2018.04 古事記の冒頭は精神現象学原論。 2

続いて、以上の十七神を使いこなす実体、すなわち各自の自我が立てられます。

オノコロ島です。己の心の締まりのことです。

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。

ここに

ここに、と前段との区切りを示します。区切りといっても本質的な区切りで、前段十七神が一つのまとまりであることを示しています。先天の領域内での区分は母音世界の主体側客体側、働きの八韻そして根源韻のギミニ神です。ここからは常に全体がひとかたまりとなって先ず現れます。

天津神

天津とは先天のこと。その天津神が主語の地位にいます。自我はまだありません。ここでは伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神が自我の吾の芽ですが、受け身です。

諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、

先天神は個別ではあるが個別では何もできません。十七神全体が一つのまとまりであり、グループに別れており、そして個別でもって、子現象作りにはげむのです。つまり一人何役も言霊循環の中でこなします。

ここまでは先天十七神はいても命を告げる相手がいません。実体だけはありますが動けません。父韻という動韻が説明されましたが、動韻の実体としてで、それが働きをもって働かし働き子現象を産むわけではありませんでした。

そこで面白いことが起こります。十七神を一塊としてその中の聞き役受け役であるギミの神に告げます。その為には聞き役を創造しなくてはなりません。

前段でのギミは伊耶那岐(いざなぎ)の神、妹伊耶那美(み)の神でした。

この段でのギミは伊耶那岐の命、伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、となっています。「神」から「命」への変身を強要されています。

つまり、諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、に応答するにはやはり命をもってしないと相手とならないからです。立ち上がって歩こうとする時、歩けという命は体である身体に向けて発せられてもいうことを聞きません。身体の機能働きに問いかけなければ動きません。これが丁度神と命の関係となります。

伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

その始まりがこの二神からですが、この二神が始めるのではなく十七神の『諸(もろもろ)の命(みこと)』をもってはじまります。

正確には十七神を妹背の主体側として、ギミ神を客体側とします。

十七神にギミ神が含まれているではないかと指摘されるかも知れませんが、初めと第一周の循環後のギミ神です。

というのも先天十七神、天津十七神、はどこにいてもどこから始まっても十七の一塊を崩せない原理となっているからです。

ギミの二神は自我以前の先天自我とでもいう立場です。オノコロ(己の心)島(領域)ができて自我領域が確立していきます。ですので十七神という完璧な原理があるにもかかわらず、現象創造からは未だに何も確立されていないことになります。

「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、

自らの完璧な整合性を持った十七の原理を示せばよいものを、ここでは「この漂へる国」といっています。実は、最初の循環から意識を持った行為は完璧な整合性を持った行為ですが、それは不完全であり無秩序であり流動的です。例えば赤ん坊は生理原理原則に則ってうんちやおしっこをしますが、無秩序であるようなものです。物事の初めの姿は皆こういったものです。前にも出ましたが「国」を組んで似せると読み替えれば、それぞれの段階程度による状態の「漂えへる」比較が出てきます。

別の言葉で言えば創造的進化を遂げよと言われたわけです。では進化の段階過程はどうなっていくのでしょうか。修理(おさ)め固め成せをも古事記は示すでしょう。先回りして言えば三貴子が修理(おさ)め固め成せの完成型です。

天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。

古事記が言霊学の原理教科書だというヒントはあちこちに隠されていますがここもそうです。

沼矛は切るためや権力の象徴ではなく、舌の形をしているところから取られたものです。舌は言葉を話します。舌を動かすのはたましいです。日本書紀では沼矛の「ヌ」は「玉のことである」といっています。魂の「タマ」のことです。先天神が自らを立てるためにギミの命にたましいを賜ひて、言葉を話す実体である舌を動かすようにしたということです。そしてタマシイを動かすのは父韻です。

沼(ヌ)というのは、縫う、布等のヌです。天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひきというのは先天十七神自らを縫いなさいということです。

というのも、赤ん坊のうんちの例でも分かる通り、吾の眼を付けて智と成す初めの時には原理的には完璧であっても実体現象の創造は無秩序だからです。

十七神だけでは、実体と働きはあっても現象要素がまるでありません。そこで自らを縫い現象要素を創造しろというわけです。その縫い方の説明がマグアイです。(間の喰い合い)

