せ ブログ。心に何が起きている。034~39。

心に何が起きている。--心の通史。

金山の神以降。

ブログ034 『心の五十個・金山』

話の前提。

人間の心は全部で五十個の言霊から成り立っています。ここでは心の構成要素はの五十音を扱います。言葉となって現れてくる心の無数な現象を扱うのではなく、心を構成するようにされた外国語のような指標を扱うのでもありません。

古事記では言葉の五十音全体は次のように現されています。

【火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。】

そこで五十個の言霊をどう操作運用して人間精神の究極の行動規範(鏡)を作っていくか、の問題となる。

【 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。】

人間にはこれ以上の心の構成要素は無い、言霊五十しかないということ。これが眼前にある。

眼前に有るものに対する態度によってその人となり、考え方となりができていく。

通常は無意識無自覚に受動的に自分の心が客体の立場となっている。そこで気づき感じたものが自分の心に集められる。集めることは主体的な行為なので自分からしていると思い込むことができる。

【 たぐりに生(な)りませる神の名は 金山毘古(かなやまびこ)の神。次に 金山毘売(びめ)の神。】

反吐を吐くたぐりも自分がしているようだが、身体胃腸の不具合に依頼されて表現しているもので、胃袋に有るものしか出せない。

金山の金は平仮名片仮名の仮名のことで、出てきたものとして見れば、食べたものすなわち文字や表現されたもので、それらを食べた様子食べた食べ方の方から見れば、無茶食い無茶飲み不衛生さに無頓着だったりの食べた行為側の結果の現れで、言葉の音を発する側です。

この始めの段階では無自覚的に吐かされたものを集めることですが、吐くことは主体側の行為であり自覚的になると、生きた金魚を飲み込んで吐き出すとか紅白の玉を飲んで指定された色を出すこともできてきます。

吐くは印象が良くないので言葉を変えれば、感覚、感情、知識や選択肢を見て聞いて知って手に入れる等の、相手対象に付く(吾の眼を付けて智と成す)始めの段階です。

たぐり集める事を始めると直ちにその実体側と働き側の二面が現れます。そこで飲み方が悪かったと働き側をみるか、食ったものが悪かったと実体側をみるかの相違が出てきます。

しかしこの段階では出てきたものへの知識や反省はその後のことで、金山神の段階では物と行為が直接有る有ったというものです。

そこでついで、反省や疑問が起これば出てきたもの出した行為への知的な反省が出てきます。

次のように表現されています。

【 次に屎(くそ)に成りませる神の名は】

クソはうんちではなく出てきたものがうんちのようであることでもなく、自分の意識が係わったときに、係わって物事があるという了解の次に来る意識の状態です。

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ブログ035。『屎(くそ)』

【 次に屎(くそ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に 波邇夜須毘売(ひめ)の神。】

古事記の記述の速度は意識の動きの一つ一つの違う次元を独立して扱っていくので、実際にはほんの瞬間の出来事ですが、その内実は五十の言霊要素と五十の運用要素を丁重に示そうというものですから、学ぶ方もそれに見習わなくてはなりません。脳髄の動きは超超高速でいつかコンピューターをも凌ぐスピードを、古事記が既に解明していたことが明かされるでしょう。

自分の手元に扱うものがあると、自分の意識は次に何をするかです。

屎(くそ)をするでは手元に置けないのですが、反吐を吐いて手元に集めたものを見ると次には「何だこれは」という疑問が普通に置きます。その「何だこれは」という疑問の内容が「屎(くそ)」です。何がある何と何だ、長い大きい小さいとか黄色いとか桃色だとかを自然に見つめ分析し求めます。

それらの組み合わせその構成要素が気になっているのです。つまり有るものから与えられ感じ取った組む要素(組素・くそ)です。知的概念、記憶が顔を出して判定しに来たのです。

組む素・くそ)を判定する意識も当初は無意識無自覚にそうさせられています。見つめて判定しようとする意識はその行為の中で自覚的になりますが、上に書いた通り、心の働きの中では別の次元に属しています。

古事記はこの無意識次元での心の動きを全部挙げてから後に総括に向かいます。無意識的にも頭が働く構造を明かそうというものです。

その始めは「たぐり」でした。ついで「たぐり(たぐり寄せて)」を受けて「くそ(組む素)」になります。当面は無自覚的な心の動きです。しかし生物学で言う反射作用ではありません。物質相互の作用はそれとしてあることで、科学的解明には心の動きが最初から排除されていますから、心の学問とは関係しません。

