み i 子様のための古事記の言霊百神 はじめ

i子 様のための古事記の言霊百神

これは古事記の神代の巻を『心の原理論教科書』として読み直すものです。

神々の神話物語とされているものはここでは、神々に代わって各人の心の成長物語になっていきます。

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i子 様のための古事記の言霊百神

1. 『古事記神代の巻 の読み方』

始めに聞き慣れないことでしょうが、古事記の真理を話しておきます。

ここでいう古事記上巻の神代巻は、いわゆる神話時代に関してだけを扱うものです。

中下巻の皇統記は心の原理論の対象外となります。

神代巻は現代では「言霊学」と呼ばれ、古代には「ふとまに」と呼ばれた、スメラミコトのまつり事運用の為の学問でした。

スメラミコトは古事記上巻の意味内容を知って、ことに、冒頭から百神までの神々の名で示された心の内容を修得することによって、まつり事を行ったのでした。

どこの国においても現実のまつり事に神の名前を持ち出して采配を振るうというのは、映画、ドラマの上だけのことで現実的にはそのような政治は無いでしょう。

どういう訳か古代人というのは幼稚だということで、そんな風評が押しつけられ、世界政治運用、政策選択、文化事業、まつり事等も人の心が行うものだということが忘れられています。

神代巻は心の動きの原理を、神の名を借りて示したもので、その活用運用の為の大和の言語体系を創造したことを示しています。

その時代は遠く古代において、数世代のスメラミコト達の偉業の成果としてあったことでしょう。古代のスメラミコトの政朝の運用と古事記の選録までには数千年の時代の差があります。

それは古事記選録の(712年)数千年以前に人間の心の原理、行動、分化社会政治への適用規範として完璧に完成していたものです。

しかし、太安万侶の時代までには伝承されていはいたものの、多くの異説誤りが混入するようになっていました。

そこでスメラミコトにおいては、心の原理、世界運用のまつり事の原理を古代での発見と同様の正しい姿で残すことが急務となっていたのです。

しかしだからといってスメラミコトノの為の学問、運用規範を一般用に平易に書き記すこともありません。そこで案出されたのが神話の形を借りて、それによって心の動きを暗喩指示しまた呪示暗示によって、心の原理を残す方法でした。

ですので神代記でいう神々がいて、その神々の物語があるのではなく、もともとそういった神々の存在を解説しようとするものでもなく、心のあり方を神々の名に変換していったものです。

それが時代とともに受け継がれていくうちに、心の要件が神々の話となり、神々の物語に変質していってしまったのです。そしてその変質した延長上にスメラミコトの系統が乗るようになったのです。

こう書くと古事記の神を語りながら、神々の神威をないがしろにする不届き者とされてしまいそうです。

しかし、当初において、古代において、神とは心のことで、人の心のことを神と呼んでいたものですから、現代のわれわれはそれを正しく心の要件に戻す必要があります。

現代この今からのわれわれは、古代大和の人々と同様に、元々の心の要件として古事記を読み直されなければなりません。

これが安万侶が後世の人々に送った、そして何よりも後世のスメラミコトに送った隠された意図です。

その隠された意図にある真理とは次のようなことです。

神とは人のことであり、人の心のことで、人の心は神代の巻の冒頭百神によって示され、書かれた百神に沿ってそのように動くしかないないということを、数千年前に発見し、それによって大和の日本語を創造して、それを持って社会文化を創造し、まつりごとを行っていたことを記すと同時に、スメラミコトの意図の発現として世界歴史があるということを知らしめすことです。

従って、世界平和のため理想社会を建設しようと議論を尽くして進もうということではありません。そこには古代スメラミコトの集団によって発見された人の心の原理やその運用法がありません。

一言で言えば、古事記の冒頭の百神の心がないということです。

神代巻を隠された心の原論として読むには、一貫して心の成長を追うことが必要です。

海の神とか、風の神とか、あるいは地名とか事物出来事やあれこれの事象が出てきますが、それらの解読を追うのではなく、初めに生まれ出てきた心からの一貫した成長を見るようにすることです。

また、実際に神代巻は、最初の一言目である『あめつちのはじめのとき』の『あめつち』が、一貫して何回も何回も繰り返し姿を変え出てくるようになっています。

早い話が、『あめつち』を語るために書かれたといってもいいくらいです。つまり、心とは『あめつち(天地)』だからです。

神代の巻の中では、神々の名も事象も成すことも全部『あめつち』の変化したもので、心のあり方の成長変様を語っていくものです。

そんな『あめつち』とは何でしょう。

「ア(あ)の芽(め)が付(つ)いて地(ち)に成る」ということです。

どういうことでしょうか。天地(てんち)はどこへ行ったのでしょうか。

古代大和の意と安万侶の意が、現代のわれわれに汲み取れるか、やってみたいと思います。

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2. 『古事記。こじき、ふることぶみ。』とは。

神代巻の読み方にもコツがあります。

今までのように事象の実在実証のために理由を見つけることではありません。

その要点は驚いたことに、「こじつけ」を見いだすことなのです。

「こじつけ」の世界チャンピオンは古事記そのものなのです。どういうことでしょう。

昔、飲食店でツケで飲み食いを頼むと、女将さんは引き出しから帳面を引っ張りだしてきて本日分を記入します。

その帳面の表紙には「記帳」と書かれていて「つけちょう」と呼んでいました。

その「記」は「ツケ」と読み、古事記に該当させれば「古事記=こじ・つけ」と読むことになります。

古事記をこれから「こじつけ」で読んでいこうとするものですが、そんなものが学問になるかと反撥されるかもしれません。しかし、こじつけは屁理屈と違って曲解へ導くものがありません。

「こじつけ」は「故事付け」ですから、ちゃんと昔からあった事柄、伝承されているもの、いわれ等を今に伝えるものです。まさに「古事記」の内容そのものとなるでしょう。

そこですでに主張している心の原論として読む見方について、さっそくこじつけを適用してみます。

古事記という表記を一旦もとの大和の日本語に戻して後、同じ読みの別の漢語を配当させてみます。

「古事記」は「こ・じ・き」で「子の事(こと)を記したもの」で、神代巻全体はイザナギとイザナミの命の子生みとその後の現象の話となっています。「子」を「こ」として心の「こ」ととれば、「心の事を記したもの」となります。イザナギとイザナミによる「子という現象創造の事を記したもの」となります。

「こ」が「心」というのは、後におのごろ島の段落で「おのごろ=己のこころの島」となって出てきます。

また、「ふることぶみ」という読みもあります。この場合も「ふる」に漢字を当てはめますと、今までに公式的に主張されてきた古い事を記したものという解釈だけでなく、「ふる、振ること、奮る事」等も同様に成り立ちます。

「奮る」は心が奮い立つ事で、奮い立った心の持ち方運用の仕方は「振る」という行為に現れます。「振る」はバットを振る、サイコロを振るとかの、心の事象を適用運用する事です。

「ふることぶみ」の「こと」は言葉・言霊にもなり、事物も言葉も現せる様になっています。

奮い立ち起き上がった心を運用し、振る言葉言霊の事を記した「ふることぶみ」となります。

このように古事記を漢語で読めば「古い事」を記しただけのもので終わりますが、漢語の使用から一旦大和言葉に戻して、大和言葉から出発し直せば大いに別の可能性とその真実がでてきます。

そこで力を発揮するのが「こじつけ」となります。もともと故事としてあったものを発掘し直すのですからぜんぜん屁理屈ではありません。その反対に多くは後年の解釈が屁理屈となり常識となって固定していきました。

このように漢語を平仮名に書き直すことは、大和言葉の威力の再現となるものです。

古事記の序文にはそのことが苦労話として載っています。

記は大和言葉を漢語を借りて表現したのですから、漢語を主にして解釈するのは間違いの元なのです。

古い事の物語と心の振る事の物語では大変な違いです。

史実とか実証とかを当てにした屁理屈はどちらでしょうか。これは一二の単語に当てはまる事ではなく、古事記の神代の巻き全体に適用されます。

「こじき、ふることぶみ」は大和の日本語のために真似て似せた表記である漢語を適用したものですから、もともと漢語の示す事は全て象徴暗喩となっています。

漢語の意味を必ず取らねばならないというものではなく、もちろんまた、そのために書を現したというものでもありません。あくまでも大和の日本語を現すために借りてこられたものです。

ですのでもともと漢語の意味を追求する様には出来ていません。そのような無駄な事はしなくてもいいのです。大和の故事を見いだし付け加えていけば、意味が見いだせる様になっています。

古事記をただ古い事を書いたものとするのなら、古事の物語、実証できない部分は昔々の神話物語となります。しかし、漢字を大和言葉に戻し、ひらがなから出発すると多くの異なった姿が表に現れてきます。

大和の言葉は漢語を使用して当て漢字を作れますが、それによって漢字の意味に囚われることなく、取り入れつつ大和の本来の意味が出てきます。

そこでは漢語の実証、歴史事物の発見に終わることなく、大和の言葉の心の由来にまで到達できるでしょう。

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3. 『古事記と心』

宣長によって「こじき」は大和の日本語として読む道が開けています。

従って「ふることぶみ」を奮い振う心の子の事を記した書とする事もできるわけです。

たまたま所々で取り上げられてそういった特殊な解釈ができるならいざ知らず、たったそれだけの事なら屁理屈となってしまうでしょうが、終始一貫した大和の日本語による心に関する「こじつけ」ができれば、返って、表現された漢語文全体が「こじつけ」によって出来ていることが証明されるでしょう。

