i 子様のための古事記の言霊百神 06

i 子様のための古事記の言霊百神 6

いよいよ言霊ウが天の御中主の神であることを確認するときになりました。

よく他の言霊の研究や言及で言霊ウを言うのに、「ウ」から来るイメージ、思念想念、閃きを受け取って、あるいは漢字の意味を敷衍したり参考にしたりして、言霊ウとはこういうものだというやり方があります。まず「ウ」があって、そこから既知の意識が掘り起こされ、イメージ連関を起こしてくるものです。

ではその「ウ」は何処からきたのかといえば、元々あるか神が与えたとしか言えません。たしかに現代のわたしたちにとって元々あるし、与えられたものとしてあります。それに言語学がいくら進歩しても言語の発生を説明できませんので、やはり神の出番としての場所がとってあるような感じです。

フトマニコトタマ学は全く反対に、意識によってウを発生させようとします。「ウ」から来るイメージや思念想念や閃きをウに結び付けようとするのではなく、意識の向かう先を現そうとして、発音発語に結んで言ったら「ウ」になったという道筋を探します。ウという表現は結果ですから、ウから得たものをウに返すのでは同義反復のようなものです。

この同義反復をうまく使ってきたのが今までの言霊学で、江戸時代を通して現代まで同じことを繰り返しています。

どの言霊学の解説も非常によくできています。例えば言霊ウの解説にしろ何にしろ、なるほどこれがウだ、ウとはこういうものだと納得できます。そしてそこから繰り出す解説には迷いがありませんし、事物が非常によく説明できています。

ところがよく見ると誰一人として「ウ」を創造した人がいません。そこにある「ウ」、「ウ」で説明されてきたものは非常によく整理されていますが、「ウ」がそれだけの意味内容を持っていたからその「ウ」を集めだけなのです。誰一人として「あ(吾)の目が付いて地に成る(あめつち)」を実行しないで、地に成っている実だけを広いあつめたものです。

先祖が創った元々素晴らしいおいしい実ですから、集めて食すれば当然素晴らしいものになります。「ウ」には古代大和からの宝石の輝きが詰め込まれていて、それを磨き出したので、解説すれば当然素晴らしいものになります。

古代大和の聖人たちがつくりあげたけれど隠れてしまったものを、みちびきだした功績はありますが、逢ったものに尾ひれをつけ自分のアイデアを加えるだけです。どこにも言霊ウを創造した形跡がありません。そこにはいつも言霊ウがありますから、それをウとしてしまうわけです。

大和の聖人が発見輝きの素晴らしさを、美しさを、霊妙さを、当然理解していきますが、それらは最初からウの中に大和の聖人たちが押し込めておいたものなのに、解説者が発見したように言います。

ウという発音表記を古代に固定しておいたことをすっかり無視しているわけです。ですので同じウを使用しても、U、UH、OU等の「う」という発音の外国の言葉を幾ら集めても、霊妙さが見いだせません。

大和言葉は「う」という発音発語表記に、ウで示される実体内容霊気を「ウ」と名づけたから、「う」の言葉のさきわい、幸わい、を見ることができるのです。今までの伝統的な言霊論では、そこに結びついて言葉「う」を発見した人あるいは追体験した人がいません。

成った言葉を説明しても、言葉を成すことがありません。

もちろん命名するということあり、新規発見物にも名が与えられます。しかしこれらは、出来上がった言葉の体系の上に都合のいいように付け加えられただけのものです。言葉の要素(言葉の元素)の生成から出てきたものではありません。

では、言葉を成すという、本当にそんなことができるのかと言えば実際には誰でも考え込みます。不可能じゃないか。

が、引っ込み怖じ気づく意識があれば、その感情なり思いを表明することになります。誰でも感情があり、感じを持つのですから、そこから始まるものがあります。それを取り上げ、どうなるか、どの発語となるかということを探すことができます。意識にまず始めの意識が起き、なんにもないところに、ありゃりゃ、あれはと意識が向かう端緒の意識を保持しつつその表明を探して「表現します」。

ところが、実のところ、そんなことは無理です。

今はきちっと五十音図で与えられていて、意識と言葉の要素の連関が分かっていますが、それを何にも無しから追体験などできません。まず追体験に必要な頭脳を動かす言葉が既にできあがっていて、それを使用してしか表現できないのですから、いくら頑張ってもゼロからは始めることはできません。有り難いことに五十の単音が用意されているのですからそれを利用するしかありません。