こういうこともあります。言葉の上では有るものを直接に組む素(くそ)、つまり考え方の始めは分離分解分析することと主張されます。まずこれらを分析するとこうなるなどといいます。これは確かにまず分析するのが順当だと思えますが、 「たぐりに生(な)りませる・・次に屎(くそ)に成りませる」を省略して、次の「尿(ゆまり・小便のこと)」にすっ飛んでいます。

ゆっくり行きましょう。

手元にあるものをみて、その何であるかに関心を持ちました。その実体は要素を知ることです。

では要素を知るとは何かになります。

それが、波邇夜須毘古(はにやすひこ)、次に 波邇夜須毘売(ひめ)です。

現に五十音を刻んだ粘土板のように有るもの(はに)が認識了解するのに安らかに(やす)安定して、受け入れられるものになっていることです。不安定に揺れ動き判定名困難なものは、要素としては受け入れられません。

もちろんこれも実体側と働き側の両者がありますから、ヒメとヒコとなっています。

判定不能なクシャクシャな文字を書かれても要素としては受け入れられないのです。形の崩れたケーキは売れないし腐った果物も店に出せません。

しかし、外国の文字を初めて学ぶときなどは、音と文字、ヒコとヒメ、はそれぞれ独立した事象ですから、音の機能としてハニヤスなものとして覚えさせられます。文字を知らなくとも通じていきます。

さてたぐり集めて、要素を確認して、次に進みます。

【 次に尿(ゆまり)に成りませる】

ゆまりは小便です。古事記の安万侶さんは面白い人ですね。書紀では「尿(底本はしかばねにさんずい+毛)を『愈磨理(ゆまり)』と読む」とあるようです。ここまで来ると頓智の一休さんでも分からないでしょう。安万侶も千年経ったら分かればいいように作っていますから別に急ぎではありません。

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ブログ036。『 尿(ゆまり) 』

【 次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は 弥都波能売(みつはのめ)の神。】

たぐりよせる--かなやま

組む素--はに安らか

ゆ埋まり--みつはのめ

と進んできます。

書紀には「尿を『愈磨理(ゆまり)』と読む」とあるので、ここから「愈」を Y+u → 「イ」埋(ウ)まり、を導き出した先人は凄い。

と言うことで私たちは気楽に、尿(ゆまり)は、五(イ)埋(ウ)埋まりのこととしています。

後は上手に「五埋まり」「いうまり」「ゆまり」「尿」まで説明して納得してもらえればいいわけです。

これにはどうしても人間世界には五次元しかない事を納得してもらわなければなりません。

神の世界も霊界もそんなものはなく、次元上昇した十次元とか十二次元とかの精神世界もありません。神とか霊界とかの言葉が使用されていますが、実体としてあっち側にそんな世界があるのではなく、人の意識界でのことや心での経験に神と名付け霊界と名付けられるものがあると言っているだけです。

神とは人間であり、幽界とは人間界であることは既に分かっているのに、知りたくない承知したくない気分が続いているだけです。

さて、波邇夜須(はに・やす)とあるように埴輪のハッキリした輪郭を持った安定して使用でき安らかな実体と働きを見いだせないものは、取り上げることができません。

ではハッキリしたものとは何でしょうか。無数に有る現象の中からハニヤスの状態に有るものを選ぶということでしょうか。取り寄せ集めた材料からそれを選択していくことでしょうか。これは集めた材料の差異区別から分類することになります。

しかし古事記のフトマニ言霊学では実体の差異を分類して総合し全体像を得ることではありません。

分類される材料は既に五十しかなく五十以上も以下もないのです。無数の現象を前にして冗談を言っているのではありません。

実体実在の差異から分類すれば、五十どころか際限なく分類が続くか、定理とか定義とか約束事で区切ったところに無理やり押し込めるかになります。古代において世界の成り立ちを無理やり幾つかの元素に当てはめていました。

それは仮の約束事から始めたものであって、実際は違います。

本当は私なりあなたなりの主体の活動によって動き始まっていくことで、前記のたぐりよせる、組む要素も主体の働きかけでその姿が現れ出てくるのです。

そこて主体の働きかけである五(イ)埋(ウ)まり、Y+U=Yu、愈磨理(ゆまり)、尿(ゆまり)です。

五(イ)埋(ウ)まりは五つ有る心の穴を埋めることで心を五つに分類することです。分類するといっても心をあっちそっちこっちと肉屋さんみたいに切り分けることではありません。心は一つでまとまって(自分の中で矛盾し反発しながらも)動いていきます。この動きを実体を写したスナップ写真にすると五つになるということです。

