キ。言霊の会・残る1つのキーワード
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ユダヤはこの時に何処へ、もし統一した時には三千年の成果を引っ提げて、始祖モーゼの魂の故郷である日本の国へ舞い戻ってくる。これは目に見えている、どういうことか、ここ二三年に私の所へ訪ねてきたユダヤ人が皆口を揃えて言うことがある、何か言われているのかもしれないですが。
何処へ行くかと言えば神足別豊鋤天皇の霊統を受け継いだ今の皇室へ何故行くかと言えば、ユダヤ民族には三種の神宝、日本の三種の神器と同じものがあったと旧約聖書にハッキリ書いてあります。
それがダビデ王の時までは契約の箱に入っていたのは分かっておりますが、次のソロモン王の時代には、三種の神宝は契約の箱からなくなっていたと、これも旧約聖書に書いてございます。
世界で一番優秀な民族はユダヤ民族であると言って、事毎に言っておりますユダヤ民族が三種の神宝を持っていない泣きの涙。それを日本が持っている。それを何とか、新しい世の中が来た時にもイニシアティブを執る形にしたいと思っていることは間違いない。
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日本の国に来るであろうと思われますが、その時に日本の皇室は三種の神器はありますが、三種の神器が何であるかが分からない。ということは皆、言霊の原理が分かれば、三種の神器がどういうものであるかがハッキリ分かってくるわけですから、この仕事もこの会に関係しないと分かりません。
そういうようなことで何年かかかると思います。ユダヤが世界中を統一して「これでいいだろう」とするのは。そんなに長くはかからないとは思われます。その間にこの会がやらなくてはならない仕事、天皇家、もしくはその外戚に言霊の原理を報告しなければなりません。
明治天皇ご夫妻が言霊の原理に気づかれて、山腰弘道氏と三人で復興する研究に取り掛かれて、明治天皇が亡くなられて民間に移った。この事が経綸上、大切なことでして、今ここに至って、もし宮中で研究が行われていたら表立っては出来ない。何故なら政教分離ですから。
そういうこともあり民間に移ったという幸いがございます。研究を継いでこの会が何らかの形で、宮中の何方かに、天皇でなければ外戚の方に報告しなければなりません。今から六七年前までは、今の天皇へはこの会報が届いていました。
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ある右翼の幹部が私の所へ来ておりまして、この会にも何度か見えて、会報をまとめて二十部くらい持って行きました。その方の、その時の文藝春秋の編集長が天皇陛下の学習院大学の同級生でしたので、その方に頼んで渡しましたよと。
でも、読んでも分からないでしょう、ですが渡ったことには人伝ながら、今度はどういう形で伝わるか、期待はしておりますが。もしこれがうまくいけば、うまくいけばの話しですが、第三文明が始まる第一歩が始まることになります。
これついて、「宮中賢所物語」という本に書いてございますが、「かしこどころ」と読まないで「けんじょ」と読むらしいです。宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)と言われる大切なお宮が三つあります。
皇霊殿は外来の天皇の霊をお祀りしています。神殿は皇室をお守りしている神様をお祀りしています。賢所の説明は、世界で一番賢い所ですから何があるかはお分かりでしょう。
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今、私が言霊の原理をお話ししておりますが、大本はここから出た。古事記の上つ巻は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三神は・・・」と書き出されます。
天之御中主神が言霊ウ、高御産巣日神が言霊ア、神産巣日神が言霊ワ、国之常立神が言霊エ、天之常立神が言霊オ、というように百音の神名が出てきます。どうしてそれが結び付くのかは山腰弘道氏以外の記録がない。
ということは宮中に記録があって、勿論、山腰弘道氏が賢所へ行って探し回ったのではないことは確かです。明治天皇ご夫妻がご承知であるから、それが出来たのであろうと思います。
古事記の神名と賢所にある言霊五十音の結び照らし合わせがなければ、言霊の原理は成り立ちません。好きなように付けたわけじゃない、こうでなくてはならない結び付き。五十神と、五十通りの言霊の組み合わせは一生かかっても出来ません。
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これの組み合わせは何百人が三十年ぐらいかければ分かるかの膨大な研究になります。一人が出来る仕事ではございません。昔、大勢の方達が何千年掛けてした仕事をまとめたものだということは考えなくても分かります。
それが山腰弘道氏以来、当たり前の如くに出てまいりましたから、これは宮中から出てきたものだとハッキリ分かります。その組み合わせがある所が宮中賢所、仏教で謂う普賢菩薩、遍く賢い、普賢菩薩行法経の中に、仏教の三種の神器を持って現れる。
法華経をお読みになると普賢菩薩行法経が付いていますから。普賢菩薩が象の背中に乗ってあることをします。その時に言霊らしき記述がどんどん出てまいります。普賢菩薩は仏教の天津日嗣天皇のことです。そのように解釈しますと意味がスーっと通っていきます。
「宮中賢所物語」は皇霊殿と神殿に、お掃除したり、何かの時の器物をお供えしたりするような仕事をお仕えされ、75才で退官になり、宮中三殿の傍に暮らされて57年間、朝から晩まで三殿にお仕えしご奉公された口述を書いたものです。
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それを読みますと女官の方のお話しですから、三殿がどういう建物だったかは書かれておりません。こういうような時にはこういうようなことをした、こういうものはこのような名称で表わしていたというようなことが、事細かく書いてございます。
このことから、そのようなことは別として使われる言葉が総て昔の言葉。しかも、それを文章に表していない。口伝えで覚えないと務められないように何千年に亘って、少なくとも奈良時代、平安時代からズーッと同じ言葉でそれを継承している。
けっして教えてくれない、先輩の言うことをただ覚えるだけ、これが意味深い。文章に書きますと言葉が眠ったもの。眠ったものを読むと又目を覚まします。昨日読んだ記憶と今日蘇った記憶に違いが出て来る。
ですから文章に残さないで口伝えが一番正確に伝わる方法であることらしい。ここにも書かれておりますが、文章として残っているものは一つもない。お仕えしたら先輩の言う言葉を聞いて、このことはこれを指していることを覚えながら、次へ渡していく。
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天皇家は、昭和21年に「古事記と日本書紀の神話は天皇家とは無関係である」と勅令、天皇の宣言として発表して以来、天皇家は奈良時代、平安時代の言葉遣いそのままに信仰の行事として実行なされているということになりますと、賢所も言霊の原理から見れば、口伝えがどういうことを言っているのかがピタッと分かります。
そうしますと「易経」という中国の本に形而上を道といい、形而下を器というとあります。三種の神器の神器、これは形而下、物。それに対して形而上は心、内容。これを道としますから、形而上の道は言霊の原理のことです。
この道と器が崇神天皇の時に分かれてしまった。原理は伊勢神宮の八咫鏡、熱田神宮の草薙剣、勾玉は玉置神社にあると言われていますが、宮中にあるかもしれません。宮中にありますのは総てイミテーションです。
そのイミテーションでもかまいません、道と器が一緒になった時、何千年も前からこういうことがあって、ズーッと宮中に伝わってそのままに言霊の原理が復活してきたということは、人類はこういう可能性を実行できることを授かっているということが、世の中の人に知られてくる。
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天皇家は、昭和21年に「古事記と日本書紀の神話は天皇家とは無関係である」と勅令、天皇の宣言として発表して以来、天皇家は奈良時代、平安時代の言葉遣いそのままに信仰の行事として実行なされているということになりますと、賢所も言霊の原理から見れば、口伝えがどういうことを言っているのかがピタッと分かります。
そうしますと「易経」という中国の本に形而上を道といい、形而下を器というとあります。三種の神器の神器、これは形而下、物。それに対して形而上は心、内容。これを道としますから、形而上の道は言霊の原理のことです。
この道と器が崇神天皇の時に分かれてしまった。原理は伊勢神宮の八咫鏡、熱田神宮の草薙剣、勾玉は玉置神社にあると言われていますが、宮中にあるかもしれません。宮中にありますのは総てイミテーションです。
そのイミテーションでもかまいません、道と器が一緒になった時、何千年も前からこういうことがあって、ズーッと宮中に伝わってそのままに言霊の原理が復活してきたということは、人類はこういう可能性を実行できることを授かっているということが、世の中の人に知られてくる。
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その時には地球上の人間の心が動き出す、活動が開始する。国連はガチャガチャした我利我利亡者の集まり、戦争をなくそうとして、理想的な世界を創ろうとして、つくられた組織ですが、いつのまにか権力争いの場になってしまいました。
何故ならば、日本までが常任理事国になりたいと言って却下されましたけど、それが当たり前、日本は戦争を放棄すると言った、平和憲法を持っていて、それを今自民党が変えようとしていますが、「常任理事国になりたい」と言うのは如何なものか。
「いやいや、私はそんな柄じゃないよ」、貴国がならなくて誰がなりますか?お願いしますよ、「そうですか、それじゃ、引き受けましょうか」と言えばいい。それを「なりたい」とするのは情けない。
なってもいいだけのことをやってます、日本は。バブルが弾けても国連費に寄与しているのは日本です。おだてられたくさん出して、出すのは良しとしても。人間は少しくらいのプライドがあっていい。
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日本の国にユダヤ人の霊能者が来る時に、当事国の日本が「大祓祝詞」を意味が分からず唱えている。私が伊勢神宮へ行って、内宮の鰹木が十本、外宮が九本の違いの意味を出会った神主さんに訊きました。
そうしましたら儒教を引用してきました、びっくりした、伊勢神宮が建てられたのは二千年前、儒教はその何百年か後に日本へ入ってきた。それを実しやかにとうとうと述べる。
聞かされた私が困ってしまった、得意満面に述べる神主さんは本当に信じているんだろうな、信じている人に「そうじゃない」と言うのは馬鹿げています。伊勢神宮の神主さんが、一番大事な鰹木や、千木の意味をしらない。國學院大學の教授でも知らない。
大嘗祭の意味も知らない、私の先生は「猿芝居」と言った。神主さんが猿芝居をするのではないのです、猿が猿芝居をやるようなものだ、分からなくてやっている。言霊の原理から見ますと一目瞭然、意味が分かる。
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ただ、大祓祝詞を隠しても世の中こうはならない。その中心にある言霊の原理を隠したからこうなった。精神文明時代は言霊の原理が中心として、国政や教育をそれに則って行っていた。言霊の原理を知らないで大祓祝詞の解釈をしたところで、何のことか分かりません。
それは石上神宮に伝わる「布留の言本」についても同じことが言えます。私の先生が「フルノコトモト(布留の言本)を解いてみなさい」と私に言いました。解くのに一年かかった、あるポイントが一つあって、それが分かりましたらあとはスラスラと解けた。
自慢じゃないですが、三千年間解けなかった唱え言です。それは言霊の原理を知っていたから解けた。先生は「まぁ、こんなものでしょう」、先生の褒め言葉です。「せっかく出来たのですから石神神宮の神主さんに送って差し上げなさい。」
丁寧に書いて石上神宮の神主さん宛に送りました。ウンともスンとも言ってこない、着いたのか、着いていないのかも、分からない。少し頭にきましたからこの次の本を書いた時に、その経緯を書きまして、それを石上神宮へ送りました。そうしましたら巻物のお礼状をいただきましたが、唱え言の意味が分かりましたということは書かれていない。
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もう一箇所は剱山の石鎚神社、大きな神社らしいです、行ったことはないですが。誰も気が付かないことを発見したので、それを文章にしてお送りしましたら、これも丁寧なお礼状が届きました。本の代金が同封されていて、それで会報を何年間かお送りしました。
「若い神主さんの教材として使わせていただいております。」大したものだ、説明もなしに教材に使うとは。世の中は不思議なことがあるものです。
