日本と世界の歴史

日本と世界の歴史 日本と世界の歴史 その一

当言霊の会の会報「コトタマ学」が先月にて二百号となり、「二百号記念」を発行いたしました。創刊より先月号まで言霊学について事細かに解説をして参りました。筆者自身先日ふと思ったことがあります。それは二百号の文章を通して何を明らかにしようとしたのであろうか、ということでありました。それを一言(ひとこと)で表わしたら何というべきか、と。

会報の名が「コトタマ学」ですから、その答えは「言霊」だといえば問題はありません。けれど筆者の心の中にその答えでは今一つ物足りない気持が残ります。二百号の文章、数えてみますと、会報一号分で九千字余りが詰まっています。その二百倍ですから約百八十万字ということになります。その字数を以って何を明らかにしようとして来たのか。

脳裏に先ず「コトタマ」の語が浮かびました。次に「光り」でした。そして最後に「いのち」でありました。

人間は生きています。生きているということは、生命が休むことなく活動しているからです。その生命とは何か。言霊です。言霊が常に、正確に言えば今、此処に於て活動していることです。活動のエネルギーは何か。「光り」です。言霊のことを一字で霊(ひ)といいます。その霊が走る、即ち駆るから霊駆(ひか)り、即ち「ひかり」となります。

生命を人は何処に於て自覚することが出来るのか。それは人間の生命の性能である言霊ウ(五官感覚に基づく欲望次元)、言霊オ(経験知)、言霊ア(感情)、言霊エ(実践智)、言霊イ(生命の創造意志)の五つの次元を一つ一つ自覚して昇り、最後の言霊イの創造意志次元の自覚に立つ時、永遠の今といわれる今・此処(中今)に活動する合計五十個の言霊の動きとして生命を心の内面に直観することが出来ます。言霊イの次元の道理、即ちイの道(いのち)を知ることが出来ます。

言霊の会は、約百年前、明治天皇御夫妻が日本民族伝統の言霊布斗麻邇の学問の存在にお気付きになり、国学者山腰弘道氏をお相手として言霊学の復活に務められて以来、今日に到るまでの幾多の先輩方の努力を受継ぎ、約十八年間、言霊学の完全な解明に務め、ここに漸くその全貌を明らかにすることが出来ました。会報「コトタマ学」二百号の成果を引っ提げて、言霊研究の立場から言霊原理の適用・実践の立場に切換えて、その第一歩を踏出すこととなりました。その手始(てはじ)めとして「日本と世界の歴史」についてお話することといたします。

さて、日本と世界の歴史を書くに当って確めなくてはならないことがあります。それは歴史とは何か、ということです。こう書きますと、聞いて下さる皆さんからは次の様なお答えが返ってくることでしょう。それは辞書に書いてあります。「歴史―人間社会の変遷・発展の経過(の記録)。又このような変遷や発展を研究する学問。」皆さんも多分これに同意なさることと思います。

右の辞書にある「歴史」の解釈をもう少し分り易く書いてみましょう。人類の社会の有様を示す記録またはそれに相当する物品が発見され、それが今から幾千年以前のものか分った時代以後、分っている種々の発見物を推理して、幾千年前にこのような事が起った。このような人がいて、かくしようと志して、かくかくの如き事を行い、世の中はこう変わって来た。世界各地そのような事が次々に起り、そのそれぞれの記録を総合し、考察すると、日本や世界はかくかくの経過を経て現在の状況を現出したと考えられる。言い換えると、過去から現在に到る人物とその行為、変遷する社会はその記録を調査・観察し、その結果を総合すると、日本の歴史はこうであり、世界の歴史はかくかくでなければならない。……という歴史であります。皆さんも右の解釈に頷(うなず)き、「それ以外の歴史は考えられない」とお思いになることでしょう。確かにこれは現代社会に於ては歴史の常識となっています。

けれど言霊学を少しでも齧(かじ)ったことのある方なら、変に思われるのではないでしょうか。大きな本屋さんか、図書館に行ってごらん下さい。日本史の本や世界史の本はズラズラと沢山並んでいます。そのそれぞれに著名な歴史学者の名前が書かれています。そして本の内容の中の歴史的に重要と思われる事件や社会変動の原因、経過、結果の記述に大きな違いを見出すことがあります。A教授とB先生の共著となりますと、両人の意見が相違してまとまらず、両者の意見を併記してある本もあります。「明日の株価はどうなるか」という、まだ来ない未来の予測なら意見の相違もあるかも知れません。けれど歴史的記述は過ぎ去った、唯一つの事実です。その観察に相違が生ずるのは何故なのでしょうか。

歴史に対する意見に違いが生じるのには二つの理由があります。その一つは、歴史的記録を読み、観察し、推理するのに、歴史家は自らの経験知識を以ってします。歴史に対して学者のそれぞれは生まれも、育ちも、学問的経歴もすべて異なります。それ等の相異は当然それらの知識の土台から発する意見に違いを生じさせます。

第二の理由は更に深刻です。歴史の創造に携(たずさ)わるのは人間です。その人間には先にお話しましたように言霊ウオアエイ五次元階層の性能が備わっています。人間の行為は意識すると否とに関わらず、この五階層の性能によって行われます。創造される歴史はこれ等五次元階層の人間性能の行為の結果である筈です。しかし現代の歴史家は自らの経験知(言霊オ)と、その他五官感覚による欲望(言霊ウ)、その他中途半端な感情(言霊ア)の三性能を以って観察、推理するに過ぎません。五つの性能による産物をその中の三つの性能によって観察・推理するのですから、真実を捕らえることが出来ないのも当然です。当会発行の本の中で「日本の戦争前の歴史はお伽噺であり、戦後の歴史は推理小説だ」と書きましたのも、この理由によります。

言霊布斗麻邇の原理が現代の日本語で理解出来る形で再びその姿を現わしました。人間に附与されているウオアエ四つの性能を言霊イの創造意志が統合する言霊原理の立場から人類の真実の歴史を書くことが出来る時代となりました。言霊の会は、言霊ウオアエの宇宙から現われ出て来る一切の社会的な出来事(現象)を統合している人間性能の第五次元である言霊イの立場から日本と世界の歴史をお話する事となります。それは先にお話しましたように、言霊イの道である生命(いのち)そのもの、人類生命そのものの歴史です。従来型の歴史を暗黒の歴史と呼ぶことが出来るならば、これから説こうとする歴史は言霊(ひ)によって創造される光(霊駆り=ひかり)の歴史であります。

話が理屈ばかりでは興味も薄れます。従来の歴史と今からお話しようとする言霊原理よりする歴史とはどのように違うのか、をお話しておきましょう。

時間がありましたら、現在社会の本屋さんに並んでいる歴史書を初めからお読みになってみて下さい。どの歴史書も例外なく誰かが(who)何時(when)何処で(where)何を(what)したかに始まり、その四つのWが幾つか続くと、次に何故か(why)に入ります。そして合計五つのWが果てしなく続くことになります。歴史学としては当たり前だろう、と誰でもお思いになることでしょう。この歴史学の研究方法を科学的歴史学といいます。一般の物質科学と同様に、歴史的に起る社会の同じような出来事(現象)、または幾つかの相違する出来事を集めて、その出来事と出来事との間の相違または同様の理由を推理して、歴史とは何か、歴史の行き着く処は何処か、そして最後に将来の予知を推察しようとします。

こう考えますと、一般の物質科学の方法と全く同じ手法を用いていることに気付きます。物質科学は同じような現象のデータを集め、それ等データ間の関連を調べ、そのような現象が何故起るのか、の原因を推察し、探って行きます。現われた現象から、その元の原因を探ります。多くの結果から一の原因に帰る方法、即ち神帰る、所謂考えるやり方です。

科学的方法なら正確だろう、と思うかもしれません。けれどそれは見当違いなのです。科学の対象は物質です。物質の金は現在でも百年前でも変わりはありません。関連を計るのに実験することが出来ます。データの計算も科学者によって相違することはありません。どんな観察者でも、観察に間違いがなければ、実験の結果は常に同一になります。歴史学の研究の対象は社会的現象です。その基礎は人間の心なのです。同じ「笑う」という現象にも、その原因には数え切れない程の多様性があります。その上物質科学には実験という手段が取り入れられますが、歴史学には実験という手段は不可能です。人間の行為には、同じ行為の再現は有り得ません。そこで学者の「推理」に頼るしかないのですが、その推理には学者一人一人の固有の経験知が働き、一つの社会現象に対して十人十色の判断が出て来ます。またその判断も時代の推移によって根本から変わることも少なくありません。つい最近の出来事についても歴史家の意見は人毎に違っています。このような歴史学的方法によっては「歴史の予見」などは百年河清をまつに等しいと言えましょう。これが科学的歴史学と呼ばれる従来の歴史学の現状です。

ではこれからお話申上げる言霊学に則る日本と世界の歴史とは如何なる歴史なのでしょうか。それは言霊学に触れたことのない人にとっては夢のような、否夢にも見ることが出来ないお伽噺のようで、それでいて言霊学に一度触れたならば、一点の疑いも差し挟(はさ)む事も出来ない程合理的で壮大な物語であり、言霊学を学ぶならば、今後の歴史がどのように展開して行くのかが掌を指さす如く明らかとなる人類唯一の真実の歴史であることを理解して頂ける歴史なのであります。

さて、ここ三千年の世の中では全く聞くことも読むこともなかった、否、聞くことも読むことも出来得なかった真実の歴史の話を始めることにしましょう。御静聴をお願い申上げます。

事は今から少なくとも一万年程前、世界の屋根といわれるヒマラヤ、チベット、天山、アフガニスタン等の高原地帯に幾人かの賢者がある一つの事を知ろうと志して集まった事から始まりました。一つの事とは「人間には心がある。心とは何であるか」ということでした。この人間の心にか関心を持つ賢者が次第に大勢集まって来ました。研究は語り継がれ、次第に大規模になりました。集まってきた賢人達の関心は心と言葉の関係に集注されるようになってきました。それはどれ程の年数を要したことでしょうか。後世、私達の祖先が「物とは何か」の問題に挑み、今日見る絢爛たる物質科学文明を見るまでおよそ四、五千年を費やした事から推して、略々(ほぼ)同様の年数を古代の賢者達もその研究に必要としたことでしょう。遂に彼等人間の心の研究集団は心のすべてを、その構造と動きとして解明することに成功したのでした。

〔注〕右の人類の精神文明の揺籃時代の場所をヒマラヤか、その附近の高原地方と書きましたのは、古事記「仁々芸の尊の天孫降臨」の章に「■肉(そじし)の韓国を笠沙の前に求ぎ通りて……」とあり、また降臨の出発地を「高天原」と古事記にあるからによります。別に九州の高原地帯でも構わぬ事であります。すべては今後の考古学の調査に期待するものであります。

古代の賢人達が残した研究の成果によれば、人間の心を分析し、もうこれ以上分析し得(え)ない所まで来た時、心の先天構造(人間の五官感覚では捉え得ない、言葉によって表現する前の脳の原動力の部分)の要素十七、後天として捉え得る部分の最小要素三十二、計四十九要素となります。彼等はこれ等四十九個の要素に、現在日本人が日常用いている片假名四十九音の清音の単音の一つ一つを結び付け、その一つ一つを言霊(ことたま)と名付けました。これ以上分析し得ない心の要素と日本語の単音とを結びましたので、その一つ一つの言霊は心の要素であると同時に、言葉の要素でもあるものであります。次に彼等はこれ等四十九個の言霊をそれぞれ神代神名(かな)文字に表わし、これを言霊ンと定め、言霊の総数は五十となりました。人間の心はこれ等五十個の言霊を以って構成されており、五十個より多くも少なくもありません。

彼等はこれら五十個の言霊が人間の心の中での働き、その運用法を探究し、それら五十個の言霊の典型的な運用法が五十通りあることを発見し、五十個の言霊の五十通りの動き、合計百の原理としてまとめ、この原理をアオウエイ五十音言霊の原理と言い、また一口で布斗麻邇と呼んだのであります。

かくて古代に於いて言霊布斗麻邇を発見、自覚し、その現実社会に適用する方法を保持して、人間社会をいとも合理的、道理的、政治的に操作して、豊潤にして福祉の行き渡った人間社会を建設する方法を確立したのであります。この原理の発見、保持の責任者、代表者の名前を、古事記は伊耶那岐の大神と呼んでいるのであります。この精神原理の太古に於ける発見が今より八千年乃至一万年前と推定されます。 天孫降臨

次に古事記が「天孫降臨」と呼ぶ出来事がおこります。先ず「天孫」について説明しましょう。天とは天照大神のことであります。その子の名を天の忍穂耳(あめのおしほみみ)の命と申します。そのまた子が邇々芸の命です。天照大神から数えると孫に当りますので天孫と言います。古事記はその冒頭の文章にある「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神(言霊ウ)」から始まり、次々と神が生まれます。そして最後に天照大神、月読の命、須佐男の命の三神の誕生まで丁度百の神様が誕生します。

この百神の中で、一番目の天の御中主の神(言霊ウ)より五十番目の火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までがアオウエイ五十音言霊のそれぞれを表わしている神名であり、五十一番目の金山毘古(かなやまびこ)の神より百番目の須佐男の命までが、上述の五十音言霊の整理、運用法を表わす神名です。そしてこのような五十音言霊操作の総結論として誕生するのが天照大神(言霊エ)、月読の命(言霊オ)、須佐男の命(言霊ウ)の三貴子(みはしらのうずみこ)です。この三神の中の天照大神にだけ親神の伊耶那岐の大神は言霊原理の保持、運用を許し、他の二神は天照大神の脇立の役を授けたのであります。この決定によって天照大神は言霊布斗麻邇の原理の保持者であり、原理に拠る世界文明創造(言霊イ・エ)の総覧者となりました。日本神道はこの神を皇祖と呼んで崇める事となります。天孫の天とは正しくこの天照大神を指し、邇々芸の命はその孫ということになります。

次に「降臨」の説明をいたします。天孫降臨を従来の国家神道は邇々芸の命という神様が何処か宇宙の遠い神聖な所からこの地球上の日本の地に舞い下って来られた如く語られ、またそのような絵画も発刊されていたのであります。その夢物語の神話が太平洋戦争の敗戦と、昭和天皇の古事記・日本書紀と皇室とが無関係であるとの宣言によって崩壊し、好奇心を満足させる以外の何物でもない推理小説的歴史に変貌しました。これも古事記の編纂者、太安万呂の巧妙な話術狂言をその裏の真実を見ず、そのまま信じ込んでしまった結果でありましょう。古事記の天孫降臨の真実とは、人間の心の原理、生命の構造を余す所なく体系化した言霊の原理を保持した賢者達(これを聖(ひじり)と呼びます。太古言霊を一字霊と呼び、その霊の道を知っている人、即ち霊知りと言ったのです)が、この精神の宝である原理を自覚・保持して、地球の高みから、人類文明創造の大業を全うするのに都合のよい理想的な平地に下って来ることを言ったものであります。

天孫降臨と呼ばれる事の真の目的とは何なのでしょうか。それは降臨する聖の代表者、統率者の名、邇々芸の命の名がよく示しております。これを説明しましょう。

邇々芸の命の邇は似(に)または二(に)に通じます。二は第二次的の意です。邇が二つ重なりますから、第二次的な、そのまた二次的なの意となります。即ち第三次的な、の意です。何の第二次的なのか、と言いますと、もの事の最も真実なもの、即ち言霊です。言霊が第一次です。その言霊を組合せて、物事の実相を表わす言葉を造ります。言霊原理より造られた言葉は第二次の真実です。次に人間は何を為すべきか。それは造られた言葉がそのまま通用し、調和して誤ることのない人間社会の建設です。邇々芸の芸は業(わざ)であり、芸術のことです。言霊を第一次とし、言霊原理によって造られた言葉を第二次的芸術とするならば、その言葉が通用して誤ることのない調和の社会を建設することは確かに第三次的芸術ということが出来ます。文明社会の建設の仕事、言い換えますと、真の意味での言霊エの実践智による世界文明建設の政治は人間にとって最高の芸術だということが出来るでありましょう。古事記の邇々芸の命とはそういう役目を担った人の意であります。

かくて高天原に時が来て、言霊の原理を自覚・保持する邇々芸の命人類文明社会建設集団が高原から世界政治を行うに便利な、気候温和で四季の移り変わりの明らかな土地を目指して、高天原を出発して行ったのであります。それはこの地球上に初めて英智そのものの原理と、人間社会に永遠の理想社会を建設する大きな目的をもたらす大移動の旅でありました。

古事記に「ここに■肉(そじし)の韓国を笠沙の前に求ぎ通りて詔りたまはく、此地は朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、かれ此地ぞ甚と吉き地と詔りたまひて、……」とあります。邇々芸集団の旅がどのような経路を踏んだかは明らかではありません。けれど世界統治の最適の地として旅の終着点とした土地は明らかであります。この日本列島でありました。

日本と世界の歴史 その二

人間の心と言葉に関して究極の原理である五十音布斗麻邇を発見した聖の集団は、次に地球上にこの原理を応用して万物共有の樂土を建設しようとして、その創造の政治を行うに適した場所を求めて高天原の高原から平地に下りて来ました。その集団の長を邇々芸命(ににぎのみこと)といいます。そしてその長い旅路の末に、「ここぞいと吉き地」と永住の地として定めたのはこの日本列島でありました。先月号にてここまでお話しいたしました。

古事記はこの「いと吉き地(よきち)」と終着地を決定しました後に「底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷椽(ひぎ)高しりてまし坐しき。」という文章が続いております。この文章を角川文庫の訳者によりますと、「地の下の石根に宮柱を壮大に立て、天上に千木を高く上げて宮殿を御造営遊ばされました」と書いております。このように単に宮殿を建てた、という形而下の出来事と解釈しますと、この文章より七、八行前にある古事記の文章「ここに天津日子番能(ひこほの)邇々芸命に詔りたまひて、天の石位(いはくら)を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、稜威(いつ)の道別(ちわ)き道別きて、天の浮橋にうきじまり、そり立たして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とある文章が全くの絵空事の如く、邇々芸命が何処かの天体から地球上の高千穂の山に舞い降りた、ということになってしまいます。

単なる神話(神様の物語り)とするなら、それで何ら構わないのですが、その神話を国家の起源と結びつけますと、途方もない超越的な国家観が成立してしまうこととなりましょう。神話の内容は飽くまで言霊学の内容を後世に伝えるための黙示として見ることが必要であります。大昔には精神内容の表現に必要な概念的用語がありませんでした。そしてその用の為に用いられたのは自然現象による比喩であります。このことを頭に留めて古事記・日本書紀の神話に接することが肝腎であります。

右のような訳で「底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷椽高しりてまし坐しき。」の意味を言霊学を通してみますと、次のように解釈されます。「人類文明を創造する政治の要諦(心構え)として、人間が生まれる時から授かっている五性能を表わす天津菅麻音図の母音アオウエイの最下段、イ次元に展開する言霊五十音(石根=五十葉音)を基盤として、その上に政治活動の判断の基準となる心の柱アイエオウの自覚をしっかりと打立て、その判断によって各文化を取り入れて、それを材料として人類文明を創造して行く最高の心構えであるア・タカマハラナヤサ・ワの十拳の剣を振るう(禊祓)生命の耀き(千木)の光を高々と打立てたのであります。」高天原に於て発見し、自覚し、培って来た人間究極の英智の光を、今、人類文明創造の歴史の出発点に立って、改めてその心構えを再確認した訳であります。この時を以って、人類の歴史の出発点と宣言したのでありました。人類の歴史の第一年であり、今から八千年乃至一万年前のことであります。

現代の歴史家の説くように、古い時代の人間の生活を示す遺物や記録が発見、発掘され、それ等を年代順に並べ、それ等の関連性を推察することによって現われる一連の筋道が人類の歴史なのではありません。「蟹はその甲羅に似せて穴を掘る」といわれます。人類もその甲羅に似せて歴史を創造して行きます。人間の甲羅とは人の心の究極の構造、五十音言霊です。この五十音言霊布斗麻邇の原理に則り、その原理の運用法によって歴史を創造します。人間の生命の基盤を明らかにし、それによって人類の歴史の究極不変の目的達成の為に、言霊原理運用の方法を駆使して創り出して行く歴史、この聖なる意図的な歴史こそ人類の歴史であります。神であり、同時に人間である人間が綾なし、創り出す歴史、これが人類の歴史なのであります。

そしてその歴史創造の責任者を天津日嗣天皇(アマツヒツギスメラミコト)と申します。天津とは大自然より授かった、の意。日は霊(ひ)で言霊原理のこと。嗣とは代々その言霊原理を伝え、自覚・保持している、の意。天皇とは現代の天皇とはその内容が全く違い、スメラミコトと呼びます。スメラは「統(す)べる」で統一する、統轄するの意。ミコトは全人類の声、の意です。アマツヒツギスメラミコトの全部で「大自然より授かった人間が人間であるべき究極の法則、即ち言霊布斗麻邇の原理を自覚、保持、継承し、その原理を以って全人類の言葉を聞こし召し、統一して大和(だいわ)の社会を創造する人」の意であります。第一代のスメラミコトは、高天原よりこの日本に来て、初めて人類歴史創造のための政庁を築いた邇々芸命ということになります。

さて、日本に着いた邇々芸命を長とする聖の集団が「ここは吉き地」といって歴史創造の根拠地と定め、政庁を建て、先ず第一に何をしたでしょうか。それは言葉を作ったことであります。邇々芸命の最初の邇は、一である言霊原理を語源として、第二番目の芸術である日本語(大和言葉)を作った事であります。禅の言葉に「柳は緑、花は紅(くれない)」というのがあります。柳の葉は緑色で、花は赤く咲いている、というだけの意味ではありません。春の新緑の柳の葉を見た瞬間に人の心に映じる鮮やかなほのぼのとした緑の色彩、真っ赤な蘭の花が開いた時の息が止まるかと思われる鮮やかさ、その感じを物事の実相に喩えたのです。日本の風土にはそのような細やかな温暖な気候、何とも親しさを覚える風土があります。その様な人の心をゆさぶるような物事の実相、人の心の細やかさ等々を観察して、それぞれの実相を、また現象の究極の三十二の実相音(言霊)をもって一音、二音、または三、四音等々結び合わせて「これっきゃない」という名前をつけて行ったのであります。物事や出来事の事態が如何に複雑に見えようとも、それを観察する人々の答えが十人十色であっても、その実相(実際の内容)は唯一つであります。人々がそれぞれの経験の眼で見るから十人十色となるのです。経験を超えた人間天与の眼(宇宙の眼)で見るならば十人、百人いようとも、真実の相はただ一つなのです。その実相を見て、それに究極の実相音である言霊の音を以って名付けるならば、名前がそのままその姿、その事態を示します。その音、その言葉を霊葉(ひば)と申します。昔、わが日本のことを「惟神言挙げせぬ国(かむながらことあげせぬくに)」と言いました。物事にその実相を見、その実相に実相音を以って作った言葉(霊葉=光の言葉)で表現しましたから、万人が一様に見、理解する言葉となりましたので、その事について議論をする余地はない国なのだ、というわけであります。私達日本人が日常使っている日本語の原典である大和言葉が第二の芸術といわれる所以であります。この第二の芸術である大和言葉(日本語)がそのまま通用して誤りや滞りのない真実の社会を創造して行く政治の軌跡、これが真実の歴史であります。

邇々芸命の集団がその遠大な構想を実践するべく日本に天降って来た時、日本や世界は果たして如何様な状態であったのでしょうか。そして聖の集団はそれに対して如何様な方法で世の中を治めて行ったのでありましょうか。所謂天孫降臨時の日本や世界の様相を古事記は「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国は、いたくさやぎてありけり」と述べており、また大祓祝詞(おおはらいのりと)には「……斯く依(よさ)し奉(まつ)りし国中に、荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひて、言問ひし磐根樹根(いはねきね)立ち、草の片葉(かきは)をも言止めて、……」とあります。邇々芸命集団が日本に到着した頃の世界は、大祓祝詞のいう「荒ぶる神等(かみたち)」の世界であったのです。「荒振る」とは言霊学でいう荒の音図の示す考え方、の意。荒の音図とは言霊ウの五官感覚に基づく欲望の世界、五十音言霊が縦に母音がアイウエオと並び、最上段のア段がアカサタナハマヤラワと横に並ぶ音図、即ち天津金木音図の世界のことであります。ア段がアからラに連なる心の運び方は正しく人間の欲望を主流とする世相であり、強い者勝ち、弱肉強食の社会のことで、権力一辺倒の世の中のことであります。この言霊学でいうアラの音図のやり方を振う、の意で「荒振る…」と申します。

この腕力の強さと権力の大きい者が幅を効かす世の中のやり方に対して、邇々芸命集団のとった方策とは如何なるものであったのでしょうか。更に大きな権力と強い腕力を以って対処したわけではありません。大祓祝詞には「荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひて、言問ひし磐根樹根立、草の片葉をも言止めて、天の磐座放(いはくらはな)ち、天の八重雲を巌の千別きに千別きて、天降し依し奉りき」と詳しく述べております(会報百五十四号、「大祓祝詞の話」その三、参照)。

邇々芸命の聖の集団の人達は荒振る神(人)と戦争をしたわけでも、論争をしたわけでもありません。話し合いをしたのであります。「荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひ、……」とあります。「君たちはそれで満足か、仕合せか」と問うたのであります。ただの言葉で質問したのではありません。先に申上げました光の言葉霊葉で問うたのです。人の心の奥の奥、底の底の暗闇(くらやみ)まで透る光明の言葉で問いかけたのです。光の届く処、闇は立所に消え去ります。否も応もなく、正しき道の存在に気付かせるのです。これが「神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひて」の内容であります。荒ぶる神等は自分等が夢にも見ることがなかった至福の世界の住民になることを心の底から願うようになります。

その結果「言問ひし磐根樹根立、草の片葉をも言止めて」となります。どういうことかと申しますと「言問ひし」とは、聖の集団の方から先住の荒振る神(人)等に「今の世相で貴方等は満足しているか。仕合せか。」と問いかけた事であります。その話合いの結果、先住民の方の磐根、樹根を断ち(立)、草の片葉を廃止(言止め)させたのです。磐根とは五葉音の意。言霊学で謂う五つの次元、欲望(ウ)、経験知(オ)、感情(ア)、実践智(エ)、創造意志(イ)のそれぞれの人間性能が人間によって自覚・区別が行われていないで、統率がとれていない、支離滅裂の言葉(それは丁度現代日本の言葉の様相)のことです。樹根とは気の音のことで、感情論のことと思われます。感情の赴くままに行動すること。これ等の物の考え方を停止させ、廃止させたのでした。草の片葉とは種々の書き記した言葉の意。言霊原理に基づくことのない種々雑多な文字、またはこのような文字で綴られたいろいろな考え方のことです。それ等の言葉や考え方を一つ一つ使わないよう指導して行ったのであります。言霊学に於ける「禊祓」の行の如く、一切の他文化を否定することなく摂取し、それを新しい生命の原理に則した姿として生まれ変わらせて行ったのであります。その結果は旧約聖書創世記にありますように―

全地は一つの言葉、一つの音のみなりき

の社会が生まれ出ることとなります。この新世界の誕生は権力や武力を以って為し得る業ではありません。光の言葉(霊葉)で示される如く、粗野な風習が光耀く徳の風になびき伏すように、暗黒が消え、光明の世界が現出していったことです。

「全地は一つの言葉、一つの音のみなりき」とは、多分全世界がただ一つの大和言葉に切り換えられ、他の住民古来の言葉のすべてが廃止された、ということではないように思われます。各国家、民族、地方の文化としての言語はそのままに、国内の枢要な機関、また国と国、民族と民族間の外交上の言語が言霊原理に基づく大和言葉に切り換えられた、と推測されます。何故ならその言葉が「言葉即実相」を文字通り表わす言葉であり、惟神言挙げせずに通用する世界で一つの言葉であったからであります。そして世界で唯一つの言語であり得しめる言霊原理(これを一音で霊といいます)の元の国の意で、この日本の国名を「霊の本」と呼ぶようになったのです。

邇々芸命の聖の集団が日本国土に到着し、世界人類の理想の文明創造のための政廳を創設して以来、「全地は一つの言葉、一つの音のみなりき」の統一された精神文明の時代の端緒を建設するまでには長い年月を必要としたことでありましょう。この世界樹立の時は今より約八千年程前と推定されます。この時から今より約二千七百年以前の神武天皇の神倭皇朝の創設まで約五千年の間に、古事記に於ては三人の神様、邇々芸命(ににぎのみこと)、日子火々出見命(ひこほほでみのみこと)、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が生まれたと書かれております。五千年の間に三人とは変だ、と思われるかも知れません。「神様ならその位不思議でも何でもない」と感じる方もいることでしょう。しかし、武内文献によれば、それは三人の神様ではなく、一代で何人、何十人の天皇が皇位を継承する皇朝のことなのだ、とあります。そう考えれば合理的であり、納得が行くことです。特に鵜草葺不合皇朝(うがやふきあえず)は七十二代の天皇が続く皇朝でありました。この五千年の三代にわたる皇朝の時代は霊の本に於ける言霊布斗麻邇の原理に基づく世界政治により大旨精神的平和、豊穣の代が続いた精神文明時代でありました。この時代を人類の第一精神文明時代と呼んでいるのであります。

この五千年にわたる精神文明の時代には、歴代の天皇は政庁を通じて、言霊原理の応用によって考案された人事諸般についての手法、産業・経済の振興、天文・気象の観測等の技法等の文化を世界各国に伝えて、文化の中心的存在となり、また、歴代の天皇は即位後、十年、十数年を費やして世界各地を巡行され、文物を伝え、また言霊原理を各民族の人々が理解し易いようその土地の神話の形で遺されたと伝えられています。これが現在各民族に伝わる神話の原典であります。この日本の天皇の徳を慕って世界各地の王や王族等は、新天皇即位の式典には遥々各地から日本に来て即位の祝典に参列したと伝えられています。また世界各地の王や王族が死にますと、その遺骸は日本に運ばれ霊の本の地に埋葬されました。歴代の天皇を祭る宮を皇祖皇太神宮(すめおやすめらおほたましいたまや)といい、外国の王等の廟を別祖(そとつみおや)太神宮と呼ぶ、と武内文献にあります。現在の伊勢神宮の古代に於ける形式ということが出来ます。

