古事記の百神意訳 2 後天現象

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先天から来るもの。

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先天構造と先天の載る主体と、主体によって造られ子音の発生していく経過領域ができました。続いて現象子音の発生の記述になります。以上の全体の流れを追って第二章の前文にしてみましょう。

実体世界。

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私の何らかの心が何かを意識すると、先天の十七の言霊が活動を開始します。

何か始まろうとする時、その時には既に何だか分からないけれど、自分が意識しているのか意識されたものが自分なのか分からない、まとまったある一つの全体の中にいます。(ウ)

そこで自分が何かを意識していると感じたり思うその始めは、自分の意識とその意識の相手とが噛み合わされていたことに気づきます。(ア・ワ)

思う同時に思われる世界は記憶のように勝手に出てきたり消えたりしていき、それに応じて主体側も記憶したりして行きます。(ヲ・オ)

記憶によってあるという世界が出てくるとそれは何かと考える世界が出てきてその選択が起きます。そして選択されたものの世界が提示され、自分にあるというものの世界ができます。(エ・ヱ)

こうしてウアオエの実体世界が用意されました。

働きの世界。

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ついで、選択されて出てきた世界にどう係わるかの主体側の動きがあります。

チ)まず出てきたものが全体的に一気に自分のものとなって現れます。

イ)出てきたものはどこまでも持続していきます。

キ)そのものが何であるのかを過去に求め

ミ)過去のものを現代に結びつけ

シ)これからの判断を求め

リ)その判断を未来に投影し

ヒ)出てきたものの表面に完成させ

ニ)次いで内部に煮詰まるようにする。

こうして先天の構造が出揃ったところで、全先天を動かす根本的な創造意志が働きます。何かの自分の自我とか考えたことがあるというのは実は全然自分のことではなく、先天構造の働きから持ち来ったものたちで、当初には自我などありません。

自我があるように見えるのは先天が自我主体に活動を載せることから始まるので、自我とか自分の意見とかから始まったわけではありません。

そこで先天の構造が主体の働きを誘(いざな)います。分けの分からない先天から目に見える形ある物事を造れと依頼されます。

頭脳内で形あるものとは言葉のことですので、言葉の発生創造を依頼されることです。

ところが自我主体などは元々無いものですから、まず主体自我を造りそれが働く領域を確保しなければなりません。

自我主体の領域はオノコロ島で頭脳内のこの島に先天を構造を載せると同時に主体を確立します。主体の確立とは自らの子現象を創造してそれに名を付け運用することです。(子事記)

主体の領域を確立した後で、次いで主体が載り子を産むまでの領域を創造します。

ここまでが現象子音を産むまでの準備です。

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先天から後天へ。イメージの形成。

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【既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は】

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『既に心の働く領域が確保できました。次にはそこで働く要素主体を産むことです。』

「ここからが生まれ出る神で、それ以前は在りて有る(成りし)神で全く別次元の話となります。ここからは後天として現象の世界になりますから、見えない意識の事であっても、目的は何だとか意図はこうだとか、音声はどの音になるとかどのように聞くのかとか理解するのかとか、何らかの形の上で処理されていきます。

後天はそれ自体三体の変容を遂げます。

1・ 先天が心象となる。(十神)

2・ 心象が物象と結ばれる。(八神)

3・ 物象が移動し相手側で心象に戻り、先天に帰るまでです。(十二神)

津島、佐渡の島、大倭豊秋津島の領域にそれぞれ対応しています。

これが人間の心の現象要素の三十二個です。(常に言霊重層循環構造です)」

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先天からまだ言葉にならないイメージ、考えを纏める段階。

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(言霊タ)【大事忍男(おおことおしを)の神、】

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『大いなる現象として(大事)押し出てきた(忍)言霊(男)出、大いなるとは大きい小さいではなく、その場に瞬間的に出てきた全体です。出てきたものが全体で全体として出てきます。つまり、先天十七神、オノコロ島の御柱と八尋殿、それが現れるヒルコと淡島、そして十四の心の領域全体が一気にタターッと心象イメージとなって現れます。』

「わたしの係わった最初の意識、第一印象、生まれたての卵・赤ん坊、苗を蒔いた田んぼ、初めの一歩、さあ行くぞ、その人の全て人格全体、欲しいと思った始め、何だろうと疑問を持つ、どうしようか思う、感動の瞬間、等々、まず始めの大いなる現象として押し出してきた自分の意識となる言霊です。

言霊タは、宇比地邇(うひぢに)の神(言霊チ・T)と高御産巣日(たかみむすび)の神(言霊ア・A)のまぐわいでその両親の性格を受け継ぎつつ子という第三者として生まれました。

チの父韻は現に有るものをあるとする性格で、それがアの母音の主体側の全体に係わると、感情情緒、祈りや因縁、宗教芸術感情等のようにその物事の全体的な感情を伴う姿の「タ」となって出てきます。ですが子音は第三者の子として創造されたものですから、それ自体で独自な様相をていします。

つまり同じ「タ」と言ってもその内容や響きが違うのは、言う当人の言霊父韻母音の係わり方によります。

そして現象としての「タ」のでき方は先天十七の心の捉え方によります。つまり「タ」には十七の「タ」の心が内包されています。

天の御中主の神(言霊ウ)の性質を持った「タ」 ・ 五感感情、欲望、今今すぐの心の実体を持った「タ」

高御産巣日の神 ア の性質を持った「タ」 ・ 宗教芸術感情、全体を見通した心の実体を持った「タ」

神産巣日の神 ワ の性質を持った「タ」 ・ 宗教芸術感情、全体を見通された心の実体を持った「タ」

宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ の性質を持った「タ」・過去概念知識記憶から始まる心の実体を持った「タ」