そうかと思いますとこの会の会員さんで、東京の出版社を退職しまして高野山に転居し高野山大学へ入った方がいらっしゃる。定年退職されたのですから60才過ぎの女性の方で、高野山大学で教えている先生は自分の息子位の年齢です。
受講した後に言霊の話しを良くしたらしい、「それは面白いですね」と助教授の人が言い出して「今度学生に教えましょう。」貴方は教えるくらい分かりますか?と聞きますと、「これくらいのことなら分かります」と。
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その助教授が学生を集めて講習会をした、そうしましたら、言霊でも何でもないことをとうとうと喋りだした。この人は落語家になった方がいいんじゃないか(笑)。もうその方は卒業されたとこの間お手紙を頂戴いたしました。
その講習会に使ったのは私の本でしたから、助教授の方に「本の著者の方に私が東京へ行った時にご了解を得ましょうか?」と尋ねましたら、「私が手紙を書きます」と助教授がおっしゃったそうですが、手紙は来ていません。
私の所へ来ても「嫌だ」ということではないのです。この学問を金儲けの本にしても構わない、どんなことに使われても構わない。何故かならば、一万年前からのご先祖様からの子孫のために遺してくれた原理ですから、私が否応を言うことではないのです。
私の所が本拠本元と言われて名指しされたわけではないのですから。私の先生もそう言っていました。「値なくして与えられたのですから値なくして与えよ。」「絶対にお金はとらない方がいいよ」と先生に言われた教えを守って、どんなことでもお金は頂戴しない。
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出されたら断る、たくさん頂いた時もある、「あなたが一番不真面目な会員だね」と言われて、それ以来、これは私が発明したことでも何でもない、ただ分かりやすく説明しているだけの話です。だからお金は頂戴しない。
こういうことを言うのは憚れますが、昔は祟りがあるとか、古事記を説く者は死すとか、言われましたから説いた人がいなかった。一般に解放されたから説いてもいいということになったわけですから。
ユダヤの仕事の仕上げが何年かかるか分かりませんが、その時までには皇室の何方かにお知らせして、それを天皇がご承知になるということが不可欠な問題。どうなることか、これを成就するにはこの会の責任です。
私がどうする問題ではないですから宮内庁に泣いて頼むことでもございません。皇祖皇宗がおやりになって下さるでしょうから時がくれば。ただし最上のことを申し上げますと、夜明けを告げるための鳴鳥、コケコッコーが三羽いれば都合いい、出来れば。
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この二つの存在は第二物質科学文明を始まった時からすでに明らかになっています。と同時に第三文明のとば口に入って、こうやって皆さんが集まって下さっている、この会、誠に微々たる会が、後の二つに大きな存在から比べて一つも引けをとらない重要性を持っています。
それが今後どうしたら良いかのお話しに入ります。その第三文明のとば口にあって第二のキーワードとしてお話しをいたしましたユダヤの預言者は、今どういうことをしようとしているか、今までのことはお話しいたしました。
これからどうなるか、三千年前のユダヤの預言者は日本の鵜草葺不合王朝の第69代神足別豊鋤天皇という方から、モーゼが使命を受けて子之営々と社会の全面には出ないで、陰の存在として第二物質科学文明を完成させましたが、その成果の財産と知力の総てを使って、何をしようとしているのか。
三千年前の第一精神文明時代には楽しい豊穣な平和な時代だった、その時に再び統一しようとしています。第二物質科学文明がこれ以上独走しますと、人類の生命そのものが危ぶまれる状況に置かれ、ここで一応の息はついておりますが、それからどうなっているか。
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どういう世界を創ろうとしているのか、政治体系的に申しますとユダヤは世界に民主主義を望み、この何十年間の内にほとんど独裁国家はなくなってしまいました。まず、最初に日本が、ドイツ、イタリア、共産国家のソビエトが叩かれました。
今は中国あたりが独裁まではいかないまでも、北朝鮮、イラン等々、まだまだ少しは残っていますが、世界の統一はほとんどなりました。皆さんは、民主主義はいいからユダヤが推奨するならいいじゃないかって思われるかもしれません。
けれど民主主義と申しますのは昔の独裁主義から見れば確かによろしいのです。それでは民主主義が最高の政治体制なのかと言えば、そうとも言い切れない。ユダヤにとって自国の国民以外の人達を「豚」と呼んで人間とみなさない。
民主主義と申しますのはユダヤがある所へ人類を引っ張っていくには誠に良い制度です。中国の古い諺に「一犬虚に吠えれば万犬これに和す」とあります。夜中に何処かの犬が何かに怯えて「キャンキャン」と鳴き出しますと街中の犬が「ワンワン」と吠え出した。
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これは犬の話しではなくて人間の話し。その例として日本では「改革」と言えば、日本中が「改革、改革」と言って、当時の首相は「改革」以外なにも言わない、それが終わりますと他のことを言い出しました。
当時の日本人は、今までの官僚が自分の権益ばかりを追求して、議会は議会で長老が威張り腐って国益の方に目を向けてくれない。それなら改革してくれることは結構なことだ、「改革、改革」と言う声に「そうだ、そうだ」と言って投票する。
改革を謳った与党は圧倒的勝利を収めた、これも民主主義のお陰。民主主義はあるここという中心にポンと石を投げ込めば、水の波がひろがって、あちこちへ拡がっていく傾向がございます。
ある真理から観ますと民主主義は最高の主義ではありません。独裁主義よりは良いだろうというくらいなもの。次の第三文明が来ました時に民主主義はどうなるのか、機会があればお話しいたします。
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もっと良い主義がある、民主主義は百人が投票して49対51なら、51の方が全部を握ることになり、49が不満を持つことになる。人数はたった二人しか違わない、これは絶対に良い制度ではない。
と思えば投票結果が1対99になってしまった。それでは99が絶対に良いのかと言うとそうでもない。一人が正しい場合も無きにしもあらず。ですが99の意見の方に世の中は進んでいきます。
何故ならば物事の良し悪しの基準が分かりませんから、そういうことになる。かと言って民主主義を否定しているわけではありません。私は学徒動員で後三年戦争が長引いていたら、学生帽でもって銃を担いで行かなくてはなりませんでした。
戦後になり民主主義は個人にとって良いように見えています。「戦争中なら生命をかけて国を守ろうとする心は今なら起こらない。今の日本が戦争をするなら喜んで行く」という発言をした人がいましたが、それでは日本の平和憲法が守れなくなってしまうということが分かっていない。
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人間が生命を賭して守ろうとするのはそういうことではなくて、生命を落とさなくても絶対に守らなくてはならないものを人間が知らない。生命を捨ててまで守ろうとするものは何処にもありません。
何故ならば生命が一番尊い。一人の生命を戦争しなくては守れない状態を作ってはいけない。出来たら「やるぞ」ではなくて、絶対に作ってはならないというものです。ですから多数決で決める民主主義はそんなに尊いものではございません。
もっといい方法があるということを言霊の原理は教えてくれます。ユダヤが民主主義で世界を統一しようとするのは、人心を一番操縦しやすい。日本から見て北朝鮮の国民はよく我慢していると思うでしょうが、食うや食わずで我慢しないとやられてしまいますから。
ユダヤにとって民主主義は自分の政策を進めるのに都合の良い主義だからです。経済は間違いなく自由経済。金は回っているから仕事が出来る。何処かで滞っていますと仕事が出来ません。
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ユダヤ人はケチで強欲であるというイメージがありますが、金を回すのがうまい、今の世界はユダヤ人が金を牛耳っているからではございません。自分の意のままに世界の金を自由に使える手段を知っている。それには自由経済でなければなりません。
教育と報道を操作するには自由でなければ出来ません。テレビ、新聞等々のマスコミをユダヤ系が牛耳っています。ということで民主主義、自由経済、マスコミを自由にできない国、北朝鮮、イラン、イラクはぶっ潰してしまいましたから、また独裁政治にはなり難い。
その他小さい国が残っていますが、小さい故に時間はかかりません。世界の統一がそれほど長い時間を要するとは思われません。そうしますとユダヤはそれに専念いたしますから、日本の皇室は未知数、そうすると仕掛け人は何処だ。
ということは第三文明を唱えているこの会が仕掛ける。皆さんが思っている以上に重大な局面にいるのがこの言霊の会でございます。ということから、この言霊の会がどういうことを望み、どういうことをやらなくてはならないか。
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重大なことをこの会は一つだけやらなければならない義務がございます。こんな小さな会が何を言おうとしているのか。神懸かりで言っているのか、それは違うのです。人間が人間と足らしめている総ての条件を捉えまして、それを合理的に生命の構造として捉えたもの。
それを自覚した上で、人間はどういう行動をするのか、しなくてはならないのかを繰り返し、繰り返し考える。人間が授かっている頭脳を最大限に活用し、出た結論が歴史編です。
何遍も、何遍も振り出しに戻って、全部まとめるにはこれしかないという。私の先生が亡くなられる三月前くらいの時に、先生の本をお持ちの方はご存知かもしれませんが、神霊原理からみた禅宗無門関が、あともうちょっとのところで入院されました。
そのもうちょっと残っている公案を「島田さんやってくださいよ」と押し付けられて、言霊の原理はまだ勉強中でしたし、先生が「書け」とおっしゃるなら仕方ない、最後の一頁を、頭をひねくり回して書きましたけれど、先生がこれで「良し」とおっしゃっていただかなければ出版できませんから、入院先へ持って行きました。
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私の先生は「こんなもので宜しいでしょう」、何を書いても達筆、俳句、和歌、芝居の論評もしました。ですから「こんなもので宜しいでしょう」とおっしゃったのは、褒め言葉です。帰りかけたら「島田さん、ちょっとお話しがあります」と声を掛けられました。それであらためましてお話しを伺いました。
「貴方もご存知のように私は言霊の原理を発掘して体裁を整えることがほとんど出来ました。その土台から世界の歴史をまとめてみました。」歴史は一遍しか起こらない、同じことが二回も三回も起こらない、同じようなことは起こっても同じことは起こらない。
「このように書いてみたけれど90%合っていても、10%が合っていなければ、たぶらかすことになる。それは申し訳ないからご破算にして、また組み立てる、繰り返し組み立てる、でも、どう組み立てても最後はこうなる。」
「私は病気で先も長くないですから、貴方に申し上げますが、私が書いた歴史は真実です、嘘ではありません。このことだけは貴方に伝えておきます。」
私は先生の歴史の本を読んで、これは真実だと思っていますからと申しましたら、「そうですか」というような会話をいたしました。それから24年経ちました、先生のおっしゃったことは間違いが一つもない。
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私は先生ほど何回も組み立てるほど頭に材料がございませんから、今ここで我を無くして、これ以上我をなくしようがないほど無くして、世界を見れば、自分が願望するのではなくて、この原理からすればこうなるより他はないな、ということを歴史編で書いたつもりです。
それを基にしてこれからの歴史をお話ししようと思います。先生が亡くなられた以後、サラサラと書いた文章が、歴史編の344頁、歴史創造の心のところ、加筆した方がいいなと思って考えもしないで書いた文章です。
こういう心で、今後話そうとする内容です。怠け者の私がたまには真面目になって書いた文章です。次の歴史はこうなるよ、ユダヤの預言者が今後世界を統一し、自覚を持つまでにある程度時間がかかります。
まだ統一していないことはイラクがまだゴチャゴチャしていますから、イランも大統領が民族主義を強調しています。北朝鮮も残っている、隣の中国、景気が良すぎてバブル、経済成長が一年で9~10%のすごい伸びですから。
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唐の時代から中国は世界の中心の国を目指しております。だから「支那」と呼ばれるのを嫌う、ものすごく嫌がる。支店っていいます、昔の枝は木偏がなかった。古文献を読みますと中国のことを「えだこく(支国)」、「支那」支の総て(那)と書いてあります。