しかし、発見すべき言葉がまずあって、そこから来る思いを語るのではなく、その逆になるように心掛けるだけです。また、世界最強のあんちょことして、言葉を説明してくれている神名を残してくれましたから、神名の解読は強力な助っ人になるでしょう。

例えば、天の御中主の神は言霊ウと分かっていますが、当面は「う」は隠しておいて、自分が中央の主人公であるときの意識を負って、その荷物を背負ったままの意識を言葉にしてみることを努力目標にしてみればいいのです。幸いに指針は「う」の方向を指しているのでそちらへ向かえばいいのです。

次回からしばらくの間、言語の発生の元を辿りたく思います。

ついで言霊ウに戻りたいと思いますが戻ってこれる保証はありません。

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13-1-1。言霊ウの発生。母音以前。はじめに。

心とその現れを捕らえようとするものですが、歴史を生きてきた人の数だけ心があるのに、どうするつもりかというと次のようになります。

物質界にはやはり無数の形態の物質があります。しかしその元素の数は固定していて放射性元素を除けば百弱しかありません。これが全物質界の元です。

古代において心の元素、心の要素を探した大和の聖人たちが見つけたのは、あいうえお五十音の五十個の心の形でした。日本には多くの文字が残されていますが、その全てが48~50の様々な字体で表現されています。五十音図、いろは、日文(ヒフミ)、カタカムナ、蜂の比礼等そのどれもこれもが五十の言葉の表記に納まっています。

大和の聖人による心を分析して分かったこの心の要素は五十という発見があるため、古代文字の数がどこでも同じとなっているのです。たったの五十の心の要素の組み合わせで億兆八百万の心の現れとなっています。

そして古事記というあんちょこによれば、心の表記を冒頭の五十神で現しました。これの意味するところは、心の表現はどの文字表記を使用しても五十あれば足りるという事で、心は五十の要素しかないということです。無数の物質の形があってもその元素数は固定されているのと同じです。

以上のことは数千年前に発見され継承されてきたことをオウム返しにいっているだけです。実際に各人が自分の心を分析して心の五十個を見つければいいのですが、不可能ですし、その為の助っ人として神代の巻が用意されていますから、これを頼ることしかできません。

こころを見て、心の元となるものがある、要素があると思うことは普通でしょう。何億と増える人間の元が男と女の二要素しかないのを見つけますし、目前の八百万の事象を見聞きしても、その元素の数は知れたものじゃないかと思われたことでしょう。

物事を示すのに息を出して声帯を震わすことを覚え、いろんな音を出してみても、出てくる音を出す前に、バリヤー(子音頭)を作って子音となるか、バリヤー無しでそのまま音が出てくる母音かの、二つしかないことも分かったでしょう。バリヤーとなる口の構造からしてもその変化の数も知れたものです。( と、今だからこんなことも言えますが、当時のことは想像もできませんし、現在の音韻学はもっと細かいです。)

しかし問題は重箱の隅をつつけば幾らでも出てきますが、要素が少ないとか多いとかではありません。重要なことは次のことです。

それは、心の要素が五十あるとか元が二つとかでもなく、何ということでしょう、たった一つのことから始まるという真実を発見したことです。それが「吾の目が付いて地に成る(あめつち)」で、意識が事象に向かってそれを意識して名指ししようという、全ての言葉の活動に共通なことがあることの発見です。

何ということはありません。ものに意識が向かない限り言葉も無いし、意識がものに向くためにものの意識を表現するということでした。

この始めの一つのことが全ての始まりです。日本書紀は卵の比喩から始め、古事記はあめ(天、吾の目)の呪示から始められています。

この始めの一つのことは一見すると、ものを見聞き感じる始めのことと同じですが、意図的な吾の目が活動しないかぎり言葉とは成りません。それでも感情は喚起されるじゃないかというでしょうが、言葉にならない感情は幕の向こうで劇が進行しているようなもので、何が何だか分かりません。

