「言霊」島田正路氏の著書の写し 2

2)事物に名を付けること

言霊による宇宙とは

言霊原理の発見、韻没、復活

言霊と古事記

事物に名を付けること。

五つの母音、五つの半母音、八つの父韻(以上先天)、ならびに三十二の子音(後天要素)が確定しました。ということは人間の精神生命宇宙の構造が解明され、さらにその宇宙のそれ以上分解することのできない最小要素それぞれに一音一音に名が付けられたということです。

この最小要素とその名前が一体となって宇宙の全ての事象が文明として創造されるわけです。

その要素とは名であり、なとは存在それ自体です。

霊である言、言である霊であります。

この五十音を言霊というわけです。

精神宇宙は究極的にこの五十個の言霊によって成立していてそれ以上のものは存在せず、それ以下であることもないわけです。

そしてこの五十個の存在要素の意味を駆使して宇宙全体の事物に名を付けました。

古代大和言葉の創造です。

命名の基本である五十音は、宇宙の構成要素としてその一音一音に意義と帰納が確定されたものでありますから、その五十音それぞれを組み合わして付けられた名前は完全純粋にその事物の真実の姿を表現しています。

名前がすべてでその他に注釈を加えたり、その意義に議論をする必要がないものです。この間の消息を昔の人は 「この日本は惟神言挙げせぬ国」 などと称えました。

それは、この大和言葉は惟神(カミナガラ)、すなわち人間思惟の先天ならびに後天の最小要素によって名付けられた言葉であって、その言葉自体が事物の実相を現しているから、その上のくどくどしい概念的説明は必要としないのだという意味です。

それを言葉の意義を忘却した為政者が、「お上の命令にはただハイハイト黙従していけば決して誤りなく正義が行なわれる国なのだ」 などと暴言を履く仕儀にまでなってしまったのでした。

例えば次のようなことを挙げることができます。聖徳太子の十七条の憲法に、「和を以て貴しとなす」とあります。なにげなく読めば、仲良しは大切だ、ぐらいにしか考えられません。しかし、これが言霊の立場から捉えますと決定的完結的な意味がでてきます。

和はワです。また輪○です。ある点から二つの反対方向に別れてやがて究極にまた一致することです。

また、ワは純粋客観であり結論です。

ここに二人の仲のよい友達がいました。ある時二人の間に利害の対立する問題が起こりました。ふたりはとことん議論しました。意見はどうしても噛み合いません。もう絶望です。その時友情が蘇ったのです。二人の見つめ合った目と目とに笑いがこぼれたのです。そさからの話し合いはスムーズでした。どうしたらお互いによいかの結論はすぐ出ました。友情の輪は以前にもましてかたく結ばれたのです。始まりからいったん別れて結果として結ばれる輪の完成です。

この意味での輪が真の「和」であります。この意味で言霊ワを知った人は常に和でいられるわけです。ある主義者が主張する「われわれは平和を闘いとろう」などという言葉がいかに空虚で平和の心からかけ離れたものであるか、お分かり頂けると思います。

和を知っている人は、心は出発から和で始まるのです。常に和なのです。それが言霊ワの一音の意義であります。

以上のように一音が決定的な意味を持ち、それぞれの音が物事の真実の姿に合うように組み合わされて名がつけられていきます。事物の名付けの限りない発展とその伝承が文明にほかなりません。

以上言霊五十音を順に母、半母、父、親、子に分けてそれぞれが人間精神宇宙の中で占める構造位置とその生命上の意味について説明してきました。まことに大雑把ではありましたが、日頃私達が無意識に使っているアイウエオ五十音図も、ただ何の深い意味もなく覚えやすいように並べてあるのではなく、それぞれの一音一音が他とは替えることのできない決定的な意味を持ち、また五十の集合によってそれぞれ次元の相違する心の構造を表現するものであることを了解して頂けたものと思います。