天の常立の神 オ の性質を持った「タ」 ・過去概念知識記憶しようとする心の実体を持った「タ」

国の常立の神 エ の性質を持った「タ」 ・ 選択按配等未来を選択する心の実体を持った「タ」

豊雲野の神 ヱ の性質を持った「タ」 ・ 選択按配等未来の選択の受け手になろうとする心の実体を持った「タ」

宇比地邇神 チ の性質を持った「タ」 ・ 有るものを在るものとしたい心の働きをもった「タ」

妹須比地邇神 イ の性質を持った「タ」 ・ 在るものがずっと持続していたい心の働きをもった「タ」

角杙神 キ の性質を持った「タ」 ・ 既知の判断規範に在るものを結ぼうとする心の働きをもった「タ」

妹生杙神 ミ の性質を持った「タ」 ・ 過去の規範知識に実を結ぼうとする心の働きをもった「タ」

意富斗能地神 シ の性質を持った「タ」 ・ 判断規範を未来に不動のものにしたい心の働きをもった「タ」

妹大斗乃弁神 リ の性質を持った「タ」 ・ 判断規範が未来で拡がるような心の働きをもった「タ」

於母陀流神 ヒ の性質を持った「タ」 ・ 表面に完成しようとする心の働きをもった「タ」

妹阿夜訶志古泥神 ニ の性質を持った「タ」 ・ 内部心の底に煮詰まるような心の働きをもった「タ」

伊耶那岐神 イ の性質を持った「タ」 ・ イザと発動して気を与えるような心の働きをもった「タ」

伊耶那美神 ヰ の性質を持った「タ」 ・ イザと発動して実を受け取るような心の働きをもった「タ」

それぞれにこの先天十七の心の持ちようがあるので人の心の拡がりとなります。同じ言葉で「たかい」を発したり聞いたりしても、そこの「タ」に含まれている意味内容は人様々となります。そこの「タ」を「た」として了解するのが、ヒルコと淡島の領域です。誰のどの言葉もまずはこの一般共通性の領域に載らなければ理解されない所以です。

このヒルコ、淡島の一般共通性の領域は、主体側と客体側にそれぞれできていますから、ここにすれ違いの原因ができます。

この構造は以下の三十二の子音に同じで、単音ではあっても、大和日本語の単音は、単音であると同時にこれだけの単音要素の組み合わせで言語体系が造られています。古代スメラミコトがそのように創造したので、全世界のどの言語の分類範疇にも入らないわけです。

「タ」に十七の心持ちがあるとしましたが、「タ」が子音となって始めの意識の全体を現すということは、実は「タ」以外の全子音も既にそこになければ「タ」という位置表示ができません。「タ」という個別要素ができたということは、要素の全体もそこにあるということです。それが子音の三十二個で先天と合わせて五十音図を形成します。

個別独自の「タ」としての形成は同時に他の全子音も形成されていることになります。そうでないと運用場面での他の言葉との接続ができません。これは「タ」についてだけ言えることではなく、次々に出てくる子音のその都度の形成場面に言えることです。次は「ト」の創造になりますがここでも同じ構造が繰り返され、「ト」と同時に他の子音も現れてきているということです。

ということは「タ」に十七の心持ちがあったように、「タ」が創造されるや否や他の三十二の子音の心を持ちのある「タ」が用意されていくということになります。

例えば、

石土昆古(いはつちひこ)の神(言霊ト)の心持ちを持った「タ」で、「ト」の現象の心持ちをもった「タ」

石巣(いはす)比売の神(言霊ヨ)の心持ちを持った「タ」 で、「ヨ」の現象の心持ちをもった「タ」、

大戸日別(おおとひわけ)の神(言霊ツ)の心持ちを持った「タ」 で、「ツ」の現象の心持ちをもった「タ」、

等々。

以下、一つ一つの子音形成と共に、同じ構造が本章全体に該当する。各子音にそれ独自の子音の内容と先天と後天の心持ちが内包されている。

前記十七神が先天の心持ちを伝えるのに対して、三十二の子音は考え思い心象イメージの現象となった詳細に係わってきます。こうして同じ「タ」という発声でもその内容は五十(言霊五十音図)の色がつくということになります。一つの単音要素に五十の色が秘められていることになります。

この五十の色を整理分類すれば、今まで述べてきた、先天、オノコロ、十四島の繰り返しになり、各単音ごとに循環されます。ここではやっと始めての現象子音が出来たばかりなのに、既に全過程が含まれる領域が述べられていますが、最初の「タ」にそれがあるから可能なことです。更に戻れば天の御中主が出現したから始まったことで、元々はアメ(天)ツチ(地)・吾の眼を付けて智と成すことからおきたことです。

このように一単音ごとにこの循環が繰り返されるのです。(巷でいわれる一塊の言葉のエネルギーとか良い言葉とかいう取り扱い方ではありません。)

(言霊ト)【石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に、】

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(言霊ヨ)【石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、】

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『言霊ト。石(いは)は五十葉(いは)で五十音言霊。土は培(つちか)、毘古は主体のこと。五十音言霊を育てるチイキミシリヒニの八父韻の実際の働きのこと。八父韻の両側に言霊イと㐄が付いて、五十音言霊図の横の十音を形造ります。言霊トは十に通じます。言霊タとして発現した人間の全人格が一つの行動として言葉となっていく為に、先ず人間の創造の根本知性であるイ・チイキミシリヒニ・㐄のドア(戸)を通ること。』

『言霊ヨ。石巣比売の石(いは)は五十葉で五十音言霊、巣は住処、比売は秘める。五十音言霊を秘めている住処という意味。ウオアエの四母音の宇宙から全てのこの世の現象は現出してきます。』

「先天宇宙が震動して、自らが言霊タと現象として現れたら、次にその言霊タの全人格をあらわす五十音言霊図の横の列であるイ・チイキミシリヒニ・㐄の創造知性が働き、次にその知性の働きを言霊ウオアエの四つの宇宙次元が受け入れる、というメカニズムで先天構造の実際現象としての働きが始まります。」