古事記を解説することが主眼のひつく(ひふみ)神示というのがありますが、そこでは○チョンといっています。実態的には○チョンで、主体活動からは○にチョンを入れるといっています。しかし、シンボルを使った比喩は分かってしまえば無能無力です。 実体内容を表明しきれません。

この一つの意識が向くか向かないかで世界があるか無いかになります。

人が生きることは心の活動から見ていくことが主要な関心事で、宇宙世界はその線に沿って生まれその線から人と関係していきます。客観物となった動きは科学が解明する役目で、生きている世界は心によって動きます。

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13-1-2。言霊ウの発生。母音以前。腹映え。

言霊ウ(天の御中主の神)を見る上で、大事なものは主体の意識の動きです。ウは母音として発音されますが、それは現象となったものですから、口腔による空気振動と耳の生理的な鼓膜の振動等の物質の作用反作用です。生理生物的な物質関係を見るなら、その前に、あいうえおになる材料、成立事情、環境、生理条件等があります。

物理的となったもの、ウと発音されたものは、物質現象ですが、そのあったものを指してそれは何かと問うと、答えは時と場所と回答者の心持ちに応じて無数にでてきます。通常の世界では意見考え主張とかいう形で、その中で仲よくなったり喧嘩したりしてますが、要するに誰もが元素を見いだしていないからできる、猿芝居なのです。悪い言い回しをしましたが、それこそが現代を形成してきた大本でもあります。

私たちは物質的な形を作りそれを介在させないと、自分と他との関係を築けません。その最も強力な仲介者が言葉です。従って言葉を了解しなくてはならないのですが、その現れは空気振動やインクや光点の集合した点滅等の物理現象です。当然音声が分析されますが幾ら整理分析したところで、音(おん)の分析でしかありません。

言葉の心を見ようとするときには、そこに意味や精神、心を見いだすために内容というものを見つけて心を載せていきます。しかしそれでは、船に荷物を積むのと変わりがありません。荷物を変えたり到着地を変えたりするだけで、単なる物質の移動というだけのことですが、意味内容というものを最初に設定してありますから、意味内容と心とが一緒に伝わっているように解釈してしまいます。

これでは、船でも飛行機でも小包でも手渡しでも、英語でも仏語でもよいことになって、心の内容とそれを運ぶ物とが別々のものとなります。

今は日本語で書いて読んでいますから内容と書き手の心とが近い物と感じることができますが、翻訳物で読むことになれば一旦内容を酌み取りに行ってから、日本語の意味内容から作者の心を窺うようになります。要するに表現をもたらし媒介してくれた物質の形は何でもいいことになってしまいます。

しかし、世界で唯一の大和言葉においてだけはそのようなことはありません。例えば食べる前のみかんを手にして、御中主の神のみなかぬしをゆっくり、み・な・か・ぬ・し・というように発音してみると、みかんの実の中身の主の味とか甘さおいしさが、自分とつながっていいるのが感じられるでしょう。繋がりをさらに言えばみかんと自分がヌーっと縫い合わされたものが、静かに手のひらに鎮座しているみかんを感じるでしょ。

わたしたちもあったものとしての古事記とその隠されている真実である内容がここに与えられています。これをそのまま解説しますと、通常世界での喧々諤々に参加していくことになります。古事記の神は言葉の元素だなどといっても、分かっている人たちには内々で通じ合えますが、その人たちにおいてもそれぞれの解説は別別になっていきます。

言葉は共通して使用しているのに、その言葉に与えた自分の説明しか通用させようとしません。結局、知っていることの世界、勉強して得た知識の世界にいる限り、世界戦争に加担しているのです。ここはでんぐり返ししていかねばなりません。

そのでんぐり返しの顕著な例が空観を掴む悟りの修行です。ふとまにコトタマ学では悟りを掴むことは単なる始めの条件に過ぎません。一生かけて悟りごっこなどしている暇はありません。

では悟りを得られなければ始められないのかといえば、もちろんそうもいえるでしょうが、それでは悟れば言葉が理解できたのかといえは全くゼロです。どの聖人開祖教祖も言葉の一つも創造した人はいません。逆に神の心持ちを伝えるだけです。

悟るだけでも大変なことですが、古代大和の聖人は心の内容を解明して、言葉の体系を創って人間に与え歴史を創らせました。今までの宗教者は誰も歴史を創った人はいませんというより、古代大和の聖人の命をうけて精神的な支えになるようにされていました(竹内文献)。

