05 構造と運用

古事記の冒頭は心の原理論ですから、心の取り方扱い方見方が様々であろうと、その打ち込まれている杭の形は変わりません。

それを心の十七神先天原理といい古代には天津イワサカといいました。(古事記の冒頭十七神)

またその展開された運用原理も含めて、言霊百神といい天津ヒモロギといいます。(古事記の冒頭百神)

心とは何かのとらえ方は現象で扱うと様々で、取り止めの無いものになります。

心はいまここの一瞬の瞬時にしかないので、心とは何かも瞬時の原理として展開されることになります。十七神も百神というとらえ方も今という一瞬のこと、つまり一瞬とは百神のことです。

目につく現象からその大本へ戻る方法も心の扱い方の一つの現象ですから、それ自体が原理から導かれなければなりません。

古事記の冒頭(こころの目次)を先天原理とその運用でとらえると二部構成になります。先天原理は実在要素として表出され、それを言霊と呼びます。

Ⅰ部) 言霊原理の要素 (天の御中主の神から火の迦具土の神まで五十神)

Ⅱ部) 言霊原理の運用 (金山毘古の神から建速須佐の男の命まで五十神 )

五十足す五十の百神で、古事記とは言霊百神のことになります。 百の道。百の道理。

下に運用法の五十、上に言霊の要素の五十の鏡餅(鏡となる百の道理)です。

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構成としては二部ですが、今という瞬時の上で起こることです。今の一瞬の上で、百神が動き百神全体が実在していいきます。古事記は全体で意識のイマココ、一瞬の瞬時と一点の場所の創造を、百の神名を用いて説明したものなのです。ですので今までのように巷で記述された神としての神々は存在しません。古事記の神は全て、心、意識の各時点各次元での隠された象徴表現です。

と同時に、瞬時のイマココを立体的に重層的に、時の流れに沿って場の積み重ねに沿って説明したもので、現代的に言えば意識の現象学ですが、学として扱われるのは有ったもの有るものの存在であって、古事記の主眼は有らしめる者の創造主体そのものの実在と働きです。

客観的な神と呼ばれるものの働きや動き、実在の説明は、後世に仮に付け足しされたものです。古事記の真意を得るにはそれらを剥ぎ取り身を削がねばなりません。とはいってもそれは隠された内容の痕跡を秘めています。神道や皇室の行事や伝統等も心の原理の隠された形ですので、今後は身が削がれることになります。

二部構成といってもその指導原理は単純で、「あめつち(吾に眼を付けて智となす)」の一言につきます。

言い換えれば、今という一瞬とは、百回「アメツチ」を今の一瞬で、百の神名を語って繰り返すことです。(人間誰でもの頭脳は何事も無く平気でこんなことをしていきます。)

従ってその説明は前承する重層的な上昇言霊循環となっています。

つまり、アならアという単音を説明するのに、百神百回のアメツチ(吾に眼を付けて地に智となるべし)を繰り返すことが、イマココの一瞬時において成就しているというもので、百回繰り返されたときにアが了解共有されるものです。

一瞬とは百神のことであると同時に、心の経過成長としてもみられます。その場合も、百神で現わされ、心の成長方面から見た場合には、先天の無垢な既得性から、無自覚な獲得競争を経て、客観世界の因果に囚われることからの脱出、そして自覚した思惟運用による、主客の合一した意識の創造行為へと成るまでを述べています。従って個人ではその経過を全うできた人少数であり、また、歴史文明創造に適応すれば、人類は今だ自覚された世界の平和な運用からは遠いところにいます。

また、意識に於ける子の創造とは、言葉の創造及び人の実践行為の事なので、その発生創造運用も同時に述べられています。

要するに人の意識行為が百の神名を借りて原理として述べられているので、人の意識行為の全ての原理となっていて、歴史創造の、科学概念の、思惟活動の、芸術、宗教、政治、道徳活動の原理となっています。

