09- 汝(な)が身はいかに成れる

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「古事記と言霊」講座 その九 <第百六十八号>平成十四年六月号

古事記の文章を先に進めます。

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

古事記神話が先天十七言霊全部の出現で人間精神の先天の構造がすべて明らかとなり、言霊学を解説する視点が先天構造から後天構造へ下りて来ました。ここで後天現象の単位である現象子音言霊の誕生の話に移ることとなります。先にお話しましたようにアオウエ四母音とチイキミシリヒニ八父韻の結びで計三十二の子音誕生となる訳でありますが、古事記はここで直ぐに子音創生の話に入らず、創生の失敗談や、創生した子音が占める宇宙の場所(位置)等の話が挿入されます。古事記の神話が言霊学の原理の教科書だという事からすると、何ともまどろこしいように思えますが、実はその創生の失敗談や言霊の位置の話が言霊の立場から見た人類の歴史や、社会に現出して来る人間の種々の考え方、また言霊学原理の理解の上などで大層役立つ事になるのであります。その内容は話が進むにつれて明らかとなって行きます。

吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処あり

子音創生の話を、古事記は人間の男女間の生殖作用の形という謎で示して行きます。男女の交合とか、言葉の成り立ちとかは人間生命の営みの根元とも言える事柄に属しますので、その内容が共に似ている事を利用して、子音創生を男女交合の謎で上手に指し示そうとする訳です。

伊耶那岐の命が伊耶那美の命に「汝が身はいかに成れる」と問うたのに対し、美の命が「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ一処あり」と答えました。「成る」は「鳴る」と謎を解くと言霊学の意味が解ります。アオウエ四母音はそれを発音してみると、息の続く限り声を出してもアはアーーであり、オはオーーと同じ音が続き、母音・半母音以外の音の如く成り合うことがありません。その事を生殖作用に於ける女陰の形「成り合はぬ」に譬えたのであります。

我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

「我が身」とは伊耶那岐の命の身体という事で言霊イを意味するように思われますが、実際にはその言霊イの働きである父韻チイキミシリヒニのことを指すのであります。この八つの父韻を発音しますと、チの言葉の余韻としてイの音が残ります。即ちチーイイイと続きます。これが鳴り余れる音という訳です。この事を人間の男根が身体から成り余っていることに譬えたのであります。

この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国土生み成さむ。

この一節も男女の交合(身体の結合)に譬えて言葉の発声について述べたものです。父韻を母音の中に刺し塞ぐようにして声を出しますと、父韻キと母音アの結合でキア=カとなり、父韻シと母音エでシエ=セとなります。このようにして子音の三十二言霊が生れます。

「国土生み成さむ」の国土とは「組んで似せる」または「区切って似せる」の意です。組んで似せるとは父韻と母音とを組み合わせて一つの子音言霊を生むことを言います。その子音、例えばカの一音を生むことによってカという内容の実相に近づける事です。区切って似せると言えば、カという音で表わされるべきものを他の音で表わされるべきものから区切って実相を表わす、の意となります。

人間智性の根本リズムである言霊父韻と、精神宇宙の実在である母音言霊との結合で生れた、現象の実相を表わす単位である子音言霊を組み合わせて作られた日本語は、その言葉そのものが物事のまぎれもない真実の姿を表わす事となるという、世界で唯一つの言葉なのであるという事を、その言語を今も尚話すことによって生活を営んでいる現代の日本人が一日も早く自覚して頂き度いと希望するものであります。

伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗の麻具波比せむ」とのりたまひき。

天の御柱とは主体を表わす五母音アオウエイ(伊耶那岐の命)の事であり、それに対する客体の半母音ワヲウヱヰ(伊耶那美の命)の柱は国の御柱と呼ばれます。この天の御柱と国の御柱は先にお話しましたように相対的に双方が離れて対立する場合と、絶対的に主体(岐)と客体(美)とが一つとなって働く場合があります。今、この文章で伊耶那岐と伊耶那美が天の御柱を左と右から「行き廻り合う」という時には図の如く絶対的な立場と考えられます。その場合の天の御柱とは、実は天の御柱と国の御柱とが一体となっている絶対的立場を言っているのだとご承知下さい。

