『0-0 古事記の冒頭、心の原理教科書』

古事記は心の原理論教科書です。ですので、まず全文を載せます。用語は神の名を用い、その他を用いて暗喩隠喩で心の成長を説明したものです。

例えば冒頭の「天地」はあめつちと読み、吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)となす、と読み下します。意味は私の意識の向けた先がそれこそ私の天地世界となる、です。テンチなどと漢語読みにすると、古事記の真意が見えてきません。

正しい解釈と応用の証明は、各人の心の適用によっています。一人ずつ解釈理解の違いがあると同時に、それらは一言でまとめられていますので、自他および個別一般の双方の総合止揚されている理解が求められます。

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古事記の冒頭原文。意訳付き。

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、意識する始めの時

高天(たかあま)の原(はら) 頭脳中枢に

成りませる神の名(みな)は、 形成される先天実在は

天の御中主(あめのみなかぬし)の神。次に 意識の中心を成すものがある。次に

高御産巣日(たかみむすび)の神。次に 意識の主体側を成すものがある。次に

神産巣日(かみむすび)の神。 意識の客体側を成すものがある。

この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。この三者はそれぞれ独自の世界を形成しているが、それ自体としては現われない

次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、 初期の意識の組み合わせで若くて、はっきりした形を取らず、暗く不明瞭な形容をしている時に

葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、 記憶が次々出てくる意識の世界に出来てくるのは

宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に 霊妙な記憶の連鎖を産み出された元となる意識。次に。

天の常立(とこたち)の神。常に記憶を提出する意識

この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。この二者の精神機能もそれぞれ独立していてそれ自体としては現われてこない

次に成りませる神の名は、過去が記憶として今に引き出される、次に

国の常立(とこたち)の神。次に 意識を常に今これからに立たせようとする意識。

豊雲野(とよくも)の神。どこに立たせられるか配分、選択される意識。

この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。 この二者も他からは独立していて他に依存しておらずそれ自身としては現われてこない

次に成りませる神の名は、 先天実在の次に、意識の先天動韻を紹介する。

宇比地邇(うひぢに)の神。次に 今有るか無いかを現象させる力動韻

妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に 今有るか無いかの現象を持続させる力動韻

角杙(つのぐひ)の神。次に 今から過去の現象に結び付られようとする力動韻

妹活杙(いくぐひ)の神。次に 過去の現象を今に結び付けようとする力動韻

意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に 今から未来に向いそこで収まり静まる力動韻

妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に 未来に今を受け取らせ拡張伸張させる力動韻

於母陀流(おもだる)の神。次に 今全体を開き表面に開花する力動韻

妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 今全体を受けとり中心部に収束する力動韻

次に 先天の実在、働き(有り方、生き方)に続いて、

伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に 実在と働きを誘い現象を結ぶ先天の根源韻で成り様の主体側を司る

妹伊耶那美(み)の神。 実在と働きに誘われ現象を結ばれる先天の根源韻で成り様の客体側を司る

(以上が心の原理で、吾(あ)の先天実体構造。)

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、 先天の意識の働きが始まって、それが人の先天意識の主客の実在と働きに作用して

「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。 このまだ現象にはっきり現われてこない意識の組み合わせを明示するようにと、先天の発声器官である舌を使用するようにいわれます

かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、 そこで誘い合う実体を意識の主客を結ぶ動韻の両端に立たせて

その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、 発音器官である舌を用いて四つの実体(塩)を混ぜ合わし発音してみて

引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。 聞き較べて主客の合致して(聞き取れる)形と成っていく言葉の領域がおのれの心の島となります

その島に天降(あも)りまして、天の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。 その自己領域に立ち、自らの心の中心を確立し、こころの拡がりを拡張していきます

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、 そこで自己意識の客体側実体の半母音の働きに「どうなっているか」と聞けば

答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。 答えて、「心を音で表そうとしても、柱を立てるにも殿を建てるにも地盤が鳴り続けて閉まり固まることがありません」と答えた

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

そこで自己意識の主体側実体の母音の働きが言うには、「わたしが音を出すたびに頭に子音が突き出てくる」

(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。 そこで主体側の子音頭をあなたの鳴り合わないところで塞いで、形のある音を作ろうと思うがどうだろう」と問い、半母音側も「それは良いことだ」と答えた