では何故古事記はそんな真だるいことになったのでしょうか。

それは古代大和において考えられた全世界の統治歴史創造に関わる話になります。

歴史とはあの事件があった、この事件が起きたという過去における変遷興亡の物と物、それに関わった人と人との作用反作用ではありません。

ある人々の目論んだこと意図したことの歴史意識の創造表現です。

石をかち割り石器を作ったというのは、物と物の作用反作用で出来たものですが、そこに石器を作り生産活動を行うという方向に向う意志のある時に歴史となります。

それと同様な事が人の使う言葉についても言えます。

言葉を分析すれば発音発声する口側の方からと、空気振動を聞く耳の方からの物理的、生理的な整理検討が可能です。

音韻とか声調とか、言葉の色艶とかやさしさとか、パワーとか、良い言葉悪い言葉の響きとか、それらの事には多くの分析結果があります。

しかしそれらは石器の形状や材質や産地やそれらにまつわる事を検討分析しただけのもので、心の意識との関わり、心の出所を表現したものにはなっていません。

名付けられたものの形、現象形態を示すもので、その名の実体内容、心から出てきた心の実相を現したものではありません。

言葉の形は示されますが、言葉の心は不明となります。

言葉の現象を扱ったり、古事記を古き事を記した物とする限りは、新発見、実証、新解釈を主とする単なる疑問、反省を証明するだけの学問となります。

しかし、古事記を「こじき、ふること」と大和の日本語に戻しますと事情は一転します。

漢語唐心から解放されていくと驚くべき事が現れ出てくるのです。

心は対象事物に名を付ける事によって自分の心をあらわします。そこから心の歴史が始まります。

また心に事情が起きるにはその前提となる実在が要ります。その前提となる実在が心に映るところから心が始まりますが、前提たる実在は、心の機能構造にそれに対応した働きをする前提がなければなりません。

人は意志を持ち目論見を持って行動していくものですから、ここに人の先天的な心の前提を据えなければなりません。 人間主体側の先天世界と客体対象側の先天世界が対応することになります。

古事記の神代記を心の子( 現象) の事を記したものの原論として読む時は、心の創造現象である「子」の主客関係の構造を見ていくことになります。

客観事実を取り扱う科学思想は客体側から始めますが、古事記の神代の巻きは人の主体意志、心の活動を扱うものですから主体側の先天活動が重点的に設定されていきます。

心の中の主体側の意志、意図は自らの存在を主張し始めるやいなや、他者たる客体があることをその心の中に気付くことになります。心の内に他者たる客体が普遍的に実在していることを反映することになります。

この客体側の先天実在を示すものが「蛭子」と「淡島」なのです。これは今までの漢語の解釈からは出来ないことですが、後に詳しく説明されます。

こうして全く実証する相手を、自分自身の中にある先天実在、蛭子と淡島、を自分の中に客体として見つけることとなります。

心の原理を古来、フトマニと呼んでいました。それは五千年以上前からの歴史を動かしてきました。そんなことが何故言えるのかといえば、世界に散らばる、民話、神話、賢者聖人宗教家たちの残したそれぞれの思想等の隠れた実体となっているものだからです。

例えば中国の五行思想では彼らはその実体内容を知らず、大まかな実在世界を示すだけですが、その成立史を見れば、五行の実在世界の分析方法を古代の大和から学んでいます。というのも神代の巻がその実体内容になっているからです。また旧約聖書のモーゼの思想もその原理を古代大和から多くを学んでいます。

これらのことは世界歴史創造の主体側の話になりますが、後日実証されていくでしょう。

要はこれらの話を自他ともに了解納得させ、誰もが運用体得しているものであることが分かればいいのです。

古事記は外面的には難しい名前の神さんが多く出てきますが、内面的な各自の心の動きそのものの何かに相当しているものですから、それを試してもらえればいいのです。

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4. 『神代巻は完璧な心の原理論』

神代の巻はそれこそ完璧な心の原理論ですから、当初はいろいろと疑問を出しつつ覚えていくよりはそのまま受け取った方が楽です。疑問を出して解決しつつ覚えていくというのも一つの方法ですが、小さい時から使用している日本語を疑問を出しつつ覚えるなどということはありえません。

同様に心の原理論も大和の日本語を使用している以上自然に覚えていっているのです。多くの場合は自覚がありませんが、日本語の構造そのものが心の原理の構造となっているものですが、成長していくうちに返って原理が隠されていくことで、より創造的、攻撃的排他的な生産的な思考を作っていきます。

しかし残念ながらそこでは内省的なこと、自己を反省することがおろそかになっていきますので、原理の存在をますます忘れる方向になっていきます。

とはいっても古事記の言葉は難しく漢語を読み下し書き下していかないと、通常の日本語として解読するまでには至りません。しかも暗喩呪示だらけですので外字面をそのまま受け取れません。解読には解釈が付き物で、知的な疑問がすぐ出てきて、その疑問からまた次の疑問が出るというようになっていますから、どこをどう受け取っていいのかも分かりません。

心の原理であるならそういった問題にも答える必要があります。

そこでまず疑問を持つ以前に、赤ちゃんのように白紙で受け入れてしまうことです。そんな洗脳のようなことは知性的人間として出来ないというのでしたら、その方はいずれは知的な疑問の解明に突き当たり、服従か放棄かを選択せざるを得なくなります。

そのような無駄な回り道をしないで最初から赤ちゃんのようになることの方が簡単です。そして分からないところがあれば、疑問を出して自分の頭で答えを出そうとしないで、分かっている以前の段階に立ち戻ることが重要です。

知性理性を持つ人は、他人のものは自分の納得したときしか了解しませんが、自分の主張とするものは、自動的に自己の所有物としての権利さえ主張して、他者による了解までも自分の手の内にあるかのような態度をとります。

分からないで持つ時の疑問も同様に、自分の得ている疑問の持ち方に拘泥しています。自分の分かっている部分も、疑問の持ち方も、一部でありその人だけの見方でしかないのですが、常にそれだけが自己所有物となって固執されていきます。

そのような時も、分かっているあるいは、分かっていないと分かる元の段階に戻ってください。

この章の表題である神代の巻が完璧な心の原理論という時も、当然知的な好奇心によってさらに先を読もうとする心が起きるかもしれません。そのまま進んでいきますと自然にそんなはずは無いという知的な壁に行き当たります。疑問が出来きて一応解決したような形を取りますが、自分の経験で取り繕うところがあっただけで原理上の理解になっていることはほとんどありません。

五千年以上も前に完璧な心の原理などあろうはずが無い、現代の認識論哲学、心理学、思想のたまものを超えているはずが無いというのが常識です。この常識を覆すには、たった一つのことしかありません。

あなたの使用している日本語の体系は五千年以上も前に完全な構造でスメラミコトの集団によって完成させられ、いまそれを無断で使用しているのがあなた自身であることを知ることです。

もしそんなはずが無いというのなら、あなたも他人と会話できるあなたの言語規範体系を提供してみてください、となります。

では前に進みましょう。古事記を「こじつけ、心の子の事を記した」書と読んだように、冒頭の「天地」を読んでみましょう。

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5. 『冒頭百神と心の目次』

ここで神代の巻が心の成長とどのように対応しているのか、本文に沿って目次のようなものをまず提供してみましょう。実は神代の巻といっても冒頭から百神までが、原理の本文です。冒頭百神までが秘められ古事記の本文となります。心の現れから心の納得されるまでの過程の一行程です。

百神というのは、「あ」と言って「あ」と言ったなと了解されるたったの一秒にも満たない心の動く時間を、百の過程に分析して示し、それぞれに神様の名前を借りて説明したものです。

科学において一秒、一ミリを細分して行って別の次元世界に導くように、精神世界においても、例えば喋った「あ」を聞いて即「あ」と納得する過程を細分して、別の次元宇宙を見せてくれます。それが既に五千年以上まえの大和において完成した思想となっていました。その伝承の表現が古事記の冒頭の百神なのです。

面白いことにというか不思議なことに、冒頭百神の記述そのものが、心の動きの目次となっています。

またそれが一分の狂いも無い原理となっていて、心の原理は当然創造活動の行動実践原理となります。

心を現すのは言葉ですが、心の原理通りに作られているのが大和の日本語で、世界に類例の無いものです。よく世界に散らばる古代語と日本語との類似比較がなされていますが、その実体は古代において大和言葉が世界に広がっていたことの証となっています。

心の目次は冒頭百神そのものですから非常に長いものです。

目次は項目に分け内容の順序を記すものですが、内容の分類と順位が意識の内になければ目次は立てられません。その意識は最初からあるものではなくある順序によって出来上がったものです。つまりいわば目次以前に目次を成立させるものがあるということになります。

神代の巻ではそのことも示されています。オノコロ島が出来た後に島生みが行われますが、己の心を生んだ後に島を生むということで、「島・しま」とは心の締まりのこと、こころの締まり領域のことを指しています。海に浮かぶ島々を生んだのではありません。

百神による一過程は、巡回、循環という形式を取り、百神による循環を言霊循環と読んでいます。

循環ですからどこから始まっても、また元に戻りそこから新たな段階に登るという循環上昇、螺旋階段状の形になっています。

例えば「こんにちは」という時、その準備があって、「こ」と言って聞いて「こ」と納得してその上に「ん」と言って聞いて「ん」と了解して、更に「に」と足して行って「に」を了解して次の「ち」を発音して、「は」を言い終わって全部で「こんにちは」を言ったことを了解して、自他ともに輪ができる、言霊循環重層構造となっています。

神代の巻きの神々の冒頭百通りは、その始めの一循環を記した原理なのです。それを言霊百神と読んでいます。

では心の目次、言霊百神を記してみましょう。

これは最初の一巡目ですから、終わりが始めとなるものです。

冒頭百神は文庫本でも十数ページにもなるもので、つまりそれだけの長さになる目次ですが、まずは大いにカットして大体の構造を見てもらうための、第一目次を記し、次いで百神名をも目次として載せてみます。

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6.『目次、心の百神』

心の成すことは、心の相手対象を取り入れること、自らを現すこと、心にある事を行為実践し創造、表現することです。

まず心の流れの概略を見るための目次

先天高天原(先天領域十七神) ・心の先天領域・心の始まり以前と始まり

心の先天領域の始め

主客の全体領域の発生

心の活動領域

心の力動因領域

心の源泉、気、霊、創造因子

オノコロ島 (己の心の島) ・おのれの心の領域・心の主体側

おのれの心の先天領域(潜在、客体、受動側領域)

心の活動労働領域(主体側領域)

心の心の発動因い(気、霊)

心の先天領域の創出(蛭子と淡島)

島生み(先天実在世界) ・心の現象創出活動領域・心の働く場所

心が働いてゆく全範囲で十四の領域(島)があります。

客体側の先天領域

主体側の先天領域

主客の創造因子(要素)の領域。

創造因子の運用領域。

後天現象領域(言霊要素) ・心による言霊要素の領域・心によって出来たもの

先天構造が渡されて現象構造前の表象になる準備段階の領域

渡された表象が物理構造組み込まれる段階の領域

自らを物理現象として表出する段階の領域

表出されたものが客体側に了解される段階の領域

心によって生まれた現象要素が確定します(三十二神)。

先天高天原(受動領域)と先天オノコロ(主体領域)

