[運用 50] 建速須佐の男の命

建速須佐の男の命

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

ここに古事記の文章では初めての選り分けの言葉、左の御目、右の御目、御鼻という言葉が出て来ました。どういう事か、と申しますと、阿波岐原の川の流れを上中下の三つに分けました。上はア段、下はイ段、そして中はオウエの三段としました。その中つ瀬のオウエを各々選り分ける為に底中上の三つの言葉を使いました。次にその底中上について重ねて現象を述べるに当り、底中上の区別を二回続けるのは芸がない、と思った為でありましょうか。太安万侶は全く別の表現を使ったと考えられます。それが顔の中の左の目、右の目、鼻の区別なのであります。顔とは伊耶那岐の命の音図、即ち天津菅麻(すがそ)音図の事です。菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。この母音の列を倒して上にしますと、左より右にアオウエイと並び、その中の中央の三母音を顔に見立てますと、言霊エは左の目、言霊オは右の目、鼻は言霊ウとなります(図参照)。

次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

顔の真中の鼻に当るのは言霊ウの性能、五官感覚に基づく欲望です。その働きの社会に於ける活動は産業・経済です。禊祓によって人間の欲望性能に基づく世界各地の産業・経済活動を統轄して世界人類の物質的福祉に寄与させる働きの最高の精神規範の自覚の完成が確認されました。建速須佐の男の命の誕生です。その原理を言霊麻邇を以て表わしますと、中筒の男の命で明らかにされました如く、ウ・ツクムフルヌユス・ウとなります。

両児島(ふたご)またの名は天之両屋(あめのふたや)

以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。

伊耶那岐の大神の顔に譬えられた左の御目、右の御目、御鼻から生まれました天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。言霊百神、布斗麻邇の学問の総結論であります。幾度か繰返す事ですが、古事記神話の始め天の御中主の神(言霊ウ)より火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までの五十神が心の構成要素である五十個の言霊、次に五十一番目の神、金山毘古の神より百番目の建速須佐の男の命までの五十神が言霊の操作法を示す神名であります。前の言霊五十神が鏡餅の上段、後の五十神が鏡餅の下段に当り、二段の鏡餅で言霊百神、即ち百(も)の道(ち)の原理となります。現在の伊勢神宮は五十の言霊を祭る宮であり、その古名は柝釧(裂口代[さくしろ])五十鈴(いすず)宮であります。また言霊の操作法五十神を祭る宮は石上神宮であり、太古より神宮に伝わる「布留の言本(ふるのこともと)」日文四十七文字は、言霊四十七を重複することなく並べて、五十音の操作法を教えております。

以上をもちまして古事記神話冒頭の天之御中主の神より建速須佐の男の命までの言霊百神の学の講義は終了いたしました。後少々、言霊原理の後日譚といたしまして一、二回のお話を残すだけとなりました。ここで念の為、過去二十一回の講座を振り返り、復習をする事にいたします。先ず簡単に今まで続いて来た話の題(章)を書き連ねます。

一、天地初発の時(先天十七言霊)

二、淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島)

三、島々の生成(宇宙区分、十四島)

四、神々の生成(三十二子音と神代文字言霊ン)

五、五十音の整理と活用(和久産巣日の神、建御雷の男の神)

六、神代文字の原理(八山津見の神)

七、黄泉国(よもつくに)

八、言戸度(わた)し(伊耶那岐・美二神の離婚)

九、禊祓(伊耶那岐の大神、御身[おほみま])

十、三貴子(天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命)

言霊布斗麻邇の学問の教科書である古事記神話の内容を箇条書にすると右の十の章に分けられます。第一章の「天地の初発の時」は言霊学の発端であり、最後の章「三貴子」は結論となります。アルファからオメガまでの間に八つの章で示される経緯があります。全編の十章は一大スペクタクルのドラマの如く、「人間の精神」という主題を一から十まで一分の隙もなく画きながら、生命の流れを流れ下るように解明して行く大小説を読む感があります。読者におかれましては、神話を始めから結末まで順序よく何回でも読み返して下さり、その話の筋道をスラスラと御自身の心の中に実現する如く作り上げて行って頂き度いものであります。その結果、人間の心の構造とその働きが自分自身の心を振り返るよすがとなる鏡の如く、そのイメージがはっきり結ばれて来るに違いありません。その鏡こそ昔から伊勢神宮の御神体と称せられているものの実体なのです。その鏡が完成したら、喜び勇んで鏡を鏡としてご自分の心の宇宙の楽しい旅に御出発下さい。その旅は必ず第三生命文明時代という人類の楽園に導いてくれる事でありましょう。