八つの父韻は陰陽、作用・反作用の二つ一組の四組より成っています。即ちチイ・キミ・シリ・ヒニの四組です。伊耶那岐と伊耶那美が天の御柱を左と右の反対方向に廻り合うという事になりますと、左は霊足(ひた)りで陽、右は身切(みき)りで陰という事になり、伊耶那岐は左廻りで八父韻の陽であるチキシヒを分担し、伊耶那美は右廻りで八父韻の陰であるイミリニを分担していると言うことが出来ます。

「美斗の麻具波比せむ」の「美斗」とは辞書に御門・御床の意。寝床をいう、とあります。麻具波比とは「目合い」または「招(ま)ぎ合い」の意。美斗の麻具波比で男女の交接すること、の意となります。即ち「結婚しよう」という事です。竹内文献には「ミトルツナマグハヒ」と書かれています。陰陽の綱を招(ま)ぎ合い、縒(よ)り合って七五三縄(しめなわ)を作ることを謂います。即ち夫婦の婚(とつ)ぎ(十作)(とつぎ)の法則に通じます。この事については子音創生の所で詳しく解説いたします。

汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢わむ。

伊耶那美の命は女性で「身切り」より廻り、伊耶那岐の命は男性で「霊足り」より廻り、その女陰と男根、成り合はぬ所と成り余れる所を交合することによって現象子音言霊が生れます。その際、岐の命は八父韻の中のチキシヒの四韻を、美の命はイミリニの四韻を分担する事となります。

女人先だち言へるはふさはず

伊耶那美の命が「あなにやし、えをとこを」、「あなたは愛すべき良き男性です」と伊耶那岐の命より先に発言したのは適当ではない、の意。これは男尊女卑の思想を言ったのではなく、飽くまで子音創生の言葉の発声に関する意味であります。子音を生むに際して、母音を先にして父韻を後にしたのでは、子音は生れない、だから適当ではないと言ったのです。父韻キに母音アで子音カが生れます。逆に母音アを先にして父韻キが続けばカの単音は生れない事を言ったのであります。

然れども隠処に興して子水蛭子を生みたまひき。

「女人先だち言へるはふさはず」と母音を先に、父韻を後に発音したのでは正統な現象子音を生むのに適当ではない、と知りながら「然れども隠戸に興して水蛭子を生んだ」というのです。言霊学上重要な子音創生という時、何故適当ではない方法で正統な現象音ではない水蛭子を生む事などを文章に載せたのでしょうか。

水蛭子とは如何なることを言うのでしょうか。それは霊流子(ひるこ)とも書けます。霊(ひ)である父韻が流れてしまって現象音が出来ない、という意味です。蛭(ひる)に骨なし、と謂われるように、霊音(ほね)である父韻が役に立たぬ、の意ともとれます。実際には言霊子音にならぬものをどうして取上げたのでしょうか。それは母音を先にし父韻を後にすると、現象は生れないが、そういう心の操作を実際に行う人間の行動も起り得ることを太安万侶は知っていたからであります。それは何か。

言霊の原理が世の中から隠没した後、言霊学に代わる人類の精神の拠所となる各種の個人救済の小乗信仰の事をいうのであります。言霊の原理は人類歴史創造の規範です。その原理が隠されて、その間に現われた個人救済の信仰、例えば仏儒耶等の信仰は、「人間とは何か」「心の安心とは」「幸福とは」等々、人間の心の救済は説いても、人類の歴史創造についての方策に関しては何一つ言挙げしません。否、言挙げする事が出来ません。現在の地球上の人類生存の危機が叫ばれている昨今、世界の宗教団体から何一つ有効な提言が出されない事がそれを良く物語っています。

世界の大宗教がその点に盲目な原因は、人間の生命創造の根本英智である言霊八父韻と、それによって生れる現象の要素である三十二の子音言霊の認識を全く欠いているからに他なりません。しかし言霊原理隠没の時代には、信仰心に見えるように生命の実在である宇宙(空)とか、救われを先にし、社会・国家・世界の建設等の創造を捨象してしまう事も、即ち母音を先にし、父韻を後にする発声が示す精神行為も時には必要となるであろう事を、古事記の撰者太安万侶は充分知っていたからに他なりません。

