08 言霊百神と意識の領域

言霊百神

(一) 淡路の穂の狭別の島

アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます

【01 言霊 ウ】 天の御中主(みなかぬし)の神。 天の御中主の神という神名のそのままの意味は心の宇宙の(天の)真中にいる(御中)主人公である(主)神という事になります。

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(二) 伊豫の二名島

二名とはアとワの二音言霊のこと 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです イとヰの現象を創造する働きの予めの区分

【02 言霊 ア】 高御産巣日(たかみむすび)の神。

【03 言霊 ワ】 神産巣日(かみむすび)の神 。 広い宇宙の一点に何か分からないが、ある事の始まりの兆しとも呼ぶべきものが生れます。それに対し太安万侶は天の御中主の神という神名を付けました。言霊ウです。次にそれが何であるか、の問いかけが人の心に生じる途端に、言霊ウの宇宙は言霊アとワの両宇宙に分かれました。安万呂はその両宇宙に高御産巣日の神、神産巣日の神の名を付しました。

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(三) 隠岐の三子島

隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味

言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です

【04 言霊 ヲ】 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。 宇摩志(うまし)とは霊妙不可思議なの意。阿斯訶備(あしかび)とは葦の芽のこと。比古遅(ひこぢ)は、辞書に比古(彦)は男子のこと、遅(ぢ)は敬称とあります。男子(おとこ)とは音子で言葉の事。「霊妙に葦の芽の如く萌え上がるように出て来る言葉」といえば直ぐに記憶の事だと思い当たります。寝そびれてしまった夜、目が冴えてとても寝つかれそうにない時など、過去の記憶が次から次へと限りなく浮かび上がって来ます。一つ一つの記憶は関連がないような、有るような複雑なものです。宇摩志阿斯訶備比古遅の神と古事記が指月の指として示した実体は、人間の記憶が納まっている心の空間(宇宙)のことであります。これが言霊ヲです。一つ一つの記憶は独立してあるものではなく、それすべてに何らかの関連をもっています。その関連が丁度葦の芽生えの複雑な形状に似ているために、太安万侶はこの神名を指月の指としたのでありましょう。

【05 言霊 オ】 天の常立(とこたち)の神 。 天の常立(とこたち)の神とは大自然(天)が恒常に(常)成立する(立)実在(神)といった意味であります。宇摩志阿斯訶備比古遅の神が記憶そのものの世界(言霊ヲ)であるとするならば、天の常立の神・言霊オとは記憶し、また種々の記憶の関連を調べる主体となる世界という事が出来ます。またこの世界から物事を客体として考える学問が成立して来ます。言霊ヲの記憶の世界も、その記憶を成立させ、またそれら記憶同士の関連を調べる主体である言霊オの宇宙も、それぞれ人間の持つ各種性能の次元宇宙とは独立した実在であり、また先天構造の中の存在で、意識で捕捉し得ないものでありますので、宇摩志阿斯訶備比古遅、天の常立の二柱の神も「独神であり、身を隠している」と言うのであります。

【06 言霊 エ】 国の常立(とこたち)の神 国の常立の神とは国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)といった意味です。この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。

【07 言霊 ヱ】 豊雲野(とよくも)の神 言霊ヱの指月の指に採用された豊雲野(とよくも)の神なる神名は豊(十四〈とよ〉)を雲(組〈く〉む)野(領域・分野)の神(実体)といった意味であります。十四を組む分野の実体と言いましても意味は分かりません。説明を要します。今までの心の先天構造を構成する言霊として現出したものは言霊ウアワオヲエヱであります。これ等の言霊の中で主体側に属するものは(ウ)アオエであり、客体側に属するものは(ウ)ワヲヱとなります。言霊ウは一者であり、主体でも客体でもないもの、或いは主体ともなり、客体ともなるものです。この様に分別しますと、まだ出て来てはいませんが、言霊イとヰも同様に区別されます。すると主体側として母音ウアオエイ、客体側として半母音ウワヲヱヰの各五個が挙げられます。主体であるアと客体であるワが感応同交して現象子音を生むということは既に説明しました。更にまだ現れてはいませんが、この次の説明として出て来ます主と客を結ぶ人間の心のリズムである八つの父韻というものがあるのですが、豊雲野の神の「雲」が示す「組む」という働きが実際には主体である母音と客体である半母音を結び組むことを意味しているという事、また母音五、半母音五の中で、半母音五を言霊ワの一音で代表させますと母音と半母音は六、それを結び組む八つの父韻八、六と八で合計十四となります。まだ説明していない言霊の要素を先取りしてお話申上げておりますので、読者にはよくお分りにならないかも知れません。これについては言霊エ・ヱの次に出て来ます言霊父韻と言霊イ・ヰの項で詳しく説明させて頂きますが、「豊」の字の示す十四とは、右に示しました母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。

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(四) 竺紫の島

竺紫は尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です

【08 言霊 チ】 宇比地邇(うひぢに)の神。 上の言霊イは母音のイではなく、ヤイユエヨの行のイであります。言霊チを示す神名、宇比地邇の神は「宇は地に比べて邇(ちか)し」と読めます。宇とは宇宙、いえ等の意味があります。人間の心の家は宇宙です。言霊アの自覚によって見る時、人の心の本体は宇宙であると明らかに分ります。するとこの神名は人の心の本体である宇宙は地と比べて近い、と読めます。即ち心の本体である宇宙と地と同じ、の意となります。宇宙は先天の構造、地とは現象として現われた姿と受取ることが出来ます。そこで宇比地邇の神とは心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。

太刀を上段に振りかぶり、敵に向かって「振り下ろす剣の下は地獄なり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と、まっしぐらに突進する時の気持と言えばお分り頂けるでありましょうか。結果は運を天にまかせ、全身全霊で事に当る瞬間の気持、この心の原動力を言霊チの父韻と言います。それに対し言霊イの父韻は、瞬間的に身を捨て全身全霊で事に当ろうと飛び込んだ後は、その無我の気持の持続となり、その無我の中に自らの日頃培った智恵・力量が自然に発揮されます。須比智邇とは「須(すべからく)智に比べて邇かるべし」と読まれ、一度決意して身を捨てて飛び込んだ後は、その身を捨てた無我の境地が持続し、その人の人格とは日頃の練習の智恵そのものとなって働く、と言った意味を持つでありましょう。

以上の事から言霊父韻チとは「人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻」であり、父韻イとは「父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行く力動韻」という事が出来ましょう。ここに力動韻と書きましたのは、心の奥の奥、先天構造の中で、現象を生む人間生命の根本智性の火花がピカっと光る閃光の如き動きの意であります。

【09 言霊 イ】 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。

【10 言霊 キ】 角杙(つのぐひ)の神。 言霊キ、ミ。昔、神話や宗教書では人間が生来授かっている天与の判断力の事を剣、杖とか、または柱、杙などの器物で表徴しました。角杙・活杙の杙も同様です。言霊キの韻は掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を自分の手許に引寄せる力動韻のことです。これと作用・反作用の関係にある父韻ミは自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます。

人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻が父韻ミです。またその見たものが他人の行為であり、その行為を批判しようとする場合、自分が先に経験し、しかもそういう行為は為すべきではないと思った事が瞬間的に自分の心を占領して、相手を非難してしまう事が往々にして起ります。心に留めてあったものが自分の冷静な判断を飛び越して非難の言葉を口走ってしまう事もあります。これは無意識にその経験知を掻き繰って心の中心に入り込まれた例であります。

【11 言霊 ミ】 妹活杙(いくぐひ)の神。

【12 言霊 シ】 意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ、リ。父韻を示す神名の中でこの父韻シ・リの神名からその父韻の内容を理解することはほとんど不可能に近いと思われます。意富斗能地は大きな斗(はかり)の働きの地と読めます。物事を判断し、識別する大いなる能力の地という訳です。人はある出来事に出合い、その事を判断・識別する事が出来ず迷う事があります。あゝでもない、こうでもないと迷いながら、次第に考えが心の中でまとめられて行きます。そして最後に迷いながら経験した理が中心に整理された形で静止し、蓄積されます。蓄積される所が心の大地という訳です。この働きから学問の帰納法が生れて来るでありましょう。

大斗乃弁とは大いなる計りの弁(わき)まえと読めます。意富斗能地と作用・反作用の関係にある事から、心の中にある理論から外に向かって発展的に飛躍していく働きと考えられます。父韻リはラリルレロの音がすべて渦巻状、螺旋状に発展していく姿を表わしますから、父韻リとは心の中の理論が新しい分野に向かって螺旋状に発展し、広がって行く働きであることが分ります。この様な動きの理論の働きは演繹法と呼ばれます。学問ではなくとも、多くの物事の観察から人の心の中に一つの結論がまとまっていく過程、また反対にひとつの物事の理解から思いが多くの事柄に向かって連想的に発展して行く事、その様な場合にこの父韻シ、リの存在が確かめられます。

