古事記の鏡3 整理運用




 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神。次に和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。

 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

 この子とは火の夜芸速男の神のことです。またの名である火の炫(かがや)毘古の神・火の迦具土の神も同様に頭に「火」の字が附されています。伊耶那美の命は夫君伊耶那岐の命と婚いして三十二の子音を生み、それを神代文字(言霊ン)に表わして、合計五十神・五十言霊がすべて出揃いました。これ以上の言霊は有り得ません。伊耶那美の命はもう子が生めなくなりました。この事を最後に火の神を生んだので伊耶那美の命の女陰が火傷(やけど)をして病気になってしまった、と表現しました。太安万侶一流の洒落であります。五十音言霊が出揃いましたので、これよりそれ等言霊の整理・活用の検討が始まります。

 たぐりに生りませる神の名は金山毘古の神。次に金山毘売の神。

 たぐりとは嘔吐(おほど)の事でありますが、ここでは「手繰(たぐ)り」の意の謎です。金山毘古の金は神名の意です。言霊一つ一つを粘土板に刻んで素焼きにした甕を手で手繰(たぐ)り寄せますと神代文字の山(神山)が出来ます。精神的なもの、物質的なものすべてを整理する為には先ずすべてのものを手許に寄せ集めることから始めなければなりません。金山毘古は音を、金山毘売は文字を受け持ちます。

 【註】金山毘古の神に始まる古事記神話の言霊の整理・活用法の検討は実に総計五十の手順を一つ残らず明らかにして行きます。その間、どんな小さい手順も疎(おろそ)かにしたり、省略する事はありません。その手順はキッチリ五十にまとまります。その手順の一つ一つを読者御自身の心中に丁寧に準(なぞら)って検討されることを希望いたします。

 屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。

 屎は組素(くそ)の意を示す謎です。言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。

 【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。

 尿に成りませる神の名は弥都波能売の神。

 尿とは「いうまり」即ち「五埋(いう)まり」という謎です。五十の埴土を集めて、その一つ一つを点検して間違いがないのが分ったら、次に何をするか、というと先ず五つの母音を並べてみることでしょう。「五(い)埋まり」です。その順序はといえば、アは天位に、イは地位に落ちつき、その天地の間にオウエの三音が入ります。オウエの三つの葉(言葉)の目が入りました。弥都波能売(みつはのめ)とはこれを示す謎です。日本書紀では罔象目と書いております。罔(みつ)は網(あみ)の事で、五母音を縦に並べてみますと罔(あみ)の象(かたち)の目のようになっているのが分ります。五十の埴土(はに)を並べて整理しようとして、先ず五つの母音を基準となるよう並べたのであります。

 和久産巣日の神。

 和久産巣日とは枠結(わくむす)びの謎。五十の埴土(はに)を集め、一つ一つ点検し、次に五つの母音を並べてみると網の目になっていることが分りました。その網目に他の四十五個の埴土が符号するように並べて整理してみると、五十音全部が一つの枠の中に納まるようにきちんと並ぶことが分って来ました。一見五十音が整理されたようには見えますが、まだこの段階ではこの整理がどんな内容に整理されて来たのかは分っていません。「和久」とは「湧く」ともとれるように、この段階での整理には全体として何か混沌さがある事を示しているということが出来ます。

 この神の子は豊宇気毘売の神といふ。

 豊宇気毘売の神の豊とは十四(とよ)の意で心の先天構造十七言霊の中のアオウエイ・ワ・チイキミシリヒニの十四言霊のことで、豊とは先天構造を指します。宇気(うけ)とは盃(うけ)で入れ物のことです。豊宇気毘売全部で心の先天構造から成る入物(いれもの)を秘めているの意となります。「この神の子」と言う言葉が古事記に出て来る時は「この神の内容、働き、活用法、活用から現われる結論」等を意味します。豊宇気毘売とは豊受姫とも書き、伊勢神宮の外宮の主宰神であります。「心の先天構造で出来ている入れ物を秘めている神」では意味が明らかではありませんが、この神が伊勢外宮の神である、となりますと、内容が明らかとなります。

 和久産巣日の神の内容が「五十音言霊を整理し、それを活用するに当り、先ず「五埋(いうま)り」によって母音アオウエイの順序に従って五十音を並べて枠の中に囲んで整理した働き」が分りました。しかしその整理は五十音図として初歩的に並べたものであって、どうしてその様に並んだのかの内容はまだ不明という事でありました。しかし「この神の子(活用法)である豊宇気毘売の神」が伊勢内宮の天照大神と並んで外宮の神として祭られている事実を考えますと、次の様な事が明らかになって来ます。

 金山毘古の神に始まる五十音言霊の整理・活用を検討する作業が進み、最終結論として三貴子(みはしらのうづみこ)が生まれます。その中の一神、天照大神は言霊学の最高神であり、言霊五十音の理想の配列構造を持った人類文明創造の鏡であり、その鏡を祀る宮が伊勢の内宮であります。その内宮の鏡の原理に基づいて外宮の豊宇気毘売の神は世界の心物の生産のすべてを人類の歴史を創造するための材料として所を得しめる役目の神であるという事になります。和久産巣日の神とは言霊五十音の初歩的な整理ではありますが、その活用の役目である豊宇気毘売の神が、言霊整理活用の総結論である天照大神を鏡として戴く事によって世界中の文化一切に歴史創造という枠を結ばせる事となる消息を御理解頂けるものと思います。

 吉備(きび)の児島(こじま)

 五十音言霊の全部が出揃い、次にその五十音言霊の整理・活用法の検討が始まります。以上金山毘古の神より和久産巣日の神までの六神が精神宇宙内に占める区分を吉備の児島と呼びます。「吉(よ)く備(そな)わった小さい締(しま)り」の意です。児島と児の字が附きますのは、弥都波能売(みつはのめ)という上にア、下にイ、その間にオウエの三音が入った事の確認を基準として五十音言霊を整理し、枠で結びました。吉(よ)く備(そな)わっている事は確認されましたが、その様に並んだ事の内容についてはまだ何も分っていません。極めて初歩的な整理である事の意を「児」という字によって表わしたのであります。

 古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。

 かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に神避りたまひき。

 伊耶那美の神は火の夜芸速男(やぎはやお)の神(言霊ン)という火の神を生んだので御陰(みほと)が火傷(やけど)し、病気となり、終になくなられた、という事です。これを言霊学の教科書という精神上の事から物語るとどういう事になるでしょうか。伊耶那岐・美二神の共同作業で三十二の子音言霊が生まれ、それを神代表音文字に表わしました。ここで伊耶那美の神の仕事は一応終ったことになります。そこで美の神は高天原という精神界のドラマの役をやり終えて一先ず幕の影へ姿を隠してしまう事になった、という訳であります。

 「神避(かむさ)る」と言いますと、現代では単に「死ぬ」と言う事に受け取ります。古神道言霊学では決して「死」を説きません。「霊魂不滅」などと言って人の生命は永遠だ、と説く宗教もありますが、言霊学は霊魂などという極めて曖昧な意味で不死を説くわけではありません。この事は他の機会に譲りまして、では伊耶那美の神が神避ったという事は実際にどういう事であるのか、について一言申し上げます。

 三十二子音の創生と神代表音文字の作製によって伊耶那美の神の分担の仕事は終りました。五十音言霊で構成された高天原精神界から退場することとなります。そして伊耶那美の神は本来の自身の責任領域である客観世界(予母都国(よもつくに))の主宰神となり、物事を自分の外(そと)に見る客観的な物質科学文明の創造の世界へ帰って行ったのであります。この時より後は、五十音言霊の整理と活用の方法の検討の仕事は伊耶那岐の神のみによって行なわれることとなります。


 ア字の


この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。

古事記の言霊百神の後半に入ります。整理操作運用の残り五十神です。太安麻侶はまことにうまいこと古事記を作りました。今度は五十の手順を踏んだ言霊意識の運用法です。言霊が五十個しかないように意識の手順も五十しかないといいます。ここに全人類の意識活動が詰まっているといいます。


この子とは火の夜芸速男の神のことです。またの名である火の炫(かがや)毘古の神・火の迦具土の神も同様に頭に「火」の字が附されています。伊耶那美の命は夫君伊耶那岐の命と婚いして三十二の子音を生み、それを神代文字(言霊ン)に表わして、合計五十神・五十言霊がすべて出揃いました。これ以上の言霊は有り得ません。伊耶那美の命はもう子が生めなくなりました。この事を最後に火の神を生んだので伊耶那美の命の女陰が火傷(やけど)をして病気になってしまった、と表現しました。太安万侶一流の洒落であります。五十音言霊が出揃いましたので、これよりそれ等言霊の整理・活用の検討が始まります。





たぐりに生(な)りませる神の名は

金山毘古(かなやまびこ)の神。次に

金山毘売(びめ)の神。

たぐりとは言霊タでくくること


次に屎(くそ)に成りませる神の名は

波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に

波邇夜須毘売(ひめ)の神。

次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

弥都波能売(みつはのめ)の神。次に

和久産巣日(わきむすび)の神。

この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。


 かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

 伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、

 伊耶那岐の命はその時まで高天原での創造の協同者であった伊耶那美の命を失ってしまいましたので、「わが愛する妻の伊耶那美の命を子の一木に易えてしまった」と嘆(なげ)きました。岐美二神は共同で三十二の子音を生みました。その三十二の子音を表音神代文字火の夜芸速男の神・言霊ンに表わしました。妻神を失い、その代りに一連の神代文字(一木)に変えたという事であります。

 御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、

 五十個の言霊とその表音文字が出揃い、今はその言霊の整理・検討が行なわれているところです。その整理に当る伊耶那岐の命の行動を、妻神を失った伊耶那岐の命の悲しむ姿の謎で表わしています。御枕方と御足方とは美の命の身体をもって五十音図(菅曽音図)に譬えた表現です。人が横になった姿を五十音図に譬えたのですから、御枕方とは音図に向って一番右(頭の方)はアオウエイの五母音となります。反対に御足方とは音図の向って最左でワヲウヱヰ五半母音のことです。そこで「御枕方に葡匐ひ御足方に葡匐ひ」とは五十音図の母音の列と半母音の列との間を行ったり、来たりすることとなります。「哭きたまふ」とは、声を出して泣くという事から「鳴く」即ち発声してみるの意となります。

 御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。

 香山(かぐやま)とは言霊を一つ一つ粘土板に刻み、素焼にした埴(はに)を集めたもの、即ち香山とは「火の迦具土」と「金山」を一つにした名称。畝尾とは一段高い畝(うね)が続いている処。母音から半母音に連なる表音文字の繋がりの事。その畝尾は五十音図では五本あります。「その木のもと」とありますから、五母音の一番下イからヰに至る文字の連なりの事となります。涙はその一番下の畝尾に下って来ます。一番下のイからヰに至る文字の連なりは父韻チイキミシリヒニの八韻です。この父韻が鳴りますと、その韻は母音に作用して現象子音を生みます。父韻は泣き(鳴き)騒ぐ神です。そこで名を泣沢女(なきさわめ)の神と呼びます。泣くのは男より女に多い事から神名に泣沢女の神と女の文字がついたのでありましょう。

 小豆島(あづきじま)またの名は大野手比売(おおのでひめ)

 泣沢女の神の座。また五十音言霊の音図上の整理・確認の作業の中で、八つの父韻の締めくくりの区分を小豆島(あづきじま)と言います。明らかに(あ)続いている(づ)言霊(き)の区分の意です。大野手比売(おおのでひめ)とは大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めている(比売)の意です。八父韻は横に一列に展開しています。

 菅曽音図の一番下の列、言霊イとヰとの間に展開している八つの父韻に泣沢女の神と名付けた事について今一つ説明を加えましょう。法華経の第二十五章の「観音普門品」に「梵音海潮音勝彼世間音」(ぼんおんかいちょうおんしょうひせけんおん)という言葉があります。梵音と海潮音とは彼(か)の世間で一般に使われている言葉に優(まさ)る言葉である、の意です。その梵音とは宇宙の音、即ちアオウエイの五母音の事です。また海潮音とは寄せては返す海の波の音の事で、即ちこれが言霊学で謂う八つの父韻の事です。宇宙には何の音もありません。無音です。もっと的確に言えば宇宙には無音の音が満ちているという事です。何故ならそこに人間の根本智性である八父韻の刺激が加わると、無限に現象の音を出すからです。八つの父韻は無音の母音宇宙を刺激する音ですから、泣き(鳴)騒ぐ音という事となります。父韻が先ず鳴き騒ぐ事によって、その刺激で宇宙の母音から現象音(世間音)が鳴り響き出します。梵音(母音)と海潮音(父韻)は人間の心の先天構造の音であり、その働きによって後天の現象音が現出して来ます。「勝彼世間音」と言われる所以であります。

 お寺の鐘がゴーンと鳴ります。人は普通、鐘がその音を出して、人の耳がそれを聞いていると考えています。正確に言えばそうではありません。実際には鐘は無音の振動の音波を出しているだけです。では何故人間の耳にゴーンと聞こえるのでしょうか。種明かしをすれば、その仕掛人が人間の根本智性の韻である八つの父韻の働きです。音波という大自然界の無音の音が、人間の創造智性である八つの父韻のリズムと感応同交(シンクロナイズ)する時、初めてゴーンという現象音となって聞えるのです。ゴーンという音を創り出す智性のヒビキは飽くまで主体である人間の側の活動なのであり、客体側のものでありません。鐘の音を聞くという事ばかりではなく、空の七色の虹を見るのも、小川のせせらぎを聞くのも同様にその創造の主体は人間の側にあるという事であります。八つの父韻の音図上の確認の締まりを泣沢女の神という理由を御理解願えたでありましょうか。

 かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

 出雲とは出る雲と書きます。大空の中にむくむくと湧き出る雲と言えば、心の先天構造の中に人間の根本智性である父韻が思い出されます。伯伎の国と言えば母なる気(木)で、アオウエイ五母音を指します。聖書で謂う生命の樹のことです。比婆(ひば)とは霊(ひ)の葉で言霊、特に言霊子音を言います。子音は光の言葉とも言われます。

 伊耶那岐の命と伊耶那美の命は協力して三十二の子音言霊を生み、子種がなくなり、高天原での仕事をやり終えた伊耶那美の命は何処に葬られているか、と申しますと、父韻と母音で作られている三十二個の子音の中に隠されて葬られているよ、という意味であります。子音言霊が高天原から去って行った伊耶那美の神の忘れ形見または名残のもの、という事です。

 古事記の文章を先に進めます。

 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、甕速日(みかはやひ)の神。次に樋速日(ひはやひ)の神。次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。

 菅曽音図に基づいた五十音言霊の検討の作業は更に続きます。

 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。

 ここに初めて古事記の文章に剣という言葉が出て来ました。古事記のみならず、各神話や宗教書の中に出る剣とは物を斬るための道具の事ではなく、頭の中で物事の道理・性質等を検討する人間天与の判断力の事を言います。形のある剣はその表徴物であります。この判断力に三種類があり、八拳、九拳、十拳(やつか、ここのつか、とつか)の剣です。

 十拳の剣の判断とはどんな判断かと申しますと次の様であります。十拳の剣とは人の握り拳(こぶし)を十個並べた長さの剣という事ですが、これは勿論比喩であります。実は物事を十数を以て分割し、検討する判断力のことです。実際にはどういう判断かと言いますと、十数とは音図の横の列がア・タカマハラナヤサ・ワの十言霊が並ぶ天津太祝詞音図(後章登場)と呼ばれる五十音図の内容である人間の精神構造を鏡として行なわれる判断の事を言います。この判断力は主として伊耶那岐の神または天照大神が用いる判断力であります。後程詳しく説明されます。

 迦具土の神とは前に出ました火(ほ)の夜芸速男(やぎきやを)の神・言霊ンの別名であります。古代表音神名(かな)文字のことです。頚(くび)を斬る、という頚とは組霊(くび)の意で、霊は言霊でありますから、組霊(くび)とは五十音図、ここでは菅曽音図の事となります。十拳の剣で迦具土の頚を斬ったという事は、表音神名文字を組んで作った菅曽音図を十拳の剣という人間天与の判断力で分析・検討を始めたという事になります。という事は、今までは言霊の個々について検討し、これからは菅曽音図という人間精神の全構造について、即ち人間の全人格の構造についての分析・検討が行なわれる事になるという訳であります。

 ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。

 御刀の前に著ける血、とは迦具土の頚(くび)である言霊五十音図を十拳の剣で分析・検討して人の心の構造がどの様になっているか、を調べて行き、御刀の前(さき)によって斬ったことにより判明した道理(血(ち))ということ。ここで御刀の「前」と殊更に言いましたのは、次の文章に御刀の「本(もと)」、御刀の「手上(たがみ)」と分析・検討の作業が進展して行く様子を示したものであります。

 湯津石村の湯津(ゆず)とは五百個(いほつ)の謎です。五百個(いほつ)とはどういう事かと申しますと、五母音の配列である菅曽音図の意味を基調として五十音図を作り、この五十音図を上下にとった百音図の事を五百個と申します。石村(いはむら)とは五十葉叢(いはむら)の意。湯津石村の全部で五百個の上半分の五十音図の意となります。湯津石村に走(たばし)りつきての走りつきてとは「……と結ばれて」または「……と関連し、参照されて」の意となります。

 成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神

 五十音図を分析して先ず分ったのは石柝(いはさく)の神ということです。石柝とは五葉裂(いはさ)くの意。五十音図が縦にアオウエイの五段階の界層に分かれていることが分った、という事であります。即ち人間の心が住む精神宇宙は五つの次元が畳(たたな)わっている状態の構造であることを確認したのでした。人間の精神に関係する一切のものはこの五つの次元宇宙から表れ出て来ます。これ以外のものは存在しません。「五葉裂く」の道理は人類の宗教・哲学の基本です。

 この五つの次元の道理を世間の人々の会話の中で観察すると、そこに顕著な相違があることに気付きます。先ず言霊ウの次元に住む人同士の会話は、その各々の人がある物事について語り合う場合、各自の経験した事柄をその起った時から終るまで順序通りに羅列するように、一つの省略もなく喋(しゃべ)ります。従って会話は長くなります。若い者同士の電話の会話はその典型です。言霊オの次元に住む人の会話には抽象的概念の用語がやたらと飛び出します。所謂「〇〇的」という言葉です。社会主義新聞の論説はその良い例であります。次に言霊アの次元に於ては詩や歌が、言霊エの次元では「何々すべし」の至上命令が典型となります。言霊イの次元に住む人の口からは、言霊が、または他の四次元ウオアエの次元に住む人々それぞれの心に合わせた自由自在の言葉が出て来ます。以上、人間の心の進化の順序に従ってそれぞれの次元の会話の特徴についてお話しました。その人の会話を聞いていると、その人の心が住む次元が良く分って来ます。但し自分の心が住む次元より高い次元の話の識別は出来ません。識別出来るのは自らの心の次元以下の人についてのみであることを知らねばなりません。

 社会で使われる用語の中からいくつかを石柝(いはさく)の道理によって分類した表を左に図示します。(小笠原孝次氏著「言霊百神」より引用)

 次に根柝(ねさく)の神

 根柝(ねさく)は根裂(ねさ)くの事です。今検討している音図は菅曽音図のことで、母音がアオウエイと縦に並びます。その五母音の一番下は言霊イであり、五母音を一本の木と見れば根に当ります。その根の五十音の列は言霊イとヰの間に八つの父韻が横に並んでいます。その根を裂けば、八つの父韻の並び方の順序と、その順序に示されるように母音に始まり、半母音に終る現象の移り方がより確認されます。

 次に石筒(いはつつ)の男の神

 石筒は五葉筒(いはつつ)または五十葉筒の意です。五十音図は縦に五母音、五半母音または五つの子音が並び、これが順序よく人の心の変化・進展の相を示しています。また五十葉筒と解釈すれば、五十音図が縦に横に同様に変化・進展する相を知ることが出来ます。筒とはその変化・進展の相が一つのチャンネルの如く続いて連なっている様子を表わします。石筒の男の神の男(を)の字が附いているのは、その変化・進展の相が確認出来る働きを示すの意であります。

 次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、甕速日(みかはやひ)の神。

 御刀の「前(さき)」から今度は「本(もと)」と五十音図表の整理・検討の段階が進展して来た事を示しています。始めに五十個の言霊を整理し、並べて和久産巣日の神なる音図、即ち菅曽音図を手にしました。次にその初歩的な菅曽音図を分析することによって五十音言霊自体で構成されている人間精神の構造を確認する作業が進んでいます。その人間の精神構造である道理(血)が「湯津石村に走り着きて」即ち五十音言霊図に参照されて、確認されましたのが甕速日の神という事であります。

 甕速日の甕(みか)とは五十個の言霊を粘土板に刻んで素焼きにした五十音図の事です。速日の日は言霊、速とは一目で分るようにする事の意。甕速日全体で五十音言霊図全体の内容・意味が一目で分るようになっている事の確認という事です。音図の内容の確認には大きく別けて二通りがあります。一つは静的状態の観察です。五十音言霊がその音図全体で何を表現しているか、を知ることです。どういう事かと申しますと、この五十音言霊図は菅曽音図か、金木音図か、または……と、この五十個の言霊が音図に集められて、全体で何が分るか、ということの確認です。これを静的観察と言います。

 次に樋速日(みかはやひ)の神

 (ひ)速日の樋(ひ)とは水を流す道具です。この事から樋速日とは言霊(日)が一目で(速)どういう変化・進展の相を示しているか、が分ることの確認という意となります。五十音言霊図では母音五つからそれぞれの半母音に渡す子音の実相の動き・変化の流れが一目で確認出来る事を言います。甕速日の静に対して、樋速日は動的な変化の確認という事が出来ます。

 ここで速日(はやひ)なる言葉が出て来ましたが、同様の意味の言葉に「早振り」があります。言霊の立場で物事を見ますと、その性状や内容が一目で分ることを言います。枕詞の「千早振る」も同様であります。

 次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。

 建御雷の建(たけ)とは田気(たけ)の意です。田とは五十音言霊図のことで、その気(け)ですから言霊を指します。雷(いかづち)とは五十神土(いかつち)の意で、五十音を粘土板に刻んだものです。自然現象としての雷は、天に稲妻(いなづま)が光るとゴロゴロと雷鳴が轟(とどろ)きます。同様に人間の言葉も精神の先天構造が活動を起すと、言葉という現象が起こります。言葉は神鳴りです。この神鳴りには五十個の要素と五十通りの基本的変化があります。この五十の要素の言霊と五十通りの変化の相とを整理・点検して最初に和久産巣日という五十音図(天津菅曽音図)にまとめました。次にその音図を十拳剣という主体の判断力で分析・検討して行き、石柝(いはさく)、根柝(ねさく)、石筒(いはつつ)の男と検討が進展し、甕速日(みかはやひ)という心の静的構造と樋速日という心の動的構造が明らかにされました。その結果として五十音言霊によって組織された人間の心の理想の構造が点検の主体である伊耶那岐の命の心の中に完成・自覚されたのであります。この精神構造を建御雷の男の神と言います。

 人間精神の理想として建御雷の男の神という五十音図を自覚しました。これを建御雷の神と書かず、下に「男の神」と附したのは何故なのでしょうか。初め伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と共同で三十二の子音を生みます。それを粘土板に書いて火の迦具土の神という神代表音文字に表わしました。そこで伊耶那美の命の客体としての高天原の仕事は終り、美の命は高天原から客観世界の予母津国に去って行き、残る五十音の整理・検討は主体である岐の命の仕事となります。そこで整理作業によって最初に得た菅曽音図を主体の判断力である十拳剣で分析・点検して人間精神の最高理想構造である建御雷の男の神という音図の自覚を得ました。しかし人間の心の理想構造の自覚と申しましても、それは飽くまで主体である伊耶那岐の命の側に自覚された真理であって、何時の時代、何処の場所、如何なる物事に適用しても通用するという客観的證明をまだ経たものではありません。主観内のみの真理であります。その事を明示するために、太安万侶はこの自覚構造に建御雷の男の神と男の字を附けたのであります。

 またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。

 建布都(たけふつ)の建は田(た)(言霊図)の気(け)で言霊の事。布都(ふつ)とは都(みやこ)を布(し)くの意。都とは言霊を以て組織した最高の精神構造、またはその精神によって文明創造の政治・教育を司る教庁の事でもあります。豊布都の豊(とよ)は十四(とよ)で、先天構造原理をいいます。そこで建布都とは言霊を以て、豊布都は言霊の先天構造原理を以て組織された最高の人間精神の事であり、建御雷の男の神と同意義であります。建布都・豊布都は奈良県天理市の石土(いそのかみ)神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の神剣の名でもあります。



かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

泣沢女(なきさわめ)の神。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

石柝(いはさく)の神。次に

根柝(ねさく)の神。次に

石筒(いはつつ)の男(を)の神。

次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

甕速日(みかはやひ)の神。次に

樋速日(ひはやひ)の神。次に

建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。


 次に御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。

 伊耶那岐・美の二神は共同で三十二の子音を生み、次に父母子音言霊四十九個を粘土板上に神代表音文字として刻み、素焼にして五十番目の言霊ンを得ました。子種がなくなった伊耶那美の命はここで高天原での役目を終え、客観世界である予母津(よもつ)国に去って行きます。主観である伊耶那岐の命はこれより言霊五十音を刻んだ埴土(はに)を整理する作業を進め、先ず最初に和久産巣日(わくむすび)の神なる五十音図(菅曽[すがそ]音図)にまとめました。次に岐の命は和久産巣日の神とまとまった五十音図で示される人間の精神構造を十拳剣で分析・総合することによって社会を創造するための理想の精神構造を主体的に自覚いたしました。この主体内にて自覚された理想の精神構造を建御雷(たけみかつち)の男(を)の神と言います。次に岐の命はこの建御雷の男の神の活用法の検討に入ることとなります。

 伊耶那岐の命の人間精神構造の検討の仕事が、初めに剣の「前(さき)」から「本」となり、此処では「御刀の手上(たがみ)」となり、検討の作業が進展して来た事を物語ります。ただ「前」と「本」とが「湯津石村に走りつきて」とありますのが、「手俣より漏き出て成りませる」と変わっているのは何故でしょうか。その理由は成り出でます神名闇淤加美の神、闇御津羽の神に関係しております。これについて説明いたします。

 伊耶那岐の命は菅曽音図の頚(くび)を斬り、人間の精神構造を検討するのに十拳剣を用いました。それはア・タカマハラナヤサ・ワの十数による分析・検討であります。この様に言霊によって示される構造を数の概念を以て検討する時、この数を数霊と言います。この十の数霊(かずたま)による検討は左右の手の指の操作で行う事が出来、その操作を御手繰(みてぐり)と呼びます。指を一本づつ「一、二、三、四……」と握ったり、「十、九、八、七……」と起したりする方法です。「御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣より漏き出て……」とありますのは、以上の御手繰りによる数霊の操作を表わしたものなのであります。太安万侶の機智の素晴らしさが窺える所であります。

 御手繰りの操作に二通りがあります。開いた十本の指を一つ二つと次々に折り、握って行く事、それによって宇宙に於ける一切の現象の道理を一つ二つと理解して行き、指十本を握り終った時、その現象の法則をすべて把握した事になります。この道理の把握の操作を闇淤加美(くらおかみ)と言います。十本の指を順に繰って(暗[くら])噛(か)み合わせる(淤加美[おかみ])の意です。そして十本の指全部を握った姿を昔幣(にぎて)と呼びました。握手(にぎて)の意です。また物事の道理一切を掌握した形、即ち調和の姿でありますので、和幣(にぎて)とも書きました。紙に印刷した金のことを紙と言います。金は世の中の物の価値の一切を掌握したものであるからであります。また昔、子供はお金の事を「握々(にぎにぎ)」と呼んだ時代がありました。

 御手繰のもう一つの操作の仕方を闇御津羽と言います。闇淤加美(くらみづは)とは反対に、握った十本の指を順に一本ずつ「十、九、八、七……」と順に起して行く操作です。指十本を闇淤加美として掌握した物事の道理を、今度は指を一本々々順に起して行き、現実世界に適用・活用して、第一条……、第二条……と規律として、また法律として社会の掟(おきて)を制定する事であります。掟とは起手の意味です。闇御津羽とは言霊を指を一本々々起して行く様に繰って(闇)鳥の尾羽が広がるように(羽)、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず])を活用・発展させて行く事の意であります。

 伊耶那岐の命は人間の精神構造を表わす埴土(はに)に刻んだ五十音言霊図を十拳剣で分析・検討することによって、主体内自覚としての理想の精神構造である建御雷の男の神を得ました。その構造原理を更に数霊を以て操作して、その誤りない活用法、闇淤加美、闇御津羽の方法を発見しました。五十音言霊による人間精神構造と数霊によるその原理の活用法を完成し、人間の精神宇宙内の一切の事物の構造とその動きを掌握し、更にその活用法を自覚することが出来たのであります。言霊と数霊による現象の道理の把握に優る物事の掌握の方法はありません。伊耶那岐の命の心中に於ける物事の一切の道理の主体的自覚は此処に於て完成した事となります。

 奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に伝わる言葉に「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)と唱えて、これに玉を結べ」とあります。玉とは言霊のこと。言霊を数霊を以て活用することが、この世の一切の現象の把握の最良の理法であることを教えております。

 大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)

 以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味です。人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。

 古事記の文章を先に進めることにしましょう。

 殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

 先に伊耶那岐の命は五十音言霊によって構成された迦具土の神を十拳剣で分析・検討して、斬った主体側の真理として建御雷の男の神という人間精神の理想構造を自覚いたしました。今度は十拳剣で斬られて殺された客体である迦具土の神からは何が生まれ出て来るのでしょうか。迦具土の神とは言霊五十音を粘土板に彫り刻んだ神代表音文字の事でありますから、斬られる客体である迦具土の神から表われるのは神代表音文字の原理・道理の事であります。言い換えますと、一つ一つの表音神代文字が言霊の原理の中のどの部分を強調し、どの様な表現を目的として作られたか、の分析・検討であります。

 古事記の子音創生の所で説明されました大山津見の神は言霊ハ、即ち言葉の事でありました。大山津見の山とは八間のことで、図形で表わされる八つの父韻の活動する図式であり、この父韻の活動によって言葉が現われて来ました。山津見とは八間の原理から(山)出て来て(津)形となって現われたもの(見)の意でありました。大山津見の神は言霊ハとして言葉を意味しますが、ここに登場する八つの山津見の神は、言葉を更に文字に表わしたものの謂であります。その神代表音文字の作り方に古事記は代表的なものとして八種の文字原理を挙げております。ここに登場します正鹿山津見、淤縢山津見、奥山津見、闇山津見、志芸山津見、羽山津見、原山津見、戸山津見の八神がそれであります。

 竹内古文献等の古文書、または神社、仏閣に伝わる日本の古代文字を調べますと、六十種類以上の神代表音文字が存在すると伝えられています。また奈良県天理市の石上神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の蛇の比札(ひれ)・百足(むかで)の比札・蜂の比札・種々物(くさぐさもの)の比札といわれるものは明らかに古代表音文字であります。比札とは霊顕(ひれ)とも書き、霊(ひ)は言霊であり、顕(れ)は現われるで文字である事を示しています。ただこれ等数十種類の神代文字が、古事記に示される八種の山津見の神の文字作成法の何(いず)れに属するものなのか、の研究が進んでいません。言霊学研究の先輩である山腰明将氏、小笠原孝次氏と継承された古代文字に関する見解を踏襲してお伝えいたしますが、今回は簡単な図表形式にして示しました。詳しくは「古事記と言霊」の中の「神代文字の原理」をお読み下さい。尚、石上神宮の十種の神宝の中の四種類の比札(文字)は同書171頁を参照下さい。

古事記神名

体の部分

文字の作り方

正鹿山津見

頭・神知(かし)ら

正鹿(まさか)は真性。言霊原理がそのまま表現される文字の作り方。龍形文字

淤縢山津見

胸・息を出す所

言葉を発声する法則に基づく文字構成法

奥山津見

腹・音図上

奥はオを繰(お)る。音図上の文字が調和するような文字の作り方

闇山津見

陰(ほと)・子が生まれる所

闇は繰る。言葉が文字となる原理がよく分る文字の作り方

志芸山津見

左の手・霊足り(全体)主眼

志芸(しぎ)は五十音言霊。文字の書き方に書き方をおく文字構成法

羽山津見

右の手・身切り(部分)

羽は言葉。言霊の一つ一つの内容を強調する文字の作り方

原山津見

左の足・運用法

原は言霊図。言霊図全体の運用法が分るような文字構成法

戸山津見

右の足

言霊図の十列の区別がよく分るような文字構成法

 女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね)

