005 こころの目次

005 こころの目次 こころの目次

コジキはココロの事を記したものとも読めます。

私たちは毎日心を使用していきますが心は心に対して何をしてきたでしょうか。

歴史的には人類に心があることが分かって以来、あるいは個人的には心とは何だろうと気付いて以来、心が心にしてきたことは何でしょうか。

一つには現代の科学者が物質とは何かと見つける以前に、一万年前には心とは何かの原理が発見され社会運用に適応されていたことです。もう一つは現在進行中ですがほぼ完成に近づいたようにみえる、物質とは何かを追求してきたことです。この二つが心の仕事として人類がなしてきたことです。

心の心的方面と物的方面が集大成されようとしているのが現代でしょう。心とは何かは古事記の冒頭百神として、一万年前には原理として完成していましたが、物とは何かの原理は今世紀においてようやく完成しつつあるようです。心の原理が完成していたといっても私たちが創造したのではありませんから、原理を自身のこころに適応してその正確さをたしかめるということになります。

こころとは何かはその意義や目的を問うことではなく、こころの成立そのものを問うものですが、そこにはこころが成すことが含まれています。自らの意図に沿って皆に喜びをもららす現象を創造することです。古事記の冒頭百神はその創造原理となっています。

古事記の冒頭百神による特徴は、現実にしろ先天にしろ、心には心の先天構造があってその構造を適応することがとりもなおさず心の発生、現実の心の動きになって、先天の構造を完成していくというものです。言霊循環。

005 こころの目次 こころの目次

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(0) あめ・つち(天・地)。こころの世界の始まる前。、こころ以前の宇宙。

天・あめ・という自然宇宙の中に天・あめ・吾の眼、という意識の活動が始まる。

吾の芽(眼)は相手対象に付(つ)いて智恵(地)(ち)と成る。

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【天地の初発(はじめ)の時、高天(たかあま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、

心の裡に具体的な事柄として、言葉として表現される以前の意識されない頭脳内の先天構造の中での話です。何もない広い心の宇宙の中に何かが動き出します。天・アメ・吾の眼(芽)というのは、私の眼か相手の眼か何かは分からないけれど、広い宇宙の一点に動き出したものがあります。そして、やがて「私」という意識に発展していく、もっとも原始的な意識の姿です。その吾の芽(アメ)が付いて智恵(地・ツチ)に成る心の

意識の上で捉らえたりすることは出来ないものですが、その働く場所領域となっているのが、たかあま(高天)の原という心です。

・ ここから心の先天原理構造、「中今」 の 「いとなみ」 と 「ありさま」 への剖判がはじまります。

追加。

タの間、カの間。

吾の間を「タ」で始まるか「カ」で始まるかで語り、その両者を原理の「ウ」で説明する。

天地をアメツチと呼んで、その意味は吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)恵と成すということに抵抗が無くなってきました。

高天原をタカ・アマの原と読めという指定があるので、此処は「タ」と「カ」の吾の間の原のことと見当は前から付けていました。

<訓2高下天1云2阿麻1下效此> タカのしたのテンをヨミテあまトイウ。

吾というのは自分の心・意識・あたしのことですから、タの間、カの間というのは意識の始まりに「タ」と「カ」が在るということになります。これは複数ある言霊五十音図で確認されます。幾つか種類のある五十音図ですが「ア」段の始まりを見ると「タ」か「カ」の二種しかありません。「タ」「カ」吾間の原です。

【天地の初発(はじめ)の時、高天(たかあま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は】

これの読み方は、

吾の眼(私の意識・心)を相手対象に付けて智恵と成す初発の時、心の精神宇宙に生まれるのは、「タ」の間の吾の意識、または「カ」の間の吾の意識という、自分の心を生み出す太初の神という読み方になります。

つまり当初から二重二面性をもった意識の活動が始まるということです。

古事記はその二者の働き実体を統合して説明するのに その初めを【 天の御中主(みなかぬし)の神】言霊ウ、と名付けました。

こうして古事記全体は無自覚な「カ」から自覚的な「タ」への精神の発展変態を全面的に展開するようになります。

どうやら古事記の解説は「タ」と「カ」の二系統を同時に、またそれと同時に段階的に循環を説明しなくてはならないようです。

(2013年七月二十三日)

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(一) 淡路の穂の狭別の島 アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます。こころの先天構造、先天の実在と先天の働き

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心の宇宙全体の真ん中にいる意識の主人公がいます。この主人公の働きあり方が先天十七神の構造となっています。 天の御中主(みなかぬし)の神と名付けられました。

広い宇宙の一点に何か分からないが、ある事の始まりの兆しとも呼ぶべきものが生れます。言霊ウです。

何か分からないが始まりの「うっ」という意識があります。この初めの時には自我であるのか他我であるのか、主であるのか客であるのかわかりません。自己・自我を意識する以前のことです。