言霊による宇宙とは。

最初にお話しましたように、眼を開けてみる物質的客観宇宙は、目の前のミクロの世界から、遠い、遠い、膨張し続けるといわれる宇宙すなわちマクロの宇宙まで続いています。

そして今私達が地上から真上に真直ぐに飛び出して超高速に限りなく飛び続ければ、ちょうど飛び出す時と反対の方向から元の場所に帰って来てしまうということがよくいわれます。宇宙は無限ということのがいねん的神秘がここに考えられるでしょう。

それとは全く逆の方向に、眼を閉じて内なる主観的精神宇宙について言えばどうでしょうか。

この広大な主観的精神宇宙も極めて具体的に要約して考えてみれば、

人間の意識が何も起こらない時、すなわち空なる宇宙そのものの中に、初めて現われる意識の萌芽であるウに始まり、アワ、オエヲヱ、ヒチシキミリイニ、イヰ の先天部分が頭脳の中で働き、

それが後天として具体的形となり言葉として発音され、

その音が空中を飛んで自分または他人の耳に入り、

また頭脳の中に進入して再検討され了解されて先天の宇宙に帰り、

記憶として頭脳内に印画されます。

精神宇宙を言霊の立場から最小限に要約すると上記以外のものではないことが明かに理解されます。

大昔の日本人は言霊の原理に到達して、この最小限要約の宇宙に起こる精神現象の機能順序を言霊によって表現することに成功しています。詳しい説明は後に譲りますが、今はその作用を現す言霊の順序を示すことにしましょう。

(先天十七)

ウ・・ア-ワ

エオヲヱ

ヒチシキミリイニ

イヰ

( 後天三十三)

ヌ・

(計五十)

言霊原理の発見、隠没、復活。

人間精神の究極の原理としての言霊の学問はいったいいつ頃発見確立されたのでしょうか。

詳しいことは今後の研究、立証を待つより他はありません。けれども少なくとも現代の歴史学者や言語学者が日本の歴史について主張しているよりは遥か以前の出来事であったことは間違いないようにおもわれます。

なぜなら現在私達が日常使っている日本語の内の大和言葉というのはすべて五十音言霊の原理によって決定され命名された言葉であることが、その明かな証明でありましょう。言霊の原理を理解し、その原理の観点に立って現行の歴史学や考古学を再検討するならば、日本のれきしの起源は現在の常識より遥か遠い昔に遡ることが明瞭となります。

と同時に日本のみならず、世界各地の神話、宗教書等に示され、今の学者にはどうしても説明することができない多くの事柄が、この言霊の原理から考えると、いともすらすらと解釈することができるという事実にもよります。これよりその大略をお話しいたしましょう。

先に「言霊の発見と変遷」のところでお話しましたごとく、紀元前数千年の昔、言霊の原理が発見され、その後この日本列島においてその原理に基図いて人間社会の文化の創造、政治国家が建設され繁栄して時代が続きました。

言霊原理は遠く全世界に流布施行されるようになりました。いわゆる神話の時代です。ところがこの精神原理が人間のもう一つの性能面である物質文明の発展促進のために隠没される時がきました。約三千年前の出来事です。

原理の隠没とは消滅ではありません。一定期間を経て物質文化がある程度に進展した時、再び人間の脳裏から甦り、物質文明と車の両輪をなす精神文化の原理とならねばなりません。

そのために原理を隠滅する事業と平行して、その甦りの時の用意に、種々の方策が取られたのでした。

その第一は言霊の原理をあからさまではなく謎として呪示する神話の制定です。各民族の神話の原型はすべて言霊原理を表徴しています。

第二に世界的宗教の創生です。その目的は、言霊原理の韻没に続いて当然招来される人類の精神暗黒時代に生きる人類の心のよたどころとし、また、言霊原理が甦る時に備えて、その原理を受け入れ易くすくための人間精神の修練とするためです。

と同時に、言霊を各宗教書の中に表徴てきに暗示するためでもあります。

第三は、言霊の原理を形の上で表徴する各種の建造物を遺しました。例えば日本では伊勢の内外宮の本殿の作り方、仏教の多宝塔、五重塔、方丈等々がそれであります。

以上のような歴史的な記述は、今までの常識の枠をはみ出していますので首肯しかねる方が多いことと思います。けれども、今後この本の説明する道筋に則ってご自分の心の構造に踏み入って頂くならば、否定のしようのない事実としてなるほどとうなずかれることとなりましょう。