次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

伊耶那岐の命は建速須佐の男の命に「お前は海原を治めなさい」と命令し、委任したのでした、の意。海原とはウの名の原の意で言霊ウの領域の事です。言霊ウの心の宇宙から発現する人間性能は五官感覚に基づく欲望です。その性能が社会活動となって産業・経済社会を現出させます。現代科学文明はこれによって創造されたのであります。

以上、伊耶那岐の命は三貴子にそれぞれの統治の分野を決定したのでした。天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、建速須佐の男の命には海原を統治する事を命令し、それを委任したのであります。世界人類の文明を創造して行く為の人間の基本性能である言霊エオウの三次元宇宙のそれぞれの主宰神として天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命を任命したのであります。これを人類文明創造上の精神の三権分立と呼んでいます。

この三権分立が実際に歴史を創造するに当り人間精神の五段の次元をどの様に分担したかを考えてみましょう。天照らす大御神が治める高天原とは、言霊原理に基づいて人類の歴史を創造する実践智の領域です。即ち言霊イ(言霊原理)と言霊エ(実践智)を活動領域とします。その統治の責任者は、神代といわれる第一精神文明時代には霊の本(日本)の国の天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)であり、言霊原理隠没の第二物質科学文明時代には、言霊原理によって作られた日本語を話す日本人の心の奥の潜在意識として、またその原理の象徴物である三種の神器として日本天皇家の秘宝となって皇居賢所に保管され、来るべき文明転換の時を待っています。

月読の命は、その自らの分野である言霊オに言霊アの分野を結び付け、言霊原理を除いた主観世界の観察に採用し、世界の哲学、宗教、芸術の諸文化を創造して行きました。世界各民族に伝わる神話もその所産であります。そしてその活動地域は主として東洋でありました。

建速須佐の男の命は、その自らの分野、言霊ウに言霊オを取り入れ、それを客観世界研究に採用し、自然科学を振興させ、産業・経済社会を建設して行きました。その活動舞台は最近までは主として西洋地域でありました。

言霊原理を与えられず、海原である言霊ウの名の原、即ち人間の欲望性能の主宰となった建速須佐の男の命には言霊原理の代りに数が与えられました。言霊ウの性能に言霊オの経験知を結び付け、その働きを客観方向に向け、観察の結果の表現法として数の概念を取り入れたのであります。それによって現象の表現と諸現象の間の関係の表現を数によって示す事によって表現の曖昧さを無くし、人間の信頼に耐え得る学問・文化を築いて行きました。その結果は、人類の第一精神文明の基礎である高天原の言霊原理と、その精確さに於て引を取らぬ物質科学文明を築き上げて行く事になります。

建速須佐の男の命という名は、竹がすさまじく速く延びて行く、と読める如く、人間の欲望性能の行き着くままに、すさまじい勢いで生存競争の世の中にあって物質科学を発展させて行く事を示しております。と同時に、その反面、須佐の男の名は、須(す)即ち人類の主(す)である天照らす大御神を佐(助)けるとも読めます。人類の第二物質科学文明完成の暁、精神文明の天照らす大御神と物質文明の須佐の男の命は共に相携えて、車の両輪の如く第三の人類文明時代の建設の責任者ともなる事を示してもいるのであります。

蟹はその甲羅に似せて穴を掘る、と謂われます。同様に人類もまたその甲羅に似せて穴を掘ります。人の甲羅とは人間の心の全構造とその働きの事であり、穴とは人類文明創造の歴史の事であります。日本人の大先祖である皇祖皇宗は長い年月をかけて五十音言霊布斗麻邇の原理を発見し、その原理に基づいて人類の文明創造の法則を禊祓の行法によって古事記神話が教える如く、高天原の天照らす大御神(エ)、月読の命(オ)、建速須佐の男の命(ウ)の三貴子という総結論を手中にしました。この結論を得た後に、天照らす大御神にのみ言霊原理を与えるという大英断を下しました。その三貴子のエ・オ・ウの三権分立・協同の縄(名和)を巧妙に糾(あざな)う事によって、この地球上に、人類の永遠の福祉社会を築く為の経綸を定め、実践することとなります。

