古事記の鏡4 神々の生成(三十二子音と神代文字言霊ン)

( 4 )

 


既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。


かくして意識の載る全領域が揃いました。ここからは先天から後天現象が生まれる領域となります。領域を準備し確定した後で、実際に載る言葉の単元要素を生みます。

前述の十七神は先天神として現象神を用意しています。

始めの現象神は大事忍男の神で言霊タが配当されています。しかし言葉のタが生まれるのではありません。頭の中の意識が外在化します。物質的なものが意識に変わり力を持つように成ります。そこで出来た子音現象を神に例えました。

言霊の生まれる領域を一つ一つ踏んでいき、三十二の現象子音最後の領域で言葉のタとなるので、それまでは各領域内での言霊タです。先天内でのタは言霊としてタと名付けられる全ての前言霊としてあり、先天を出て最初の津島の領域では、タのイメ~ジとして名付けられる言霊タの全体を指し、以下各島においても同様です。しかもそれぞれのタは独立した現象元素となるので国、組んで似せるではなく神、加味される力、と呼ばれています。

独立した現象元素となった後は通常は消え去り記憶としてとどまります。また同時に元の先天の柱に戻ります。

つまり津島の言霊タは次の佐渡の島では佐渡の言霊タになります。全十四島の言霊タに成るばかりか、島上の各神の言霊タになります。こうして各神が百の循環を繰り返し最後に自身である神となります。御中主の神のタ、石土毘古のタ、石巣比売のタ、等。


かれ生みたまふ神の名は

大事忍男(おおことおしを)の神、次に

先に島田氏による言霊百神を載せましたがこれを利用させてもらいます。

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言霊百神 神々の宝座 ・各島領域による言霊タ

(一) 淡路の穂の狭別の島の言霊タ

天の御中主の神 ウ

アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます

言霊タが完璧に生まれる第一歩です。まずは頭脳内の先天の出来事でした。宇宙にタと名付けられるものが広大にか長大にか無数無限にかうごめいています。人間の頭脳はその大きな出来事を小さな頭に入れ、先天の言霊タはタと名付く莫大な言葉の集積を発声するため、頭脳から口腔への狭い小さな通路から分かれてでてきます。当初は言葉のタではなくタという指摘もできないものですが、生まれようとするや否や言霊タの成長変態過程が始まります。日常では会話する時も読み書きする時も一瞬の内に十四島百神を通過します。

狭い通路を出るや否や言霊タの主客、アワの性格が現れます。と同時に百神の正確な使用を実行しています。タそのもの及びタに続く言霊言葉が使用されます。タが生まれようとするとき、すなわち次の領域に渡たろうとするときには即時に次ぎ以降が用意されます。子音現象が先天に続くためです。島の内容が現れるには島の中には内容がかくれていることとなります。

はじめと終わりの実態の世界内での提示。

(二) 伊豫の二名島の言霊タ

高御産巣日の神 ア

神産巣日の神 ワ

二名とはアとワの二音言霊のこと、始めであり終わりです。 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです。 イとヰの現象を創造する働きの予めの区分

始めと終わりで終了するか、イヰに繋げるか、そこが問題だ。だが終わりが初めの言霊ウに含まれている。

はじめと終わりの意志の世界内での提示。終わりがどうなるか分からなくても言霊の連鎖は終着に向かって途切れることは無く、ウの言霊は次のアワを半分含んでおり、アワはの領域の半分を含んでいます。半分次ぎにを含んで、次ぎにです。

(三) 隠岐の三子島の言霊タ

天の常立の神 オ

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ  

国の常立の神 エ

豊雲野の神 ヱ

隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味

言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です

始めと終わりの内容。

言霊タが生まれようとする時と同時に言霊タにアワの二つの顔がでてきます。主客の確認が成るとするとまた同時にイ㐄の予めの顔が言霊タのアワにできます。アワが確定すると同時に言霊タのアワにイ㐄の内容である四神が顔を出し確定を待ちます。かくして意識の実在次元の確定が用意されます。

実在次元の確認は次の尽くす行為、時の切り取りの選択をする尽くす島の領域で行われます。ということは尽くす選択行為が既に隠されていたことになります。隠岐の父韻の領域。

