2018.04 古事記の冒頭は精神現象学原論。 4

吉備(きび)の児島(こじま)

古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。

(整理、初期客観規範)

この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

意識の意図が載る言霊、火の夜芸速男の神、が生まれてもうこれ以上子が産めなくなりました。先天十七神の言霊と後天三十三神の言霊の計五十で、意識の表現元素とも言うべきものが全部出揃いました。後はここにあるものの運用利用法となります。

意識の運用の初めは、言霊生成の始めに先天十七神があったごとく、五十の表現元素である火の夜芸速男の神(言霊ン)扱いです。

言霊ンの先験運用神(先天の運用規範)。

たぐりに生(な)りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山毘売(びめ)の神。

次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。

次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神。

次に和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

の六神とトヨウケヒメが運用に先立って必要です。と同時に順序よく必要なものが述べられます。

どの単音の言葉の成立も先天要素から成り上がってくるように、どの言葉の運用使用も先天の運用規範に従います。当初の運用は手当たり次第の無自覚なものです。

無自覚から恣意的へと、そして反省から自覚へと、そして遂に高天原での三柱の運用にとなります。

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運用という意識行為は、まず以下の先天規範を、つまり無自覚的な規範を満たします。

たぐりに生(な)りませる、、

手当たり次第の現存し持続している表現素材の蒐集。たぐる。表現素材を所有する。チイ。

(くそ)に成りませる、、

手当たり次第に思い付いた過去から集められた組む(く)素材(そ)の検討。たぐり寄せた素を組む。知識と成った素材を組む。次元と時間の確定。キミ。

尿(ゆまり)に成りませる、、

無自覚的に選択された意識の次元に当てはめる。組む素材を意識次元に割り当てる。素材を時空次元に立てる。シリ。

和久産巣日(わくむすび)、、

既存の全体観に従い五十の言霊全体中での位置付け探し。思惟運用規範に当てはめる。無自覚恣意的にか自覚的にか思意規範の全体観を得る。ヒニ。

この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ、、意図の位置付けが確定し面々と続く。引き続く意識素材が無自覚的に当初の意図を持続させる。あるいはそのように関係付けられる。

かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき、、意図の客体側の蛭子淡島が顔を出さず主張しないようにする。

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ここからは言霊となって現れた意識の運用法です。

言霊運用の意識が働き始めるときに必要な思意規範とその土俵があります。

吾の眼が着いて智となり言霊運用要素を手にする初発の時、頭脳中枢に成る一連の神々がいます。

たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまびこ)の神。

次に、金山毘売(びめ)の神。

頭を働かす最初のことは、言葉となった表現要素を一個一個自分にたぐり寄せることです。

たぐることで金山が現れます。

たぐりは、嘔吐、髪をたぐる。手繰る。言霊元素をたぐりよせる。

金山は、仮名山で文字の山、神山です。

毘古は、物象の音の側をあらわし、主体側となって可動な側で、吾の眼をつけた意図の載る方。

毘売は、文字の側をあらわします。客体となって不動となる側。

たぐりに生りませるは、意識の運用活用の最初の行為で、赤ん坊が動くものを目で追い、それを手繰り寄せることでその行為に現れ取得するもの。

ここの手繰る行為は、無自覚的ながら意識の次元(言霊母音世界)を手繰るか、意識の活用(言霊父韻世界)か、意識の現象(言霊子音世界)かの何れかになります。その現れは、言霊ンとなった五十の神々の一個一個です。それらの関連も知れず、まだ隠れていることも知らず、使い方も分からないものです。

次に屎(くそ)に成りませる神の名は

波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。

屎は、組(く)む素(そ)(言霊元素のこと)、五十の言霊元素の過不足、不具合等を検討する。

はには、昔言霊五十音を粘土板に刻んで言葉に似せたもの、埴土。

夜須は、安らか

毘古は、音を受け持つ

一個一個の金山が集まってくると、手持ちの材料が増えると共に、それらの全てが有効有用であるように比較するようになります。そこで一つ一つが安定していて五十のどれもが安心して使えることが分かるようになる。

次に

波邇夜須毘売(ひめ)の神。

毘売は、文字側を受け持つ。

次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。

尿は、ゆまり、いうまり、イ埋まりのこと。手持ちの材料が集まってくると、相互の比較から関連分類をするようになる。

意識の実在次元の分類では、意志の実在が基礎基盤を築き五母音を並べるとイとして一番下にくる。

ついで感情情緒の自由奔放がアとして並びの一番上にくる。

実用上重要な三つのウオエの言霊世界がイアに挟まれて鎮座します。

弥都波能売(みつはのめ)は、三(みつ)つの言霊世界(は)の芽(め)。ウオエ。ウオエの順位は使用する規範によって変わり、この時点では無自覚的な運用のため位置が確定しないので、芽が出ただけの状態と捉えます。

