03- 天地の初発の時

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「古事記と言霊」講座 その三- <第百六十二号>平成十三年十二月号

古事記の神話と言霊との関係をお話する講座の一と二で前置となるお話を終えましたので、今回のお話から「古事記と言霊」の本筋に入ることといたします。先ず古事記神話の第一章「天地のはじめ」の全文を掲げます。御手許の古事記を御覧下さい。

天地の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、天の御中主(みなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。

次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、国の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢに)の神。次に妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に角杙(つのぐひ)の神。次に妹活杙(いくぐひ)の神。次に意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に於母陀流(おもだる)の神。次に妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。

次に伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に妹伊耶那美(み)の神。

古事記の第一章ともいうべき「天地のはじめ」の章は以上であります。この章の文章を書くに当って、古事記の紹介の書によってそれぞれ文章を何処で区切るか、が違っています。この講座では古事記の他の本の節の区切りの箇所に捉われず、五つの節に分けました。どうしてそのように区切ったかは、お話が進むにつれてお分かり頂ける事と思います。

さてこれより古事記神話の初めから、文章の一つ一つの意味、内容について説明をさせて頂く事となるのですが、前三回の講座によって大方の事は余す事なく説明し尽くされております。その点については当会発行の新刊「古事記と言霊」をお読み下されば御理解頂ける事と思いますが、古事記(日本書紀)の神話がこの世の中で唯一つの言霊学の教科書でありますので、他に参考となる本がありません。その為、御理解出来難いと思われる所を繰返し重点的にお話して参りたいと思います。それを一つ一つ取上げながら説明して参ります。

<天地の初発の時>

普通「天地(あめつち)」と言えば、常識的に誰もが「天と地」または宇宙天体とか、太陽系宇宙とかを指すものと思います。古事記の神話の冒頭の文章である「天地」も当然そのようなものの事と思うことでしょう。現在の古事記研究の国文学者もその様に解釈して少しも疑いません。その証拠は古事記の本の頁毎に見える字句の訳注に明らかに読みとれます。古事記の編纂者である太安万侶も神話を書き始めて、その初めに「天地の初発の時」と書いた時の第一の願望は「天地」をその様にとって貰う事であったであろうと推察されます。「そんな当り前の事を何故言うんだ」と思われる方が多い事でしょう。けれどそれから後に奇想天外な、誰もが夢にも思わない事が秘められているのです。それは何か。古事記編纂後千年乃至二千年(兎も角、一千年単位で数える長い年月)の将来、神倭朝十代崇神天皇によって世の表面から隠されてしまった言霊布斗麻邇の原理の存在に日本人が気付く時、古事記の神話の初めの言葉「天地の初発の時」が、その常識と誰でも考える「天と地」または「この太陽系宇宙」、即ち今日の天文学や宇宙物理学等で謂う外界の宇宙空間の事ではなく、それら外界の宇宙空間を見ている私達人間の内なる心の広がり(宇宙)の事なのだ、という事に気付いて欲しいという奥なる願望が秘められているのです。

古事記神話の冒頭の言葉「天地の初発の時」の天地とは、今お話ししました如く、宇宙物理学や天文学が研究の対象として取扱う人間が外に見る宇宙空間のことではなく、その宇宙や世の中の何かを見たり聞いたりする人自身の内なる心の広がり、即ち精神宇宙のことを言っているのであります。古事記が編纂されてから現在まで約千三百年という長い年月、言われてみれば「なーんだ」と思う程簡単な事に人々は気付かなかったのです。そして今から約百年前、明治天皇御夫妻によって古事記神話が日本伝統の言霊布斗麻邇の教科書、それもとんでもない謎々を以って書かれた教科書なのだ、と気付かれるまで誰もが夢にも思う事がなかったのです。講座の前置の所でお話しましたように、当時の天皇の命によって太安万侶の編纂した「神様のおとぎ話」としか思えない書物が、実は将来を千年単位で見つめる、謎の中に真実を埋め込んだ言霊学の教科書であった、という事実が、如何に日本人の祖先の民族と人類の将来を見つめる眼が悠大で正確なものであったか、を知らせてくれるのであります。

明治時代に発布され、先の大戦終了まで日本国の教育の根本として崇敬されて来た「教育勅語」なるものがあります。大戦後は主権在民の立場から「命令された道徳など……」と日本人全体から見向きもされずに今日に到りました。かくいう私も略々同様の気持で昔を偲ぶよすがとしてしか思い出す事がありませんでした。しかし、言霊学の素晴らしい真理に出会い、その学問の教科書が、千三百年前という大昔に、天皇の勅命によって太安万侶が撰上した古事記の神話唯一つなのだという事を聞いた時、私は直ぐに教育勅語の冒頭の文章を思い出したものであります。

言霊原理隠没の二千年の暗黒時代に、最初にその原理の存在を知り、復活の仕事を始められたのは明治天皇とその奥様、昭憲皇太后であります。この事について先師、小笠原氏が遺した記事がありますので紹介しましょう。先師の主催する「第三文明会」の第百回を記念して、言霊布斗麻邇復活に関係・尽力した物故者の慰霊祭が東京銀座のレストラン八眞茂登で行われました。昭和四十八年四月二十八日の事であります。その慰霊祭で述べられた文章の一部であります。――

「朕惟(おも)うに我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること高遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。……」

千年を越える昔、古事記編纂に関係した人々は、日本の子々孫々の行末を思い、更に人類の将来を展望し、遠大な計画の下に古事記の神話を後世に遺しました。その壮大なる文明創造の宏謀、将来の民族・人類に対する慈愛が身に沁みて感じられたものであります。

「天地」が人の心の内なる広大な宇宙、そこに人間の数限りない大小の出来事が去来する心の広がりであることに気付きました。ではその「初発の時」とはどんな時なのでしょうか。外界に見える宇宙の広がりの「初め」といえば、何百億年か、もっと前の宇宙の巨大なエネルギー変動によって種々の天体が形成され始めた時という事になりましょう。けれど人の心の宇宙の初発とはそんな昔の事を言っているのではないでしょう。人間の内面に何かの現象が始まろうとする時、という事です。それは主体的な心に何かが始まろうとする時、そうです。それは「今」です。時を客観的に見て、新しい二十一世紀が始まった時は、と言えば、それは西暦二〇〇一年一月一日午前零時です。しかし心の出来事を内に見て、その心の「初まり」と言えば、それは常に「今」であります。厳密に言えば、人は常に今、今、今に生きています。今・此処が常に「天地」の初めであり、場所です。この今を永遠の今と言います。そしてその場所が宇宙の中心です(この事は後程詳しくお話ししたいと思います)。今・此処を古神道は中今と呼びます(続日本紀)。

(以下次号)