2)こころの十四領域

こころの十四領域

さて正当な子現象生みができました。

ここからは正式な子供たちの紹介です。とはいっても意識の成長発展には通常の子現象を産む以前に、どの領域で心が活動成長していくのかの前提領域を設定しなくてはなりません。

こころの成長にはそれに沿った心に必要な十四(トヨ、豊)の領域があります。こころの成長といっても雪ダルマのように大きくなることや量が増えることではなく、こころの異なった十四の位相を順次渡っていくことです。正式に渡り終えたときに意識の正当な現象を得ます。

こころが生まれアイデアがまとまり言葉を作り、表現して理解し反省して交流が正当であるようになるまでの一循環の、それぞれ異なった位相が順次述べられます。

例えばアならアと一言いって了解するまでにアの十四の位相を通過しなくてはならないということです。

こころの先天原理が生まれ1ー5の島、こころの形を言葉にし6-8の島、言葉の整理運用が始まり表現を準備し9-12の島、社会的に交流できるものとして流布され13-14の島となります。実際には考えてから一秒にも満たないうちに言葉を発する時空を十四の位相で示したことになります。

ここで古事記のこころの原理の概略を載せておきます。冒頭の全体となっています。

【】冒頭では神の名がずらずらと出てきました、それはこころの先天構造となりました。先天。

先天構造が働くとき働きが載りあらわれる実態が必要となりオノコロ島が出来ました。オノコロ。

そこで今度はオノコロ島つまりこころが働くときにこころの載って現れる場が必要となります。十四島。

こころが載ってその場・島が動くときにはこころは表現・言葉に載ります。後天現象の言葉。

表現・言葉の単位要素が創られ働くときには、動きの基準・規範が必要です。初歩の規範ができます。天津菅曽音図。

そこで初歩の動きの基準・規範が動くときには、自らの規範の判断力が整備されます。泣き沢女の神。

判断力規範が働くとき、自らの規範が精神意識構造となって自立を目指します。建御雷の男の神。

自立の動きが活用され、過去の事物・過去概念記憶の上に載り表現を獲ます。神代文字、女島。

表現には所有感と愛着が起き囚われる事で過去へ埋没します。それが黄泉の国です。

ここで自己反省が起きミソギに向かう方向が示されます。そうすると今度は。

そこで黄泉の国という表現された場が動くときには、規範に則った過去から正当な正当な連続関連・・時処位・所有価値の有効性・使用可能性・実相があり情緒が得られるかが明らかにされることが必要です。みそぎ五神。

こうして過去の実相が明かされ動くときには、未来の選択按配で定置設定されることが必要です。

ここで選択の決定に携わる上中下のミソギの活動場が必要となります。瀬。

この活動場を動かすのは自覚された精神創造意識です。

そして最後に 精神創造意識 が実相となって 働くときには、動きの基準・規範となる理想的な判断規範たる正しい自由なみそぎ規範が必要となります。

こうして、三種の神器たる三貴子を手にします。

【】ここまでにちょうど百神が登場してきて、古事記の原理は一循環を終ります。

古事記の記述は前承する上昇循環ですので、各十四島に先天原理とおのれのこころの領域が全部載っているばかりか、前出の事柄もそれぞれが後出のものに含まれなければ自分を正式に表出できません。ですので、間違えというのはそれぞれの経過上の正当さから脱線するときに起きるのです。つまり間違えを指定し固定するのも間違えになります。

精神宇宙を占めるこころの表現は宗教や思想では境地、世界観などとなって表現されているが、こころの位相をそれぞれの立場で示すのみで古事記のように原理的に組み立てられたものはない。

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了解した先天構造を用いてオノコロ、おのれのこころの領域を得ました。冒頭に・前に・書かれたことの全てが次の言葉に次々に載っていきます。以下同様の関係です。

こころの領域を示すにはそれがこころの宇宙空間から生まれる先天の自己領域が必要で、それがオノコロ島でした。今度はオノコロ島が剖判発展する形をとります。

十四島を通過することは前段に書きましたがそれは相対的な時間経過です。それと同時に共時的な創造世界も進行していきます。主客合一の絶対的な立場です。

オノコロを意識の精神的な発展としますと十四の位相が次々に発展していく姿に成りますが、絶対的な精神の合一した世界ではどの位相にあってもそれぞれに全体を含みそれを現していきます。ここでオノコロというときも、最初の島に全体が含まれ剖判という形を取ると同時に、最後の完成された領域に発展をしていくことにもなります。