「隠処に興して」の隠処とは「組むところ」の意。頭脳内で言葉が組まれる所のことで、組む所は意識で捉えることが出来ない隠れた所でありますので、隠処と「隠」の字が使われています。では実際には言葉は何処で組まれるのでしょうか。それは子音創生の所で明確に指摘されます。言霊学が人間の言葉と心に関する一切を解明した学問であるという事は此処に於ても証明されるのであります。

この子は葦船に入れて流し去りつ。

母音を先に、父韻を後に発音して現象を生まない、即ち創造の行為ではないが、世界にはそういう行為もある事であろうから成り行きのままに世界に流布させた、というわけです。「葦船に入れて」とは五十音言霊図の原理に照らし合わせて、世界の歴史の進行の中では小乗的な信仰等の考え方も必要であろうと世界中に広め、教えたという意味です。葦船が何故五十音図の原理と謂われるのか、は古事記神話の解説が進むにつれて明らかにされます。船は人を運ぶ乗物、言葉は心を運ぶもの、の意から言葉を船に喩えることが出来ます。「葦船に入れて流し去りつ」を日本書紀では「天磐■樟船(あまのいはくすぶね)に載せて、風の順(まにま)に放ち棄(す)つ」と書かれています。磐(いは)は五十葉(いは)の意、■樟(くす)とは組んで澄ますの謎、で全体で五十音言霊図のことです。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例に入らず。

水蛭子が現象の実相を生まない行為に譬えられるとしますと、同様の行為はもう一つ考えられます。それが淡島です。淡島の淡はアワで主体と客体を意味します。このアとワとの間に天の浮橋、チイキミシリヒニの八父韻が懸かれば現象が生まれる事となります。ところが、このアとワは天津磐境の先天構造の中のアとワそのものではありません。心の先天構造に於ては、広い宇宙の一点に何か分らぬが何かが、即ち意識の萌芽とも言うべきもの(禅で謂う一枚)が生れます。言霊ウです。その次に何かの人間の思考が加わると同時に言霊ウの宇宙が言霊アとワの宇宙に剖判します。この場合のアとワは言霊ウの宇宙が剖判して現われたアとワなのです。

ところが淡(あわ)島のアとワは、頭脳内の心の先天構造の動きである「宇宙→ウ→ア・ワ」の過程をネグレクトして、主体である自分と客体である現象とに別れた所から思考が始まる事なのです。ですから淡島の心の運びは天津磐境と呼ばれる人間の心の運びの原則とは全く異なる思考方法となります。(この事については「思うと考えるという事」の章に詳しく説明しました。)この事から現象(客体)に対する我(主体)とは先天構造の中の純粋な主体を表わす言霊アではなく、その人の自我、即ちその人自身の経験・知識等の集積である自我であるという事になります。そのため、自我が見る対象の現象は実相を現わす事がなく、自我という経験知識が問いかけた問に対してだけに答えるものとなります。概念による思考形式が此処から始まります。その結論は物事の実相を表わす事が出来ません。淡島即ち実相が淡くしか見えぬ心の締まりと呼ばれる所以であります。これも人間の心の正統な子の数に入れません。

ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。

右は伊耶那岐・美二神の失敗に続き天つ神へお伺いを立てる話でありますが、これを言霊学の教科書としての文章に置き換える必要があります。「太卜に卜へて」とは「布斗麻邇の原理に則って」という事です。そこで右の文章は左の通りとなります。「母音を先に、父韻を後に発音しては現象子音を生むのにふさわしくなかった。だから初めの心の先天構造の天津磐境の原理に帰って検討をしよう。そう気がついて改めて布斗麻邇に照らし合わせてみると『母音を先に発音するのがいけなかった。また後天現象の立場に帰り、再びやり直して今度は父韻を先にし、母音を後にするやり方にしよう』と気付いたのでした」となります。