 以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。

 かれ斬りたまへる刀(たち)の名は天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

 迦具土の神の頚(くび)を十拳剣で斬り、斬る主体である伊耶那岐の命の側に建御雷の男の神という人間精神理想の構造原理が自覚され、また斬られた客体側に神代表音文字の八種の構成原理が発見されました。尾羽張(おはばり)とは鳥の尾羽が末広がりになる姿で、この十拳剣を活用すれば人間社会の文明は彌栄(いやさか)に発展する事が可能となります。その為にこの十拳剣の判断力(分析・総合)に天の尾羽張り、またの名伊都の尾羽張の名が付けられのであります。天(あめ)とは先天または天与の意であり、伊都(いつ)とは御稜威(みいず)の意であります。御稜威とは力または権威という事です。

 この尾羽張の剣の判断力の活用は古来全世界の神話・宗教書に書かれました。ギリシア神話にオリオン星座(Orion, Oharion)が取上げられています。この星座の十字形が時間と空間を縦横に斬る十拳剣の分析と総合の人間天与の判断力の活用の象徴として説かれています。また旧約聖書のヨブ記に同様の記述があります。「ヱホバ大風の中よりヨブに答えて宣(のた)まはく、……なんじ昴宿[ぼうしゅく](スバル星)の鏈索(くさり)を結び得るや。参宿[さんじゅく](オリオン)の繋縄(つなぎ)を解き得るや。なんじ十二宮をその時にしたがひて引いだし得るや。また北斗とその子星を導き得るや。……」私は初めてこの聖書の文章に出合った時、宗教で謂う救世主(ヨブはイエス・キリスト以前のキリストと呼ばれます)は記述の如き超能力の持主なのか、と思ったものでした。言霊布斗麻邇の学に出合うに及び、この様な神話や宗教書の中の文章がすべて太古に世界に流布されていた言霊学の心と言葉の原理に基づく記述であることを知り、神と人間との関係という問題を解決する事が出来のであります


次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

闇淤加美(くらおかみ)の神。次に

闇御津羽(くらみつは)の神。

殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、

正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。

次に胸に成りませる神の名は、

淤縢(おど)山津見の神。

次に腹に成りませる神の名は、

奥(おく)山津見の神。

次に陰に成りませる神の名は、

闇(くら)山津見の神。

次に左の手に成りませる神の名は、

志芸(しぎ)山津見の神。

次に右の手に成りませる神の名は、

羽(は)山津見の神。

次に左の足に成りませる神の名は、

原(はら)山津見の神。

次に右の足に成りませる神の名は、

戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。


 ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

 伊耶那岐の命が自身の精神領域である高天原から外へ出て行き、黄泉国(よみのくに)(黄泉国・予母津国(よもつくに)などとも書きます)という他の領域を初体験するという「黄泉国」の章と、これに続く「禊祓」の章にて古事記神話はクライマックスを迎えることとなります。この章を迎えるまでに、「古事記と言霊」講座は十四回開かれた事となります。毎月一回、十四ヶ月にわたる講話でありますので、それを文章でお読み下さる方には、ともすると古事記神話が始めから終りまで筋道が一貫している言霊布斗麻邇の学問の話なのであるという事をお忘れになるのではないか、という心配が御座います。そこで古事記神話のクライマックスに入る前に、今までの十四回の講座を簡単に振返ってみることとします。

 古事記は初めに「天地の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、……」と書き出されます。この「天地の初発の時」とは、私たちが客体として見る天と地、宇宙空間のことではなく、これら対象を見る主体である私達の心のことを言っているのだ、という事を申しました。外観として見る宇宙がただ一つであると同様に、それを見る心の広がり(宇宙)もただ一つなのだ、という事も説明しました。そしてその心の宇宙の中に天之御中主の神を始めとして豊雲野(とよくもの)の神まで、言霊母音・半母音の宇宙、ウアワオエヲヱを示す七神が成り出でます。次に宇比地邇(うひぢに)の神より妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)の神まで、母音と半母音宇宙を結んで現象子音を生み出す人間智性の根本性能である言霊父韻チイキミシリヒニを示す八神が現われます。次に母音・半母音でありながら、上述の母音七音、父韻八音計十五音を総合・統轄する二神、伊耶那岐の神・伊耶那美の神、言霊親音イ・ヰが現われます。以上合計十七神、十七言霊が「天地の初発の時」と言われる人間の心の先天構造(意識で捉えることの出来ない人間精神の先験部分)を構成する精神要素の事であります。これ等十七神が登場する文章には何らの物語的な叙述はありません。何故なら、十七神は先天構造を構成する言霊の存在を示すもので、この世に生れて来る人間なら誰しもが生まれながらに授かっている精神要素であり、この要素の働きによって天地間の現象のすべてが生れますが、その十七要素自体は人間という種が存する限り、永遠に変わることのない人間の根本の精神構造でありまして、「何故そうなっているか」の思惟が通用し得ない領域の存在と性能であるからです。言い換えますと、人はこれに関して「そうか」と肯定し、覚えるより他には対応の出来ぬものなのだ、という事であります。

 次にこれら先天構造の十七神・十七言霊が活動を始め、その代表である伊耶那岐、伊耶那美の命が先天構造から後天現象の世界である淤能碁呂島(おのころじま)(自れの心の島)に下り立って、後天現象の究極要素である言霊子音を示す三十二の神々(大事忍男(おほことおしを)の神・言霊タより大宜都比売の神(おほげつひめ)・言霊コまで)を生みます。

 次に伊耶那岐・美の二神は先天十七、後天三十二の合計四十九音の言霊を粘土板上に書き、彫り刻んで神代表音文字・言霊ンを示す火の迦具土(ほのかぐつち)の神を生みます。此処で夫神伊耶那岐の神と協同で三十三の子音言霊を生み終えた伊耶那美の神は子種が無くなり、高天原の仕事を成し遂げましたので、本来の領域である客観世界の文明創造の主宰神となって黄泉国(よもつくに)に去って行きます。

 主体世界の責任者である伊耶那岐の命は、一人で言霊五十音の整理・活用法の検討に入ります。そして先ず最初の整理(金山毘古(かなやまひこ)の神より和久産巣日(わくむすび)の神までの操作の方法)によって最も初歩的な五十音整理の音図である和久産巣日の神を手に入れます。この音図は人間が生れながらに授かっている心の構成図である天津菅麻(すがそ)音図であります。

 更に伊耶那岐の命(神)は右の菅麻音図を土台として整理・活用法の検討を進め、表音文字の五十音表(迦具土の神)の頚(くび)を十拳の剣で斬り、斬った十拳の剣である主体側の心の構造を検討・確認する作業(石柝(いはさく)の神より桶速日の神まで)によって人類文明創造のための最も理想の精神構造図を示す建御雷(たけみかづち)の男(を)の神を手にいたします。人間が自己の主体内に自覚した最高の精神原理の事であります。

 伊耶那岐の命は更にこの主体内に自覚された建御雷の男の神という言霊原理を数霊(かずたま)によって運用する二つの方法、闇淤加美(くらおかみ)の神、闇御津羽(くらみつは)の神の手法も確立することが出来ました。建御雷の男の神という言霊原理をこの二つの手法を以って運用するならば、物事の実相の把握と、その把握した法則を掟として、制度として実践・活用し得る事を自覚したのであります。ここに於て、五十音言霊の原理の把握とその実践・活用の方法は、少なくとも人間精神の主体的真理としては確立された事となります。

 更に伊耶那岐の命は、迦具土の神という五十音図表の検討に於て、神代表音文字を作成する八種類の方法(八山津見の神)をも発見することが出来ました。この様に五十音言霊図を縦横に分析・総合して、自由に文明を創造して行く判断力(十拳の剣)に天の尾羽張の名を附けたのであります。

 以上、過去十四回の「古事記と言霊」講座によって明らかにされました言霊の学問の概要であります。古事記神話に基づく言霊学の話は、此処で大きく転回し、これまでに確立された主体内真理としての言霊原理が、広く世界の人類文明創造の真理として通用するか、否か、の実験・検討という古事記神話のドラマのクライマックスに突入して行く事となります。この大きな実験とその探究によってアイエオウ五十音言霊布斗麻邇の原理が世界人類の文明創造の原器として、またその任に当る天津日嗣スメラミコトの体得すべき大原理として確立し、今に伝わる三種の神器の根本内容の学問として人間精神の自覚に確立される事となります。この自覚に立った伊耶那岐の命は、この主体内の真理が人類文明の中の如何なる文化内容をも摂取して誤りなく歴史創造の糧として生かす事が出来るか、言い換えますと、自己主観内の真理を客観世界に運用しても誤りのない、主観と同時に客観的真理として通用し得るか、の検討の作業に入って行く事となります。以下、古事記の文章の順に従って説明してまいります。

 ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。

 文章をそのまま解釈しますと「伊耶那岐の命は、先に高天原の仕事を終え、本来の自らの領域である客観世界の国である黄泉国(よもつくに)に去って行った伊耶那美の命に会いたいと思い、高天原から黄泉国に伊耶那美の命を追って出て行きました」という事になります。けれど事の内容はそう簡単なものではありません。伊耶那岐・美の二神は共同で言霊子音を生み、生み終えた伊耶那美の命は客観的文明世界建設のため黄泉国に去って行きます。伊耶那岐の命は唯一人で五十音言霊の整理・運用の方法を検討し、終に自らの主観内に於てではありますが、人類文明創造の最高原理である建御雷の男の神という精神構造を発見・自覚することが出来ました。さてここで、伊耶那岐の命は自分の主観の中に自覚した創造原理を客観世界の文化に適用して、誤りなくその文化を人類文明に摂取し、創造の糧として生かす事が出来るか、を確認しなければなりません。その事によってのみ建御雷の男の神という主観内真理が、主観内真理であると同時に客観的真理でもある事が證明されます。以上の意図を以て岐の命は黄泉国に美の命を追って出て行く事となります。

 この文章に黄泉国(よみのくに、よもつくに)の言葉が出て来ました。古事記の中にも上記の二つの読み方が出て来ます。特にその欄外の訳注に「地下にありとされる空想上の世界」(角川書店)とか、「地下にある死者の住む国で穢れた所とされている」(岩波書店)と書かれています。また「黄泉の文字は漢文からくる」ともあります。すべては古事記神話の真意を知らない人の誤った解釈であります。黄泉(こうせん)の言葉は仏教の死後の国の事で、古神道布斗麻邇が隠没した後に、仏教の影響でその様な解釈になったものと思われます。また「よもつくに」を予母都国、または四方津国と書くこともあります。予母都国と書けば予(あらかじ)めの母なる都の国と読めます。人類一切の諸文化は日本以外の国で起り、その諸文化を摂取して、言霊原理の鏡に照し合わせて人類全体の文明として取り入れ、所を得しめるのが昔の高天原日本の使命でありました。四方津国と書けば、その日本から四方に広がっている外国という事となります。また外国は人類文明に摂取される前の、予めなる文化の生れる母なる都、という訳であります。

 ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、

 縢戸をくみど、とざしど、さしどなどとの読み方があります。また殿の騰戸とする写本もあります。この場合はあげど、あがりどと読むこととなります。縢戸と読めば閉った戸の意であり、高天原と黄泉国とを隔てる戸の意となります。騰戸と読めば、風呂に入り、終って上って来る時に浴びる湯を「上り湯」という事から、別の意味が出て来ます。

 殿とは「との」または「あらか」とも読みます。御殿(みあらか)または神殿の事で、言霊学から言えば五十音図表を示します。五十音図では向って右の母音から事は始まり、八つの父韻を経て、最左側の半母音で結論となります。すると、事が「上る」というのは半母音に於てという事となり、騰戸(あがりど)とは五十音図の半母音よりという事と解釈されます。高天原より客体である黄泉に出て行くには、半母音ワ行より、という事が出来ます。騰戸(あがりど)と読むのが適当という事となりましょう。

 伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。

 伊耶那岐の命は伊耶那美の命に語りかけました。「愛する妻神よ、私と貴方が力を合わせて作って来た国がまだ作りおえたわけではありません。これからも一緒に仕事をするために帰って来てはくれませんか。」岐美の二命は共同で言霊子音を生み、次に岐の命は一人で五十音言霊の整理・運用法を検討し、建御雷の男の神という文明創造の主観原理を確認しました。この主観内原理が客観的にも真理である事が確認された暁には、また岐美二神は力を合わせて人類文明を創造して行く事が出来る筈です。ですから帰ってきて下さい、という訳であります。

 ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と 論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、

 伊耶那美の命は答えました。「残念な事です。お別れして直ぐに尋ねて来て下さいませんでした。その間に私は自分の責任領域である外国の客観世界の学問や言葉を覚えてしまいました。けれど愛する貴方様がわざわざ来て下さった事は恐れ多い事ではあります。ですから帰ることにしましょう。しかし、その前に外国の学問や文字の神々と将来の事を相談しなければなりません。その間私の姿を見ないで下さいね」と。黄泉国の学問・文化はまだその頃は研究が始まったばかりで、はっきりした成果があがっていない事を伊耶那美の命は恥ずかしく思い、姿を見ないで下さい、と言ったのであります。

 かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

 そう言って伊耶那美の命はその責任領域である客観世界に還って行きましたが中々出て来ません。伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れてしまいました。客観的物質文明はこの揺籃時代より今日まで、その建設に四・五千年を要した事を考えますと、岐の命が待ち草臥れた、という事も頷かれます。

 かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、

 髻(みづら)とは古代の男の髪の形の一種で、頭髪を左右に分けて耳の辺りで輪にします。湯津爪櫛とは前出の湯津石村と同じで、湯津とは五百箇(いはつ)の意であります。五数を基調とした百箇の意。爪櫛(つまぐし)とは髪(かみ)(神・五十音言霊)を櫛(くし)けずる道具です。五十音図は櫛の形をしています。そこで湯津爪櫛の全体で五十音言霊図の意となります。男柱とは櫛を言霊図に喩えた時の向って一番右側の五母音の並び、言霊アオウエイの事であります。その一箇(ひとつ)ですから五つの母音の中の一つの事を指します。妻神伊耶那美の命恋(こい)し、と思う心なら言霊アであり、黄泉国の様子に好奇心を持ってなら言霊オとなりましょう。その一つの心でもって黄泉国の中に入って行って、その国の客観的世界の有様をのぞき見たのであります。

 蛆たかれころろぎて、

 伊耶那岐の命が黄泉国の中をのぞいて見ると、伊耶那美の命の身体には蛆(うじ)が沢山たかっていた、という事です。蛆(うじ)とは言霊ウの字の事を指します。言霊ウの性能である人間の五官感覚に基づく欲望の所産である種々の文化の事を謂います。この頃の客観世界の物質文化はまだそれ程発達しておらず、高天原の精神文化程整然としたものではなかったのです。その雑多の物質科学の研究の自己主張が伊耶那美の命にたかり附いて、音をたてていた、という事であります。「ころろきて」とは辞書に「喉(のど)がコロコロと鳴る様」とあります。

 (かしら)には 大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

 雷神(いかづちかみ)とは、五十神である五十音言霊を粘土板に刻んで素焼にしたもの、と前に説明した事がありましたが、ここに出る雷神は八種の神代表音文字である山津見の神のことではなく、黄泉国外国の種々雑多な言葉・文字の事であります。高天原から黄泉国に来て暫く日が経ちましたので、伊耶那美の命の心身には外国の物の考え方、言葉や文字の文化が浸みこんでしまって、そのそれぞれの統制のない自己主張の声が轟(とどろ)き渡っていた、という事であります。ここに出ます黒雷より伏雷までの八雷神は黄泉国の言葉と文字の作成の方法のことで、言霊百神の数には入りません。



ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。


 古事記の神話のクライマックスである文章を先に進めます。

 ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

 かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。

 先月号にて解説しました古事記の文章「ここにその妹伊耶那美の命を相見ましくおもほして、黄泉国に追ひ往でましき。……」より、今取り上げました「出雲の国の伊織夜坂といふ」までが、伊耶那岐の命が自らの主体内真理の自覚である建御雷の男の神という精神構造を、主体であると同時に客体的にも真理である事を證明するために、高天原から黄泉国に出て行き、其処で伊耶那美の命の主宰する黄泉国の整理されていない諸文化を体験し、その騒々しさに驚いて高天原に逃げ帰るまでの話であります。

 以上の高天原の精神文明と黄泉国の物質文明との関係、伊耶那岐の命と伊耶那美の命との交渉という経緯を、古事記は物語的に「黄泉国」と題して叙述し、次にその経緯を純粋に言霊学による検討として「禊祓」と題して原理的に解明し、それによってアイエオウの言霊五十音布斗麻邇の学問の総結論を導き出して行くのであります。この作業によって人間の心の全構造とその運用法の全体が残る処なく解明され、三種の神器の学問体系が確立されます。以上順を追って解説して参ります。

 ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、

 伊耶那美の命の身体に「蛆たかれころろぎて」という、黄泉国の国中に物質文化の発明の主張が我先に自己主張している乱雑さに驚いて、伊耶那岐の命は高天原に逃げ帰ろうとしました。ただ単に逃げ帰るのではなく、黄泉国での体験を基にして、如何にしたらその文化を高天原の建御雷の男の神という精神内原理で吸収し、世界人類の文明として生かして行く事が出来るか、を思考しながら帰って行ったのであります。主体内原理を適用して、それが客体的にも通用する絶対の真理となる為の検討をしながら帰還の道を急いだのです。

 その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。

 「我をな視たまひそ」と言って伊耶那美の命は黄泉国の殿内に入りました。けれど伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れて中を覗(のぞ)いて見てしまいましたので、伊耶那美の命は怒って「私に辱(はじ)をかかせましたね」と言って、黄泉醜女(しこめ)に後を追わせたのであります。醜女とは醜(みにく)い女、また女とは男の言葉に対して女は文字を表わします。黄泉醜女で黄泉国の合理的とは言えない文字の原理を意味します。美の命は黄泉国の文字の文化で岐の命を誘惑しようとした訳であります。

 ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。

 縵(かづら)は鬘(かづら)とも書き、鬘(かつら)とは書き連ねるの意であり、また頭にかぶせる事から、五十音図の上段であるア段の横の列の事を指します。黒御縵の黒は白に対する色で、白は陽で、主体側の父韻タカサハを表わし、黒は陰で、客体側のヤマラナの事となります。主体側は問いかけ、客体側はその問に答える事でありますから、黒御縵全体で、五十音図の上段の客体側の列のこと、即ち物事や現象を精神である主体から見た時の結論という事となります。伊耶那岐の命は黄泉醜女の誘惑に対して、精神から物事を見た時の結論を投げ与えてやった、という訳であります。すると蒲子(えびかづら)が生(は)えた、といいます。蒲子(えぴかづら)とはエ(智恵)の霊(ひ)(言霊)を書き連ねたもの、の意であります。現象を観察・研究するのに有用な精神原理の事であります。尚、蒲子とは山葡萄(やまぶどう)の事です。

 こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

 「これはよい物がある」と、黄泉醜女が拾って自分のものにしようとしている間に伊耶那岐の命は高天原への帰還の道を急ぎました。醜女は尚追って来ましたので、岐の命は右の御髻(みみづら)に刺した湯津爪櫛を投げ棄(す)てましたところ、筍(たけのこ)が生えました。御髻とは以前にも出ましたが、頭髪を左右に分け、耳の所で輪に巻いたものです。顔を五十音言霊図に喩えますと、右の御髻は五十音図の向って左の五半母音の並びとなります。そこに刺している湯津爪櫛と言えば、湯津とは五百箇(いはつ)の意で、五を基調とした百音図のことで、また爪櫛とは髪(かみ)(神・言霊)を櫛(くしけずる)もので、湯津爪櫛全部で五十音言霊の原理となります。左の御髻は五母音であり、主体であり、物事の始めです。反対に右の御髻は五半母音であり、客体であり、物事の終りであり、結果・結論を意味します。そこで右の御髻に刺した湯津爪櫛を投げたという事は、伊耶那岐の命は醜女に言霊原理から見た時の客観世界の現象の結論を投げ与えた、という事になります。すると筍が生えました。笋(たかむな)とは田の神(か)(言霊)によって結(むす)ばれた現象の名という事で言霊より見た物事の現象の原理と同意義となります。筍(たけのこ)と読んでも同様であります。

 実際に人類史上、物質科学研究が起こった初期の頃は、精神の原理を物質研究に当てはめた方法が用いられました。今に遺る天文学・幾何学・東洋医学等を見れば了解出来ましょう。また日本の一部で伝えられているカタカムナの学問も同様の事であります。伊耶那岐の命が「右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄てた」という精神原理から見た物質現象の結論を黄泉醜女が取り入れて研究した、と解釈しますと、その消息が理解されます。

 こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。

 笋を抜いて食べている間に伊耶那岐の命は高天原への道を急ぎました。すると伊耶那美の命は黄泉国の文字を作る八種の原理に千五百の黄泉国の軍隊を加えて伊耶那岐の命を追わせました。八くさの雷神とは黄泉国の言葉を文字に表わす八種類の文字の作成法のことです。千五百の黄泉軍(よもついくさ)とは、先に千五百人の黄泉国の軍隊と書きましたが、それは古事記の文章の直訳で、実際では全く違ったものであります。三千を「みち」即ち道と取りますと、千五百はその半分です。三千の道の中で、その半分は精神の道、残りの半分は物質の現象を研究する道の事となります。また千五百(ちいほ)の五百(いほ)は五数を基調とする百の道理の意でもあります。五数を基調とする道理となりますと、主として東洋の物の考え方が考えられます。例えば、儒教の五行、印度哲学の五大もそうです。としますと、八くさの雷神と千五百の黄泉軍という事は西洋と東洋の物の考え方、即ち高天原日本以外の世界の思想のすべてという事となりましょう。その世界中の物の考え方が伊耶那岐の命を虜(とりこ)にしようとして追いかけて来たというわけであります。

 ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、

 世界中の客観的現象の研究の考え方が誘惑しようとして追って来ましたので、伊耶那岐の命は十拳の剣を抜いて後向きに振りながら逃げて来ました。十拳の剣とは、前にも出ましたが、物事を十数を基調として分析・総合する天与の判断力の事であります。この判断力を前手(まえで)に振ると、一つの原理から推論の分野を広げて行き「一二三四五……」と次々に関連する現象の法則を発見して行く、所謂哲学でいう演繹的(えんえき)思考の事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手(しりへで)に振ったのですから、その反対に、物事の幾多の現象を観察し、そこに働く法則を見極め、それ等の法則が最終的に如何なる大法則から生み出されて行ったものであるか、演繹法とは逆に「十九八七六五……」と大元の法則に還元して行く、哲学で謂う帰納法の思考のことであります。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振る思考作業によって、黄泉国の客観的に物事を見る種々の文化・主義・主張を観察し、その実相と法則を五十音言霊で示されるどの部分を担当すべき研究であるか、を見定め、それによって黄泉国の文化のそれぞれを人類文明創造のための糧(かて)として生かす事が出来るか、を検討し、その事によって自らの主観内に自覚されている建御雷の男の神という五十音図の原理が、黄泉国の文化全般に適用しても誤りない客観的・絶対的真理であるか、を確認しながら高天原に急いだのであります。

 なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、

 八くさの雷神と千五百の黄泉軍(いくさ)はなお追って来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に来ました。黄泉比良坂とは、比良は霊顕(ひら)で文字の事で、比良坂の坂とは性(さが)の意です。黄泉比良坂で黄泉国の文字の性質・内容という事となります。その坂本とありますから、黄泉国の文字の根本原理という事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振りて、黄泉国すべての文化を高天原の言霊原理に還元してその夫々を人類文明創造の糧として生かす事が出来るかを検討し、その結果、黄泉国の文字作成の根本法則(坂本)に至りました。という事は、伊耶那岐の命が黄泉国の文化の根元を隅々まで知り尽くし、それを吸収し、揚棄して、人類文明に役立てる事が出来るという自覚に立ち至ったという事を意味するでありましょう。即ち伊耶那岐の命は自らの心の中に自覚した建御雷の男の神の音図構造が、如何なる外国の文化に適用しても誤りない客観的真理であること、そこで主観的真理であると同時に客観的真理でもある絶対的真理である事の證明を確立した事になります。

 その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

 高天原日本以外の国々のすべての文化を十拳の剣で分析・総合し、黄泉国の文字の根本原理の内容を悉く知り尽くしました。黄泉国の文化の内容の全部の検討が終り、黄泉比良坂の坂本に到着したという事は、坂本が黄泉国と高天原との境界線になっているという事が出来ます。言い換えますと、此処までが黄泉国、ここから先は高天原となるという地点であります。となりますと、坂本に至ったという事は高天原への入口に到着した事ともなります。先に伊耶那岐の命は妻神を追って高天原より殿の騰戸(あがりど)から黄泉国に出て行きました。騰戸とは高天原の言霊構成図で半母音のワヰヱヲウの事と説明しました。殿の騰戸と言えば、高天原から黄泉国への出口であり、黄泉比良坂の坂本と言えば、黄泉国から高天原への入口という事になります。

 黄泉比良坂まで逃げ帰った伊耶那岐の命は、坂本と境をなす高天原の五半母音の列(左図参照)の中のヱヲウの三言霊を手にとって、黄泉軍を撃ったのであります。言霊五十、その運用法五十、計百個の原理を桃(百[も])と言います。その子三つとは半母音ヱヲウの三言霊です。伊耶那岐の命は黄泉国より逃げ帰りながら、十拳の剣を後手に振って、黄泉国の文化の一切を人類文明に吸収処理する方法を確立する事が出来ました。その処理法には主として三つがあります。一つは黄泉国の五官感覚に基づく欲望性能より現出する産業・経済活動を処理する方策の結論である言霊ウ、次に経験知よりの主張を処理する結論である言霊ヲ、また、その次の総合運用法の処理法である言霊ヱの三つを「桃の子(み)三つ」と呼びます。この三つを持って八くさの雷神と千五百の黄泉軍を撃ちますと、「我々黄泉国の文化の客観的研究法からでは到底これ等の処理法を手にすることは不可能だ」と恐れ入って逃げ帰ってしまったのであります。

 ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

 伊耶那岐の命は桃の実に申しました。「お前が私を助けたように、この日本の国に住むすべての人々が、困難な場面に陥って苦しい目にあう時には、助けてやって呉れよ」と言って意富加牟豆美の命という名を授けました。意富加牟豆美とは大いなる(意富[おほ])神(加牟[かむ])の御稜威[みいづ](豆美[づみ])の意であります。御稜威とは権威とか力とかいう意味です。

 余談を申しますと、梅若の狂言にある「桃太郎」では、仕手[しで](主役)の桃太郎は自らを意富加牟豆美の命と名乗ります。おとぎ話の桃太郎は川に流れてきた桃の実から生まれ、お爺さんとお婆さん(伊耶那岐の命・伊耶那美の命)が育てる。桃とは言霊百神の事であり、百神の原理より生まれた太郎(長男)と言えば、三貴子(みはしらのうづみこ)天照大神、月読命、須佐之男命の一番上の子、即ち天照大神のこととなります。古事記神話の桃の子三つとは五十音言霊図の一番終わりの列(五半母音)の結論を表わします。そのヱヲウの三音が桃の子(み)三つという事になりますから、意富加牟豆美の命と天照大神とは同じ内容であることが分ります。

 最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。

 黄泉国の言葉から作成する八種の文字原理全部と高天原以外の外国の文化すべてが、伊耶那岐の命が手にした桃の子三つの真理には遠く及ばない事を知って引き返してしまいましたので、黄泉国には高天原の言霊原理に太刀打ちする事が出来るものは一つもなくなりましたので、黄泉国の文明創造の責任者・主宰者である伊耶那美の命自身が自ら伊耶那岐の命を追いかけて来ました。いよいよ高天原と黄泉国の両総覧者が向い合って力比べをする事となります。

 ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

 ここまでは黄泉国、これから先は高天原という境界線が黄泉比良坂です。その高天原と黄泉国との境界線に千引の石を、越す事ができないものとして据え置いて、その千引の石を中にして伊耶那岐の命と伊耶那美の命とは各自向き合って立ち、言葉の戸(事戸)を境界線に沿って張りめぐらす時に、の意味となります。事戸を度す事を日本書紀では「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)と書いております。即ち夫婦の離婚の宣言という事になります。事戸または言戸を夫婦の中に置きわたす事とは、夫と妻とが双方の関係を絶って(事戸)、今まで共通していた言葉に戸を立て、話が通じなくなってしまう事も同様に夫婦離婚という意味と受取られます。高天原を構成する言霊五十音を伊耶那岐・美の二神は協力して生んで来ました。それなのに今になって離婚する事態に立ち至ったのは如何なる訳でありましょうか。

 先ず千引(ちびき)の石(いは)の解釈から始めます。千引の石の千引とは道引き、または血引きと考えられます。石(いは)は五十葉(いは)で五十音言霊の事です。字引きとは字の意味・内容を示す書の事です。千引を道(ち)引きととれば、道である物事の道理・原理である五十音となります。千引を血引きととれば、伊耶那岐の命と伊耶那美の命両方の血を引いて生れた言霊五十音、特にその中の三十二個の言霊子音の事と解することが出来ます。

 伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命を追って客観世界研究の領域である黄泉国へ行き、その文化を体験し、その不整備・雑然さに驚いて主観世界の整備された高天原へ逃げて来ました。その高天原への帰途、追いかけて来る黄泉国の一切の客観世界の文化を、十拳の剣を後手に振る事によって分析・検討し、その上に自己内に自覚した建御雷の男の神という原理を投入し、その原理によるならば、一切の黄泉国の文化を摂取して、人類文明の創造の糧として役立たせ、所を得しめる事ができる事を證明したのであります。その検討・分析の結果の一つとして、黄泉国の客観世界研究の方法は、伊耶那岐の命が完成・自覚した高天原の主観世界の研究方法とは全く異質のものであり、黄泉国の研究とその成果は、少なくともその研究の究極の完成を見るまでは、高天原の精神文明の成果と比較・照合・附会(ごじつける)する事が出来ないという事がはっきり分ったのであります。その為に伊耶那岐の命は黄泉国の一切の主義・主張・研究・言語・文字の内容を確認し終り、高天原へ帰還する直前に、黄泉国と高天原の境界線である黄泉比良坂に於て、言霊五十音、特にその奥義である言霊子音三十二個を以て言葉の戸を立て廻らし、黄泉国の思想が決して高天原には入って来られない様に定め、伊耶那岐の命は伊耶那美の命に事戸の度し、日本書紀で謂う「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)なる離婚宣言をする事となります。古事記の中のこの「事戸の度し」は単なる岐美二神の離婚の物語として述べられておりますが、言霊学上の「事戸の度し」は、人類の文明創造上の厳然たる法則として、精神界の法則と物質界の法則とは、その研究途上の法則にあっては、決して同一場に於て論議することの出来ないものであるという大原則を宣言したものなのであります。古事記の編者、太安万侶が完成された精神文明と、発展し続け、遠い将来に於ての完成が望まれる物質科学文明との双方にわたりかくも深い洞察力を持っていた事を思う時、畏敬の念を新たにするのであります。


ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。

また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。


禊ぎ祓え


 これより「身禊」の章に入り、解説して行きます。

 ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

 ここを以ちて、とは伊耶那岐の命が妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国の文化を体験し、その内容と、黄泉国の文化を摂取して世界人類の文明創造に組み入れる方法をも確認し、その結果、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明とでは同一の場で語り合う事は出来ないという決定的相違を知り、岐の命と美の命とは高天原と黄泉国との境に置かれた千引の石を挟んで向き合い、離婚宣言をした事を受けての言葉であります。


 伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、……

 この文章を読んで奇異に感じる方もいらっしゃるかと思います。今までの古事記の文章では伊耶那岐の命または伊耶那岐の神といわれて来ました。ここに来て初めて伊耶那岐の大神と大の字が附けられたのは、ただ単に尊称として大の字を附したのではありません。そこには重大な意味が含まれています。この事について説明して参ります。古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係として、相対的立場と絶対的立場という事をお話した事があったのを御記憶の方もいらっしゃると思います。相対的立場とは主体と客体が相対立した場合の立場であり、絶対的立場とは一体となった場合の事であります。正(まさ)しく伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。二人の命が一体となる、とはどういう事なのでありましょうか。この事を理解しませんと、これより説明をします古事記の総結論に導く「禊祓」の法というものの理解が難かしくなってしまう事が考えられます。そこで、この大神という名の意味を詳しく説明いたします。