客体世界の誕生 ・客観的に表現の固定された世界

後天要素の検討整理規範 ・心の客観対象となったものが組み合わされ初期の言語規範となります。

客体世界のあり方

黄泉国 ・出来上がった心の客観現象世界です。

客体世界の扱い方

禊ぎ

客体側世界の禊ぎ ・客観現象世界を掬い上げる準備です。

主体側世界の禊ぎ ・主観主体世界による掬い上げる準備です。

主客合一(禊ぎ) ・主体が客体を包含した実体を作り上げる準備です。

理想的な思惟規範(高天原) ・自ら客観世界を包含した主観である唯一世界身である自己の立場を完成します。

以上、不完全なものですが、大体の流れです。例えば自分で「あ」と言って「あ」と聞く、その一秒にも満たない心の中の一行程の動きです。

古事記の神代の巻百神までが全部出揃って、一行程が終わります。そしてその終わりが、また始めとなるものです。

思惟規範、言語規範の成立から見ていけば、先天的な思惟認識規範を受け取り、自分に受け入れて、自分側の規範を創造し、思惟の要素単位とその総合によって客体側を創造していきます。

そして創造された自分の客観世界に拘泥することなく、その条件を自分に整える禊ぎを経て、主客の統合された世界を打ち立て、自他ともに理想的な創造規範を作っていくことになります。

次に百神を挿入した目次を作ってみましょう。

非常に長い目次になります。

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7-0 『目次。心の言霊百神の一循環』

冒頭百神は、その神の名前を使って、心の動きの一サイクルのそれぞれの段階を呪示暗示したものです。「あ」と言おうとして、「あ」と言って、「あ」と聞いて、「あ」と了解する、たったそれだけのことですが、その原理が人間の思惟と行動の全てであることを神代の巻は示したものです。

目次であると同時に、内容でもあり、その成り立ちであり、心の働く順番を示したものです。目次を作りますと項目に分かれてしまい、一見分類され整理されて分かりやすくなります。しかし心の循環の中ではどこの段階のことも、全体の循環していく中で、一つの切り取られた部分を示しているだけですので、それらはまた統合されていかねばなりません。

分析分類されていくと同時にその言霊循環の中で総合統合されていきます。整理分析をしつつその裏表では統合掌握が行われています。

また人の心は言葉で現れ、言葉において考え思いが表明されますので、神の名前には多く言葉に関するイメージを喚起するものが使用されています。

人の行為は一つの実行規範から出てくるものですから、その規範の理想的完成へ向うものともなっています。

心の世界に起こること、心の世界のトータルな働きを扱います。概念、観念とか認識とか言う時も、その人側とその相手対象とそれらの全体がトータルにあります。

そして百神を語り終えたところが、上昇一循環して元に戻った姿となっています。

古事記は「天地の初発の時」と始まりますが、前もって言えば、この「天地(あめつち)」の完成した姿が百神目の三貴子になります。

次回は古事記の原文による目次です。

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7-1。原文を目次とする。言霊百神。

神代の巻の言葉の一つ一つは心の動きのそれぞれの段階過程を示しています。「あ」という一言を聞いて納得するまでにかかる時間は一秒の数分の一以下ですが、その過程を記載しようとすれば、ここの目次にあるように全過程を通過して始めて「あ」と了解するようになってしまいます。

全く嘘みたいな話ですが、この目次の過程を全部通過したときに、数分の一秒の世界が説明されたことになるのです。

古代数千年以前にこのような心の経過は発見されていました。その発見、研究、整理、運用、保護伝承に携わったのがスメラミコトです。しかも物的な証拠として、大和の日本語の体系を創造し、大和の文化文明社会を残し、世界運用の準備をしていったのです。

人の心の動きが原理として発見され、人とは言霊の原理通りに動いていくということが明らかにされたということは、その人の作る社会も世界も、原理通りに動いているということです。

言霊の原理、心の原理は、単に言葉のパワーを解明したものではありません。人の心とその動き、人の成すことすることしていくこと、社会を作り世界を作る原理でもあるのです。

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7-2。原文を目次とする。言霊要素

先天十七神

【 天地の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は 、

(01 言霊 ウ) 天の御中主(みなかぬし)の神。次に

(02 言霊 ア) 高御産巣日(たかみむすび)の神。次に

(03 言霊 ワ) 神産巣日(かみむすび)の神。

この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。】

【 次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、

(04 言霊 ヲ) 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に

(05 言霊 オ) 天の常立(とこたち)の神。

この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。】

【 次に成りませる神の名は、

(06 言霊 エ) 国の常立(とこたち)の神。次に

(07 言霊 ヱ) 豊雲野(とよくも)の神。

この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。】

【 次に成りませる神の名は、

(08 言霊 チ) 宇比地邇(うひぢに)の神。次に

(09 言霊 イ) 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に

(10 言霊 キ) 角杙(つのぐひ)の神。次に

(11 言霊 ミ) 妹活杙(いくぐひ)の神。次に

(12 言霊 シ) 意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に

(13 言霊 リ) 妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に

(14 言霊 ヒ) 於母陀流(おもだる)の神。次に

(15 言霊 ニ) 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 】

【 次に

(16 言霊 イ) 伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に

(17 言霊 ヰ) 妹伊耶那美(み)の神。】

おのれの心の領域

【 ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、】

【 伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、】

【 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、】

【 天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。】

【 かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、】

【 その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、】

【 塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、】

【 引き上げたまひし時に、】

【 その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、】

【 これ淤能碁呂島(おのごろ)なり。】

【 その島に天降(あも)りまして、】

【 天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。】

心の創造

【 ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、

「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、

答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。】

【 ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、

伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。】

【 ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、

すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、

伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、

後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。】

【 おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。】

【 然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。】

【 この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。】

【 ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。】

【 ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、

「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。】

言霊、心の要素の領域

【 かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。

ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、】

【 子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。次に】

【 伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。

この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、

粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。 次に】

【 隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に】

【 筑紫(つくし)の島を生みたまひき。

この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、

豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、

肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、

熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に】

【 伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に】

【 津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に】

【 佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に】

【 大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。】

整理、運用領域

【 然ありて後還ります時に、

吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に】

【 小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に】

【 大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に】

【 女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に】

【 知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に】

【 両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。】

後天の言霊要素

【 既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。

かれ生みたまふ神の名は】

(18 言霊 タ) 大事忍男(おおことおしを)の神、次に

(19 言霊 ト) 石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に

(20 言霊 ヨ ) 石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に

(21 言霊 ツ ) 大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に

(22 言霊 テ) 天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に

(23 言霊 ヤ) 大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に

(24 言霊 ユ) 風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に

(25 言霊 エ) 海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に

(26 言霊 ケ)水 戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に

(27 言霊 メ) 妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。】

【 この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

(28 言霊 ク) 沫那芸(あわなぎ)の神。次に

(29 言霊 ム) 沫那美の神。次に

(30 言霊 ス)頬 那芸(つらなぎ)の神。次に

(31 言霊 ル) 頬那美の神。次に

(32 言霊 ソ) 天の水分(みくまり)の神。次に

(33 言霊 セ) 国の水分の神。次に

(34 言霊 ホ) 天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に

(35 言霊 ヘ) 国の久比奢母智の神。】

【『次に

(36 言霊 フ) 風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に

(37 言霊 モ) 木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に

(38 言霊 ハ) 山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に

(39 言霊 ヌ) 野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。】

【 この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

(40 言霊 ラ) 天の狭土(さづち)の神。次に

(41 言霊 サ) 国の狭土の神。次に

(42 言霊 ロ) 天の狭霧(さぎり)の神。次に

(43 言霊 レ) 国の狭霧の神。次に

(44 言霊 ノ) 天の闇戸(くらど)の神。次に

(45 言霊 ネ) 国の闇戸の神。次に

(46 言霊 カ) 大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に

(47 言霊 マ) 大戸惑女(め)の神。】

【次に生みたまふ神の名は、

(48 言霊 ナ) 鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に

(49 言霊 コ) 大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……】

【 次に

(50 言霊 ン ) 火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の輝毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。 】

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7-3。原文を目次とする。心の運用領域

言霊の主観的領域の整理、運用

【 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。】

【 たぐりに生(な)りませる神の名は

(言霊運用01) 金山毘古(かなやまびこ)の神。

(言霊運用02) 次に金山毘売(びめ)の神。】

【 次に屎(くそ)に成りませる神の名は

(言霊運用03) 波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。

(言霊運用04) 次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。】

【 次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

(言霊運用05) 弥都波能売(みつはのめ)の神。

(言霊運用06) 次に和久産巣日(わくむすび)の神。

( ) この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。】

【 かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。】

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【 かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、

御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

(言霊運用07) 泣沢女(なきさわめ)の神。】

言霊の客観的領域の整理、運用

【 かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。】

【 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。】

【 ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

(言霊運用08) 石柝(いはさく)の神。

(言霊運用09) 次に根柝(ねさく)の神。

(言霊運用10) 次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。】

【 次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

(言霊運用11) 甕速日(みかはやひ)の神。

(言霊運用12) 次に樋速日(ひはやひ)の神。

(言霊運用13) 次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。】

【 次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

(言霊運用14) 闇淤加美(くらおかみ)の神。

(言霊運用15) 次に闇御津羽(くらみつは)の神。】

【 殺さえたまひし迦具土の神の

(言霊運用16) 頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。

(言霊運用17) 次に胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。

(言霊運用18) 次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。

(言霊運用19) 次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。

(言霊運用20) 次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。

(言霊運用21) 次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。

(言霊運用22) 次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。

(言霊運用23) 次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。】

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(●) 黄泉の国。客観表現の世界。

【 ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。

ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。】

【 ここに伊耶那美の命の答へたまはく、

「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、

かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。】

【 かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、

頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、

胸には火(ほ)の雷居り、

腹には黒雷居り、

陰(ほと)には柝(さく)雷居り、

左の手には若(わき)雷居り、

右の手には土雷居り、

左の足には鳴(なる)雷居り、

右の足には伏(ふし)雷居り、

并せて八くさの雷神成り居りき。】

【 ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。】

【 ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを?(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、】