自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示しているそれぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。

前置きはこのぐらいにして、言霊の原理はその隠没の時代にどのように呪示として遺されたのかを数例を挙げて説明してみましょう。

言霊と古事記。1。

古事記が、特にその神代の巻が、言霊の原理の手引書であるといったらどなたも驚かれることでしょう。

現に今の歴史学者の中には「奈良時代に到って 日本の中央集権化に成功したその時の権力者が、その統治に権威あらしめる目的ででっちあげたのが古事記、日本書紀である」として両所は架空の創作書と称える人が多いようです。

そしてその主張の根拠の第一が古事記の神代の巻です。古事記をただ漫然と歴史書として読む人にとってはそのように思うことも無理からぬことでありまましょう。しかしそれは全くの見当違いなのです。

古事記と日本書紀の神代の巻は、言霊原理の隠没した時代の末に、再び日本人が潜在意識のそこからその原理を甦らすために用意された神話の形をとった言霊の教科書なのです。

古事記神代の巻きの最初に登場する神名天の御中主神より建速須佐之男の命までちょうど百個の神名が挙げられています。

古事記は神話の形をとって書かれた人間精神の根本構造を明示し呪示した言霊原理の指導書なのです。

百神のうち前半の五十神は五十音言霊をそれぞれ示し、後半の五十神はその五十音言霊をどのように操作したら人間行動の理想の規範ができるかを説いています。

簡単に説明してみましょう。

「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神、次ぎに高御産巣日の神、次ぎに神産巣日の神、この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき」

以上は神代の巻きの冒頭の文です。天地の初発の時などと言われると誰でもこの宇宙の始まった天文学的、地球物理学的な始まりのことと想像するでしょう。

しかしここでは違います。

古事記神代巻はすべて人間精神の内面について語っているのであって、客観的なそれの話ではありません。

すなわちこの本の始めの頃お話質したように、内に省みた広大な精神的宇宙から初めて人間意識が目覚めて、現象以前の先天的機構を経過して眼に見える現象が現われる細部の精神的消息を解説しているのです。

天地の初発の時は常に、「いま・ここ」 に人間の意識が何もないところからふと生れてくるその「初発の時」のことです。

その何もない澄んだ宇宙が高天の原です。

前に「言霊とは」の章で人間の意識が眠りから目覚めていく順序に従って言霊の発現を説明しました。実はその記述の順序は古事記に現われ出てくる神々の名が示す言霊の順序に従ったのです。

天御中主神言霊ウ、高御産巣日神言霊ア、神産巣日神言霊ワまでは既に説明しました。神名は次ぎに宇摩志阿しか備比古遅の神言霊ヲ、天の常立の神言霊オ、国の常立の神言霊エ、豊雲野の神言霊ヱ・・・と続いています。

そして天御中主神より建遠須佐の男命までちょうど百の神名が出てくることとなります。

それぞれの神名がどうしてそれに相当する言霊と結びつくのかの説明はあまりに煩雑になりますので後の機会に譲ることにしまして今は言霊五十音とそれを呪示する古事記の神名をそれぞれ列記しておくことに留めます。

「言霊五十神」。

淡路の穂の狭別の島

【ウ】 天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)

伊豫の二名島

【ア】 高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)

【ワ】 神産巣日の神(かみむすびのかみ)

隠岐の三子島(天の忍許呂別)

【ヲ】 宇摩志阿斯訶備比古遅の神(うましあしかびひこぢのかみ)

【オ】 天の常立の神(あめのとこたちのかみ)

【エ】 国の常立の神(くにのとこたちのかみ)

【ヱ】 豊雲野の神(とよくもののかみ)

竺紫の島

【チ】 宇比地邇の神(うひぢにのかみ)

【イ】 須比地邇の神(すひぢにのかみ)

【キ】 角杙の神(つのぐひのかみ)