つまりそこから始めるように後々の暗示としておいたのです。宗教の構造にある、アッラー、阿弥陀、アーメン、あまてらす、太陽神ラー等の「ア」にヒミツを閉じ込めておいたのです。そこで古事記も「あめつち」の「あ」から始まっています。

生理的な自然発声のアを、意識的意図的な人間的な発声である「あ」に作り替えたことが、古代大和の聖人達がなし遂げた人類の遺産です。そして「あ」を発声することは誰にでもでき、つまり誰にでも悟れる種を蒔いておきました。「あ」は世界語として流布させたのです。

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13-1-3。言霊ウの発生。母音以前。腹映え。

【かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、

御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

(8) 泣沢女(なきさわめ)の神。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。】

この段落にある「腹這いて泣く」を、母音の発音を腹に持ち越した時の、腹との関係としてそれを観ることから始めます。

ここでいう伊耶那岐の命(各人一人一人の人間の主体的な精神行為をすること)は、葡匐(はらび)=腹這いてまでして大和の心の言葉を探求していったことです。自分の心の表記表現を探していくといっても、その材料は自分の意識しかありません。心の中を腹這いしたということになります。

頭のてっぺんから爪先までと記してあります。宗教的なおまじないのような行為にうけとることではなく、また、仏像のお顔と言いますがそういった顔だけ選択されたものではなく、爪先までの全部が相手対象です。

今「全部が相手対象」といいましたが、始めにあたって「全部が相手対象」になることはないのです。まだ分かっていないもの知らないものの固まりなのにどうして、全部などと言えるのでしょうか。御枕(みまくら)から御足(みあと)、最初から最後までなどという見当もつかないのが普通です。

ところがそれが普通の場面で普通に可能で、普通に行っているというのが、古事記で示されているのです。誰でもか普通に日常的にです。もし概念知識、記憶によって相手対象を見ていけば、分からないことだらけ、知りたいことだらけ、知ってもきりがない知った後にまた出てくる疑問だらけです。曰く科学の進歩、知識の進歩です。がしかし、人には誰でも相手対象を難なくその場でピンから錐まで見通す力があります。

それが感情情感の目(あ・吾の目)で、霊能でもなんでもない普通の普遍的な力能です。さらにこの感じの目は後生大事にされ、増えも減りもせず、知識の増減に関わらず判断の基礎ともなることができます。その吾の目を得ることを古事記は哭(な、鳴)くで示しました。

神名で言えば、「次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

(30) 飽咋の大人(あき・く・ひ・のうし)の神」です。明らかに組まれているひ(こころ)のことで、その時点でのその人によって明らかに組み込まれているその人の心の全体が現れるということです。

知識があろうと無かろうとその時の吾がでてくるのです。知識は後から付け加えて変身していきますが、感情はそうはいきません。その時の全体が示されます。第一印象にその後の知識が加えられても、第一印象からまるで逃れられないというのはよくあります。

その成り成りていく己の心の姿を神名を借りて、理想的な心の完成までを暗に託したのが古事記です。当初の始まり状態では古事記と聞いても感情の起こらない無機質な「天地の初発の時」という表現です。そこに書かれたものとしてしか見なければ、神話として読んでも皇統紀として読んでも冷たいお話に過ぎません。

そこに一度自分の目を持ち込みわけの分からない卵を抱き抱えると、たちまち生きた胎動を持った卵=吾の目になります。どこまで行くかどこまでできるか誰も分かりませんが、最後に到達した時の卵=吾の目がどうなるかは本人だけが知ることになるでしょう。

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葡匐(はらび)=はらぱい=腹映えで、倒れて腹這いになったのではなく、心と腹の反映関係を追求していたことを示しています。 腹具合と心の関係を這いつくばって研究したということです。腹這いはこころの探求の様子をべつの方面から明かしたものです。

昔から腹を心の在り処としてきました。現代の科学知識はそういったことを笑いますが経験知識は普遍です。感情の変化と鼓動、胃の変調、胸の痛み等日常感じるものもあれば、見えない内臓の変化もあり病気になることもあります。