最近まで後進国でしたが今は人工衛星も飛ばし、人口は14億人、裕福ではなかったから今は繁栄を謳歌しているのは分かりますが、あの人口にしてGNPの何%を軍備に持っていかれると周りの国はおっかない。又、昔の中国に戻るかもしれない、しかし、一度自由経済の蜜を舐めてしまいましたから、昔の独裁政治には戻らないだろうと思われます。
ユダヤは中東の仕事を終わり北朝鮮が問題になってきます。そうしますと当然隣国の中国が北朝鮮に対してどういう態度をとるか、世界との板挟みになってどういうことになってくるかは目に見えて来ます。
というようなことから世界統一はもう少し時間がかかるであろうと想像されます。その想像される期間内に何をやらなくてはならないか。さっき申しましたように皇室は皇室でこのまま平民化が進むでしょうが、皇室の方から主張するわけにはいかないですから。
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うるさい!とは言わない、全部受け止める。どうすれば言っていることの結論を、これから出来る自分の心の変化を「こうだな」と設定する。出発点から到着点までどのような心の根回しが必要になるのか。
その時に感情的にうるさく思わないで、全部受け止めた時に子供に愛情を持って答えなくてはならない。欲しい物を買ってあげるには金銭的な、意志上に条件がある。その条件を考えなくてはならない。
それを愛情面で捉えるのが八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、条件等々の説得を考えるのが大禍津日神(おほまがつひのかみ)。感情ではこうだよ、説得するにはこうだよと言って、別々に説得するわけではないです。感情も説得も織り交ぜて一つに纏めて、感情も整い、説得の理由も整いながら、別の子供が受け入れる言葉でもって話します。
このまとめる言葉というのは、感情的に受け入れる言葉と、説得するにはどうしたら良いのかという言葉とは、全然違う言葉として見つけなければならない。そうでないとピシャっとまとまらない。ということは八十禍津日神と大禍津日神を一つにまとめなければならない。
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まとめた言葉の中には子供を甘やかすのでもなく、叱るのでもない。子供が望む純粋なところを取った上で、パッと子供に投げかける言葉でなくてはならない。それを神直日、大直日、伊豆能売と申します。
子供が「欲しい」と言っていることには大直日(おおなほび)、又は何か「知りたい」と言っていることには神直日(かむなおび)、「どうしていいのか分からない」と言っていることには伊豆能売(いずのめ)。それは説得しようとか、困った子供だと思ったり、けなしたりするような発想ではないのです。
その公明正大な明るさ、相手を疑うことなく、説得しようとする気もない、でも総てがうまくいく言葉が光の言葉ということになります。それが大直日、神直日、伊豆能売の言葉であることに気がつく。ここの光が出て来る、そういう言葉が出て来る立場にどうやったらなれるのか。
八十禍津日神と申しますのは、子供がダダを捏ねてギャーギャー騒ぎたてるのを、これを「ヤァヤァ」となかなかなだめられないのを、なだめるという愛情を持ってすれば、やんちゃが止むかもしれない。
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でも、止むかもしれないという言葉と、親と子供の心が一つになって、騒ぎ立てることに向かい合う言葉は違います。信仰的、感情的な言葉では、その場はいいかもしれない、でも後から問題が起きてくる。
八十禍ではあるけれど、それを繰り返すうちに、視点がズーッと上の方に上がって、批判したり、けなしたりする心がスーっと消えていってしまう。そのためのプロセスとして八十禍津日神と大禍津日神はあるということを含んでいる。
心の中の問題ですからつかみにくいかもしれません。会報の4月号にそのからくりを全面的に書いて差し上げるつもりです。
そういう心構えで、この会はどういう方法で二つのキーワード(皇室とキング・オブ・キングス)をまとめようとしているのかをお話しいたします。
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だいたい三つのキーワードの現状は出揃ったのですが、初めからもう一度検討してみますと、皇室はもっと平民的になっていくと思います。ただ皇室自身、宮内庁自身が今後どうなるか、どうしなくてはならないかという大きな方針はないようです。
ただ国民と離れないようにするために色んな手を打つというのが宮内庁の方針のようです。それはそれで結構なことですから。皇室側から次の文明に対してどうするかは、今のところ宮内庁は持っていない。
その証拠には皇室典範を改正する時にコロコロと意見が変わり、将来を見据えるのではなくて、今一つ何かが起こるとコロコロと変わるような考え方です。こういう人達の集まりに将来をどういう心構えにすれば良いのかは言うだけ野暮でございます。これではしょうがないと言うより他にありません。
もう一つのユダヤ族の方はどうすればいいということになりますと、さっきも申し上げましたが、自分の仕事の少なくとも95%は終わって、世界の再統一をするにはイラク、イラン、北朝鮮、あとは細かい所でまだくすぶっていて、完全になくなったわけではございません。
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知らないから無理もございませんが、今後の世界統一ということすら頭の隅にでも考えるマスコミ、有識者がいないようです。何故ならば世界の動きというものが、人間個人の常識ではとても捉えることが出来ないほど複雑、多岐であり、大きすぎて頭脳の中に入らないからです。
上から俯瞰する、見下ろすことが出来ない。これはある一定の所にいるキング・オブ・キングスによって、マスコミが分からないのは当たり前のことであって、目くらましております。
統括しイニシアティブを執っているキング・オブ・キングスは会報にも書きましたように、自分の三千年間の仕事というものが略完成したという事実と誇りと、と同時に今後どうなるかという不安とを持っていることは明らかです。
世界統一の見込みが付いた時に日本へやって来るか、それは何時か、これを言うと予言になってしまいますが、これは向こうの都合、実を言うと言霊の範囲を超えている。何故ならば、三千年間モーゼとその子孫に物質科学文明の完成とその富による世界統一を委嘱したのですから。
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委嘱したからには口を出すべきではありません。これが何時になるかは外的な現象として起こったことから推察するだけです。所と時というものは外的な推察では決して起こってきません。
それをそうさせているユダヤの先天的なところを見通さない限りは決して分かりませんから。これをやれば出来ないことはないでしょうが、向こうに任せたものですから、任せたままにするより他にございません。
では、それだけしかないのかというとそうではございません。ユダヤの経綸、計画というものの、その基礎としての言霊の原理、古神道で申しますと皇祖皇宗のご経綸というものがございます。
この皇祖皇宗のご経綸を本当は握っているはずの日本の皇室が動ける状態ではないのですから。私が細々ながら研究してきたそのことから考えるより他にございません。それはデモするわけでもなく、資金を集めて新聞に広告を出すことでもありません。
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無形の心の光、さっき申しました言霊の光を、お互いの心の中に灯しつけて、その光が自由に大きくなっていく。ある一定の線を越えたならば、必ず世の中が変わらざるを得ない、そのギリギリの一点まで自分たちの光を増していくことにある。
どれだけあるか、その時にはどういうことになるか、それは何処にあるかのヒントをお話し申し上げます。まず、皇室典範で女性でも天皇になれるのか、有識者が集まって論議を繰り返しているようです。
これは一般的な状況を把握することなく後継主義。今は男のお子さんが生まれていない。だからその時代が来た時に女性でならなくてはならないのであれば、女性でも天皇の位に立てる法律を作らなくてはならないから論議している。
今、秋篠宮家がご懐妊して、そのお子さんが男の子かもしれないので、その論議はもう少し先に延ばしてみようという、正に泥縄的なことは有識者の人にお任せして、私達はそういうことの他に為すべき、天皇というものはどういう天皇であるべきか。日本語の語源である言霊の原理から観た天皇たる人はどういう人なのか。
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というようなことを自分の心の中でよく理解していただいて、それに対する基礎となっている光(言霊)の言葉を自分の勉強の目標として、自分のいる所で琢磨する。これが一番大切なこと。騒ぎ立てても始まる問題ではございません。
完全に心の実行の時代に入りました。私がこういうことを申し上げますと、皆さんがそういうように指導されたと思われますと心外です。何故なら一緒に考えて行きましょうとは私は言っておりません。
お互いそのような課題がある時代に正しく生きるよう心がけましょうと申し上げているだけです。決して団結してそういうことを行いましょうとは言っておりません。三人よれば文殊の知恵と申しますが、この原理は決して寄ったところで智慧は出てきません。
一人が宇宙、人の本体は宇宙ですから、一人より二人、二人より三人、集まれば智慧が出て来ると思うのは間違い。宇宙そのものが宇宙を知る現象です、だからジーっと、永遠にそのまま。
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そうしますと面白いでしょ、この世の中をどう移り変わっていくのか、こういうようになってきた、あの時言われたことが本当にそうなってきたな。言霊の原理はそんなに面白いものだったんだということがお分かりくださればよろしいです。
その理解度が進むごとに、その人が望む、望まないに係わらず、世界は明るくなって行きます。明るくなれば闇は消える。闇を向こうに押しやったとか、闇を火星に送ってしまおうということではないのです。
心の光が増して行けば、強さが増せば、闇は消えてしまいます。消えるものに作用する必要はないのです。人間社会のこの三千年は完全にたぶらかされた時代。人間はウオアエイという崇高な五つの性能を頂いています。
この三千年は‘イ’と‘エ’という一番大切な性能を闇に隠した。後に残った三つの性能(ウオア)で生きている。五つあるのに三つで生きているのですから、何か起こらない方が不思議。
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紛争が起こらないようにする何にもない平和な正しい世の中にしようとするには、これをどうにかしようとしてもダメです。陰に隠れた二つの性能をこの世の中に取り戻せばいい。それが知らず知らずの内に広がっていく。
まず日本の実業家たちが、事業をしている方の中に目覚めてくる。これが二千年もの昔、イスラエルから、中国、韓国を通って日本に上陸してきたユダヤの末裔の、その又子孫の人達に違いない。
今、世の中で活躍している資産家はその霊統を受け継いだ方達、その方達が向こうから渡ってくるユダヤのキング・オブ・キングスと何時の日か合流する。この日本を地球の中心とし、きれいな日本にすることを楽しみにしているらしい。
それはどういうことかは、私の会報の「夢物語」に書きました。バブルの最中に書いたものです。ユダヤの筋書き通りに日本はしなかったのでバブルは弾けました。北海道に観光王国を建てるというような内容です。
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日本はそのような時代を迎える。その時に、その機運が来たのだなと思って下さるとよろしいのです。成る程、人間というのはこういうようになるのが人間なんだなと、自分の心のなかに実証していただければそれでよろしいのです。
それが何時なのかは宿題です、内観することによってある程度はお分かりになりますから。覚ました目で見ればすぐ分かります、悪を見ないで善を見ておれば。
皇室は、昭和天皇が昭和21年に古事記と日本書紀の神話は皇室とは関係ないと完全に否定しました。ですが、それから半世紀以上経っても、滞り無く祭り事を行っている。関係がないと言っておりながら、毎月一度天皇は皇霊殿へ行ってお参りしている。
何故か、天皇家がその時までやっていたお祭り事をすることよって、莫大な費用がかかっているにも係わらず続けていることを皆さんはご存じない。大嘗祭の費用たるや如何程になるか。皮を剥かない新材を使い主基殿、悠紀殿を建てる。
この中の調度品は全部新調されます。伊勢神宮もそうです、式年遷宮で移されますが、中も外も全部新調し、お祀りします。この費用だけでももの凄い。
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天皇家がそういうことをズーッと続けてきたのは時が来たならば、太古の天皇の姿に戻るための形式だけを継承している。現人神の天皇に戻ることは出来ない。皆さん、昔のように90度頭を下げますか?