ここに一点言霊ウが生まれます。

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(二) 伊豫の二名島 二名とはアとワの二音言霊のこと 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです イとヰの現象を創造する働きの予めの区分

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○、こころの構造。ウ。アワ。

(2) 【 高御産巣日(たかみむすび)の神。次に

(3) 【 神産巣日(かみむすび)の神。

【 この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。

高御産巣日の神 ア

神産巣日の神 ワ

○・先天のこころの原理

〇・言霊要素

〇・こころの世界の始まる前、こころの宇宙

○・こころの先天構造、先天実在、

○・、こころの構造

○・こころの先天の働き

○・こころの先天の創造意思

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(三) 隠岐の三子島 隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味

言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です

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天の常立の神 オ

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ

国の常立の神 エ

豊雲野の神 ヱ

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(四) 竺紫の島 竺紫は尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です

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宇比地邇神・妹須比地邇神 チ・イ

角杙神・妹生杙神 キ・ミ

意富斗能地神・妹大斗乃弁神 シ・リ

於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 ヒ・ニ

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(五) 伊岐の島 心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです

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伊耶那岐神 イ

伊耶那美神 ヰ

伊岐とは伊の気でイ言霊のこと

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(◎) オノコロ島 (おのれの心の島)

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○、自我など無い

○、おのれのこころの先天、発生

○、おのれのこころの構造

○、おのれのこころの働き

○、おのれのこころの創造行為、一般性

○、おのれのこころの領域、宇宙の取り込 み

○、無自覚か自覚か。自覚という変態過程。

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(六) 津島 (天の狭手依比売) 津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です

まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です

未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です

別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです

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○、こころの先天から後天現象へ。

○、こころの主体側に言霊要素を造る

○、こころの先天活動が頭脳内に乗り移る

○、こころの先天が前イメージとなる

○、こころのイメージが働く

○、こころのイメージができる

○、こころのイメージにも主客がある

○、こころのイメージが形を求める

○、こころのイメージが変態の準備をする

大事忍男の神 タ

石土毘古の神 ト

石巣比売の神 ヨ

大戸日別の神 ツ

天の吹男の神 テ

大屋毘古の神 ヤ

風木津別の忍男の神 ユ

大綿津見の神 エ

速秋津日子の神 ケ

妹速秋津比売の神 メ

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(七) 佐渡の島 佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分

どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます

真名とも言います

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○、こころのイメージの主体側が物象を求める

○、こころのイメージの客体側が受け入れる

○、こころと結ばれた物象を形作る、言葉を作る

○、こころと結ばれた物象、言葉は心の全先天構造を保持している

沫那芸の神 ク

沫那美の神 ム

頬那芸の神 ス

頬那美の神 ル

天の水分の神 ソ

国の水分の神 セ

天の久比奢母智の神 ホ

国の久比奢母智の神 ヘ

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(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別) 大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります

音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです

声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です

別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分

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○、こころが物象、言葉となって飛ばされる。相手対象に向かう

○、こころが物象となって移動しているときも意味内容は保持されている

○、こころの意味内容の起伏は物象に渡されている

○、こころの物象が相手対象に到達する

○、こころの物象が相手側に受け入れられる

○、こころの物象が相手対象に食い込み入っていく

○、こころの物象が相手対象の戸を開け自身が乗り入れる

○、こころの物象が相手対象内で自分の位置を占め名を明かす

○、こころの物象が相手対象内で内容が確認され他者として確認される

○、こころの先天、イメージ、物象、言葉が第三者として相手対象内で生まれる

○、過去の了解された内容が名となり、前者は後者の内容となって主体側のこころが客体側に確認されると同時に、主客を離れた子現象となる

風の神名は志那津比古の神 フ

木の神名は久久能智の神 モ

山の神名は大山津見の神 ハ

野の神名は鹿屋野比売の神 ヌ

天の狭土の神 ラ

国の狭土の神 サ

天の狭霧の神 ロ

国の狭霧の神 レ

天の闇戸の神 ノ

国の闇戸の神 ネ

大戸或子の神 カ

大戸或女の神 マ

鳥の石楠船の神 ナ

大宣都比売の神 コ

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○、こころの表意文字表現

火の夜芸速男の神 ン

神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます表記

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(九) 吉備の児島 吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです

初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう

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ここから後半五十神

こころの要素ができその運用になる

こころの運用要素とこころの運用軌範の生成

自覚以前 ウ次元の判断軌範

与えられた定員枠による軌範運用

こころの客体側を受け入れていく判断

○、こころに無自覚的にある整理内容を集める。

○、こころに無自覚的にある整理材料を集める。

○、こころに無自覚的にあるものを判別してみる。正確で安定している音。分類組み合わせの内容

○、こころに無自覚的にあるものを判別してみる。正確で安定している文字。分類組み合わせの材料

○、こころに無自覚的な判断軌範の内容材料を仮適応仮使用する。実在母音オウエの定在。次元立場の確定へ。

○、こころに無自覚的ながら自分なりの判断軌範を立てる。五十音全部の定在・惑い状態。提起する問題の全体像

○、自分なりの無自覚的な判断軌範でも先天宇宙の性質は秘められている。及び全関連事項

金山毘古の神

金山毘売の神

波邇夜須毘古の神

波邇夜須毘売の神

弥都波能売の神

和久産巣日の神

和久産巣日の神 の子(豊宇気毘売の神)

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(十) 小豆島 音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと

泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります

別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています

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○、こころの主体側からの判断の働き、現象を扱う主体の生成。

父韻の確認。こころの主体側から検討

者が集まるとこれは何だあれは何だという疑問が生じてくる、その働きの大元。

オ次元、および反省、選択軌範の原動因。

泣沢女(大野手比売)の神

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(十一) 大島 (大多麻流別) 大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです

伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります

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ここから心の主体側からの判断の働きを体系づける、現象を扱う行為に起きる事。次段は扱わられる現象側に起きる事。

概念観念知性の段階

オ次元判断の階梯成長

注意。判断軌範の成長は、自分なりの枠産巣日(ムスビ)の神の軌範を使うが、それはすでに五十音図の軌範内にある。

つまり、先天の判断軌範(天の菅麻音図)から成長してくる。

こころの精神宇宙に何かが現象するとき主体意識は次のように働いていきます。

○、こころの主体意識の精神次元宇宙が実体として設定される。(組織構成。(アオウエイの五段階に分割)

○、こころに設定された実体のよって立つ精神の流れが明かされる。意志、欲望、知識、感情、選択のどの流れの上でできたものか検討確認され、それが同時に父韻配列の検討となる。

○、こころの流れはその出発する立場に規定されて現される終着点となる方向をとる。各次元通過の検討。五十音縦横の変化連続

○、こころの方向は書かれた図面を追うようなものと、(内容とその形態の働きの明瞭化、客体物象実体のありかたの連続状態が一目で分かる )

○、こころの方向の流れに沿い乗っているようなものとがある。(連続動態傾向性の明瞭化、客体内容霊のはたらきの連続状態が一目で分かる。)

こうしてここに、相手対象を自分から判断する自分にとっての軌範を手にすることになる。

自分にとっての、自証のみに有効なもの。

○、こころの自証でしかない判断軌範ができる。主体のこころの設定、確立を数を頼りに組み立て、主体規範を現そうとする。

○、こころの自証は指を握りしめる主体の心方向へ検討し握って噛み合わせた時に内容を把握したとする方法と、

○、こころの自証の実内容を主体のうちから外へ手指を広げる方向へ確認示していく方法とがある。

いずれもあるものあったものの追認を示していく。

石拆の神

根拆の神

石筒の男の神

甕速日の神

樋速日の神

建御雷の男の神

闇淤加美の神

闇御津羽の神

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(十二) 姫島 (天一根) 八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分

言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます

女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます

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(そこでここで追認、認識したことの形を現すことになる。

扱わられる側に起きる表現のあり方八種。

◆◆この段落未完(古代から多くの神代文字が創出されていますが、それらが文字創造原理表現原理のどれに相当するのか分かりません。)