(四) 竺紫の島の言霊タ

宇比地邇神・妹須比地邇神 チ・イ

角杙神・妹生杙神 キ・ミ

意富斗能地神・妹大斗乃弁神 シ・リ

於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 ヒ・ニ

竺紫は尽くしの謎で、 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です

始めと終わりに到る内容。

実在がそのままでいることはなく変化変態に赴く動韻を受け取ります。

(五) 伊岐の島の言霊タ

伊耶那岐神 イ

伊耶那美神 ヰ

伊岐とは伊の気でイヰ言霊のこと

心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです

運用作用循環実在主客選択時制等の原理となる動韻

天津磐境

ここまでで言霊タの先天が全部出揃い、母音言霊と父韻言霊の間で心の後天現象の生まれる準備ができました。


(六) 津島 (天の狭手依比売)の言霊タ

ここからは状況が変態するように変わり、現象として出てくるものですが、始めはイメ’~ジや夢のようなぼんやりしたものから始まります。それでも先天とは違い何らかの心象として捕らえることができるのが違いです。

頭脳内のタに成るだろう何者かが先天イメ~ジとなって実際のイメ~ジにまで行く段階。

父韻と母音の結合。

先天が終わってここからは子音の領域に入ります。子供が父母から生まれるように子音も父韻母音から生まれます。肉体社会と違って意識の世界では、父韻が八、母音が四で三十二人の子音が生まれます。tykmsrhnの父韻がアウオエの母音と結ばれます。

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大事忍男の神 言霊タのタ

大(オオ)事(コト)忍(オシ)男(オ)

大いなる霊の先分けから押し出てくる言霊

先天の言霊タから何らかしらの意図をもって、まだ剖判する以前の父韻と母音のマグアイの結果として生まれる。あるいは無目的に勝手にある言霊の全体が剖判せず、タという形で頭脳内をよぎります。

言霊タそのものの心象現象です。先天内でのマグアイで出来た初めての現象です。タと名付く実在と働きと成った後の言霊世界がその意図の元に一挙に立ち上がり立て続けに立ち出てきます。しかも言霊タの一つのみでなく、五十音言霊の全ても立ち出でる準備ができています。

しかし何もまだ規定されたものはなく、タのどの次元世界なのかどの働き世界なのかどの心持ちなのかはわかりません。

言霊タは大いなることを隠密裏に起こさせる主体の実体としてあります。それはまず先天世界全体を記憶として呼び起こします.次いでタの存在を確認し,タをさだめたたせます..


何故言霊タが最初に来るのかといえば、それは分かりません。頭脳の中から出たがる、出て見たがる喋りたがる聞きたがる先天意識が頭脳から出る音を聞いたのかもしれません。最初に立ち上がるものが立ち上がるので、タを当てたのでしょう。超古代のスメラミコト達の超能力によるものでしょう。

注目すべきはタ行に配当された神々がまずは津島(タ行、ヤ行。父韻チイとの関連は?)の先頭にきていることです。タトヨツテ、、。

言霊タは子供が生まれる時のように父韻と母音のマグアイで創出されます。父母の性質を受け継ぎますと同時に、マグアイによる子音の創造それ自体が今までに無い特殊なことです。大事という名前にある通り、これからは先天の意識(意)の 事象から現実の事の(コト)の時系列に引き継がれます。今までは意識の内にあったものが何らかの物質的形を持つようになります。人の五感に触れるようになり、またそれが介入してきます。今までに無いおお事です。

先天構造が先天を抜け出して何らかの現象らしきものを現しました。その様子は先天内での欲望目的意図意識がつうっ(TU)と、初めての吾の眼(A)としての現象に結ばれる(TA)かのようです。この後も状態が変わるたびに変態をまぐあいの形で経ていきます。

そしてここからは大事忍男という主体の働きとなります。その都度主体である大事忍男の実在次元での係わり、働き次元での係わり、成り方での係わり、成った後での係わりが問われます。

次々と、吾の眼を付けて智と成すが規定されはっきりしていきます。


石土毘古の神 言霊トのタ

五十葉(イハ)つちかう(ツチ)能動韻(ヒコ)