人類の第一精神文明時代に日本に於て三つの皇朝DINASTYが続いたと先にお話しました。邇々芸皇朝、日子火々出見皇朝、鵜草葺不合皇朝であります。これら三皇朝のそれぞれの特徴についてお話をすることにしましょう。

邇々芸皇朝――邇々芸命を初代天皇とし、五代続いた皇朝(武内文献による)。先にお話した如く邇々芸の名が示すように二の二、即ち第三の芸術である言霊原理に則り、その原理の表現である五十音言霊を要素とする大和言葉の創造、その言葉の実相が一つも誤ることなく社会制度が作られる政治の先駆時代の皇朝であります。人類の文明創造の歴史の経綸を打立てた創業の皇朝。

日子火々出見皇朝――日子は言霊原理から作られた言葉(大和言葉)。火は穂の意。その真実の言葉が、社会の中で損(そこ)なわれることのない合理的な社会の建設の成果(穂)が、穂に穂が咲くと言われる如く豊かに実って来た時代の皇朝という意味であります。日子火々出見天皇を初代とし、八世続いたと文献にあります。

鵜草葺不合皇朝――鵜草葺不合天皇を初代とし、七十二世続いた皇朝。

日本と世界の歴史 その三

先月号にて人類の第一精神文明時代の三つの皇朝についてお話申し上げました。第一の皇朝を邇々芸(ににぎ)皇朝といい、五人の天皇(スメラミコト)が相次いで政治の座につきました。いわば言霊布斗麻邇の原理に基づき、その時以前、世界中に行われていた強い者勝ちの覇権的な社会を次々に言向(ことむ)け和(や)わし、布斗麻邇の原理の光に靡(なび)かせて行った精神文明創業時代の皇朝であります。世界中の国家・民族は大体この皇朝時代に、その時まで夢にも見ることがなかった言霊の光の政治の存在を知り、喜んでその傘下に身を委ねるようになったものと推察されます。

二番目の彦(ひこ)(日子)穂々出見(ほほでみ)皇朝に於ては八人の天皇が相次ぎました。この皇朝時代に布斗麻邇の光の中に世界各地の人々はその善政を謳歌し、精神文明の花が全世界に開いた繁栄の時代を迎えたものと推察出来ます。旧約聖書に「全地は一つの言葉、一つの音のみなりき」と書かれた布斗麻邇文明の成果の花咲く時代でありました。

これに続く第三番目の鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝の時代も精神文明繁栄の時代でありました。と言うよりむしろ爛熟の時代と申したらよい時代でありました。この皇朝時代、実に七十二世の天皇が相次ぎました。霊(ひ)の本(日本)である日本朝廷の徳を慕い、世界各地より王、王族の来朝が相次ぎ、文字通りこの日本は世界文化の中心となり、言霊原理に由来する各種文化は広く世界各地に伝えられ、現在世界各地に遺っている民族の神話はこの時代に言霊原理によってそれぞれの民族に適応するように作られたものであります。

では二番目の彦穂々出見皇朝と第三番目の鵜草葺不合皇朝とは何が違うのか、と申しますと、彦穂々出見時代が精神文明の最盛期であり、鵜草葺不合時代が爛熟期だというだけでなく、葺不合皇朝の時代には、継承された精神文明が爛熟の時代を迎えただけでなく、その精神文明の内側に、やがて人類の第二文明となる物質科学文明の種が芽生え始めた時代でもあったのであります。この日本民族の、また世界人類の文明創造の流れの変容の消息を説明するためには、話をもう一度、言霊原理発見と完成の高天原時代に戻して考える必要があります。即ち言霊原理の総結論完成の時の古事記の文章に立ち返って検討してみることといたします。

言霊学の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)誕生の古事記の文章は次の通りです。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜の食す国を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。

以上の三貴子誕生について伊耶那岐の命の言葉の中には、日本天皇の世界人類の文明創造の御経綸についての重要な意味内容が二つ述べられています。その一つは三権分立の確立であり、二つ目は三位一体の協力体制の命令です。簡単に説明しましょう。

三権分立

天照大神、月読命、須佐男命の三神が人間精神の全領域を統治するに当り、天照大神は高天原(言霊エ)を、月読命には夜の食国(よのおすくに)(言霊オ)を、須佐男命は海原(うなばら)(言霊ウ)を主宰せよ、という命令、委託であります。更に説明を加えますと、天照大神は言霊五十音で結界された言霊イの領域と、その運用である言霊エ次元を治めよ、と委任しました。月読命には人間の持つ精神性能の中の宗教と芸術の精神領域(言霊アとオ)を委任しました。そして須佐男命には海原(ウの名の原)即ち言霊ウの精神領域である産業・経済の分野の責任を負え、という命令です。即ち言霊ウとオの次元領域であります。以上が三権分立の掟(おきて)です。

三位一体

伊耶那岐命はその子三神、天照大神・月読命・須佐男命に人間精神の三大分野を統治する委任をされた際、アイエオウ五十音布斗麻邇の原理を天照大神のみにその使用を許可し、月読命・須佐男命には与えませんでした。言霊原理は言霊エの政治・道徳の次元に於てのみ運用・活用が可能であったからです。そこで人間の心の働きには、天照大神を中央の本立とし、言霊原理を操作運用して、文明創造の経綸を行い、月読命(宗教・芸術)と須佐男命(産業・経済)とは天照大神の脇立となってそれぞれの領域の仕事を天照大神の言霊原理に基づく指示に従って遂行する、という三位一体の体制をとったものでありました。人類の第一精神文明時代においては、社会のすべての営みは精神原理である言霊原理の運用・活用によって行われたのです。これを三位協力一体の制度と申します。言霊原理を与えられなかった月読命には思考概念を、須佐男命には数の操作が与えられた事を特筆しなければなりません。

人類の第一精神文明の時代は、以上説明しました三権分立、三位一体の原則に従いながら、邇々芸、彦穂々出見、鵜草葺不合の三皇朝が継立して行ったのでありますが、第三番目の鵜草葺不合皇朝、特にその皇朝の中半過ぎに到って皇朝内部にそれ以前にはなかった一種の風潮が芽生え出したのであります。前にお話しましたように、葺不合皇朝として表面は精神文明の熟成の時代であることに変わりはないのでありますが、その体制の底に異変が起って来たのであります。

その異変とは何であるか、は先ずその皇朝の名、鵜草葺不合が示すところであります。鵜草(うがや)とはウ(言霊ウ)の神(か)の屋(や)根の意であります。その屋根が未(いま)だ葺(ふ)き上がっていない、即ち完成していない、の意です。どういうことかと申しますと、第三の精神文明の皇朝である鵜草葺不合皇朝は勿論、精神文明華やかなことに間違いないのだが、その体制の奥底に精神文明ならざる物質科学文明という第二の人類文明の芽が吹き出して来たが、まだそれは芽吹いたばかりで、その完成は遠く、次の時代に持ち越されることになる皇朝、と言った意味を持つ皇朝の名なのであります。

ではその異変と変革はどのようにして起って来たのか、は言霊百神の古事記の文章の次に詳しく述べられていることであります。

かれ、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の隨(まにま)に、知らしめす中に、速須佐之男命、依さし賜へる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。ここをもちて悪しき神の音なひ、さ蝿如(ばえな)す皆満ち、万(よろず)の物の妖悉(わざはひ)に発(おこ)りき。故、伊耶那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は言依させる国を治らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまおしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く分怒(いか)らして詔りたまはく、「然らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂らひに遂ひたまひき。……

上の古事記の文章を現代文に直すと左の如くなります。

父神、伊耶那岐命の命令に従って、天照大神は高天原、月読命は夜の食国(宗教・芸術)、須佐男命は海原(産業・経済)の領域を主宰して仕事にいそしんでおりましたが、或る時が来て、三貴子の中の須佐男命が、自ら委任された産業・経済の仕事を放り出して、高天原の原理であるタカマハラナヤサの十拳剣(とつかのつるぎ)の方法でない、産業・経済の世界の物質を取り扱う独特の方法があるのではないか、と思いつめ、その方法である八拳剣のカサタナハマヤラの方法を見つけようと盛に勝手な研究をトコトン始めたのでした。高天原の清浄・平穏な雰囲気の中に異状な不協和音が鳴り響き出し、剣呑な状況が現われて来ました。それを見兼ねた伊耶那岐命は須佐男命に問い質(ただ)しました。「お前はどうしてお前の責任である産業・経済の仕事をしないで、高天原のリズムを乱す言葉をわめきちらすのだ」須佐男命が答えました。「私は物とは何かという研究・学問がしたくなり、そのためにお母神のいます客観世界へ行きたくて泣いています。」伊耶那岐命は命令を守る心が須佐男命にはないことを知って大いに怒り、「お前がそういう心ならば、この高天原にいることは許されない。外国へ行ってお前の好きな研究をしなさい」と言って、高天原から黄泉国(よもつくに)へ追放したのでした。

上の古事記の須佐男命追放の文章を更に平易に須佐男命の気持ちの側から書いてみると次の様になります。

「私、須佐男命は長い間、高天原日本で姉神、天照大神の保持する五十音言霊布斗麻邇の原理に従い、姉神と協力して物質の生産・管理(産業・経済)の仕事をやって来た。姉神が保持する言霊の原理は人間の心の学問としては最高で、一点の誤りもない、立派なものである。私は長い期間、社会の物質に関する営みに従事して来た結果、物質世界には心の世界とは異なった法則が働いているに違いないと思われて仕方がない。私は是非ともこの物質法則を知りたくなった。どんな苦労をしようと、私はその道を歩みたい。この平穏・無事な高天原では駄目だというなら、外国へ行ってでも研究を続け度い」ということになります。

かくてこの高天原日本から、精神の究極の原理である言霊布斗麻邇ではない、物質世界の究極の原理を求めて、須佐男命物質科学研究集団とも呼ばれるべき人々が外国に向って出発して行ったのであります。人類第二の物質科学文明の始まる第一歩はかくの如くして実行されたのでありました。今より四乃至五千年程前のことであります。

須佐男物質科学研究集団は日本より先ず朝鮮半島に渡り、そこに檀君国を建設したと伝えられます。彼等は更に中国東北部より中国北部に進み、印度に到達しました。中国北部に建設した国は商または殷(いん)と称しました。それ等の国は西域より進んで来た異民族によて滅ぼされ、周(しゅう)が建国されたと伝えられています(契丹古伝)。須佐男研究集団の研究は、初めの間は精神文明の言霊原理を物質に適用する方法で始められましたが、年を経るに従い、物質研究特有の方法を開発していきました。彼等の第一の武器は数の概念であります。須佐男物質科学研究集団の歩みは、初めの間は極めて遅々たるものでありましたが、次第にその速度を増し、数を駆使する研究の成果を積み重ねて行き、その結果、鵜草葺不合朝の精神文明の社会の中にあって軽視することが出来ない社会的勢力に成長し、物質重視の風潮を黄泉国外国の中に形成して行くこととなります。

三位一体のもう一つの翼を担う月読命の働きはどうなのでしょうか。月読命の仕事領域は人間の心の中から言霊原理を除いた全ての領域です。そして月読命は言霊原理を与えられない代わりに思考の概念を授かりました。彼等の仕事は須佐男命と同様に、初めの間は言霊原理の概念による解釈が専らでありました。世界の各民族の神話の作成も彼等の仕事であります。中国の伝説にある三皇五帝といわれる三皇の燧人氏、伏羲氏、神農氏の中の伏羲氏に、高天原の原理「天津金木」を中国漢学の概念に脚色し、「易」として伝えたのも彼等の仕事でありました。その他世界各地に概念哲学や原始宗教を教伝するのも彼等でありました。

葺不合皇朝の後半より、先に述べました各国の王や王族ばかりでなく、民間の賢人、学者の来朝も盛んになってきました。竹内古文献によって見ると主だった人々だけでも次のようになります。

伏羲 葺不合皇朝五十八代 御中主幸玉天皇の御宇(みよ)

モーゼ 同 六十九代 神足別豊鋤天皇の御宇

釈迦 同 七十代 神心傳物部建天皇の御宇

老子 神倭皇朝 一代 神武天皇の御宇

孔子 神倭皇朝 三代 安寧天皇の御宇

人類の第一精神文明の基幹原理であるアオウエイ五十音布斗麻邇の学は、物事を見る側、即ち主観を反省することによって成立する学問であります。これに対し、物質科学研究は物事を観る側である主観を捨象し、見られる側である客観を抽象化して研究する学問であります。科学は物質を破壊し、その内容を調べることから始まります。須佐男物質科学研究集団の仕事も初期の間は精神法則である言霊の原理を物質の現象に当てはめて考える手法を採用して研究を進めて行ったのですが、時が経つに従い、現代科学が採用している「破壊・研究」の方法に次第に手法を変えて行きました。精神学問からの科学の独立へ向ったのであります。そして須佐男科学研究集団が日本を出発してより約千年余、その成果はまだ幼稚ではありますが、それでも一般民衆の生活に影響を与える程の勢力に成長して行きました。その科学研究の原動力である人間の好奇心は、人間の心の内部に対しても浸透して行き、人々の間に自我意識の芽を育てて行ったのであります。精神文明時代の全体主義的福祉の社会から大きく個人主義的幸福追求の時代風潮が生まれようという気配が芽生え、広がって行ったのであります。

このようにして鵜草葺不合皇朝の末期の頃(四千年から三千年前頃まで)には、この社会風潮のうねりは大きくなり、無視出来ない高まりとなって来ました。このことをいち早く知った高天原日本の朝廷は、会議の結果、この風潮を五千年間続いた人類の第一精神文明時代を終了し、次の第二の人類文明時代に転換させるための絶好の機到来と位置づけ、種々の政策を決定し、実施して行ったのであります。その結果――

一、鵜草葺不合皇朝初代以来、天皇は即位後世界各地を巡幸し、言霊布斗麻邇の原理より考案した諸種の精神文化を教伝するのを常としていましたが、その巡幸を中止し、高天原日本の朝廷と世界各地との直接の連絡を廃止しました。その為、布斗麻邇という精神的最高原理の存在の意識が外国に於て薄れていったのであります。

二、その後更に千年経ち、言霊原理の保持国であった高天原日本に於ても、その精神真理を以ってする政治を廃止し、言霊原理を世の中の表面から隠没させる事となります。その政策は神倭朝一代神武天皇の御宇に決定され、その実行は六百年後の第十代崇神天皇によって実行に移されました。即ち三種の神器の同床共殿制度の廃止であります。

ここに於て約五千年間続いた人類の第一精神文明時代は名実共に終焉を迎えたことになります。人類全体の文字通り命運に関わるこの大変革を推進した高天原日本朝廷の意図は果たして何であったのでしょうか。その経綸の将来に何を望んだのでありましょうか。人類の新しい文明創造の旅路のお話は次号よりに譲ります。

日本と世界の歴史 その四

人類がその第一精神文明時代を終了し、第二物質科学文明時代に突入して行ったのは、今から約三千年前と推定されます。この人類歴史創造の方針の転換は、高天原日本の朝廷に於ける各天皇の並々ならぬ人間生命への洞察と、歴史創造の精密、大胆な準備の下に行われたのであります。決してその場、その時の思いつきなどではないことが窺えます。そのことを証明する二つの出来事をお話申上げることにしましょう。

その第一は大祓祝詞(おおはらいのりと)またの名、天津太(ふと)祝詞の制定年代とその内容についてであります。この祝詞は昔から朝廷に於て年々六月と十二月の晦(つもごり)の大祓の儀式に唱えられて来ました。この祝詞が何時制定されたか、正式な記録はありません。民間に伝わる歴史である竹内文献・阿部文献によれば、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第三十八代、天津太祝詞子(あまつふとのりとご)天皇がこの祝詞を制定したと伝えられています。神倭皇朝第一代神武天皇即位より遡ること約千年、今より三千七百年前と推定されます。その後、鵜草葺不合朝より神倭朝に替わってからもこの祝詞は朝廷に於て使用され、最後に六九○年頃、柿本人麻呂(ひとまろ)の修辞によって今日詠まれるような美文になったのであります。

現在唱えられている大祓祝詞の美文も、現代の国文学的知識ではその内容を窺い知ることはほとんど不可能に近いと言ってよいものでありますが、言霊学を知る人なら比較的容易にその意味・内容を解釈出来ます。今、此処でその内容を平易に箇条書きにまとめてみると、左の如くなります(会報百五十二号参照)。

一、古事記に記されている邇々芸命(ににぎのみこと)とその集団がこの日本列島に天孫降臨して、日本の国を肇国、建設し始めた時の歴史的状況。

二、肇国に当り、国家建設に如何なる基本方針を持ち、どんな国家体制を目指したか。

三、理想的精神文明の国家が建設された後、歴史の進展と共に日本並びに世界の各地に醸成されてくる種々の矛盾、罪穢の種類とその内容の説明。

四、歴史が更に進み、人類が人類文明創造の基本方針を忘れ、社会の汚濁が頂点に達した時、その罪穢を祓い、禍因を根絶して、肇国時代そのままの永遠の調和・平安を取り戻すための、人類が頼るべき唯一無二の処置法の開示。

五、その操作・処理の成功によってもたらされる平安・調和の時代には如何なる政治が行われるか、の説明。

以上の如き内容が簡潔明快に述べられています。ここで先ず注目すべきことは大祓祝詞制定の時でありましょう。鵜草葺不合皇朝三十八代天津太祝詞子天皇の御宇(みよ)、神倭皇朝初代神武天皇即位一千年前、更には今より三千七・八百年前といえば、人類の第一精神文明の絶頂期の只中でありましょう。その精神文明の成熟の時に、既にその精神文明の次に来るべき時代の精神の混乱とその状況を正確に捉え、それに対する処置法を明示しているのであります。精神文明時代に於ける諸天皇の歴史に対する炯眼と、その将来に対する洞察の正確さには驚嘆に値するものがあると同時に、人類の歴史創造の御経綸が単なる思い付きのものではなく、「人とは何ぞや」を究極まで追求した言霊学の原理に則る計算し尽くされた計画であることが理解されるのであります。

「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏(も)らさず」という言葉があります。人間個人々々が、その好奇心の赴くままに如何なる行為に走ろうとも、皇祖皇宗の人類歴史を創造する御経綸を何一つ乱すことが出来ず、その天の網(あみ)は音もなく、姿も見えぬけれど、全宇宙の規模にわたり、着々と遂行されていきます。中国の小説「西遊記」の中の孫悟空が、阿弥陀様に叛逆して、金斗雲に乗って飛ぶに飛んだけれど、阿弥陀様の掌(てのひら)(たなごころ・田名心)から抜け出すことが出来なかった、とあります。皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸は全宇宙の規模で張り巡らされた天網であり、光の網なのであります。

人類文明創造の御経綸の厳粛さを証明する第二のお話に入りましょう。鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の御宇(みよ)にユダヤ王モーゼ来朝の記事が竹内文献に見えます。

鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤天皇の御宇、ユダヤ王モーゼ来り、十二年留まる。天皇これに天津金木を教う。モーゼの帰るに臨み、天皇御詔宜してモーゼにヨモツ国(外国)の守り主となることを命じ、また言はく「汝、モーゼ。汝一人より他に神なしと知れ」と。………神武天皇即位六百六十年前のこととあります。

天津金木とは言霊学において言霊ウ(人間の五官感覚に基づく欲望性能)を中心とした心の構造を表わす音図であり、産業、経済、更には戦いに於て不敗の原理といわれるもののことであります。モーゼに実際に教えたのは、ヘブライ文字の子音と数霊をもって組まれたものと言われ、彼等はカバラの原理と称しています。この原理を授けることによって、モーゼとその霊統を受継ぐ子孫が、その後の三千年の間打ち続く物質科学文明創造の時代の中で、ヨモツ国(外国)の守り主となることを命令しました。その上で神足別豊鋤天皇はモーゼに途方もない権限を与える宣言をしたのであります。「今より三千年間、地球上の一切の人々が神と崇めるのは、モーセ、汝一人しかいないのだぞ。」――

神足別(かんたるわけ)とは「神のトーラを別け与える」の意です。トーラとは十戒のこと。十戒に表十戒と裏十戒があるといわれます。表十戒とは旧約聖書にある「汝、殺すなかれ」……の十戒です。そして裏十戒とは言霊学でいう「ア、カサタナハマヤラ、ワ」の金木音図の横の十の原理、モーゼに教えたカバラの原理のことであります。産業・経済上の競争、また武力、戦争に於て全勝不敗の戦法のことでもあります。モーゼとその霊統を引く予言者達はこの伝来の原理と戦法を駆使して、以後三千年間の人類の第二物質科学文明創造の期間、世界各民族の裏に身を置き、その民族を利用、操作することによって、モーゼが豊鋤天皇より授かった使命の完遂を目指すこととなります。使命の目的とする所は何か。世界各地に生存競争社会を起させ、その裏に廻って各民族・国民の心理を操縦し、物質科学文明を創造し、その成果により手にした金力、権力、武力を以って世界人類の再統一を完成させることであります。正にモーゼは命令に従い、人類三千年間の唯一神、エホバとなったのであります。

筆者の言霊学の先師、小笠原孝次氏は折にふれ次のような事をつぶやかれた事を思い出します。「現代の大宗教の教祖たちは、それぞれ日本の天皇から言霊布斗麻邇を教えられたが、全部を教えたわけではない。孔子には十%、イエス・キリストには十二から十五%、釈迦には二十%か、もう少しというところでしょうか。ただモーゼだけは別格で、四十五%というところでしょうか。別格というのは、モーゼには三千年間、世界の表面の経綸を委ねた事のためです。」

(以下次号) 伊豆能目(いづのめ)

古事記神話の禊祓の章に生まれる二十七神の中の十六、十七、十八番目の神、神直毘(かんなおひ)の神、大直毘(おほなおひ)の神、伊豆能売(いづのめ)の三神、特に伊豆能売について最近気が付いたことがありましたので、早速お伝え申上げることといたします。先ずは禊祓の簡単な復習(おさらい)から始めることとしましょう。

伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と協同で後天子音言霊を示す三十二神を生み、先天十七神、神代文字一神と合わせて、全部で五十神、五十言霊となります。妻神伊耶那美の命はそこで子種が尽き、黄泉(よもつ)国へ神帰(かんさ)ります。その後伊耶那岐の命は主体である一身に於て五十言霊の整理・運用の仕事に入り、その心中に建御雷の男(たけみかづちのを)の神という最高理想の結論を手に入れます。

岐の命が心中に得た人間最高の文明創造の原理は飽くまで主観的なものでありますので、これが主観的と同時に客観的、即ち絶対的な真理であることを証明するには、現実に黄泉国の異文化を吸収することで試さなければなりません。そこで岐の命は妻神美の命のいる黄泉国に出掛けて行きました。岐の命がそこで見たものは、整然とした調和・協調の高天原とは違う、雑然とした、個々が自我主張する穢(きたな)い文化でありました。驚いた岐の命は高天原に逃げ帰って来ます。後を美の命が「未熟な私の客観文化を見て恥をかかせた」と言って追いかけて来ます。逃げ帰りながら、岐の命は黄泉国の客観世界の文化は高天原の主観世界の文化とは全く違ったもので、相容れないものであることを知って、高天原と黄泉国との境におかれた千引の石(いは)を挟んで向き合い、両者は離婚(言戸渡し[ことどわたし])をします。

かくて黄泉国の外国文化の実状を見聞し、内容を知った岐の命は、自らが到達した主観的心理である建御雷の男の神の原理によって黄泉国の文化を世界人類の文明の内容として摂取・吸収することが出来るか、の実験・証明の作業に入ることとなります。古神道言霊布斗麻邇の学問の奥義である禊祓の行法です。以上ここまでが禊祓に入るまでの前提となる物語となります。これよりは禊祓に登場する二十七神の神名を挙げ、行法の解説をいたします。(以下、「古事記と言霊」禊祓の章参照下さい。)

「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せん」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな) の小門(をど)の阿波岐原[あはぎはら](天津菅麻音図)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。」

伊耶那岐の大神と大の字が付くのは、主観世界の創造神伊耶那岐の神が、客観世界の主宰神伊耶那美の命をも吾身として包含した宇宙身としての立場を示します。岐の命(言霊イ)が美の命(言霊ヰ)を包摂した立場。イ(ヰ)で示します。衝立つ船戸の神――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。

衝立つ船戸の神(つきたつふなどのかみ)――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。古事記はこの建御雷の男の神が如何なる言霊構造を持った神であるかは明らかにしません。ただこの指導原理によって禊祓が完了する時、言霊学の総結論である天照大神、月読命、須佐男命の三貴子が生まれる基本原理となる天津太祝詞音図となることで、その構造が明らかとなります。また禊祓は菅麻音図を「場」として行われます。

道の長乳歯の神(みちのながちはのかみ)、時量師(ときはかし)の神、煩累の大人の神(わずらひのうしのかみ)、道俣の神(ちまたのかみ)、飽咋の大人の神(あきぐひのうしのかみ)。――この五神は黄泉国の文化を世界文明に摂取するに当り、その文化の内容を明らかに把握するために掲げられた五つの判断項目を示します。

奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神、奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。

辺疎(へさかる)の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。

奥(おき)は初(はじめ)、辺(へ)は終り。奥疎とは岐の大神が外国文化に出合った時のはじめの姿。辺疎とは外国文化を人類文明に吸収し終わった時の岐の大神の姿。姿と言ったのは、重病を患った幼な児を見守る母親の姿と同じ意。幼な児の状態が母親の心のすべて、の意。奥津耶芸佐毘古とは、初めの姿を変貌させることを可能にする働きの意。辺津那芸佐毘古とは結論に導くことが出来る働きの意。奥津・辺津甲斐弁羅とは、初めの姿を変革させる働きのある奥那耶芸佐毘古の言葉と、結論に導く働きのある辺津耶芸佐毘古の言葉との間を狭めて一つの言葉とする働きのこと。

その一つにまとめられた言葉が禊祓実行の言葉となります。以上、禊祓の章を初めから簡単に復習して来ました。簡単過ぎてお分りにならない方は「古事記と言霊」の禊祓の章と比べながらお読み下されば幸甚です。さて、初頭に「最近気がついた……」と申上げましたのは、これに続く古事記の文章からであります。

ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日の神。次に大禍津日の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

奥疎の神として岐の大神が一つの外国の文化に出合った時から、辺疎の神としてその文化を禊祓によって人類文明に摂取完了するために如何なる言葉を必要とするか、奥津耶芸佐毘古の神として外国の文化の内容を傷(そこ)なうことなく摂取する働き、また辺津耶芸佐毘古の神としてその文化を完全に人類文明へ包容し得る働きの二つが考えられます。と同時に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神として奥疎・辺疎に働く言葉を一つの言葉にまとめる必要があります。その様な言葉はどうしたら得られるか、が問題となります。その有効な言葉は言霊図の何処に求め得るか、が検討されます。

「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、……

阿波岐原である天津菅麻音図の上つ瀬はア段(感情次元)であります。感情次元の中に創造の言葉を求めようとしても、感情では性急に過ぎて創造行為には適当ではありません。「上つ瀬は瀬速し」です。では下つ瀬である言霊イの段ではどうか。イ段には言葉自体言霊自体が存在する処ですが、原則をいくら検討しても「こうせよ」の実際の働きは出ては来ません。「下つ瀬は弱し」となります。そこで岐の大神は中つ瀬である言霊オウエの段に降りて行ったのであります。

中つ瀬に下り立ってみると、上つ瀬のア段と下つ瀬のイ段の、禊祓をするについての適する所と不適の所とが明らかになりました。ア段の効用は八十禍津日の神として、イ段の効用は大禍津日として明確に理解されたのであります。八十禍津日の神とは菅麻五十音図を上下にとった百音図が示しますように、向って右の端の母音の縦の列と左の端の半母音の列とに挟まれた八十音は現象に関する音です。この八十音の中の上半分は現象子音の自覚を伴った高天原を表わし、下半分は言霊原理の自覚のない黄泉国の社会を表わします。大祓祝詞では上を高山(たかやま)、下を短山(ひきやま)と名付けています。言霊アの自覚(仏教でいう諸法空相の自覚)に立つと、上の四十音と下の四十音の区別がよく分るようになります。この区別がつかなければ禊祓は出来ませんが、これが分っただけでは禊祓にはなりません。この区別は所謂宗教信仰の行として行われるべきもので、人類文明創造の行為とは言われません。そこでこれを八十禍津日の神として禊祓の行法からは規制されるのです。同様に言霊イ段に存在する言葉の原理である言霊原理をいくら説明しても、それだけでは禊祓の完成にはなり得ない事が理解されて来ました。禊祓には言霊学は不可欠のものではあるが、それだけでは禊祓にはならないと知ったのであります。これも大禍津日の神として除外されたのであります。

次にその禍を直さむとして、……

古事記の文章がこの様に話の進行の折目になる言葉を入れる時には、発想の転換や視点の変更を告げる事が多いのですが、ここは正(まさ)しくそれに当ります。古事記の神話がもう少しで結論となる今、話の視点の飛躍が行われるのです。どの様な飛躍なのか、と申しますと、勉学から実践の視点への飛躍です。禊祓の初めに岐の大神はその実行の指針原理として建御雷の男の神という音図を衝立つ船戸の神と斎き立てました。禊祓はこの音図を指導原理として進行されるのですが、古事記はこの音図の正体をこれまで明示しません。建御雷の男の神の音図は後に邇々芸命の天孫降臨に当り、国津神である大国主命を言向けやわす音図です。それは創造・実践の音図なのです。今、此処でそれが明らかとなります。