○、こころの受け取りをその形通り写した表現。原理本性通りの表現。表現された物象が正しく全体をあらわす。象形の範囲を保持していく表現。

○、こころに受けた印象をそのまま延長した表現。表現された全体が常に音を出している、持続している。象形文字の象徴のを延長した文字表現。

○、言霊オの経験を全体に調和させる表現。音図から出た表現。表現を掻き寄せて置く(奥)、定置する。

○、産出の原理が良く分かる表現。表現を生み蔵(闇)に蓄えるようにすること。

○、全体が調和するような表現。全体的な調和を強調する。選択(手)された表現が静まるようにすること。

○、一つ一つの内容を強調する表現。部分的な強調で表現。選択された内容が羽ばたき躍動するような表現。

○、全体の運用に基づいた表現。運用を強調する表現。個々の葉(葉の連なり)と全体(原)が見渡されるような表現。

○、縦の列の区別がよく出るような表現。行、段、分類を強調する表現。身を切り出し個々の主題、次元を煮詰めるような表現。

頭に成りませる神の名は 正鹿山津見の神 チ

胸に成りませる神の名は 淤滕山津見の神 イ、

腹に成りませる神の名は 奥山津見の神 キ、

陰に成りませる神の名は 闇山津見の神 ミ

左の手に成りませる神の名は 志芸山津見の神 シ、

右の手に成りませる神の名は 羽山津見の神 リ、

左の足に成りませる神の名は 原山津見の神 ヒ、

右の足に成りませる神の名は 戸山津見の神 二、

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(●) 黄泉の国。

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ここからこころの客観世界への 対応になります。

前段で自分の表現現象を得ました。自分の物が出来たといって、言いっ放し表現しっ放しで終わらせません。自分には明らかと自証をしてもそれだけのものです。今度はそれを自証を保ちながら何時いかなる時、場合にも真理であり他証できることを証明しにいきます。

こころの客観世界を扱うので、客体そのものを扱い物の作用反作用を扱うのではなく主体側に反映する客観世界のことです。あくまでも主体側の働きかけによります。

○、こころによる客体への働きかけの総覧、 ・・相見まく思う。

○、こころの主体を保持しつつ客体に働きかける。 ・・上がり戸より出る。

○、 こころの主客の同等を問う。 ・・還りまさね。

○、 客体側は不動無口なので返事は無いが、物理の作用反作用の反応内にある。 ・・よもつへぐいしつ。

○、自主自立的な活動が無くそんなところは見せられたもでのはない。 ・・我をな視たまひそ。

○、客観世界は主体が介入するときに現われる。 ・・男柱一つ取り。一つ火灯す。

○、個々の客体が自己主張する。 ・・蛆(ウ次元の客体)たかれころろぎて。

客体のあり方

・頭には 大雷(おほいかづち)居り ・・全体を見渡すことを誇り

・胸には火(ほ)の雷居り ・・遠くまで見えることを誇り

・腹には黒雷居り、 ・・

・陰(ほと)には柝(さく)雷居り、 ・・次世代まで考えていることを誇り

・左の手には若(わき)雷居り、 ・・多機能を誇る

・右の手には土雷居り ・・着実な機能を誇り

・左の足には鳴(なる)雷居り、 ・・表面を飾ることを誇り

・右の足には伏(ふし)雷居り、 ・・内部に核となる物があると誇り

(●) 心は調和ある創造的な喜びを目指すときには、黄泉の国のそれぞれの誇りを自己主張と不調和として退ける。

そこで客体世界にいるもの、あるもの、所有しているものは 「吾に辱見せつ」となる。

客体世界の様々な自己主張の仕方への対処。

・・黄泉醜女(よもつしこめ)、 事の初め出だしの不調和は当然ということに対して、

主体の初めの呼びかけに呼応するものだけを取り上げるようにする。

・・なほ追ひしかば、初めの立場に立つことが不安定になってきたら、

主体の呼びかけに呼応する流れと結論を保持するようにする。

・・かの八くさの雷神に千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき、、、、それでも自らの表現に物質研究の原理方法をたずさえ主張してくる。

この黄泉国の自己主張に対しては、

・・十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ、、、相手が客観世界のあり方をを見せるのなら、こちらはその行き着く先を示しそこから元へ戻してあり方のそれぞれの位置づけを示す。

黄泉国の主張はそれなりに強力頑固ですから、さらに自己主張を続けます。とうとう、

・・黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る、、、客観側が主張する自分の原理、自分の性質だというところまできます。

その原理と称するものは、自己主張を形成する、五感感覚からする実在判断(ウ)、経験過去知識の概念判断(オ)、それらの上に載った選択判断(エ)になりますので、それに合わせて、

・・桃の子三つ(上記ウオエ)をとりて撃ちたまいしかば、、、相手の行き着く先と行く方向を示してしまえばいいわけです。

そこで、

・・悉に引き返りき。、、それ以上の自己主張は引っ込めます。

とは言っても、今までに対話なり関係なりが成り立っていましたから、その実在と働きをどうしてくれるのだと言ってきます。

・・妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。、、客観世界の大本本体が出てきます。

客体物質界の本体に対応するには、主体精神界の本体を示さねばなりません。

・・ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、、、主客を引き裂くと同時に導く岩で応対する

わたしはわたし、あなたはあなたと、

・・事戸(ことど)を度(わた)す、、、ことになり

それでは仕方ない。私は新規の創造はできないので、毎日千個づつあるものを分析分離してみます。

そうされてはそれ相応の名前が要るのでこちらは千五百の名づけを用意しておこう。

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(十三) 知訶島 知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です

外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分

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○ ここからみそぎの準備

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黄泉国の客観世界ですることと主体側世界ですることを、全く分けてしまいました。