【13 言霊 リ】 妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。

【14 言霊 ヒ】 於母陀流(おもだる)の神。 言霊ヒ、ニ。於母陀流の流の字に琉(る)を当てた本がありますが、言霊的意味に変わりはありません。於母陀流の神を日本書紀には面足尊(おもたるのみこと)と書いており、その意味・内容は更に明らかとなります。ハヒフヘホの音は主として人の言葉に関する音であります。面足とは心の表面に物事の内容表現が明らかに表わされる力動韻という事が出来ます。私も時に経験することですが、何かの集会で突然一人の人から「久しぶりにお会いしました。御無沙汰していて申訳御座いません。あの節はお世話になりました」などと親しげに挨拶されます。余りに親しげであり、突然の事とて、戸惑い、いい加減な挨拶を返してそのまま別れてしまう事があります。別れた後で「確かに何処かでお会いした事があるように思えるが、さて何方(どなた)だったかな」と仲々名前を思い出せません。二、三日経って、散歩な心に懸っている間に、次第に心の奥で思い出そうとする努力が煮つまって行き、以前に会った時が何処か、何時か、どんな時か等の事が焦点を結び始め、終に心の一点に過去の経験がはっきり一つの姿に沈黙の内に煮つめられた時、その瞬間、意識上に「あゝ、あの時の木下さん……」と言葉の表現となって花咲いた訳であります。かくの如く心の表面にはっきり表現として現われる時には、心の奥で過去のイメージが実を結んでいる、という事になります。この心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行く力動韻、これが父韻ニであります。

【15 言霊 ニ】 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。

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(五) 伊岐の島

伊岐とは伊の気でイ言霊のこと

心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです

【16 言霊 イ】 伊耶那岐(いざなぎ)の神。

●第一に言霊イは母音ウオアエ四宇宙の最終・最奥の次元に位して、これら四つの母音宇宙の縁の下の力持ちとなって統轄します。

●第二に八つの父韻に展開して、母音ウオアエに働きかけ、三十二の現象子音を生みます。

●第三にその生まれ出た三十二の最小の現象の実相単位のそれぞれを一個乃至数個結び合わす事によって生まれ出る現象に名前を付けます。

【17 言霊 ヰ】 妹伊耶那美(み)の神。

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(六) 津島 (天の狭手依比売)

津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です

まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です

未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です

別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです

【18 言霊 タ 】大事忍男(おおことおしを)の神 神名は大いなる(大)現象(事)となって押し出て来る(忍)(おし)言霊(男)を指示する神名(神)と説明されます。

【19 言霊 ト 】石土昆古(いはつちひこ)の神 石土毘古の神の石は五十葉(いは)で五十音言霊、土は培うで育てる意、即ち八つの父韻の働きを示します。毘古は主体を表わします。石巣比売の神の石(いは)は五十音言霊、巣はその住家の意で、現象子音がそこから生まれて来る元の宇宙、即ち母音の事、比売は姫で客体を指しています。これだけでは何の事だか明らかではありませんが、言霊がタトヨ……と続く過程は島名で津島と教えられています。先天構造が活動を起し、現象が生れて来ますが、津島と呼ばれる過程で先天の活動が実際に何を意図しているかを一つのイメージにまとめる働きをします。言霊タトヨと続く働きを右の津島という島の意味と重ねてみますと次のような事が考えられて来ます。

先天構造の十七言霊が活動を起し、その先天宇宙が言霊子音ターと後天現象として姿を現わしました。けれどそれは先天活動そのものであり、意識の及ばぬ領域のことですから、ターと現われても何の事だか分りません。父韻はどんな並びになっているか、母音はウオアエ四次元の中の何の次元の活動か、を先ず調べる必要があります。そのため過去の経験の記憶を呼び覚(さ)ますこととなります。次元オの宇宙の中から五十音図の横の列の十音の並び即ち言霊トが、また縦の列のイ段を除いた四つの母音の並び即ち言霊ヨが思い起され、参照比較されます。それによって先天活動の実際の意図は八父韻の如何なる並びか、母音に於いてはどの次元の意図か、が測られます。

【20 言霊 ヨ 】石巣(いはす)比売の神

【21 言霊 ツ 】大戸日別(おおとひわけ)の神 大戸日別とは大いなる戸(と)即ち言霊図の母音・八父韻・半母音計十言霊の横の列の(と)戸を通して先天の意図(日)である父韻の並び方が調べられ、その意図が現実に何を志しているか、が明らかとなり、「ツー」と姿を現わして来る姿であります。

【22 言霊 テ】天の吹男(あめのふきを)の神 大戸日別の神として五十音図の横の並びが確かめられ「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれかに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく様であります。天の吹男の神の神名は、先天の意図が大戸日別で判別された父韻の並びが息を吹きかける如く特定された母音に吹き付けられる様とも表現されます。

【23 言霊 ヤ】大屋昆古(おおやひこ)の神 先天の意図が父韻の並びと、それが結び付こうとする母音次元が明らかとなり、結ばれると、一つのイメージとなって姿を表わします。するとそのイメージはあたかも一つの大きな建造物(屋)となって働き(毘古)始めることとなります。

【24 言霊 ユ】風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神 先天の活動が意図するものは何か、が一つのイメージにまとまって来たが、そのイメージは伊耶那岐・伊耶那美の霊と体、主体と客体との関係を保っており(風は霊、木は体)それが言霊(男)として押し(忍)(おし)出される姿(神)であるという事です。

【25 言霊 エ】海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神 神名の大海津見の神とは大いなる海に渡して(津)明らかに現われる(見)の意です。先天の活動の内容は何であるか、のイメージ化が頭脳の細い道(これが川に譬えられます)を通って次第に明らかになり、その姿が現象子音となり、また言葉となって広い海(口腔に見立てられる)に入って行きます。川から海への境目が江(え)と呼ばれます。

【26 言霊 ケ】水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神 水戸とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。

【27 言霊 メ】妹(いも)速秋津比売の神

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(七) 佐渡の島

佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分

どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます

真名とも言います

【28 言霊 ク】沫那芸(あわなぎ)の神 先天構造内で伊耶那岐・伊耶那美の二神言霊イ・ヰが婚(よばい)し、結びついて現象子音が生れて来ると説明されました。しかしそれは人の意識では触れることが出来ぬ先天構造内の出来事でありました。その先天構造内の活動を、今度は意識で触れることが出来る後天現象として伊耶那岐・美二神の婚(よば)いの活動を再構築する働き、これが沫那芸・美の二神、言霊ク・ムの働きであります。沫那芸・美の沫は言霊ア・ワを意味し、また敷衍(ふえん)しますと言霊アオウエイとワヲウヱヰでもあります。この二言霊の活動でイメージが言葉と結びつけられます。心と身が、霊と音が、私と貴方が結ばれます。

【29 言霊 ム】沫那美の神

【30 言霊 ス】頬那芸(つらなぎ)の神 前の沫那岐・美、言霊ク・ムで先天活動の内容が言葉と結ばれたものが、この頬那芸・美の二神、言霊ス・ルで言葉として発声されます。発声には口腔の筋肉などが作用しますので、神名として頬(つら)(ほほ)の字が入っている訳です。頬那芸・頬那美と芸と美即ち気と身で霊と体、私と貴方を互いに受け持っています。

【31 言霊 ル】頬那美の神

【32 言霊 ソ】天の水分(みくまり)の神 水分(みくまり)は水配(みずくば)りの事であります。心を言葉に組んで発声するには、無言から有言ヘ、意志の一段の推進力が加わる必要があります。私達は言葉を発して相手に伝えようとして一瞬ためらう時があります。その最中(さなか)にこの言霊の働きの姿を垣間見ることが出来ます。天の水分は意志の一層の意欲、国の水分は体的エネルギーの補給、実際には弁舌の舌を潤(うるお)す唾液の事でありましょうか。

【33 言霊 セ】国の水分の神

【34 言霊 ホ】天の久比奢母智(くひざもち)の神 久比奢母智とは久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意。天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。先天意志の内容であるイメージが音声と結ばれ、発声されますと、その言葉の内容は何処までも豊かに持続され、発展して行きます。言葉というものは発声されたらそれで終りという訳ではありません。

【35 言霊 ヘ】国の久比奢母智の神

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(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別)

大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります

音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです

声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です

別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分

火の夜芸速男の神 ン

神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます

【36 言霊 フ】風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神 志那都比古とは先天活動の意図(志)がすべて(那)言葉となって活動している実体(神)と言った意味です。心は言葉に乗って何処までも活動します。言霊フモハヌは空中(外界)を飛ぶ言葉の内容でありますので、風・木・山・野の神と自然物の名が附けられています。風の神の風は人の息(いき)のことでありましょう。フとはその心、その言葉の内容を意味します。

