ゐ 資料集。大祓祝詞解義・小笠原孝次著

大祓祝詞解義・・小笠原孝次著

大祓祝詞解義 第三文明会・皇学研究所 小笠原孝次著・大祓祝詞解義PDF版)

大祓祝詞の作成年代は不詳であるが、神武天皇の頃までに用いられており、最後に柿本人麿の修辞によって今日見る如き美文の体裁となったと伝えられる。竹内文献、阿部文献等によると、その昔神代の鵜草葺不合朝三十八代天津太祝詞子・あまつふとのりとご天皇がこの大祓の作成者であったと伝えられている。その年代は正確には判らないが、神武紀元前千年程のことと推定される。

旧約聖書の律法トーラとして出埃及・エジプト記、利未・レビ記に大祓祝詞の一部の詳細な解説が載っている。大祓で意味が判らないところは聖書を読めば判るようになっている。イスラエルの予言者モーセが来朝留学したのは鵜草葺不合朝六十九代神足別豊鋤・かんたるわけとよすき天皇の御宇であって、当時すでに日本の朝野に大祓祝詞が行われていたから、モーセは所謂ヘブライの三種の神宝を授かり、彼がイスラエルの民を養ったと言われるマナMannaである言霊を教わったと同時に、神道の教典の一つである大祓を学んでいった。この事は神道とキリスト教、ユダヤ教、マホメット教との関連を明らかにし、またモーセが日本へ来て神道を学んだということの証拠であると共に、大祓祝詞がすでに存在していた年代を知る一つのよすがでもある。この事についてはいずれ後述する。

大祓祝詞の内容として何が述べられているかというと

一) 日本肇国の歴史

二) 肇国の形而上原理、すなわち日本国体原理

三) 天孫降臨以後、特に神武維新以後、仏教の所謂正法が隠没して像法末法の時代に入った時、世界に出現して来る矛盾、混乱、顛倒想、罪穢の意義についての形而上、形而下の解説

四) 歴史が降下した末法時代の究極において、人類が顛倒夢想を離脱し、罪穢を浄化し、世界の禍害を根絶して、元の神代ながらの平和な正法の世界に還るための操作、すなわち今日まで仏陀の出涅槃下生、

五) キリストの再臨、天の岩戸開き、天孫降臨等々と予告されてきた事態を実施するための処置法

六) その来るべき正法時代における世界文明の経営方法等の広汎な内容が簡潔な美文をもって、まことに要領よく述べられているのである。

すなわち大祓は四千年前すでに世界が今日の事態に到達すべき事を予定して、その処理法を禍がまだ現れぬ時代から、呪文の形式をもって教えてある皇祖皇宗天津日嗣の経綸の予定書であり、その指導書の一つである。日本人はこの神代の天津日嗣の勅語の形をもってする予言、あるいは企画、予定書をこの長年月を通じて、朝野共に護持誦唱しながら今日に及んだ。大祓祝詞の呪文を釈いて、その予告と原理を実施して、これによって神代以後に興隆した人類の第ニ文明である物質科学文明を指導し、これに生命的意義をあらしめて、以く物心、主客、霊肉両般にわたる唇歯輔車の文明を完成しなければならぬ時が現在である。

大祓の儀式については大宝令の神祇令に「凡そ六月・みなつき、十二月・しわす晦日つごもりの大祓は東西(大和、河内)の文部祓刀を上りたてまつ、祓詞を読む、百官男女を祓所に聚集し、中臣祓詞を宣り、卜部解除はらえ

を為す」とある。延喜式によるとこの時「御麻」「荒世あらよ、和世にごよ」「壺」等の「御贖みあか」の儀が行われ、その時宜陽殿の南頭にて奏せられる宣命が即ち大祓祝詞である。

現今神社神道や宗派神道においては神前で神官が神を対象として奏上する形式で用いられているが、これは仏教の誦経の形に擬・なぞらえたものといえよう。本来大祓は天皇から百官人民に発令された勅令であって、見えない神を相手にして人民が祈願する言葉ではなく、天津日嗣から国民に向かって発令された指令であり、予言である。

本冊子は大祓祝詞講義の概要であって、大祓の正確詳細な実践は古事記の「禊祓」であるから、そのためには是非とも言霊百神の原理を理解することが必須である。この講義を理解するためには併せて本会発行の「第三文明への通路」及び「古事記解義言霊百神」を閲読されて、天津日嗣の世界経綸の歴史とその経綸の原理すなわち言霊布斗麻邇三種の神器の法理を把握することが前提であることを申添えて置く。

六月・みなつき晦日・つごもり大祓集侍・うごなはれる、親王・みこ、諸王・おおきみ、諸臣・まえつきみ、百官人達・ももつかさびと諸聞召せと宣る。天皇・すめらが朝廷みかどに仕え奉る、比禮・ひれ挂・かくる伴男・とものお、手襁

たすき挂・かくる伴男、靭・ゆき負・まふ伴男、剱・たち佩・はく伴男、伴男の八十伴男を始めて、官・つかさ々に仕え奉る人達の、過ち犯しけむ雑・くさぐさの罪を、今年の六月晦の大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸聞召せと宣る、これは大祓の序文である。

「皇・すめらは神にてませば天雲の雷・いかづちの上にいほりするかも」と万葉に詠まれている天皇は布斗麻邇をアオウエイまたはアイウエオと並べる観念の上で「ア」の位に在しまし、アは「阿・あ字本不生」といわれ、「南無阿弥陀仏」であり、神であり、仏である。その下に四伴男(長官)がある。

「比礼・ひれ」とは言霊・ひ五十音をあらわした神代の神名・かな文字のことである。

これに龍形文字(蛇の比礼)、大八島文字(蜂の比礼)、楔形文字(百足の比礼)、象形文字(種々物の比礼)等の種類がある。すべてアイウエオ五十音すなわち五十鈴・いすずの表音文字であり、これを麻邇字・まになすなわち布斗麻邇文字という。この五十音言霊図が仏教のいう一切種智を表現した曼荼羅である。キリスト教ではこの五十音をマナManna という。すなわちモーセがこれをもってイスラエルの民の魂を養った所のもので、聖書には「神の口より出ずる言葉」と記されてある。「比礼挂くる」とはこの五十音の図表(曼荼羅・まんだら、天の斑馬・まだらこま)を掲げることである。

手襁・たすきとは手次すなわち手の指を次々に動かして教えることで、一ニ三四五六七八九十(十拳剱)、一ニ三四五六七八九(九拳剱)、一ニ三四五六七八(八拳剱)の数をもって法界の実在実相である言霊を位置師・くらいおかし、時置師・ときおかし、処置師・ところおかしすること、すなわち万物の時処位を確定し運用する道である。言霊の典型は天照大御神の八咫鏡を最勝の法とする仏教の阿耨多羅三藐三菩提・あのくたらさんみゃくさんぼだい、神道の三貴子・みはしらのうずみこ(天照大御神、月読命、須佐之男命)の典範である。この中で八咫鏡を朝廷・あさにわまたは沙廷・さにわという。言霊アからサまでの配列として示されたものであるからアサ(麻)という。

これが人間のあらゆる霊魂、主義、思想を審判する一切種智に基づく根本の人間精神の法典である。

靭・ゆきは矢の容れ物であり、矢は言霊が飛び行く様、言語の象徴である。比礼、手襁によって明らかにされた天照大御神すなわち皇孫命の命令教示を直接の言霊麻邇ではなく、概念、象徴、比喩等の方法をもって詳述して、所謂憲法、法律や、道徳律として発表宣布する役目が「靭負ふ伴男」である。

剱・たちはツルギであるが、神道の剱は必ずしも鋼の意味ではなく、霊剱、神剱である。その実体は前記の十拳剱、九拳剱、八拳剱であって、哲学上のその正体は判断及び判断力である。仏教では般若といい、不動明王の智剱という。日本武尊が倭姫命より給わった「節刀」としての草薙剱である。この剱をもって万機の実際を裁断し、処理する。これを政・まつりごとという。政はすなわち祭まつりである。

剱・つるぎは釣る気・きの義でもあって、万機を八咫鏡に真釣・まつりり合わせて調和せしむる事である。

かくの如く「ア段」に位する天皇の下に四伴男がいて活動する。「比礼挂くる伴男」は言霊イ。「手襁挂くる伴男」は言霊エ。「靭負ふ伴男」は言霊オ。「剱佩く伴男」は言霊ウを取扱う役目で、この四伴男は後述する「祓戸四柱神」に当る。

高天原・たかあまはらに神留ります、皇親神漏岐神漏美・すめらがむつかむろぎかむろみの命以ちて、八百万神等を神集へに集へ賜ひ、神議・はかりに議りたまひて、我皇孫命・すめみまは、豊葦原の水穂国を、安国と平けく知しめせと事依・よさし奉・まつりき。

太古神代の精神文明の歴史的発祥地としての高天原は、或はチベットか、パミール、イラン辺りにあったかも知れない。或はこの日本であったかも知れない。本当の歴史はまだ不明である。哲学宗教的にいう高天原とは「其の清・すみ陽・あきらかなるものはたなびきて天となり」(日本書紀)とある現象界に超越した純精神界、実在界、法界のことである。その場所を生理的に見る時、其処はすなわち人間の頭脳である。「オツム(頭)テンテン(天)」と日本の小児が母親から教えられる。更に「チョチ チョチ(手拍ち手拍ち)アワワ(吾・あ、我・わ、和・わ)」という。その手拍ちは十指をもってニ拍手するから二十・ふとであり、布斗麻邇である。

吾・あ、我・わは岐美であり、ニ神であって、吾我和・あわわはその御子産みの産霊である。神すなわち人間の精神的性能としての生命の自覚の要素の全局はその精神界、すなわち生理的肉体的には頭脳の中に詰・つ(塞、留)まっており、それ以上でもなく、それ以下でもなく、充実充満し、神留・かみつまり坐・ましている。この人間の精神性能の全局の把握態を「久遠実乗の釈迦牟尼仏」(寿量品)という。

「神漏・かむろ」は神室・かむろである。形而上の宇宙法界の事であり、同時に神が坐します室である頭脳の思索中枢のことである。この神室は陰陽、主客の両儀に分れる。神漏岐は伊邪那岐(高御産巣日)、神漏美は伊邪那

美(神産巣日)である。岐波は気であり、美は身である。宇宙は最初に言霊ウと現われて、そのウから剖判を開始することによって、先ず主体の岐(アオウエイ)と客体の美(ワヲウヱヰ)の二つに分れる。易ではこれを陰陽両儀という。

「八百万神」を種智、麻邇、言霊の内容及び、その操作法と見てもよく、またこれを取扱う人間、命・みこと、天皇の御手代、百官のことと取ってもよい。その昔世界の地理的高天原に有ったと推測される太古の精神文明の研究機関の傘下に、沢山の聖人覚者(聖知・ひじり)が集まって、思索を続けて、最後に人類の持つ一切種智と、その綜合体系である阿耨多羅三藐三菩提、三貴子の原理を究尽完成するに至ったまでには、凡そ幾千年の歳月に亘る努力を要した事だったろうか。この間の消息を我々は近代物質科学が今日の完成に近い域に達するまでの数千年にわたる過程に比べて考えてみることによって類推することが叶うであろう。太古の精神霊魂と近代の物質科学というこの二つの文明は、その立場において、精神現象と物質現象の相違があるだけで、宇宙の生命活動を取扱う学としては実はまったく同一のものであり、表裏をなすものであり、その表裏の答えは相似形をなすものでなければならない。

こうした仏説では十劫(大通知勝仏)、五劫(阿弥陀仏)ともいわれる長年月の思惟の結果、その最後の全体会議の結論として、仁仁杵命がその研究団体の責任者、代表者として、高天原の形而上の原理の全内容を三種の神器として携えて、この文明の道理を、当時未開蒙昧で渾沌たる生活を送っていた民衆に教伝し、その道理をもって合理的な社会を組織経営するために、聖人達の集団を伴って、その世界の高原地域高天原から降ってきた。およそ一万年昔の事である。この事が神道でいう天孫降臨であり、すなわち天津日嗣の発祥である。

この時天孫降臨にはニ段階の過程があった。仏説の一切種智を組織した三菩提の本尊を天照大御神(大日如来)という。この天照大御神の原理を麻邇名、言霊をもって顕わした姿を天忍穂耳命という。「穂」は五十音言霊・いなほであり、「耳」は聞し召す意味である。仁仁杵命・ににぎのみことは忍穂耳命の御子であり、天照大御神の孫に当る。仁は数字のニであり、似・に、邇・に、近・にであって、邇邇芸・ににぎとは生命の第二次的な、更に第二次的な、芸術ということであり、人類の第三芸術はすなわち国家、社会である。仁仁杵命はその第三芸術の創始者、経営者である。

