カキクケコ ◎ イマ-いま論の準備

カ◎ イマ-いま論の準備中

イマ-いま論じゃなくて

イマ-ココ論じゃないの

今-現在論じゃなくて

時間-空間論じゃないの

それじゃ

時間 と 空間 だけあればいいの ?

時間と空間意外に世界はないでしょう

本当ですか。間違っていませんか。

つまり全世界の思想、哲学も含めてあなた自身も、

時間と空間しかないと思い込んでいるだけじゃないですか。

時空意外に何があるというのだ、

被害妄想もはなはだしい。

人の心の絶対真理である古事記では

造化三神といって「三」なんですが。

あっ、

何も言わないでいいですよ。

わたしがやりますから。

みなさんにも古事記の冒頭を真似ることをお薦めします。

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キ◎ イマ-いま論の準備中

ヒフミ(一二三)神示っていうのがありますがあれも「三」なんですが。

「三分と思えども、二分であるぞ。」 なんて、しゃれたことをいっています。

「三分と思えども、時間と空間であるぞ。」なら三番目はいらないということじゃないか。

こういう例解もありますよ。

「富士は晴れたり日本晴れ」 ですが、日本を二本にすると、時間と空間の二本晴れとなるでしょう。

それでもって富士が晴れるのです。時間と空間と富士と三つあるでしょう。

時間と空間意外に世界はないなんてまだ言いたいですか。

わたしとあなたがいるでしょう、そこに、○

あなたと好きな人がいるでしょう、そこに、○

富士と富士を見ている人がいて、そこに富士の日本晴れ

時間と空間があるでしょう、そこに、○

どこから見ても、ヒフミ、一二三。

だから、

「三分と思えども、二分であるぞ。」

なんていう駄洒落がいえるのです。

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文字で表すと×のことだと思う

相手 ・・ 自分

潜在 ・・ 顕在

・・・・・×・・・

顕在 ・・ 潜在

これの偶然の一致による解消というか火花というか気付きというか

そんな感じ?

2012/11/28(水) 午後 7:43 [ ◆ ]

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1738768.html#more

http://ja.wikipedia.org/wiki/X

2012/11/28(水) 午後 10:09[ ◆

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コメントや参考サイトの紹介等ありがとう。

気付きには他の気付きが応対し、それに気付くとまたその他が返答します。

そうすると又他の気付きが、、、、、、、となっていくのがこの世です。

これが全く駄目な人間思考のプロセスであることを神示も古事記も示していますが、

余りにも平常普通な思惟運用のため誰も駄目であることを気付きません。

思い付きを思い付きで証明しようというのが、紹介されたサイトです。当てはまればオッケー、当たるも八卦外すも八卦です。

これで正常と思われているので、駄目といっても間違っているとはいえず、社会運用上は正当性のあるものです。ただし「でんぐりかえし」が来るまでですよ。神示はこういった日常思考をひっくり返すことを紹介しています。ひふみ神示読む人たちの「でんぐりかえし」は余りにも軽すぎます。

この通常と思い込んでいる、思惟運用法を斑馬を入れるといいます。

馬は「ウの間」、五十音図のウ段、ウクスツヌフムユルウの運用を逆さにするというのですから、

ウルユムフヌツスクウで思惟運用をします。

ウは人間性能の欲望次元をあらわします。

始めのウと終わりのウは同じウ(ここでは欲望)です。

ウ) 例えば、腹減った何か喰いたい、あいつを殴りたい戦争したい、大臣になりたい金を儲けたい等の欲望が起きます。思い付きですから何時どこでどうして自分に起こってきたことか自分でも知りません。充足されるまで続きます。

ル) 知らない内に自分に起きた欲望がとめどもなく進展していきます。(流・ル)

ユ) 極まることのない欲望が湯(ユ)のごとく湧き出てきて本人を動かします。

ム) 欲望と身体が結ばれ(ム)ます。

フ) そうすると、志が何であるのか分からないまま自分の欲望の追い風に吹きつかれて(フ)