さて、最初の島です。その名の通り意識の剖判を現します。 狭別(さきわけ)。

1【 子淡路(みこあわじ)の穂(ほ)の狭別(さきわけ)の島を生みたまひき。

直訳・・『アとワ(淡)の言霊(穂)が別れ出て来る(別)狭い(狭)道(道)の区分(島)』

意訳・・「原初の心の始めの場所で、言霊十七神、見立てられた天の御柱と八尋殿(やひろどの)からなる。」

淡路の・・相対的に言えばアからワへので、主体から客体、わたしからあなた、原因から結果、五十音図の母音行から半母音行、鳥居の二本の柱等。絶対的に言えばアワの合一した天(国)之御柱、伊勢の心柱、一心の霊台諸神変通の本基等。

穂の・・言霊、霊、意識、私の内容

狭別の・・ 別れ出て来る(別)狭い(狭)道(道)の

島・・区分、後にわたしのこころとなる原初のこころの領域。

先天構造の最初に出て来る言霊ウの区分を示す島名です。

神話形式で言えば天の御中主の神の宝座ということになります。

アとワ(淡)の言霊(穂)が別れ出て来る(別)狭い(狭)道(道)の区分(島)という意味であります。

この島の名の意味・内容は古事記解説の冒頭にあります天の御中主の神(言霊ウ)の項の全部と引き比べてお考え下さるとよく御理解頂けるものと思います。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神……」の古事記冒頭の文章自体がこの島名の意味を端的に表わしているとも言えましょう。

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2【 伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。

この島は身一つにして面四つあり。

面ごとに名あり。

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、

粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。次に

直訳・・『 伊豫の二名島(いよのふたなしま)

言霊ア・ワの区分、高御産巣日(たかむすび)の神、神(かみ)産巣日の神の宝座。伊豫(いよ)とは言霊イ(ヰ)のあらかじめと意味がとれます。何物もない広い宇宙から主客未剖である意識の芽が現出します。言霊ウです。それが人間の思惟が加わりますと瞬間的に言霊アとワ(主と客)の二枚に分れます。人間は物を考える時には必ず考える主体と考えられる客体に分れます。これが人間の思考性能の持つ業であります。「分(わ)ける」から「分(わか)る」、日本語の持つ妙とも言えます。

この主と客に別れることがすべての人間の自覚・認識の始まりです。言霊ウの宇宙が言霊アワの宇宙に剖判し、次々とオヲ、エヱの宇宙剖判となり、終にイ・ヰの宇宙に剖判する事によって「いざ」と立上り、現象子音の創生が始まります。言霊イヰによる子音創生が始まりますのも、その予めに言霊アワに分かれたからでありますから、伊豫の二名(アワ)の島と呼ぶわけであります。

この島は身一つにして面四つあり。面(おも)ごとに島あり。

身一つ、とは一枚(言霊ウ)から二枚(言霊アワ)に分れることから、身とは言霊ウを指します。言霊アワから言霊オヲ、エヱが剖判します。そこで「面四つ」と言っています。

面ごとに名あり。かれ伊予(いよ)の国を愛比売といひ、讃岐(さぬき)の国を飯依比古といひ、粟(あは)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。

面四つのそれぞれを言霊に置換えますと、愛比売(えひめ)とは、言霊エを秘めているの意で、言霊エは言霊オから選ばれる事から、愛比売とは言霊オであります。

飯依比古(いひよりひこ)の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。

大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。

建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。伊豫・讃岐・粟・土左の四国は「面四つあり」の四に掛けたもので、それ以外の意味はないように思われます。』

意訳・・「」

よく、未来は決まっているか、運命は人生はというのがありますが、未来は決まっているのではなく、未来になる構造(先天十七神)が決まっているだけで、構造と実在がよく混同されています。三階建ての家屋はどうしても一階と二回を持つ構造になりますが、その上に三階は自由に建てられます。

ここでは伊豫(いよ)とは言霊イ(ヰ)のあらかじめで、あらかとは御殿、宮殿のことで、淤能碁呂島(おのころ)島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひきとある殿のことになります。

「天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて」と先天の十七の神の働きがあることが「あらかじめ」で、大本となっている言霊イにおいて代表させています。

「あらか・じめ」の前もってあることは、後にあいうえお五十音図の言葉の区分となってあらわれ、その全体を示すのに始めの「あ」と終わりの「ら」を組んで「あら」として、それが「掻・か」きまわされ「鎮・し」ずんだ形が萌芽の「め」となっていることを指すでしょう。ですので現象としての芽ではなく、先天としてです。