岐の命が自らの心中に自覚した建御雷の男の神なる音図は如何なる音図か。古事記が初めに教える先天図を見ましょう。それは母音(言霊ウ)より始まります(A図参照)。新たに姿を現わした音図は言霊イの働きであるチイキミシリヒニの八父韻より始まります。先天十七言霊は同時存在でありますから、どの様に配列してもよい訳ですが、その時の視点如何によって配列が異なります。古事記は言霊学を教えるに当り、母音から説き起こしました。それは言霊学の勉学には理解し易いからであります。けれど言霊を視点にとって人間を見る時、「宇宙そのものが自らを建設・創造する主体としての人間」なのです。人は宇宙生命そのものに他なりません。そのことを端的に表わすためには、人が持つ八父韻から説くことが適当となります(B図参照)。言霊学の教科書として書かれた古事記百神の神話も、その結論に行き着くために「創造」という視点に立つ必要を感じ、太安萬呂さんは「その禍を直さむとして」と前置きして、暗に「貴方自身が伊耶那岐の大神なのですよ」と教えたに違いありません(会報七十号「太安萬呂の墓」参照下さい)。

何故そのように断言出来るのか。その問いに応えるために、前に言霊学の総結論である八咫鏡の言霊による構造図を示します。図Bと八咫鏡の図を比べてみて下さい。直ぐに御理解いただけるでありましょう。そして図Aより図Bへの転換は、言霊学を学ぶ人から言霊学により人類文明を創造する人への転換を意味するでしょう。その文明創造の立場から社会・世界を見る時、何時の間にか、心の闇は消え失せており、光とその影としての世の中を見ることとなります。そしてその創造活動を言霊の光の言葉で表現する時、人間が創造する人類の歴史が歓喜に満ちた理想社会を建設する芸術活動であり、皇祖皇宗の御経綸に基づいた、古代の邇々芸の命以来続いている人類文明創造というドラマの一幕々々である事がお分り頂けるでありましょう。

神直毘(かんなほひ)の神、次に大直毘の神、伊豆能売(いづのめ)

かくて言霊の発見によって、人類の営みを光の言葉によって把握、自覚した人類の最初の言葉が、神直毘(言霊オ)、大直毘(言霊ウ)、伊豆能売(言霊エ)なのであります。特に伊豆能売は人類社会の営みを皇祖皇宗の御稜威の眼によって認識し、これを人類文明の中に摂取して歴史を創造する眼目となる働きであります。

以上の観点に立つならば、この三神に続く底津綿津見、底筒の男、中津綿津見、中筒の男、上津綿津見、上筒の男、から天照大神、月読命、須佐男命の三貴子の誕生となる総結論は掌を指す如く明瞭に理解出来ます。

日本と世界の歴史 その五

先号において、人類の第一精神文明時代から第二の物質科学文明時代への転換が、日本人の祖先の聖(霊知り)である皇祖皇宗の、歴史と人間に対しての深い洞察の下に行われたことをお話し申し上げました。

人間は神とけだものとの中間の生きものだ、などと言われます。見ず知らずの人のために自分の生命を捨てて助けようとする人がいます。正に神にも等しい崇高な行為です。そうかと思うと、けものに劣るような残忍な行いをすることもあります。同じ人間でありながら、どうしてこうも違う行為をするのだろうかと首をかしげざるを得ないこともしばしばです。けれどどちらの行為も紛(まぎ)れもない人間の仕業(しわざ)なのです。この日常の思念では受け容れ難い、二つの極端を共有する心、人間の業(ごう)ともいうべき心を、理屈としてでなく、自分の心の中に深く洞察・自覚した聖の人達が、そういう人間性を持つ人間の社会をどの様に変革して行ったら永遠にして理想の人間社会の建設が可能となるか、を見極め、計画を立て、周到な準備の下に世界人類の社会を、第一精神文明時代から第二の物質科学文明時代へと移行させて行ったのであります。それは人類というものが持つ「性(さが)」を知り尽くした人によってのみ為し得る政治的決断であったのでありました。

第一精神文明時代は、文明創造の原器となるアイエオウ言霊五十音布斗麻邇による日本語(大和言葉)によって運用されて、社会秩序が確立されており、その言葉の光が人間の魂の底まで行き渡った光明世界でありました。言葉がそのまま人々の心の癒しとなり、人々は各自の心の自我主張が通用する範囲を自ら知り、同情と互譲の精神がみなぎっている社会でありました。然し、これから展開される第二の物質科学文明時代は、その社会基盤と考えられるのは言霊ウの領域の欲望と言霊オよりする個人的好奇心と自己の経験知の自己主張です。その結果は生存競争、弱肉強食の社会の出現であります。この社会の実現のためには、第一精神文明時代の同情・互譲の言葉は禁句となります。その精神基盤であった言霊布斗麻邇の原理は一時的に、言い換えれば、第二物質科学文明が完成する時まで、社会の表面から隠さねばなりません。

言霊布斗麻邇を社会の表面から隠したら、どの様な社会が現出するでしょうか。言霊原理という精神文明時代、誰しもが知り、馴染んでいた光が消えます。古事記の神話でいう「天照大神の岩戸隠れ」が実現します。社会は「ここに高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往(とこよゆ)く。ここに万(よろず)の神の声(おとなひ)は、さ蝿なす満ち、万の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき」となること必定です。この計画の実行には非常な決断を要したことでしょう。けれどその予測が有りながら、日本の朝廷に於ては確乎とした方針の下にGOサインを出したのでした。この決定によってその後の人類全体の想像される苦難の道の如何に厳しいものであるかを知りながら、人類が一度は辿らねばならぬ苦難の道、その行手に人類が手にする第二の栄光が如何に大きなものであるかを確信してGOサインを出したに違いありません。と同時にその長い年月の人類の苦難に対処する方策を次々と実行に移して行ったのであります。

第二次世界大戦が終り、日本は戦敗国となり、幾多の苦難を味わいました。けれど国民の心は何処かホッとした空気を感じてもいました。戦争から開放された安堵感がありました。それも束の間、米ソ二大強国の確執となり、ソ連邦の崩壊後は世界の到る所で民族間対立が起り、湾岸戦争、そして今回のイラク戦争、テロ行為の拡大と、全世界は戦火と戦火の挟間でまさに束の間の平和を喜び合うといった状況です。世界の何処かで銃声の聞こえない日はありません。そんな中で生活する人々にとっては、戦争というものが人間社会には付き物であり、人類の続く限りなくならないものと思われているのではないでしょうか。そう思うのも無理はありません。ここ二・三千年の間、人類社会は日本は勿論外国に於ても戦争々々で明暮(あけく)れして来たのですから。しかし決してそうなのではありません。その二・三千年より以前、人類は少なくとも五千年間、大きな戦争のない平和で仕合せな社会が続いていた事を心に留めて頂きたいと思います。この人類の第二物質科学文明創造の時代の戦争は、飽くまで物質科学創造促進のための方便として、生存競争社会の中に起る一時的な現象なのだということを知らねばなりません。戦争、競争という確執の泥沼から蓮華の花の如き美しい物質科学文明の実が熟して、その結果、人類は夢にも見なかった素晴らしい社会の実現が約束されているのです。

さて、日本朝廷が第一より第二の文明に転換するに当り、実行した諸施策について説明して行くことにしましょう。先にお話しいたしましたが、今より三千余年前まで続いた日本より諸外国への、言霊布斗麻邇に基づく諸種精神文化の伝播、普及の事業を中止した事に始まります。また同様続けられて来た日本天皇の即位後の十年乃至十数年かけた外国巡幸の制度も中止されました。日本と外国との関係が疎遠となったのであります。これによって外国に於ける物質に対する客観的探究の風潮が急速に広がって行きました。同時に生存競争社会が形成されて行ったのであります。

外国に遅れること三・四百年、日本の第二文明時代への転換が始まります。鵜草葺不合皇朝第七十三代狭野尊天皇は大和橿原に新しく神倭(かむやまと)皇朝を樹立し、第一代天皇に即位しました。神倭磐余彦天皇(神武天皇)と申します。この神倭磐余彦(いはれひこ)天皇(神武天皇)より、今から十七年前になくなられました昭和天皇まで百二十四代の皇朝を神倭皇朝と呼びます。鵜草葺不合より神倭への皇朝名の変化、それはとりも直さず日本朝廷の文明創造の目的内容の変革であり、政治方針の転換を意味しています。この転換を示す言葉は古事記には載っておりません。しかし日本書紀には略々明らかにその文章を見ることが出来ます。それを引用してみましょう。

誠(まこと)に皇都(みやこ)を恢(ひら)き廊(ひろ)めて大壯(おほとの)を規(はか)り(つく)るべし。而るを今運屯(いまよわかく)蒙(くらき)に属(あ)ひて、民(おほみたから)の心朴素(すなお)なり。巣(す)に棲(す)み穴に住みて、習俗惟常(しほざこれつね)となりたり。夫(そ)れ大人制(ひじりのり)を立てて、義(ことわり)必ず時に隨う。苟しくも民に利(かが)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。……

――線を付した箇所を簡単に解釈しましょう。「昔から世を治める者は、その 政 をするに当って人としての原理に叶った方法を考え、それによって立てられた道理はその時々の状況に適切に対処出来て来た。これからは、人民の利益(かが)となることならば、聖の行うわざとして妨げのある筈はないのだ」となります。邇々芸命の日本肇国以来、政治の原器であった言霊布斗麻邇を離れ、人民の利益如何を直視することから政治が始まる現代の民主主義政治にも似た色合いが濃く窺える言葉であることが理解出来る日本書紀の文章であります。

神倭磐余彦天皇のこの宣言によって日本の第二文明時代は幕が開けました。神倭皇朝第一代天皇は奈良、平安時代の淡海三船による諡(おくりな)によって神武天皇と称せられます。神武天皇のこの宣言を受けて、実際に古代より日本朝廷の政治の根幹であった言霊布斗麻邇の原理の取扱いに大変革を実行しましたのは神倭皇朝十代崇神天皇でありました。神武時代より約六百年が経った頃であります。日本書紀巻第五の御間城入彦(みまきいりひこ)五十瓊殖天皇 (いにゑのすめらみこと)(崇神天皇)の章の一部を引用しましょう。

五年に、国内(くぬち)に疫疾(えのやまひ)多くして民(おほみたから)死亡(まか)れる者有りて、且大半(なかばにす)ぎなむとす。六年に、 百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。或(ある)いは背叛(そむ)くもの有り。その勢(いきおひ)、徳(うつくしび)を以て治めむこと難し。是を以て、晨(つと)に興(お)き夕(ゆふべ)までに(おそ)りて、神祓(あまつかみくにつかみ)に請罪(のみまつ)る。是より先に、天照大神(あまてらすおほみかみ)・倭大国魂(やまとりおほくにたま)、二(ふたはしら)の神を、天皇の大殿(みあらか)の内に並祭(いはひまつ)る。然して其の神の勢(みいきおひ)を畏(おそ)りて、共に住みたまふに安からず。故(かれ)、天照大神を以ては、豊鋤入姫(とよすきいりひめの)命に託けまつりて、倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)に祭る。仍(よ)りて磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろき)を立つ。亦、日本大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)を以ては、渟名城入姫(ぬなさのいりひめ)命に託けて祭らしむ。然るに渟名城入姫、髪落(かみお)ち体痩(やすか)みて祭(いはひまつ)ること能はず。(註に、大国魂神とは、大己貴(おほなむら)神の荒魂(あらみたま)なり、とあります)

古事記神話の禊祓の章に生まれる二十七神の中の十六、十七、十八番目の神、神直毘(かんなおひ)の神、大直毘(おほなおひ)の神、伊豆能売(いづのめ)の三神、特に伊豆能売について最近気が付いたことがありましたので、早速お伝え申上げることといたします。先ずは禊祓の簡単な復習(おさらい)から始めることとしましょう。

先に邇々芸命の天孫降臨に際し、天照大神は邇々芸命に八尺(やさか)の勾珠(まがたま)、鏡、草薙剣(三種の神器)を授け、「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝くがごと、斎きまつれ」という神勅を賜わっています。そのため、鏡(八咫の鏡)は代々の天皇の座所と同じ処に置かれるのを常とされました。これを同床共殿(どうしょうきょうでん)の制度と申します。その内容は八咫の鏡に表徴される人間精神の最高規範である天津太祝詞音図の原理の自覚の下に、歴代の天皇は政(まつりごと)を行へ、という皇祖の命令でありました。今や神倭皇朝十代崇神天皇は皇祖の御命令に反し、第一代神武天皇の決定された宏謨の実行のために、自身の身近から八咫の鏡を豊鋤入姫に託して、宮中以外の場所に移したのであります。これを天皇に於ける同床共殿制度の廃止と申します。その内容はこの崇神天皇以後の天皇にあっては、言霊布斗麻邇の原理を持つことなく、ただ血統のみによって天皇の位を継承する所謂人間天皇となられ、その八咫の鏡を天照大神の御神体としてお祀りする伊勢神宮の大神主という身分に於て、日本国民の信仰的な尊敬の的となったのであります。この同床共殿制度の廃止によって人類の精神文明の原器である言霊布斗麻邇は完全に人類社会の裏に陰没し、人々は次第にその存在の痕跡をも忘れ去って行ったのでありました。第一代神武天皇によって方針が決定され、第十代崇神天皇によって実行された、この国家統治に関する重大な事柄を、発案、実行したことによって神武天皇を始馭天下天皇、崇神天皇を御肇国天皇と同じ名で呼ぶのであります。

崇神天皇による神器と天皇との同床共殿の制度の廃止によって、日本はそれまでの人類の第一精神文明発祥地であり、輸出国であった地位を失い、今後はどの様な国家の方針によって生きて行くべきか、朝廷に於ても論議されたことでしょう。幾千年の長きにわたって続いた来た政治の体制が崩壊したのですから無理もありません。その日本国家の行末に関する大問題を一気に解決する事件が朝廷内に、と言うよりむしろ皇室の内部に起こります。「そんな事って実際にあるのかな」という神霊的現象が起こるのであります。その事を古事記・日本書紀に則ってお伝えすることといたします。詳しくは会報八十一号「底・中・上筒の男三命について」をご参照下さい。

古事記神倭皇朝十四代仲哀天皇の章の中の「神功(じんぐう)皇后」の項より引用いたします。

その太后息長帯日売(おきながたらしひめ)の命は、当時神帰(そのかみかみよ)せしたまひき。かれ天皇筑紫の訶志比(かしひ)の宮にましまして熊曽の国を撃(う)たむとしたまふ時に、天皇御琴を控(ひ)かして、建内の宿禰(すくね)の大臣沙庭(さにわ)に居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神帰(かみよ)せして、言教え覚(さと)し詔(の)りたまひつらくは、「西の方に国あり。金・銀(くがねしろがね)を本(はじ)めて、目の炎耀(かがや)く種々(くさぐさ)の珍宝(うずたから)その国に多(さは)なるを、吾(あれ)今その国を帰(よ)せ賜はむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き地(ところ)に登りて西の方を見れば、国土(くに)は見えず、ただ大海のみあり」と白して、詐(いつわ)りせす神と思ほして、御琴を押し退(そ)けて、控(ひ)きたまはず、黙(もだ)いましき。ここにその神いたく忿(いか)りて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき国にあらず、汝は一道(ひとみち)に向ひたまへ」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく「恐(かしこ)し、我が大皇(おほきみ)。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに控きいます。かれ、幾久(いくだ)もあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を挙げて見まつれば、既に崩(かむあが)りたまひつ。

何とも恐ろしいことであります。驚いた神功皇后や大臣の建内の宿稱は天皇の御遺体を安置する宮を建てたり、また朝廷の穢(けがれ)の大祓をし、心をとり直して再び神の命を請いたてまつったのであります。更に古事記の文章を引用します。

ここに教え覚(さと)したまふ状、つぶさに先(さき)の日の如くありて、「およそこの国は、汝の御腹にます御子の知らさむ国なり」とのりたまひき。ここに建内の宿禰白さく「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は、何の子ぞも」とまをせば、「男子(をのこ)なり」とのりたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言(こと)教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをしかば、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また底筒の男、中筒の男、上筒の男三柱の大神なり。この時にその三柱の大神の御名は顕(あらは)したまへり。今まことにその国を求めむと思ほさば、天つ神地つ祗(かみ)、また山の神と河海の諸神(もろかむ)たちまでに悉に幣帛(ぬさ)奉り、我が御魂を船の上にませて、真木の灰を瓠(ひさご)に納(い)れ、また箸(はし)と葉盤(ひせで)とを夛(さは)に作りて、皆々大海に散らし浮けて、度(わた)りますべし」とのりたまひき。

道の長乳歯の神(みちのながちはのかみ)、時量師(ときはかし)の神、煩累の大人の神(わずらひのうしのかみ)、道俣の神(ちまたのかみ)、飽咋の大人の神(あきぐひのうしのかみ)。――この五神は黄泉国の文化を世界文明に摂取するに当り、その文化の内容を明らかに把握するために掲げられた五つの判断項目を示します。

昔より今日に到るまで、天つ神の神懸りとしての言葉には必ず言霊原理に関する言葉が神霊よりの言葉である證として述べられます。その證のないものは天つ神の神懸りではありません。右の古事記の「我が御魂を船の上にませて、……以下の文章はまさしくその言霊原理の證の言葉であります。その説明は余りに長くなりますので、此処では省略し、会報八十一号を参照して頂きますが、ここではただ一つ、三筒の男の命の出現について説明させて頂きます。

天照大神の御神懸りが下り、それに付いて底・中・上筒の男の命の出現がある時、その神懸りの言葉は一から十まで言葉通りに行へという厳命なのであります。その御言を人間の考えで解釈してはならない、という事です。筒の男の命と申しますのは、天照大神(伊耶那岐の大神)が黄泉国の文化を人類の文明に組み入れるに際し、黄泉国の文化の内容を大神の光の言葉によって宣り直す行為があります。その宣り直すことによって、どういう順序・内容を経て世界文明に組み入れられるかを、八子音によって確定することが筒の男の働きです。子音という現象音によって定められますので、「こうにも見える、あゝにも見える」ということのない、確乎たる順序で行われます。御言の通りに行えば、その言葉の通りに結果が出て来る、という證が三筒の男の命なのであります。神功皇后の三韓進攻も、この天照大神の神言の通りに「うますぎる程うまく」成功したのであります。それは言霊原理から見て最高の歴史的経綸であったからです。

神功皇后は多大の戦果を手に日本に凱旋(がいせん)します。出征より以前、既に御腹にあった御子を日本の浜辺に上がってから生みます。この御子が神倭朝第十五代応神天皇となって即位することとなります。以上の仲哀天皇、神功皇后、応神天皇親子のいとも数奇な物語は二つの点で重大な意味があります。それを説明しましょう。

第一はこの朝鮮出兵が天照大神という精神原理の中の最高神の神懸りの指示によってなされた事であります。現在、伊勢に祭祀される人類愛、最高の神といわれる天照大神が、何故外国に対して「金銀宝石などの財宝」をわがものにせんとする目的のために侵略という戦争を促したのでしょうか。古事記の文章を単に表面的な意味にとれば間違いなく物欲しさの侵略戦争であります。しかし、翻ってこれを言霊布斗麻邇に基づく人類文明創造の歴史経綸の視点に立って見る時、この侵略戦争が長い二千年の後を見据えた深謀から起された出来事であったことが理解されて来るでありましょう。

一度世界文明の基礎となる文化を起こしながら、その後は世界の歴史のトップランナーの地位から長い間離れて、人々の注目の的から外れてしまっている民族は多く見られます。例えばギリシヤ、ペルシャ、エジプト、エチオピア等々です。この神武・崇神・応神の頃の日本はどうだったのでしょうか。人類の第一精神文明時代の長い間、その文明の中心国家であった日本は、今より三千年以前の、文明創造の基礎精神が心から物質へと百八十度の転換をした時、その指導者と国民の心の不安定さは察するに余りあるものがあったのではないでしょうか。その状態そのままで推移するならば、立国の基盤である言霊布斗麻邇を失った結果、国体維持の中心の柱を持たぬ弱小国になり、やがては起るであろう生存競争世界の渦の中で、何処かの国の侵略を受け、国家としての存続は勿論、そのうるはしき精神遺産の影も消えた民族に成り下る可能性さえあった筈です。

言霊原理が外国の国民の意識から隠されたのは三千年前、日本のそれは二千年前です。その差、一千年の期間は、物質科学文明の揺籃より初期進歩の時代に当ります。天照大神の神懸りが指摘する三韓の「金銀財宝」とは、単に「金銀財宝」なのではなく、日本より千年の間、先輩である第二物質科学文明の成果を表徴するそれを指摘したものであったのです。侵略戦争の結果は韓国から、また韓国を経由して西方からの諸種文芸、文化、文物の流入が堰を切ったように盛んになります。また学者、種々の職人の入国が続きました。日本国はこの時より外国に於て発明された物心文化を輸入することによる国家の樹立を国是とすることとなります。応神天皇の御宇のこの転換により、日本の国家は人類の第二物質科学文明の時代に於ても外国に比べて大きく後塵を拝することなく、「まあ、まあ」の文化程度を保って独立国家として生き長らえて来ることが出来ました。そして現代、今後始まろうとする第二物質科学文明時代より新しい人類の第三文明時代への転換に際し、第一精神文明の基礎原理であった言霊布斗麻邇を太古同様に保持し、更に第二物質科学文明である物質原理の習熟度に於ても高度のものを持つ国家として、第三文明への人類の飛躍を提唱するに適(ふさ)わしい立場に立つことが出来る姿を整えた国家として立ち上がる事、これを目的とし、国家の進むべき道を指し示したのが神功皇后に降臨した天照大神の神示であったのであります。その言霊原理による文明創造の歴史経綸の深謀遠慮には想像を絶するものがあると申せましょう。

第二の問題に入りましょう。ご承知の通り日本国は太古より、先の昭和天皇の昭和二十一年年頭の古事記・日本書紀の神話否定の人間天皇宣言の時まで神道立国でありました。でありますから、神倭朝第一代神武天皇以来、第百二十四代昭和天皇まで百二十四人の歴代天皇の謚(おくりな)の中には、「神」という字の入った天皇名がさぞ多いのではないか、と思う方がすくなくないのではないでしょうか。ところが、今会報で既に述べました如く、神武天皇、崇神天皇、応神天皇の三天皇のほかには神の字のつく天皇は一人もいらっしゃらないのであります。そしてこの三天皇が、申上げましたように、人類の第一精神文明から第二の物質科学文明への転換に関して重要な仕事をなされたことを考えますと、何か、その「神」の字の名にまつわる因縁があるのではないか、と勘繰(かんぐ)り度くなるのは人情です。さて、日本全国に神社はどの位の数あるのでしょうか。実際数は知りませんが、その中で一番多いのは何神社でしょうか。これは推察ですが、多分八幡神社でありましょう。ではその八幡神社の御祭神は?と尋ねます。八幡様という神様は日本の古来からの神の中にいらっしゃらないのです。その内容が不明なのです。そしてその神社の由緒書に必ず出て来る御祭神は応神天皇であります。八幡様という神様の由来は不明で、応神天皇ははっきりしています。そこにこの号の会報で書かれました応神天皇をめぐる歴史的事実が生々しく浮かび上がって来ることになります。八幡は「ヤーハ」「ヤーヘ」と読めます。それは旧約聖書にあるエホバ神と同一の発声の名なのです。エホバは、四・五千年以前、人間の心とは反対に、物質特有の原理を求めて、高天原日本より、客観世界探究のため外国に出て行った集団名、須佐男命の外国における名前、ヤーエの事であります。この事が明らかになりますと、天理教々祖、中山ミキ女史の御神示「高山の眞の柱(天皇のこと)は唐人や、これがそもそも神の立腹」という神懸りの意味も理解することが出来ましょう。神武・崇神・応神の神とはエホバ神のことであったのです。古代の高天原日本には「神を拝む」という風習はありませんでした。

日本と世界の歴史 その六

先号において日本が第一精神文明の宗家としての国家から、第二物質科学文明世界の一国家に転身する際に起こった二大神霊現象についてお話をいたしました。一つは仲哀天皇の皇后、神功皇后に懸かった天照大神の神示による朝鮮侵寇には母君神巧皇后の御腹の中にいて朝鮮に渡り、吸収の海辺に凱旋してお生まれになり、皇位に即かれた天皇であります。天皇の御魂について堂々とエホバが日本の国土に上陸したと申して差し支えないでありましょう。この一事によって、日本の神霊界はエホバ神の下に統轄される時代となります。言い換えますと、日本国民の思想の基盤が福祉・調和の精神から生存競争の時代に移ったことを意味するという事になります。日本にこのような影響を及ぼすことになったエホバ神とは、その時まで日本以外の国、外国でどのような活動をし、どのような歴史を創造して来たか、を明らかにしておきましょう。

須佐之男の命物質科学研究集団が、鵜草葺不合皇朝の中葉、高天原日本の精神文明一辺倒の社会体制に飽き足らず、心とは違った物質特有の法則を求めて、「神逐い」の形で日本から外国に発進して行ったのは、今より四乃至五千年前のことでありました。その集団の物質法則の研究は、初めのうちは幼稚で、精神法則を物質研究に応用するに過ぎませんでしたが、年月を経るにつれて独特の研究法を身に付けて行きました。物の研究は破壊・分析を事とします。その研究態度は人間個人の好奇心を刺激し、経験知を競い合い、自己主張を奨励します。この研究態度が世界各地の人々に次第に影響を与え、社会全体が協調より競争の風潮に変わって行きました。言霊学的に言えば、人に与えられた性能、言霊アオウエイの五性能協調から、言霊ウ(欲望)と言霊オ(経験知)の叛逆独走の世に変わろうとする勢いとなりました。

外国に於けるこの社会風潮に拍車をかける集団が誕生したのは三千余年前のことであります。葺不合朝六十九代神足別豊鋤天皇によって任命、委任されたイスラエル王モーゼとその子孫である予言者達であります。豊鋤天皇より賜った「汝、国々の人々の守り主となれ」また「汝モーゼ、汝一人より他に神なし、と知れ」とのお墨付を心に銘じ、その戦略として授かった天津金木(カバラ)を以って心の武装をした強力集団の登場であります。神足別豊鋤天皇とイスラエル王モーゼとの契約(委任)の約束、これを旧約と言います。(日本天皇とイエス・キリストとの契約、これを新約と呼びます。)かくてイスラエル(ユダヤ民族)はこの契約のために神撰民族と呼ばれるのであります。

モーゼとその子孫は、エジプト脱出以後、蜜とミルクの流れる地にイスラエル国家を樹立する。その国家は繁栄し、ダビデ王、ソロモン王の時その繁栄は頂点に達した。園頃、民族の宝である三種の神器(アロンの杖、黄金のマナ壷、十戒石)が日本に返還された、と伝えられている。その理由は明らかでないが、旧約聖書は「ダビデ王の時に三種の神宝は契約の厘(はこ)の中にあったが、ソロモン王の時、その中に神宝はなかった」と記されております。この事実がイスラエル民族のその後の運命に重大な影を落とすこととなります。その後、国家イスラエルとユダヤの両国は分裂し、やがて両国とも滅亡することとなります。

先に民族の宝である三種の神器を失い、次いで民族の領土をも失ったユダヤ民族は、それを契機にモーゼとその子孫に課せられた神足別豊鋤天皇との契約・委任の本筋の仕事に従事して行くこととなります。彼等の神エホバは、彼等の領土を奪うことによって、彼等を全世界に散らし、他民族の中に入らせ、人類の背後に立たせることによって、エホバ本来の、究極の目的を速やかに達成させる為に活動を開始したのであります。究極の目的とは何か。先にお話しましたように、この世界を生存競争の場に追いやり、弱肉強食の死闘の中から物質科学文明を創造し、その人類の第二物質科学文明建設の目的で彼等民族を世界の人々の活動の中核として使うためであります。ユダヤ民族の流浪が始まります。

初めエホバは愛の神、慈悲の神でありました。それがこの時以来、彼の部下である五大天使、ガブリエル、ラファエル、ミカエル、ウリエル、ルシファーの中のルシファーを悪魔(サタン・言霊ウ)に変身させて地に降ろし、人の魂の中に入り込ませて、生存競争を煽ったのであります。エホバが妬みの神、戦いの神、報復の神となった事であります。日本に於て須佐之男の命が高天原の精神体制へ叛逆したことと、エホバが悪魔となって第二物質科学時代に君臨したこととは、全く同一の事実の表現であり、須佐之男の命とエホバは同一神だということが出来ます。この時以来、世界は生存競争一色の社会に移って行きます。

国土を失ったユダヤ民族は、彼等の指導者である予言者の神示(黙示)に従って東へ、西へ民族移動を開始します。その旅の目的について旧約聖書は次のように書いています。「この故にんなじら東にてエホバをあがめ海のしまじまにてイスラエルの神エホバの名をあがむべし。われら地の極(はて)より歌をきけり。いわく栄光は正しきものに帰すと。」(イザヤ書24書15節)「彼は海の間において美しき聖山に天幕の宮殿をしらわん。……その時汝の民の人々のために立つところの大いなる君ミカエル起きあがらん。……」(ダニエル書11章45節)。

ユダヤの十二部族の中の宗教的なレビ部族は予言者の黙示に従って東に向かい、所謂シルクロードを通って極東に進み、中国や朝鮮を経て、最後の目的地日本に渡来し、日本民族に帰化して行ったのであります。歴史者はこのように移動、帰化した人々を朝鮮人または中国人と書いていますが、実際は古来からの東洋人ではなく、西方から移動してきた異民族(ユダヤ人、またはその混血人)の人々であります。この帰化人達は次第に日本の社会に於て頭角を現わし、政治・経済の主要な地位について行きました。すべては彼等の神エホバの為す業であったのです。