「古事記は子事記ですから子音誕生の動きを説明したもので、ここでは先天から現象となる最初の動きの三神です。新しい事が出現する、成長発展に関しては、

物質世界では、自然の力の強弱相剋により事が形成され、

生物世界では、それに反射による反応が加わります。

人間社会では、上記を引き継いでさらに意志による反作用の無自覚な創出行為があり、

人間の反省意識を通過して、理想的な自覚による創造実践、等々があります。

しかし物質、自然界の変化そのものを扱うのは古事記の心の原理論の外にあるものですので、それを直接扱うことはありませんが、意識世界への反映として取り上げることになります。物質生物人間界をごた混ぜにした上記の記述は意識内でのみの世界として書き換えられなければ成りません。なぜなら人は宇宙世界の創造的進化の全歴史を継承した先端部にいます。そうすると、

ウ) 物質世界での自然力の相剋で今という時に新しいことが現れるのは、欲望の言霊ウ次元に相当し、

オ) 生物が学習して反応を覚えるのは、記憶の言霊オ次元に相当してきます。

ア) ついで、人間という生物の全体像を了解するようになりましたが無自覚的なもので、これが感情の言霊ア次元に相当します。

エの1) 次いで自覚的な反省の元で、他者の幸福を創造する事で自らの神性(仏性)を示そうとする自己完成に努力する人間精神があります。この創造意識を言霊エの選択次元の心の創造とします。

エの2) 更に、言霊エ次元の意識には、自己の完成を得ている為に主体内主観、単なる主体の責任の取り方を超えて世界宇宙と繫がっている創造意識の、言霊エ次元として現れるものがあります。

イ) そして頂点に時処位に選ばれず左右されない創造意識による言霊イ次元の現れがあります。

大事忍男・石土昆古・石巣比売のの三神は先天の造化三神にかわって、現象界での造化三神です。ここに現象界が全てあると同時にここから現象界がでてきます。」

(言霊ツ)【大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、】

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『大戸はおおいなる十の創造知性(父韻)で、日は霊ではたらきのこと、別は元の場所から離れて現れ出てくること。創造知性のはたらきである言霊トがヨバイとして言霊ヨである四つの次元宇宙に「ツ」と近づき進む様子を表します。』

「先天は十七の要素がありますが、これは単に十七個ということではなく、人間意識の実体側とはたらき側の時処位に応じてそれぞれの組み合わせが出てくるものです。

後天と比較されるなら、十七全体が一丸です。それが有る無しでいわれるならば空即是色なり有(ウ)なりといわれ、意識に持ち来たらせられればアワになり、実体と働きで言われればアとイになり、実体を見るならウオアエとなり、働きを見るならチイキミシリヒニとなり、意志との関係ならイとウオアエチイキミシリヒニとになり、等々と吾の眼の付き方によって自在に変化します。

古事記の百神は子音の動き全体の説明が主眼ですが、以上の先天の重層循環構造が常に付いて廻りますので、動きや生成の順位を述べるだけでは済まないのです。

大戸日別は霊の働きのこととは言っても、前段を全て背負っていてその全ての「次」の動きとなります。受精細胞から子誕生までに、自己分裂しながら自己増殖して形態変化や変態を続け、相手と一緒になって自分の創造する現象(子)を得るようなものです。

ですので神と名付けられた言霊の動きを単独に扱うだけでは子現象は得られません。元々古事記に出てくるような神々はそのようなものとしては存在していないので、今までの理解のように神々を立ててしまうと古事記は理解できません。

石土毘古・石巣比売で現象造化三神がそろいます。先天構造の原理に従いまずあるものの世界として扱います。しか同様に、石土・石巣のあるものの世界は次いで係わりを持たねば何もありません。細胞の自己分裂増殖のように自分内の動きです。この動きがそこで止まってそのものの姿になると、実体像となる方向に向かいます。これが後に黄泉津国(よもつくに)に繫がっていきます。

ここでは石土・石巣に分裂しているのを自己増殖するよう(剖判)に両者間の働きが起きます。主体側は「ツ」と近づき客体側は受け入れる働きを持ちます。しかし、主導的に動くのは毘古の側で毘古の色に染められていきます。

「ツ」と近づいた後で手を出します。

(言霊テ)【天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ】

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『天は先天宇宙、吹は吹きつけること、男は主体でここでは父韻のこと。先天活動により父韻を四つの母音に向かって吹きつける様子。』

「ここで信じられないようなことが起きます。ウオアエ次元の相手によって出す手が違うというのです。確かに現実では相手によって、グーチョキパーか平手かネジ回しかペンチかと手の内容を変えなくては用を成しません。

意識の世界には実在現象を示す次元は四つしかありませんから、手の内も四種です。

ウ次元・イ・キシチニヒミイリ・㐄 (あ段は ア・カサタナハマヤラ・ワ

オ次元・イ・キチミヒシニイリ・㐄

ア次元・イ・チキリヒシニイミ・㐄

エ次元・イ・チキミヒリニイシ・㐄 (あ段にすると ア・タカマハラナヤサ・ワ)

これが各次元への手の出し方です。古代スメラミコトがどのようにこれを見出したか分かりません。また私にはその使い道が理解できていませんから、どれほどの威力があるのかも分かりません。言霊学をかじった事もない人には猫に小判と言っても小判の意味も通じません。その内実は不明ですが何も知らないまま千三百年も伝えさせられてきた家族もあります。」 (テの使用法は運用編で明かされます。)

(言霊ヤ)【大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、】

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『大屋は大きな構造物、吹き出した父韻が母音と結び付いて、心の中に一つのイメージとしての形を形成して行く様子です。』

「ヤは屋の構造物であり、細い飛び往く矢であり、八でもあります。漢字の意味からすれば全然イメージが合いませんが、毘古となっていますから実体側のイメージを探すことではなくまた、実体の大小に関係したことではありません。そのものが大いなる心に価値ある構造物となって動くことにあります。零の沢山付いた札になるかダイヤモンドになるか言葉になるか感情になるか相手側の母音によることです。一言で言えば心に大いなるイメージとして出てくる時の「ヤヤッ」という心のことです。フッと吹きつけられ手を出して相手とうまく結ばれると自分の心全体に「ヤッ」という思いがでてくることです。それを各場面で実体化していくと屋、矢、八、焼(や)く、闇(やみ)、安い等のヤになります。

