22- 「三権分立」

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「古事記と言霊」講座 その二十二 <第百八十一号>平成十五年七月号

天の御中主の神に始まり、天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命(三貴子)の誕生に終る言霊百神の講義は前号にて終了しました。人間精神を構成する最終要素である五十の言霊と、それを整理運用する五十の運用法、計百の道理はここに完成したのであります。

ところが、古事記には右の百神の原理に次いで、その附録、または後日譚とも謂うべき神話が文庫本にして半頁程書かれているのであります。この半頁程の神話を言霊百神の神話と同様に謎解きをしますと、極めて重要な事柄が示されている事に気付きます。そこには人類の歴史創造の営みにとって重大な影響を持つ三つの事項が書かれています。その事について今号より百神の原理の後日譚としてお話して参ります。三つの事項とは次の様なものです。

一、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三権分立

二、天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた事

三、建速須佐の男の命の反逆

古事記の文章を載せます。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

以上は「三権分立」と「天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた」という第一と第二の事項の古事記の文章であります。説明して参ります。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、

天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命という言霊エ・オ・ウを中心とした言霊学の総結論を完成した伊耶那岐の命はここに到るまでの経緯を顧(かえり)みて、三貴子の結論に達した事を大層喜んで、次のように言いました。「私は最初に伊耶那美の命と協力して言霊子音を生み、次に私一人でその言霊の整理・運用法を検討し、終に言霊学の総結論である三貴子(みはしらのうづみこ)を得る事が出来た」と言いました。

この伊耶那岐の命の子生みを「子音創生」の神話からと考えますと、子音三十三、整理法五十計八十三神となります。また伊耶那岐の命を言霊布斗麻邇の神と考えますと、古事記冒頭の天の御中主の神以下建速須佐の男の命まで、伊耶那岐の命自身を含めた言霊百神全体の事と受け取る事が出来ます。

すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。

御頸玉(みくびたま)とは頸に巻いた玉の事、その玉を糸で繋いだロザリーであります。また頸(くび)とは組(く)む霊(ひ)の意でもあります。言霊の事を霊と呼びます。言霊を組む事によって大和言葉が生まれます。御頸玉とは三種の神器の一つ、八坂(やさか)の勾珠(まがたま)と同様のものであります。「もゆら」とは辞書に「玉がゆれ動き、触れ合って鳴る音」とあります。そのロザリーを天照らす大御神に与えました。という事は言霊の原理を天照らす大御神に与えた事になります。そして伊耶那岐の命は天照らす大御神に「汝が命は高天原を治めなさい」と命令し、委任したのでした。高天原とは前にもお話いたしました如く、五十音言霊麻邇によって結界された清浄無垢な精神の領域の事を謂います。

かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

この様に天照らす大御神に言霊原理を与え、月読の命、建速須佐の男の命には言霊原理は与えられませんでした。この事は人間の心の内容・意義にとって、またその後の人類文明創造の歴史の中で重大な影響・意味を持つ事になりますが、その事に就いては後程詳しくお話することといたします。

かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

御倉板挙とは御厨(みくりや)の棚(たな)の意です。天照らす大御神の知しめす食物といえば言霊のことです。それを並べておく棚という事で五十音言霊図の事であります。天照らす大御神が父神、伊耶那岐の命から授かった御頸珠とは五十音言霊図、またはその原理だ、という事となります。

次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。

次に伊耶那岐の命は月読の命に「貴方は夜の食国を治めなさい」と命令し、委任しました。夜の食国とは昼間の言葉である言霊に対して、その言霊の日の光がない国の言葉、それは哲学や宗教に見られる経験知より始まる概念とか、または表徴等の言葉の事でありましょう。精神内容を表現する言葉から言霊原理を差引いた言葉の領域、これを夜の食国といいます。この事は月読(つくよみ)の命という名前の由来ともなっています。月読の月(つく)とは附く、即ち附属するの意です。何に附属するか、と言いますと、言霊とその原理に附属して「読む」、即ち説明するの意です。そこに経験知に従って表出された概念や表徴の言葉が使われるようになります。それはまた言霊即ち日(ひ)(太陽)の光を反射して照る月の光で物を見るように、何事も薄ぼんやりとして実相が見えない領域を指しています。月読の命はこの領域を治めよと命令され、委任されたのでした。