その芽の構造が「身一つにして面四つ」で、二名・アワの主客の自覚が始まることで面四つが芽ばえます。

根源的な創造動因たる言霊イのあらかじめということで、原動因が載る先天の構造があるというわけです。つまり、子淡路(みこあわじ)の穂(ほ)の狭別(さきわけ)の島が言霊ウとして先天構造としてあり、それが主客、主体客体、能動受動へと剖判していきます。

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こころの内容は、欲望、感情、経験知、実践智、意思の五次元ですが、人の創造行為に重要なのは実質的に経験知と 実践智の世界です。

3【 隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に

直訳・・『言霊オヲ・エヱの宇宙に於ける区分の事です。隠岐(おき)は隠気で隠り神の意。

三つ子とは天津磐境の三段目に位する言霊を意味します。

またの名の天の忍許呂別(おしころわけ)とは先天の(天)大いなる(忍)心(許呂)の区分の意。

言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)は人間の生の営み、人類文明創造に於ては最も重要な心の性能であります。』

意訳・・「 隠れているこころの実(み)を渡して(津、つ)実相(子、こ)となす領域」

三子の島は意識構造の三段目に現われると同時にその隠れた大いなる心の三つの区分、ウアワの造化三神で一つ、オとエがそれぞれで三つになり、それぞれの三つが実となって港(津)から創造現象へと渡す領域

ウはアワに、アはオエに、ワはヲヱに剖判します。

意識が動いて実体側が剖判しますが、動いた意識側にも実体側に対応するように伊予のあらかじめが働きとしてあらわれます。

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隠岐(おき)の三子(みつご)の島で隠れている実相を実として渡す用意が出来ましたが、実際の活動のリズムに載ったものではありません。そこで父韻のリズムが出てきます。

4【 筑紫(つくし)の島を生みたまひき。

この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、

豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、

肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といひ、

熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に

直訳・・『父韻チイキミシリヒニの八言霊の精神宇宙内の区分。宇比地邇の神・妹須比智邇の神、以下妹阿夜訶志古泥の神計八神の宝座のことであります。これ等八父韻言霊、八神は母音宇宙言霊に働きかけて子音言霊を生む人間の創造意志の智性の原律をすべて尽くしている、即ち竺紫(つくし)の島である、という事です。

この島も身一つにして面四つあり、とあります。

八父韻すべては言霊イ(親音)の働きであります。身一つといわれます。その働きは二言霊一組の四組から成っています。

面四つあり、の意です。この面四つ、四組の区別を下に並べます。

竺紫の国 白日別 言霊シリ

豊の国 豊日別 言霊チイ

肥の国 建日向日豊久志比泥別 言霊ヒニ

熊曽の国 建日別 言霊キミ

右の如く並べて書きますと、三列目の肥の国を除く三行は白(シラ)日別と言霊シリ、豊(トヨ)日別と言霊チイ、熊(クマ)曽の国と言霊キミとしてそれぞれ五十音図表のサ行とラ行、タ行とヤ行、カ行とマ行と同じ行である事が分ります。また白日、豊日、建日と日の文字があり、日即ち霊(父韻)を意味します。以上の事から容易に古事記の編者太安万侶の意図を察する事が出来ます。然も編者は容易に謎を解かれるのを嫌ってか、三行目の肥の国だけは長い別の名を用いました。しかしこの長い名前も、八父韻解説の章で述べました如く、於母陀流(面足)が言霊ヒ、妹阿夜訶志古泥が言霊ニと解けてしまっている今では、建日向(面足)と日豊久志比泥(阿夜訶志古泥)は容易にその類似を知る事が出来ます。父韻ヒが心の表面に表現の言葉が完成する韻であり、その反作用として父韻ニが心の中心にすべての思いの内容が煮詰まる韻と分ってしまっているからであります。』