あるものの客観世界には自主的な創造の働きは無く、

ウ次元においては五感感覚の物質同士の作用反作用

オ次元においては経験知識の既得概念の判断

ア次元においては他証ができないジレンマ

の中にいて、それらの限界内からはみ出す予測予想試行の、過去を未来に投影する形で行為していきます。

そこでそういった思惟意識の不明な性を乗り越えないと、明瞭な歓喜をもたらす未来にいけません。

性であるものを否定せずそのまま止揚すくい上げて、次の意識に持ちきたす方法が講ぜられます。

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今、こころは黄泉国から出て客観世界から離れた自分という主体しかありません

では、客体の無い主体が拠り所とするのは何でしょうか。

主体の中にある主体が働く場所です。

まず、

○、こころの主体は自分の働く(自己主張の)拠り所を設定する。

それはその人とその人を乗せてきた全過去の記憶としてあります。

○、こころの全過去の記憶となって現われる関連性・連続性の働き。

記憶の順位位置づけが起きる

○、こころの時処位が検討される。

拠り所の方向性に沿って選択が行われる。

○、こころの曖昧性が排除される。

不明瞭さがとれ、各時点、各場所での分枝が見透せるようになる。

○こころの分枝点方向が明瞭化する。

そうすると、囚われるものが無くなり、

○、こころの実相を明らかに組むことができる。

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伊耶那岐の大神

衝き立つ船戸の神

道の長乳歯の神

時量師の神

煩累の大人の神

道俣の神

飽昨の大人の神

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ここまでが、主体側の働きを中心に見た場合のこと。

今度は、主体の働きの実体のように見た場合の動きを見る。

主体から出発しますが、前段ではこころの働きが明かされました。

目的も到達点も明らかになっています。そこで出発にあたっては到達点・結果が手元にある状態です。

○、こころの到達点をあちら側から離し隔てて手元におきます。

しかし、到達点・結果そのものが手元にできたこととは違い、逸脱しないように常に到達する姿とつながれていなければ なりません。

○、こころの到達点はその出発点とつながれている。

こうしてつながれていることによって、初めと終わり、目的と結果等の間隙が減りつつ創造完成させられていきます。

○、こころの到達点は、その間隔が常に減らされていく。

奥疎の神

奥津那芸佐毘古の神

奥津甲斐弁羅の神

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同様の事が向こう側・結果終局側からも言えます。

相手・終局側が立てられるや否や、

○、こころの出発点をこちら側から離し隔てて終局におきます。

しかし、出発点・目的そのものがあちら側にできたこととは違い、逸脱しないように常に出発した姿とつながれていなければ なりません。

○、こころの出発点はその到達点とつながれている。

こうしてつながれていることによって、終わりと初め、結果と目的等の間隙が減りつつ創造完成させられていきます。

○、こころの到達点は、その間隔が常に減らされていく。

辺疎の神

辺津那芸佐毘古の神

辺津甲斐弁羅の神

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これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となり、主観内のこころの動きが明かされます。

主観を主観で語って間違えのない方法を確立することです。

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(十四) 言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました

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言い換えれば主観的であると同時に客観的でもある真理を創造していくことです。今までの意識の働きは客観的な共通性を持って真理としていきましたが、それでは死物の王国・黄泉の国しか確認できないことが明かされてきました。

今からは生きている今生きつつある創造していく今の確認となる意識活動にはいります。現代意識では主観によって主観を語ることは受け入れられないものですが、よく見れば全くの普通な意識活動となっています。

両児島はこころの領域の最後に位置しています。 両児島または二子島で心は一つでありながらその二重二面相対主客をもつことの象徴です。こころは生物生き物として自然でありまた精神であるという二面を持ち、こころは精神であるとするところからは精神の主体面と客体面を示し、こころは物象に載って現れるところからは物象の客観性と主観性の二面を持つことをしめしていきます。

これらこころの物象面へのはみ出しが黄泉の国に落ちることで、前段までは主客の二面性にこびりつく客観物象を削ぎ落とすことまでは成功しました。

すると今度は禊ぎされた残りである主体の扱いになります。いわば主観が主観をかたることになりますが、語れる主観を形成する途上にありますから判定する規範は建御雷の男の神の規範を流用します。それを使用して最高の道徳規範を造ろうとし、その実相を探していきます。

仮に流用された規範ですから、運用のその時その時の今今において構造構成のできつつある実体と、その働きいきさま動きが心の内容意図に沿ったものかどうかを確認していくメカニズムが働かねばなりません。

ここの二子の領域からは、主体主観内自身にある二面性が止揚統一され、そして同時に、客体性を持った子現象として創造されていきます。

今までは心を大自然とするなら無自覚的な意思意図の混沌の中から淘汰されて社会国家が出てきましたが、ここからは意思意図を大自然のままに扱いなんの不都合もなく社会国家を創造していきます。

