り 時間とは何か・2ch

>>2ちゃん 時間とは何か

703 :時間とはこういうもの:2014/01/07(火) 17:33:43.41 0

時間の変化」という瞬間は、その在り方と働きの方面から見られます

まず時間の変化のあり方は以下の四態

一 時間の変化そのものが現前しているという時間の変化の在り方

二 時間の変化そのものが過去から現在にきたという時間の変化の在り方

三 時間の変化そのものが現在から未来へいくという時間の変化の在り方

四 時間の変化そのものが上記全体としてあるという時間の変化の在り方

変化ということはこの四つの統合体を指しますが、現象を作る意識はその意識の切り取り方によってどれかに片寄っていきます。

次いで、時間の変化は、その働きの様態からも見ることができます。

一、時間の変化が産まれようとしているものが今産まれる、いわば、 今-今の関係で、今の時間の変化が持続していく働きがあります。

二、時間の変化が産まれようとしてあったものが今産まれる、といういわば、 過去-今の関係で、今の時間の変化が現在を掻き繰る働きがあります。

三、時間の変化の今あるものがこれから動こうとして産まれる、いわば、 今-未来の関係で、時間の変化の未来に創造され静まりあるいは拡散する働きがあります。

四、そしてこれら三態が一挙に俯瞰されるように生まれる時間の変化の状態、いわば、 今-全体の関係で、時間の変化の状態に開くか煮詰まるかする働きがあります。

時間の変化にはこのようにその在り方と働きとがあります。こうしたことが「今」という瞬間に全てが凝縮連結されています。

ですので「時間の初めの時」というときの内容は上記の在り方と働きの掛け合わされたものが出てくることになります。

そしてさらに、これらは意識の初めには自覚的であるか、無自覚反射的であるかの違いによってもその有り様は変化します。

714 :時間とはこういうもの:2014/01/09(木) 14:32:17.48 0

>>713「果物一般は自然には存在しない。 縦、横、高さも同様で、縦そのものは自然には無いよね」

「果物一般も、縦そのものも、人間の頭の中にだけある概念。」

これを敷衍すれば、時間一般、存在一般はないよね、となるでしょう。

「一般」は無いというのは一見肯定せざるを得ない見解です。

「一般」を実在物としているからこういう見解が出てきます。間違っている気ではなく、前提が混同されているから、

当然出てくるものも混同されて出てくるというもので、普通に主張しているものです。

では何が混同されているのか。

(普通に主張されるから正しいというわけではないですよ。

また血相変えて駄目だというものでもありません。気付いていない前提からは当然な主張というものです)

715 :時間とはこういうもの:2014/01/09(木) 14:33:07.69 0

>>713

気付いてもらいたいのは次のことです。

「果物一般も、縦そのものも、人間の頭の中にだけある概念。」が、

頭の中に一般的に在る・実在している・ということです。

この構造を説明できれば納得してもらえるのではないでしょうか。

「一般」が「頭の中にだけある」その生成発展とそれが現象として在る姿を説明すれば済むことではないでしょうか。

724 :時間とはこういうもの:2014/01/10(金) 07:54:05.54 0

>>716 頭の中にはあるが、けっして自然には存在しない。

一見もっともな普通な指摘のように見えます。銀行にはあるが財布にはない、というようなものです

ところが哲学問題はそんな次元の違うものを見つけて比較することは既に終えています。

頭にあることが、まったく自然のようにあります。これを説明することです。

「自然に存在すること」は自然に任せればいいのです。

われわれは観念を全く自然のように持ちます。

「頭にはあるが自然にはない」ということではなく、

「頭に在る」という自然な存在と働きを見出すことです

それが分かれば、「頭にあって自然にない」という言い方が、

どこから来たか分かり、従って何故次元の違うものを、

一つの文章内に表現して繋げ、正しいことを言っているかのように思い込めるのかが分かるようになります。

726 :時間とはこういうもの:2014/01/10(金) 12:38:24.34 0

725氏の疑問は私には画面上にあります。

では画面に「概念」が在るのかといえば、どう答えましょうか。

画面は光点の点滅で電気信号です。

在るといえば「」内の概念が光の中に在るということになり、

ないといえば、無いのに何故意識の交流かできるのかとなります。

そこから一歩踏み出せば、神がいるオバケがいる精霊がいるといった、ことにもなるでしょう。

727 :時間とはこういうもの:2014/01/10(金) 12:39:06.14 0

>>725

「つまり概念は実在する?」、とするご自身の意識内容とは関係なく、その形式は

・本人には実在する。ではどうしてどのように?