石土毘古の神 。石はイハで五十葉、いは、言霊の全体、土は培う、ツチカウ、生まれる行動の準備をしている能動韻、毘古は彦で男性主体。言霊タが出揃うことでタの意識が私の吾の意識に載ったものであることが確認されました。先天より生まれたタの子現象イメ~ジとなって実在であると確かめられると(生まれたばかりのタの実在)、次ぎに自身の働き基盤である父韻を提供します(ト。タの主体性の働き)。過去現在未来全体意思の時間世界の意識が全部父韻タとして立ち上がります。

自分の出生のまず始めに向かう先は、自分の出生が自分のどの行動原理から出たものかを知ることです。言霊タの場合は子現象イメ~ジが立ち上がっただけで、何も子細は無く隠れています。

先天の言霊五十音図の行動の原理はイ段に十種類あります。この十種類が言霊タに載ることで時制が生まれます。それらの曖昧模糊としていたイメ~ジはあたかも五十音図の中でつちかわられていたかのようです。次いで実在次元のどこに納まっていたのかが探されます。先天五十音図の解説では実在母音がまず説明されたようにみえますが、前段でタカミムスビの主体が選択する用意をしています。

言霊の父韻時制は十ありますから、十、トです。


石巣比売の神 言霊ヨのタ

五十音言霊(イハ)棲家(ス)客体実体が秘められている(姫、ヒメ)

同じイハでもツチヒコは主体側の働きであり、スヒメは客体側の受動、空間の働きです。言霊タの受動の働きが全部立ち上がります。

タの曖昧模糊とした全体のうち、マグアイの片半分の要素である働きは言霊トに現れていました。ここでは残りの要素である棲家としていた実在次元を確定することです。雲で覆われた行く先が分からないながら、今現在のここの空間次元ははっきりしていきます。

言霊の次元棲家(ウオアエ)は四つで世界を形成しますから、四、ヨです。


大戸日別の神 言霊ツのタ

大戸日別とは大いなる戸(と)即ち言霊図の母音・八父韻・半母音計十言霊の横の列の(と)戸を通して先天の意図(日)である父韻の並び方が調べられ、その意図が現実に何を志しているか、が明らかとなり、「ツー」と姿を現わして来る姿であります。

 言霊ツは津

大いなる(オオ)時制と次元の選択の扉(ト)霊(ヒ)分け(現れ出たもの、ワケ)

次いで、言霊タの一般性と父韻と母音を選択通過して、言霊タの内実を隠し持つことが出来ました。今度はそれらを一つのタとすることです。

そこでは、隠し持たれていた意図の中から、タの父韻の全体と母音の全体の中からト(十)とヨ(四)が自己主張をするかのように、ツ~っと立ち上がります。

少しづつ当初の意図である個別性がつーと現れてきます。それでもまだイメ~ジのつです。


天の吹男(ふきを)の神 言霊テのタ

大戸日別の神として五十音図の横の並びが確かめられ「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれかに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく様であります。天の吹男の神の神名は、先天の意図が大戸日別で判別された父韻の並びが息を吹きかける如く特定された母音に吹き付けられる様とも表現されます。

天の(先天の意図)吹き(手が延びるように)男(働く)

先天から出た、ここでもマグアイが行われ、より個性的な意図の元に統一されていきます。

ツで立ち上がった二者は吹き男の手助けの働きを借りて、母音は手を広げ向かい入れ、父韻は手を伸ばし選択し結ばれます。

吹き男の手を差し出す手助けがないと、トとヨは立ったまま行き場が無くなります。

父韻が母音を選択して子音イメ~ジが生まれます。手をつないで引き上げます。


大屋毘古(おほやひこ)の神 言霊ヤのタ

大(大いなる)屋(建屋家屋のごとく)毘古(働く)

父韻の選択が完了しますと吹き男の手助けでマグアイによってイメージの子が生まれます。

産まれたてのイメージは言霊タに関する一般性全体を背負っています。まるで大きな屋敷を見せつけるかのように。

選択して範囲がせばまったのに何故大屋かというのには、時制と空間次元が規定されたおかげでその範囲内には壁が建ち囲まれてしまい、形ができつつあるからです。次元の介入が難しくなります。一方向へ向かうだけになります。一方では他を寄せづけず一つの構造物、タの全体のようになります。