朝鮮半島侵寇後、即位された応神天皇の時代は、以上お話いたしましたユダヤ民族の東への移動が盛んになった時に当ります。この時より日本は圧倒的な外国の文物の移入の時代を迎えることとなります。応神天皇を御祭神とする八幡様(エホバ神)がこの時より各地に祭られ、日本の人々に最も親近な神社となって行くことも理解されるでありましょう。帰化ユダヤ人は完全に日本民族と同化し、その後の日本文化に多大の影響を与えることとなります。

そしてかくの如くユダヤの宗教的レビの一族が西方から東に一直線に向かい、早々と日本に帰化、活動したのは真実には何を目的としたものであるのか、が問題となるわけであります。その真実の証明は、この時より千六百年後の現代に於て成せるべき歴史的計画に基づく出来事なのであります。

国土を失ったユダヤ民族のレビ族以外の十一部族は、レビ族とは反対に西に向って移動を始めます。そして文字通りヨーロッパ世界諸国の人々の中に入り、その優秀な頭脳・手腕を発揮して各民族の主要ポストを掌握し、競争社会を煽動し、物質科学の発展の先駆を務め、その成果として築き上げた冨を以って世界の再統一を実現するもう一歩手前という所まで到達しているのであります。そして至らば、一気に太平洋を渡り、先祖モーゼの魂と使命の故郷、日本に到着する準備を着々と進めています。その日本には、遠く二千年以前、地球を東廻りして人に到達し、西漸の同胞の到着を待つレビ一族の末裔が待ち受けています。彼等の神足別豊鋤天皇との旧約はそこで完遂となり訳であります。……以上が日本国歴史の重要な転換点応神天皇即位の状況の真相を明らかにするためのユダヤ民族の三千年の歴史についてお話を手短に申上げました。御理解頂けたでありましょうか。

話題を変えましょう。第一精神文明時代から第二物質科学文明時代へ転換するために、高天原日本の朝廷では種々の施策を講じました。その施策について説明することとします。第二物質科学文明を促進するためには、生存競争社会が必要です。第一精神文明の根本原理であった言霊布斗麻邇は世の表面から隠さねばなりません。しかし、そうなると世の中の人は頼るべき精神支柱を失って三千年にわたる物質科学文明時代を生き長らえることが不可能な事態に陥ることが考えられます。それは何とも防がねばなりません。そこで創設されたのが現代に伝えられる佛儒耶等の宗教であります。竹内古文書には釈迦、老子、孔子、イエス・キリストの来朝の事が記されています。日本朝廷は言霊原理の言霊ア次元を中心とした精神修業を、それぞれの宗教教祖の生国の実情に合わせた信仰論理として教え、故国に帰ってからは精神的混乱の二・三千年間の民衆の心の支えとなる活動を委託したのでありました。この事は先にお話しました。

言霊布斗麻邇の原理とそれによる世界統治の業を日本古神道と呼びます。これを隠没させるに当り、新しく神社神道を創設しました。言霊の原理そのものは隠し、その象徴や儀式形態のみを以ってする宗教を創設し、人心の安寧に寄与させたのであります。その時以前、日本の古代に於ては人が神を拝む風習はなかったのです。それ故、神社神道では儀式の形式に言霊原理の象徴を形にしたものを取り入れ、また儒教・仏教の儀式を真似て信仰形式としたものであります。

今から二千年前の日本民族伝統の言霊原理の隠没は、物質科学文明創造を促進する為の、いわば方便としての隠没であります。この世から抹殺することではありません。物質科学文明完成の暁には再びこの社会に復活させなければなりません。よく引用することですが、大本教教祖のお筆先「知らしてはならず、知らさいてもならず、神はつらいぞよ」と言った具合のものです。そこで私達日本人の祖先の聖の人々が採用した手段は驚く程巧妙なものでありましたる先に説明したものと合わせて、ここに列記することにしましょう。

一、言霊原理を隠没させるに当り、ただ世の中から人知れぬ処に隠してしまうのではなく、伊勢神宮に信仰の対象となる神の形で御神殿の奥深く御神体(八咫の鏡)として祭祀したのでした。また伊勢神宮本殿は唯一神明造りと呼ばれ、後世ひと度言霊原理がこの世の中に復活して来た時、その構造と言霊原理とを合わせ考證するならば、直ちにその学問体系と本殿の構造とが一つのものであることが分かるよう造られていることであります。(「コトタマ学入門」第七章「伊勢神宮と言霊」参照)

二、宮中における諸儀式の形式はすべて、ただその形だけを見る限り何の意味かは全く分かりません。まるで猿芝居に等しいように思われます。けれど言霊原理が復活し、その観点より見る時、宮中の諸行事の形式が言霊原理に基づく厳正な表徴形式であることが明らかとなります。更に天皇即位時に於ける大嘗祭、皇太子の立太子式に於ける壷切りの儀等は一見してその意味と内容が明らかになるよう定められたものであります。それによって日本天皇の真の意義・内容が言霊学によって定まることが示される明らかとなります。

三、右のような諸施策の最後に(奈良時代の始め)言霊原理を後世に遺す決定的な作業が行われます。今より千三百年前の古事記と日本書紀の編纂であります。記紀の神話は単なる神話ではありません。神話の形をとった言霊学の日本、否、世界唯一の教科書であります。古事記の「天地の初発の時、……」より神話の最後の「鵜草葺不合の命」まで一貫した言霊学の黙示形式の教科書です。「歴(れっき)とした高位の朝廷の役人である太安万呂が天皇の命を受けて編纂した古事記が謎々を満載した本だ、なんて、とても本当とは思えない」と思う人も多いことでしょう。けれどこれは紛れもない事実なのです。古事記神話の黙示がすべて解釈され、現代語書き表わされた現在、古代の日本人が発覚した人間の「心と言葉」の壮大で厳密な全容が掌にとる如く明らかになった現在、それは否定することが出来ない事実なのです。そしてその事実を知るにつれて、渡した日本人の祖先が計画した専念を単位とする先見的施策が余りにも精確なことに驚く他はないと気付くこととなります。

以上は言霊原理隠没後、後世に向って行われた「官」の仕事でありますが、その他、それぞれの因縁で、またそれぞれの精神修業の途上で言霊学の存在を知り、それぞれの分野でその真理を後世に伝えるとこに務めた人々の名前を列挙しましょう。役の小角(えんのおずぬ)(諸国を遍歴し、言霊五十音を一つづつ神して神社を創設した)、空海(真言密教の中に真言(まな)である言霊原理を織り交ぜ、この世の言葉の奥にある言葉を説いた)、菅原道真(今に遺る五大おとぎ話の作者と伝えられる。おとぎ話として言霊学から見た歴史の将来を予見する物語を作り、口伝えの形式で原理を後世に遺した)、日蓮(法華経の名の下に、日本の真実の存在とその復活を暗に教える説法を行った)、……等々。これ等の人々は言霊布斗麻邇の存在を知りながら、彼等の生きた時代が言霊原理を明らさまに言及してはいけない時であることを知っていて、説くことを遠慮したのであります。

以上の諸聖賢の言霊学に関する後世への諸施策については、当会発行の書籍や会報で縷々(るる)述べられておりますので、詳細はそれによって御理解を頂ければ幸いと思います。この号ではそれ等施策の中から一つだけを取り上げ、言霊原理が文明創造の原器として生きていた時代と、隠没・忘却されて、人の意識の底に沈んでしまった時代では物事がどの様に変わるかを浮き彫りにしてみることにします。

取り挙げますのは伊勢神宮本殿の床中央の真下(床下)に立てられている心柱(しんばしら)(忌(いみ)柱・御量(みはか)り柱とも呼ばれます)であります。この心柱は神宮の中で最も尊い、神秘なものと言われるものです。それは内宮と外宮で長さが違う四角の柱で、内宮は六尺余、外宮は五尺と少し、ということです。実は昔は内外宮共長さ五尺であったそうです。鎌倉時代の記録にそう記されている由です。そしてその柱の立て方が奇抜なのです。五尺の長さの内、下の二尺が地中に埋められています(図参照)。二十年毎の遷宮に当り、今まで本殿のあった敷地の隣の空地に、新しい本殿が建設され、内部の調度品等も新しく整えられた後、遷宮の最後の行事として、五尺の心柱が右敷地より移されるそうであります。それは真夜中に、特別に限られた少人数の人々によって行われます。心柱の引越しが終りますと、今まであった本殿と附属の建物は全部取り払われ、全くの更地となるのですが、心柱の立てられていた所だけはそのまま残され、蓋をされて二十年後の遷宮までそのまま在続するそうであります。

何故その様なことをするのか、心柱の意味・内容如何、は今では誰も知らないようでありますが、言霊学の視点から見れば極めて明瞭に説明出来ます。本殿床上の中央に祭祀する天照大神の御神体、八咫の鏡は五十音言霊をもって組立てた精神構造、天津太祝詞音図(あまつふとのりと)を象徴します。その床下、真下に立てられた心柱は天照大神の父君、伊耶那岐の大神を表徴します。その精神構造を示す天津菅麻(すがそ)の天之御柱の母音は上よりアオウエイと並びます。図の心柱(御量柱)が示すように、五母音の中の下のエとイの二言霊が地表下に埋められていることを物語ってくれます。人間に生来授けられている基本的な五つの性能、ア(感情)、オ(経験知)、ウ(五官感覚に基づく欲望)、エ(実践智)、イ(創造意志・言葉)の中のエ(実践英智)とイ(創造意志・言霊原理)の二性能が、言霊原理の使用を停止され、その原理を伊勢神宮の神としてお祭りしてしまった崇神天皇の御宇以後は、社会・人類の意識・自覚の下に埋没されてしまい、忘却されたことを明示しているのであります。残された三つの性能ア(感情・宗教・藝術)、オ(経験知・学問・科学)とウ(欲望)だけの意識によって人生を考え、社会や世界のこと思うことしか出来ない時代となりました。愛は口にすることが出来ても、霊(言霊)の活用という「光」を失った薄暗い世の中を生きなければならなくなりました。物質文明が完成する時まで、人はこうなのだよ、と伊勢神宮の心柱は人類に呼びかけているのです。

言霊の原理が人間の意識の底に隠没してしまった社会はどのように変わったでしょうか。

人間の生命が持つ根本性能、これを神と呼ぶならば神とは「斎く」(五作)ものでした。アオウエイ五次元の畳わりである根本性能の自覚を自らの中に築くことだったのです。その結果、人は神であることを知ったのです。言霊原理の隠没はその神は人間の自覚から離れ、人の外にある存在と思われるようになりました。人は神を「拝(おろが)む」事となったのです。人は神社に神様を祭ることによって真実の神を失ってしまいました。

昔の人はアオウエイ言霊五十音が人間生命の今・此処に於て活動し、それによって生きていることの実感を持っていました。その生活は抜けるように明るく、大らかなものでした。原理隠没後、人は過去と未来は明瞭な意識を持ちますが、肝心な今・此処の意識は霧に包まれた如く曖昧な眠りに入ってしまいました。人は過去の因果を今・此処に於て清算し、生まれ変わった如く将来を創造するものです。しかし如何にも残念なことですが、今の意識を失った結果、常に過去の因縁を引き摺ったまま明日を迎えなければならなくなりました。人は生ある限り因果の糸車を廻さねばならなくなりました。末法時代の第一人者、親鸞上人の「久遠劫より今まで流転せる苦労の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土はこれひしからずさふらふこと、まことによくよく煩悩の興盛にさふらふはこそ」の言葉が思い出されます。英語のscienceを科学(科の学)と訳したのが誰だか、私は知りません。けれど人類の第二物質科学文明創造の意義・内容を知る時、これ以上の物語を見つれることは不可能ではないか、と思うのは私一人ばかりではありますまい。

今、此処の自覚は古事記の天の御中主の神の神名が示すように宇宙の中心の意識に通じます。この宇宙の目で見る時、人は物事の実相(真実の姿)を見る事が出来ます。何人、何十人集まろうとも、一つの出来事を見た内容は一つであります。言霊原理隠没以後に於ては、人は自らの経験知の観点から物事を見るようになりました。その結果は十人十色の判断を生むこととなります。この結果から来る人間社会の混乱、国際間の紛争は全く目を蔽いたくなるばかりです。社会、世界の混乱の原因が自分自身の物の見方に責任があるという本質に気付く人は極めて稀であること、について如何お考えでありましょうか。

日本と世界の歴史 その七

先号会報に於て、鵜草葺不合皇朝より神倭皇朝に移る頃からユダヤ民族の来朝、帰化が盛んになったこと、並びに十一代崇神天皇による言霊原理の社会からの隠没後、民衆の精神的不安に対処して幾多の施設が講ぜられたことをお伝えしました。この二つの事柄はともに日本と世界の歴史をお話するに当り大変重要なのでありますが、それについて意外に現代の歴史学では等閑視されている事があります。そのことについて少々お話してみたいと思います。

神倭(かむやまと)皇朝第一代神武天皇の頃より中国・朝鮮よりの人々の来朝、帰化が多くなって来た事は既にお話しました。そして厳談の歴史学では、その来朝の人々を朝鮮人または中国人と書いてありますが、実はそれらの国々の人々と混血した更なる西方からの民族の子孫であったのであります。当言霊の会にユダヤ人が時々訪れますが、それ等のユダヤ人の中には、西方のユダヤ、イスラエル国家の滅亡と、東に於ける日本の神倭皇朝の建国が時代的に同時であり、その後の日本文化とユダヤ文化が余りにも似ていることから、日本はユダヤ国家の「成れの果て」だ、と主張してやまない人もいる位です。そんな言い伝えがある程、神倭皇朝発足以来、外国人の来日、帰化の現象は増大し、十五代応神天皇の時以後は爆発的に帰化人が多く渡って来た事が窺えます。

帰化ユダヤ人の増大と、彼等の持つ経済・産業の能力の優秀さの故に、彼等の日本社会に於ける地位・勢力は無視出来ぬ程に大きくなったことが想像されます。推古天皇の御宇、帰化人東(あずま)の漢(あや)の直駒(あたいこま)は大臣となり、経済的にばかりでなく、政治的にも一大勢力となったことが窺えるのであります。その時代、皇太子でありました聖徳太子の事績について一言お話したいと思います。

聖徳太子は日本古来の神道(言霊学)に精通し、更に中国の儒教、印度の仏教に詳しく、親しく仏教書の講義をされる程でありました。太子の作った十八条の憲法の第一条「和を以って尊しとなす」は有名であります。この第一条の内容は単に「仲良くする事は大切だ」という意味なのではありません。言霊学の言霊ワの一事の意味をよく知り(言霊ワの説明については「コトタマ学入門」の「事や物に名前をつけること」の章参照下さい)、その上での言挙げとなったものです。太子は皇祖皇宗の布斗麻邇による人類歴史創造の内容を熟知しながら、日本古来の言霊学を秘蔵し、表に仏儒の二教を立て、生存競争社会での人心の安寧を計った第一人者でありました。現代社会の一部の右翼思想家が謂う「日本古来の教えを疎んじ、仏教を礼賛した人」とは程遠い、古神道の英傑であられたのであります。

次に太子の数多い治績の一つである京都太秦(うずまさ)の広隆寺の由緒書の抜粋を記します。

広隆寺――京都市右京区太秦蜂岡町三六。本尊は聖徳太子。蜂岡山(ほうこうざん)と号し、聖徳太子御願七寺の一、山城第一の古刹。太秦寺(うずまさでら)とも号す。推古天皇の十一年、太子が秦河勝(はたのかわかつ)に弥勒菩薩半跏像を下賜、河勝これを奉いてこの寺を創建。三十年、新羅(しらぎ)、任那(みまな)の二国から贈られた仏像を当寺に安置したことが日本書紀に記されている。秦氏は帰化人の中で最も繁栄した一族で、六世紀には既に七千戸の人々が住んでいたという。

十月十二日の夜、広隆寺境内にある大酒神社の牛祭は天下の奇祭とされている。

以上の広隆寺の由緒書についてもう少し説明して、帰化ユダヤ人の実状を浮き彫りにすることにしましょう。太子は帰化ユダヤ人の由来を知った上で、ユダヤ人の活動の根拠地として太秦に広隆寺を建てさせたものであります。太秦は漢音がダージーと読み、ユダヤ人の魂の祖モーゼの子が建国したと伝えられる東ローマ帝国のことであります。寺の内に昔は十二の井戸があったといわれ、その井戸の石に伊凌井(いさらい)の文字が見られるといいます。現存は三つだそうです。伊凌井はイスラエルであり、十二の井戸はユダヤの十二部族を表わしています。寺内に酒公なる人を祭った大酒神社があります。大酒は大辟(おおさけ)の転訛であり、それはユダヤ王ダビデの漢音名であるといわれます。

更に大酒神社の十月十二日の牛祭とは、神選民族ユダヤの転職である万有意識即ち言霊ウを分析して、物質の本質を探究するユダヤ民族三千年の責務を表わしていまする七夕(たなばた)の織姫(天照大神)と牽牛(須佐男命・エホバ)の牽牛、言霊ウの意味をも表わします。それは五行でいう金星(ウ)と同意でもあります。

聖徳太子が秦河勝に下賜した弥勒菩薩半跏像とは、仏説「弥勒菩薩下生経」にある如く、釈迦生存時、その甥である弥勒は仏教に反逆し、仏身を傷つけた罪で追放され、五十六億七千万年の放浪、修業の後、成仏し、弥勒菩薩となっで下生、衆生を救うといわれ、即ち物質世界の真相を究明し、その偉勲によって、仏と並んで人間社会を救済する仏として活躍することを予言された菩薩であり、それの丁度、高天原で叛乱を起こし、黄泉国に追放された須佐男命が物質科学を興して、人類の第二文明を完成させる事と対応する皇祖皇宗の歴史経綸の立場を説明する話とも一致することとなります。聖徳太子の達見を伝える話なのであります。

話をもう一つの話題に移しましょう。言霊原理が世の中の表面から隠された約二千年、朝廷ではその間の人心の不安、同様に供える種々の方策を講じました。そればかりではなく、民間に於きましても言霊原理が昔に存在したという事実を知った人々が明らさまにではなく、陰にその素晴らしい精神秘宝を構成に伝えようとする心情を汲み取ることが出来る事績を遺しております。それについて一、二の話をしてみることといたします。

十年以上前の事、私は東京のJR原宿駅の近くにある「香の会」の以来で弘法大師のお話をその会員の前ですることになりました。と言っても、私が弘法大師のことを特別に知識している訳ではありません。ただ、大師が言霊学を学んだことがある、という話を聞いていたというだけであります。まとまった話が出来るわけがありませんので、仲焼刃で図書館へ行き、館員に頼み込んで弘法大師全三十数冊を借り、大急ぎの斜読(はすよ)みをしました。全巻漢文で綴られ、旧制中学五年間の漢文の知識では、内容の十分の一の理解も出来なかったことを覚えています。そんな読み方ではありましたが、それでも大師全集の中では数頁に一つ位の割で「言霊原理を知らなければ、この文章は書けない」と思われる文言に枚挙に遑がない程出合った、のであります。その上、日本民族伝統の言霊布斗麻邇を知っていて、それを秋からに説くことが出来ない“もどかしさ”が時には激烈な朽ちよう文章となって迸(ほとばし)るその気魂のすさまじさを感じることが出来ました。三十余巻の大師全集の中では、民衆救済、産業開発の大師の慈悲の姿は薄れ、陀羅尼密教の本尊である言霊布斗麻邇への渇仰と、その胸中からする時代批評が色濃く論じられるのを読みとることが出来たのであります。その斜読みのお陰で弘法大師についての講演は好評をはくしたのであります。

この弘法大師全集との出会いは後日譚があります。それから数ヵ月後、私は家内とともに関西旅行をしたのですが、その旅の中で高野山金剛峰(こんごうぶ)寺にお参りする機会に恵まれました。お寺の広大な基地を見学し、弘法大師を祀る大師堂の前に来ました。若い白装束姿のお坊さんの団体が二十人程、大師堂の前でお経を斎称していました。この人たちが去った後でゆっくりお参りしようか、と思い、待っていたのですが、中々お経は止みそうにありません。そこで仕方なくお坊さん達の脇に進んで、端の方でお参りしました。家内と共に「高天原成弥栄」を小さい声で三称し、八拍手をしました。私自身何の感慨も起っていません。ただお参りの挨拶を、と気軽に思っていたのです。ところが、気が付くと私の眼から流れ出るように涙が落ちているのです。「滂沱(ぼうだ)」とはこういう涙のことをいうのでしょう。楽しくも悲しくもありません。感情的なものは何もありません。それなのに両眼からあふれる如く涙が止まりません。拭っても拭っても止まりません。「何故」と考えてもその原因が分かりません。そのうちに隣にいたお坊さん達のお経も終わり、去って行きました。大師堂の前には私達二人がいるだけです。けれどまだ涙は止まりません。その内、やっと気が付きました。「そうだ、空海さん、喜んでいるのだ」ということに。

言霊学の先師、小笠原孝次氏の話によれば、西暦八○六年空海は留学の中国より帰朝し、真言宗を伝えました。平城天皇の御宇といわれます。天皇、公卿達の前で基地用の報告となる真言密教の法話をし、賞賛され、終って天皇よりお茶を賜った際、天皇は次のようなことを空海に言われたといいます。「今日は汝の真言密教の話は見事でありました。それについて私は何も言うことはない。ただ一つ、日本には古来から真言密教の原本となる言霊布斗麻邇の学問といものがある。汝はそれを知っているか」と言って、言霊学のホンの「さわり」をお話されたといいます。頭脳明晰な空海は直ちにそれを理解し、その後の真言(マナ)密教は空海独特の色合いを深めたといいます。大師全集三十数巻の一番最後の本の、そのまた最後の頁に、大師が伊勢神宮に参籠し、終って神前に奉納、奏上した言葉「……民、空海謹み謹みも申す。……」の真剣味あふれた言葉を思い出します。世の中に伝えようとしてその時ではないことを知っていた人の心の内、その心情が痛いほど理解されます。空海、弘法大師が真言宗を開いて千二百年、今、言霊布斗麻邇の大法はその姿を明らかにして、大師堂の前にあると知った時の、生き通しに生きている空海さんの喜びが如何ばかりであったでしょうか。その事に私は気付く事が出来たのでした。千二百年の間、金剛峰寺に信仰の対象として生きて来た空海さんと、幸福にも言霊学開顕(かいけん)の任にある私の心の中の空海さんが、その時、お互いを見つめ合い、歴史の重さと、皇祖皇宗の人類歴史創造の舞台である「今・此処」に膨れ上がる希望と栄光を共にした一瞬だったのではなかろうか、と今も尚、私は考えております。

言霊布斗麻邇の原理とそれによる世界統治の業を日本古神道と呼びます。これを隠没させるに当り、新しく神社神道を創設しました。言霊の原理そのものは隠し、その象徴や儀式形態のみを以ってする宗教を創設し、人心の安寧に寄与させたのであります。その時以前、日本の古代に於ては人が神を拝む風習はなかったのです。それ故、神社神道では儀式の形式に言霊原理の象徴を形にしたものを取り入れ、また儒教・仏教の儀式を真似て信仰形式としたものであります。

今から二千年前の日本民族伝統の言霊原理の隠没は、物質科学文明創造を促進する為の、いわば方便としての隠没であります。この世から抹殺することではありません。物質科学文明完成の暁には再びこの社会に復活させなければなりません。よく引用することですが、大本教教祖のお筆先「知らしてはならず、知らさいてもならず、神はつらいぞよ」と言った具合のものです。そこで私達日本人の祖先の聖の人々が採用した手段は驚く程巧妙なものでありましたる先に説明したものと合わせて、ここに列記することにしましょう。

もう一人「知らしてはならず、知らさいでもならず、神はつらいぞよ」の気持ちの中で悪戦苦闘した人として鎌倉時代の日蓮上人を挙げることが出来ます。日蓮といえば、鎌倉時代、元(げん)の大軍が日本に攻め寄せた時代、「念仏間、禅天魔、真言七国、律国賊」と言って当時流行の仏教各派を批判し、困難の時代には法華経を奉じる日蓮宗の心に於いて国民全体が一体とならねばならぬ、と主張したことによって幕府の勘気に触れ、打首にされそうになったり、二度も伊豆・佐渡に流刑になった事で知られています。けれど伊勢神宮に参籠し、荒木田某なる神主より言霊布斗麻邇を学び、千葉外房の清澄山に登り、太平洋から昇る日の出に向って「南無妙法蓮華経」を唱え、経の中の経である法華経全体が指月の指となる言霊布斗麻邇の大法を胸中に抱き、日蓮独特の法華経の弘通に務めた人であることを知る人は少ないようであります。

日蓮が日本伝統の言霊布斗麻邇をどのように思っていたのか、知るに恰好の日蓮の手紙があります。流されていた佐渡の国より弟子の三沢某という武士に送った手紙であります。

我に付きたりしものどもに、真の事を言はざりけると思いて、佐渡の国より弟子共に内な申す法門あり

此は仏より後、迦葉(かしょう)、阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親・天台・妙樂・伝教・義親等の大論師、大人師は知りて而もその心の中に秘めさせ給ひて、口より外に出し給わず、其の故は仏制して言ふ、我滅後末法に入らずば此大法言ふべからずとありし故なり。日蓮は其使にはあらねども其時刻にあたる上、存外に此大法をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまで、先づ序文にあらあら申すなり。而るに此の大法出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は、皆日出でて後の光、巧匠の後に拙なきを知るなるべし。此時には正像の寺堂の仏像僧寺の霊験は皆消え失せて、但此の大法のみ一閻浮堤に流布すべしと見えて候。

以上が三沢鈔(みさわしょう)と呼ばれる日蓮の手紙の文章であります。手紙分でありますから呼んでそれ程難解な箇所はありませんが、少々説明しますと「日出でて後の光」とは太陽が昇った後で燈心につけた光の意。あってもなくてもよいもの、という意。一閻浮堤とは全人類社会という程の意であります。日蓮宗が奉ずる法華経には、巻末に「観音賢菩薩行法経なる経が附加されております。普賢菩薩とは普(あま)ねく賢(かしこ)い菩薩(果位の菩薩)ということで神道でいう天皇(スメラミコト)を示します。このお経では付言が用いる三つの宝(金剛杵、金輪、摩尼珠)のことが書かれています。この三つの宝は神道でいう三種の神器に当ります。金剛杵(こんごうしょ)は剣に、金輪(こんりん)は鏡に、摩尼珠は曲玉に当ります。法華経全体が言霊布斗麻邇の指月の指という所以であります。また行法経には言霊の運用についての示唆も書かれており、興味深いものです。

ここで翻って目を外国に歴史に向けてみましょう。先にイスラエル・ユダヤの二国家の滅亡の話をしました。ユダヤ民族の神エホバは先に民族の三種の神宝(アロンの杖・黄金のマナ壷・十戒石)を民族から奪い、次に彼等の国家を滅亡させることによって、民族全体を地球の表面に散らし、そのことによって彼等の神選民族としての使命の達成に向って活動を開始させたのであります。ユダヤ民族の使命とは何か。一つには、各地を放浪し、その土地々々の民衆の中に入って生存競争社会を醸成させ、その社会で生き残るための物質科学研究を盛んにし、人類第二の物質科学文明を創造する中核となることであります。そしてもう一つの使命は、想像された文明の利器がもたらす金力と権力と武力を以って、世界の各民族・国家を一つのものとして再統一することであります。

ユダヤ民族は十二部族あるといわれます。その中の祭祀を取扱うレビ族は先にお話しました如く、滅亡した国家を離れ、東に向かい、シルクロードを通って中国、朝鮮を経てその土地々々の人々交じり合い、最終的に始祖モーゼの魂と使命の故郷である日本に入り、日本各地で着々と地歩を固めて行きました。レビ族以外の十一部族は、レビ族とは反対に滅亡の国家から西に向って民族移動を開始しました。そして先に日本より外国に向って出発していた須佐男命物質科学研究集団の動きと一緒になり、その中核ともなり、須佐男命集団が開発した日本古来の言霊原理を物質方向に応用した東洋医学、本草学、錬金術等の技術は次第にユダヤ民族の受け継ぐ所となり、次第にアラビアのアルケミーとなり、次いで近代的な物理学や化学・天文学・植物学園だの人文科学等へと進歩して行ったのであります。

図をご覧下さい。物事を自分の外に客観的に見て考える時、その基本構造は図で示すように、正反合の三角構造で表わされます。簡単に説明しますと、現在の私の考えを正とします。そこに他人がその説の不備なことを発見して反なる考えを提出します。すると、この正反の二者が理論的にに勝利するためには、正と反のどちらをも容認出来る新しい合の立場の考えを提出しなければなりません。合の立場を提出出来た方が勝ちで、出来なければ敗者です。この場合、上を向いた△は形而上学(A図)であり、下を向いた▽は形而下学(B図)です。両方を一つとした構造(C図)はユダヤのカゴメのマークで、現代のイスラエル国家はこのカゴメのマークを国旗にしています。この三角形構造の考え方で暮らす限り、生存競争社会から逃れ出ることは出来ず、その考え方に優秀な人は常に人に勝つ人であり得ます。産業・経済並びに学術的思考に秀でているユダヤ民族は、その存する所、常に生存競争を捲き起こし、その競争の勝者であることが可能ということになります。この生存競争に常に勝つことを可能にするユダヤの原理をカバラといい、ヘブライ語の子音と数霊(かずたま)を以って構成され、百戦不敗の原理なのだそうです。そのカバラの原理の根元は須佐男命が持つ言霊学の天津金木であることは前に説明しました。

このようにしてユダヤ民族が滲透した世界には日常的に、産業経済的に弱人強食の生存競一色となり、国家・民族間の戦争は止むことなく、人々は戦争と戦争との間の束の間の平和を憩うという有様であります。そして何時の間にか、各民族の太古に何千年もの間、心の底から鼓腹撃壌的に平和な世を謳歌したこのある時代の存在を忘れ、仏教の説く如く火宅の世が現世で当り前の世の中だと観念してしまったのであります。そして正しくここ三、四千年の歴史の意図がそうであった如く、その泥沼の如き騒乱の中から、目を見張るような現代物質科学文明の輝かしい成果が創造されて来たのでした。