【 またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。】

【 また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、

なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。】

【 ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。】

【 最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。

ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、

事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。】

【 ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。】

【 かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。】

【 かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。】

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7-4。原文を目次とする。心の禊祓、 伊耶那岐の大神より

-------- 禊祓。主客の創造的統一。--------------------------

禊祓の準備。

【 ここを以ちて

(◎言霊運用24) 伊耶那岐の大神

の詔りたまひしく、

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」

とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。】

【 かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

(言霊運用25) 衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。】

【 次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

(言霊運用26) 道の長乳歯(みちのながちは)の神。】

【 次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

(言霊運用27) 時量師(ときおかし)の神。】

【 次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

(言霊運用28) 煩累の大人(わずらひのうし)の神。】

【 次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

(言霊運用29) 道俣(ちまた)の神。】

【 次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

(言霊運用30) 飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。】

【 次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

(言霊運用31) 奥疎(おきさかる)の神。

(言霊運用32) 次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。

(言霊運用33) 次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。】

【 次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

(言霊運用34) 辺疎(へさかる)の神。

(言霊運用35) 次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。

(言霊運用36) 次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。】

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禊祓え。

【 ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、

初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、

(言霊運用37) 八十禍津日(やそまがつひ)の神。

(言霊運用38) 次に大禍津日(おほまがつひ)の神。】

【 この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。】

【 次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

(言霊運用39) 神直毘(かむなほひ)の神。

(言霊運用40) 次に大直毘(おほなほひ)の神。

(言霊運用41) 次に伊豆能売(いずのめ)。】

【 次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用42) 底津綿津見(そこつわたつみ)の神。

(言霊運用43) 次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。】

【 中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用44) 中津綿津見の神。

(言霊運用45) 次に中筒の男の命。】

【 水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用46) 上津綿津見の神。

(言霊運用47) 次に上筒の男の命。】

【 この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。】

【 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用48)天照らす大御神。】

【 次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用49) 月読(つくよみ)の命。】

【 次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

(言霊運用50) 建速須佐の男の命。】

【 この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、

「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」

と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、】

【 天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、

言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。】

【 次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。】

【 次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。】

以上、言霊百神。

== 歴史への運用、歴史の動乱、発展へ ==

【 故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。】

【 ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。

故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、

答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。】

【 ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。】

【 故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。】

「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。」(日本書紀。)

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7-5。1。神々の宝座という目次 。

神代の巻にはそれ自身による目次があります。

オノゴロ島の段落で出てくる一般に国生みと呼ばれるものです。

天地作ったとされるわりにはこじんまりとした島々を生んだ話です。

もちろんこれは国を生んだということではなく、領地の拡大を示すものでもありません。

オノコロ島の段落、己の心の島を説明したものです。島というのは心の締まりのことで、心の領域のことです。心は一つのように見えますが実は十四のそれぞれべつな領域(島)を渡って、それぞれの締まりをつけて行って、最後に到達したところに自らの心が表出される事を示しています。

心の働きの中では最初から心の働きの場があるのではなく、自他、主客の全体を摂取投影、創造する場が心に先天的に存在しなくてはなりません。ですので主体側の心の場そのものも、全体的な先天性が設定された後に心の設定される場として、登場しています。

先天十七神の後に、主体の心が見立てられ、その心が働く場として、十四の領域が設定されます。

この一つ一つの心の締まりをつける場を島の名を借り、心の神座として、十四の心の過程を示した目次となっています。

十四の締まりにはそれぞれ次元を異にする神々が配当されています。神々の数は常に百神です。

この十四を辿ることが人の思い考えと行為のことですので、この原理は人である以上は普遍です。そのためにと宝座と名付けられています。

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7-5。2。神々の宝座という目次。

( 一)、淡路の穂の狭別の島

天の御中主の神 ウ

アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます

(二)、伊豫の二名島

高御産巣日の神 ア

神産巣日の神 ワ

二名とはアとワの二音言霊のこと 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです イとヰの現象を創造する働きの予めの区分

(三)、隠岐の三子島

天の常立の神 オ

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ

国の常立の神 エ

豊雲野の神 ヱ

隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味

言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です

( 四)、竺紫の島

宇比地邇神・妹須比地邇神 チ・イ

角杙神・妹生杙神 キ・ミ

意富斗能地神・妹大斗乃弁神 シ・リ

於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 ヒ・ニ

竺紫は尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です

(五)、伊岐の島

伊耶那岐神 イ

伊耶那美神 ヰ

伊岐とは伊の気でイ言霊のこと

心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです

(天津磐境)

言霊ウから言霊ヰまで十七個の言霊が全て出揃い、この先天構造図を「天津磐境」(あまついわさか)と呼びます

天津は先天の意 磐境は五葉坂(五段階の言葉の構造)です

この天津磐境が活動して五官感覚で意識することが出来る精神の後天現象が生れます

言霊五母音につきましては中国哲学(易行)では五行の木火土金水とか、仏教では五重塔で仏陀・菩薩・縁覚・声聞・衆生とか、キリスト教ではラファエル・ミカエル・ガブリエル・ウリエル・ルシファーの五大天使の名で示しています

言霊父韻に関しましては、中国の易経に八卦、キリスト教では神と人との間の契約の印の虹として、仏教では仏となる為の守らねばならない八正道等などとして説かれています

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◎◎ 淤能碁呂(おのろご)島

◎ 子蛭子(みこひるこ)

◎ 淡島

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( 六)、津島 (天の狭手依比売)

大事忍男の神 タ

石土毘古の神 ト

石巣比売の神 ヨ

大戸日別の神 ツ

天の吹男の神 テ

大屋毘古の神 ヤ

風木津別の忍男の神 ユ

大綿津見の神 エ

速秋津日子の神 ケ

妹速秋津比売の神 メ

津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です

まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です

未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です

別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです

(七)、佐渡の島

沫那芸の神 ク

沫那美の神 ム

頬那芸の神 ス

頬那美の神 ル

水分の神 ソ

国の水分の神 セ

久比奢母智の神 ホ

国の久比奢母智の神 ヘ

佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分

どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます

真名とも言います

(八)、大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別)

風の神名は志那津比古の神 フ

木の神名は久久能智の神 モ

山の神名は大山津見の神 ハ

野の神名は鹿屋野比売の神 ヌ

天の狭土の神 ラ

国の狭土の神 サ

天の狭霧の神 ロ

国の狭霧の神 レ

天の闇戸の神 ノ

国の闇戸の神 ネ

大戸或子の神 カ

大戸或女の神 マ

鳥の石楠船の神 ナ

大宣都比売の神 コ

火の夜芸速男の神 ン

大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります

音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです

声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です

別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分

火の夜芸速男の神 ン

神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます

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7-5。3。神々の宝座という目次 。

(九)、 吉備の児島

金山毘古の神

金山毘売の神

波邇夜須毘古の神

波邇夜須毘売の神

弥都波能売の神

和久産巣日の神

の子(豊宇気毘売の神)

吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです

初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう

( 十)、小豆島

泣沢女(大野手比売)の神

音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと

泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります

別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています

(十一)、 大島 (大多麻流別)

石拆の神

根拆の神

石筒の男の神

甕速日の神

樋速日の神

建御雷の男の神

闇淤加美の神

闇御津羽の神

大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです

伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります

( 十二)、姫島 (天一根)

頭に成りませる神の名は 正鹿山津見の神

胸に成りませる神の名は 淤滕山津見の神

腹に成りませる神の名は 奥山津見の神

陰に成りませる神の名は 闇山津見の神

左の手に成りませる神の名は 志芸山津見の神

右の手に成りませる神の名は 羽山津見の神

左の足に成りませる神の名は 原山津見の神

右の足に成りませる神の名は 戸山津見の神

八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分

言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます

女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます

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(●) 黄泉の国 (●)

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〇 禊祓

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(十三)、知訶島

◎ 伊耶那岐の大神

衝き立つ船戸の神

道の長乳歯の神

時量師の神

煩累の大人の神

道俣の神

飽昨の大人の神

奥疎の神

奥津那芸佐毘古の神

奥津甲斐弁羅の神

辺疎の神

辺津那芸佐毘古の神

辺津甲斐弁羅の神

これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となります

知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です

外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分

(十四)、両児島

八十禍津日の神

大禍津日の神

神直日の神

大直日の神

伊豆能売

底津綿津見の神

底筒の男の命

中津綿津見の神

中筒の男の命

上津綿津見の神

上筒の男の命

天照大御神

月読の命

建速須佐男の命

言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました

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7-6-1。心の目次。心の循環。

心の目次。

小笠原孝次氏による言霊循環の図式があります。

http://www.futomani.jp/lecture/no225/no225.htm

ここで図式を見てください。

言霊循環とは次のようです。

『 言霊のことを真名(まな)ともいいます。

その真名も心の宇宙の諸区分によって呼び名を変えることがあります。この区別を先ず定めることにしましょう。

先天構造内の言霊真名(まな)を天名(あな)と呼ぶことがあります。

次に先天から生れて、そのイメージの把握が問題となっている区分タトヨツテヤユエケメの十真名(津島)を未鳴(まな)と呼びます。まだ音を結びつけてない区分だからです。

次の佐渡の島のクムスルソセホヘの八言霊は真名と呼ばれます。一般の言葉を構成して「言葉の言葉」の名分が文字通り立っている区分です。

次に口腔で発声されて空中を飛んでいる区分、フモハヌの四真名を神名(かな)と呼びます。

その神名が人の耳孔に入り、人の話す言葉から次第に復誦、検討、煮つめられて、再び真名として真実の了解を得るまでのラサロレノネカマナコの十言霊はまた真名であります。

そして言霊ナコで話は了解され、事実として承認されますと、天名(あな)として先天構造へ帰って行きます。

以上の、天名(あな)―未鳴(まな)―真名(まな)―神名(かな)―真名(まな)―天名(あな)と変わる廻りを「言霊の循環(じゅんかん)」と呼びます。

そして人間の社会の営みはすべてこの循環の法則に則って行われ、例外はありません。宇宙で何年もかかる惑星探査の仕事、何光年の遠くの星雲の観測も、または一瞬にして決まる柔道の技もこの言霊の循環の原理から外れるものではありません。

