006 直訳と意訳 十七の言霊原理神
006 古事記の冒頭原文の直訳と意訳。
【 古事記 】
・古事記の神代の巻は神々の名を借りた私たち各人の心が働いて、心の事象を創造する私たち自身の心の物語です。
こころが子という意識現象を創造していく事を記したものです。多くの神々がいるのではなく、こころの働くそれぞれの場面の様相を神と名付けもので、こころは一つしかないように神も一つしかなく、その心の始めを【天の御中主の神】と名付けました。この一つのこころ(神)が各場面各次元において剖判していき、一巡して最初の神の位置に来たときがまた「(新)天の御中主の神」となる循環を記しています。
そこで、古事記の神代の巻とはその最初の一巡目を百神の名を借りて原理として著したものです。
【 天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、
天地は「あめつち」と読む。
漢語読みした場合には一切がオジャンになる。くれぐれもてんちなどと読まないでください。
直訳・・『ア(吾)のメ(眼・意識)を付(ツ)けて智恵(チ)と成す始めの時』
意訳・・「私の意識(アメ)を相手対象に向けて(ツ)それらの事柄の理解を得ようとする(チ)今ここの初めの時」
あるいは
「はたらきの(ア)実在(メ)はあるが自身の実体をつかもうとして(ツ)、相手対象となる実在世界(チ)に付き向かおうとする初めの頭脳内の先天意識の構造が働き始める時、」
注。 吾の眼は、この初めの段階では、
一) はたらきと実体として剖判しておらず、
二) そのはたらき自体に能動と受動を含んでいて、
三) 主体主観と客体客観が統合されている。
また、今という時間の流れで言えば、吾の眼の初めの段階では、
一、今ここの全体と、
二、過去から今へと、
三、今から未来へと、
四、今ここの終端と中心に成る
これら全体が今の瞬間の一点に包含されていて、
五、これらはいざないいざなわれる起動韻に統括されている。
当初の「ア(吾)のメ(意識)を付(ツ)けて智恵(チ)と成す、あめつち」は、根源韻にいざなわれて、私の意識の全体が現われると同時に、意識されたものの全体となっている。
初発は、はじめと読み、端始芽(はしめ)のことで、
初発をしょはつと読む場合は始まってしまった初めの現象を意味するが
ここでは
端っこの始めの芽生えの現象を生む以前(先天)のことを言う。
【 高天(たか・あま)の原(はら)に
・ここの天はアマと読むように指定されている。
直訳・・ 『(高)タとカの(天)吾・アの間・マの心の世界に』 (タとカのアの間のこころの世界に)
意訳・・「私の意識はタの意識的か、カの無意識的かをもって始まり、その意識の間(アマ)を埋めて自我を形成していく心の全体世界に」
・こころの世界には、タで始まるアの間と、カで始まるアの間がある。後に神代の巻の結論である天照・あまてらすは、アの間を照らすに成る。
・神代の巻はここをア・マと読まないと謎が解けないようになっています
原はこころの原、こころの世界、こころの拡がり、こころが運用される場所。
【 成りませる神の名(みな)は、
直訳・・『成立し始めようとする瞬間の最初のなりさまは』
意訳・・「表現以前の何かがあらわれ成立し始めようとする瞬間の様相は」
・特に言霊学で解していく場合には、成るは鳴るで、こころの成る世界である言葉が鳴るになる。
・結果として手にする現象、成ってしまった神(こころ)から始めるのではなく、成りませるこころ(神)の過程を追う。
【 天の御中主(みなかぬし)の神。
直訳・・『こころの世界宇宙(天)の実(御)の中心にあって全ての意識活動の主人公として全てに結びつくがまだ剖判していないこころの実体。それは、』
意訳・・「こころの宇宙に何かの始めの動きがあり、それは言葉(御名・みな)で明瞭(か)に表明されることになる心のはたらき(いきさま)と実体(ありさま)の統一されている中心柱としての主人公で、結び付く以前の兆しをあらわすこころの世界を言霊ウという。典型的なこころの現われは五感感覚による欲望。その発展した姿は産業経済界。」
・成ってしまった神ではなく、何かによって成り出てくる最初の神(こころ)のことで、何かによってとは、あめつち、吾の眼が付くときのこと。
・意識の主人公であり同時に意識され得るものの主人公。
【 次に、
直訳・・『前承する螺旋上昇循環状に』
意訳・・「前段を受けて上下左右に雪ダルマのように拡大する意識の瞬間に、」