(言霊ユ)【風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、】

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『先天宇宙が力動を開始して、先ず自らがそのまま現象子音タとして現れ出ます(言霊タ)。自らが言霊タと現象として現れたら、次にその言霊タの全人格を表す五十音言霊図の横の列であるイ・チイキミシリヒニ・㐄の創造知性が働き(言霊ト)、次にその知性の働きを言霊ウオアエの四つの宇宙次元が受け入れます(言霊ヨ)。創造知性が宇宙次元に近づき進み(言霊ツ)、次いで、先天活動により父韻を四つの母音に向かって吹きつけます(言霊テ)。するとここに父韻と母音が結び付いて心のなかに一つのイメージとしての形を形成していきます(言霊ヤ)。そして言霊ユ。

風・木・津・別(かざもつわけ)は霊と体、主観と客観に分かれる、忍男は押し出す言霊で、心の中で次第に一つの考え・イメージとなってまとまって来た形が、やばりその内容として霊と体、主観と客観という区別を失うことなく分け持っており、それが湯の如くに湧き出していく現象という意味。』

「自分の考えが出てくるとかアイデアが浮かぶとか言います、わたしもこうして文章を書いていますが、出てきたものを小細工して自分の物としているだけで、元々は自分で出したアイデアではありません。そもそも出てくる源泉を知りません。ものを書く格好をして座って考えているような姿勢をとっていると勝手にでてきます。人はそれを捕まえて繋げて自分の頭を使ったように見せ、自分のものだからとして自分の口で発音したように見せています。

ヤという心の構造物が出来、次々と湯水のように湧き出てきます。イメージが固まり言葉と結び付く以前ですが、霊・主観と体・客体とに分かれているようで分かれていない、主客が入れ代わったり交代したりしながら互いに渡り合うようなものが押し出されてきます。物象との結びつきが不十分な為です。そこで確固たる物質的な形を求めることになり、次に口腔、声帯、顎や筋肉等発生のための物象が総動員されていきます。」

(言霊エ)【海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、】

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『海(わた)は渡すで、心中(頭脳)の狭い所から口腔を経て広い世界世間(海)に出て往く場所の譬えなので、実際の海の事ではないし、海の神のことではない。大いに(大)実在世界(海・わた)に渡して(津)明らかになる(見)の意。』

「イメージが出来てきて、今度はイメージを外在化して自他共に確認できる形にしなくてはなりません。イメージを形あるものに渡すことは、大いなる先天の働きで出来たイメージを渡して物象化し、渡すことが明らかでなければならないということです。

言霊エは江(え)、得(え)、枝(えだ)、餌(え)、酔(え)い、絵(え)、縁(えん)、笑(え)み、のエで、川から広い海への境目が江(え)と呼ばれ、エは大いなる拡がりに渡される所にあります。エッ。

(エはや行のエでヤイユエヨはあ行とは別の全部個別の言霊です。)

(言霊ケ・メ)【水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、

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次に、妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。】

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『水戸(みなと)とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらか(秋)に渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、集約されて終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。

言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。

言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。

言霊メは芽、目で客体であり、体であります。』

「ここまでが精神意識の領域では津島と呼ばれます。風木津別、大綿津見、速秋津、妹速秋津と全部に津が付きます。津は渡し場で渡すことで、先天の力動は渡されましたが、まだ言葉に渡っていないので、これから言葉に渡っていくところです。

考えが言葉に組まれる直前の姿(言霊ケ・メ)が何故独立した区分を造っているのか。武道などではいつくといって直前の姿を否定的にとらえていますが、それは動きの静止した実体的に見たときのもので、立ち上げ時のいつくことは否定するしないの問題ではありません。古事記にある通り、水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神、港に停泊しつつ速やかに自らを相手に渡す動きも含んでいます。いつくのは毛(ケ)一つほどのことですが、同様に立ち上げも毛一本の上に乗っています。この両者は次の言霊ク、ムにおいて、組合わされることで、連続した動きになっていきます。」

以上が精神意識の津島と呼ばれる領域です。毛一筋ほどの芽において変態を遂げようとするものです。

次は、佐渡の島の精神領域に移り、イデー、考えが実際に言葉の形を取る領域となります。佐渡は、佐は助けるで、渡はやはり渡すという意味です。

アメツチ・吾の眼を付けて智となすの付け吾の芽を渡すということですから、古事記は徹頭徹尾渡すことが追求されているとも言えます。宗教はあっち側の世界にすり替えますが、古事記の神道のフトマニ言霊学においてのみこの世において渡ることの意味を示しています。

次の、助け渡る領域(佐渡の島)はそれぞれ対の八神で構成されていて、速秋津日子・比売で出来たイメージを主客共に言葉に組んで渡そうとするものです。

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イメージ・考えが言葉と結ばれる

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【この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、】

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『河と海を分担するということではなく、頭脳内の狭い領域から言葉となって出て行くときは全世界が相手になりますから、その対比を言ったものです。蝶の変態脱皮して世界へ飛び立つ場面でしょう。』

「頭脳内では先天が載りイメージとなっていますのでイメージとしてはそれで完成しています。しかし、外海に出て誰でもが意識できる形となっていません。そこで造形への経過が語られます。

イザナギ・ナミの力動十七神の実体力動が発展して、言葉となろうとしているときです。対で出てきます。この助け渡す佐渡の領域は、イザナギ・イザナミの働きの詳細を述べたものともなっています。

