「言霊学とは」

「言霊学とは」 <第百八十四号>平成十五年十月号

会員のO氏がパソコンで言霊学に関してのホームページを開設して暫くの時がたちました。最近そのホームページへの訪問者が三千人を越したという。それを媒体として言霊の会を訪問する方、会発行の書籍や会報の購読を希望される方も次第に多くなって来ました。科学文化の発展の勢いは凄まじいものがある。そこで言霊の会も時勢に呼応してこのホームページに投稿を試みる事にしました。「コトタマ学」の会報と違い、言霊学の内容を全く知らない人々に読んで頂く文章でありますから、筆者自身も初心に帰り、会報創刊の心で原稿を書く事としました。若しかすると、この事が言霊の会の会員の方々に新鮮に感じられるかも知れないと思い、投稿の文章を会報誌上にも載せてみようと思い立ちました。投稿の文章は言霊学の初心者、そして不特定多数の人々が対象です。文章の全体が詳細な論証で裏付けられたものではありません。でありますから、会報への転載文には、詳しい解説を要する事、或いは言霊学の勉学に必要な事項等を付け加える事としました。参考になれば幸いと思います。 「ごあいさつ」

言霊学(ことたまのまなび)とは

言霊学は当言霊の会が考え出したものではありません。私達日本人の遠い遠い祖先が大勢集まり、長い間かかって発見した人間の心と言葉に関する究極の学問です。人間の心の構造とその動き、その言葉との関係のすべてはこの言霊の学問で解き尽くされています。日本語はこの学問の原理に基づいて造られ、日本という国家はこの原理の下に肇国され、更に日本をはじめ世界の文明の歴史はこの原理に基づいて創造されています。

この言霊の原理の政治への直接の適用は、世界に於ては三千年余以前に、日本に於ては二千年前、崇神天皇の時に意図的に廃止されました。人類の第二物質文明の創造を促進する為の方便でありました。この時以来、言霊学は宮中賢所に保存される人間精神の秘宝として、伊勢神宮内外宮の唯一神明造りの構造として、また古事記・日本書紀神代巻の神話の形式の謎として後世の人々に遺されたのでありました。

近世に至り、言霊の学問の存在に初めて気付かれ、その復興に努力された方は明治天皇御夫妻であります。以来、数々の先輩諸氏の復元研究が続き、第二次大戦以後は民間の手に移り、現在当言霊の会がその任を担当し、言霊学のほぼ全体の復元が完成されております。

言霊学は明治天皇により「言の葉の誠の道」と呼ばれました。それは一般に信じられている三十一文字の和歌の事ではありません。天皇に「天地を動かすという言の葉の誠の道を誰か知るらん」という御歌があります。言霊学は人間の心とその操作法を余すことなく解明し尽くした学問です。その正確さ、真実性において匹敵し得るものがあるとすれば、近い将来完成が期待される物質の究極構造の学である原子物理学だけでありましょう。

言霊学によれば、現実の社会、ひいては全世界が当面する幾多の混迷する問題について、掌(たなごころ)を指さす如くその解決法を提示することが可能です。今後逐次このホームページに発表する予定です。ご期待下されば光栄であります。

「コトタマの学問はどの様にしたらよいのですか」と尋ねられます。その問いに私は次の様に答えます。「誰方も毎日忙しくお過しの事と思います。やらねばならぬ事が山積している事でしょう。そこを勇気を振い起して一日の中の二十分乃至三十分を『自分の時間』としてお決めになり、その時間内は電話の受話器も手にしないで、ただポカンとしていて下さい。何もしなくていい自由の時間を持つ事です。大切なのは一年三百六十五日、一日も休まず続ける事です。その内に何かしたくなったら、言霊学の本や、言霊に関する宗教書などをお読みになるとよいでしょう。時間が余ったら、またポカンとしていればよいでしょう。そういう風に自分の時間を続けている内に、その三十分程の時間内では妙に自分の心が日常の気忙しさから外れて、シーンとした静寂の中にいるように感じて来ます。どんなに大きな台風でも、その眼に当る処は無風状態だと聞いています。自分の時間が同じような無風状態になったと感じられる方は仕合わせな方です。その静寂の気持から自分自身を、またはご家庭や社会や、世界を見ると、そのそれぞれの真実の姿を見ることが出来ます。ご自分が齷齪と動いている時は、自分の姿や、家庭、世の中、世界の事も、その動いている姿しか眼に入りません。自分が動かなくなると、自も他もその実相をよく見ることが出来るようになりましょう。健康で働いている時も大切ですが、立ち止まって静寂の中にいる自分の時も大切なのだ、という事に気付く事が出来ます。」この自分の時を持つ事の尊さをキリスト教新約聖書は次の如く厳しい文章で教えています。

「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。それ我が来れるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より分たん為なり。人の仇は、その家の者なるべし。我よりも父または母を愛する者は、我に相応しからず。又おのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし。」

少しの時間でも自分の心が動かず、静寂の中にいる事が出来るようになると、何時もは気付かなかったり、別に矛盾を感じなかった事などが、思考の対象として心中に登場し、また気になり出したりして来ます。「自分だと思っているこの自分とは一体何なのだろうか」「私はこの世の中で何をしようとして生れて来たのだろう」「自分が今やっている事をするだけで良いのだろうか」「今の社会の不景気はどうなるのだろうか」「世界の今後はどうなるのだろう」等々の事が自分自身の課題として身に迫って来ます。

今まで世の中全体の流れの中を漂い、流されて生きて来た時には「世の中なんてこんなものなんだ」と軽く考えて来たものが、自分自身との関係の問題として、更には自分自身の責任でもあるものの如く考えるようにもなります。この時、言霊の学問が自分の心の学問として、世界人類の命運に関る自分自身の学問として浮び上がって来ます。自分自身がこの世の中に生きて行く事のすべての問題に唯一無二の解答を与えてくれる極めて身近な、生きた学問として登場して来る事となります。そして学問に対する理解が進むにつれて自分という人間の心の中には、人類始まって以来の歴史のすべてがその生きた姿のままに活動しており、自分自身がそのすべてを背負い、その上で自分自身の自由創造の裁量の下に新しい世界を創り出して行く能力が備わっているという事を言霊学が教えてくれる事となります。 古事記について(言霊学随想)

古事記についてお話しましょう。この書物は七一二年、奈良朝初代、元明天皇の勅命を受けて太安万侶が選録した日本古代の歴史書であります。天皇の命令により編纂された書物でありますから、五十年程以前までは皇典古事記と呼ばれました。これからこの古事記に書かれた内容について、今までの日本人(研究者を含めて)が全く気付かなかった事を二つ皆さんにお伝えしようと思います。

古事記は上つ巻、中つ巻、下つ巻の三巻に分かれています。その中で中つ巻と下つ巻の二巻で神倭皇朝初代神武天皇より三十三代推古天皇までの日本の歴史が述べられています。そしてその前の上つ巻では、歴史書としては誠に奇妙な神々の物語が、数百にものぼる神様の名前と共に書き綴られています。有史時代に入り、日本の国土に中央集権の政府が樹立される以前の、茫漠たる神代の時代の記述と考えられてきました。けれどこの常識とまで考えられて来た内容が、実は古事記の中のただ一つの文章の内容の錯覚による誤解であった事が明らかとなりました。天皇の勅命によって編纂された古事記の神話の真実が、後世の人々の誤解の霧を吹き払い、現代人が驚倒するであろう事実として姿を現わす時が来たのです。これがお伝えしたい第一点であります。

では錯覚の原因となった古事記の文章とは何か。どう誤解したのか。これがお伝えする第二点です。古事記の神話は「天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は……」の文章で始まります。この神話の第一声である「天地の初発の時」の一言こそ後世の日本人が古事記神話に秘められた編者太安万侶の意図を全く誤解し、しかも千年以上の間、誰もが気付かずに過ごす事となった特異な文章であったのです。

日本の古代には哲学的概念に拠る言葉がありませんでした。「天地の初発の時」と言えば、現代では当然眼前に見る宇宙天体の活動が始まった宇宙の初めの時と考えるでしょう。けれど太安万侶の時代では心の現象を眼前の自然現象を以って表現するのが常でありました。「人の心が何かしようとし始めた時」、これを「天地の初発の時」と言ったのであります。「天地の初発の時」を現代宇宙科学が説くように数百、数千億年前の全大宇宙の活動の初めと解釈すれば、その言葉に続く古事記の文章は幾百の神々が現われる荒唐無稽な、私達の生活とは関係の薄い物語となりましょう。 けれどその「天地の初発の時」を私達の何もしていない心がこれから何かをしようとする瞬間、即ち「今・此処」と解釈すべきだ、と気付くならば、それに続く古事記の神話が壮大な人間の心の全構造とその動き、並びに心と言葉との関係という現代は勿論、何時の世の人々にとっても見逃す事の出来ない重要な心の学問だ、という事に気付く事になります。

言霊学が二千年以前にあったと同様の姿で復元された現在、古事記上つ巻の神話が実は神話という謎の形で後世に遺された言霊学のこの世で唯一つの教科書であり手引書である事が確認・證明されました。言霊学によれば、人間の心は究極的に五十個の要素で構成されており、その要素のそれぞれと、日本語の言葉の単位であるアイウエオ五十音の一つ一つとを結んだものを言霊と呼びました。言霊とは心の究極の単位であると同時に言葉の単位でもあるものであり、人間の心はこの五十個の言霊によって構成されている事となります。更に言霊学は人間の心の動きをこの五十個の言霊の五十通りの典型的な動きとして解明しました。五十個の言霊とその五十通りの動き方、合計百の原理・法則を私達の大先祖は百の道、即ち餅(鏡餅)として神の表徴としたのであります。

仏教禅宗に指月の指という言葉があります。「あれがお月様だよ」と指さす指の事です。「指をいくら見ていても何も出ては来ない。指が示すその先にある物を見て初めて真相が分るのだ」という事を教えています。古事記の神話には初めの「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主の神。……」に始まり、言霊学の総結論を示す三貴子(三柱のうづみこ)、即ち天照大神・月読の命・建速須佐男の命の三神まで丁度百の神名が登場します。この中の一番目の神である天之御中主の神(言霊ウ)から五十番目、火の夜芸速男の神(言霊ン)までの神名が言霊五十音を指示する指月の指であり、五十一番目の金山毘古の神から百番目の建速須佐男の命までが言霊の動き方を示す指月の指なのであります。以上五十の言霊とその五十通りの活用の動きによって言霊学は人間の心のすべてを説き尽くしています。人間の心を完璧に表現したこの言霊の原理によって運営されて来た所謂神代と呼ばれる人類の第一精神文明時代は平和で豊穣な理想の時代であったのです。

大本教々祖、出口なお女史の神懸りに「知らせてはならず、知らさいでもならず、神はつらいぞよ」という文章があります。先にお伝えしましたが、二千年以前、崇神天皇により言霊の学問は世の中から封印されました。この決定は人類の第二物質文明創造促進のための方便でありましたから、後世物質科学文明が完成した暁には、当然言霊の学問はこの世の中に復活しなければなりません。その目的のために採られた施策の一つが古事記の編纂であった訳です。その任に当った編者太安万侶の心は「後世の人には明らかに知らさねばならず、とは言え、時が来るまではあから様に知らせてはならず」、丁度出口なお女史の神懸りの言葉の如くであったに違いありません。その結果が古事記の神話に見られる如く、神々の物語り、即ち神話という形をとった謎々の物語となったのです。

以上、古事記という書物について今までの人々が気付かなかった重要な二つの点についてお伝えして来ました。古事記神話の冒頭の文章「天地の初発の時」が人間の心が「今・此処」で何かを始めようとする時、である事に気付く事によって「心とは何ぞや」の問に完璧に答えることが出来る言霊の学問に到達しました。 次に古事記の編纂者、太安万侶が人間の心の究極の構造である言霊の原理を神話という黙示の形で書き、実際の歴史書である中つ巻と下つ巻の前提となる歴史創造の理念としての上つ巻を造り上げた事実を直視するならば、日本と世界の歴史がてんでばらばらに営まれる人々の行為の単なる総合なのではなく、その長い歴史の創造の原動力として「人間の心とは何ぞや」の問に対する完全解答である言霊の原理が躍動している事に気付く事となります。

言霊学に興味を持たれた方は、更に一歩を進めて、言霊学の殿堂に入り、古事記の神話の神々の名前を指月の指として自らの心を顧みられ、アイウエオ五十音の言霊の存在を確認して頂き度い。人間の心の壮大さ、幽玄さ、想像することも出来ない合理性、そしてその優美さに驚嘆することでしょう。そしてこの人間と人間社会が「捨てたものではない」事にお気付きになりましょう。

言霊学が示す言霊五十音とそれぞれの言霊を指さす指月の指である古事記神名とを対として一覧表を作ると次の様になる。

五母音・四半母音

ウ 天之御中主(あめのみなかぬし)神 ア 高御産巣日(たかみむすび)神

ワ 神産巣日(かみむすび)神 オ 天之常立神(あめのとこたち)

ヲ 宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)神 エ 国之常立(くにのとこたち)神

ヱ 豊雲野(とよくもの)神

イ 伊耶那岐(いざなぎ)神 ヰ 伊耶那美(いざなみ)神

八父韻

チ 宇比地邇(うひじに)神 イ 須比地邇(すひじに)神

キ 角杙(つのぐひ)神 ミ 生杙(いくぐひ)神

シ 大斗能地(おほとのじ)神 リ 大戸乃弁(おほとのべ)神

ヒ 淤母陀琉(おもだる)神 ニ 阿夜訶志古泥(あやかしこね)神

以上先天十七神。以下後天現象子音三十二神。

タ 大事忍男(おほことおしを)神 ト 石土毘古(いはつちひこ)神

ヨ 石巣比売(いはすひめ)神 ツ 大戸日別(おほとひわけ)神

テ 天之吹男(あめのふきを)神 ヤ 大屋毘古(おほやびこ)神

ユ 風木津別之忍男(かざつわけのおしを)神 エ 大綿津見(おほわたつみ)神

ケ 速秋津日子(はやあきつひこ)神 メ 速秋津比売(はやあきつひめ)神

ク 沫那芸(あわなぎ)神 ム 沫那美(あわなみ)神

ス 頬那芸(つらなぎ)神 ル 頬那美(つらなみ)神

ソ 天之水分(あめのみくまり)神 セ 国之水分(くにのみくまり)神

ホ 天之久比奢母智(あめのくひぢもち)神 ヘ 国之久比奢母智(くにのくひぢもち)神

フ 志那都比古(しなつひこ)神 モ 久久能智(くくのち)神

ハ 大山津見(おほやまつみ)神 ヌ 鹿屋野比売(かやのひめ)神

ラ 天之狭土(あめのさつち)神 サ 国之狭土(くにのさつち)神

ロ 天之狭霧(あめのさぎり)神 レ 国之狭霧(くにのさぎり)神

ノ 天之闇戸(あめのくらど)神 ネ 国之闇戸(くにのくらど)神

カ 大戸惑子(おほとまどひこ)神 マ 大戸惑女(おほとまどひめ)神

ナ 鳥之石楠船(とりのいはすくふね)神 コ 大宜都比売(おほげつひめ)神

以上後天現象子音三十二神。

次に神代神名文字一神。

ン 火之夜芸速男(ほのやぎはやを)神 (以上総計五十言霊、五十神)

以上、言霊五十個と、それぞれに対応する指月の指である古事記神話の神々とを結んで、五十対の言霊と神名を書いてみました。指月の指である古事記の神名と、その神名が指し示すご本尊である言霊ウとの関係について詳しく検討してみましょう。当会発行の言霊学の解説書「古事記と言霊」の中の神名天之御中主神・言霊ウの項(頁9~10)を御覧下さい。

『宇宙の中に初めて意識が動き出す一点、それはよくよく考えてみますと、その動き出す瞬間が今であり、此処である、ということです。心の息吹が芽を吹き萌え出ようとする瞬間こそ現実の今であり、此処であると言うことが出来るでしょう。これ以外に今という時と此処という処はありません。私達の心の活動はいつでもこの今・此処から出発しています。人間万事すべての活動が始まる出発点です。古事記の編纂者太安万侶はこの人間の原始的な意識に天の御中主の神という神名を当てて表現したのでした。その実体を言霊の学問で言霊ウと言います。

何故太安万侶は今・此処に始まる意識の元の姿に天の御中主の神という名前を当てたのでしょうか。天の御中主の神の「天の」は心の宇宙の、という意味です。「御中主」とはその宇宙の中心にあって、すべての意識活動の元(主人公)としての、の意味。神はそういう実体の事。広い心の宇宙に、ある時ある処で、やがて発展して私という自覚となる原始的な意識が芽生えます。その意識がどんなに小さい、ささやかなものであっても、無限大の宇宙がその今・此処の一点から活動を開始するのですから、その瞬間の一点こそ宇宙の中心ということが出来ます。そしてその一点がやがて「我あり」の自覚に発展して行くのですから、宇宙の主人公というわけです。私達日本人の祖先はこの一点の原始的な自覚体に言霊ウ、と名付けたのでした。そして太安万侶は古事記神代巻の編纂に当って言霊ウを指し示す「指月の月」として天の御中主の神という神名を使ったのです。』

長い引用文を書いて恐縮でありますが、この文章をお読み下さって、指月の指である天之御中主神という神名が「広い、何もない心の宇宙の一点(今・此処)に何かが始まろうとする意識の芽」の事を黙示しているのだ、という事がお分りになったのではないかと思います。「あれがお月様だよ」と指さしている指月の指に導かれて「今・此処に始まろうとする心の意識の芽」に到達しました。ここまではお分りになる方は多いと思います。けれどその次に分らない事が控えているのにお気付きになる方は少ないのではないでしょうか。それは何か。

指月の指は確かに「心の宇宙の一点に始まろうとする意識の芽」に導いてくれました。けれど指月の指の役目はここで終ってしまい、天之御中主神が言霊ウであるという事を教えてはくれません。この指月の指である天之御中主神という神名からは決してそれが「言霊ウ」であると断言する何者も備わってはいません。それなのに何故「言霊ウ」なのでしょうか。

人間の心を分析して究極的に五十個の要素がある事を発見しました。その要素の一つ一つを、私達が今使っているアイウエオ五十音という言葉の最小単位の一つ一つと結んで五十個の言霊(ことたま)を得ました。そこで考えて見て下さい。五十個の心の要素と五十個の言葉の単位との結びつきは幾通り有るとお思いでしょうか。そこには数学のコンビネーションの計算をしなければなりませんが、考えるのも恐ろしい程の数となる事は間違いありません。五十個の言霊はそれぞれ異なった内容・性質を持ち、然もその五十個を五十通りの典型的動きの活用により、最終的に人間精神の理想の構造を作り出し、その構造原理に従って物事の実相そのものを表現する日本語を造り、更にその原理によって人間が住む最高の理想社会を建設して行く為に些かの矛盾も起る事のない合理性を持った学問の完成であったのです。この学問の発見のために、私達日本人の祖先のどれ程大勢の人々、とどれ程長い年月の試行錯誤の努力・研鑚があった事でありましょうか。その厖大(ぼうだい)な研究・努力の結果が人類の第一精神文明創造の原器である言霊の学問の完成となって現われたに違いありません。それは丁度、「物質とは何ぞや」を数千年にわたって研究し、近い将来その完成間近な原子物理学と同様の道程を踏んだに違いないのです。

上の事に鑑みて約百年前より言霊学の復活が始まり、諸先輩方の並々ならぬ努力で大昔にあったと同様の姿で此処に言霊学が姿を現わしたのでありますが、その復活への努力が大昔の如くその初めの零(ゼロ)からの出発ではなく、言霊学の確かな記録・文献の発見が土台となったであろう事が推察されるのであります。明治の時代、言霊学の伝統にお気付きになり、その復活・研究を始められたのが明治天皇御夫妻であったと聞いております。御夫妻の研究のお相手を務めましたのが旧尾張藩士で国学者・書道家であり、皇后の書道の師でもあった山腰弘道氏でありました。その後、言霊学の伝統は弘道氏の子、山腰明将氏、次に小笠原孝次氏、そして現在、当言霊の会がその任を担当しているのでありますが、これ等言霊学の諸先輩並びにその他言霊学の復活に活躍された方々の記録・文献を拝見いたしますと、どれもが何の疑いもなく当会が皆様にお伝えしている言霊と古事記神名との結び付きと同様のものを採用している事であります。

更に古事記の神名に指示された五十音言霊を、古事記の五十一番目の神より百番目の神の神名を指月の指として、そのその整理・運用法を検討し、言霊学の総結論である禊祓の行法の解明を進めるに従い、古事記神名と五十音言霊との結び付きに関して何の矛盾も起らず、反ってその正確さに対して驚嘆の念を増すばかりであります。言霊学という真理の中で、その中心に位する人間の心の要素と五十音との結び付きの正確さこそ真理中の真理というに値するものであると思われます。

この事実から推察して、言霊学の根幹である古事記神話の神々と五十音言霊との結びつきは、言霊学が実際に人類文明創造の原器として活用されていた太古から、または少なくとも古事記が編纂された奈良朝初期の時代から、宮中に記録または文献として秘蔵・保存されて来た事が窺われるのであります。その場所は宮中温明殿、別名賢所(天照大神のみたましろとして模造の神鏡を奉安する所。内侍が守護するので内侍所ともいう。)でありましょう。世界の中で最も賢い所と言うべき所であります。

(この項終り)

「言霊学発見の年代」 <第百八十五号>平成十五年十一月号

初めにホームページに連載の文章を掲げます。 言霊学(コトタマノマナビ)が日本人の大先祖によって発見された時が今から八千年乃至一万年前だ、と言ったら驚く人も多いことでしょう。そこで言霊学の立場からその年代を證明する事実をお話しましょう。

人間の心は五十音の言霊(コトタマ)で構成されています。それ等五十個の言霊の内訳は、心の先天構造(人が五官感覚によって捉える以前の心の働き)十七、後天現象三十二、計四十九言霊、それ等言霊を神代文字化する働き一、総合計五十となっています。これら五十言霊の典型的な動き方が五十通りあり、合計百の原理を総合して最終的に人間能力の最高理想の精神構造が自覚されます。以上の十七言霊によって構成される心の先天構造は言霊学のアルファーであり、これを天津磐境(あまついはさか)といい、五十言霊とその五十通りの動きによる言霊学の総結論、即ち言霊学のオメガーを天津神籬(あまつひもろぎ)と呼びます。この言霊学の天津磐境と天津神籬を世界の歴史上の現代人衆知の文物と比較しますと興味深い事が分って来ます。

先ず天津磐境の構造を図で示します(図A)。一切の精神現象の原動力である人間精神の先天構造は言霊十七個で構成されます。言霊は心の究極の構成要素と言葉の最小要素とを結び付けたものですから、言霊は心の実体・実相を表わしたものであると言う事が出来ます。

次に中国の儒教の中の「易経」を取上げます(岩波文庫「易経」高田眞治訳注)。易経に於て人の心の先天構造を示すものに太極図があります。図Bはその図形です。易経の解説書である繋辞伝に「易に太極有り、是れ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」と言って、この太極図が物事の現象を生じる原因となる人間の心の先天構造を表わしている事を示しています。言霊学の天津磐境と易経の太極図は同一の図形である事が分ります。

図形は同じですが、図形を構成している因子が違います。天津磐境はその因子を表わすのに実体そのものである言霊を以てするのに対し、易経は概念と数を以て示している事です。たとえば、言霊学は「蜜柑(みかん)」と言うのに対し、易経は「柑橘類の一種、比較的小型で果汁は甘酸(あまず)っぱい」と表わしている様なものです。磐境(いはさか)が太陽の光なら、易経はその反射光である月の光と言ったらよいでしょうか。天津磐境が分れば太極図は見ただけで理解出来ますが、太極図を理解出来たからと言って磐境の言霊図の実体は分るものではありません。逆は真ではないのです。

上の事実は何を意味しているのでしょうか。明らかに言霊学による心の先天構造である天津磐境の原理が先に発見され、その後その原理を概念と数の法則として中国に教えた事を示しています。日本及び世界の古代史の一つである竹内古文書には「鵜草葺不合(うがやふきあえず)王朝五十八代御中主幸玉(みなかぬしさちたま)天皇の御代、支国(えだくに)(中国)王伏羲(ふぎ)来り、天皇これに天津金木を教える」と記されています。天津金木とは言霊ウ(五官感覚に基づく人間の欲望次元)の精神構造を言霊五十音を以て表わしたものであります。易経は言霊学の天津磐境を中国語の概念と数の法則に脚色して伝授したものと考えられます。

では易経を初めて称えた中国の伏羲という王は何時頃の人なのでしょうか。これまでの中国古代史研究では、中国の歴史は紀元前十八世紀頃の殷(いん)の時代から始まるとするのが定説。近年は、それ以前の夏の時代の存在を証明する考古学的発見が主張されています。とすると、殷が今より三千八百年前、その前の夏(か)は四千数百年前となります。中国伝説には夏の前に三皇五帝の代があったと説かれ、易を始めた伏羲王は三皇(燧人[すいじん]氏、伏羲氏、神農氏)の一人であります。五帝の中には有名な尭(ぎょう)や舜(しゅん)と言った王が含まれています。

この様に太古を探って行きますと、伏羲の時代が少なくとも今より五千年以上前という事になります。竹内古文書にも「伏羲が帰る年を神武天皇即位前二千二百八十年」とあります事からもその年代の正確である事が確認されます。伏羲来朝の時の天皇は葺不合王朝五十八代であり、その葺不合(ふきあえず)王朝の前に日本には言霊原理に基づく政治が行われた邇々芸、日子穂々出見の二王朝がありました事から考察しますと、日本民族の祖先による言霊学の発見は今より八千年乃至一万年前と見るのが妥当という事になりましょう。

次に天津神籬による證明の話に移りましょう。

世界史略年表(三省堂編)を見ましょう。「紀元前二十七世紀、ピラミッド時代」とあります。今から四千七百年前頃、エジプトに於てピラミッドが盛んに建造されていた事を示しています。あの巨大な四角錐の建造物がエジプト王の墓として如何なる意味を持つのか、諸説がありますが未だに確定していません。中国の易経に「形而上を道と謂い、形而下を器と謂う」とあります。精神的法則を道と言い、それを形で示したものを器と言うという事です。エジプトのピラミッドは、日本古代の言霊学の総結論である人間の最高理想の精神構造(道)を物質的建造物(器)として表徴したものなのです。その精神構造を高千穂の奇振嶽(たかちほのくしふるたけ)と謂います。

次頁にピラミッドと高千穂の奇振嶽(たかちほのくしふるたけ)(天津神籬)を図示しました。高千穂の奇振嶽とは主体精神(高[たか])の道(千[ち])である言霊(穂[ほ])を霊妙に(奇[くし])活用する(振[ふる])五十音言霊図の構造(嶽[たけ])の意であります。国家・世界の統治者がその徳によって統治する政治の組織を五十音言霊で表わしますと図が示す如く母音がアイエオウと縦に並び、最上段のアの列がアタカマハラナヤサワと横に並びます。この五十音図を天津太祝詞(あまつふとのりと)(音図)と言います。この音図を上下・陰陽にとった百音図(図参照)は古代の政庁の組織を表わしたもので、百敷の大宮(ももしきのおおみや)と呼ばれます。この図形の中心にフルフルの四文字が入ります。フル(振る)とは力を振るう事、原理を活用するの意です。このフルフルの四文字の所を持って図面より直角の方向に引上げますと、四角錐の山形が出来上がります。これが高千穂の奇振嶽です。

幼児の折り紙遊びのように思われるかも知れませんが、ピラミッドの建造が盛んに行われた五千年前の世界に於ては、「人間の心とは何ぞや」の問題をすべて解明した言霊学の総結論であり、また国家・世界統治の基本原理でもある精神原理の表徴物である事は人類衆知の事実であったのです。それ故にこそ、エジプトの大王達は死して後、自らの生命がこの大原理の中に永遠に生きようとする願望の下に自らの墓として巨大なピラミッドを建造したに違いありません。

以上、言霊学の発見が今から八千年乃至一万年前である事の證明を言霊学のアルファーとオメガーの理論からお話いたしました。(天津磐境(あまついはさか)と天津神籬(あまつひもろぎ)の原理については当会発行の書籍を参照、または当会にお問合せ下さい。)

(この項終り)

日本人の大先祖による言霊布斗麻邇の学問の発見・完成の年代については会報誌上または「コトタマ学入門」の中で説明した事でありますが、今回は言霊学の立場からその成立の年代を證明する事実をズバリと指摘しました。初めてコトタマの学に接する方々には少々難しかったかも知れません。興味を持たれた方は是非言霊学の勉学に入って頂く事を希望しながら書いたものであります。

個々の説明を省いた文章でありますので、以前より言霊学に親しんでいらっしゃる会員の方にも、説明をさせて頂いた方がよいかな、と思われる箇所があります。二、三の点について解説をいたします。

その第一は高千穂の奇振嶽とピラミッドとの関係を述べた所の「この五十音図を天津太祝詞(音図)と言います。この音図を上下・陰陽にとった百音図(図参照)は……」の文章の中の「この音図を上下・陰陽にとった……」についての所であります。母音が縦にアイエオウと並ぶ音図は天津太祝詞音図といい、言霊エ(実践智)に則した心の構造を表わした五十音図です。これは理解出来ます。けれどこの音図を「上下・陰陽にとった」とあります。何故その様に音図に手を加えて百音図を作るのでしょうか。五十音言霊図は心の構造を表わす図です。その構造図を上下にとる意味は何なのでしょうか。この説明がつきませんと、単なる図形のお遊びになってしまいます。「五十音図を上下にとる」とは心の如何なる変化を言ったものなのでしょうか。

「音図を上下にとる」との表現は、言霊の原理を活用し、人を救済し、また政治を行い、文明を創造する上で重要な心の動きなのです。それは言霊原理の活用法独特の「言霊の幸倍(さちは)へ」の業なのであります。

この五十音図を上下・陰陽にとった十段・百音図の上半分を大祓祝詞(おおはらいのりと)は高山と呼び、下半分を短山(ひきやま)と呼びます。「国津神は高山の末、短山の末に上りまして、高山のいほり、短山のいほりを撥き分けて聞しめさむ」とあります。人はこの世に生まれた時から五つの母音で表わされる根本性能を授かっています。言霊ウは五官感覚に基づく欲望性能。言霊オは言霊ウの行為と行為の間の法則を求める経験知識の性能。言霊アは感情・感性の性能。言霊エは実践智・選択智の性能。そして最後に言霊イの生命創造意志の性能。五十音言霊はこの言霊イの次元に存在します。人はこれ等五つの性能を生来授かって生まれて来ますが、ただその自覚がありません。五母音の根本性能は言霊学の法則に従って修行して初めて自覚されるものです。そこに自覚と無自覚の二つの段階の区別が生まれます。天津太祝詞音図の五母音アイエオウは自覚された段階であり、これを高山と呼びます。その音図を上下・陰陽にとった五十音の五母音ウオエイアは無自覚の段階であり、短山と呼びます。

上の段の高山と下の段の短山の区別は分りました。上が自覚、下は無自覚です。では上の段と下の段で母音の並びが上から下へ順を逆にしたのは何故なのでしょう。この事に関して会報八十三号「八十禍津日神(やそのまがつひのかみ)」で詳しく解説をいたしましたが、音図を上下・陰陽にとった十段の境涯と同様の事が仏教の人間の境涯を表わす「十界(じっかい)」に示され、これが分り易いので、ここに紹介しましょう(図参照)。上の五段は仏教の救いの立場から見た人間の境涯の五段階。下の五段は仏教の自覚のない人々の五段階を表わします。この表に於て最上段の仏陀に対するのは最下段の地獄となります。仏陀も地獄も言霊イに当る人間の境涯です。この仏陀と地獄を例にとって、その境涯の相違を考えてみましょう。仏陀は十界の境涯の実相をすべて総覧し自覚して、然も如何なる束縛からも解脱して自由な創造を行う立場です。これに対して地獄とは一切の苦悩・煩悩の束縛から逃れる術(すべ)を失い、暗黒苦悩の中に沈んで動きがとれない境遇です。これを言霊学で表現しますと、地獄とは図Aとなります。光りがなく動けない形です。昔からこの図形を地獄と呼んでいます。この図形の中の間(ま)に言霊の自覚が入りますと図Bとなります。それはとりも直さず図Cの自由創造の根本智性の悟りとなります。言霊を一音で霊と謂います。それが自由創造の働きで動く事を「霊駆(ひか)り」即ち光です。仏陀も地獄も同じ言霊イ段に相当しますが、光の自覚が成就していれば仏陀であり、その自覚を欠けば地獄です。五母音の他のエアオウの四段階についても、上段と下段とで同様の事が言えるのであります。

以上、音図を上下・陰陽にとった百音図の上と下との相違について説明をいたしました。ここまでお話しますと、会員の大方は言霊原理の活用法である「禊祓」の行法を想起なさるのではないでしょうか。事実百音図の上は政治を行う者、下はその政治の恩恵を受ける者の立場である事が分ります。然もその政治を行う者の立場とその恩恵を受ける者の立場が相対立するのではなく、一人の人間を譬えとすると、政治を行う者はその心であり、その恩恵に預かる者はその身体となる主客合一の立場が成立します。古事記の禊祓の章「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、『吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾(あ)は御身の祓(はら)せむ』とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓(はら)へたまひき。」とあります伊耶那岐の大神の立場がそれであります。この立場に立つ時、一国の、そして世界の人々によって生産されるすべての文化が禊祓の業によってそれぞれの実相を損なうことなく世界文明の内容として摂取・創造される事が可能となります。

以上、「天津太祝詞音図を上下・陰陽にとった百音図……」と書きました事の内容であります。音図上の変化を一言で表現しました事が人の心の中の如何なる動きとなって現われるか、言霊原理の説明では複雑・霊妙な心の躍動となることがお分り願えるのではないでしょうか。

ピラミッドと言霊学の高千穂の奇振嶽との関係の解説として今一つの説明を要することがあります。それは「百音図の中心にフルフルの四文字が入ります。この四文字の所を持って図面より直角の方向に引上げますと、四角錐の山形が出来上がります。これが高千穂の奇振嶽です」とあります。天津太祝詞音図を上下にとった百音図として、国家や世界人類文明創造の政治の基本原理の完成構造が出来上がっているものを、何故フルフルの四文字の箇所をもって図面より直角の方向に引上げるのでしょうか。その様な図形の動きに対応する人の心の変化とはどの様なものなのでしょうか。この間の消息を説明する前提として、親鸞上人の教えを記した歎異抄の中の文章を取り上げる事にしましょう。

「彌陀(みだ)の五劫思惟(しゆゐ)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞(しんらん)一人がためなりけり」(歎異抄、総結)とあります。親鸞の浄土真宗の「南無阿弥陀佛」の信仰は彌陀五劫思惟の願(大無量寿経参照)の上に成立しています。その願「たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信樂(しんぎょう)して、わが国に生れんと欲して、乃至十念せん。もし、生れずんば、正覚を取らじ」(第十八願)は一切衆生を救済するための仏の願であり、衆生に対しての慈悲の現われであります。仏の「私はこの様にするぞ」という教えです。親鸞はこの教えを信じ、金剛心を以って念仏を称え、終(つい)に「彌陀五劫思惟の願が親鸞一人のための願だったのだ」と悟ったのです。それは仏の願の功を親鸞が独占するという事ではありません。仏の五劫という長い思惟の願の有難さが親鸞の心の底の底まで浸み渡った結果、仏の慈悲、念仏があればこそ自分はこの世に存在することが出来る」と悟ったのであります。言い換えますと、「南無阿弥陀佛」の念仏が即自分の生命と知った、という事なのです。彌陀五劫思惟の願は一切衆生に対する教えです。親鸞はその教えを信じ、念仏することによって、その念仏が自分自身に対する教えというよりは生命そのものである事を知ったのです。

