11 今現在論準備のためのよしなし事

アイウエオ

◎ 今現在論の準備中

「今」は、イマ

「イ」の間

「イ」の意識の「マ」

数学で考える「今」は扱いません。

「今」( j?n) は中華、コン(今日)とか、キョウ(今日)とか now とかも扱いません。

探しているのは大和日本のイマです。

今に見ていろ、今に見ていろと頑張っている間に

二十年が過ぎました。

この二十年は、未だに実現していない「イマ」です。

ゲームに夢中で過ごした一時間。 「嘘でしょう。もうそんな時間なの。」

まるで過ごした「いま」など無かったようです。

今とは、時間の流れをとらえて、

過去と未来との境にある一瞬というような今は、

心のでき事である「イマ」ではないので扱いません。

しかしそのように考えてしまうことそのものは心の出来事ですから、

心の運用の間違え方として扱います。

◎ イマ-いま論の準備中

時間論の範疇に入れられそうなので、

ベククソンとかハイデガーとか読みたいけれど、引用文を拾い読みするくらいでしょう。

そんなことより、

古代スメラミコトの残した「心の原理論」である古事記の神代の巻を

絶対的に信頼していきます。

世界の哲学者が千人よってかかっても、

古事記の言霊百神は燦然と山頂に輝き続けるでしょう。

理解了解し輝きを認めるのは

言霊学を学ぶ、大和の言語構造を知った人たちだけです。

それを学ぶ人たちはいるけれど、

言霊学を自覚している人は、今は誰もいない。

ですから世界創造を目指す勢力はまだ存在しない。

種がまかれ根付いたばかりだけど、

肝心な皇室が頼りない。古代の地球世界を指導したスメラミコトであったことを、忘れた方たちばかりで、血統にしか関心がないようだ。

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◎ イマ-いま論の準備中

イマ を意識の時間で見るとイマという「持続」のことになる。

それを誰かは「瞬間」と呼びたいのでそう呼んだだけ。

ある人は、現在という瞬間もないという。

持続を上手に扱うのは難しい。

神道の諸々の形、伝承が、イマの形式上のあらわれとなっている。

もちろん、人間のやることなすこと全部が今の現れだから、

神道など持ち出すこともないが、イマには人間的な持続があるということを、神道が教えている。

意識によるイマの持続は、一瞬をイマとし、二十年間をイマとし、一生がイマとなり、歴史主体ともなれば二千年のイマが持続していくことにもなる。

人としての幸せな世界がまだ創出されていないと感じるときは、二千年のイマはまだ一瞬たりとも過ぎてはいない。

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ア◎ イマ-いま論の準備中

イマの呪示された最高の物象は伊勢の御柱だけど、神社自身がその意味を知らないらしい。天皇もその意味を教えることができない。

天井を支えない短い柱なのに、五分の二が地中にある。

その訳を知れば、自分のこと人間のこととなる。

人は一本の柱としてあるのに、五分の二は埋もれている。

柱は屋根も軒も支えていなくてそれだけで独立してる。人はあちら側の世界とか創造主とか神とかを頭に抱かなくても、それぞれ独立した一本の柱であることを示しているが、そのあらわれ、生活の仕方考え方は五分の三でしかない。

さてどうする。

自分の五分の二がまだ埋もれている。

しかし誰もそんなことは思わない。

自分はイマココにいて生きている。

まだ知らないことがあるのなら、誰かの助けがあり、神の御告げがあると思っている。

その御告げを聞くことがすでに地上に出ている五分の三の一部だと聞かされ、あちら側神のことを思うのが既に突き出ているときかされると、びっくりする。

神とか御告げとかも、神の声を聞くとか交流とかも既に折り込み済みで、地上に出ているものである。

それじゃ、埋まっている五分の二は何だ。

神、御告げを超えて埋まっている五分の二の自分とは何だ。

柱を引っこ抜いて、

御柱の腐り具合を見るのか、自分の腐り具合を見るのか。

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イ◎ イマ-いま論の準備中

イマのイメージ化、物象化

今をイメージし物象化してください。

さあ困った。

御柱

16弁菊花紋

吾のイマから天照すのイマへ

イマの規範

アイウエオ五十音図

イマが動く原理と--父韻

イマが実在する原理と--母音

そして

この二者でイマが現象する原理--子音

「時間というものは現在しかなく、今、何する、どうするかの瞬間が本当の時間」というのが、禅の解説に載っていた。

でも、

過去から入ってくるものを無視したら、今はないのにね。

今いるという至福感には、今、何する、どうする、もいらない。

イマの持続だけがあればいい。

「イ」の間の持続だけがあればいい。「イ----------」

「now」の持続だけだなればいい。「ナ--ァ---ウ----」

「jetzt」の持続だけがあればいい。「イェッ--ツトォ------」

あなた今なにする。

「今 ?」

「イ------- ?」

「ナ--ァ---ウ---- ?」

「イェッ--ツトォ------ ?」

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ウ◎ イマ-いま論の準備中

馬祖道一禅師:答える

ある時には、何かをしている。

ある時には、何もしないでいる。

ある時には、やっていることがよいと評価を受ける。

ある時には、やっている事が適当ではないという評価を受ける。

四つのあり方が人生にはあって、それだけのものだ。

道元禅師の注釈です

「 仮に時間が、なければこれらの一切のものも起こりえないのだ。

だからこの世において様々な行いがあり、様々な善悪があるけれども、それらに共通して絶対のものといえば『時間』というものである。

そういう時間が、在ればこそこの世の一切がある。

この様に様々な角度からこの問題を勉強してみて、わかったとかわからないとか言ってみても、それらの一切が現実の時間における事態にほかならない。

『正法眼蔵有時』

仁冶元年(1242年)十月一日

興聖宝林寺においてこれを書いた。 道元」

分類して説くのは、仏教のお得意。

それを一つ一つ説くのも仏教のお得意。

でも体系ではない。

今の空、今の解脱を求めちゃうから、

持続する体系を放り投げる。

精神強化に禅を取り入れるなんていう坊主までいる。

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エ◎ イマ-いま論の準備中

今という時間を形にあらわす。

時間を形にしてください。

今を形にしてください。

観念、概念は形にできない。

あっ、そうか。

でもね、「イマ」という言葉が形としてあるじゃない。

あっ、そうか。

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オ◎ イマ-いま論の準備中

イマは何故動くのか。

今は瞬間だ。

瞬間が繋がっていく。

瞬間同士はどうやって手をつなぐのか。

「? ? 」

では、言葉を変えて「現在」は、としましょうか。

「 ? ? 」

ではでは、言霊学では。

「イ」の間はどうやって手をつなぐのか。

手をつなぐのじゃなくて、「まぐわい」するのです。

(「間の喰い合い」)

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