人間が自覚して勉強して、それは自分のための勉強ではなくて、人類のためにこの原理を勉強したなら、ウオアエイの‘イ’まで昇ったなら、このままにして世界が変わる。
皆さんがこの言霊の原理がある程度分かってきて、竹内文献でなくても、ここに書かれている歴史の本を読まれて、今の状況を新聞や何かで理解して下されば、どんなことが起ころうとも「こうなるな」ということが分かる。
分からないのは人間としての性能を全部発揮していない。分かるようになっている、何故分からないか、自分が経験し、自分が聞いたこと以外は真実でないと教えられている。人間はそうじゃない。
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聞いたことというのは‘ウ’と‘オ’が満足するけれど、アエイは全然関係のないところから出て来る。ただこうやっているだけで世界の動きが分かる、動くとしたら何処が動くのか。それに対してどういう手立てをすればよいのかが明瞭に分かる。
だから昔の歴史は、どういうことが起こったかを詳しく書いていない。書いていないのは起こらないから。いつでも申し上げます、起こらない。起ころうとすることはすぐ分かります、起こる前に政治を施す。
政治を執り行う者は起こらないように、一般国民は元気いっぱいに暮らせるように、次から次に手を打っていく、これを「無作の作」といいます。何もしないでやっている、分かっていて何もやらないというよりは、やってはいるけれど国民は意識しない、これが昔のスメラミコトのやり方。
何かにつけ何か事が起きたら、「やれ、改革だ」って、しないよりはましかもしれない。しかし、改革というのは改革しなくてはならないような世の中を作ったのは誰なんだ、それは政治家です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー何かを改革する前に自分たちを改革すればいい、その方が早い。騒ぎ立てずに仕組みを変えて何も変わらずそのままに働いてもらえばいい、そう言われればそうだなって、ですが人間は小学校から大学に入るまで自分を変えることを教えていない。
変えようとするのは自分より以外のところ。他人を変えようとするのはもっとも下劣なやり方。孫子の兵法からしますと百戦戦って勝つのは中の中、百戦戦って負けるのは下の下、戦わずして勝たずに負ける、これ上の上。戦う必要がないから勝つ、負ける必要もない。それで変わればいい、年代と共に変わっていけばいい。
そういう世の中(無作の作)にするためには戦ってもダメです。悪を滅ぼそうなんて飛んでもない。悪は相手の中にいるのではなくて自分の中にいる。あいつを悪と思う心が悪、悪を知らなければ悪とは言わない。
相手の悪をなくそうとするならば自分の悪をなくせばいい。相手は悪で対抗することが出来ないからこの人には悪を使わなくなる。この方が利口なやり方。そういう原理から言いますと今までの三千年はもっとも愚劣なやり方。
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そうしないと近代科学文明というのは発達しないから。コンピュータの最新技術で事業をしている人が一番封建的。最先端のことをやっていながら、あんなことも、こんなこともやっていたよ、新しいことは一つもやっていなかった、古いことの亡骸をただいじくっていた。
そういうやり方はこのあやふやな泡沫の世の中であるからやれる。真実の世の中、実相の世の中になりますと、そういう人ほど失敗する、逆転する。
そういうことを解明しつくしたのが言霊の原理ですから、その目で歴史をご覧になれば、一目瞭然でお分かりになります。また、話せるようになればこれが光の世の中なります。
今までのお話しは会報では書いてございません。3月号の補足を4月号に書きましたことをご承知下さいませ。
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先月まで言霊の原理から観た日本と世界の歴史という題で、十何回かお話し申し上げてきました。本当は先月がまとめだったのですが、時間がなくなって今日は間違いなく終了すると思います。
その後、私に分かったことが幾つかございましたので申し上げたいと存じます。そのお話しで今日は終わりたいと思います。私が申し上げている人類の歴史はこの会でしか言ったことがない、他の方が全然口にしたことがないお話しですので、その根拠は何か。
どうしてこんなことを思いつくのかを不審に思われた方は私の所へおいでください。隅から隅までお話しを申し上げます。
だいたいこの歴史の経緯、一万年前から現在までの経緯を私の先生の小笠原孝次先生が昭和三十二三年頃、その原本は出来ておりまして、現在の日本がこういうように歴史的な繁栄を極めている、そのことを今から五十年以上も前に予言しておりまして、その書いていることが、違ったことがない。
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これからも違わないで進むだろうと思います。ですが、今日私がお話ししようとするのは今日までのことではありません。今日からのお話しですのでその点、ご質問がありましたらご遠慮無くご質問いただき、分からなければ分からないと申し上げます。
先月までのお話しで、人類の一万年の歴史が第一精神文明時代、第二物質科学文明時代、各々だいたい五千年ずつの経過を経て、ちょうど今が変わり目、第一、第二文明が終わり、第三文明の時代に入ろうとし、戸口で戸惑っているという段階です。
戸惑っていると見られるのは、一般の地球上の現象から見ますと戸惑っていますが、言霊の原理から観ますと、戸惑いではなく、一つの節目、節目で次の創造に入るための準備期間のようなものです。
その準備期間の実体をよく知りますと次にどんなことが起こってくるか、起こらさなくてはならないかということもお話し出来ると思います。今までの歴史を「どっこいしょ」と背負って、二つの問題、一つは日本の皇室、天皇。もう一つはユダヤ民族の霊的な指導者である預言者。
「日本と世界の歴史」講座(H18年2月・会報213-01)
ブログ
言霊・言霊学・コトタマノマナビ 2015年10月25日
からの引用。
去年の十二月から今年の一月と三つのキーワードの内のまず、日本の皇室の現在はどうなっているか、その次のこの三千年の歴史の創造を委託されたユダヤ民族の中枢部はどういうことになってきたかをお話ししてきました。
次にこの二つの鍵を握る言霊の会の現在はどうなっているか。こうお話ししますと皇室の歴史は正確に言いますと、八千年乃至一万年、今の歴史学からいいますとだいたい二千年の歴史がある。千代田の御所を見るだけでも素晴らしい皇居ですし、素晴らしい伝統を誇っております。
第二のキーワードのユダヤもモーゼ以来三千何百年伝統を以って、モーゼに授かったカバラの原理を保持して未だに世界の歴史に関与している。近い将来念願の再統一を完成させようとしている。
今は未だアメリカに本拠を置いておりますが、虎視眈々と心の故郷である日本へ行く日を伺っているお話しをいたしました。
今日から言霊の会のお話しをいたしますが、こう見ましたら何千億と持っているようなお金持ちもいらっしゃらないようだし、大臣を呼び捨てにするような偉い人もいそうでないし、それがどうして三つのキーワードの中に入ってしまっているのか。
喋っている私は頭がおかしいんじゃないかと思われるかもしれません。ある人がこの会で発行しました三冊の本と昭和63年から17年間ズーッと続いております会報、203号から204号になるところ、その記事を全部お読み下さって、分からないところをとことん話し合いをなさって「だいたい分かった」と、もしなったとしたら。
前に挙げました二つのキーワード、皇室と世界の覇であるユダヤとが、自分ではどうしようもない、動けない、やることをやってしまっていますから。
これからどうするのかは、何時に掛かって、しょぼくれた何処にあるのか分からないようなこの会が動き出さない限りは何も出来ないということが、お分かりになるのではないかと思います。
言霊の会が生まれまして17年、言霊の原理というものが復活してだいたい百年、その間にやっとここにきて100%近く解決してしまったこの現在では、世界中の人々を根底から覆す大変革をもたらす起爆剤となる言葉です。
それが当会から出て来るだろうと言い切っていい創造の仕事の第一声はここから始まる。私の先生は「新しい世界政府が出る臨時政府です」とよく私にお話しされましたが、そういう力を持ったこの原理を世の中にお知らせしようとする会です。
その会が、その原理が、どういう変遷を経て、ここまで完成してきたか。それをお話しすると同時に、完成された原理が後の二つの皇室の中に、まだニューヨークに盤踞しているキング・オブ・キングスという非常に頭の良い、戦ったら敵なしといわれる人達にどういう影響を与えていくのか。与えていくにはどういう言葉が飛び交うか。
この言霊の原理が千九百年乃至二千年の闇をつんざいて、フェニックスのようにこの世の中に蘇ってきたところから、この現在、言霊の原理として完成するまでのお話しを少しお話し申し上げて、この言霊の会自体が実は闇の世界から光明の世界へ打ち出てきた。それがこれからどうなるのかのヒントになりますので、このお話しから始めさせていただきます。
今まで何回もお話し申し上げてきましたが、この言霊の原理、学問、二千年間眠っていまして、初めて人間の脳裏に浮かび上がってきたのは、紛れも無く明治天皇ご夫妻からでございます。
明治天皇ご夫妻のたくさん素晴らしいお歌がございます。ご夫妻が「言の葉の誠の道」とか「敷島」とかをお歌に詠まれているのは、言霊の原理のことです。「言の葉の誠の道」は三十一文字の和歌のことだと今の国文学者は捉えております。
和歌は「言の葉の誠の道」であることに間違いはないですが、何故和歌が三十一文字で出来ているか、そして俳句は五七五の十七文字であるのか。それは言霊で説かない限り分からないことです。また、三十一文字は五七五七七でなくてはならないのか。
許されても字余りの一字限り。それ以外では俳句でも和歌でもなくなってしまう。それは厳密に言霊の原理の中で示されることが出来る。日本特有のものだからです。
和歌の道として明治天皇の奥さんでした昭憲皇后が一条家からお輿入れされましたが、その嫁入り道具の中に「三十一文字の和歌の道」という本があり、それに言霊の学びの要点が書かれていたと言われています。
私はその本を見たことがございますが、明治天皇ご夫妻が言霊を復興させる努力をしたお相手が、山腰弘道さんという方がいらして、皇后の書道の先生であったそうですが。書道家として明治時代では有名な方でした。その方から聞いた話しでございます。
昭憲皇后から明治天皇がそのことを聞かれて、そういうことならば賢所の中にたくさんあるよというお言葉から、調べてみたら古事記と言霊の原理に関する資料があり、これがなければ古事記と言霊は成立しないという大事なところがございます。
自分の心をジーっと見つめていけば分かる可能性はあるけれど、こればかりは何十人、何百人の人がいくら自分の心を見ても分かりようがないところがございます。それは何か。古事記にあります五十の神様と五十の言霊とがどういうように繋がっているか。
古事記の冒頭の文章、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(言霊ウ)、次に高御産巣日神(言霊ア)、次に神産巣日神(言霊ワ)・・・」というように次から次へと五十の神様が出てきます。
その最初に出て来る十七神が人間の頭脳構造の先天言霊。先天言霊が活動して人間の頭脳内に現象として現れてくる三十二神の言霊、足して四十九言霊。それを文字として表す火の夜芸速男の神(言霊ン)の一言霊を加えて五十神。その五十言霊を五十通りに動かす。
五十言霊が五十通りにどう組み合わさるかを何百人の人が昼夜兼行しても膨大なものです。計算しても気が遠くなる計算になります。一つ違っても言霊の原理は成立しません。もし言霊ウを言霊トにしたら全体系が崩れてしまいます。
それを明治天皇が「賢所にはそういう資料があるよ」と言ったに相違ないのです。もしそうでなければ、今の会に伝わっていることはございません。私の先生、その先生の山腰明将氏もその通りに講義しております。
明治天皇がどのようなコンビネーションをお使いになっていたかは分かりません、見ることが出来ませんので。ですがそこが一番大切なところです。明治天皇ご夫妻と山腰弘道氏の三人が研究を始められて、明治天皇ご夫妻は言霊に関する和歌をたくさん詠まれています。
敷島の大和言葉を立て貫きに織るしず機の音のさやけさ
「立て貫き」の貫きは横のことです。まだ言霊の原理が人類の文明創造の原理であることがよく解らなかった昭憲皇后のこのお歌は素晴らしい、読んでいるだけでもスカッとする大和言葉の原理で以って、日本語の原理で以って世界の文明を創って行く。
私は一日に必ず明治神宮へお参りして言霊の研究はここまで進んでおりますとご報告に上がります。いつも鳥居の傍に明治天皇ご夫妻のお歌が掲げられておりますが、明治天皇は十何万首のお歌を詠まれた。昭憲皇后はもっと多いかもしれません。
