[運用 42] 底津綿津見(そこつわたつみ)の神

「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と言って伊耶那岐の大神は中つ瀬に入って行って、禊祓を始めました。すると「瀬速し」と言った上つ瀬、言霊ア段の禊祓に於ける功罪が先ず分って来ました。言霊ア段に立って見ると、摂取する外国の文化の真実の姿はよく見る事が出来る。けれど言霊ア段に於て禊祓を実行することは性急すぎて適当でない事が分ったのです。これを確認したことを八十禍津日の神と言います。次に下つ瀬の言霊イ段の禊祓に於ける功と罪が明らかとなりました。言霊イに存在する言霊布斗麻邇の原理は禊祓の実行の基礎原理であって、欠く可からざるものではあるけれど、原理・原則ばかりを並べ立てて見ても禊祓を実行することは出来ない事も明らかとなりました。この確認を大禍津日の神と呼びます。

以上の二点を見定めましたので、いよいよ伊耶那岐の大神は中つ瀬に入り、禊祓に適した人間の性能を探究し、神直毘、大直毘、伊豆能売の三神の働きを確認することになります。即ち中つ瀬のオ段に於て禊祓をすれば、確実に外国の学問、主義・主張等を摂取し、人類の知的財産として人類文明の中に所を得しめる事を予測したのです。この働きを神直毘の神と言います。次に中つ瀬のウ段に於て禊祓をしますと、世界各地で生産される物質、流通等の産業経済を人類全体の豊かな生活実現のために役立たせる事が可能であると予測出来ました。この働きを大直毘の神と呼びます。更に中つ瀬の言霊エの人間性能である実践智が禊祓に於て如何なる貢献を成し得るか、を検討し、その働きを伊豆能売(いづのめ)と言います。伊豆能売とは御稜威(みいず)の眼(め)の意です。御稜威とは人間の究極の生命原理活用の威力といった事であります。この言霊エ段に於て禊祓を実行する事によって全世界の一切の人間の生活の営みをコントロールして、人類生命の合目的性に叶う社会を造り上げる力がある事を予測した事になります。

以上、中つ瀬のオウエの人間性能によって禊祓を実行すれば、外国文化を統合して世界人類文明の創造は可能である事が推測できました。伊耶那岐の大神の心中に掲げられました建御雷の男の神と呼ばれる主観内原理が、如何なる外国の文化に適用しても、それを摂取し、世界文明創造の糧として所を得しめる事が可能である目安が立った事になります。伊耶那岐の大神の主観内に於て組立てられた建御雷の男の神という言霊五十音図が、いよいよ全人類の文明創造の絶対的原理として、人類の歴史経綸の鏡として打ち樹てられるという言霊学の総結論に入る事となります。

古事記の文章を先に進めます。

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。

水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。

伊耶那岐の命の天津菅麻(すがそ)音図の母音アオウエイのアを上つ瀬、イを下つ瀬としましたので、オウエが中つ瀬となります。そこで今度はオウエを区別するために中つ瀬の水底、水の中、水上の三つに分けたのであります。即ち水の底は言霊エ段、中は言霊ウ段、水の上は言霊オ段となります。そこで水底である言霊エ段に於いて禊祓を致しますと、底津綿津見の神が生まれました。底津とは底の港の意。言霊エの性能に於て禊祓をすると、外国の文化はエ段の初めの港、即ちエから始まり、最後に半母音ヱに於て世界文明に摂取されます。そうしますと、摂取されるべき外国文化の内容は底の津(港)から終りの津(港)に渡される事となります。綿(わた)とは渡(わた)す事です。すると底津綿津見の神とは、言霊エから始まり、言霊ヱに終る働きによって外国の文化は世界文明に摂取されるのだ、という事が明らかにされた(見)という意だと分ります。伊耶那岐の大神が心中に斎き立てた建御雷の男の神という音図の原理によれば、禊祓によって外国の文化を完全に摂取して所を得しめる事が可能だと分ったのです。

次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。