次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。

伊耶那岐の命は建速須佐の男の命に「お前は海原を治めなさい」と命令し、委任したのでした、の意。海原とはウの名の原の意で言霊ウの領域の事です。言霊ウの心の宇宙から発現する人間性能は五官感覚に基づく欲望です。その性能が社会活動となって産業・経済社会を現出させます。現代科学文明はこれによって創造されたのであります。

以上、伊耶那岐の命は三貴子にそれぞれの統治の分野を決定したのでした。天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、建速須佐の男の命には海原を統治する事を命令し、それを委任したのであります。世界人類の文明を創造して行く為の人間の基本性能である言霊エオウの三次元宇宙のそれぞれの主宰神として天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命を任命したのであります。これを人類文明創造上の精神の三権分立と呼んでいます。

この三権分立が実際に歴史を創造するに当り人間精神の五段の次元をどの様に分担したかを考えてみましょう。天照らす大御神が治める高天原とは、言霊原理に基づいて人類の歴史を創造する実践智の領域です。即ち言霊イ(言霊原理)と言霊エ(実践智)を活動領域とします。その統治の責任者は、神代といわれる第一精神文明時代には霊の本(日本)の国の天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)であり、言霊原理隠没の第二物質科学文明時代には、言霊原理によって作られた日本語を話す日本人の心の奥の潜在意識として、またその原理の象徴物である三種の神器として日本天皇家の秘宝となって皇居賢所に保管され、来るべき文明転換の時を待っています。

月読の命は、その自らの分野である言霊オに言霊アの分野を結び付け、言霊原理を除いた主観世界の観察に採用し、世界の哲学、宗教、芸術の諸文化を創造して行きました。世界各民族に伝わる神話もその所産であります。そしてその活動地域は主として東洋でありました。

建速須佐の男の命は、その自らの分野、言霊ウに言霊オを取り入れ、それを客観世界研究に採用し、自然科学を振興させ、産業・経済社会を建設して行きました。その活動舞台は最近までは主として西洋地域でありました。

以上の三権分立を表に示しますと、次の如くになります。

次に後日譚の第二の事項「伊耶那岐の命は三貴子の中で天照らす大御神のみに言霊原理を与えた」事についてお話を進めましょう。

伊耶那岐の大神が禊祓をする為の規範として斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の音図が、禊祓の作業の最終段階の底・中・上の三筒の男の命によって三通りの言霊子音の連続の現象として絶対の真理であることが證明されました。その證明によって言霊学の最終的結論である天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命が誕生したのでした。それによれば、天照らす大御神の働きは、絶対真理と證明された天津太祝詞音図のエ段、エ・テケメヘレネエセ・ヱであり、月読の命の働きはオ段、オ・トコモホロノヨソ・ヲであり、また建速須佐の男の命のそれはウ段のウ・ツクムフルヌユス・ウと示されたのです。にも拘らず、三貴子の誕生後に於て、伊耶那岐の命は天照らす大御神にのみ言霊原理(御頸玉)を授け、月読の命と建速須佐の男の命には授けなかったのであります。言い換えますと、人間の心の五次元性能アオウエイの中で、言霊エによってのみ言霊イの言霊原理を操作・運用することが出来る、という事実が決定した事になります。

では、天照らす大御神と同様、筒の男の命の八子音によってその絶対性が證明され、しかも言霊原理を与えられなかった月読の命と建速須佐の男の命は、どの様にして伊耶那岐の命から指定されたそれぞれの分野、夜(よ)の食国(おすくに)と海原(うなばら)を統治して行ったのでしょうか。前に触れましたように、月読の命には言霊原理の代りに、経験知に基づく概念、比喩、表徴等が与えられ、それによって言霊原理に基づく物事の名を説明する事、言霊原理による物事の実相を比喩・表徴によっておぼろげではあるが、その実相に限りなく近づける弛まぬ努力の作業によって、哲学、宗教、芸術の領域を広め、人々を教育する分野を司って行きました。そして高天原の言霊原理が世の表面から隠されてしまった、人類の第二物質科学文明時代にあっては、三貴子の残された二神の一として、片方の建速須佐の男の命の物質面に対して、精神面を受持ち、荒廃する人類精神の唯一の支柱となったのであります。太陽が西の空に隠れた後の夜空に地上を照らす月の働きとなって、人々の心の慰めとなり、希望を与える役目を果たして行ったのであります。