あるいは
「前段は後段の意味内容となって霊と体をあらわし後者によって名を与えら了解される連続体に、」
【 高御産巣日(たかみむすび)の神。次に
・ 高御 はたかみ・高見で鳥瞰図的に一挙に相手側の全体を把握する第一印象や感情に相当する。
・タにおいて加味されたものを噛み結ぶ。
直訳・・『高見から全体を見渡す意識の内実に自覚的に結びつく主体的能動的な働きを持つ実体、言霊アと、』
意訳・・「こころの実在全体のはたらきである、過去から今へと今から未来へのはたらきの噛み結び合わされた主体側。
この主体側として客体へ結び付こうとするこころの世界を言霊アという。 典型的なこころの現われは感情情緒。その発展した姿は芸術宗教の世界。」
【神産巣日(かみむすび)の神。
・加味され噛みあわされる側。噛み合わす働きの相手側で噛み合わされるもの全体となり、後に客体客観となる。
直訳・・『 高見から全体を見渡 される意識の内実に無意識的に結びつく受動的な働きを持つ実体、言霊ワに、剖判する。』
意訳・・「こころの働き全体の実在である、過去から今へと今から未来への実体の噛み結び合わされた客体側に、分かれる。この客体側として主体が結びつくこころの世界を言霊ワという。 典型的なこころの現われは相手対象となるもの全て。」
・ここで始めて相手対象を分けて分かる物がでてくる。
【この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。
・ウ<アワの造化三神の大原則。ウがアワに、自他に、主客に、私とあなたに、働きと実体に、いきさまとありさまに、今と過去に、時と場所に、分けると分かるに、等々に剖判する。
直訳・・『この統合された三神であると同時にそれぞれの三神は、始めの御中主が剖判し、一は二を生じて計三のそれぞれが他に依存せずに存在する一つづつのこころの世界となり、こころの先天構造の中だけに実在している。
意訳・・「この一者であり二者であり三者である柱は、こうして主・ぬしと、主体のいきさまと、客体のありさま、の三者に変容したこころの実体としてそれ自体だけで存在するようになりますが、こころの中だけのものとなっていて、後天的な具体性を持たない。」
・ 独神(ひとりがみ)はそれ自体だけで存在している意味ですが、最初からということではなく剖判した後にはそれぞれ他に依存しないで存在するように「成る」ことで、また現象となる以前の先天の位置を占めるということです。
(注。ここまでで御中主は三柱になり、のちに現象を生んでその運用と共に百神にまでなりますが、運用働きに依存しないでそれだけで働く心の世界がまずあるようになります。ウアオエの先天実在。)
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【次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、
直訳・・『こころの進展の組(く)んで似(に)せる(くに・国)働きが主客に分かれただけのまだ幼くて不明瞭で安定せずに分明できない暗気(くらげ・水母)が漂うような時に、葦の芽が勢いよく連続して出てくるように、主客の前二神の生命創造の萌(も)え騰(あが)る物から出てくるものがある』
意訳・・『意識が動き働き始めるや否や主客能動受動の不分明な区分にあって、はっきりしていない相手対象を意識する働きの中で意識される客体が出てくる時に、主体側客体側に猛烈な勢いで浮び上がり湧き出る勢いによって出てくるものがあります。
(注。タカミ・カミムスビの 前二神から剖判してくる。)
【宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に、
直訳・・『素晴らしく都合よくうまい具合に霊妙に(ウマシ)、葦の芽の様に連続して出てくる(アシカビ)、男・おとこ・音子・言葉(ひこじ)の実体。』
意訳・・「こころの中で主客が剖判すると主は主であろうとし客は客であろうとする勢いが止まらなくなり、その勢いの中から出てくるものの実体をウマシアシカビヒコジ・うまい具合にどんどん出てくるこころの霊妙な実体とい、こころから出てくるのは記憶です。その経験世界の記憶の存在する意識宇宙を言霊ヲという。 典型的なこころの現われは記憶 と記憶の連鎖。」
【天の常立(とこたち)の神。
直訳・・『こころの中の世界宇宙(天)が恒常(常)に立ち上がり立ち行くき成立する(立ち)主体のこころ(神)。』