意訳・・「」

働きが載る実体側が用意され、働きが実体に載る時の形も用意できました。ウアオエの主客で八と父韻の面の裏表で八です。

実体、働き側共、あらかじめの準備が整うと、 最後にイザと動いて事が始まります。

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ここにイザ動き始まる領域ができます。

実際に動くのは手駒となる現象要素ですから、その後に続いて後天現象要素を産む領域が創られます。

5【 伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に

直訳・・『 言霊イヰの精神宇宙に於いての区分。伊耶那岐の神・伊耶那美の神の宝座。

伊岐の島とは伊の気の島の意でイ(ヰ)言霊のこと。

天比登都柱とは先天構造の一つ柱の意であります。

絶対観の立場から見ると、言霊イとヰは一つとなり、母音の縦の並びアオウエイと半母音の並びワヲウヱヰの五段階の宇宙を縦の一本の柱として統一しています。この統一した一本の柱を天之御柱と呼びます。伊勢神宮内外宮の本殿の床中央の床下にこの柱を斎き立て、これを心柱・忌柱または御量柱と呼び神宮の最奥の秘儀とされています。この心の御柱は人間に自覚された五次元界層の姿として、人間の精神宇宙の時は今、場所は此処の中今に天地を貫いてスックと立っています。一切の心の現象は此処から発現し、また此処へ帰って行きます。天比登都柱の荘厳この上ない意義を推察する事が出来るでありましょう。

意訳・・「」

以上で心の先天構造を構成する五段階の言霊の位置を示す五つの島名の説明を終わります。これ等島の名によってその区分に属す言霊の占める精神宇宙の位置ばかりでなく、言霊それぞれの内容を理解するよすがとなることをお分り頂けたことと思います。島の名はこれより創生される言霊子音並びに言霊五十音の整理・運用に関係する島名となります。

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つづく後天現象要素は三十二子音創生の話となります。

現象要素を産む領域です。三島を通過します。

津(つ)島、先天をイメージにまとめ、

佐渡(さど)の島、イメージを物象と結び形にし、

大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島 、物象が現象として確定するまでのこころの区分

の三つの段階を踏んで現象が創生されると同時に、 各現象要素の位置づけともなります。

こうして後天現象要素が生まれますが、生まれた子自身が動く整理運用段階が、次に控えています。

そして、子は動きますが当初は無自覚先天的な動きです。無自覚な運用が黄泉・よもつ国で示され、それが反省され自覚され理想の思惟規範を得るまで続きます。

◆◆◆

ここから頭脳内の脳内意識活動が、物と結ばれ形を取る過程に入ります。

全感覚現象は物理的な形を取ることができますが、自らを表現するのに筋肉運動や感覚そのものに頼り、自らを対象化し他者との社会共有性を獲ません。動物社会の段階ならば多くの通信手段をそれぞれが使用していきますが、表出はあっても修理(おさ)め固め成す働きの元に修理(おさ)め固め成す思いを持つことはありません。

人にも表出の手段は与えられていて、それが発声の利用となります。

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ここから頭脳内の脳内先天活動が、物となるものと結ばれ形を取る過程に入り、意識を現す言語表出活動となります。

全感覚現象も物理的な形を取ることができますが、自らを表現するのに筋肉運動や感覚そのものに頼り、自らを対象化し他者との社会性共有性を獲ません。動物世界の段階では多様な通信手段をそれぞれが使用していきますが、表出はあっても言語を用いて意識となった「修理(おさ)め固め成す」働きの元に実践智を成す意思を持つことはありません。

人には発声という表出の手段が与えられているので、その発音を利用していきます。

諸外国の言葉の多くは発音に意味が附されたものですが、大和の日本語は発音そのものが意味を持つように作られた世界唯一の言葉です。

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ウアワの造化三神は一者の二者への剖判を示すと同時に、一連の経過も示し、次いで三者で統合された一者になることで万物を創造する事を示します。島領域の段落全体は冒頭のあめつちが剖判し、こころに主体側アとなるオノコロ島のはたらきを生み、この段の十四島全体が客体側ワとなる意識を現す実体となります。

津(つ)島、佐渡(さど)の島、大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島の三島は後天言霊要素の誕生までの領域です。

各場面各位相各次元でウアワの構造が貫徹していきますが、ここでは前五島(先天)が言霊ウとして主体側アの津島となりイメージをつかみ、佐渡の島が客体ワの剖判された相手方となり物象をつかんで、両者は発音という子供 (おほやまととよあきつ島) を産んでいきます。

6【 津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に

直訳・・『大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神、タトヨツテヤユエケメのこれ等十神、十言霊が精神宇宙に占める位置を津島と呼びます。

津とは渡すの意。意識では捉えることが出来ない心の先天構造の働きが実際にどんな内容、どんな意図があるかを一つのイメージにまとめる過程の働き、現象であります。

この十個の言霊の働きによって、先天の活動を言葉として表現する次の段階に渡す、即ち津島であります。

またの名を天の狭手依比売(さでよりひめ)といいます。先天の活動が狭い処を通り、手さぐりするように一つのイメージにまとまって行きますが、まだ言葉にはなっていない、すなわち秘められている(比売)の段階という意味であります。』