天津太祝詞音図は政治の基本原理であり、それを上下にとった百音図は基本原理に基づいた文明創造の実践の精神構造であり、その政治機構(百敷の大宮)の組織であります。その図形をフルフルを中心として引上げた山形は、単なる原理・機構といったものではなく、その原理に則り、その機構・組織を総覧する唯一人の責任者として立った者の心構えを示しています。即ち天津日嗣天皇(スメラミコト)の心そのものなのです。

スメラミコトの自覚の心の住家は天之御柱アイエオウの中の言霊アであり、その内容は言霊イの言霊原理であり、その働きは言霊エオウであります。そしてその働きが言霊ウである世界人類の人々(衆生)の生活の上に御稜威(みいず)となって現われる時、初めてスメラミコトの責務の完遂となります。この最高の政治の方法を石上神宮のヒフミ四十七文字布留の言本は「ウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」と言っております。その意は「スメラミコトの心(大御心)の内容を言霊ウとオとエの三次元に分けて(ウオエニサリヘテ)、宣言し実行せよ(ノマス)、その大御心は言霊アの瀬(仁慈)に於てであり(アセ)、宣言とは言霊ウオエ次元の結論(ヱ)であり、その結果として世の中の秩序が平和で豊かに整然となる様に(ホレケ)」という事であります。この大業の内容を一人の人間(御身[おほみま])に譬えるならば、スメラミコトの心を心とし、世界人類の心をその身体とする時、その一人の人間が日々心新たに、身体が健やかに活動して生甲斐のある世界文明創造という人生の目的実現のために進歩・生長して行く事でありましょう。

高千穂の奇振嶽は右のスメラミコト一人の心構えの表徴なのであります。五千年前のエジプトの大王達はそのスメラミコトの御稜威を瞻望(せんぼう)し、奇振嶽の単なる外形を頂いてその墓として建造し、自らの魂が永遠の栄光の中に生きる事を願ったに違いありません。

さて次に第二の問題に移りましょう。再び竹内古文書を見ます。約五千年前、「鵜草葺不合王朝五十八代御中主幸玉天皇の御代、支国王伏羲来り、天皇これに天津金木を教える」とあります。更にそれより千六百年程経った鵜草葺不合王朝六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の時、「ヨモツ国王モーゼ・ロミュラス来る。天皇これに天津金木を教える」とあります。天津金木とは母音が縦にアイウエオと並び、最上段が向って右からア・カサタナハマヤラ・ワと横に並ぶ五十音図のことです。私達が小学校の時に教えられる五十音図がそれです。単にアイウエオ五十音を並べただけの図形と思われていますが、事実は途方もなく大きな内容を持った図形なのです。人の心は五十の言霊で構成されています。また人の心は生来五つの根本性能を与えられています。その性能を五つの母音で表わします。言霊ウ(五官感覚に基づく欲望性能)、言霊オ(経験する現象間の法則を求める知識性能)、言霊ア(感情性能)、言霊エ(物事に如何に対処するかを決定する実践智、道徳智性能)、言霊イ(以上の四性能を統括する生命の創造意志性能)の五性能であります。天津金木の五十音図は最初の言霊ウの欲望性能に則した心の持ち方の構造を示した音図なのです。でありますから金木音図の他に言霊オアエイの四性能に則したそれぞれ四つの五十音図がある事は会員の方々のご存知の事であります。

この音図に基づいて縦の五母音の並び、横の八父韻の並び方がそれぞれ人間の心の内容として如何に自覚されるかの程度に従ってこの言霊ウの欲望の世界(産業・経済・権力政治の社会)に於て勢力を延ばす事が出来ることとなります。そこで太古に於ては世界の各地からこの精神秘宝を求めて日本に来朝する人々は後を絶たなかったのでありました。中国の秦の始皇帝が日本に方士除福を遣わして日本朝廷に不老長寿の薬(その実は天津金木の精神秘宝)を要求したという史実も右の欲望からであったのです。

鵜草葺不合王朝時代、中国の伏羲とユダヤのモーゼに天津金木を教えると竹内古文書に見えます。この来朝の両者に金木音図の原理をどの様に教えたのでしょうか。天津金木五十音図をそのまま教えたのではありません。伏羲には天津金木の原理を中国の概念の言葉と数との組合せの法則に脚色したもの、これを易経として授けたのであります。次のモーゼには矢張り金木の原理をヘブライ語の子音と数霊の法則に脚色したものを教えたものと推測されます。ユダヤ教のラビ(お坊さん)はこの法則をカバラと呼んでいます。これ等伝授した法則から「百度戦うも危ふからず」の孫子の兵法や六韜三略(りくとうさんりゃく)等の兵法書が生れました。

日本の言霊学は人の心の構造の構成因子として母音(実在)、父韻(人間の根本智性)、子音(現象の実相音)を使います。中国の易経は哲学概念と数を、ユダヤのカバラはヘブライ語の子音と数を以って表わします。言霊(母音、父韻、子音)は言葉の言葉word of wordsであるのに対し、易経・カバラは単なる言葉を用います。概念の言葉や数は実体・実相を表わしません。そのため、言霊が分れば易経・カバラは直ちに理解することが出来ますが、易経・カバラからは言霊を窺う事は出来ません。

太古の日本の朝廷は何故言霊学の天津金木を伏羲に、またモーゼに教えるのに金木音図そのものでなく、その概念と数へ脚色したものを教えたのでしょうか。日本独特の精神秘宝を出し惜しみしたわけではありません。言霊原理の活用は日本語に於てのみ可能であるという理由もありますが、それだけでなく世界文明創造の経綸に関わる重大な理由があったからであります。

過去三千年乃至五千年は人類の第二物質科学文明の創造の期間でありました。物質科学振興のための精神土壌は生存競争、弱肉強食の社会です。方便上言霊の原理は社会の裏に隠さなければなりません。そして物質科学文明がこの地球上に完成された暁、言霊の原理は再び社会の表に蘇えらねばなりません。その物質文明時代の間、言霊の学の存在は世の人の脳裏に登ってはならないものであり、同時にその間の生存競争を煽(あお)る手段としての易経やカバラは最も有力な戦略の役目を果すものであったのです。

私達は現在、人類第二の物質科学文明の完成を目の前にしています。と同時にそれは物質科学のもたらす富と科学兵器と通信手段の向上によって世界人類の統一という画期的時期をも迎えようとしております。この時運に呼応する如く、長い間社会の底に隠されて来た人類の第一精神文明の原器であった言霊の原理が不死鳥の如くこの地上に蘇えったのであります。

かくて蘇えり、復活した言霊の学問に則り人類一万年にわたる文明創造の歴史を振返る時、各時代々々の移り変りの実相を明らかに読み取る事が出来ます。同時に過去の長い歴史の行き着く結果である現代の状況までの筋道が、あたかも周到に想を練って作られた構想の下に、神技の筆、霊妙な色彩、血湧き肉踊る物語として画かれた絵巻物の大作を繙とく如く歴史の展開を理解出来る事に気付くのであります。これを逆に表現するならば、わが聖(ひじり)なる大先祖、皇祖皇宗は、人類全体をその胸内に抱く仁慈の心と言霊学の精通による透徹した英智の洞察力によって、人類全体の文明創造の歴史の目的とその筋道を設定し、その行方を見通し、その為の諸般の準備を整え、その上で歴史創造の出発の鐘を打ち鳴らしたに相違ないのです。その時、人類歴史の絵巻物の完成は既に約束されたのであります。現代人に要求されるのは言霊学によってその皇祖皇宗の歴史創造の意図と筋道を自らの胸中に自覚する事でありましょう。

(終り)

「言霊学について」 <第百八十六号>平成十五年十二月号

言霊学(コトタマノマナビ)とはどんな学問であるのかを説明します。 人の心を分析して、もうこれ以上は分析出来ないという所まで来ます。すると五十個の要素がある事を知ります。この五十個の要素に私達が日頃使っている日本語の最小単位音であるアイウエオ五十音の一つ一つを結び付けます。するとその一つ一つは心を構成する究極の要素であると同時に言葉の最小単位でもある五十個のものが生れます。日本人の大祖先はこの一つ一つを言霊(コトタマ)または一音で霊とも呼びました。

繰り返しますと、言霊とは心の究極の要素であり、同時に言葉の最小単位でもあるものです。人間の心はこの五十個の言霊で構成されており、それ以上でもそれ以下でもありません。日本人の祖先は次にこの五十個の言霊が五十通りの典型的な動き方をする事を発見しました。五十個の言霊の五十通りの動きをする、計百の原理についての学問を言霊学と呼びます。

五十個の言霊の五十通りの動き、これで人間の心のすべてです。この様にして百の原理にまとめられた心の内容の学問は、簡単にして精緻、しかも厖大な内容を含んでいます。それは現代の物質科学が主張する「物質を構成する究極の単位は十六個のコーク、常温・常態では九十余の元素から物質世界は成り立つ」という事と似ています。

科学が今日の成果を得るまでに約四、五千年の歳月を要したと聞いています。日本人の祖先が心の究極の原理である言霊学を完成するまでには科学と同様の努力と歳月を要したであろう事が推察されます。私達の大先祖はこの五十個の言霊を組み合わす事によって物事の内容と実相を表わす言葉を造りました。古代日本語であります。

さて、人間の心は五十個の言霊によって構成されているとお話しました。心の中に五十個の言霊が乱雑に詰まっているのではありません。人間の心は整然とした秩序を保った組織体です。その五十音言霊の組織について解説しましょう。

分り易くする為に一つの図を作りました。少々変った五十音図ですが、説明が進むにつれてお分かり下さる事と思います。

人は五つの基本性能を授かってこの世に生まれて来ます。人種の別を問いません。この五つの性能を五個の母音で表わします。生れた時から生長するにつれて発現して来る順にこの性能を下から上へ書きますと、図に示す様にウオアエイと縦に並びます。

人間は誰でもこの五つの性能を授かっていますが、その自覚がありません。これ等の五つの性能を主体的に自分の心の中で区別し、自覚を持って自主的に運用・活用する為には宗教・哲学、特に言霊学によって勉学する事が必要であります。

五つの母音言霊で表わされるそれぞれの性能の内容について説明しましょう。

言霊ウ 人は生れると間もなく教えられなくとも乳を吸います。生長するに従い赤い服が着たい、チョコレートが欲しい、何々のパズルで遊びたい。更に長ずると、あの学校に入りたい、ピアノが習いたい、となり、更に何々会社に入社したい、あの人と結婚したい、……となります。この「たい、たい……」という性能は五官(眼耳鼻舌身)感覚に基づく欲望の性能であります。この人間の欲望性能から社会的に各種の産業・経済の活動が生れて来ます。以上が言霊ウの性能領域から発生して来る現象であります。

言霊オ 人は何か一つの事を体験すると、これを経験として記憶します。いろいろな体験を積み重ねますと、次にこれ等経験の間の関連を考えるようになります。台所の方からカレーの臭いが流れて来ます。すると「晩飯はカレーライスかな」という具合です。そしてこの性能領域(言霊オ)から広く学問の世界が現出して来ます。近代科学文明もこの人間の基本性能の所産という事が出来ます。

言霊ア 人は仕合わせの時は楽しく、喜び、不仕合わせの時は悲しみ、泣き、寂しくなります。他人の仕合わせな姿を見れば、共に喜び、または羨ましく思います。過去を懐かしみ、将来の希望に心躍らせます。この様な人の感情が現われ出る心の性能、これが言霊アの領域です。この心の領域は言霊ウの欲望、言霊オの経験知識の領域とも違う性能領域である事が分ります。この感情性能から各種の芸術や宗教・信仰の活動が起って来ます。

言霊エ 人は何か事が起れば、それに対処して行動を起さねばなりません。どう対処するか、の智恵は言霊オの性能から発現する経験知識とは異なります。知識と違って智恵と呼ぶ所以(ゆえん)です。智恵とは物事に対処するに、言霊ウの欲望、言霊オの経験知識、それに自らの感情の三つの性能を勘案して、対処に最も適当な方法を選択して行く智恵です。(現在、この智恵と言霊オの性能から発現する経験知を往々にして混同する人がいますが、実は全く異なった天与の性能からそれぞれ発現する異なった現象なのです。経験知識は過去の出来事、即ち経験を二つ乃至多数想起して、その間の関連を調べる事によって得られます。謂わば過去の体験の統合の方法であるのに反し、物事に対処する智恵は諸種の経験知識を材料として将来を創造する性能という事が出来ます。)この創造の智恵が社会的に活用されると政治または道徳実践行為となって現われます。

言霊イ 今までに説明した言霊ウオアエの性能は容易に御理解頂ける事と思いますが、この最後に残った五番目の言霊イの性能は現代人にとって難解なものと感じる方が多いと思います。と言いますのも現代人が今まで聞く事がなかった事柄と言って差し支えないからです。しかし日本伝統の学問である言霊学に於ては、この言霊イの天与の人間性能の御理解が最も大切な事柄となるのであります。この性能について説明いたします。

言霊イの性能は生命意志または創造意志とも言うべき性能です。言霊ウは欲望、言霊オは経験知、言霊アは感情、そして言霊エは実践智として現象となって現われます。けれど言霊イの意志は決して現象となって現われる事はありません。「あの人は意志が強い人だ」という言葉は聞きますが、その意志が強いという事も、言霊イ以外の四つの性能から現われて来る諸現象の状態より察して言われる言葉であって、意志そのものは現象化しません。

では意志は何をするかと言いますと、言霊イ以外のウオアエの四性能の言霊を縁の下の力持ちの如く下支えして、これ等の性能を統合し、同時にこれ等四性能から現象がそれぞれ現われ出る原動力となります。欲望が起るのはその底に生命の創造を発展させる意志があるからです。経験知識を求めるのも意志が好奇心を高揚させるからです。感情や実践英智についても同様です。

以上人間生来の五つの性能の内容について説明しました。お分かり頂けたでありましょうか。話は次にこの五つの人間性能の心の領域がどの様な構造で関連しているか、に移ります。言霊ウオアエイの性能領域は人間の精神内で単に五領域が並列的に重なり合って存在しているのではありません(図A参照)。これ等五領域は五次元界層の重畳構造をしているのです(図B参照)。

次元界層の重畳構造と言いますのは、最初の言霊ウの性能から現出する現象がすべて終った所から、その領域を含んで次の言霊オの性能領域の現象が始まる。そしてその領域の現象が現われつくした所から、それまでの二領域を含んで第三番目の言霊アの性能領域の現象が始まる。……といった具合の構造の事を言うのです。少々お分かり難いかも知れません。解説が進むにつれて御理解頂ける事と思います。

ここまでの話で人間の内容・次元を全く異にする五つの性能領域について解説いたしました。人間の心の宇宙はこの五性能領域ですべてであり、それ以外の領域はありません。ではこの五つの性能からそれ等性能の現象がどの様なメカニズムで現われ出て来るのでしょうか。話が私達人間の心の「構造とその活動」に入って行く事となります。

(この項終り)

私達人間に生来与えられている五つの基本性能である言霊五母音、ウオアエイについて解説をしました。会員の皆様には耳にタコが出来る程繰返しお話した事であります。今回はそれら五母音の中の言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)の人間性能の違いと相互関連について更めてお話することといたします。

現在、教育の場で言霊オの経験知と言霊エの実践智をはっきり区別して、その二つの性能が全く違う内容を持ったものなのだと教えている所は極めて少ないように思います。何故なら、この二つの性能が人間生来の基本性能として異質のものであり、同時に二性能共人間が生きる為に重要な性能である事を説明し、理解させる努力が今日までなされていたならば、日本の教育界は現在のような頽廃状況にはならずに済んだのではなかろうか、と思うからです。先ず経験知、言霊オから検討しましょう。

人は今、此処に生きています。人が何かをしようとする瞬間が今です。ですから「今だな」と思う時には今は既に過ぎてしまいますから、その「今」でした事を考えようとすれば、過ぎ去ったものの記憶を想い起して、それを調べるより仕方がありません。物質科学の調査なら過去をその通り再現して調べる事が可能ですが、人間の心の出来事はそうはいきません。人間の生活の中の出来事は全く同じ事が起るという事はまずないと言っても過言ではないからです。調べ考えるには記憶に頼る他はありません。

ところがこの「記憶に頼る」という事の中に大きな問題が潜んでいるのです。人は自分の体験を想起するにも、過去の「今・此処」の出来事をそのままそっくり想起するのではなく、自分の心の中から選んだ一つの観点を通して再現するのです。その選ばれた観点を論理学で「概念」と呼びます。少々分り難い言い方となってしまいましたが、簡単に言えば、最初の「今・此処」での体験事実そのままが太陽の光の下での光景であるとすれば、想い起こされた記憶による光景は月の光の下の光景という様に譬えられます。記憶によって想起した光景は概念という月の反射光によって照らし出されたもので、原光景の全体像を復元したものではありません。その結果、経験知による思考は、思考を積み重ねれば重ねる程、物事の実相から離れてしまう事となります。

サンスクリット語で経験知の事をカルマ(業)と呼んでいる所以です。また経験知を行使することを日本語で「考(かんが)える」と言います。その語源は「神返(かみかえ)る」であります。経験知で考える目標は太陽の下の光景に、即ち実相である神に帰る事なのです。経験知による思考には「今・此処」の実相に帰るのが目標なのだ、という事を忘れない様にする心構えが大切であります。この事を忘れますと、経験知識による判断のみに頼る事が如何に危険であるか、思い知らされる事も起ります。

次に言霊エの実践智についての話に移りましょう。言霊オの経験知も言霊エの実践智も共に人間に与えられた基本性能です。経験知が過去の記憶から割り出された「今・此処」の実相に帰ろうとする性能であるのに対し、実践智とは現在までの経験知を下敷とし、土台として将来を創造しようとする性能です。共に生まれた時から与えられた性能なのですが、経験知の方は現代社会の知的能力尊重の風潮に乗って今程社会から優遇されている時はないほど教育界の寵児となっています。

それとは反対に実践智の方は教育界の片隅でまるで無視された存在です。同様に世の中の人々の心の中でも無視されている様であります。人間の心を形成する基本能力ですから、人がその存在を如何に無視しても、実践智はそんな事に関係なく人の心の中で毎日、毎時、毎分、毎秒その人の為に働き続けています。そうでなければ人は社会生活の中で生きては行けません。では無視された結果はどんな様相で現われて来るのでしょうか。

人は永遠の「今・此処」に生きています。その今が過ぎた後、即ち過去の記憶の集積・検討から経験知は生れます。原因と結果(因果)という構造を持ちます。「かくかくの事が起れば、こうこうの結果となる」という考えです。それに引換え、実践智の方は「過去にかくかくの事が起り、現在こうこうの状態となっている。これを私はどの様に受け止め、自分の希望に叶うようにするには如何なる手段を用いるべきか」と思う事です。

経験知は法則であり、定形であり、そこに自由はありません。実践智には過去をそのまま受け止めながらも、今・此処で一度白紙に戻し、頭の中で一応御破算にする自由と、その自由の中で新しい生命の発想があります。生きる喜びがあります。そして実践智を働かせる為には人間にその能力が与えられている、という自覚が必要です。そうでなければ実践智は過去の経験知の延長上に埋没してしまい、因果の繰返しに終始する事となります。

生来の五つの人間性能は自覚の有無に関らず休む暇なく心の中で働いています。言霊エの実践智性能も然りです。けれど社会的に、また個人の中で余りに無視され過ぎますと、どうなるのでしょうか。常に働いてくれている実践智性能の上に、過去からの亡霊とも言える経験知の惰性のベールがかかり、その状態が続くと、抑圧された実践智性能はあらぬ形をとり、心の中にストレスとなって溜まり、生活の苦悩の原因となります。言霊エの実践智性能が心中のあるべき座を回復する為には人間性に対して正しい勉学が必要となります。

言霊オの経験知は物心ついた時からテレビや学校、世の中の付き合い等で沢山身について行きます。好奇心旺盛な若者にとってこれ程興味をそそるものはありません。そうして集められたこれ等経験知によってその人の人格また自我意識が形成されて行きます。現代の知的教育万能の風潮が拍車をかけます。知識の豊富な人ほど世の中に役立つと思わています。

確かに知識を多く持つという事は現代社会を生きて行く為にはなくてはならぬ大切なものです。と同時に大切なものでありますから、その使い所を誤まれば人格的に、また社会的に大きな歪を生む事も頭に入れておく必要があります。その事に関して仏教禅宗の公案を一つ取上げることにしましょう。

「譬えば牛が窓格子を通り過ぎて行く様に、頭の角や四足の蹄がみんな過ぎてしまった。どうして尻尾(しっぽ)だけが過ぎることが出来ないのだ。」(無門関、第三十八則「牛が格子窓を過ぐ」)

公案とは大勢の修行僧に同じように出す問題という意味です。この様な問題を修行僧に出し、どんな答えをするか、によって修行僧の精神勉学が何処まで進んでいるかを判断するのです。右の公案を見て、「窓格子の向こうを牛の頭の角と、胴体から延びる足の先の蹄が過ぎ去ったのが見えた。何故牛の尻尾だけがまだ過ぎないでいるのか。何と下らない質問なのだ。牛がもう少し先に進めば、尻尾も見えなくなるよ」などと言ったら、多分その修行僧は和尚さんに胸倉をつかまれて庭に放り出されてしまうに違いありません。

公案とは、その公案に示された人間の生命の働きを如何に真実として表現するか、の真剣勝負なのです。先にお話しましたが、生命は常に今・此処で活動しています。言葉(角と蹄・頭と胴体)は既に過ぎ去ってしまった。なのに記憶は何時までも残って人の心に良きにつけ、悪しきにつけ影響を与えている。何故なのだ。どう処理したらよいのか。さあ答えてみろ、という訳です。しかも一言で答えてみろというのです。長々と心境の説明などしたら和尚さんの一喝(いっかつ)が飛んで来る事必定でしょう。

この公案は今回の主題とした言霊オの経験知と言霊エの実践智の相違と関係をよく表わしています。集会の席上、友達と意見の相違で争いが起りました。その場は他人のとりなしで無事に済みましたが、気まずさが後々まで残ります。「彼は何故私にあんな事を言ったんだろう。日頃から彼は私をそんな人間だと思っていたのだろうか。今後彼とはどんな付き合いをすれば良いのか。」等々の事が頭をよぎり、なかなか寝付かれません。

集会も争いの場面も既に過ぎ去ってしまっています。角や蹄は格子窓を通り過ぎています。けれど気まずさの思いが長く尾を引いて、相手の事を自分の経験知を総動員して憶測をたくましくしています。尻尾はまだく格子窓を通り抜けてくれません。さあ、どうする、どうする、という訳であります。

心に引っ掛かるものがあって眠れない夜の事を思い出して下さい。これでもか、これでもかと過去の種々の経験や、それに基づく経験知識が次々と脳裏に浮んで来て際限がありません。前にもお話した事ですが、経験知というものは言葉として生きています。そして心に影響を与えようとしてうずうずしているのです。特に当人が心の中での自主解決が出来ないで悶々として弱気になっている時などは、この時とばかり伸し掛かるように迫って来ます。

「考えても仕方がない。もう止めにしよう。」と思う次の瞬間にはもう考えています。牛の尻尾は猛烈な力を持っています。この尻尾は時には人類の歴史編纂という様な大事業に役立つ事があります。また現代の科学文明はこの尻尾の所産です。けれど人の心の中ではその分際を守らない時には大きな苦痛を人間に与える事となります。

経験知は飽くまで過去のものなのです。今・此処の現在や将来に関係して主役を務める事態となると、人間の煩悩や苦悩の原因となります。現在と将来の主役は言霊エの実践智なのです。言霊オの経験知識はその土台、または道具の役目でなければなりません。再び御自身の経験を思い出して下さい。いくら考えてもけんかした友達に今後どう対処したらよいか分らなくなりました。疲れ果てました。「下手な考え休むに如かず」、絶交もよし、場合によってはこちらから謝(あやま)ってもよし、なるようになれ、と諦めました。すると何時の間にか眠ってしまいました。

翌朝目を覚まし、外を見ました。今朝は晴れてすがすがしい。短時間だがよく眠れて気分はそんなに悪くはない。顔を洗っている時、ふと思い出しました。昨夕、別れる時、奴(やつ)は悲しそうな眼で俺を見たっけ。そんな事を今までどうして思い出さなかったんだろう。彼も、そして私もこのまま別れっ放しになるなんて事は到底出来はしないのだ。明日にでも、こちらから謝るつもりで彼の所へ行って率直に話し合ってみよう、という事になります。……こうなったら友達としての撚りが戻ることは間違いありません。

上の場合、争いを始め、お互いの経験知の交錯から和解と新しい創造への転換まで、どんな経緯が考えられるでしょうか。両者が争い始めた時から、二人のそれぞれの経験知による批判・攻撃が飛び交います。会場を離れ、家に帰って床に就いてからも批判・攻撃はまだ続いた状態です。そして疲れ切ってしまいました。経験知による批判が出尽くしてしまったのです。諦めが訪れます。諦めるとは断念するの意味です。考えて心の方向をまとめようとする事を断念したのです。と同時に、諦めとは「明らかに見る」の意でもあります。経験知の嵐が過ぎて、心に平安が戻る時、人は出来事の全貌を明らかに見ることが出来るようになります。

言霊オの経験知の詮索が終焉すれば、心の白紙状態に帰ります。この状態を言霊アといいます。宗教・芸術の感性の性能で物事を見る時、言い換えますと、今・此処の永遠の今の視点で物事を見る時、その実相を最も良く見る事が出来ます。言霊オの経験知が物事を進行させる主役の座から下り、舞台に何人もいなくなった状態、実はその状態こそ「汝、飜(ひるがえ)りて幼児の如くならざれば天国に入るを得ず」(聖書マタイ伝)といわれている生まれたばかりの赤ちゃんの心そのものなのです。

そしてこの赤ちゃんは単に生まれたばかりの赤ちゃんなのではなく、経験知を沢山身に付け、然もその経験知の分際を弁えた赤ちゃんなのです。この心の状態になれば、生来授かっている実践智性能が迸るのを妨げる何物もありません。その心の奥に生命創造の意志(言霊イ)さえあれば、自ずと心の中に実践智性能から発現して来る新創造の言葉が脳中に湧き出して来ます。これから以後は「目出度し、目出度し」です。

友達同志二人の仲は今までに増して親密で協力的な新しい関係が生れて来る事でしょう。以上の経緯を言霊母音とその性能とによってまとめてみましょう。経験知(言霊オ)は月の光による夜の知識の事です。その知識が集まり積もれば積もる程世の中を見る眼は暗くなります。眼を曇らす経験知という雲が晴れて、太陽の光が差し込む昼間の時、これが言霊アの境涯の世界です。物事の実相(本当の姿)がよく見えます。その状態に現われて来る実践智の性能、それらの各性能を統括している生命創造意志の性能、この言霊エとイの両性能(両次元)は言霊アの光の世界の内容(言霊イ)であり、またその内容を活用する性能(言霊エ)なのです。言霊ウオアエイの五段階性能の内容とそれぞれの関係をお分かり頂けたでありましょうか。

引用した無門関の「牛が格子窓を過ぎる」の公案は終りに老婆心として次の如く警めています。「牛が尻尾と共にどんどん過ぎ去って行けば落とし穴に陥ちてしまう。危険である。逆に牛の頭と胴体が、尻尾がなかなか過ぎ去らないので、尻尾の方へ戻ってしまう事もある。これでは人生滅茶苦茶である。両者共進退窮ってしまう。この小さい尻尾は甚だ奇妙であり奇怪なものである。力を尽してこの尻尾の人生に於ける意味をよくよく検討するが宜しかろう。」

幼い時から合理的な考え方に馴染み、合理的な心の生長を以て心身の安心と思い込んだ人は、合理的生長の心が「自我」だと思い込む様になります。その自我が自分自身だと確信します。この人にとって、無門関の公案が勧める如く自らの内なる合理性という牛の尻尾の分際を見極めようとすることは、断崖から深淵をのぞき込むが如く恐怖心が先立つかも知れない。

しかし、尻尾に従って後ずさりしてはいけません。宗教書の教えを繰り返し読み、その文章の内容の理解出来ない所は先輩について糺し、一歩々々生来の光明の自覚に進むことです。充分柔軟性のある、エネルギーに満ちた若い時に心掛けて下さい。自分御自身の、そして世界人類の真実の姿に接する為に。

(終り)

謹賀新年「言霊学について」 <第百八十七号>平成十六年一月号

前号より人間精神の究極の原理である言霊学について解説を始めました。言霊学とは人の心を構成する究極の要素である五十個の言霊と、その五十個の言霊の典型的な五十通りの動き、計百の原理についての学問であります。前号ではその五十個の言霊の中の五つの母音(ウオアエイ)で表わされる五つの人間の根本性能の内容と、その五つの性能の心の領域が互に重畳する次元構造を成している事をお話しました。御理解頂けた事と思います。

今回は心を構成する半母音ウヲワヱヰと言霊学で父韻と呼ばれるキシチヒミリイニの八音で示される先天構造の言霊について解説をいたします。人間の心の先天構造(五官感覚では捕捉することが出来ない領域)は先にお話しました五母音と、今回解説します四半母音(ウは母音と重複)と八つの父韻、計十七言霊ですべてであります。

先ず半母音ウヲワヱヰの解説から始めます。先にお話しましたウオアエイの五母音は、それぞれ言霊ウは五官感覚に基づく欲望、言霊オは経験知、言霊アは感情、言霊エは実践選択智、言霊イは生命の創造意志の性能でありました。心の性能が活動を起す時、物事は活動の主体(私)と客体(貴方)に分れます。「何かな」と思う時は、思う方(主体)と思われる方(客体)の関係が出て来ます。人間が何か心の活動を始めると、必ず主体と客体という関係が生じます。これが人間の心の宿命とも言えます。主体と客体という関係に「分れる」から、それが何であるかが「分る」のです。この関係となる時、心の活動の主体となる方が母音で表わされ、客体となる方が半母音で表わされます。主体アに対する客体はワ、主体オに対する客体はヲ……という訳です。

母音言霊と半母音言霊との関係をもう少し説明しましょう。母音言霊は物事の主体であり、能動であり、始めであります。それに対し半母音言霊は物事の客体であり、受動であり、終りであります。これを例えば言霊オとヲで説明しましょう。言霊オは経験知識を求める性能です。そして知識を求める主体であり、求められる知識が客体の言霊ヲという事になります。また求めた結果として成立した知識は記憶となって言霊ヲの性能領域に保存されます。

言霊オの経験知を求める主体は、何か一見分らないものに遭遇した時、先ず言霊ヲの領域に同じものの記憶がないか、を尋ね、あればその記憶で物事の用を達し、見つからぬ場合は新たに経験知を求める活動が開始されます。言霊オは主体、言霊ヲは客体でありますから、言霊ヲの客体は言霊オの主体が尋ねる内容にだけ答え、それ以外には反応しない、という事になります。以上言霊オとヲを例にとって主体と客体との関係を説明しましたが、他の性能領域についてもすべて同じ事が言い得るのであります。

今まで取上げて来ました言霊の母音と半母音は人間が生まれた時から授かっている性能とその領域であります。それは謂わば大自然の一員としての人間に与えられたものであり、それ自体が自然の一部をなしている自然のものであります。その大自然である母音と半母音が、ある時ウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱ、更にイとヰという主体と客体として結ばれ、母音と半母音の間に何かの活動が起り、言霊ウから五官感覚に基づく欲望活動が起り、その活動から社会的に各種の産業・経済社会が生まれて来ます。また同様にオとヲの間の交渉から経験知が生れ、ひいては一般の学問や物質科学が発達して来たり、アとワの交渉から人間の感情が、ひいては宗教・芸術の社会が生れ、エとヱの交渉から実践英智が、ひいては政治や社会道徳活動となって現われて来る、言い換えますと、母音と半母音という人間の心の大自然の交渉から何故、産業・経済、学問や物質科学、宗教・芸術、道徳や政治という如何に考えても人間の文化活動と考えられる現象が生れて来るのでありましょうか。

大自然現象から文化活動が生れて来る原因は何なのでしょうか。その任を担う人間の心の中のものがあるに違いありません。その働きをするもの、として登場するのが言霊イとヰの間に展開するチキシヒイミリニの八つの父韻なのであります。これを示す為に先のホームページに掲げました図形を再度示します。

ウオアエイ五母音の性能領域はそれぞれの性能エネルギーが充満していますが、それ自体では活動を起す事はありません。しかし図上の一番上のイ言霊だけは違います。言霊イの生命意志は大自然の性能でありながら、一方、人間生命の根本智性であるチキシヒイミリニの八つの父韻の働きとなって他の四つのウオアエ四母音性能に働きかけ、そのそれぞれの母音性能から独特の現象を生じさせる役目を果たします。もっと正確に表現しますと、言霊イの働きである八つの父韻は言霊ウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱの言霊領域に働いてその二つを結びつけ、感応同交を起させる活動をする、という事であります。

そうなりますと八つの父韻がウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱの四次元に働きかけて心の現象(出来事)を生む事となりますから、8×4=32で合計三十二個の現象の最小単位である子音を生みます。先天構造の母音、半母音、父韻十七言霊が活動を起し、三十二の後天構造の子音が生れます。十七の先天言霊、三十二の後天言霊、計四十九個、それにこれ等四十九個の言霊を神代文字で書き表わした麻邇名一を加え、総合計五十個の言霊が出揃います。この五十個の言霊が人間の心を構成する言霊のすべてであり、これ以下でも、これ以上でもないのであります。

先の五母音言霊の説明の所で書いたことですが、言霊イの生命意志性能はそれ自体は現象としては姿を現わす事なく、他の四母音言霊を縁の下の力持ちの如く下支えし、統轄します。この「下支え……」の活動とは、実はここに説明しました言霊イの実際の働きである八つの父韻が他の四組の母音・半母音、ウウ、オヲ、アワ、エヱのそれぞれに働きかけて結びつけ、現象子音を生む活動の事を言ったのであります。それ故言霊イとヰは大自然性能として母音(半母音)であると同時に、その実際の働きである父韻でもあります。母であり、同時に父でもあるものとして言霊イとヰを「親音」と呼ぶ事もあります。五十音言霊学の唯一の教科書である古事記の上巻(うえつまき)ではこの言霊イ(ヰ)に当る神名を伊耶那岐の神(伊耶那美の神)と呼び、神道を基盤とした宗教団体ではこの神の事を最高神または創造主神などと呼んで敬意を払っているのであります。

五官感覚では決して捉えることが出来ない人間精神の先天構造についてお話をして来ました。心の先天構造は五母音、四半母音、八父韻、合計十七の言霊によって構成されています。短い、簡単な説明ではありますが、概略は御理解頂けたのではないかと思います。勿論話の内容に不備のある事は著者自身承知しております。例をあげますと、第一に四母音オアエイに半母音ヲワヱヰが書かれているのに、ウにだけは何故半母音を書かないのか、第二として心の先天構造として五官感覚で捉えられないものをどうして分ったと言い得るのか、第三の疑問として、それ故にここに主張されている人間の心の先天構造説は飽くまで仮説に過ぎないのではないのか……等々でありましょう。

けれど二回にわたりお話しました「言霊学とは」の内容は膨大な体系を持つ言霊学のホンのさわりの所に過ぎません。言霊学の全体の体系をお知り下されば疑問は自ら氷解する事請け合いとなります。でありますから、それ等の疑問の解明は後に廻し、ここに心の先天構造の解説には欠かせない重要な事柄を一つ加えさせて頂きます。

物事はひと度現象となって現われてしまえば何時、何処の出来事かは決定します。この事は間違いなく言える事です。しかし今このホームページで取り上げている課題は人間の五官感覚では捕捉することが出来ない、それ以前の心の先天構造についての問題です。人間には生来五つの心の根本性能が授かっていると申しました。ではそれ等の根本性能は心の何処にあるのでしょうか。普通現代人はそれ等の性能は頭脳内の組織の中に生来備わっている、と考えています。けれどそれは、精神性能を取扱っている肉体の器官の事であって、心そのものではありません。