例えばどういうことかといえば、このブログ主は何を言っているのかと疑問が起きていると思います。自分の知識に反応している疑問というスナップ写真をとったからです。

ところが疑問を知りたい疑問の内容を解決したいというのはそのような欲望で、知りたい疑問内容と知りたい欲望とは別なことです。

疑問への知識内容と知りたい欲望は別ですが、さらにこれをよくみると、自分は知識内容を選択していて知識欲を選択しているというまた別な次元が内包されているのに気づきます。

そこで知識、欲望、選択という三つのそれぞれの世界が写るスナップ写真ができました。この心のスナップ写真を見るとこれらを全部見ている眼があることに気付かされることになります。欲望なり知識なりが気になっているときには他のことが眼に入らなかったのに、心には自分の全部をみる眼がありました。これは感情や情感となって全体を規定していきます。

知識が有ろうと無かろうと、知識が自分の中で矛盾していよう、自分を規定している全体感情があります。感情は疑問内容とは関係なくそれ自身で独立したスナップ写真となります。こうして最初に持った、このブログ主は何を言っているのかという疑問に自分のそれぞれ独立している四つの心があることに気づきました。

そして五つ目の心です。

心があり出てくるのは当たり前のことですが、あまりにも当たり前すぎて忘れていることです。疑問を持つ心はどこから来たか、疑問を知りたい欲望はどこからか、疑問を選択したのはどこからか、疑問を持つ心に感情がどこからでてきたのか、これらの元々の源泉があることを忘れています。それが心の意思です。

こうして心の五つ(欲望、知識、選択、感情、意思)が埋まりました。

誰のどんな、心の現れであろうとこの五つのスナップ写真となって現れてくるものです。

ところで感の良い方なら、【 次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は 弥都波能売(みつはのめ)の神。】のみつはのめのミツハは三つはのめで三ではないか、五に成りませるのが三では奇怪しいと思っていると思われます。

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ブログ037。『 弥都波能売(みつはのめ) 』

弥都波能売(みつはのめ)は「三つ葉の芽」のことです。

五埋まりの五が三に成るのではなく、三の芽になります。「三」という何かしらの重要なものの芽です。古事記は心の理想的な創造規範を作り出しそれによって行為する道理を説いたものです。古事記の結論は三貴子を創造することですが、ここではこの三貴子の芽が既に芽生えていることを示しています。

人は合目的的に行為し考えます。これは何だ、これをどうしようの「これ」を目指して人は考え行為していきます。目的となっているもの、「これ」は当初はイメージでした。イメージが物象と結ばれ言葉となって表出され相手側で聞かれて了解されどういうものとしての「これ」であるかが分かりました。「これ」とは実は後の姿の三貴子のことです。

【 次に五埋まりに成りませる神の名は 三つの葉の目(みつはのめ)の神。】

有るもの実体現象を整理操作して、たぐりよせる--かなやま、 組む素--はに安らか、 五埋まり--みつはのめ、まできました。心の実体現象(言葉)を心のあり方に沿って五つにしました。

このブログは何を言っているのかよく分からないというとき、その「分からない」という心を巡って、知識として分からないを中心にして、それとは別に知識を知りたいという欲望が有る無し、知りたいのはどんな知識課という選択、知識が有る無しとは又別に起きているその感情、そしてそれらの独立した表出を誘う意思、という五つをそれぞれに並べることができます。

これらは集まった材料や、心にあることを質的な違い次元の違いで並べてみようとするときに起こります。

現象に囚われた眼では実体の外的な違いしか気にしません。それらは赤であるか黄色か思いか軽いか答えは正しいか正しくないか、外部表象の概念の違いで区別するものです。

そこでは同じ次元のことを百にも千にも区別が可能です。正しいかとか正しくないかとか言ったところできりがないのです。ところが五つというのは心のあり方ですからそれ以外になく、正否の違いは単に知識概念次元での話にすぎません。

確かに心は正否の知識を気にするならどこまでもそれを追求する思いが起き重要な部分を成していますが、それが全てではありません。それどころか知的な追求は主体的な行為のようにみえますが、実際は無自覚な主体性のない行為なのです。心の判断規範が非常に恣意的です。それぞれが勝手な好みの規範を立てているだけのことが多いものです。心の全貌からする知識次元を立てているわけではありません。