この赤ちゃんの先天要素だけの音図を天津スガソ音図といいます。先天のスガスガしい素(ソ)です。

かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろ)なり。

かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、

母音半母音(アイウエオワ㐄ヱヲ)とイ段の父韻(チイキミシリヒニ)だけのアイウエオ五十音図を思ってください。両端に母音と半母音が立ちそこにイ段の「橋」がかかっています。これが「天の浮橋」です。十七音でできていて既出の先天十七の神名が対応しています。

母音側は主体原因等としての世界、半母音側は客体結果としての世界です。イ段の橋は父韻です。イ段以外の子音はありません。空白の部分には子音という子現象が入る予定ですが、まだ創造行為は行なわれていません。創造行為は主客のイ㐄のギミの「命」が働きます。次段でマグアイという形で現象創造が語られますが、ここではまだ自我がまだ確立していないし、自覚がないのでまずその条件を満たします。

かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、というのは二人同じ場所に並んで立つのではなく、ギの神が主体意識側である母音側ア行イに立ち、ミの神が客体意識である半母音側ワ行㐄に立ちます。こうしてイからアウエオの世界を選択して、父韻がどのような意識で現象させるのかを決定し、空白欄に産んで、客体側のワ行から出てきて、確認されます。

立つというのはそれぞれの世界を立たせて提供するということです。イを除くア(感情)ウ(五感感覚)エ(選択、道徳)オ(記憶知識)の四つの世(ヨ)を提供する用意をします。そして、イは意志による創造世界で、イの八つの意志の発現がアオウエの世(四)を選択し、橋の下の空白の音図を埋めていくのです。埋めるというのは子音現象を作るということです。

その時二つの産み方(作り方)があります。始めに母音が来て次いで父韻が来る仕方、「カ」を産みたいならA+Kで「AK」という「カ」、二つ目は始めに父韻「K」がきて母音「A」を引き付け「KA」という「カ」です。

前者はAKをカと読ませて流通させ、後者はそのまま「KA」と読みます。後者が大和の日本語で後者が全世界の言語です。

五十音図というのは意識の運用規範図のことで、五十音の一枚の図表示ということではなく、前記のように各部分に分かれたものの機能の仕方と結果を示したものです。意識にまだ何も選択されていない無規定無秩序な世(四)から始めずに、父韻の働きをもって始めることで、容易に共通の認識に達します。

その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、

舌の形をした父韻である沼矛を動かして、まずア行のウオアエ母音世界のどの次元世界の意識の話になるのかを指し示すこと。

画きたまひきは攪拌するのではなく、次元世界を掻き寄せること。

選択される世界を指し示し鎮め静まり、最終的には名を付けることで止にいたる為(シをおろす)かき寄せる。

同じ話題でも、知識を話しているのか感情か感覚か行為かとで変化します。

塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、

塩は四穂、意識の四つの世界(アの感情、ウの五感感覚、エの選択按配道徳、オの記憶知識)の先端。まだ直接子現象を産むのではなく、そのさわりの芽を選ぶこと。

こをろこをろは、子を下ろす子を下ろす。子現象を産む初発の時のこと。

四つの意識のいずれかを引き受けて、まぐわいして子音を産むために発音してみて。

引き上げたまひし時に、

引き上げは霊(ヒ)気開け。四穂の先端と連絡がとれること。

父韻+母音の順になっていてちゃんと発音でき、各次元世界の実体が音写されること。

現行の五十音図では橋であるイ段はアの下にあるので、ウオエに関しては引き上げることになるが、アに関しては引き下げることになってしまい、上げ下げの字句に囚われるとそうなってしまう。

その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の

垂りは下足りで、父韻+母音で下に付け加えるものがないこと。

意識の実体世界の音写に余計なものが付け加わっていないこと。

付加説明の必要がなく、発音がそのまま実体を現すものとなること。

累積(つも)りて成れる島は、

そのようにして何回も繰り返される言霊循環を繰り返して形成された領域は。

領域の形成が初めの現象となる。

これ淤能碁呂島(おのごろ)なり。

淤能碁呂島。おのれのこころの締まり。

ついに後天の子現象が産まれました。自我の確立する地盤ができました。十七神の先天の活動のお蔭で後天の現象が現れる地盤を与えられました。

ここにやっと自我意識が始まります。おのれのこころの領域ができましたが、そのまま直ちに自我領域となるのではありません。もともとは天津神の「諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて」始まっているのでギの神の自我から始まったのではありません。まずは領域を確保して自分のものとしなければなりません。