・それを読んだ他人には実在する?。共感シンパ、知的に、感情的に、実践的に、他人なりに共有?

・「」の言葉が理解されているなら、理解に至る共通規範が実在しているということ?

等々になり、それらが片づいた後に、

読者側は

意識の内容が検討されていって(時には瞬時に、時には考えた挙げ句、時には思い付きで、等々)

同意にしろ反対にしろ、共通思惟規範の上に立って投げ返します。

さて概念は「実在する」???ということですが、

ここには既に様々な形をとった「概念」が混同混在しています。

各立場各次元の概念を、生々流転させ、投げ合い取り合いでの変化を

一つ一つ踏まえていけばいいと思いますが、・・・。

731 名前:時間とはこういうもの :2014/01/12(日) 10:03:10.96 0

「場所」の話としますと、

概念と言うとき、時間と、存在と、富士は綺麗だな、蜜柑が在る、その他何でも、等々と言うとき、

それら言われたものは、どこにありますか?

「時間」の話にしますと、

それら言われたものは、いつありますか?

「状態・現象」の話としますと、

それら言われたものは、どのようにありますか?

「観念」の話としますと、

それら言われたものは、あたまのどこにありますか?

あたまの中の「言葉」にですか

あたまの中の「イメージ」にですか

あたまの中の「イメージ以前」にですか

では、

あたまの中の「イメージ以前」にそれら言われたものは、どこにありますか?