それでも心の全体からする五つの次元世界の規範にもそれなりの重要度があります。ことに合目的的に考え行為していく人間にとっては、未来への選択に間違えがないこと、それを支える知識概念が充分に有用であることと、選択意志が自他ともに明瞭なことが必須です。この三者に健全な感情が載り、適度な欲望が加わっていきます。こうして心の五次元世界が一体化していきます。(エを中心に上下にアイエオウと並ぶ五埋まりができます。)

ここのミツハノメの材料の整理段階では、自らの判断規範を既に手にしているわけではありません。それどころか全てがそうせざるを得ない無自覚な強制的な依頼を受けて判断をしているようなものです。

ですので五埋まりの五の並びは、先天から依頼される形の「アオウエイ」の順になります。(天津スガソ音図)

無自覚な人の行為の仕方、自分は自分はという行為の仕方で自分はというのが前面にでますから主体的にしていると思い込みやすいものです。

したい欲しいというのが中心事項で、知識に関して言うならば知識そのものの内容にではなく、欲している知識(ウ)だけが満足されればいいというものです。

そのため欲望のウが中央にきてその両側を欲しい知識(オ)とそのための選択(エ)が囲み、感情(ア)とか意志(イ)とかは重要視されません。

こうして心の次元層を整理していきますと、主たる関心事となるものが中央にきてその両側を密接な世界が囲むという、三つの世界と両端の世界ができていくのが分かります。(アイウエオ五十音図の順はそれを示す一つの形式です。)

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ブログ038。『 初歩的な大枠 』

和久産巣日(わくむすび)の神。

通常は心の全体を考慮することはありません。せいぜい各次元内の相違をあげつらって自分の主張に満足しようとするだけです。それでも集めた材料、言霊五十音の整理の中から自分に関心がある当のこととそれに密接に取り入れられ部分と疎遠な部分ができることが分かりました。この分類は赤いとか黄色いとか正しいとか正しくないとかの同じ次元内での相違の分類ではなく、心を異にする心の分類で知識概念の正否に係わっているのではありません。

集めた材料を囲い込むと心の次元の異なった世界が五つ出来てきたのです。これで大雑把な内容がまず把握されてきました。これは感情の問題、これは知識の問題、と全然混ぜ合わせることの出来ない枠組みが現れてきます。日常では心の五次元がまぜこぜになりますが、落ち着けば今日と明後日の問題を同一次元で語っている場合が多いものです。腹を空かした子供に実存とは何かの哲学問題は必要かとか、事実の確認に感情問題を混入とかします。人は次元のごた混ぜを平気で行えるということで、その結果も人は主張できます。

各事象事物の次元の違いが出てきますと、次には各次元内での相違を見つけることになりますが、これには原理的な飛躍が必要です。ここでは各次元内の分類は次元の内容の違いをもってしてはできないのです。知識問題の疑問を解決するのに次元の違う感情を持ちだすことは出来ません(日常ではごた混ぜですが)。

つまり五十ある心の要素を五種に分類できましたが、その内容はまだです。内容を知るにはそのための規範が無ければ判定できません。しかし、判定できないからといって無効ではなく心の立場位置を確認することが出来るものです。

ここでオノコロ島の段落での蛭子(ヒルコ・霊流子)を思い出してもらうと、ここの話しがちょうどぴったり適応し合っていることに気づきます。

「女人先に言へるは良からず」とは母音を先にして子音を発音することはできないという話です。KaKiKu と言うのに、母音を先にして、aK iK uK として子音を創造できません。

しかし心の世界の分類通りに従っていますから、世界に向けて「流しうてき・霊流子」したと言うわけです。これは後に心の世界の次元層から、各次元内での一般共通性、例えば概念、になっていき、この共通性を集団の絆としていきます。抽象的な一般性ですか、これによってそれそれの枠組みが出来相互の立場が出来ていきます。集団(個人)の立場が個別的な内容が規定される以前に主張される所以です。

そこでここでできた神のことを、枠を作り枠で結び枠に治めるとか、共通項でくくる、共同体を構成する等々の全内容を確認したわけではないが、とにかくそれぞれの意識の初歩的な立ち位置が与えられる、枠ムスビの神ができたというわけです。