ギミの神による自我領域の建立が始まります。

まだ自我が無いのに、その自我を立てようとする自我はどこから来るかというと、「命」という先天の機能を持っているからです。

その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

己の心の締まり、自我領域ができました。それはどのように成り立っているのかというと、御柱と八尋殿の二つの実体部分がありますが、切り離されてはいません。中心軸を持ちながら大きくなるこまのようです。

その島に天降(あも)りまして、

己のこころの領域に降りるということではなく、領域を持(も)ち続けるということになります。領域内にいなければ自我は形成されません。さらに自覚の持続には自己領域を持ち続けることが必要です。

どのような領域になっているかというと。

天の御柱を見立て、

ここは意識の領域の確立と記憶の増大に伴って意識の進展するところです。

平面の五十音図で示すと主体側と客体側は分かれてしまいます。古事記の説明も橋の両端をイメージさせます。図示するとこうなるというだけで、頭の中が平面や橋であるわけではありません。柱もこころを現した一つの比喩です。

その柱は世界を現すと同時に、五次元に分かれていて意識の言霊五母音に対応しています。主客は一つになっていて、伊勢神宮の心柱のように五分の二は地中に埋まって立っているという格好です。埋まっているわけは、エとイの言霊世界で、エ次元は選択按配ですからこれから未来に現れるということで埋まっていて、イの次元は見えも触れもしない意志の創造世界なので埋もれています。

この後子音、子現象を産みますが、一切の現象がこのこころの軸、柱から産まれここに戻りまた心となって進展していきます。

伊勢神宮は初めてできた心の軸を祀っていることになります。

八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

八尋殿とは八つを尋ねる宮殿。

この柱の廻りに意識の拡がりが展開します。八父韻の時空の流れが現在過去未来全体という四方向へ家屋の居間を構えるように、それぞれの居間を作り拡がります。

後天の立場の成立。

さきぼど、まだ自我が無いのに、その自我を立てようとする自我はどこから来るかという疑問を投げかけていました。

私達は「命/ みこと」という先天の機能を持っています。遠い昔(八千年前)のこと、意識の構造がスメラミコトによって発見され解明されて大和の日本人の言葉が作られました。それ以来、古事記の上巻で現される精神現象学が大和の日本語を話す人達の先天の意識構造となりました。天地世界を意識する天地、アメツチ、の初発の時以来、吾の眼を付けるや否や大和の先天十七神の言霊世界の領域に入り込みます。冒頭です。

ひとたび十七神の領域に達するや領域内での活動が可能になります。実在領域と働き領域と原動韻が揃っていて、子現象を産む場所も用意されています。古事記はこの同じ土俵に昇るということが非常に重要視されているように感じます。五十音図も言語規範の運用領域を示したもので、各実在母音世界に応じて四つの五十音図領域があります。

そしてまずは自己増殖のようにして十七神から借りた力で、先天から脱します。そのための現象を産む領域をオノコロ島として作ります。

ここに初めて先天の領域から後天へと至る道が開けました。

ここまでで意識の先天構造の話は終わりました。

しかしまだ後天現象そのものを産んだ分けではありません。

後天の意識を産む領域の用意ができました。

次いで、後天の子現象そのものを産む領域を、蛭子、淡島という形で用意します。両者は抽象概念や一般概念に相当し、個別性となる子現象はこの両者を土俵とします。この両者が無ければ後天現象の行き場がありません。

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、

「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、

美の神ではなく命に問います。すなわち実体にではなく、働き機能に問います。成るは鳴るです。

「あなたの身である言葉はどのように鳴る、発声する、のか」

「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

「わたしの言葉は発声するや、発声し終わることがありません」

母音は発音が変化することなく発声が続きます。

母音単音はもちろん子音も何の制約もなければ終わりの母音が続きます。また単語も、文章も何の制約もなければその意識が続きます。例えば今書き終わった「続きます」に何の制約もなければ「続きます続きます続きます・・・・・」と無制限に閉じるところがなく「成り合わぬ」というわけです。