言霊の循環図についてちょっと奇妙に思われることをお伝えしておきましょう。先天構造の十七言霊が活動を起こし、次々と三十二の子音言霊が生まれます。

そしてそれ等三十二の言霊の現象によって人はその先天の意図を事実として認定します。

その認定する働きの三十二の子音が、起って来る事実のすべてである、という奇妙な事に逢着(ほうちゃく)します。

このようなことも、言霊が心と言葉の究極の単位である、という根本原理なるが故に可能なことなのでありましょう。まるでパズルの奇妙な世界に引き込まれるような気持にさせられるものです。

上のように言霊(真名[まな]、麻邇[まに])が言葉の最小の単位であると同時に心の究極の要素でもあるということによって表わされる、一見奇妙とも思われる性能を「言霊(ことたま)の幸倍(さちは)へ」と呼びます。

言霊で創られた日本語を日常語とする日本の国を「言霊の幸倍ふ国」と呼びましたのも同じ道理によってであります。』 (以上引用でした。同アドレス)

言霊循環

→空世界宇宙(主体の先天性の実在実体となる空世界、蛭子と淡島のこと)

→空世界を反映する主体側の先天世界(先天十七神)

→先天世界が主体内に映されるイメージ世界(未鳴)

→イメージ世界が言葉(物象)へわたされ、言葉がイメージとなる世界(真名)

→言葉となって表出され第三者的な物象となる世界(神名)

→物的な世界を受領復誦解明消化し、煮詰めて、同調共感を得る世界(真名)

→了解されて全主体側の実体構造に戻る世界(天名へ)

→客観性を得て客体側となり空世界宇宙となる。

→始めへ戻り、上昇昇華する循環を繰り返す。

以上が「あ」と言おうとして、「あ」と言って、「あ」と聞いて、「あ」と納得して、「あ」に続く言葉の元となる「あ」となった、一循環の姿で古事記の神代の巻、冒頭の百神の流れです。

この循環は原理として、単音の次元で確立していますから、どのような心の活動、働きにも同じ姿で現れます。

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7-6-2。心の目次。心の五次元。

物質の世界には元素と呼ばれる物があってその数が決まっています。

一方、精神の世界での元素とは何でしょうか。

物質科学世界の用語を精神界に適用して、複雑怪奇な心の世界の元素を示そうというのは無理な話というかも知れません。

では心の現れとはどのようなものでしょうか。心の現れという限り、心の物理的な現象を指し、心は物理現象、物象とならなくては表明されません。

しかし、心の内に思い込み、仕舞い込んだ心があるということも言われます。それはもちろん眼で見得ず聞くことは出来ません。ではそのような心を持った当人には分かっていることなのでしょうか。またどのように自分に分かるのでしょうか。

それは言葉においてです。言葉は通常空気振動となって発音され相手や自分の生理器官である耳で聞きます。精神世界、心の世界には、発音されなくとも心を過り、聞いてもらえなくても考えて組み立てられた無言の言葉の思いがあります。そのような無言無形と思われるものが無ければ自分にも心は理解できず、心を現わすことは出来ないでしょう。

それに無言で頭脳内を通過していく言葉も、話し書かれる物質化されたものは、心の内容と形が同じです。無言無形の言葉や、あるいは物凄い勢いで頭の中を駆け回る言葉がありますが、それらは心の内容と同じ形をしています。

もちろん表現はこうだけど、本当の思いはあっちだ言うこともあります。ではそのあっち側に行って本当の思いを聞くと、やはり言葉という何やら物質化したものでしか表現されていません。

結局、心が頭の中を駆けめぐろうと、相手に伝える言葉になろうと、心とは言葉、言葉とは心になります。

世界各国には無数の言葉があって、多くの規則があるようにみえます。

しかしよく見ると母音は、アイウエオとその系統にある五種類だけしかありません。

二つの母音の混じったものや変母音とか、発声発音の種類は様々です。しかし基本的な母音の数は五つです。

また、調音の仕方で多くの子音があります。子音は現象でしか自らを現わせません。声帯の振動があろうが無かろうが音となって表現されるものです。心の中で交わされる言葉の流れにも当然子音はあります。それはどうなるのかといえば、やはり頭脳内で音という形で存在しています。

この子音が母音と結ばれる仕方は、基本的に母音五種類からの制約を受けていますというか、五種の母音からいずれかを選択する形になっています。そして子音自身の選択に赴く仕方もいくつかの方法(十種)があります。

つまりこうして心の現れが、言葉の元素である母音と子音の結びつきで出てくるのです。

この人間であることの基本となる五種類の母音の性質と結びつく子音と、その創造結果を神の名を借りて現わしたものが、神代の巻冒頭の神々です。心の内実とその現れが言葉になる関係が明かされています。

心が五母音にとらわれ、五母音の変化整調で心を現わすなら、典型的な五母音とその結びつきを研究することが、心の研究になることでしょう。

物質元素が数多くあるのに対して、精神元素は古事記の神代の巻きによれば、アイウエオの五つしかありません。人はこの五つのそれぞれ独立した精神元素を巡って生きています。

五はいつつのイ(五)のことで、生きるのイ(五)着る、息するのイ(五)気する、今のイ(五)の間、大和の日本語では直接に生命と結びついた言葉となっています。これらの言葉は精神元素がアイウエオの五つしかないことを言葉の上で証明しています。

それでは複雑な言語体系と心を現わす言葉の構造はどこから来たのでしょうか。

物質世界には、物質間の力の作用反作用、相互の引力斥力が働いています。

この精神世界では母音に働く力動因があり、それが母音に対する力動因となる父韻(子韻)です。父韻は母音を鳴らすための調音器官の形をとります。調音器官の韻が父韻となって、働きかける心の側を現わしていきます。

こうして父韻が母音に働きかけることによって、物質界において合金合成があるように、複雑な精神構造が可能になるのです。

ではその過程を示す神代の巻の目次を作ってみましょう。

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7-6-3。心による目次。先天領域。

神代の巻の分かりやすい目次を作ろうと始めたのですが簡単ではありません。 循環上昇する球の上に乗って玉自体が回転しているのですから、どうしたらいいかと迷いっぱなしです。

目次は通常始めにくるものですが、神代の巻き自身の目次は、オノゴロ島の中で島生みとして出てきます。目次を作る主客の環境条件が整った後、主体側の活動場が、島、領域、という名を付けられた目次となっています。

●●●ここから目次●●●

♡ 心の始めの先天実在。母音先天実在世界。

♡ 心の始まり以前と始まるとき。先天規範「あ」の発生。

♡ 心の兆しの主体側と客体側世界。言霊ウ。

♡ 心の全体領域の発生。

♡ 心の主体側になる兆し。心の主体側活動領域。心の「ア」の実在。

♡ 心の主客へ全体領域世界の剖判。言霊ア-ワ。

♡ 心の客体側になる兆し。心の客体側活動領域。心の「ワ」の実在。

『 天地の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は

【 言霊 ウ】 天の御中主(みなかぬし)の神。 次に

【 言霊 ア】 高御産巣日(たかみむすび)の神。次に

【 言霊 ワ】 神産巣日(かみむすび)の神。

この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。』

♡ 心の客体側になる経験、記憶領域。

♡ 心の客体側になる経験、記憶領域。

♡ 心の主体の経験、記憶の関連づけを考える実在主体。

言霊オ-ヲ・記憶概念の世界。

♡ 心の主体側の実践選択智が現れる世界の実在主体。

♡ 心の客体側の実践選択智が組まれる相手側世界。

言霊エ-ヱ・選択按配の世界。

『 次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、

【 言霊 ヲ】 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に

【 言霊 オ】 天の常立(とこたち)の神。

この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、

【 言霊 エ】 国の常立(とこたち)の神。次に

【 言霊 ヱ】 豊雲野(とよくも)の神。

この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。次に成りませる神の名は、』

♡ 父韻律動韻。

♡ 心の力動因領域とその音韻。

♡ 心の宇宙全体が現れようとする力動韻。 (チ)

♡ 心の主体側が弥栄に持続していく力動韻。(イ)

♡ 心の主体側に引き寄せる働き。(キ)

♡ 心の主体側が物に結びつこうとする力動。 (ミ)

♡ 心の主体側の識別が納まる働き。(シ)

♡ 心の主体側の識別が発展伸長する働き。(リ)

♡ 心の表現が表面に完成する。(ヒ)

♡ 心の底部に原因が煮詰まって成る韻。 (ニ)

【 言霊 チ】 宇比地邇(うひぢに)の神。次に

【 言霊 イ】 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に

【 言霊 キ】 角杙(つのぐひ)の神。次に

【 言霊 ミ】 妹活杙(いくぐひ)の神。次に

【 言霊 シ】 意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に

【 言霊 リ】 妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に

【 言霊 ヒ】 於母陀流(おもだる)の神。次に

【 言霊 ニ】 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。次に 』

♡ 心の源泉、気、霊、創造因子。

♡ 心の主体側創造意志の発動現象の原動力。

♡ 心の主体側の創造意志の受容現象の原動力。

【 言霊 イ】 伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に

【 言霊 ヰ】 妹伊耶那美(み)の神。 』

♡ おのれの心の領域。オノコロ島 (己の心の島)の領域。

♡ 己の心の領域に心の先天規範十七神に対応した領域ができる。

♡ 先天実在から己の心へ。 おのれの心の先天領域(潜在、客体、受動側領域)

♡ おのれの心の発生までの先天領域(潜在、客体、受動側領域での心)

『 ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、』

『 伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、』

『 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、』

『 天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。』

『 かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、』

『 その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、』

『 塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、』

『 引き上げたまひし時に、』

『 その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、』

♡ 心の発生。

♡ 心の実在と働きかけ感応。

♡ 主体の先天規範の創造。

『 これ淤能碁呂島(おのごろ)なり。』

『『 その島に天降(あも)りまして、』

『 天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。』

♡ 心の活動開始。

♡ 心による感応同交。

♡ 心による先天領域の創出。

『 ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、

「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、

答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。』

『 ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、

伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。』

♡ 心による先天領域の創造方法。

『 ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、

すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、

伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、

後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。』

♡ 心の先天領域を流布し、先天実在として全体要素の創世。

♡ 心の主体の先天実在としての蛭子。

♡ 感応同交韻としての淡島の創造。

『 おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。』

『 然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。』

『 この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。』

♡ 心の先天領域の取り入れ方、先天領域を似せて後天現象へ似せる。

『 ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。』

『 ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、

「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。』

『 かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。

ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、』

♡十四島(領域、心の締まり)。

♡ 心の先天での各要素の領域 (心の主体が立ったところでここに心の目次ができる)。

♡ 心の先天、主客剖判の兆し。(言霊ウ)