「豊葦原水穂国」は布斗麻邇の顕現として展開される精神界としての形而上の全宇宙である。これを表現している漢字は呪文であり象徴であるから、呪文を釈かなければ本義は現れない。呪文の表面の意味に捕われて、これをいきなり「葦が茂った湿原、稲が水々しく実る国」など、解釈することは形而上の世界をわきまえぬ単純幼稚な考えであって、学問にはならない。今日までの神道家、国学者と称する者にはこの種の軽率者が多い。

「豊」とはアイエオウ・ワ・ヒチシキミリイニ(風地火水空、法、乾兌離震巽坎艮坤)の母音、父韻の十四音であり、数的には8+6=14でもある。「葦原」とは言霊アよりシに至る一切種智が存在する宇宙の広場(原)であり、「水穂」とは水火・みずほすなわち陰陽の義でもあり、稲穂五十音言霊が瑞々しく実っている布斗麻邇の世界ということでもある。

天孫仁仁杵命が降臨された所は第三次的な文明の世界であって、生み出されたままの自然界ではない。文明は人間精神の具現として発祥し発達し展開し経綸される。科学文明もまたもとより精神の所産であって、ただ科学の場合はその自己創造の知的、内面的、主動的な原因を捨象し、現象だけを抽象している。その自ら行っている捨象作用を忘れていることが現代科学文明の行き詰りの原因であるともいえる。また捨象された反面の真理すなわち科学を科学している主体の真理に気付くことが、科学が完成されるための不可欠の方法であるのである。

豊葦原水穂国、一切種智、三菩提、三種の神器、三貴子として全宇宙を形而上の法界として精神の上に把握し、その原理を自己の生命が存在する宝庫、高御産、仏陀の蓮華台として、その上に時処位して、この原理を用いて人類社会の経営する者が世界の王の王、天津日嗣天皇である。仏説ではこれを転輪聖王という。

斯く依し・よさし奉りし国中に、荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神祓ひに祓ひて、言問ひし磐根・いわね樹根・きね立、草の片葉・かきはをも言止めて、天の磐座・いはくら放ち、天の八重雲を巌・いづの千別・ちわき

に千別きて、天降し依し奉りき。

天孫降臨以前の世界の様相を古事記は「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、甚・いたくさやぎてありけり」と述べている。またこの頃の地上の現実世界には天孫降臨以前に高天原から分離していって、豫母都・よもつ国(四方津国)を経営していた荒振る神である須佐之男命とその後継者大国主命の天津金木思想が基調となっているところの自己の感覚(言霊ウ)を中心として動いている身勝手なセクショナリズム、生存競争、覇道主義、権力主義の無軌道な思想が横行していた。そうした須佐之男命の覇道主義時代における人間の生命の動きの様相、すなわちその須佐之男命の性格、神格を一切種智である言霊をもって捕らえ示した五十音の配列を天津金木という。また「荒」の音図ともいう。この五十音図はアからラまでの間に展開するからアラ(荒)である。キリスト教ではこの思想が横行する世界を「荒野」wildernessと呼んでいる。「天国は近づけり、生の道を直くせよと荒野に叫ぶ声あり」(馬可・マルコ伝)とある所である。

人間のすべての思想の体系展相はこのように麻邇五十音の配列によって簡単適格に整理表現することが出来る。カントの哲学体系も、マルクスの唯物史観も、トインビーの歴史哲学も然りである。この事が神道の一切種智活用の妙である。繰返すが荒の音図はその時置師、時間の展相がア.カサタナハマヤラ.であって、アからラまでの配列であるから「あら」と云ひ、またカからラまでであるから「から」(唐から、空くう)とも韓鋤・からさびの太刀・たちともいう。アラの世界観を振う(布留・ふる、運用する)故に「荒振る神」という。

天孫降臨の際における須佐之男命の荒の思想の後継者大国主命との折衝や、武甕槌・たけみかづち神と建御名方・たけみなかた神との争いは、現実の戦争ではない。生命の全局の主体性に則った高天原の思想と、言霊ウである現実の現象の間に跼蹐・きょくせきする地上の覇道思想、生存競争とが、その合理性を生命の知慧である麻邇の運用の上において較べ合った議論の上の戦であった。

この結果自己の世界観、社会経営法が不完全なものであることを率直に納得して、大国主命、言代主命、建御名方神は爾後天孫の道法を遵守することを誓約し、世界の指導を天孫の高天原の原理の前に譲渡した。この事を「言向・ことむけ和・やはし」といい、「国譲り」という。

「言問ひし」は大国主命、建御名方神等が質問論議をしかけたことである。「磐根・いわね」は五葉音・いわね、で地水風火空とか木火土金水とかの如く、実在である五母音アイウエオのみに立脚して、実相の律である八父韻

の原理を欠除した言語である。また所謂弁証法思想のことでもある。

「樹根」を気音・きねと釈けば感情論のことであり、例えば末法時代の宗教的信仰がこれである。「草の片葉・かきは」とは雑々・くさぐさの書いた言葉、即ち麻邇字・まになにあらざる、例えば漢字などのような種々の外国文字であり、延いては書物として著わされた様々な主義思想のことである。この様にしてその当時世界に行われていたであろう、一切種智、言霊に立脚しないそうした言語、文字、思想の使用を一旦悉ことごとく停止した(言止めた)わけであった。斯くして世界は聖書に記されてある如く「全地は一つの言葉、一つの音のみなりき」(創世記)という統一された姿にまとまった。

その初めの一つの言葉はウであるが、そのウが実相をあらわして五十音である一系列の言語に展開する。その五十音全体もまた一つの言葉、一つの組織の言葉である。古事記の「天地初発」の音がウであるが、その初発とは人類学、考古学、天文学上の始まりのことではない。

恒常の「中今」であるその今が今はじまるその初めの消息である。その初めのウが今展開し、その今の全内容が五十音麻邇であり、エデンの園である。

「天の磐座」は五十葉座・いわくらであり、すなわち五十音種智の組織、天の斑馬・ぶちこまである。これを簡単に五葉座・いわくらとすれば、アオウエイの五母音であって、宇宙に「鳴り鳴りて鳴り合はぬ」大自然の実在、梵

ブラーマ(地水風火空)の音である。このブラーマから五十音が生まれて来る。また磐座を天津磐境・いわさかの意味に取れば、古事記冒頭の先天十七神、十七音に当る。

法華経で多宝仏というのはこの天津磐境のことである。易ではこれを河図、洛書として、実在すなわち母音と、現象の節理である父韻の両面に数をもって顕示し、両者を組合わせたものを太極図(周簾渓)という。易では理を示すに数によって、直接言霊は使わない。この場合天の磐座を天津磐境の義と取ることが適当である。即ち「天の磐座放ち」とは天孫降臨の時にこの生命の太極と、その太極から発する始原の先天、先験・アプリオリの原理が初めて世界に開示されたということである。

「天の八重雲」に似た言葉に「出雲八重垣」がある。須佐之男命、大国主命の国土経営のやり方を「天津金木」という。世界がカサタナハマヤラの順序で運営されることで、これが出雲風土記にある大国主命の「国曵き」の原理である。それと同時にこれは一九七〇年の現代において全世界が経営されいる文明操作の基礎的趨勢せもある。この趨勢がかつて天孫降臨以前における非生命的、非理性的時代の趨勢であって、この世界と社会における人間の生命不在、生命無視、生命無自覚の傾向を合理化することが天孫降臨の目的であった。またこの事は後段「天津金木を本打ち切り末打ち断ち」とある大祓祝詞自体の仕事である。

各自の主観的、感覚的恣意の赴くままに、覇道思想、弱肉強食、生存競争の地獄相を現出して、結局自分自身をも共に滅ぼしてしまう天津金木の思想的趨勢がすなわち出雲八重垣であって、この八重垣の法を生命化し合理化した姿が「天の八重雲」である。これは八重垣を組み替え天孫降臨て八重雲にすることである。この組み替えの操作を「巌の千別き」という。千別きは道・ちを別・わけるである。大祓には最初に「出雲八重垣」を「天の八重雲」に組み替えることが述べられ、次に「天津金木」を「天津太祝詞」に組直すことが説かれている。

両者の意義は全く同じ事であって、この事が繰返しニ度説かれている事に注意しなければならない。前者は神代の始まりの天孫降臨の歴史を述べたものであり、後者はその原理を更に詳述したものであると共に、来るべき時代における罪穢の処理法の予言であり、将来に向かって発せられた勅令である。すなわち今日における「天の岩

戸開き」の教示である。

斯く依し奉りし四方の国中と、大倭日高見国を、安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木

ちぎ高知りて、皇孫命の瑞・みずの御舎・みあらか仕へ奉りて、天の御蔭・かげ、日の御蔭と隠りまして、安国と平らけく知ろしめさむ

然らば世界の高天原から天孫を中心とする聖人達の一団が地球上の何処へ降臨したものだろう。「ここに膂肉・

そじしの韓・から国を笠沙・かささの前・みさきに求・まぎ通りて」(古事記)とあるから、これは大陸を通過して九州の笠沙岬に上陸された記録と見られる。ここに始めて日本を根拠地として天孫すなわち天津日嗣天皇の世界経営統治がはじまった。天孫降臨と共に世界の精神文明指導の政庁、教庁が設置され、その組織機構等すべてが高天原の布斗麻邇の原理の具現であった。

「大倭日高見の国」の日・ひは霊・ひであり、霊魂であり、その生命の霊魂の自覚であり、そしてその自覚の実体は言葉であり、言霊であって、特にその自覚の出発は言霊アである。この生命なる日(霊)を高く仰ぎ見るためには、その基礎であるところの下津磐根、言霊イの内容を完成させなければならない。アは天であり、イは地であり、天地が定まってその間に大倭(大和)の国家が構成される。言霊イは地上の低いところ、「下津」に展開する。「磐根」は五十葉音・いはねであって、すなわち布斗麻邇、一切種智である。人類の一切の知性を種智としてことごとく把握表現したものが五十音・いはねであって、この種智を土台とし、座とすることが正当な文明を建設経営する唯一の基盤である。「蓮華台は大麻邇なり、一の菩薩有りて結跏趺坐す。目を普賢と日ふ」(観普賢菩薩行法経)とある如く、仏、菩薩が時処位する形而上の蓮の台・うてなが布斗麻邇である。

この事を更に簡単な形式で説明すれば、それはキリスト、イエスが産み落とされた馬槽・うまふねであり、親鸞が逆説的に「とても地獄は一定のすみかぞかし」(歎異鈔)といったその地獄でもある。哲学上で框・かまちと称されるこの八数を基として展開する範疇の中に救世主が生み落とされ、菩薩が養育され、その上に仏陀が結跏趺坐する。宗教上の修練としての個人の成仏成道の基盤と、文明社会を建設する原盤はいずれも共に同じ一つの「下津磐根」である。

「宮柱」はアオウエイの五母音である。これを天之御柱という。「天之御柱、天之御量柱、一心の霊台、諸神変通の本基」(神道五部書)といわれる。「下津磐根」と「宮柱」の姿は次の如く、この四角錐の形を高千穂の奇振嶽・くしふるたけという。この形はまたピラミッドであり、ジグラートであり、須弥山である。

「高天原」はこの場合アオウエイのア段に当る。宇宙万物の実相現象は先ずこのアの展開としてあらわれる。「柳は緑。花は紅」とか「溪声長口舌、山色妙色身」などといわれる。五十音図を家屋になぞらえる時、ア段はその屋根の棟に当り、アタカマハラナヤサワの十音を天兒屋根・こやねという。

さて、「皇孫命の瑞の御舎」の形式は伊勢内宮の建築様式に黙示されている。それは五十音図を数理にあらわした立体的に示した形式であって、この建築を「唯一神明造り」という。神の原理を明らかに示した構造ということである。その様式を説いていこう。その屋根の棟に十本の鰹木(数招・かずおき)が並ぶ。これは前記のアタカマハラナヤサワの十音を示すものである。本殿中央に高さ五尺の白木の柱が立っている。これを「天之御柱」といい、アオウエイの五母音を示す。入口の十段の階段はまた十数を示し、階段左右の「御橋玉」の六個はアウイ、ウオエの六母音を示す。縁側の周囲の二十六個の「葱柱・ひらきはしら」は五十音図の周囲の二十六音を黙示する。五十音布斗麻邇の原理はこの唯一神明造りの数示に言霊を肉付けしていくことによってその形而上の実相が明らかにされるように造られてある。