言霊原理を与えられず、海原である言霊ウの名の原、即ち人間の欲望性能の主宰となった建速須佐の男の命には言霊原理の代りに数が与えられました。言霊ウの性能に言霊オの経験知を結び付け、その働きを客観方向に向け、観察の結果の表現法として数の概念を取り入れたのであります。それによって現象の表現と諸現象の間の関係の表現を数によって示す事によって表現の曖昧さを無くし、人間の信頼に耐え得る学問・文化を築いて行きました。その結果は、人類の第一精神文明の基礎である高天原の言霊原理と、その精確さに於て引を取らぬ物質科学文明を築き上げて行く事になります。

建速須佐の男の命という名は、竹がすさまじく速く延びて行く、と読める如く、人間の欲望性能の行き着くままに、すさまじい勢いで生存競争の世の中にあって物質科学を発展させて行く事を示しております。と同時に、その反面、須佐の男の名は、須(す)即ち人類の主(す)である天照らす大御神を佐(助)けるとも読めます。人類の第二物質科学文明完成の暁、精神文明の天照らす大御神と物質文明の須佐の男の命は共に相携えて、車の両輪の如く第三の人類文明時代の建設の責任者ともなる事を示してもいるのであります。

蟹はその甲羅に似せて穴を掘る、と謂われます。同様に人類もまたその甲羅に似せて穴を掘ります。人の甲羅とは人間の心の全構造とその働きの事であり、穴とは人類文明創造の歴史の事であります。日本人の大先祖である皇祖皇宗は長い年月をかけて五十音言霊布斗麻邇の原理を発見し、その原理に基づいて人類の文明創造の法則を禊祓の行法によって古事記神話が教える如く、高天原の天照らす大御神(エ)、月読の命(オ)、建速須佐の男の命(ウ)の三貴子という総結論を手中にしました。この結論を得た後に、天照らす大御神にのみ言霊原理を与えるという大英断を下しました。その三貴子のエ・オ・ウの三権分立・協同の縄(名和)を巧妙に糾(あざな)う事によって、この地球上に、人類の永遠の福祉社会を築く為の経綸を定め、実践することとなります。

特に天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた事、即ち人間精神の最高位にある創造意志の次元にある八父韻操作が天照らす大御神(言霊エ)によってのみ自覚・操作されるという人間の基本性能の彩(あや)を最高度に活用して、人類の第一精神文明、第二物質科学文明、そして今後予想される第三生命文明時代創造と続く人類歴史創造の経綸の大綱を決定して行ったのであります。言霊原理とその操作法を説く言霊学に基づいて永遠の人類生命の営みの歴史の大綱を決定した日本人の大先祖の気宇の高邁さが忍ばれるのであります。

以上で後日譚の第二項「御頸玉は天照らす大御神にのみ与えられた」の説明を終ります。これによって天照らす大御神は自らの統治の領域である高天原日本は勿論のこと、月読の命の宗教・哲学・芸術の分野や、建速須佐の男の命の物質科学・産業経済の分野の社会の進展状況をも、即ち人類の現実界の営みの一切を言霊麻邇の相に於て観照・把握し、それを統轄して、世界人類の文明の創造者として日本の高天原に君臨しているのであります。言霊麻邇は言霊エに於てのみ操作する事が出来るものだからです。

後日譚の第三項「建速須佐の男の命の反逆」の話に入る事とします。先ず古事記の文章を書き記します。

故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。

以上が速須佐之男命の反逆の文章であります。「古事記」の角川文庫本には、先に建速須佐の男の命と書き、此処では速須佐之男命と文字に違いがありますが、そのままに書く事といたします。「反逆」と書きましたのはどういう事なのか、先ずその事から説明して参ります。