ヌ) 行為の名分が勝手に煮詰まり相手に到達して縫い(ヌ)い合わされます。(相手対象と対当対峙する)

ツ) そのまま欲望達成のために自己の全てが動員され相手を突つき(ツ)ます。

ス) それが目的となって手段を選ばぬ自己発現となって、その人には澄んだ(ス)疑いのない思考と行為になってしまい、

ク) 自己欲望のために組み(ク)つき掻き寄せていきます。

ウ) こうして相手対象は侵略なり消費なりの欲望充足のための自己表出の場となりますが、最初に起きたのが自己本来の自覚ではなく欲望充足のための思い付きですから、自分がどうで、相手がどうでという自覚がありません。欲望充足の自覚がありませんから、次の欲望が起これば又繰り返します。

これが斑馬(まだらうま・間の運用の足らないウの間)をさかさに投げ込むことで、通常の欲望充足なら、上記を下から読み直してください。

ア段なら、アカサタナハマヤラワになります。

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ク◎ イマ-いま-イの間論の準備中

現在しかない、今しかない、といっも今や現在が居すわる訳じゃない。

何としても、現在も今も動かなくてはならない。

今現在しかない、ではちと都合が悪い。

おしっこしたくて我慢していれば、とても長い、ながーい今が、続く。

「そもそも過去、現在、未来などというのは人間がつくった虚構でしかない。」 なんてよくいうよ。

人はこうした考え方が普通にできる構造にあるのです。

間違ってるぞなんていったら、いけないですね。それで普通なのですから。

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ケ◎ イマ-いま-イの間論の準備中

思い付き、気付きは全く駄目で、「でんぐりかえし」されるといいました。

しかし、

始めは、気付くこと思い付くこと、そこから始めることしかできません。

気付きのあ行あかさたな・・を、たかまはら・・に変換する、

そのプロセスが禊ぎ祓えです。

水浴びすれば身体の健康にはいいかもしれないが、

頭の健康運用には関係ありませんので、風邪引かないように。

ついでに

だみ声で祝詞、経文唱えるのも、頭の生理健康にはいいかもしれないが、

思惟運用が健康になることはありません。間違えないように。

それらはみんな意識を物質次元に引き下げる行為です。

ですので御利益も物質的でしかありません。いわく気分爽快。

頭の生理上の健康と思惟行為の健康とは別ですので。

否定もせず、捨てもせず、破壊もせず、無視もせず、止揚します。

それが、イマの瞬時にヒョイヒョイと出来てしまうのが、スメラミコトです。

ですので、間違うことがありません。

感情感覚次元で出来るのが、禅坊主です。

その知識ではよろしくないと切り捨て拒絶しますが、再利用再変換止揚し再構築する仕方を言えません。

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コ◎ イマ-いま-イの間論の準備中

「時間の構造」でググッたら「交流分析」なるものがでてきた。

「交流分析では、日常的な人間関係を通して『他者からのストローク』を得るために、自分の生活時間の使い方を構造化するという考え方があるが、これを『時間の構造化』と呼んでいる。交流分析における『時間の構造化』には、『自閉・儀式・活動(仕事)・雑談・ゲーム・親交』の6種類が仮定されている。」

ネットに頼ると情報が拡がりすぎるけれど、情報価値があるとかないとかは別として、みんな分析と総合しかしていない。

もちろん緻密な分析と総合から出てくるのだから、みんな立派な仕事で役に立つものとなっている。

一度ひふみ神示の神さんに、それでも「でんぐりかえし」は必要なのか、と聞いてみたい。

影響力のある立派な仕事、社会の大多数の賛同を得たものも「でんぐりかえし」が必要不可避ということなのか ?

Yes.なら、わたしも続ける。全体のでんぐりかえしか、少なくとも私のでんぐりかえしのために続ける。

No.なら。多くの支持を得た社会的に通用しているものにはその必要はないなどといわれたら、焼き捨てる。とはいっても最初からひふみ神示の本は持っていないけど。