タチツテト◎ いま(イの間)論の準備

タ◎ いま(イの間)論の準備

今現在しかないというけれど

今現在の何があるのですか。

禅坊主の言葉。

1-「いまここ」は理解するというより、

「いまここ」に気づき自覚し、その場で行うべき事を心をこめて行うことで、

「いまここ」はより深く生き楽しみ味わうものです。

一杯のお茶をその香りや色や味わいを感じながら、

「ああ、おいしい!」と飲むようなものです。

2-大切なことは、

いまここを充実して生きるため、

「よし過去をふりかってみよう」とか、

「未来についてビジョンを描こう」とか思うことです。

つまり、平常の生きている心のベースを「いまここ」に現在させながら、

過去も未来も自由に思うということです。

「ああ、おいしい」と、味わい自由に思うことですか。

苦行精進した釈迦の姿と重なりますか。

個人行の目指すところですね。

イマの「イ」はイキルの「イ」と同じです。

イキルの「イ」がイマにイキルとその人がイルことになります。

連なったイマの「間」を「切る・キル」と、その人がイル姿が流れ(る)でてきます。

味わい自由に思うというのは、そのような基本要求を示すもので結構なものですが、イマを示すものではありません。

そのような現象から出発しますと、わたしがここにイルのはあなたのイマココの邪魔になるということが起きます。

古事記のイルはその両者を止揚するでしょう。(やってみたいがそう簡単ではない。)

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チ◎ いま(イの間)論の準備

イマ論をトキ(時)論としないのか、時間論では駄目なのか。

めっそうもない。時間論結構、時(とき)論結構。

でも、時は「ジ」ではなく、「トキ」と読む。

五十音図の横段を数えると、ア段十個。イ段十個、、、。十はト。

(五十音図は現代の五十未満の五十音図ではなく、言霊五十音図のこと)

では、「キ」は何だ。どうして、ト+キ=トキなのだ。十(ト)+キがとき(時)なのだ。

わたしだってそれが分かれば、いま(イの間)論なんて書かない。

知っていて書いて読んでもらうより、

探求冒険しながら書くのもおもしろい。

書き上がり読んでもらって「そんなものか、そんなこともあるのか、知識が増えた」といわれるよりも、

自己中心のがりがり妄想自画自賛でしかないと、投げ返される方がおもしろい。

唯我独尊が、ポッと理解できたりしたらめっけ物。

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ツ◎ いま(イの間)論の準備

自分が生まれる。

自分の時はいつ始まった。自分の今はいつから今となった。

今現在しかない、といわれる。

赤ん坊時代の自分の今現在は、どこへいった。

少年時代の自分の今現在は、どこへいった。

昨日の自分のいま現在は、どこへいった。

こんなことを書いている自分の今現在は、書いている内に過去になったと言いたいわけですか。

それにしても、凄い変化じゃないですか。

パパママバイバイも知らなかったのに、今だとか、現在だとか、論だとか言い出す。

ママのオッパイ飲むしか知らない今現在が、こんな大人になってしまった。

今現在しかない、というだけで満足ですか。

こういうのが見つかりました。

引用開始。

大乗仏典7(中央公論社)より「金師子章」(法蔵論述)

(p.372) 九、十世隔法異成門。

「師子は是れ有為之法にして、念念に生滅して、刹那之間、分ちて三際となす。

謂わく、過去、現在、未来なり。此の三際に各の過、現、未あり。

総じて三、三の位ありて、以って九世を立てて、即ち束ねて一段の法門と為す。」

「則ち九世、各各に隔てありと雖も相い由りて成立し、融通無礙にして、

同じて一念と為す。十世隔法異成門と名づく。」

引用ここまで。

訳してみる。

瞬間刹那は三つに区切ることができる。

それを過去、現在、未来と名付ける。

注意しなさい、このそれぞれに、過、現、未があります。

総じて三、三の位ありて、つまり瞬間刹那を三分してできたその過去に過、現、未があり、現在に過、現、未があり、未来に過、現、未があるので、

この瞬間刹那には三×三で九世が備わっているのです。

この九世が一つの柱となって始めの一歩となります。

二番目の文章は一番目の理解によるので、わたし訳の延長でやりたければ挑戦してみてください。九世が十世になるところが味噌です。

ここでいう十世というのは、音図の横十個のことですが、三と三と九で一念足して十としています。

仏教で刹那を九で説明しているのを始めてみましたが、刹那の過、現、未にまた刹那の過、現、未を用いて接続しています。

刹那という時を過、現、未にするのはどこでも同じですが、言霊原理論だけは、世界で唯一(?)そうじゃないといいます。とはいっても今言ったことは正確ではありません。世界にはいろいろな時間論があるし、これからも出てきます。

しかし、思惟規範の運用上の視点で見れば、正しい思惟規範の運用は古事記を真似る以外にはありません。その意味で唯一です。

(そんなことを言っても実際にはできもしないのによくいうよ、いい加減にして黙れなんていう声もありそう。)

幾つの主張があるのかといえば十です。しかし、お経が言うように三×三+一で十ではありませんが、主張となる現象結果は十ですから十の主張のあれこれプラスマイナスされたものになります。

また、調べると、「刹那生滅の道理」というのも出てきた。

ネットをいじっているとキリがない。

上の経文がいうように、いくら刹那の過現未を過現未で繋げても生成消滅は起きません。そこは悟れというのが仏教ですから、仏教の方向から行きたければ悟らなくてはなりません。

言霊学の方向から行くにはまた別の方向があります。

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テ◎ いま(イの間)論の準備

イマ ココ の言霊原理図 この図全体が今(イマ・イの間)です。

◎ 天津管麻の御柱 ◎

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宇比地邇(言霊チ)の神 ∧ |

| 高御産巣日の神ア |

| ∨ 妹須比智邇(言霊イ)の神

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角杙(言霊キ)の神 ∧ | |

| | 天の常立の神 オ | |

| | ∨ 妹活杙(言霊ミ)の神

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意富斗能地(言霊シ)の神 ∧ | | |

| | | 天の御中主の神 ウ | | |

| | | ∨ 妹大斗乃弁(言霊リ)の神

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於母陀流(言霊ヒ)の神 ∧ | | | |

| | | | 国の常立の神 エ | | | |

| | | | ∨ | | | |

| | | | 妹阿夜訶志古泥(言霊ニ)の神

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⇒ 人の創造意志のいのちの弾み、いのちのうねり。 ⇒

いとなみ いきさま

伊耶那岐神 イ

⇒ ⇒ (過去-今) ⇒ ⇒ (今 ◎ 今) ⇒ ⇒ (今-未来) ⇒ ⇒

伊耶那美神 ヰ

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⇒ いのちのうなり、ひびく基底音。 時間の流れ ⇒

ありさま 実在

豊雲野の神 ヱ

天の御中主の神 ウ 妹阿夜訶志古泥(言霊ニ)の神

妹大斗乃弁(言霊リ)の神

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ 妹活杙(言霊ミ)の神

妹須比智邇(言霊イ)の神

神産巣日の神 ワ

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この図全体が イマ(今)

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ト◎ いま(イの間)論の準備

地球自転の音がする

創造意志のいのちの弾み、いのちのうねり

いのちの、うなり

ひびく基底音

時間の流れ

シイィーィーィーーーーー、、、、(ィ)ーーーーーーーーー

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