どの歌もスラスラと読める、ああしようか、こうしようかと頭を捻っているようなお歌ではございません。これが人間のアという心から出て来る歌のあり方でしょうか。
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明治天皇のお歌に
聞き知るはいつの世にならん敷島の大和言葉の高き調べを
明治天皇が言霊の原理の復活に手を着けられて、亡くなる時にお子さんの大正天皇へは伝わらなかった。ではそれから言霊の研究はどうなったか、明治天皇がご夫妻の書道の先生である山腰弘道氏へ伝わりまして、実際に受け継いだのは山腰弘道氏の次男であった山腰明将氏でした。
山腰明将氏は陸軍に入られて、言霊の研究のために陸軍を辞められ、貧乏しながら研究資料を集めて、ものすごい資料だったそうですが。六畳の部屋の天井に届くほどだったと私の先生から聞いております。
ある時、山腰明将氏の一身にも、研究資料にも災難が起こります。両方共に亡くなってしまいます。終戦の時の悲惨な話ですが進駐軍のジープに跳ねられ肝臓破裂で亡くなられ、言霊の研究資料は火災によって全部焼滅してしまい、無一物になってしまいます。
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それでも山腰明将氏が遺してくれていた大切な一冊の本がございます。「言霊」の表題の手摺りの本があります。私の先生の小笠原先生が亡くなる時に「島田君、これあげるよ」といただいた、唯一つだけこの世に残した、焼けなかった本としてあります。
この本は大東亜戦争が始まる、太平洋戦争が始まる一年前、昭和十五年の三月、日本の中枢にいた人達が集まった会の時に、どう考えてもアメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告しなければならないようになってきた、戦争は避けられない。
だけど冷静に考えてみれば三対一からして武力の差は明白である。しかし元寇の時は大風が吹いて元の艦隊が木っ端微塵になったけれど、船は鋼鉄になっていくら嵐がきたところで沈むわけがない。
ならば頼りにするのは精神的な拠り所である。日本にそれがあるのか、そうしましたら陸軍の某氏が「山腰という人物がいる、日本建国の以前から日本民族の宝としている日本語の原点の学問があると聞いている。山腰に来てもらって話を聞こうじゃないか。」
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この時先月の講習会を開いた明石町の公民館のちょっと先、昔の築地だった水交町にあった海軍将校の社交場で三月の十五日から一週間に一度十回に亘って、「言霊」と題して山腰さんが講演した記録が残っております。
そこに集まった面子がすごい、講演するのは山腰氏一人ですが、当時の内閣大臣総て、日本軍の元帥、大将、皇族方、警視庁総監等々が、十回の講演中、一人も欠けずに参席したそうです。
お読みになれば血が湧くほど熱血漢の講演だったことが分かります。熱気が怒髪天をつく、場内をシーンとさせる気力でもってお話しされたであろうと察することが出来ます。ただ、研究が初歩でして日本語の音韻学に則って五十個の言霊とその動きを説明されたお話しだったようです。
音韻学と申しますのはアイウエオの響きの学問。ウオアエイの母音のウから始まってイに至る発音は上にいくほどしにくくなります。口の開け方を複雑にしませんと言えないようになっています。
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一番言いやすいのは‘ウ’です、どうやっても言えます。‘ウ’の口で‘イ’は発音できません。その響きを音韻学といいます。私はそのように聞いただけでどういう学問かは存じません。
動物の鳴き声もウオアエイの順で高等になっていきます。「イー」と鳴く動物は少ないです、「キー」と鳴くのは多いですが。そのように言葉の持つ難易度を響きとして捉えて言霊に当てはめ説いた学問です。
文章を読んで分かりますが、誰も知らない音韻学から説いておりますので、山腰先生が一生懸命お話しをされたのでしょうが、一般の人が理解するには至らなかった。
その結果、言霊の原理は国際政治に応用するところまでいかず、とうとう昭和十六年の十二月に太平洋戦争が勃発し、勝つことのない戦争が始まりました。そして無条件降伏で終わります、昭和二十年の八月に。
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言霊の原理の講話に出席された面々が本当に理解されたなら戦争は始まらなかったかもしれない。戦争なんてまた実力をつけて立ち上がればいい、こちらが強くなればしなくても済んでしまう。その時期ではなかった。
そうやって山腰明将氏が亡くなられて、その時の水交社の講演を筆記したのが私の先生の小笠原孝次先生です。亡くなったことを後で知って駆けつけましたら資料も焼けてしまった後だった。
小笠原先生は人類の宝の言霊の原理の第一人者である山腰明将氏が急死して、膨大な資料も焼失して、自失茫然として死んだようになってしまったと私にお話し下さったことがあります。一年間どうしたらいいのだろう。
一年と一月経った時に小笠原先生は猛然と立ち上がる。何もなくなったとはいえ、講演の筆記が残っているではないか。言霊と神名を結びつけたものはここに残っている、と同時に言霊の原理は人間の心と言葉を結ぶ究極の原理と言うからには、人間の生命の究極の原理であるということが出来る。
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ということは自分の生命が死ぬ気になって知ろうとするならば、何処かで自分の思索と言霊が交差するところが見つかるかもしれない。何もなくなってしまったのなら、これをする以外道はない。
その決意した日から、釣り道具と唐傘を持って多摩川へ行き、降っても晴れても釣り糸を垂れる。釣り糸の先には餌が付いていない、そのようにしていないと当時は物騒でピストル強盗が流行っていて。
座禅して自分の心の根源を探っていたのですから、夜中まで川辺に佇んでいる。照っている時は唐傘が日傘に、雨降りの時は雨傘になり、そうやって二年間、盆も正月もなしに座禅をなさったそうです。
これも気が長い話だったでしょうが、仏教の空即是色、色即是空という人間の心の本体、これを掴まれたという話です。そうしましたらすぐさまに言霊と交差した。
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何もない色即是空が自分の本体だと分かったら、古事記はその本体を「高天原に成りませる~」と書いてあります。これが「空」であることが分かって、後は案外早くスラスラと解けていったそうです。まえがきには「言霊の本が出来たんだよ!と大空に叫ぶ、と歓喜していました。
私が小笠原先生の所へ伺ったのは昭和37年、東京オリンピックの少し前。その時は言霊に関する先生の本は一冊もなかった。色んな謄写版で作った冊子があるだけで、全然本というものがなかった。というよりは本にするほどお金がなかった。ものすごい赤貧で、なにしろ座禅ばかりで働かないのですから。あるはずがない、食べるのがやっと。
「空」を知って直ぐに竹内文献と照合して、「これからの日本はこうなるよ」を書いた「第三文明への通路」という本に書かれた予言は今に至るまで一つも間違っていない。そのように先生が亡くなられる昭和57年まで、多数の本を出版されました。
古事記解義「言霊百神」が初めに出まして、次に「第三文明への通路」の歴史を書き、「言霊開眼」、古神道から見た禅宗「無門関」、「世界維新への進発」、そに他手摺りのパンフレット多数。
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昭和57年11月27日だったような記憶があります、一日二日ずれているかもしれませんが、その一月前、11月に入った頃に電話をいただいて「すいませんが、ちょっと早く来て下さい」ということで入院先を訪れました。
入院先の先生は思いの外ピンピンされていて「ちょっとここにおかけください。」座りましたら「私もそう長くはない、島田君、後をお願いできますか?」そんなことあるはずないですよ、嫌ですよ、「いやいや、私はこれで最期です、そのような気がします。」
「お願いできますか?」と言われて「嫌です」とお応えした。先生みたいに頭が良くないし、根性もないし、取り柄がないのですから、他の人がいたら他の人にお願いして下さい。私はいくらでもその人の下でお手伝いはさせていただきますが、私なんぞにとても先生の後は継げません。
そうしましたら敵もさるもの、そう言うだろうから奥の手を出した。「では言い直しましょう、私が亡くなったら私が教えたことはみんな忘れてしまって下さい。全部忘れて、貴方の好きなように喋って下さい。これなら出来るでしょ?」
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これなら出来ないはずはない。それも出来ないとしたらこちらも嘘をつくことになる。それはそうですね、「じゃあ、出来ますね?」、はい、今から考えると何だかたぶらかされたように思いますが。
それから一月足らずで先生は急逝された。具合が悪くなられてから数時間で亡くなられた。七十九歳と十ヶ月、あと二ヶ月で八十歳でしたが。私の先生にお会いした方はここにいらっしゃいませんが、先生を知っている方は二三人今でもおられますが。
天上の神様がこの言霊の学問だけを勉強し、人に知らせるために臨時に人間になったのではないかと思えるほど人間離れしておりました。大勢の前で「ダメ、君が言っていることは違っている、それが分からなければ死んでしまいなさい!」
ある時、酒屋でね、始まった、「ダメ!死んでしまいなさい!」、先生が偉いところは「ダメ!死ね!」と言った人にもニコニコと笑う。本当に怒るってあぁいうことなんだろうと思います。本当に人のためを思って怒っているというような方でした。
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後を頼みますよと言われた後に、「ついでだから私の葬儀もやって下さい」、ついでに葬儀もやるって、引き受けたからには「承知しました」と返事しましたら、また「ついでに」って、次は何だろうと。
「葬儀はお寺でするのでしょうが、私は戒名というのは要りませんからね」、これには困った、お寺さんに戒名は要らないと言ってもなかなか承知してくれませんでしょうから。どうしようかと思案して、こっちで戒名を用意してお布施は渡しますから認めて下さいということにしました。
戒名は「言霊院孝次居士」、坊さんにお布施を弾むと言っておりましたから不承不承。お墓にもその戒名が刻まれています、仏教の不可解な戒名はなし。「どっちみち私は墓の中にはおりませんから。」そういうことから私が先生から受け継ぎましたのが昭和57年です。
「あなたの好きなように…」と言う遺言ですから先生の本を教科書にするわけにはいかない。私はそれから五年掛かって二冊の本を書きました。「言霊」という本です。次に「続言霊」、これは、今は廃刊になっています。
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これは教科書にするつまりというよりは、私が言霊の学問を研究し、勉強し、人に広めていくには、どういうようなことが骨子になるだろうかと自分の心を試すために書きました。
書いてみましたら先生に頼まれた後というのが三つあるということが分かった。一つは先生が書かれた古事記解義「言霊百神」という本の中に、「ここまでは分かったのだが、これから以後は自分の心で証明されてなくて分からない」、そのことを完成してくれとおっしゃられたのだなと、そのこととは「禊祓」のところ。
私の先生は「無」から始めて完全に言霊の学問を現在の人間、少し難しいですが、人間の言葉で表した最初の方。山腰明将先生は音韻学を元に研究されましたが、私の先生が生きている人間の心を知って書いた初めての方。
心として言霊の学問が出来ているのですから、それをどう、しかも世の中はこうなるよという本も書かれていたのですから、これをどう世の中に当てはめていけばいいか。これを下敷きにして人間の住んでいるこの世界が、どう移り変わっていくかを一日一日、覚めた目でもって見て見届けるのが私の役目であろうなと。
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昭和63年、翌年は平成になりましたが、二つの本を土台として会報を書き上げましたが、何処に配ったらいいか、50部刷ればいいかなとも、家内に50もあってどうするの?と言われましたが、結局全部はけて足らなくなったくらいですが。
最初は知人、友人に配るのがやっと。勿論、無償で送ったり配ったり。その内に転機が一つございました。一年も経った頃にクラス会である友人と会いました。彼は直木賞作家で森田誠吾というペンネームを使っていました。
彼にも会報を送っていました。直ぐに手紙が来て、当時会報は一部300円、一年間で3600円分が同封されていました。あげたのに金を送ってくるなんて不思議だなと、でも彼には魂胆があった。