太古、日本人の祖先が心と言葉の完全法則である言霊布斗麻邇を発見・自覚するまでには幾多の苦心と紆余曲折があったことでしょう。右の古事記の文章はその苦心談の一つと考えることが出来ます。そして行為がうまく行かず、迷った時には早く出発点にもどり、出直してみることが大切であると教えているようにも思えます。尚「太卜に卜へて」を辞書で見ると、「神代に行われた一種の占法。鹿の片骨を焼き、その裂けた骨のあやによって吉凶を占ったものという」とあります。これは二千年前、崇神天皇の御宇、言霊原理が世の表面から隠されて以来、物事を心の原理に基づいて判断する事が出来なくなった為に、その穴埋めに用いられた占(うらない)であります。うらないの語源は裏綯(うらな)うで、現実と裏(心)をより合わせて、物事の先行きを決める、という事であります。

古事記の文章を先に進めます。

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。

最初の子生みに失敗した岐・美二神は、心の先天構造の法則に立ち返り、今度は間違いないやり方で子を生むこととなります。伊耶那岐の命が先に「あなにやし、えをとめを」と言い、その後で伊耶那美の命が「あなにやし、えをとこを」と言います。そして二人の命は交わり合って、淡路の穂の狭別の島を生みました。子を生むと言いながら何故初めに島を生んだのでしょうか。

先天構造を構成する十七言霊の活動によって今後次々と三十二の子音を指示する三十二の神々が誕生して来ます。更に古事記は生れ出た言霊を整理し、それを操作することによって壮大な人間精神の先天と後天の全構造とその動きを明らかにして行きます。その結果、先天と後天の言霊数合計五十、その五十の言霊の整理、操作の典型的な動き方合計五十、総合計百の心の道理を明らかに示す事となります。更に子音言霊やその後の整理・活用を示す神々の名をただ無造作に生み出すのではなく、その生み出す順序と、それを整理する為の明確な区分を前もって明らかにして置く必要があります。即ちその言霊と整理の区分を島の名を以て示そうとする訳であります。言霊の区分と整理活動が心の宇宙に占める位置と区分を島の名によって前以て定めておこうとする作業が始まります。

島とは以前にもお話しましたように「締めてまとめる」の意であります。商店で夕方に帳簿を締めたといえば、それは今日の会計はここで終りとして、明日の会計との区別をつけた、ということです。今日の会計をここで締めて、まとめた訳です。古事記が今から創生する島々も、言霊五十神、その整理法五十神が次々と生まれて来る時に、この神からあの神まではかくかくの内容を持った言霊だ、と内容別に締めてまとめた事であります。

古事記神話に於て伊耶那岐・美の二命によって全部で十四の島々が生まれます。古事記の言霊百神を示す物語が「天地初発の時」より、言霊学原理の總結論である天照大神・月読命・須佐男命(三貴子)(みはしらのうずみこ)誕生までの小説だと喩えるならば、それは島の数十四の章を持った壮大な真理を黙示した物語小説であり、ドラマに喩えるならば、全部で十四幕にまとめられた神々の天上のドラマとなり、これを交響楽に喩えるなら、全章が十四楽章に分れた大シンフォニーなのであります。かく申上げることが出来ますように、古事記の神話は十四段に分れた物語であり、その一段々々が人間精神の働きの部分々々を明確に表現しながら、更にその十四段の全部が水の流れる如くに関連し合って人間の精神生命の全貌を残らず解明し尽くした精神学の完成品だという事が出来ます。

この神話の一節についてもう一つ話を添えて置きたい事があります。岐美二神はお互いに「あなにやしえをとめを」「あなにやしえをとこを」と愛情の言葉を掛けてから天之御柱を往き廻り子音を生みます。この愛情表現は何を示そうとしたのでしょうか。これから生まれて来るものは現象の実相の単位を表わす子音言霊であります。現象の実相は見る人が言霊母音アの次元(そこより感情が生まれる)に視点を置く時、最も明らかに見得るのであります。それ故現象子音創生の前に愛情表現を差し挟んだに違いありません。

子淡路(こあわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島を生みたまひき。

古事記は右の島より始まり、次々と全部で十四の島々が生れ出て来ます。そこで島の一つ一つの説明は後にして、島の全部が現われ出る文章を先に書き記すことにしましょう。

次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。

然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。

(次号に続く)