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主観で主観を語り間違えのない方法の初めは以下のものです。

主観内にあるもので出発点となるものや目的は一般的な形にあるもので、そのまま運用するには,自他共に共通の理解を導きますが抽象的過ぎます。

一般性として通用しているから自分の意識が伝わっているのではありません。

そこで自分の持っている現実の意識、あるいはその実現に近い実相を探ります。

【ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、】 で、

帯に短したすきに長し、上は高過ぎ下は低過ぎで、これを意識の主観内のことに適応すると、実相実体の中に入ってみると、上が上たること下が下たること、長すぎること短すぎることが確認されるようになります。

というのも現象創造の初めはオノコロ島の段落でヒルコという一般性を創造することから始まっていました。一般性には個別現象の実相は見えませんが、全体を通し見てまとめることができます。そこで個別実相の立場から一般性には一般性としての位置を与えそれ自身の生成発展の道筋の上に置き直します。それは一般性の要素実体が提出されると同時にそれは働きによってそれ自身が創造確認されるという動きを作ることになります。

中つ瀬に立つことで意識活動では、まず、一般性を取り除くという形になって現れ、それと同時に一般性の構造生成が明らかになってきます。

こころの主体を主張することは自分の働く(自己主張の)拠り所を設定して、それはその人とその人を乗せてきた全過去の記憶と言う、黄泉国の中で働いていたことでした。 またそれらを一般性として表現していました。

これは自他を謳歌する表現とはなりますが、自他を自由に主張できませんしなによりも、今これから切っ先を未来に突き刺そうとする時には何の力も持たないのです。温故知新とはいいますが旧きを知っても、どの未来の一点をも突くことはできません。

しかし、過去の世界の全体が使用できる要素材料です。そして要素材料と同じだけのそれに固有な使用法があります。それの象徴表現が言霊五十音図になっています。言霊要素材料となる音図は五十ありそれに応じた各働きが五十で、全部で百あります。心の要素と心の働きで百。両児の島の百音図です。

この百音図は要素と働きの全体をイエウオアの母音世界で表徴された要素現象とその働きです。自分の個別の実相を話していくつもりでも一般的に語りまたそう理解されてしまうことが常々あります。材料は百あるのですが一般性として語られてしまったものは、材料要素の母音とその働きの母音行、イエウオア(イヱウヲワ)の初めと終わりにある二十の要素です。

百の要素を二十の一般性(言霊母音)で表現してしまうことになります。これが中つ瀬から見るときに八十のとして現れ惑いの実相となっていきます。

しかしここで一般性は一般性としてその正当な地位を与え成り立ちを明かし未来創造の動きとなる場所を与えられればいいわけです。

そこで中つ瀬に立つことで、一般性だけをまとめ収束することができるようになりました。

それはある面で一般性の排除に見えますが、一般性の一般性たる位置に付け了解をつくることです。

つまり八十の要素を一般性にしてしまうと、内容実相の見えないもの禍(まが・わざわい)になっていきますが、もともと一般性の性格を持った言霊ア次元はア次元としてまとめていけば、残る八十を個別実相の内容を持ったまま一般性にしてしまうことはなくなります。

このように各要素にある一般性から開放されてこころの意図をそのまま創造の光の言葉としていきます。

・ こころに持ち来たった一般的な表現、愛、慈悲、感情等となってしまうこころの要素はその正しい位置を母音行として示し置き、他の実相内容を持ったものを一般性としてしまう 禍・まがとしないよう実相内容にこころの意図・霊・光を維持させる。 【八十禍津日の神 】

この神は多くの災禍を起こす神ではなく、こころの運用で個別的な実相内容を一般性にしてしまう 自然な心の 禍・まがを自覚的にそれぞれの位置に置き直そうとするものです。

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一般性は感情・宗教等のほかにも表れます。こころにはこうこうこれだと具体性を持たしているのに、そうはさせないもうひとつのものがあります。意思です。創造意思世界の働きはこころを押し上げる原動力となりますが、それ自体は現象となりません。

こころの表現としては意思を直接前面に押し立てることがあります。

この時の心の運用に起きるのが意思の次元に起きる禍・まがです。意思を押し立て表明することは全く正常なことですが、その時処位に 見境いなく意思を現象のように押し立て振りかざすのは、心の基盤となっているものですが 「下(しも)つ瀬は弱し」となります。

・ 意思のみの先走りは現実とはべつの処で働くので、その時処位を確定することで意思の威力を明かしみそぎする。【大禍津日の神】

この神も凶悪な災禍をもたらす神ということではなく、通常起こる意識運用上の禍をその時処位を置き直すことで、大いなる光の了解に至る神ということです。

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こころ が一般性として打ち立てられることを避ける八十禍津日(やそまがつひ)の神を得、次いで意思の抽象性で終わることを避ける大禍津日(おほまがつひ)の神を得ました。そのことで個別と一般の行き違いによる誤解や了解が不通になることが避けられ、また自分のほうに合理性があるからといって意思や象徴のごり押しも避けることができるようになりました。