人の意識活動のどの場面においてもの原理ですから、その説明比喩象徴物質化は無数にあります。その集大成が神道や、皇室の行事となっています。元を訪ねれば「あめつち」の原理ですが、その展開された「あいうえお五十音図」の一部が、現在においても学校教育で、真意を知らずに勉強されています。

五十音図は意識の一瞬におけるイマココの展開図です。今というのは五十の言霊要素の総体のことです。この五十の一つ一つが神名を与えられ冒頭の五十神に配当されていて、それが古事記の冒頭というわけです。

五十音図は実在次元世界と働き運用と子音現象世界に分けられ、母音、半母音、父韻、親音、子音で構成されています。

その構成要素を見ていくと人の意識活動は幾つかの意識領域を通過するように導かれます。

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五十音図の見方

・先天の領域に今は分からないが、自己意識となる吾の眼(天)の領域ができる。

またそれは対象に付いて智に(土)成ろうとする。

・先天の実在領域(ウ)

言霊母音ウの領域。。。あってあり続ける実在領域。

言霊母音アワの領域。。。主と客、我と汝の全体を包含する実在領域。

言霊ヲオエヱの領域。。。過去から今へと、今から未来へ至る選択された実在領域。

言霊チイキミシリヒニの領域。。。実在を動かすために実在に宣(の)る父韻の働き。音図に現われない。イ段をとって仮象。

言霊イヰ の領域。。。全音図領域を統括する領域。

(以上が先天領域で、母音の実在はあるだけで自ら動くことがない領域。その為動かない母音を動くようにしなくてはならない)

-イヰの介入で次の次元へ-(イヰ の介入とは、言霊チイキミシリヒニの領域が働きを動かすために実在に宣(の)って縁の下の動韻となること。音図に現われない。)

・動ける主客に剖判(アワ)

そこで変態1

変態1、チキシヒ が実在の主体側(アイウエオ)に宣(の)ると主体側が動く (能動の働き)

と同時に、変態2

変態2、イミリニ が実在の客体側(ワヰウヱヲ)に宣(の)ると客体側が開く (受動の働き)

の両者に父韻領域が剖判する。

こうして実在同士の交互作用マグワイが可能となる。(右に廻る、左に廻るの謎解き)

-イヰの介入で次の次元へ-

・すると、実質的な意識の働き領域(知識と智恵)が過去から現在、現在から未来への時が成り立つようになる。過去がそこにあるものと現在に有るものとに剖判し、現在が未来へ置かれるものと置くものとに剖判する。

こうして客体側ワヰウヱヲの客観実在が受動の働きを始める

・父韻が実在の動きを伴うことが出来るようになったので、働き韻自体が自由に現われるようになり、父韻が父韻として働く領域ができ、父韻が父韻としてアからワへの、主体から客体への横列を通過できるようになる。

注意。そこでワ行が横列を順に踏まないで先に自己主張すると、個別性の無い一般性が生まれることになり、これをヒルコ(霊流子)という。

と同時に、全体観全体性が宣(の)った淡島(途中を省略されたアとワだけの意識)が生まれる。

しかしこれは必要悪となり、両者は先天回帰時のあな(先天)の領域となって共有性の基盤立脚地となる。つまり、この共有性において他者との交流が可能となる。

・共有化の地盤を確立した後、今度はその地盤の上で自己意識が通過する自己領域が形成され、自己の意識の通過と共にそれぞれの次元を形成する意識ができていく。

・ここまでが子音を産み出す準備であると同時に、最初の子音が生まれる手順となる。

・次いで、 子音は大事忍男として、まず生まれる。それは同時に、子音発生の最初の経緯となっていので、後に三十二神を通過して最終的に大事忍男が産まれることになる。カグツチという形において最初の子音となる。(言霊循環として、二つの異なる次元が同一原理で説明されるため、最期の生産物が最初にできるという形をとる。)

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