 客体と一体となった主体の心とはどんな心なのでしょう。卑近な例で言えば、お母さんが赤ちゃんに対する心と言う事が出来ます。赤ちゃんが普段と違う泣き声をしている。掌を頭に当てて見て「あっ、熱があるみたい」と思う時は、赤ちゃんとお母さんはまだ主体と客体が対立した相対的立場に立っている、という事です。熱を計り、「三十八度近くある」と知り、「どうしてだろう」と考えている時もお母さんは赤ちゃんの事を客体として観察しています。けれど「昨夜、暖かいと思って薄着にさせたのがいけなかったに違いない」と知って、お母さんが反省した時からは、お母さんは自分が病気になった時以上に申訳なく思い、心配します。赤ちゃんを病気にさせたのは百パーセント自分のせいだ、という様に悔やみ、心配します。この時、お母さんと赤ちゃんは一体となっています。主体と客体が一体となる絶対の立場となります。


 主体と客体の相対と絶対の立場をもう少し掘り下げて考えてみましょう。時々お話する事ですが、人間の心は五段階の進化を遂げます。人間は生まれた時から五段階の性能が備わっています。ウオアエイの五次元性能です。けれど人間はそれを知りません。言霊学に出合って初めてそれを知り、言霊学を学ぶ事によって一段々々とその自覚を確立させる事が出来ます。その自覚の進化の順序はウ(五官感覚による欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(創造意志)の順です。以上の五段階の進化の中で、人間の主体と客体との関係はどう変わっているか、を考えることにします。


 先ずは言霊ウの欲望性能では、何々が欲しい、何々になりたい、という欲望行為は、その欲望の対象であるものを客体として、その獲得のために努力し、また手練手管を駆使してその対象である目的に近づきます。この段階の主体と客体は飽くまで相対関係にあります。次の言霊オの経験知識性能ではどうでしょう。研究したいものを客体とし、主体はその客体について観察、比較等を繰り返して、客体の動きを法則化して行きます。この次元の場合も主体と客体とは飽くまで対立し、相対の立場にあると言えます。


 第三段階の言霊ア(感情)の性能に到って様相を異にして来ます。醜いもの、臭いもの、嫌なものを見聞きして、「いやだ、気持悪い、憎い」と思っている内は主体と客体は相対の立場をとっていますが、大層美しい物や事に遭遇しますと、自然感動し、我を忘れます。また気の毒な人に会うと同情します。美しいものに感動し、自分ならざる人に同情する心、それは純粋感情と呼ばれ、愛とか慈悲の心、滅私の心であり、主体(自我)と客体が同一化してしまった場合に見られます。先程述べた赤ちゃんに対するお母さんの心もその一例でしょう。この時、主体と客体は絶対の関係となります。


 以上の言霊アの性能が社会の活動となって現われたものが芸術や宗教であります。芸術の美と宗教の愛の活動によって世の中に明るさ(光)と慈(いつく)しむ心(愛)が芽生え、楽しい社会がもたらされます。それは感動と同情の心の発露によりましょう。しかしながら愛や慈悲、同情や美的感情が客観としての社会に影響を及ぼすのは個人または家庭、更には区域社会に限られます。広く国家全体、ひいては世界人類に対してはほとんど何らの影響を与える事が出来ないのが現状です。何故なのでしょうか。芸術や宗教は人間のヒューマニズム的心情に光を与える事はあっても、人類全体の歴史をどう見るか、人類の明日よりの創造を如何に計画するか、の方策と理論を持ち合わせていない為であります。言霊学の教える人間の心の進化の三段目である言霊アの確認は出来ても、第四、第五の次元、言霊エとイへの進化の自覚が欠けているからであります。言霊アの感情性能は人対人、人対地域社会での主体と客体との絶対関係を立てる事は出来ても、人対人類の主体と客体の関係は相対的なものに終り、人即人類世界の絶対関係に立つ事が不可能だからです。それ故に人は宗教と芸術活動に於いて人類を愛する感情はあっても、人一人が世界と合一し、世界をわが事と思い、愛すると同時に世界歴史の今を合理的に認識し、それに光明を与えて、明日の世界創造の唯一無二の指針を生み出すことが出来ないのです。


 人類世界という自らの外の存在を自らの内に引き寄せ、人類世界と自らが主客絶対の境地に入る為には、言霊学の所謂第四の言霊エ(実践智)と第五の言霊イ(創造意志)の人間性能の自覚が不可欠となります。言霊五十音の原理は人間進化の第五段階、言霊イの次元に存在し、その原理に基づく世界の明日を築く実践智は第四段階の言霊エから発現します。この第四と第五の進化の自覚の下に人は「我は人類であり、人類とは我の事である」の我と人類との絶対関係が成立し、その活動は人間の心の今・此処(中今)に於て行われ、人類が歩むべき道が絶対至上命令として発動されます。


 長々とお話をして参りましたが、古事記の禊祓に登場する伊耶那岐の大神とは、右の如き立場に立った伊耶那岐の命の事をいうのであります。それは主体である伊耶那岐の命が客体である伊耶那美の命を包含した主体の事であり、それはまた高天原の建御雷の男の神なる精神構造を心とし、黄泉国の次々と生産される文化の総体を体とするところの世界身、宇宙身としての伊耶那岐の命のことでもあります。以上伊耶那岐の大神の意味・内容について解説いたしました。


 「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、……

 いな醜め醜めき穢なき国とは黄泉国の事であります。そこでは人各自の経験知による客観世界の研究の成果を自分勝手に自己主張して、乱雑で整理されていない大層みにくい、汚(きた)ない国だ、という事です。穢なきとは生田無(きたな)いの意。生々した整理された五十音図表の如き整然さを欠いている文化の国といった意味であります。そういう汚ない国へ行って来たので自分の身体の禊祓(みそぎはらひ)をしよう、と言った訳であります。但し、禊祓とは現在の神社神道が言う様な滝や川の水を浴びたりして、個人の罪穢れを払拭するという個人救済の業ではありません。そのために「身体」と言わず「御身」(おほみま)という言葉が使われています。伊耶那岐の大神で説明いたしましたように、御身とは単なる伊耶那岐の命の身体という事ではなく、黄泉国の主宰者である伊耶那美の命という客体を中に取り込んだ主体としての伊耶那岐の命、高天原の言霊原理を心とし、黄泉国の全文化を身体とした意味での我(われ)である伊耶那岐の命、即ち伊耶那岐の大神の身体を御身(おほみま)と呼びます。


 でありますから、「御身の禊(はらひ)せむ」とは、単に「自身の穢れを払おう」というのではなく、「黄泉国へ行って、乱雑極まりない自己主張の文化を体験して来た今までの自分自身の過去の姿をよく見極め、それを五十音言霊図上にてそれぞれの時所位を決定し、それに新しい生命の光を与えて、世界人類の文明を創造する糧に生かして行こう」という行為なのであります。何故「御身の禊せむ」がこの様な意味となるかは、これより始まる古事記の禊祓の行法の詳細がそれを教えてくれます。


 右の事に関して挿話を一つ申上げます。この古事記の文章の「御身」に対して、岩波書店版は「みみ」とルビを振り、角川書店版は「おほみま」とルビしておりますが、右の一連の解説から推察して「おほみま」の方が正しいように思われます。


 竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

 竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。


 伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。


ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。

かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。


 いよいよ人間精神上最高の心の働きである「禊祓」の言霊学上の解明が行われる事となるのですが、ここで今までに幾度となくお話した事ですが、この禊祓が行われる場面の状況について重ねて確かめておき度いと思います。


 伊耶那岐の命と伊耶那美の命は共同で三十二の子音言霊を産みました。ここで伊耶那美の命は子種が尽き、自分の仕事がなくなったので、本来の住家である物事を客観的に見る黄泉国(よもつくに)へ高天原から去って行きました。


 一人になった伊耶那岐の命は先天十七言霊と後天三十二言霊、計四十九言霊をどの様に整理・活用したら人間最高の精神構造を得るか、を検討して、建御雷の男の神という音図を自覚することが出来ました。


 この主観内の自覚である精神構造が、如何なる世界の文化に適用しても人類文明創造に役立ち得る絶対的真理である事を証明しようとして、伊耶那美の命のいる黄泉国へ高天原から出て行き、そこで整備された高天原の精神文明とは全く違う未発達・不整備・自我主張の黄泉国の客観的文化を見聞きして、驚いて高天原へ逃げ帰りました。


 逃げ帰る道すがら、伊耶那岐の命は十拳(とつか)の剣の判断力で黄泉国の文化の内容を見極め、黄泉国の客観世界の文化と高天原の主観的な精神文化とは同一の場では語り得ないという事実を知り、同時にその客観世界の文化を摂取して、高天原の精神原理に基づいてその夫々を世界人類の文明の創造の糧として生かして行く自らの精神原理(建御雷の男の神)が立派に役立つものである事をも知ったのであります。


 以上簡単に述べました事実を踏まえながら、伊耶那岐の命は自ら体験した黄泉国の文化の内容を、世界人類の文明創造に組入れて行く行法を「禊祓」という精神の学問、即ち言霊原理として体系化する作業に入って行きます。更に申しますと、右の状況を踏まえる事、同時に伊耶那岐の大神の立場に立つ事、言い換えますと、伊耶那岐の命の高天原の原理を心とし、黄泉国の伊耶那美の命の心を自らの身体と見る伊耶那岐の大神の立場に立つ事という二つの条件を満たした時、初めて「禊祓」の大業が成立することとなります。これよりその作業の実際について解説して行きます。


 かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

 杖(つえ)とは、それに縋(すが)って歩くものです。その事から宗教書や神話では人に生来与えられている判断力の事を指す表徴となっています。投げ棄つる、とは投げ捨てる事ではなく、物事の判断をする場合にある考えを投入する事を言います。判断の鏡を提供する意味を持ちます。


 衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。

 衝き立つ、とは斎き立てるの謎です。判断に当って、その基準となる鏡を掲げることであります。その鏡とは何なのかと言いますと、先に伊耶那岐の命が五十音言霊を整理・検討して、その結論として自らの主観内に確認した人間精神の最高構造である建御雷の男の神という五十音言霊図であります。船は人を運ぶ乗物です。言葉は心を運びます。その事から言葉を船に譬えます。神社の御神体としての鏡は船形の台に乗せられています。でありますから、船戸の神とは、船という心の乗物である言葉を構成する五十音言霊図の戸、即ち鏡という事になります。衝き立つ船戸の神とは、物事の判断の基準として斎き立てられた五十音言霊図の鏡の働き(神)という事になります。此処では建御雷の男の神という五十音図の事です。


 禊祓という行法の作業の基準として斎き立てた建御雷の男の神という五十音言霊図の事を衝き立つ船戸の神と呼びます。という事は、建御雷の男の神と衝き立つ船戸の神とは、その内容となる五十音言霊図は全く同じものであり、その現われる時・処によって名前が変わるだけという事になります。では何故建御雷の男の神という一つの神名で終りまで押し通さないのでしょうか。そこに古事記神話の編者、太安万侶の深謀が窺えるのであります。この事について説明を挿し挟む事とします。


 右のように書きますと、伊耶那岐の大神が自らの心の中に斎き立てた衝き立つ船戸の神が、前に出て来ました建御雷の男の神であるという事が自明のように思われるかも知れません。けれど実際には古事記神話の何処にもそんな記述はありません。また同時に言えます事は、これから後の言霊百神を示す神話の中に衝き立つ船戸の神という神名が唯の一つも出て来ないのであります。言霊布斗麻邇の学問の結論となる「禊祓」の行法の判断の基準として不可欠な衝き立つ船戸の神の正体を明らかにせず、また禊祓の実践の最中にもその神名さえも書かず、ただ実践の最初にのみ「投げ棄つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸の神」と一度だけ書いた太安万侶の意図は何処にあったのでしょうか。


 それは禊祓と呼ばれる言霊布斗麻邇の学問の総結論に導くための人間精神の最高の行法が、単なる自我を救済する自利の道ではなく、また自分と相向う客観としての他を救う単なる利他の道でもなく、自らに相対する他を包含した自分、即ち客体と一体となった主体である宇宙身自体を清めるというスメラミコトの世界文明創造の業である事を後世の日本人に知らせるための太安万侶の大きな賭であったのでありましょう。何故なら伊耶那岐の大神の宇宙身である御身という意味を理解しない限り、後世の人々が想像だに出来ない禊祓の真意義を説くに当って、太安万侶は古事記の神話という謎物語の中での最大の謎をここに仕掛けたのであります。それは考えに考えた末の決断であったのです。「知らせてはならず、知らさいではならず、神はつらいぞよ」という大本教祖のお筆先はこの事情をよく物語っていると言えましょう。衝き立つ船戸の神の内容が建御雷の男の神であるという事は、古事記神話全体の文章の流れの把握によってのみ言い得る事なのです。


 さて伊耶那岐の大神は御杖に続いて自分の身につけているものを次々に投げ棄ち、合計五神が誕生します。これ等の五神は禊祓の実行のため基準の鏡となる衝き立つ船戸の神とは違い、伊耶那岐の大神が自らの身体として摂取する黄泉国の文化を、その内容について詳しく調べる為の五つの条項を示す神名なのであります。その一つ一つについて解説をして参ります。


 次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。

 次に御帯を投入しますと、道の長乳歯の神が生まれました。道とは道理という事。長乳歯とは、子供の生え揃った歯が一本も欠ける事なく長く続いて並んでいるの意であります。投げ棄つる御帯の帯とは緒霊の意で、心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。そこで道の長乳歯の神とは、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きという事になります。黄泉国の文化が他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。


 次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神

 古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。また時量師の神を時置師(ときおかし)の神と書いてある書もあります。これはどちらでも同じ意味であります。そこで御裳(みも)として説明して行きます。


 裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意となります。また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。


 現象の移り変わりが時間を表わすとはどういう事なのでしょうか。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という有名な俳句があります。冬の厳しい寒さを耐え忍んで来て、或る日、ふと空を見上げると、庭前の梅の木の枝の先に梅の花が一輪蕾を開かせようとしているのが目に止まりました。まだ寒さは厳しいが、梅の花が咲こうとする所を見ると春はもうそこまで来ているのだな。そう思ってみると、朝の寒風の中にも何処となく春の気配の暖かさが膚に感ぜられるような気がする、という感じの句です。つい先日まで枝の先の梅の蕾は固く小さかったのに、今朝は一輪が咲き初めて来た。「あゝ、春はもう近いのだ」と季節の移り変わりを知ります。物事の現象の変化が時を表わすとはこの様な事であります。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」の句は更に強烈に秋の季節の到来を告げています。


 以上のように物事の姿の変化のリズムが時の変化だという事が出来ます。物事の姿の変化という事がなければ、時というものは考えられません。実相の変化が時の内容であると言う事であります。人間が日常経験する大自然の変化、また人間の営みの変化にも、それぞれ特有の変化のリズムが見てとれます。このリズムを五十音言霊図に照合して調べ検討する働きを時量師の神というのであります。私達がアオウエイ五次元相に現われる現象の変化のリズムを八父韻の配列によって認識する働きの事です。


 ここでウオアエイの各次元に働きかけ、適合する時量師(時置師)の父韻配列を列挙して置く事にしましょう。

   言霊ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木音図

     オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠音図

     ア次元 チキリヒシニイミ 宝音図

     エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞音図

     イ次元 チキシヒミリイニ 天津菅麻音図


 宇宙から種々の現象が現われて来ます。その現われて来る現象を唯一つの現象として特定化するのは、宇宙の内容を示す五十音言霊図の中の縦の母音の並びによる次元、横の父韻の変化に基づく時間、両者の結びによる空間の場所、即ち時・所・位(次元)の三者によって行われます。それ故現象(実相)には必ず時処位が備わっています。古事記には時量師の神しか書かれてありませんが、実際には処量師、位量師もある筈であります。その事から時間とは空間の変化であり、空間は時間の内容という事が出来ます。時間のない空間はなく、空間のない時間はありません。そして時間も空間もアオウエイと畳(たたな)わる次元の中の一つの広がりについて言える事であります。時間と空間は次元の一部であるという事です。これ等のことは、宇宙の全容を示す言霊五十音図表について考えれば一目瞭然であります。その時間と空間の畳(たたな)わりが次元宇宙なのです。


 次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。

 御衣とは衣の事で、心の衣である五十音言霊図の事です。煩累の大人の神とは、煩累が意味がアイマイで、不明瞭な言葉のことであり、大人とは家の主人のこと、その神名全部で五十音言霊図に参照してアイマイで意味不明瞭な言葉を整理・検討して、その言葉の内容をしっかり確認する働き、という事であります。煩累の大人の神を和豆良比能宇斯能神と書いた古事記の本もありますが、意味は同じであります。