【37 言霊 モ】木の神名は久久能智(くくのち)の神 久久能智とは久しく久しく能(よ)く智を持ち続けるの意。人が発声した言葉はそれ以後人との関係がなくなる、という訳ではありません。心はその言葉に乗って何処までも影響力を持ち続けます。木の神の木は気(き)、霊(ひ)の意。空中を飛んでいる言葉は気、霊を宿(やど)している事を示しています。

【38 言霊 ハ】山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神 山の神、また大山津見の山とは八間(やま)の意です。言霊八父韻チイキミシリヒニが発現する姿を図示しますと■となります。この図の八つの間に一つずつ父韻が入ります。またその図の平面の中央を面より直角に引き上げますと山の形となります。先天の意図が津島でイメージ化され、佐渡の島で音声と結ばれ、そして渡(わた)され現われ(津見)たものが言霊ハの言葉だという訳です。父韻ヒは「物事の表現が心の宇宙の表面に完成する韻」と説明されます。その実現の姿が言葉です。

【39 言霊 ヌ】野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です。これを神名(かな)と呼びます。佐渡の島の真名が口で発声されて神名となり、空中を飛んで大山津見の言葉となり、山が裾野(すその)に下って来て鹿屋野の野に着いた、という太安麻呂独特の洒落であります。野に到って、そこで人の耳に聞かれることとなります。耳の鼓膜を叩くので野槌(のづち)の神と付け加えたのでしょう。

【40 言霊 ラ】天の狭土(さづち)の神 狭土の狭は耳の中の狭い所、土は椎(つち)で、耳の鼓膜を叩く槌の意。この場合も天の狭土は霊を、国の狭土は音声を受け持ちます。

【41 言霊 サ】国の狭土の神

【42 言霊 ロ】天の狭霧(さぎり)の神 天の狭霧・国の狭霧の狭霧とは霧の様に耳の孔にぐるぐる廻りながら入り込んで行く様を示しています。天は霊を、国は音を分担しています。言霊ロ・レは共に螺旋運動の状態を示します。

【43 言霊 レ】国の狭霧の神

【44 言霊 ノ】天の闇戸(くらど)の神 闇戸(くらど)とは文字通り「暗(くら)い戸」で、耳の中の戸、即ち聴覚器官の事でありましょう。耳の中へ入り込んで行った言葉はこの闇戸に当って、そこで更めて復誦されます。言霊ノネは「宣(の)る音(ね)」に通じます。ここでも天の闇戸は霊を、国の闇戸は音を受け持ちます。闇戸で復誦されることによって空中を飛んで来た神名が再び真名に還元されて行きます

【45 言霊 ネ】国の闇戸の神

【46 言霊 カ】大戸惑子(おおとまどひこ)の神 耳の孔に入って来た言葉は復誦され、次にその意味・内容は「こうかな、ああかな」と考えられます。掻(か)き混(ま)ぜられ、次第に煮(に)つめられます。煮つめの道具を釜(かま)と呼びます。この作業で言葉の意味・内容が明らかにとなり、有音の神名は完全に真名に還ります。大戸惑子の神は霊を、大戸惑女の神は音を受け持ちます。

【47 言霊 マ】大戸惑女(め)の神

【48 言霊 ナ】鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ 鳥の石楠船の鳥は十理(とり)の意で、五十音図の母音アと半母音ワとの間に八つの父韻が入って現象子音を生みます。母音・八父韻・半母音合計十の道理で現象が起るのは、主体と客体との間を鳥が飛び交うのに譬えられます。石楠船(いはくすふね)とは、五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と五十音言霊図が出来上がること。船とは人を乗せて渡す乗物。言葉は人の心を乗せて渡す乗物。そこで鳥の石楠船の神とは「言霊の原理に則って五十音言霊図上で確かめられた言葉の内容」という意味となります。天の鳥船とは「先天(天)の十の原理(母音・八父韻・半母音)の意図(鳥)を運ぶもの(船)」となり、鳥の石楠船と同じ意味となります。言葉が耳に入り、復誦・検討され、煮つめられて「あゝ、こういう意味だったのだ」と了解されます。その了解された意味・内容が名(言霊ナ)であります。昔より「名は体をあらわす」と言われます。言葉が名となった事で内容は確定し、私と貴方との間の現象(子)が了解された事となります。言霊ナは言霊コの内容という事です。

【49 言霊 コ】大宜都比売(おほげつひめ)の神 言葉が耳に入り、復誦・検討され、内容が確定し、了解されますと、終りとして一つの出来事が完結します。事実として収(おさ)まります。父と母が婚(よば)いして子が生まれます。それが言霊コであります。それは物事のまぎれもない実相であり、言霊コはその実相の単位です。大宜都比売とは大いに宜(よろ)しき都(霊屋子)(みやこ)である言葉を秘めている(比売)の意であります。

言葉が最終的にその内容が確認され(言霊ナ)、事実として承認されます(言霊コ)と、三十二個の言霊子音は全部出尽くし、言霊の宇宙循環はここで終り、先天に帰ります。跡(あと)に記憶が残ります。この世の中には千差万別いろいろな出来事が雑然と起るように見えますが、親音言霊イの次元に視点を置いて見る時、世界の現象のすべては僅か三十二個の子音言霊によって構成されており、十七先天言霊によるいとも合理的に生産された出来事なのだ、という事が理解されて来ます。その理解を自分のものとする為には、言霊コである物事の実相を見る立場が要求される事を御理解頂けたでありましょうか。

【50 言霊 ン】火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の輝毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ

火の夜芸速男の神の火(ほ)は言霊、夜芸(やぎ)とは夜の芸術の意、速男(はやお)とは速やかな働きという事。神とは実体という程の意です。これではまだその内容は明らかには分りません。そこで「またの名」を取り上げて見ましょう。火の炫毘古の神の火(ほ)は言霊、炫(かがや)毘古とは輝(かがや)いている働きの意。またの名火の迦具土の神の火(ほ)は言霊、迦具土(かぐつち)とは「書く土(つち)」の意です。昔は言霊一音一音を神代文字として粘土板に刻み、素焼きにしてclay tabletにしました。これを甕(みか)と呼びました。甕の神は御鏡(みかがみ)に通じます。

ここまで来ますと、火の夜芸速男の神とは昔の神代文字の事であることが分ります。文字は言葉が眠っている状態です。夜芸速男とは夜芸即ち読みの芸術である文字として言霊を速やかに示している働きの意であります。またの名、火の炫毘古とは文字を見ると其処に言霊が輝いているのが分ります。以上の事から五十番目の神、火の夜芸速男の神、言霊ンとは神代文字の事であると言う事が出来ます。太古の神代文字は言霊の原理に則って考案されたものでありました。言霊ンのンは「運ぶ」の意だそうであります。確かに文字は言葉を運びます。それを読めば言葉が蘇ってきます。

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≪言霊運用。≫

(九) 吉備の児島

吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです

初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう

[運用 01] 金山毘古(かなやまびこ)の神 たぐりとは嘔吐(おほど)の事でありますが、ここでは「手繰(たぐ)り」の意の謎です。金山毘古の金は神名の意です。言霊一つ一つを粘土板に刻んで素焼きにした甕を手で手繰(たぐ)り寄せますと神代文字の山(神山)が出来ます。精神的なもの、物質的なものすべてを整理する為には先ずすべてのものを手許に寄せ集めることから始めなければなりません。金山毘古は音を、金山毘売は文字を受け持ちます。

[運用 02] 金山毘売(びめ)の神

[運用 03] 波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神 屎は組素(くそ)の意を示す謎です。言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。

[運用 04] 波邇夜須毘売(ひめ)の神

[運用 05] 弥都波能売(みつはのめ)の神 尿とは「いうまり」即ち「五埋(いう)まり」という謎です。五十の埴土を集めて、その一つ一つを点検して間違いがないのが分ったら、次に何をするか、というと先ず五つの母音を並べてみることでしょう。「五(い)埋まり」です。その順序はといえば、アは天位に、イは地位に落ちつき、その天地の間にオウエの三音が入ります。オウエの三つの葉(言葉)の目が入りました。弥都波能売(みつはのめ)とはこれを示す謎です。日本書紀では罔象目と書いております。罔(みつ)は網(あみ)の事で、五母音を縦に並べてみますと罔(あみ)の象(かたち)の目のようになっているのが分ります。五十の埴土(はに)を並べて整理しようとして、先ず五つの母音を基準となるよう並べたのであります。