鰹木の両端には「千木」が高く掲げられている。千木は道木・ちぎであり、また契りの義でもある。男女の契・ちぎ

りによって子が生まれる如く、主客、陰陽の実体の契り、すなわち交流、感応同交によって現象を生むことである。これを産霊・むすびともいう。産霊とは霊すなわち言霊を産むことであって、現象の実体、自覚体は言語である。言霊の上ではアオウエ○イとワヲウヱ○ヰの主体と客体が契り、キシチニヒミイリの父韻とアオウエ○イの母音が結ばれて三十二個の子音が生まれる事である。この様に契り結びの意義は主体と客体(岐と美)の両者の結合の上からと、実体(母音)と知性発現の契機(父韻)の交渉の上からとニ様に説かれなければならない。

「神路山深くたどれば二道に千木の片そぎ行きあひなまし」と古歌にある。

千木は右図の(ニ)の原理の形である。を高御産巣日(田神結・たかみむすび)、を神産巣日という。主体と客体である。は「内そぎ」の内宮の千木であって自由に変化し、は剛であって、外宮である。

「皇孫命の瑞の御舎」とは天皇・すめみまが住み給ふ形而上の御稜威・みいつ(権威)の構造ということであり、以上の伊勢神宮の神殿の構造の数的黙示に五十音言霊を当てはめて行くことによって顕示される。舎・あらか(殿)を仏教で阿羅漢・あらかんという。布斗麻邇の原理を体得した人という義である。太古にあってはこの五十音図を粘土盤の上に神代文字をもって刻み、これを窯・やいて瓦とした。神の原理を明らかにする瓦であるからアラカ

(顕瓦・あらか)と呼んだ。また甕・みかともみかがみ(甕神・御鏡)ともいった。すなわち考古学者がいう粘土盤文字clay-tablet である。

「天の御蔭」を言霊と解し、「日の御蔭」を日文・ひふみすなわち数理ととこう。布斗麻邇は言葉の原理であるが、これに整然たる数理が伴っている。万機の祭政はこの言葉と数の双方から適確に判断されて施行される。「隠・かくり」は書・かき繰・くるの隠語である。国家実地の指導原理を見い出す操作は言霊麻邇名・まになと数(一ニ三四五六七八九十、十拳剱)を書・かき繰・くることによってなされる。この故に言霊を「いろは」(母、妣)という。

所謂「いろは歌」の四十八音である。母・いろはとは文明の母の義である。この四十八音がキリストの聖母マリアであり、三世諸仏の母摩耶夫人である。十個の数をかず、かぞ(父かぞ)という。文明の父の義である。

生物学で「種」(スペシー)ということは重に肉体上の意味で用いられているが、この「種」は同時に精神の上にも存在しなければならない。肉体の種と精神の種は実は同一生命の表裏両面の関係をなすものである。肉体の種は生殖細胞の核の染色体の数と質によって定まるが、精神の種すなわち「種智」とは、実はその細胞の染色体みずからが持っている知性であり、その自覚された内容であるということが出来る。人類細胞の四十八(四十七)の性染色体は精神の精錬された四十八(四十七)の種智言霊と対応している。一番から四十八番までの染色体が

実際にアからンまでの言霊の一つ一つと如何に対応一致するか、それは今後の詳細な実験思索の結果の照合に待たなければならない。

然らば一体何者が人類の生物学的、精神的「種」を創造したか。それを神といっても大自然といっても宇宙といってもよかろうが、然しこの事は人間が知り得るその知性の範囲外に属することである。不可知を模索しても答えは得られない。不可知を不可知として、可知の範囲内で安住活動することが叡智であり、文明である。神道では不可知な神秘を取扱うことがない。たとえば死後の霊魂の存在などを説く者は神道者ではない。人間がこのように創られている所の人間自身の分限分際の全局としての「種智」と「種」を検べ明らかにする道が神道であり、人間生物学である。この物心両面にわたる人類の「種」がその数と性能を変えぬ限り人間が人間たることを永遠に失うことがない。すなわち「種」の原理こそ生物学的にも精神的にも「天壌無窮、万世一系」の原理である。この「種」「種智」が寿量品のいう「久遠実成の釈迦牟尼仏」の正体である。天壌無窮、万世一系ということを天皇家の血統が永久に継続する事と考えたのは、過去像法末時代における人間本尊としての天皇信仰に基づく感情的的要求であって、法本尊、原理本尊である正法時代においてはもはや通用しなくなった。日本国体の実体本質は法である三種の神器、布斗麻邇に存する。三種の神器あっての天皇であって、天皇あっての三種の神器ではない。

精神的形而上の「種」の内容は言霊と数をもって把握されている。その言霊と数とを書き繰って操作することによって、そこから現われ、それが顕われて創り出されて来る科学にもあれ、哲学や政治経済の法にもあれ、あらゆる文明の事態を誤りなく指導経営して行くことが出来る。すなわちこの言霊布斗麻邇三種の神器の法によって始めて地上に諧調ある平和な「安国」「浦安国」理想世界の実現を期することが叶

うのである。

国内・くぬちに成り出でむ、天益人・あめのますひと等が、過ち犯しけむ雑々の罪事は、天津罪とは、畔・あ放ち、溝埋め、樋放ち、頻・しき蒔き、串刺し、生剥ぎ、逆剥ぎ、屎戸・くそへ、幾許・ここだくの罪を天津罪と宣りわけて

天孫降臨の後、記紀の記述によれば仁仁杵命、彦火火出見命、鵜草葺不合の命が次々に皇統を継承した。一方竹内文献等による時、日本の太古神代は長年月に亘った精神文明の黄金時代であって、是等神代の皇統ダイナスティーは一人宛の天皇ではなく、夫々十数代又は数十代にわたった皇朝であったと伝えられ、その詳しい皇統譜が現存している。殊に鵜草葺不合朝は七十四代連綿として、その最後の狭野命が改めて神倭磐余彦・かんやまといはれひこ命(神武天皇)として立って、昭和に至るまでの皇朝を創始したことが記されてある。七十三代の彦五瀬・いせ命(伊勢いせ=天照大御神)に代わって狭野・さの命(須佐之さの男命)が起った神武維新は歴史的政治的に何を意味することであるかは別の冊子に説いた。

この太古神代の天皇の御即位式に際して、全世界の各民族の王達が挙って来朝し盛儀に参列した。又代々の天皇は御治世の間に知食される世界の国々を巡幸することを例とされ、この時日本から世界に言語、文字、技術、神道神話等の文明を教伝した。神代はまことに世界平和の理想時代であった。だがその詳細を述べることは本篇の目的ではない。

然しやがて葺不合朝の中葉末期に及ぶ頃、世界にようやく人類の第二の文明が興るための大変化の兆しが現われて来た。この時人類の永遠不変の内面的文明の把持者としての高天原の朝廷自体においては、もとより本質的にはこの変化の影響を受けることはなかったわけであるが、「生めよ、殖えよ、地に満てよ」と旺盛に繁殖して行く「天の益人」人類の間に、天津日嗣の生命の指導から逸脱する勝手な個別的な生き方が、言い換えれば覇道と生存競争を基調とする社会生活のやり方が、今よりおよそ四千年昔の頃から台頭する傾向が現われて来た。

ということは高天原の外の世界において、天孫降臨以前の荒振る神の思想が再び世界に活躍を始めた事であった。前述の如く、天孫降臨以前の世界がその荒振る神の「出雲八重垣」の思想の下に在ったのを「天の八重雲」の原理に創り改めた事が日本肇国であったが、神武維新の少し前頃から、世界に再びその昔の八重垣の思想が活動し始めた。すなわちこの時歴史的にはニ度目の八重垣の世の中、荒振る神の天津金木の時代が開始されようとしつつあったのである。

この為に葺不合朝末期には世界の政庁、教庁としての天津日嗣天皇の朝廷の権威はようやく薄れ、諸外国との交通も途絶えて、やがて人類の生命の光である高天原の精神文明が日本自体の中に自己を隠没する天の岩戸閉鎖の時代、仏教でいうならば仏陀の正法の入涅槃時代、更に神武以後の歴史的事態としていうならば崇神朝における神器の同床共殿廃止の時代に入る気運がようやく近付きつつあった。大祓祝詞はあたかもこの日本並びに全世界の思想的な大転換が起り始めた時期に当って制定された。葺不合三十八代天津太祝詞子天皇の御事業であった。

この時高天原朝廷では爾後の天の岩戸閉鎖すなわち惟神道の隠没時代において、天之益人等の上に台頭して来る大祓の所謂「罪穢」の蠢動をそのまま有意義に活用して、人類の第二の文明の創造を計画し、長年月を経てこれを完成しようという雄大な経綸が着手された。それは生存競争を基調とする世界の中に、その生存競争を方便として、新たな人類の第二の文明科学を創造する経綸であって、そのために遠い天孫降臨以前の混沌時代に然あったと同じ須佐之男命の天津金木、出雲八重垣の法が再び世界運営の基調とされる事となった。この時期に当って神代上古の天津日嗣から次々と人心の指導と国家民族の経営に従事した人々は、モーセ、釈迦、老子、孔子、マホメッ

ト等の聖賢達であった。何れも新しい世界経綸の計画の本にその時代の始めの頃世界に活動した人々である。

然らば従来の宗教的信仰の上から絶対の聖者、予言者と目されて来たこれ等の指導者達が、なお自由対立の天津金木的動向の範囲内の人達であったといい得ることは、一体如何なる理由からであるのか、こうした事のいきさつの筋合いにい就いては「第三文明への通路」の中で、天津日嗣の経綸の上から、その人達の波動の因縁が説いてある。以下に説く天津罪、国津罪は「出雲八重垣」「天津金」を基調として運行している月読命、須佐之男命の世界の四千年にわたる様相であり、すなわちその当時からそのままに引続いている現在我々が住んでいる現代における世界の様相と欠陥を指摘したものである。然しこれが罪穢であり、欠陥である事はその罪から離脱した正しい原理の上に立つことによって初めて識別し得ることで、四千年にわたる歴史的経過を有する世界全体の傾向である天津金木の法で拘束されて生活を送っている者にとって、一般にその罪の自覚が無い。罪を犯しながらそれが罪であることを知らない。歴史が末法のどん詰まりまで降って、世界の混乱紛争が極限に達する時、初めて人類苦悩の原因が人間自身にあること、世界運営の基礎法の誤りにあることに愕然と気が付いて、正法の存在に想到する。

「天津罪」とは精神的な罪であり、高天原の形而上の律法を犯す罪である。天照大御神は「営田・みつくだ」を作っていらっしゃる。これに縦横の溝がある。また「神衣・かんみそ」を織っていらっしゃる。衣に縦横の糸がある。縦に次元の段階をアイエオウと取り、横に時間空間の展相をタカマハラナヤサと並べ、全法界精神界をこの縦横・たてよこに区画して、この区画の中に一切種智五十音を配列し整理した洪範が神田・みとしろ(御手代)であり、神衣である。すなわち八咫鏡であり、天津太祝詞言霊図であり天津神籬である。またこれを天之斑馬・まだらこま(ぶちこま)ともいう。仏教では曼荼羅・まんだらという。マンダラは大和言葉のマダラである。天津罪とはこの営田の道法に違反する形而上の罪、人間の種智の組立て方、動かし方、使い方の誤り、思想の樹て方の過ちである。

神田は営田である。営田と読めばEden に意味も音も相通じる。漢音がどうしてヘブライ語になったか、その経路はまだ判らない。天斑馬

は縦横に仕切られた田の形の小間(駒)に言霊が並んで斑になっている。「畔放・あはなち」はその縦横の仕切りを取り去ること、「樋放ち」の樋は生命の河である霊・ひの通り道であって、そのアタカマハラナヤサワの横列五段の順序を破壊することが樋放ちである。「頻蒔・しきま

き」(重蒔種子・しきまき)はたとえば言霊の上では同じアである宗教と芸術を本質的に別個のものと取扱ったり、カの次にマと変化すべきものを、その時期になってもカの状態を繰返し続けている如き類である。

「串刺し」は団子を串で貫くように̶○ア○イ○ウ○エ○オ̶、全て思想や主義や宗教教理や或は政策等をもってアイウエオ五行の価値体系の順序を固定して、生命活動の自由を拘束制限することである。「生剥ぎ」は縦横の生命の体系を狂わすこと、もしくは生命の樹であるそのアイエオウのどれか一つ、二つを取除くことである。「逆剥ぎ」は性剥・さかはぎであって、横列の万物の実相、すなわちその性質変化の現律を混乱することである。「糞戸・くそへ」のクソを組素・くそと解すれば、それは五十音図の構成要素の言霊そのもののことであって、「糞まり散らす」(古事記)とあるから、言霊種智を撒き散らして、その有機的生命的な組織を失わしめることであると解される。以上すべて精神の自覚の要素、諸法の空相実相の原理である言霊麻邇の正規の配列を転倒破壊することを天津罪という。