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

ギの命の方は「私の言葉は発声するや、発声した以上のものがあります」

ギの命は主体側ですから閉じようと制約をかける側にいますが、父韻チイキミシリヒニ(TYKMSRHN)のイ音が余韻として鳴り余れるというわけです。ギの命の父韻単独だけては、チ=T+I、キ=K+Iで、Iのイがイイイと鳴り余ります。

故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて

無制限に余韻として余る父韻を、無制限に閉じることのない母音に、刺し塞ぐようにして。

父韻チ(TI)なら、鳴り余る「III・・・」を「AAA・・・」に刺し塞いで「T」を生かすと、母音「A」段で「T+AAA・・・」となって、「A・・・」刺し塞がれて消えていき、「TA(タ)」が残る形で誕生します。

国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、

国は組(く)んで似(に)せる、区(く)切って似(に)せること。

組むは父韻と母音を組むこと、似せるは、主体的な能動韻たる父韻の働きの始めに合った意識に似せること。意識の上では似たものが出来てたが物理現象としてはまだ産まれていないため、発音上でも事物の実相に近づけようとすることのため。

組んで似せることで父韻でもない母音でもない子音が産まれます。

そこで女性側、受け身側の承認を得ようとします。承認というのは意識の言霊次元世界であるウオエアの意識世界を選ぶことです。ギの命の意識世界がミの命の次元世界と共通でないと、意識の現象が起こらず何を言っているのか分からないことになります。ミの命はギの命の意識に応じた形で自分を開化します。

ギの命がウの欲望世界なら、ミの命はウの欲望世界を提供して、ギの命の父韻の展開に自らをゆだね、ツクムフルヌユスの子音生みに貢献します。

以下に子生みの過程が説明されます。

伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

ミの命は自らの四つの言霊意識世界を分割することに同意します。そしてギの命と同次元であるに限って同意します。

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、

ギミの命は五十音図の平面図では橋の両脇に立ちました。ここではギの命が選んだのは自分の心である一本の柱の中でのことです。あるいは橋の両端だけが隣り合ってくっついていて、橋板が後から出来てくるアコーデオンのような橋です。

ここでの御柱を実際に立てると五重の塔になります。中心の心柱は独自の存在のギの命のことで自在に各階に出入りできます。

柱は五次元に区切られていてギミ共に同次元で廻り合わないとなりません。勿論話題を変えるならば柱の次元を上下する必要があります。

廻り逢いてというのは、次元世界である心の柱の実在と八つの父韻は常に接触しているため、一つの次元に対して八つの父韻が柱の廻りを囲んでいます。

こころの機能である父韻の動きは次段です。

美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。

美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)は実を取る間の喰い合いです。

いよいよギの命の意識が現象化しますが、直接には出来ずにいます。それは私達の意識内での正常な動きです。

現象として実を取る動きをギの命がします。ギの命の意識に沿った似た現象を得ることです。ギ一人ではできません。ギはミの実体世界を選んでそれに載ることで自らを現します。

ギは柱のミに四つの実体世界の居間を見出します。ミは柱のギに八つの動韻の居間を受け入れようとします。ここでの各命の居間のまざり合いによる選択をマグアイといいます。

そこで出来るのが父韻と母音による子現象子音です。四×八で三十二の現象子音ができます。これで父韻八、母音半母音十、子音三十二で五十音図ができあがります。

かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、

期(ちぎ)りは置切りで、それぞれの次元の位置取りをしそれを切り離す準備をする。

右は身切りで、一つ柱の実体を意識実体に併せて各次元に切り分けることでミの役割です。

左は霊足りで、ミの実体に沼矛、八尋殿の霊(ヒ、ギの意識)を与えることでギの役割です。

約(ちぎ)り竟(を)へは置切り終えてで、ミの一つ柱から切り離しギの八尋殿から切り離して単独の子現象を産む用意をします。

廻りたまふは間割りたまふで、両者の間を割り切り離すことが完了したということです。

伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。

をとこは音子で、最初にまだ発声に至っていないのに音の現象は素晴らしいと言いました。

をとめは音止めで、ギの役目は鳴り続くミの音を止めることですが自身の父韻の音を止めてしまって素晴らしいといいました。

この両事象は次段で淡島と蛭子になります。

おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。

子現象としてはふさわしくないだけのことです。

女が先に言い出すのは、仕方ない必然のことだがふさわしくない。そのためにギの命の父韻は鳴る事を止めてしまった。これではいけないことだが、無にすることはできない。

女人が先に言うというのは、母音世界を先に見せてしまって、父韻機能の行き場がなくなってしまったので子現象、子音が生まれなくなってしまいました。かきくけこ(KAKIKUKEKO)を発音するのに母音が先だとAK、IK、UK、EK、OKとなり子音がでてきません。