眼を上げて眼前に展開している大空を眺めてみましょう。そこには果てしなく広がる大きな宇宙があります。星の中には地球から何百万光年という人間の常識的な思惟を超えるような遠い星もあるそうです。今度は眼を閉じて心の内に意識を向けてみて下さい。そこには外の宇宙と変らぬ心の広がりがある事に気付くでしょう。この広い領域には外界の宇宙の中の星の数と少しも劣らぬ心の現象が起っては消えています。この領域は正しく外界の宇宙と対称的な心の宇宙という事が出来ます。

私達誰もが見上げる宇宙が誰にも共通な一つの宇宙であるように、私たちが意識を内に向けて認識する心の宇宙も共有・共通の一つ心の宇宙なのです。そして重要な事は、私達人間誰しもが授かっている五つの言霊ウオアエイの性能がこの宇宙から発現して来るという事です。人間の心の先天構造とは、この心の宇宙それ自体の性能の事なのです。それ故、私達の心の宇宙はウオアエイ五次元の重畳構造を持っているという事が出来ます。……人間の心の本体は、即ち先天構造は宇宙そのものなのです。従来人は神の子であると謂われる所以です。

(この項終り)

上の文章は人間精神の先天構造を従来の説明とは少々角度を変えた立場から解説をしたものです。今まで既に言霊学の話を聞いて下さっている方にもいささかなりとも御参考になれば幸いであります。五母音、四半母音、八父韻、計十七音の言霊から構成されている精神の先天構造は人間の五官感覚では全く触れる事が出来ない領域にあるものですから、その解説は何度お話しましてもそのものズバリとは行かず、何時も隔靴掻痒の感を免れないものでありました。そこで先天構造の話をする時には「五官感覚では捉え得ない、人間の意識以前の領域のお話をするのですから、分る、分らないは兎も角、先ずそのようになっているのか、とそのまま覚えておいて下さい。

言霊の話が進んで行くにつれて次第に初めの先天構造の細部が理解されて来るようになります」という風にお話して来たのであります。事実、先天構造から後天構造に話が進み、言霊学の全貌が理解されて来ますと、先天構造の内容も直観的に「成程」と以前丸覚えしたものが一つ一つ納得が行く様になります。でありますから問題はないのですが、解説をさせて頂く側から申しますと、初めに先天構造をお話する時に、もう少し理解度を高めれば、これに越した事はないと言う事で、ここに古事記冒頭の文章「天地の初発の時」からの解説を始める事といたします。

「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。」と古事記の文章は始まります。この「天地」を私達の眼前に展開している外界の宇宙と考えますと、(これが現代人には最も常識的な考え方なのですが)古事記は最も幼稚な、私たちの実生活とはほとんど無関係の神様の物語となってしまいます。そこで何時の解説でも「天地」とは私達の心の住家である心の宇宙の事を言っているのだ、という事を強調して来ました。

この事はここ二千年間、公(おおやけ)の立場では決して言及された事のない事柄であったのですが、ひと度公表されてしまいますと、案外簡単に理解されるものであります。この「天地」を心の宇宙の事だ、と素直に受け止めるか、否かで、その人がこの人類の新時代建設に縁があるか、ないか、が決まってしまうと言っても過言ではない重大な事であるのですが……。ところが、次の「天地の初発の時」となりますと、その理解は簡単には行かなくなります。今回の解説は先ずこの事から始めます。

天地の初発の時と言えば心の宇宙の中に何かが始まろうとする時ということです。そしてそれは今・此処でなければなりません。今・此処を続日本紀という本では中今と呼んでいます。実に素晴らしい表現だと思います。言霊イの創造意志が活動をする一瞬、イの間で今です。言霊イの次元に存在する五十音言霊が活動するのはこの今・此処であって、これ以外では決してありません。人間はこの今、今、今に生きています。これを「永遠の今」と言います。「あゝ、そうなんだ」と理論的に納得することは簡単です。けれど自分自身の心で、生きている自分の生命意志(言霊イ)が何かをしようとする瞬間、瞬間を捉えられますか、と尋ねられたら、「はい」と答え得る人は何人いるでしょうか。

「初めから面倒臭い話をして何になるんだ」と思われるかも知れません。けれどこれは面倒臭い事を提起しているのではありません。面倒臭くならない為に申上げているのです。というのは古事記の次の文章に関って来るからです。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神」の所です。天の御中主の神という神名が問題なのです。「宇宙(天)の中心にいて(御中)主人公である(主)神」という内容です。これも「あゝ、そういう神がいるのか」で済ませてしまえば簡単です。しかしそうなると古事記の話は終りまで「そうなのか」で済んでしまう事になるでしょう。

古事記の学問が自分の外にある「それ」の学問ではなく、自分の内なる心、自分が現実にこの世に生きている自分の心の成り立ちとその活動についての学問である事にご留意下さい。という事は、古事記神話の学問はそれを読んだ人が御自分自身の心で、そこに書かれている内容を真理だと証明する事、その事が古事記の学問、即ち言霊学なのです。

「天地の初発の時」が自分の心の中にしっかりと把握されませんと、それに続く「天の御中主の神」なる神名の意味も曖昧になります。天地の初発の時がお分りになると、天の御中主の神という神名が持つ心の内容が目の前に置かれた鉛筆や消しゴムを見るように現実そのものとして理解されて来ます。と同時にその神名が言霊ウであること、言霊ウ以外では有り得ない事も必然的に分って来ます。と同時に人間の心の先天構造の中の母音ウオアエイの中の言霊ウだけが他の母音オアエイとは違い、相対する半母音を持たない事も自明の理として了解されて来ることとなります。

今・此処をはっきりと把握し、自覚するにはどうしたらよいのでしょう。今までこの課題については幾度となくお話して来ましたが、ここで簡単に触れることにしましょう。ここ二・三千年間、人類文明創造の御経綸の下、儒教・仏教・キリスト教・マホメット教という四大宗教が創始されました。その教義の主たる目的はいずれも「今・此処」の把握であると言って過言ではありません。正像末三千年の経過を経て、現代は末法のドン詰まりの時です。伝統の正法を説く宗教は極めて希となっています。けれど各宗教創設以来、決して間違いないものがどの宗教にも一つ残っています。それは経文であり、聖書です。これ等千年、二千年前から私たちに遺された教えに則って、御自分の心を見極めて行く事です。くれぐれも御自分自身の独自なやり方でおやりにならぬ事です。迷路に陥る事となります。迷ったら、分っている人に尋ねる事です。その途上、心の内に種々の工夫が必要となる時もありましょう。その時折の「工夫」は言霊学の細部を確かめる時にも大層役に立ちますから、勇気をお持ちになってお進み下さい。

そしてどの過程を辿るにしても、最後の決め手は「有難い」という言葉です。自分がこの世に生きているという事実がとても考えられない程不思議な事であり、有り得ないことが有り得ている事の有難さに気付く事です。有り得ない事が有り得ている事、そしてそのドラマの主人公が自分自身なのだと知る時、ケシ粒の如く小さな自分が、ケシ粒の如く小さいが故に、広い広い宇宙の中心にいて、世界文明創造の主体となり、全宇宙に命という光を放射し、客体である半母音の宇宙が惜しげもなく応答して呉れている世の中の実相を知る事が出来ます。眼前の現実が実は光、光、光の錯綜する天国であり、極楽世界である事が分るのです。

天の御中主の神に続く古事記の文章に進みましょう。「次に高御産巣日の神(言霊ア)。次に神産巣日の神(言霊ワ)。」です。実は天の御中主の神の所で書きました「有り得ない事が有り得ている有難さ」を実感するのはこの高御産巣日の神、神産巣日の神の二神を加え、天の御中主の神と共に三神となった時、言い換えますと、人がこの三神についての自覚が成立した時に感じる心の現象なのです。天の御中主の神とは広い宇宙の中の一点に何か知らないが意識の芽とも言うべきものが動き出そうとする時、その意識の芽とも言うべきものに名付けられた神名です。ですから天の御中主の神だけでは説明不可能なのです。言える事は「広い宇宙の中に何かが始まる兆」に過ぎません。

それが何であるか、全く分らない状態です。どうして分らないのか。それは唯一つ何かがある、というだけの物事の初めなのです。その次に何かの思考が加わると同時に言霊ウの宇宙が即座に言霊アとワの二つの宇宙に分かれます。この事を宇宙剖判と言います。言霊ウは言霊アと言霊ワに分かれます。言霊アは主体であり、言霊ワは客体です。何かの思考が加わると同時に言霊ウという一者が言霊アとワの二者に分かれます。分れるから分る、これが人間の思考の宿命です。

天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神の三神を造化三神と呼びます。これ等三神、言霊ウアワは人間及び人間社会の営みのすべての認識の出発点なのです。前にお話しましたように、人が自らをケシ粒の如く小さい者と主体的に自覚するのも(言霊ア)、またその小さい者が主体性を持って疑問という光を客体(言霊ワ)に向って放射し、それによって世界文明の創造の一翼を担うのも、その自覚の基盤はこのウ、ア、ワの造化三神の自覚の現われなのです。この三神の自覚によって、人はその平々凡々な自らの内容が、平々凡々そのままの姿で、文字通りの天の御中主の神という名の示す如く「宇宙の中心にいる文明創造の主人公、責任の分担者としての命」と生れ変るのであります。

右の心の消息をお伝えするピッタリのエピソードがありますので、此処でご披露することとしましょう。三十年程も前の話です。私が先師小笠原孝次氏宅に伺った時のことです。師が「島田さん、こんな歌が出来ました。ご覧なさい」と言って一片の紙を渡されました。見ると和歌が書いてあります。声を出して詠んでみました。

「よく見れば 彌陀が私に 掌を合わす 南無阿彌陀仏 南無阿彌陀仏」

私は一瞬何の事だか分りませんでした。がそのうちに先生の真意が分る様な気がして来ました。その時、先生は静かに次の様な話をなさいました。「親鸞さんの歎異抄に『彌陀五劫思惟の願をよくく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり』とあります。私(先生)は生れてから今まで親不孝ばかりして、正直言って消えてなくなってしまいたい程恥ずかしく、拙ない人間です。けれど目を閉じると、私の側に阿彌陀様が坐って掌を合わせ、南無阿弥彌仏、南無阿弥彌仏と称名され、仏国土荘厳のため頼むよ、くと言葉をかけて下さるのです。

それを聞いていると、こんな拙ない自分でもこの世に生かさせて頂いてる以上、阿彌陀様の願である理想の世界を作る仕事を命の限り力を尽して御恩報じをさせて頂こうという気になります。阿弥陀様は佛像で動く手足が有りません。私の如き凡夫でも手足があります。頼むよ、頼むよの声が全身に響き渡るのですよ。それはそれとして、先日法要で寺へ行きました折、和尚さんにこの紙を見せてしまいました。和尚さん、読むや否や、顔色が真っ青になって、『貴方は悪魔だ。もう寺には来てくれるな』と怒っていましたよ」と言って少々困った顔をなさいました。謹厳実直な先生にも、時々茶目っ気な所があります。先生の面目躍如という光景でありました。また次の様にも述懐された事がありました。

「戦前の教育勅語に『朕惟うに我が皇祖皇宗国を肇めること高遠に、徳を樹つること深厚なり』とあります。覚えていますか。私は皇祖皇宗(日本人の遠い祖先)が私達に遺して下さった最も尊い教えであるアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の学問を勉強させて頂き、人間の心の素晴らしい構造とその働きを自分の心で験証することが出来、またその学問によって日本国家樹立の崇高な理念と世界人類文明創造という荘厳な御経綸の筋道を知る事も出来、私自身のこの世の中に生れて来た使命にも気付かせて頂きました。この皇祖皇宗の慈愛、御教え、お導きが私という自堕落な人間をまるで側に付き添っている様に見守って下さります。皇祖皇宗の御教えと御経綸は、親鸞さんが言われた如く、他人のことはいざ知らず、まるで自分一人が為なりけりと思われます。生きている間、微力を尽して御恩報じに務めようと思います。」小笠原孝次先生の一生は誠にこの一事に尽きるのではなかろうか、と偲ぶ此の頃なのであります。

何もない広い広い心の宇宙から造化三神が言霊ウアワと鳴り出す消息は、それが人間の意識以前の、先天構造内の事でありますので、そのものズバリの解説は難しいと言う他はありません。そこで自分の心でその消息を体験する時の言霊ウアワの感じ方を申上げる事によって表現することとなります。各宗教書にあります事も、その表現の仕方は千差万別でありますが、要は自分自身の実相を見る事から始まります。実相と申しますのは、自分の心を顧みて今・此処に於ける姿の事です。「こういう心の持主になりたい」とか、「あゝいう事は決してしない自分でいたい」とか願う自分ではなく、今・此処である現在の自分の心の姿をそのまま見ることです。憧れや後悔する自分ではなく、今・此処の裸の心の姿を見ることです。その姿が自分の実相です。実相を見ることが出来れば、自分という人間は偉くもなく、偉くなくもなく、平々凡々の自分であることに気付くはずです。

それを見る事が出来れば、自分というものを憧れや後悔や経験知識の対象として見るのでなく、人間本来の宇宙の眼、言霊アの眼で見ている事となります。宇宙の眼で見ることが出来れば、平々凡々な自分はこの宇宙の中で誠に小さな存在、即ち一つの点として見ることとなりましょう。憧れ、悔やみ、経験知から見た自分から、宇宙の眼で見る一点の自分になる事、それは人間の生きながらの生まれ変わりの事件なのです。生まれ変わった小さな一点の自分は、小さいながらに、否、小さい存在であるからこそ、自分を生かして下さっている人間の根本智性の光を宇宙の中に放射し、その光の対象である客体からの応答を引き出し、その成果として人類文明創造に自主的、主体的、積極的な行動を取り得る人間となって生きて行く事となります。以上のような人間の生まれ変わった意識の内容として、先天構造内の言霊ウ・ア・ワの活動を自覚することが可能となるのであります。

言霊ウアワの先天構造内の消息が験証されますと、先天構造内の次の構造要素の言霊の働きとその有機的活動の仕組は比較的容易に理解されて来ます。次に登場して来るのは、母音オエ、半母音ヲヱ、次に八つの父韻、最終的に親音イ・ヰという事になります。これらの言霊に造化三神の言霊ウアワを加えて先天構造は合計十七言霊の活動体でありますから、一度先天構造(これを天津磐境と謂います)が活動を開始しますと、換言しますと、一度神鳴りの稲光(イの名の光)が輝き出しますと同時に十七言霊は一瞬の今・此処で一斉に同時運動を起します。この間の消息は超大型高速コンピューターの構造とその働きを見るかの如き物語が展開することとなります。その解説は次号に譲ります。

(この項終り)

「言霊学について」 <第百八十八号>平成十六年二月号

人間の心の先天構造は五つの母音、四つの半母音、八つの父韻計十七の言霊で構成されています。今回は母音オとエ、半母音ヲとヱ、父韻チイキミシリヒニ、更に母音イと半母音ヰについて解説をします。

初め宇宙の一点、即ち今、此処に何かが起ろうという気配が起りました。気配ですから、それが何であるかは勿論分りません。その人間の五官感覚の動きの気配に言霊学は言霊ウと名付けました。これを説明する漢字を捜しますと、有(う)、生(う)まれる、動(うご)く、浮(う)く、蠢(うごめ)く……等があります。この言霊ウはやがて人間の自我意識に生長して行くものでもありますが、今説明した兆しの処では全くそれが何であるかは分りません。

この意識の始まりの兆(きざし)に別の何かの思考、例えば「これは何か」等の疑問等が加わりますと、この言霊ウの宇宙は瞬時に言霊アとワに分れます。アは主体であり、我であります。それに対してワは客体であり、汝であり、または何かの物でもあります。人間の何らかの思考が加わると、言霊ウは瞬時に主体アと客体ワに分れます。この様に人間の心の中で人間精神の根源宇宙が他の二つの宇宙に分れる事を宇宙剖判と言います。意識のウが主体であるアと客体であるワの宇宙に剖判することによって人間はその客体が何であるか、の認識が可能となります。剖れるから分る、のです。これが人間の認識の絶対条件であり、人間生命の宿命と言う事が出来ましょう。

仏教の禅では、この言霊ウが主と客であるアとワに分れる以前、主客未剖の時を一枚と言い、主体と客体に分かれた時を二枚と呼んで区別しています。また中国の古書「老子」では「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」と数理で示しています。人間の心の先天構造(五官感覚では捉えることが出来ない根源領域)の中のこの言霊ウアワの三つの宇宙の消息は、言われただけでは当り前ともとれる動きでありますが、実は人間の心の営みはこの三つの言霊の自覚の如何によって重大な問題が浮かび上がって来るのでありますが、これに関しての解説は後の機会に譲ることといたします。

心の先天領域内で言霊ウの宇宙が言霊アとワに分かれました。さて次に何が起るのでしょうか。宇宙剖判は更に続きます。言霊アから言霊オとエが、言霊ワから言霊ヲとヱが剖判します。これを図に示すと次の様になります。言霊オは経験知識を求める主体、言霊ヲはその客体であり、またその内容知識そのものです。言霊エは選択する英智の主体であり、言霊ヱはその客体、またはその内容の道徳という事であります。古事記では言霊エを国常立神(くにのとこたちのかみ)、言霊ヱを豊雲野神(とよくもののかみ)、言霊オを天常立神(あめのとこたちのかみ)、そして言霊ヲを宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)神という神名を当て、その実体である言霊の指月の指としているのであります。

以上で母音ウアオエ、半母音ワヲヱの言霊が出揃いました。母音言霊はそれぞれ五官感覚に基づく欲望性能(ウ)、経験知性能(オ)、感情性能(ア)、選択英智性能(エ)がそこより現出して来る根源宇宙であります。また半母音言霊はそれぞれ経験知識性能の働きの対象となる客体の宇宙であり、言霊ワは感情性能の、言霊ヱは選択英智性能に対しての客体となる宇宙であります。それらの宇宙はそれぞれの性能エネルギーが充満してはいますが、それ自体では活動を起すこともなく、またそれ自体が現象となって現われることもありません。

母音宇宙と半母音宇宙を結んで現象を起こす原動力となるものは、以前にお話しましたように、言霊イに属する八つの父韻チイキミシリヒニの言霊であります。これら八つの父韻が母音アと半母音ワの両宇宙を、同様にオとヲ、エとヱ、それにウとウの宇宙をそれぞれ結び、母音と半母音宇宙に感応同交を起し、現象の最小単位である子音言霊を生むこととなります。八つの父韻はそれぞれ特異の結び方をいたしますから、八通りの結び方でウ―ウ、オ―ヲ、ア―ワ、エ―ヱの四次元の感応同交を起しますので、8×4=32で三十二個の現象子音を生む事となります。この結びを図に示しますと次のようになります。

八つの父韻が母音と半母音、主体と客体を結び付けるという事は、八父韻のそれぞれが母音宇宙を刺激して半母音宇宙との間に現象の橋を懸け渡すこと、とも言えます。そこで例をエ段にとって見ると、チ×エ=チェ=テ、キ×エ=ケ、……の如く母音エと半母音ヱの間に現象子音テエケメセレヘネの八音が生まれ、エとヱの間の懸け橋が出来たという事になります。そこに生れる全部で三十二音の子音は心の現象の最小単位を表わしているという事が出来ます。

上の如くウオアエの四母音宇宙を刺激して最小現象単位である子音を生む原動力である八つの父韻は人間生命の最奥に於て一切の精神現象を生む原動力であり、根本智性という事が出来ます。古代ドイツ哲学はこの根本智性の事をFUNKEと呼びました。智性の火花という意味でありましよう。儒教では乾兌離震巽坎艮坤(けんだつりしんせんかんこんこん)の八卦で表わし、仏教では八正道の行為として説明し、キリスト教では「我(神)わが虹を雲の内に起さん。是我と世(人間)との間の契約の徴なるべし」(創世記九章)という神の言葉で黙示しています。すべては八つの父韻の指月の指に当ります。

ではすべての心の現象の原動力である八つの父韻はそれぞれどんな動きをするのでしょうか。心の最も奥にあって、ドイツ古代神秘哲学で「火花」と呼ばれた人間の根本智性の閃(ひらめ)きでありますから、これを表現するのは至難のことであります。またそれをうまく表現出来たとしても、矢張り「指月の指」の域を出るものではありません。最終的には自分自身の心で体得するより他はないのですが、此処では文章でお伝え出来る事を書くに留めます。

父韻は八つあります。チイキミシリヒニの八韻です。しかしこの八つはチイ、キミ、シリ、ヒニの一組二個の四組に数えることが出来る動きなのです。どういう事かと言いますと、チとイ、キとミ、シとリ、ヒとニはどれも同じ動作の作用と反作用、陰と陽、妹背(いもせ)の関係にあります。例をあげますと、何かに結び付こうとする働きとは、逆に言えば何かに引っ張られている動きでもあります。この様にして八つの父韻は二つが一組となる四組の働きとして捉えることが出来ます。

古事記の神話ではこの八父韻をどの様に黙示しているのでしょうか。次にそれを掲げます。

チ・宇比地邇(うひぢに)神

イ・須比智邇(すひぢに)神

キ・角杙(つのぐひ)神

ミ・生杙(いくぐひ)神

シ・大斗能地(おほとのぢ)神

リ・大戸乃弁(おほとのべ)神

ヒ・淤母陀琉(おもだる)神

ニ・阿夜訶志古泥(あやかしこね)神

上の父韻を指示する古事記の神名から実体である父韻を把握することは殆(ほと)んど不可能に近いと言う事が出来ます。けれど不可能で済まされる問題ではありません。そこが先輩各位の苦心の存する処であります。次に私の言霊学の師、小笠原孝次氏と、そのまた師であった山腰明将氏との二先輩の八父韻についての指摘を紹介する事とします。

ではこれらの先輩達は八父韻を示す古事記の神名から如何にして図に示されたような内容に到達することが出来たのでしょうか。それは八父韻を示す指月の指としての古事記神名から想像、推察して行ったのではなく、人間の精神現象の奥にその現象の原動力となる八つの父韻が働く事を知り、その上で言霊学を樹立して行く過程の中で自分自身の心の動きを見詰めて行き、そこに直観される心の火花と思えるものを假説として設定し、更に現実の心の現象として現われる行為がその假定に対応しているか、否か、という作業を続けて行った結果として得られたものを発表したに相違ありません。そしてその結論に達した時、改めて出発点となすべき古事記の神名を見ると、その神名が如何に父韻の実態とピッタリであるか、が分るのであります。かくして父韻についての検討結果の妥当性が証明される事となります。

私も上の手法に従って、言霊学実践の立場から八つの父韻の実態の究明を試みました。二十数年前の事であります。その結果、人間の心の本体である宇宙そのものの中から起って来る「自我の日常の行動」という立場に立って八父韻の閃(ひらめ)きを見つめて行った結果、父韻のそれぞれの動きを図形に表現する事が出来たのでした。その表現を基として人間の各次元の行動、また言霊原理によって作られた日本語が示す実相と符号する事が分かりました。その為、この方法によって確かめられました父韻の図形とその説明を書籍「古事記と言霊」の父韻の章(33~40頁)に載せたのであります。此処では余りに長くなりますのでご紹介はまたの機会に譲ることとします。興味をお持ちの方は「古事記と言霊」をお読み下さい。

言霊の学問が歴史創造の方便のためにこの世の中の表面から隠されてしまってから約二千年間、日本皇室の奥深く、また伊勢神宮の正殿に秘中の秘として言霊の原理は隠匿、保存されて来たのであります。この原理の中でも特に今説明しています八父韻と、その原動力によって生まれて来ます現象の最小単位である子音言霊につきましては、その実態についての記述は古事記・日本書紀の神話の黙示以外何一つないのであります。今その実態がこの文章によって説明が行われ、それを人の自覚という形で世に出る事になれば、ここ数千年にわたる人類の弱肉強食の生存競争の暗黒は跡形なく払拭され、人類の光明世界が実現する事は間違いない所であります。八父韻と三十二の子音言霊は人の世の光であり、光が点れば暗は瞬時に消え去るでありましょう。言霊の学問に興味を持たれた方の一日も早くその自覚に立たれる日の到来が望まれるのであります。

言霊父韻の話はこれ位にして、古事記の神話では、人間の心の先天構造の中で最後に登場して来る母音イ言霊、半母音ヰ言霊の話に進むこととしましょう。

古事記の神話は言霊イの指月の指として伊耶那岐(いざなぎ)の神を、言霊ヰに対して伊耶那美(いざなみ)の神の名を当てております。言霊イは言霊エアオウを縁の下の力持ちの如く下支えし、統轄し、同時に八つの父韻となって言霊エアオウの宇宙を刺激して現象子音を生みます。右の如く言霊イ(ヰ)は母音(半母音)であると同時に父韻ともなりますので、五母音(半母音)の中でも特に親音と呼ぶ事があります。

心の先天構造は十七の言霊で構成されています。その十七言霊の中で、八つの父韻が出揃ったことで四つの母音ウオアエと三つの半母音ヲワヱ、それに八つの父韻合計十五個の先天言霊が現われました。そこで残るは二つの言霊イ、ヰ(伊耶那岐の神、伊耶那美の神)です。この二言霊(二神)の登場で先天言霊はすべて出揃い、そこで「いざ」と先天構造の活動が始まり、後天の現象子音が創生されます。古事記はこの間の消息を巧妙に捉えて、言霊イ、ヰを示す神名に伊耶那岐・美の神の名を採用しました。

昔、「去来」と書いて「いざ」と読みました。また「去来」と書いて「こころ」とも読んだのです。先天構造を構成する十七言霊が出揃う十六番目と十七番目の言霊イとヰが現われて、「いざ」と後天子音の創造に取りかかる神名に心(いざ)の名の気、心(いざ)の名の身という尤もらしい名をつけた神を当てたのです。勿論心の名とは言霊の事であります。

先に言霊イとヰは母音(半母音)であると同時に父韻の働きを持ち、その為に親音とも呼ぶとお話しました。母音であること、次に父韻の働きを展開させること、の二つの働きがあると申しました。更に言霊イとヰはもう一つ重要な働きをする事をお話しましょう。それは言霊イとヰは、その活動によって生まれて来る現象に対して「名を付ける」という働きがあるという事です。

いろいろな現象が起っても、それに名がなければ、それが何であるか分りません。実に名とはその現象の実態であり、内容でもあります。その名を与えることは言霊イとヰの第三の重要な働きであるのです。伊耶那岐・伊耶那美が心の名の気、心の名の身と言いましたのも、その事をよく表現しているではありませんか。

人の心は五次元の性能宇宙を住家としていますが、そのウオアエイ五次元宇宙の中の言霊イの宇宙に五十音言霊は存在しているのです。全宇宙の中には種々雑多な無数の現象が起りますが、ひと度眼を言霊イの次元に移して見るならば、そこにはたった五十個の言霊しか存在していない事を知ることになります。私達日本人が日常使っている日本語とは、これ等五十個の言霊を結び合わせる事によって、一切の現象の実態、実相を表現した言葉なのです。

ひと度言霊を組合せた言葉で出来事を表現するならば、その名は出来事の実相を百パーセント表現していて、その他に注釈や解釈を必要としない世界で唯一つの言語であります。古代の日本は「言霊の幸倍(さちは)う国」と呼ばれました。また「惟神言挙(かむながらことあ)げせぬ国」とも言いました。「言挙げ」とは概念的な解釈という意味であります。真実・実相を表現する言葉であるから、それに関する解釈の必要はない、という意味なのであります。

以上、先天構造を形成する十七の言霊(四母音、三半母音、八父韻、二親音)を説明上の段階でまとめますと、次の如くになります。この先天構造図を天津磐境(あまついはさか)と呼びます。天津は先天、磐境は五葉坂(いはさか)の意で、五段階の言霊の階層という意味であります。昔の日本人はこの磐境の働きを雷鳴に譬えました。磐境はその稲光(いなびかり)であり、稲光が光れば、神鳴り(言語)が響(ひび)く、という訳です。また稲光りとはイの名(言霊)の光の意であります。

以上で言霊学に於ける人間の心の先天構造の解説を終ります。また言霊の学び(コトタマノマナビ)の原理的な解説も一応これで終了し、次回からは言霊学から見た社会の種々層を列挙して、皆様に興味深い話題を提供して参りたいと思います。乞う、御期待であります。

(この項終り)

天津磐境

言霊ウに始まり、言霊イ・ヰに終る五段階の心の先天構造を天津磐境(あまついはさか)といいます。五官感覚で捉え得る人間の精神現象が起る以前の、その精神現象が起る原動力となる人間精神の先天構造の事であります。この天津磐境の構造については幾度となく解説をして来ました。大方の御理解は得られたと思います。そこで今回はその天津磐境について、若しかしたらお気付きになっていないのではないか、と思われる事についてお話を申上げる事といたします。

古事記の神話は天津磐境の先天構造を種々の神名を以て述べる時、天の御中主の神(ウ)に始まり、伊耶那岐の神・伊耶那美の神の二神に到る五段階の構造として説いています。そこで解説する私もその順序に従って解説をして来ました。でありますから、聞いて下さる方々は、心の先天構造は天の御中主の神(言霊ウ)に始まり、伊耶那岐・美二神(イ・ヰ)に終る五段階の構造が天津磐境といわれる心の先天構造の決定版であり、これ以外の構造はなく、現象の原動力である先天構造内では常にウに始まり、アワ、オエヲヱ、チイキミシリヒニ、イヰの順序で動き出すのだ、と思っていらっしゃるのではないか、と思うのですが、如何でありましょうか。

実はそうではないのです。古事記神話に述べられた先天構造の記述の順序とは全く違う順序の構造図もあるのです。「古事記と言霊」の286頁をご覧下さい。上段に古事記の記述の順序による先天構造図が掲げられており、下段には日本書紀の記述に基づいた先天構造図が載っています。それは言霊イ・ヰで始まり、最下段が言霊ウヲワヱで終わる先天図であります。どちらかが正しく、どちらかが誤りである、と思われるかも知れません。けれどどちらも正しいのです。奇妙に思われるかも知れません。けれど真実なのです。どうしてそんな事が起こるのでしょうか。その答は唯一つ、「先天構造内に於て先天十七言霊は同時存在なのです」という事であります。同時存在のものが同時に動くのでありますから、その記述の目的、用途によって如何ようにも順序を変えて記述や解説が出来るという事になります。

日本書紀の文章の冒頭の記述に基づく十七言霊の順を掲げてみましょう。それは明らかに古事記の天津磐境の言霊の順序がまるで逆転したかの如く見えます。古事記の先天図がその先天構造の内容を説明する為に都合がよい様に配列したのに対し、日本書紀に於いては、天津磐境の内容を既に理解した人が言霊原理に則(のっと)り政治を行う為政者の行動の心を示したものなのです。古事記の先天図は言霊学の学習のための図形であり、日本書紀のそれは言霊学の学習を終えた人の実際活動の図形と言う事が出来ましょう。古事記が天の御中主の神より書き始めるにの対し、日本書紀は国常立の尊(みこと)から始まっている事がその間の消息をよく物語っていると言えます。以上挙げました二例の他に、その用法・用途に従って種々の先天図を画く事が出来ましょう。人間の心の先天構造とその活動によって現われる言霊ウオアエの次元の現象との関係の法則を熟知するならば、その時々に適した先天図が考えられる事となります。

記と紀の先天図の相違を更に考えてみましょう。古事記はその先天図を母音宇宙から説き出しています。それに対し書紀では父韻から書き出します。その相違と意義に気付いた時、先師小笠原孝次氏はこの事を「言霊学に於けるコペルニクス的転換」と呼んだのでした。コペルニクスはそれまでキリスト教が称える「地球の周りを太陽が廻る」という当時の常識を覆し、「太陽の周りを地球が廻るのだ」という事実を発見し、発表した事で有名な人です。先師は言霊学の研究に於て、天文学に於ける認識の転換と同様な重大な意義に気付いて、そう呼んだに違いありません。では先師が言霊学に於けるコペルニクス的転換と呼ばれる事実とは何であったのでしょうか。

日本書紀の冒頭の文章とこの解説である先師の文章を引用することにしましょう。

「天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざるとき、渾沌(もろがれ)たること鶏子(とりのこ)の如く、溟涬(くくも)りて牙(きざし)を含めり。時に一物生(な)れり、状(かたち)葦牙(あしかび)の如し、便(すなは)ち化為りませる神を国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まを)す。」

「正に天地の始めは鶏の卵の如くである。その渾沌の始原宇宙(至大天球、全大宇宙)の中に森羅万象が生れて来る牙(きざし)が含まれている。葦の芽は河原の粘土の中から牙(きば)の様に伸びて来る。この葦の芽の如きものを国常立神と云う。宇宙の国(組邇[くに])である森羅万象が生まれて来る根源の兆(きざし)としてのエネルギーの発現であり、生命意志の始原の発露である。……日本書紀は、宇宙の始めを生命の兆である国常立(父韻)から説き始め、古事記はその兆が育って行く母体(母音)から説いている。両者はどちらが前、後ということのない同時的存在である。……神聖すなわち人間の生命意志が知性を駆使しての活動によって唯一渾沌の宇宙の剖判が開始される。」

先師の文章は厳正で難解であります。古事記の天津磐境の先天図に帰って、先師の文章の目的を説明しましょう。古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。……」とあり、広い広い宇宙の一点に意識の芽の様なもの、しかし何であるかは分らないものがうごめき出します。これを言霊ウと名付けます。次に何か人間の思考が加わる瞬間に言霊ウの宇宙は言霊アとワの宇宙に剖判する、と説明しました。この「何か人間の思考が加わる」という言葉が曖昧なものでありますので、これを読む人の意識は大自然である宇宙の剖判の方に向いてしまい、人間の意志や意識には注目されませんでした。その為に、言霊ア、ワからオエ、ヲヱ、チイキミシリヒニ、イヰと続く宇宙剖判の原動力が曖昧なものになってしまう事となります。先師はその事に劇的に気付かれたのです。時は昭和五十三年立春の朝、朝餉の膳に「立春立卵」のお祭をした時であったと聞いています。(立春立卵の行事については会報19号参照)再び先師の文章を引用します。

「立春の朝の啓示(直観)は驚異であった。今までまだ漠然とその存在と意義を予想していただけだった父韻が、明瞭にその姿と存在場所を顕わして呉れた。今まで現象と共に若しくは現象の中にあって蠢いている如く見えていた父韻が生命内部の核(ニュークレアス)としてその位置を確立した。自分にとって正にコペルニクス的転換である。古い天動説を地動説に変えたのがコペルニクスであったが、造物主を天界に在る架空の神と考える宗教的には「天に在します我等の父よ」という主の祈りにその場所を示されていた天動説が、そして電子が陽子の外側にいてこれを取巻いている如く考えていた物理学的天動説が、再び逆に自己生命の中心に置き戻された地動説、内動説に転換した形である。生命意志は宇宙万物の、そして人類文明の創造者、造物主である。その生命意志を把持運営する者は架空に信仰される神ではなく人間そのものである。これを国常立命という。国は即ち地である。予言の時が来て立春(節分)に国常立命が正に世界に出現した想いである。国常立命は人間自身の中から現われて来た。」

最後に鶏子(とりのこ)(卵)の宇宙剖判図を載せましょう。(小笠原孝次著「言霊開眼」より引用)。言霊ウから剖判した言霊アとワを結んで現象を生せしめるのは、生命意志(言霊イ)の働きである八父韻であります。それと共にウからアとワに宇宙剖判を起こさせるのも生命意志なのです。この事によって人それ自体が宇宙の中に於て、宇宙的な文明を創造する造物主、創造主神なのである事を明らかに知る事が出来ます。

(終り)

「天津神籬・禊祓」 <第百八十九号>平成十六年三月号

先号まで数回にわたり言霊学の緒論である人間の心の先天構造即ち天津磐境(いはさか)についてお話をして来ました。今回は言霊学の奥義であり、また結論でもある天津神籬(ひもろぎ)と、その結論に到達する過程である禊祓(みそぎはらい)の方法について簡単に述べることにいたします。言霊学の緒論と結論の概略の御理解を頂く事によって、この言霊学という学問が人類の歴史や諸文化に対して、また私達が日常使っている日本語の語源として如何に大きな影響を与えて来たか、が読者の皆様に御納得頂けるものと思うからであります。