天津罪の審判を行うにはそのための洪範、典範として言霊八咫鏡を掲げて、一切種智の全局の上から人間の霊魂をその時処位において仔細に観察点検する。そのためには憲法も法律も道徳律も教理も不要であって、その時その場において対者の霊魂を裁判するのである。この審判を沙廷・さには(朝廷)という。キリスト教の最後の審判、仏教の地獄の閻魔の庁の裁判がこれに当る。およそ人為すなわち文化現象にあっては、精神が創造の主体であって、行為はその活動であり、思想は精神活動の追思返照である。現象(物)は物自体で存するものではない。主体である人間の精神と対象とが結び付くことによって初めて現前する。これが伊耶那岐美ニ神の創造である。物とは事であり、事とは行為である。その行為は必ず言語によって動く、その言語の奥底に存在する言語の精神的原素が言霊である。

まことに「初めに言葉あり」であって、その初めの言葉が言霊である。繰返していうが、その初めとは「中今」の出発のことである。中今とはnow-here(今此処)である。宇宙は常に今此処で今此処から剖判し、全宇宙の現象を顕出する。その剖判は言霊に即して行われる。世界、社会を審判するに当って形而下の規定としての法律をもってすることは第二義、第三義的のことであって、言挙げされ概念化された律法は言葉の原理を原理とした上に、すなわち世界の根本の道理を道理とした上に、若しくはその道理の存在を信じた上に応用される便宜的な方法に他ならない。この故に明治憲法の序文(御告文)には「皇祖皇宗の後裔に貽し給へる統治の洪範を詳述す」という前置きがなさ

れている。但し明治政府にあっては、この惟神の統治の洪範が未だ明徴されていなかった。天津罪の自覚と浄化がなされぬ限り、後段の国津罪の修祓は望み得ない。

キリスト教でいう「原罪」はこの神道の天津罪のことである。エデンの園である天照大御神の営田の言霊の組織を乱すことであり、言霊の原理を淆乱(バベル)することである。原罪とは何事であるか、ただその名だけが残っていて、今日まであれこれと意味を模索するだけで、キリスト教ではその実体を明らかにすることが出来ない。原罪は種智、言霊に関する罪であるから、言霊の原理の伝承を持たない信仰としてのみのキリスト教ではその意義を捕らえることが出来ない。聖書創世記の教理はすべて神道の黙示である。黙示は謎であって、その謎を釈く鍵は言霊布斗麻邇である。

国津罪とは、生膚断ち、死膚断ち、白人胡久美・しらひとこくみ、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜・けもの犯せる罪、昆虫・はふむしの災、高津鳥の災、畜仆・たおし、蠱物・まじものせる罪、幾許・ここだくの罪出でむ。

天津罪が形而上の罪であることに対して、国津罪とは肉体の行為の罪穢れである。さて、前述の如く日本に留学したイスラエルの予言者モーセは天皇から三種の神器の実体である言霊マナManna を授かり、また大祓を学んでこれを民族を指導する律法(トーラ)として用いた。その記録が旧約聖書に詳細に伝えられている。大祓祝詞の簡単な記述は聖書の親切丁寧な解説によって初めてその意味が判るように仕組まれている。両者は同じものであって、今日の証拠のためにモーセが大祓を詳述して残しておくように命ぜられたものである。両者が一致する部分を対照して説いて行く。

「生膚断ち、死膚断ち」は生体死体を殺傷することと解される。聖書には「汝、殺すなかれ」(出埃及記)とある。「白人」は従来の神道で

は説が町々で不明瞭であったが、聖書を参照する時、これは明らかに癩病患者レプラである。聖書にはその症状と処置方が詳しく述べてある。「エホバ、モーセとアロンに告げて言ひたまはく、人その身の皮に腫れあるひは癩できものあるひは光る処あらんに、もしそれが身の皮にあること癩病の患処の五得ならば、その人を祭司アロンまたは祭司たるアロンの子等に携へいたるべし……祭司これを観てその皮の腫れ白くして、その毛も白くなり、且つその腫れに爛肉・ただれの見ゆるあらば、是れ旧き癩病のその身の皮にあるならば、祭司これを汚れたる者となすべし」(利未記十三章)。

「胡久美」は贅肉・あましし、瘤・こぶ等のことで、聖書に於いては「凡そ汝の歴代の子孫の中、身に庇ある者は進みよりてその神エホバの食物を捧ぐることを為すべからず……すなわち瞽者・めしひ、跛者・あしなへおよび鼻の欠けたる者、脚の折れたる者、傴僂者・せむし、侏儒者・たけひくきひと、眼に雲膜・ほしある者、癬・ぜにがさある者、外腎の壊れたる者等は進みよるべからず」(利未記十一章)と定められて

いる。

「己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子犯せる罪、、子と母と犯せる罪」に就いて言霊的研究の上から母音と子音の結合の意味に説こうとした武智時三郎氏の説があったが、それではこの罪は天津罪の部類に属する事となるだろう。聖書の律法は更に精しい、「汝等凡てその骨肉の親に近づきて之と淫する勿れ、我はエホバなり、汝の母と淫する勿れ、是れ汝の父を辱かしむればなり、彼は汝の母なれば汝これと淫する勿れ、(利未記十八章)。ギリシャ神話は此の罪をエヂプスの錯倒・コンプレックスとして説いている。

「畜犯せる罪」もまた醜怪な罪であって、「汝獣畜と交合して、之によりて己が身を汚すこと勿れ、また女たる者は獣畜の前に立ちて、之

と接する勿れ、是れ憎むべき事なり」(利未記十八章)。「男子もし獣畜と交合しなばかならず誅・ころさるべし、汝等またその獣畜を殺すべし、婦人もし獣畜に近づきてこれと交わらば、その婦人と獣を殺すべし、是等はともに必ず殺さるべし、その血は自己・おのれに帰せん」(利未記二十章)と記されてある。

「昆虫の災」は蝗・いなむしのことであろう。次に「高津神、高津鳥」の高津は天津に対する言葉であって、天津神の世界を佛教の所謂諸法空相実相の世界、すなはち清浄な神界とすれば、高津神の世界は所謂霊界、すなはち未だ淳化されざる情実と因縁の世界、佛教の所謂因縁流転の迷いの渦中に於ける霊の蠢動妄動の世界である。

また高津鳥の鳥とは「天の鳥船」の鳥であって、すなわち言霊の意味である。高津神も高津鳥も人間の霊波、思念波である。浄化されない禍の言葉もまた鳥の如く自由に空中を飛行して伝播されて、心得のない他人を自己の業縁の中に巻き込んで、罪の種を植えて行く。「汝等

聞くことをつつしめ…持たざる者は持てりと思うものをも奪はる」(馬太伝)とこの故に教えられる。誤った哲学、奇矯の芸術、偏跛な宗教観を自ら妄信し、他を扇動する徒はすべて此の高津神、高津鳥の部族である。或はまた不完全な鎮魂帰神の修法などによって、自己分裂に陥った修業者は、分離した自己の霊の囁きを神の啓示のように錯覚して、自他を混迷に陥れる。これ等も高津神高津鳥の部類である。高津神、高津鳥に属する霊(思念)を物(霊物)と見る時、天狗霊、竜神、狐霊、蛇霊などと呼ぶ。是等の思念が視霊の習癖のある者の眼の感覚に翻訳される時、それぞれの動物の姿として、写し出される。そうした霊物が客観的に存在するわけではなく、それを描き出す造形

能力が人間にあるのである。高津神、高津鳥に対する判断は言霊の沙庭によるまでもなく、常識をもって簡単に為し得られる。「畜仆し」は牛馬豚等を殺して、更にその肉を喰うことであろう。

古来日本人は獣肉は食わないし、神道ではこれを禁じている。「ウエツフミ」では獣肉を食うと血が粘・ねばると書いてある。今で云えば脂肪酸が増えて、動脈硬化を起こすことである。「蠱物・まじもの」は所謂まじないである。聖書でもまた律法としてこれを戒めている。「汝等憑鬼者・くちよせを恃むたのなかれ、ト筮者に問ふことを為して之に身を汚さるる勿れ」(利未記十九章)。「憑鬼者またはト筮を恃みてこれに従ふあらば、我わが面・おもてをその人に向け、之をその民の中に断つべし」(利未記二十章)。「汝等のうち男子女子をもて火の中を通しむる者あるべからず、またト筮する者、邪法を行ふ者、禁厭・まじないする者、魔術を使ふ者、法印を結ぶ者、憑鬼・くちよせする者、巫覡・かんなぎの業をなす者、死人に詢ふことをする者あるべからず。凡そ是等のことを為す者はエホバこれを憎みたまふ」(申命記十八章)

神足別豊鋤天皇がモーセに神道を教えて、免許を授けた。これを戴いて彼が故国に帰る時、天皇から餞・はなむけの御言葉を賜はったことが竹内歴史に載っている。「汝モーセ、汝一人より他に神なしと知れ」。この言葉が言い方を変えてそのまま聖書に記されている、すなわちI am that I am.である。このエホバの言葉は「我は有りて有る者なり」など、訳されているが、これでは何のことか意味が判らない。最初の I は神であり、次の I は自己である。すなわち「吾(神)とは我(自己)をあらしむる者なり(自己がある事が神がある事である)」であって、神我不二一体の境地である。我は神の愛子であり、その顕現であり、神自身の自覚体である。この尊厳にして叡智なる我が、我にもあらず神にもあらざる第三者の譫言・うわごとや呪術に左右されることは神即自己の冒涜である。

我が大祓祝詞に説かれた罪と聖書の律法とは上の如くに一致する。この事実を事実として、この緒を手繰って視野を深く遠く進めて行くことがキリスト教徒とユダヤ教徒とそしてマホメット教徒の重大な使命でなければならない。但し従来の日本の歴史家、神道者に取ってはこうした事実は釈き難い謎であって、知っても頬被りしている。或は偶然の一致に過ぎぬと一笑に伏して顧みようとしない。単に大祓と聖書を対照しただけでは甚だ唐突な話しで補足の方法に戸惑うことであろうが、こうした事の解決の緒として、竹内文献、阿部文献、ウエツフミ等や、その他南米ペルーの山中に秘蔵されていて、やがて世界に出現するであろう大伴家の帝記、国記の歴史文献を是非とも参照しなければならない。

以上のような大祓と旧約聖書の関連は今日まで秘密にされ、封印されて来た神道と世界古代宗教の関係が、時到って世界に現われ初めた端緒の一つである。我々は更にたとえば創世記と古事記、ユダヤの三種の神宝と日本の三種の神器、黙示録と伊勢神宮との関係、更に法華経と布斗麻邇、易経と言霊の関連等について原理的、歴史的に究明し、これによってキリスト教、ユダヤ教、マホメット教、仏教、儒教と神道との本地垂迹の関係や、更にユダヤの所謂シオニズム運動の神道的意義等々の全人類の文明の全貌についての広汎な問題の過去現在未来に亘る「因縁果報」について、次々に明白な解決を与えながら、これを全世界に開示する機運を着々醸成しつつある。

思いを茲に改して、我が皇祖皇宗、天津日嗣の歴代天皇が如何に全世界の諸国家、諸民族の上に無限の経綸を垂れ給うて居られるかということの事実を事実として明確に把握認識し、この真実の基礎の上に世界の万機を廻らして行く事が人類文明解決の出発である。その天津日嗣の経綸の結果が如何に今日の世界相をかくあらしめているかに関する歴史的経緯を学び、その経綸が今日に予定している人類文明の大転換期に当って、高天原の天孫民族、降臨した仁仁杵命の後裔として、経綸の遺志と伝統と原理を開顕継承して、日本人が世界の先達として、皇祖神の予定の計画通りに、世界の科学文明の権力支配の世相の上に大革命、大維新を決行しなければならぬ時が来たのである。この予定の計画を「天の岩戸開き」と言い、また「天孫降臨」とも言う。この事の実施の方法を四千年の昔から、今日のために教え伝え朝野挙って誦唱して来た文章が大祓祝詞である。

斯く出でば、天津宮事以ちて、大中臣、天津金木を、本打切り、末打断ちて、千座の置座に置足らはして、天津菅麻を、本刈断ち、末刈切りて、八針に取辟きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ

この一節は、大祓祝詞の眼目であって、従来様々に意義の模索が行われたが、言霊が開明されていなかったから、天津金木、天津菅麻、天津太祝詞の三つの究明が不可能であった。人類社会に於ける混乱と罪悪の発生は元来すべて天津罪を犯すことに原因する。その天津罪とは形式的な道徳律や法律や宗教上の規制や概念的な思想主義に違反することではなくして、人間の精神原素として天與されている五十音言霊である布斗麻邇、一切種智の基本法則をみずから乱し、その正規の組織と運行を破壊したり、固定したり、逆転したりすることである。大祓は最初に天孫降臨以前の混沌世界を説き、次に天孫降臨以後の世界に於いて天津罪が第二次的、第二回目に発生した事実を説いた。これに対して本講議は天津日嗣の経綸の上からそれが発生した原因理由を明らかにした。そこで次にその罪の修祓、浄化、整理の道を示すこととなる。

その天津罪が罪であることを明らかにする根拠は人間性の原理である五十音言霊であり、その言霊の法則を犯すことが天津罪であるからには、その罪を修祓する道もまた当然五十音言霊、布斗麻邇の操作によるものでなければならぬ。麻邇の運用として説くのでなければ、他の如何なる感情的、信仰的、或は哲学的理論を以てしても大祓の特にこの一節は説くことを得ないし、また麻邇の方法以外には自己自身に対する生命違反である人類の霊魂の原罪を実際に根本的に修祓することが出来ない。

「天津宮事」の宮みやとは霊屋みやであって、言霊の組織としての五十音図のことであり、この言霊の原理の操作すなわち宮事(霊屋事みやこと)を行う機関、施設が天皇の宮廷である。そして像法時代の意味に於ける人間本尊であり神であった天皇と、その罪を審判、浄化、修祓さるべき天の益人、世界人類の中間に立ってその宮事を執行する者が天兒屋命である大中臣なかとみである。

天津罪が発生して、やがて今日その修祓が必須である時期に至るまでの間には、仏教の所謂正像末三千年という長期にわたった歴史的な罪悪時代を経過して来た。その像法末法時代の内容としての天津罪、国津罪を概念的にいうならば、それは自然主義と覇道思想である。言霊麻邇を以てこの二つの思想の全貌を示した姿を名づけて天津菅麻と天津金木という。

天津菅麻も天津金木もそして天津太祝詞も何れも共に人類の霊魂の組立とその運び方であるから、その全貌は言霊を以て簡潔正確に表現される。この三つは神道で取扱う三態の種智の組織であり、人間精神の内景を開示した夫々の典型的な範疇、法界曼荼羅、宇宙図である。

これを三貴子みはしらのうずみこといい、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいという。

「笠をさすなら春日山」という歌がある。春日山は三笠山であって、人間はおよそこの三つの体系を笠として頭に戴いて生活の指針としている。笠をまた鬘かつらともいう。五十音仮名文字に書

かき連つらねてその原理を示して、これを頭に被ることである。鬘は書連かつらであり、仏教の華鬘げまんに当り、ギリシャ神話の月桂冠かつらに当る。

三つの笠のうち菅麻と金木の二つが像法末法の時代相を表現する罪穢の典型である。といったら以外に思うであろうが、布斗麻邇が天の岩戸に隠れていた現在までの像法末法の過程にあっては、これが罪穢であるという事を的確に判断、反省、沙廷する方法がなかった。罪穢とは何であるかということの自覚が人類全体に漠然としている。学者も宗教家も政治家も、乃至国際連合に於いてさえも、世界を挙げて罪を罪と定める確実な判断の根拠を持たない。これが世界混乱の根本的な理由、原因である。末法の時代が終局に達して、正法に転換する契機として、明白峻厳な言霊が出現して、その裁断によって三年年来の罪が修祓される。

判り易いように菅麻から先に説いて行こう、「天津菅麻」とは清々すがすがしい素(衣そ)という意味で、大自然から生まれたままで、今だその上に何の知的操作も施されない、清浄無垢な有りのままの精神の内景である。未だ善悪、正邪、美醜、得失等の判断が加わらないそのままの宇宙相である。「汝、改まりて幼兒おさなごの如くならざれば天国に入るを得ず」とイエスが言ったその幼兒の心である。般若心経ではこれを諸法空相と説き、法華経では諸法実相と説く。「本源の自性は天真仏」(証道歌)と禅でいう。

古事記の神名を以て説けば天津菅麻とは岐美二神が生み出した最初の有りのままの宇宙の全貌である「火之迦具土かぐつち神」であるとも言えるし、その迦具土の言霊麻邇字まになを集めた「和久産巣日わくむすび神」とも言えよう。また禊祓の過程に於いて現れる神としては「八十禍津日まがつひ神」すなわち言霊アでもある。禍津日は罪穢れである。すなわち天津菅麻は一切種智の全景であり、造物主伊耶那岐大神の音図、仏教の伊舎那いしゃな天の曼荼羅であって、識界の頂点、須弥山の頂上、紫徴天宮、北極星座に位して、全宇宙をそのまま、有りのままに自己の内容、自己の顕現として俯瞰している大自在天(摩醯首羅まけいしゅら天)の意識界の全景である。

元来大自然は善でも悪でもない、美でも醜でもない。心経や法華経に導かれて諸法空相実相を捕えただけでは、それは文明の素材ではあるが、文明の道とはならない。然しそれ自体調和して円融無礙に運行している。しかもその運行に当って知性の活動を必要としない。弱肉強食も悪ではないし、貧民救済も善ではない。一切が「無功徳」(碧岩録第一則)であり、一切が赦されている。神は一切を善しと見給う。神が善しと見給うから一切がそのままに存在するともいえよう。即ちこれは解脱し解放された天人(辟支仏)の境涯である。これを称して玄みちという。未だ人間の文明の道みちが現れざる以前の天地のみちである。斯くの如き大自然界、大宇宙の全内容を五十音言霊の組織として現わした姿が天津菅麻である。草木虫魚鳥獣はこの世界に嬉々として繁茂生息している。人間もまたもとよりこの世界に基礎を置いて生活している大自然界の生物の一種であるが、然しその中で独り人間だけは大自然から附與された知性を自覚し、運用し、且つ継承し、その大自然界を自己の生命の目的に添うように指導改造しつつ、且つ人間同士の相互関係を合理化しつつ、或は他の生物の「種」の保存に関心しつつ、独自の文明生活、社会生活を営んでいる。

人間はこのように神から委任されていると云ってもよいのであって、この意味で人間を万物の霊長という。この大自然の生命の上に加工する人間の営みを文明という。文明とはすなわち道徳と科学である。文明の世界は既に其処に自覚された知性が働いているから、も早や大自然界ではない。そこでその自覚した知性から元の大自然の生活を改めて顧みる時、有りのままの嬰児の世界が実は畜生道であり、餓鬼道であり、修羅道である。そして斯うした大自然界の生活から離脱して第二次的に建設された人類独特の文明世界を、すなわち大義名分の明瞭な世界を邇に(仁仁杵、邇邇藝)の世界という。

天津菅麻には元来言霊の組織がない。すなわち天津菅麻という特定の五十音図は無いわけである。創られたままの未整理の世界であるからだ。言霊の母音、父韻、子音を分けて、大ざっぱに並べてみたものを一応菅麻音図して示しただけの事である。

「天津菅麻を本刈断ち、末刈切りて」とはその五十音図の本来である母音アオウエイと半母音ワヲウヱヰとを取除くことであって、五つの母音は梵ブラフマとして把握された宇宙の主体的実在であり、五大風水空火土アオウエイであり、五行木水金火土アオウエイに当る。その五大五行からハタサカマラヤナ(ヒチシキミリイニ)の八行、八針の八父韻が発現する。八父韻は自然界のものとしては万物の時間空間的変化の季節のけじめとして顕現し、人為的創造に係わる文明世界にあっては生命を運営する道を時に応じて転換させて行く変化の節々である。この節を識別することを「節折よおり」という。天皇の即位式に此の儀式がある。八父韻は易の八卦であり、仏教では八正道という。「八針に取辟く」とは此の中間の変化の相をハタサカマラヤナの八相に識別することで、この八相の順序をタカマハラナヤサである天津太祝詞の順序に組替えることが大祓の眼目である。これと同時にアオウエイと並ぶ実在の位置の順序も天津太祝詞のアイエオウに組替えるのである。以上の操作は次の天津金木の組替えの場合にも同じである。

「天津金木」は物として考えれば金や木などの物質物体の意味でもあるが、精神として見れば神成基かなぎの意味である。菅麻は素そ(もと)であり、金木もまた基もとであって、どちらも太祝詞に組替えられるべき素材であり基礎である。金木は天照大御神の弟である須佐之男命とその後継者である大国主命の霊魂の構造を表現した五十音図であって、その音図の意義は古事記の「言霊百神」を理解した上でないと説明が簡単には受取ってもらえないことであるが、天津菅麻にはアオウエイがあって、ワヲウヱヰがない。そして天津金木にはアイウエオもワヲウヱヲも実は元々無いのであって、母音、半母音の中間の八針のところだけの世界が金木の世界であり、それは実相界すなわち現実界、現象界だけの宇宙図である。金木はカから始まってラに終わるからカラ(唐)の音図といい、韓鋤からさびの太刀ともいわれる。初行のアを加えて考えるとアからラまでであるからアラ(荒)の音図ともいう。

金木がカから始まるということは、すべて人生と文明の運営をカキクケコの心から出発することで、カの心とはすべて掻き集めようとする心である。ここを出発点としてサタナハマヤと進展してラに終わる。ラは螺であって、ぐるぐる廻って行く先が判らず、また元の出発点に戻って同じことを繰返すだけで、結論が出て来ない輪廻転生の姿である。すなわち天津菅麻の善悪無記の自然生活と天津金木の業縁流転の境涯の二つが像法末法時代に於ける代表的な霊魂の姿、内面的な世界像である。

「天津金木を本打切り、末打断ちて」とは天津菅麻の場合と同じくアイウエオ、ワヰウヱヲの両端を取除くことで、同時にこれをアイエオウの順序に置替えることでもある。「千座の置座に置足はして」の千座は道の座の義で、両端を除いたカサタナハマヤラの八相を生命の道が組み並べられる満足な順序タカマハラナヤサに置替えることであって、斯の如き音図の上の操作、すなわち自己の修祓反省、社会の霊的改革、世界の政治経済維新によって、罪穢と禍津日の世界である金木と菅麻の両界が天津太祝詞の配列である生命の合理的な順序に宣り直され、組替えられるのである。

天津菅麻の自然生活にしても、天津金木の輪廻思想にしても、これを八針に取り辟き、千座の置座に置き足わすために現実の世界の個々の内容をそのまま取上げて一つ一つ整理しようとしても、或はそれを従来の各種の哲学の型でしめくくって纏めようとしても、そうした方法を似てしては、あらゆる方面が分化に分化を重ねて、複雑化している今日の世界に於ては、文明の全局を余すことなく捕らえることは不可能であって、強いて整理しようとしてもその操作が煩雑極まりなくなって、収拾の道はない。この事を世界の誰よりも痛切に知っている人は前述の如く国際連合の事務局長であろう。

そこで不可能なこの概念の型の方法を捨てて、すなわち天孫降臨以前の事とすれば「磐根樹根立、草の片葉かきはをも辞止こととめて」、人間のあらゆる思惟思想をその思惟の原素である一切種智、言霊麻邇に、一旦悉く分析、総合、還元して、その種智言霊において、それをもって世界を操作することによって複雑な世界文明を整理、再編成、再組織することが初めて可能である。これが神道大祓すなわち禊祓である。この卓越した最勝の方法以外に文明を解決する道はない。また言霊麻邇の操作であることを度外視して如何に大祓や禊祓を説いても、悉く見当外

れであり無意味である。

菅麻と金木の関係に就いても少し話しを展げよう。菅麻と金木とは意味が似通った音図であって、金木の中には菅麻的な要素が含まれている。金木音図を真中から左右両面に分けて、向って右のアカサタナの部分を主基すきの田と言い、言霊スが真中に位している。左のハマヤラワの部分を悠紀ユキの国と言い、言霊ユが真中に位している。天皇の即位式に当って、まず予めこの主基と悠紀の国を作って、そこから収穫される稲穂を刈り取って、天照大御神に献ることが大嘗祭の始まりである。稲穂は五十名霊いなほであって、言霊五十音の呪物である。

主基のアカサタナは「明あかるい悟さりの田たを成なせ」と読まれ、その帰結の中心は宇宙の初まりの無音の音であるスであり、それは大自然界が円融無礙に活動しながら、そのまま静(ス)止している姿である。主基は言霊スに還る道であって、そのスは天津菅麻の大自然の心であり、仏教と言わずキリスト教と言わず、すべて月の世界、月読の命の世界の道である。今日までの全東洋におけるすべての小乗的宗教が其処へ到達することを目的としている宇宙の始原の自然の境涯が主基である。