然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

然れども

せっかく産んだ子だからということではなく、意識現象の必然を指しています。正規の子現象を産んだわけではないけれど、意識活動にふさわしくないが必要なものです。母音父韻とも揃っているのに使い方が間違っているために子現象は出来ても子音にならない例です。二つあります。

隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。

隠処(くみど)は組むところ。

子水蛭子(みこひるこ)は霊流子(ひるこ)。蛭は骨(霊音、ほね)がありません。

組むところは五十音図ですが頭脳内でのことです。前述のように母音と父韻を組み合わして:AK、UK・・等々のように子現象は生まれますが子音ではありません。それはただAの世界、Uの世界等々の普遍性、一般性を示すだけです。

この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

葦船(あしぶね)は子音がまだ生成されていない五十音図のことで、天津スガソ音図。母音の配列がアオウエイ、父韻がチキミヒリニイシになっていて、この両者の初めと終わりをとってアシとして漢語に当てはめ全世界に流しました。

というのも蛭子はこの後にできる子音の島(領域)になって、子音がどの世界次元のものであるかを示すためです。子音が立つ世界を提供するために共通一般性を示す土俵となる必要があります。そのことで子音が独神(ヒトリガミ)となり、身を隠すことを避けていることになります。

例えば芸術や宗教感情の吐露、感情感覚の開陳などでは、幾らでも語ることは出来ますが、個別的なそのものに即したことが語られずにいます。ならばどうするのかと問われれば、やはり同様の一般論でしか返答ができません。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

もう一つの子現象は直覚的な意識の創造です。アの主体意識が分かれたワの客体意識の結論と直接結ばれます。つまり分かれる以前に戻ることなく分かれたところから意識を導き出します。自意識と客体が対峙した事態から始まり、 父韻による説明は後から恣意的自在にとって付け加えるようになります。

このため個人の見解なるものが自由に出される場が与えられることになります。混乱の世界の始まりです。

如何ともし難いことですが、経験知を受け入れて肥大化する頭脳の常で、後から父韻が加わりますので混乱の元となります。高天原を「タ」のアの間と「カ」のアの間の原(音図)として説明しましたが、カのアの間の元となるものです。経験知をそのまま受け入れてしまい最初から火(カ)のように明らかなものとして扱い、父韻の説明を後からくっつけます。

実相に似せた正規の子音現象となりません。

ここに二柱の神議(はか)りたまひて、

「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。

ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。

ここに、と母音と父韻の当事者の両参与者が相談します。

しかし当事者間で片付けようとはしません。参与者の依って立った原理の領域(みもと)を求めます。

大転換をします。

ここで突如として占いの話が出てきますが、占いではありません。「うらない」は裏綯(うらな)う、裏合うで、現実と裏(心)をより合わせて、物事の先行きを決めることです。父韻の心を合わせずに後廻しにしたことを反省しました。

これで今度は正規の子現象、子音を産むことができます。しかしこれが事物の実相を現した正しい子音というわけではありません。解説はまだ先まで続き、ここでは子生みの話が始まろうとしているところです。

太卜(ふとまに)とは二つの十(フト)で真似、間似した、ウ段欲望世界の十列とオ段経験知世界の十列の二十で五十音図を代表させたものです。完成した五十音図は天津太祝詞音図で、この後三十二の子音を産んだ後にできてきます。

二人のここまでの現況は、マグワイしようという欲望とマグワイした経験の世界しか知らず、そこからの反省でしかありません。すなわちマグワイの自覚がまだありませんので、マグワイの実相を知りません。二十以上は知り得ないのです。

天津神の身許へ行っても全体に気付けません。

これから後は意識の子現象の正規の子音を産むのに必要な環境を作ります。子現象が載る一般性共通性は完成して蛭子として世界中に伝搬しました。今度は個別の実相を持った子音の載る領域が必要となります。