この家屋はただの家とは違います。立派な主人と女主人がいます。


風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神 言霊ユのタ

風木(温度と水、霊と体、気と実、主体と客体)津(相互に関係し合う)別(独自に)忍男(押し出される働き)

家屋はそれぞれ独自のギミの神々の末裔で、ここでは言霊ヤがいっぱい詰まっています。風は木を背負い木は風を木を背負って互いに一つのイメージにまとまつて先天のイメージ作りをします。と同時に風と木はそれぞれ独自に押し出されてくる働きをします。丁度温泉の温度と湯水のようです。それは絶え間なく湧き出てきます。頭脳内の意識が段々と形を整えてきて言葉の方へと変態変容していきます。そうなっても風と木は消滅することなく押し出されてくる。



海(わた)の神名は大海津見(おほわたつみ)の神言霊ヱのタ

神名の大海津見の神とは大いなる海に渡して(津)明らかに現われる(見)の意です。先天の活動の内容は何であるか、のイメージ化が頭脳の細い道(これが川に譬えられます)を通って次第に明らかになり、その姿が現象子音となり、また言葉となって広い海(口腔に見立てられる)に入って行きます。川から海への境目が江(え)と呼ばれます。

【註】大綿津見の神の言霊ヱは五十音図ヤイユエヨのエです。現代の国語はア行、ヤ行、ワ行のエ(ヱ)をすべてエ一字に表わしています。


水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神

言霊ケ、メ 水戸とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。

言霊ケは木(け)・毛(け)・気(け)・日(け)・蹴(ける)・穢(けがれ)・消(けす)等に使われ、言霊メは女(め)・目(め)・芽(め)・姪(めい)・飯(めし)・恵(めぐむ)・廻(めぐる)・召(めす)・雌(めす)・捲(めくる)等に使われます。

以上、大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神、タトヨツテヤユエケメの十言霊の説明を終えます。これ等十神、十言霊が精神宇宙に占める位置を津島と呼びます。津とは渡すの意。意識では捉えることが出来ない心の先天構造の働きが実際にどんな内容、どんな意図があるかを一つのイメージにまとめる過程の働き、現象であります。この十個の言霊の働きによって、先天の活動を言葉として表現する次の段階に渡す、即ち津島であります。またの名を天の狭手依比売(さでよりひめ)といいます。先天の活動が狭い処を通り、手さぐりするように一つのイメージにまとまって行きますが、まだ言葉にはなっていない、すなわち秘められている(比売)の段階という意味であります。子音創生の話しはこれより佐渡の島と呼ばれる段階に入ります。

【註】「古事記と言霊」の中でこの津島の十言霊の後半にありますユエケメの中の言霊ユとメを取り上げて、これが日本語の「夢」の語源となる理由を示唆している、と書きました。意識外の先天構造の動きが津島と呼ばれる十言霊の働きによって次第に一つの建造物の如くイメージにまとまって行き(言霊ヤ)、それが湯が湧き出すように(言霊ユ)現われ、そのイメージが言語と結び付く直前の処まで、即ち発声器官に渡される境目(言霊エ、ケ、メ)にまで来た状態、しかし確実な言葉と結ばれてはいない(秘められている)様子、夢とは其処に深く関係する、と言う訳であります。読者の皆様もこの夢多き人間の心の活動と言葉との関係探索の旅を自らの心の中に楽しまれたら如何でありましょうか。

古事記の文章が子音創生の佐渡の島の領域に進みま す。


天の吹男の神 テ

大屋毘古の神 ヤ

風木津別の忍男の神 ユ

大綿津見の神 エ

速秋津日子の神 ケ

妹速秋津比売の神 メ

津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です

まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です

未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です

別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです

(七) 佐渡の島

沫那芸の神 ク

沫那美の神 ム

頬那芸の神 ス

頬那美の神 ル

水分の神 ソ

国の水分の神 セ

久比奢母智の神 ホ

国の久比奢母智の神 ヘ

佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分

どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます

真名とも言います

(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別)