[運用 06] 和久産巣日(わくむすび)の神 和久産巣日とは枠結(わくむす)びの謎。五十の埴土(はに)を集め、一つ一つ点検し、次に五つの母音を並べてみると網の目になっていることが分りました。その網目に他の四十五個の埴土が符号するように並べて整理してみると、五十音全部が一つの枠の中に納まるようにきちんと並ぶことが分って来ました。一見五十音が整理されたようには見えますが、まだこの段階ではこの整理がどんな内容に整理されて来たのかは分っていません。「和久」とは「湧く」ともとれるように、この段階での整理には全体として何か混沌さがある事を示しているということが出来ます。

[運用 -0-] この神の子豊宇気毘売(とようけひめ)の神 豊宇気毘売の神の豊とは十四(とよ)の意で心の先天構造十七言霊の中のアオウエイ・ワ・チイキミシリヒニの十四言霊のことで、豊とは先天構造を指します。宇気(うけ)とは盃(うけ)で入れ物のことです。豊宇気毘売全部で心の先天構造から成る入物(いれもの)を秘めているの意となります。「この神の子」と言う言葉が古事記に出て来る時は「この神の内容、働き、活用法、活用から現われる結論」等を意味します。豊宇気毘売とは豊受姫とも書き、伊勢神宮の外宮の主宰神であります。「心の先天構造で出来ている入れ物を秘めている神」では意味が明らかではありませんが、この神が伊勢外宮の神である、となりますと、内容が明らかとなります。

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(十) 小豆島

音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと

泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります

別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています

[運用 07]泣沢女(なきさわめ)(大野手比売)の神。 香山(かぐやま)とは言霊を一つ一つ粘土板に刻み、素焼にした埴(はに)を集めたもの、即ち香山とは「火の迦具土」と「金山」を一つにした名称。畝尾とは一段高い畝(うね)が続いている処。母音から半母音に連なる表音文字の繋がりの事。その畝尾は五十音図では五本あります。「その木のもと」とありますから、五母音の一番下イからヰに至る文字の連なりの事となります。涙はその一番下の畝尾に下って来ます。一番下のイからヰに至る文字の連なりは父韻チイキミシリヒニの八韻です。この父韻が鳴りますと、その韻は母音に作用して現象子音を生みます。父韻は泣き(鳴き)騒ぐ神です。そこで名を泣沢女(なきさわめ)の神と呼びます。泣くのは男より女に多い事から神名に泣沢女の神と女の文字がついたのでありましょう。

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(十一) 大島 (大多麻流別)

大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです

伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります

[運用 08]石拆(いはさく)の神 五十音図を分析して先ず分ったのは石柝(いはさく)の神ということです。石柝とは五葉裂(いはさ)くの意。五十音図が縦にアオウエイの五段階の界層に分かれていることが分った、という事であります。即ち人間の心が住む精神宇宙は五つの次元が畳(たたな)わっている状態の構造であることを確認したのでした。人間の精神に関係する一切のものはこの五つの次元宇宙から表れ出て来ます。これ以外のものは存在しません。「五葉裂く」の道理は人類の宗教・哲学の基本です。

[運用 09] 根拆(ねさく)の神 根柝(ねさく)は根裂(ねさ)くの事です。今検討している音図は菅曽音図のことで、母音がアオウエイと縦に並びます。その五母音の一番下は言霊イであり、五母音を一本の木と見れば根に当ります。その根の五十音の列は言霊イとヰの間に八つの父韻が横に並んでいます。その根を裂けば、八つの父韻の並び方の順序と、その順序に示されるように母音に始まり、半母音に終る現象の移り方がより確認されます。

[運用 10] 石筒(いはつつ)の男の神 石筒は五葉筒(いはつつ)または五十葉筒の意です。五十音図は縦に五母音、五半母音または五つの子音が並び、これが順序よく人の心の変化・進展の相を示しています。また五十葉筒と解釈すれば、五十音図が縦に横に同様に変化・進展する相を知ることが出来ます。筒とはその変化・進展の相が一つのチャンネルの如く続いて連なっている様子を表わします。石筒の男の神の男(を)の字が附いているのは、その変化・進展の相が確認出来る働きを示すの意であります。

[運用 11] 甕速日(みかはやひ)の神 御刀の「前(さき)」から今度は「本(もと)」と五十音図表の整理・検討の段階が進展して来た事を示しています。始めに五十個の言霊を整理し、並べて和久産巣日の神なる音図、即ち菅曽音図を手にしました。次にその初歩的な菅曽音図を分析することによって五十音言霊自体で構成されている人間精神の構造を確認する作業が進んでいます。その人間の精神構造である道理(血)が「湯津石村に走り着きて」即ち五十音言霊図に参照されて、確認されましたのが甕速日の神という事であります。

甕速日の甕(みか)とは五十個の言霊を粘土板に刻んで素焼きにした五十音図の事です。速日の日は言霊、速とは一目で分るようにする事の意。甕速日全体で五十音言霊図全体の内容・意味が一目で分るようになっている事の確認という事です。音図の内容の確認には大きく別けて二通りがあります。一つは静的状態の観察です。五十音言霊がその音図全体で何を表現しているか、を知ることです。どういう事かと申しますと、この五十音言霊図は菅曽音図か、金木音図か、または……と、この五十個の言霊が音図に集められて、全体で何が分るか、ということの確認です。これを静的観察と言います。

[運用 12] 樋速日(ひはやひ)の神 樋(ひ)速日の樋(ひ)とは水を流す道具です。この事から樋速日とは言霊(日)が一目で(速)どういう変化・進展の相を示しているか、が分ることの確認という意となります。五十音言霊図では母音五つからそれぞれの半母音に渡す子音の実相の動き・変化の流れが一目で確認出来る事を言います。甕速日の静に対して、樋速日は動的な変化の確認という事が出来ます。

[運用 13] 建御雷(たけみかづち)の男の神 建御雷の建(たけ)とは田気(たけ)の意です。田とは五十音言霊図のことで、その気(け)ですから言霊を指します。雷(いかづち)とは五十神土(いかつち)の意で、五十音を粘土板に刻んだものです。自然現象としての雷は、天に稲妻(いなづま)が光るとゴロゴロと雷鳴が轟(とどろ)きます。同様に人間の言葉も精神の先天構造が活動を起すと、言葉という現象が起こります。言葉は神鳴りです。この神鳴りには五十個の要素と五十通りの基本的変化があります。この五十の要素の言霊と五十通りの変化の相とを整理・点検して最初に和久産巣日という五十音図(天津菅曽音図)にまとめました。次にその音図を十拳剣という主体の判断力で分析・検討して行き、石柝(いはさく)、根柝(ねさく)、石筒(いはつつ)の男と検討が進展し、甕速日(みかはやひ)という心の静的構造と樋速日という心の動的構造が明らかにされました。その結果として五十音言霊によって組織された人間の心の理想の構造が点検の主体である伊耶那岐の命の心の中に完成・自覚されたのであります。この精神構造を建御雷の男の神と言います。

[運用 14]闇淤加美(くらおかみ)の神 御手繰りの操作に二通りがあります。開いた十本の指を一つ二つと次々に折り、握って行く事、それによって宇宙に於ける一切の現象の道理を一つ二つと理解して行き、指十本を握り終った時、その現象の法則をすべて把握した事になります。この道理の把握の操作を闇淤加美(くらおかみ)と言います。十本の指を順に繰って(暗[くら])噛(か)み合わせる(淤加美[おかみ])の意です。そして十本の指全部を握った姿を昔幣(にぎて)と呼びました。握手(にぎて)の意です。また物事の道理一切を掌握した形、即ち調和の姿でありますので、和幣(にぎて)とも書きました。紙に印刷した金のことを紙幣と言います。金は世の中の物の価値の一切を掌握したものであるからであります。また昔、子供はお金の事を「握々(にぎにぎ)」と呼んだ時代がありました。

御手繰のもう一つの操作の仕方を闇御津羽と言います。闇淤加美(くらみづは)とは反対に、握った十本の指を順に一本ずつ「十、九、八、七……」と順に起して行く操作です。指十本を闇淤加美として掌握した物事の道理を、今度は指を一本々々順に起して行き、現実世界に適用・活用して、第一条……、第二条……と規律として、また法律として社会の掟(おきて)を制定する事であります。掟とは起手の意味です。闇御津羽とは言霊を指を一本々々起して行く様に繰って(闇)鳥の尾羽が広がるように(羽)、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず])を活用・発展させて行く事の意であります。

[運用 15] 闇御津羽(くらみつは)の神

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(十二) 姫島

八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分

言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます

女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます

[運用 16] 頭に成りませる神の名は 正鹿山津見(まさかやまつみ)の神 頭・神知(かし)ら 正鹿(まさか)は真性。言霊原理がそのまま表現される文字の作り方。龍形文字