そこでは表面的には性でありながら禍となる現象表現から抜け出たように思われます。

ところが元々禍など無いということにも気がつき、それは中つ瀬から見るときの現象でした。

すると、今ここに直接反省するこころが見付かります。反省において上記二神が出てきたように、その二神の禍を直そうとする心も起きてきます。

しかしこれは本来禍の無いところに禍を見つけるという禍を反芻することです。

自らが自らを禍と知り、自分が生んだ禍に立ち向かうことになります。それが表面現象では禍を直さむとなってきます。

禍を直さむというのは自らを風車に立ち向かうドンキホーテのすることでしょう。

こうして八十禍津日(やそまがつひ)の神、 大禍津日(おほまがつひ)の神を打ち立てることで二者の禍・まがを直しました。そのことによって精神次元の他の心のあり方である言霊オウエの世界の運用が浮かびあがってきます。

・ こころの記憶概念の全過去が今ここに直接現われる知識概念の次元世界、 オ。 【 神直毘(かむなほひ)の神】

・ こころの五感感覚の現物実在の今ここが今ここに直接現われる欲望がある次元世界、ウ。【大直毘(おほなほひ)の神】

・ こころの選択按配のこれからの今ここが直接表現される配分選択の次元世界、エ。【伊豆能売(いずのめ)】

他を排除していくことで自分の存在位置がハッキリしてきます。それは同時に自分の禍・まがを明瞭にしていくことになりますが、その止揚の方向も見定めなくてはなりません。

一つには知識概念記憶の過去世界にあったことをいま現在に向かい入れ噛み合わして、過去を今現在に噛み合わす・噛む・神で、それをカム直す言霊オの 神直毘(かむなほひ)の神の運用法の確立。過去知識を禍として立てない。

一つには五感感覚、欲望の今ここにある世界に大いに沸き出してくる現在を、そのある形で今現在に受け入れ消費創造する言霊ウの 大直毘(おほなほひ)の神の運用法の確立。今の欲望感情を禍として立てない。

一つには選択按配に至るあるものをこれから配分する道徳政治世界のことで、現在から未来へ至る未来創造の芽を定立する言霊エの伊豆能売(いずのめ)の運用法の確立。未来への選択を禍として立てない。ここにだけ神が付かないのは今後の全体を現す芽(め)となるので、運用原理の適応可能性の段階にある可能性を神とはできないため。

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ア・八十禍津日(やそまがつひ)の神、イ・ 大禍津日(おほまがつひ)の神、オ・ 神直毘(かむなほひ)の神、 ウ・大直毘(おほなほひ)の神、エ・ 伊豆能売(いずのめ)の働きで禍がある事を見抜き、禍にそれぞれの位置を与えましたがそれが可能となったのは自身そのものに禍があることを自覚反省していたからでした。禍を見るのは自身の反省からにせよ、自分に依っているところから起きたものです。

自身が本来禍のない身であるのに、中つ瀬に浸ったために一般性・アと意思・イの禍に気付くと同時に自己の実相・オウエに禍を見るはめになりました。

そこで今度は中つ瀬にある自己の禍を探しその由来を明かし止揚する方向を探します。

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そこで中つ瀬にいる上記三者のその禍を直さむとして成ったはたらきとあり方を見ます。

今ここの現実に直接に関わりあうことのできる三者の創造実現の様子で、各人の実相です。中つ瀬にある意識の三様(言霊エウオ)として現れてきます。

現実に接触し、意識が現われているとき、あるものに対する自分の意識は、(エ)あるものとして選択現われた自分の意識、(ウ)あるものをあるものとして現した自分の意識、(オ)あったものをあるものとして現した自分の意識、というように選択された、現にある、過去から持ち来った自分の意識の統合統一されたものが対象に合致する形ででてきます。

ここに、わたしという意識の初めが選択という働きにおいて動き出し、選択された相手対象に向かい自分の選択相手であると了解します。

ところがここで各意識の次元が自分に居ついてしまうと自分の固定した姿から逃れられなくなります。つまり黄泉国に落ちます。

そこで中つ瀬の三者は自分がどこにいてどこに向かうのかを確かめます。

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。 中つ瀬の底にいて底の反対側にいく。(エからヱへ)

底筒(そこつつ)の男(を)の命。 中つ瀬の底で底をたどって底を通過する。(エ・テケメヘレネエセ・ヱ)