 次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。

 褌(はかま)とは腰より下にはいて、股(また)より下が二つに分かれている衣類のことです。道俣(ちまた)も道の一点で、二方向に分かれる場所のことです。物事の内容を明らかにするには、上下・表裏・陰陽・主客・前後・左右・遅速等の分離・分岐等の事実を明らかにする必要があります。道俣の神とは言霊図に照合して物事の分岐点を明らかに確認する働きのことであります。


 次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

 冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるものです。五十音図で言えば一番上のア段に当ります。物事の実相はアオウエイ五次元の中のア段に立って見ると最も明らかに見ることが出来ます。芸術がア段より発現する所以であります。飽咋の大人の神の飽咋(あきぐひ)とは明らかに組む霊(ひ)の意です。物事の実相を明らかに見て、それを霊(ひ)である言霊を以て組むの意となります。大人とは主人公の事。御冠である五十音図のア段と照らし合わせて、物事の実相を言霊で明らかに組んで行く働きという事です。


 以上で禊祓の行を実行する基準となる衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)と、摂取する黄泉国の文化を整理・検討して、その内容や実相、また時処位等を明らかにする五つの働き(道の長乳歯の神・時量師の神・煩累の大人の神・道俣の神・飽咋の大人の神)を解説いたしました。これ等六神の謎解きについては御理解を得られた事と思います。これまでのお話で禊祓を行う下準備は完了しました。これよりいよいよ禊祓の実行に取りかかる事となりますが、その実行する手順と手続きの内容を示す神名が極めて難解であります。先に詳細に説明申上げました「伊耶那岐の神」と「御身(おほみま)」という事の意味を理解しませんと、禊祓の行の始めから終りまでが宙に浮いてしまうように、何の事かさっぱり分からなくなります。頭の中でただ理屈の上で考えて頂くだけではお分り難い事となります。是非読者御自身が禊祓の実行者の立場に立ったつもりになって、言い換えますと、読者御自身が「伊耶那岐の大神」になられ、その御自身の「御身」を禊祓なさるおつもりでお聞き願い度いと思います。そういう事で古事記の文章を先に進めます。


 次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

 以上六つの神名が出て来ました。読んだだけではその神名が何を示すものなにか、全く見当もつかない名前であります。先ずその名の文字上の意味から考えることにしましょう。六神名を読んで分かります事は、一番から三番目までの神名のそれぞれの頭に付けられている奥、奥津、奥津と、四番目から六番目までの神名にそれぞれ付けられている辺、辺津、辺津の文字を取り去りますと、一番目と四番目が疎(さかる)、二番目と五番目が那芸佐毘古、三番目と六番目が甲斐弁羅とそれぞれ同じ神名という事になります。この事を先ず頭に入れておいて解釈をすることとしましょう。


 次に投げ棄つる左の御手の手纏とは何か。辞書を引くと、「手纏とは上代、玉などで飾り、手にまとって飾りとしたもの」とあります。伊耶那岐の大神が両手を左右に延ばした姿を五十音図表に喩えますと、左の御手の手纏とは五十音図に向って最右のアオウエイの五母音に当ります。そして右の御手の手纏とは音図の最左の半母音ワヲウヱヰとなります。物事は母音より始まり、八つの父韻の流れを経て、最後の半母音で終結します。そうしますと、「奥(おき)」とは起(おき)で物事の始まりであり、反対に「辺(へ)」とは山の辺に見られますように、物事の終りを表わす事となります。


 次に疎(さかる)とは辞書に「離れる」「遠ざかる」を表わす上代の言葉とあります。そうしますと、奥疎(おきさかる)と辺疎(へさかる)の文字上の意味は明らかになります。即ち奥疎の神とは何かを他の何かから始まりの処に遠ざける働きという事になります。そして辺疎の神とは何かを他の何かから終結する処に遠ざける働きと言う事が出来ます。文字の上での解釈はこの様になりますが、実際にはどういう事になるのかは後程説明いたします。


 次に奥津那芸佐毘古の神、辺津那芸佐毘古の神の文字上の解釈に入ります。奥津・辺津の津は渡すの意です。那芸佐毘古の神とは悉(ことごと)くの(那)芸(わざ)を助ける(佐)働き(毘古)の力(神)という事です。とすると奥津那芸佐毘古の神とは始めにある何かを或る処に渡すすべての芸を助ける働きの力という事となります。辺津那芸佐毘古の神とは終結点に向って何ものかを渡すすべての芸を助ける働きの力と解釈されます。


 次に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神の解釈に入ります。甲斐といえば甲州、山梨県の事となりますが、この甲斐は山峡の峡のことで、山と山との間という意味です。弁羅とは減らす事。甲斐弁羅であるものとあるものとの間の距離を減らすの意となります。そうしますと、奥津甲斐弁羅の神とは、始めにあるものを渡して或るものとの間の距離を減らす働きという事となります。


 辺津甲斐弁羅の神とは、終結点にあるものを渡して、あるものとの間の距離を減らす働きとなります。

 以上で奥疎、奥津那芸佐毘古、奥津甲斐弁羅並びに辺疎、辺津那芸佐毘古、辺津甲斐弁羅、計六神の文字上の解釈を終えたのでありますが、この解釈だけでは実際には何のことなのか、読者の皆様の御理解は得られないと思われます。そこでこの文字上の解釈に基づきながら、禊祓を実行する人の心の中に起る手順・経過について説明して行きます。


 禊祓の業と言いますのは、自分に対する客観的なものの穢れを清めたり、修正したりすることではありません。何度も申上げている事ですが、黄泉国で考え出された文化を、世界身・宇宙身である伊耶那岐の大神が自分自身の身体の中に起ったものとして受け入れ、受け入れた自身の身を禊祓することによって新しい身体としての宇宙身に生まれ変わって行く事、そういう形式で人類文明を創造して行く業であります。


 先ず伊耶那岐の大神は客観世界に起って来た文化を自らの身体の中に起って来たものとして摂取します。摂取した文化を先にお話しました道の長乳歯の神以下五神の働きによってその文化の内容の実相がよく理解し易いように整理・検討します。その作業が終わりますと、次に奥・辺の疎、奥津・辺津の那芸佐毘古、甲斐弁羅の心の中の業の進行に入る事となります。


 奥疎の神、辺疎の神

 伊耶那岐の大神という世界身の中に摂取された黄泉国の文化は、それが実相を明らかにされた時点でも禊祓の洗礼を受けている訳ではありません。伊耶那岐の大神の身体の中に取り入れられただけの状態です。その文化を取り入れた我が身の状態をよく観察して、これに新生命を与えるための業の出発点となる実相を見定める働き、これが奥疎の神であります。もう少し説明を加えましょう。黄泉国の文化をわが身の内のものとして摂取した時は整理されていない文化を身の内に入れたのですから、自らが清められ、新しい生命に生まれ変わらねばなりません。では何処が整理されるべきなのか、禊祓の業の出発点としての自らの黄泉国の文化体験はどう認識すべきなのか、が決定されなければならないでしょう。摂取した文化の実相を見極めて、それを摂取した自らの禊祓の出発点としなければなりません。その出発点(奥)(おき)の状態を見極めて行く働き、これを奥疎と呼ぶのであります。


 行の出発点としての自らの実相が見極められたら、次ぎに禊祓によって新生命に生まれ変わった世界身としての自らは如何なる状態となっているか、の終着点の新世界身の姿がはっきり心に浮び上がります。禊祓の業の目的達成の時の状況が明らかに心中に浮び上がります。この様に禊祓の業によって創り出されて行く結果(辺)の状況の決定、これが辺疎の働きであります。この働きによって黄泉国の摂取された文化がどんな姿に変わって行くかが決定されると同時に、その文化が摂取された後は伊耶那岐の大神の世界身である世界文明がどういう姿に変化・革新されて行くかも決定されます。禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。それは黄泉国の新しい文化を摂取したばかりの伊耶那岐の大神の心の内容から、禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのであります。


かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。

次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

道の長乳歯(みちのながちは)の神。

次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

時量師(ときおかし)の神。

次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

煩累の大人(わずらひのうし)の神。

次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

道俣(ちまた)の神。

次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。

 先月号までにて古事記の所謂伊耶那岐の大神(伊耶那美の命を包含した伊耶那岐の命)と、御身(自らの主観世界を心とし、客観世界を自らの身体とする世界心、宇宙身、宇宙生命)の内容を詳しく説明して来ました。その意味での御身を禊祓するという事は、宇宙身自体の革新事業であり、人類文明の創造行為という事となります。


 その禊祓の行為の規範として伊耶那岐の大神は、自らの主観内に樹立した建御雷の男の神という五十音言霊構造を衝立つ船戸の神と掲げました。次にわが身として摂取する黄泉国の文化の内容を天津菅麻音図上に於て調べる為の五項目として道の長乳歯の神以下の五神名を定めました。かくて言霊布斗麻邇の最終結論に導く行為の準備は整った事になります。そして禊祓が開始されたのであります。


 奥疎(おきさかる)の神、辺疎(へさかる)の神

 黄泉国の文化を身の内に摂取した伊耶那岐の大神は、その摂取した時点のわが身の実相を禊祓する出発点の状況として認定する事から始めます。これを奥疎の神と言います。次にその出発店から禊祓が始まり、その結果、黄泉国の文化が世界文明の内容の一部として取り入れられ、禊祓の行為が終了した時点に於てわが身は如何なる状況に変革されているか、のイメージが明らかに見定められます。この働きが辺疎の神であります。先月号はここまでお話しました。


 奥津那芸佐毘古(おきなぎさひこ)の神、辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神

 奥疎の神の働きで御身(おほみま)の禊祓の出発点の実相が明らかになりました。その出発点で明らかにされた黄泉国の文化の内容をすべて生かして人類文明へ渡して行く働きが必要となります。その働きを奥津那芸佐毘古の神と言います。出発点に於ける黄泉国の文化の内容(奥津那芸)を生かして人類文明に渡す芸(わざ)を推進する(佐)働き(毘古)の力(神)という訳であります。それは過ぎたるを削り、足らざるを補う業(わざ)ではありません。内容のすべてを生かす事によって結論に導いて行く業であります。


 辺津那芸佐毘古の神とは結論(辺)に渡して(津)行くすべての業(那芸)を助(佐)けて行く働き(毘古)の力(神)という事です。辺疎(へさかる)で黄泉国の文化がどういう姿で人類文明に摂取されるかが心中に確認されました。黄泉国の文化がその姿に収(おさ)まらせる事がどうしたら出来るか、の業が決定されねばならないでしょう。そういう業の働きの力を辺津那芸佐毘古の神と言います。禊祓の出発点に於ける黄泉国の文化の内容をすべて生かして行く業(方法)が奥津那芸佐毘古であり、その内容をどういう姿で人類文明に摂取するかの業が辺津那芸佐毘古と言う事が出来ます。


 奥津甲斐弁羅(おきつかいべら)の神、辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神

 奥津那芸佐毘古で禊祓の作業の出発点にある黄泉国の文化の内容を尽く生かす手段が分かりました。また辺津那芸佐毘古でその文化の内容を人類文明の中に同化・吸収する手段が分かりました。出発点の黄泉国の文化を生かす方法と終着点である人類文明に組込む手段とは、実は別々のものではなく、実際には一つの手段でなければなりません。人類文明に摂取する外国文化の内容の尽くを見極め、それを生かそうとする手段と、その内容を衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人類文明の中にその時処位を与える方法とは、実際には一つの行為・手段によって行われるものです。そこで出発点の手段と終着点の手段は一つにまとめられなければならないでしょう。ですからそのそれぞれの間の隔たりは狭められなければなりません。その間の距離を狭める働きが出発点の奥津那芸佐毘古に働く事を奥津甲斐弁羅と言い、終着点の辺津那芸佐毘古に働く事を辺津甲斐弁羅と名付けるのであります。この様にして摂取する外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。

 以上、伊耶那岐の大神が自らの御身の中に於て外国文化を人類文明に組み込んで行く手法を示す奥疎の神以下辺津甲斐弁羅の神までの六神について解説いたしました。お分かり頂けたでありましょうか。


 知訶(ちか)島またの名は天の忍男(あまのおしを)

 以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。


 古事記禊祓の文章を先に進めます。

 ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

 前段の文章で伊耶那岐の大神が黄泉国の文化を摂取した自らの御身(おほみま)の禊祓を実行する際の心理とその過程が明らかとなりました。次にその外国の文化を人類文明に取り入れる禊祓の実施はアオウエイ五次元の中のどの段階に於て行うのが適当なのかが検討されます。説明を続けます。


 「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、

 禊祓をする竺紫の日向の橘の小門(つくしのひむかのたちばなのおど)の阿波岐原(あはぎはら)、即ち天津菅麻音図では母音の並びがアオウエイとなります。その瀬と言いますと、菅麻音図の母音アより半母音ワ、オよりヲ、ウよりウ、エよりヱ、イよりヰに流れる川の瀬という事です。(図参照)


 その上つ瀬と言えばアよりワ、下つ瀬とはイよりヰに流れる川の瀬の事です。言霊アは感情の次元です。世界人類の文明を創造して行くのに感情を以てしては、物事を取り扱う点で直情的になり、自由奔放ではありますが、人間の五段階の性能によって製産されるそれぞれの文化を総合して世界文明を創造して行くには適当ではありません。宗教観や芸術観で諸文化を総合し、世界文明を創造することは単純すぎてア次元以外の文化を取扱う為の説得力に欠けます。そこで「上つ瀬は瀬速し」となります。


 下つ瀬の言霊イの段は人間意志の次元、言霊原理の存する次元です。言霊イの次元は他の四次元を縁の下の力持ちの如く支えて、その働きである八つの父韻は他の四母音に働きかけて現象を生む原動力ではありますが、諸文化を摂取・総合するには、この言霊原理に基づき言霊エの実践智が働かなければ総合活動は生まれません。言霊原理だけ、意志だけでは絵に画いた餅の如く、原則論だけで何らの動きも起りません。「下つ瀬は弱し」となる訳であります。


 禊祓を実践するのに上つ瀬のア段では不適当、下つ瀬のイ段でも適当でない事を確認した伊耶那岐の大神は、菅麻音図の中つ背に下って行ったのであります。


 初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、

 上つ瀬のア段も、下つ瀬のイ段も禊祓の実践の次元としては不適当だという事を確かめた伊耶那岐の大神は、初めて中つ瀬の中に入って行って禊祓をしました。中つ瀬とはオウエから流れるオ―ヲ、ウ―ウ、エ―ヱのそれぞれの川の瀬の事であります。次元オは経験知、その社会的な活動は学問であり、次元ウは五官感覚に基づく欲望であり、その社会に於ける活動は産業・経済となります。次元エからは実践智性能が発現し、その社会的活動は政治・道徳となって現われます。共に文明の創造を担うに適した性能という事が出来ます。


 成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。

 中つ瀬に入って禊祓をしますと、八十禍津日の神、次に大禍津日の神が生まれました。伊耶那岐の大神は禊祓を五次元性能のどの次元に於てすれば文明創造に適当か、を調べ、先ずア段とイ段で行う事が不適当と知りました。そこで上つ瀬と下つ瀬の間の中つ瀬に入って禊祓を行う事にしました。すると最初に不適当だと思った言霊アとイの次元が禊祓を実行するために如何なる意義・内容を持つ次元なのであるか、がはっきり分かって来たのでした。八十禍津日の神と大禍津日の神とは、それぞれ禊祓実行に於てア次元とイ次元が持つ意義内容を明らかにした神名なのであります。


 八十禍津日の神

 人は言霊アの次元に視点を置きますと、物事の実相が最もよく見えるものです。そこで信仰的愛の感情や芸術的美的感情が迸出して来ます。その感情は個人的な豊かな生活には欠かせないものです。けれどこの感情を以て諸文化を統合して人類全体の文明創造をするには自由奔放すぎて役に立ちません。危険ですらあります。禊祓の実践には不適当(禍[まが])という事となります。けれどこの性能により物事の実相を明らかにすることは禊祓の下準備としては欠く事は出来ません。八十禍津日の神の禍津日とはこの間の事情を明らかにした言葉なのです。禍ではあるが、それによって黄泉国の文化を聖なる世界文明(日)に渡して行く(津)働きがあるという意味であります。以上の意味によって禊祓に於ける上つ瀬言霊アの役割が決定されたのです。