[運用 17] 胸に成りませる神の名は 淤滕(おど)山津見の神 胸・息を出す所 言葉を発声する法則に基づく文字構成法

[運用 18]腹に成りませる神の名は 奥(おく)山津見の神 腹・音図上 奥はオを繰(お)る。音図上の文字が調和するような文字の作り方

[運用 19] 陰に成りませる神の名は 闇(くら)山津見の神 陰(ほと)・子が生まれる所 闇は繰る。言葉が文字となる原理がよく分る文字の作り方

[運用 20] 左の手に成りませる神の名は 志芸(しぎ)山津見の神 左の手・霊足り(全体)主眼 志芸(しぎ)は五十音言霊。文字の書き方に書き方をおく文字構成法

[運用 21] 右の手に成りませる神の名は 羽(は)山津見の神 右の手・身切り(部分) 羽は言葉。言霊の一つ一つの内容を強調する文字の作り方

[運用 22] 左の足に成りませる神の名は 原(はら)山津見の神 左の足・運用法 原は言霊図。言霊図全体の運用法が分るような文字構成法

[運用 23]右の足に成りませる神の名は 戸山津見の神 右の足 言霊図の十列の区別がよく分るような文字構成法

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(十三) 知訶島

これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となります

知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です

外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分

[運用 24] 伊耶那岐の大神 古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係として、相対的立場と絶対的立場という事をお話した事があったのを御記憶の方もいらっしゃると思います。相対的立場とは主体と客体が相対立した場合の立場であり、絶対的立場とは一体となった場合の事であります。正(まさ)しく伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。二人の命が一体となる、とはどういう事なのでありましょうか。この事を理解しませんと、これより説明をします古事記の総結論に導く「禊祓」の法というものの理解が難かしくなってしまう事が考えられます。そこで、この大神という名の意味を詳しく説明いたします。

客体と一体となった主体の心とはどんな心なのでしょう。卑近な例で言えば、お母さんが赤ちゃんに対する心と言う事が出来ます。赤ちゃんが普段と違う泣き声をしている。掌を頭に当てて見て「あっ、熱があるみたい」と思う時は、赤ちゃんとお母さんはまだ主体と客体が対立した相対的立場に立っている、という事です。熱を計り、「三十八度近くある」と知り、「どうしてだろう」と考えている時もお母さんは赤ちゃんの事を客体として観察しています。けれど「昨夜、暖かいと思って薄着にさせたのがいけなかったに違いない」と知って、お母さんが反省した時からは、お母さんは自分が病気になった時以上に申訳なく思い、心配します。赤ちゃんを病気にさせたのは百パーセント自分のせいだ、という様に悔やみ、心配します。この時、お母さんと赤ちゃんは一体となっています。主体と客体が一体となる絶対の立場となります。

主体と客体の相対と絶対の立場をもう少し掘り下げて考えてみましょう。時々お話する事ですが、人間の心は五段階の進化を遂げます。人間は生まれた時から五段階の性能が備わっています。ウオアエイの五次元性能です。けれど人間はそれを知りません。言霊学に出合って初めてそれを知り、言霊学を学ぶ事によって一段々々とその自覚を確立させる事が出来ます。その自覚の進化の順序はウ(五官感覚による欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(創造意志)の順です。以上の五段階の進化の中で、人間の主体と客体との関係はどう変わっているか、を考えることにします。

先ずは言霊ウの欲望性能では、何々が欲しい、何々になりたい、という欲望行為は、その欲望の対象であるものを客体として、その獲得のために努力し、また手練手管を駆使してその対象である目的に近づきます。この段階の主体と客体は飽くまで相対関係にあります。次の言霊オの経験知識性能ではどうでしょう。研究したいものを客体とし、主体はその客体について観察、比較等を繰り返して、客体の動きを法則化して行きます。この次元の場合も主体と客体とは飽くまで対立し、相対の立場にあると言えます。

第三段階の言霊ア(感情)の性能に到って様相を異にして来ます。醜いもの、臭いもの、嫌なものを見聞きして、「いやだ、気持悪い、憎い」と思っている内は主体と客体は相対の立場をとっていますが、大層美しい物や事に遭遇しますと、自然感動し、我を忘れます。また気の毒な人に会うと同情します。美しいものに感動し、自分ならざる人に同情する心、それは純粋感情と呼ばれ、愛とか慈悲の心、滅私の心であり、主体(自我)と客体が同一化してしまった場合に見られます。先程述べた赤ちゃんに対するお母さんの心もその一例でしょう。この時、主体と客体は絶対の関係となります。

以上の言霊アの性能が社会の活動となって現われたものが芸術や宗教であります。芸術の美と宗教の愛の活動によって世の中に明るさ(光)と慈(いつく)しむ心(愛)が芽生え、楽しい社会がもたらされます。それは感動と同情の心の発露によりましょう。しかしながら愛や慈悲、同情や美的感情が客観としての社会に影響を及ぼすのは個人または家庭、更には区域社会に限られます。広く国家全体、ひいては世界人類に対してはほとんど何らの影響を与える事が出来ないのが現状です。何故なのでしょうか。芸術や宗教は人間のヒューマニズム的心情に光を与える事はあっても、人類全体の歴史をどう見るか、人類の明日よりの創造を如何に計画するか、の方策と理論を持ち合わせていない為であります。言霊学の教える人間の心の進化の三段目である言霊アの確認は出来ても、第四、第五の次元、言霊エとイへの進化の自覚が欠けているからであります。言霊アの感情性能は人対人、人対地域社会での主体と客体との絶対関係を立てる事は出来ても、人対人類の主体と客体の関係は相対的なものに終り、人即人類世界の絶対関係に立つ事が不可能だからです。それ故に人は宗教と芸術活動に於いて人類を愛する感情はあっても、人一人が世界と合一し、世界をわが事と思い、愛すると同時に世界歴史の今を合理的に認識し、それに光明を与えて、明日の世界創造の唯一無二の指針を生み出すことが出来ないのです。

人類世界という自らの外の存在を自らの内に引き寄せ、人類世界と自らが主客絶対の境地に入る為には、言霊学の所謂第四の言霊エ(実践智)と第五の言霊イ(創造意志)の人間性能の自覚が不可欠となります。言霊五十音の原理は人間進化の第五段階、言霊イの次元に存在し、その原理に基づく世界の明日を築く実践智は第四段階の言霊エから発現します。この第四と第五の進化の自覚の下に人は「我は人類であり、人類とは我の事である」の我と人類との絶対関係が成立し、その活動は人間の心の今・此処(中今)に於て行われ、人類が歩むべき道が絶対至上命令として発動されます。

[運用 25] 衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神 衝き立つ、とは斎き立てるの謎です。判断に当って、その基準となる鏡を掲げることであります。その鏡とは何なのかと言いますと、先に伊耶那岐の命が五十音言霊を整理・検討して、その結論として自らの主観内に確認した人間精神の最高構造である建御雷の男の神という五十音言霊図であります。船は人を運ぶ乗物です。言葉は心を運びます。その事から言葉を船に譬えます。神社の御神体としての鏡は船形の台に乗せられています。でありますから、船戸の神とは、船という心の乗物である言葉を構成する五十音言霊図の戸、即ち鏡という事になります。衝き立つ船戸の神とは、物事の判断の基準として斎き立てられた五十音言霊図の鏡の働き(神)という事になります。此処では建御雷の男の神という五十音図の事です。

[運用 26] 道の長乳歯(みちのながちは)の神 次に御帯を投入しますと、道の長乳歯の神が生まれました。道とは道理という事。長乳歯とは、子供の生え揃った歯が一本も欠ける事なく長く続いて並んでいるの意であります。投げ棄つる御帯の帯とは緒霊の意で、心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。そこで道の長乳歯の神とは、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きという事になります。黄泉国の文化が他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。

[運用 27] 時量師(ときおかし)の神 古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。また時量師の神を時置師(ときおかし)の神と書いてある書もあります。これはどちらでも同じ意味であります。そこで御裳(みも)として説明して行きます。

裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意となります。また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。 ここでウオアエイの各次元に働きかけ、適合する時量師(時置師)の父韻配列を列挙して置く事にしましょう。

言霊ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木音図

オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠音図

ア次元 チキリヒシニイミ 宝音図

エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞音図

イ次元 チキシヒミリイニ 天津菅麻音図

[運用 28] 煩累の大人(わずらひのうし)の神 御衣とは衣の事で、心の衣である五十音言霊図の事です。煩累の大人の神とは、煩累が意味がアイマイで、不明瞭な言葉のことであり、大人とは家の主人のこと、その神名全部で五十音言霊図に参照してアイマイで意味不明瞭な言葉を整理・検討して、その言葉の内容をしっかり確認する働き、という事であります。煩累の大人の神を和豆良比能宇斯能神と書いた古事記の本もありますが、意味は同じであります。