代金をいただいたので毎月送りましたら、二三ヶ月経った頃に何ページの何は俺が書くとこうなるよと校正した文章を送ってきました。なるほど直木賞作家だけあって、うまいのです。
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「君は自分が勉強したことを自分の思うままに書いている。学問ならそれでいいかもしれない、だけど貴方だって一号につき300円いただいているのだろう。金をいただくのなら商売だ。読む人の身になって何故書かないのだ。論理的に難しくなって押し付けになっていないか。読む人の身になって書くとかえってその方が楽だよ、どうなの?」と付け足しに書かれていた。
それを言いたいがために会費を払っていた、払わなければ発言する意味がない。確かに自分が勉強した通りに書くというのは易しいようで難しい。どうとられるのかを気にしますと、むしろ読み手の気持ちになってしまった方がどんなに書きやすいか、ということに気が付きました。
五目色不動という、東京に五つの色の目の名前のお不動さんがあって、それを書いた会報から文章が変わった。そうしましたらお陰様で読んでいただく方が増えました。文章を書くのは一生懸命ですが、配信するのがなかなか煩雑で。
送るだけではなくて返事も書かなくてはならないし、体が何個あっても足らなくなってしまいますから。そうこうしているうちに百号、先生が会報を百号出していた。先生と同じ号数になったなと。これから恩返しだな、百五十号になった時に大祓祝詞の話をしてくれませんかと何方かに頼まれた。
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それで大祓祝詞の勉強をそんなにしておりませんでしたので、何回も頼まれましたので、大祓祝詞を繰り返し、繰り返し読んでいる内に、有難いことに言霊の学問をしますと、大祓祝詞がスラスラと分かってきます。
古神道に関することは言霊の学問を隠してしまいますと全然わかりません。言霊の学問が分かっていれば全部分かるように仕組みになっている。それでここの所で会報とこの会の行事に転機が来ます。
大祓祝詞の話を八ヶ月間講習会しました。その八ヶ月間に言霊の学問を熟知しますと、何処が違ってくるのか。世の中の何処が違ってくるのかがハッキリ分かってきた。
と同時に、それはどういうことかと申しますと人間のどん詰まりでこの世の中を変えて行くというのは、言霊の原理はこうだよ、こうだよと一人一人にお話しをして、言霊の原理を分かった人がまた人伝てに、口伝てに話していくのは「オ」のやり方です。
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理論的に一人の人に分かっていただくのも大変なのに、世界中の人々に分かっていただくには、とてもこんなことをしていたのでは、人類の進行方向に向かって、危機が迫っているのに、こんなことで間に合うはずがなかろうにと。
そう思うと目の前が真っ暗になりました。努力はしていてもこんなことでいいのだろうかとだんだん世の中が暗くなっていきましたが、大祓祝詞の話をしている途中から以後、光という言葉が出てきました。
言霊のことを一字で「霊(ヒ)」といいます。それが走る、駆る、ひかる。ひかりの語源が言霊から来ているということが分かった時に、先生との一番目の約束、言霊の原理である禊祓以降のことがザァーっと分かってきた。
以前、私の入院の話をいたしましたが、その時に言霊の禊祓に出て来る「奥(辺)疎の神」、「奥(辺)津那芸佐毘古」、「奥(辺)津甲斐弁羅の神」の六神が立ち上だかって分からなかったのですが、これを解くのに63才から初めて「分かった!」、七年かかっている。後の十何神は十年かかっている。
この古事記が分からないということは、問題を出されてそれが分からない。他の人が分かっていて、自分が分からないということではないのです。私が分からないと疑問を出して、私が答えなくてはならない、誰も教えてくれない。
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六神に七年、モタモタしていて気の長い話ですが、やっている本人にとって気が長いということではないのです。早く分かりたい、こうなのか、ああなのか、そればかり毎日考えておりますから。
七年かかって、やっと入院したお陰で、会報は途切れなく出すことが出来ましたし、発送のお手伝いをしていただいて、私は原稿を書くだけで、後はその分からないところを考えるだけで良かったのですから。夜になりますと目を光らせて頑張りました。
それが分かると八十禍津日神、大禍津日神に入り、これに今まで十年かかった。今日あたりにやっと分かったような気がします。略100%分かったと、今後はその略が消えるかもしれません。
これが分かるということは、全部分かれば実行できる、その気配がございます。1300年前に太安万侶さんが謎々で遺したものが解明できたのですから、天にお帰りになるでしょう、きっと。この頃、家内が「太安万侶さんの夢もみない」と言ってましたから、満足されたのでしょう。
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そのように展開してきまして、これから起こることは総て言霊の原理が、孫悟空がいくら暴れたとしても、阿弥陀様の掌から出ることは出来なかったように、世界中がどんなに踊ろうと、言霊の原理の中にあって、外には飛び出さない。
それが出来ない内に「こういうことになりますよ」と言いますと、歴史の先取りになります。それは予言、慎むべきことです。先を言いますとろくなことがない。聞いた人が「あっ、そうか」で済んでしまいます。
ところが、言霊の原理の解明が完了した後の予言なら、予測ではなくて命令になります。「こうすべし」と。いよいよ島田は気が狂ったかと思われるかもしれませんが。言霊の原理とはそういうものです。
だからこそ、天皇が「こうせよ」とモーゼに言った言葉は三千年もその通りにユダヤ民族を動かしている。霊の世界に霊縛というのがあって、縛ってしまった。ですが、言霊の原理は霊縛、霊呪ではございません。
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人間が人間とたらしめている原理から発せられた言葉ですから、その人に使命を与えるだけのことです。そういう時代にいよいよ入ってくるのだと思います。復活した言霊の原理が第一のキーワードの皇室に、第二のキーワードのキング・オブ・キングスに、どのような裁量を及ぼしていくか。
言霊の原理による歴史が、世間でいわれる歴史とは全然違った見方で考えられるようになります。その一例を申し上げます。大切なことですから申し上げたいと思います。
昭和21年1月に当時の昭和天皇が「人間宣言」という詔勅を出されまして、「今までの古事記と日本書紀の神話、いわゆる天照大御神の神話は日本の皇室とは関係ない」と言って否定してしまいました。
それまで日本の皇室というのは、それまで憲法に日本の国家は「大日本帝国、万世一系天皇これを統治す」、日本国は万世一系である連綿として血筋が繋がっている天皇が治むべき国であると言って、天皇の地位の根源を古事記と日本書紀の神話として物語っていた。
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その神話と天皇とは関係ないと言い切ってしまいました。昭和天皇がその時にどういうお考えでおっしゃったかはわかりません。敗戦により日本中に進駐軍が入ってきて、日本の国体、国柄をどういうようにするかの論議に入ってきたわけです。
その時に天皇というものをなくしてしまい、大統領制の民主主義にするか、または天皇を置いておいて、立憲君主制度にするか、色んな説が飛び交う中に昭和天皇が英国の例を取り上げて「英国の如き国柄がよかろう」と初めに進言することによってイニシアティブをとったのでしょう。
アメリカみたいな民主制国家ではなくて、一つの中心を持ちながら投票で以って国柄を決めていく立憲君主国がよかろうと。現人神という天照大御神を奉った伊勢神宮の大神主としての天皇の位置を否定なさった。
その時の右翼がものすごく騒いだ、右翼の存在事由がなくなってしまいました。天皇が国家を統治するのではないということになりましたから、その時に私の先生が「島田さん、あの時もっと広い目でみたらどうなるか、わかるかな?」と言ったのを覚えている。
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天皇が古事記と日本書紀の神話と関係ないとおっしゃったことは、天皇ご自身もその後どうなっていくかは思いもよらず、ただ、そう言ってしまいませんと、周囲の環境がそこまで言ってしまわないと、天皇という存在がなくなってしまうことを心配されて、そうおっしゃったのだろうと。
でも、皇祖皇宗のご経綸の上から観るともっと大きな意味がある。それを今気がついたから君にお話しするからね。古事記をそれまでは個人的に説くと死すと言われてきた。大学の講義としてならともかくも、個人的に記紀を説くことは許されなかった、タブーだった。
昭和天皇が「関係ない」と言ってタブーだった鎖を解いてしまった。だから誰もが日本書紀、古事記の研究、勉強が出来るようになり自由になった。それまでは天皇の専売特許だった古事記、日本書紀を誰も解くことを許されなかった。
それは霊縛といってもいいでしょうが、それ以降、誰もが広く説けるようになった。ということは言霊の原理がどんどん世の中で研究されても差し障りがなくなった。今日に至るまで会報の中で許された自由な身で研究が出来るようになりましたから、このように皆さんにお話しができるほど立派に言霊の原理が復活しました。
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と同時に今の皇室を見ますと、現人神として神様のように崇められて尊い天皇家が、いよいよ平民として、誰とも変わらない姿に変わりました。その時に天皇が今でも霊縛されているとしたら、誰も手を付けられなくなった、天皇の空位時代になって、その時に言霊の原理の解明が完了した。
天皇家の行く先に大きな変換をもたらす一つの大きな時機に入ってきたということが出来る。そのための昭和天皇の人間宣言だった。以上のことを私の先生がお話し下さいました。それを20年以上も前に「そうなるよ」とおっしゃっていた。
この間の紀宮様の結婚式で見た天皇家の和やかなご様子から、先生のおっしゃったことがいよいよ始まったなと。平民になることで天皇の意義を自由に論議することが出来る、どうならなければならないかも論議することが出来る。
と同時に言霊の原理は平民でなくては分からない。ただの一個の人間でなくては分からない学問です。それが誰もが出来るということは天皇も出来るということが初めてなってきた時代。
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今の言霊の会の現状についてお話しいたします。
大祓祝詞の話で「光」ということを初めて、また、禊祓の一番の課題である「光の言葉」が出てまいりました。当然その後から「光とは何ぞや」、古事記にその光の登場を見ることが出来るかという問題が残ってきます。
何処から光で、何処から闇ということになるのか。その光とこの会との繋がりが今のこの会の現状と見てください。今この会に備わっている光によってどんなことが出来るのか。それは光の大きさ、強さの程度で決まってまいります。
古事記の文章を読みます。
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)。
次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。
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これだけ読みますと何のことかサッパリ分からないでしょうが、自分の心の中の動きとしてお話しくださると、よくお分かりになってくると思います。
奥疎の神(オキサカルノカミ)から辺津甲斐弁羅の神(ヘツカヒベラノカミ)までの六神がわかるのに七年かかったと申し上げました。このことが分かりましたので、それから十年かかっています。
六神から次に入るところを今読んだわけですが、伊邪那岐の神様が世界人類を自分の体として、自分の心を自分の心として考えることを伊邪那岐大神と申します。対象を自分の体として、対象を変化させるのではなくて、対象が変化すると同時に自分も変化する。自分が変化することによって対象も変化させられる。
そういうことから禊祓を始めることになります。その時、対象を自分の体と考えた時の状態を真っ直ぐに見て、こういう状態であることを判断するのが‘奥疎の神’。
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例えば奥さんが「忙しいだろうけど旅行に一緒に行こうよ」、「忙しくて行けないよ」と言う時に、奥さんがブツクサ言ったら、ブツクサ言うなというのではなくて、奥さんも自分の務めの一つだなという気になって、自分の心は自分の心として、奥さんの体は自分の体だと思って、どういうように奥さんに言えば喜んで納得してもらえるかな。