一、沫那芸(あわなぎ)の神。沫那美の神。イザナギ・ミの力動を受けて主客を合わし結びつけて行く。クム。

二、頬那芸(つらなぎ)の神。頬那美の神。物象の機構構造(頰骨)となるものを動かす。スル。

三、天の水分(みくまり)の神。国の水分の神。エネルギーの供給配分。ソセ。

四、天の久比奢母智(くひざもち)の神。国の久比奢母智の神。母音実体世界と父韻の働きを支え、意味内容と形の名をつけて保持する。ホヘ。」

(言霊ク・ム)【沫那芸(あわなぎ)の神。沫那美の神。 】

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『後天界(ア・ワ)である現実において吾と汝、霊と体、心と言葉を結びつける働きです。アワは吾(ア)と汝(ワ)であり、アオウエイとワヲウヱ㐄です。芸は気で霊であり、美は身であり体であり、音(言)です。吾と汝、心と身、霊と音を組み結ぶ働きと言うことができます。まとまった心のイメージを実際に言葉に結んで行く活動です。』

「イメージが言葉という物象と結ばれるわけですが、イメージが自分で発声して相手の鼓膜を叩くわけではありません。イメージは頭脳から出られないので物象と結び付いて外へ出るわけです。またイメージは津島の精神領域でアワナギは佐渡の島の領域でそれぞれ次元の違う世界にいます。つまり直接に結び合えることはできません。

速秋津とアワナギの対応がなければ合いませんので、両者の結び合える世界を創造していきます。そこでここの八神の精神領域を佐渡=助け渡すというわけです。

その始めが、島を渡るときに両島をそれぞれ主客とする対応と、速秋津日子・比売とアワナギ・ミの対応です。そこで 沫那芸(あわなぎ)の神・沫那美の神の二神がイザナギ・イザナミの根源神を引き継いだものとして現れます。アワは 波間の泡ではなく、吾・主(あ)と汝・客(わ)を示すあ行とわ行のことです。

集約されたイメージにも主客があるように、物象の世界にも主客のアワが対応して出てきます。そしてこの対応に乗ってイメージが物象と結ばれ、イメージが言葉となる形になります。

ここでイメージに含まれている十七先天構造と三十二の後天現象子音との適合が選択されます。この適合はイメージに適当な気に入った命名としての言葉を与えることではなく、イメージの持つ意味内容と構造と同じものを物象に探すことです。命名権を得て名付けることではありません。(現象子音が全部出揃っていないのにそんなことは不可能と思えるのは、循環、成長していることを忘れています。)

後天現象界でのアワナギ・ミのクム働きは、次のツラナギ・ミの後天現象界でのじったいと合わさる事を求めます。ここで合わされることになれば、形が動いていき動かすスルとなります。」

(言霊ス、ル)【頬那芸(つらなぎ)の神。頬那美の神。】

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『頬那芸、頬那美で先天活動の内容であるイメージと言葉が結ばれ、この頬那芸、頬那美の所で実際に言葉として発音されます(スル)。発音に関係することを示すために発声には口腔の筋肉などが作用しますので、「頬」(ほほ・つら)の字が用いられています。

頬那芸の言霊スは巣、澄む、住むで動きのない状態、

頬那美の言霊ルは流、坩堝で動く状態。』

「読みのツラ(面)を取ると水面ですが、言葉の発せられる頰の動き、頰骨のことです。言葉の発声に係わること全体の構造機構を頰骨が動くことで示したものです。生理的には横隔膜や声帯、腹も含まれてくるでしょう。言葉を発する実体世界のことで、音波や空気の振動、そのた物質条件などまで考えられるでしょう。そこで実体を動かし、何かをスル、発音をスルには意志内容が含まれます。そして次にはそうするエネルギーが必要となります。」

(言霊ソ・セ) 【 天の水分(みくまり)の神。国の水分の神。】

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『水分(みくまり)は水配(みずくば)りの事で、心を言葉に組んで発声するには、無言から有言ヘ、意志の一段の推進力が加わる必要があります。

天の水分は意志の一層の意欲、

国の水分は体的エネルギーの補給。』

「水ということで唾液をエネルギー源として考えていたかもしれません。言葉を他の人に聞かすのも自分で聞くのもそれなりのエネルギーが必要です。天の水(あめのみ)、国の水(くにのみ)で先天・霊・主体・言葉の内容の身、後天・体・客体・言葉の音の身を配り分けて言葉の内実を言葉の音(形)に載せて、言は霊である、言(コト)と霊(タマ)の同一を造ることです。

単音の発声には八つの父韻と四つの母音を采配し、合一したものから子音現象を生じていきます。

ここで音は音、意味は意味で別々に扱うと両者をくっつけただけの普通の言霊(ことだま)ができますが、大和の日本語はコトとタマが同じ事を示す「コトタマ」となります。

こうして、副(そ)うように注(そそ)いだものを塞(せ)き止めたり急(せ)かしたりして、それはいつまでも途切れることなく続きます。」

(言霊ホ、ヘ) 【 天の久比奢母智(くひざもち)の神、国の久比奢母智の神。】

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『久比奢母智とは久しく(久・く)その精神内容(比・霊・ひ)を豊かに(奢・ざ)持ち(母智・もち)続けるの意。

天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。

先天意志の内容であるイメージが音声と結ばれ、発声されますと、その言葉の内容は何処までも豊かに持続され、発展して行きます。』

「子音現象が発生しても、相手に届かず自分にも聞こえなければ何も創造されないことと同じです。発生した後の持続が先々舳先まで保証されねばなりません。

注意をしておきますが、子音が発生し発音されるといっても発音された音(おん)は単なる物質です。空気の濃淡、スピーカーの強弱等ですからそれらを直接問題にしているのではありません。例えば発音しないで独り言や考え事をする場合には物質としての音(おん)は出てきませんが、そこにある言葉には 天の久比奢母智(くひざもち)の神、国の久比奢母智の神が生きて存在しているということです。

繰り返しますが発音される言葉が問題ではなく、底に実在し現象している 天の久比奢母智(くひざもち)の神、国の久比奢母智の神を探っています。」

次いで、実際に発声される言葉を取り上げる段になりますが、声帯で発音するか、電話の音声か手紙か画面かを問わず、そこに実在する 久比奢母智(くひざもち)に注目してください。