[運用 29] 道俣(ちまた)の神 褌(はかま)とは腰より下にはいて、股(また)より下が二つに分かれている衣類のことです。道俣(ちまた)も道の一点で、二方向に分かれる場所のことです。物事の内容を明らかにするには、上下・表裏・陰陽・主客・前後・左右・遅速等の分離・分岐等の事実を明らかにする必要があります。道俣の神とは言霊図に照合して物事の分岐点を明らかに確認する働きのことであります。

[運用 30] 飽咋の大人(あきぐひのうし)の神 冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるものです。五十音図で言えば一番上のア段に当ります。物事の実相はアオウエイ五次元の中のア段に立って見ると最も明らかに見ることが出来ます。芸術がア段より発現する所以であります。飽咋の大人の神の飽咋(あきぐひ)とは明らかに組む霊(ひ)の意です。物事の実相を明らかに見て、それを霊(ひ)である言霊を以て組むの意となります。大人とは主人公の事。御冠である五十音図のア段と照らし合わせて、物事の実相を言霊で明らかに組んで行く働きという事です。

[運用 31] 奥疎(おきさかる)の神 「奥(おき)」とは起(おき)で物事の始まりであり、反対に「辺(へ)」とは山の辺に見られますように、物事の終りを表わす事となります。 次に疎(さかる)とは辞書に「離れる」「遠ざかる」を表わす上代の言葉とあります。そうしますと、奥疎(おきさかる)と辺疎(へさかる)の文字上の意味は明らかになります。即ち奥疎の神とは何かを他の何かから始まりの処に遠ざける働きという事になります。そして辺疎の神とは何かを他の何かから終結する処に遠ざける働きと言う事が出来ます。

[運用 32] 奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神 奥津・辺津の津は渡すの意です。那芸佐毘古の神とは悉(ことごと)くの(那)芸(わざ)を助ける(佐)働き(毘古)の力(神)という事です。とすると奥津那芸佐毘古の神とは始めにある何かを或る処に渡すすべての芸を助ける働きの力という事となります。辺津那芸佐毘古の神とは終結点に向って何ものかを渡すすべての芸を助ける働きの力と解釈されます。

[運用 33] 奥津甲斐弁羅(かいべら)の神 甲斐といえば甲州、山梨県の事となりますが、この甲斐は山峡の峡のことで、山と山との間という意味です。弁羅とは減らす事。甲斐弁羅であるものとあるものとの間の距離を減らすの意となります。そうしますと、奥津甲斐弁羅の神とは、始めにあるものを渡して或るものとの間の距離を減らす働きという事となります。

辺津甲斐弁羅の神とは、終結点にあるものを渡して、あるものとの間の距離を減らす働きとなります。

[運用 34] 辺疎(へさかる)の神 伊耶那岐の大神という世界身の中に摂取された黄泉国の文化は、それが実相を明らかにされた時点でも禊祓の洗礼を受けている訳ではありません。伊耶那岐の大神の身体の中に取り入れられただけの状態です。その文化を取り入れた我が身の状態をよく観察して、これに新生命を与えるための業の出発点となる実相を見定める働き、これが奥疎の神であります。もう少し説明を加えましょう。黄泉国の文化をわが身の内のものとして摂取した時は整理されていない文化を身の内に入れたのですから、自らが清められ、新しい生命に生まれ変わらねばなりません。では何処が整理されるべきなのか、禊祓の業の出発点としての自らの黄泉国の文化体験はどう認識すべきなのか、が決定されなければならないでしょう。摂取した文化の実相を見極めて、それを摂取した自らの禊祓の出発点としなければなりません。その出発点(奥)(おき)の状態を見極めて行く働き、これを奥疎と呼ぶのであります。

行の出発点としての自らの実相が見極められたら、次ぎに禊祓によって新生命に生まれ変わった世界身としての自らは如何なる状態となっているか、の終着点の新世界身の姿がはっきり心に浮び上がります。禊祓の業の目的達成の時の状況が明らかに心中に浮び上がります。この様に禊祓の業によって創り出されて行く結果(辺)の状況の決定、これが辺疎の働きであります。この働きによって黄泉国の摂取された文化がどんな姿に変わって行くかが決定されると同時に、その文化が摂取された後は伊耶那岐の大神の世界身である世界文明がどういう姿に変化・革新されて行くかも決定されます。禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。それは黄泉国の新しい文化を摂取したばかりの伊耶那岐の大神の心の内容から、禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのであります。

黄泉国の文化を身の内に摂取した伊耶那岐の大神は、その摂取した時点のわが身の実相を禊祓する出発点の状況として認定する事から始めます。これを奥疎の神と言います。次にその出発店から禊祓が始まり、その結果、黄泉国の文化が世界文明の内容の一部として取り入れられ、禊祓の行為が終了した時点に於てわが身は如何なる状況に変革されているか、のイメージが明らかに見定められます。この働きが辺疎の神であります。

[運用 35] 辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神 奥疎の神の働きで御身(おほみま)の禊祓の出発点の実相が明らかになりました。その出発点で明らかにされた黄泉国の文化の内容をすべて生かして人類文明へ渡して行く働きが必要となります。その働きを奥津那芸佐毘古の神と言います。出発点に於ける黄泉国の文化の内容(奥津那芸)を生かして人類文明に渡す芸(わざ)を推進する(佐)働き(毘古)の力(神)という訳であります。それは過ぎたるを削り、足らざるを補う業(わざ)ではありません。内容のすべてを生かす事によって結論に導いて行く業であります。

辺津那芸佐毘古の神とは結論(辺)に渡して(津)行くすべての業(那芸)を助(佐)けて行く働き(毘古)の力(神)という事です。辺疎(へさかる)で黄泉国の文化がどういう姿で人類文明に摂取されるかが心中に確認されました。黄泉国の文化がその姿に収(おさ)まらせる事がどうしたら出来るか、の業が決定されねばならないでしょう。そういう業の働きの力を辺津那芸佐毘古の神と言います。禊祓の出発点に於ける黄泉国の文化の内容をすべて生かして行く業(方法)が奥津那芸佐毘古であり、その内容をどういう姿で人類文明に摂取するかの業が辺津那芸佐毘古と言う事が出来ます。

[運用 36] 辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神 奥津那芸佐毘古で禊祓の作業の出発点にある黄泉国の文化の内容を尽く生かす手段が分かりました。また辺津那芸佐毘古でその文化の内容を人類文明の中に同化・吸収する手段が分かりました。出発点の黄泉国の文化を生かす方法と終着点である人類文明に組込む手段とは、実は別々のものではなく、実際には一つの手段でなければなりません。人類文明に摂取する外国文化の内容の尽くを見極め、それを生かそうとする手段と、その内容を衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人類文明の中にその時処位を与える方法とは、実際には一つの行為・手段によって行われるものです。そこで出発点の手段と終着点の手段は一つにまとめられなければならないでしょう。ですからそのそれぞれの間の隔たりは狭められなければなりません。その間の距離を狭める働きが出発点の奥津那芸佐毘古に働く事を奥津甲斐弁羅と言い、終着点の辺津那芸佐毘古に働く事を辺津甲斐弁羅と名付けるのであります。この様にして摂取する外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。

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(十四) 両児島

言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました。

[運用 37] 八十禍津日(やそまがつひ)の神 八十禍津日の八十(やそ)は何を示すのでしょうか。図をご覧下さい。菅麻(すがそ)音図を上下にとった百音図です。上の五十音図は言霊五十音によって人間の精神構造を表わしました。言霊によって自覚された心の構造を表わす高天原人間の構造です。下の五十音図は何を示すのでしょう。これは現代の人間の心の構造を示しています。元来人間はこの世に生まれて来た時から既に救われている神の子、仏の子である人間です。けれどその自覚がありません。旧約聖書創世記の「アダムとイヴが禁断の実を食べた事によりエデンの園から追い出された」とある如く、人本来の天与の判断力の智恵を忘れ、自らの経験知によって物事を考えるようになりました。経験知は人ごとに違います。その為、物事を見る眼も人ごとに違います。実相とは違う虚相が生じます。黄泉国の文化を摂取し、人類文明を創造する為には実相と同時に虚相をも知らなければなりません。そこで上下二段の五十音図が出来上がるのです。

合計百音図が出来ますが、その音図に向かい最右の母音十音と最左の半母音の十音は現象とはならない音でありますので、これを除きますと、残り八十音を得ます。この八十音が現象である実相、虚相を示す八十音であります。これが八十禍津日の八十の意味です。言霊母音アの視点からはこの八十音の実相と虚相をはっきりと見極める事が出来ます。