意訳・・「」

【註】「古事記と言霊」の中でこの津島の十言霊の後半にありますユエケメの中の言霊ユとメを取り上げて、これが日本語の「夢」の語源となる理由を示唆している、と書きました。意識外の先天構造の動きが津島と呼ばれる十言霊の働きによって次第に一つの建造物の如くイメージにまとまって行き(言霊ヤ)、それが湯が湧き出すように(言霊ユ)現われ、そのイメージが言語と結び付く直前の処まで、即ち発声器官に渡される境目(言霊エ、ケ、メ)にまで来た状態、しかし確実な言葉と結ばれてはいない(秘められている)様子、夢とは其処に深く関係する、と言う訳であります。読者の皆様もこの夢多き人間の心の活動と言葉との関係探索の旅を自らの心の中に楽しまれたら如何でありましょうか。

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子音創生の話しはこれより佐渡の島と呼ばれる段階に入ります。

7【 佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に

直訳・・『以上沫那芸の神より国の久比奢母の神までの八神、クムスルソセホヘの八言霊が属す宇宙区分を佐渡の島と呼びます。この区分の八言霊の現象によって先天の意図のイメージが音声と結ばれ言葉となり、口腔より空中へ飛び出して行きます。

佐渡の島とは心を佐けて言葉として渡すという意です。この八言霊の作用により未鳴が真名となり、更に発声されて神名となって空中に飛び出します。』

意訳・・「」

古神道言霊学の佐渡の島の「心を言に乗せて渡す」という事が佛教でも使われ、八苦の娑婆の此岸から極楽の彼岸に渡すことを度(ど)と言い、また得度(とくど)なる言葉もあります。佛の教えでは、人は生れながら佛の子であり、救われた存在なのであるが、救われているという自覚を持ちません。それが佛の教えを実行して救われてある事を自覚出来ます。けれどその自覚だけでは不充分であり、その救われの心を言葉に表わし、または詩にまとめて初めて自覚は完成する、と説きます。言葉によって渡す事となります。その詩を頌(しょう)または偈(げ)と呼びます。

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8【 大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(みそらとよあきつねわけ)といふ。

かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。

直訳・・『以上発声された言葉が空中を飛び、耳で聞かれて確認され現象が確定するまでのこころの区分、ここまでで五十音の言霊が全部勢ぞろいしますので大和・大倭であり、それがすべて豊かに現われる(豊秋津)区分(島)というわけです。

それはまた先天から(天つ御虚空)豊かに(豊)明らかに(秋)現われた(津)音(根)の区分(別)でもあります。』

意訳・・「」

「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神(言霊ウ)」より始まり、先天十七神、それに火の夜芸速男の神(言霊ン)までの後天三十三神を加え、合計五十神、五十音言霊が全部出揃いました。古来、日本の神社では御神前に上下二段の鏡餅を供える風習があります。その意味は言霊学が「神とは五十個の言霊とその整理・操作法五十、計百の原理(道)即ち百の道で百道(もち)(餅)」と教えてくれます。先天・後天の五十の言霊が出揃ったという事は鏡餅の上段が明らかになったという事です。そこで古事記の話はこれより鏡餅の下の段である五十音言霊の整理・操作法に移ることになります。人間の心と言葉についての究極の学問であります言霊学の教科書としての古事記の文章が此処で折返し点を迎えたことになります

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先天原理があって、主体が活躍する場ができ、現象を産む方法を修得し、それによって一つ一つ決められた活躍場を生んできました。それぞれの位相の活躍場は現象子音を載せる領域まで生みました。

手持ちの現象要素があったとして、つぎはそれをいかに使用するかの領域が必要になりそれを産むことになります。

現象要素を運用するのは各自主体です。

そこで現象要素を全部持ち寄って主体の立つ位置に戻ります。

【 然ありて後還ります時に、

直訳・・『現象要素をオノコロ島の御柱と八尋殿に引き入れます』

意訳・・「」

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産んでできたもの、集めたものがどう扱えるか運用できるかをみれる領域が無いと要素材料が役立ちません。

9【 吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に

直訳・・『五十音言霊の全部が出揃い、次にその五十音言霊の整理・活用法の検討が始まります。以上金山毘古の神より和久産巣日の神までの六神が精神宇宙内に占める区分を吉備の児島と呼びます。「吉(よ)く備(そな)わった小さい締(しま)り」の意です。