腹から声を出すという譬喩はありますが、腹に声帯はありませんから音声はでません。声は出ませんが、横隔膜-声帯の動きと通じて、腹斜筋、腹直筋、丹田、みぞおち、腹部位、さらには背骨、背中の筋肉、足の踏ん張り等々、が互いに連絡関連していてそれらは腹の動きに現れてでてきます。

古代人は心の動きと連動するこのことを見逃しませんでした。

そこで前大和語の雑多な言葉を、おそらく他の民族の言葉もかき集めて、分類していきましたが、音と表現を前にしてそれらの整理の原則としたものは、現代の言語学者のように客観的に説明することではなく、その規則や制約でも無く、音素の比較や音韻律動でも無く、心のあり方でした。

大和言葉以外の全世界の言語は、心を音を借りて表現したものですが、大和言葉は心が音であり音が心である、そのようなぴったり不離な関係を持った唯一の言語です。

まずは、前時代の大和での言葉も他の言葉と同様に音を借りてこころを示していったことでしょう。

ところがここに古代大和の聖人が出現して、こころを言葉で直接表現する方法はないかと、探し始めたのです。音を借りた表現では、音に意味を込める人の数だけ、言葉の解釈ができてしまいます。また権力をもって言葉の内容を定めることもできます。

古代大和の聖人はそこから起きる幾多の問題を解決して、全人類が言葉を直接表明してそれが直接こころの表明となる、そうした言語体系を目指しました。そして、その研究が明らかになりました。

ものを見て聞いて感じてそのものに名を付けた時、心に感じたことがそのままものの実体内容を示している、つまり、「こと」がそのまま「たましい(こころ)」の表現である言語体系を創ったのです。それをコトタマといいます。言霊のように魂に濁点を付けず濁りがない、コトを現すと同時に心を現すコトとタマが和した言葉となりました。

ところが、その研究の成果は、単なる言語創造に留まらず、こころそのものの構造までも解明してしまったのです。そのことによってこころの動きが分かってしまうということは、こころによって行動することが分かるということです。

行動が分かり、その行動の現れは文化文明歴史創造となり、世界史の行方までもが、明かされてしまったのです。

こんなことを言うと笑われますが、われわれが笑った後に口にする言葉は、古代大和の聖人たちが創った人造の言語に沿って笑いの内容を喋っているのです。だから各人は喋ったことに意味を感じていられ他の人たちに通じていると思うことができるのです。われわれの異議の唱え方の次元もその方法も古代の聖人にはお見通しなのです。

これは単にこころの動きを見てこうだと何かを定めたのではなく、こころそのものを言葉で定めることを創造したのです。そうすると、こころの動きがこころそのもので定められていき、こころの表明である歴史もこころの動きそのもので定められることが分かってきました。

歴史分野はここでは検討されませんが、こころの動きを敷衍していくと、こうこうこうなると、古代の聖人たちは分かっていました。

こころの動きと、こころの現れである言語の動き、言語による創造行為、人の創造行為である生活社会、文明歴史、これらが全て同じ原理原則でもって動いていることが分かったのです。

こんなことは現代までのどんな偉人も哲学者も神でさえも教えてくれない事柄です。古代大和の聖人はその秘密をスメラミコトが継承するようにしました。しかし、継承は内容が時と共に形骸化し忘れ混ぜられ混乱無化していきます。

歴史のこころの動きが分かっていたといっても、数千年単位で考えられることです。主体である人間のすることに個々の場面からする逸脱はいつでもあり、崩壊消滅は常のことです。

それに対して古代大和は万全の措置を施していました。

そして、意識的な世界史はここから始まるのです。物質社会の豊かさのためユダヤの役目を定めたり、精神安定の為にあちこちで宗教を創造させたり、大元の指導精神原理が失われないように、大和言葉を一民族にのみ与えておきいつでも比較できるようにさせ、その民に原理の象徴暗喩を与え、数千年後に解明させるようにしておきました。古事記はその流れの中で書かれたもので、皇統紀を伝えるためだけに抜き出して書いたものではありません。

