に あめつちの言霊現象学

あめつちの言霊現象学

はじめに

これは『古事記』の冒頭百神を心の原理教科書として学ぶものです。

心は言霊が言葉となって現れたものです。

古事記は、古い事の記録ということですが、「神代の巻」という冒頭がついています。

この冒頭はちょうど百神で構成され、こころの要素と働きを示すものとなっています。

古い事というのは、いつの世にも変わらない「心とは何か」という問いのことで、古事記はその心の事を解き明かした心の原理教科書なのです。

その書き様が暗喩呪示を用いられていたため千三百年間開示されることはありませんでした。

しかし、明治天皇によって開始された言霊研究によって、古事記の神代の巻きが神話時代の想像話や前歴史上の言い伝えや、自然信仰の案内書ではなく、前人未到の心とは何かの完璧な回答を示した世界の至宝たる原理教科書であることが明らかになりました。

ところが先の敗戦によって、古事記の思惟規範を原理として、まつりごとを運用するスメラミコトは断絶してしまい、古事記は神話とされてしまいました。

しかし、その変わり皇室や神道、日本の文化、行事、言い伝え、習慣、伝統に外見だけが引き継がれています。

そして何よりも、心の全容を示す五十音図が、日本人に残されており、この五十音図を元として心の原理論を現在の世界に向って建て直すことができるようになりました。

そこで、ひとたび古事記の神代の巻を鏡として映し直すとき、日本創造の原理、世界の歴史、それを動かすスメラミコトの大身心が、一人一人に乗りうつってきます。

ここでは古事記の上巻神代の巻を重点的に扱い、特に冒頭のちょうど百神目にあたる建速須佐之男の命までを注視していきます。

古事記の原文を思惟規範・言霊原理の呪示暗喩として解読する作業が入っていきます。

古事記を歴史書とするにはその裏付けが必要となるように、上巻神代の巻を「心の原理論」とするには、各人の意識的な創造反省と追試追考による検証が必要です。

実を言えば、我々には自覚的な鏡となる原理規範は持っていないが、追体験をしろということになります。

しかし驚いた事に、古事記冒頭の百神は、その記述された進行通りに心に蓄積していけば、人類の理想とする思惟規範に到達するように仕組まれていたのです。例えば心の始まるときには、ある相手対象を意識しようしますが、その当初に与えられた瞬間には対象の何であるかを示すことはできず、かといって無いということでもない状態です。古事記の最初の神という名を持つ意識の姿は「天の御中主の神」です。

これを固定した漢語を介さず読み替えるようにという安万侶の指示に従えば、「先天的にある心の実(み)の中心の神」ということで、意識の始まりにある心のありさまを述べたものとなっています。

以降、全ての神名がこれと同様の読み方をされます。そのような神が実際いるのではなく、また大自然の威力を象徴したのでもなく、神の名で示されたこころとその動きがあるということです。

敗戦によって皇室による古事記の独占は終了し、民間に開放され、その歴史書として役割の中で最後まで残っていた神話の部分が、じつは精神の運用原理、心の歴史原理である事が明らかにされました。

と同時に日本語を理解できる者の中から、心の原理を運用し、社会、世界全体を運営していく新時代のスメラミコトが出てくることになりました。

片時も五十音図を脇から話さずに読むことをお薦めいたします。

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0章 先天とは

一章 意識の主

二章 主体と客体

三章 大いなる心の部分

四章 心の律動

五章 心の一つ柱

六章 自己領域初め

☆あめつちの言霊現象学<ものの在り方とは何か>

☆あめつちの言霊現象学<今とは何か>

☆あめつちの言霊現象学<時とは何か>

七章 先天よりイメージへ

八章 イメージより物象化へ

九章 物象化より言霊へ

十章 言葉の成立

十一章 初期の運用規範

十二章 主体意識の成立

十三章 主観的規範の運用

1自己主張の詳細 (主観内の自覚)

2自己主張の詳細 産んだ現象の主観的運用ということ

十四章 表現へ

十五章 客観世界からの主張・黄泉国

十六章 客観世界からの主張をたしなめる

1心の運び方 原本

2 心の運び方 言霊アの時置師

3 心の運び方 言霊イの時置師

4 心の運び方 言霊ウの時置師

5 心の運び方 言霊エの時置師

6 心の運び方 言霊オの時置師

十七章 禊祓から主客の合一へ

たかまはらなやさの運用法

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