意訳・・「前二神の萌(も)え騰(あが)る物に因りてこころの客体側に記憶としてある世界が自らを取り上げられるように促す働きを絶えずしていくように、あるという世界を絶えず取り上げる働きをする主体。その経験世界を取り上げる働きのこころの世界を言霊オという。 典型的なこころの現われは記憶すること、関連を考えること。その発展した姿は学問や思想を成立させる世界。」
【この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
直訳・・『この言霊オ・ヲの世界も先天構造のなかの存在であってそれ自体は現象ではなく、こころの過去から現在へ到る階層世界を作りますが、他の階層と混同はされても交わることは無く、それだけで独立していて、現象となることはありません。 』
意訳・・「こころの階層は言霊イエウオアの言霊五次元世界で、それぞれ自由に行き来ができますが、各次元世界は他に頼ることなく存在していて、先天構造にあると同時に、現象となったときの表現の一般性の中に存在していくので個別現象とはなりません。」
【次に成りませる神の名は、
直訳・・『前承する螺旋上昇循環を受けて次々に成立していく働きと実体は』
意訳・・「前承は冒頭のあめつちから始まっていて、吾の眼である私の意識が相手対象に付いて次々に成って来たことを受けてそのことの上に成るこころの次の名は、」
(注。吾の眼・私の意識が付いて
こころの兆しがあらわれて何かの全体ができ 言霊ウ。
何か分からないがこころの相手対象とこころの働きに別れ 言霊アワ。
相手対象が心に乗ってきて過去から今を埋め尽くし 言霊オヲ。
次に
今ある材料をこころが選択し按配していく。 言霊エヱ。)
【国の常立(とこたち)の神。次に
(国は区切って組(く)んで似(に)せるで、前出の国稚くを受ける。既出の神々が組む要素となり、その上に成る。)
直訳・・『こころの要素材料が揃ったのでここで初めて、今あるものを使って現在から未来へ踏み出すことができる働きを持つ実体が生まれる。』
意訳・・「分かち区切ったものに名を付けるとそこに組まれた物を如何に扱いどう選択按配していくかの智恵、実践智が恒常的に成立してくるものがあり、その実体のはたらきを言霊エとする。 典型的なこころの現われは実践智恵により按配し選択分配すること。 その発展した姿は政治道徳を行う世界。」
【豊雲野(とよくも)の神。
直訳・・『十四(とよ、豊)を組んで(雲)表すこころの分野(野)の実体。』
意訳・・「組んで現された(雲、くむの謎々)選択配分按配の実践智が現われてくるこころの宇宙世界の分野の実体で、その働きっ実体の分野世界を言霊ヱとする。 典型的なこころの現われは実践智により按配し選択分配されたもの。 その発展した姿は実践智により表せれた道理政治道徳の世界。 」
(注。十四・豊・は既出こころの六神、天の御中主、高御産巣日、神産巣日、宇摩志阿斯訶備比古遅、天の常立、国の常立、の実在実体と、次段の八神で計十四の事で、これらのはたらきによって、人のどう扱いどう行動するかのあり方が出てくる。この十四の組み合わせで人の思惟、行動の全てが豊かに出てくる大元の原理。)
別名。
豊国主尊(とよくにぬし)、、十四組んで似せる大本の
豊組野尊(とよくむの)、、十四を組んで現す分野の
豊香節野尊(とよかぶの)、、十四の原理が行き交うの
浮経野豊買尊(うかふののとよかふ)、、心の浮き船が十四の原理をもって行き交う
豊国野尊(とよくにの)、十四の原理を組んで似せる言葉の分野の、
葉木国野尊(はこくにの)、、十四を組んで現された野は・言霊五十音図として箱の形を取るの
見野尊(みの)、、言葉で現された言葉の実体・実の生る言葉の野原・五十音図の
【この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。
・この二つの心も先天構造の中だけにあって、それ自体で存在していて、他に頼ることはありません。これで四つの先天の次元層宇宙ができました。
・今度は上記の四つの次元層を客体側として扱う主体のはたらきと各次元層内での主客を結びつけるはたらきが生まれます。
十四(豊)はまだ出てこない八神(次段の八神でこころの働きを示すもの)を借りてそれを加えて暗示的に説明していますが、これはこころの深部において先天的に常に働いているからです。
【 次に成りませる神の名は、