『 子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。次に、

♡ 心の主客。とその予めの全貌。(アワ)。

『 伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。

この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、

讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、

粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、

土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。 次に』

♡ 心の重要な活動性能、機能。(オエ)。

『 隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に』

♡ 心の働きの能動因が発揮される。(チトキミシリヒニ)

『 筑紫(つくし)の島を生みたまひき。

この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。

かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、

豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、

肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、

熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に』

♡ 心の創造根元因。先天性能を統括し、己の主体機能うち立てる(オノゴロ島)。

『 伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に』

♡ 主体の後天創造活動が始まる主客の接点となるイメージ活動の領域。

『 津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に』

♡ 心の発想領域から物象を持った表現領域への架け橋。

『 佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に』

♡ 心とイメージと物象と物質性とが統一されて送出される領域と受領了解と伝達のための表現世界。

『 大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。』

♡ 心による現象表現世界の運用。要素間の結合。

『 然ありて後還ります時に、

♡ 初期の運用規範の樹立。

吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に』

♡ 初期運用規範の主体的な働き。

『 小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に』

♡ 心の主体内規範の確立。

『 大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に』

♡ 心の相手対象となる客観規範と主体的規範によってのみ表現された世界(黄泉)

『 女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に』

♡ こころの禊祓いの準備、主体規範に拘泥する知識選択の実体とそれをたしなめる。

『 知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に』

♡ 心の主客を統合した禊祓の完成した理想的な規範の獲得。

『 両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。』

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7-6-4。心による目次。タトヨツテヤユエケメクムスルソセホヘ言霊要素。後天領域。

♡ 主体意志の発動による後天の言霊要素の生成。

♡ 現象創造へ。先天の実在を主体内に真似た後、後天現象の創造に向う精神意識、心内での出来事。

♡ ここで「神」とは心内の意識の活動実体をさす。

♡ 現象の単位を創造していく、その始めの段階。

『 既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。

かれ生みたまふ神の名は』

♡ 先天世界から受けついだ世界の先天全体と心の己全体統合を精神内に持ち越し、物象現象としていく過程。

♡ (タ)まず心、意識、イメージ内に先天世界と同様な全体性が現れ移す主体が誕生し、その現象表現「タ」となる。そこには主体側と客体側が統体としてあるので、次いでそれぞれの要素が明瞭化していく。

♡ (ト-ヨ)統体は主体側(ト)と客体側(ヨ)、能動父韻側と受動母音側で構成されている。

♡ (ツ)ト-ヨの構造を有機的に結ぶ機能が言霊タそのものにあり、それが発動していきますその行為を言霊トが言霊ヨとまぐわうといいます。 あたかも受動側への合目的性を持った動きになるので、ツとしました。

♡ (テ)合目的性を持った、タ-ト-ヨ-ツの働きは、本来言霊タに先天的にあるものです。この吹きつける指向性とその手さぐりをする方向性を指して、言霊タの動きの現れた段階を言霊テと呼びます。

♡ (ヤ)この指向性方向性の現れを取り出すと、能動側の意図と受動側の世界が結ばれた当初の全体の姿が出てきます。先天から受け取った構造がイメージとなって、イメージ上の家屋のような構造体となります。

♡ (ユ)先天とは意識上の現象でなくはかり知れないものでしたが、それが頭脳上で言霊タに乗ることによって、イメージ形成するようになりました。この先天性が言霊タとなって意識に乗って頭脳内にイメージが言霊ヤとして形成され、それが出てきて頭脳を占有していく姿となることが、言霊ユです。湯のようにコンコンと湧き出てきてつきるところがありませんが、ここでイメージ表象と先天の本来の意図が別々のものとして分かれる可能性と、両者(精神と物質表象)が熱くまとまって出てくる姿ともなっています。

♡ (エ)主体意志の発動は相手対象に自己を伝えたり自己を表現したりすることで、イメージとして湧き出ても物理的な姿をとらなければ相手には伝わりません。湯は流れ届けられねばならず、頭脳内の狭い所から、相手対象という広い全世界へ向う出口の場が作られます。それが広い海と川の接点である江であり、言霊エです。これは当初の先天から受け継いて出来た主体意志の言霊タに、何何したい何何するという形で包含されていました。

♡ (ケ-メ)言霊ヤとして形成されたイメージは次々に出てくるユの言霊となっていますから、これを手際よく物象化物質化して相手に伝わるものとしなくてはなりません。まずイメージをコンパクトにまとめ集約して集荷集積して相手が理解できる形にしていくことになります。ここでは集約されたイメージが接点と結ばれていきます。ケは主体側能動性、メは客体側受動性を現わします。

【 言霊 タ 】大事忍男(おおことおしを)の神、次に

【 言霊 ト 】石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ヨ 】石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ツ 】大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 テ】天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ヤ】大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ユ】風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 エ】海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ケ】水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に

【 言霊 メ】妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。』

(注。神名は独自な段階次元性とその独自な幅と、何々から-何々までという前後へかかる一連の経過を持っているので、水は水、油は油という理解にはならない。)

♡ ここで心の領域分野が変わります。言霊ケ・メにおいてイメージの集約ができあがり、そこにイメージ表徴が当初の先天の意図と共にできていることが分かりました。

♡ イメージを語るというときにとは、頭脳内に成るイメージと、そのイメージを語るという二つの事を混ぜてしまっています。前段によって心のイメージは出来ました。今度はそれを言葉という形に組む事です。形、物象としなければ相手には伝わらないからです。この段はまとめられたイメージを言葉に組んで発送(発声)する段です。

♡ 先天構造内の主体意志がイメージとしてまとまりました。頭脳内の出来事だけではどうにせなりません。荷札を付けて通じる表象、言葉とすることになります。意図意志と物象表象、霊と体、心と言葉、吾と汝を結びつけます。

♡ 主体側の相手対象は常に物理的な表象を伴う世界です。目次の最初は先天実在世界でした。先天ではあっても実在し、物象となり表徴される世界です。

♡ 先天構造内で起きたことは、伊耶那岐、伊耶那美によって先天構造内から頭脳内のイメージへ映すことでした。今度は頭脳内のイメージを頭脳内の物象(言葉)へ移すことです。次いで、発声され相手に伝わり、相手内で相手の頭脳に還元されて、当初の意図が了解されます。

♡ (ク)先天内のイメージが物象化、言葉化を目指して、そのイメージの心、霊、主体側とイメージの体、客体、実側が組まれた姿が、そのまま言葉として組まれる形をとり、言葉で持って意図を示せるようにします。

イメージが主体的能動性を持ち、その働きによって言葉という体を探し組まれていきます。

♡ (ム)イメージの主体能動がくることをここでは迎え受けます。イメージが言葉へ渡されるのは部分的なものではなく、全体(アからワの五十音全部)です。全体の霊と全体の音が対応し結ばれます。

♡ (ス)全体が一度に発音されることはありません。この全体でありながら一つの現象表現(一言一音)にしかなりません。それを示すのが言霊スです。全体でありながら一音であることを示すのは、決意実行されることで昇華できます。実際に音が出てくることを示すため、頬(ほお、つら)の字があてがわれています。動かない状態での頬は言葉の全体を含んでいますが、一度頬が動いて出てくる言葉は一音づつです。スは動き以前の全体状態にあります。

♡ (ル)スの動きから出てくるものは頬、口腔という坩堝から出てきます。坩堝から物が出てくるように物体(空気振動、音、言葉)が出てきます。

♡ (ソ)坩堝、口腔からでてくる言葉は外から引っ張りだされるのではなく腹、声帯、内側から出て行くものです。外面的現象的には口腔内に唾液水分が出てきて口の動きを滑らかにするように、霊的主体的には言霊スの動きの無い状態、言霊ルの坩堝から物が出て来る押し出す要因エネルギーが要ります。それが水分というか神名で示されます。イメージを言葉に結ぶ岐美の神の創造力動の口腔での現れです。

♡ (セ)体的には水分エネルギーとなり、霊的には表出を促すもの遠慮逡巡を回避して気持ちの高揚を与え、せかし攻める心持ちに成るものでしょう。

♡ (ホ)言葉としての表出発声は一連の意図に沿ったものです。常に連続して出て行かねばなりません。

♡ (ヘ)心的体的にイメージと言葉が組まれ、エネルギーを得てまずは初動を得なければなりませんし、それは持続しなければなりません。ここに組まれた言葉の発声の準備ができました。端緒の先天の意図とイメージ化された意図と言葉となった意図の全てが霊的にも体的にも持続発出するところです。

『 この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

【 言霊 ク】沫那芸(あわなぎ)の神。次に

【 言霊 ム】沫那美の神。次に

【 言霊 ス】頬那芸(つらなぎ)の神。次に

【 言霊 ル】頬那美の神。次に

【 言霊 ソ】天の水分(みくまり)の神。次に

【 言霊 セ】国の水分の神。次に

【 言霊 ホ】天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に

【 言霊 ヘ】国の久比奢母智の神。』

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7-6-5。心による目次。フモハヌラサロレノネカマナコ言霊要素。後天領域。

♡ いよいよ言葉が飛び出します。ここからまた段落が変わります。口からとびだせば、それは本人から離れます。自然界を言葉が移動していく構成になっています。沈思黙考独白の場合にもそこでは言葉の流れ言葉のプール内を泳ぐというような比喩があります。

♡ 先天の意図がイメージ化し、そのイメージに言葉が結ばれ、発音され、口腔より空中へ飛び出します。空中を音波となり、または電磁波となり、あるいは光波となり飛んで行きますが、その形式は何らこの原則には関係ありません。