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。

ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。

島(心の締まり)の創造が続きます。国土ではありません。子細漏らさず意識の進展が記載されていくので、ながったらしくなっていますが現実の働きの中ではほんの一瞬のことです。一般性の領域も確保したし、個人の見解が述べられる領域も保障されました。今度は実相を伴った子音現象を載せる領域を用意します。

父韻(Tチ、Yイ、Kキ、Mミ、Sシ、Rリ、Hヒ、Nニ)を先にするだけのことです。父韻+母音で子音が生まれます。生まれた子音はそれぞれ御柱と八尋殿を含んでいなければ実相を示せないばかりか、自らは自身の領域場に立たねば成りません。そこでここでは全言霊現象の依って立つ場が示されます。

十四の心の締まり(島)が明かされています。「あ」と発音しようとして「あ」と了解されるまでの一瞬間に、次元の異なった十四の意識の領域を通過し、その間に計百神の変身を繰り返していきます。まず最初の意識の生まれる領域がでてきます。淡路の穂の狭別の島という心のまとまりを表すものです。

意識が相手に了解されるまでの通過する十四の領域

1 淡路の穂の狭別(あわじのほのさわけ)の島

2 伊予の二名(ふたな)の島

3 隠岐(おき)の三子(みつご)の島

4 筑紫(つくし)の島

5 伊岐(いき)の島

6 津(つ)島

7 佐渡(さど)の島

8 大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島

9 吉備(きび)の児島(こじま)

10 小豆島(あづきしま)

11 大島(おほしま)

12 女 島(ひめしま)

13 知珂(ちか)の島

14 両児(ふたご)の島

淡路の穂の狭捌の島

意識の初めの時のことです。初めの時のことですからそれ自身で規定できませんので、次との比較から解くようにうながされています。と同時にもちろんそれ自身に与えられた神名が考慮されます。

最初の意識の領域から出てくるのは天の御中主の神の名を持ち、五感感覚による欲望の言霊ウの領域を示しています。

島の名前は冒頭の一句そのものです。

天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。

吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)と成る初めの時、アの主体( 高御産巣日の神)からワの客体( 神産巣日の神)へ渡る路(淡路)を通る言霊(穂)の先駆けとして分かれ出る(狭別)意識の領域

頭脳中枢(高天原)に載るか載らないかが問題です。

次に

伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、

粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。

次の感情意識の領域に移ります。細胞分裂のように剖判します。そして代々血統が受け継がれ、新たなものに前代が含まれていきます。その受け継がれ方を示したのが原文です。

言霊アとワの二つの領域を区分としていますが、四つの国による説明です。

伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

伊予は、伊のあらかじめ、わざわざ二名だとありますから、イザナギとイザナミのことで、後に両者に収束していきますが今は、高御産巣日と神産巣日段階の次元です。

身体は一つ(柱として創造されている)で顔が四つでそれぞれ独立しています。実は身一つの次に身が二つに分かれたが省略されています。そしてこの領域はその省略された者の領域区分です。