というように考えられますと、奥疎の神は奥さんが「旅行に行きたい」と言った状態。奥さんが納得して「じゃあ、折を見て行きましょうね」という結果の状態が‘辺疎の神’。
では奥疎の神から辺疎の神へ変化するにはどうしたら良いのか。奥疎の神から辺疎の神へ動かそうとする力、これ全部を‘奥津那芸佐毘古の神’と言います。那は全部、芸は業、業をもって助ける(佐)働き。
「行きたーい」とごねる人を「二人が都合の良い時に行きましょう」に動かそうとする力、これ全体を‘奥津甲斐弁羅の神’と言います。「奥」は主体側から「辺」は客体側に落ち着かせる。
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言い出した時はこう、落ち着いた時はこう、が別々だと効果ありません。要するに一つで言うことをきかさなければなりません。それには奥と辺の回を減らさなければなりません。(甲斐弁羅)その力が動きます。
一つの言葉で納得させ、まとめる、というような方法があるということが決まってから、先ほど古事記の文章を読みましたところに入ります。
次の八十禍津日神、ダダをこねる奥さんがいて、有難いことなんだな、だから怒らないで「何とか仲良くなりましょうよ」と言う気持ちになりましょう、自分がなろうよ。‘ア’という精神的な感情、奥さんを責めるのではなくて、穏やかな気持で奥さんの言葉を受け止めましょう。
大禍津日神は言霊の‘イ’ですから、学問上ではこうなっているから、こうしようよ、理屈での説得、両方ともこれではダメ(禍)ですよ。両方とも何故ダメなのか、どちらも闇の世界からの混乱、そこから引き上げようとする。闇の観念が言葉の中に入っている内は「こうすべし」と言う言葉が入ってこない。
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闇から自分自身が抜けださなくてはならない。その時に光の言葉でなくてはならない。八十禍津日、大禍津日から抜けださなくてはならない。そこを改めなければならないという時に光の言葉が浮かび上がる。
人間は日常、こんなことを考えもなしにパパパと言って、仲良くなったり、喧嘩別れしたりする。ところがそれを人間の心の一つ一つのプロセスに設定して、そのプロセスを説明しましたのが今までのような話です。
古事記の神様はそういうプロセスを一つも抜かすことなく、五十のプロセスを踏襲しながら結論に持っていく、これ以外の方法はない究極の説明をしています。ということは一つも取りこぼせませんので、一つ一つを説明することになります。
聞いてくださる方もそのブロセスを自分の心の中で、どういうプロセスを言っているのか、何処のところを言っているのかを確かめませんとなかなかお分かりにならない。
よくありましょう、「こうしたい」、お子様でも、それが出来ないことがあります、やってあげれない時がある。その時に駄目だししてしまうか、ウン、それはいいね、今度しようね、今やるとしても、これで我慢しなさいよ、というような時にどういう心がそこに働くか。まず正面から全部受け止める。
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人間が人間である最小限の資格は言霊の原理ですから、これを知っている方が、否が応でも責任を負うことになります。ただし「やれ」と言っているのではないのです。適任者がやるように出来ている。これで予言の何たるかは一応終わります。
もっと詳しく、何時、何処で、何が起こるのか、半分くらいは言えるかもしれない。でもこれを言いますと馬鹿みたい、「あっ、そうか」で終わってしまう。将来のどんなに真実を言おうが、当たるも八卦、当たらぬも八卦で言おうが、神懸かりだよと言おうが、結局「あっ、そうか」です。
だから予言するということは実はやっても、やらなくても同じこと。にも、係わらず私がこんなに申し上げるのか、そこに意味がある。申し上げること自体は「あっ、そうか」で済んでしまいます、それで結構です。
でも、もう一つその裏に言わなくてはならないことがある。それで言っている、このことで以ってお知らせし、もしこのことがそうならなかった時のことを心配するからです。その時には残念ですが、人類は地球上にいなくなる。
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私がこのことを言っているのではなくて、国連の科学部門の方が公表していることです。2080年には南極、北極の氷が溶け出して海面が上昇する。科学の予言はそうなります。その時になったら対策をすればいいというわけにはいかない。少なくとも何十年も前にしなくては間に合わない。
そうなりますと余裕がない、そういうことになりますと好みもしない危険が迫ることをお伝えしなくてはなりません。さっきも申し上げましたが、言霊の原理が分からないと何方も分からない。だから言霊の原理は難しい、理屈で難しいのではないのです。
今の学問で解けないから難しい。偉い学者、国学者でも分からない、何故なら、学問は概念で解釈する。生まれたままの人間の性能から解釈するのではなくて、仮説を設定して仮説を元に解釈します。
この解釈では真実の原理は解けません、それは月読命の領域。ですから月の光で世の中を見るようなもので、ぼんやりとして真実が見えません。この原理は天照大御神の原理ですから、太陽が燦々と照る中で物事を見る原理です。
何事の心象も明白です、その原理が二千年の沈黙を破って、ここに99.9%復元されましたので、ここにこうやって申し上げることができています。私のような者でも皇祖皇宗が遺して下さったことをペラペラと喋っておりますが、言っていることがよくお分かりにならなければ、ご勘弁下さって、ご質問でご理解いただきたいと思います。
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この先にやることは一点しか申し上げておりません。この会がやること、まず天皇に言霊の原理を知っていただくこと、それしかない。これ以外に世界を救う方法がない。よくキリスト教で最後の審判と申します。
どういう審判なのか、第二物質科学文明を完成し、その成果の富により、まがりなりにも世界を統一して、日本に舞い上がってくるユダヤの預言者を「三千年、ご苦労様でした」と労をねぎらうと同時に「神足別豊鋤天皇があなた方に教えたガハラの原理は、人を押しのけるには負けることはない教えではあるが、これからの永劫の平和の時代には通用しません。」
「さて、どうしますかね?」、ユダヤも分かっています、敵がいなくなれば剣を振り下ろすことは出来ません。全部が部下になるわけですから。その時にどうするのか。ところが三千年も因業を積んだ、人を負かさなくてはならない戦いと妬みの神がやった仕事です。
腹の中は真っ黒です。それを悔い改めさせるにはどうするのか、これを最後の審判と申します。一対一で決めることです、他の人には責任がない。昔から何百万、何千万と亡くなった人達を慰めるためにも、そういう世界を創った宗家の人が霊の懺悔をしなくてはなりません。それを「しなさいよ」と言うのも日本の天皇でなければなりません。
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私なんかは何の因縁があって反省のしっ放し。ですが反省しますとご褒美が来ます。皇祖皇宗がくれる飴は大変美味いのです。心の底から有難い。なんでこんなことまで分かってしまうのか。
何でも私が質問して私が答えなければならない。その気にならないと教えてくれない。「もうダメだ」とお手上げしないと教えてくれない。ダメだということは自分の力ではダメだということです。自分の力がフッとなくなりますと、先入観がなくなりますと、すると、フッと分かる。
喜んでそれをやっていましたから何の苦労もなかったですが、ユダヤの霊能者にとってはとても辛いことでしょう。そういうことをまったく知りませんから、意気揚々として日本に舞い上がってくる。
そういうことをたった三人が世界を動かす、どういうことが起こるのか。三人いなければ一人でも結構とはどういう意味なのかをお話しさせていただきます。
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私は何時死ぬか分かりませんから、後三人。三人いれば文殊の智慧の三人ではなくて、天地の初発の時、高天原に成りませる・・・と言って、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神のことを造化三神といいます。
造化と申しますのは創造していくという意味です。言い出しっぺと、そうだと相槌を打つのと、実行するのと、この三人、昔から言い伝えられている。老子はこのことを「一、二を生じ、三、万物を生じる」と、言霊でも数霊でも。
ですから三人いれば有難いのですが、いなければ一人が三人の役目をしても構わないですが、それより方法がない。ただし勉強している方の魂がちゃんとそれを応援して下さいますから、それによって事足ると思います。
成就した暁には世の中の価値観がどんでん返しいたします。今までの価値観が真逆になります。俺が、俺が、と言っていた人が一番下に、知っていても黙っている人が先になる。
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袋の中に大工さんが使うキリを入れてぶん投げますと先が出ます。黙っていても、黙らずとも、適任者がそれをやるようになる。これが運命というもの。運命の通りにこの世の中がなる、これが一番公平です。
その人が一番適任だからそれをやる、嫌だと言ってもやる、それが世の中を公平に運ぶ、一番よい世の中です。ギャアギャア騒がなくてもそうなる。これでだいたいどうなるのかの大綱はお話ししたと思います。
ユダヤは今までのこと続ける他ない、これから新しいイニシアティブを執ることは出来ない。日本の皇室は知りませんから、このまま平民化が続くことになる。昭和天皇が人間宣言された時に、イギリスの皇室のようになればとハッキリおっしゃった。だからその通りになると思います。
ですが先のことはお分かりにならない。分かっているのはこの会だけです。なにしろ、世界の人口が63億人(平成18年現在)いるそうです。ですが、このことを知っているのはこの会だけです。
「
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このような歴史をお話しの仕入先は何処だ、誰もこのようなことを言いませんでした。変な目で見ますと最高に威張っている、この会しか解決の鍵を持っていないなんて。とんでもないようで、とんでもないように思う、それがここにいらっしゃっている方達のお気持ちだと思います。
話している当人もとんでもないと思うのです。どうしてこんなヘナチョコがこんな役目を、仰せつかるようになってしまったのか。皇祖皇宗に朝起きてよーく目を洗って下さいませんかと言いたいようにも思いますが、だけど、こればっかりはどうしようもない。
誰が決めたわけじゃない、私が決めた、どうも、そうらしい。皇祖皇宗がいるわけじゃない。ただ、たくさん色んな事が続いてきて、これどうしたらいいのか、どう判断したらいいのかという時に、人って死なない。この「死なない」ということが分かるまでどれくらい苦労したか分からない。
そうでしょ、「人は死なない」ということを知れば、腹の底から愉快になります。大概「死なない」と言いますと、人生の困ったことの半分が解決します。だけど真実なんです、どっかで死んだ人がいて、それが何もなくなってしまうのであれば、ただ一人でも人類の歴史はガラッと変わる。
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「死なない」、それは言葉でズーッと繋がっている。だから清算ができる、その間、私がいたわけです。だから私がこう言って、こういうようなことを考えるということは、ズーッと前に私が「そう言いなさいよ」と言っていることです。
分からないところを私が質問すると、一万年前の私が「こうだよ」と教えてくれる。教えてくれたことを、頭に入れて読めば、分かった。神様なんかは教えてくれません。何十年、何百年、何千年前の私がフォーカスさえ合えば、ちゃんと教えてくれる。
だから私の生命はご先祖様の集まり、そしてズーッと繋がっている、今でも繋がっている。何千年前を遠く考えれば分からない、今ここ。「天地の初発の時、高天原に成りませる~」、また来月あたりにお話しするようになると思います。天地の初発の時って何処にあるのかは、常に「今ここ」、言霊の五十音は何処にあるか、今ここで活動している。昨日、出された万頭を食わなかった、惜しいことしたって、過ぎ去ったことをクヨクヨ考える。でも、買いに行って食べればいい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宇宙に一番遠いところの星、ハワイのすばる望遠鏡が130億光年先の星を認識したと新聞に書いてありました。後8億光年先は宇宙の外に出てしまう。人間の頭はものすごく微妙に出来ています。