・以上でこころの実体側となる要素が出揃いました。それを言霊母音で示し、意識の宇宙世界では母音として発音した場合には、時間空間での意識の無限性を現します。例えば、主体側の
言霊ウの世界では、今ここに能動側の実体の現在があってあり続ける世界になり、
言霊アの世界では、今ここに能動側の実体の全体があってあり続ける世界になり、
言霊オの世界では、今ここに能動側の実体の過去があってあり続ける世界になり、
言霊エの世界では、今ここに能動側の実体の未来があってあり続ける世界になり、
という実体世界が示されました。
それは同時に、客体側の、
言霊ウの世界では、今ここに受動側の実体の現在があってあり続ける世界になり、
言霊ワの世界では、今ここに受動側の実体の全体があってあり続ける世界になり、
言霊ヲの世界では、今ここに受動側の実体の過去があってあり続ける世界になり、
言霊ヱの世界では、今ここに受動側の実体の未来があってあり続ける世界になり、
こうして能動側受動側の実体要素が揃うことになります。
主客の各実体世界があってあり続ける母音世界はできましたが全員独り神で隠れていて、何の関係も無く何も起こりようがありません。そこに私の意識(吾の芽・あめ・天)が付いて相手対象になろうとする限り、この何でもない両者を結ぶお互い以外のものが出てきます。
そこで次に成りませる神は父韻となります。
それぞれ母音世界の主客に対応して出てきます。
天の御中主の神 ウの性格。代表的なこころは欲望。
宇比地邇(うひぢに)の神。次に
妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に
天の常立の神 オの性格。代表的なこころは記憶知識。
角杙(つのぐひ)の神。次に
宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲの性格。代表的なこころは記憶知識 の客体側 。
妹活杙(いくぐひ)の神。次に
国の常立の神 エの性格。代表的なこころは 選択配分。
意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に
豊雲野の神 ヱの性格。代表的なこころは選択配分 の客体側 。
妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に
高御産巣日の神 アの性格。代表的なこころは感情。
於母陀流(おもだる)の神。次に
神産巣日の神 ワの性格。代表的なこころは感情の客体側。
妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
(注。御中主に二神が配当されています。中心にあって自身に向かう方と他へ向かう方が未剖判であることを指していると同時に、剖判する方向も指しているからです。)
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・父韻
・あめつち・吾の眼が付いて地になるときの話です。
【宇比地邇(うひぢに)の神。 言霊チ
直訳・・『宇は地に比べて近い。こころの意識宇宙が相手対象である地に比べて近く成る働きを持つ実体。』
意訳・・「吾の眼(わたしの意識)の全体はそのまま相手対象に直接向かうといういとなみを持つはたらきとなる。」
【妹須比智邇(いもすひぢに)の神。 言霊ヰ。ヤ行。
直訳・・『須らく・ぜひともしなければならないことは(言葉が)智に比べて近く成ることという働きを持つ実体。』
意訳・・「こころの現われと成る言葉は知識智恵を表す概念に比べてより実体を忠実に表すものとならなくてはならないという働きを持つ実体。」
妹背の 宇比地邇(うひぢに) と須比智邇(すひぢに) とは「う」と「す」の違いだけです、今ここのはたらきという瞬間におけるアルファであり今ここのオメガとなります。
「うひぢに」の方は主体の意思意図を地の客体側に似せ比べて、「すひぢに」の方は似せ比べられた物(ことば)が知識智恵より主体の意思意図に近いかの違いです。(主体を(言葉によって)客体に似せるか、客体と成った(言葉が)主体に近いか。)
「う・ひぢに」が今という一瞬における働きの「ある」というアルファを示すのに対して、「す・ひぢに」は、今という一瞬における「あった」というオメガを示すものです。ある-あったの全体了解を、表紙をめくり初めの方から見る場合と表紙をめくり終わった持続が続くかどうかの違いになります。