感情の意識言霊アとワ、主と客、タカミムスビとカミムスビ、わたしとあなた、原因と結果、見ると見られる、の初めての剖判の区分です。

これら二者に主観側と客観側があり、対立止揚し合っている姿ですので、計四者になります。

それがそれぞれ独立した名前を持っています。

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、

言霊オのあらかじめ。

伊予の国は、予め収束させるイザナギの御柱を立てるのは、

愛比売でエを秘めていることが必要。エを秘めているのは剖判前の言霊オ。

剖判前の高御産巣日、言霊ア。

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、

言霊エのあらかじめ。

讃岐の国は、イに到達するために、ア・タカマハラナヤサを渡り抜きんでるには、

言霊イ(イ)の霊(ヒ)を選り出る(ヨリ)主体側の活動主体(ヒコ)が必要。選択主体の言霊エ。

剖判前の高御産巣日、言霊ア。

粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、

言霊ヲのあらかじめ。

粟の国は、ア行の主体側からワ行の客体側に渡って行くには、

大いによろしいみやこを秘めているで、御(ミ・柱・言霊)の家屋(ヤコ・言霊構成体)が必要。

剖判前の神産巣日、言霊ワ。

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。

言霊ヱのあらかじめ。

土佐の国は、ア・タカマハラナヤサ・ワと渡って十番目の客体ワに「サ」を通ってめでたく行き着くには、

タケヨリワケは田気(タケ)選り分ける(ヨリワケ)で、言霊が選ばれる。

剖判前の神産巣日、言霊ワ。

四つの国ともワ行に到達する処方を述べている。

言霊アは剖判してオエに受け継がれ、言霊ワは剖判してヲヱに受け継がれる。この剖判が自覚へとつながります。

次に

隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。

隠岐は起きる、前段の四つのあらかじめが起きてあらわれる領域。三子はあらかじめの隠れていた密子(みつご)、言霊ヲオエヱのこと。

天の忍許呂別(おしころわけ)とは、二名の島に忍んでいた、先天の(天)心(許呂)が分かれて出てきた区分領域の意。言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)は人間の生の営み、人類文明創造に於ては最も重要な心の性能です。自覚の認識と自覚の選択へ剖判していき、実体世界を全て見せます。

次に

筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。

筑紫(つくし)の島を生みたまひき。

働きつくし働きかけつくされる父韻の世界です。実体世界の準備ができましたので、いよいよ創造行為がそれに載ります。

この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、

豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、

肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といひ、

熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。

この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

この四つの国の領域は身一つであるイ段の元となる言霊イから出てきます。

四つのヒワケ(霊別れ)を示すと、

筑紫の国を白(SIRA)日別しらひわけ)といひ、 父韻として尽くす領域を、シラ、SiRa霊別れといい、

豊(とよ)の国を豊(TOYO)日別(とよひわけ)といひ、 十四(トヨ)言霊を組む領域を、ToYo霊別れといい、

肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥(HINE)別(たけひむかひとよくじひねわけ)といひ、 言霊の実相が出る領域を、HiNe霊別れといい、

(KUMA)曽(くまそ)の国を建日別(たけひわけ)といふ。 要素(ソ)を組む(クマ)領域を、 KuMa、霊別れ、と読み込みます。

それぞれの欧文の大文字を取ると、八方向の意識、八父韻になります。また主客の二つを一組とすると四組み(四組の面)となり、父韻に対応していきます。

ここは訳語のそれぞれの前半(国)を繋げると一文になる構成です。

尽くす父韻としての示す領域は、先天言霊トヨ(十四)を組んで、言霊の実相を選びより出すように根元からひねりだして、要素を組んで、言霊を産むことです。

八父韻

宇比地邇(うひぢに)の神。 今有るか無いかを現象させる力動韻

妹須比智邇(いもすひぢに)の神。 今有るか無いかの現象を持続させる力動韻

角杙(つのぐひ)の神。 今から過去の現象に結び付られようとする力動韻

妹活杙(いくぐひ)の神。 過去の現象を今に結び付けようとする力動韻

意富斗能地(おほとのぢ)の神。 今から未来に向いそこで収まり静まる力動韻

妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。 未来に今を受け取らせ拡張伸張させる力動韻

於母陀流(おもだる)の神。 今全体を開き表面に開花する力動韻

妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 今全体を受けとり中心部に収束する力動韻

次に

伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。

伊岐(いき)の島とは、イザナギ・イザナミの精神宇宙の領域。

天比登都柱(あめひとつはしら)とは、吾の眼の先天構造の一つ柱。吾の眼の先天構造神が一つの柱の中で統一されています。人の意識活動の初めも終わりも一つ柱の心から発現していき、またこの柱へ戻っていきます。

ここまでの五島が人の先天構造を構成し、また先天の実体となっています。

この後、後天の領域が三つ説明され、手に入れられる実体となります。しかしこれで実体要素を得ても、使いこなすこととは違います。また使い方も自覚して使用するのと与えられているものを使用するのとでも違います。更に自分のため自利と利他、自分と社会世界との関係もありますが、その前に如何に自覚するかを、黄泉の国を通して学びます。

