古事記の鏡5 五十音の整理と活用(和久産巣日の神、建御雷の男の神)

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神。次に和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

 この子とは現象子音となった言霊の全部です。伊耶那美の命は夫君伊耶那岐の命と婚いして三十二の子音を生み、それを神代文字(言霊ン)に表わして、合計五十神・五十言霊がすべて出揃いました。これ以上の言霊は有り得ません。伊耶那美の命はもう子が生めなくなりました。この事を最後に火の神を生んだので伊耶那美の命の女陰が火傷(やけど)をして病気になってしまった、と表現しました。しかし病気になって回復してまた新しい子どもたちを作る準備をするということではありません。

この後たぐり・嘔吐・糞、尿と排泄物が続きますが、現象子音の現象するあり方を述べたものです。

 たぐりに生りませる神の名は金山毘古の神。次に金山毘売の神。

 たぐりとは嘔吐(おほど)の事でありますが、ここでは「手繰(たぐ)り」の意の謎です。たぐりとは現に食べたものからなりますから、現在手持ちのたぐり寄せられる材料情報でしょう。糞は過去に喰ったものですから、消化された材料でしょう。尿は長く未来に伸びていくものなので今後の時間のとり方となるでしょう。これら三つの要素をまとめるとワクムスビの神になるでしょう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

金山毘古の金は神名の意です。言霊一つ一つを粘土板に刻んで素焼きにした甕を手で手繰(たぐ)り寄せますと神代文字の山(神山)が出来ます。精神的なもの、物質的なものすべてを整理する為には先ずすべてのものを手許に寄せ集めることから始めなければなりません。金山毘古は音を、金山毘売は文字を受け持ちます。

 【註】金山毘古の神に始まる古事記神話の言霊の整理・活用法の検討は実に総計五十の手順を一つ残らず明らかにして行きます。その間、どんな小さい手順も疎(おろそ)かにしたり、省略する事はありません。その手順はキッチリ五十にまとまります。その手順の一つ一つを読者御自身の心中に丁寧に準(なぞら)って検討されることを希望いたします。

 屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。

 屎は組素(くそ)の意を示す謎です。言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。

 【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。

 尿に成りませる神の名は弥都波能売の神。

 尿とは「いうまり」即ち「五埋(いう)まり」という謎です。五十の埴土を集めて、その一つ一つを点検して間違いがないのが分ったら、次に何をするか、というと先ず五つの母音を並べてみることでしょう。「五(い)埋まり」です。その順序はといえば、アは天位に、イは地位に落ちつき、その天地の間にオウエの三音が入ります。オウエの三つの葉(言葉)の目が入りました。弥都波能売(みつはのめ)とはこれを示す謎です。日本書紀では罔象目と書いております。罔(みつ)は網(あみ)の事で、五母音を縦に並べてみますと罔(あみ)の象(かたち)の目のようになっているのが分ります。五十の埴土(はに)を並べて整理しようとして、先ず五つの母音を基準となるよう並べたのであります。

 和久産巣日の神。

 和久産巣日とは枠結(わくむす)びの謎。五十の埴土(はに)を集め、一つ一つ点検し、次に五つの母音を並べてみると網の目になっていることが分りました。その網目に他の四十五個の埴土が符号するように並べて整理してみると、五十音全部が一つの枠の中に納まるようにきちんと並ぶことが分って来ました。一見五十音が整理されたようには見えますが、まだこの段階ではこの整理がどんな内容に整理されて来たのかは分っていません。「和久」とは「湧く」ともとれるように、この段階での整理には全体として何か混沌さがある事を示しているということが出来ます。