言霊ウの次元では宇比地邇(うひぢに)は欲望世界の全体がそのまま出てくる力動になり、妹須比智邇(いもすひぢに)では出てきた欲望世界が持続するかしないかになる。
言霊アの次元では宇比地邇(うひぢに)は感情情緒の全体がそのまま相手対象に向かって出てくる力動になり、妹須比智邇(いもすひぢに)では出てきた感情表現が持続するか途切れるかになる。
言霊オの次元では宇比地邇(うひぢに)は過去概念知識の全体がそのまま相手対象に向かって出てくる力動になり、妹須比智邇(いもすひぢに)では出てきた記憶が持続するか途切れるかになる。
言霊エの次元では宇比地邇(うひぢに)は按配選択の実践智の全体がそのまま相手対象に向かって出てくる力動になり、妹須比智邇(いもすひぢに)では出てきた按配選択の実践智が持続するか途切れるかになる。
・父韻は独り神で身を隠している主客の両者を取り持ち結び合う力動韻なので、父韻によって両者の共通項が提供されます。ここでは父韻によって全体全身が出てくる出てこない、全身があるない、全体で続く続かないという初発のあり方を示します。
吾の眼、わたしの意識が相手対象に向かう時、その意識は相手の全体をとらえている物ならその意識も全体として出てきて、捉えた対象を全体として意識に相当、似た物として立てていきます。
意識の力動韻がこのように働くので、実際に全体を捉えていなくても、意識(あめ)とその相手(つち)はういぢに、すいじにでは全体を主張する物として出てきます。
・両者は今ここにその同等の全体があるかないかの現われとなる欲望実現次元の性格を持っています。
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【角杙(つのぐひ)の神。 言霊キ。
・角は出して立てると 杙同様判断の寄りしろの意味を表すようになる。
・杭、 杙、くい、は境界、判断、寄りしろとなる智恵で能動側の判断を行うまたは受動側の判断を受ける物。
・角杙の 杙 はくい、喰い、自分に取り入れるの意になるように読み替える。つまりここでは角は 杙 の象徴になり、 杙は、くい、喰いにする。
直訳・・『相手対象を判断や頼りになるものとして自らのほうへ掻き寄せ、 喰って取り入れる はたらきの実体。』
意訳・・「こころにあるものあったものを外在する対象から、自分に掻き寄せ 自分のものとする 。相手側の実体(体、言葉)を自らのものとする為、働き(霊、言葉の内容)に変換して取り入れる。」
ツノグイは、
・・ 例えばテレビがあるという実態を、テレビを見る・聞く・いる・ある・食べる・という働き・動詞の動きに変換する。自分に結び付ける。
次にその逆の妹背の関係、イクグイは、
・・ 例えばテレビを見る・聞く・いる・ある・食べる・という働き・動詞の動きを、 テレビがあるという実態 に変換する。自分が結び付く。
【妹活杙(いくぐひ)の神。 言霊ミ。
・イクは能動的な感触を得ますが、言霊がミであらわされるように、固まり実となる方向に向かいます。ですので、行って喰うのではなくツノクイとは反対に、行くこと、行く動きを喰うになります。
直訳・・『行くことを喰い、食う動きを実体化し残すはたらきの神と呼ばれる実体。』
意訳・・「テレビを見る場合なら、見る行為を喰うとそこで見る行為が喰われて、見たという行為が実体化します。あるものあったものに結ばれて、行為、働きが実体化されて形を取るようになる。」
・両者は今ここでその過去(の記憶)を今現在にして過去からの流れを実体化するか、実体化するはたらきを過去に結び付けるかの、記憶概念次元の言霊オの性格を持っています。
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【 意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ。
直訳・・『大いなる(意富)量り(斗)のはたらき(能)の地。大きな識別(斗)の働き(能)が土台と成るように静まること。』
意訳・・「こころの働きの内、これからのことを決定実行し選択する大いなるこころの動韻の事で、押し開く行く手の戸(斗)を選択する智恵の識別する働きの地盤を固める。量りを用いて開く戸を選択し、こころの落ち着く地盤を相手対象と共に固める。」
・こころの中に意識が全面的に浮かび出て(チ)、出てきたものを自分のほうに掻き寄せ(キ)、ここで引き寄せたものを選択し受け入れ(シ)、最後に納得了解します(ヒ)。