ここまでが佐渡の島の領域で言葉に組み結ばれ形を得てエネルギーを補充され発声される ところまできました。

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言葉の大なる循環が完了するまで。

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以下の十四個は大倭豊秋津島の精神領域となります。

始めの四つは空中を言葉が飛んでいる様子、次いで人のは耳に聞かれ、復誦され検討されて了解され、現象の確認が行われて言葉としての役目が完了し、再び先天の宇宙に帰っていきます。

あめつち・(天地) 佐渡の島がギミの命の活動内容を表したものと見ると、ここの四神はアメツチ(吾の眼を付けて智となす)の内容を説明したものと見ることもできます。

(言霊フ) 【次に、風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、】

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『志那都比古とは先天活動の意図(志)がすべてどれもこれも(那)言葉(都=つ・霊屋子=みやこ)となって活動している実体(神)と言った意味です。心は言葉に乗って何処までも活動します。言霊フモハヌは空中(外界)を飛ぶ言葉の内容でありますので、風・木・山・野の神と自然物の名が附けられています。風の神の風は人の息(いき)のことでありましょう。フとはその心、その言葉の内容を意味します。』

「言葉に組まれ言葉となる領域は通過しました。言葉は書かれても読まれても、話しても聞かれても、心で考え思っていても常に言葉でなければなりません。物質現象の形をとっているその背後の言葉が重要なことです。 志那都比古(しな つひこ)以下四神は発音された言葉のイメージが強いですが、発音そのものではありません。もちろん風の神でもありません。風に載っている霊と体です。

あ・吾は私であり、私となるもので、私が言葉を発っしようとするや否やその発される言葉に、意志意図(志)のことごとく(那)が私の全体となって(都・みやこ)活動する内容が含まれています。」

(言霊モ) 【 木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ】

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『 久久能智とは久しく久しく能(よ)く智を持ち続けるの意。人が発声した言葉はそれ以後人との関係がなくなる、という訳ではありません。心はその言葉に乗って何処までも影響力を持ち続けます。木の神の木は気(き)、霊(ひ)の意。空中を飛んでいる言葉は気、霊を宿(やど)している事を示しています。』

「久しく久しく影響力を持つのは木(気)の霊を原初に持つからで、現象となった木(気)の影響力ではありません。モという言葉の影響力は現象として見ていきますと、藻、燃え、設ける、申す、詣でる等のモの現象で示されるモになってしまいます。ここではそれらに共通のモである所の意味合いをのべています。

め・眼は吾の眼で私の意識となります。吾の私の意識が芽を出して相手対象に向かいます。それは芽であろうと幹であろうと花や葉であろうと相手に付くまでは芽のままでいますが、だからといってその場だけの気の芽ではなくどこまでいっても千三百年や何年経っても人の心・気を久しく載せています。」

(言霊ハ) 【 山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、】

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『山の神、また大山津見の山とは八間(やっつのま)の意です。言霊八父韻チイキミシリヒニが発現する姿を図示しますと四角に縦横対角線を入れて頂点を引き上げると四角錐となります。この図の八つの間に一つずつ父韻が入り山の形となります。先天の意図が津島でイメージ化され、佐渡の島で音声と結ばれ、そして渡(わた)され現われ(津見)たものが言霊ハの言葉だという訳です。

宗教で謂う最高創造主神、伊耶那岐の神(言霊イ)の実際の働きである八つの父韻は一切の言葉の根源であります。そこで大山津見とは大いなる八つの父韻の働きが現われて、はっきり見えるようになった神、の意で、大山津見の神とは言霊ハであります。

父韻ヒは「物事の表現が心の宇宙の表面に完成する韻」と説明されます。その実現の姿が言葉です。』

「山の語源が八つの間で言霊はハですが、ここで説明される山津見の見を視覚で見る現象とすると理解不能です。空中を飛ぶ言葉は見えないのに山のような言葉も見ることもできません。外化されて物象の形をとったのでハッキリ分かるようになったということです。山は大小高低美醜畏怖等の思いを起こさせる地から盛り上がったもので、その心の持ちように八種があり、そのそれぞれがハッキリ見えるようになることを山を見ることになぞったものです。地にそびえる山も、木々の先端に開く葉も、着物を脱いで裸になって肌を見せるのも、それらのハには大いなる心の持ちようがハッキリ見えるという共通性があります。

つ・付くは相手に向かいそこに渡って付いて自らを相手の形象を使用して表現します。とうとうその形が威容を持ってハッキリ見るあるいは見させられる、そのときの心の選択が八つあり自らの選択によって相手対象がハッキリ出てくる。」

(言霊ヌ) 【 野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。 】

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『鹿屋野比売(かやのひめ)の鹿屋は神屋(かや)のことで、神の家、即ち言葉のことであります。この神は志那都比古、久久能智、大山津見、鹿屋野、と口腔で発音され、空中を飛んでいる状態の中の最後の神、フモハ言霊に続く最後のヌ言霊であります。フで風の如く心が吹き出され、モで気・霊の心持ちを持続しながら木立の中を進み、山で上空に上がり相手になる対象を選択して、そして野の神として平地に下りて来ました。』

「相手に付いて着地しました。相手の耳に到達したことです。発音で言えば、発音され、音波が消えないで、選んだ相手に向かい、相手の鼓膜を叩こうとするところです。こうして当初の志(志那都)は相手側に縫(野)い込められました。野はぬで縫い合わすこと。

ち・ 地に着いて相手に聞かれて了解され、記憶されて知になるか、実践のための智となるかです。 」

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相手側の意識領域でのこと。

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相手側の意識という時、目前の誰かのことではありません。画面の向こう側かもしれないし、自分自身が相手となっていることもあり、意識が変態して外化し、その形をまた自分(相手)が取り入れて頭脳内で了承する、その同じ構造を探るものです。

発声や文字となって物象の形をとりいったん外化していきますが、外化されたもの自身を問題にするのは物理現象の問題で、それに囚われる心持ちが後の黄泉の国になります。

ここからは物理的になった発音が耳で聞かれて再び精神意識に戻ります。それぞれに生理的な経過がありますが、それ自体を解くのではありません。

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言霊ハと言霊ヌ・言の葉の縫う働き

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【 この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は】