以下同じ質問の繰り返し、繰り返し、繰り返し・・繰り・・返し・・・・・

732 名前:時間とはこういうもの :2014/01/12(日) 10:03:59.76 0

この循環を断ち切るために、原理とやらを立てる人がいます

観念だ、概念だと言って済ます人もいます

でも、循環から逃れることはできません。

ではどうするのか。

一万年の思想・哲学・宗教・他の歴史をもってしても、歯がたたないようです。

----------------

一万年の人類史を終わらせるのか、

二十日鼠のように終わらないのか、

新たなじげんの到来があるのか、

733 名前:時間とはこういうもの :2014/01/12(日) 16:25:21.28 0

今度はこんな問題を。

イマココの一点の瞬間において時間を証明せよ

つまり、イマココの一点の瞬間において、

時間があること

時間はないこと

この両者を証明せよ、ということです。

735 名前:時間とはこういうもの :2014/01/12(日) 17:32:25.23 0

>>734 ・主観との関わり ・物の流れとの連関

腹減っているときに注文した料理が出てくる時間の流れと、

富士山の日の出を見たときの感動の時間の流れと、、

誰かの文章を見て疑問が出てきた時の時間の流れと、

出てきた疑問をどうしようか解決したい質問してみるかと選択しようとしている時の流れ

とはそれぞれ時の進み方が違います。

見分けるためには、それぞれの初めの瞬間でもって比較検討してみるといいと思います。

こうした瞬間を捕らえようとすると、自分自身への内的な反省が必要になり、

せっかく書き質問した事柄が一旦消失していきます。

その時点を得ると、

意識によって得て出てきた疑問に、時間の流れ以上のものを発見します。

時間の流れ以上のものというのは、受け入れがたいというのは分かりますが、

そういった世界もあります。

まず経験なさって下さい

737 名前:時間とはこういうもの :2014/01/12(日) 21:05:40.88 0

>>736 「無数の変化」

「無数の変化」というのは、おそらく無数の変化の現象が在るということを指示していることと思われます。

それに続く「変化の基準」というのは、現象を定量化する概念としての基準のことでしょう。

すき焼き用のお肉を百グラム下さいということです。

正常な判断です。それで日常です。

結構なことですが、ここでは主婦たちと対話しているのではありません。

もう少しちょっと、

て・つ・が・く・て・き・に・おもてなしをして欲しいと思います。

742 :時間とはこういうもの:2014/01/12(日) 22:28:35.72 0

>>738 のいう、現在が常に在り続けるとは。

金を儲けるのだと、あの人を愛し続けるのだと、悟りを開くのだと、七十八十になっても、現在が常に在り続ける

疑問に思ったことが引っ掛かりその現在が常に在り続けて疑問が解けない。

どうしようどれにしようどう生きようと選択に迷う現在が常に在り続けて一生迷う

等の日常変凡な事柄たちで、通常のおしゃべり

739 は結論を前提としている同義反復

744 :時間とはこういうもの:2014/01/12(日) 22:50:12.55 0

>740「現在の時間構造」については

>>703 をどうぞ。

752 :時間とはこういうもの:2014/01/13(月) 09:11:30.51 0

時間には始まりと終りがない。

時間には始まりと終りがある。

時間には始まりはあるが終りはない。

時間には始まりはないが終りがある。

時間は世界とともに産まれた

時間は世界以前に流れていた

時間は世界ができた後に流れた。

時間は観念であるが観念以前からある。

時間は観念だから観念と共にある。

時間は観念だから観念がまずある。

時間を規定するには時間を規定するものがまずある。

時間を規定するには時間がなければ規定するものも存在し得ない

時間は○○であるとするには○○の存在する時間が前提される。

時間は○○であるとするには○○の存在する後に時間が始まる。

時間は○○である。時間は○○でない。等々。等々。・・・

それぞれ一分の真実はあるが、全く不十分。

では、では、・・・・・。

753 :時間とはこういうもの:2014/01/13(月) 09:31:20.75 0

何故、鼻は顔の中央にあるのか? という疑問には答えられないけれど、

人の鼻はどこにあるか?という疑問には100%正解することができる。

そのわけは?