【ミ】 生杙の神(いくぐひのかみ)

【シ】 意富斗能地の神(おほとのぢのかみ)

【リ】 大斗乃弁の神(おほとのべのかみ)

【ヒ】 於母陀琉の神(おもだるのかみ)

【ニ】 阿夜訶志古泥の神(あやかしこねのかみ)

伊岐の島(天比登都柱)

【イ】 伊耶那岐の神(いざなきのかみ)

【ヰ】 伊耶那美の神(いざなみのかみ)

(以上先天十七神)

津島(天の狭手依比売)

【タ】 大事忍男の神(おおことおしをのかみ)

【ト】 石土毘古の神(いはつちひこのかみ)

【ヨ】 石巣比売の神(いはすひめのかみ)

【ツ】 大戸日別の神(おほとひわけのかみ)

【テ】 天の吹男の神(あめのふきをのかみ)

【ヤ】 大屋毘古の神(おほやひこのかみ)

【ユ】 風木津別の忍男の神(かざもつわけのおしをのかみ)

【エ】 海の神名は大綿津見の神(おほわたつみのかみ)

【ケ】 水戸の神名は速秋津日子の神(はやあきつひこのかみ)

【メ】 水戸の神名は速秋津比売の神(あやあきつひめのかみ)

佐渡の島

【ク】 沫那芸の神(あわなぎのかみ)

【ム】 沫那美の神(あわなみのかみ)

【ス】 頬那芸の神(つらなぎのかみ)

【ル】 頬那美の神(つらなみのかみ)

【ソ】 天の水分の神(あめのみくまりのかみ)

【セ】 国の水分の神(くにのみくまりのかみ)

【ホ】 天の久比奢母智の神(あめのくひざもちのかみ)

【ヘ】 国の久比奢母智の神(くにのくひざもちのかみ)

大倭豊秋津の島(天津御虚空豊秋津根別)

【フ】 風の神名は志那津比古の神(しなつひこのかみ)

【モ】 木の神名は久久能智の神(くくのちのかみ)

【ハ】 山の神名は大山津見の神(おほやまつみのかみ)

【ヌ】 野の神名は鹿屋野比売の神(かやのひめのかみ)

【ラ】 天の狭土の神(あめのさつちのかみ)

【サ】 国の狭土の神(くにのさつちのかみ)

【ロ】 天の狭霧の神(あめのさぎりのかみ)

【レ】 国の狭霧の神(くにのさぎりのかみ)

【ノ】 天の闇戸の神(あめのくらどのかみ)

【ネ】 国の闇戸の神(くにのくらどのかみ)

【カ】 大戸或子の神(おほとまどひこのかみ)

【マ】 大戸或女の神(おほとまどひめのかみ)

【ナ】 鳥の石楠船の神(とりのいはくすふねのかみ)

【コ】 大宣都比売の神(おほげつひめのかみ)

【ン】 火之夜芸速男の神(火之迦具土神)(ほのやぎはやをのかみ、ホノカグツチノカミ)

(以上後天三十三神)。計言霊五十神。

言霊と古事記。2。

以上の五十神に続く五十神の神名は、先にお話ししましたごとく前出の五十音言霊をいかように運用操作したら人間の理想的行為の規範を実現し得るかの操作法であります。

また伊耶那美の神の後に十数個の島の名が出てきますが、これは言霊のそれぞれが、またその操作法が、精神宇宙のどの位置にあり、どのような意義を持っているかの呪示であります。

「成りませる神の名は天の御中主の神」。

成りませるとは生まれてくることであり同時に”鳴りませる”として言葉として現れてくることでもあります。生まれてくることとそれが名をもつこととは不可分の人間文明創造の根元です。言と霊と同一であること、すなわち言霊です。

何もない宇宙に初めて手ボャーと生まれる根元の意識、それは「我在り」の起源となる意識です。○チョンの図の中の一点です。

宇宙は広いものです。だから、その中の一点といえばどこをとっても中心です。漫然としながらもこの中心に在りとする意識の始まり--この存在を天の御中主の神という名前で呪示したわけです。そしてその存在は言霊ウです。