ついで、各内容を規定していく規範を探しに行きます。

意識では全てが超スピードで一瞬の内に起きていきます。ですので自分の頭に出てきたところを直ぐに表明してもその前後を無視した主張であることが普通です。

集めた材料要素を分類しました。ではそのあとどうするのでしょうか。

それで終わりです。

分析結果を出して指針を立てて実践があるというでしょう。

確かにその通りなのですが、良く見てください。

現象、整理材料のあり方となる次元世界が確定してしまう、その後にはなにもありません。反省して指針を立てて計画して等と言うかもしれません。しかしそれらは心の主体側の問題であって、材料要素のとり方とらえ方、主観に属する問題です。要素それ自体はいつまでもそこにあるがままです。

日常の考え方では、計画なり目的なりを持って実践しようということになるでしょうが、実践する主体の確立を忘れています。

それが、泣き沢めの話になりますが、その前に主体が介入できる条件がつくられます(豊うけひめ)。

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心の五次元(五十音図)のいろいろ。

金木音図・ アイ ウ エオ ・中心となる関心事はウの欲望。

赤玉音図・ アイ オ ウエ ・中心となる関心事はオの知識。

宝音図 ・ イエ ア オウ ・中心となる関心事はアの感情。

太祝詞音図・ アイ エ オウ ・中心となる関心事は選択。天津ひもろぎ。先天原理構造の音図。

すがそ音図・ アオ ウ エイ ・中心となる関心事は天然自然の心の動き。

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ブログ039。『 実体の無い大雑把な枠だけ 』

豊宇気毘売(とようけひめ)

【 この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。

かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。 】

ギミのミコトの直系でなく枠ムスビの子としてでてきます。どういうことでしょうか。

子というのは枠ムスビから派生して出てくる働きのことです。実体現象の次元、一般性や共通性が主張されると次に起きることは何でしょうか。

自分はこの精神次元にいる、と主張すること、例えば自分は腹が減って力がでないと主張すると、その主張は何を産むでしょうか。

豊ウケヒメです。

豊は十四の心の先天構造のことで、ウケは受け入れることあるいはその容器、ヒメは秘めている秘める能力があるです。

枠ムスビができると同時にその子として枠ムスビの働きに派生的に出てくる、十四の心の先天を表出し得るだけの器が秘められているということになるでしょうか。

自分は腹が減っているといっても何がどのようにか何を食べたいのかハッキリしません。私は欲望次元で赤ん坊のようにわめいているだけですが、「腹減った」という一般的な表現の中に既に、内容は確認されていないが、外部から持ち来らせるものに対してはそれらの内容を検討整理して受け入れることができる、というものです。

自分には知識があるからこの問題はこう解決するのだという時も、問題の知識内容が分からなくとも理性的に解決はできると言い張るようなものです。そして実際にある程度までは受け取りやり合うこともできます。よく、理由は後付けだと言います。しかしそこには既に大枠となった理由があります。

注意しなければならないのはそこにあるのは、外部から持ち込まれた要素材料に対応しているので、自分が生んだ心の対応ではないということです。

これが伊勢神宮の外宮にまず要素材料を持ち来たって、内宮の 天照大御神の裁可を仰ぐという形式になったものです。

さて、材料要素がどの心の次元に属するものかが分かるということは、有るというものに自分が意識をかける側と、相手対象をみる側とが自分にあることを了解していることです。実体要素の分別がついてもその内容が分かるには、自分のみる側と相手対象の見られる側の間を埋めていかなければなりません。ここに主体が自分をみる働きを確立しないと相手の内容を確認できない事情が起きてきます。

---以下引用。御倉板挙・ミクラタナ

「ワク」ですから。ちょうど伊勢神宮では、昔は世界中の文化を集めて、伊勢の内宮において天照大御神がその世界中の文化を神様の食べるご馳走として料理して、それでその料理の中から世界文明を創っていく。

それが天照大御神の仕事ですから、その仕事をするのに、御倉板挙(ミクラタナ)と申しまして、天照大御神の食べ物を並べるところ。天照大御神が言霊によって世界中の文化を材料として食べて、どの文化も傷つけたりすることなく、そのいいところは全部とって、それで世界人類の文明を創っていく。その心の食べ物を並べるところを御倉板挙と申します。

その御倉板挙に、豊宇気比売の神が大雑把ではあるけれども、多くの世界人類から集まってきた食べ物を、大雑把に区分けして、次元ごとに配分していく役目として、下宮にお祀りしてあるわけでございます。外宮でそういうように大雑把に選り分けたものから、天照大御神がその材料を応用して世界文明を創っていくという順序になるわけでございます。

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