755 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 10:59:43.34 0

時間とは不動である。

時間が不動である経験は誰にでもある

経験の仕方によって、瞬間であったり、数分数時間数年数万年、一生、と色々ある

これを変化の中の一過性と捕らえるものは、その捉え方が不動であるというハンディキャップを負う

彼は時間を止めることなくして自分を主張できない

次、時間は過去しかない

756 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 11:12:37.37 0

予定

次、時間は過去しかない

次、時間は未来しかない

次、時間は分裂・総合である

次、時間は有る・無しである

次、時間は他からやってくる

次、時間は自分が創る

次、時間は先天である

次、時間は後天である

次、時間は創られるものである

次、時間は創るものである

次、時間は合一できない

次、時間は合一できる

759 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 15:53:33.20 0

こういう見方も、

>>758 世界は常に「いま、ここ」に存在するので、時間的でない世界は存在しない。

という主張は758氏にとっては永遠の真理真実で、「時間的でない世界」の存在です。

758の どのような別の世界も、「いま、ここ」に世界が存在しなければ存在し得ない。

という主張を構成した言葉の要素は、「どのような」言葉も「いま、ここ」に存在していたのではなく、

過去に存在していたものをぴっぱり出して来たものでした

762 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 16:54:46.01 0

今度は>>760です。『「いま、どこにも」存在しないが、存在する』 ことはあり得ない。

という主張です。

こういう見方もあります。繰り返しになりますが。

「存在しないが存在する」と言いくるめればいいわけです。では、、、

760の主張はどこから来たものでしょうか。

その主張以前は、あったのでしょうか無かったのでしょうか。

無かったから760が主張したとしましょう。世界で初めての主張です。世界の思想界を率いるノーベル賞候補です

そうでなければ誰かの物真似口真似に自分の匂いを振りかけただけのものになります

では、760の主張は、「存在しないが存在」したのでしょうか

764 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 21:39:48.52 0

>>763 こんな見方もあります

物質は空間と時間において存在する。→通常、時処位といいます。時間空間次元。

精神は時間においてのみ存在する。→精神は物質の姿を借りないと自らを現わせません

頭脳内の精神・概念も言葉や電気信号等の物質が介在していきます

全ての存在の基盤は時間である。→存在の基盤は存在です。蝿が鼻の頭に止まっています。蝿という「存在の基盤」は。

765 :時間とはこういうもの:2014/01/14(火) 21:40:54.33 0

>>763 こんな見方もあります

物質は空間と時間において存在する。→物質は存在しない。物質とは物質という言葉で、それは概念である。

精神は時間においてのみ存在する。→精神は物質においてのみ時間となる

全ての存在の基盤は時間である。→全ての時間の基盤は存在である

768 :時間とはこういうもの:2014/01/15(水) 07:49:50.39 0

>>767 こんな見方もあります

経過というのですから、始まりもあったのでしょう、

始まりがあるなら、それ以前もあったのでしょう。

それでは767で言う事柄の

経過の始まりと

経過の始まり以前

とはなんでしょうか。

773 :時間とはこういうもの:2014/01/15(水) 15:29:45.19 0

>>771 時間とは現在の持続である。

こういう質問が浮かびました。

「現在」はどのように「持続」するのでしょうか。

769 の「0」にも同じことが言えます。どのように「0」が接続していくのでしょうか

能動と受動が、始まりと終りが、

どのように、誰が、どこで、

結ばす、結ばれていくのでしょうか

AとBのそれぞれの始めと終りがあるのはいいとしても、

それだけではバラバラです。

777 :時間とはこういうもの:2014/01/15(水) 21:16:23.38 0

>>774 前承する螺旋上昇循環

円環ですと、閉じて時間の流れが留まるイメージを感じます

円運動には平面から抜け出せないイメージと同じことの反復操作を得ます

時の流れには変化変態新しいものの創造がつきものです

そこで円環を「前承する螺旋上昇循環」として理解しました

螺旋のイメージだけでは出発地点に戻るのはいいのですが、飛び上がっていますので

過去から持ち来った共通性なり、根源なりの地盤を五重の塔の柱のように引き継ぐ

ことができません。

そこで、前承する螺旋上昇循環、という長い言い方になりました

螺旋ということで、位置は同じ0ですが、内容は上昇(上だけのことではなく下降も四方も含む)