 では八十禍津日の八十(やそ)は何を示すのでしょうか。図をご覧下さい。菅麻(すがそ)音図を上下にとった百音図です。上の五十音図は言霊五十音によって人間の精神構造を表わしました。言霊によって自覚された心の構造を表わす高天原人間の構造です。下の五十音図は何を示すのでしょう。これは現代の人間の心の構造を示しています。元来人間はこの世に生まれて来た時から既に救われている神の子、仏の子である人間です。けれどその自覚がありません。旧約聖書創世記の「アダムとイヴが禁断の実を食べた事によりエデンの園から追い出された」とある如く、人本来の天与の判断力の智恵を忘れ、自らの経験知によって物事を考えるようになりました。経験知は人ごとに違います。その為、物事を見る眼も人ごとに違います。実相とは違う虚相が生じます。黄泉国の文化を摂取し、人類文明を創造する為には実相と同時に虚相をも知らなければなりません。そこで上下二段の五十音図が出来上がるのです。


 合計百音図が出来ますが、その音図に向かい最右の母音十音と最左の半母音の十音は現象とはならない音でありますので、これを除きますと、残り八十音を得ます。この八十音が現象である実相、虚相を示す八十音であります。これが八十禍津日の八十の意味です。言霊母音アの視点からはこの八十音の実相と虚相をはっきりと見極める事が出来ます。


 この八十相を見極めることは禊祓にとって必要欠く可からざる準備活動です。けれどそれを見極めたからと言って、禊祓が叶う訳ではありません。そこで八十禍と禍の字が神名に附される事になります。


 古事記が八十禍津日の神に於て人間の境遇をアオウエイ五段階を上下にとった十段階で説く所を、仏教では六道輪廻の教えとして説明しています。それを敷衍して図の如く書く事が出来ます。


 大禍津日の神

 八十禍津日の神が、伊耶那岐の大神の禊祓の行法に於ける菅麻音図のア段(感情性能)の意義・内容の確認でありましたが、大禍津日の神は禊祓におけるイ段(意志性能)の意義・内容の確認であります。言霊イから人間の意志が発生しますが、意志は現象とはなりません。意志だけで禊祓はできません。また言霊イの次元には言霊原理が存在します。この原理は禊祓実践の基礎原理でありますが、禊祓を実行するに当り「基礎原理はこういうものだよ」といくら詳しく説明したとて、それで禊祓が遂行されるものではありません。言霊原理は偉大な法則です。けれどそれだけでは禊祓をするのに適当ではありません。そこで大禍(おほまが)となります。しかしその原理があるからこそ、伊耶那岐の大神は阿波岐原の中つ瀬に入って禊祓が実行可能となるのです。中つ瀬に於て光の言葉(日)に渡され、禊祓は完成される事になります。大禍に続く「津日」が行われます。言霊イの次元の意志の法則である言霊原理は、それだけでは禊祓の実践には不適当であるが、その原理を中つ瀬のオウエの三次元に於て活用する事で立派な役を果すこととなる、という確認が行われました。この確認の働きを大禍津日の神と呼びます。


 この二神は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

 八十禍津日の神と大禍津日の神とは、伊耶那岐の大神がかの黄泉国という穢い限りの国に行ったときの汚垢(けがれ)から生まれた神である、と文庫本「古事記」の訳注に見えます。この解釈では禊祓の意味が見えて来ません。そこで少々見方を変えて検討することとしましょう。


 伊耶那岐の命が妻神のいる黄泉国へ出て行き、そこで体験した黄泉国の文化はどんなものだったでしょうか。その文化は物事を自分の外に見て、そこに起る現象を観察し、現象相互の関係を調べて行く研究・学問の文化でありました。その学問では、今までに世間で真理だと思われて来た一つの学問の論理を取り上げ、それに新たに発見した新事実を披露し、今までの学問では新事実を包含した説明は成立しない事を指摘して、次に今までの学問の主張と新しい事実との双方を同時に成立させる事が出来る論理を発表して新しい真理だと主張します。この様に正反合の三角形型△の思考の積み重ねによって学問の発達を計るやり方であります。


 客観的現象世界探究のこの学問では、他人の説の不足を指摘し、その上に自説を打ち立てる競争原理が成立ち、自我主張、弱肉強食そのものの生存競争世界が現出します。伊耶那岐の命は黄泉国のこの様相を見て、伊耶那美の命の身体に「蛆(うじ)たかれころろきて」居る様に驚いて高天原に逃げ帰って来ました。この事によって伊耶那岐の命は、黄泉国で発見・主張されている文化は不調和で穢いものではあるが、世界人類文明を創造する為には、これらの黄泉国の諸文化を摂取し、言霊原理の光に照らして、新しい生命を与える手段を完成しなければならないと考え、禊祓を始めたのであります。


 その結果として種々雑多な黄泉国の文化を摂取して行くのにアオウエイ五次元の性能の中で、アとイの次元の性能は禊祓の基礎とし(イ・言霊原理)、また下準備とする(ア・実相を明らかにする)のが適当である事が分かり、八十禍津日、大禍津日の二神の働きを確認する事が出来たのであります。「この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり」の意味は以上の様なことであります。


 古事記の文章を先に進めます。

 次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)

 禊祓をアオウエイ五次元性能の中のどれでしたらよいか、を検討した伊耶那岐の大神はア次元とイ次元を調べて、この双方は禊祓の下準備(八十禍津日)や、基礎原理(大禍津日)としては必要であるが、そのもので禊祓をするのは不適当である事を確認して、上つ瀬でも下つ瀬でもない中つ瀬に入って禊祓をすることとなりました。その時に生まれましたのが神直毘の神、大直毘の神、伊豆能売の三神であります。中つ瀬にはウオエの三次元性能があります。神直毘は言霊オ、大直毘は言霊ウ、そして伊豆能売は言霊エの性能を担当する神であります。


 神直毘の神

 言霊オの宇宙から現われる人間の精神性能は経験知です。伊耶那岐の大神が禊祓を実行する為に心の中に斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。その確認された働きを神直毘の神といいます。神直毘の神の働きによって黄泉国で産出される諸学問を人類の知的財産として、世界人類の文明創造に役立たせる事が可能だと確認されたのであります。


 大直毘の神

 言霊ウの宇宙より現出する人間の精神性能は五官感覚に基づく欲望性能です。この性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された性能を大直毘の神と呼びます。この大直毘の神の働きによって、世界各地に於て営まれる産業・経済活動を統合して世界人類全体に役立たせる事が可能である事が分かったのであります。

 伊豆能売

阿波岐原の川の中つ瀬の最後の言霊エの宇宙より現出する人間性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された働きを伊豆能売といいます。言霊エの宇宙から発現する人間精神性能は実践智と呼ばれます。人間のこの実践智の働きによって世界の国々の人々が営む生活活動の一切、言霊ウオアエの性能が産み出すすべてのものを摂取、統合して、世界人類の生命の合目的性に添わせ、全体の福祉の増進に役立たせる事の可能性が確認されたのであります。伊豆能売とは御稜威の眼という意です。御稜威とは大いなる人間生命原理活用の威力、と言った意味であります。眼とは芽でもあります。眼または芽とは何を指す言葉なのでしょうか。


 禊祓をするに当り、人間の根本性能である五母音アオウエイ性能のそれぞれの適否が検討され、その中のオウエ三つの次元が適している事が確認されました。この後、更に適当だと確認されたオウエの三性能について、可能とする道筋の経過が音図上で詳しく検討されます。その経過は明らかに言霊そのもので明示され、確乎とした事実としてその可能が証明されて来ます。その時、オウエの中の言霊エの性能が人間精神上最高・理想の精神構造として示され、主体的・客体的に絶対の真理であるという言霊学の総結論が完成されて来ます。その絶対的真理となる一歩手前の姿、という意味で伊豆能売、即ち御稜威の眼(芽)と謂われるのであります。



次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、


奥疎(おきさかる)の神。次に

奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に

奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

辺疎(へさかる)の神。次に

辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に

大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神。次に

大直毘(おほなほひ)の神。次に

伊豆能売(いずのめ)。

 「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と言って伊耶那岐の大神は中つ瀬に入って行って、禊祓を始めました。すると「瀬速し」と言った上つ瀬、言霊ア段の禊祓に於ける功罪が先ず分って来ました。言霊ア段に立って見ると、摂取する外国の文化の真実の姿はよく見る事が出来る。けれど言霊ア段に於て禊祓を実行することは性急すぎて適当でない事が分ったのです。これを確認したことを八十禍津日の神と言います。次に下つ瀬の言霊イ段の禊祓に於ける功と罪が明らかとなりました。言霊イに存在する言霊布斗麻邇の原理は禊祓の実行の基礎原理であって、欠く可からざるものではあるけれど、原理・原則ばかりを並べ立てて見ても禊祓を実行することは出来ない事も明らかとなりました。この確認を大禍津日の神と呼びます。


 以上の二点を見定めましたので、いよいよ伊耶那岐の大神は中つ瀬に入り、禊祓に適した人間の性能を探究し、神直毘、大直毘、伊豆能売の三神の働きを確認することになります。即ち中つ瀬のオ段に於て禊祓をすれば、確実に外国の学問、主義・主張等を摂取し、人類の知的財産として人類文明の中に所を得しめる事を予測したのです。この働きを神直毘の神と言います。次に中つ瀬のウ段に於て禊祓をしますと、世界各地で生産される物質、流通等の産業経済を人類全体の豊かな生活実現のために役立たせる事が可能であると予測出来ました。この働きを大直毘の神と呼びます。更に中つ瀬の言霊エの人間性能である実践智が禊祓に於て如何なる貢献を成し得るか、を検討し、その働きを伊豆能売(いづのめ)と言います。伊豆能売とは御稜威(みいず)の眼(め)の意です。御稜威とは人間の究極の生命原理活用の威力といった事であります。この言霊エ段に於て禊祓を実行する事によって全世界の一切の人間の生活の営みをコントロールして、人類生命の合目的性に叶う社会を造り上げる力がある事を予測した事になります。


 以上、中つ瀬のオウエの人間性能によって禊祓を実行すれば、外国文化を統合して世界人類文明の創造は可能である事が推測できました。伊耶那岐の大神の心中に掲げられました建御雷の男の神と呼ばれる主観内原理が、如何なる外国の文化に適用しても、それを摂取し、世界文明創造の糧として所を得しめる事が可能である目安が立った事になります。伊耶那岐の大神の主観内に於て組立てられた建御雷の男の神という言霊五十音図が、いよいよ全人類の文明創造の絶対的原理として、人類の歴史経綸の鏡として打ち樹てられるという言霊学の総結論に入る事となります。


 古事記の文章を先に進めます。

 次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。


 水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。

 伊耶那岐の命の天津菅麻(すがそ)音図の母音アオウエイのアを上つ瀬、イを下つ瀬としましたので、オウエが中つ瀬となります。そこで今度はオウエを区別するために中つ瀬の水底、水の中、水上の三つに分けたのであります。即ち水の底は言霊エ段、中は言霊ウ段、水の上は言霊オ段となります。そこで水底である言霊エ段に於いて禊祓を致しますと、底津綿津見の神が生まれました。底津とは底の港の意。言霊エの性能に於て禊祓をすると、外国の文化はエ段の初めの港、即ちエから始まり、最後に半母音ヱに於て世界文明に摂取されます。そうしますと、摂取されるべき外国文化の内容は底の津(港)から終りの津(港)に渡される事となります。綿(わた)とは渡(わた)す事です。すると底津綿津見の神とは、言霊エから始まり、言霊ヱに終る働きによって外国の文化は世界文明に摂取されるのだ、という事が明らかにされた(見)という意だと分ります。伊耶那岐の大神が心中に斎き立てた建御雷の男の神という音図の原理によれば、禊祓によって外国の文化を完全に摂取して所を得しめる事が可能だと分ったのです。


 次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。

 衝立つ船戸の神の原理によれば禊祓は如何なる外国文化も摂取する事が可能であると分りました。とするならば、その初め、言霊エから始まり、言霊ヱまでにどんな現象が実際に起るのか、が検討され、明らかに現象子音の八つの言霊によって示される事が分ります。それはエ・テケメヘレネエセ・ヱの八つの子音の連続です。八つの子音は筒の如く繋がっていて、チャンネルの様であります。そこで下筒の男の命と呼ばれます。


 何故下筒の神と呼ばずに下筒の男の命と言うのか、について説明しましょう。神と言えば、働き又は原則という事となります。禊祓の場合、エとヱとの間に如何なる現象が起きるか、が八つの子音言霊の連続によって示されるという事は、生きた人間が禊祓をする時、その人間の心の内観によって心に焼きつく如くに知る事が出来る事です。そこで男の命(人)と呼ばれる訳であります。内観ではあっても、それは子音であり、厳然たる事実なのです。その事は禅宗「無門関」が空の悟りを「唖子の夢を得るが如く、只(た)だ自知することを許す」と表現するのと同様であります。


 中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。

 中つ瀬の水の中と言うと言霊ウ段の事です。言霊ウの宇宙から現われ出る人間性能は五官感覚に基づく欲望性能であり、その性能が社会現象となったものが産業経済活動です。この性能次元で禊祓をすると、外国の経済産業活動から生産・流通して来る物質は極めて速やかに世界人類の生活に円滑に奉仕される事が明らかになったという事です。中津綿津見の神の最初の津とは言霊ウの働きがそこから始まる港のこと。次の津は言霊ウの働きがそこに於て終わって結果を出す港の意。中津綿津見の神の全部で、言霊ウの欲望性能で禊祓をすると、外国の産業経済活動が世界の経済機構に吸収され、その結果世界経済の中で所を得しめる働きがあることが証明された、の意となります。


 次に中筒の男の命。

 では言霊ウ段に於ける禊祓がどういう経過を踏んで達成されるか、の言霊子音での表現が明らかとなった事であります。即ちウよりウに渡る間の現象を言霊子音で示しますと、ウ・ツクムフルヌユス・ウの八子音で表わすことが出来、この実相が心に焼きつく如く明らかに禊祓を実行する人の心中に内観されることとなります。


 水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。

 中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この母音宇宙から現出する人間性能は経験知です。この性能が社会的活動となると学問と呼ばれる領域が開けて来ます。この性能に於て禊祓をしますと、上津綿津見の神が生まれました。言霊オから言霊ヲまでの働きによって外国で生れて来る各種の学問や思想等が人類の知的財産として摂取され、人類全体の知的財産の向上のためにその所を得しめることが可能であると確認されたのであります。


 次に上筒の男の命。

 そして外国の学問・思想等知的産物が世界人類の知的財産として所を得しめられるまでに、八つの現象を経過して行なわれる事が分りました。その経路はオ・トコモホロノヨソ・ヲの八つの子音であります。この八つの子音が繋がった筒(チャンネル)の如くなりますので、またその八つの子音は禊祓を実践する人の心中に焼きつく如く内観されますので、上筒の男の命と呼ばれる事となります。


 以上、底中上の綿津見の神、筒の男の命六神の解説を終ることとなりますが、御理解頂けたでありましょうか。伊耶那岐の大神が客観世界の総覧者である伊耶那美の命を我が身の内のものと見なし、自らの心を心とした御身(おほみま)を禊祓することによって外国の文化を摂取し、これを糧として人類文明を創造して行く禊祓の実践の作業は、これら六神に於ける確認によって大方の完成を見る事となります。そしてこの六神に於ける確認によって五十音言霊布斗麻邇の学問の総結論(天照大神、月読の命、建速須佐之男の命の三貴子[みはしらのうずみこ])の一歩手前まで進んで来た事になります。


 ここで一気に総結論に入る前に、底津綿津見の神より上筒の男の命の六神の事について少々説明して置きたい事があります。古事記神話の始まりから結論までに五十音を構成している母音、半母音、父韻、親音については縷々(るる)お話をして来ました。けれど子音についてはそれ程紙面を割(さ)くことはありませんでした。何故なら子音の把握が他の音に比べて最も難しい為であります。子音は他の音と違って現象の単位です。現象でありますから、一瞬に現われ、消えてしまいます。母音、半母音、父韻、親音は理を以て何とか説明することが出来ますが、一瞬に現われては消える現象は説明の仕様がありません。そこに把握の難しさがあると言えます。


 今までに子音に関する記述は、古事記の「子音創生」の所で見られます。先天十七言霊が活動を開始して、子音がタトヨツテヤユエ……と三十二個生まれ出る所であります。先天言霊の活動によって子音コ(大宜都比売の神)が生まれるまでに大事忍男の神(言霊タ)から始まり、鳥の石楠船の神(言霊ナ)までの三十一言霊の現象を経ることとなります。現象子音(コ)を生む為に頭脳内を三十一の子音現象を経過すると言うのですから理論上の想像は出来ても、その子音三十一の現象の連続の中から、一つ一つの子音の実相を把握することは殆(ほとん)ど不可能に近いと言わねばなりません。