故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。

以上が速須佐之男命の反逆の文章であります。「古事記」の角川文庫本には、先に建速須佐の男の命と書き、此処では速須佐之男命と文字に違いがありますが、そのままに書く事といたします。「反逆」と書きましたのはどういう事なのか、先ずその事から説明して参ります。

故(かれ)、 各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、

故(かれ)、即ち「故(ゆえ)に」とありますのは、伊耶那岐命が三貴子である天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、そして建速須佐の男の命には海原を、それぞれ治めなさい、と命令し、委任した事を受けての言葉であります。三柱の神に伊耶那岐の命が命令して以来、三貴子のそれぞれは長い間自らに委任された精神上の国々を命令に従って、力を合わせ、三権分立し、同時に三位一体となって精神界の統治の事業を実行して行ったのであります。この期間は、実際の人類の歴史上では、今から八千年乃至一万年前から、三千年乃至五千年程前までの間と推定されます。

そしてその期間に於ては、天照らす大御神は言霊原理によって高天原日本と全世界の文明創造の任に当り、月読の命は言霊原理を除いた精神界に於て、比喩・表徴・神話等の方法で言霊原理を一般に説明する仕事を分担し、速須佐之男命は姉神天照らす大御神の言霊原理運用の法をそのまま物質世界の産業・経済社会に適用することによって、物質の生産・流通の促進・調整の任に当っていたのであります。

速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、

三貴子の三権分立、三位一体の時代、人類の第一精神文明時代は長い間続きました。しかし或る時、物質の生産・流通の調整の任に当っていた速須佐之男の命の胸中に変化が起こって来ました。今から約四・五千年前の事と推定されます。速須佐之男の命は思いました。「姉神、天照らす大御神の精神の原理、五十音言霊布斗麻邇の学は確かに非の打ち処がなく、完璧なものである。けれど心とは違い、物質世界に於ては、精神界の原理とは違った法則があるように思えて仕方がない。私は何としてでもこの物質界の法則を検討し、極めてみたくなった。」一旦こう思ってしまった速須佐之男の命には、姉神の言霊原理を真似る事によって海原である物質を運営する仕事に対する情熱がすっかり冷めてしまったのです。速須佐之男の命は父神伊耶那岐の命から命令・委任された物質の生産・流通の仕事をやらなくなってしまいました。

八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。

須(ひげ)は鬚(ひげ)です。また霊気(ひげ)の謎でもあります。霊(ひ)は言霊、気(け)はその言霊を生む原動力である父韻を意味します。八拳須とありますから八つの父韻の並びという事になります。心前(むなさき)に至るまで、とは自分の心に満足が行くまで、との意。啼きいちさき、とは、八父韻は古事記の前の所に出て来ました「泣き騒ぐ」神(泣沢女神)であります。速須佐之男の命は高天原の「タカマハラナヤサ」の八父韻の配列ではない、物質探究に適した方法の配列は見つからぬものか、と躍起となって声を出して探し求めたのであります。

その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。

高天原精神界は一切のものをその有りの侭に認め、それ等のものを全体の調和に導いて行く文明創造の原理です。それに反して速須佐之男の命が目指す物の探究は、一切のものを破壊し、その要素に分解して性質を探ろうとする高天原とは全く正反対の行為であり、その有り様は物凄いものがあったのです。そのため何時も平穏な高天原精神界が青々と草木が茂る山々がみんな枯山になってしまうような、また海や川がすべて涸れて、乾し上がってしまうような騒然たる状態になってしまったのであります。

先に千引の石を中に置いて、伊耶那岐の命と伊耶那美の命が言戸(ことど)を度(わた)す時に、美の命が「汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」と言ったのに対し、岐の命は「吾は一日に千五百の産屋を立てむ」と答えた、とありました。これは必ずしも人を千人殺し、千五百人生むという事ではなく、高天原の言霊原理に則って造られた物事の実相を表わす言葉を破壊したり、新しく造る事だ、とお話をいたしました。今此処での話も、速須佐之男の命の行為は、高天原に於て言霊を結び合わせる事によって物事の実相そのままの大和言葉の名をつけられた物事を、物質研究のために破壊分析し、分析された物事に対し、言霊原理に則る事のない、人各自の経験知によって名を附す事となります。理路整然とした実相音で成立している高天原の世界に、各自の経験によって造られた名が附されるという事は、それだけで高天原精神界にとっては、重大な冒涜行為であったのであります。