しています

簡単に一言で言う言葉を探していますが、今のところは

「柱(はしら)」と言うのが最善のようです

779 :時間とはこういうもの:2014/01/15(水) 23:28:24.15 0

>>778 「常に現在が在り続けています」

これは「当たり前の事実」それはそれでいいのです。ただ他の事実もあることも当たり前なのです。

少しだけ別の見方も紹介します。

その一は、778氏の当たり前のことです

その二は、常に過去が在り続けているという事実があります

その三は、常に未来が在り続けているという事実があります。

その四は、常に全体が在り続けているという事実があります。

・例えばその二として、その一の主張は言い古された過去の主張を現在に甦らせているだけです。

その言い方も内容も常に過去から借りたものです。

・例えばその三として、778氏の主張はご自身の主張として現在に提起されていますが、その内容は、

自証できておらず、他証されてもおらず、将来において確証される物として永遠の努力が必要とされています

・例えばその四として、一瞬の内に全てを了解したと言う何らかの経験をお持ちと思います。その場合には、

過去現在未来と自分と他の世界が忘れない限り全体として動いています。

これは大げさに考えなくても、778を書くに至った意識の内容を反省してみると、あいつの考えはおかしい

自分の考えは過去現在未来を網羅し自分と他人を包含していると思えたことと思えます。

これは、常にではなく忘れない限りですが。

>>703 に私の時間が紹介してあります。

783 :時間とはこういうもの:2014/01/16(木) 07:02:52.90 0

703 の再掲載

時間の変化」という瞬間は、その在り方と働きの方面から見られます

まず時間の変化のあり方は以下の四態

一 時間の変化そのものが現前しているという時間の変化の在り方

二 時間の変化そのものが過去から現在にきたという時間の変化の在り方

三 時間の変化そのものが現在から未来へいくという時間の変化の在り方

四 時間の変化そのものが上記全体としてあるという時間の変化の在り方

変化ということはこの四つの統合体を指しますが、現象を作る意識はその意識の切り取り方によってどれかに片寄っていきます。

次いで、時間の変化は、その働きの様態からも見ることができます。

一、時間の変化が産まれようとしているものが今産まれる、いわば、 今-今の関係で、今の時間の変化が持続していく働きがあります。

二、時間の変化が産まれようとしてあったものが今産まれる、といういわば、 過去-今の関係で、今の時間の変化が現在を掻き繰る働きがあります。

三、時間の変化の今あるものがこれから動こうとして産まれる、いわば、 今-未来の関係で、時間の変化の未来に創造され静まりあるいは拡散する働きがあります。

四、そしてこれら三態が一挙に俯瞰されるように生まれる時間の変化の状態、いわば、 今-全体の関係で、時間の変化の状態に開くか煮詰まるかする働きがあります。

時間の変化にはこのようにその在り方と働きとがあります。こうしたことが「今」という瞬間に全てが凝縮連結されています。

ですので「時間の初めの時」というときの内容は上記の在り方と働きの掛け合わされたものが出てくることになります。

そしてさらに、これらは意識の初めには自覚的であるか、無自覚反射的であるかの違いによってもその有り様は変化します。

784 :時間とはこういうもの:2014/01/16(木) 07:47:56.92 0

703のつづきみたいなもの。

多くの人は自分の喋ったその言葉を通用させようとします

ところが反論批判などをされると、分かっちゃいない読みが浅いと相手の性にします。

・・・

一、自分の言葉をそのまま通用させようとします・現在重視

二、自分の言葉になった過去から来ったものを知らせようとします・過去重視

三、自分の言葉にある指摘されているその先を取るようにさせます・未来重視

四、上記全体を含む自分の言葉全体の表面内実を知らせようとします・全体重視

785 名前:考える名無しさん :2014/01/16(木) 08:33:31.77 0

現在のみあるとする場合の展開

一の一、自分の主張の中にいるため、自分の主張の地盤基盤根拠等よりも自分の主張していることが、自分に近いとする

一の二、自分の主張を比較するのに他に比べようが無いとして、自分の主張のみ常に持続しているとする

一の三、今の主張は過去へ向って角を出して掻き集めた集成として現在に提供する

一の四、今の主張は過去へ向って角を出しその各時点で杭を打ち込んだ結実のように現在に提供する

一の五、前記を現在に持ちつつ、それをどこにどのように落ち着けようかとする主張。

一の六、前記を現在に持ちつつ選択された落ち着き先を拡げ拡散しようとする提出の仕方

一の七、自分の心にあるものが、現在の全ての主となって表面に現われ出ようとする主張

一の八、自分の心にあるものが、現在の全ての主となって何かの内実に煮詰まり固まろうとする主張

二三四は略。

791 :時間とはこういうもの:2014/01/16(木) 10:33:12.17 0

過去のあり方

過去があると言った時の、私の意識の内省をしてみましょう

当初の始まりは過去はあると言ってしまったことではありません。あると言うからには、あるだけの前提があります(無いと言う時も同じ)。

これを先天と言っておきます。つまり過去がある(無い)の先天があるということです。

過去があるというからにはそういうだけの過去の全系列がいまここの現在に繋がっていて、それを先天条件や先天構造として現前してきます。

しかしそれは先天の過去と現前の過去で位相次元の異なったものです。

これが承認されるとここに三者の過去が確認されます

先天の過去・現前の過去・それと両者を過去と呼ぶ一般性としての過去

この三つができます。

792 :時間とはこういうもの:2014/01/16(木) 10:38:34.29 0

過去が無いという時も同様です。過去は無い無いと言いながら過去と言う言葉の一般性から逃れることはできません。

過去から使用されている過去という言葉が常に有効であるので、

過去と言わざるを得ません。過去に支配されていきます。

過去という言葉が過去に無いならば、新しい言葉が必要になります。

(それは言葉であるとか概念の指示であるとかいう言い方もあるでしょう)

一般性の過去についてでした。

次に先天の過去、現前の過去についてです。

これまた位相が違うのに、過去から使用されている過去という言葉をしようしていきます。

これは混同ではなく通常の思惟作用です。正否善悪の問題ではありません。当たり前の「逸脱」です。

いまここで当たり前の「逸脱」と言いましたが、ではこの「逸脱」の判定規範はどこにあるのでしょうか

いつからあったのでしょうか

過去にはなく現在に、それも持てる者にしかないのでしょうか

人は思惟規範もなく意見を述べますが、なぜそういったことが可能なのでしょうか

では三者の過去の内、先天の過去についてです。

817 :時間とはこういうもの:2014/01/17(金) 00:00:03.67 0

「あるない、をどうやって知るのか」

「知る」を何にするのかで変わる

現象的には、欲望の五感とか、情緒の感情とか、概念の知識とか、行動の選択とか

概念の世界に限ってやってみましょう。あるでもなしでも同じ原理ですから、自分の好きな言葉を

挿入該当させて下さい

ここでは、無い事を有ると知る、あるいは、無が有ると分かることについてです。

ぼんくらが考えようと2ちゃん好みが考えようと天才が考えようと、そこに意思疎通の何かが在れば、、

判断規範の共通性もあることになります。

要するに「ある」を見聞きすれば、誰でも天才でも「ある」を認識確認してしまいます。

この物凄い「ある」に目を向けましょう。

ごちゃごちゃ言う人の「ある」と私とあなたの「ある」はどのように「ある」のか?