また悠紀のハマヤラワは「端はを纏まめて八やつに並らべて和わせ」と読まれ、その中心は言霊ユであり、悠紀の田をまたユ田だと言う。すなわちJudeaの語源である。言霊ユは旺盛に湧き上がる湯ゆの心であり、物事が早くすさまじく生まれ出て来る建速たけはや(竹早)須佐すさ之男命の実相である。宇宙の先端・はである実相界を八針(八節、八律)に整理して旺盛に物を産み出す科学と産業の心である。悠紀の田は須佐之男命が経営する星の世界である欧米における科学と産業と、その物質文明を支配運営する者の心の姿をあらわしている。以上の如く主基と悠紀とは天津金木の内容であって、而も菅麻と金木の両面の意義をあらわしている。(第三文明会会誌五十七号「主基と悠紀」を参照されたし)天津菅麻、天津金木、天津太祝詞は仏教の三菩提を種智布斗麻邇をもって示し現わした一切の仏智、人間智の代表的な曼荼羅である。観世音菩薩、勢至菩薩を両脇立とした阿弥陀如来三尊の原理図と考えてもよい。天照大御神である太祝詞すなわち八咫鏡が本尊であって、菅麻、金木はその両脇立である。菅麻は「日の少宮わかみや」(霊ひの湧わく宮)に宅すみ給う大自然界の造物主伊耶那岐大神の姿であり、金木は今日まで

三千年間の像法末法の世界を経営して来た月読命(東洋)須佐之男命(欧米)の姿である。更にまたその金木自体が月読(宗教)の部分(主基)と須佐之男(科学、産業)の部分(悠紀)に分れているのである。月読と須佐之男とは古事記では別々の神として記されてあるが、竹内文献に於いては須佐之男月読命という一神(一命)の名として述べられていることは意義のあることである。以上の諸神を言霊をもって示せば、伊耶那岐大神(イ)、天照大御神(エ)、月読命(オ)、須佐之男命(ウ)であって、この四柱が後述する祓戸四柱大神である。

以上のことをも一度まとめてみると、天津菅麻は主基の田であって、これは文明の未整理の素材である。また天津金木は悠紀の田であって、これを再組織することによって文明が生命あるものとなるところの資材である。大祓はこの天津菅麻と天津金木を宣り直し、組直して「天津太祝詞を宣れ」と指示している。然らば天津太祝詞の言葉とは何か、これに関しても今日まで様々な模索が行われた。或は「トホカミエミタメ」がそれであると云われ、「一ニ三四五六七八九十」がそれであるとも云われた。四十七言霊を並べた「日文ひふみ」の全文が太祝詞であると言うなら、やや真義に近いが、その日文は天津太祝詞すなわち八咫鏡を作る作り方の教えであって、その太祝詞の実体は「タカマハラナヤサ」と言う八父韻の配列である。

然らば何故にこの八節の並べ方が人類喝仰の天津太祝詞であるか、これを知るためには、従来の哲学的思索方法のもう一つ奥の人間の第五の知慧である布斗麻邇五十音言霊を開顕して、その人みずからがその意義を身を以て修得し実践しなければならない。大祓も禊祓も彼自身の内面の霊魂の整理修祓であって、客観的な「それ」の問題ではない。像法末法の文明が北欧神話の予言の如く黄昏に及んで、行く先が見えなくなった時、次に来る正法時代である新しい生命の文明を建設するためには、人間自体の内面の霊性が本然の姿に立ち直って、其処から出発する以外には道がない。また自分自身すなわち人間自体の内面の整理が出来ていない人間には、その人間自身が創造し経営する世界の文明と社会を全き姿に指導する資格はない。

斯く宣らば、天津神は、天の磐戸いはとを押披ひらきて、天の八重雲を、巌の千別きに千別きて聞こし召さむ。国津神は、高山の末、短ひき山の末に上りまして、高山のいほりを揆かき分けて聞こしめさむ。

「天津神、国津神」は前述の天津罪、国津罪に対応する言葉である。言霊の法則を犯すことが天津罪であり、その言霊を操作する人が天津神である。言霊布斗麻邇としての生命の理法を以て自己を律し、世界を指導する人である。国津神は天津神によって明かにされ、布衍された律法に遵って生活を営み、社会の秩序を守り、産業に従事する人々である。

天津神が聞し召す五十音言霊布斗麻邇は、今日まで二千年間「天の磐門」の中に蔵されている。磐門(岩戸)は五十葉所いわとの義で、五十音言霊を収め蔵かくしてある無形の場所のことである。その象徴的な現実の場所は伊勢五十鈴宮である。此処に崇神天皇の施策であった「同床共殿廃止、和光同塵政策」以来、三種の神器の実体が封印されていて、人間の自覚に上ることなく、学問として説くことを禁じられ、もとより政治の上の実際に用いられる事なく秘蔵されている。この歴史的事実を称して「天の岩戸隠れ」と言う。

天津日嗣の経綸に予定された時が来て、天津金木の法に拠る世界経営法が終末の破綻を生じ、その法が大祓、禊祓されて、天津祝詞の太祝詞の神法が世界に顕われる時、この太祝詞自体の内容である五十音言霊が、伊勢神宮の眼に見えぬ秘庫、磐門の扉を押開いて出現する。民間神道の予言ではこの事を「二度目の天の岩戸開き」と呼んでいる。記紀や竹内文献に述べられている太古神代の天照大御神(天疎日向津比賣天皇)の時に行われた同じ事態を第一回目の岩戸開きとする時、崇神天皇以来の岩戸隠れを開くことが二度目の岩戸開きである。すなわちこの事は同床共殿廃止の廃止、和光同塵政策の撤去である。現在すでに此の岩戸開きは、現実の日本の政治、学問、宗教と全く没交渉の社会的境域に於いて着々と進められつつある。

「天の八重雲」と「出雲八重垣」の関係に就いては前述した通りである。太古に行われた天孫降臨とそして今回の二度目の天の岩戸開きとは、原理的には全く同じ事柄であって、それは天津金木(或いは天津菅麻)の構造である八重垣を太祝詞の道である八重雲に宣り直し、組替えて、「巌の千別きに千別く」ことである。すなわち天津日嗣の御稜威いづの千ちすなわち道ちを別け明かにすることである。斯くして言霊布斗麻邇太祝詞の出現によって、天津神であるべき文明の指導者、世界経綸の責任者達が、初めて天津神が天津神たるべき根本原理を認識し獲得し「聞し召す」こととなる。

この事は二千年昔しの崇神朝以来の画期的大転換であり、三千年昔の仏陀入涅槃以来のことである。これを仏陀の出涅槃下生と言う。仏教の修業の問題として言うならば、法華経の言う「教菩薩法、仏所護念」である妙法三種の神器を復元把持することによって、菩薩が仏陀として成道して再び世界に出現することである。キリスト教的にはこの事が黙示録に説かれた「小羊の花嫁」「生命の域まち」の降臨、エデンの園の開扉、キリストの再臨であり、儒教的には「先王の道」である「結縄の制」の復元である。

「国津神」は「天津神」の指導を受けて生活を享受する庶民である。「高山、短山」を言霊をもって図の如くに示して考えてみよう。「人はパンのみにて生くる者にあらず」と言うことは真理であるが、またパンがなければ生きられない。霊だけで人間が生きているのではなく、肉体がなければ生命はない。霊肉、心身は唯一生命の表裏である。一枚の生命の表裏を別々なものとして切り離して考えると肉体のほかに、肉体とは別に神や霊魂が存在すると思う顛倒想の虜になる。

生命の表と裏は位置(位置師くらいおかし)すなわち価値の系列が顛倒している。地に於いてよきものは天に於いて悪しきものであり、天に於いて貴きものは地に於いて卑しきものである。この価値観の上下転倒を体得することが宗教の修業であると言うことも出来る。この両者は顛倒していて別個のもののように見えるが、本当は同じ実在アオウエイの現れである。アガペもエロスも同じ一つの愛の顕現であって、この両面を具足した者が、神であり同時に獣である人間である。これを「煩悩即菩提」と言う。

この時天界は自覚の世界、地獄界は無自覚の世界、自然界、業縁の霊界であって、自覚をもって無自覚の世界を調御指導して行く所に宇宙なる神から文明の創造経営を委嘱された人間が神の子、命みこと、菩薩である所以が存する。依て五十音の一切種智を上下の合わせ鏡の百音図に組立てて、天界地界、天津神国津神の全貌を示す。天界の出世間法(真諦)が高山であり、地界の世間法(俗諦)が短山である。この百音図を百敷の大宮と言う。

この百音図は八咫鏡すなわち天津神籬ひもろぎの姿であるが、挽臼ひきうすの形に上下に重なっている合わせ臼の所がウ段に当り、ウからサ行のスまでの所を「天之宇受賣うずめ命」(臼女うすめ、碓女うすめ)と言う。百音の中央に「フル、フル」の四音が位する。この図を立体的に見る時、この「フル(布留)」の所が頂点になる。この四角錐の形を高千穂の奇振嶽くしふるたけと言う。仏説の「須弥シュメル山」である。(10 頁の図参照)「いほり」は五百理いほりである。五い(アイエオウ)と基としての百ほ音の原理りと言うことである。「掻き分けて」は言うまでもなく書き分けの呪

語である。麻邇字まにな、一切種智の五十音神名かみ文字をもって真理を書き分けて顕わすことである。この時天津神は言霊、国津神は文字と考えてもよろしく、この様に五十音図、百音図に書き分けて示し申すことによって、はじめて神即真理の実体が世界人類に聞召され理解される。

五十音表音文字によって示し申された(神と言う字)真理がすなわち本来の神道の道である。そうでない神は岩戸隠れの時代に於ける神の仮初めの姿に過ぎない。

天之御中主神、天照大御神と漢字に記されてあるものは、その仮の姿、概念であって、その仮の姿をあれこれと哲学的、芸術的に描こうと試みて来た事が像法時代に於ける修練探索であった。またこうした仮初の「指月の指」としての概念に当嵌まる実体が存在することを基本要求、信仰の対象として、これと合一しようとすることによって自己の魂の救われを工夫して来たことが末法時代のやり方であった。像法末法のやり方は正法としての神道ではない。この事は単に神道のみが然るのではない。仏教にしても、キリスト教にしても儒教にしてもまた同様である。世界のすべての宗教は言霊としての生粋の正法に還らなければならない。

「掻き分け」の意味をもう一歩布衍してみよう。国津神は文字であるが、そしてその文字は麻邇字が本来であるが、その他の漢字やヨーロッパ語であってもよい。前記の図でイエアオウウオアエイと並べても急には理解に苦しむが、これを仏陀、菩薩、縁覚、声聞、衆生、天人、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄と概念或は表象をもって解釈して示すことでもう一つの「書き分け」の意味である。また例えば前述の明治憲法御告文に於ける天津日嗣の世界統治の洪範を「第一条、大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。第二条、天皇は神聖にして犯すべからず̶̶̶」と時宜に応じて詳述することも書き分けである。聖徳太子の十七条憲法「和を以って貴しとなす、云々」と言うのもこの類である。

こうして概念的に書き分けて示すと、天津神でない、直接言霊イの操作を行わない、ウとオの次元だけに住む国津神、衆生、庶民にも真理の意義がその人なりに聞召されて、これを個人及び社会国家の事業、生活の指針とすることが出来る。このようにして言霊を概念や表象(絵姿)を以って書き分けることを仏教で「釈」と言う。印度の仏陀は釈氏を姓とし、釈は釈ほとけすなわち仏ほとけである。法華経の十如是、観世音菩薩の三十二応身、阿弥陀仏の四十八願等すべての言霊布斗麻邇の解説(釈)である。

斯く聞しめしてば、皇御孫命の朝廷みかどを始めて、天下あめのした四方の国には罪と云う罪は在らじと、科戸しなどの風の、天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝のみ霧夕のみ霧を、朝風夕風の吹き掃ふ事の如く、大津部に居る大船を、舳へ解き放ち、艫とも解き放ちて、大海原おほわだのはらに押し放つ事の如く、彼方おちかたの繁木しげきが本を、焼鎌の敏鎌もて、打払ふ事の如く、遺る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事をその昔行われた天孫降臨は世界の高天原地方から生命の主体の原理を把握した覚者神人の団体が、平地に降って、合理的な国家社会を地