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『外化され物象となった大山津見言霊ハの働きと、鼓膜・視覚を叩く野槌の両者による働きで再び脳内での活動になります。』

「ここはアメツチ(天地)・吾の眼が着いて智に成るの付いて智(地)に成る詳細が語られます。相手が言葉を聞いて了解するという形を借りて、自分の意識が地に着く、智に付くことで了解納得して子現象を得る詳細となります。野槌の言霊ヌで縫う体制になり、普通に言えば相手を納得させるとか自分が了解する場面で、そのことで自分の創造物を得た感触を得ることになります。

ツチ・付いて地になるとはどういうことかの概略をまず記しておきます。

一、送信側が創造した意図とその形はハッキリした落ち着いたものとなっていてそれが相手の耳孔に入り鼓膜を叩きます。(音に限らず五感覚を刺激します。)狭土(さづち)。

二、五感を叩いた後の脳内での作用反作用は物理科学の過程としては徐々に解明されていますが、それが記憶や概念やイメージと結ばれることは全然分かっていません。確かに意図と形を受け取ったものの夜霧の中です。狭霧(さぎり)。

三、その暗闇のなかで何があるのか復誦されます。復誦には全ての過去知識が必要で、その為初めに来た道を元に戻ります。つまり古事記の元のイメージ、先天に戻るように読み直され復誦されます。物象まで来たものがまた鞍替えします。闇戸(くらど)。

四、今まで意味形を創造してきた脳に物象が返ってきましたので、今度は自分の中でどういうことなのかをかき混ぜ煮詰め抽出し、意味内容形を持った言霊として定立して確認されなければなりません。相手に通じているのか、ということは自分が確認することですから主観界と客観界の両者を確認することです。自分から相手に向かうのは主体側のすることで分かりやすいですが、客体側が納得しているかどうかを知るのは大いに戸惑うところです。大戸惑子(おおとまどひこ)。

五、それがうまくできれば主客で了解し合える言葉となります。相手に付いたことを自分が確認するのは、暗闇の中で戸惑いつつ非常に怪しいことですが、そこで言葉の内容が確定し、送信受信の行って帰る両者の一致を得ます。鳥船(とりふね)

六、ここに始めて第三者たる単音の現象子音が誕生します。大宜都比売(おほげつひめ)。言霊コです。

七、そして表徴となる形で固定され、誰でもが活用出来る現象としての先天になります。火(ほ)の迦具土(かぐつち)、文字。

ところでこの事情を歌った童謡(誰一人も理解できない歌)が残されています。数千年前にスメラミコトが巷に放てきしたものでしょうか。

『通りゃんせ』 作詞・不詳 本居長世 編・作曲

通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神様の 細道じゃ

ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります

行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

天神は、天人で吾の眼(あめ・天)を付けて智と成す我々人間のこと。

七つのお祝いは、ななの7×7で言霊五十音に一つ足りないところまで完成できたお祝い。

お札を納めは、最後の一つである言霊コを得て完了すること。

現象子音となる言霊コを得るために往路は主体側の全活動を費やしたが、最後の言霊コ(コ事記のコ)を得るには復路において自己の全人格にかけて往路復路の主客を止揚した大身(おおみま)となること、その覚悟があるなら通りゃんせ。 (世界を動かすスメラミコトの覚悟を問うものでしょう。)

(言霊ラ、サ)【 天の狭土(さづち)の神。次に国の狭土の神。】

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『狭土の狭は耳の中の狭い所、土は椎(つち)で、耳の鼓膜を叩く槌の意。この場合も天の狭土は霊を、国の狭土は音声を受け持ちます。』

「言霊サが付(つ)いて智(ち)になることで、安定した形をとって発声ができて主体を離れた物象が相手側に付きました。」

(言霊ロ、レ)【天の狭霧(さぎり)の神。次に国の狭霧の神。】

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『天の狭霧・国の狭霧の狭霧とは霧の様に耳の孔にぐるぐる廻りながら入り込んで行く様を示しています。

天は霊を、国は音を分担しています。

「着いた次には自分の意図を形を通して相手に取り次ぎます。その際正確に自分の意図(言霊サ)が伝わる必要があります。切っ先を使って錐のように相手側に孔を開けて自分を通そうとしていきます。発声した言葉は自分のものですが、手を離れた今はどこにいるのか、またそこからは相手のすることでどうなるのか霧の中です。

ここは、到達した物象を復誦によって意識にまで戻す事です。霧で先が見えなければ叫ぶことになるでしょう。佐渡の島の領域を逆に辿ります。」

(言霊ノ、ネ) 【 天の闇戸(くらど)の神。国の闇戸の神。】

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『闇戸(くらど)とは文字通り「暗(くら)い戸」で、耳の中の戸、即ち聴覚器官の事でありましょう。耳の中へ入り込んで行った言葉はこの闇戸に当って、そこで更めて復誦されます。言霊ノネは「宣(の)る音(ね)」に通じます。ここでも天の闇戸は霊を、国の闇戸は音を受け持ちます。闇戸で復誦されることによって空中を飛んで来た神名が再び真名に還元されて行きます

「自分の意図と形の力動によって暗闇の戸を開けようと復誦します。それは同時に相手にとってもやって来たものの素性は霧の中から現れ闇の中です。聴覚視覚等の感覚が頭脳の戸を開けて意識の中に入ろうとします。津島の領域を逆に辿ります。」

(言霊カ、マ) 【 大戸惑子(おおとまどひこ)の神。大戸惑女(め)の神。】

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『耳の孔に入って来た言葉は復誦され、 次に、その意味・内容は「こうかな、ああかな」と考えられます。 掻(か)き混(ま)ぜられ、次第に煮(に)つめられます。 煮つめの道具を釜(かま)と呼びます。