(前に言ったように勝手に言葉を入れ換えて構いません)

そこには「ある」を介して、「ある」と言った人のその時の原点から出てきた「ある」があります。

以上は概略。

ではどうやってしるのか

818 :時間とはこういうもの:2014/01/17(金) 00:16:40.96 0

どうやって知るのか、はその人が主体的に知るように見られますが、

まずは、知らされるのです。

それは相手の人からであったり、自然物からであったり、おばけからであったりします。

ですのでまずは、どうやって知るのか、と言う人は、そこにいるいないは問われません。

知らされる内容は、どうやって知るのかと言う人のものではないからです。

従って、どう知るかと問う人は、自分の問いの前に自分がいない状態、

無視されている状態から始まります。

注意して欲しいのは、一応時間経過の中で語っているようになっていますが、

本来はイマココの瞬間における話です。

854 :時間とはこういうもの:2014/01/18(土) 11:02:31.43 0

>>852、3

時間はそこに人が居なければ何も始まりません。

時間という名が付けられていないことがあること、それが時間の始まりです。

私もあなたもおらず、何の始まりもないときに、

あなたが時間と言い出しあなたの時間が始まりました。

つまり、時間がないことが、あなたの時間の始まりです。

855 :時間とはこういうもの:2014/01/18(土) 14:56:37.92 0

ものを喋るとき、それを喋るだけの実在と構造がどこかしらにあります。

誰かが時間といえば、誰かの誰かに相当する時間があります。

そのしゃべり口が科学的であろうと観念的であろうと、客観性を自負しようと、

その人の持っていた内容が出てくるだけのもので、

正しいことを語ったり真実を語ったりしているわけではありません。

せいぜい真理であるとしたいその人の思いに駆られているだけでしょう。

では問題は単なる個人的なことかと言えば、そうではありません。

856 :時間とはこういうもの:2014/01/18(土) 16:05:24.87 0

ものを喋った方の先天持ち分が出てきただけのことです。

当初の先天の持ち分は、決して喋った方の創造したものではなく、

既知の概念、記憶知識を拾い集めた借り物でしかありません。

勿論、私の書くものを同じです。

それでも皆頑張って、自分の意見だ主張だと言って、

他には文句をつけ、文句を付けられれば怒ったりしています。

猿と同じ、動物と同じです。

これはわたしには相手を尊重すればいいとか駄目とかの問題ではないようです。

そういった次元で立派な態度を取る方も、ころっと落ち込む姿をよく眼にするものです、

また後で、、

857 :時間とはこういうもの:2014/01/18(土) 16:20:02.57 0

当初の拾い集めた借りものを自分なりに手を加えていきますが

どこからが自分の意見でしょうか

時間もイマココにおいて有るのは、過去からの持続で拾われた借りものです

どこからが、いまの時間でしょうか

時間を意識する私が借りものなのに、何故わたしはいまの時間を意識できるのでしょうか

859 :時間とはこういうもの:2014/01/19(日) 10:21:29.66 0

手は一つですが、持つ、掴む、殴る、叩く等々の働きがあります

時間という言葉も一つですが、二千年間考えられてきた

時間の実在とその働きの主張があります。、

どれを取っても不十分、間違え、一分の真実でした

ところが、「時間」と名付けられた何者かは常にありました

常に在った「時間」にたいして

人は何故「時間」の全体を言い当てることができないのでしょうか

理性で解された(科学数学も含む)時間には時代時代の解釈がありました。

しかし宗教で解された時間は単純明快です。創造主です。

そして現代は両者とも一長一短で、不十分であることまでは、分かるようになりました。

ここからは、理性と創造主を超える解がでるときです