中津綿津見の神。 中つ瀬の中にいて中の反対側にいく。(ウからウへ)

中筒の男の命。 中つ瀬の中で中をたどって中を通過する。(ウ・ツクムフルヌユス・ウ)

上津綿津見の神。 中つ瀬の上にいて上の反対側にいく。(オからヲへ)

上筒の男の命。 中つ瀬の上で上をたどって上を通過する。(オ・トコモホロノヨソ・ヲ)

(五十音図のエウオの各段を横切ること)

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こうして自分の意識の実体が、意識の対象と自分の意識が合一されて現われました。それは無自覚な不明不定な可能としての選択ではなく、自分の働きによって創造選択した現象です。無自覚な意識の選択では目前に並んでいるもの達の現存するものの中から選択をしますが、自覚的な場合には選択されたのもがまず提出されます。

ここに知識と智恵の次元的な転換構造ができてきます。行き着く先の見えない欲望次元の実現ではなく、そういった欲望に振り回されることなく提起された欲望を智恵と知識で制御しつつ実現していきます。

知識というものは無自覚な上に築かれるものですから、何が知識になるのか知りません。与えられた物のお気に入り感覚で受け入れていきます。気が付けば自分の知識となって、知識に威張られ母屋が乗っ取られるのです。知識においてはその人が創ったものはありません。全てが借りものです

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さてここに自覚的な選択がおき、選択された今ここが提起されました。自分が選択してここに提起したのですから次に起こることは、どうするかという選択次元を超えています。

ですから、ここにあるものを本当に欲しているのかの現実欲望の確認が次になります。

・ こころの現実欲望が働いているために今ここの現実の欲望に接触できることが確認されます。【中津綿津見の神】

ついで、初めから終わりまでの各経過配置の現象に間違えのないことが確かめられます、

・ こころの現実欲望の経過現象のそれぞれが定位置に収まり、現象間の働きが連結されます、【中筒の男の命 】

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ここに元々の始まりであった、

天地(あめつち)の初発の時の、

吾の眼が付いて地と成る、無自覚な動きが、

吾の眼を付けて智と成す、自覚的な働きとなります。

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自覚的な選択の元で現にある欲望を欲望として表すことが確認されました。

残るのはその存在構造のあり方とその動きはたらきの知識です。

今までの知識のあり方では、概念記憶知識の過去にあったものを今ここへ提出することでした。

今ここからは、選択されたものの運用に関わりそれを導く智恵の知識となります。

そこで、

・ こころの記憶知識が今ここで必要な知識として生きた知識の形で現実と接触できることが確認されます。【上津綿津見の神 】

ついで、その知識の初めから終わりまでの各経過配置の現象に間違えのないことが確かめられます、

・ こころの記憶知識の経過現象のそれぞれが定位置に収まり、現象間の働きが連結されます、【上筒の男の命】

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初めに吾の眼という意識があるだけ、その働きが在るだけ、という規範が立ち上がり人のこころの活動が開始されました。

そこに先天規範を受け入れているだけの自己領域が形成され、先天活動に沿って自己の活動要素が生まれました。

ついで一般性を持った一般規範ができてどのようなことにも対応することを覚えました。

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こうして、

こころの全ての要素がその位置を得て、今ここからの創造活動ができるようになりました。

当初の意図を持った発想がめでたく了解納得されるものとして現象表現となります。

こころの初めは天の御中主の神・言霊ウで、訳のわからない無自覚な意識が動くウからはじまりました。

自らの発想が納得了解された今はスサノウのスから始まり、動きうごめくことから自覚的なススミ進めることへと、今ここの次元が高まり言霊(フトマニ)循環を経たことになります。

大自然大宇宙の一つであった意識が、使命をもって進む意識の大自然大宇宙へと変態が完成したことになります。

イザナギの命(われわれ各自)はいたく歓喜しました。

・ こころの人類文明創造の最高規範、天津太祝詞、やたの鏡が完成しました。 【天照大御神】言霊原理。

・ こころの精神的学問文化をコントロールする精神構造 ができあがりました。【月読の命 】責任を負い使命を持つ。

・ こころの欲望性能の整理、物質的繁栄をもたらす精神構造ができあがりました。【建速須佐男の命】 責任を負い使命を持つ。

訳がわからず分かれなければ分からないまま動いていたものが、「大千世界、梅で開いて松で治める神国の世になるぞよ」、「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生じる」、自覚的に創造、進んでいける意識を持ったことになります。

創造の元のウアワの造化三神は、 【天照大御神】【月読の命 】【建速須佐男の命】 創造進化三神となって、今ここの新次元を歩みだします。

その誕生に伊耶那岐命は大いに喜びます。

使命と喜びを持って子を産む事が始まります。

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こころの目次終わり

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