上に創設した事であった。その人類最初にして然も永劫不変、天壌無窮、万世一系の道義社会の責任者、指導者、経営者が天津日嗣天皇として、全人類に祝福された伝統を、その間必要なある時期には天の岩戸隠れ、入涅槃の過程を辿りながら、また時に当面の経綸の企図方針に応じて、幾度か皇朝ディナスティの変革維新を行いながら、三種の神器であるその原理そのものの伝統は、今日まで連綿として悠久一万年に亘る歴史を経過しつつ、高天原日本のうちに継承保全されている。これが皇孫命の朝廷の歴史を通じての真姿である。

天皇が毎年行って来た新嘗祭及び大祓の「御贖みあかの儀」は一代に一度行われた即位式大嘗祭の儀を小規模に繰返す式典であって、「御麻」「時折り」「壺」等の儀がある。この祭典に執行されるすべての仕草(動作)と、これに用いられるすべての器物は、悉くこの不変不滅、恒常普遍の伝統の原理を形と動作をもって示し現わした黙示であり、呪事呪物である。すなわちこの仕草と器物は文章(言葉)をもって示された大祓祝詞に内蔵されている原理と一体をなすものであり、また言霊五十音布斗麻邇であるこの原理を同じように呪文をもって黙示してある古事記、日本書紀の内容ともまた同一の意義を有するものである。呪事呪文を呪文呪事と知ってその謎を釈いて、その真態を現わす時、神道とは唯一の系列の布斗麻邇三種の神器の原理であることを知る。

崇神朝に於ける三種の神器の同床共殿廃止以来、正法が隠没している像法末法の二千年間に於ける天皇の最も重大な仕事は、斯くの如き黙示(呪文、呪事、呪物)として示されている原理の意義を式典の形をもって継承保存することにあった。それはやがて再びこの原理の実体をもって、いずれ新しく創造される人類の第二の文明である科学をその原理の中に統合摂取し、またその像法末法の間に発生した罪穢すなわち社会内容の矛盾撞着を贖い修祓するための人間性の不滅の原理を、祭典の形で今日まで保存することであった。二千年の経過の後、今日世界に罪穢が横溢充満し、矛盾混乱が頂点に達して、再び新たな天孫降臨すなわち天の岩戸開きが必然である歴史的な時期がいよいよ廻って来た。

宮中や神宮に於ける呪事である儀式祭典の動作は猿芝居だと評されている。その本物でない芝居の仕草だけを、中実をわきまえずに、よい年寄達が衣冠ものものしく、鹿爪らしく勿体ぶって、何時までも繰返し演じているだけで事が済む時代ではない。「五串いぐし立て御酒みわおへまつる神主のうずの玉影見ればとぼしも」と古歌は揶揄している。呪文呪事の謎を釈き、芝居の型を黙示本来の生粋の姿である言霊に還元して、もって言葉と文字で示し申す神の顕示たらしめて世界に開明する時である。

全人類の精神的な至宝であり、凡そ人間たる以上、民族人種の区別なく、誰でもが持って生まれて来ているが故に、人類の共通普遍の財産である三種の神器、言霊布斗麻邇を把持運営する責任者は、すくなくとも過去三千年、祖先の努力と守護によって原理の連綿たる伝統を保持して来た天孫民族日本人である。この時この日本人が蹶起けっきして、今日までの岩戸隠れの時代のものとしての朝廷、あるいは政府とは、その存在と意義と使命を異にする世界の高天原日本ひのもとの政庁、法庁、教庁を新たに復元建設して、この原理の内容をみずから聞召し、自覚し、全世界に普く釈き明して、比類なく優秀なこの道理をもって、劫末澆世の混乱の極みに到っている人類社会を大祓する時、歴史は此処にその三千年に亘る自然生活(天津菅麻)、生存競争(天津金木)の混沌が整理されて、人類文明は永劫不変の調和を実現する新しい時代に向って、輝かしい第一歩を踏み出すこととなる。

「中臣の太祝詞でと言い、祓ひ贖あがふつとめは誰がためにあれ」と古歌は教える。「弥陀五劫思惟の本願をつらつら案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)。親鸞は仏の恩寵と、これに対する御恩報謝の決意をこの様に述懐している。これは釈尊が女人の為に仮に描いた如来に対する浄信であり、その信心の決定けつじょうである。この弥陀の五劫思惟と同じ意味で「我が皇祖皇宗国を肇むる事宏遠に、徳を樹つる事深厚なり」と我々は教えられた。この事は抑も一体誰のためであろう。然も我が皇祖皇宗天津日嗣の世界経綸は単なる過去の物語りではない。阿弥陀仏の浄土建設のような方便としての仮の架空の絵姿ではない。我々は既にその事実の歴史を学び、その過来現を通じる永劫不変の経綸の原理を学んで来た。歴代の天皇は年毎に「御贖の儀」を行し、大祓を宣し、或は神宮を祀り、記紀を選して、この道の保存と教伝に努めて来られた。これは一体誰のための事であるのか。

もとよりこれは皇運の発展のための事であり、人類の福祉のための事ではある。然しこれではまだまだ他の、他人の問題に過ぎない。この御経綸のもっともっと具体的な切実な目標は何であるかと考えた時、この限りなき天津日嗣の恩寵の中に生かされ育はぐくまれつつある者が実は自分自身であることを発見する。この歴史を通じ原理を通じてその限りなき恩寵に恵まれている自分自身の発見自覚こそ神道の門に入る端緒であり、神道への奉行の出発である。この出発点に立ってこそ初めて生きた神道者である。仏教者、キリスト教者の場合に於いてもまたこれと異なることがない。

さて、山腰明将氏は次の各項は芸術的な表現であって、特別な言霊的な意味はないと説いた。だが此処で改めてその言霊的意義を考えてみよう。「科戸の風」は「風の神名は志那都比古神」(古事記)とあるところ、言霊フである。頭の中にある志(心)をことごとく( 那ことごとく)都みやこ(霊屋子みやこ)すなわち言霊にすることである。人間の生命に存する先天的知性としての天名

あな。この天名が精神のひらめき、理念として現われる真名まな(未鳴まな)が現象として現われる神名かな(仮名)と正式の順序階程を経て発せられる言語が科戸の風である。この科戸の風が「天の八重雲を吹き放つ」と言うことは「天の八重雲を巌の千別きに千別きて」と同じ意味であって、吹き放つは吹き払う意味ではない。人類の正系の言語(言霊)であり聖書の所謂「神の口より出づる言葉」である科戸の風が天の八重雲である天孫降臨、天津日嗣経綸の原理を表現(吹き)公開(放つ)することである。この時科しなとある文字を須佐之男命の科とがと読み、また建御名方たけみなかた神が天孫に服まつろうて引退した科野しなの(信濃)と解する時、更に別個の意味が現われて来るだろう。

「朝の御霧、夕の御霧」のきりを武智時三郎氏は義理ぎりと釈こうとした。まことにうがった解釈である。義理は須佐之男命の法である。朝、夕は陰陽であって、言語と文字と考えてよかろう。霧

きりは斬きり(桐きり)すなわち須佐之男命の八拳、九拳剣であり、韓鋤からさびの太刀である。この剣による法を施行するには権力をもって外部から形式的に強制しなければならない。「忠君愛国」とか「ブルジョア打倒」とか、実際に命題やノルマを定め、洗脳しなければならぬ。斯くの如く外から規制される法が義理である。日本の武士は義理のために切腹した。だがそれでは人間は法ノルムの奴隷となって、本来の自立、自主、自由がない。そこで「朝風、夕風」がこの固苦しい、不透明な霧のような義理の世界を「吹き払い」、解消する。風は伊吹であり、言霊である。言霊のノルム(規制)は自分自身、すなわち人間自身、人類自体から出るものであって、他から強制されるものではない。カントはこの人間の自己規制の性能を「道徳の至上命令」と呼んだ。「大津辺に居る大船」の船は言霊五十音図のことである。これを「ノアの方舟」と言う。「浮船豊買うきふねのとよかい神」と言う。伊勢神宮の御神体を御船代みふねしろと言う。仏教では「大乗マハヤナ」と言う。衆生を乗せて彼岸に渡す大船のことである。過去ニ千年、三千年の間「大津辺」の港につながれたままでいたこの大乗の法の繋縛、封印を釈き放って、その上に全人類を乗せて自由に大海原すなわち産霊うみ、創造の世界を航行することである。

「彼方の繁木」は煩雑な哲学のことである。どれが元であり、枝であるか区別がつかないから「茶の木林」などとも言われる。「焼鎌の利鎌」のかまはまた食物を煮る釜であり、言霊カ、マである。カとマの働きは言と霊をよく煮つめて言霊(言葉)にまとめ上げる。鎌を刃物とすれば哲学のもつれをアレキサンダーのように断ち切ってしまうことであるが、言霊カ、マの操作としてならば、そのもつれを、主客、霊体の両面から調和、綜合する。以上四つの操作が大祓の実際であって、この操作によって劫末の世界に充満して動きが取れなくなっているすべての罪穢と矛盾と錯倒の悉くが修祓され、浄化されるのである。

高山の末、短山の末より、さくな垂りに落ち、沸たきつ速川の瀬に坐す、瀬織津姫と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。斯く持出で往いなば、荒塩の塩の八百道やほぢの八塩道の、塩の八百会あいに坐す。速開津あきつ姫と云ふ神、持ちかか呑みてむ。斯くかか呑みてば、気吹いぶき戸に坐す気吹戸主と云ふ神、根国底国ねのくにそこのくにに気吹き放ちてむ。斯く気吹き放ちてば、根国底国に坐す速佐須良姫と云ふ神、持ちさすらひ失ひてむ。

この一節は大祓祝詞の結論である。高山の末はアであり、短山の末も同じくアである。このアからイ、エ、オ、ウの順序で道が展けて行く。「さくな垂り」は咲(裂)く名垂なだりであろう。その至聖のアである神の座天皇の座から現実世界へ言霊麻邇が、世界を経綸する法として順々に施行されて行く貌を示している。

「沸(瀧)つ速川の瀬」の完全な名を「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原の上ッ瀬、下ッ瀬、中ッ瀬」(古事記)と言う。瀬とは創世記及び黙示録にある「生命の河」の流れ道のことである。古事記には伊耶那岐大神が阿波岐原に禊祓い給うた時「上ッ瀬は瀬速し、下ッ瀬は瀬遅し、すなわち中ッ瀬に降りかつぎて」と記されてある。古事記に於ける禊祓は、人間内部に於ける精神法界としての大自然界の全内容である言霊麻邇の全局、すなわち大祓祝詞で言うならば天津菅麻に基づいて、その内容を整理し、次いでその整理された言霊原理をもって、人類の文明の内容のすべてに生命あらしめる操作である。前段を身削みそぎ(禊)と言い、後段を張霊はらい(祓)と言う。

この禊祓のためには生命の河の上ッ瀬であるア段すなわち感情、下ッ瀬であるイ段すなわち意志、中ッ瀬であるオウエ段すなわち知性の何れに則って行うべきかがこの問題である。古事記ではこの瀬は三筋であるが、旧約聖書ではピソン、ギホン、ヒデケル、ユーフラテの四本の流れと記されてある。すなわちイ段を除いたアオウエ四段である。更に仏教や儒教では地水風火空(土水木火金)の五大、五行になっている。禊祓はこの五大五行のうちオウエの三言霊に則るべきことを示したのが古事記であって、三智みちは三命みちであり、すなわち道みちである。オは経験智悟性、ウは感覚経験、エは理性叡智である。(16 頁図参照)

「瀬織津姫」はこの生命の河の瀬を織ることである。言霊アイエオウを縦の次元の体系に取り、チキミヒリニイシを横の時間空間の変化展相に取って、この縦横の糸をもって神衣かんみそを織る。神衣とは人間の魂のころも(心裳ころも)であり、五十音図すなわち魂の原図である。この言霊を組織して魂の衣を作ることが伊耶那岐、美ニ神の神生みの創造であって、この岐美両神を綜合して一者とした神名を伊耶那岐大神と言う。すなわち瀬織津姫は布斗麻邇の神である伊耶那岐大神である。それはまた前述した朝廷の官職名としては、比礼すなわち五十音図を作成して掲げる「比礼挂くる伴男」に当る。言霊で言えばイである。アなる至純な神性がその内容を現わして、イすなわち布斗麻邇を顕示する。アとイの発現が天孫降臨の出発であり、天の岩戸開きの序曲であり、そして天津日嗣の惟神の生命政治の基礎である。アが現われて下津磐根である言霊イ、布斗麻邇を構成することである。

「荒塩の塩の八百道の八塩道」とは人麿の詩的な表現であって、塩しほを母音の世界として考える時、四穂しほ(機しほ)である。古事の岐美ニ神の創造の過程としてはアオウエの四霊しほ