故(かれ)、 各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、

故(かれ)、即ち「故(ゆえ)に」とありますのは、伊耶那岐命が三貴子である天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、そして建速須佐の男の命には海原を、それぞれ治めなさい、と命令し、委任した事を受けての言葉であります。三柱の神に伊耶那岐の命が命令して以来、三貴子のそれぞれは長い間自らに委任された精神上の国々を命令に従って、力を合わせ、三権分立し、同時に三位一体となって精神界の統治の事業を実行して行ったのであります。この期間は、実際の人類の歴史上では、今から八千年乃至一万年前から、三千年乃至五千年程前までの間と推定されます。

そしてその期間に於ては、天照らす大御神は言霊原理によって高天原日本と全世界の文明創造の任に当り、月読の命は言霊原理を除いた精神界に於て、比喩・表徴・神話等の方法で言霊原理を一般に説明する仕事を分担し、速須佐之男命は姉神天照らす大御神の言霊原理運用の法をそのまま物質世界の産業・経済社会に適用することによって、物質の生産・流通の促進・調整の任に当っていたのであります。

速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、

三貴子の三権分立、三位一体の時代、人類の第一精神文明時代は長い間続きました。しかし或る時、物質の生産・流通の調整の任に当っていた速須佐之男の命の胸中に変化が起こって来ました。今から約四・五千年前の事と推定されます。速須佐之男の命は思いました。「姉神、天照らす大御神の精神の原理、五十音言霊布斗麻邇の学は確かに非の打ち処がなく、完璧なものである。けれど心とは違い、物質世界に於ては、精神界の原理とは違った法則があるように思えて仕方がない。私は何としてでもこの物質界の法則を検討し、極めてみたくなった。」一旦こう思ってしまった速須佐之男の命には、姉神の言霊原理を真似る事によって海原である物質を運営する仕事に対する情熱がすっかり冷めてしまったのです。速須佐之男の命は父神伊耶那岐の命から命令・委任された物質の生産・流通の仕事をやらなくなってしまいました。

八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。

須(ひげ)は鬚(ひげ)です。また霊気(ひげ)の謎でもあります。霊(ひ)は言霊、気(け)はその言霊を生む原動力である父韻を意味します。八拳須とありますから八つの父韻の並びという事になります。心前(むなさき)に至るまで、とは自分の心に満足が行くまで、との意。啼きいちさき、とは、八父韻は古事記の前の所に出て来ました「泣き騒ぐ」神(泣沢女神)であります。速須佐之男の命は高天原の「タカマハラナヤサ」の八父韻の配列ではない、物質探究に適した方法の配列は見つからぬものか、と躍起となって声を出して探し求めたのであります。

その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。

高天原精神界は一切のものをその有りの侭に認め、それ等のものを全体の調和に導いて行く文明創造の原理です。それに反して速須佐之男の命が目指す物の探究は、一切のものを破壊し、その要素に分解して性質を探ろうとする高天原とは全く正反対の行為であり、その有り様は物凄いものがあったのです。そのため何時も平穏な高天原精神界が青々と草木が茂る山々がみんな枯山になってしまうような、また海や川がすべて涸れて、乾し上がってしまうような騒然たる状態になってしまったのであります。

先に千引の石を中に置いて、伊耶那岐の命と伊耶那美の命が言戸(ことど)を度(わた)す時に、美の命が「汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」と言ったのに対し、岐の命は「吾は一日に千五百の産屋を立てむ」と答えた、とありました。これは必ずしも人を千人殺し、千五百人生むという事ではなく、高天原の言霊原理に則って造られた物事の実相を表わす言葉を破壊したり、新しく造る事だ、とお話をいたしました。今此処での話も、速須佐之男の命の行為は、高天原に於て言霊を結び合わせる事によって物事の実相そのままの大和言葉の名をつけられた物事を、物質研究のために破壊分析し、分析された物事に対し、言霊原理に則る事のない、人各自の経験知によって名を附す事となります。理路整然とした実相音で成立している高天原の世界に、各自の経験によって造られた名が附されるという事は、それだけで高天原精神界にとっては、重大な冒涜行為であったのであります。

(以下次号)