「次に高御産巣日の神、次に神産巣日の神、・・・・・」。

とは、全純粋主観である言霊アと全純粋客観である言霊ワです。

○チョンである言霊ウから、ア・ワの主観・客観が剖れたことを示します。

「独り神に成りまして身を隠したまいき」。

ウ・ア・ワと呼ばれる世界は、示されたとき、他の何ものにもよることなくそれ自体独立した一つの宇宙でありますので、それを、独り神というのです。またそれぞれの実在は決して現象とはならず、先天の宇宙でありますゆえに、”身を隠したまいき”と申します。

このようにして次々に宇宙が剖判して生まれてくる神々すなわち意識のそれぞれの根元要素に五十音をあてはめてゆき、母音・半母音・父韻・親韻・子音と言霊ンを確認しました。全部で五十音です。

高御産巣日と神産巣日とは高御産巣日の方の頭にタの一字がある以外は同一です。タとは田んぼのことで、人は田を耕して米を作ります。精神的に言葉の田である五十音言霊図を耕して、結合した物事の名前を作っていくことすなわち文明創造の主体行動を意味します。

アである吾の側に創造の主体性があり、ワである汝の側はあくまで主体の呼びかけに応えるだけで受け身の立場です。ですからタカミムスビに対してタがないカミムスビなのです。

三十一文字の和歌の道のことを、昔、言の葉の誠の道、または敷島の道と申しました。敷島とは元五十城島と書きました。五十音が住む城の意味で、少なくとも古今集までの時代には、言霊の原理は伝統として世に知られており、和歌の道とは情感を三十一文字に表現しながら、同時に言霊の原理をその中に折り込むことによって実際に言霊を体得する修行の方法の一つであったのです。

奈良時代にはまだ社会的に完全に埋もれてはいなかった言霊五十音の意義を後世に残そうとして制定された書が古事記です。言霊の一つ一つの生命全体に占める位置・意味・機能等々を、後世、それを指月の指として自己の内面をみる顧思するならば、明らかに言霊五十音に到達できるように、その時代、人口に膾炙されていた神名、人名を抜き出して神話の形で構成して書き残したのが古事記の神代の巻なのです。

言霊ウの意味を把握した時、古事記の天の御中主の神とうい神名はその実体を何とよく示しているかと驚かされます。古事記を書いた太安万侶という人は確かに言霊の原理を知っていたのだなあとつくづく思われるのです。その他、時がくれば言霊の音の一つひとつが明らかに溶けるように、古事記の神名と言霊の五十音とを照合し易いように、和歌の道の奥義書となるものが皇室の中に秘蔵されたのです。その場所を賢所と申します。文字通り世界中で最も賢いところであったわけです。

昭和二十年の第二次世界大戦の敗北まで、日本天皇の皇統の証明物として三種の神器が尊ばれていました。八咫の鏡、八尺の勾玉、草薙の剣です。この三種の神器を持っている人が正統の天皇であるということで、ある時代にはこの神器の帰属をめぐって戦いがありました。またその神器の真偽の論争が起こったこともありました。

けれども言霊の原理の立場から考えますと、三種の神器についての争いなどまことに笑止のことにおもわれます。なぜなら神器とは物質的器物です。器物とは精神的原理の象徴物に他なりません。大昔には哲学概念の言葉がありませんでしたので精神的なものは器物で表徴しました。

鏡とは言霊エを主眼とした理想的精神構造の図すなわち先に述べた天津太祝詞音図のことです。この音図に照らし合わせれば、すべての人間行為の善悪、可否は正確に判断されます。

勾玉とは言霊五十音を一つ一つ粘土板に書いて焼いた勾玉の形を連ねたネックレスのこと。この五十の要素以外に精神医宇宙には何もないことを示しています。

剣とは縦に空間をアイウエオの五次元に、横に時間をカサタナハマヤラと八つの展相に断ち切って判断する精神的判断力のことに他なりません。

たてに五つの次元を切ると、この人はどの次元に立って行動を起こしているかが判ります。五つに”分ける”から”分かる”のです。

横に八父韻の相を判断すると、その人は目的に向って正しい手順を踏んで物事を進めているかどうかが明瞭に分かります。

この精神的審判の理想構造と、それを構成している五十音の要素の認識と、それによる精神の明確な判断力を持っていることが為政者の、大昔にあっては天皇としての、資格であったわけです。

