0. 言霊運用五十神を借りた父韻の解説。原文。

私達は父韻とはどういうものか知らないため、父韻とは何か、という疑問をもちました。しかし父韻を知らないのに父韻と言うこともおかしなものです。父とか韻とかどこかで見聞きした父韻の記憶があるので、父韻という言葉に結び付いているのです。古事記はその結び付きをたぐり(反吐嘔吐のこと)を使って説明してくれます。

たぐりは形の無いどろどろのものですが確かに過去に食べたものの吐瀉物です。つまり父韻とは何か知らなくともそれに伴う過去の心象なり物象なりの記憶の連鎖が、父韻とは何かの記憶に結び付いているので自分の疑問を持つことができます。

疑問をもてたとしても食べたものが決まっていたように、疑問から出てくるものもそれ以上にはなりません。形の無いどろどろですから自分でも見当が付かず、かといって父韻と言う言葉と切れていることもなく、過去概念知識記憶と結ばれそれらが出ようと控えています。

その過程経過が古事記の神代の巻後半の最初の段落となります。

まず原文を引用し、それに沿って父韻とは何かの疑問を当てはめていきます。

1-たぐり。

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほとや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまひこ)の神。次に 金山毘売(ひめ)の神。

次に屎(くそ)に成りませる神の名は 波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に 波邇夜須毘売(ひめ)の神。

次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。次に

和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。

かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

2-たぐる主体側

かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつけ)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらば)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

3-主体側の分析機能能力

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

4-客体物の分析

殺さえたまひし迦具土の神の

頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に

胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に

腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に

陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に

左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に

右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に

左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に

右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

5-客体世界の止揚

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いぶや)坂といふ。

6-自覚した主体

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に

投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に

投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

時量師(ときおかし)の神。次に

投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に

投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

道俣(ちまた)の神。次に

投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

7-自覚を止揚する主体

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

奥疎(おきさかる)の神。次に

奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

辺疎(へさかる)の神。次に

辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に

大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神。次に

大直毘(おほなほひ)の神。次に

伊豆能売(いずのめ)

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に

底筒(そこつつ)の男(を)の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

中津綿津見の神。次に

中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

上津綿津見の神。次に

上筒の男の命。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

8-理想的な思惟規範を運用する主体

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

天照らす大御神。次に

右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

月読(つくよみ)の命。次に

御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

建速須佐の男の命。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(うなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。