01 (チ)・チイキミシリヒニ。たかまはらの使用法。

(チ)・チイキミシリヒニ。たかまはらの使用法。

(イ--意思の発動)

チ--ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと) 宇比地邇(うひぢに)の神。

イ--以ちて、(や行のイ)

キ--伊耶那岐の命

ミ--伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

シ--「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め

リ--成せ」と、

ヒ--天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、

ニ--言依さしたまひき。

(ヰ--意思の帰還)

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チ--ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと) 宇比地邇(うひぢに)の神。

「 ここに先天構造を構成するすべての神々が出揃ったので、 」

ここに天津神諸の命以ちて、

これを文章通りに解釈しますと「先天十七神の命令によって、……」となります。これでは古事記神話が言霊学の教科書である、という意味は出て来ません。ではどうすればよいか。「神様が命令する」のではなく、「神様自身が活動する」と変えてみると言霊学の文章が成立します。「さてここで先天で十七神が活動を開始しまして……」となります。(いとなみ、働き側)

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宇比地邇(うひぢに)の神。 (ウの性質)全体性 いとなみ、働き。今-今。

精神宇宙全体がそのまま現象発現に向って動き出す端緒の力動韻

「言霊チを示す神名、宇比地邇の神は「宇は地に比べて邇(ちか)し」と読めます。宇とは宇宙、いえ等の意味があります。人間の心の家は宇宙です。言霊アの自覚によって見る時、人の心の本体は宇宙であると明らかに分ります。するとこの神名は人の心の本体である宇宙は地と比べて近い、と読めます。即ち心の本体である宇宙と地と同じ、の意となります。宇宙は先天の構造、地とは現象として現われた姿と受取ることが出来ます。そこで宇比地邇の神とは心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。」

宇は地と比べて近い。天は地と比べて近い。吾の眼の全体感はそのまま相手対象に向ういとなみ・働きをする。

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自我を立てる。自我の成立=名前を付けること。

チ--ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)。

≪言霊チがまず始めに来ます。

宇比地邇(うひぢに)と呼ばれ、宇(宙)が地(私を指す)に比べて近い、ということですから、私が何の何と意識するまでもなく、宇宙世界は私のものだということです。

そして「チ」はいとなみと働きを司る主体側にあり、チイキミシリヒニの全体が意思のイ段のイで始まっていますから、意思の精神宇宙世界がそのまま私のものとして私の精神意識内に出てくるとなります。≫

イの意思はいつどこでどのようにでてくるのか、計画もできず予測も来ませんし、始めに出てくるものを大きくしたり小さくしたもできず、向こう側に言われるままのそこでのあらわれが自分の姿となります。

天津というのは先天の宇宙世界のことで、その働きが私に向かって始まったということになります。向こう側から言ってくるのを受けることから始まりますから、どの先天宇宙のどこのどれがどうなるかは、私たちの知ったことではありません。

もしここの記述を受け入れますと、物凄いことが起こります。

自我とか、わたしとか、自分とか言っていますが、そんなものは無いのです。なにしろ天津神によって私たちは立てられるのですから。

一旦自我が立てられればその後になら、自分の考えだとか、自分の思ったことだとか自分の意思だとか、自分を主語にして御託を並べることができますが、それらの元々の成り立ちには自分は係わっていません。私たちの主張などというものはこのように元を正せば他(人)任せだったのです。

自我を立てるのにまず出てくるのが天津神です。

ところが、自我は相手対象がなければ立てられませんが、当初に自我の無い我々に天津神はどのように向かうのでしょうか。我々には自我がないのですから、受け入れることもできないのです。受け入れる器が無いのに宇宙世界のどれでもなんでもがホイホイと入ってしまうのです。この矛盾を創造しつつ解決しつつ自我を形成しつつするのが人の成すわざです。

自我の相手とは、過去今未来の全宇宙で、五感感覚の相手、知識概念の相手、感情感動の相手、選択按配の相手、要するに意思による創造の働きと実体の全歴史宇宙ですから、その全歴史宇宙世界が天津神としてわれわれに働きかけます。

全宇宙のどの時点においても自我は飛んで行けるしそこで成り立ち、対応し、そこに自分の対応する相手を見つけ自分の働きを見つけます。見つけ思いつく全範囲がその人の自我のあらわれとなり、全人類の到達できる範囲が同時に各個人の自我の範囲内にあります。

竹内文献でいう「天之浮船」の精神的な意味はこのことを指しており、また実際、世界巡業に出かけて世界を指導していますから、その形跡が多く民話神話宗教の中に、古代大和ととのフトマニ言霊学の共通性として残っています。(古代に「天之浮船」を飛行機のように乗り回したというのは漫画の世界で、「ヒヒロイカネ」も霊の仮名の音、言葉のことです。)