無限という概念がない、人間には、理屈ではいいます、限りがないって。実際の所、哲学者が気違いになる、ところが限りがないということを心の中の今ここで分かると総て分かる。
古事記の文章の「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」、これは今ここに何かがある言霊ウ。そこからアワオエヲヱ・・・宇宙剖半しながら色んな神様が出てきますが、みんな天地の初発の時にあるものです。常に今、皆さんの目がどうかしている、明日が、昨日があると思っている。
だから昨日万頭食わなかったと言って悩む。そんなものは「ない」、昨日というのも。この頭のなかにあるもので存在しないもの。だけど強烈に「ある」、「ない」ということを確信するためにどういう修業すればいいのか、禅坊主は一生、座禅している。
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禊祓において伊邪那岐大神が「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」、天津菅麻音図の母音の並び、アオウエイ。ア段で禊祓をすると「上つ瀬は瀬速し」で出来ないよ、八十禍津日神。イ段も「下つ瀬は瀬弱し」で出来ないよ、大禍津日神。
イ段は一番下にいて、他のアオウエを刺激して現象音を生みますが、意志そのものは表に出ません。意志だけでは物事に対処することは出来ません、原理を言ったところで「下つ瀬は瀬弱し」。
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今ここというものが分からない。昨日は過ぎ去ったからない、明日はまだ来ないからない。今と言っている内にない。これも掴みにくい。人間は何処に住んでいるのか、でも現実には「今ここ」に住んでいる。
今ここに住んでいるんだと言って、大地に足を踏みつけて何が起こっても「へっちゃらだ」、どんなに暴風でも、地震でも、揺れてるな、火事で隣が焼けてると「まだ隣か」と言えば慌てない。
「今」というのは掴めませんが、今ここでしか人間は住めない。太陽が沈んで昇る、それで昨日、今日、明日と時が進んでいるように思う。そんなものはない、本当は。概念を除きますと人間はよく分かります。
概念に基いて経験知を増やしています。経験知からすると大事なことを全部見落としてしまう。いらないものばかりを身につけて、これが自我だと思う。だから勉強したことを少しでもつっつくとカアーッとなって「貴方の悪口を言っているわけではないのですよ」と言っても、自分が傷ついたように思う。
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古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」、後は一回読めばいい、でも、そこを疎かにしてしまっている。分からなければ、また戻り、また分からなければ、また戻る、それが古事記の学び方です。
それでも戻ってこれる人は幸いです。分からないからポイッと捨ててしまうのは残念。今ここにあるのに、向こうにある、後ろにあると思うと分かるはずがない。さっきも申しましたように、自分では分からないと観念しますとフーッと分かる。分かろうとすると分からない、分からないと分かる。
言霊の原理とはそういうものです、分からなくて悩んだとしてもそれもご利益があります。それは八父韻、人間の生命の大本、紆余曲折、こうやっている内に、八父韻が心の中でどう動くか。それが分かりますと言霊の原理は半分、卒業です。
何故、一人でもいい、三人でもいい、三人いれば最高だと言ったのか。地球上を轟々と走る特急列車をスパッと切って、回れ右って出来るのか、出来そうにないでしょうか。
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ところが沈まない、とにかく寒くて、寒くて、そのまま沈んでくれたら死ねたのですけど、上がるより他ない。脱いでいて良かったと、ずぶ濡れで帰る処でした。衝動的に死ぬことを演じたくなった、ところが死なせてくれなかった。
よーく、その時のことを振り返って見ますと死神にとりつかれていた、ゾーッとします、これが因縁です。親鸞さんが‘悪人正機’を説いたのは「悪い人だから人を殺すと思うな、世の中に悪い人間なんて一人もいません。ただ、殺すという因縁があるから殺す。私は幸いに殺すという因縁を持たないのか、今まで殺していません。」ただそれだけですが、名言です。
人間は悪いことをすると悪人だと思ってしまう。けれどこの間、私は高校生4人が人を殺したニュースで観ますと、殺された方は勿論気の毒です。殺した人はもっと悲惨です。これから何十年、殺したという悪夢に苛まされ、どれくらい修業すれぱ、その悪夢から逃れられるのか、この世に生きているということがどんなに有難いことなのかを知るまでを思いますと。
霊が駆る、言霊が動くことが光、心の光は言霊の活動を自覚する時に初めて出て来る。その光が責任を持ってこの世の中を照らす扉の鍵。何万、何十万、何百万、何千万の人々も畏れることはない。
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神直日、大直日、伊豆能売の神様の境地に行けるのには、人間はどうしたら行けるのか。それは書いてないようですが、ちゃんと書いてある。禊祓の時には上つ瀬(八十禍津日神)も下つ瀬(大禍津日神)もダメである、ところが「津日」という字が付いている。
極楽と地獄を行ったり来たりしている内に、八つの父韻の動きをその行為の中から見出すことが出来る。日(霊)に渡す(津)、それが直日。
喜んだり、嘆いたりする経験の中から、絶え間なく心が揺れ動く内に、大直日の言霊の一音一音が、どう考えても合理的な構造を持っているな。本当の良いことというのは、良いことでも何でもない。
極楽を観ているから良い処だと思う。地獄を観ているから極楽が良い処だと思う。地獄がなくなれば普通の処。人間は普通の処に住む権利があるにも係わらずこの三千年間、地獄の底を這いずりまわっている。
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それはこの世の中からわざと光を失くしてしまったから。光の世の中が戻りますと見ようとしても見られない。だから地獄は何のためにあるのかと言えば、ただ光というものがあるということを人間が知るためにのみ存在する。これ以外にはない、実際には存在しないものなんですよ。
私は総毛立って生まれてこの方、こんなに感激したことがなかった。自分の頭の悪さに狂うんじゃないかと思ったくらいです。それ以来、言霊の学問を一生やるべき仕事だと知らされた。そんなに感激したのですから先生から「後、頼むよ」と言われた。
私は先生の半分くらいの能力しかないから、やっていけるかと思いましたが、このことが最後まで分からなかった。今から一月位前にこのことの意味が分かりました。文章に書いてありますが、実際にどういうことか分からなかった。
そうしましたら地獄が消えてしまった。懐かしい地獄よ、何処へ行った。笑い話で済まない地獄の底で喘いでいました。死んだ真似をしたくなった、昔住んでいた場所に底なし沼がありまして、飛び込んだら浮かんでこない。当時、私は絶望してましたからまっ裸になりまして入水しました、極寒の冬のことです。
百音図から決して表に出てこない母音、半母音をとった八十音、極楽(高天原)と地獄(黄泉国)でも現象としては同じ。でも人生の意味がまったく違う。戦うことを修羅という、野球のように投げて打って戦うのは、面白がって見ているから極楽です。ところがバットで人を傷つけたら地獄です。行為は同じでも全然違う。
人間の反省によって、今ここで生きている、自分は地獄に堕ちているようで、あたたかい目で見、生かして下さっている、そういう存在の生命の尊さ、信仰で言えば神の尊さ、仏の心を知る。有難い極楽を忘れるとまた娑婆の地獄、古事記は言霊の原理を説いていますから、言霊をどう学べばよいかも教えてくれている。心中が極楽になったり地獄になったりでは禊祓は出来ません。
何故ならば、「黄泉国の穢(きたな)汚垢(けが)れによりてなりませる神なり」と書いてあります。こういう気持ちでは禊祓は出来ませんよ、‘ア’では禊祓は適当でない。が、「その禍を直さんとして」神直日、大直日、伊豆能売の神様が出てきます。
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段々と視点を切り詰めていって考えてみますと、そんなに難しいものではございませんので、その概要を出来たらお話申し上げてみたいと思います。
コトタマ学の「虎の巻」をご披露申し上げます。前に申し上げましたようにコトタマの事をお話しますと「私はそんなことを考える身分でもないし、柄でもないし、難しくて分からない」とおっしゃる方が沢山いらっしゃいます。
「そんなに頭が良くないから」なんて、だけどこれはその為に申し上げたのですが頭が良い、悪いは関係ないんです。只、申し上げたことを「何故か」と言わないで「顔の中央に鼻があるのは何故か」というような質問はなさらないで、顔とはこうそうもんだということを記憶にとどめていただいて、その上で「どうしたらいいか」というのが「虎の巻」なんです。
「偉くちゃわからない」、「平々凡々でなくちゃわからない」というのはそこに起因しております。それをご承知下さい。
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言霊の原理と申しますのは、要素は簡単なんです。まず、アイウエオ五つの母音(ぼおん)です。反対側はワヰウヱヲ五つの半母音(はんぼおん)、その次にチイキミシリヒニの八つの父韻(ふいん)です。それから三十二の子音(しおん)です。父韻だけ「イン」他は「オン」と発音なさって下さい。
そして母音と半母音の内のイとヰ、この二つだけを親音(しんおん)と申します。何故親音かと言いますと、母音でもあり父韻でもあるからです。父と母が一緒になったもの、親です、それで親音。たったこれだけなんです、要素はこれだけ。
そしてその位置関係を調べますと、五十音のうちの母音と半母音と父韻が先天構造です。それ以外の三十二子音が後天構造です。その一つ一つの内容は本に書いてありますから、このことだけは「何故?」と言わないで覚えて下さい。
どうしても分からないところはご質問下さい。私を踏み台として、分かるまで何回でも雑談をする様にご質問下さい。この学問はさかのぼれば、私の先生の小笠原先生、そして山腰明将先生、山腰弘道先生、そして明治天皇ご夫妻の系統でここまで来ております。
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一人の人の光が全世界を照らして、そこからどんでん返しが始まる。何故ならば崇神天皇が言霊の原理をただ隠した。後何もしていない。ただ隠しただけでこういう地獄の坩堝の世の中になった。だから、高く掲げれば、何時の日から時間がかからず光の世の中になる。
「日月の光を要せず、小羊の灯火なればなり」と聖書の黙示録にあります。照っている光に恩恵を受けてはいても、人間はそのために生きているわけではない。人間の心の光、これが灯火、それを放射することによって、全世界の宇宙を認識し、それを活用することによって社会を創造する。心の中にある灯火、言霊の働き、これが本当の灯火です。
さっきも申し上げましたが、スバル望遠鏡が130億光年先の星を発見した。後8億光年先が宇宙の一番端であると。ということは130億年前に爆発して放った光が、130億年後に地球に届いて、それをスバル望遠鏡が捉えた。
言霊の原理が教えるように人間の心は宇宙そのものですから、自分じゃないものは認識することは出来ません。宇宙全部を認識することが出来る。人間は営々と努力しながら王国を宇宙へと地球を卒業しどんどん広げていって、自分の能力を発揮していく限りない希望がございます。
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救世主の学問(言霊学)を簡単にマスターする方法をお話申し上げます。だんだん心が煮詰まってきますと一切の宗教と古事記の学問(言霊学)は、今から3000年ないし2000年前に日本の皇祖皇宗が後世に遺す為に、万全の配置をし、遺して下さった仕組みなんです。
ですから、どんなところも綿密に説明してありますから。さて、みんな初地(ア字)のことをやるのも難しいように感じでしまわれるかもしれないんです。禅一つとってみても、今の禅の坊さんで「空」を悟っている人っているのか。
鐘や太鼓で探しても実際にはいないんですよ、実際には。何故お前そんなことが言えるんだっていうと、有名なお坊さんの書いた本とか、又は論文を読んでみると「空」に対して説明してあるところが出てきますが、みんな嘘なんです。私もその嘘の学問で一生懸命勉強しましたので嘘が良く分かるんです。
私の先生に教えられた方法でやると「あっ、そんな難しいもんじゃないんだ」ということが分かります。それと同様に難しくないという点ではこのコトタマの学問も、皇祖皇宗の布陣が余すところなく親切に事細かく書いてありますので、さてどうしたら良いか面食らってしまう方もいらっしゃるかもしれませんが。