言霊学は人間の心が五十個のコトタマ(言霊)によって構成されている事を明らかにします。その明細は心の先天構造十七、後天の現象単位三十二、それ等コトタマの神代文字化一、合計五十個の言霊となります。人間の心はこれ等五十個の言霊によって構成されており、それよりも多くも少なくもありません。ではその五十個の言霊がどの様な構造・配列をしているのか、どの様な活動をするのか、を順序よく解説して行き、最後に人間が到達し得る最高理想の精神構造を明らかにします。

その精神構造を天津神籬(あまつひもろぎ)と申します。「ひもろぎ」とは霊諸招の意であります。この精神構造を示す五十音図を天津太祝詞(音図)と呼びます。またこれを表徴して作られた器物を八咫鏡(やたのかがみ)と言い、日本皇室に伝わる三種の神器の一つとなっております。そしてこの最高理想の境地に到達した人は如何なる事をやり遂げる能力を持つか、またその境地に到達するには如何なる方法が必要か、の行法を「禊祓」として古事記の神話は懇切丁寧に説明しております。今回は以上の事の概略をお伝え申上げることといたします。

言霊学の結論であり、人間精神の最高理想の精神構造を天津神籬(ひもろぎ)と言い、その神籬の意味は霊諸招だと申しました。霊(ひ)とは言霊であり、諸(もろ)とはその言霊のすべてを意味し、招(おぎ)とはそれ等すべての言霊を一つの音図の中に置き足らわして得る人間精神の最高調和の構造と言った意味であります。と同時にまた、霊とはこの地球上に於いて生産され、その内容が多くの人々の承認を得るよう主張する一切の文化の内容の事でもあります。天津神籬と呼ばれ、またの名、天津太祝詞(ふとのりと)と称せられる精神構造の立場に立つ時、それ等地球上に於て主張される文化活動のすべてを一つの取りこぼしもなく取り上げ(摂取)、それに世界人類文明を創造するため役割を担わせ、生命を与えて行く(不捨)事が出来る人間の最高精神構造の意でもあります。

その様な事を実行し、実現する能力を果たして人間が持ち得るのか、と疑問を持たれる方もいらっしゃる事でしょう。無理もありません。ここ二・三千年の人類の歴史は、全く弱肉強食・生存競争の連続でありました。強い者勝ち、故に「我善し」の社会であったのですから。

世界中の人々がそれぞれの異なった目的のために生産する文化的なものすべてを一つ残らず摂取して、これ等のものを取捨選択するのではなく、そのまま受入れ、しかも世界人類の文明創造という大きな目的のために役立つよう新しい生命を吹き込んで行く荘厳で悠大な行為は、ただ考えるだけでさえ心躍る崇高なものでありますが、さてそれを実際に実現させる方法如何となると、現代に於いては全くの夢物語としか考えられない事でありましょう。

事実、現代のような弱肉強食、強い者勝ちの世の中では、権力者が自己目的のために、社会の諸文化を取捨選択し、またはそれぞれの文化の内容を変形、変容させ、社会を陰に陽に一つの方向に向うよう操作して憚らない社会では、夢中夢の如く思われるに違いありません。

遠い昔、印度に始まったと言われる仏教は阿彌陀仏の「一切衆生、摂取不捨」を最高のものとして彌陀の慈悲を説いて来ましたが、立教以来二千数百年、いまだその理想は実現されていません。それは仏教の創始者と言われるお釈迦様の実現不可能な単なる理想に過ぎないのでしょうか。キリスト世紀の基となったキリスト教のイエス・キリストは「天国は近づけり。汝等悔い改めよ」と説きました。

けれどキリスト世紀の二十世紀を過ぎた現在、天国は実現されていません。それどころか、世の中は益々剣呑な状況に立ち到り、人類の終焉の事が心配されています。人類破滅の原因となるデータを近代科学は列挙しています。けれど合理的にこれを処理し、回避する決定的手段を今の人類はまだ手に出来ないでいます。このまま事態が推移するならば、再び浮び上がる事が出来ない人類危機の瞬間は目前に迫っていると言う事が出来ます。「結縄の政」(儒教)、「天国の到来」(キリスト教)、「仏国土荘厳」(仏教)等の予言ははかない予想に過ぎず、孔子もイエス・キリストも、また釈迦も全くの「大嘘つき」で終ってしまうのでしょうか。

いいえ、そんな事は決してありません。人類は今もなお過去の宗教の創始者が説いた人類の理想社会実現の道を着々と歩んでいるのです。その実現の日はもうそう遠い日ではありません。孔子もイエス・キリストも、また釈迦も嘘つきでは決してない事です。ただ違う事は、孔子によって説かれた「結縄の政」といわれる理想社会はその儒教によって実現するのではありません。「天国」はイエス・キリストによって説かれましたが、その実現はキリスト教によって達成されるのではありません。また釈迦が説法した「仏国土荘厳」も仏教の力で建設されるのではないという事であります。

人類の第二の物質科学文明創造の幕が切って落とされた数千年前、それ以前には人類の第一精神文明の花や果実で潤う永い永い時代が続いていました。その精神文明の中核となったのが言霊布斗麻邇(ふとまに)の学問でありました。古代日本語はこの学問の原理によって造られたのです。その時以来、第一精神文明の原理である言霊の学問は日本語の中に脈々と息づき、長い第二物質文明時代の暗黒の世相の中でも、日本語の中に途絶える事なく生き続け、現代の日本人の日常言語として光を放っています。

ただ世界の人々も、当の日本人もその尊い原理の存在を忘れてしまっているに過ぎません。物質科学文明の完成と同時に起った人類生命の危機状況の発生の時、予定されていた言霊の原理は人類の脳裏に明らかにその存在を復活させました。この不死鳥の如く蘇えった言霊の原理に基づく世界人類の文明創造の方法を知るならば、現代の日本人は大先祖である日本の皇祖皇宗の頭の良さに驚倒することでありましょう。

人類全体の文明創造という大事業を推進・遂行する人間の能力・性能について、古代の日本人の祖先は現代の人々が想像だにする事が出来ない素晴らしい発見をしました。永い年月の研究と幾多の人々の努力がそれをもたらしたに違いありません。人間の心のすべてを「心と言葉の究極の原理である言霊学」として解明したのです。

その学問によれば、人の心は母音ウオアエイによって表わされる五界層宇宙より発現する精神的性能を与えられています。人はそれ等の五次元構造を一つずつ自覚することによって、それ等の性能を思うように働かせ社会に貢献する事が出来ます。言霊ウは五官感覚に基づく欲望活動であり、この性能から産業・経済社会が現出します。言霊オは人間の経験知性能の次元、この性能により各種の学問や物質科学が現出して来ます。言霊アは人間の感情性能の次元であり、これより芸術・宗教活動が現われます。言霊エの界層からは人間の英智性能が発現し、言霊ウオアの三性能をコントロールする英智となります。

そして最後に、人間精神の最終段階の自覚に於て言霊イの人間生命の創造意志性能が確認される事となります。人間の心を構成する究極の要素アイウエオ五十音言霊がこの次元界層に存在し、この五十音言霊の根本活動によって他のウオアエ四次元の現象社会が現出して来る事実を掌をとる如く明白に把握する事が出来るようになります。そしてその把握の唯一最高の手段として言霊五十音のそれぞれを物事の実相に従って組合せる事によって造られた日本語による表現が適切である事を知ったのであります。

昔、言霊のことを一音で霊(ひ)と呼びました。霊が活動する、走る事を霊駆(ひか)ると言います。それ故に日本語の事を霊葉即ち光の言葉と呼びました。人間社会に於いて言霊ウオアエ四次元の各領域で起る種々の現象は、それが社会の中でいかに混乱した暗黒の様相を呈したものであっても、ひと度言霊イの次元に視点を置いて、それを熟視し、その実相を言霊原理で造られた日本語によって表現・把握するならば、心の光に照らされて暗黒は消え、人類の第一精神文明時代にそうであった如く、日本の古代の皇祖皇宗の経綸である人類文明創造の光の筋道の中の一齣(ひとこま)の出来事として、世界歴史に於ける地所位が特定され、同時にその事態の進むべき方向と、それを実現して行く確乎とした手段・段取(だんどり)が明らかに脳裏に浮かび上がって来ることとなります。

これが人間の言霊イ段の自覚された性能なのです。地球上に起る人類の如何なる事態も、たとえそれが何人が見ても絶望と写るものであっても、この言霊イの性能の自覚によって死から生への転換、破滅から創造への転回が不可能なものは何一つありません。この創造を可能にする行法を古事記は禊祓(みそぎはらい)と呼んでいます。

以上、言霊学の結論を神籬(ひもろぎ)と呼ぶ所以(ゆえん)と、その方法の禊祓について概略をお話申上げました。御理解頂けたでありましょうか。最後に神籬の言霊による構造を示す天津太祝詞音図を上に掲げます。神籬の構造と禊祓についての詳細は「古事記と言霊」を御参照下さい。

(この項終り)

霊駆(ひか)り(光)

光の語源は「霊駆り」即ち言霊が走る、活動するの謂であります。如何なる闇も光が当たれば消えます。闇は光が嫌いだから、光のない処に逃げるから其処にはなくなる、というのではありません。光が当ればいかに深い暗黒も一瞬にして消えます。その様に人間の心の闇は、それが個人のものも、社会的な大きな闇でも、光が当れば、即ち言霊原理そのままの判断が下れば、一瞬にして雲散霧消してしまいます。

仏教に十界という教えがあります。辞書に「迷界・悟界のいっさいの境涯を十種に分けたもの。迷界における地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と悟界における声聞・縁覚・菩薩・仏の十界」とあります。過去三千年余、人類の心を弱肉強食・生存競争の坩堝(るつぼ)の中に巻き込んだ金毛九尾の狐と呼ばれるその九尾の九数とは、仏教で謂う十界の中の最上段の仏以外の九つの境涯すべてを薬籠中(やくろうちゅう)の物にして、自由に操るの謂であります。けれど最上段の仏界には近づく事が出来ないと言われています。仏陀の把持する、法華経の説く「仏所護念、教菩薩法」、即ち「勝彼世間音」と謂われる言霊原理の光を保持している故であります。

古事記の神話に示されます言霊学の物語のクライマックスとなる「禊祓」の中で、人間の生命の実体と言うべき言霊の活動の「光」が、心の闇を光の世界に取り込んで行く箇所があります。神直毘神、大直毘神、伊豆能売の件(くだり)であります。その箇所の古事記の文章を書いてみましょう。「……八十禍津日の神。次に大禍津日の神。この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり。次にその禍を直さむとしてなりませる神の名は、神直毘(かむなおひ)の神。次に大直毘(おほなおひ)の神。次に伊豆能売(いづのめ)。」

次に奈良の天理市所在の石上(いそのかみ)神宮に伝わる布留の言本(ふるのこともと)「日文四十七文字」を見ましょう。「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」の四十七文字です。この四十七文字の中で、言霊の光が輝く事によって闇を光明世界に変えて行く場面は「ソヲタハクメ、カ」であります。

またこれを言霊学の総結論、天津神籬(ひもろぎ)の音図である天津太祝詞(ふとのりと)の上段ア・タカマハラナヤサ・ワのタからサまでの八韻で示す時は、その八韻の中の一韻のナに当ると言えましょう。

以上、古神道禊祓の行法を示す三つの表現を列挙しました。その各々の解説は他の機会に譲りますが、「古事記と言霊」の290頁に比較・対照表がありますので御参照下さい。人類社会の如何なる問題も、それがたとえ対処不可能と思える葛藤でありましても、ひと度言霊学最高の天津太祝詞音図のイの段に視点を置いてこれを見るならば、皇祖皇宗の言霊原理に基づく人類文明創造の歴史の一齣(ひとこま)としての内容を持つ必要欠くべからざる事柄である事が瞬時に分ることとなります。

一人の人生にとっても、また人類の文明創造の歴史にとっても言い得る大切な事柄であります。とは申しましても、それは人間に附与された生命の最高性能である言霊イの人間生命の創造意志の段階に於てのみ言い得る事ではあります。

禊祓における光と影、光と闇の問題を言霊学上で解説をして参りましたが、原理原則ばかりでは話が息苦しくなります。そこで具体的に日常に起る卑近な例を引いて説明しましょう。

以前にも一度例に引いた事がありますが(「古事記と言霊」225頁参照)、私の古い友人とその病気の治療に当る医師との間の話であります。友人は或る願望から妻子を捨てて地方の家を蒸発し、東京で暮らす年月の末に希望を失い、一人で細々と生きる身の上です。過ぎし日の事を思うと慙愧(ざんき)に耐えなくなります。その気持を紛らわそうと酒を呑みます。酒気が切れる時がありません。

血圧が上がります。医者へ行くと、何時も血圧が二百から下がった事がないそうです。そこで医者は「酒を止めなさい。さもないと死んでしまうよ」と何時も口癖の如く言うようになります。いくら心配して言ってくれるのだと思っても、その友人にとっては何も言ってくれないのと同じなのです。何故ならその当人がこの侭では死んでしまうな、と思っており、けれど凍りつくような寂しさの念から酒は止められなくなっているのです。

この話はこれからは「若し……」の話に入ります。若しこの友人を治療する医師に仏心があり、また強い宗教心があったら、の話ですが、医師はこの老人である友人に同情し、医学的に親切に病状を説明したり、理を尽して酒を止める事を心から忠告したりして、何とか友人に救いの手を伸ばします。友人もそれに応えようとして努力はします。けれど結局は孤独感に勝てず、酒を呑んでしまいます。友人の心は更に絶望に近づきます。と同時に医者の心も絶望を感じます。

「医師として私は幾らかのプライドを持っていた。そしてあの老人に同情し、立ち直らせる事が出来ると思っていた。けれど人の心の闇は私が思っていた以上に深かった。私はあの老人にしてやれる何物も持っていない事を思い知らされた。私はそれ位の人間であったのだ。」医師としての、そして同時に人間としてのプライドも吹き飛んでしまいました。深く考えれば考える程無力感が心を凍らせます。「私は医者としても不適格なのか」と心は揺らぎます。絶望感が全身を包みます。自信も自尊心も吹き飛んでしまったのです。……

医師は謙虚な心の持主でした。正しい信仰心を持っていました。「私は医学を初めいろいろな知識を身につけて来た。この知識さえあれば何事にも立ち向かえる事が出来ると思っていた。知識即自我だと思い込んでいた。それは思い違いであった。今まで大禍もなく学び、医者となり、暮らして来られたのは、決して自分の力なのではなかった。

考えることも出来ない大きな力、何と言うか、大きな生命力に包まれて、そのお蔭で此処まで来られた。すべてがこの力の恵みによって生かされている。私も、そして生きとし生ける者も、皆このお力によって生かされているのだ。自分のものと思っていた知識はすべてこのお力の道具であり、自分のものではなかった。」

この時以来、医師の老人に対する態度はガラリと変りました。老人に会う時には晴々とした心で、明るく老人と世間話をするようになりました。老人を説得する気持がなくなったのです。すると老人の心の動きがよく分るようになります。「自分も生かされている。だからこの老人も大きな生命力に生かされている」と思うと、説得の心は何処かへ飛んで行ってしまい、老人が兎も角今生きて、自分と向かい合っている瞬間を心から祝福する気持となったのです。

すると、不思議な事に、老人の心に希望を持たせるような言葉が出て来るようになりました。暗闇が消え、光明の中に生きる事が出来たのです。病気を治すのではなく、人を治す事、とはこういう事なのだ、と知ったのでした。

以上は闇を光明に転換する初地の心、言霊アの心であります。この医師の心は患者に対する個人的な愛(エロス)から大きな宇宙生命の愛(アガぺ)に変りました。言霊ウオの次元から言霊アの次元に自覚が進化したのです。仏教に於ては言霊アの自覚の境涯を縁覚と呼びます。それは初地の仏でもあるとも説かれます。

言霊ア次元自覚の境涯ですから、言霊エイの自覚に到ってはいません。その為にその人の他の人に接する言葉は言霊ア次元の宝音図のア段、ア・タカラハサナヤマ・ワとなります。これは宗教・芸術の心であり、主体である言霊母音アの自覚は確立していますが、客体ワの心の自覚は未確認であります。それ故、主体の心は愛の境地から出発しますが、その言霊は客体の側に如何に受け取られるかは未知数です。

それはすべての芸術作品が万人の心を魅了するとは限らないのと同様です。個人に対する救済にはこの次元の自覚で何とか事足りるとしても、万人の、国家、民族、世界人類の救済には全くの力不足である事は明瞭であります。宗教が現在の世界の危機に対して確乎とした救済策を打ち出す事が出来ないでいるのもこれが為であります。

宗教的愛の心に何が足りないのでしょうか。それは宗教心には言霊母音アの自覚、即ち母親の愛の心はあるけれど、言霊父韻である父親の原則が欠けているからです。母だけでは子は生まれせん。父母揃って初めて子(現象)が生れるのです。昔、母をいろは(言葉)、父をかぞ(数)と呼びました。言葉と数(父韻)は文明の親であります。

キリスト教の祈りの言葉「天にまします父なる神よ、御名を崇めさせ給え」には、父なる神の御名である父韻言霊を人間自身の外に仰ぎ見て、人間自身の性能とは思う事が出来ないでいます。その為に神なる光に包まれているという自覚はあっても、その光の構造と働きについて何の自覚も持ち合わせていません。禊祓の理解と自覚、世界文明創造の担い手となる為には、尚一歩、二歩の自覚の進化が必要です。

前に医者と患者との間の心の交流の話で、自我とはこの社会の中での経験の総合なのではなく、その経験が現出して来る宇宙が自我の本体であると知りました。言霊アの自覚から言霊エイへの自覚の進化の道程に於て、その本体としての宇宙という観念に変りはありません。けれど自分が以前から積み重ねて来たこの世の中での経験知識に対する反省の態度が全く違って来ます。

言霊アの自覚を求める段階での経験知に対する態度は、その経験知識は本来の自分ではなく、単なる現象に過ぎないものとして、否定(無)して行く事でした。経験知識そのものでは物事の実相を掴む事は出来ないという事にのみ専念しました。そして経験知識即自我との思い込みが破れた時、自我の本体であり宇宙である言霊アの存在を直観することが出来たのでした。仏教の謂う諸法空相の仕事でありました。

言霊イ・エの自覚に進む作業は、言霊による生命の構造(イ)とその動き(エ)という言霊原理を行動の規範として掲げながら(衝立つ船戸の神)、一度否定し去った経験知識を、今度は五十音言霊図の中の三十二の子音言霊、またはその結合体として、肯定し直す作業であります。謂わば仏教の諸法実相の仕事という事が出来ます。

言葉を変えて言えば、自分が積み重ねて来た経験知識のそれぞれが五十音言霊図の中のどの言霊に相当するかを調べる作業であります。貴方が自分の心の中の経験知識を五十音図の中の一つの言霊と実相の直観で結び付ける事が出来たならば、その言霊が貴方の心の中で無音の音を奏で続ける事となります。そしてその言霊は「霊駆り」として貴方の生命の一部を構成している事を貴方自身が実感することとなります。

一度否定し去った経験知識を、掲げた言霊五十音図の中に引き上げ、言霊を以て承認する時、その瞬間が闇が光に転ずる時なのです。神直毘・大直毘・伊豆能売の禊祓の中の三神がその時の働きです。……そうです、貴方が貴方御自身の禊祓をしているのです。

言霊アの自覚によって生れ出た赤ん坊の如き貴方が、その赤ん坊の心である和久産巣日の神の心(天津菅麻音図)のままに貴方御自身という伊耶那岐の大神という宇宙身となり、習いおぼえた五十音言霊原理(建御雷の男の神)を衝立つ船戸の神と掲げ斎き立て、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に立って、自分が生れた時から積み上げてきた経験知識を黄泉国所産の文化として、「吾はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はら)へせん」と貴方御自身の生命の総結論の自覚に向って禊祓の行を実行することとなります。

御自身の生命の自覚は、御自身の経験知識が言霊五十音図の中に祭られた瞬間、闇の言葉が光の言葉(霊葉[ひば])に変った瞬間に完成する事となります。一人の人間が自分自身の生命の実相を見る事が出来る唯一の時であります。

この時、その人が自覚する人類文明創造の手順はア・タカマハラナヤサ・ワとなります。主体ばかりでなく客体の実相を知り、更にその将来を規定することが出来る人類に与えられた最高究極の性能に到達します。

御自身の禊祓の完了の時、それは全世界人類の禊祓の開始の時でもあります。

(終り)

「言霊学とは」 <第百九十号>平成十六年四月号

前号までの数回のお話で言霊学という学問を、その緒論である天津磐境(あまついはさか)と結論である天津神籬(ひもろぎ)の解説で概略の紹介をして参りました。現代社会に氾濫する精神理論には見ることが出来ない日本民族伝統の言霊学のユニークさをお分かり下さったのではないかと思います。そこで今回からは話題を変え現代の日本に存在する種々の事柄を取り上げ、それと回復した言霊の学問とがどんな関係にあるか、を明らかにしてみたいと思います。

その方法として当会発行の「コトタマ学入門」の書を取り挙げ、その中に書かれた一章一章を引用し、その内容を更に詳細に解説して行く事といたしました。言霊学とはこの地球上に生活を営む人間という生物の心と言葉に関する究極の学問であります。そのため「コトタマ学入門」で取り挙げる諸問題のどれからでも、現代の人類が直面する危機的諸状況の解決に結びつく究極の解決策を見出すことが出来ることとなりましょう。御期待下さい。

第一章 日本語について

日本語は不思議な言語です。長い長い間、この日本列島に住んでいる日本人によって使われている言語なのに、それがどのように作られてきたかが、全く分っていません。また、日本語は世界中のどの言語ともかけ離れた構造を持った言語です。

その日本語のルーツに光明が差し始めました。長い間、日本人の意識の底に眠っていたコトタマの原理が目を覚まし、世の中に復活して来ました。日本語とは極めて厳密な霊妙な法則の下に作られた珠玉のような言語だということが分ってきたのです。日本語は私たちの大先祖が遺してくれた偉大な遺産であり、秘宝であります。

日本語の起源

今から十数年前、東京で「日本語の起源」に関する研究討論会が開催されました。日本はもとより東洋、中近東、西洋から大勢の研究者が集まり、十日間にわたる熱心な討論が行われました。言語学、比較言語学、文化類型学、歴史学その他色々な分科会に分かれた討論、全体総会など、大掛りな研究会でした。

しかしながら、研究会が終り、新聞紙上に発表された討論会の結論は「不明」ということでした。日本語の起源は現在の学問の研究の範囲では分らないのだ、というのが結論だったのです。世界の英知を集めた研究会にもかかわらず日本語の起源は何故分らないのでしょうか。

通常、一つの民族の言葉の起源を研究する場合、大きく別けて二つの方法が考えられます。その一つは同一民族の言葉の中から同じ単音が使われている言葉、例えば田、滝、狸、竹、…等「た」の音の入っている言葉を集め、その中の「た」の音の共通の意味を探し出して行く方法です。この方法で五十音の一つ一つがどういう場合に使われるかによって、その民族の言葉が作られてきた法則を見付けることが出来るという考え方です。

もう一つの方法は、比較言語学と呼ばれる方法です。歴史的に関係が深いと思われる国々の言葉の中から発音が同一か、または非常に似通った発音の言葉を見付け出し、その意味内容の比較によって民族の言葉の起源を探る方法です。

世界中から言葉の専門家が集まり、十日間の研究討論の結果、日本語の起源は分らないとの見解がなされたということから、以上の言語を研究する二つの方法によっては、日本語の起源を解明できないことがはっきりと示されました。

そうです。現代の言語学が用いている方法―多くの共通点を持つ言葉を集め、その比較検討から言葉の起源を探し出す、いわゆる帰納法的な方法によっては、日本の言葉は決してその起源を探すことは出来ないでしょう。しかし、現代の言語学的方法では日本語がどうして作られたかが求められないからといって、日本語に法則がない、というのではありません。それどころか、日本語ほど厳密な法則によって作られている言語は世界中にない、といっても過言ではないほど、日本語には厳密な法則があるのです。ただ現代の言語学や心理学等々では決して到達することが出来ない人間の心の深部の真相・法則に従って作られているのです。

そしてその心の深いところにある法則、それが私がこれからお話をしようとしている「コトタマ」のことです。私たちが日常何気なくしゃべっている私たちの日本語は、この「コトタマ」の法則で出来上がっています。

この「コトタマ」の法則は極めて厳密なもので、決して誇張ではなく現代隆盛を極めている物質科学の諸法則と全く同様と言い切ってもよいほど厳密・詳細なもの、ということが出来ます。

日本語が初めにどのようにして作られたかを語る場合、「コトタマ」を離れてはお話することは不可能なのです。「コトタマ」こそ日本語の起源なのです。

(この項終り)

日本語と言霊

日本語の語源である言霊布斗麻邇(ふとまに)の原理が私達日本人の遠い祖先によって発見されたのは今より八千年乃至一万年前と推定されます。言霊の原理と呼ばれますのは言即ち言葉、霊即ち心、人間の心と言葉に関する学問の真理の事であります。単に心と言葉の関係の学問というのではありません。人の心を何処までも、何処までも可能な限り分析して行き、もうこれ以上は分析出来ないという所まで到達した時、人の心は五十個の要素で構成されている事を発見したのです。私達の祖先はそれぞれの心の究極の要素を発見したばかりではなく、それ等の要素を、私達が現在使っている日本語の究極の要素であるアイウエオ五十音の一つ一つと結びつける作業の末に、人の心の要素と五十音の単音とを合理的に結合することに成功し、これ等結合された一つ一つを言霊(コトタマ)と名付けたのであります。

心の要素と言葉の要素とを結びつけたのでありますから、言霊とは人の心の要素であると同時に言葉の要素でもあるものであります。ですから人の心は五十個の言霊によって構成されているということが出来、五十個より少なくも多くもありません。

更に私達の遠い祖先は、人の心の中には五十個の言霊が乱雑、気ままに飛び廻っているのではなく、整然とした構造を持っている事を発見したのでした。心を構成する言葉五十個の内訳は、人間の意識で捕える事が出来ない、所謂心の先験(先天)要素十七、意識で捕える事が出来る後天現象要素三十二、計四十九、この先天と後天の構成要素を神代神名文字で表わす要素一、総合計五十という構造を持つことが明らかにされたのであります。

私達の祖先が次に進めた研究は、これ等五十の言霊の活用、運用の方法でありました。人間に賦与された五十個の言霊を動かして、人間の文化を創造する手法の解明でありました。自然人として与えられている性能を活用して人間の文明社会を創り出す方法の研究です。その結果、この宇宙の中に、人間として他の動植物と共に理想の社会を築いて行く最高理想の精神構造の解明に成功したのでした。古事記はこの最高の人間精神構造を三貴子(みはしらのうずみこ)、即ち天照大神・月読命・須佐男命三神の誕生物語として黙示しております。言霊原理が蘇えって来た現在、この三神という名の黙示は明白な五十音言霊の整然とした配列で示された精神構造として何人もそれを希望する限り、明らかに究明、自覚する事が可能となったのであります。

この様な人の心の構造とその動きの完全な解明に私達の祖先はどの位の年月を要した事でしょうか。現代人はよく古代の文化について「昔は現代の如く社会の仕組が複雑ではなく、比較的単純であったに違いないから、その住人も感性が鋭く澄んでいたに違いない。その鋭い感性を活かし、霊感によって知ったのであろう」と考え勝ちであります。けれどひと度言霊学の中に飛び込んでみれば容易に分ることですが、言霊学の精緻にして壮大な規模の学問が単なる感性と霊能だけでマスターし得るような代物でないことはすぐにお気付きになることであります。

物質科学が「物とは何ぞや」の疑問を持ち始めた揺籃時代から科学文明の花咲く今日まで約四、五千年の歳月を要したと言われます。その間の研究は積み重ねて行く経験知識、そしてその先に働く人間の直観、その繰返しであったに違いありません。その結果、科学の研究のメスは複雑な物質の現象領域は勿論、その領域の彼方の物質の先天(先験)領域の完全な解明が目前となるまでに進みました。最初の「物とは……」の疑問の完全解明まであと一歩の処に来ております。

私達の祖先の「人の心とは……」の解明・自覚への挑戦も右の物質科学と同様の努力と手法によってなされたに違いありません。またその要した努力の歳月も同様な程の長い年月であったことが推察されるのであります。その長い年月の多勢の人々の努力の結果、人間精神の全貌と言葉に関する完全無欠の原理が発見されました。これをアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理と呼びます。その原理の研究・発見者の代表を古事記は伊耶那岐の命と名付けております。前にもお話しました如く今から八千年乃至一万年前の事であります。

この言霊の学問が研究・発見されました処は果たして何処であったのでしょうか。はっきりは分りません。古事記・日本書紀に高天原と呼ばれている点から推して、日本の高原地帯、もしくはアジアの屋根と謂われるチベット、ヒマラヤ、またはイラン、アフガニスタン辺りの高原地帯であったのかも知れません。原理の発見後、或る時が来て、発見された真理を運用・活用して、この地球上に精神の充実した合理的な社会を築く運動が開始されました。人類の文明創造の歴史の始まりであります。

言霊(ことたま)のことをまた一音で霊(ひ)とも呼びます。言霊の原理の自覚者を霊を知る人の意で霊知(ひし)り、即ち聖(ひじり)と言います。この聖の人々の中から選ばれた集団がこの地球上に理想の社会を建設するために適当な場所を求めて高天原の高原地帯から世界の政治を行うのに都合の良い所を探して下りて行ったのであります。この行為を古事記は天孫降臨と呼んでいます。そしてその降臨する集団の責任者の名前を邇々芸の命と言います。

戦前の日本の歴史では、今私がお話している事を神話として人の知識では計り知る事が出来ない神事として取扱いました。しかし実際にはそうではなく、またそんな事が世の中に通用するものでもありません。言霊学の話の中で事に触れる毎に申上げて来た事でありますが、古事記の神話は神話の形をとった言霊学の教科書であるという事を忘れてはなりません。邇々芸の命という名前がその実際の内容を示しています。邇とは二であります。邇々でありますから二の二で第三次の意となります。初めの一の真理は物の実相を示す言霊です。その第二次的な真実とは言霊によって名付けられた物事の名前のことです。では二の二の第三次的な真実とは何なのでしょうか。それは物や事に付けられた真実の名前がそのまま通用して 滞 ることのない真実の社会、国家、世界の事でありましょう。即ち真実の文明世界を作る政治こそが芸術の中の芸術と言うことが出来ます。邇々芸の命とはそういう意味での人類文明創造の始祖と言うことが出来ます。

高天原の高原地帯から下って来た聖の集団がどの様な経路を経て来たかは明らかではありません。古事記に「ここに■肉(そじし)の韓国(からくに)を笠沙之前(かさのみさき)に求(ま)ぎ通りて詔(の)りたまはく、此地(ここ)は朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。かれ此地(ここ)ぞ甚(い)と吉(よ)き地と詔りたまひて、底津石根に宮(ふと)柱太しり、高天原に冰椽(ひぎ)高しりてましましき」とありますから、西の方から朝鮮半島を経てこの日本に来た事に間違いないようであります。

この日本列島に居を構(かま)えた聖の集団が先ず最初にしたのは物事に名を付ける事でありました。この日本列島の気候風土、四季の移り変わり、住民の気質、従来の習慣等々の実相を見極め、そのそれぞれに人の心の先天と後天実相音である言霊五十音を組合せ、名前をつけて行ったのです。人間の精神生命を構成する究極の空相と実相の要素である言霊を以て物事一切に名前を付けたのでありますから、物や事のそれぞれの内容は即その名前がそのまま表現しており、そこに何らの説明を要しない、その名前を知ればその物や事の内容のすべてが直ちに理解することが出来る名前が付けられて行ったのであります。その物の名前を知れば、その物が何であり、どんな内容を持ったものであるかが理屈なしに理解出来、その事の名を聞けば、その事柄の真実が眼前に彷彿する如く直観される言葉が此処に誕生したのであります。また一つの事柄の現状をその言語で綴るならば、その事柄がどの様にして発生し、どの様な経過を経て、如何なる結末に達するべきか、が一目瞭然と察知できる言葉が作られて行きました。日本語の誕生であります。新約聖書ヨハネ伝の冒頭の文章「太初に言あり、言葉は神と偕にあり、言は神なりき……」とあるその言とはこの日本語をおいて他にはありません。日本のことを「惟神言挙げせぬ国」と言い「言霊の幸倍ふ国」と呼ぶのも当然の事であります。

言霊の幸倍ふ政治の徳は日本国ばかりでなく世界の国々、人類全体を潤おして行きました。現在、各民族の神話に見ることが出来る長い間の精神的豊潤と平和の時代が続きました。この精神文明時代を人類の第一精神文明時代と呼びます。この日本に於ても平和を謳歌する鼓腹撃壌の時代、皇朝の名で言えば、邇々芸(ににぎ)王朝、彦穂々出見(ひこほほでみ)王朝、鵜草葺不合(うがやふきあえず)王朝という長い時代が続いたのであります。この三王朝の時代、世界の精神文明を創造する政治の中心は日本でありました。この間、世界各地で生産される種々の民族・国家の文化はすべて日本に齎され、日本の朝廷に於てその文化の世界文明創造の糧としての時処位が定められ、新しい光の下に世界文明に組入れられて行ったのであります。その文明創造の作業の中心を成す原理はアイウエオ五十音言霊布斗麻邇であり、その用をなすのが日本語でありました。言霊を一音で霊(ひ)という事は既にお話しました。その言霊の人間生命内での活動、言霊が駆(はし)る事、霊駆(ひか)り、それが生命の光であり、その光の言葉が日本語であります。世界各地から来る種々の文化を、光の言語である日本語で表わす事によって容易にその世界の文明創造のための役割、言い換えますと、新文明内に於ける時処位が決定される事でありました。日本語は単なる人間の意志伝達の手段なのではなく、新文明創造の活動の主体であったのです。日本語による人類文明創造の操作を取扱う朝廷内に於ける役職を、古事記は宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命と呼び、竹内古文献には萬言文造主(よろずことふみつくりぬし)の命と示されています。この日本語を駆使して外国文化を世界人類の文明に組入れて行く作業の詳細は古事記の「禊祓」に解説されています。

日本語の真実の光とその性能についての右の話は、言語を単なる意志や思いの伝達手段だけと考えている現代人には途方もない夢物語としか考えられない事かも知れません。けれどひと度勇気を以て言霊学の中に飛び込みアイウエオ五十音言霊の一つ一つの内容とその性能にお気付きになれば、日本語の持つ特有の光と力に瞠目する事でありましょう。

言霊原理に基づく人類の第一精神文明時代は永い間続き、この地球上に平和と精神的豊穣の素晴らしい至福をもたらしました。その精神文明は日本の皇朝で言えば邇々芸、彦穂々出見、鵜草葺不合の三皇朝、数千年にわたり繁栄したのであります。ところが鵜草葺不合朝の中葉に及んだ時、社会の中に変化の兆(きざし)が見え始めたのであります。第一精神文明時代は意識を自らの生命の内側に向けて顧みることによって築かれた文明でありました。その時代が永く続くに従い、何時しか人の意識が自らの外側に向く傾向が現われ始めたのであります。精神文明は人間の心と言葉への関心から始まったのでありましたが、今度はその人間の関心が「物とは何ぞや」の方向に百八十度転換する兆が見え始めたのです。今より四・五千年前のことと推察されます。皇朝の名鵜草葺不合(うがやふきあえず)とは言霊ウの神(か)の屋(や)がまだ葺(ふ)き上っていない、と理解する事が出来ます。ウの神屋とは言霊ウの五官感覚に基づく欲望を基調とした物質科学文明の事であり、葺不合とはそれがまだ完全には形成されていない時代という意味であります。