風の神名は志那津比古の神 フ

木の神名は久久能智の神 モ

山の神名は大山津見の神 ハ

野の神名は鹿屋野比売の神 ヌ

天の狭土の神 ラ

国の狭土の神 サ

天の狭霧の神 ロ

国の狭霧の神 レ

天の闇戸の神 ノ

国の闇戸の神 ネ

大戸或子の神 カ

大戸或女の神 マ

鳥の石楠船の神 ナ

大宣都比売の神 コ

火の夜芸速男の神 ン

大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります

音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです

声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です

別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分

火の夜芸速男の神 ン

神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます

(九) 吉備の児島

金山毘古の神

金山毘売の神

波邇夜須毘古の神

波邇夜須毘売の神

弥都波能売の神

和久産巣日の神

の子(豊宇気毘売の神)

吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです

初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう

(十) 小豆島

泣沢女(大野手比売)の神

音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと

泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります

別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています

(十一) 大島 (大多麻流別)

石拆の神

根拆の神

石筒の男の神

甕速日の神

樋速日の神

建御雷の男の神

闇淤加美の神

闇御津羽の神

大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです

伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります

(十二) 姫島 (天一根)

頭に成りませる神の名は

正鹿山津見の神

胸に成りませる神の名は

淤滕山津見の神

腹に成りませる神の名は

奥山津見の神

陰に成りませる神の名は

闇山津見の神

左の手に成りませる神の名は

志芸山津見の神

右の手に成りませる神の名は

羽山津見の神

左の足に成りませる神の名は

原山津見の神

右の足に成りませる神の名は

戸山津見の神

八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分

言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます

女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます

○ 黄泉国(よもつくに)

(十三) 知訶島

伊耶那岐の大神

衝き立つ船戸の神

道の長乳歯の神

時量師の神

煩累の大人の神

道俣の神

飽昨の大人の神

奥疎の神

奥津那芸佐毘古の神

奥津甲斐弁羅の神

辺疎の神

辺津那芸佐毘古の神

辺津甲斐弁羅の神

これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となります

知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です

外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分

(十四) 両児島

八十禍津日の神

大禍津日の神

神直日の神

大直日の神

伊豆能売

底津綿津見の神

底筒の男の命

中津綿津見の神

中筒の男の命

上津綿津見の神

上筒の男の命

天照大御神

月読の命

建速須佐男の命

言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました

以上の十四島が人間意識の全てです。

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石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に

石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に

大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に

天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に

大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に

風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に

海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に

水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に

妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。

この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

沫那芸(あわなぎ)の神。次に

沫那美の神。次に

頬那芸(つらなぎ)の神。次に

頬那美の神。次に

天の水分(みくまり)の神。次に

国の水分の神。次に

天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に

国の久比奢母智の神。

次に

風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に

木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に

山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に

野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。

この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

天の狭土(さづち)の神。次に

国の狭土の神。次に

天の狭霧(さぎり)の神。次に

国の狭霧の神。次に

天の闇戸(くらど)の神。次に

国の闇戸の神。次に

大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に

大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、

鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に

大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、

次に

火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。


(5)                                                                                                                                                                  


この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまびこ)の神。次に

金山毘売(びめ)の神。

次に屎(くそ)に成りませる神の名は

波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に

波邇夜須毘売(ひめ)の神。

次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。次に

和久産巣日(わきむすび)の神。

この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。


(6)


かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

泣沢女(なきさわめ)の神。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。

次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、

正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。

次に胸に成りませる神の名は、

淤縢(おど)山津見の神。

次に腹に成りませる神の名は、

奥(おく)山津見の神。

次に陰に成りませる神の名は、

闇(くら)山津見の神。

次に左の手に成りませる神の名は、

志芸(しぎ)山津見の神。

次に右の手に成りませる神の名は、

羽(は)山津見の神。

次に左の足に成りませる神の名は、

原(はら)山津見の神。

次に右の足に成りませる神の名は、

戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。


(7)


ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。

また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。


(8))


最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。