全部が一つの和の世界に向かうように作られています。ということで、われわれは自覚しようとしまいと、その古代の大和の聖人の決めた意識的に作られた流れの中にいます。

さて、 この古事記の腹這いの段落は古事記の中では現象子音が発生した後のことですが、ここでは母音の発生に該当させます。

ここで【葡匐(はらば)ひて】といっています。

謎解きをすれば、腹-映えのことで、腹の緊張が心に映えてくるということです。

哭(な)きたまふは勿論鳴く、発声発音することで、腹の内部の緊張に合った心の同調を求めて心と腹の映えてくる音との関係を研究検討をしたということです。

発音が起きるためには、身体的生理的な条件と意識的な条件が必要です。ここで生理的な条件の方からだけ見ていくと、母音とはなにかの生理条件とそこからくる発音の流れが出てきます。

科学的な経験的な実験によって検証できる知識の集積と、今まで持っていた過去知識の出番となります。母音となにかという疑問は母音について知っていることを出すということです。

しかしここでは意識の始め、母音の始めを問うているのですから、始めを問う意識しか持っていないはずです。確かに既に母音についての何らかの概念知識はあります。しかし、その概念知識によって問いが引き起こされているのかもしれませんが、ここでは問いの中にある知識を明らかにしようというのではありません。

わたしたちの始めは「あめつちの初発の時高天原に成りませる神の名は」でした。つまりここでいう母音という名前しか知らないものが「成る」ことを問うているのです。

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13-1-4。言霊ウの発生。母音以前。腹映え。

何も知らないのに、あるいは言葉だけしか知らないのに、人は問い疑問を持つことができます。「古事記の言霊学」なんて言われても、当初は言われた言葉だけからしかイメージが浮かびません。古事記・言霊・学・等の知っているものからイメージを形成して関心があれば疑問を持つし、共感反感できる言葉となっていればそれなりの対応があります。

普通はそこで直ちに個人的な反応が出てきて、その個人なりの言葉が出てきますが、ここで行うことは、その言葉の出所を探すということです。現象となった言葉があればその前の直感閃き、イメージもありますが、それらを形作る言葉の元が何処にあるかを探しているところです。

伊耶那岐は、古代の大和の聖人は、自分の腹の動きに注意を向けました。

そこで、古代人はどのような言葉が使われようと、

・ 感情を現す時には感情の腹、

・ 知識を経験を問題としている時には知識の腹、

・ 五感感覚での欲望を充足させる表現の時には欲望の腹、

・ 困ったことどうするかの選択を使用としている時には選択の腹、

・ 意思決定し行為をしていこうとする時には創造意思の腹、

この五つの腹の違いを認めたのです。

現象としては腹筋、腹圧-反圧、胸中の呼気と声帯への反応が様々になることでしょう。

その収集整理分類は一代限りでは不可能でしょう。さらに帰納演繹を通して取捨選択し形を付けるまでには数世代が必要でしょう。

ここでの導きの糸は各人が持ち寄った各人の心です。心の世界で処理されていきました。「心の世界で処理」なんて言うとどういうことかと思うでしょう。それに対して、こうだこうだこういうことじゃないのかというような、現象を分析するような回答は一切しないことが重要であったと思われます。

心の世界で処理とは何だというとき、その時の心に持った疑問に回答することではなく、疑問が起きている腹の状態を見たのです。そこで、いろいろな疑問が集められました。疑問の内容ではなく、疑問を持ったときの腹を検討したのです。

そうすると面白いことに、どのような疑問があろうと疑問の内容に関係なく、疑問を持つという腹具合が共通していることに気付いたのでした。

おそらくそこから疑問の腹が固定され、それに応じた声帯の運用が生まれ、そして発声が生まれていきました。

そこで、疑問を持つことと同じ腹状態を作る発声を探ると、疑問を持つということは「オ」の発声をしている時と同じ腹具合であることが発見されました。

こうしてついに主体的に「オ」を発声をしてみると、「オ」の腹具合と疑問を持つことの腹具合の一致が分かり、意識を「オ」の発声に向けると、疑問を出すことにもなることを見いだしたのです。詳細は後ほど。

自分の廻り、宇宙世界の全事象と発音される音との関係を探していくと、心の状態と五つの母音が対応していることも発見しました。ここで母音と心の事象との対応が見つかった時、同時にその両者を介在させるものも発見したのです。