次は後天実体要素を載せる領域の三態です。以下の言霊が載ります。計三十二の子音です。

津島、タトヨツテヤユエケメ。

佐渡の島、クムスルソセホヘ。

大倭豊秋津島、フモハヌラサロレノネカマナコ。

島全体を指して、ン。

先天十七+後天子音三十二+ンで五十。

次に

津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。

津とは、船の渡し場

天の狭手依比売とは、

先天の十七神より子音という船荷を指し示されたが、手渡しで選りすぐられるものがまだ言葉とならないで秘められている段階。

五島の先天構造の領域が出揃って、津島が出来たので先天の実体が現象としてこの後の島に載るところです。ここの現象領域三島の特徴は、単体で独立した子音現象となっていながら単体としての子音現象の創造経過が示されていることです。三島の子音全部を読み込むと最後に単体子音の発生が完成する構造になっています。

先天のイメージ化(津島)、イメージの物象化(佐渡の島)、物象の物質化、そしてそれぞれの変態を経てついには先天のイメージに戻ります(大倭豊秋津島)。

タで、先天の精神宇宙が全面に押し出され、

トヨで、押し出されたものが十(ト)の父韻と四(ヨ)っつの実体世界であることが確認され、

ツで、確認されたものが「ツー」と現れ、

テで、現れたもの同士が結ばれるため選択し合い、

ヤで、結ばれてイメージ物象となり、

ユで、霊体の混じり統一された湯のようになり、

エで、それが溜まって固まり、

ケメで、物象に渡されるのを待ち、

次に

佐渡(さど)の島を生みたまひき。

佐渡とは、身に添って助けて渡す。

先天構造のイメージ化の後にイメージの現象化に当たって、物質との結びつきを求める領域です。先天構造の内容が物象に載りそのまま渡されます。

クムで、心と言葉が組まれ、

スルで、スルスルと相手に伝わるのを助け、

ソセで、エネルギーが注がれ、

ホヘで、内容形式とも発出(発声)されます。

次に

大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(みそらとよあきつねわけ)といふ。

大倭豊秋津島とは、大いなる八(ヤ)つの間)マ)の戸(ト)が豊に明らか(トヨアキ)に現れる(ツ)領域。

天つ御虚空豊秋津根別とは、吾の間(アマツ)の内実(ミ)が注ぎ流れ込み(ソラ)豊に明らか(トヨアキ)に根本(ネ)から別れ出てくる(ワケ)。

先天構造が物象化され、物質へと変態し、今度は物質の動きとなります。発声発音に変態されるため息に載る姿が説明されます。

フで、言葉は息となり心の内容も息、発声に載ります。

モで、心の内容は久しく後々まで関係がつながっています。

ハで、先天からの今までの経過が全部つながっているのが言葉です。

ヌで、そこには心の家屋が縫い込まれています。

ラサで、耳垢に心の家屋を建てようとします。

ロレで、ぐるぐる入り込む様子です。

ノネで、耳の奥に再建されます。

カマで、意味内容が確認され、心の構築物となります。

ナで、確認された息に載った名のついた心が運ばれます。

コで、こうして耳に入った内容が確定して子が生まれます。

ンで、単位要素の領域に載せる実体(文字その他)の総称です。

かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。

まず生まれしによりてとは、上記八島は言霊の単位要素で、次段の言霊の運用要素と区別されるためです。

然ありて後還ります時に、

以上で言霊の実体要素が出揃いました。ここからはそれらの運用です。無自覚な領域から自覚的利他的な領域へと昇っていきます。

言霊実体が五十あるのと同じように五十の手順があります。「あ-」と発音して了解されるまでに五十の手順経過を経るので、五十通りの発音の仕方があるのではありません。

吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。

吉備の児島とは、良く備わった小さい締まり。無自覚の内に使用活用している領域で、その分では充分に使用できる初歩の音図となる。

建日方別とは、田気(タケ、音図)霊片分けで、田んぼのような言霊音図を使用して、これから意識の運用に二種類の客観世界か主体世界の精神性に赴くかの方向へ別れる。

次に

小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。

小豆島とは、明らかに続く意識運用の領域(父韻)。

大野手比売とは、大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めている(比売)の意です。音図を見れば八父韻は横に一列に展開しています。

大いなる父韻を載せる選択が秘められている領域

次に

大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。

大島とは、大いなる価値のある領域。

大多麻流別とは、大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。

次に

女 島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。

女島とは、神代文字の原理の領域。

天一根とは、元は一つの出所から。

次に

知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。

知珂とは、経験知識をたしなめる領域。

天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。

次に

両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。

両児の島とは、天の両屋とは、両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。