次に

和久産巣日(わくむすび)の神。

この意識の領域を吉備の児島と呼び、心のよく(吉)備わった小さい(児)締まり(島)となります。意識規範が一通り備わっていますから、自覚が無いとはいえ一応の反応と意見をいえます。

後出の完璧な意識規範と較べれば自身のことは何も分からず初歩的な音図となります。

和久は、わくで湧き出る、勝手に湧く。

産巣日は、むすびで創出する。勝手に何にでも結び付く。

何故恣意的な結び付きが許されるかといえば、前のミツハノメの神の三つの言霊世界、ウオエ、の位置づけが無いからです。

結論としてのイザナギの命の働きが無いからです。

それに引き換え、イザナミの命はどこにで手を広げ口を開けて待っています。

無意識のうちに潜験の規範に載ったものですから、安心して自分の意識表明としてしまいます。こうしてイザナミの命が活躍します。

そればかりか次々の間で控えている言霊をも呼び入れます。

この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。

この神の子は、和久産巣日に捉えられた意識、捉えられる意識の全体を指す。

豊は、十四(トヨ)で、先天十七の言霊をアオウエイ・ワ(ワ行ワイウエヲ)・チイキミシリヒニの十四にまとめたもの。

宇気は、ウケで、受け入れの入れ物。

毘売は、ヒメで秘めている。

金山毘古の神に始まる五十音言霊の整理・活用を検討する作業が進み、最終結論として三貴子(みはしらのうづみこ)が生まれます。その中の一神、天照大神は言霊学の最高神であり、言霊五十音の理想の配列構造を持った人類文明創造の鏡であり、その鏡を祀る宮が伊勢の内宮であります。その内宮の鏡の原理に基づいて外宮の豊宇気毘売の神は世界の心物の生産のすべてを人類の歴史を創造するための材料として所を得しめる役目の神であるという事になります。和久産巣日の神とは言霊五十音の初歩的な整理ではありますが、その活用の役目である豊宇気毘売の神が、言霊整理活用の総結論である天照大神を鏡として戴く事によって世界中の文化一切に歴史創造という枠を結ばせる事となる消息を御理解頂けるものと思います。

かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

言霊ンを産んだのでもうこれ以上の仕事が無くなりました。

(初期主体規範)

かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、

「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、

御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、

香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

泣沢女(なきさわめ)の神。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

(初期の主体規範の創造)

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。

次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

(客観表現)

殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、 正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。

次に胸に成りませる神の名は、 淤縢(おど)山津見の神。

次に腹に成りませる神の名は、 奥(おく)山津見の神。

次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。

次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。

次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。

次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。

次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

(客観世界の全貌)

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。

ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、

「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。

ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。

然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。

我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、

一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、

頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、

并せて八くさの雷神成り居りき。

(客観世界の整理とその反応)

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、

すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。

ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。

こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、

またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

(主体側の対応)

こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。

また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。

ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、

なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、

その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

(自覚)

ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、

「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、

意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

(客観世界との決別)

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。

ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、

おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

(双方の言い分)

伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、

汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。

ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、

「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。

ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

(客体世界の実在化)

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。

またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。

またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。

かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。

(身禊の準備)

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。

かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら) に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

(身禊の先天規範)

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。

(身禊五神)

次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。

次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。

次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。

次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。

次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

(身禊の主体規範の客観世界での働き)

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

奥疎(おきさかる)の神。次に

奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

辺疎(へさかる)の神。次に

辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

(身禊の主体規範の主観世界での働きと身禊)

ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、

初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に

大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

(身禊の主体世界の実在化)

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神。次に

大直毘(おほなほひ)の神。次に

伊豆能売(いずのめ)。

(身禊の主体世界の働き)

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に

底筒(そこつつ)の男(を)の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

中津綿津見の神。次に

中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

上津綿津見の神。次に

上筒の男の命。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、

その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

(身禊の完成)

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

天照らす大御神。

次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

月読(つくよみ)の命。

次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

建速須佐の男の命。

(身禊規範の運用)

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、

「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、

すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、

天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、 言依(ことよ)さして賜ひき。

かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。

次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

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『 故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。』

『 ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。

故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、

答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。』

『 ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。』

『 故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。』

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「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。」(日本書紀。)

(以上、言霊規範の生成運用)