心の感情事象の腹での腹筋の変化が、アの母音の発音事象と同じであることと同時に、両者はアからア(ワ)へ結ばれていく過程が見えたのです。疑問の心はオからヲへ。

この結ぶ働きを父韻といいます。それが泣沢女(なきさわめ)のことで、そこで見いだされた腹の緊張を起こし同時に心を同調させ心の発声に映えを起こすものが有るということで、橋渡しというようなものを見つけました。

パソコンの画面を見ている時には、光点と視覚の関係ではなく光点と視覚を隔てる空間を結ぶ何ものかがあります。この何ものかによって、誰にとっても同じドットの集合でしかないのに、異なった意味合いをもたらせる何ものかです。これは現象ではなく現象の喚起動因といったものでしょう。

それを、泣沢女(なきさわめ)といいます。泣沢女は普通言われる悲しみを現す女ではありません。腹と心の同調反映具合を起こす為に鳴き発声して音と心の一致を求めている父韻のことです。(男神か女神か気にしたければ男です。主体側のこころの動きを男、毘古などとしていますので。女の方に泣くことが多いので泣く-鳴くにかこつけて「女」という字で現しただけです。古事記の男女神の区別は枝葉末節な関心事で、主体側か客体側かをいいます。)

こうして、母音の発声と心の事象は母音の次元で一致していくことが確認されたのです。その為には腹這いというほどの激しい研究訓練、数世代何百年の時間が費やされたことでしょう。その成果が我々の日本語で、言葉は神が与えたのではなく、超超努力した血の結晶です。

心の母音事象は全て一般的、無限性、全体的、等が特徴です。母音の発音と同じ鳴きやまないことです。

例えばパソコンの画面を見て字を読んでいますが、字を読んで納得する一瞬手前の文字と対面したその瞬間瞬間の連続を構成している始まりの時間があります。

字は瞬時に読まれ納得されてしまいますが、この視覚でさえも数秒の何十分の一単位での時間の流れがあって、その初発を形成しているのは全体性です。古代人はここに言語の発生の根拠を見いだしたのです。疑問の「お」で見た通り、疑問の内容に関係なく、疑問を持つ心が「お」と同じ全体性を持っています。

前大和の言語や外国の言葉では、心の事象と発音の関係が検討されず、たんに指示事象と意味内容事象とが当てはめられただけものとしてそのまま発展してしまいました。

古代大和人はここで、心の事象に対応する発音事象の対応を追求していったのです。

心の事象は全世界が五次元になっていることを見抜き、それに全く丁度五母音だけが対応していることを見い出したのです。

そこから他の外国語のようにものを指示する言葉ができていったのではなく、指示する言葉が内容実体となっている、世界唯一の言語の基礎ができていきました。、

そんなことが可能かどうか不安と期待に満ちた日々を過ごしてきたことでしょう。

そんな一端が

(3) 波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。

(4) 次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。

という名前で残されています。

ハニ=言葉の粘土板、ヤス=安らかに安定正確で安心できる、音と文字。

ここから全く新しい体系で、心を表現できる言葉が全人類の為に用意されていったのです。

こころの次元が五次元だというと、現代はいろいろと次元に関して知識があるのでああだこうだと言われますが、日本語を創った大和の聖人が心は五次元だと言っているのですから間違いがありません。霊界、宇宙神の何次元というのは、同じ言葉使いになっているというだけで、人の心を現したものではありません。

もし、次元世界に文句を付けたい方は、まず自分の話している大和-日本語を捨てて自分の言語体系を創ってからにしてもらいましょう。ただし人間の心を超えて宇宙は十次元だ、その霊界は十二次元だというような荒唐無稽な次元話には付き合えません。

意識は進歩発展していき、間違いは訂正されると言う時も同じです。現象を現象で説明しようとしてもきりがないのです。人のこころを解明し、言語を創造し、歴史を創造できた人は古代大和のスメラミコトを以外にどこにもいません。

人の意図と意志が関わらない歴史は生物的な作用反作用、物質的な自然な変化です。古代大和の聖人の歴史意志を現すその為に、ユダヤはスメラミコトから選ばれた神選民族とし指定され、スメラミコトは天孫となっているのです。

この元となる原理がフトマニといわれます。心の創造と言葉の創造と社会歴史の創造とは同じフトマニ原理が適応されているのです。この十三章は言葉の発生を扱います。まずは一般的なことを記しました。

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