鵜草葺不合朝の中葉を過ぎた頃から、日本より発する精神文明の輸出の影響が次第に少なくなり、世界各地に人それぞれの欲望を基調とした物質に対する関心と研究が増大して行きます。物質科学の揺籃時代の到来でありました。そして今より約三千年前、日本より世界各民族・国家に対しての精神文化の輸出は途絶え、外国に於ては物質文化一色の様相となったのでした。この傾向の留(とど)まる事のない世界の風潮を逸早(いちはや)く察知した日本の朝廷は今までの精神文明創造の時代を終了し、新しく人類の第二の物質文明の時代に入る時が来た事を承認し、人類文明創造の方針の百八十度の転換を決定したのであります。精神文明時代には世界の中心の地位にあった日本もこの方針に則り、第一の精神文明、次に始まる第二の物質科学文明、この物質科学文明を出来得る限り早く完成させ、その完成の暁、次に来るべき第三の人類の文明時代の建設に備えて幾多の諸施策を講じたのであります。

物質科学が急速に発展する為に必要な人間の精神土壌は弱肉強食の生存競争社会です。その為の方便としてとられた第一の手段は精神文明時代の中核であった言霊布斗麻邇の原理を社会の表面から隠してしまう事であります。この計画を立てたのは神倭王朝第一代神武天皇でありました。神武天皇が橿原に即位する宣言文(日本書紀)にその詳細が載っております。その計画を実際に実行に移したのは第十代崇神天皇でありました。三種の神器の中の八咫鏡と天皇とは床を同じくし、殿(いらか)を共にするという第一精神文明時代の掟(おきて)を廃した事、即ち同床共殿制度の廃止であります。この時以後、日本朝廷の高御座(たかみくら)にお着きになられる天皇に言霊布斗麻邇の自覚者がいなくなりました。霊駆(ひか)りの言葉であった日本語からその光が消えてしまいました。日本語は世界中の他の言語と同様単なる人の意志の伝達手段となりました。言葉の光が眠ってしまえば世の中は当然のように暗くなります。徳の光の代りに権力、武力、金力が社会に重きをなすことになります。弱肉強食の生存競争時代が実現しました。

社会の権力闘争化の反面、生存競争の暗黒に耐える為に言霊原理の第二次、第三次的な教えとして世界に各種の宗教が創設されました。何時の日にか、必ず光をもたらす救世主が降臨するという予言と慰めが世の人々の心の支えとなりました。人間の精神進化の五段階ウオアエイの中の第三段階まで、即ちウオアの三つの性能だけが細々と自覚され、生命の言葉とその活用の段階である言霊エとイの次元は二千年の間人類の視野からは消えることとなります。言霊エとイを偲ぶよすがとしては僅かに古事記・日本書紀の神話の謎として、伊勢神宮の唯一神明造りの建築様式の中に、或は宮中で行われる祭祀の様式・形式の内容として遺されたのみであります。この間、日本は光を失った日本語、薄明の漢語、その他の外来語によって心の生命を細々と生き永らえる国家として存続したのであります。

人類の第二物質科学文明の三千年が全くの悪夢でもあった如く過ぎ去りました。その精神的泥沼の中から八弁の蓮の花の如き物質科学文明社会が創造されました。と同時に私達の聖の大祖先の計画通り第一精神文明の原器であった言霊の原理も、夜明けの曙光の如く社会の表面に昇って来ました。科学は「物とは……」の疑問に全面的に答えを出すもう一歩の処に来ています。そして「生命とは……」の問にも遺伝子DNAの研究によって解明のメドが立ったようであります。これ等の物質科学の成果が人類全体の真実の福祉をもたらすことが出来るかどうか、は一にかかって目覚め始めた言霊の原理が、日本人が日常使用している日本語に心の光を注入することが出来るか、否かであります。

今会報が最初に掲げた問題に帰りましょう。言語研究の優秀な研究者を網羅した大規模な討論会を開催したのに何故日本語の語源は「不明」で終ったのでしょうか。その原因を明らかにする為に日本語について日本の長い歴史の話を簡単に見て来ました。この簡単な日本の歴史の話から賢明な読者にはその答えを理解して頂けたのではないかと思いますが、念の為に答えの要点を書き添えることとしましょう。

日本語は心と言葉が一体になった言霊(ことたま)の結合によって作られました。しかも意識で捕える以前の心の構造(先天十七言霊)と意識で捕え得る心の構造(後天現象三十二子音)がお互いにその構造と動きの真理性を證明し合える必要にして充分な合理性を持った言語です。この合理性は物質の性質を先天と後天の両構造にわたって完全に解明するであろう現代原子物理学と同様の厳密にして大規模な合理性を持ちます。現代言語学は既に後天現象として言語になったものから帰納的にその合理性を求めようとする学問であり、それはまさに物理学で言えばニュートン物理学の域を出ないものであり、日本語の語源の究明という問題には手も足も出ないことは当然であります。

人間の心の自覚は言霊ウ(五官感覚に基づく欲望)、オ(経験知識)、ア(感情)、エ(実践選択智)、イ(生命創造意志)の順に進化します。日本語の語源である言霊原理はその心の進化の最終段階言霊イに存在します。そこは霊駆り(光)の世界です。現代言語学という学問は言霊オに位するものです。言霊原理の存在地点とは次元的に余りにもかけ離れていて、その存在すら感知することが不可能でありましょう。

最後に言霊原理と日本語の間の霊妙な関係を示す一例を挙げておきます。今もお話しましたように、人間の霊位(自覚の段階)はウオアエイと次元を上って行きます。その五母音のそれぞれの下に螺旋状に無言の発展のエネルギーを秘める音「る」を結んでみます。うる(得)、おる(居)、ある(在)、える(選=え)、そして最後に「いる」となります。この五つの言葉を、読者御自身の心の進化と比べてお考え下さい。心と言葉の霊妙な整合に思わず襟を正す事でありましょう。

(終り)

言霊学とは」 <第百九十一号>平成十六年五月号

日本的なもの

ここ十年なし二十年間の日本経済の躍進には目覚しいものがあります。(現在は少々停滞気味のようですが。)当の日本人でさえ驚くほど、日本の企業は大きくなりました。日本経済を抜きにして世界の経済は考えられません。日本企業の国際化はさらに進むことでしょう。

日本人が世界各地に進出していくと同時に、世界中の文化や産物が日本に入って来ました。日本に、特に首都である東京にいて世界中の食物を味わい、世界各地の人に会い、世界中の服装を見ることが当り前のようになりました。

日本の中の国際化が進んでいます。街を歩いていて外国語の氾濫には全く驚かされます。そして、日本文化の国際化の波はますます大きくなることでしょう。と同時に純粋に日本的なものを求める風潮も起っています。例えば、茶道・華道から能・歌舞伎などが盛んです。和服を着る人も一時よりは減ったようですが、結婚式でお婿さんの羽織・袴、お嫁さんの島田髪に振袖や内掛けの姿をよく見かけます。その他、和食や国技の相撲など、日本的な文化も決して衰えてはいません。

以上、日本的なものを数々挙げてみました。しかし考えてみますと、これらの日本的と思われるものも、そう遠い昔から日本にあったものではないようです。その起源は古いものでたかだか千年余りくらい、その他茶道などせいぜい四百年くらいしか経っていないのです。千年、二千年以上も前から日本人はこの国土に住んでいたのですから、日本人固有のもっと日本的なものがあるはずではないでしょうか。

そうです。あるのです。それは私たちが日常何気なく使っている日本語です。日本語ほど日本的なものはありません。「なぁんだ、そんなことか」とあまり気に留めない人もいらっしゃるかも知れません。だとしたら、その人は言葉の人間生活全般に対して持つ重要性をご存じない人です。

人間はある考え、ある出来事を他人に伝える時に言葉を使います。言葉は確かに心の伝達手段です。その出来事や考えなどが珍しかったり、世の中に重大な関係があることだったりすると、人から人へ、また人へと伝達されて社会全体に広がります。いわゆる口コミです。この人から人への伝達手段としての言葉があまりにも目立つ存在でありますので、人は言葉の持つその他の意義をやゝもすると忘れがちです。

人はしゃべっている時、言葉を使います。それだけではありません。まだ言葉にならず、頭の中で考えている時も言葉で考えています。頭の中を無言の言葉が駆け廻っているのです。また考えがまとまり、何か行動を起した時も、言葉として口に出していない時も、手や足や体は頭の中の無言の言葉に従って動いています。考えている時も、しゃべっている時も、しゃべらずに体を動かし行動している時も、人間はすべて言葉によっています。としたら言葉とは人間の生活のすべてなのだ、ということが出来るのではないでしょうか。

日本人は生れた時から日本語で育ちます。アメリカ人はアメリカン・イングリュシュで、ドイツ人はドイツ語で話し、育ちます。そして各国の言葉は、それぞれ特有の発音や法則、その他言葉全体の起源や構造を持っています。人々が言葉によって育ち、言葉によって生活しているというのならば、日本人の生活、心の持ち方、日本人の特徴など、そのすべては日本語によって定まってくる、ということがいえます。

右に述べたように考えますと、最も日本的なものは何か、それは日本語である、ということが出来ます。日本語ほど日本的なものはありません。

日本人の遠い祖先が、この日本列島で文化を持ち始めたのはいつ頃であったか、歴史学的にも、考古学的にも未だはっきりと確かめられてはいません。言葉はその民族の文化の重要な要素ですから、日本人が文化を持ち始めた時から日本語は作られていったはずです。日本人がどのくらい昔にこの日本で文化生活を始めたにせよ、日本人と日本語は同じ年月をこの列島で共存してきたことは間違いないのです。日本語こそ最も日本的なものである、という理由はここにあります。

さてその日本語はどのようにして作られたのでしょうか。何によって作られたのでしょうか。そこに「コトタマ」が登場します。日本語は「コトタマ」によって作られました。そして日本人は「コトタマ」によって生きているのです。いや、広い意味では世界の人々全部が「コトタマ」で生きているということが出来ます。

さて遠巻きの説明はこれぐらいにして、日本語を作っている「コトタマ」とは何か、の直接のお話に入ることにしましょう。

(この項終り)

日本語と言霊

会報百九十号の中で日本語の起源についてお話をしました。今から約一万年程も前、世界の屋根といわれる高原地帯からこの日本列島に下りて来た私達日本人の大先祖である聖の集団が言霊五十音布斗麻邇の原理に基づき、その十七の空相音、三十二の実相音を組合せることによって、物事の実相を見極めた上で、それに相応しい名前をつけて行きました。これが日本語の始まりです。人間のア次元の天真爛漫な心で物事の有るが侭の姿を捕捉して、それに真相音である言霊によって名を附けたのでありますから、その附けられた名前はそのまま物事の実相を表わしており、その名の他に何らの説明を要しない言葉でありました。それ故にわが国のことを昔、神惟言挙(かむながらことあ)げせぬ国、また言霊の幸倍う国などと呼んだのであります。

そして「言霊の幸倍う国」「神惟言挙げせぬ国」の意味をはっきり示す例として、人間精神の自覚の進化を示す順序である五つの母音、ウオアエイのそれぞれの下に、物事が心の空間を螺旋状に進展して行く音である「る」の一字を結合させて、「うる」(得、売)、「おる」(居)、「ある」(有、在)、「える」(選)、「いる」の五つの言葉を前回の会報の末尾に挙げました。人間が生まれながらに与えられているウオアエイの五性能を自覚するために、この順序に従って心の勉学をなさった方ならば「得る」「居る」「有る」「選る」「いる」の五つの行為の内容は容易に御理解いただけるのですが、今は老婆心までにその内容について解説をいたします。

人間は元々生れた時から五つの性能に恵まれています。先ずは言霊ウの五官感覚に基づく欲望性能です。この次元から産業・経済の社会が現出して来ます。次には言霊オの次元で、言霊ウの五官感覚を認識の基礎にした経験知性能が現われます。この性能の発展によって広く物質科学や、その他の客観的な学問の社会が現出して来ます。進化の第三段階は言霊アの次元です。ここから現出するのは人間の感情です。この感情性能の探究からは宗教・芸術の世界が現出します。次の第四段階は言霊エです。この次元からは今までに挙げて来た言霊ウオアの三性能を如何様に活用すれば眼前の事態をうまく処理することが出来るか、の選択智、実践智が発現します。この性能の発展によって道徳や高度の政治の社会が現出して来ます。人間性能の自覚進化の最終段階は言霊イの生命の創造意志です。この次元から現われる活動は現実の現象として姿を現わす事がなく、言霊ウオアエの四段階を統一し、この四次元の宇宙に刺激を与えて、それら四次元それぞれの現象を発現させる原動力となり、同時にその現出した現象に名前を附与するという特有の性能を有しています。言霊五十音はこの言霊イの宇宙に存在しているのであります。人間精神の最終段階である言霊イ次元を自覚するという事は、右の如く言霊五十音を以て心の構造を隈なく知るという事であります。

以上人の心の五段階構造とその段それぞれの性能についてお話をして参りました。人間はこの様に五つの性能を授かってこの世に生まれて来ます。そしてその人生をこの五性能によって生きて行くことになるのですが、普通人は自分がこの様な性能を授かっているという自覚を持ってはいません。自分にどんな性能が与えられているのか分らないのですから、この世に生きて行く間には種々の困難に遭遇し、懸命に努力しなければならなくもなります。「八苦の娑婆」といわれる所以です。よりよく暮らし、幸福に生きるためには、自分が自主的に自らが授かっている心の性能を点検・検討して、その五段階構造を自覚することが必要です。そこに心の勉強が始まる訳であります。以上の心の作業によって五段階の心の構造を自覚的に登って行く時、各段に於て人はどんな事を自覚するのか、を考えることにします。そしてその答えが先に示しました「うる」「おる」「ある」「える」「いる」となることをお話したいと思います。

言霊ウ次元、「うる」

赤ちゃんは生まれるとお母さんの乳を吸います。空腹のおなかを乳で満たそうとする欲望本能です。大きくなるにつれて母親におねだりをします。「お菓子が欲しい」、「赤い服が着たい」。もっと大きくなると、その欲望も大きくなります。「どこどこの学校へ行きたい」「旅行へ行きたい」「一人で暮らしたい」「出世したい」「彼(彼女)と結婚したい」「政治家になりたい」「資金がほしい」「大臣になりたい」「勲章が欲しい」……「何々たい」が一生続きます。この言霊ウの宇宙から発現して来る五官感覚に基づく欲望性能は留まることを知りません。一生の間、この欲望性能に終始してそれで終る人も少なくありません。この言霊ウという性能の次元で見る時、始まりも終りもありません。一生の間唯ただ「たい、たい、たい……」と続きます。その原因も目的も「たい」即ち自分のものにし「たい」という事に尽きます。「貴方は何故それを欲しいのですか」に対しては、ただ「それがそこにあるから」ということに尽きます。この言霊ウから発現する行為はただ一つ「得ること」です。「自分のものにする」ことであります。そこには言霊ウの無言の「ウ」が渦巻いて吹き出しています。即ち「うる」なのです。

言霊オ次元、「おる」

生まれて学齢期になると子供は幼稚園に入ります。この頃になりますと、子供はよく親に「これは何?」「こうなるのは何故?」と尋ねるようになります。この好奇心は小学校、中学校、高等学校、大学校と進学するに従い、次第に強くなって行きます。この言霊オの次元宇宙から発現する「何故」「何時」「何處」と尋ねる人間性能を経験知性能と呼びます。この性能の特色は既に起った事を再び脳裏に呼び戻し、呼び戻した数個の現象間の記憶の関連性を調べ、その法則を探ることであります。既に過ぎ去ったものの(記憶)(記録)、それは言霊オの性能の領域にあるものです。それは発現した瞬間の事柄そのものではありません。発生した事柄の瞬間の有りの侭の姿を「真実」と呼ぶならば、それが過ぎ去った後で、その記録や記憶を如何に調べ、その関連性を追及し、法則化しようとも、其処で求められた答えは真実ではありません。そこで更に記録や記憶の観察法を変えることによって多様化し、その間の関連性を更に更に精密化しようと努力が続きます。それは人間の「考える」努力の連続です。真実そのものを神と呼ぶならば、その努力は過去から糸を手繰って神に帰ろうとする努力です。日本語の「考える」とは正に「神帰(かみかえ)る」を語源としています。経験知によって真実に戻ろうとする努力は、真実の周りをグルグルと記憶と記録を踏み台として永遠に廻り続けることなのです。即ち言霊オが渦巻いていること、言い換えると「おる」ことです。「おる」を漢字で書くと「居る」となります。「居る」の意味は「過去から然々の事をして来て、今は此処に居る」ということであります。(国語辞典を見ると、漢字の居を「おる」とも「いる」とも読むと書いてありますが、居の字は「おる」が本来であり、「いる」に相当する漢字は有りません。居の字が「古」の「尸」(しかばね)と書くことから見ても御理解頂けると思います。)

言霊ウ次元にある人が何かを「うる」と、その手に入ったものは自分のものと思います。その「自分のもの」の意識から自我意識が生れます。同様に言霊オ次元に於ても、自分の手にした経験知識の累積を自我そのものと思い込みます。その自我は、自我の内容である知識とは相反する他人の言葉や行為に接しますと、瞬間的に、また無自覚的に心中にて他の人の言動に対し批判の鉾先を向けます。その批判が言葉となって相手を批判しても、また言葉に出さず、ただ心中に於てだけの批判であっても、同様に相手を攻撃することに変りがありませんから、至る所で紛争が起り、刺々しい世の中が現出し、小は家庭内の騒動から大は国家民族間の戦争を惹起するまでになります。そしてこのお互いの批判攻撃の輪廻は永遠に続くことになります。現在中東で起っているアラブとイスラエルの紛争はよい例であります。

言霊ア次元、「ある」

人間の心の自覚進化の第三段階は言霊ア次元であります。ここより発現する人間性能は感情です。この感情という性能は普通今までにお話した言霊ウの欲望性能と言霊オの経験知性能の影響を受け易く、喜んだり、悲しんだり、喜怒哀楽、恨み、憎しみ、一生の間全く果しがありません。そこで美しいもの、愛、慈悲、魂の自由を求めて芸術や宗教の活動が起ります。五官感覚からの飛躍、経験知識からの魂の開放、自我意識からの超脱です。これ等の目的を達成する宗教的修行、美的追求につきましては今までに幾度となくお話しましたから、此処では省略いたしますが、それ等の活動の目標が美そのもの、本来の自我の探究であることは間違いありません。そして追求・探究の末に行き着く境地は芸術で言えば、抽象でも写実でもないもの、その「有りの侭の姿」であり、宗教で言えば、また人間「有りの侭の自分」なのであります。そこに言霊アの次元の自覚がもたらすものは「有りの侭の姿」であり、一言で言えば「ある」ということです。これを言霊学で示せば、その物、その人が広い宇宙の中の一点に「ある」、その一点の時・処・位を確認する眼を持つ事です。そしてその眼を持つためには、仏教の真言宗がいみじくも明言したように「阿字不本生」(アという言葉は元々生まれて来る音ではなく、宇宙始まって以来存在する音、即ち宇宙そのもの、という意)の眼でもって見ることであります。人それぞれが持つ経験知によって見るのではなく人の本体は広い宇宙そのものであり、この永劫不変の宇宙の眼で見る時、物事の実相が映し出されることとなります。宗教や芸術の真の目標は主体的にこの宇宙の眼によって人の世を見、また物事の実相を見、それを創造美に高めて行く事なのであります。

言霊エ次元、「える」

言霊ウ・オから言霊アへの魂の進化を自覚することは、世の中の一切の柵(しがらみ)から開放されることであり、人にとってこれ程の歓喜はないと言える程の喜びであります。そのためにこの心境にとどまり、自由を謳歌して一生を終える人がいます。これを仏教では辟支仏(びゃくしぶつ)と呼んでいます。けれど人の心の進化はこれにとどまるものではありません。更に人生第一義といわれる菩薩、更に仏陀への道を進むことを慫慂(しょうよう)しています(法華経、化城喩品)。「自分は御蔭様にて世の束縛から開放され、魂の自由を得た。しかし世の中には種々の束縛の中で苦しんでいる人が多い。自分が救われた御恩返しにこの人たちを救わさせて頂こう」と言って衆生済度の道に踏み出します。この道を歩む人を仏教は菩薩といい、キリスト教では使徒と呼びます。これが人の心の進化の自覚の第四段階である言霊エの次元です。この段階に歩を進めてみると、魂は束縛を離れて自由であり、その自由な悟りから、かって自分が束縛の中で苦しんで来た煩悩が、実はそのまま人生のたどるべき意義ある経験であった事を知ります。煩悩を迷える心で見るから苦しみなのであり、広大・永遠の宇宙の眼で見れば、それがそのまま悟りに他ならないことを更めて知ります。菩薩道に入り、迷っている人を救済するのに、自分に与えられた欲望、経験知、感情をどう塩梅(あんばい)したらよいか、選ぶ事になります。この四段階目の進化の自覚の道が「える」で示されるのはここに理由があります。

この人間の精神進化の第四段階には今までの宗教が気が付かず、それ故に言及することがなかった大きな問題が隠されています。自覚進化の言霊エの「える」、即ち「選(え)る」とは一般的には言霊ウオエの三つの性能をどのように選んで、即ちコントロールして物事を処理するか、また第四次元自覚の仏教で菩薩と呼ばれる人が言霊ウオアの三性能を選り、コントロールすることによって一切衆生を救済する人間性能です。この処理または救済に当り、三性能をコントロールする時、どのようにコントロールするか、の確乎たる法則の自覚がないことであります。そのためコントロールの尺度を、以前頼っており、それが束縛という重荷になっていた個人の経験知に頼ることとなります。個人の経験を完全な法則にまで引上げるには五劫とか十劫という永い永い時間をかけねばならない修業が必要だと仏教は説いています。この「選(え)る」、コントロールの厳密な法則を教える言霊の原理がここ二・三千年間隠されてしまっていた暗黒の世であったからであります。

言霊原理が甦(よみがえ)りました。明治天皇以来百年にわたる諸先輩の弛(たゆ)まぬ努力によって第十代崇神天皇以前に現実の政治の鏡であった言霊の原理が昔あったそのままの姿で復元されました。その結果、人間精神進化の自覚の第四段階である言霊エの次元の自覚が一言で「える」だと言うことの出来る時代が到来したのです。「選る」とは何を選ぶのか、が明白に示されました。それは精神的次元宇宙を表わす言霊母音ウオアエを刺激して、各次元からそれぞれ現象子音を生む原動力となる言霊イの働きであるチイキミシリヒニの八つの父韻の順序、配列を「選ぶ」のだ、と知ることが出来たのであります。この事を神道の予言は国常立命(くにとこたちのみこと)の復帰と言います。ここでは八父韻の母音ウオアエに働きかける配列を簡単に左に示します。

言霊母音ウ―キシチニヒミイリ

言霊母音オ―キチミヒシニイリ

言霊母音ア―チキリヒシニイミ

言霊母音エ―チキミヒリニイシ

言霊イ次元、「いる」

人間精神の進化自覚の最終段階は言霊イの次元であります。この次元から発現する人間性能は生命の創造意志です。創造意志という性能は現象として現われることはなく、第一に言霊ウオアエ四次元の宇宙を統轄し、第二に言霊イの働きである八つの父韻となって他の次元宇宙に働きかけて、これ等を刺激して四次元それぞれから現象子音を生み出す原動力となり、第三にそのようにして生み出した言霊四次元ウオアエから現出する現象に言霊原理に則り名前をつけるという三つの性能を持っています。また五十音言霊はこの次元に存在し、展開しています。宇宙間の現象は誠に千差万別、無数でありますが、その無数の現象をこの次元に視点をおいて見る時、このタッタ五十音の言霊によってすべてが表示されて、区別され、それぞれの現象の意味・内容が理解され得るのであります。それ故にこの世にあるすべてのものはこの言霊によって構成され、この言霊によらずにこの世にあるものは何一つありません。

言霊五十音は何時、何処で活動しているのでしょうか。それは常に「今・此処」(続日本紀で中今といいます)です。また言霊のことを一音で霊とも呼びました。その霊が活動することは霊駆(ひか)り、即ち光であります。人の生命(いの道[ち])はこの光即ち言霊の活動によっています。この事を新約聖書ヨハネ伝福音書冒頭の文章がいみじくも簡潔に伝えています。「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なり。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。」

以上、今まで人間精神の進化をその進化の段階の順序に従って説明し、段階それぞれに対応する人の心構え、「うる」「おる」「ある」「える」についてお話を進めて来ました。心の段階進化の自覚でありますから、人が自分自身の心を省(かえり)みることによって自覚されます。他人を見て自覚するのでなく、自分を見ることによる自覚です。その結果、言霊ウの次元に於ては、欲望の目標を手にすること、それを「うる」と言うことを知りました。言霊オの次元に於ては、自らの過去の魂の遍歴の過程を知り、その因果によって自分は今・此処に「おる」と自覚することでありました。言霊アの次元では、人は常に今・此処に有るが侭の姿でここに「ある」自分を知りました。言霊エの次元に於ては、勇気一番、今・此処にあることが出来る幸福の御恩報じとして、世の中の迷える人々との関わり合いの中に自分の一生を投じ、如何にせば人を救えるかの選択智、更には人類救済のための言霊原理の八父韻の配列を「選る」ことの中に生きようとすることを知りました。では進化の最終段階の自覚の心を示す「いる」とはどういうことなのでしょうか。

創造の神・言霊の神である伊耶那岐の大神は言霊の原理を完成し、その結論である天照大神、月読の命、須佐男の命(三貴子[みはしらのうずみこ])を生み、自らの神業をすべて成し遂げて、淡路の多賀におすまいになられた、と古事記にあります。この場面を日本書紀に見ることにしましょう。「伊弉諾尊、神功既に竟へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路(あわぢ)の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(かむこと)既に至りぬ。徳(いきほひ)亦大いなり。是に天に登りまして、報告(かへりごと)したまふ。仍ち日の少宮(わかみや)に留まり宅(す)みましぬ。」神功(かむこと)とは言霊原理の百神を生んだ仕事のこと。淡路の洲とは吾と我の間の交流によって生まれて来る言霊百神の原理を生み、その証明と自覚とをすべて成し終えて、それが言霊ス(洲・皇・静・巣)の姿に落ち着いた心であります。日の少宮とはアオウエイ五母音宇宙のこと。全ての現象はここより生じ、ここに帰って消える、日(霊)の湧く宮でもあります。伊弉諾尊はこの五母音宇宙の中に永遠に留まり宅んでいらっしゃいます(「古事記と言霊」284頁)。このすべてを知った上で言霊スの姿に落ち着いた姿で世界人類の動向を掌握して「今・此処」に粛然としていること、これを「いる」と言います。そしてひと度立ち上がれば、気である八父韻が活動を開始して、「いる」は「いきる」と変じ、父韻は母音宇宙に働きかけて現象子音の霊葉を生み、その「霊駆り」によって暗黒の森羅万象に光を与え、歴史創造という新生命の中に摂取して行く原動力となります。―真実の日本語の「いる」という言葉は日本語以外には見出すことが出来ません。因みに神代象形文字の「ゐ」は人が坐った姿()であります。

(終り)

「コトタマ学とは」 <第百九十ニ号>平成十六年六月号

日本人の先祖は遠い昔、人間の心と言葉の関係に注目して、その極めて合理的で精密な法則を発見し、布斗麻邇と呼びました。コトタマの原理のことです。この原理・法則は人間の心を解明し、説明することが出来る心のすべてです。「人間の心とは何ぞや」の問いに対する完璧な解答であります。

人間の心が五十個のコトタマによって構成されていると前に書きました。それなら心はその五十個のコトタマによって、どのように構成されているのでしょうか。心の中に五十個のコトタマが、ただバラバラに散らばっているわけではありません。心を構成している五十個のコトタマは、しっかりした構造を持ち、その構造のそれぞれ一定した動き方によって色々な心の現象を生んでいきます。

先ず物質の構造について考えてみましょう。物には形があります。色や堅さ、固体・液体・気体の区別があります。それら種々雑多のものを一つ一つ分析していき、物の本質とは何かを考えていくと物質の分子にまで到達します。その物(例えば石、水、木など)を構成している最終的な単位です。それ以上分析すれば、そのものでなくなってしまうものです。

物そのものでなくなってしまうことにかまわず、さらに分析していくとしましょう。するとその物の分子を構成している元素の原子が現われます。水の一分子は水素原子二個と酸素原子一個の結合で出来ています。現在、自然の状態で宇宙に存在する元素は九十数種、人為的に特殊な装置の下で発見された元素を加えると百数十種の元素があるということです。元素は物質の最終単位ということが出来ましょう。

科学はその元素の原子の内部にさらに研究のメスを進めました。そして物質というものを構成している先験的な内容―電子・原子核・陽子・中性子・その他種々の核子等を発見していったのです。これらは、物質的な現象を生ずる以前の先験的構造というものです。先験的な要素は、人間の感覚で直接に捉えることの出来ないものです。ただそれによって何か現象が起された時、初めてその存在が確かめられます。それに対して物質の元素の原子によって構成されたこの世に存在する種々の物は、後天的な存在ということが出来ます。五官感覚によって捉えられる存在です。

物質を構成している要素に先天と後天があるように、人間の心の要素にも先天と後天があります。頭の中で何か考えているけれど、それがまだ定まった形や内容となってこない間、これが先験的な部分です。古代の日本人の祖先は苦心の結果、この心の先験の構造を明らかにしました。それによると心の先天の部分は十七個のコトタマで構成されています。そして心の後天要素―何らかの心の現象として現われたものの要素としてのコトタマは三十三個であります。先天十七、後天三十三、合計五十個のコトタマが心のすべての要素です。

さて先天の要素である十七個のコトタマは、先天の内部でどのように活動するのでしょうか。またどのような動きをすれば、どのような後天の要素となって現象が生まれるのでしょうか。そのことについても日本人の祖先は、明らかな答えを出しているのです。それはまことに厳密な法則によって動き、この世の中に見るような様々な精神現象を現出しています。厳密な法則の下に活動しますので、ただ単にコトタマと言わず、「コトタマの原理」ということもあるわけです。その法則の厳密さは、原子物理学が原子核や電子の内容や要素をすべて解明しつくした時、その物質の先験的内容の法則とちょうど表裏として匹敵するような厳密さであるということが出来ます。その心の先天の内容や原理について、この後追々とお話をしていくことにしましょう。

(この項終り)

古事記「禊祓」について

最近「禊祓」を実践する心の運びについて説明を求められた時、今一つその説明にシックリしない処があることに気付いたので、考え直してみた。すると肝腎の処が抽象的説明で通ってしまっていることに気付きましたので、更めて「禊祓」の心の運びの一つ一つについて出来る限り具体的な例を挙げて解説することにしました。今号以下の会報はこれを主題とすることとしましょう。

古事記の禊祓の文章は次の様に始まります。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔(の)りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこめ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はわへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

ここを以ちて

伊耶那岐の命は自らの心の中で五十音言霊の整理・運用の方法を検討し、その結果として主体内のみではありますが、人間精神の最高・理想の心の持方である建御雷の男の神という精神構造を示す音図の作成に成功しました。その上でこの自らの心の中だけで自覚した精神構造が広く客観世界に適用しても通用するものか、どうかを確かめるべく妻神伊耶那美の命がいる黄泉国、即ち客観世界の探究を事とする外国に出掛けて行ったのであります。そこには客観的人類文化が建設初期で未完成な、しかも自己主張の騒がしい社会相が繰り広げられていました。その様を見た伊耶那岐の命は驚いて自らの主体的文化の確立している高天原へ逃げ帰って来ます。そして追いかけて来た妻神伊耶那美の命と、高天原と黄泉国との境に置かれた千引石(ちびきのいは)を間にして向き合い、離婚宣言をしたのであります。「ここを以ちて」とは、以上の事を受けて述べられたものです。

伊耶那岐の大神

一度黄泉国へ出て行き、今高天原に帰って来た伊耶那岐の命は、物事を自分の外に見る、即ち客観世界研究の黄泉国の乱雑で、自己主張の文化状況を見て、知ってしまいました。普通なら黄泉国に観光旅行をして来た如くに、「あんな国もあったな」という一つの記憶として残すだけで終ることでしょう。しかし、人類文明の創造神である伊耶那岐の命はそれでは済まされません。黄泉国の文化も、自らの責任である世界人類の文明の中に取り入れて、これを生かして行かねばなりません。どうしたらよいでしょうか。若し現代の政治家がこの責任を負わされたら、多分自分の裁量で外国の文化の気に入ったものを取り入れ、気に入らぬものを捨てて文明創造を進めることでしょう。けれど言霊の神、高天原の主宰神である伊耶那岐の命はそのような手段を用いませんでした。その創造の原理は伊耶那岐の命の心中に既に確乎とした基本原理が、主体性としてのみの原理ではありましたが、建御雷の男の神として証明、自覚されていました。ではそれはどんな方法だったのでしょうか。それは言霊原理の自覚者だけが成し得るユニークな、そして崇高な方法であったのです。

伊耶那岐の命は黄泉国へ行き、その客観研究とその態度を明らかに見て、その実相を知ってしまった人としての自分、しかも、それを材料として摂取し、それに新しい生命を与えて、人類全体の文明創造に取り入れて行く責任を負うた自分を、自らの行為の出発点としたのです。このような伊耶那岐の命の心構えを主体の中に客体を取り込んだ主体と説明するのであります。そして黄泉国に出掛けて行き、その客観的に物事を研究する有様を見聞きし、高天原に逃げ帰るまでの姿を伊耶那岐の命と呼び、高天原に帰り、本来の主体性の真理の領域の主宰神であり、更に自らが体験した客体性の領域の文化を摂取し、これに新しい生命(光)を吹き込み、人類文明創造に役立つ糧と変えて行く責任を負う立場に立った伊耶那岐の命を伊耶那岐の大神と呼ぶのであります。伊耶那岐の命が主宰する高天原精神世界も、伊耶那美の命の主宰である黄泉国客観的物質世界も、元はただ一つの生命宇宙であります。それに人間の思考が加わる瞬間、主体的宇宙(言霊ア)と客体的宇宙(言霊ワ)に分かれます。分かれるから分ります。分かれなければ、それが何であるか永遠に分りません。これが人間思考の宿命と申せましょう。主体(言霊ア)と客体(言霊ワ)に分かれた生命宇宙が、再び人間の観想の下に一つに統合する立場に帰る唯一つの道、それが禊祓の行為なのだということが出来ます。

吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり。かれ吾は御身の祓せむ。

現在の常識で解釈すれば、「私は大変穢(きたな)い汚れた国から帰って来ました。だから自分の身を浄めましょう」となります。この解釈から現代の神社神道の水を浴びたり、滝に当ったりして自分の罪穢を払う所謂「身禊(みそ)ぎ」の行為となります。古事記の撰者太安万侶は、察する所、多分後世に於てはこの様に解釈されるであろう事を見越して、わざとこの様な文章にしたのでしょう。そうなることが、言霊の原理がこの世に甦(よみがえ)る時までは、古事記の真意を隠すに都合がよいと思ったに違いありません。けれど、それはその裏に秘められた「言霊原理の教科書としての古事記の神話」の真意ではありません。古事記の禊祓とは、高天原日本の天皇(スメラミコト)が言霊原理に則(のっと)り、外国所産の文化を摂取し、これに新しい息吹を与えて人類文明創造の糧に取り込んで行く聖なる政治の手法なのであります。個人救済の宗教的行事では決してない事を知らねばなりません。

そこで伊耶那岐の大神の禊祓が「かれ吾は御身の祓せむ」と始まることとなります。御身とは単に伊耶那岐の大神の身体というのではなく、主体的精神原理の自覚者が、客体的・物質的世界の様相を現実に見て、体験してしまった自分、その自分が既に知ってしまったという状況を出発点として、知ってしまったものを如何にしたら人類の新しい文明創造の糧として生かして行くことが出来るか、の問題を抱えた自分の身体、という意味であります。伊耶那岐の大神は、かかる自らの身体を変革して人類文明創造の確実な手法を完成・自覚しようとして、禊祓の実行に入って行く事となります。