ここでもう一度、言霊の原理から見た歴史の時間とは何か、を見当してみることにしましょう。人間はウオアエイ五母音で示される五つの性能を持っています。その中で言霊ウ(五官感覚に基づく欲望)と言霊オ(経験知)から見る時間は一言(ひとこと)で言えば約束事の時間ということが出来ます。今年は西暦二○○五年、平成十七年です。月は年を十二で割ったその一つ、時は時計の針が示すもの、これ等はそうするように人類が定めた約束事です。その「時」の中で、人々は「私は何歳になった」とか、「明日は借金返済の日だ」……とか言って、現象が現象を生む輪廻の業(ごう)の中に生きています。

言霊ア(感情)の段階の目でみて、初めて永遠の今を知ります。人は時の流れの中に流され生きるのではなく、永劫の今を生きることを知ります。永遠の今の目で見る現象は常に新鮮で美しく、物事のただ一つしかない実際の姿を見ることが出来ます。その時に感じる愛とか一期一会なる言葉は言霊アの段階で初めて知る言葉であります。けれど、その段階にあっても、遭遇した事態を万人に良いように処理し得る方策を得ることは出来ません。

人間生命の自覚進化の最終段階、言霊イ・エの観点に立って、人は初めて時間と空間の束縛から脱し、反って時間・空間の主人公となり、永劫の今の中に存在する五十音言霊とその法則を自らのものとして自覚し、恒常に国家、民族、人類の歴史創造の担手(にないて)となって、人類文明を創造して行くことが可能となります。皇祖皇宗の言霊原理による人類文明創造の歴史を知り、その担手となります。

以上の人と志願との慣例から歴史を見る時、次のようなことが言えるのでありましょう。人類の第二物質科学文明創造のため、第一精神文明創造の原器である言霊布斗麻邇は社会の表面から隠没しました。けれど皇祖皇宗の人類文明創造の活動が無くなった訳でも、消えた訳でもありません。それは人類の心の奥で清冽な、厳格な流れとなって一瞬の休みもなく活動し続けています。ただ言霊原理の存在を忘れ去った人類が拠り所とする言霊ウとオの、業が業を生む欲望と知的傲慢さの行動が醸し出す霧が霞のようなベールが本流の清冽な流れの表面を被ってしまったのです。この泡沫(うたかた)のような第二次的な苦悩に満ちた葛藤の歴史の因果関係だけを世界の人々は歴史だと勘違いしてしまったのでした。

このような歴史の本流の表面に欲望のベールを被せ、生存競争を煽ったのは放浪の神選民族ユダヤであり、エホバであり、五大天使の一人ルシファーの変身したサタンであります。彼等は歴史の表面にベールを被せる作業を推進し、同時にそのベールの中に現われる諸現象に対処して絶対不敗の原理(カバラ)を以って目的を達成して行ったのです。

日本と世界の歴史 その八

ここでもう一度神選民族であるユダヤ民族に附託された人類の第二物質科学文明創造の目的について考えてみましょう。神選民族とは神によって選ばれた民族という意味です。神とは鵜草葺不合皇朝第六十九代神足別豊鋤天皇のことを指します。神足別とは「神のトーラを分け与えた」の意です。トーラとはユダヤ民族の十戒と裏十戒、即ちカバラの原理のことであります。使命を授かったのはモーゼとその霊統を受け継ぐ代々の予言者(霊能者)を中心としたユダヤ民族のことです。特にそのユダヤ民族の使命と魂の始祖であるモーゼには次のようなことが旧約聖書に伝えられています。

「斯(か)くの如くヱホバの僕(しもべ)モーゼはヱホバの言(ことば)の如くモアブの地に死(しね)り。ヱホバ、ベテペオルに対するモアブの地の谷にこれを葬(ほうむ)り給へり 今日までその墓を知る人なし モーゼはその死たる時 百二十歳なりしが その目は朦(かす)まずその気力は衰(おとろ)へざりき………イスラエルの中にはこの後モーゼのごとき予言者おこらざりきモーゼはヱホバが面(かほ)を対(あわ)せて知りたまへる者なりき……」(申命記三十四章)

その使命の第一は、失われた故国を離れ、ヨーロッパやその周辺の国々の中に入り、彼等の産業・経済の分野ですぐれた才能の下に、各地に生存競争社会を醸成させ、その競争に勝利を得て、隠然とした勢力を築き、先に日本より外国へ向かった須佐男物質科学研究集団の後を継ぎ、またはその中核となり、徐々に物質科学研究に成果を挙げて行きました。かくの如く、人類の第二文明である物質科学研究を発達させ、その究極に「物とは何か」の最終結論を発見すること、これが第一の目的であります。第二の使命は、物質科学研究とその成果によって生み出された金力、武力、権力を駆使して、世界の国々を動かし、その末に、地球上の国家をすべて再統一することであります。

先ず第一の生存競争社会の醸成と、その状況を利用することによって物質科学研究を促進して行く様子から見て行くことにしましょう。先にお話しましたように、日本から出発した須佐男物質研究集団は、初めは日本の精神原理を物質の客観的研究に応用することにより始まったのですが、その後、ユダヤ民族の西漸の集団の力と一緒になり、物質科学研究の普遍的な研究方法の法則が発見されて行きました。物を分析し、その結果を観察し、次にその変化を数値を以って表わす現代科学の研究方法が極めて徐々ではありますが、開発されて行ったのであります。

物質科学だけでなく、産業・経済社会を客観的に研究する方法が開発されて行く中、ユダヤの予言者達が持つカバラの原理は、その客観的研究に於て、それを誘導するのに役立つこととなった事が窺えるのであります。物質も、また各種の社会活動の法則も、その研究の内容は、これも先に説明したことですが、正反合の三角弁証法によって進歩します。この時、正―反から合の結果が出て来るのは時の変化にまかされることとなります。正―反の流れだけでは合の結果は出て来ません。この時、ユダヤ民族に授けられたカバラの原理が言霊学の父韻と子音の関係を示すウ段の父韻カサタナハマヤラ(金木音図)、オ段の父韻(カタマハサナヤラ)の内容を持ったものとするなら、時の自然の経過に委ねるのではなく、人が自覚出来る方法によって正反から合を導き出すことが可能となるでありましょう。かくてユダやのカバラの原理は、物質の客観的研究のみならず、一切の人間の客観的方向の研究に於て、その競争に勝利する絶対有利な立場に立つ事を可能にすることとなります。

ユダヤ民族が西漸を始めてより二十世紀にいたる二千年余の間、弱肉強食の生存競争社会は、個人はもとより、民族・国家間の紛争の規模は次第に大きくなり、各国家の首脳は軍備の蓄積に奔走し、それに応じる如く武器を製造するための作業は大型化し、そのための科学研究は盛んになって行きました。中世を経てルネッサンスの時となり、次いでヨーロッパの各国は大船の建造、重火器の研究が進み、近代に入って世界中に植民地獲得競争の時代となり、物質科学研究は目を見張る程の進歩を遂げて行きます。その上、イギリスに始まる産業革命の後では、科学研究の成果を従来では想像もつかない程の大規模産業の増大に結び付けて行ったのであります。蒼く澄んだ空と緑の野を、黒い煙突の林立する町と黒煙朦々たる空に変えて行ったのであります。それと同時に中世まで社会生活の中心にあった信仰の神に代って、物質研究に於ける科学的真理の偉大さに対する信仰が重きを置くようになって来たということが出来ましょうか。

物質科学の研究が各研究分野で長足の進歩を遂げた結果、人々が消費する日用品から大型機械に至るまで、その製造産業も大規模となります。それにつれて、経済・金融活動も規模が大きく発展して行きます。産業革命以後は、金融機関(銀行等)も大きくなり、国家の枠を越えて国際化されて行きます。また各種科学の研究も国際化されて行きます。情報分野の活動も同様、一国の枠を越えて国際化され全世界に情報網が広がります。各種科学研究機関ばかりでなく、銀行、情報等の国際化の傾向を促進させる動きの中心には必ずユダヤ人の手が入っていることは昔より知られています。彼等の科学研究、産業・経済活動の才能の優秀さは、右の様な世界・社会の中で抜群の手腕を発揮し、それ等の機構の中心的地位を占めて行きました。彼等が持つ産業・経済活動による豊富な資金、並びに優秀な金融支配の才能は、正に世界中の金の流れを自分の思い通りに動かすことが出来るまでに強力な力を蓄えつつあります。その経済力を駆使して彼等は何を意図するのか。勿論、その科学研究の成果によって得た金力、武力、権力の巨大な影響力の下に、世界を言霊ウとオの面から再統一することであります。その集大成の時である二十世紀の状況の説明に入ることにしましょう。

二十世紀

古事記神話にある三貴子、天照大神・月読命・須佐男命の中の言霊イとエを司る天照大神が天の岩戸にお隠れになったこと、言い換えますと、神倭皇朝第十代崇神天皇が人類の第一精神文明時代の基礎原理である言霊布斗麻邇の原理を隠してしまってから約二千年が経過し、キリスト世紀でいう二十世紀は人類文明の各分野にとって重大な節目を迎える時となります。その様相を次に列記しましょう。

三貴子の中の天照大神、即ち言霊の原理が社会の裏に隠没し、社会の人々の心を支配するのは月読命(言霊ア・オ、宗教・哲学・芸術)と須佐男命(言霊ウ・オ、産業・経済・科学)の二大分野に分かれました。この二分野は初めの間は精神と物質、宗教と科学精神として相拮抗して、時には協力し合い、時には反発し合って文明を創造し、歴史を創って来ました。しかし中世からルネッサンスを経て、産業革命以後は次第に須佐男命の支配分野である産業・経済・科学研究の長足の進歩により、年々その勢力に差が出て来ました。須佐男命の物に対する人間の意識が、月読命の心に向う人間意識を次第に圧倒して行くようになって行きました。物欲が良心を次第に押し潰して行きました。そして二十世紀に入り、宗教信仰と科学信仰を天秤にかけますと、次第に科学信仰の方が重くなり、下がり始め、終には下り放しとなってしまいました。宗教人自身もその変化の傾向に負けて、信仰を世界・社会の平和より故人の欲望的幸福の御利益のみを強調して当り前と思うようになりました。須佐男命の打ち出すブローに月読命はノックダウン寸前の様相を呈しています。科学が宗教の神に代って人類の神になりました。人々は自分の中にある神をすっかり忘れてしまったのです。物質(金)が精神を圧倒してしまいました。これが二十世紀の特徴の第一でありましょうか。

二十世紀前半は物質における科学研究の原子核法則発見の時代、後半は生命の人体構造DNA発見の時代と称せられています。二十世紀の始め頃興った物質の先験構造解明の研究は急速に進み、原子核内エネルギーの発動に成功し、人類の手によって発明された初の原子爆弾が日本の広島、長崎に投下され、第二次世界大戦は終りました。その原子力エネルギーの平和利用の研究が進歩、発展し、今では世界中に無数の原子力発電所が建設され、稼動しています。四、五千年前より始まった「物とは何ぞや」の人類の物質研究は此処に一応の任務を成し遂げたことになります。

二十世紀の後半は科学の研究のメスが人体の生命の遺伝子構造内に入ったことが特筆されます。これによって人体は勿論、動物、植物の分野でそれ以前には考えることも出来ない作業が生命体の中に加えられ、その途上にはクローン人間さえ可能な状況を造り出しました。この研究を人間の好奇心のおもむくままに、野放図に許すならば、この世の社会は魔物の跳梁する地獄の様相を思わせる恐ろしいことにもなり兼ねません。けれどそれが事実となってしまいました。科学研究のメスが人間自らの生命の中に入ったのです。科学が人間の生命構造の客観的解明の研究に成功した事は事実となりました。かくして二十世紀は物質的客観研究の成果が「物とは何ぞや」を解明し、人体に於ては生命遺伝子の構造解明に歩を進める世紀となりました。それに加えて、この世紀に特筆すべき成果として、人類が地球以外の宇宙へ乗り出した時であることが挙げられます。またIT科学の進歩によって情報手段の驚異的進歩も見逃す事は出来ません。今は、ただ一人の人間が、掌に乗る程の機器を持つだけで居ながらにして世界の出来事を知ることが出来るようになりました。

以上列挙した物質科学研究の成果を総合しますと、先にもお話したように、人類の第二物質科学文明時代は一応の完成を遂げたと明言して差し支えない事と思われます。科学研究は今後共続いて行くことでしょう。けれど「一応の完成」と申上げたのには訳があります。物質科学の研究・開発、産業・経済の拡大・発展の社会風潮を今のまま野放図に進めて行ったら、地球人類の明日が消滅しかねない環境危機の到来が必然のものとなって来たからであります。

言霊布斗麻邇の原理とそれによる世界統治の業を日本古神道と呼びます。これを隠没させるに当り、新しく神社神道を創設しました。言霊の原理そのものは隠し、その象徴や儀式形態のみを以ってする宗教を創設し、人心の安寧に寄与させたのであります。その時以前、日本の古代に於ては人が神を拝む風習はなかったのです。それ故、神社神道では儀式の形式に言霊原理の象徴を形にしたものを取り入れ、また儒教・仏教の儀式を真似て信仰形式としたものであります。

言霊の原理とその運用法である天照大神が岩戸の中に隠れ、後に残った宗教・哲学・芸術担当の月読命と産業・経済・科学を担当する須佐男命の人間精神の二大分野は、初めの間は互いに協調し合って社会の福祉と発展のために働いて来ましたが、産業革命を過ぎた頃から物質科学の研究が飛躍的に進歩発達した結果、人類は次第に祭壇の奥に祭られる信仰の神より、目に見えて生活を便利にしてくれる科学に憧憬の目をより多く向けるようになりました。昔、ヨーロッパで聞かれた「哲学の貧困」「神は死んだ」「ヨーロッパのたそがれ」等々の言葉は、実は全世界の人々のものとなって行きました。人間の内部に当然あって然るべき「愛」「慈悲」「平等」「勿体無い」「大自然保護」等々の月読命担当の分野の叫びは、なくなりはしないけれど社会に於ける比重は急速に少なくなっていきました。「神」が「欲望」にねじ伏せられて行きました。心中に当然あるべきものの抑圧は、その度が一定基準を越えれば、思わぬ破局となって現われます。原水爆戦争の恐怖、地球温暖化、大気オゾン層破壊、気象異状変化、それに青少年犯罪の激増、挙げれば切りが無い程の社会環境の矛盾が人々の頭にかぶさって来ます。

上のような地球上の情況をどう解決したらよいのでしょうか。発展して行く科学研究の勢いを加減する事でしょうか。そんな事は出来ないでしょう。もしそんなことをしたら、抑圧された科学研究の力がどんな弊害となって現われるか分かりません。一度萎んでしまった真の宗教の力を元の隆盛に取り戻すことでしょうか。それも不可能でしょう。何故なら人類社会の歴史の進展は先に述べましたように正―反―合の弁証法的発展です。勢いの止まらない科学研究の「正」と、それの障害となる地球環境の破壊の「反」とを受けて、双方を共に十二分に受け入れることの出来る「合」の立場を手にするためには、全く新しい新鮮でしかも厳密な立場が要求されて来るからであります。人類がそんな力を手にすることが出来るか、否か。人類の運命がそこに懸かっているという事が出来ます。二十世紀の人類社会はこの新しい人間の神性の発見を次の世紀に祈るが如き気持ちで宿題を遺して行ったと解釈すべきでありましょう。

以上、人類の第二物質科学文明の歴史の中の特筆すべき二十世紀の成功とその影の情況を簡単に検討しました。簡単に済ませましたのは、私達二十一世紀に入った人達にとって二十世紀の出来事のすべては人それぞれの体験の想起により、また種々のメディアの情報によって生々しく知っている事と思われるからであります。さて二十世紀の科学の成果と並んで、その間のユダヤ民族の使命である「科学研究の成果より得た金力・武力・権力による世界統一の仕事」としての二十世紀は如何になっているか、の検討に移ることにしましょう。

二十世紀は過去の世紀に増して大小の戦争が地球上に起りました。第一次・第二次の世界大戦の他に、日本では日清戦争、日露戦争、満州事変、日支事変と続きました。第二次世界大戦の後では米ソ冷戦となり、世界の各国はアメリカ、ソビエト両国のどちらかの陣営の鉄の枠の中に閉じ込められ、うすら寒い年月を過ごすこととなりました。ソビエト崩壊後の世界では各小国、民族間の戦争が堰を切った如くに起り、イスラエルとアラブの抗争、アラブ同士の戦争、そしてその果にイラクをめぐる二回のアメリカの戦争と続いています。イエス・キリスト誕生以来、地球上に戦争がこれ程多くおこった世紀は他にあるまいと思われる二十世紀でありました。

二十世紀に入る数百年前より西漸のユダヤはヨーロッパの各国に入り、生存競争を煽り、科学研究を盛んにする活動に拍車をかけて行きます。打続く戦争の合間を縫うように彼等の活動の拠点を各国に移動させて行きます。イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー等々にわたり、その本拠を置く国家は、あたかもその国が世界経済の中心地であるかの如き活況を呈する事でそれが知られます。そして二十世紀に入り、その拠点はイギリスに移ったものと推察され、次いで第一次世界大戦以後は更に西進し、アメリカに移り、ニューヨークのウォール街を中心としてアメリカ合衆国経済は勿論のこと、全世界の経済を自らの掌の上に動かす如く、裏の采配を振い、その世界経済を「わがもの」の如く動かすのに成功したのであります。経済ばかりでなく、政治・産業・学術・法曹・新聞・テレビ・医学等の分野に於ても隠然とした影響力を持つことはよく知られている所であります。

世間では「ベニスの商人」の話にある如くユダヤ人は地域々々の人々の財産を搾取し、それによって手に入れた金を使って社会を我が物顔に牛耳ると思い勝ちであります。けれど経済的に膨張した最近の世界を動かすには、いかに彼等の手にする金力が多大であっても、とても足りるものではありません。彼等は言霊ウ次元の社会現象を意のままに動かすことの出来る彼等の原理「カバラ」を適用して、世界にめぐらした情報網を通して、世界の経済を自分の金庫の中の金の出し入れの如く操る事が出来るのであります。と同時に、現代世界の人々の心を自分の心の金庫に入れて、世界中の人々の心を洗脳しています。二十世紀は彼等の金と心の金庫の中に世界中の物と心を封じ込めてしまう作業が略ゞ完了したもののように思われます。彼等自身一度としてこの現社会に顔を出すことなしに。その結果、世界中の国々のほとんどはユダヤの武力と金力と権力の下に経済的、情報的に統一の傘下に組み込まれたと言って差し支えなくなったのであります。残るはアラブの一部と北朝鮮のみ。鵜草葺不合皇朝六十九代神足別豊鋤天皇のユダヤの始祖モーゼに賜った勅語が思い出されます。「汝モーゼ、汝これより世界の人々すべての守り主となれ」(武内古文献)。

人類の第二物質科学文明時代に於ける神選ユダヤ民族の二つの使命、世界に弱肉強食の生存競争社会をつくり、物質科学研究を興し、「物質とは何か」の科学を完成させ、更にその成果より得る金力・武力・権力によって地球の各国、各民族の再統一を実現せよ、という使命の実行の成果は略ゞ完成に近づいたということが出来ましょう。この意味で二十世紀とは人類が新しい歴史創造を始める土台となるユダヤ民族の業績の終着の時代ということが出来ます。

と同時に、この第二物質文明創造促進のために方便として社会の表から隠没した第一精神文明の基礎原理であるアオウエイ五十音言霊の原理が二千年の眠りから目を覚まし、新しい時代を築く精神原理としてこの世に甦る動きが起り、昔ながらに復元完成に近づいた世紀でもあります。今から百年程前、明治天皇と皇后が言霊原理の存在に気付かれ、山腰弘道氏を補佐としてその復元の作業を始められ、その研究は山越明将氏に、そして小笠原孝次氏に引き継がれ、更に当会が後任の責に当り、以上の他幾多の先輩の業と共につい最近に到り、古代にあったと同様の姿とその自覚に成功いたしました。かくて精神文明の原理と物質科学文明の成果が地球・宇宙という土俵上にて土俵入りすることとなり、人類の第三文明時代の幕明けを迎える準備は略ゞ相整った事となります。以上が二十世紀の実相なのであります。

日本と世界の歴史 その九

前号に於て人類文明創造の歴史の大きな節目となる二十世紀の世界の状勢について解説いたしました。神選ユダヤ民族の責務である人類の第二物質科学文明の建設並びにその科学の成果による人類全体の再統一という二つ仕事がこの二十世紀の終わりまでに略ゞ完成した事の確認であります。

「物とは何か」の解明に当った物質科学は、二十世紀に至って物質の根元要素である原子核内構造の究極要素として十六個のコークを発見しました。原子核内エネルギーの解放は日常のものとなりました。また人間生命の肉体における究極の遺伝子DNAのすべてを解明することに成功しました。生命の客観方向への探究は見事に成功を収めました。人類はまた科学の夢であった宇宙への旅を現実のものとしました。更にIT技術の進歩は人間の社会全体との関係を根底から変革する勢いです。現在進行中の情報機器の発明競争は日進月歩で、その行末は計り知れないもののようであります。

以上の如く、科学の猛スピードの技術進歩は人間社会に今まででは想像も出来なかった便利さをもたらしましたが、その便利さの裏側で、これも今までの人類が経験したことのない恐怖の落とし穴が待ち構えていることを感じないわけには行きません。謂わく「核戦争」、「大気汚染」、「異常気象」、「教育破壊」、「クローン人間」……。便利人間で寿司詰めの特急電車の暴走は脱線事故発生寸前の様相を呈しています。

ユダヤの第二の使命、これ等便利機械の産出する巨大な金力・権力・武力を手段とする世界統一の仕事も終着点へ一歩々々と近づいています。と同時にその便利世界の恩恵からこぼれた人達の狂気の抵抗は恐怖のテロとなって悲惨な殺傷が繰返えされてもいます。ここにも二十世紀が醸し出した悦楽と恐怖の地獄相が展開しています。

以上のような最終目的に達しようとする直前の騒乱にも拘らず、ユダヤは自らの使命の完全達成へ向って突進することでしょう。かくて三千年程前、葺不合朝六十九代神足別豊鋤天皇がユダヤ王モーゼに命令、委託したユダヤの使命、第二物質科学文明の建設とその富による世界人類の再統一の仕事は略ゞ二十世紀末までに終了し、その事業が次の世に遺した栄光の光と影を如何に処理し、次に始まる人類の新文明を如何に設計するか、が二十一世紀の人類の課題だということが出来るでありましょう。

更に言い換えますと、二十一世紀に入った現在とは、人類が過去に開発して来た第一精神文明と第二物質科学文明の双方の文明時代の因縁を背に負って、この二つの文明が相結んで二つながらに新しい文明時代を建設して行く人類の作業が始まる時であり、始めなければならぬことを人々が厳粛に認識すべき時だ、ということが出来ます。

この事実に関して、当会会報第十二号(平成元年六月二十日発行)の最後の頁、「雑感」の文章を引用します。

「雑感」出雲風土記意宇郡の章に「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)……今は国引訖(くにひきお)えぬと詔(の)りたまひて意宇(おう)の杜(もり)に御杖衝(みつえつ)き立(た)てて、意恵(おえ)と詔(のりたま)ひき」とある。水臣津野命は須佐男命の系統の神である。御杖とは人間天与の判断力、軍隊で言えば指揮刀である。意宇とは言霊オ(科学)とウ(産業)のこと。国引とは世界統一である。大国主命即ちエホバ神(神選民族)が科学と産業を手段として世界統一を成就する時が近づいた。今世紀中には実現する。その時「意恵(おえ)」と言う。統一後の人類はオウからオエ(道徳)に精神転換する。二十一世紀は科学と道徳の時代である。科学に法則がある如く道徳にも法則がある。日本語のなかに秘められた言霊布斗麻邇である。(この文章は出雲国意宇(おう)郡の名の由来を述べる章の中に見えます。)

この出雲風土記の神話は、第二物質科学文明の最終世紀である二十世紀に次ぐこの二十一世紀が実現しなければならない言霊オとエを創造の主流に据える心構えをよく表現し、教えています。けれど二十世紀までの人類精神のウ・オの流れを、新世紀に於てオ・エに転換する道はどこにあるのでしょうか。人類の歴史創造の新しい方向を決定するに当って、過去三千年間、人類の精神的支えであった言霊ウ・オ(産業・経済・科学)と言霊ア・オ(芸術・宗教)の性能について検討することにしましょう。

物質科学を進歩・発展させる原動力は欲望と好奇心です。そしてその探究の方法は物事を自分の外(そと)方向に観察し、調べることです。これを哲学的に表現すると、科学する自分の主体を捨象するという事です。即ち科学する人の年齢、身長、体重、育ち、地位等々は問題にしません。また探究の対象(物)の姿(実相)にも関心を示しません。対象を研究項目によって抽象化します。そのためにこの地球上の社会で生きる人間が、どの様に生きるか、どうすればよいのか、の生きるための合目的性を持ち合わせません。コンピュータの性能が進歩して、人間の仕事の大方を代行することは出来ても、現社会の中で人は如何に生きるか、を教えてはくれません。科学はただ、人間の好奇心が赴(おもむ)くままに、外なる物質領域の当面の姿を開顕してくれるに過ぎないのです。生きた人間の心には常に背を向けている研究なのです。

言霊ア・オ次元の所産である宗教・信仰はこの時代に如何なる影響を与え得るでしょうか。かって宗教・芸術の領域の主宰神である月読命は産業・経済の主宰神である須佐男命と協力してこの社会を統治しました。須佐男命は物質世界を担当し、月読命は精神世界を受け持っていました。ところが、世界に産業革命が進むにつれて、人々の物質的方向への関心が高まり、それに反比例する如く、人々の宗教信仰への関心は低下する一方となりました。宗教心は人間個人の安寧に力を示すことはあっても、国家や人類の危急に答えることは不可能に近くなりました。

二十世紀に入って国家間の戦争は多発し、またその生命への脅威は武器の大規模化のために限りなく増大して行きました。それに対して宗教的人道主義の活動は次第に無力化の一途をたどっています。人類の第二物質科学文明の促進のため方便として作り出された生存競争社会の当然の成行きとしての戦争は、単なる人道主義としての宗教心では抑止することが不可能となりました。人類社会の底を流れる世界文明創造という大法則の意識を欠如した宗教心では当然の帰結でありましょう。

更に心寒く感じるのは、哲学を筆頭として一切の学問が二十世紀が遺した人類の歴史的矛盾、地球全体の危機の実態を把握することが出来なくなっていることです。危機の実状の片隅を針で突くような言挙げはあっても、人類の生命に関する地球全体の実相を見極めようとする力も意欲をも失ってしまっていることであります。更に心細いのは、学者自身がその力がなく、それも追求する勇気も失ってしまっている事を知っていないことでありましょう。「哲学の貧困」、「神は死んだ」のでありましょうか。

右の観察は私達が迎えた二十一世紀に対しての悲観論を述べるためのものではありません。二十世紀末までに人類が成し遂げた物質科学文明の一応の完成と、その完成が近づく中に起って来た人類社会の矛盾が増大し、二十世紀までに人類の所有する一般の知識では矛盾から創造への転換を望むことが出来ない事、そしてその不可能を心底より知ることによってのみ次の時代に生きる創造の道が開けることを告げ度いためであります。科学が提唱するであろう物質的環境改善への個々の提案は事態の或る面の改善を計ることはあっても、それは事態の一部の糊塗に過ぎず、宗教者からの提案も個々人の思いつき以外の何物でもなく、いづれの案も事態の全面解決をただ先延ばしするに過ぎないことは明瞭なのです。二十世紀が遺した人類社会の矛盾は、人類が過去三千年の創造の影の、そして負の領域が人類の能力では耐え切れない程大きくなり、爆発寸前の様相を呈し始めている証拠であります。影の部分と対面し、直視することが要求されています。この事から目をそらしては二十一世紀を語ることが出来ません。

人は「今・此処」に生きています。今・此処以外に人は生きられません。この今を「永遠の今」などと呼びます。この今の自覚を求めることが従来の真摯な宗教の目的でありました。禅では「一念普ねく観ず無量劫、無量劫の事即ち今の如し」と表現します。この今に過去の人類の数万、数百万年の営みのすべてが詰まっています。この一切の営みの因縁を「今」に於てご破算とし、本当の自由の立場から過去の営(いとな)みのそれぞれを配置変えして将来を築くこと、これが「創造」であります。この時、過去の因縁の絆(きずな)を断つこと(ご破算)が出来ず、過去の因縁の傀儡(かいらい)(操り人形)となって魂の盲目の道をひた走るならば、人類六十億人は底なしの断崖から自らの足で駆け落ちて行く事となりましょう。昔、ある自殺の名所といわれた海岸の断崖の道に、数メートル間隔に「ちょっと待て、考えろ」と書いた立札が立っていたのを思い出します。(現在はその断崖にホテルが建ち、自殺の名所は昔語りとなりました。)

二十一世紀に入って五年近くが経った現在、立ち止まり、両足でしっかり大地を踏まえ、栄光の新世紀の歴史の創造について話をすることにしましょう。

人は「今」に生きています。今・此処が生命の存する処です。これは前にお話しました。考えてみると、今の人々は過ぎ去ったこと(過去)とまだ来ないもの(未来)は考えますが、現在自らが立っている「今」を見ることは不得手のようです。何故か。心が常に動いているからです。自分自身が動いているから、流動する世の中の真実の姿を見極めることが出来ません。世の中の真相を見ようと思うなら、自分自身が立ち止まり、動かないことが必要条件となります。「そうなのか」と頷(うなづ)く方はいても、「動かない」自分になることは至難の業(わざ)かも知れません。素晴らしい音楽に聞きほれている時、美しい景色に見入っている時、自らの心は揺れ動きません。何故でしょうか。それは素晴らしい音楽とか、美しい自然に接することによって、自らの心が永遠なるもの、悠大なるものに接しているからです。そんな時、人は一切の束縛を脱して自由な心に浸ることが出来ます。けれどその自由な自分を意識し得るのは飽くまで限られた時間であり、音楽が終わり、景色から目が離れれば、「元の黙阿弥」心は動きっぱなしの状態に戻ってしまいます。心(こころ)の語源が「コロコロ」だという所以です。