日本書紀に「是の時に天照大神手に宝鏡を持ちたまひて、・・・『吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を見るがごとくすべし。ともに床を同くし殿をひとつにして、斎鏡・いわいのかがみ・とすべし』とのたまふ」とあります。

このことから推察して日本の大昔に言霊の原理に則り政治が行われ平和な精神文化の花が咲いていた時代があったことが推察されます。

「床を同くし殿を共にして斎鏡とする」ことを鏡と天皇との共床共殿の政治といって、言霊原理が実際に政治に生きていたことを物語っています。

現代人の大きな迷信の一つをご存じでしょうか。それは現在の物質文明の繁栄に酔うのあまり、その物質文明の未発達であった大昔が野蛮時代であったと思い込んでいることです。確かに数千年以前には今のごとき物質機械文明は存在しなかったでありましょう。けれども精神の分野においては、現代人が夢にも見ることができぬほどに立派な文化の華が咲いていたことは確かであったようです。

そのなによりの証拠は大和言葉の存在と、その言葉を創造する根本原理である言霊の原理の存在がここに明らかにされたことであります。日本における古事記・日本書紀の神話ばかりでなく、世界の神話すなわちギリシャ・エジプト・北欧等々の神話はすべて過去に真善美の精神文明の華咲いた時代があったことを明記しています。これらは決しておとぎ話ではなく実話であることを、この書を手にした読者ご自身が言霊の原理に深く踏み行って大和言葉の内容を明らかにされるなら、さもありなんとうなずかれることでしょう。と同時にこれらの神話は全て隆盛を極めた精神文明が、ある時代を画して隠没し姿を消してしまったことをも記しています。

日本においても日本書紀に神倭朝十代崇神天皇の時代の次のごとき事件について報じた一文が載っています。「是より先に、天照大神、倭大国魂二の神を、天皇の大殿の内に並祀る。然して其の神の勢いを畏りて、ともに住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鋤入姫命に託けまつりて、倭の笠縫巴に祀る・・」

右の事件は神倭朝の同床同殿の廃止という、それまで天皇が言霊の表徴である三種の神器と共に居り、その原理に則って政治を行っていた事を廃止して、この人間の究極原理を人間が拝む対象としての神と祀ってしまったことを意味します。すなわち人間最高の精神文明の隠没となるわけです。

ちなみに言霊の原理からみて人間が神に対する態度も二種類あることを説明しておきましょう。第一は神を斎く立場であり、第二は神を拝む態度です。

斎くとは五作を意味し、神である宇宙の五つの次元アイウエオの順を心に確認し、神と一体になることであり,拝むとは神である宇宙次元の内容を自覚せず自ら傀儡に成り下がり、ひたすら神を畏怖する態度であります。

拝むと愚かとは同じ語源より発します。

以上のようにその昔、日本の天皇として政治の任にある人が必ず体得しそれによって政治を運営するべき言霊の原理が、人間の自覚から離れ、伊勢神宮の内宮に天照大御神として祭祀され、原理そのものは日本人の意識から隠没したのですが、数千年の後、言霊の原理が再び日本人の脳裏に蘇る時に備えて巧妙な仕掛けがなされたのでした。

それは言霊の理想構造図すなわち天照大御神を祀る伊勢神宮の内宮の本殿を、一度言霊という意識の下に見るならば、まさに一見してその言霊的構造が明らかになるような構造に建立したことです。その作り方を今に 唯一神明造り と伝えています。唯一の神が明らかになる造りということです。

伊勢神宮本殿の構造と言霊図とのみごとな照合のことについては後に譲ることにしまして、ここではただひとつ構造上最も重要な事をお話するに留めます。それは伊勢神宮におきまして、秘中の秘 といわれます本殿中央の床下に祀られる忌柱または心柱のことであります。