竺紫の日向の 橘 の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原と長い地名が登場しますが、地球上の場所の名前なのではありません。この長い名前を解釈しますと、人間精神の一つの次元の構造を示す音図の事であり、精神上の場所の意となります。この事は「古事記と言霊」の禊祓の章で詳しく説明しましたので、ここでは説明を省き、ただその地名が天津菅麻音図という伊耶那岐の命の本来の音図であることを確認するに留めます。

天津菅麻という五十音図表は人がこの世に生まれて来た時に既に授かっている大自然人間が持つ心の構造です。生まれたばかりの赤ちゃんの心の構造です。伊耶那岐の大神はこの本来の自分の心構えに立ち帰り、それを禊祓の行の基盤としたのであります。どういう事かと申しますと、禊祓を始めるに当り、伊耶那岐の大神は自分自身は何の先入観のない、大自然の心に立ち帰り、その上で禊祓の行が進むに従って自分がどの様に変貌して行くか、を見定めようとしたわけであります。そして行を始めるに当り、種々の準備に入ります。古事記の次の文章に進みます。

かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神。次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

禊祓の行をするには、その行の指針となり、鏡となるものが必要です。それを杖と言います。判断の基準です。ここでは勿論、伊耶那岐の命が先に自らの主観内に完成した最高の規範である建御雷の男の神の音図のことです。伊耶那岐の命は自らの主観内真理として自覚したこの音図を、実際に黄泉国の文化に適用しても誤りないか、どうかを確かめ、自らの主観内真理が、主観内と同時に客観的に、即ち絶対の真理として通用するかを確かめるために黄泉国に出掛け、また禊祓の行を遂行したのです。その打ち立てた大指針としての建御雷の男の神の五十音図を衝立つ(斎き立つ)船戸の神といいます。

次に伊耶那岐の大神は、摂取する黄泉国の文化の実相を見極めるために、五つの観点を準備します。道の長乳歯の神(物事の連続性・関連性を調べる基準)、時置師の神(物事の五十音図に於ける時処位を量る基準)、煩累の大人の神(物事のどちらともとれる曖昧さをなくし、はっきりさせる基準)、道俣の神(物事の区分けをする明らかな分岐点を見つける基準)、飽昨の大人の神(物事の道理を明らかに組んで行く為の基準)の五観点の設定であります。この五つの観点からの観察によって、摂取する黄泉国の文化、産物の実相を明らかに見定めることが可能となります。以上のように、先ず禊祓の行の方針を打ち立て、更に摂取する外国文化の実相を見極める基準を定めて、禊祓の準備は終り、いよいよその実行に入って行くこととなります。

古事記の文章を先へ進めます。

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古の神。次に辺津甲斐弁羅の神。

禊祓の実践がこの文章から徐々に動き出します。古事記の文章の謎解きは「古事記と言霊」の中で詳説されておりますので、ここでは省きます。左の手の手纏(たまき)とは菅麻音図の向って右の五母音アオウエイになります。反対に右の手の手纏とは、音図の向って左の五半母音の並び、ワヲウヱヰとなります。物事の動きは母音に始まり、八つの父韻で示される経過を経て、半母音で終熄します。奥(おき)は起で、陽性音で、初めの事。辺(へ)は山の辺の言葉が示す如く、陰性音で、終りのことです。そこで奥疎(おきさかる)とは疎るが遠ざけるの意でありますので、初めの方に遠ざけるという意味になります。反対の辺疎(へさかる)は終りの方へ遠ざけるの意味です。とすると、奥疎、辺疎とは実際にはどういう事をするのでしょうか。

先に述べましたように、禊祓は「黄泉国の文化を知ってしまった伊耶那岐の命」から始まるという事でした。これを更に解説しましょう。伊耶那岐の命は黄泉国へ出掛けて、そこで物事を客観的に探究する方法とその成果、またそれを真理と主張する有様を目の当たりにして、その上で高天原に帰りました。そこで黄泉国の文化を摂取して、人類全体の文明を創造して行く究極の方法の完成に取り掛かります。その理想の方法とは、黄泉国で行われている如き、自分自身の外に他の文化を客観的に見るのでなく、それを見、また体験して来た自分自身として見る事でした。即ち主体が客体を取り込んだ主体を見ることから始める、という方法であります。それはまた普遍的な愛(アガぺ)の心に基づいて他者のことをあたかも自分自身のことの如く思う者の態度・方法と言うことが出来るのでありましょう。この立場から奥疎、辺疎を説明することとしましょう。

伊耶那岐の命は高天原から黄泉国へ出掛けて行き、その客観的文化を体験し、高天原に帰って来ました。そして伊耶那岐の大神として、体験して来た外国の文化も自分の責任に於て摂取して行こうとします。禊祓の開始です。この開始の時には、摂取しようとする他の文化は、自分の心中にあっても、今までの伊耶那岐の命の心には初めて出合った、何か違和感のあるものと思われるでありましょう。禊祓はそのような違和感を感じている自らの状態から始めることとなります。禊祓の指針として衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)を掲げ、道の長乳歯の神以下五神の観点から他文化の実相を把握して、これから禊祓を始める出発点に立った時の伊耶那岐の大神自身の心の状況の確認、これが奥疎の神であります。禊祓開始の時のわが身の状況の確認がその後の作業を正確に、また 滞 りなく進める必要欠く可からざる条件であります。

奥疎・辺疎を初めとして禊祓に登場する神々の名前はすべて伊耶那岐の大神、即ち「禊祓とは」とお考えになる読者御自身の心の中の出来事でありますので、御自身が禊祓の当事者になられたつもりで御自分の心を見詰めて頂きたいと思います。

次に奥津那芸佐毘古の神、辺奥津那芸佐毘古の神の説明に入ります。

神名の文字を解釈しますと、出発点の実相から結論に向う(奥津)すべての(那)芸(芸[わざ])を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります。また結果(辺)へ渡す(津)すべての(那)芸(芸)を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります。伊耶那岐の大神は黄泉国の文化を世界文明創造の糧として取り込み、その実相を見極め、そうした自分を変貌させて文明創造にまで行き着かねばなりません。この時、出発点として他文化を抱え込んだ自分を変貌させて行くすべての方法(芸)を助(佐)ける力が必要です。自分を変革して行く原動力となるものが必要となります。出発点の自分を動かす原動力となる力、これが奥津那芸佐毘古の神であります。またこの自己変貌は結果として文明創造のイメージを実現させるものであるべきです。これを辺津那芸佐毘古の神と言います。

次に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神に移りましょう。

先ず文字の解釈をしましょう。奥津は始めの状態から出発して結果に向って渡して行く、の意です。辺津は結果として完成するよう渡して行く、となります。甲斐といえば、今の山梨県を指す昔の地名です。けれど此処では単に山と山との間を指す峡の意であります。弁羅は何とも分らぬ漢字が当てられているので戸惑いますが、真意は「減らす」の意。何を減らすかといいますと、禊祓の出発点となった、異文化を体験した伊耶那岐の大神の禊祓を始める出発点の状態(奥疎)から禊祓の完成する結果に向って動き出すすべての芸を助けて行く力となる言葉(奥津那芸佐毘古)と、結果として完成させる芸のすべてを助ける力の言葉(辺津那芸佐毘古)との間を減らして、双方を一つの言葉としてまとめる働きのことであります。始まりの状態を変革して行く働き(奥津那芸佐毘古)と、結果として完成させる働きとが、その両者の相違する間が減らされ、取り除かれて一つの言葉にまとまる事が出来るならば、禊祓の行は成功間違いなしとなります。一連の言葉によって始めを動かし、終りにまで導いて行く力を持っているならば、事は自ら成立するでありましょう。ではそのような言葉とは如何なる言葉であるべきなのでしょうか。

何度も繰返しますが、伊耶那岐の大神は、その前に黄泉国へ行き、その客観世界を探究する文化とその態度を体験し、高天原に帰って来ました。そこで黄泉国での体験の記憶を我が身の内のものとの責任感から禊祓を始めました。目指すは人類文明創造です。こうお話しますと、お分り頂けるでありましょうが、始まりは大神の黄泉国に関する記憶です。これは過去の記憶として言霊オに属します。そして大神はその黄泉国の文化を摂取して、人類文明創造の糧として新しい役割を与えようとする作業に入ります。これは将来の文明創造であり、将来のものとして言霊エに属します。過去のすべてを自らの内に受け留め、これを土台として将来を創造する原動力、それは今・此処の生命意志即ち言霊原理に基づいた言葉(光の言葉、霊葉[ひば])でなければならない筈です。

以上、禊祓の奥疎、奥津那芸佐毘古、奥津甲斐弁羅、辺疎、辺津那芸佐毘古、辺津甲斐弁羅の六神について説明をしました。この六神が伊耶那岐の大神の御身(おほみま)の祓(はらへ)による人類文明創造、即ち禊祓という作業を人間精神内の心理の経緯として説明したものである、ということを御理解頂けたのではないでしょうか。そして古事記は伊耶那岐の大神の心理の経緯として画き出した禊祓の行法を、次に人間精神内の言霊の動きとして解説し、言霊学という、主観的真理であると同時に客観的真理でもあるもの、即ち何時、如何なる事に適用しても決して誤ることのない絶対的真理の證明と確認を完成させる章に入って行く事になります。

古事記の禊祓を以上にようにお話いたしますと、撰者太安万侶は禊祓の行を三部作として説いた事が分って来ます。第一章は、伊耶那岐の命が心中に於て建御雷の男の神という主観内真理を確立し、この客観的證明を求めて高天原から黄泉国へ行き、その物事を客観的に見る文化を体験し、高天原に逃げ帰るまでであります。帰る途中、伊耶那岐の命は十拳の剣を「尻手に振って」います。黄泉国の文化を帰納的に高天原の原理に照らし合わせる作業はここに始まっていることが分ります。禊祓の第一章は高天原の伊耶那岐の命、黄泉国の伊耶那美の命の二大文化圏の交渉物語として説かれます。

第二章は伊耶那岐の大神に始まり、辺津甲斐弁羅の神に終る禊祓の人間精神内の心理の経過を綴る物語であります。この第二章に於て太安万侶は禊祓の大法を説くための準備となる人間の心理状況を必要にして充分に展開、説明します。その簡潔にして細やかな心遣いが汲み取れる見事な章であります。

第三章は禊祓の本番の章です。第一、第二の章の状況を土台として、禊祓を百パーセント言霊五十音の動きとして捉え、心の隅々まで残す事なく言霊を以て解明し、一点の疑義のない言霊学の総結論に導く章であります。太安万侶が千三百年後の日本人に、自らの心のルーツを思い起こさずには置かず、と遺した乾坤一擲の大筆業でもあります。

(次号に続く)

コトタマ学とは」 <第百九十三号>平成十六年七月号

五十音図とその区分

人間の心が五十個のコ トタマから成り立っていることを発見した日本人の祖先は、その五十個のコトタマを合理的に並べて人間の心を表わそうと工夫しました。そして平面的な五十音 図を作ったのです。現在、私たちが小学校で教えられるアイウエオ五十音図もその一つであります。実はこのアイウエオ五十音図のほかに、四通りの五十音図が 考案されました。そのそれぞれは、人が持つ心の持ち方によって並べ方が違うものでした。それらがどう違うのかは、後ほど詳しく説明することにします。

五十音図を見 てください。それは五十個の音をただ漫然と並べたのではなく、きっちりとした規則があります。まず音図に向かって右の行は上からアイウエオと母音が五個並 びます。向かって左の行にワヰウヱヲと半母音が五個並びます。そして母音と半母音の行の間に、一番上のアの段でいうと、右から左にカサタナハマヤラと八個 の音が横に並んでいます。

今、説明しやすくす るために、この八音をローマ字で書いてみましょう。KASATANAHAMAYARAとなります。するとこの八音のどの音にもAが付いていることが分かり ます。二段目のイ段はKISITINIHIMIYIRIで八音全部にIが付いているのが分かります。そうしますと、母音の先にKSTNHMYRがそれぞれ 付いて、母音と半母音以外の四十音を作っていることになります。この母音の先に付いて母音・半母音以外の音を作るKSTNHMYRの八個を八つの父韻と呼 びます。

ローマ字を使っ たのは説明しやすくするためであり、実際は日本人の祖先が父韻と呼んだのはKSTNHMYRではなく、キシチニヒミイリのイ段の八音でありました。キにア が付いてカとなり、シにエが付いてセとなる……、と考えたのです。キシチニヒミイリの八音を父韻と呼びますと、五十音の中から母音五個・半母音五個、さら に父韻八個を除きますと三十二個の音が残ります。この三十二個の音を子音と呼びます。

つまり五十音図 は、五個の母音、五個の半母音、八個の父韻、三十二個の子音から構成されていることになります。

さて以上で五十 音図の区分は終りました。そしてこの五十音はただの五十音ではなく、五十個のコトタマであります。人間の心はこの五十個のコトタマで出来ているのですか ら、私達の祖先が五十音図を母音・半母音・父韻・子音と区分を定めたのは、人間の心が同様に区分されたコトタマによって構成されているということになりま す。そうです。人の心はそれぞれ全く性質の異なった五母音・五半母音・八父韻・三十二子音によって構成されているのです。

それなら母音・半母 音・父韻・子音とはそれぞれ人間の心のどの部分に当たり、どんな内容を持ち、どんな働きをしているのでしょうか。五十音の区分は人間の心の区分でもありま す。そのそれぞれの区分を明らかにすることでコトタマの正体を説明していくことにしましょう。

[注]母音のウと半 母音のウは同じです。五十音図の場合、母音・半母音のウは重複し、半母音のウがンに転化して神代文字となったもので、全部で五十音となります。

(この項終り)

禊 祓について

先月号の会報の終りに古事記神話に示さ れる禊祓の行法が三つの段階で書かれていると申し上げました。第一段階は伊耶那岐の命と伊耶那美の命との交渉による黄泉(よもつ)国物語であり、第二段階 は黄泉国より高天原に帰還した伊耶那岐の命が、黄泉国に於ける体験を踏まえて、「我即人類、人類即我」の立場、言い換えますと、高天原も我、黄泉国も我が 責任という精神的立場である伊耶那岐の大神となって、黄泉国で生産される客観的文化を摂取し、これに新しい生命の息吹を与えて世界文明を創造して行く瞬間 々々の伊耶那岐の大神の心理の過程を明らかにした心理学的な文章であります。

以上の第一段階の伊耶那岐の命の黄泉国 の体験、第二段階の伊耶那岐の大神となって黄泉国の文化を取入れ、世界文明創造を行う大神の心理過程が、果たして確実に世界文明創造を可能にするか、を大 神の心を構成する五十音言霊図上の動きとして検証するという禊祓の最終段階が始まる事となります。この検証が成功するならば、日本語の語源であるアイウエ オ五十音言霊布斗麻邇の原理が地球人類の文明創造を可能にする必要にして充分な真理であり、人類唯一の精神秘宝であることが証明されるのであります。

文章が少々堅くなったようです。これも 言霊学の総結論の徹底解明を目指す私の意気込みと緊張のためでありましょうか。先にお話しました「我即人類、人類即我」などと言いますと、ともすると「人 類はわが所有(もの)であり、我は人類を思いの侭にする」という傲慢な専制主義者の言葉と思われるかも知れません。けれど古事記の神話を教科書とする言霊 学の全編をお読み下さるならば、この「我即人類、人類即我」という言葉が傲慢とは正反対な、謙虚さと愛と、人間生命の根本構造に根差した真理の言葉である ことに気付かれるでありましょう。以上、前置きはこの位にして、古事記「禊祓」の真意義の解明に入ることといたします。

伊耶那岐の命は自分の心を内省すること によって人間精神の最高の構造を発見しました。これを建御雷の男の神といいます。そしてこの自覚した主観内真理が、客観世界の文化を摂取して人類文明を創 造して行く上でも通用するものか、どうかを確かめるために黄泉国へ出掛けて行き、その物事を自分の外に見る客観世界の実状を体験して、高天原に帰って来ま した。そこで伊耶那岐の命は自らの主観内真理を指針として黄泉国の客観的文化を摂取し、その内容を取捨することなく生かして、人類文明を創造することが可 能であるか、どうかの検証に入ることとなります。この場合、自己内に主観的真理である建御雷の男の神を確立し、その上で黄泉国に出掛けて行って、その客観 的文化を体験し、高天原に帰還するまでが伊耶那岐の命であり、高天原に帰って、自らの主観内真理の他に黄泉国の文化を知ってしまった伊耶那 岐の命(自分自体)を出発点として、人類文明創造に取り掛かる伊耶那岐の命が伊耶那岐の大神と呼ばれるのであります。

古事記の最終結論に導く行法の検証を始 めるに当たり、その出発点の状況をもう一度確かめておく事にします。古事記は禊祓の開始に当たり「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊祓へた まひき」とありますから、伊耶那岐の大神は神自らの音図である天津菅麻音図の心になって臨まれた事となります。即ち何らの先入観のない白紙の心でありま す。そして禊祓実行の指針として自らの主観内に自覚した最高の心構えである建御雷の男の神を斎き立てました(衝立つ船戸の神)。更に大神は自らが黄泉国に 於て見聞・体験した諸文化の真相・実相の把握に必要な五つの観点(道の長乳歯の神以下飽咋の大人の神までの五神)を設定しました。かくして禊祓実行の方針 と摂取した外国文化の実相の把握とを確実にした上で、その自らの状態を出発点として禊祓に入って行くのであります。

禊祓の実践に入り先ず初めにした事は、先入観のない心が外国の文化を見 聞・体験した時、自分の心はどの様な状態になったか、を明らかに知ることであります(奥疎の神)。すると自らの心に斎き立てた衝立つ船戸の神という指針は 明らかに禊祓の行法を経て最終的に如何なる結果となって収拾されるか、が定まります。「結果はこうなるな」という予測が行われます(辺疎の神)。次に考え られるのは、最初の状況から出発して結果の方向へ事態を変えて行くために必要な手立ては何か(奥津那芸佐毘古の神)です。と同時に考えられるのは、予測さ れた結果を招来するための手段(辺津那芸佐毘古の神)です。次に考えるべきは最初の状況を動かし(奥津那芸佐毘古の神)、結果に導く(辺津那芸佐毘古の 神)二つの手段は実際には一つの言葉として働くこととなります。そのためには双方の手段は別々のものでなく、一つの言葉にまとめられなければなりません (奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神)。以上の六神で示される伊耶那岐の大神の心中の成り行き(経過)を確実に進行させる原動力となる言葉とは如何なる ものか。外国の文化を体験・摂取して、伊耶那岐の大神自身が変身して新しい文明創造の主宰神となるための必要にして充分な原動力とは如何なるものか。この 問題が今回の会報の主題となるわけであります。

古事記の新しい文章に入ります。

ここに詔りたまは く、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日 (やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。

この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

この文章以後の古事記はすべて伊耶那岐の大神の行動を五十音言霊図またはその言霊図内の言霊の動きによって表現していることを念頭においてお読み下さ い。今まで全く知らなかった黄泉国の文化とその様相を体験してしまいました。この自分は、自分本来の菅麻(すがそ)音図を行動の舞台として、衝立つ船戸の 神という指針を掲げ、どう変身を遂げれば黄泉国の文化の実相を損(そこ)なうことなく人類文明の中に取り入れることが出来るか、の検証に入りました。

「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」

伊耶那岐の大神は自らの心の変転を自らの音図(菅麻)のどの次元で検証したらよいか、を先ず考えました。菅麻音図の母音は上よりアオウエイと並びます。 人間の心の動きはアよりワ、オよりヲ、……と母音より半母音に向う川の瀬の如く変化します。上つ瀬とはアよりワに流れる感情次元の動きのことです。この感 情次元の心の流れの上で自らの変身を考えることは変化がありすぎて適当ではない。人類文明創造は高度の政治活動であり、これを感情次元で取扱ってはいけな い、という事です。では下つ瀬ではどうか。下つ瀬はイよりヰに流れる意志の次元です。言霊が存在する次元です。「下つ瀬は弱し」、言霊原理そのものを論議 していては何時まで経っても事態は変わって行かない。このイ次元も文明創造を考えるのに実際的でない、不適当である、ということになります。そこで――

初めて中つ瀬に堕り潜きて滌ぎたまふ時に、

菅麻音図の母音の並びはアオウエイでありますから、その上つ瀬のア―ワ、下つ瀬のイ―ヰを除くオウエ、即ちオ―ヲ、ウ―ウ、エ―ヱの瀬が中つ瀬というこ とになります。この中つ瀬に入って禊祓の検証を推進しようとしますと、いろいろな事が分かって来たのであります。先ず分かったのは――

八十禍津日の神、次に大禍津日の神。

禊祓に於て「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と不適当と否定された母音アとイの禊祓に於ける功と罪であります。母音アの瀬の功罪の判明を八十禍津日の神 といい、イの瀬の功罪の判明を大禍津日の神といいます。二つの禍津日の神の意味は「古事記と言霊」の中で詳しく解説してありますので、ここでは簡単に説明 しましょう。八十禍津日の神の八十(やそ)とは八十ということ。菅麻音図を上下にとった百音図から図の如く向って右側の母音十個と左側の半母音十個を除い た八十個の言霊は現象に関する音であります。この八十個の言霊の中で、上の五段に対応して下の五段にも同じ言霊が並びます。二つずつ同じ言霊がありますか ら、本来同じ現象内容を示す筈です。ところが上と下とではその現象の意味がまるで違って来るという事になります。同じ言霊で示される現象だからそんな事は 有り得ないと思われるでしょうが、実際にはそうではないのです。身近なところで母親が幼い子を叱(しか)るという行為をとってみましても、母親の方に純粋 な愛、人格と言ったものの自覚の有無によってその叱り方に雲泥の相違が出来ることです。まして図の如く、上段は言霊の自覚者、下段は無自覚者と区別します と、一見同じに見える行為・現象がその内容、効果、影響等に大きな相違が出る事が分かって来ます。また言霊アの次元の自覚に立つと、いろいろな現象の実相 がよく見えても来るのです。

以上のような次元の自覚の有無、実相自 覚の有無は物事を観察する上で重要な事であり、禊祓の行為の前提としては欠かせない必要な事です。これはア次元の観察の功であります。けれど実相を見分け ただけでは、すべてのものを摂取して、それを材料として生かし、文明創造に資する事にはなりません。これが罪となります。この功罪を見分ける事が出来た事 を八十禍津日の神といいます。

大禍津日の神とは言霊イの次元、即ち言 霊原理そのもので禊祓をしようとする時の功罪が分かったことであります。言霊原理の存在がなければ、禊祓そのものが成立しません。けれど言霊原理を説いて も禊祓は何の進展もありません。この言霊イ次元の禊祓に於ける功罪の認識を大禍津日の神と申します。八十禍津日、大禍津日二神についての詳細は「古事記と 言霊」を参照して下さい。

この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢により て成りませる神なり。

伊耶那岐の命が黄泉国に出掛ける以前には、高天原に於て何事が起っても、その物事の実相を言霊ア次元に於て見て、それをどう処理すべきかを言霊イ次元の 言霊原理に照らして見るならば、自づと定まったのでした。しかし体験の対象が黄泉国の汚垢(気枯れ)た文化ではそう簡単には行きません。八十禍津日の神の 説明でお話しましたように、五十音図を上下にとった下段の五十音図から上段の五十音図に引上げなければなりません。そのためにはイ段の言霊原理は禊祓の根 本原理としながらも、それを表面には出さず(大禍津日)、また摂取すべき黄泉国の文化の実相を見ながらも、これをまた表面に出す事は差し控え(八十禍津 日)、文明創造の根幹である中つ瀬の言霊オウエの瀬に於て、言霊原理に基づいた光の言葉(霊葉=ひば)、黄泉国の文化をその実相を損なうことなく闇の世界 から高天原の光明世界に引上げることが出来る新しい息吹の言葉を創造の原動力としなければならないのだ、と気付いたのでした。この事は伊耶那岐の命が高天 原の文化とは全く異質の黄泉国の穢ない文化を体験したお陰の出来事であります。

次にその禍を直さむとして、成りませる神の名は、神直毘の 神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

八十禍津日に見られるように、黄泉国の文化の実相を見極め、これを前面に公表すれば、その客観的な実相を対象として捉え、その改革によって人類文明に取 り入れようとすることになります。これでは黄泉国の文化をその有りの侭に摂取することにはなりません。また黄泉国の文化に言霊イ次元の言霊原理を当てはめ て改革しようとしても、一方は主体文化、他方は客体文化という異質の文化でありますから、簡単にそれが通るものではありません。大禍津日に見られるように その方法で禊祓するのは到底無理であることは既にわかっています。とするならば禊祓の本来の方法、即ち伊耶那岐の命が先に主体内に確立した建御雷の男の神 の原理を指針として、黄泉国の文化を体験してしまった伊耶那岐の大神自身が奥疎から辺疎に変身することによって新人類文明創造を行う立場に帰らねばなりま せん。それを可能にするには、先に述べました奥(辺)津那芸佐毘古の神、奥(辺)津甲斐弁羅の神の働きを満足させる原動力となる言葉が必要です。そしてそ の言葉は八十禍津日の神の説明に見られるように、百音図の下の五段にある実相音を無条件で上の五段の高天原の世界に引上げる働きが備わっている言葉である べきです。更にその言葉は、黄泉国の文化を体験し、知ってしまったという過去の事実を今・此処(中今)に於てしっかりと受け止め、それにただ流されること なく、新しい生命の息吹を与えて将来の創造行為に展開して行くことを可能とする言葉でなくてもならないのです。この条件を満たす言葉とは、一口に言えば、 常に今・此処に展開して将来を創造する言霊とその原理に根差した光の言葉でありましょう。伊耶那岐の大神はその様な言葉を発見するべく、自らの心の瀬の言 霊オウエの三つの瀬である中つ瀬に堕り潜いて行くこととなります。かかる言葉を言霊オ―ヲの流れに求めて発見する光の言葉を神直毘の神といい、言霊ウ―ウ の流れに入って求めた光の言葉を大直毘の神と呼び、言霊エ―ヱの流れの中で発見した光の言葉を伊豆能売というのであります。

神直毘とは、言霊オ次元に属する黄泉国 の学問のすべてを人類全体の学問として引上げることが出来る光の言葉の働きといった意味であります。大直毘とは言霊ウの次元に属する黄泉国の産業・経済の 産物を人類全体の産業・経済ルートに乗せ得る霊葉(ひば)の働きの意です。そして伊豆能売(いづのめ)とは御稜威(みいず)の眼(め)の意であり、言霊エ の次元にあって発揮される言霊原理の最高の光の言葉であり、人類が永遠に生きて理想の文明を築くための眼目となる働きという事であります。

次に水底に滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津 綿津見の神。次に底筒の男の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、 上津綿津見の神。次に上筒の男の命。

八十禍津日、大禍津日に於て、黄泉国の文化を世界人類全体の文明に摂取するには、黄泉国の文化を対象として考えて、いじくりまわすのではなく、光の言葉 によってその文化を闇から光の世界へ引上げるのが適当だと分り、その実際の方法を求めて中つ瀬に入っていきました。そして中つ瀬のオウエのそれぞれの心の 流れの中で、光の言葉、言霊原理に根差した霊葉の働きを検討して神直毘(オ)、大神直毘(ウ)、伊豆能売(エ)が効果があることを知ったのであります。そ してその効果が実際にどの様に現象として言霊に裏打ちされるか、の検討に入って行きます。

伊耶那岐の大神が禊祓の舞台としている 天津菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。その中の上つ瀬のアと下つ瀬のイは禊祓の舞台としては適当でないことを知り、中間の中つ瀬に入りまし た。中つ瀬は言霊母音オウエの三本の流れです。今度はその三本を区別するために、中つ瀬の水底、中、水の上の言葉を使っております。水底はエ、中はウ、水 の上はオの心の流れであります。

次に水底に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の 神。次に底筒の男の命。

中つ瀬の水底である言霊母音エの流れに於て伊豆能売という光の言葉の原動力を発現しますと、黄泉国の文化並びに社会全体が見事に高天原の光の社会に引上 げられ、摂取・融合されて行くことが確認されました。この確認・証明を底津綿津見の神と申します。そして摂取・融合の過程が明らかに現象子音によって確認 されました。言霊エ・テケメヘレネエセ・ヱのエよりヱに渡す八子音であります。現象子音によって確認されたということは万人等しく認める形 で検証されるということであります。この高天原文明への引上げの過程の八子音の連続の並びは、あたかも一本の筒(チャンネル)の形をしていますので、底筒 の男の命と名付けられました。また名の終りに「男」の一字が附せられたのは、この子音の列の確認が禊祓を実行する人の生きた心の中今に於て行われることを 示すためであります。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次 に中筒の男の命。

中つ瀬の水の中は言霊ウ段です。この次元に於て大直毘の神という光の言葉の原動力が働くと黄泉国の産業・経済の領域のすべてが高天原の人類文明にそのま まの姿で引上げられることが可能である、の確認を得たのでした。この確認を中津綿津見の神と申します。またその光の世界へ引上げられる過程の現象が言霊子 音でウ・ツクムフルヌユス・ウとなることが分ったのであります。この言霊八子音による確認を中筒の男の命と申します。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の 神。次に上筒の男の命。

中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この次元に於て神直毘の神という光の言葉が働きますと、黄泉国の客観的学問とその文化のすべては世界人類の光明の文明の 中に摂取されることが確認されます。この確認を上津綿津見の神といいます。また摂取されて世界文明の一翼を担うようになるまでの経過が言霊子音によって オ・トコモホロノヨソ・ヲの八音で示されることが確認出来たのでした。この黄泉国の文化を高天原の人類文明に引上げる経過の八子音による確 認を上筒の男の命といいます。

以上、八十禍津日の神より上筒の男の命 まで十一神の解説をして来ました。御理解を頂けたでありましょうか。禊祓の法が三柱の綿津見の神によって黄泉国の文化が高天原の人類文明に摂取されて行く ことの可能性が検証され、その摂取の経過が現象八子音のチャンネルとして裏付けられました。かくお話しますと、読者の皆様には、裏付けの三連の八子音、テ ケメヘレネエセ(エ段)、ツクムフルヌユス(ウ段)、トコモホロノヨソ(オ段)の配列であることが今始めて発見・確 認されたように思われるかも知れません。けれど正確に申しますとそうではありません。そこが古事記神話の撰者太安万呂の文章の巧妙なところだと言えるかも 知れません。伊耶那岐の命はとっくの昔に「そうであろう」事を知っていたのです。伊耶那岐の命は自分一人で、主観内真理である建御雷の男の神を人間精神の 最高の心構えとして確立し、その時既に新生の文化の摂取がこの八つの子音の経過を以って実行可能であろうことを自覚していたのです。であるからこそ、伊耶 那岐の大神となって黄泉国の文化の禊祓をするに当り、その行法の指針として自らの主観内真理である建御雷の男の神なる原理を衝立つ船戸の神として斎き立て たのです。その結果、黄泉国という初対面の文化の摂取にも予想と同様の子音の配列が示す結果を得たことにより、主観内真理である建御雷の男の神なる原理 が、何時、何処に於ても、また如何なる文化に対しても適用して誤りのない、主観的と同時に客観的な、即ち絶対的真理であることの検証が成就したのでありま す。

底津・中津・上津綿津見の三神と底・ 中・上筒の男の三命によって禊祓の行為が人類文明創造の絶対真理であることが証明されましたので、古事記の神話は一気にその総結論である天照大神、月読の 命、速須佐男の命の三貴子(みはしらのうずみこ)の誕生に入ることになるのですが、実際には古事記はその間に一見なくてもよい様な挿話を文庫本で三行程入 れてあるのです。この挿話がスメラミコトの人類文明創造に当たって重要な意味を持っているのですが、その解説と三貴子誕生の話は次の機会に譲ることといた します。

(次号に続 く)

「コトタマ学とは」 <第百九十四号>平成十六年八月号

心の構造

人間の心が五つの母 音・五つの半母音・八個の父韻・三十二個の子音から構成されているということが分りました。それなら母音や半母音・父韻・子音などは、それぞれどんな性質 や内容・働きを持っているものなのでしょうか。これから一つ一つ考えていくことにしましょう。それによって人間の心がどんな仕組みで出来ていて、またどん な活動をしているかが分ってきます。大方の人があまりやったことのない、心の中の探検を始めることにしましょう。

母音

まず母音から始める ことにします。

秋か冬のよく晴れた日、ビルの屋上に上がって仰向けになって空を見上げた経験をお持ちでしょうか。お持ちでない方は想像してみて下さい。仰ぎ見た空は一 点の雲もないので、眼に入るのはただ一面の澄んだ青い空だけです。じっと見つめていると、その澄んだ測り知れぬ広さと大きさに畏怖の念を覚えます。それで もひるまないでじっと見つめていると、すーっと自我の意識が消えてしまう時があります。

人は自分以外のもの を見たり感じたりすることによって、それを見ている自分の存在を意識するものです。澄んだ青一色の空を見つめて他を感じる何物もない時、自我の意識は次第 に消えていきます。ただ自我意識が消えるだけでなく、その内に自分がだんだん大空の方に持ち上げられ、吸い込まれていく感じになります。まるで宇宙と同化 して一体となってしまうような感じです。

この感じは、一 見、極めて特殊な場合の体験のように思えますが、考えてみると決してそうではないことに気付くのです。人間は母親の腹から生まれてきます。それは同時に、 この宇宙から宇宙の中へ姿を現わしたことでもあるのです。人間の肉体という現象は、宇宙の中から生まれ出た宇宙の現象でもあります。自我意識の強い現代人 は、特に宇宙を自我の外にのみ考えて、自分自身が宇宙そのものの現象であることを忘れがちです。自分に起る出来事は自分の事件であると同時に、それは宇宙 の出来事でもあるわけです。

以上のことを心 に留めておいて、今度は眼を閉じてみます。一色の青い空も何も見えません。思いを内に向けると、心の中に様々な記憶、空想、感情が現れては消えていきま す。それは際限がありません。もし今、それらの思いや感情を一時ストップして起らなくしたとすると、どうなるでしょう。空を見上げていた時と同じように、 自我は自分の存在を確かめるよすがを失って、自我意識は消えていくでしょう。消えると同時に、広い広い心の宇宙と一体となることを体験出来るはずです。

眠っていたり、 または何かに驚いたり、感動したりした時以外、意識がしっかり覚めている時には自我がなくなることは滅多にありません。現実にそれを体験しようとするな ら、宗教の修行によるより他の方法はないかも知れません。現に仏教の禅宗の坊さんは、その心の宇宙―これを空といいます―を求めて一生座禅に励んでいま す。心の中が空っぽになると何が分ることになるでしょうか。今まで自我だとか頭脳組織だとか思っていた自分の心の本体は、実は宇宙そのものだ、ということ が分ってきます。自分が考えていること、今まで自分が考えていたこと、すべてが実は心の宇宙が考えていたのだ、ということが分るのです。自分の心の出来事 が同時に心の宇宙そのものの現象でもあることです。心の出来事が宇宙から現れてくることが分ります。

もちろん私たちは、 いつも心の宇宙などというものを心に留めているわけではありません。心の現象は暑い、寒い、こうしたい、ああしたい、あいつは何故あんなことを俺に言った んだろう、さぁこれから先どうしたらよいか……などと心の中にはとりとめもなく次から次へと思いや考えが現れては消えていきます。それはまるで自分の意志 で制御できない程です。このように次々に心の中に現れてくる出来事を追いかけていては、心がどんな構造になっているか考えようがありません。現象と現象を 結びつけて考えて、それらの現象の同一点や相違する点を比較しながら心の意識や潜在意識の法則を探ろうとする心理学や深層心理学が、未だ心の構造を完全に は決定出来ずにいることも無理からぬことです。

日本人の遠い祖先 は、この問題について大昔に完全な答えを出してしまっています。それは現れ出てきた心理現象を追いかけることを止めて、心の出来事(どんな些細な出来事 も)が起る前に帰ることから始めることでした。つまり、心の宇宙に帰ることです。こんがらがった物事を理解するには初めの零に帰らなければならない道理で す。この項の初めに私が心の宇宙のことを持ち出したのも、この理由のためでした。