どんな忙しい時でも、緊急時にも、必要な時は動かぬ心、即ち不動心を自覚しようとするなら、それは宗教の仕事です。修行の方法に二種類があります。他力信仰と自力信仰です。他力とは、いろいろな事に迷い、悩む自らの心を「煩悩」と断じ、煩悩から脱しきれない自分の弱さを思い、その弱さを素直に認め、その弱さにも拘らず生まれてから今まで大過なく生きて来られたことに対しての大きな恩を神仏に感謝し、その感謝の心によって神仏に抱かれている自分を見出して行く事を言います。大きな温かいものに包まれていることを感じる時、人は無限なものに接し、不動心を得ます。次に自力に移りましょう。自力の行も自分の心を見詰めることに変わりはありません。ただ違うのは、その自らを見詰める主体としての自分が、自分本来の仏、または宇宙だ、と信じることであります。そう信じる仏としての自分が日常の自分の行いを見て、その行いの中の他人への批判、好き嫌い、傲慢等を発見し、その原因となる自らの心の中にある経験知識を本来の自分(仏)ではない、「否」と心中で否定して行く業であります。この否定を繰返すことによって、経験や知識は自らの仏の心の道具なのであって、自分ではない、と知り、生まれたばかりの赤子の心、即ち仏であり、宇宙の心に帰って行くのです。これが自力の行であります。他力も自力も行き着く先は仏・神の心、言霊学でいうアの宇宙であります。この母音宇宙を自覚する時、人は心の中にアオウエイの母音宇宙の「天之御柱」が心中に樹っていることを理解するのです。それは人間天与の判断力のことです。禅ではこの判断力を剣(つるぎ)に見立て、「両頭を截断すれば、一剣天に倚(よ)って寒し」などと称えています。

歴史の話をすると言いながら、宗教信仰の行の話などして頭が狂っているんじゃないか、と思われるかも知れません。けれど人類全体の一つの文明時代が終わり、次の新文明創造に入ろうとする節目の時、先にお話しました如く、ここ二千年来(世界では三千年来)に提唱された一切の人類の学問・技術・思想・主義ではこの節目の意義・内容について何一つ気付かず、それ故に何らの言挙げもなく、等閑(なおざり)視にされています。この重大な事態について一言(ひとこと)で捉える立場を手にすることが出来ない結果、言わざる、見ざる、聞かざるの三猿を極めこんでいるわけです。まずこの事実を明らかにすること、次にこの現在の人類が置かれている重大な立場とその真相を把握するために必要にして充分な立場を先にお知らせしておかない限り、今後の歴史がどう展開して行くか、の予見の内容を理解して頂くことすら期待出来ないことが明らかだからであります。でありますから、これから本会報がお知らせする世界と日本の今後の歴史的な出来事について、どの様な立場にお立ち頂ければ御理解と共に御同感をされ得るか、を前もってお知らせ申上げ度く思うからであります。御了承をお願いする所以であります。

さて、従来の宗教信仰によって物事を見る目が揺れ動かない立場を手にする事をお知らせいたしました。この立場が確かにある、ということにお気付きになった方は、信仰の目標である愛と慈悲の境涯、心弱き自分を愛と慈悲の目でじっと見守って下さる境域の存在に気付くこととなります。それが言霊学のいう言霊アの世界であることも知ります。そして同時にその愛と慈悲(または美)の次元の先に言霊エ(実践智)と言霊イ(言霊)の次元領域が存在することをためらうことなく認めることとなります。言霊学の殿堂への正式の入門がそれであります。

宗教信仰は言霊アの世界へ人を導きます。この境涯は限りなき愛と慈悲の心で人を包んで下さることを知ります。それ故に自らも他人を限りなく愛と慈悲の心で接しなければ、と決意します。けれど前に申しました如く、この愛と慈悲は人対人との間のみであり、人対人類、人対世界の問題には観念のみの祈り以外、何の実効ある行動を教えてはくれません。それ以後の行動と判断の指針は世界でただ一つ日本の古神道、言霊布斗麻邇の学の独擅場(どくせんじょう)なのであります。古事記の言葉を借りて言えば、科学は須佐男命、哲学・宗教・芸術は月読命、そして言霊布斗麻邇こそ天照大神の実体なのであります。

生命は今・此処に於て躍動します。この「永遠の今」以外の場はありません。宗教はこの「今・此処」を教えますが、その今・此処の中に何が存在するのか、何も存在しないのか、を教えません。言霊学だけがその中に何があるか、その構造はどうなっているか、を余すことなく教えてくれます。今、それを簡単にご披露しましょう。詳しくは「古事記と言霊」を御参照下さい。

今・此処に存在する言霊は母音五、半母音五(ウ音が母音と重複)、父韻八、以上十七言霊は先天構造言霊。更に子音三十二、ン音一計三十三言霊は生命の後天構造言霊。総合計五十個の言霊ですべてであります。この五十個の言霊が秩序正しく存在し、その活動によって人間の精神現象の一切を現出させます。また五十個の言霊は五十通りの活動をして、結論として人間行為の最高の働き、天津日嗣天皇(スメラミコト)の世界文明創造の経綸の原理を顕現します。以上が今・此処に活動する生命の全内容である五十音言霊の説明です。

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろづ)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。これに生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒(くらき)は之を悟らざりき。」(ヨハネ伝一章)言(ことば)とは言霊のことであります。このヨハネ伝冒頭の言葉がいみじくも指摘するように、日本語のすべては言霊によって作られました。言霊のことを一字で霊(ひ)とも呼びます。その言霊が走ること、それが霊駆(ひか)りであり、光なのであります。それ故、言霊を自覚した上での言葉を霊葉(ひば)即ち光の言葉と呼びます。でありますから言霊の自覚による言葉は人の心の一切の暗黒を消し去る力を備えています。光が照れば闇は瞬時に消えます。闇をどこかに追い払ったのではありません。闇は消えたのです。この事は歴史の転換に当り重要な素因となりますので御留意なさっておいて下さい。

万物は言霊によって作られました。それ故に頭脳の中で、言霊原理の自覚の下に考案され、計画された一瞬の今・此処の物事は、それが明日の事であれ、来年、否十年後、百年、千年の後の事であろうとも、作製された映画のフィルムが何時・何処でもその実際の映像を映し出す如く、この宇宙世界に計画通りに実現させることが可能となるのであります。三千年前、神足別豊鋤天皇がモーゼに命じ、委託した使命が、三千年を経た今日、その計画の言葉の如く実現した実状を近々世界の人々が気付き、驚嘆するであろうことは掌の上を指す如く明らかであります。この言霊原理の言葉の力を昔より御稜威(みいづ)といいます。先に申しましたが、物質科学の研究のメスが物の原子核内に入れられた二十世紀初頭の頃、時を同じくして日本の皇室内に於て明治天皇が皇后様共々、宮中に保存されている記録を頼りに、言霊学の復活の研究を始められた事であります。また同じ頃、大本教々祖出口なお女史が言霊学の復活を世の中に告げんとして、種々の神示の形によって母音、半母音、父韻等々の学問内容を神懸かりで予言した事でもあります。皇祖皇宗の歴史創造の御経綸は言霊原理隠没後二千年近くを経て、正確にその計画はこの世に実現して来ました。これも御稜威のしからしめる業の証明と申せましょう。更に神選民族ユダヤの第二物質科学文明完成と世界の再統一に一応のメドがついた二十世紀より今世紀初頭にかけて、この日本に於て言霊布斗麻邇の原理が理論と共にその精神内の自覚完成が共々出揃って実現したことであります。これも皇祖皇宗の一糸の乱れもない御経綸の御稜威の現われでありましょう。

皇祖皇宗の御経綸の下では、人類の歴史がその計画通りに数千年にわたって実現されて行く、という事など現代人には全くの戯言(たわごと)としか思えないことでしょう。しかしそれは真実なのです。言霊ウとオの二つの次元の目から歴史を考えるなら、それは戯言と考えて当然のことです。現代人にとって千年どころか、明日の身さえ予測出来ないのですから。けれど人間精神の自覚を進化させて、言霊ア・エ・イの領域に観点を移すならば、今・此処の中に過去と将来を見通すことは掌を指さす程に容易となることであります。と申しても半信半疑でありましょうから、此処で言霊学の一端を説明しておきましょう。

生命は今・此処に於て躍動を続けています。今・此処以外にはありません。ということは、過去に起った歴史的事実はすべて今・此処に躍動する生命の頭脳に印画され保存されていることです。この歴史の営みの要素々々を、過去を調べる人間の精神の構造を示す赤珠音図の父韻の並び(ア段で示すと、「ア・カタマハサナヤラ・ワ」)の順で並べてみると、純正で正確な人類の歴史が浮かび上がって来ます。この「日本と世界の歴史」の講話の中で述べられた歴史もこの作業によって記述された歴史であります。その記述には個人的な経験から来る意見は一切ありません。人間の生命法則が把握した真実の歴史であります。では今後の歴史の正確な予測は如何にして決定するか。将来を創造する生命の構造の法則、それを父韻で示すと、「ア・タカマハラナヤサ・ワ」となります。この父韻の順序で今・此処に存在する歴史的要素を並べてみると、これから展開される日本と世界の歴史が見通されて来ることとなります。ここにも個人的経験知識の入り込む余地はありません。

二十一世紀に入って五年、いよいよ今後の日本と世界の歴史を見通す話に入る前の心構えについてお話しました。来月より現実の歴史の個々の分野の予見の話を始めることと致します。御期待下さい。

日本と世界の歴史 その十

先月号の終りに「来月号より今日以後の日本と世界の歴史がどのように展開して行くのか、その実際について話を進めて行くことにします。御期待下さい。」と申しました。その後、今から展開して行く日本と世界の将来について、どのように話を進めたら皆様により確実に理解して頂くことが出来るか、を考え、三つのキイ・ワードに集約することを決めました。その三つのキイ・ワードとは次のようなものであります。

第一、現在の日本の皇室(約一万年程の昔「人とは何か」の精神的全貌を解明した聖の集団が高天原と呼ばれる地球の高原地帯よりこの日本列島に天下って来て、その把持する言霊布斗麻邇の原理に基づいて人類の生活に最高理想の社会文明を建設しようとの意図の下に、人類の文明創造の永遠の計画を立て、活動を開始して以来、その聖の皇朝は邇々芸皇朝、彦穂々出見皇朝、鵜草葺不合皇朝と続き、更に二千六百余年前より神倭皇朝となり、現在の平成の天皇に至るまでの、所謂皇祖皇宗の営みが如何なる経過を辿って来たか、また現天皇家がおかれている立場は如何なるものであるか、を明らかにすること、これが第一のキイ・ワードであります。)

第二、モーゼとその霊統を継ぐ霊能者達(三千年余前、ユダヤ王モーゼが日本の朝廷に於て鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤天皇より天津金木の原理、彼等の所謂カバラの原理を授かり、その原理に叶う人類の第二物質科学文明の建設と、その成果より手にする力を以って世界を再統一するという使命を担い、孜々営々その任を全うせんと世の陰に於て活動し、今日までにその任務を略々遂行・完成させた所謂キング・オブ・キングズの現在と今後の活動の様相を明らかにすること、これが第二のキイ・ワードとなります。)

第三、コトタマの会(神倭朝第十代崇神天皇により言霊布斗麻邇が神として伊勢神宮に祭られ、言霊学の内容が日本と世界の表面から隠されて千九百年後、明治天皇が皇后様と共に、山腰弘道氏を従えて言霊原理の復活に当たられてより百年、皇祖皇宗の人類文明創造の規範原理である言霊布斗麻邇の学は山腰明将氏、小笠原孝次氏によって復活の事業は進み、現在当言霊(コトタマ)の会がその原理、人類永遠の、唯一の秘宝を継承・保持しています。この言霊の会が今何を考え、何事を成さんとするか、を除いては、少なくとも現在の所、日本と世界の今後の動向を語ることは出来ません。これが第三のキイ・ワードとなります。)

考え出されました三つのキイ・ワードとは以上の三点であります。この三つの立場から、言霊原理を鏡として見る時、現在の人類が置かれている状況、その状況をもたらした過去一万年の原因を明らかに見極めることが出来ます。そしてその状況に歴史創造の新しい息吹、即ち天津太祝詞音図の八父韻の並びタカマハラナヤサによって組直すならば、一転の齟齬もなく人類を新しい第三の文明時代に導くことが可能な道を皆様にお話することが出来る、と筆者自身十一月の講習会を楽しみにしていたのでした。

十月の講習会の後、何人かの立て続けの訪問を受けました。それらの人々から「歴史を創造するとはどういう事ですか」「歴史を創造するという言葉の意味が今一つピンと来ないのですが、……」という言葉を聞きました。その事から私は「ハッ」と思い当たることがあったのです。

「対岸の火災視」という言葉があります。実際には自分達の身の上に重大な影響を与えることとなる問題であっても、それを自分事(ごと)とは思えず、まるで他人事と思ってしまっていることを言った言葉です。原爆戦争の恐怖、大気圏オゾン層の問題、地球温暖化の問題、教育崩壊の問題、どれをとってもこのままでは人類社会は駄目になってしまう、と思わない人は余りいない筈です。にもかかわらず、誰も自分自身が何とかしなければ、とは思っていません。どうしてでしょうか。一つには問題が余りに大きすぎて、自分一人何とかしようとしてもどうしようもないと初めから諦めてしまうからでしょう。またはそれらの問題が今日、明日の事ではないと思われる為かも知れません。

「歴史創造」の問題も右と同じに考えて、自分の身に余る問題だと直ぐに考えてしまう為かも知れません。若しそう考えるとするなら、それ等の人達に「言霊学から見た日本と世界の歴史はこのように展開して行くよ」という話をしても「あゝ、そうなの」で事は済んでしまうことになります。この時、その人は自分達が住む地球上の出来事も「明日になれば太陽は昇るよ」式に受け取ってしまうに違いありません。どうしてそうなってしまうのか、を考えなければならない、と思われます。そうなってしまう原因を明らかにした後で、歴史創造の話をするべきだ、という事となりました。そこで、お約束した今後の歴史の実際の話は少々お待ち頂いて、「対岸の火災視」の内容をはっきりさせ、孤立無援の何の力もないように思える自分でも、日本の、そして世界の歴史の創造に参画することが出来る道があることを明示した後で、改めて今後の歴史の話をすることにしました。御了承を御願い申上げます。

さて、毎度お話することですが、人が住む境涯に五段階があります。母音で表すと、ウ(五官感覚に基づく欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(言霊原理、創造意志)の五境涯です。言霊ウとオの次元段階にある人は物事を自らの外、即ち客観的に見聞きし、考えます。この客観的思考では日本や世界の歴史の問題は単なる物語として自分自身は関与しないものと受取ります。ただ自分と自分の身内に関係する社会的問題だけに反応するに過ぎません。ですから「歴史を創造する」という言葉は何となく分かるようで気分は全く乗って来ないでありましょう。歴史は社会的に造られて行くものであって、自分自身がこれに関わるものではない、というわけです。

それでも、事が自分一人の生涯(の歴史)、または自分の家庭の行き先(の歴史)ということになると、歴史を自分のことと考えるのではないでしょうか。自分は一生をどう生きたいか。自分の家庭はどんな希望と計画を持って暮らしたいか、となると、歴史の創造という言葉は何となく自分と結び付いて来ます。それは事が自分の主体性と関わるからです。そしてその主体性とは感情、即ち言霊アの段階のものであることを知ります。

言霊ア・オ次元の所産である宗教・信仰はこの時代に如何なる影響を与え得るでしょうか。かって宗教・芸術の領域の主宰神である月読命は産業・経済の主宰神である須佐男命と協力してこの社会を統治しました。須佐男命は物質世界を担当し、月読命は精神世界を受け持っていました。ところが、世界に産業革命が進むにつれて、人々の物質的方向への関心が高まり、それに反比例する如く、人々の宗教信仰への関心は低下する一方となりました。宗教心は人間個人の安寧に力を示すことはあっても、国家や人類の危急に答えることは不可能に近くなりました。

自分自身に関係ない他人、国家、世界の出来事に「幸あれ」と真剣に考え、祈る事が出来るのは、言霊のア次元の感情が宗教でいう愛とか慈悲の心として発現する時です。自分はほとんど何もしてあげられない、けれど「可哀想だ、仕合せに、」と祈らずにはいられない心、それは宗教心、信仰心です。この心は世界人類の一員である自分、神の子である自分、と同時に世界中の神の子としての人間の幸福を祈らずにはいられない真摯な心であります。けれどこの言霊アの境涯の中からも日本と世界の歴史を創造する心は発現し得ません。真の宗教心は世界人類と同根同仁の心を持つことは出来ますが、その世界をどの様な将来に創造して行くか、の智恵は言霊アの次元からは発現することはありません。以前、福井の永平寺の偉いお坊さんの日常生活がテレビで報道されたことがありました。私はその番組を興味を持って一時間近くを見たのですが、その世の中を知り尽くしたようなお坊さんの口から世界人類とか、人類の歴史とかいう言葉が一言も聞かれなかったことを覚えています。何故なのでしょうか。言霊アの次元は人類愛を持つことは出来ますが、その人類の将来を如何に創造するか、現在の懸案を如何に処理するか、の事となると、お坊さんが「煩悩」として否定して来た言霊オの経験知識、所謂「学問」の世界へ下りて行かなければなりません。学問の論争の世界へ再び帰らねばならないからであります。

結局人類の「歴史を創造する」という言葉を理解し、身を以って実践することが出来るのは、生命創造意志である言霊イの次元と、その言霊原理を活用する実践英智の次元である言霊エの次元を自らが境涯とする立場だけということになります。人間の純粋感情である言霊アの立場に立って愛と慈悲の心で人類の全体と自分とが一体である共感を体験したならば、その愛と慈悲の次元の内容である言霊イとエの次元の言霊学を理解した時、人はこの世の中にあって自分の身を処理し、自分の家庭生活を営むと同様に、人類全体の問題に対処して人類文明の歴史を推進し創造することが可能となります。この立場に立つ人を天津日嗣スメラミコトと呼びます。天津日とは人間精神の先天構造原理である言霊布斗麻邇の原理のことであり、嗣とは継承保持するの意であります。太古の天皇(スメラミコト)もそのような人でありました。スメラミコトとは命(みこと)を統(す)べるの意であります。人類を構成する人間一人(ひとり)一人はみなこの世に生まれて使命を持って生きています。それら一人一人の命にそれぞれ所を得しめ、その上で人類全体の調和が保たれるよう統べる人の意であります。人類の第一精神文明時代のスメラミコトがそうであった如く、今、開かれようとしている人類の第三文明時代の創造責任者も同様の自覚者でなければならないでありましょう。

このようにお話すると、「スメラミコト」なる人は、努力に努力を重ね、人間として今までにない新境地を拓(ひら)いた人、または何処からか地上に舞い降りた神様の如き特異な超人間的人物であろうと思われるかも知れない、としたらそれは全くの誤解です。何故そう言い切れるのか。それは日本人の大先祖が私達に遺したアイウエオ五十音言霊学というものが平凡な人間の心の全構造とその動きを説いた学問だからであります。この学問を修得したからといって、超人間的な偉い人になる訳がありません。自分という何といって取り立てる所のない人間の心の構造を知った、というに過ぎないのですから。またこれもよく聞く話ですが、「言霊学というのは世界人類を統治するスメラミコトの学問であって、私達自分の幸福のことばかり考えている人間には所詮及びもつかない高処(たかみ)の学問なのだ」というようなことも見当違いの考えなのです。

人間はこの世に生まれた時から基本的に五つの性能を授かっています。言霊ウ(五官感覚に基づく欲望性能)、オ(経験知性能)、ア(感情性能)、エ(実践智性能)、イ(生命創造意志性能)の五性能です。この五つの性能は人がその性能を意識的に知っても、知らなくても、この社会の中で生きて行くのに十分間に合うように働いて呉れています。「そうなら言霊学を学ばないでもいいではないか」と思われるかも知れません。でもそれは暴論というものです。特に現代の如く教育が偏跛になり、知識偏重の時代では、自分達だけの幸福しか望んでいない、という家庭にも教育頽廃の波は打ち寄せて来ます。テロや暴力行為も他人事では済まされない事態になって来ました。今の世の中は何処かおかしいのです。だとしたら今、何とかしなければならないではありませんか。

そこでちょっと考え方を変えてみて下さい。一つの例を取り上げましょう。何か自分または家族の身の上にトラブルが起ったとしましょう。自分(達)のことですから何とか処理しなければなりません。こっちへぶつかり、あっちにぶつかりしながら、自分の持っている経験知を総動員して考えます。それで円満解決なら目出度しです。もし解決出来なかったら、方法を変えて言霊学にお出まし願ってみたらどうでしょう。「言霊学にお出ましを」とはどういうことなのでしょう。それは処理しなければならない事態に対処する自分の心を言霊学の法則に従って考えることです。

子供が登校しなくなりました。聞いても答えてくれません。親の目で見れば、それが勉強が分からなくなってしまったとか、いじめだとか、……であることは分かりましょう。ではどうしたらよいか、となると中々難しい事となります。この時、そのトラブルが言霊学でいうウの次元か、オの次元で起っている、と気付くことから始まります。言霊ウとかオとかの言葉が出て来れば、それは言霊学の法則によって考え出したことになります。

親はそれまで言霊ウの欲望の世界や言霊オの学問の世界では、他人にそれ程遅れをとるとは思っていませんでした。自信もあったのです。けれど今回の子供の出来事でその自信も吹き飛んでしまいました。どうしたらよいか、分からなくなりました。この時です、言霊学の門をくぐるのは。「自分は今まで自らの力でこの世の中を乗り切って行く力を十分持っていると思っていた。けれど今回の子供の事件でつくづく自分の無力を思い知らされた。この無力な自分が今日まで大過なく暮らして来られたのは、ウとオを常に抱くように慈しみ愛して下さっている言霊アの自分の生命の次元のお陰に他ならない。今日まで生きて来られたこと自体奇蹟だったのだ。何と有り難いことであった」と知ることとなります。この親は言霊学五つの母音の中のウオアの三母音を知ったことになります。

右の心中の出来事は、宗教でいえば信仰の態度ということになりましょう。しかし、この親である人は、信仰を事としたわけではありません。「神」なる言葉も使いません。言霊ウ・オ・アの三音を以って信仰の何たるかを見事に体験・自覚したことになったのです。言霊学の中身に一歩踏み込んだことになります。そして言霊学の言葉で自分自身の心の内容を検証した事は、この人自身の魂に百八十度の転換が起った事ともなります。「えっ、ウオアの三つの母音の内容だけを知ることがそれ程重大なことなのですか」といぶかる方もいらっしゃるでしょう。そのことについて少々お話申上げましょう。

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。これに生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。」(ヨハネ伝一章)先月号にも取り上げましたヨハネ伝の言葉です。またこの言(ことば)とは言霊である、とも書きました。太古、言霊(ことたま)のことを一音、霊(ひ)とも呼びました。言霊が活動すること、それは霊が走る霊(ひ)が駆(か)ける、で光(ひかり)となります。言霊は人の心の今・此処に於て「魂の光」として活動して万(よろず)の物、即ち森羅万象を生みます。二千年以前、神倭朝第十代崇神天皇が方便として言霊原理を世界の表面から隠してしまって以来、日本も世界も世の中は精神的暗黒の闇に閉ざされました。貧困、飢餓(きが)、戦乱、病災、交々(こもごも)起り、お釈迦様は八苦の娑婆(しゃば)と呼びました。すべては社会から「光」が消えたがための出来事です。その光が、言霊原理が漸くこの世の中に戻って来ました。「みたまあがり、去にませし神は今ぞ来ませる。魂箱もちて去りたるみたま、魂返へしなせそ」(石上(いそのかみ)神宮鎮魂歌)。今、その魂箱である言霊五十音原理の「さわり」の母音ウオア三音によって自己の心の構造を検証した人は、復活した言霊の「光」を世に先駆けて真実の光の灯(ひ)を高々と頭上に掲げた方々なのです。人類の二、三千年の暗黒の歴史の中から因縁によって奇しくも一人立ち上がり、言霊の灯の下に新しい光明の時代を築くパイオニアとして光の中に飛び出すことが出来た新しい歴史の創造者なのです。

宗教信仰は言霊アの世界へ人を導きます。この境涯は限りなき愛と慈悲の心で人を包んで下さることを知ります。それ故に自らも他人を限りなく愛と慈悲の心で接しなければ、と決意します。けれど前に申しました如く、この愛と慈悲は人対人との間のみであり、人対人類、人対世界の問題には観念のみの祈り以外、何の実効ある行動を教えてはくれません。それ以後の行動と判断の指針は世界でただ一つ日本の古神道、言霊布斗麻邇の学の独擅場(どくせんじょう)なのであります。古事記の言葉を借りて言えば、科学は須佐男命、哲学・宗教・芸術は月読命、そして言霊布斗麻邇こそ天照大神の実体なのであります。

言霊はすべて五次元の中の言霊イの次元に、時間としては今(イの間)に、場としては此処に生命(いのち)(イの道)として存在し、活動しています。言霊イの次元には言霊以外のものは存在しません。人類は幾十億いようとも、イの次元に於てはただ一つの共同体なのです。この消息に精通するまでは理解し難いかも知れませんが、言霊原理に即した如何なる言葉も一度理解し、これを言葉として表現したならば、全世界の人々の魂の中に光の活動となって影響を与えることとなります。その人は既に新しい歴史創造の担い手なのです。受け取る人の意識がそれを知る、知らないに関わりなくであります。言霊のウオアの三母音によって自分の生命のホンの一部でも検証することが出来た方は、ご自分の良心に従って検証を続け、母音の階段を更に登って行かれる事を希望します。そしてその人の居る場がそのまま光の発信所となります。大声で演説することも、デモることも、共同して何かすることも必要ありません。

話が随分長くなりました。これが私の「歴史創造」の話の前提条件となります。今後の新文明時代創造の話を聞いて下る方々が、右のような人達であると認識し、希望して話を進めようと思います。実際の歴史創造の話が一ヶ月先送りされてしまいました。御了承くだされば幸いであります。次号では三つのキイ・ワードの内容を年代順に並列させた年表を描き、歴史の現在をそのイラストと参照しながら日本と世界の歴史の今後のお話をすることといたします。

日本と世界の歴史 その十一

過去十回のお話を通して日本と世界の歴史を、その始めから現在までどのような経路を辿って来たかを明らかにして来ました。そして現在、私達は今後の歴史を創造して行くために、どの様に考え、思い、行動したらよいか、を御理解頂くために、三つの重要な観点を明らかにする三つのキイ・ワードを提唱しました。即ち一に日本の天皇、二にユダヤ民族、そして三に言霊の会であります。

実際に現在、社会一般の歴史学から日本や世界人類の将来が論議される場合、その主張は大変複雑で、中々学者以外の人々には容易に理解し難いようであります。しかし歴史の過去も将来も、歴史を動かしている根元の原動力というものを把握してしまいますと、そんなに複雑なものではありません。そこでその歴史創造の原動力を担う者として三つのキイ・ワードをお話した訳であります。これ等歴史の原動力となる三者が歴史上のある一点に於て出合い、縒り合される時、日本と世界の歴史は、現在の世界の人々が想像もしない突飛な方向へ、それでいて目を覚ますと、いとも当り前と思われる、当然落ち着くべき処に落ち着く方向に動き出して行く事になります。

会報の三頁にこの三者の歴史年表を並列して示しました。読者の御理解を頂く参考となれば幸いであります。先ずは今、現在、この三者が過去を背負い、将来を展望する、この時にそれぞれどの様な実相(真実の内容)を持って存在しているか、を改めて年表に沿ってまとめてみましょう。

日本の天皇

高天原と呼ばれる高原地帯に集まった聖の集団による「人の心と言葉」についての長年月の研究の結果、発見されたアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理を保持した聖の集団が、人間の最高理想の文明を創造するために日本列島に下りて来ました。一万年乃至八千年以前のことであります。そしてこの日本の気候・風土・風習の実相を観察して、原理に基づいて古代日本語を作り、日本国を肇国したのです。この心と言葉の真理の光の恩恵に全世界が靡(なび)き寄せられるように、地球上に古代日本の朝廷を「霊(ひ)の本(もと)」として、世界は人類の歴史上第一の精神文明時代を生きることとなりました。この時以来、日本並びに世界の人々は、この五十音言霊の原理を歴史創造の原動力として、何時までも永遠に、人々の精神の底流にこの原理を保持しながら、文明創造の経綸の中で生き続けて行くことになります。

日本の朝廷は邇々芸皇朝、彦穂々出見皇朝、鵜草葺不合皇朝と続きます。その間、人類は第一精神文明時代を建設し、言霊原理に則り、五千年の長い間、平和と豊穣の生活を送ったのであります。葺不合皇朝の中葉、日本三貴子の一人である須佐男命の霊統をひく者達が中心となり、従来の布斗麻邇の原理とは異なる物質法則を求め、研究のために高天原日本より外国に向って出発して行きました。物質科学文明の揺籃時代が外国に於て芽を出すこととなります。今から五千年程前のことであります。

今より約三千年前、葺不合皇朝の末期、外国に於ける物質研究の熱が高まることに時代の転換の気配を察した日本の朝廷は、来朝のユダヤ王モーゼに天津金木の原理(カバラ)を伝授し、「この後、汝と汝の子孫は世界の人々の”守り主“となれ」という命令を下し、以後三千年間は人類の第二物質科学文明創造の時代である、としてその主宰としての役目をユダヤ民族の王、即ち予言者に委任したのであります。これ以後人類の三千年は直接には日本天皇の手を離れ、社会の底流を支配するモーゼとその子孫の予言者の統治する所となります。ここに於て人類の第一精神文明時代は終焉し、日本は神倭皇朝の時代に入ります。

