48【言霊ナ】 鳥の石楠船の神(とりのいはくすふねのかみ)またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)

48【言霊ナ】 鳥の石楠船の神(とりのいはくすふねのかみ)またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)

神名を構成する言葉の一つ一つについて調べてみます。鳥とは十理(とり)の意です。主体である天之御柱と客体である国之御柱の間に、これを結ぶチイキミシリヒニの八つの父韻が入ります。この主客を結ぶ八つの父韻は主客がどのように結ばれるか、を判断する最も基本的なものです。父韻は主客を行き来して飛びますので、空飛ぶ鳥に譬えられます。次に石楠です。石は五十葉で、人の心の全体を構成する言霊五十音図のことを示します。楠(くす)は組(く)み澄(す)ます意。五十音を組んで言葉として澄ますの意です。船(ふね)とは人を乗せて此岸から彼岸に渡すもので、人から人へ心を渡す言葉の譬えに使われます。

上に解釈したものをまとめた鳥の石楠船の神とは実際にはどういう意味になるのでしょうか。主と客の間を八つの父韻が取り結ぶ十理(とり)の原理による判断によって(鳥[とり]の)、五十音言霊(石[いは])の中から適当な言霊を組み合わせ、言葉とし、その内容を確定した(楠[くす])言葉(船[ふね])の内容(神)といった意味となりましょう。こう申上げても何だかはっきりとはお分かりにはならないかも知れません。そこで鳥の石楠船の神以前の言霊の動きを続けてみましょう。

発声され空中を飛んだ言葉(神名[かな])は人の耳に入り、復誦され(ノネ)、掻き回され、煮詰められ(カマ)、「この言葉はこういう意味のものだったのか」と判断されます。それが鳥の石楠船の神です。八父韻の原則によって五十音の言霊の中から選ばれた言霊を組み合わせた言葉の内容ということです。神名(かな)として耳孔を叩いた言葉が種々に検討され、神名(かな)が真名(まな)となって確認された言葉の内容ということなのであります。神名(かな)とか真名(まな)とかという変化については後程お話申上げます。

鳥の石楠船の神のまたの名を天の鳥船といいます。先天の活動によって生み出された意図が十理の原理によって五十音図の上で内容が確定されたもの、の意であります。

言霊ナに漢字を当てますと、名(な)、菜(な)、魚(な)、成(な)る、鳴(な)る、泣(な)く、馴(な)れ、萎(な)え、治(なお)る、流(なが)る……等となります。

鳥の石楠船の神、またの名は天の鳥船

言霊ナ 鳥の石楠船の鳥は十理(とり)の意で、五十音図の母音アと半母音ワとの間に八つの父韻が入って現象子音を生みます。母音・八父韻・半母音合計十の道理で現象が起るのは、主体と客体との間を鳥が飛び交うのに譬えられます。石楠船(いはくすふね)とは、五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と五十音言霊図が出来上がること。船とは人を乗せて渡す乗物。言葉は人の心を乗せて渡す乗物。そこで鳥の石楠船の神とは「言霊の原理に則って五十音言霊図上で確かめられた言葉の内容」という意味となります。天の鳥船とは「先天(天)の十の原理(母音・八父韻・半母音)の意図(鳥)を運ぶもの(船)」となり、鳥の石楠船と同じ意味となります。

言葉が耳に入り、復誦・検討され、煮つめられて「あゝ、こういう意味だったのだ」と了解されます。その了解された意味・内容が名(言霊ナ)であります。昔より「名は体をあらわす」と言われます。言葉が名となった事で内容は確定し、私と貴方との間の現象(子)が了解された事となります。言霊ナは言霊コの内容という事です。

言霊ナは名(な)・成(なる)・馴(なれ)・萎(なえる)・泣(なく)・治(なおる)・汝(なんじ)・七(なな)・魚(な)・菜(な)・字(な)等に用いられます。