♡ 空中を飛んだ言葉は人の耳(または人の五官感覚で捕捉され)で聞かれ、

♡ 復誦・検討されて、「あゝ、こういう事なのか」と了解され、

♡ 言葉としての役目が完了し、再び先天の宇宙に帰って行きます。

♡ 最初の四言霊フモハヌが空中を飛ぶ時の言霊の働きであります。

♡ (フ) 始めは息となって風を起こしますが、この言葉の息、風の中に先天の意図からイメージに組まれた言葉、その霊と体、の全体が含まれています。

♡ (モ)通過する上での抵抗や障害と自身の持続するエネルギーの総体との関係を示しています。盛り上がった総体を乗り越えることです。

♡ (ハ)山場を超えた時にあらわれる現象としての兆し、芽生えの葉っぱが付くようになります。ここでは山と山場を超えることと、超えたときのはっという兆しとの統一体が想定されています。

♡ (ヌ)そして芽生えが相手対象の締まりの範囲内に到達し、これから拡がりを伝達を見せようとすることを示します。

『次に

【 言霊 フ】風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 モ】木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ハ】山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に

【 言霊 ヌ】野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。』

♡ こうして相手対象に到達した意図の展開がはじまります。山場を超えた意図が地に展開していきます。さいしょに到達する相手対象の地とは言葉で言えば、耳です。相手に到達するだけでなく、相手の興味関心を引き起こさねばなりません。自他の合一を目指します。

♡(ラ)先天の意図が自己の身体を離れて相手に到達しますが、途中の障害と同様に相手という物理的に超えるものと対当します。ここでは相手の物理的な反応反作用を引き出すために、先天から持ち来てイメージの創出に用いられた能動韻と言葉の発出に必要だったエネルギーの延長として、相手側の耳鼓膜を叩く槌という表徴が用いられています。

真の相手を当惑して探すらせん状の動きを示す「ラ」という音が配当されています。

♡(サ)そして一度相手が見つかればまっすぐ相手に刺さるように目指す「サ」になります。

♡(ロ)主体側に相手に到達したい意図があっても、相手の土俵内でのことですからそれは保障されていません。それで霧の中を進むことになります。主体側の能動感応できる範囲にまで、切り開きながら到達できるでしょう。

♡(レ)一方受動側は客体の条件反応によってその共感感応の範囲が決まっていくでしょう。

♡(ノ)その感応の範囲に応じて相手側に到達します。達しただけでは相手が知ることになりません。そこで当初の意図が来たのだということが相手側に乗らねばなりません。音が宣(の)ることになりますが、相手側土俵に立つので暗闇に立つようなものです。

♡(ネ)そこで点呼復誦が起きます。言葉の霊と体、そのイメージの霊と体、元の意図の霊と体へともどり、初発の律動から、宣(の)り直され内容と形を了承しようとします。相手内で自己回帰とげますが、闇戸を開くような手さぐりになるでしょう。

♡(カ)相手の領域内での動きは、見えない釜の中を探るようなことになるでしょう。主体側の意図を現わすにも相手側によるものとなるからです。主体側の意図を現わさす積もりが相手対象まで考慮に入ってくる戸惑いがでてきます。しかしそこで一度、主旨が見いだせれば後は凝り固めてそれを煮出して調理していけばいいのです。こうして釜の中で、主旨が見いだされた炎の輝きがみえてくることになります。

♡(マ)頭を釜としますと、到達した主体意志は相手側において理解のできる物象表現とならねばなりません。主体側の体部分が同様に相手側でも体部分として出てくるかが問題となります。そこで釜頭の中でかき混ぜられ煮詰められ発送側と受取側が同じことを創出していることを示します。確認がとれるまでは大いに戸惑うところです。

『 この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、

【 言霊 ラ】天の狭土(さづち)の神。次に

【 言霊 サ】国の狭土の神。次に

【 言霊 ロ】天の狭霧(さぎり)の神。次に

【 言霊 レ】国の狭霧の神。次に

【 言霊 ノ】天の闇戸(くらど)の神。次に

【 言霊 ネ】国の闇戸の神。次に

【 言霊 カ】大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に

【 言霊 マ】大戸惑女(め)の神。』

♡ 迷った挙げ句掻き回して出てきた了解したものはなんでしょうか。財布に幾ら残っているのかと掻き回して出てきたのは○○円と名前の付いた「名」です。

♡(ナ)内容が了解され、了解された内容が「ナ」の付けられた「名」です。名がその事物の実相を現わします。当初の意図が発音され聞かれた言葉の内容がここに確定して出てきます。

♡(コ)すると、当初の意図でもない、イメージでもない物事でもない、コという第三者が生まれてきます。先天の働きから、イメージ化、言葉との結合、発声、空中を飛び、人の耳で聞かれ、検討されて、声の内容の確認を経て、現象が事実として成立します。この事実が言霊コ、即ち先天活動の「子」であります。

『次に生みたまふ神の名は、

【 言霊 ナ】鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に

【 言霊 コ】大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……』

♡ 名の総体及び一つ一つの名が文字表現となったものです。

♡ (ン)言霊ン。

『 次に

【 言霊 ン】火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の輝毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。 』

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7-6-6。心による目次。金山から。運用。

♡ 心の動く兆しから始まり、これは何だろうという思いが実現現実化して来ると、そこに一つの名が出てきました。その内容が確認されると子の出生も確認されたことになります。

♡ 確認は現象となっていますのでそれを見れば、当初の意図その生成の過程果たしてきた役割、父韻母音の関わり等が全て、その子にあらわれてきます。

♡ そしてその現れが表現、文字となります。名が付いて子(文字)として登場したのです。

♡ この文字が聞かれ読まれ書かれると、そこに文字表現であることの、当初の意図の表現であることの、心の持ち方であったものがその文字の上に輝いてでてきます。この総体の働きが言霊ンです。書かれた文字であり、輝いている心であり、脳裏に蘇った意図です。

♡ こうして一つの言霊文字が完成して表現されました。この五十の神の名を付けられた経過を通過して一つ目の言葉が誕生します。

一方経過してきた五十の心の動きはそれぞれ独立した独自の心の動きを示していて、この五十の動きを通過しないと子を作れないと同時に、その五十以外の要素は存在しません。心とは十七個の先天要素と三十二個の子音要素と一個の現象表現子音言霊ンから成り立っています。

♡ 心はこの五十の言霊要素の循環と結合からできています。言葉の音韻としては歴史的に多少の変化をしてきましたのてで、音韻の数は五十ではありませんが、心の独立した要素はこの五十だけです。ですので一つ一つの要素が一つ一つの違った言葉になっているのです。

♡ ではそこで要素ができると次に何が起きるでしょうか。心の必要十分な要素はもう手に入れました。もう活動できないほど、活動の必要がないほどに、これ以上の子(言霊)は存在しないのでその活動を停止します。言霊要素そのものは活動主体ではなく、子として第三者的な存在となりました。

♡ 財布を開けたときに出てきたのは○○円と名前の付いた「名」でした。名が事実として確認され「子」となり、文字表現となって「言霊ン」となるところまで来ました。

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♡ 次に要素の運用が始まります。以下神代の巻の記載順です。

♡ 実在客観要素の世界。この段階ではまだ実在要素の反映されたものの中にいます。まず、

♡ 運用する客観実在世界との関係を整理し、次の段階で、

♡ 整理主体自身を振り返ります。ここで初期の判断規範ができます。

♡ ついでここに主体側の判断意志が立ち上がります。

♡ この立ち上がった判断意志と初期規範を持って既得の客観世界への試し斬りのような、主体内規範の創出を目指します。

♡ この主体内規範を持って、客観表現世界の表現構造の理解を得ます。

♡ ついで、その勢いを駆って、客観表現世界の内容実体の理解を得ようとします。

♡ ここで客観世界へ降りて行き、その世界を読み(黄泉)込もうとします。

♡ まず、要素材料をたぐりよせる。(金山毘古、毘売(かなやま)。

『 この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。』

『 たぐりに生(な)りませる神の名は

(1) 金山毘古(かなやまびこ)の神。 (2) 次に金山毘売(びめ)の神。』

♡ 安定して最後まで使用できるものを選ぶ。(波邇夜須毘古、毘売(はにやす)。

『 次に屎(くそ)に成りませる神の名は

(3) 波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。 (4) 次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。』

♡ 使えるものを次元世界に大分類する。(弥都波能売みつはのめ)。

『 次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は

(5) 弥都波能売(みつはのめ)の神。

♡ 一般個別分類整理する。(和久産巣日わくむすび)。

(6) 次に和久産巣日(わくむすび)の神。』

♡ 分類対象相手を設定する。(豊宇気毘売とようけ)。

(7) この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。』

♡ ここまでが得た客観要素との関連で、この後、主体側の関わりになる。神避(かむさ)り。

『 かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。』

♡ 主体内での整理開始。泣沢女(なきさわめ)

『 かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、

御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は

(8) 泣沢女(なきさわめ)の神。』

♡ 主体内客観要素との決別。比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

『 かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。』

♡ 主体内判断行為。試し斬り。

『 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。』

『 ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

♡ 主体内での次元世界。石柝(いはさく)

(9) 石柝(いはさく)の神。

♡ 父韻の存在。根柝(ねさく)

(10) 次に根柝(ねさく)の神。

♡ 主体世界全体の変化発展。石筒(いはつつ)の男

(11) 次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。』

♡ 自分を一覧総見する。甕速日(みかはやひ)

『 次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、

(12) 甕速日(みかはやひ)の神。

♡ 自分の動向変動傾向の総覧。樋速日(ひはやひ)

(13) 次に樋速日(ひはやひ)の神。

♡ 主体内規範の確立。建御雷(たけみかづち)の男

(14) 次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。』

♡ 主体内規範の握手。握手法運用。闇淤加美(くらおかみ)。

『 次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、

(15) 闇淤加美(くらおかみ)の神。

♡ 主体内規範の起手。起手法運用。闇御津羽(くらみつは)

(16) 次に闇御津羽(くらみつは)の神。』

♡ 主体による客体表現の検討。

『 殺さえたまひし迦具土の神の

♡ 正鹿山津見(まさかやまつみ)。

(17) 頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。

♡ 淤縢(おど)山津見。

(18) 次に胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。

♡ 奥(おく)山津見。

(19) 次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。

♡ 闇(くら)山津見。

(20) 次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。

♡ 志芸(しぎ)山津見。

(21) 次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。

♡ 羽(は)山津見。

(22) 次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。

♡ 原(はら)山津見。

(23) 次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。

♡ 戸山津見。

(24) 次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。

かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。』

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7-6-7。心による目次。黄泉(よもつくに。客観表現の世界)