 けれど不可能だなどと呑気に言っている訳には参りません。日本人の祖先はチャンと三十二の子音を把握して、それによって物事の実相がハッキリ表わされるように名前を附け、現在に至るまで通用している日本語を造ったのですから。では子音を把握する手段は何処に発見されるのか。その唯一無二の道が底津綿津見の神より上筒の男の命までの六神が示す禊祓の実践の行程の中に発見されるのであります。


 禊祓の実践者が、自らの心を心とし、外国の種々の文化を自らの身体とする伊耶那岐の大神の立場に立ち、自らの心の中に斎き立てた建御雷の男の神の音図を基本原理として、自らの御身を禊祓する時、自らの心の中つ瀬の底(エ)、中(ウ)、上(オ)段の行為は如何なる経過を辿って禊祓を完成させるか、を内観する時、水底の言霊エ段がエ・テケメヘレネエセ・ヱ、水の中の言霊ウ段がウ・ツクムフルヌユス・ウ、次に水の上である言霊オ段がオ・トコモホロノヨソ・ヲという明快な経過を経て、外国の文化を摂取する事が、心中に焼き付くが如くに把握され、自覚する事が出来るのであります。それは自己内面の心の変化の相として、比較的容易に各子音現象を自覚する事が出来る事となります。


 以上の如く言霊エウオの段に属するそれぞれの八つの子音の把握は可能である事が分りました。残る現象の一次元であるア段の子音タカマハラナヤサは如何にしたらよいのでしょうか。それは禊祓を実践する人の心の中に、言霊アの感情性能の移り変わりの変化として自覚することが出来ます。それはア・タカマハラナヤサ・ワの初めから終りまでの経過として把握することが可能となるのであります。


 この様にアオウエの現象の四母音次元に属する三十二個の現象子音は、人間精神の最小の要素である五十の言霊を操作して、人間が与えられた最高の性能である人類文明創造の実践の中に、今・此処即ち中今の生きた言霊の活動する相として把握され、自覚される事となります。そしてその子音の相の把握という事は、最近の会報の中で度々随想の形で書いてきた事でありますが、生きて活動している人が、自らの生命の実体、生命の実相を手に取って見るが如く確実に、自らの心の中に内観することなのであります。人が自らの生命の実体を自らの心の中に、正に事実として内観するのです。


 人が生まれると新しい生命(いのち)の誕生と言われます。人が死ぬと一人の生命が失われたと言います。生命は人の最も尊いものと言われて来ました。けれど人はその生命とは何か、を知りません。最近生命科学がその生命の中に客観的物質科学のメスを入れ、遺伝子DNAの実像を解明しました。私はその方面の事には全くの門外漢でありますが、人類が客観的科学の研究によって生命そのものの内部の消息を明らかにしつつある時代となったと言う事でありましょう。それは素晴らしい事であります。けれど人類が客観とは反対の方向、即ち自らの生命を主観の方向に探究して、驚くべき事に今から少なくとも八千年以上昔に、既にその生命要素の実相を見極めてしまっていたという事実に、現代人の注意を喚起せねばならないと思います。太古の昔、日本人の祖先によって人間生命を内側に見て、そのすべてが言霊布斗麻邇の学として解明され、更に今現在、生命を外に見て、その究極にDNA等の学問として現代物質科学が解明を続けています。この人間が自分自身の生命の実相を内と外との両面から解明するという事実が、人類の将来にとって如何なる事を示唆しているのか、興味津々たるものがあります。


 古事記の文章を先に進めます。

 この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に

底筒(そこつつ)の男(を)の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

中津綿津見の神。次に

中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

上津綿津見の神。次に

上筒の男の命。

 底津・中津・上津の綿津見の神と底・中・上の筒の男の命の六神の働きによって、先に伊耶那岐の大神が心中に確認した建御雷の男の神(衝立つ船戸の神)を鏡とするならば、如何なる黄泉国外国の文化も禊祓によって世界人類全体の文明に摂取し、新しい生命を与える事が出来るという事が証明されました。単なる主観内真理であった建御雷の男の神が名実共に主観的と同時に客観的な、即ち絶対の人類文明創造の原理となったのであります。


 言い換えますと、禊祓によって外国文化を世界文明に引上げる時に起る現象の変化、底筒の男の命(エ段)のテケメヘレネエセ、中筒の男の命(ウ段)のツクムフルヌユス、上筒の男の命(オ段)のトコモホロノヨソの三段の言霊八子音それぞれの現象を経るならば、外国文化は間違いなく世界文明に吸収出来る事が証明されたのであります。このエウオ三段のそれぞれの八つの現象子音と、その時禊祓を実行する人の心に起る感情ア次元タカマハラナヤサの八子音を加え、合計三十二の現象子音の実相が、祓祓の実行者の心中に焼き付く如く明らかに自覚されます。この自覚された四段の八子音を特に霊葉(ひば)、即ち光の言葉と呼びます。


 それは高天原の言霊原理に基づく事のない言葉で構成されている黄泉国外国の暗黒の文化に生命の光を注(そそ)ぎ、人類の光の文明に引上げる言葉であるからです。生命が躍動している今・此処(永遠の今)の内容である言霊五十音原理に基づいた実相そのものの言葉だからであります。


 綿津見・筒の男六神に続く古事記の文章の解釈に入ります。

 この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)等が祖神と斎く神なり。

 連(むらじ)とは「姓(かばね)の一。神別に賜わり、臣(おみ)と共に朝政にあずかる名家で、その統領を大連(おおむらじ)という」と辞書に載っています。底津綿津見・中津綿津見・上津綿津見の三柱の神は阿曇の連等が先祖としてお祭りする神です、の意であります。阿曇(あづみ)とは明(あき)らかに続(つづ)いて現われる(み)の意。綿津見は外国の文化を摂取して世界文明の内容として表わすという事でありますから、綿津見と阿曇とは意味が同じ事となります。太古はその人の仕事としていた官職を以て姓とするのが慣習でありましたから、阿曇の一族とは、後世外国の文化を摂取するに当り、受け入れる外国の言葉を、言霊原理に則ってその実相がよく分る大和言葉で表わす官職についていた人達であろうと推察されます。


 かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子、宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。

 綿津見の神の子、とある神の子というのは神様の子という事ではなく、その神の内容の応用、またはその内容を仕事とする人の意であります。宇都志日(うつしひ)金柝の命の宇都志(うつしひ)とは現(うつし)しで、現実に、の意。日は言霊の事、金柝(かなさく)とは神名(かな)で綴って言葉とし、世の中に咲(さ)かせる、の意。命の名の全部で「現実に外国の言葉を言霊原理に則った言葉で表わして、世の中に流布(るふ)させる人(命)」という事になります。底・中・上の綿津見の神が禊祓によって外国の文化を摂取して世界人類の文明の内容に消化・吸収して行く事の可能性を確認する働きの事でありますから、その働きの応用として宇都志日金柝の命から阿曇の連と続く家系とその官職の相続となる事が窺えます。


 古事記の宇都志日金柝の命の事を竹内古文献では萬言文造主(よろずことぶみつくりぬし)の命と呼んでおります。

 その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前(みまえ)の大神なり。

 墨の江の墨(すみ)は統(す)見、総(す)見、澄(す)見の意であり、江(え)とは智恵(ちえ)の事です。底・中・上の三筒の男の命によって外国の文化を世界文明の中に吸収して新しい生命を与える可能性を言霊子音の配列ではっきりと証明する事が出来ました。その結果、言霊学の総結論となる天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神が誕生する前提となる条件とその内容はすべて出揃った事になります。総見とは総べみそなわす、の意で、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神は人間の営みの一切のものの総覧者であります。三筒の男の命はその総覧者の持つ智恵の全内容の事でありますので、総見(すみ)の恵(え)の三前(みまえ)の大神と呼ぶのであります。世界人類一切の総覧者の誕生の前提となる三つの智恵の働き、という事であります。


 右の経緯を前号の随想でお知らせしました言霊と数霊との関係で説明してみましょう。禊祓の実行に用いられる判断力の事を十拳(とつか)の剣と申します。一つの行為を始めから終りまで十数を以て区切ってする判断のことです。伊耶那岐の大神が自らの心を心とし、世界人類の心を自らの身体として始める禊祓の出発を一とし、一二三四五……と禊祓の行が進展して行き、判断の九数目に六七八九(むなやこ)と子音(言霊コ)の並びで示される筒の男の命の段階となります。言霊子音の配列によって物事の内容は確定し、物事は終いに終結します。一二三四……と続いた禊祓の行は最後に九十(こと)となり、物事はコトとして成立し、終ります。また言霊トは「桑田変じて海なる」「わが物する」の如く、物事の転化の帰着する処を

示す音でもあります。以上、禊祓の行を言霊と数霊との関係で説明しました。


 更に綿津見と筒の男の内容を古事記と日本書紀双方の文章を比較しながら解釈を試みることにしましょう。「古事記と言霊」の書の二六○頁の注に――


 日本書紀の千引の石(ちびきのいは)の章に「時に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)乃ち其の杖(つえ)を投(なげう)ちて曰く、此還(このかた)雷来(いかづちく)な。是を岐神(ふなどのかみ)と謂う。此の本の名をば来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)と曰う」とある。岐神(ふなどのかみ)は古事記では衝立つ船戸(つきたつふなど)の神(かみ)と呼ぶ。その本の名は来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)である。来名戸とは「ここより来るな」の意と同時に、九十七の戸の意味でもある。九十七の数は「墨江の三前」即ち底筒の男・中筒の男・上筒の男の三神、言霊百神の中の三つ手前(前提)の九十七の意味である。高天原の主観的真理と黄泉国の客観的真理探究の二つの世界の間の結界(千引の石)とは筒の男三神が明らかにする言霊三十二の子音の自覚であることを示している。――


とあります。来名戸とは「ここより来るな」の意でありますが、これは旧約聖書ヨブ記の「海の水ながれ出て、胎内より湧きいでし時、誰が戸を以て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒闇(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を超ゆるべからず、汝の高波ここに止まるべしと」あるのと同様のことであります。古事記の「言戸の度(わた)し」の文章の中で、千引の石を挟んで伊耶那岐の命と伊耶那美の命が明らかに離婚を宣言します。この離婚宣言によって、一つの生命を内に観じて探究する主観的精神の学問と、外に見て客観的に研究する物質的科学とは、双方の完成された姿に於てのみ比較が可能であり、その結果は双方が相似形となること、そこまで行かぬ途中の状態での比較と同一性の論議は必ず合理性を欠く事になるという事実が示されたのであります。そしてその宣言の決定的証明が今お話申上げました三筒の男の命の子音の自覚という事になります。


 「古事記と言霊」講座と題しました過去二十回余のお話によりまして、講座の総結論となります三貴子(みはしらのうずみこ)、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の章に入る一切の準備が整いました。これより古事記の三貴子の章に入ります。


 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

 ここに古事記の文章では初めての選り分けの言葉、左の御目、右の御目、御鼻という言葉が出て来ました。どういう事か、と申しますと、阿波岐原の川の流れを上中下の三つに分けました。上はア段、下はイ段、そして中はオウエの三段としました。その中つ瀬のオウエを各々選り分ける為に底中上の三つの言葉を使いました。次にその底中上について重ねて現象を述べるに当り、底中上の区別を二回続けるのは芸がない、と思った為でありましょうか。太安万侶は全く別の表現を使ったと考えられます。それが顔の中の左の目、右の目、鼻の区別なのであります。顔とは伊耶那岐の命の音図、即ち天津菅麻(すがそ)音図の事です。菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。この母音の列を倒して上にしますと、左より右にアオウエイと並び、その中の中央の三母音を顔に見立てますと、言霊エは左の目、言霊オは右の目、鼻は言霊ウとなります(図参照)。


 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。

 そこで左の御目を洗いますと、天照らす大御神が誕生することとなります。その内容は言霊エで始まり、エ段の子音(底筒の男の命)テケメヘレネエセが続き、最後に言霊ヱで終る、人間の基本的性能である実践智、道徳智の究極の鏡の構造が出来上がりました。この構造原理を基本原理として、人類一切の生活の営みを統轄し、人類全体の歴史創造の経綸を行う働きの規範の誕生です。これを天照大御神と申します。またその統轄原理を言霊五十音を以て表わした言霊図を八咫の鏡と呼びます。伊勢神宮正殿床上中央に祭られる御神体です。またその五十音言霊図を天津太祝詞(音図)と呼びます。


 次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。

 右の御目に相当する次元は言霊オの経験知です。禊祓の実行によって人間の経験知、それから発生する人類の諸種の精神文化(麻邇を除く)を摂取・統合して人類の知的財産とする働きの究極の規範が明らかに把握されました。月読の命の誕生です。その精神構造を言霊麻邇によって表わしますと、上筒の男の神に於て示された如く、オ・トコモホロノヨソ・ヲとなります。


 次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

 顔の真中の鼻に当るのは言霊ウの性能、五官感覚に基づく欲望です。その働きの社会に於ける活動は産業・経済です。禊祓によって人間の欲望性能に基づく世界各地の産業・経済活動を統轄して世界人類の物質的福祉に寄与させる働きの最高の精神規範の自覚の完成が確認されました。建速須佐の男の命の誕生です。その原理を言霊麻邇を以て表わしますと、中筒の男の命で明らかにされました如く、ウ・ツクムフルヌユス・ウとなります。


 両児島(ふたご)またの名は天之両屋(あめのふたや)

 以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。


 伊耶那岐の大神の顔に譬えられた左の御目、右の御目、御鼻から生まれました天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。言霊百神、布斗麻邇の学問の総結論であります。幾度か繰返す事ですが、古事記神話の始め天の御中主の神(言霊ウ)より火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までの五十神が心の構成要素である五十個の言霊、次に五十一番目の神、金山毘古の神より百番目の建速須佐の男の命までの五十神が言霊の操作法を示す神名であります。前の言霊五十神が鏡餅の上段、後の五十神が鏡餅の下段に当り、二段の鏡餅で言霊百神、即ち百(も)の道(ち)の原理となります。現在の伊勢神宮は五十の言霊を祭る宮であり、その古名は柝釧(裂口代[さくしろ])五十鈴(いすず)宮であります。また言霊の操作法五十神を祭る宮は石上神宮であり、太古より神宮に伝わる「布留の言本(ふるのこともと)」日文四十七文字は、言霊四十七を重複することなく並べて、五十音の操作法を教えております。


 以上をもちまして古事記神話冒頭の天之御中主の神より建速須佐の男の命までの言霊百神の学の講義は終了いたしました。後少々、言霊原理の後日譚といたしまして一、二回のお話を残すだけとなりました。ここで念の為、過去二十一回の講座を振り返り、復習をする事にいたします。先ず簡単に今まで続いて来た話の題(章)を書き連ねます。

一、天地初発の時(先天十七言霊)

二、淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島)

三、島々の生成(宇宙区分、十四島)

四、神々の生成(三十二子音と神代文字言霊ン)

五、五十音の整理と活用(和久産巣日の神、建御雷の男の神)

六、神代文字の原理(八山津見の神)

七、黄泉国(よもつくに)

八、言戸度(わた)し(伊耶那岐・美二神の離婚)

九、禊祓(伊耶那岐の大神、御身[おほみま])

十、三貴子(天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命)


 言霊布斗麻邇の学問の教科書である古事記神話の内容を箇条書にすると右の十の章に分けられます。第一章の「天地の初発の時」は言霊学の発端であり、最後の章「三貴子」は結論となります。アルファからオメガまでの間に八つの章で示される経緯があります。全編の十章は一大スペクタクルのドラマの如く、「人間の精神」という主題を一から十まで一分の隙もなく画きながら、生命の流れを流れ下るように解明して行く大小説を読む感があります。読者におかれましては、神話を始めから結末まで順序よく何回でも読み返して下さり、その話の筋道をスラスラと御自身の心の中に実現する如く作り上げて行って頂き度いものであります。その結果、人間の心の構造とその働きが自分自身の心を振り返るよすがとなる鏡の如く、そのイメージがはっきり結ばれて来るに違いありません。その鏡こそ昔から伊勢神宮の御神体と称せられているものの実体なのです。その鏡が完成したら、喜び勇んで鏡を鏡としてご自分の心の宇宙の楽しい旅に御出発下さい。その旅は必ず第三生命文明時代という人類の楽園に導いてくれる事でありましょう。


この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

天照らす大御神。

次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

月読(つくよみ)の命。

次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

建速須佐の男の命。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、

天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。

次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。