それは大きさ縦横約五寸の四角形、長さ五尺の白木の柱で、下二尺は地表より下に埋められた形で建てられています。

これは何を意味しているでしょうか。

言霊を知り、この変遷の意味を了解するならば一見して天照大御神という神の言霊的意味が明らかにされます。真柱の五尺の長さは明らかに神道で天之御柱と称える言霊アオウエイ五母音を表徴します。

この五母音の重畳こそ神の本体です。しかも下二尺が地表下にあるということは、言霊原理が韻没し神と祀られている期間は、社会にアオウである宗教・芸術・学問・産業は栄えても、下二段のエイすなわち言霊原理イとその原理に則る道徳・政治エはこの世に実際には行なわれることはない、、と言う呪示であります。

隠された言霊の原理を他の建造物や宮中での諸々の儀式の形式(例えば立太子の時の壺切りの儀)等で呪示したものは多数存在しますが、その説明は他の機会に譲ることといたします。

以上言霊原理の韻没の時の状況についてお話しました。そこでついでに二千年間完全に埋没していたその原理がどのようにしてこの社会に再び蘇ってきたかを付け加えておきましょう。宮中において三種の神器の同床共殿の制度の廃止以来、日本の国家は言霊エではなく言霊ウの権力よる支配の下で、けっして平和至福の社会とは言えない状態が続いたのでした。それはまた全世界についても同じことが言えるでしょう。

けれども三千年以前に決定された方策のごとく近代になって韻歿していた言霊五十音の原理がようやく社会の表面意識の上に甦ることとなります。その委員没の二千年の間にも言霊の原理の存在に気付いた日本人はいました。平安時代いこうでは菅原道実・最澄・空海・日蓮等々の人々がそれです。

遺されたそれらの人々の著書を言霊の立場から読めば一目瞭然です。しかしこれらの人々はその存在に気付いても決して明らさまに言霊を説いてはいません。存在を呪示しただけでした。その時代々々が言霊を世に出す時ではないことを察知したからでありましょう。そして言霊研究の先鞭をつけられたのは明治天皇でありました。天皇に一条家より輿入れされた皇后のお道具の中に、三十一文字の敷島の道・言の葉の誠の道である和歌の道の奥義書として言霊の手引書があったと聞いています。

天皇は皇后と共に言霊原理研究の手探りを始められたのです。そしてその勉強のお相手をしたのが天皇の書道の先生であった山腰家当主であり、その子の山腰明将氏は著者の言霊の師である小笠原孝次氏の先生でありました。

明治天皇のお詠みになった言霊・言の葉の誠の道すなわち五十城島(敷島)の道に関する御製が多数ありますが、ここにそのうちの二、三を挙げます。この御製によっても、天皇が、日本が日本であることの真実の道である和歌の奥義をどれほど塾望されたか、よく推察されます。

聞き知るはいつの世ならむ敷島の大和言葉の高き調べを

しるべする人をうれしく見出てけり我が言の葉の道の行手に

天地を動かすはかり言の葉の誠の道をきはてめしかな

こうして言霊の研究は次第に進み、著者の師である小笠原孝次氏の時になって、それまでは抽象的概念の研究のみに終始していた研究から抜け出し、実際にこの世の中に呼吸している生きた人間の精神の究極構造を示す原理として言霊の学問体系を確立した野です。昔の神話が現実の歴史創造の原理として徐々に甦り始めたのです。

言霊の研究が二千年の闇を破って始められた明治時代は、ちょうど物質科学において人類が初めて物質の先験構造である原子核内へ一歩研究を府は込んだ時でもあるということは、私達にとって一つの重大な歴史的示唆を与えるではありませんか。

この著に接して言霊の意義に感銘を受けられた方は、もし手に入れられるならば私の言霊の師である故小笠原孝次氏の数種の言霊に関する書物をお読み頂き、言霊の理解をさらに深められることをお奨めします。

以下 3 へ続く