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。 そこで主体側は「それなら自己意識の形を得るために、意識の実を得るためのそれぞれの間合いを取り合おう」といった

かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、 こう約束して言うことには

「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、「あなたは実体の実を取るようにしなさい。わたしは実体の働きをとることにする」と言って

(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、 それぞれの実と働きを得て合わせようとするときに

伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、 イザナミがまず「永続する実体(緒常)がある」と口を開いた

後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。 そして後からイザナミが「働きのある実体(緒留め)が有る」と従った

おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。 二人がいい終わった後で「働きの実体を捨ておいて、ただ有ると言うのはふさわしくない」といった

然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。 しかし有るものは有るという一般性は有用なので、働きを持たないまま産んだ

この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。 この子は言葉の一般性として言語活動の共有物とした

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。それでも有る無いをしめす主体から客体へ行く最低の働きだけは得させた。しかし正規の現象結果ではない

ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。 現象の生み方をもう一度問い直した。

ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。 そこでギミの二神は主体でありながら先天に左右されることのない方法を聞きに行き、実在一般性を先に持ち出すことの非を認めた

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、 そこで主体の用い方を変え、まず働きを提示し、次いでそれに見合う実体を見出すようにした。そうして、

子淡路の穂の狭別の島(みこあわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。 意識の最初の働きである、有る無し主張の核を作る働きに対応した領域実体を産んだ

次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。 心の内容の予めの領域が主客として

現われます

この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。 アワジノ島の内容はオエヲヱです

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、 エを秘めているからオ、

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、 選る主体でエ、

(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、 言霊の都のヲ、

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。 言霊を選り分けたヱ、

次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ) 三段目に面四つの内容となっているオエヲヱの大いなる心の部分

次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。 知性の律を尽くす四面がある

かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、 シリ

(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、 チイ

(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、 ヒニ

熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。 キミ

次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。 イの気

次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。 先天の力動を心象に渡す

次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。 心象を物象に渡す

次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(みそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。 物象を物質現象へ渡す

然ありて後還ります時に、

吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。 初期の運用規範。先天規範。

次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。 主体側の働き規範。八種。

次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。 大いなる運用価値を持った主体側の規範。

次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。 主体的な価値によって創造された表現現象。

(黄泉国)

次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを) 主観だけの主張をたしなめる。

次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。 主客の合一した世界。

既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は 心を産む領域を確保した後、言霊を産む

大事忍男(おおことおしを)の神、次に 先天の全体が心象として押し出される。言霊タ

石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に 五十の言霊要素に付く主体力動で八父韻と二親韻の働き側。言霊ト

石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に 五十の言霊要素を秘めていて四つの意識次元の実体側の棲家となる。言霊ヨ

大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に 先天の付く力動が前三者を通して宣(の)り父韻が母音に付きそれぞれの次元から個別の世界を産もうとする。言霊ツ

天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に

大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に

風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に

(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に

水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に

(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。

この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

沫那芸(あわなぎ)の神。次に

沫那美の神。次に

頬那芸(つらなぎ)の神。次に

頬那美の神。次に

天の水分(みくまり)の神。次に

国の水分の神。次に

天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に

国の久比奢母智の神。

次に

風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に

木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に

山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に

野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。

この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

天の狭土(さづち)の神。次に

国の狭土の神。次に

天の狭霧(さぎり)の神。次に

国の狭霧の神。次に

天の闇戸(くらど)の神。次に

国の闇戸の神。次に

大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に

大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、

鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に

大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……

次に

(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまびこ)の神。次に

金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は

波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に

波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。次に

和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

殺さえたまひし迦具土の神の

頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に

胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に

腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に

陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に

左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に

右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に

左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に

右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いぶや)坂といふ。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に

投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に

投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

時量師(ときおかし)の神。次に

投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に

投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

道俣(ちまた)の神。次に

投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

奥疎(おきさかる)の神。次に

奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

辺疎(へさかる)の神。次に

辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に

大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神。次に

大直毘(おほなほひ)の神。次に

伊豆能売(いずのめ)

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に

底筒(そこつつ)の男(を)の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

中津綿津見の神。次に

中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

上津綿津見の神。次に

上筒の男の命。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

天照らす大御神。次に

右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

月読(つくよみ)の命。次に

御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

建速須佐の男の命。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

(かれ)、各(おのおの)(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。

以上が言霊学の原理となる原文。

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