(●) 黄泉の国。客観対象表現世界を読む(黄泉)国

♡ 黄泉の国に至るまでの概要。

「あめつちの始めのとき」と始まり、この「あめつち」は「天地」のことではなく、「あ、吾(自分自身)の目(め)が付(つ)いて地(ち)に成る」という、対象を見る主体である私たちの心のことを指したものでした。

心は対象宇宙と同じだけの拡がりを持ち、同じような一つの心の宇宙を持っています。その心の宇宙に神という名前の付いた天の御中主を、始めの中心としました。

それはまず、主体精神上の先天の実在世界として言霊母音、父韻、の世界を構成しました。それが「天地の初発の時」という人間に秘められた先験精神原理となっているものです。冒頭十七神・十七言霊。

この先天十七神が自己表現の領域となるオノゴロ島に降り立って、後天現象創造していきます。ここに後天現象世界ができます。現象の形態領域を創造したイザナミはその現象要素を全て出し切ったので、客観世界の主宰神となって、黄泉国(よもつくに)に降りていきます。

そこで残されたイザナギは主体世界のを自ら背負って自身の規範を作るべく後天現象世界の整理に取りかかりました。

探索研究の結果、自主的自律的に使用可能な初期の判断規範を獲得し、主体内でのみ通用する最高の精神原理をうち立てました。

そこで主体内での全表現形式の創造と検討整理を試し了解して、今度は、客観世界でも通用するものかと調べようと、客体世界(黄泉)へ行こうとするところです。

♡ 黄泉国は人の死んだ後の国ではなく、人の創造したものを客観的に読むだけの世界です。主体性のない動きのない出来上がってしまっている世界のことです。

♡ 心の客観表現世界の全体像の検討。自己創造物への執着。

『 ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。』

♡ 主体世界から客観世界への堕落。殿の縢戸(くみど)。客観世界の探求、共同研究の申し込み。

『ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。』

♡ 固定した客観世界(伊耶那美の神)での再会とイザナミの意思決定の無さ。

『 ここに伊耶那美の命の答へたまはく、

「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、』

♡ 客観世界の不備。(吾に辱(はじ)見せつ)。

『 かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。 かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、』

♡ 客観世界での不備未整備の体験。

『 蛆たかれころろぎて、

頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、 胸には火(ほ)の雷居り、 腹には黒雷居り、 陰(ほと)には柝(さく)雷居り、 左の手には若(わき)雷居り、 右の手には土雷居り、 左の足には鳴(なる)雷居り、 右の足には伏(ふし)雷居り、 并せて八くさの雷神成り居りき。』

♡ 未整備な客観世界からの離反帰路。

『 ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、』

♡ 客観世界の吸収消化、すくい上げを考える。

『その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。』

『 ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを?(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、』

『 またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。』

♡ 自らのホームポジション高天原の先進原理に戻ろうとすると。

『こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。』

『 また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、』

♡ 黄泉国の原理との対決。客観世界への勧誘、疑問、反撥、反省材料の発見。(桃の子三つ)。

『なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。』

♡ 主体内精神原理だけの不十分さを悟る。

『 ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。』

♡ 客観文明を作るのかどうかの直截な問いかけ。

『 最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。

ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、』

♡ 客観世界からの情動、誘惑、勧誘誘導、脅迫、挑戦、破壊。

『事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。』

『 ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。』

♡ 客観世界との手切れ、別離。事戸(ことど)を度(わた)す。客観世界自身のゆく道。道敷(ちしき)の大神。

『 かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。』

♡ 客観世界の定義。

『 かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。』

♡ 主体内精神規範だけでの適応では、イザナミの客観世界をすくい上げられないことの不備を知ることになる。

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7-6-8。心による目次。禊祓え。主客合一。

-------- 禊祓の準備と禊祓。--------------------------

♡ 禊祓の準備。個人的で、自利的、不備な知識規範を叱りたしなめ、削ぎおとし完璧な精神規範創造の準備。

♡ 創造責任主体、大神への名乗り。創造原理の欠如、精神調和のない世界での自覚反省と決意意志。主体と客体が一体となる絶対の立場。

♡ 禊祓と同時に摂取する働き。

『 ここを以ちて

(◎) 伊耶那岐の大神、 の詔りたまひしく、

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」』

♡ まず依拠した規範に戻る。

『とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら、天津菅麻音図)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。』

♡ 自己規範の整理点検し、不備不純を禊祓し、高天原の純粋精神原理の創造獲得と客観世界の止揚への大業成立へ向う。

♡ 物事の判断の基準として斎き立てられた五十音言霊図の鏡の働き(建御雷の男の神という五十音図)を実践するその始め。

♡ 判断規範の設定と判定。

『 かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、

(25) 衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。』

♡ 禊祓と摂取。連続関連性、止揚摂取する過去を捨てない。

『 次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、

(26) 道の長乳歯(みちのながちは)の神。』

♡ 禊祓と摂取。時処位検討決定。

『 次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、

(27) 時量師(ときおかし)の神。』

♡ 不明瞭さの除去、曖昧さの排除及び確認訂正。

『 次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、

(28) 煩累の大人(わずらひのうし)の神。』

♡ 分岐点の提示、選択設定指示。

『 次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、

(29) 道俣(ちまた)の神。』

♡ 感情的、総体的な明瞭な確信性の提供。

『 次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、

(30) 飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。』

♡ 身を削ぎ、あるいは身を摂取する最終的な準備が進行していきます。

♡ 得られたあるいはそこにある、知識の全内容実体の在り方を止揚復活へ向けて再生への道を歩いています。最高規範に照らし合わせ、存在足らしめているものを明らかにし、不備を補い、未熟に方向を示し、明らかに息吹の確信が持てる創造的な精神能力が明らかになりつつあります。

♡ 心の整理対象を出発点の判断規範に近づけるために、判断対象になるように起こし見極める。

♡ 判断相手の出発点の実相が明かされる。起こされる出発点の手段。

『 次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、

(31) 奥疎(おきさかる)の神。

♡ 出発点の実相をすくい上げる内容として生かしていく全ての芸を渡す方法を探る。手段を生かす出発点に渡る方法。

(32) 次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。

♡ 規範内容、手段、方法の行為のそれぞれの隔たりを狭める出発点に渡る働き。

(33) 次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。』

♡ 近づくことは離れることのように、辺は端っこあたり、さかるはあったものからの反対方向への動き。

♡ 奥(起き)で出発点に寄せ集めたものは、同時に、その意志意図、目標設定、結末の方向へと結論結果が収束イメージ化固定化されていきます。

♡ ここで結末の方向へイメージが導かれる働き。

『次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、

(34) 辺疎(へさかる)の神。

♡ 結論へ向う時処位の全てを助け渡す働き。

(35) 次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。

♡ 客主の間隙を減らして、終結点にあるものを渡して、あるものとの間の距離を減らす働き。

『 (36) 次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。』

♡ 以上によって禊祓の準備が整いました。

♡ 禊祓の経過過程、主客の精神物象の動きと働きが明かされ、ついで、実際にどの精神意識の次元が使用されるかに移ります。

♡ 精神次元世界の上下(言霊アとイ)の姿がウオエ(中つ瀬)の次元世界に入ったときに明らかとなります。

『 ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、

初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、』

♡ 上つ瀬(ア)の情感による禊。

♡ 下つ瀬(イ)の原理や意志性能を直接出す動き

『(37) 八十禍津日(やそまがつひ)の神。

『(38) 次に大禍津日(おほまがつひ)の神。』

♡ 穢れ(黄泉)から生まれた神ですが、この二神がけがれていると言うことではなく、一般感情実相、意志行為への情動だけでは現実を動かす一般動因とはなっても、実際の場面には届いていきません。

♡ そこで現実的な意識に触れたとき上記二神の必要必然と不備不完全さが立ち上がってきます。

『 この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。』

♡ 既に、現実実践意識の中にいて、その感情全体感による把握と、一般意志による創造意欲は必要必然ではあるが、その不備を把握しました。

♡ では実際のどの精神分野、部門を用いれば良いのかの検討に入ります。

♡ ここでは、言霊ア、イの次元が全面的に生きていく探求が行われます。

♡1 経験知による探求。言霊オ。過去を噛み直す。

♡2 欲望性能による探求。言霊ウ。大いなる現在を直す。

♡3 実践智による探求。言霊エ。これからの未来にいつく目(芽)を成す。

♡ 現に今或る精神実体に変化を与えることが可能な精神力能は、上記1、2、3、になることが分かりました。

『 次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

(39) 神直毘(かむなほひ)の神。

(40) 次に大直毘(おほなほひ)の神。

(41) 次に伊豆能売(いずのめ)。』

♡ 水とか滌ぎたまふとか出てくるので、現在では禊祓を魂浄化の水行にしてしまっています。本来はそのような自利個人救済の行業ではありません。

♡ 精神原理による全人間文化創造行為の整理獲得止揚の作業です。

♡ 人間の精神性能の感情と意志の部面を除いた、それぞれの性能次元での働きが検討されます。

♡ 実践智の働き。未来創造へ望む選択実践智恵の世界。水底の言霊エ。

♡ 実践智の確認。その確認と働き。

♡ 五感欲望の働き。現状創造欲望の今ある活動の世界。中の言霊ウ。

♡ 五感欲望の確認。その働きと確認。

♡ 経験知の働き。過去全体から摂取する世界。上野言霊オ。

♡ 経験知の確認。その働きと確認。

『 次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(42) 底津綿津見(そこつわたつみ)の神。

(43) 次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。』

『 中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(44) 中津綿津見の神。

(45) 次に中筒の男の命。』

『 水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、

(46) 上津綿津見の神。

(47) 次に上筒の男の命。』

『 この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。』

『 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

人類文明創造の最高規範、天津太祝詞、やたの鏡

(48)天照らす大御神。』

『 次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

精神的学問文化をコントロールする精神構造

(49) 月読(つくよみ)の命。』

『 次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、

欲望性能の整理、物質的繁栄をもたらす精神構造

(50) 建速須佐の男の命。』

『 この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、

「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」

と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、

天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、

言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。』

『 次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。』

『 次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。』

== 歴史への運用、歴史の動乱、発展へ ==

『 故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。』

『 ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。

故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、

答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。』

『 ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。』

『 故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。』

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「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。」(日本書紀。)

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