さて話をもう一度外に見える物質宇宙のことに戻しましょう。科学 者によると、この地球をロケットに乗って離れ、高度が数十キロに達すると、その宇宙空間にはもう空気も水蒸気なども、ほとんどないのだそうです。けれど何 もないのではなく、目に見えない(現象を起こしていない)種々のエネルギーが充満しているといいます。翻って、見ている方の側の心の宇宙はどうでしょう か。やはり同様にそこにも感知することの出来ない心のエネルギーがいっぱい詰まっており、そこに何かのキッカケがあれば、言い換えると何かの刺激が加えら れると、待ってましたとばかりに現象を生み出すことになります。それが心の宇宙の実体なのです。

この果てしなく広い、エネルギーが充満し、しかも現象としてはそれ自身を現わさない心の宇宙に名を付けるのに、日本 人の祖先は五十音の中の母音を当てたのでした。母音はアイウエオと五個あるのに心の宇宙は一つである。この関係はどうなるのか、とお思いでしょう。当然の 疑問です。

そこで心の宇宙のことをさらに考えてみましょう。この宇宙から起ってくる自分の精神現象をよく見つめていきますと、精神宇宙というのは単純なただ一つの 広がりなのではなく、五つの別個の広がりの積み重なったものであることが分かってきます。しかもその重なり方が単に五段階が重なっているというのではな く、一つの段階が終った時、その点を土台として次の段階が始まる、またその段階が完結した点で次の段階が……というように、哲学でいう五つの次元界層の重 なりという構造を持っていることが分かって来ます。この五段界層の宇宙の広がりに、それぞれ母音アイウエオの名を付けたのでした(図参照)。

大きく息を吸い込んで五つの母音を実際に発音してみてください。母音のどの音も息の続く限り同じ音が続き、変化がありません。それは、この心の五つの宇宙が―そこからそれぞれの空間特有の精神現象が現れて来るのですが―その宇宙自体は決して現象として現れることはない先天的な永劫不変の実体であることを示しているのです。

心の宇宙は分かるが、それが五つの次元から成っているということは耳慣れないと思われるかも知れません。そこでその一つ一つを説明していきましょう。

(次号に続く)

禊 祓について

古事記の神話が教える禊祓、言い換えますと世界人類の文明創造の方法が先月号で説明しました底津・中津・上津の綿津見の三神と底・中・上筒の男の三命によって主観的であると同時に客観的な、絶対的真理であることが検証されました。この事によって神話は直ぐに神話の総結論である天照大神・月読命・速須佐男の命の三貴子の誕生に移るかと思われますが、実はその間に文庫本で三行程の文章が挿入されているのであります。その事について解説を申し上げることとします。先ずその文章を掲げます。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。

この三柱の綿津見の神は阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)神なり。

底津・中津・上津の三柱の綿津見の神は後の世の阿曇の連等が自分達の先祖の神だとしてお祭りしている神です、ということです。神話の総結論である三貴子の神々が誕生する前に、何故結論とは関係ありそうにも思えない阿曇の連という後世の一族のことなどを挿入したのでしょうか。その疑問に対しての答えはただ一つ「後世、言霊の原理が人類の意識に蘇(よみがえ)り、言霊の原理に基づく文明創造の時が来る時、その創造を司(つかさど)る政治の庁の基本的なやり方を示唆するため」であります。何故そのように言い切れるのか、を少々説明いたします。

三柱の綿津見の神と阿曇の連とはその名前では無関係のように思われます。けれど言霊学に則って見ますと意味・内容が同じであることに気付くのです。綿津見の神とは、底津・中津・上津共に禊祓の出発点より終結点まで渡して(綿津)新文明の創造の中に取り込んで行く働きの事です。しかもその働きの経緯は底津(エ段)・中津(ウ段)・上津(オ段)共にテケメヘレネエセ・ツクムフルヌユス・トコモホロノヨソと底・中・上の筒の男の命が示す八個の現象子音によって明らかに示されました。次に阿曇の連はどうでしょうか。連は昔の身分、官職を表わす名です。阿曇とは明らかに続いて現われるの意です。とすると、綿津見と阿曇は禊祓という文明創造の行法(政治)に於ては同意味の事柄ということが出来ます。

では三柱の綿津見の神が阿曇の連が祖神と斎く神だ、という文章は何を表わそうとしているのでしょうか。神話に於ける子とか子孫とかいう場合は、神が原理を表わす時、その子または子孫とはその原理や力の運用・実行者であることを示しています。以上のことを頭に留めておいて、次の古事記の文章を読みますと、その間の意味が更に明瞭に理解されて来ます。次の文章の初めに「かれ」とありますのは「それ故に」という意味で、両者の関係を更に敷衍して述べられていることが分かります。

かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。

綿津見の神の子宇都志日金拆の命、とは何を意味するのでしょうか。宇都志日金拆の(うつしかなさく)命とは、宇は家(いえ)です。また五重で人の心の住家の意です。宇都志の都は宮子(みやこ)で言葉のこと、志はその意志またはその意志による生産物を示しています。また宇都志で現実の、をも示します。宇都志で人間が住む世界全体の生産する文化ということであります。その世界全体の生産する文化を、日(言霊)の原理に基づいて金拆(かなさ)く、即ち神の名である大和言葉に変換して咲かせる、の意であります。

先に禊祓の奥疎から辺津甲斐弁羅に至る六神に於てお話いたしました如く、禊祓の出発点から終着点に導くためには、それを可能にする原動力となる言葉の力が必要でありました。また大禍津日、八十禍津日の項で学びました如く、五十音図を上下にとった百音図の下の五十音が示す外国(黄泉国)の文化を、上の五十音図(高天原が統治する言霊原理に基づいて創造させる人類文明)へ引上げるためには神直毘・大直毘・伊都能売の光の言葉が大切だと分かりました。禊祓を完成させる光の言葉(霊葉[ひば])の御稜威によって禊祓は完全に可能であるという証明が綿津見の神として成立したのでありました。その言霊原理の絶対の真理の確証が成立する事を示す三柱の綿津見の神の子である宇都志日金拆の命とは、現実の人類世界を統治する天津日嗣スメラミコトの世界文明創造の政庁の中の、外国の文化を人類文明に組み込んで行く役職のことであり、その実際の方法が、その役職名が示す如く、外国の文化を言霊原理に則り、大和言葉に宣り換えて行くことなのだ、ということを明らかに示しているのであります。阿曇の連とはそれより更に後世に於ける朝廷内の同様の役職名であるということが言えましょう。因みに民間歴史書である竹内古文書にはこの宇都志日金拆の命のことを萬言文造主(よろづことぶみつくりぬし)の命と書いてあります。スメラミコトの世界文明創造とは簡単に表現すれば、外国の文化を言霊原理に基づいて日本語に宣り直して行くことだ、ということが出来ましょう。この禊祓の原理を実際の政治に運用する方法として後世に伝えんとする意図が文庫本で三行の挿入文となって書かれたのであります。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。

挿入文には更に右の文章が続いております。底・中・上筒の男の命の三神は墨(統見・総見・澄見)[すみ]である言霊原理の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)即ち天照大神・月読命・須佐男命三神(三)という精神の最高規範(慧・江[え])が生まれてくる前提(前)となる大神であります、の意。禊祓の神業によって外国の文化の一切を光明の高天原の人類文明の中に摂取して行く創造行為の最高の規範の確認は、底・中・上の筒の男の命で示される言霊子音による検証という前提を経て初めて承認されるのだ、ということであります。高天原と黄泉国という両精神界の境に置かれた千引き石(道引の石)[ちびきいわ]とは、厳密に言えば、底筒の男(エ段)、中筒の男(ウ段)、上筒の男(オ段)にア段を加えた子音三十二個の言霊のことなのです。

以上、三柱の筒の男の命と三貴子誕生との両神話の間に挿入された文章について説明をいたしました。古事記神話の撰者の並々ならぬ細やかな意図を御理解頂けたでありましょうか。かくて禊祓の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)の誕生の話に移って行くこととなります。

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名(みな)は、天照(あまて)らす大御神(おおみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻(みはな)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐(たけはやすさ)の男(を)の命。

人間天与の五つの性能、言霊ウ(産業・経済)、オ(学問)、ア(芸術・宗教)、エ(政治)、イ(言葉)の中で人類文明に最も直接に関係するものと言えば、言霊ウの産業・経済と言霊オの学問、それに言霊エの政治活動の三現象でありましょう。禊祓の行によってこれら三性能の活動の最高理想の行動原理となる規範(鏡)が結論として完成しました。その典型的な規範に対して名付けられた神名が天照らす大御神(エ)、月読の命(オ)、建速須佐の男の命(ウ)の三柱の貴子(うずみこ)であります。それ等三神の親は伊耶那岐の大神です。太安万呂はこの三貴子の誕生を説明するに当り、親である伊耶那岐の大神の顔の目鼻の配置を利用しているのであります。安万呂の面目躍如たる所であります。即ち伊耶那岐の音図である天津菅麻[すがそ](音図)の母音を上にした五十音図を顔に見立てたのです。図を御覧下さい。

伊耶那岐・美二神によって言霊五十音図が出揃った後、伊耶那岐の命のみで、五十音言霊を整理・点検して、主観内に於て完成した理想の音図の建御雷の男の神と呼ばれた音図、その主観内自覚の音図を禊祓実行の指針として掲げた衝立つ船戸の神と名付けられた音図、そして禊祓の実行・検証の結果、主観的であると同時に客観的な、即ち絶対的な真理と確認された音図が完成されました。この音図を天津太祝詞(音図)といいます。この五十音図全体、またはその五十音図の言霊母音エの段の配列を称して天照大御神と呼びます。実体はエ・テケメヘレネエセ・ヱの十音です。この音図のオ段、オ・トコモホロノヨソ・ヲの十音を月読の命と呼びます。更にこの音図のウ段、ウ・ツクムフルヌユス・ウの十音を建速須佐の男の命といいます。

「コトタマ学」会報の五ヶ月にわたりお話申し上げて来た言霊学の奥義ともいうべき禊祓の大行についての解説の大略を終了させて頂くこととなります。日本人の大先祖である皇祖皇宗の高遠偉大な言霊学をお伝えするには如何にも力不足の域をまぬがれ得ないのでありますが、少しでも読者の皆様の御理解の役に立てばと一所懸命にお話させて頂きました。有難う御座いました。話の対象が大方人間の精神内の事柄でありますので、幾度、幾十度と自らの心の内を反省して、心中に見ることが出来た実相についてのお話であります。反省を繰り返す度毎に新しい事実が、また当然気付くべきことで見落としていた事実を発見することとなります。気付いたこと、新しく発見したことはその都度、会報誌上に発表し、皆様にお伝え申し上げているのでありますが、今月の会報まで百九十四号がすべてその繰り返しだと申しても過言ではありません。このような牛歩の筆を今後共御声援を賜りますようお願い申し上げます。

さて一連の禊祓の話を終らせて頂いた眼で言霊学に関係ある種々の事柄を見廻しますと、そこにまた幾多の新しい事に気付きます。それ等の事の一、二についてお伝えしてみたいと思います。先ず初めに取り上げますのは奈良の石上神宮に三千年もの長い間伝承されているといわれる布留の言本(ふるのこともと)、日文(ひふみ)四十七文字についてであります。

日文(ひふみ)四十七文字とは人間の心を構成する四十七言霊を重複することなく並べて禊祓、即ち人類文明創造の方法を説いている文章なのです。称え言(となえごと)でもなく、祈りの言葉なのでもありません。「時が来たならば、人類の歴史創造はかくの如くせよ」という教訓であり、予言でもあるものなのです。日文四十七文字を書いてみましょう。

ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ

人類の命運に関(かか)わる重大な教えであり、予言でもあるものを、そんな言葉の魔法とも思われる文章に仕立てて遺さなくてもよいではないか、またそのような文章など作り得ないはずだから、日文自体に実は何の意味もない四十七文字の単なる羅列に過ぎないのではないか、と思われる方も多いことでしょう。ところが、どうして、どうして言霊四十七音を重複なく並べたこの布留の言本(こともと)日文四十七文字はまごうことなく人間の心を構成する言霊四十七音を使って、言霊原理に基づき人類の文明を創造して行く大行、即ち禊祓の方法を余すことなく教えている言葉であることが、今回の禊祓のお話を終了した時点で掌に取るごとく明らかに確認することが出来たのであります。私達日本人の祖先の英智の高邁さ、霊妙さを改めて認識した次第なのです。

日文と私との馴初(なれそ)めは、私が言霊学を先師小笠原孝次氏に師事して十年近く経った頃です。ある日、先生は「島田さんも言霊の理論には通じて来られたから、一つ宿題を出しましょう。奈良の天理市の石上神宮に三千年前から伝わる布留の言本、日文四十七文字があります。江戸時代末の頃、平田篤胤[あつたね](国学者)が心霊的に解釈した以外には未だにこれといった解釈がなされていません。この日文を考えてみてはどうですか。」と言われたのが始まりでした。「三千年間、未だに……」というのですから私は張り切って引き受けました。一九七○年代前半の頃と記憶しております。

引き受けてはみたものの、日文を何回となく読み返してもどうしたら解釈らしいものが出来上がるのか見当もつきません。「ヒフミヨイムナヤコトモチ」とは「一二三四五六七八九十の十拳の剣(とつかのつるぎ)を以って」の意味だ、ということは分かるのですが、「ロラネシキル」が全く分かりません。「シキル」は仕切るの意であろうと思われますが、「ロラネ」は見当がつきません。「ユヰツワヌ」もはっきりしません。「ソヲタハクメ」は多分「それを田葉(たは)である五十音図の中の言霊で組んでみよ」であろうと解釈しました。「カウオエニサリヘテ」がまた見当がつきません。「ノマスアセヱホレケ」の「ノマス」は多分「宣(の)べよ」であり、「アセ」は「ア段の川の瀬」と思われるけれど、文書が前後にどのように続くのか不明です。「ヱホレケ」は全く不明。これではどうにもなりません。歯が立たないとはこのことをいうのでしょう。

試行錯誤の中に一年余りが過ぎました。薄ぼんやりとした思考の中に光明が差し込んで来ました。先師が画いた十七先天言霊(天名[あな])と三十二の後天子音言霊(真名[まな]・神名[かな])によって示される思考の循環図(「古事記と言霊」107頁参照)の意味と内容が少しずつ自身の心をのぞく事によって理解が深まって来るに従い、それまで見当もつかなかった「ロラネ」や「ツワヌ」、更に「カ」の一音の意味が次第に分かって来たのです。と同時に日文四十七文字の言霊の列が指示する内容がおぼろげながら一連の文章にまとまって来ました。

文章にまとまって来たと申しましても、それは言霊学という理論より推理した「言霊学の運用」という理論に過ぎません。勿論、それは現在お話申し上げているスメラミコトの世界人類の文明創造の実行行為(禊祓)の実際の心理描写なのではありません。けれど一応は先生からの宿題は果たした事となります。私はその解釈の文章を清書して先生に提出しました。(「言霊」随筆集「日文」参照)それを読み終わった先生は「まぁ、こんなものでしょうな。御縁ですからもう一つ清書して石上神宮の神主さんに送って差し上げたらよいでしょう」と言われた事を記憶しております。

言霊原理による禊祓が明らかにスメラミコトによる世界人類の文明創造の手法であり、その手法の一つ一つの過程を詳細に皆様にお伝えすることが可能となった現在、改めて石上神宮の布留の言本、日文四十七文字を見ますと、禊祓の手法を言霊四十七音を以って正確に指示、教示したものであることを知ることが出来るのであります。

現在明らかになった禊祓の行の心理の過程に基づいて日文四十七文字を区切り、その一節々々を指示する古事記の神名を以ってその分担を表わしますと、次のようになります。

ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキル

伊耶那岐の大神、衝立つ船戸(つきたつふなど)の神、道の長乳歯(ながちは)の神、時置師(ときおかし)の神、煩累の大人(わずらひのうし)の神、道俣(ちまた)の神、飽昨の大人(あきぐひのうし)の神。

ユヰツワヌ

奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)の神、奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神、辺(へ)疎の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。

ソヲタハクメ

大禍津日(おほまがつひ)の神、八十(やそ)禍津日の神、神直毘(かむなおび)の神、大(おほ)直毘の神、伊都能売(いづのめ)。

該当神名なし。

ウオエニサリヘテノマス

底津綿津見(わたつみ)の神、中津綿津見の神、上津綿津見の神、底筒(そこつつ)の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命。

アセヱホレケ

天照大御神、月読の命、建速須佐の男の命。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第百九十五号>平成十六年九月号

ウの宇宙(言霊ウ)

赤ちゃんは母親の胎内 から生れ出て、何も教えられないのにお乳を飲みます。乳房を吸います。これは生来人間に備わった欲望本能の現れです。この欲望の出て来る根元の宇宙に、母 音のウと名付けたのです。このウと名付けられた欲望の現れ出て来る元の宇宙、これをコトタマのウと呼びます。字を分りやすくするために今からコトタマを言 霊と書くことにします。言(こと・言葉)はウです。霊(たま・内容)は欲望が出て来る元の宇宙のことです。これを一緒にして言霊ウと呼びます。

仏教で眼耳鼻舌身と呼 ぶ五官感覚による認識の能力も、この宇宙から現れてきます。赤ちゃんが次第に成長して大きくなり、美味しいものが食べたい、美しい 服が着たい……から、金持になりたい、良い人と結婚したい、大臣になりたいなどの欲望もこの言霊ウの次元の現象です。この欲望の次元の現象は、人間の精神 の最も幼稚な性能であると同時に、生きていくために最も基本的な本能だということが出来ましょう。この人間の性能が社会的になったものが、各種の産業活動 であります。

オの宇宙(言霊オ)

人は生まれて次第に 成長し、物心がついてきますと、自分の見たこと、聞いたことを振り返って考えて、その経験したことをどんな順序で繰り返せば、いつも同じ結果を手にするこ とが出来るかを思考するようになります。この記憶とその整理の働きが出て来る元の宇宙を、母音オの宇宙(言霊オ)と名付けました。この働きが高度になった ものが学問であり、科学と呼ばれるものです。

経験事項の抽象的概 念による把握表現の世界、といえば学問的な表現となります。それは経験知の世界です。

「余韻が尾を引 く」「生命の玉の緒」の尾や緒は、この宇宙の意味をよく示した言葉であります。

アの宇宙(言霊ア)

この宇宙から発現し てくるのは、人間の喜怒哀楽の感情です。純粋な愛の世界でもあります。この感情が出て来る元の宇宙を言霊アといいます。この世界は、言霊ウの欲望とも言霊 オの経験知とも趣を全く異にした世界です。

「あぁ」は感嘆 する言葉ですし、阿弥陀・アーメン・アラーなどのアは世界的に共通した感情の世界を表わす音ということが出来ます。この宇宙から宗教や芸術の活動が出てく るということが出来るでしょう。

エの宇宙(言霊エ)

今までに挙げました 言霊ウ・オ・アのそれぞれの宇宙から現れてくる欲望、記憶、感情は人の心の中で時には相争い、また時には協調したりします。これら三つの性能は、常に勝手 に自己主張して心に葛藤が起ります。この時、人は今どのような生き方をすればよいかの選択を迫られます。感情のおもむくままに進むか、過去の経験を生かす か、それとも欲望を先にするか。さぁ、どうしよう。それらをどんな按配で選択したら良いかという知恵である実践智が出てくる元の宇宙、これをエの宇宙、言 霊エと呼びます。

人が「えらぶ」 (選)働きが出てくる元の宇宙であります。この言霊エからの働きが社会的なものとなったのが、道徳と政治活動ということが出来ます。

現代人は、この 今、ここでどうしたらよいかの実践智と、先に挙げた過去の記憶を整理する経験知とを混同して取扱いがちです。けれど経験知と実践智は全く異なった人間の性 能であり、両者が相異なったものであるということを知っているだけでも、生きていく上で相当な得をすることになりましょう。何故なら、人が迷うということ は、その人の持つ経験知の中から、今、どれを採用すれば良いかで迷うからです。その時、経験知と実践智とは全く違うものだ、と知っていれば「下手な考え休 むに似たり」と迷うことを止め、白紙に返すことが出来ます。白紙に、すなわち出発点に帰れば、必ず人間の実践智が働き出し、進路は整然と決定されるでしょ う。

イの宇宙(言霊イ)

この宇宙は今まで説 明してきたウオアエの四つの次元と違い、説明し難い宇宙なのです。それをあえて説明すると次のようになります。

言霊ウ・オ・ ア・エの四つの次元の宇宙を縁の下の力持ちとなって支え、動かし、さらにそれぞれの現象を言葉として表現するところの、人間の創り出す意志の働きが出てく る元の宇宙、とでも言ったら良いでしょうか。人間はこの生きる意志があって初めて、他の欲望も経験知も感情も実践智も働くことが出来るということです。 「人間が生きる」「居る」とはそういうことなのです。人が生きるための最高位の性能です。

以上で一口に心 の宇宙と呼ぶものが、実は五つの母音が当てはめられる五次元の宇宙から出来ていること、その五次元について低次元から高次元へとその内容を説明してきまし た。五つの次元の宇宙はそれぞれ特有の無音のエネルギーが充満していて、しかもそれ自体は決して現象として姿を現わすことのない実在なのです。

人間の精神の働き は、この五つの次元の宇宙の中で行われ、この五次元以外の宇宙は存在しません。人の心はこのウオアエイの五次元の宇宙の重畳(たたなわり)を住家とします。それが語源と なって、人の住むところを日本語で五重すなわち家、というわけです。

この宇宙のウオアエイの五つの次元構造を、東洋では概念化して、木火土金水の五行(中国)とか地 水風火空の五大(インド)などと表現しています。仏教のお寺にある五重塔も人間精神の五次元層を暗示した建造物であります(図参照)。

半母音

以上で母音についての説明 を一応終えることにして、次に半母音の言霊の内容を簡単に説明しておきましょう。

母音のアイウエ オの言霊が、見る方の主体の五つの次元の宇宙とすると、半母音ワヲウヱヰは見られる方の側の客体の五次元の宇宙ということになります。母音と半母音とは、 自と他、主体と客体、出発点と終着点、吾と汝といった関係です(古代大和言葉では吾をア、汝をワと呼びました)。母音の言霊も半母音の言霊も精神の先天的 なものですから、そこから現象を生み出しはしますが、それ自体は決して現象として現れることはありません。

半母音の説明は今の ところこのくらいにしておきます。後ほどまた触れることにします。

(次 号に続く)

真夏の夜の現(うつつ)(言霊学随想)

夜中、ふと目が覚めました。窓から台風 の余波の湿った風が吹き込んでいます。「何時かな」と枕下の時計を見ました。三時少し前です。「今夜もか」と思いました。実は午前三時という時刻には曰く があります。私は十年余以前、老人結核に罹り、六ヶ月間入院したことがあります。病気は痛くも痒くもない、ただ寝ていればいいものでしたから、「禍転じて 福となす」で、この暇の機会を有効に使って、先師小笠原孝次氏より遺言の如くに出された宿題の解答に専念しようと心掛けたのでした。宿題とは古事記神話の 禊祓に出てくる訳の分からぬ名前の六神の解明です。奥疎(おきさかる)・奥津那芸佐毘古(おきつなぎさひこ)・奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)、辺(へ)疎・辺津那芸佐毘古・辺津甲斐弁羅の六神名は現存の神社の祭神としても見かけることのない名前です。この六神の名が指示する人間の心の内容を何としても解き明かそうと思ったのです。私にとってこの入院の六ヶ月間は貴 重な時間となりました。退院が間近になった日、やっとこの六神名の内容を合理的に解明することが出来たのでした。

病院での夜、目が覚めるとベッドの上に正坐して、六神の名の内容如何と 思考したものです。その甲斐あって、自分の心の底から何か耳語(ささや)く声を聞くかの如く、時が来ると私の心の中に結論が「サッ」とまとまります。そして不思議と 言えば不思議なことにその耳語が聞こえるのが午前三時過ぎなのです。「今夜もか」と思ったのには以上のような経緯があったのです。

私は起き上がり、ベッドの上に正坐して 静思を始めました。静かな夜でした。隣のベッドで寝ている家内の幽かな寝息が聞こえます。坐って幾分も経たない内に私の心は気持ち良い緊張の中にリラック スして行きました。……

私は大勢の人から「瞑想する」という言 葉を聞きます。それ等の人々の瞑想ということがどんな心構えで、どんな内容を求めての行為なのか、を私は全く知りません。そこで私は「静思」という言葉を 使いました。それは私が何か悟りを得て、今の私とは違う何者かになろうとする願いから瞑想するのではないからです。先師が教えてくれた方法をただ只管(ひたすら)遵守し、実行しているだけなのです。師はこう教えてくれました。「人は生まれながらに救われているのです。

実際に必要なものはすべて与えられてい る仏そのものです。だから今、現在の自分と異なった悟りを得ようとするならば邪道に陥りましょう。救われた存在なのに、悟っていないと思うのは、その人の心に雲がかかっているからです。雲とはその人自身が身に付けている経験知識です。知識は人が生きて行くための心の 道具なのであって、その人自身ではありません。今、此処で何かをしようとする時、どうしてよいか分からないのは、生まれた時から授かっている人間本来の知 恵の代りに道具であるべき経験知識を自分だと勘違いして、知恵の出番を邪魔してしまうからです。

本来の知恵に取って代わろうとする経験 知識を、『それは私 自身ではない』と言って心中に否定することです。知識という雲が去れば、人は自ら本来の仏の自覚に帰ります。己(おのれ)以外の別の自分を求めることを禅は『屋上屋を架す』と言って警めています。」ですから私の静思とは知り度いと思うものを念頭にしながら、専(もっぱ)ら自分の心を占領しようとする縁ある経験知識を只管「それは私ではない」と否定する行なのです。先師にお会いする以前の私は哲学、倫理学、歴史学、心理学、深層心理学、心霊学、超心理学等々経験知識の権化みたい な人間でした。

先師に初めて生きることの意義(言霊 学)を教えて頂きました。ですから私は馬鹿の一つ覚えの如く、先師の教えを金科玉条として、ただ只管そ の道を踏襲しています。信仰と言霊の学とは道としては違いますが、気持ちの上では浄土真宗の開祖、親鸞上人の述懐をわが述懐としています。「たとひ法然上 人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。その故は、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまう して地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞか し。……」

この自分の心の中の経験知識の反省の行の結果、心にかかった雲が晴れま すと、その瞬間、古事記神話の解明に必要な解答は脳内に無言の耳語となって浮かんできます。それは不思議でも何でもありません。人間の心は五段階ウオアエ イ・ワヲアヱヰの宇宙を住家としています。その中の言霊ヲの宇宙には何百、何千年とも知らぬ遠い昔から今までの出来事が記憶として整然と整理・保存され、 心にかかる雲さえなければ何時でも必要な記憶は脳裏に蘇って来ます。また人間に如何なる難事が降りかかろうとも、それを合理的に解決し、未来を創造して行 く智恵は言霊エの宇宙に満ち満ちており、出番を待っているものなのです。人の心を覆う雲が一瞬でも晴れるならば。……

ガラス戸越しに月の清らかな光が部屋に 差し込んでいます。静かな夏の夜です。私の静坐の思いは何時か過ぎし日の幾度か垣間見た言霊アの世界のことの回想に入っていきました。生れて初めて仏教の 所謂寂光の浄土の光を垣間見たのは今から三十数年前、茨城県下妻市を流れる鬼怒川の河川敷での静思の時でした。

連日の「空」を求める静坐も思うように 行かず、「私自体が言霊の学問の中に入るだけの才能がないのではないか」と絶望感に襲われた直後のことでした。細かい澄んだ光の粒子に囲まれ息づいている 自分を発見したのは。それはそれは美しい、なんとも形容することが出来ない光の粒の大気の中に、広い地球を見渡している自分に気付いたのでした。何の前触れもなく、一瞬の間に世界が変わってしまったのです。ふと「気が違ったのか」という意識が走りました。けれど心は冷静で、和やかです。足が大地をしっかり と踏まえたような感じで、少しの不安も感じません。そんな状態が多分三十分位続いたと思います。「ハッ」と気が付いた時、私は元の私になり、河川敷の草地 の上に静坐していたのでした。

その日は一日中、心も身体もホカくと暖かく、幸福感に溢れていた事を覚えています。このような現象が何なのか、全く知識も経験も持たない私は、翌日先師の家を訪れ、報告しました。先師は丁寧に 仏説阿弥陀経を広げながら、私が体験した光の世界が「寂光の浄土」と呼ばれる世界であり、それは特異なファンタジーの世界ではなく、私達が現実に住んでい るこの世の中のことなのであり、心の雲が一瞬でも晴れれば実際に見ているこの世界の実相なのだ、と教えてくれたのでした。

その後数回同じような寂光に包まれる機会に恵まれました。それが町を散歩している時、家で風呂に入っている時など、時と所は違っても、前触れの何の現象もなく起り、数分乃至数十分持続し、潮が引く如く何ということもなくおさまるのが例でした。そしてその現象中はどれも精神は充実し、幸福感に満たされた事であります。

この光の体験をして以後、私の言霊学の まなびは急速に理論と同時に体験(自分の心中に於ける実験)に裏付けられたものとなりました。自分の心の中で、言霊学の理論を実際に証明して行く道が開け たのです。言霊が全く身近(みぢか)なものとなりました。私の言霊学はその時のア次元の修行からエ・イ次元の探究に進んだものになって来た、と私自身も思うようになりました。奥疎、辺疎等禊祓に関係する古事記神名の解明を終えて以来、十年程の歳月が過ぎて行きました。言霊の会の仕事も順調に進みつつあると思っていま した。楽天的な私は、言霊の会にとっても、また私個人にとっても、もう一度、少なくとももう一度、全くの原点に帰らなければならぬ大峠が待ちかまえている 事など思ってもいない事だったのです。その大峠の存在に気付いたのは今年に入ってからのことであります。

今年(平成十六年)に入って講習会(コトタマ学会報)の主題として言霊学の結論である「禊祓」を取 り上げることとなりました。禊祓については今までに会報誌上でも何回か主題としてお話したことがありましたが、終ってみると、何時も物足りない思いが残る のが常でした。隔靴掻痒とはよく言ったものです。ビシッとした決め手に欠けている思いが残ったのです。「当らずとも遠からず」ではどうしようもありませ ん。「今度こそ」の思いで取り掛かったのでした。私の毎日の課題は「何処が物足らないのか」を捜すことでした。夜明け前のベッド上の静坐と静思が続きました。その結果、思考のフォーカス(FOCUS)が問題の点に絞られてきました。物足らない思いが残る箇所が分かって来たのです。

問題は次の二点です。その一つは、古事 記神名で示すと奥・辺津那芸佐毘古、奥・辺津甲斐弁羅の所です。外国の文化を体験した我が身から、その文化を摂取、消化して新しい世界文明の創造身となる ための一言の言葉、そしてその言葉が光の言葉(霊葉[ひば])であること、です。二つ目は、八十禍津日、大禍津日から神直毘・大直毘・伊豆能売と続く所で、外国の 文化を何ら変革することなく、百音図の下段の五十音図の位置から外国文化を上段の五十音図に組入れることが可能となる光の言葉(霊葉[ひば])の創造です。両者は 結局は同じ言葉である筈です。その言葉には今・此処に於て発動される生命力の権威(伊豆能売)が備わっていなければなりません。文明創造の原動力がなけれ ば、禊祓にはなり得ません。

これを石上神宮の布留の言本、日文で表 現するなら「ソヲタハクメ・カ」に当ります。「文明創造の言葉を言霊布斗麻邇を以って組め」ということです。此処でも霊葉が示されています。霊葉の発動がない限り、創造のイメージとなるものが伊耶那岐の大神である人の心に「カ」となって明らかに印画されてきません。 先師の教えが心に浮かんで来ます。「悪(影)は本来ないものなのです。強いて言えば、悪は善とは何であるか、を人が分かるためにのみあるものなのです。」 善は光であり、悪はその影に過ぎません。心に創造のイメージ「カ」を映し出すためには光の言葉が不可欠です。

従来より更に一歩内容に踏み込んだ禊祓 の話をしようと決めた時から、私の平生の心に波が立ち始めたのに気付きました。些細なことに動揺し、心が高ぶり、そして疲労感が残ります。和やかな平常心が何処かへ吹き飛んで行ってしまった感じです。以前の言霊ア次元の自覚と思っていた心が全くの絵空ごとの如く消えて、何事をするにも疲労感に襲われます。 医師の診察を受けましたら、「血液中のヘモグロビンが正常の人の半分以下、標高五千メートルの高地で生活しているようなもの」という声が返って来ました。 私の心に何かが起っている、と知りました。連夜の静坐、静思が続きました。

仏教の禅に「裸足(らそく)もて剣刃(けんにん)上を渉(わた)る」と いう言葉があります。足に何もはかず、素足のままで刃(は)を上に向けた刀の上を歩くということです。危険だ、ということです。危険とは、ここでは何の拠り所も 持たず、平常心の何たるかを知らずに何時、何処で何が起るかも知れない世の中を大きな顔をして暮らしている人のことを言った言葉でありましょう。テロ、交通事故、凶悪犯罪、家庭内暴力等々が日常のことのようになった現今では、この禅の言葉が尤(もっと)もな事と頷かれます。

更に考えを進めてみましょう。地球環境 汚染、人心荒廃、その上に核爆弾の中小国への普及が進展する世界状勢は人類の過去の歴史になかったものです。これ等の状勢が更に深刻となれば、正に人類全 体が十把一からげに奈落の底に突き落とされる危険は現実のものとなります。これは人間の心の持ち方の善悪、信仰の有無など全く関係なく起ることです。現在 の人類は文字通りの裸足で剣刃上を渉っています。個々人の宗教的悟りのある、なしに関わらずに、……。現今の人類生命存続の危機は宗教・信仰の心の及ぶ領 域以外で進展しています。人間個人の救済ならば、言霊ア次元における祝福で事足りるでしょう。しかし事が人類生命全体のこととなると、宗教はもう手も足も 出ないことになります。

現在、地球上には六十億人以上の人間が 生存していると聞いています。そのすべての人々が、国籍、民族、貧富、貴賎、思想の如何を問わず、以上の如き自分達の生命が言い知れぬ絶望的な精神土壌の 上で空しくも息づいていること、しかも、そのように明白な危機状況にある事実を正確に認識する方法を何一つ持ち合わせていないのです。これは正しく地獄です。仏教の教える十界の図を御覧下さい。一番上の仏陀の世界とは人間の一切のことを知り尽くし、それを言葉として表現出来た社会ということが出来ます。実相を表現し得ることによって一切の束縛から解脱した人を仏陀と呼びます。とするなら、その仏界に対応する最下段の地獄とは、一切の束縛によって完全に動きがとれず、しかもその状況を認識し表現することが不可能な境涯ということが出来ます。現代の人類は正しく地獄相に住み、しかもそれを認識する手段からも見放されているのです。

人類の命運に関(かか)わる重大な教えであり、予言でもあるものを、そんな言葉の魔法とも思われる文章に仕立てて遺さなくてもよいではないか、またそのような文章など作り得ないはずだから、日文自体に実は何の意味もない四十七文字の単なる羅列に過ぎないのではないか、と思われる方も多いことでしょう。と ころが、どうして、どうして言霊四十七音を重複なく並べたこの布留の言本(こともと)日文四十七文字はまごうことなく人間の心を構成する言霊四十七音を使って、言霊原理に基づき人類の文明を創造して行く大行、即ち禊祓の方法を余すことなく教えている言葉であることが、今回の禊祓のお話を終了した時点で掌 に取るごとく明らかに確認することが出来たのであります。私達日本人の祖先の英智の高邁さ、霊妙さを改めて認識した次第なのです。

