七つの単音の循環重層(ダブリ)構造によってできているようなものです。

77の49の七回繰り返して「わたしは書いた」になる。(簡略表現で)

そこで、数字部分だけ足すと59、どの単音も59によって出来ていき重なり繋がります。

58 :あらわれ:2012/03/24(土) 18:21:22.57 ID:24RI1EJR0

月光の巻 第十六帖

五十九柱と申してあるが、 その中の九柱はかくれた柱ぢゃ。○ヤイユエヨワ井ヱヲぞ。

○一二三四五六七八九ぞ。 このこの九柱は○ぞ。 現われの五十柱のかげの、かくれた九柱、

日月神示は平気な顔してわけの分からない書き方をしている。ファンになるにはスナオになれですか。

誰も神示を叱る人がいない。「おいたしちゃ駄目」ぐらい言える人がまだいない。

文では59というのが、すぐに50になっています。神示式と古事記の五十音図式が並列しています。

59=元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、

合して五十九でダブリ階層構造からの(実用方面からの)見方、

50は原理を説くときの平面図から(アイウエオ五十音図)の見方。

五十九59と言いますが、数字の数合わせみたいなものですから、神示さんの余興とも思えましたが、

神示側からすれば、どの方面から突つかれようと、でんぐり返しに耐えるだけの人材を探しているのかもしれません。

さて、隠れているのは、現象となる心の相手客体側、縁の下のまだ発現しない意思、まだ見ぬ結果です。

現れ分かるのは、主体能動側が相手客体側において自らを現したときです。輪、和が結ばれたときになります。

平面五十音図ではアからワへ十渡り終えたときに、現れが確認されます。

それまでの九は隠れています。いわば横の流れからの見方。

重層ダブリ構造では、アイウエオの心の世界、の縦の階層からの見方です。

現象が現れるまでは母音-半母音行の九つは隠れています。

ヤ行は全部を通してという意味でや行のことではありません。

いずれも50又は59を通過して(単音)現象を現します。

その通過する59の姿を○ヤイユエヨで現し、これから出てくる現象世界を○ワヰヱヲで示してます。

○に入れるじゃなくて、○から出られない(岩戸の中にいる)ほうです。

59 :あらわれ:2012/03/24(土) 18:29:06.02 ID:24RI1EJR0

ここで○ウが無いように見えますが、ウは今ここのいわば今-今の世界、欲した時が即その心の有る時の世界ですから、

「前スレ23の830を引用。

・一、産まれようとしているものが今産まれる、いわば、 今-今の関係、(後にウ)

・二、産まれようとしてあったものが今ある、といういわば、 過去-今の関係、(後にオ)

・三、それら二態が一挙に俯瞰される状態、いわば、 今-全体の関係、(後にア)

・四、そして今あるものがこれから動こうとして産まれる、いわば、

今-未来の関係、(後にエ)、の四態があります。

・五、そして上記の四つをそれぞれ足らしめる基底音となる持続する

創造能動意志が今の全てを貫いています。今の持続。(後にイ)

これが、今=いま=五間です。

○チョンのチョンを一点と思っているでしょうけれど、その実体は五点あって、そのうちの一つという意味です。」

のウの世界ですので、主体側が立った時点で既にウも立つ関係なので記載されません。

しかし、ウの世界が立つ内在関係がありますから、○ユの方は記載されています。

この重層ダブリ59の世界での表記は現象結果世界の実体側が九隠されていて、

50に隠れた方は1~9・0の0を開けない、1~9が隠されているということになります。

61 :あらわれ:2012/03/24(土) 18:34:55.44 ID:24RI1EJR0

いずれも現象する以前、現象の仕方の姿です。

この九柱は○ぞ。というのはまだ・が入っていないということではありません。

九つの○は活動動いているのに結果の輪和現象にならないということです。

九つの○もそれぞれ自分を現して行く時には59を通過していき、○となった時自分を現します。

数字○は父韻方面からの見方。

仮名○は立体が一段上がる直前の姿。立体弥栄の道。

数字を実在の実際の何個何個としても無駄です。

数(すう)ではなく、数(かず)の表現です。

80 :あらわれ:2012/03/25(日) 18:47:19.98 ID:9RbhUDMr0

>>。一四三○ (ビョーサマ)一四三○ (ビョーサマ)、改心 早う結構ぞ。道知るのみでは何にもならん。

道味はへよ、歩めよ、大神の道には正邪ないぞ。善悪ないぞ。黄金-30

一四三○ (ビョーサマ)一四三○ (ビョーサマ)、

意志様(一)秒様、意志様(一)秒様。

全体は物の見方考え方生き方、瞬間の生き方、今-今の取り方生き方を説いているようです。

普通に通用している無いものなのに在るとする、物の見方の地獄を「道知る」とし、一方、

今の瞬間に立って見て考えて生きるを「道味わう」としている。

生きるとは、意志の一秒一秒の瞬間が現前すること、

その瞬間様様一秒様様(解脱)を得るように改心しなさいじゃないのかな。

今瞬間の心の動きと様相は>>59に。

参照。

天理教の「びょさま」からという意見あり。「聡(さと)、聡(さと)、貴い、貴い、びょさまびょさま」