それより更に千年後、第一精神文明の中心であった日本に於ても完全に第二物質科学文明時代に入るために、神倭朝第一代神武天皇、第十代崇神天皇の計画により、精神文明の基本原理を象徴する三種の神器を天皇の御座より遠ざけ、伊勢の神宮の御神体として祭ったのであります。これによって崇神天皇より後の天皇は言霊の原理の自覚のない、ただ神器を祭る伊勢神宮の信仰上の大神主としての役目につかれた事になります。日本肇国の眼目であった言霊布斗麻邇の学は完全に人類社会の裏に隠されてしまいました。日本国民は自らの国家の大眼目の学問を信仰の対象の神として「何事のおわしますかは知らねども」と歌われた如く、その実態を見忘れてしまいました。(神器の同床共殿制度の廃止と同時に伊勢神宮の本殿の唯一神明造り、古事記・日本書紀の神話による言霊原理の黙示を作ることにより、物質文明完成の暁には、日本国民の中に言霊の原理が蘇るよう諸種準備が整えられました事は歴史の中で詳しくお話しました。)

神倭皇朝百二十四代、二千七百年間、特に第十五代応神天皇より第百二十四代昭和天皇までの時代は、天皇は三種の神器を保持・保存する世襲の伊勢神宮の大神主の役に終始し、政治の表面には出ない事となりました。第一精神文明時代にあった日本より世界への諸種精神文化の輸出はなくなり、ただ外国文化の輸入にのみ頼ることを国是としたのであります。天理教教祖の「高山の眞の柱は唐人や、これがそもそも神の立腹」と謂われた所以となりました。大小の戦いに明け暮れた歴史の中にあって、歴代の天皇はひたすらに三種の神器を護持する役目のみに専心する時代であったということが出来ます。

一九四六年、昭和二十一年一月、昭和天皇は天皇制史上最も重大な詔勅を出されました。「古事記と日本書紀の神話は日本皇室と関係がない」と断言されたのであります。神武天皇以来昭和天皇までの二千七百年の神倭皇朝は皇祖である天照大神を表徴する三種の神器の中の八咫鏡(やたのかがみ)と共にあるという天照大神の神勅(古事記・日本書紀)によって天皇制は国是として定まり、一貫してその掟の下に日本の政治体制は定められて来ました。政治という権力の座にはいろいろな人々が入って来ました。けれど日本民族の通念として天皇制は全面的に肯定されて生き続いて来ました。大戦争後の敗戦の結果とは言え、二千七百年間続いた日本という国の国柄を全面的に否定された事は歴史上の大転換を意味します。「綸言(りんげん)汗の如し」とあります。天皇の詔勅は一度発令されたら取消しは出来ません。ここに於て、日本の国家も、天皇の位も一挙に消失したと言っても過言ではなくなりました。この昭和天皇の詔勅の意味する所を日本民族のアイデンティティーの基盤から真実を把握している人は広く国民の中にも、皇室は勿論、歴史・国語学者の中にも恐らく一人もいないのではないか、と思われるのであります。

仏教に正法・像法・末法の説があります。略して正像末の三時ともいいます。正法時とは釈迦がなくなった後の五百年間の事で、仏の教えと修行とその証が共にあって、仏の教えが世に行われている期間の事と辞書にあります。次の像法の時とは、正法の次の千年間のことで、教えと修行はあるが、それを実行して証果を得る者がいない時代のことです。末法の時とは釈迦の入滅後、正法・像法につぐ時期で、仏法滅尽の濁悪の世の中のことであります。平易に言いますと、正法とは仏がい、またはいるが如く仏を慕い、その教えがそのまま世の中に行われていた時代、像法とは生きた仏の記憶が去り、仏像を拝み、御利益を得ようと励む時代、末法とは仏の教えも行も世の中から遠いものとなり、仏教そのものが世の中と関係ないものと思われるようになった時代ということです。

この仏教の正像末の考えを日本肇国より現在に当てはめて見ましょう。聖の集団が言霊原理を保持してこの日本に於て国家を建設してから、邇々芸・彦穂々出見・鵜草葺不合の三皇朝時代は、言霊布斗麻邇の自覚者である天皇が連綿と皇位につき、その原理のままに世の中に政治が行われ、平和と繁栄の社会が続きましたから、これを正法と呼ぶことが出来ましょう。次の神倭皇朝の時代は言霊原理は伊勢の神宮奥深くに信仰の御神体として祭られ、その信仰の下に国家が成立していましたから、(仏教の仏像を礼拝する如く崇めましたから)、これを像法時代と読んで然るべきものといえましょう。

昭和二十一年の昭和天皇による「古事記・日本書紀の神話と皇室とは無関係である」との断言的詔勅は、その像法的信仰としての天皇と国家との関係をも否定し去ったことになりました。正法としての言霊原理の自覚も、また像法としての三種の神器を御神体とする伊勢神宮の大神主としての信仰の国家元首の立場も天皇とは関係ないものとなりました。一万年乃至八千年続いた言霊布斗麻邇の真理に基づく、民族のアイデンティティーと同一であった天皇の地位は完全に消滅し、人間天皇を宣言した天皇となりました。天皇制を支える一切の精神的なものが失われたのです。この事は天皇制に関する文字通りの末法の到来となりました。約二千七百年、百二十四代続いた神倭皇朝はここに終焉を遂げたのであります。日本国は肇国以来初めて天皇空位時代を迎えることとなりました。

昭和天皇に次いで現在の天皇が即位しました。年号も平成と改められました。平成という時代の名前が何処からとられたのかは忘れてしまいましたが、その名を聞いた時から筆者は「平民と成る」ことだ、と直観しました。古事記と日本書紀の神話との関係を断った天皇家としては、「平民に限りなく近く成って行く」事以外は存在する所はない筈ですから。最近の紀宮内親王の御結婚の報道を見てもお分かりになるように、天皇・皇后両陛下は全く平民と座を共にされ、私達国民の娘を持つ両親が、その娘の披露宴におけると同じように座に着かれた事であります。その和やかそうな雰囲気をテレビの画面で見て、何となく「ほっ」とした気持で、新郎・新婦と共に天皇・皇后両陛下をも祝福したい気持を持ったのは筆者だけではなかった筈であります。

天皇という法制上の地位は「国民統合の象徴」という文章で憲法の中で規定されています。この憲法上の文章の意味がどういうものなのかは別にして、実際には一国民となられた天皇が憲法によって「象徴」と呼ばれる国家の憲法が定める特殊な役職に就かれているということでありましょう。紀宮様の御結婚式の和やかさを見聞きして、「国民統合の象徴」の意味がどうであれ、天皇と国民との関係がこの様に親しみのあるものであれば、「まぁまぁ、良いのではないか」と国民の大多数の人々は思うことでしょう。筆者の私もそう思って何処が悪いのか、と疑りたくない気持があります。でもふと日本人という立場に帰ってみると、天皇家と国民との関係、日本民族が世界人類に対しての使命、過去一万年の国の歴史が国民の心の深層から語りかけて来る声と天皇家、等々の考えが雲の如く起こって来ることを止めることが出来なくなって来ます。大きな矛盾が余りにも多く有り過ぎます。しかも日本国民の中の有識者の大多数がその矛盾に一顧だにしていないことが気になります。

国民一人一人の心の矛盾はその日、その日の対応で事なく済ませるかもしれません。けれど肇国以来一万年という長い年月の間に培って来た国家・民族の生き方をただ便宜的に変更して、そこに生じ、年月と共に増大する精神的矛盾を省みることなく放置するならば、何時の日か、手に負えない混乱を惹き起こすことは必定です。これから今もって誰も気付かない日本国の抱える矛盾について例を挙げて説明することにしましょう。

先ずは国歌「君が代」を例にとりましょう。会報百三十六号「君が代」(言霊学随想)を参照下さい。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて こけのむすま

右の国歌の中の「君」とは誰のことか、と聞けば「国歌の中にあるのだから、君とは天皇を指すのだろう」と誰しも思います。その天皇の代が千代に八千代に永遠に続くということです。ここに既に矛盾があります。現在の日本は憲法によって主権在民ということになっています。ですから厳密に言えば、国歌の中では「君が代」でなく「民の代」であるべきです。そんな細かいことは差し置いて、言葉の語源から国歌の内容を考えてみましょう。

君(きみ)の語源は伊耶那岐・伊耶那美のキミです。「古事記と言霊」の「禊祓」の章をお読み下さい。伊耶那岐・伊耶那美の二神が一体になった姿を伊耶那岐の大神と呼びます。この神は宗教で謂う最高創造神として、人類の文明創造の神です。黄泉国(よもつくに)、即ち外国から生まれて来る種々の文化(国歌の中でこれを「さざれ石」と言います)を吸収して、これを光(霊駆り)の言葉である日本語で表現することによって、新しい生命を与え、世界文明の中に(いはほ、五十音言霊図)の中に所を得しめる、これが伊耶那岐の大神の文明創造の内容であり、同時に日本天皇の自覚の内容であることを国歌は教えています。正法時の天皇(スメラミコト)は実際にこれを行う自覚がありました。像法時の神倭皇朝百二十四代の天皇はその可能性を将来に期待する信仰を持った人でありました。しかし、日本伝統の天皇としての内容をすべて失った末法時の天皇は、この語源との矛盾に如何に対応すべきか。日本の将来を考える人は、先ずこの一事に注目すべし、と思われます。

日本と世界の歴史 その十二

第一のキイ・ワード 日本の天皇(前号よりつづき)

若し人間の生活から言葉(言語)を無くしてしまったとしたら、どうなることでしょうか。それは恐ろしい暗黒の世界とだけ言うことが出来る状況が現出するでしょう。考えること、表現すること、伝えること、生活のすべてを失うこととなりましょう。言霊学でいう心の住家である五段階の母音宇宙の畳(たたな)わりである言霊ウオアエイの最上段、言霊イの次元に言葉という性能があり、それは言霊イの道で生命であり、創造意志、言霊存在の次元であります。言語とは生命であります。言語の喪失は生命の喪失を意味しています。

更に言語について考えてみましょう。日本人は普通生まれると日本語で育ちます。言いかえますと、日本人は日本語で人となります。アメリカ人はアメリカン・イングリッシュで、ドイツ人はドイツ語で、フランス人はフランス語で、……人となります。そしてそれ等世界の各民族の生活構造、思想体系、民族感情等もその人となった言語の影響を強く受けることとなりましょう。

約一万年前、人の心とは何か、に疑問を持ち、考えられない程の長い研究の結果、大勢の聖の集団によって人間の心は「五十個の言霊(ことたま)とその五十通りの活動」であるという言霊布斗麻邇の原理として完全に解明されたのでした。時が来て、これ等の聖の集団は、人類の理想の楽園をこの地上に建設するために、この日本列島に下りて来ました。今より八千年以上前のことであります。聖の集団はこの日本列島に於いて気候・風土・風俗……等々を観察し、五十音言霊を組み合わせることによって日本語を作りました。心の先天構造を表わす十七の先天言霊と、その先天の活動によって生まれる三十二の後天現象の実相音を組み合わせた言語でありますから、言語そのものが物や事の実相(真実の姿)そのものを表わす言葉であります。言葉を聞けば、その言葉が事物の実相を表わし、その他に何らの説明も必要としない言語でありました。言霊(ことたま)のことを一音で霊(ひ)とも言います。日本語はその霊が集まり、活動する(霊駆[ひか]り)、即ち光の言葉でありました。

聖(ひじり)の集団の代表者、統領をアマツヒツギスメラミコトと呼びます。アマツヒツギとは人間の心の先天構造を解明した言霊の原理を継承・保持する、の意であります。スメラミコトとはその保持する人間の精神の最高原理に基づいて、世界人類の心を統一する人、の意です。日本列島を根拠地とするアマツヒツギスメラミコトの世界統一の事業は、光が闇を消して行くように容易に進展して、世界全体が光に満ちた、平和で心豊かな精神文明の時代を形成するのにそう長い日月を要しませんでした。スメラミコトの位は代々その霊統ある人が受継ぎ、そのスメラミコトの君臨する日本の朝廷は霊の本(日本)として世界の精神文明の中核となり、約五千年にわたる人類の第一精神文明時代が続いたのであります。

精神文明時代の終りに近い頃、世界の人々の眼が、その時まで長く人間の内面の心の方に向いていた関心の眼が、漸く人間の外面、物質世界の方を向くようになって来ました。人類の第二物質科学文明時代の始まりです。今より三千年前のことであります。世界に湧き上がる客観世界への関心の高まりを無視せず、これを人類の第二物質科学文明創造へと結びつけるべく、日本朝廷に於いても、物質科学研究を促進するために、第一精神文明の中核であった言霊布斗麻邇の原理を方便上社会の表面より隠すことを決定します。天皇と三種の神器との同床共殿制度の廃止の決定でありました。これによってスメラミコトの自覚の下に第一精神文明時代の世界統一と精神文明創造の根本原理であった言霊原理は、その後天皇の自覚を離れ、伊勢神宮に祀られる神として、天皇始め日本全国民の信仰の対象として崇められるようになったのであります。神倭皇朝第十代崇神天皇の時のことであります。

この時以後、言霊原理の自覚に基づき、政治の全般を統率する天皇はいなくなりました。言霊の原理は信仰という菊のカーテンのベールの向(むこう)側の「なんだか分からぬが尊く威大なもの」、西行法師によれば「何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という感情を以って対するものとなりました。そしてその「尊く、威大なもの」を祭る大神主としての歴代天皇は、その神力を一身に集めていらっしゃる唯一人の人、即ち現人神として、これまた国民の信仰の対象としての尊敬の的となったのであります。この天皇の国家の地位を定める掟として編纂されましたのが、古事記・日本書紀の天照大神を最高神(皇祖)とする神話であったのであります。(記・紀は謎の片面として言霊原理の教科書であり、表面として現人神天皇の地位を定める明治憲法の原本でもありました。)

以上、日本皇室と言霊原理との関係についてお話して参りましたが、この神器の同床共殿の廃止による変化は皇朝ばかりでなく、日本の国民にとっても大きな変化をもたらすこととなりました。それは日本の国民が、自らの国柄の真実と同時に、自らが日頃使っている日本語の起源についても、またその日本語が一度それを聞く時、物事の真実はその言葉の中に明らかに示されていて、余す所がないのだ、という重要な事実についても忘却してしまったことであります。十七の空相音と三十二の実相音によって造られた、かけがえのない真実を示す日本語と、それを使用する日本人の言語意識との間のギャップが大きく広がったことであります。私達日本人が日常使用する言語の中から「光」が消えてしまい、真実の光が言語の奥に潜在化してしまったことであります。真実と言語とのギャップは今日まで続いています。日本の国民の全体がこのギャップの総清算を迫られている時代が近づいていると申すことが出来ましょうか。

人類の将来を占う為の三つのキイ・ワードの中の第一である日本の皇室並びに日本国民を、民族の精神生命である日本語の本質、即ち言霊の原理から見詰めて来た結果は、皇室に於いては「天皇空位」であり、日本民族は真実の自我、アイデンティティーの喪失の状態ということが、その答えとなって出て来たことになります。

第二のキイ・ワード ユダヤ民族

話をユダヤ民族に移しましょう。ユダヤ王モーゼが竹内文献に載るのは鵜草葺不合皇朝六十九代神足別豊鋤天皇の章に於いてであります。

ユダヤ王モーゼ来る。天皇これに天津金木を教える。モーゼ故国に帰るに当り、天皇みことのりして曰く「汝モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ。」)(または「汝モーゼ、汝とその子孫はすべての国の人々の守主(まもりぬし)となれ。」)そしてその上でモーゼに「子々孫々、世の人を導きて物質科学文明を建設し、その力を以って世界の国々を再統一せよ」と命令したと推察されます。

右の天皇の言葉を聞かれて、読者の皆様はどう思いますか。一人の人間、または国王に「かくせよ……」と命令し、その命令通り三千年という長い間、その命令が命令された人の子々孫々に受け継がれ、今日に到るまで守り継がれるような事があるとお思いになりますか。またその命令が果たされる三千年の間、全世界の人々の心中に信奉する神が「モーゼ、汝一人だけなのだよ」と断定することなど出来るとお思いになれましょうか。「とても信じられない。馬鹿げた憶測だ」と思われるに違いありません。けれど、言霊学という人間精神の究極の構造を解明した学問に立脚し、その構造の中の言霊ウの次元の内容とその内容の自覚・運用法を身に体得した人には、それが可能であることを神足別豊鋤天皇はユダヤ王モーゼに教えたのです。

神足別豊鋤天皇がモーゼに授けた天津金木とは、言霊学のアイウエオ五十音天津金木音図の原理そのものではなく、その音図の原理をヘブライ語の子音と数霊(かずたま)と組み合わせた法則に脚色したもの、即ちユダヤの謂う「カバラ」の原理のことだと推察されます。この原理はその内容を理解し、運用・活用の能力ある者に受け継がれて行きました。旧約聖書をご覧下さい。モーゼ以後、列記された予言者は皆霊能者であり、カバラの活用者であり、国の王、またはそれに近い位にあった人々です。モーゼ以来、その霊統は三千年余を途切れることなくカバラ運用者である予言者に受け継がれて今日に及んでいます。彼等は社会の表面に決して姿を現わすことなく、影の予言者であり、三千年の世界の歴史を創造する王の王、キング・オブ・キングズなのであります。

彼等予言者の中からいくつかを選び、その予言を書き記し、彼等の現世界に於ける将来を占う参考にすることにしましょう。

「これらのもの声をあげてよばはん ヱホバの稜威(みいづ)のゆえをもて海より歓びよばはん この故になんぢら東にてヱホバをあがめ海のしまじまにてイスラエルの神ヱホバの名(みな)をあがむべし われ地の極(はて)より歌をきけり いはく栄光はただしきものに帰(き)すと」(イザヤ書第二十四章十四節―十六節)

「彼は海の間において美(うるは)しき聖山に天幕の宮殿をしつらはん然(され)ど彼つひにその終(をはり)にいたらん之を助くるものなかるべし その時汝の民の人々のために立ところの大いなる君ミカエル起あがらん是艱難(これなやみ)の時なり国ありてより以来(このかた)その時にいたるまで斯(かか)る艱難ありし事なかるべしその時汝の民は救はれん即ち書にしるされたる者はみな救はれん また地(つち)の下に睡(ねむ)りをる者の中衆多(うちおおく)の者目を醒さんその中永生(かぎりなきいのち)を得る者ありまた恥辱(ちじょく)を蒙(こうむ)りて限りなく羞(はづ)る者あるべし 穎悟者(さときもの)は空の光輝(かがやき)のごとくに耀(かがや)かんまた衆多(おほく)の人を義(ただしき)に導ける者は星のごとくなりて永遠にいたらん ダニエルよ終末(をはり)の時まで此言(このことば)を秘し此書(このふみ)を封じおけ衆多(おほく)の者跋渉(ゆきわた)らん而(しか)して知識増すべしと」(ダニエル書第十一~十二章)

もう三十年も前になりましょうか。東京新宿で日本・ユダヤ親善の日猶協会の主催の講演会を聞く機会を得て、私とは既に知人の仲にあったラビ、マービン・トケイヤー氏の講演を一時間半にわたって聴いた事がありました。その講演の中でラビは日本も昔はそうであった如く、ユダヤ民族は今でも宗教の祭と政治の政(まつりごと)が一致した祭政一致の国柄であり、政治と宗教とは切っても切れない間柄となっている国家である、と強調していたことを思い出します。今、ユダヤの祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)との一致とは、日本から伝えたカバラの原理が基礎となっていることに思い当たります。ラビ、トケイヤーは「日本は敗戦以後は祭政一致の理想を捨ててしまったが、ユダヤにあっては今なお祭政一致であり、その制度によって宗教と政治と教育等が一つの方針の下に行われていることを誇らしげに話を進めていた事を思い出します。ユダヤ民族こそ世界で唯一つのこの美風の上で国家、民族が生きている事を言いたかったのでありましょう。この事からユダヤ民族の中での予言者といわれる人の国家における重要な位置について想像が出来るのであります。

ここでユダヤ民族に委嘱された二つの使命、人類の第二物質科学文明の完成と世界各国の統一の事業の現状について検討してみましょう。人類文明始まってこの方、物質科学の発展が今日程目まぐるしい時代はなかったでありましょう。文字通りの日進月歩の速さで、息つく暇もなく変革に次く変革が続いています。進歩を代表するIT機器などは、新発売の品が数ヵ月後には旧式となり、古物化するような勢いであります。その様な進歩と並行して、資本主義の先進各国の事業所は安価な労働力を求めて工場を夫々後進国に移し、その結果、今までの後進国は急速な経済発展に潤(うるお)い、その結果が更に大気汚染、地球温暖化の進行速度を早めています。昨今、今更の如く、新聞各紙は北極の永久凍土の氷が溶け始め、その影響のための被害が各地に起こり始めている現状を報道しています。物質科学の今後の発展は、物質科学研究だけの分野では進行出来ない事、発展の近い未来に暗雲が漂っている事に目を向けない訳にはいかない状況となりました。

もう一つのユダヤの使命、世界の再統一の事業の現状はどうでしょうか。アメリカは世界の国々の多くの反対を押し切って、「大量破壊兵器保有国イラク」に侵寇し、約一ヶ月で全土を掌握しました。けれどお目当ての大量破壊兵器は発見できませんでした。その後のゲリラの果てしない自爆攻撃を受けて、他国ばかりでなく自分の国の国民からも早々の撤退の声が挙がっています。この戦争で一番ひどい目に合ったのは戦土となったイラク国民です。そして二番目に「こんな筈ではなかったが」の思いをさせられたのは侵寇したアメリカ、そしてその統領ブッシュ氏ではなかったでしょうか。大統領への支持率の低下、政府の国庫赤字の増大、喜んでいい結果は余り見つからない現状の中で、アメリカをそそのかし、軍事力の全機能を挙げてイラク全土を占領させ、その占領によってアラブ諸国が密集している中東地域の略々(ほぼ)中心にあり、また豊富な油田地帯であるイラクの土地をわが管理下に置くことに成功したユダヤにとっては、近来にない政治的勝利であったでありましょう。極めて近い将来、このイラクにある程度の平和な民主国家が出来た時、イラクを取り巻くアラブ系諸国の政治状況は大きな影響を受け、少なくともユダヤにとっての「世界再統一」のためには画期的な朗報となりましょう。そこで後に残るのは、イランと北朝鮮二ヶ国位となりましょう。

このように見て来ますと、ユダヤの使命である世界再統一の事業の終着点は既に目睫の間に迫った、ということが出来ます。始祖モーゼが神足別豊鋤天皇より委嘱を受けてより三千有余年、遂にその物質科学文明の完成と世界の再統一の事業を成し遂げて、使命拝受の国、日本に報告(かえりごと)に来る日はそう遠いことではなくなりました。その時まで、ユダヤのキング・オブ・キングズと呼ばれる予言者は、現在、アメリカ東部のニューヨーク辺りに住居して、目的達成までギリギリの努力を傾け、時来たらば居をこの日本に移し、二千年以上前、祖国滅亡後、東進し、日本に帰化し、日本民族として長い間、祖国より西進し、世界を経廻って来る兄弟を日本の地で待っている、その日本に於いて兄弟相会する為に舞上がって来ることとなりましょう。そして二千年余離れ離れになっていた兄弟相たずさえて「聖なる山の麓に神の幕屋を建てて」喜び勇むことでしょう。

何故ユダヤはその使命終了後、日本へ来ることを願うのでしょうか。それは勿論彼等の使命が日本の天皇から授かったものであり、三千年にわたる苦労の末に成就した使命の完了を持って、彼等の使命即ちその魂の故郷である日本に報告するためであります。と同時に、彼等はもう一つ、日本へ来る事に一つの期待を抱いている為ではなかろうか、と推察出来ます。その期待とは次のようなものであろうと推測します。先にお話しました如く、ラビ、トケイヤーはユダヤも日本も昔は祭政一致の国であった。けれど日本は敗戦によってその原則を失ってしまい、今はユダヤだけがその栄光を戴いている、と誇らしげに話すその裏で、祭政一致の原理を象徴する三種の神器、ユダヤで謂う三種の神宝が、ユダヤ王ソロモンの時、既に契約の箱の中に姿がなく、失われてしまっており、逆にその神宝に当る三種の神器(鏡・珠・剱)を日本の皇室が今尚保持している、という事実に限りないコンプレックスを持っているということでありましょう。

彼等ユダヤが世界の中にあって常に不敗である原理カバラ、旧約聖書にあるヱホバの言葉「我は戦いの神、ねたみの神、仇を報ずる神なり」が示すごとく、戦争や競争に際して必ず勝つ原理であります。それはカバラの原本、日本の言霊学に於ける言霊ウ次元の心の働きに於いて、その父韻「キシチニヒミイリ」(カサタナハマヤラ)の内容を検討する時、戦争に於いて、商売に於いて、一切の競争に於いて絶対不敗の心の持ち方の原理であることが分かります。ユダヤはその原理を授かり、三千年の間、その原理の下に使命の遂行に当り、終に彼等の使命の全般の成就直前の所まで辿り着きました。彼等は三千年を不敗の過去として振り返りながら、その栄光への自信を深めていることでしょう。と同時に自らの使命達成の暁には、彼等の精神秘宝であるカバラの性能が一応そこで終了することをもう薄々感じとっているに違いありません。カバラは戦いに不敗の原理です。けれどすべてを打ち負かした後の、敵がなくなった後の、平和を永続させるべき原理ではないのです。彼等は彼等の使命完了の後の、即ち次の世の中の確実な保証が自らにはないことに気付かないはずはありません。昨年、イスラエル大使が四国の剱山に登った、という話を耳にしました。剱山は失われたユダヤ三種の神宝の中のアロンの杖が隠された所だと昔から伝説されている土地です。ユダヤのキング・オブ・キングズは第二世界物質科学文明成就の自信と成就以後の自らの運命への不安と期待を胸に、彼等の魂の故郷日本への上陸の時を窺っている、それが第二キイ・ワード、ユダヤの現状であります。

日本と世界の歴史 その十三

人類の第二物質科学文明の終了の時となり、新しい人類の第三文明時代を創造するための重要な三つのキイ・ワードを取り上げました。それは第一に日本皇室、第二にユダヤ民族、そして第三に当言霊の会の現在の状況であります。この中、先々月と先月の会報に於て第一と第二のキイ・ワードについてはお話いたしました。そこで今月は第三のキイ・ワードである当言霊の会の現状についてお話を申上げることといたします。

このように申しますと、「第一の日本の皇室は伝統数千年といわれている。第二のユダヤ民族の予言者についても数千年の歴史があることが分かっている。それに比べて言霊の会は創設されて十数年、明治天皇から始まったという言霊学の復興の運動といった処で高々百年、何とも心細い限りではないか」とお思いになる方が多いのではないでしょうか。その事については「全くその通りなのです」と言わざるを得ません。月にわずか百数十部の会報の発行、月一回の言霊学講習会は公共施設の区民館会議室を借り、細々と活動している当言霊の会は自慢したくも仕様のない小さな会なのですから。

けれども、有形な財産の何もない当会なのですが、若し人がいて、その人が当会の発行した三冊の書籍と、会創設以来続いている二百十数号に及ぶ言霊布斗麻邇の原理の研究会報「コトタマ学」をお読み下さり、「此処はどうも納得し難い」という箇所はお尋ね頂き、トコトンお話合い下さるならば、「コレハ、コレハ」と驚嘆の声をあげられることとなりましょう。当会は以前より伝わる習慣で「値なくして授かったのですから、値なくして与えよ」のささやかな警めの下に、積極的に人を集めることも、金を集めることもなく、この学問を以って何かの価値を得ようともせず、いずれこの学問が人類の為に役立つ、とお考え下さる公共の方が出現すれば、喜んで学問の真実をお伝えし、当会自体は「わが事終えり」と巷間の中に姿を消すこととなりましょう。この学問は欲をかくことと関係のない、欲得では理解することが出来ない、仏説法華経の所謂「価値(あたい)は三千大千世界(宇宙)なり」(提婆達多品[だいばだったほん])という人類の秘宝なのであります。……第一の日本の皇室の存在も、第二のユダヤの予言者の行為も、実はこの言霊の学問と深い関係があることなのです。

さて、第三のキイ・ワードの言霊の会について最初に結論を披(ひら)けかしてしまったようでありますが、その言霊の会が如何様に日本の皇室とユダヤの予言者との歴史的出合いとなり、その行末がどのように展開して行くのか、をお話して行くことにしましょう。

先に説明しました如く、最初に言霊の学問の存在に気付かれ、復興の仕事を始められたのは明治天皇御夫妻でありました。時は十九世紀の終わりの頃であります。その頃、物質科学の世界にも人類文明の発展に重大な意味を持つ事となる科学的発見が成されています。放射性物質の発見です。この発見が長い物質科学の研究の中で、物質の先験的構造の研究の始まりを意味したことと言うことが出来ますが、丁度同じ頃、人類の心の中の文明創造の歴史に於ても、二千年近い昔に封印された言霊の学問、即ち人間の心の先験構造を明らかにする学問の中の天津磐境(いはさか)の原理について復興の燈火がともった事は重大な意義があったと思われます。この時を一にする心と物の両分野の同時発見は、人間の顕在と潜在の意識の法則であると同時に、人類歴史に於ける皇祖皇宗の御経綸の成さしめる業であったでありましょう。この事実は、現在社会に於ける心と物との両分野の相互作用の面で参考になる現象であります。