のことである。これをまた父韻のことと取れば仏教で言う機き(しほ)と言う意味がこれに近い。「悪人正機」などと用いられている哲学的な契機モーメントのことであり、事物の時間空間の変化の節々を示すキシチニヒミイリの八父韻のことである。

その「塩の八百会に座す」神とは現実界の森羅万象が旺盛に生成出現消滅する複雑きわまりない「機しほ」(機会チャンス)の真只中にあって、その中から正しい必然と必要を選び出す能力、すなわち所謂理性、叡智のことである。これを「速開津姫」と言う。冷静な秋の如き心であるから秋津とも書く。明らかであるから明津とも書く。その姿は眼であって、特に左の眼である。仏教ではこれを般若とも言う。古事記では「左の眼を洗ひたまふ時に成りませる神」すなわち天照大御神のことであって、これが速開津姫の正体である。言霊で言えば、エ(慧)に当る。

朝廷の官職としては「手襁挂くる伴男」である。

然らばこの必然と必要を理性が如何にして見出して行くかと言うと、その方法が手襁たすき(手次たすき)であって、未だ現われて来ない実相を機しほ(気)の間に未然に捕えて、手の指で数えて、一ニ三四五六七八九十の数の順序で選び出して行く。手次とは指に指を次ぐことである。「荒塩の塩の八百道の八百塩の塩の八百会」を図に示すと次の如くに描けよう。

最下段の真中の円が速開津姫(眼)である。すなわち「手襁挂くる伴男」とは生命の洪範である八咫鏡、天津太祝詞音図を掲げて、事物が未だ現実として現れない以前に判断把握して、処置指導して行く職務である。たすきはまた田次たすきで、御営田の言霊を現実に受継(次)いで行くことである。その御営田と現実の関係を図で表わすととなり、この形をまたたすきと言う。「持ちかか呑みてむ」とは呑み込むこと、なるほどと納得することで、叡智の自明、自証、自得の選択作用を示した言葉である。

「気吹戸」は息吹きの門と、すなわち咽喉である。「気吹戸主」とはその咽喉から発する言語のことで、ここを咽喉仏のどぼとけと言う。この仏の働きで言語が飛走する貌を矢の飛行に譬えて、その矢を背負っている者が「靭負ふ伴男」である。それは手襁挂くる伴男によって明らかにされた現実界の指導原理を、必要適宜な教訓、法律、命令等の言語、文字に表わして発布施行する役目であって、これを古事記の神名で示せば「右の眼に成りませる神」月読命に当る。すなわち言霊オであり、悟性、経験智である。前述の国津神の役目であって、「高山、短山の五百理」を概念や具体的命令指令に「掻(書)き分ける」役目である。前述の明治憲法の場合で言うならば「皇祖皇宗の後裔に貽のこしたまえる統治の洪範(八咫鏡)を詳述し、時と共に施行する」役目に当る。月読命のつきは附つきの義であって、月は日(太陽)に附属してその光を受けて輝く。天照大御神の叡智に附属して、その活きを言語、文字、概念として教示、施行する者が月読命である。

「根の国底の国」はアイエオウの最下段であるウの次元である。すなわち有う(相う)の世界、現実界のことである。この世界を自己の拠点として活動する神を須佐之男命と言う。この次元は仏教の所謂俗諦世間であって、ここでは因果業報が永遠に輪廻流転している。この流転の姿と人とを「速佐須良姫」と言う。佐須良さすらはさすらひ、漂白放浪)である。「曠劫よりこのかた、常に没して出離の期なしと観ず」(教行信証)と親鸞は言ったが、神を知らず、仏に会わず、天津日嗣の経綸を知らず、世界に対する自己の位置と意義を知らず、みずから輪廻を解脱する力なく、またみずからが輪廻していることの自覚なき大衆の境涯が速佐須良姫である。

然らば既にアなる天津日嗣の高御座からイ→エ→オと天孫降臨してきた至淳の教訓、律法、政策を如何にして衆生、大衆、人民、国民の上に適用施行して、もって万民をしてその場に、その職に安んぜしめるかと言うと、この時これに用うる神器を剣(つるぎ)と言う。剣は須佐之男命が用うる法であって、朝廷の職名としてはすなわち「剱たちはく伴男」である。剣(たち、つるぎ)は形而上の意味では判断力であるが、これを現実に用うる場合、剣けんは権けんに通じ、所謂権力である。悪を祓い善を勧める指導の実験である。天皇や王からこの権力の行使を命ぜられた象徴が「節刀」であって、日本武尊、坂上田村麿、四道将軍等いずれもこの剣の使用を勅命されて、諸国に赴いて軍事と政治の実権を行使した。(三〇頁「焼鎌の利鎌」参照)

天津太祝詞の惟神道に於いてこの剣すなわち権力を行使する場合はア、イ、エ、オと次元を降って次々に真理を展開して来て、いよいよ最下段の衆生、民衆ウに直面する領域に於いてである。現在の世界経営法である天津金木のやり方では、最初にウの剣、権力が発動し、権力を持つ者が支配者であり指導者であって、ア、ウ、エ、オはすべてその支配下に従属させられている。独り布斗麻邇イ言霊はなお地の底に潜んで、従地湧出の期の至ることを待っている。天孫降臨、天の岩戸開き、天津日嗣政治の段階はこの根の国底の国のウの世界まで降って来た時、ここが道の終局である。その初め宇宙の大自然から出発して、その自然を天津菅麻として把握し、分明運営の基礎である布斗麻邇を完成し、これをもって仁仁杵(邇邇藝)の道である人間道、人類道を言霊の洪範八咫鏡として明らかにし、更にその意義を言語、文字、概念に布衍して発布し、その政令を大権によって施行する時惟神道は完了する。速佐須良姫である衆生、民衆はこの道に遵うことによって、初めて霊魂と肉体の生活の安定を得て、「鼓腹撃壌」の歌を歌うのである。

この時ウの世界の衆生はヱホバの産業に従事する須佐之男の子等であって、その境涯はなお輪廻、業縁流転の中のものであり、念の相続と信の決定けつじょうがないから、或る時期に際して発布された教訓、政令、法律も時が移ると共に、やがて何時の間にかその意義が忘却され、行われなくなって、消滅してしまう。すなわち速佐須良姫が「持ちさすらひ失ひてむ」となるのである。

しかしこれでよいのであって、ある一つの道法施策がその終点である衆生の間に実施され、やがて年を経て忘却され消滅する時は、その法の役目が終了した時である。その頃にはまた新たな時宜に応じた計画を天津日嗣の政教府が樹立し、施行して、次々と常に新しい経綸を行って行く。大祓祝詞はこの天津日嗣の経綸の方法をアイエオウの五行の段階の上に説いているのである。

然らばこの五行の各段に於ける初めから終わりに至る横列の時間的変化を如何に処置するか、すなわち実際の具体的な政令を如何に編み出して行くか、この事に関しては更に改めて古事記に就いてヒチヂキミリイニの八父韻と、タ以下の三十二個の子音の操作を学ばなければならない。その五十音言霊全体の操作である古事記の「禊祓」が大祓の完結した法であって、「大祓祝詞」は禊祓の道に導くための案内であり、手釈であり、序文序論であることを承知しなければならない。「祓戸四柱神」は以上の如く言霊布斗麻邇三種の神器を世界経綸の上に運用する次元的順序としての神法である。禊祓の操作全体を含めた意味での大祓祝詞はすなわち神道の結論である。

現代の世界の経営方法は資本主義たると共産主義たるとを問わず、すべて大祓祝詞の根の国底の国であるウ次元に於ける愛憎利害の相対の中に跼蹐きょくせきし、般若心経の顛倒夢想である生死増滅輪廻の中をみずから右往左往する者が国家民族を支配している。禅語を借りて言うならば「一切の糞塊中に向って乱咬する底」の蛆虫(ウ字虫)がそのウである現実の権力すなわち金力と武力をもって、神アをも、道義エをも、そして学問科学オをも、その悉くを挙げて自己の地獄の生死流転の劫火の中に巻き込んで行く終局の下剋上の相を呈している。澆季末法とはウ言霊だけが独り離れて、自己と他の四つの言霊との次元的関係を無視して世界を支配している倒逆の時代を言う。天界を放逐された天使ルシファー(ウ)が地の支配者サタンとなった姿である。

この宇宙の次元に於ける下剋上の姿が天津金木である。然しこの荒涼として凄惨な劫末社会がすでに歴史的な終局に到達していることをウ言霊者、須佐之男命、大国主命の眷属、ヱホバの武力と産業の子等に自覚せしめ、その居るべき生命本来の正しい時処位を言向け知らせて、根本的な自己反省をして貰う時が来た。地の魔王サタンが再び天に還元して、その四人の兄弟に伍して元の大天使ルシファーの座に戻る時が来た。この為には三千年、二千年の間人類の前に封印されていた、従来の人類が用いて来た四つの知性のも一つ先の第五の知性であるイ言霊布斗麻邇、一切種智の出現と活動を俣たなければならない。この歴史の必然に対する全世界の要望と渇仰に答えて、天孫民族日本人が大祓祝詞を掲げて起ち上がる時がいよいよ来た。葺不合朝中葉から数えて凡そ五千年の間、天津日嗣天皇がみずから儀式祭典の物と動作の呪事を示し、国民またみずから毎年夏冬ニ回必ず誦唱して、伝え伝えて来た大祓祝詞の予言と指令の意義を全世界に実施する時は今である。

斯く失ひてば、天皇すめらが朝廷みかどに仕え奉る、官々つかさつかさの人達を始めて、天の下四方には、今日より始めて、罪と云ふ罪はあらじと、高天原に耳振立てて聞く者と、馬牽こまひ

き立てて、今年の六月みなつきの晦日つごもりの夕日の降くだちの大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸もろもろ聞し召せと宣る。四国よくにの卜部うらべ等、大川道おおかはじに持ち退まかりて祓ひ却やれと宣る。

親王、諸王、百官、四伴男が各自の魂の高天原に耳振り立てて聞かねばならぬものとは布斗麻邇の曼荼羅である五十音図、天の斑馬(まだらこま)である。大祓祝詞の意義は天の八重雲である斑馬の構成に始まり、その原理の具体的、政治経済的実施に終わる。この「天孫降臨」すなわち「天の岩戸開き」の真諦を、歴史の時期が廻って来た時、高天原日本から全世界に向って発布し実施せよと言う、そのかみの天津日嗣の勅令がすなわち大祓祝詞である。

三種の神器すなわち言霊布斗麻邇の同床共殿廃止以前の太古神代或は上古までに行われた大祓は、その天斑馬である五十音言霊をその祓の場、祭祀式典の場に於いて「アイエオウ(ン)、タチテトツ(ン)、カキケコク(ン)‥‥‥」と朗唱して、百官諸人に聞かせたことを竹内古文献が伝えている。すなわち実際に五十音天の斑馬をその場に牽き立てて来て、耳振り立てて傾聴せしめたのであった。

然し過去二千年間の像法末法の時代に及んでからは、今日に至るまでその五十音図を唱えることが廃止されて、この勅令の意義を現在の大祓祝詞に見る範囲内の呪文呪示の表面だけの、言霊隠没、天の岩戸隠れの状態で我々は伝承して来た。爾来毎年六月、十二月ニ回宮中より発布され、宮中を始めて諸国に繰返し施行された大祓の式典は、この呪文呪示の形式の保存伝承のためのものだけに過ぎなくなった。今日まではそれでよかったのであるが、然し今日以後はそれではも早世界に通用しない。この様な呪事の保存伝承のための祭典儀式としての、猿芝居の大祓ではなく、人類文明の最後の最高の整理としての実際の大祓は天津日嗣の経綸の歴史的な時期が熟して、封印されていた天の岩戸の中から言霊布斗麻邇が出現することによって、初めて実際に施行されるのである。

大祓祝詞の古き謎が、その真義が我等の手によって斯く明瞭に釈き得られたことは、まことに二千年来の盛事であって、同時にこの事は予定され指示されている経綸の時期がすでに到ったことの証明である。

茲に遠く四千年に及ぶ歳月を、先祖代々我等に本民族が継承、保存、誦唱し続けて来たこの天津日嗣の遺訓、遺詔を眷々服應し、その遺訓の實質である人類本具先天の知性を開顕し、正像末三千年の劫盡つきて大火に焼かれつつある世界文明を大祓し、救済するために高天原の天孫民族が神代ながらの本来の神性に還って、蹶起する時が来た。

(昭和四十五年八月十八日)

引用元

http://www.futomani.jp/lecture/ooharai_kaigi.pdf