[運用 27] 時量師(ときおかし)の神

次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神

古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。また時量師の神を時置師(ときおかし)の神と書いてある書もあります。これはどちらでも同じ意味であります。そこで御裳(みも)として説明して行きます。

裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意となります。また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。

現象の移り変わりが時間を表わすとはどういう事なのでしょうか。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という有名な俳句があります。冬の厳しい寒さを耐え忍んで来て、或る日、ふと空を見上げると、庭前の梅の木の枝の先に梅の花が一輪蕾を開かせようとしているのが目に止まりました。まだ寒さは厳しいが、梅の花が咲こうとする所を見ると春はもうそこまで来ているのだな。そう思ってみると、朝の寒風の中にも何処となく春の気配の暖かさが膚に感ぜられるような気がする、という感じの句です。つい先日まで枝の先の梅の蕾は固く小さかったのに、今朝は一輪が咲き初めて来た。「あゝ、春はもう近いのだ」と季節の移り変わりを知ります。物事の現象の変化が時を表わすとはこの様な事であります。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」の句は更に強烈に秋の季節の到来を告げています。

以上のように物事の姿の変化のリズムが時の変化だという事が出来ます。物事の姿の変化という事がなければ、時というものは考えられません。実相の変化が時の内容であると言う事であります。人間が日常経験する大自然の変化、また人間の営みの変化にも、それぞれ特有の変化のリズムが見てとれます。このリズムを五十音言霊図に照合して調べ検討する働きを時量師の神というのであります。私達がアオウエイ五次元相に現われる現象の変化のリズムを八父韻の配列によって認識する働きの事です。

ここでウオアエイの各次元に働きかけ、適合する時量師(時置師)の父韻配列を列挙して置く事にしましょう。

言霊ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木音図

オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠音図

ア次元 チキリヒシニイミ 宝音図

エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞音図

イ次元 チキシヒミリイニ 天津菅麻音図

宇宙から種々の現象が現われて来ます。その現われて来る現象を唯一つの現象として特定化するのは、宇宙の内容を示す五十音言霊図の中の縦の母音の並びによる次元、横の父韻の変化に基づく時間、両者の結びによる空間の場所、即ち時・所・位(次元)の三者によって行われます。それ故現象(実相)には必ず時処位が備わっています。古事記には時量師の神しか書かれてありませんが、実際には処量師、位量師もある筈であります。その事から時間とは空間の変化であり、空間は時間の内容という事が出来ます。時間のない空間はなく、空間のない時間はありません。そして時間も空間もアオウエイと畳(たたな)わる次元の中の一つの広がりについて言える事であります。時間と空間は次元の一部であるという事です。これ等のことは、宇宙の全容を示す言霊五十音図表について考えれば一目瞭然であります。その時間と空間の畳(たたな)わりが次元宇宙なのです。