三千世界 一度に開く梅の花 梅で開いて松でおさめる神の国が来るぞ<

いろは四十八文字で世を治めるぞ

以上のお筆先は皆言霊原理による世界の政治が始まる事の予言でありますが、神懸かりはそればかりではなく、言霊学の内容に立ち入って、冠(かんむり)島の神事(天之御柱)、沓島の神事(国之御柱)等々の神事を女史自身の行として言霊の学問が今に世の中に出現することを予言しています。また日本皇室の前途について「世の建替え、建て直し」の神懸かりによって深い洞察の予言をしております。現在までの日本皇室の変遷を見る時、驚異的予言であったと思われます。

ここで、明治天皇御夫妻の言霊学(言の葉の誠の道)の復興の御仕事以来、今日までの経緯を簡単に辿ること ノしましょう。明治天皇御夫妻の研究のお相手をしました山腰弘道氏、その子明将氏の筆によって見ますと、その研究の根幹は宮中三殿の中の賢所に保存されていると推察される、古事記の神話の「言霊百神」と言霊五十音との照合の記録であります。平易に申しますと、天の御中主の神=言霊ウ、高御産巣日の神=言霊ア、神産巣日の神=言霊ワ……」という神名と言霊との組合せの記録が賢所に秘蔵されてあった、という事実であります。神代と古事記に記された大昔、既に布斗麻邇として発見されていた言霊五十音の原理はこの五十神と五十音の組合せによって成立します。この組合せは五十個数の五十通りの組合せという尨大な組合せの中から唯一得られるもので、二人、三人の人が生きている内に完成させることなど不可能なものであり、この組合せこそ大先祖の日本人の現代の日本人である私達子孫への最高・唯一の贈物であったと言うべきものでありましょう。言霊学の復興はこの記録の発見の上に完成されたわけであります。

聞き知るはいつの世ならむ敷島(しきしま)の大和言葉(やまとことば)の高き調べを(明治天皇)

敷島の大和言葉をたて貫(ぬ)きに織る倭文機(しずはた)の音のさやけさ(昭憲皇太后)

両陛下の右の御歌を見る時、完成された理論には到らないでも、両陛下の感性は、言霊原理によって構成された日本語の素晴らしい創造性の美を感得なさっていらっしゃった事が窺えるではありませんか。

言霊学復興の仕事は明治天皇から次の大正天皇には伝わらず、研究のお相手をした山腰弘道氏の次男、山腰明将氏に伝わりました。この学問研究がこの時、一端天皇家を離れ、民間に移った事は、今になってみると、重要な意義があったことに気付くのであります。その事については後程お話申し上げることといたします。

山腰明将氏が言霊布斗麻邇の学問について如何なる方法でその復活を計っておられたか、は明瞭には聞いておりません。先師小笠原孝次氏の話によれば、弟子達の質問に対して山腰氏は「君達に言霊学の詳細を説いても余り意味がない。何故ならこの学問は天皇御一人のみが体得・自覚する学問なのであり、私は時が来れば陛下に御報告(復命[かえりごと])申上げるために勉強している。折角の質問だから少々はお話しよう」というのが常であったようです。ただ氏の勉学の集大成とも言える一冊の手刷りの本があります。題は「言霊」。講述者は山腰明将氏、筆記者は私の先師、小笠原孝次氏。時は昭和十五年三月。日米英の太平洋戦争が不可避と思われていた時、何とか戦力において劣勢な日本が精神的な国家・民族の力を引き出そうとして、日本肇国の基礎であり、日本語の語源である言霊学の復興に務める山腰氏の話を聞いてみることにしようという内閣の希望により、時の大臣、陸海軍の大将・元帥、それに警視総監等が東京築地の海軍将校の社交場であった水交社に集まり、昭和十五年三月二日より十週間、十回にわたり開かれた山腰明将氏の「言霊」と題する講演会の記録であります。筆記は小笠原孝次氏がその任に当った、と先師御自身から聞きました。

この講演記録を読めば直ぐに気付くことですが、山腰氏の講演は、その気概天を突くの勢があり、素晴らしいものであったことが分かります。その趣旨は主に日本語の音韻学に裏付けられた説明で、古事記の言霊百神の原理を解説したものでありました。ただ残念なことには、音韻学という人によく知られていない学問を基盤とした解釈でありましたから、その啓発は飽くまで理論的領域の中に留まり、日本国の、また日本民族のための政治、国際問題の解決という実際問題に応用することまでには理解を得られずに終ったことであります。その結果、日本は無謀な戦争に突入し、昭和二十年八月、全面、無条件降伏に終ったのであります。

大東亜戦争敗戦後、山腰明将氏御自身、並びにその研究に大変な危難が襲いかかります。敗戦後数年して氏は占領軍のジープの自動車事故により肝臓破裂で急死されたのです。その上、氏の遺された尨大な言霊研究資料が火災によって全部焼失したことであります。山腰明将氏の一番の弟子と目されていた先師小笠原孝次氏の悲歎は言葉に尽くせないものであったようです。「師の急逝を悼みながら、茫然自失、自分が生きているのか、死んでいるのか、分からない状態で一ヶ月が過ぎました」と私に話して下さったことを覚えています。その一ヶ月の後、先師は猛然と立ち上がります。「師の死と研究資料の焼失を目の前にして、何が何だか分らなくなった自分は、一ヶ月が経って漸く気をとり直すことが出来ました。資料焼失とはいえ、今此処に山腰氏の「言霊」と古事記の神話が残っている。言霊学が人間の心と言葉の全貌をとらえた究極の学問だ。というからには、自分の生命そのものだ、という事だ。ならば、自分自身の心の深奥を明らかにするならば、必ずや古事記の神話の領域に出合うに違いない。日本と世界人類の将来はこの無力の自分の努力に懸かっているのだ、と思いました。自分は古事記の所謂「天地の初発の時、……」とは何か、を坐禅によって突き止めようと、第一歩から始めようと決意しました。……」

かくて師の東京、多摩川畔の坐禅が始まりました。昭和二十六・七年頃のことであります。(会報六十六号中の随想「釣糸」参照)そして師は昭和二十八年、禅宗坐禅の「色即是空、空即是色」の問題を完全に解決し、それによって古事記神話の冒頭の一節「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神(言霊ウ)……」の天津磐境の中の言霊五母音の宇宙剖判を理解・自覚することが出来たのでした。

神倭皇朝十代崇神天皇が天皇と三種の神器との同床共殿の制度を廃止し、日本に言霊学を自覚して政治を行う天皇がいなくなって以来二千年、自分自身生身(なまみ)の心の中に言霊の存在を確め得た地球上第一番目の人に先師はなった訳であります。師は自分の心の中に言霊の存在を確認する作業に成功した初めての人となりました。宗教や哲学の用語によって言霊を考え、説明することは出来ます。けれど生きた自らの心の中にその存在を確め得て、初めて自覚認識の完成ということが出来るでありましょう。研究資料全部の焼失という逆境がもたらした逆転満塁ホームランでありました。先師の古事記百神解義の仕事は常にこの自身の心の中に求める着実な方法に貫かれ、成果を挙げて行きました。

先師の零(ゼロ)からの洞察が、歴史の渾沌を見事に判断、解決した一例をお話しましょう。

昭和天皇は敗戦の翌年一月、人間天皇宣言の詔勅を出されました。「古事記・日本書紀の神話と日本の皇室とは関係がない」と言い切ったのでした。皇室に関連して皇祖と言えば天照大神のことでありました。その永い間続いた皇祖皇宗から連綿と受け継がれた天皇位について、仏説の正法・像法・末法の話をしました。その国柄を、古事記・日本書紀の神話の否定という形で御破算にしてしまいました。その結果、天皇位は正法、像法の時代から末法時代に転落してしまいました。端的に表現すれば天皇空位時代となりました。この事に関して先師は次のようにお話されました。

「天皇御自身が宣言された以上、綸言汗の如し、といわれるように、訂正は出来ません。ですから、敗戦までの現人神(あらひとがみ)としての天皇に帰ることは今後は出来ないことです。とすれば、天皇位は今の如き根無し草の象徴天皇が続くか、または言霊原理の昔に立ち返り、人類の第一精神文明時代の天皇の如く、世界の政治を自らの責任に於て親裁することが出来る権威を備えた天皇となるか、でしょう。そのように広大な目でみることが出来るなら、宣言の中の古事記・日本書紀の神話の否定は意義がないわけではありません。日本敗戦の時まで、「古事記を説く者は死す」といわれ、古事記神話を個人的に説くことはタブーとされて来ました。古事記の内容を表徴する器物は皆皇室の秘物に属し、天皇位に関係しないものはないためでしょう。古事記と皇位との関係の否定は本来悲しむべきものですが、皇祖皇宗の御経綸如何の目から見るなら、その関係の天皇御自身による否定は、古事記の皇室独占の束縛を否定したこととも受取ることが出来ます。今や古事記の神話は皇室の秘事(ひめごと)ではなくなりました。解禁されたのです。呪縛(じゅばく)から開放されたと言ってもよいでしょう。全世界に向って扉が開かれたわけです。志ある者は自由に古事記神話を通じて言霊学の深奥に入り込むことが出来るのです。言霊学復興の速度は今後一段と進むことでしょう。」

私が先師、小笠原孝次氏の所へ教えを請うてお尋ねしたのは、確か昭和三十七年、東京オリンピックの年より前のことでした。その時、先師の著書は一冊もありませんでした。すべてはお尋ねして、お話をお聞きする勉学でありました。その時より二十年、先師の自らの心に問う言霊学は深さと広さを増し、著書も「古事記解義、言霊百神」「第三文明への通路」「言霊精義」「言霊開眼」「世界維新への進発」「神道より見た禅宗無門関」、その他パンフレット多数、と次々に発行されました。昭和五十七年十一月、先師はなくなられる一ヶ月前、私に後事を託され、秋の空の美しい日の正午過ぎ、東京幡ヶ谷の病院で逝去されました。七十九歳、あと二ヶ月少しで八十歳となる時でありました。私が五十七歳の時であります。

先師がなくなられて五年の歳月が流れました。この間、私は二冊の本を書きました。「言霊」と「続言霊」であります。先師から後事を託され、「私が死んだら、私が貴方に教えたことはすべて忘れてください。そして貴方が自分の好きなようにやって行って下さい」と言われた以上、先師の著書をそのまま教科書として使うわけに行きません。上記の二冊は幼稚な文章でしたが、私が言霊の仕事をさせて頂く心構えを確認するために書いたつもりです。書けてみますと、先師が「後を頼みますよ」と言われた「後」とは、主に二つの事があるのに気付いたのでした。一つは言霊原理を世の中に知らして行きながら、皇祖皇宗の原理に基づく世界文明創造の現在と将来を、原理によって目覚めた眼によって常に見据えて行くこと。もう一つは、先師が言霊百神の本の中で(二三七頁、七行~八行)、後から来る人に宿題として遺した言霊原理の完全復興の問題であります。即ち古事記、禊祓の行の中の奥疎(おきさかる)神、奥津那岐佐毘古(おきつなぎさひこ)神、奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)神以下の神名が指示する心の働きの内容の解明のことであります。以上の二つの仕事を私に課せられた宿題と思いつつ、昭和六十三年「言霊の会」を創設し、現在に到っているのであります。お蔭様にて懸案でありました禊祓の精神構造も略々解決し、覚めた眼で世の中の実相を見詰めながら今、此処に第三のキイ・ワードの「言霊の会」の現在を物語っている次第なのであります。

懸案の奥疎神以下六神の神名で示される心の動きの解決に約七年の年月を要しました。更にその後の禊祓の中の十四神名の解決に十年を費やしたのであります。何とも気の長い話のように聞こえるかも知れませんが、その十七年間は「あっ」という間の十七年でありました。疑問に答えてくださる先師は既にこの世になく、質問を出すのも自分、その疑問のすべてに答えるのも自分しかいません。幾度絶望のドン底に落とされたか、分かりません。その都度、気を取り直し、太安万呂氏のかけた謎々の向うにある真相に迫って行く努力の連続でありました。その解決の鍵は生き通しに生きている「神であり、同時に人である、人間」の今・此処に出合うことであります。禅で謂う「一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち今の如し」です。自分の出す問いに生き通しの自分が答えてくれます。疑義を提出するのは現在の私、それに答えてくれるのは二千年以上前の私、と言った具合です。この質問と応答の作業の中で、私は完全に人は死なないのだ、という事実を知らされました。

平成十五年に入り、私は請われるままに「大祓祝詞の話」と題して神社神道で称える大祓祝詞を言霊原理によって解説する話を始めました。哲学とか信仰の書は、それを平易な口語文に直そうとすると、言葉の平易なると同時にその内容が原文の厳正さから離れてしまい勝ちであります。私は大祓祝詞の文章の難解さを平易な文章に改め、しかもその内容が曖昧になることを避けようと注意しながら、話を進めて行きました。講習会での話は八回、八ヶ月かかりました。その話が、私のもう一つの課題である言霊原理完全復興への転機となりました。毎度お話することですが、言霊のことを一字で霊とも呼びます。言霊は今・此処に存在し活動しています。霊が走る、霊駆る、が「光」の語源です。大祓祝詞の中で突然の如く頭の中を横切った「光」の言葉が、永い間求めてきた言霊原理を綜合する頂点のキイ・ワードとして飛び込んで来たのでした。感激で呆然とする思いだったのです。

古事記の禊祓の後半の文章の一部を引用しましょう。

ここに詔りたまひしく、「上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は弱し。」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕(お)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)神。次に大禍津日(おほまがつひ)神。この二神(ふたはしら)は、その穢(きたな)き繁(し)き国に到りし時の汚垢(けがれ)によりて成りませし神なり。次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほび)神。次に大直毘(おほなほび)神。次に伊豆能売(いづのめ)。……

詳しい説明は後に譲り、簡単に申しますと、外国の文化を吸収して、これに新しい息吹を与え、世界人類の文明に取り込む時、八十禍津日神、大禍津日神の内容では、光と闇が織り交じった、玉石混(ぎょせきこんこう)のもので不可能であり、純粋な光によっている言霊そのものが今・此処に活動する言葉(光の言葉)でなければならないことを説く箇所であります。この光の言葉の自覚という課題が現在本言霊の会に対しての皇祖皇宗の最高至上の命令であることを「大祓祝詞の話」の講話は教えて呉れたのでした。物理的な光は壁に当れば、その先は闇です。けれど心の光には障碍がありません。今、此処にいる人から光の自覚は言霊学の学びの進歩と共に大きな灯となって世界を照らして行くものなのです。時が来れば、地球が夜から朝に変わるように、人類の不幸の闇を打ち消す大きな心の灯が形成される日は極めて近い、ということが出来ます。

世界を転換させる三つの重要な「現在」のキイ・ワードの第三、言霊復興に尽力した人々の心の流れをお話して来ました。そして、三つのキイ・ワードを一つにまとめる「光の言葉」に辿り着きました。この光の言葉が実際に三つのキイ・ワードをまとめて行くのか、は次回にお話申上げることにしましょう。

日本と世界の歴史 その十四

人類の第一精神文明時代、それに次ぐ第二の物質科学文明時代の一万年の歴史が、ここに於て大きく転換して、人類の第三文明時代に入ろうとする時、その第三文明創造という重大な使命を担う三つの存在――日本の皇室、ユダヤ民族の予言者、それに言霊の会が如何なる状態にあるか、をお話して来ました。そこでこの三つの存在とその働きがお互いにどの様に絡み合って行くのか、その先に何が見えるようになるのか、が今月号の話となります。

このようにお話を進めてまいりますと、賢明な読者の中には現世界の成行とそのゴールとを推察される方もいらっしゃることと思いますが、しかし、これよりお話申し上げる日本と世界の動向は小説家が好き勝手に書く歴史小説でも、新聞記者のスクープでもありません。また霊能による「当るも八卦、当らぬも八卦」的な占(うらない)でもありません。人類の文明創造という意図により、「人の心とは何か」を完璧に自覚・表現したアイエオウ五十音言霊の原理に基づく皇祖皇宗の御経綸から見て「必ずこうなる」という宣言であります。人間に与えられた精神の全機能を以ってまとめ上げられた、計算し尽くされた結果であります。この事に関して、歴史の予言というものが如何なるものなのか、を御理解頂くために当会発行の「古事記と言霊」の後編「歴史編」の「歴史創造の心」の一説を引用することといたします。

『度々言うことであるが、世界の各地でてんでばらばらに営まれる人々の行為の合計がそのまま世界の歴史であるのではない。天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)の文明創造の経綸即ち人間を人間たらしめている言葉の限りなき発展が人類の歴史である。それ故に天津日嗣である、人間という種(スピーシー)の究極の精神原理である布斗麻邇の自覚に立つ時、言い換えるならば人間精神の実在体であるアオウエイ五母音の重畳する構造を確認し、その実在より発現する諸実相の色相変化の原律である八父韻の認識を完成する言霊イの創造親神の立場に立ち、言霊アである大慈悲の心より人類の歴史を見る時、我とは人類であり、人類の歴史とは我の歴史に他ならず、それ故に世界の歴史の流れの中で、過去にあり現在に起りつつ歴史現象のすべては、永遠の生命を享け継ぐ我自らが“そうあれ”また“かくあれ”と決定し創造し来ったものであることが明らかに了解されるのである。それ故にこそまた世界人類のすべての声を自己の生命全体で聞き、これに新しい生命の息吹を与えて言霊原理に則り“かくあれ”と決定し宣言し、その如く実現することが可能である。宣言は当為であり、宗教に於ける基本要求などではないからである。以上の如き世界歴史経綸の大慈大悲の心を天津日嗣の大御心と呼ぶのである。』(「古事記と言霊」三四六~七頁)

前書が長くなりました。結論に入ることにしましょう。第二のキイ・ワードであるユダヤが意図する世界の国家、民族の再統一とは具体的に言うとどういう事なのでしょうか。簡単に表現すれば政治体制に於いては世界民族の民主政治化であり、経済的に言えば、全国家が一経済圏としてまとまることであり、また全国家の報道の自由化でもある。とするならば、ユダヤの全世界統一の事業は略々完成に近づき、残るのはその仕上の仕事だけということが出来るでありましょう。イラクは内紛は残るものの以前の独裁国家に戻ることは有り得なくなりました。イランは新しい大統領が民族の自主性を煽っていますが、その勢いは先が見えています。北朝鮮は中々頑張っていますが、中東情勢が沈静化すれば、唯一国家だけでは、世界の流れにそう長い間反抗し続けては行けなくなりましょう。人口十三億人の中国は最近の経済発展の勢いに乗って世界の中の“中国“の夢もう一度と張り切っていますが、一たび染み込んでしまった経済という名の“蜜“の甘さは何処までも付きまといますから、その内に全世界の経済の渦に巻き込まれて行くことは逃れられぬ所でありましょう。

このように見て来ますと、物質科学の完成の成果を利用したユダヤ民族の世界再統一は完遂間近であり、その見極めまでに左程の長年月は必要としないでありましょう。そして、ユダヤのその使命の仕上げの時間の中で、第三のキイ・ワードを冠した「言霊の会」では果たさなければならぬ仕事が一つ残っています。それは何か。明治天皇以来、諸先輩による言霊布斗麻邇の学問復興の研究・努力によって不死鳥の如く甦った言霊学の全貌を、現天皇並びに皇室に報告申し上げねばならないことであります。これを古神道で復命(かえりごと)と申します。

第二のキイ・ワードであるユダヤが人類の第二物質科学文明を完成し、近い将来、その物質科学の成果によって世界の再統一を完遂した暁、彼等に課せられた使命の完了を報告するために日本に上陸して来たとして、日本の何処へ行くか。それは彼等の始祖モーゼにその民族三千年の使命を委託した日本の神足別豊鋤天皇より続く皇統を継承する日本の天皇の所より他には有り得ないことでありましょう。そこにはユダヤがその使命を委託された根本原理である言霊布斗麻邇の象徴「三種の神宝」―― しかも彼等の手には既に失われている ―― その神宝と同意義の三種の神器(鏡・珠・剱)が厳然と保持されている日本皇室の所へ来るに違いありません。

「形而上を道と謂い、形而下を器と謂う」(易経)とあります。ユダヤが彼等の三千年の成果を引っ提げて日本皇室に報告に来るとしても、その日本の皇室には、三種の神器の形而上の「道」はなく、ただ形而下の器があるにすぎません。日本の天皇も、皇室の何方(どなた)も、宮内庁の祭官の誰一人としてその「道」の如何を知らないのです。これではユダヤ三千年の労苦の成果に対して報いる何らの術(すべ)を持たないこととなります。彼等の功績を労(ねぎら)い、彼等の魂を浄(きよ)め(これを最期の審判と呼びます)、その上で彼等に新時代に於ける新しい役割を与えることは不可能でしょう。三千年にわたる予言者歴代の労苦によって人類の第二物質科学文明を完成させ、その成果によって世界各国を再統一し、任務の完了を報告するために始祖の魂の故郷である日本に上陸することはユダヤの仕事です。彼等を迎え、受け入れて、その永年の労を讃え、その上で彼等の奉持するカバラの原理は生存競争時代にのみ有効な原理なのであり、これより迎える新文明時代には用のないものであることを率直に伝え、生まれ変わって新しい真理を会得するよう指導し、その上で新しい任務を与える事は日本民族の使命であります。

さて此処で一冊の本を取上げてみることにします。「宮中賢所物語」(ビジネス社発行)と表題にあります。宮中三殿、即ち賢所、皇霊殿、神殿の三殿に五十七年間御奉仕し、この度退任された高谷朝子さんという御婦人が自分の体験を物語った本であります。今まで菊のカーテンの向う側にあって、決して国民に知らせることのなかった場所の中の奉仕の仕事が明らかにされた事は皇室の“平民化”の現われでありましょうか。一女官の体験記でありますから、宮中三殿の構造とか、祭祀の内容、またそこにどのような祭器があるか、等のことは何一つ語られてはおりません。けれど一読して明らかに知ったことは、昭和二十一年、昭和天皇が「古事記・日本書紀の神話と日本皇室とは何の関係もない」と現人神(あらひとがみ)天皇という立場を放棄された後も、日本古神道に基づく神道信仰の一切は以前そのままに踏襲され、天皇家の信仰として継承され実行なされている、ということが確認されたのであります。とするならば、「宮中の“特別な場所”」といわれる賢所に昔から保存されている種々の器物や記録も、昔そうであった如く秘存、保管されてあると言ってもよいでありましょう。これは重要な事柄であります。日本ばかりでなく全世界人類の秘宝であるアイエオウ五十音言霊布斗麻邇の原理の象徴物である三種の神器の形而上(道)と形而下(器)とが、二千年前そうであった如く一体として認識・確認される可能性が出て来た事となります。これは日本・世界にとって最高に慶賀すべき事態の到来を意味します。これは人類にとって一切の価値観、歴史観の転換の発端となるからであります。

先にお話しいたしました如く、ユダヤが世界統一を完成・完遂するまでに、天皇、皇室または外戚の何方(どなた)かに、言霊布斗麻邇の学問を復命(かえりごと)申上げること、これが当言霊の会の責務であります。この事業が皇祖皇宗の新文明創造上の最も重要な仕事ということが出来るでありましょう。この名もほとんど知られていない小さな会が、人類の文明創造の歴史の転換・推進の鍵を握っているなどということは、全く夢の如き絵空事と思われるかもしれません。けれど歴史を転換し、更なる創造を続けて行くための主体性(鍵)をしっかりと握り、歴史創造のゴーサインのベルを押す任務は世界で唯一つ、この言霊の会が握っていることを忘れてはならないでしょう。出来得べくば、そのベルを自らの責任に於いて押し得る人が三人集まれば最上です。天の御中主の神(ウ)、高御産巣日の神(ア)、神産巣日の神(ワ)三柱を造化三神と呼ぶように、ウ<ア・ワは物事の始めであり、老子はこの事を一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず、と数霊を以って説明しています。

一人や二人、三人程の言霊学の解説者を揃えたところで、如何程の力が出せるのか、と訝る方もいらっしゃるかも知れません。しかし言霊学の自覚者の言葉は単なる言葉ではありません。言霊のことを一音で霊といいます。霊が走る、(駆る)で霊駆る即ち光となります。光の語源なのです。言霊原理に裏打ちされた言葉は心の光りなのです。人の心の闇を照らし、一瞬にして闇を消し去る力があります。二千年以前、崇神天皇が社会の表面から言霊の原理を隠没させたことによって地球上に暗黒の地獄を招来しました。ただそれだけの変化が地球上を生存競争の坩堝(るつぼ)と化しました。今度は逆にこの地球に高々と言霊の言葉の灯火を掲げれば事足ります。それが第三文明時代の幕明けとなるのです。

以上、簡単に言霊原理より見た日本と世界の歴史の将来について言及いたしました。御理解頂けたでありましょうか。前にもお話したことですが、歴史とは大自然の中に人為的な社会を打ち立てて行く道です。朝が来れば東から太陽は昇ります。誰が何と言おうが、言うまいが、太陽は昇ります。それを見ている人に関係ありません。それが大自然の営みです。けれど人間社会の歴史は違います。「こうなるよ」と人が言ったとしても、人が努力してそうなるよう務めなければ、実現しません。ですから実のところ、人間社会の歴史の将来について予言するということは愚かな行為なのです。何故ならば、「こうなるよ」と予言すれば、それを聞いた人は「あっ、そうなるのか」と受け取って、それで終わってしまうでしょう。これでは予言はしなくても同じだ、ということになります。そうなると知りながら地球上の人類の将来と日本人の使命についてお話申上げましたのは、現在迎えている人類の文明の大きな転換というものが、人類の歴史を今までの如く見立てて、それに対する態度を自ら変革する事を怠るならば、単に第三文明時代は到来しないばかりでなく、人類のこの地球上に於ける生存も危くなるという切羽(せっぱ)詰った状態に今の人類が置かれているからであります。私達がこれから建設しようとする人類の第三文明が生命文明と名付けるべき心と肉体、精神と物質双方の原理に基づく平和で豊かな楽しい文明時代であり、そのためにも声を大にして私達の主張を予言として世界中の人に伝えようとするのと同時に、若しこの文明建設に失敗するならば、人類全体の次世紀への生存の可能性が無くなることになるとの警告の意味をも持っているのです。そして人類が今までに経験したことのない危機を未然に防ぐ手段が、これまた私達が申し述べる道以外には世界に何もないのだ、ということを伝えたいと思うからでもあります。

第二文明から第三文明への転換をお話する三つのキイ・ワードとして日本皇室、ユダヤの予言者、それに言霊の会の三つを挙げ、その三つのキイ・ワードの関係を動かす主体性が第三の言霊の会にあること、その主体性となる活動の原動力が言霊の光の言葉であることをお話しました。そこで「日本と世界の歴史」の中の肝心要となる光の言葉についてお話をしましょう。前に古事記の先天図と、日本書紀の先天図の構図の違いについてお話しました。古事記は言霊学の勉学に適して母音から説き起こし、書紀は言霊学を会得した方が、その活用によって禊祓を実行するに便利なように父韻から説き起こしています。如何なる人間の思考に当っても先天十七言霊は同時活動しますから、古事記・日本書紀双方共に矛盾はありません。

さて、伊耶那岐大神は禊祓を実行するに当り、「上つ瀬(ア段)は瀬速し、下つ瀬(イ段)は弱し」と言って、立ち止まらなければなりませんでした。禊祓の実行に当り、言霊イの言霊原理をいくら振りかざしても、どうすることも出来ないと知ったからです。そのことを大禍津日神といいます。またア段でも矢張り不適当であると知りました。そのことを八十禍津日神と申します(図参照)。八十とは図の百音図から母・半母音を除いた八十現象音言霊のことです。上半分は極楽、下半分は地獄を示します。このように見ますと、この図上の行動は正しく宗教信仰の活動だと分かります。人は自らの不合理窮まる生活を反省し、自身の日常が地獄の様相だと知り、にもかかわらず、自らがこの世の中に生きていることの不思議さ、奇特さに気付き、生きているのではなく、生かされていること、自分を生かして下さる大きな慈愛の存在(神・仏)を知ることで感謝・報恩の生活に入ります。しかし、信仰の生活とは地獄がなくなり、極楽だけの生活ではありません。その途中の、地獄の自分を極楽に移そうとする努力の生活です。これでは禊祓は不可能です。光を偶に垣間見るだけです。そこで古事記は「この二神(ふたはしら)はその穢(きたな)き繁(し)き国に到りし時の汚垢によりて成りませし神なり」と告げているのです。

ではどうしたらよいのか。古事記は言霊学の教科書でありますから、禊祓の方法と同時にそれを修得する方法をも説いています。大禍津日、八十禍津日の神名を御覧下さい。大禍・八十禍の後に津日が付けてあります。大と八十の理だけでは禍で禊祓には向かないが、しかし、その行を努力して突き詰めて行く事によって光の世界に導かれるよ、と書いてあります。大禍である言霊原理をよくよく心中に五十音言霊とその動きについて刻みつけ、八十禍である地獄と極楽、短山と高山の間を行ったり、来たりしながら、自らの心を反省し、空想と実相とを見極めて行き、大禍と八十禍を徹底的に見極めるならば、その間に八つの父韻の内容を知り、人は必ずや光の世界に躍り出ることが可能なのだよ、と教えているのです。その修行の行為を「次にその禍を直さむとして成りませる……」と古事記は教えています。先師小笠原孝次氏はこの事を「光は求めなければ見ることは出来ないのだが、求めている間は見ることが出来ないよ」と教えてくれました。真相をよく知った言葉であります。

暗黒苦悩の世界に言霊原理に基づいた光の言葉が発せられる時、一瞬にしてその闇は消え、物事は納まる所に納まり、黄泉(よもつ)国の文化はそのままに世界人類の文明の中に吸収され、その使命を果たします。人類の歴史とはこの光の言葉そのものの自己発展の記録であります。百二十億光年の宇宙の彼方の星をスバル望遠鏡がとらえたと最近報道されました。人類は言霊原理に基づいて、自らの本体である宇宙全体にまたがる生命の王国を建設するために永遠の努力を重ねる生物なのです。