この八十相を見極めることは禊祓にとって必要欠く可からざる準備活動です。けれどそれを見極めたからと言って、禊祓が叶う訳ではありません。そこで八十禍と禍の字が神名に附される事になります。

[運用 38] 次に大禍津日(おほまがつひ)の神 八十禍津日の神が、伊耶那岐の大神の禊祓の行法に於ける菅麻音図のア段(感情性能)の意義・内容の確認でありましたが、大禍津日の神は禊祓におけるイ段(意志性能)の意義・内容の確認であります。言霊イから人間の意志が発生しますが、意志は現象とはなりません。意志だけで禊祓はできません。また言霊イの次元には言霊原理が存在します。この原理は禊祓実践の基礎原理でありますが、禊祓を実行するに当り「基礎原理はこういうものだよ」といくら詳しく説明したとて、それで禊祓が遂行されるものではありません。言霊原理は偉大な法則です。けれどそれだけでは禊祓をするのに適当ではありません。そこで大禍(おほまが)となります。しかしその原理があるからこそ、伊耶那岐の大神は阿波岐原の中つ瀬に入って禊祓が実行可能となるのです。中つ瀬に於て光の言葉(日)に渡され、禊祓は完成される事になります。大禍に続く「津日」が行われます。言霊イの次元の意志の法則である言霊原理は、それだけでは禊祓の実践には不適当であるが、その原理を中つ瀬のオウエの三次元に於て活用する事で立派な役を果すこととなる、という確認が行われました。この確認の働きを大禍津日の神と呼びます。

[運用 39] 神直毘(かむなほひ)の神 言霊オの宇宙から現われる人間の精神性能は経験知です。伊耶那岐の大神が禊祓を実行する為に心の中に斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。その確認された働きを神直毘の神といいます。神直毘の神の働きによって黄泉国で産出される諸学問を人類の知的財産として、世界人類の文明創造に役立たせる事が可能だと確認されたのであります。

[運用 40] 大直毘(おほなほひ)の神 言霊ウの宇宙より現出する人間の精神性能は五官感覚に基づく欲望性能です。この性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された性能を大直毘の神と呼びます。この大直毘の神の働きによって、世界各地に於て営まれる産業・経済活動を統合して世界人類全体に役立たせる事が可能である事が分かったのであります。

[運用 41] 伊豆能売(いずのめ) 阿波岐原の川の中つ瀬の最後の言霊エの宇宙より現出する人間性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された働きを伊豆能売といいます。言霊エの宇宙から発現する人間精神性能は実践智と呼ばれます。人間のこの実践智の働きによって世界の国々の人々が営む生活活動の一切、言霊ウオアエの性能が産み出すすべてのものを摂取、統合して、世界人類の生命の合目的性に添わせ、全体の福祉の増進に役立たせる事の可能性が確認されたのであります。伊豆能売とは御稜威の眼という意です。御稜威とは大いなる人間生命原理活用の威力、と言った意味であります。眼とは芽でもあります。眼または芽とは何を指す言葉なのでしょうか。

禊祓をするに当り、人間の根本性能である五母音アオウエイ性能のそれぞれの適否が検討され、その中のオウエ三つの次元が適している事が確認されました。この後、更に適当だと確認されたオウエの三性能について、可能とする道筋の経過が音図上で詳しく検討されます。その経過は明らかに言霊そのもので明示され、確乎とした事実としてその可能が証明されて来ます。その時、オウエの中の言霊エの性能が人間精神上最高・理想の精神構造として示され、主体的・客体的に絶対の真理であるという言霊学の総結論が完成されて来ます。その絶対的真理となる一歩手前の姿、という意味で伊豆能売、即ち御稜威の眼(芽)と謂われるのであります。

[運用 42] 底津綿津見(そこつわたつみ)の神 伊耶那岐の命の天津菅麻(すがそ)音図の母音アオウエイのアを上つ瀬、イを下つ瀬としましたので、オウエが中つ瀬となります。そこで今度はオウエを区別するために中つ瀬の水底、水の中、水上の三つに分けたのであります。即ち水の底は言霊エ段、中は言霊ウ段、水の上は言霊オ段となります。そこで水底である言霊エ段に於いて禊祓を致しますと、底津綿津見の神が生まれました。底津とは底の港の意。言霊エの性能に於て禊祓をすると、外国の文化はエ段の初めの港、即ちエから始まり、最後に半母音ヱに於て世界文明に摂取されます。そうしますと、摂取されるべき外国文化の内容は底の津(港)から終りの津(港)に渡される事となります。綿(わた)とは渡(わた)す事です。すると底津綿津見の神とは、言霊エから始まり、言霊ヱに終る働きによって外国の文化は世界文明に摂取されるのだ、という事が明らかにされた(見)という意だと分ります。伊耶那岐の大神が心中に斎き立てた建御雷の男の神という音図の原理によれば、禊祓によって外国の文化を完全に摂取して所を得しめる事が可能だと分ったのです。

[運用 43] 底筒(そこつつ)の男(を)の命 衝立つ船戸の神の原理によれば禊祓は如何なる外国文化も摂取する事が可能であると分りました。とするならば、その初め、言霊エから始まり、言霊ヱまでにどんな現象が実際に起るのか、が検討され、明らかに現象子音の八つの言霊によって示される事が分ります。それはエ・テケメヘレネエセ・ヱの八つの子音の連続です。八つの子音は筒の如く繋がっていて、チャンネルの様であります。そこで下筒の男の命と呼ばれます。

何故下筒の神と呼ばずに下筒の男の命と言うのか、について説明しましょう。神と言えば、働き又は原則という事となります。禊祓の場合、エとヱとの間に如何なる現象が起きるか、が八つの子音言霊の連続によって示されるという事は、生きた人間が禊祓をする時、その人間の心の内観によって心に焼きつく如くに知る事が出来る事です。そこで男の命(人)と呼ばれる訳であります。内観ではあっても、それは子音であり、厳然たる事実なのです。その事は禅宗「無門関」が空の悟りを「唖子の夢を得るが如く、只(た)だ自知することを許す」と表現するのと同様であります。

[運用 44] 中津綿津見の神 中つ瀬の水の中と言うと言霊ウ段の事です。言霊ウの宇宙から現われ出る人間性能は五官感覚に基づく欲望性能であり、その性能が社会現象となったものが産業経済活動です。この性能次元で禊祓をすると、外国の経済産業活動から生産・流通して来る物質は極めて速やかに世界人類の生活に円滑に奉仕される事が明らかになったという事です。中津綿津見の神の最初の津とは言霊ウの働きがそこから始まる港のこと。次の津は言霊ウの働きがそこに於て終わって結果を出す港の意。中津綿津見の神の全部で、言霊ウの欲望性能で禊祓をすると、外国の産業経済活動が世界の経済機構に吸収され、その結果世界経済の中で所を得しめる働きがあることが証明された、の意となります。

[運用 45] 中筒の男の命 では言霊ウ段に於ける禊祓がどういう経過を踏んで達成されるか、の言霊子音での表現が明らかとなった事であります。即ちウよりウに渡る間の現象を言霊子音で示しますと、ウ・ツクムフルヌユス・ウの八子音で表わすことが出来、この実相が心に焼きつく如く明らかに禊祓を実行する人の心中に内観されることとなります。

[運用 46] 上津綿津見の神 中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この母音宇宙から現出する人間性能は経験知です。この性能が社会的活動となると学問と呼ばれる領域が開けて来ます。この性能に於て禊祓をしますと、上津綿津見の神が生まれました。言霊オから言霊ヲまでの働きによって外国で生れて来る各種の学問や思想等が人類の知的財産として摂取され、人類全体の知的財産の向上のためにその所を得しめることが可能であると確認されたのであります。

[運用 47] 上筒の男の命 そして外国の学問・思想等知的産物が世界人類の知的財産として所を得しめられるまでに、八つの現象を経過して行なわれる事が分りました。その経路はオ・トコモホロノヨソ・ヲの八つの子音であります。この八つの子音が繋がった筒(チャンネル)の如くなりますので、またその八つの子音は禊祓を実践する人の心中に焼きつく如く内観されますので、上筒の男の命と呼ばれる事となります。

[運用 48]天照らす大御神 そこで左の御目を洗いますと、天照らす大御神が誕生することとなります。その内容は言霊エで始まり、エ段の子音(底筒の男の命)テケメヘレネエセが続き、最後に言霊ヱで終る、人間の基本的性能である実践智、道徳智の究極の鏡の構造が出来上がりました。この構造原理を基本原理として、人類一切の生活の営みを統轄し、人類全体の歴史創造の経綸を行う働きの規範の誕生です。これを天照大御神と申します。またその統轄原理を言霊五十音を以て表わした言霊図を八咫の鏡と呼びます。伊勢神宮正殿床上中央に祭られる御神体です。またその五十音言霊図を天津太祝詞(音図)と呼びます。