児島と児の字が附きますのは、弥都波能売(みつはのめ)という上にア、下にイ、その間にオウエの三音が入った事の確認を基準として五十音言霊を整理し、枠で結びました。吉(よ)く備(そな)わっている事は確認されましたが、その様に並んだ事の内容についてはまだ何も分っていません。極めて初歩的な整理である事の意を「児」という字によって表わしたのであります。 』

意訳・・「」

古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。

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要素材料をあったものとしてそれの初期の整理をする領域はできました。例えば得た印象のままに振舞うなどでしょう。しかし事の動きにはそれだけでは対応できません。そこでじぶんの足元の動きを明らかにすることが求められてきます。

10【 小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に

直訳・・『泣沢女の神の座。また五十音言霊の音図上の整理・確認の作業の中で、八つの父韻の締めくくりの区分を小豆島(あづきじま)と言います。明らかに(あ)続いている(づ)言霊(き)の区分の意です。

大野手比売(おおのでひめ)とは大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めている(比売)の意です。八父韻は横に一列に展開しています。』

意訳・・「」

菅曽音図の一番下の列、言霊イとヰとの間に展開している八つの父韻に泣沢女の神と名付けた事について今一つ説明を加えましょう。法華経の第二十五章の「観音普門品」に「梵音海潮音勝彼世間音」(ぼんおんかいちょうおんしょうひせけんおん)という言葉があります。梵音と海潮音とは彼(か)の世間で一般に使われている言葉に優(まさ)る言葉である、の意です。その梵音とは宇宙の音、即ちアオウエイの五母音の事です。また海潮音とは寄せては返す海の波の音の事で、即ちこれが言霊学で謂う八つの父韻の事です。宇宙には何の音もありません。無音です。もっと的確に言えば宇宙には無音の音が満ちているという事です。何故ならそこに人間の根本智性である八父韻の刺激が加わると、無限に現象の音を出すからです。八つの父韻は無音の母音宇宙を刺激する音ですから、泣き(鳴)騒ぐ音という事となります。父韻が先ず鳴き騒ぐ事によって、その刺激で宇宙の母音から現象音(世間音)が鳴り響き出します。梵音(母音)と海潮音(父韻)は人間の心の先天構造の音であり、その働きによって後天の現象音が現出して来ます。「勝彼世間音(しょうひせけんおん)」と言われる所以であります。

お寺の鐘がゴーンと鳴ります。人は普通、鐘がその音を出して、人の耳がそれを聞いていると考えています。正確に言えばそうではありません。実際には鐘は無音の振動の音波を出しているだけです。では何故人間の耳にゴーンと聞こえるのでしょうか。種明かしをすれば、その仕掛人が人間の根本智性の韻である八つの父韻の働きです。音波という大自然界の無音の音が、人間の創造智性である八つの父韻のリズムと感応同交(シンクロナイズ)する時、初めてゴーンという現象音となって聞えるのです。ゴーンという音を創り出す智性のヒビキは飽くまで主体である人間の側の活動なのであり、客体側のものでありません。鐘の音を聞くという事ばかりではなく、空の七色の虹を見るのも、小川のせせらぎを聞くのも同様にその創造の主体は人間の側にあるという事であります。八つの父韻の音図上の確認の締まりを泣沢女の神という理由を御理解願えたでありましょうか。

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足元が明るくなり自分の動く方向が見えるようになりますと、それを利用して動きたくなります。その場合自分の得た範囲内での動き考えとなるので、それがその人の全部になり世界の全部になってしまいます。それでも主観的に自分のこころの規範を得ます。

11【 大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に

直訳・・『

以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味です。

人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。

またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。』

意訳・・「」

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主観的な規範は非常な暴れん坊でなにしろ自分の全部を出さないと気が済みません。

そこで自分を表現する領域が準備されます。

表現領域全般の構成法、ことに文字表現の原理になります。

12【 女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に

直訳・・『 以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。

またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。』

意訳・・「」

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ここで表現されたものの世界、客観物となったものの世界になります。黄泉国・よもつくにです。

ミのミコトが産みだし形となってしまった客観世界をさします。

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13【 知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に

直訳・・『以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。

またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。』

意訳・・「」

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14【 両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。

直訳・・『以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。

両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。

先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。』

意 訳・・「」

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【 既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。

「こころの後天子音現象」 につづく