・その妹背の働きは、
・意識に出てきたものがあり続け(イ)、出てきたものを自分のものとし(ミ)、ここで自分のものとしたものが意識の元で発展拡張し(り)、最期に了解煮詰まって事が成ります(ニ)。
【 妹大斗(おほとのべ)の神。 言霊り。
直訳・・『大いなる量り(大斗)のわきまえ(弁え)によって述べ拡大する(乃弁)。』
意訳・・「広がり拡大するのはその行為ではなく、行為の内容で、主体側の行為を伸展広げるのではなく主体側行為の内容と成っている客体側で鎮め統一しようとします。」
・両者は今ここでその過去(の記憶)を今現在(言霊オヲの世界)を選択置こうとして、今現在から未来への流れを実体化する(地とする)か、実体化するはたらき(のべる)かの、按配選択配分次元の言霊エの性格を持っています。
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【 於母陀流(おもだる)の神。 言霊ヒ。
直訳・・『 於母 (おも)はこころに思うことの面、表面で、 陀流 (だる)は足るで充足、表れ完成すること。こころに思ったことを表現として表面に輝かせ完成し納得する韻の働きをする実体。 』
意訳・・「こころに現われ出てきてこころに結び付き邇部に引き寄せてそれを表面に押し出して完成する。」
【 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 言霊二
直訳・・『あやにかしこき音で、吾(私の意識)夜(こころの奥に隠れている内容)が賢い賢明な内容に成るこころの韻を煮詰めていく働きの実体。』
意訳・・「あや(吾夜・こころの隠れている意識)を煮詰めて行くことを賢明なこととして得体を納得得心する働きの韻の実体。」
・この両者はこころの表面と内面があることの現れですが、父韻はあることのありさまではなく、あろうとするいきさまについてです。
・ですので表面に成ろうとすること自体に次のような全体で八通りの韻の展開がでてきます。
宇比地邇(うひぢに)の神。 言霊チ こころの内容がそのまま全体となって現れて表面となる。
妹須比智邇(いもすひぢに)の神。 言霊ヰ。 こころの内容を持続させることを表面とする。
角杙(つのぐひ)の神。 言霊キ。 こころの内容が表面と見立てた過去を取り入れて表面とする。
妹活杙(いくぐひ)の神。 言霊ミ。 こころの内容を見立てることが表面となる。
意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ。 こころの内容の選択していくことが表面となる。
妹大斗(おほとのべ)の神。 言霊り。 こころの内容で選択された行為を表面とする。
於母陀流(おもだる)の神。 言霊ヒ。 こころの内容を表立たせることが表面となる。
妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 言霊二 こころの内容を煮詰めることを表面とする。
・両者は今ここでその選択された今現在をもの事の表面に実体化するか、実体化するはたらきを未来に結び付けるかで、表面にあらわれた納得感情次元の言霊アの性格を持っています。
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チイキミシりヒ二によってウアワヲオエヱが意識了解されますが、この了解する働きを起こす元がイヰの伊耶那岐(いざなぎ)の神、妹伊耶那美(み)の神にあります。
【 伊耶那岐(いざなぎ)の神。 言霊イ。
直訳・・
『イザ行かんと言葉(名)の気(意思の創造力)が奮い立つ。
生きる居るのイのさなぎ(蛹)が働き出す。
イの間(今)を指して実体(名・な)と働き・霊気(キ)を結ぶ。
生きる働きと実体の一般性としての名前概念を生み実在を示す。 』
意訳・・「イルとアルの大本のはたらき。いきさまとありさまを統括する。」
【 妹伊耶那美(み)の神。 言霊ヰ。ワ行。
直訳・・『いざなぎを実体側客体側からみたもの。』
意訳・・「いざなぎを実体側客体側からみたもの。」
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続いて、以上の十七神を使いこなす実体、すなわち各自の自我が立てられます。
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