この作業で言葉の意味・内容が明らかにとなります。 大戸惑子の神は霊を、大戸惑女の神は音を受け持ちます。』

「解説におおいにと惑う神名です。終わりに近づき締め括ろうとする時に出てくるなんてなどと思いますが、最後の一線を超えようとする時にはいつでも出てくる心持ちです。自己実現のために大いなる父韻と母音の戸を纏(まと)い、身に着けることです。こわいながらも自己の飛躍を引き受けるところです。とうとう戸惑いながらも内容意味を了解して実践による自分を花開かせます。」

(言霊ナ)【鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。】

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『鳥の石楠船の鳥は十理(とり)の意で、五十音図の母音アと半母音ワとの間に八つの父韻が入って現象子音を生みます。 母音・八父韻・半母音合計十の道理で現象が起るのは、主体と客体との間を鳥が飛び交うのに譬えられます。

石楠船(いはくすふね)とは、五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と五十音言霊図が出来上がること。 船とは人を乗せて渡す乗物。言葉は人の心を乗せて渡す乗物。

そこで鳥の石楠船の神とは「言霊の原理に則って五十音言霊図上で確かめられた言葉の内容」という意味となります。

天の鳥船とは「先天(天)の十の原理(母音・八父韻・半母音)の意図(鳥)を運ぶもの(船)」となり、鳥の石楠船と同じ意味となります。

言葉が耳に入り、復誦・検討され、煮つめられて「あゝ、こういう意味だったのだ」と了解されます。

その了解された意味・内容が名(言霊ナ)であります。昔より「名は体をあらわす」と言われます。

言葉が名となった事で内容は確定し、私と貴方との間の現象(子)が了解された事となります。』

「ここで先天の活動が始まって、オノコロ島でこの漂える国を納め造り成せといわれたことが初めて実践的に確認実現します。名において物事の実相を表現することです。」

(言霊コ) 【大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、】

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『言葉が耳に入り、復誦・検討され、内容が確定し、了解されますと、終りとして一つの出来事が完結します。事実として収(おさ)まります。父と母が婚(よば)いして子が生まれます。それが言霊コであります。

それは物事のまぎれもない実相であり、言霊コはその実相の単位です。大宜都比売とは大いに宜(よろ)しき都(霊屋子)(みやこ)である言葉を秘めている(比売)の意であります。

言葉が最終的にその内容が確認され(言霊ナ)、事実として承認されます(言霊コ)と、三十二個の言霊子音は全部出尽くし、言霊の宇宙循環はここで終り、先天に帰ります。跡(あと)に記憶が残ります。

この世の中には千差万別いろいろな出来事が雑然と起るように見えますが、親音言霊イの次元に視点を置いて見る時、世界の現象のすべては僅か三十二個の子音言霊によって構成されており、十七先天言霊によるいとも合理的に生産された出来事なのだ、という事が理解されて来ます。

その理解を自分のものとする為には、言霊コである物事の実相を見る立場が要求される事を御理解頂けたでありましょうか。』

「こうして心は心(言霊イ次元)の物事として三十二個(子)の現れとなります。全ての現象は基本の三十二通りに還元されます。人の数だけ感じ方考え方があるというだけでは不十分で、三十二の階乗分だけあるということです。二語の言葉で32×32、三語で32×32×32、四語で・・・・、各人は気の遠くなるような素晴らしい頭脳の持ち主です。

かくて現象とは何か、の数千年前に解明され千三百年前に暗喩呪示された世界唯一の宝の開陳ができました。

後は各人が実用化に向けて努力をすることになります。

古(子)事記の後半五十神はその秘策を提供してくれます。」

その終わった時に何が残るか、記憶が残る。この記憶を司るのは何か、書かなければ記憶に残りませんが、文字にしますと記憶がハッキリします。文字になったものが言霊ン、それが全部で五十言霊。

神代文字化の作業をしたことを一つとしまして、言霊ン、つまり運ぶという事ですね、これを加えて五十個の言霊が人間の心を構成する要素の全てとして捉えられます。

(言霊ン) 【 火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。

またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。

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『神代文字のこと。火の夜芸速男の神の火(ほ)は言霊、夜芸(やぎ)とは夜の芸術の意、速男(はやお)とは速やかな働きという事。神とは実体という程の意です。これではまだその内容は明らかには分りません。そこで「またの名」を取り上げて見ましょう。

火の炫毘古の神の火(ほ)は言霊、炫(かがや)毘古とは輝(かがや)いている働きの意。

またの名火の迦具土の神の火(ほ)は言霊、迦具土(かぐつち)とは「書く土(つち)」の意です。昔は言霊一音一音を神代文字として粘土板に刻み、素焼きにしてclay tabletにしました。これを甕(みか)と呼びました。甕の神は御鏡(みかがみ)に通じます。』

「言霊ンは文字となった現象ですが、それは記憶として留まりますからその方向に見ますと、言霊ンはそのまま現象となった先天の役割をしていることに気づきます。言葉の使い方として現象となった先天というのは矛盾したいいかたですが、私たちには赤ん坊の時から夜芸(先天のこと)となって言霊が輝き、習得される書くもの聞くもの見るもの思うもの考えるものとなって《先天的に》実在しています。」

【この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。】

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『 火の夜芸速男の神 を生んだことで御陰(みほと)、霊止(ほと)で子の出来るところをこれ以上使用することはありません。三十二の子が生まれ、全部で五十の言霊が揃いました。これ以上の言霊は存在しませんが、後からでてくるとしたら病み悩んだ似非言霊です。』

「これは大和の日本語だけの話ではなく世界人類次元のことです。日本には人間としての全言霊がアイウエオ五十音として揃っていますが、世界にはその 病(や)み臥(こや)せた一部に恣意的な言葉が権威的に、合意として、契約などの形をとってくっついているだけです。」

古事記は次いで多くも少なくも五十しかない人の言霊の使用運用法を解説してくれます。(よく言霊の数を増減した解説を見ますが、古事記は心の言霊で、発音上の言葉の分析ではありません。)

三章へ続く。