[運用 49] 月読(つくよみ)の命 右の御目に相当する次元は言霊オの経験知です。禊祓の実行によって人間の経験知、それから発生する人類の諸種の精神文化(麻邇を除く)を摂取・統合して人類の知的財産とする働きの究極の規範が明らかに把握されました。月読の命の誕生です。その精神構造を言霊麻邇によって表わしますと、上筒の男の神に於て示された如く、オ・トコモホロノヨソ・ヲとなります。

[運用 50] 建速須佐の男の命 顔の真中の鼻に当るのは言霊ウの性能、五官感覚に基づく欲望です。その働きの社会に於ける活動は産業・経済です。禊祓によって人間の欲望性能に基づく世界各地の産業・経済活動を統轄して世界人類の物質的福祉に寄与させる働きの最高の精神規範の自覚の完成が確認されました。建速須佐の男の命の誕生です。その原理を言霊麻邇を以て表わしますと、中筒の男の命で明らかにされました如く、ウ・ツクムフルヌユス・ウとなります。

以上言霊百神

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【あ】

先天構造の領域 - (一) 淡路の穂の狭別の島 - (二) 伊豫の二名島 - (三) 隠岐の三子島 - (四) 竺紫の島 - (五) 伊岐の島

自己意識の領域 - オノゴロ島

【わ】

後天現象の領域 - (六) 津島 (天の狭手依比売) - (七) 佐渡の島 - (八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別) -

【や】 自覚以前

言霊運用の領域 - (九) 吉備の児島 -

【や】 自覚へ

自我確立の領域 - (十) 小豆島

【や】 自覚運用

禊ぎ無自覚の領域 - (十一) 大島 (大多麻流別) - (十二) 姫島 (天一根)

創造された客観世界の領域 - ● 黄泉国(よもつくに)

【や】 反省自覚へ

自覚反省禊ぎへの変態へ向かう領域 - (十三) 知訶島

【さ】 禊ぎと自由創造の領域

自由な宇宙世界の創造の領域 - (十四) 両児島

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(零) 天地・アメツチ - 吾の眼を付けて地と成す

(一) 淡路の穂の狭別の島 - 零、問題の提起 ・問題提起、提起しない

(二) 伊豫の二名島 - ・アワの生きた気が入る、営み生き様と有り様成り様・働きと実体に剖判

(三) 隠岐の三子島 - ヲオエヱ ・過去-今・今-今・今-未来を繋ぐ

(四) 竺紫の島 - いとなみの内容

(五) 伊岐の島 - 創造の原動因

(・) 自己意識の領域 - オノゴロ島

(・) 島生み・十四島 - 意識領域の確保

(六) 津島 (天の狭手依比売) - 現象ようその創造へ。頭脳内の先天十七の言霊の活動がどんな内容の事柄なのかをイメージ、アイデアとしてまとめていく。

(七) 佐渡の島 - イメージ、考えをを言葉に渡し組んでいく。物象化。

(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別) - 物象化され伝達され、相手側に聞かれ反復され了解される。循環が終わって記憶される。

(九) 吉備の児島 - 初歩的な規範ができる。 客体側に備わった運用要素。

(十) 小豆島 - 父韻と母音実在のシンクロナイズ。 主体側の運用要素。

(十一) 大島 (大多麻流別) - 主観的な判断規範の運用。客体側運用要素の子供。

(十二) 姫島 (天一根) -主観的に創造された客観表現。 その創造現象。

(・) 黄泉国(よもつくに) - 客観世界の領域、固定された客観世界。客体内に主体意思を尋ねる。そして決別。

(十三) 知訶島 - 主観的な判断規範の反省、禊ぎの前段。客体内での主体創造意思の救済。

(十四) 両児島 - 理想的な判断規範の完成。

(・) 歓喜 - 創造実践。

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【あ】

先天構造の領域

(一) 淡路の穂の狭別の島

アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます。

天の御中主の神 ウ

(二) 伊豫の二名島

高御産巣日の神 ア

神産巣日の神 ワ

二名とはアとワの二音言霊のこと 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです イとヰの現象を創造する働きの予めの区分

(三) 隠岐の三子島

天の常立の神 オ

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ

国の常立の神 エ

豊雲野の神 ヱ

隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味

言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です

(四) 竺紫の島

宇比地邇神・妹須比地邇神 チ・イ

角杙神・妹生杙神 キ・ミ

意富斗能地神・妹大斗乃弁神 シ・リ

於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 ヒ・ニ

竺紫は尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です

(五) 伊岐の島

伊耶那岐神 イ

伊耶那美神 ヰ

伊岐とは伊の気でイ言霊のこと

心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです

天津磐境

言霊ウから言霊ヰまで十七個の言霊が全て出揃い、この先天構造図を「天津磐境」(あまついわさか)と呼びます

天津は先天の意 磐境は五葉坂(五段階の言葉の構造)です

この天津磐境が活動して五官感覚で意識することが出来る精神の後天現象が生れます

言霊五母音につきましては中国哲学(易行)では五行の木火土金水とか、仏教では五重塔で仏陀・菩薩・縁覚・声聞・衆生とか、キリスト教ではラファエル・ミカエル・ガブリエル・ウリエル・ルシファーの五大天使の名で示しています

言霊父韻に関しましては、中国の易経に八卦、キリスト教では神と人との間の契約の印の虹として、仏教では仏となる為の守らねばならない八正道等などとして説かれています

自己意識の領域

オノゴロ島

【わ】

後天現象の領域

(六) 津島 (天の狭手依比売)

津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です

まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です

未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です

別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです

大事忍男の神 タ

石土毘古の神 ト

石巣比売の神 ヨ

大戸日別の神 ツ

天の吹男の神 テ

大屋毘古の神 ヤ

風木津別の忍男の神 ユ

大綿津見の神 エ

速秋津日子の神 ケ

妹速秋津比売の神 メ

(七) 佐渡の島

佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分

どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます

真名とも言います

沫那芸の神 ク

沫那美の神 ム

頬那芸の神 ス

頬那美の神 ル

水分の神 ソ

国の水分の神 セ

久比奢母智の神 ホ

国の久比奢母智の神 ヘ

(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別)

大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります

音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです

声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です

別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分

火の夜芸速男の神 ン

神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます

風の神名は志那津比古の神 フ

木の神名は久久能智の神 モ

山の神名は大山津見の神 ハ

野の神名は鹿屋野比売の神 ヌ

天の狭土の神 ラ

国の狭土の神 サ

天の狭霧の神 ロ

国の狭霧の神 レ

天の闇戸の神 ノ

国の闇戸の神 ネ

大戸或子の神 カ

大戸或女の神 マ

鳥の石楠船の神 ナ

大宣都比売の神 コ

火の夜芸速男の神 ン

【や】 言霊運用の領域

(九) 吉備の児島

吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです

初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう

金山毘古の神

金山毘売の神

波邇夜須毘古の神

波邇夜須毘売の神

弥都波能売の神

和久産巣日の神

の子(豊宇気毘売の神)

(十) 小豆島

音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと

泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります

別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています

泣沢女(大野手比売)の神

(十一) 大島 (大多麻流別)

大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです

伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります

石拆の神

根拆の神

石筒の男の神

甕速日の神

樋速日の神

建御雷の男の神

闇淤加美の神

闇御津羽の神

(十二) 姫島 (天一根)

八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分

言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます

女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます

頭に成りませる神の名は

正鹿山津見の神

胸に成りませる神の名は

淤滕山津見の神

腹に成りませる神の名は

奥山津見の神

陰に成りませる神の名は

闇山津見の神

左の手に成りませる神の名は

志芸山津見の神

右の手に成りませる神の名は

羽山津見の神

左の足に成りませる神の名は

原山津見の神

右の足に成りませる神の名は

戸山津見の神

○ 黄泉国(よもつくに)

(十三) 知訶島

これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となります

知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です

外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分

伊耶那岐の大神

衝き立つ船戸の神

道の長乳歯の神

時量師の神

煩累の大人の神

道俣の神

飽昨の大人の神

奥疎の神

奥津那芸佐毘古の神

奥津甲斐弁羅の神

辺疎の神

辺津那芸佐毘古の神

辺津甲斐弁羅の神

(十四) 両児島

言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました

八十禍津日の神

大禍津日の神

神直日の神

大直日の神

伊豆能売

底津綿津見の神

底筒の男の命

中津綿津見の神

中筒の男の命

上津綿津見の神

上筒の男の命

天照大御神

月読の命

建速須佐男の命