ここ数ヶ月の間、一日も休むことなく自分の心の時ならぬ不安、動揺の連続の内容と、その波立ちの奥にその姿をのぞかせ始めた人類の一員としての自分の実相に向って静思の焦点を絞っていきまし た。それを正確に把握させない自らの経験知識を否定しながら……。そして歴史の大きなうねりの中に溺れて、取りつく島もない人類の一員としての自分と、些細なことに気を荒だたせる日常の自分が一つの意識の焦点上で一体になった時、そこに暗黒の地獄の底で一切の救いの手から完全に見放された唯一人の人間としての自分がありました。どんなに足掻(あが)いても決して浮かび上がれない、嘆きも涙も許されない一個の人間がありました。……

長い沈黙と静寂、悲しさも寂しさもない 呆然。長い長い心の旅路が終ったようでした。自分を見つめて来た旅が……。その瞬間、丁度、昔、茨城県の鬼怒川の河川敷で突然寂光の浄土の美しい光の世界が展開した如く、何の前触れもなく、意識の領域が一変しました。私の地獄はそのままです。けれど私の眼の位置が地獄とは正反対の言霊イの次元に移ってしまったようでした。私が当然いるべき地獄が掻き消す如くなくなってしまいました。私達日本人の大先祖、皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸の中にしっかりと抱 かれている自分がありました。そして更に同時に、私は生まれた時からこの厳しくも温かい、尊い胸の中にずっと抱かれていたのだと知りました。人類の一員で ある地球上のすべての人々がそうである如くに。

道に志した十九歳の時から六十年、長い、暗いトンネルの中の旅が終って、私はようやく(青い鳥)のごとく、生まれたばかりの大自然の中の赤子として、又皇祖皇宗の人類文明創造のご経綸の中の一人の命(みこと)として、生来あるべき姿に戻ることが出来たのです。

浄土真宗の親鸞上人の信仰について先師 は次の様に語っていました。「『煩悩具足の凡夫、地獄は一定住家ぞかし』『いかなる行もおよび難き身なれば…』と述懐にある如く、親鸞さん自身、地獄の底 に安坐をかいてしまうより仕方がない、と諦めたのです。そこで阿弥陀仏が親鸞さんの心を哀れと思い、地獄の底まで下りて来て、親鸞さんの口を借りて仏自身 が南無阿弥陀仏と称えて下さったのです。親鸞さんの信仰とはそういうものでした。上人はその信仰を『仏より賜りたる信心』と述懐しています。」

ひと度「煩悩具足の凡夫、地獄は一定住 家ぞかし」と知り、諦めてしまいますと、這い上がろうとしても無駄だと知ったのですから、動こうとしなくなります。「動く」とは人の心の内なる経験知が自 己主張をすることです。これがなくなれば、心に雲がかからなくなります。そうなれば人は信仰に於ては「仏(神)に抱かれている自分を見出します。」言霊学 に於ては「皇祖皇宗の人類文明創造の中の命としての自分」を知ります。自分の人格が五十音の言霊によって構成されていることを知ります。信仰の愛と共に言 霊学に於ては智恵を知ります。更にその愛と智恵から発する言葉(霊葉)の御稜威(みいず)を知ります。……

隣の部屋の古時計が四時三十分を打ちま した。「あぁ、夜が明けるな」静坐をしていると時間の経つのが早いものです。二時間近くがアッという間に過ぎました。生活?を始め出した草や木の香りが風 に乗って部屋を満たしています。そのすがすがしい風を胸一杯に吸いながら、古事記神話の禊祓の中の神名、八十禍津日、大禍津日、神直毘、大直毘、伊豆能売 と続く心の動き、更にそれを可能にする光の言葉の内容が、ドラマの台詞の如く明瞭に心に画かれます。そしてその言葉が一瞬にして光の中に闇を消し去って行 く光景が心に浮かびます。それは愛に包まれた智恵の言葉による祝福であり、命令です。今・此処に活動する五十音言霊の原理に則った言葉であり、同時に皇祖 皇宗の人類文明創造の御経綸に沿った言挙げです。……

小鳥の囀(さえず)りが賑やかになって来ました。 私は静坐の足を崩し、両手を高く挙げて延びをしました。そして古事記の一節を口誦みました。「この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、『吾は子 を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり』と詔りたまひて、すなはちその御頸球の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、『汝が命は高天の原を知らせ』と、言依さして賜ひき。」言霊原理は天照大神にのみ与えられました。他の命には与えられませんでした。五十音言霊 の原理の活用(布留[ふる])は言霊エ即ち人類文明創造に於てのみなし得るものなのです。

(この項終 わり)

「コトタマ学とは」 <第百九十六号>平成十六年十月号

心の先天構造

人間の心は十七個の言霊の先天部分と三十三個の言霊の後天部分、計五十個の言霊で構成されていると先にお話しました。その十七個の言霊で出来ている先天部分は、どんな構造をしているかをお話しましょう。

先天部分ということは、もちろん現象としてはそれ自体は現れない部分のことですから、その中に意識を入り込ませて研究するわけにはいきません。現象となる前の世界を、現象となって現れてきた意識の眼で見ることは不可能です。それなら我々の祖先はどんな方法で研究したのでしょうか。

まだ現象として現われない先天の構造を明らかにする方法は、ただ一つしかありません。それは現代の原子物理学が行っているように、大きな加速装置を使って原子核内の要素(と思われるもの)を高速で動かし、それを特殊な感光装置に衝突させ、そこで観察される種々雑多な現象の中から推理することによって、先天の構造を次第に組立てていくことです。その推理と感光装置の中で起る種々の現象との間に一つの矛盾もなければ、その推理は正当なものとなります。

数千年の昔、心の構造を明らかにした私たちの祖先も、同様の方法を自分の心に適用したに違いありません。研究者自身の心の中に起る色々な出来事、感情・経験を持ち寄って、その無数の現象を生む元の世界の構造を探っていったのです。心の動きは機械装置によって加速することは出来ません。その代りに、古代の人々は心を空(から)にすることを覚えたことでしょう。現象を生んで行く元の心の宇宙を純粋に見ることによって、先入観のない観察の方法を獲得したことでしょう。現代人が「明るい心」「素直な心」と呼んでいるところの心の持ち方です。万葉集に載せられている数々の歌の中に、この「明るい心」を汲み取ることが出来ます。

さて人間の心の奥の奥の構造などという、難しく、あまり耳慣れない内容を長々と続けていては、話が退屈になりがちです。細目は追々進めることとして、人間が具体的に物を考える以前、頭の中で精神的には何がどのように起り動いているのか、心の先天的な構造を、まず結論から書くことにしましょう。

私たち日本人の祖先が長い年月の試行錯誤の研究の末に、遂に明らかにすることの出来た心の先天部分の要素と構造は、次のように言霊によって示されます(図参照)。

それを構成する言霊の数は十七個、五段階の構造を持っています。この先天の構造を太古、私たちの祖先は天津磐境と名付けました。天津とは現象界に現れない先天性の意であり、磐境(いはさか)とは五つの(い)言葉(は)の段階(さか)ということであります。この五段階・十七個の言霊が活動することによって、無数の色々な心の現象が生み出されていくのです。

(次 号に続く)

神無月(言霊学随想)

陰暦十月を神無月(かむなづき、かみなしづき)といいます。最近ではこの神無月の名を知らない人が多いのではないだろうか。そこでこの神無という奇妙な名前について言霊学の立場から思いつくままを書いてみることにしよう。

先ず辞書(辞海)を引いてみる。「神無月―陰暦十月の異称。醸成月(かみなしづき)の意とも雷無月(かみなしづき)の意ともいう。俗説には、この月八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まり行き不在になるのでいうと。」辞書の醸為(かみなし)の醸(かみ)とは醸(かも)すの古語で酒を醸造すること。為(なす)はその実行。十月にその年の新米で酒を造る、即ち醸為(かみなし)の意であろう。また雷無は十月に雷のないことから来た名ともいう。両解釈は共に国語学者の主張ではなかろうか。それに比べ、辞書に「俗説には」と書かれた説明は事が日本全国の神々の出来事であることから、歴史的な事情が隠されている予感を与えて興味深く思われて来る。日本全国の神社の神々がこの十月に全員出雲大社に集まり、会議を開き、そのため出雲の国以外の国には神様が不在となる、ということである。この会議で何事を相談するかというと、これも俗説で「全国の神々が毎年十月に出雲に集まって氏子の間の縁結びを相談する」、とある。そこで出雲大社の主祭神大国主神は縁結びの神とされている。

神無月を醸成月、また雷無月との解釈も一理はあるけれど、それだけの意義で日本全国の月の名前になったとは些か力不足の感がある。そこで登場する俗説といわれる「全国の神社の神々が十月に出雲大社に集まり、出雲以外の国は神様不在となる」の伝説が注目されて来るのだが、その伝説がまた奇妙きてれつで、聞いただけで吹き出したくなるような物語である。何故このような言い伝えが起ったのか、全く理解しにくい事である。ところがこの日本の現代に不死鳥の如く復活した日本語の語源原理であるアイウエオ五十音言霊の学問の立場から見ると、そこに人類の文明創造の歴史上重大な意義が発見されて来る。それは人間個人にとって、また人類全体にとっても空恐(そらおそ)ろしい命運に関わる物語となるのである。これより話を進めて行くことにしよう。

先ずは古事記の神話にある神物語から始めよう。

この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を治らせ」と、言依(ことよ)さしたまひき。次に建速須佐(たけはやすさ)の男(を)の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(うなばら)を知らせ」と言依さしたまひき。

以上が言霊の神である伊耶那岐の命が、言霊原理を完成し、その総結論として三柱の神、天照大神・月読の命・須佐の男の命を得られ、その三神にそれぞれ天照大神には高天原を、月読の命には夜の食国を、須佐の男の命には海原を統治の領域と限って治めよ、という所謂三権分立の制度の決定を述べた文章であります。そして言霊の原理は天照大神にのみに与えられ、他の二柱の命には与えられなかったのであります。

日本の古代は、またその影響下にあった世界の国々は、三権分立の制度の下で、天照大神は言霊イ・エの言霊原理に基づく世界人類の歴史創造の経綸を、月読の命は言霊ア・オを領域として宗教・芸術その他の精神活動の主宰を、須佐の男の命は言霊ウを領域として、物質の生産・管理の仕事の統轄を、三権分立、三位一体、三柱の貴子協調の体制で平和、豊穣な時代を建設・保持したと伝えられています。言霊布斗麻邇の原理に則る心豊かで平和な時代は数千年間続きました。この精神文化華やかな時代を人類の第一精神文明時代と呼びます。(この間の詳細は「古事記と言霊」の歴史編参照)。

人類の第一精神文明時代が円熟期を迎えた頃(今から五千年前)、その時まで三位一体、協調の一角であった物質生産とその管理の任に当っていた海原(ウの名の原)の主宰神、須佐の男の命の心に変化が起りました。変化とは次の様なものでありました。

「今まで長い間、私は姉神天照大神の振るう言霊原理という精神原理の下、物質の生産の仕事を続けて来た。姉上の精神の真理は確かに素晴らしいもので、非の一点の打ちどころもないものです。その原理に従って物質を扱う仕事をして来たのだが、最近になって物質の領域には精神原理とは違った法則が支配しているのではないか、と思うようになって来た。私は是が非でもこの物質法則を心ゆくまで研究してみたいと思う。」そして事々にその主張を繰返すようになりました。高天原の三権分立・三位一体の協調体制が乱れ始めました。

この高天原の状況を心配した親神、伊耶那岐の命は須佐の男の命と話し合った末、「高天原とは飽くまで協調の文明世界である。これに対し、須佐の男の命が主張する物質研究の世界は物事を分析・破壊し、更に競争社会の中で発展する研究方法を目指すものであるようだ。それならお前はこの高天原日本に留まってはいけない。外国へ行って研究しなさい」と言って、須佐の男の命を外国に追放(神逐ひ)したのでした。須佐の男の命科学研究集団の日本から外国への旅立ちでありました。

その旅立ちから約二千年の歳月が経ちました。精神に対立する物質の研究が世界的に漸く成果を挙げて来ました。世界の人々の関心の主流が、それまで長い間続いた人間の内なる心から、外なる物質存在へ方向を転換する風潮が見え始めたのでした。その人の心の大きな風潮のうねりを察知した世界文明創造の責任者達(日本朝廷)は、この風潮を契機として世界文明の創造の方向を精神から物質へと転換する好機と捉えたのであります。人類文明は第一精神文明より第二の物質科学文明へ大きくその方向を転換します。科学文明時代の始まりです。

物質研究は物質の破壊から始まります。その研究促進のための精神土壌は競争社会を最適とします。弱肉強食、生存競争の社会が求められます。その為には物質研究が一応の完成を見るまで、精神文明の基本原理である言霊布斗麻邇は社会の表面から隠される必要があります。今より三千年程以前、高天原日本より世界各地に向けた精神文明の輸出は停止されました。そして精神文明の創始国日本に於いても今より二千年前(崇神天皇時代)言霊原理の政治への適用を停止し、その原理は伊勢神宮の奥深く、日本人の信仰の対象である神という形で社会の底に隠没しました。神話でいうところの天照大神の「岩戸隠れ」であります。

三貴子の中の天照大神が世の表面から隠れた結果、世の中を主宰する神は月読の命と須佐の男の命の二神となりました。初めの間は二神の力は相拮抗して双方相譲ることなく勢力二分でありました。月読の命は言霊アオを領域として、社会の宗教・芸術その他諸精神的学問(言霊を除く)を統轄し、須佐の男の命は言霊ウオをその働きの場とし、社会の産業・経済並びに物質科学研究の活動を総裁し、二神は戦争と平和、産業発展と環境保護等の意見の対立・妥協の繰返しの中に歴史を創り綴って行ったのでありますが、物質科学研究の成果が増大するに従い、その主宰である須佐の男の命の勢力が強くなり、ここ一、二百年の地球上の社会は正に須佐の男の命の独擅場の様相を呈するまでに至ったのであります。

人類の第二物質科学文明の完成を目指し日本より外国に向った須佐の男の命のヘブライ語の名前をエホバと言います。そのエホバ神の申し子が三千年程以前のモーゼを始祖とし、代々その志を継いだユダヤの予言者達(大ラビ・キング・オブ・キングズ)であります。彼等は忠実に須佐の男の命、即ちエホバの意志を実行し、爾年三千年間、世界各民族の裏にあって科学文明創造の促進を誘導し、更にその物質科学の研究によって生産される豊富な富を活用して、徐々に世界の全民族、全国家を唯一つのものに統一する計画実現に向って着々その成果を挙げつつあり、今やその事業は完成間近であります。

モーゼを始めとするユダヤ予言者の活動の原動力となるものを民間史竹内古文書、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の章に見ることが出来ます。今より三千年余以前のことです。いわく―

「ユダヤ王モーゼ来る。天皇これを受け入れ、モーゼに天津金木(かなぎ)を教う。モーゼ帰るに臨み、モーゼとその子孫にその成すべき業を依さし給ひ、勅語(みことのり)してのたまはく、汝モーゼ、汝一人より他に神なし、と知れ、と。」

天津金木とは人間本来持つ性能五つの中で、五官感覚に基づく欲望性能(言霊ウ)を五十音図の五母音の中心においた人間の精神構造の原理のことで、須佐の男の命の精神構造のことである。弱肉強食、生存競争場裡に於ける不敗の戦法原理であり、モーゼに教えたものをヘブライ語でカバラと呼び、現在日本の小学校で教える五十音図をヘブライ語の子音と数霊を以って編んだユダヤ独特の闘争原理であり、百戦百勝の戦法であります。

「汝、モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ」とは、「今後三千年間、物質科学文明を完成し、その成果のもたらす金力・武力・権力によって世界人類を再統一するまでの人類の第二物質文明時代の人民が神と崇めるのは、汝モーゼとその霊統を引くユダヤの予言者だけであるぞ」ということであります。三千年の長い年月、モーゼとその後裔(こうえい)の予言者にとってその魂を貫くような恐ろしい、決定的な宣言であり、予言であり、命令であったのではないでしょうか。このようにして人類が迎える第二物質化学文明完成の時を間近にした人類社会が須佐の男の命・エホバの独擅場となったのも当然のことと頷(うなづ)けるのであります。

須佐の男の命の、日本におけるその後継神の名前を大国主(おおくにぬし)の命といいます。出雲の国の出雲大社の祭神です。三貴子の中の一神、天照大神が岩戸隠れをして以来、皇祖神といわれる天照大神の内容である神々もまた世の中の裏面に隠れました。残ったのは月読の命系と須佐の男の命系の神々であります。この両系統の神の勢力が前述の如く須佐の男の命系の段突の優勢に終り、その日本における総大将ともいうべき大国主の命は日本中の神々の上に君臨する立場に立ったのであります。辞書の所謂「男女の縁結びの協議のため一年の中の結び十月に全国の神々は出雲の国(実は出雲大社)に参集し、出雲以外の国々は神無月となり、出雲の国のみ神有月と呼ばれる」理由を、古事記神話の三貴子(みはしらのうずみこ)即ち天照大神・月読の命・須佐の男の命の誕生と、その後の三神間の協調と葛藤の綾である人類歴史の経過から説明して来ました。お分かり頂けたでありましょうか。(男女間の縁結びの協議ということに関しては後程言霊学の主体と客体の結びとして説明します。)

さて、神って何でしょう。辞書を引くと、「神―人間の信仰心の対象となる、超人間的な威力を持つもの。宗教により国により異なる。例えばキリスト教では、宇宙を創造し、支配すると考える全智全能の唯一絶対の主宰者(上帝・天帝)をいい、神道(しんとう)では皇祖(そ)神を始め各地神社の祭神を称した。」とあります。この説明を読む限り、神とは信仰しない人にとってはあるか、ないか、分からないもの、信仰者にとっては必ずある、と信じるが、その神は自分以外のもの、そして仏教で仏を如来とも呼ぶように祈りによって自分の外から来るもの、と思われています。

神について更に考えを進めてみましょう。神という、人間の外にあって超越的で絶対な威力をもつものとは、如何なる構造を持っているのでしょう。その超越したものと、現実の人間との関係はどうなっているのでしょう。超人的、即ち人間界を超越したものを知り得る筈がないではないか、とお答えが返って来ます。しかし現代物理学は人間の五官感覚を超越している原子核内の構造を既に究極寸前にまで解明し尽くしているではありませんか。神の構造とて分からない筈はありません。と言い度くなります。何故って。時が、終末の時が迫っているからです。物質科学研究の文明社会を創造する須佐の男の命、ユダヤ民族のいうエホバ神は既に原子爆弾という悪魔の武器を製造し、しかも国際政治状勢は極めて緊迫し、何時原子爆弾ロケットが飛び交っても不思議はない事態なのです。しかも、日本の出雲の国の「神無月・神有月」の言い伝えが表徴するように平和、調和、協調、美、愛、慈悲の宗教・芸術・哲学界を主宰する月読の命はとっくの昔に須佐の男の命の膝下に組敷かれて、もう手も足も出ない具合なのです。ヨーロッパで以前叫ばれたように、哲学は貧困となり、宗教の神は「死に体」なのです。人類はもう何がなんだか分からなくなっています。宗教・芸術・哲学界の神を力で捻じ伏せてしまい、好奇心と数字をもって欲望の赴くままに疾走する神には平和・協調の精神など物の欠片も持ち合わせぬ躁うつ病的小児的物欲の神なのです。世界人類の誰彼といわず、多かれ少なかれ、その神の犬笛の音なきメロディーに操られています。そしてもっと重大なことは、その事態に気付き、その重大性を知り、精神的0点に立ち帰り、「人間とはそも何者なりや」を追求し、人間の持つ「業」を知ろうとする人が余りにも少ない事なのです。

「神無月」という言葉が全くの現実となった日本並びに世界の真実相は、一度その様相の一端を見ただけでその恐ろしさに血も凍りつくような危機感におそわれるに相違ありません。「目を覚ましおれ」のイエス・キリストの言葉は現代の人間にこそ言わるべきものなのです。

以上のような人類の差し迫った課題や危機の悉くを解決し、更に今後の人類の永遠の平和と豊穣の社会を創造する原動力となる原理・法則として言霊の学問がこの地球上に再び姿を現わしました。それは日本国民の信仰の対象として崇められて来た伊勢の天照大神という神の実体である人間の心と言葉の究極の学問であり、真理であります。また長い間、各宗教が待望し、渇仰して来た救世主の心の実体でもあるものです。更にそれは人類の如何なる暗黒無明の悩みも一瞬にして光明と歓喜に変換させる、日本人の大先祖が現在の人類に遺して下さった世界で唯一至上の精神秘宝でもあります。一刻も早く日本人がこの秘宝の存在に気付き、勉学され、その秘宝の御稜威を以って、新しい世界の創造のために立ち上ることを希望するものであります。……この学問の詳細については当会発行の書籍「古事記と言霊」をご覧下さい。

随想の終わりに最近思いついた事々を記してみましょう。御参考になれば幸いであります。

仏説の金剛般若経の中に次のような文章があります。「この経を読み、行をはげんでも何ら御利益はありません。御利益がないと知ることが御利益なのです。」大層奇妙なことのように聞こえるかも知れません。けれどそれが真理なのです。これに擬って言霊の学問について一言申し上げましょう。「言霊の学問を勉強し、それを習得しても何の利益もなく、偉い人にもなりません。どんなに学んでも平々凡々の人間に変りはありません。変らないと知ること、それが利益なのです。そしてその平凡な人間の眼に映ずる世界、それが真実の世界なのです。」

神無月には日本全国の神々が出雲(大社)に参集し、それぞれの氏子の男女の縁結びの相談をする、という所謂俗説を紹介しました。それが何を意味するか、には言及しませんでした。ここで一言申し上げておきます。古事記の神話は伊耶那岐・美二神のセックス行為に擬(なぞら)って人間の心と言葉の意義・内容を説明します。同様に神々が出雲に参集する理由を氏子の男女の縁結びと伝えます。男女間のセックス行為も、縁結びも人間の生活の最も基本的な、一般的な行為でありますから、そこから人間の生命とか、生活に関係する法則を説明するのに便利であるからであります。では出雲の男女の縁結びは何を表徴したのでしょうか。男女という言葉が表徴するのは、物事の陰陽、主体と客体、始めと終り、私と貴方、積極と消極、その他種々の関係が考えられます。言霊で言えば母音と半母音の結びです。それらの縁結びから世の中の有りとあらゆる現象が生まれて来ます。そしてその縁の結び方に四通りあります。言霊学はその四通りの結びを八つの父韻の四通りの並び方によって表わします。ウ―ウの結びはカサタナハマヤラ、オ―ヲの結びはカタマハサナヤラ、ア―ワの結びはタカラハサナヤマ、そしてエ―ヱの結びはタカマハラナヤサです。十月神無月に出雲に参集する神々にはウオアエ四段の言霊母音のいずれかを住家としているでありましょう。出雲大社の神、大国主の命は言霊ウの強大な神であります。それ故に参集して来る言霊ウ以外の母音次元を領域とする神々にも、ウ―ウの結びのカサタナハマヤラの結びのベールを被せてしまうに違いありません。そのベールのオーラが今日程強く厚くなったことはありませんから、その影響を受けて、人間界は完全にウオアエの根本性能の強調に混乱が生じ、言霊ウ次元以外の言霊オ(学問)、言霊ア(宗教・芸術)、言霊エ(道徳・政治)の各人間性能に色濃く欲望という魔物が入り込んで来ました。読者がその状況を毎日、新聞、テレビで嫌という程御覧になっている事であります。

今随想の最後の一節として、神々の舞う神楽のことをお話しましょう。皆様大方は伊勢神宮の内外宮にお参りした事がお有りでしょう。西行法師が「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ神域の神々しさもご存知でしょう。しかしその内宮正殿は門の扉が固く閉ざされ、我々民間人は普通では正殿を眼前にすることは出来ません。いわんや、その正殿の中に入ることなど到底出来るものではありません。正殿の中に実際に何があるのか、知りようがありません。皆さんが決して入ることが出来ないと諦めてしまうのは、その方々が正殿の正面の門から中に入ろうとするからです。「伊勢神宮の正殿にはレッキとした裏口があります」(これは私の先師の言葉)。この裏口は出入自由です。お賽銭は不要です。中に入るとむさ苦しい老人が一人居眠りをして、人は来ないかな、と人待ち顔です。近づくと「いらっしゃい」と言って、お茶を淹れてくれます。その奥には生きた天照大神が端坐していて、自分自らを語り、貴方方の一切の質問に答えてくれ、更にこの世界をどうすればよいのか、を親切に教えてくれます。不思議なことに、その中に幾度か出入りする間に、貴方自身が古事記の岩戸の前の天の安の河原に参集した皇祖神の内容を成す神々の一人であった大昔の事を思い出すようになります。そして何時の間にか、天照大神がその光輝く御姿を全人類の前に現わす日の為に、御神前の神楽舞の練習をさせて頂いていることを知ります。そのお神楽舞の囃子言葉は

たまきはる生命の御代を言寿(ことほ)がむ 永遠のおきては 高天原成弥栄(たかまはらなやさ)

その裏門の表札には「言霊の会」と書かれています。

(この項終 わり)

「コトタマ学とは」 <第百九十七号>平成十六年十一月号

思考のはじまり

人が何か思い考えようとする時、頭脳内でまず何が起こるのかを言霊で示したのが前項の天津磐境の構造です。しかし、ただ結論としての構造図を見ただけでは、何のことだかお分かりいただけないかも知れません。そこで説明が必要なのですが、もともと先天といわれて、人間の意識では直接に捉えることが出来ない部分に関係することですので、説明はともすると難解な用語を使いがちになります。今はそうなることを避けるために、一つの例を挙げて説明することにします。

思考が未だ何も始まらない時、それは空々漠々たる心の宇宙が広がっているばかりです。それはちょうど夢も見ずに眠っている時に似ています。空漠たる宇宙に思考が始まります。それは眠りから目が覚めようとする時に似ているということが出来ましょう。そこで人が眠りから目を覚ます状態を例にして、思考の始まる時の先天構造の働きを説明しましょう。前項の言霊で示した先天構造の図を見ながらお読みいただきますと、理解しやすいと思います。

朝、深い眠りから目が覚めます。まだ意識が完全には覚めないでモーローとしています。何もかもはっきりとはせず、それでも何かがあるような、あり始めるような感じの時、両手を伸ばしてノビをします。思わず自然に口に出る音声は「ウー」です。意識が覚める初めに何が起るのか。頭脳の心の先天部分の言霊ウの宇宙に何か刺激が加えられつつあることを示しています。この時の音声は誰でも「ウー」であって、他の四つの母音オアエイでは決してありません。

意識の内部は大部分がボーッとしているのですが、何かが目覚め出した状態、それは広い心の宇宙の中に初めてうごき(動)、うまれ(生)、うごめく(蠢)ものです。それはまだ現象としては現われていないけれど、心の宇宙の中に何かが動き始める予感のようなもの、ともいうことが出来ましょう。その初めて動き出そうとする宇宙、これは言霊ウの世界なのです。この世界から五官感覚が現れて来る元の宇宙です。

現象には決して現われることのない先天の世界の出来事をお話していますので、どのように形容しても理解は難しいかも知れません。そこで簡単な図で示してみましょう。

心の動きが未だ何も起らない宇宙を○で表現するとしましょう。エネルギーは充満しているが、そこに何の動きも起っていない状態です。禅宗の坊さんが空(くう)と呼んでいる、心の内で捉えた宇宙のことです。この宇宙の中の一点で何かが動き始めようとします。心で直接感じるわけではないのですが(心でしっかり感じてしまえば、それは現象の出来事です)、動く気配とでもいえる心の動きです。それは○の中に一点ウが入ったことで示されます。

「ウー」と声を出して伸びをして、モーローとしていた意識が次第にはっきりしてきました。次に何が起るでしょうか。目の前の明るさが感じられて来ます。「もう朝かな」とおぼろげな疑問を感じます。前にもちょっと触れたことですが、人は何かの疑問を感じると同時に見る方の立場と見られる方の側、主体と客体とに別れます。この主体と客体の世界に言霊で「ア」と「ワ」と名付けました。昔、実際に私のことを吾(あれ)、あなたのことを我(われ)と呼んだ時代がありました。今でもあなたとかお前とか呼ぶのに「われ」を使う地方があるようです。早速図で示してみましよう。

何もない宇宙に何かが始まったことを上図にしました。その何かに対して「何?」という思考が起ると、一つの宇宙が瞬間的に見るものと見られるもの、考える側と考えの対象となる側の世界に分かれます。主と客に分かれるということから、精神と物質という区別も付くことになります。宇宙は精神でも物質でもありません。宇宙というただ一つのものです。それが一度人間の思考が加わると同時に、全く対称的な二つのもの(アとワ)に分かれることになります。

(次号に続く)

過ぎし日々のことなど(言霊学随想)

数日前の夜のことです。ふと目が覚めました。枕元の時計が零時三十分を指しています。すぐ眠ろうとしたのですが寝つかれません。寝そびれると、私は中々眠れないたちです。「えゝ、ままよ」とベッドの上に“静坐”をしました。眠れない夜には静坐で過ごすのが一番です。すぐ一つの思いが浮かんで来ました。「今、私を束縛しているのは何か」です。「肉体意識だ」と知りました。過去、合計で二十年程霊的治療や整体療法をやって来た影響でしょうか、私は自分の肉体への意識が他の人より強いようです。何事につけ肉体の状態に意識を向け、それにより実行か、中止かを決める私の癖はもう数十年も私が懸命に闘っているものです。近頃大分その影響は少なくなって来ました。肉体のことを「からだ」と言います。「カラの田」即ち空っぽの田です。田とは人間の全人格ということですから、人間としての内容、要素は全部詰まってはいるが、しかし空っぽだ、ということになります。しかも田には濁点がついていますから、現在完了形を表わします。その人間の内容・要素を表わすすべてがここで完了して、これ以上には発展して行かない、ということです。

肉体の症状とは現象です。色即是空の色であります。現象に実体はありません。更に考えますと、体自体も色であり、これもまた空(くう)です。実体のないものです。こう知ることによって肉体に拘泥(こうでい)する癖は克服されつつあります。この事を確め終えて、自らの心の反省は一段落しました。けれどその夜は、心が一向にスッキリしません。「まだ今、反省すべき事があるな」と気付き、更に静坐を続けました。「これでもない、あれでもない」思いが私のいろいろな場面を駆け廻りました。暫くして心がひっくり返るような事に気付きました。それは青天(せいてん)の霹靂(へきれき)とも言うべきものでした。その私の心を拘束しているものとは、私の仕事である「言霊学」そのものであることに気付いたのでした。

その瞬間、二十年間、言霊学の先師、小笠原孝次先生より教えて頂いた言霊の学、先師亡き後、私自身が思索、研鑚し、皇祖皇宗から導かれ、教え賜った事柄、自分自身の体験によって自証されて来た言霊知識等々のすべて、私の頭一杯にはちきれんばかりに詰まっていた言霊学のすべてが雲散霜消、何処かへ消え去ってしまったのです。私にとって驚くべき事態がむしろ寂光のような和やかな光の中に粛然と起ったのでした。私が大切だと思っていた言霊学の知識が一瞬にして姿を消してしまいました。……その私にとって茫然自失すべき出来事が起ったにも拘らず、心は平然としており、心地よくさえあるのです。すべてが消え去った後にはただ私という一人の人間だけが残されていました。

厳粛で平安な心地が暫くの間続きました。時計はもう三時を大分廻っています。突然、ハッと一つのことが浮かび上がって来ました。頭の中に詰まって、ハチ切れんばかりであった言霊学の知識が一瞬にして何処かへ行ってしまい、その後に人間である私が残ったということの意味がはっきり分かって来ました。言霊布斗麻邇の原理とは、今、此処に生きる私そのもののすべてなのだ、ということ。言い換えますと、人間生命のすべてなのだということを知ったのでした。

気持ちが昂揚して、まんじりともしないで朝を迎えました。大きく息を吸って伸(のび)をしました。ふと自分が、青天の霹靂のような出来事に出合ったのに、何の変化もしていないことに気付きました。依然として平々凡々な人間です。しかも長年勉強して来た言霊の学問の一語一語が頭の中から何処かへ行ってしまったのです。これでは何の取り柄もない人間であることは当然であります。何しろ言霊のことについて他人に話しかける気持ちが全然起らないのです。

これは一体どの様なことなのでしょうか。先ず頭に閃いたのは禅宗無門関という本にある「仏に会っては仏を殺し、祖に会っては祖を殺し……」という言葉です。物騒(ぶっそう)な言葉ですが、実は仏や祖(師)を殺すのではなく、仏や師から教わった教えをそのまま暗記して、それで自分は教えをマスターしたと思うのではなく、教えられたことを自分の心中で検証して、その通りで真実だと自証して初めて人に説法すること、という意味でありましょうか。

そう言えば、私が言霊学の師、小笠原孝次先生の所に初めてお伺いし、言霊学の手解(てほど)きをお願いした時の先生の言葉が思い出されます。「一般の学問でしたら、先生の教えたことを記憶し、その理論を理解したら、その学問は卒業したことになるでしょう。けれど言霊の学問は心の学問です。聞いて理解した処から勉強が始まるのです。私が先輩諸氏から教えられたり、私が研鑚したりして知り得たことは責任を以って貴方にお伝えしましょう。それを聞いて、理解し、実証し、人にお話し、活用して行くのは貴方の責任です。それでよろしかったらおいで下さい。お話します。」先生は見事にその言葉を実行なさったのです。数年が経ち、私が先生から教えられた事を概略理解し、人にもお話出来るようになった頃、先生から突然「島田さん、明日からもう来ないでいいですよ」とその理由も言わずに申し渡されたことを記憶しております。その時の私の愕然たる様を今でも忘れません。先生のお宅からの帰途、その言葉の真意を測り兼ね、家に帰って一服した時、やっと初めて先生のお宅に伺った時の先生の言葉を思い出し、先生の御恩に感謝することが出来たのでした。私が宗教書を買い込み、茨城県の筑波山に近い下妻という町の小さな家に籠ったのはそれから間もなくでありました。……現在、私は先生の言葉の如く、教えられた事のすべての自証を完了したというのでありましょうか。

以上お話した事から思い起こされます古事記神話の臼の原理と鈴の原理について考えてみましょう。この事は以前、会報で簡単に述べたことがあります。古事記の神話は冒頭の「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神(言霊ウ)。次に高御産巣日(たかみむすび)の神(言霊ア)。次に神産巣日(かみむすび)の神(言霊ワ)。……」から始まります(―線筆者)。この後の神名を言霊で示しますと、「ヲオエヱ、チイキミシリヒニ、イヰ(以上天名)、タトヨツテヤユエケメ、クムスルソセホヘ、フモハヌ、ラサロレノネカマナコ(子音)、ン」で言霊五十音は終わり、次に続く五十神が、既出の五十音言霊の整理、活用、操作の内容を示し、言霊学の総結論である三貴子(三柱のウズミコ)の誕生で言霊百神の原理の全貌が整います。言霊学の全体系が余す所なく教えられることとなります。そしてこの大業を成し遂げられました伊耶那岐の大神は「淡路の多賀にまします」(古事記)と言い、また日本書紀では――

「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かむこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)。是を以て幽宮(かくれみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(かむこと)既に至りぬ。徳(いきほひ)亦大いなり。是に天に登りまして、報告(かへりごと)したまふ。仍()すなわち日の少宮(わかみや)に留まり宅みましぬ。」

と書かれています。言霊の神である伊耶那岐の大神は言霊五十音を生み、その運用法五十を完成し、言霊百神という人類世界の文明創造の大法を樹立し、その上で淡路(あわぢ)の洲(す)(言霊ス)に寂然と隠れ宅(す)んでいらっしゃいます。天の御中主の神(言霊ウ)に始まり、言霊百神の原理の一切を掌握して、すべてを自覚し、その上で言霊ス[巣(す)、住(す)、澄(す)、静(す)]の容(かたち)で隠れていらっしゃること、学業を卒業して、その原理の下に人類一切の事を見つめていらっしゃること、これを言霊ウ―ス、即ち臼(うす)の原理と申します。そして静寂の中から一度立ち上がれば、一切の森羅万象を創造します。このすべてを知って待機している姿は臼に、即ち動かなければドッシリしていて、一たび動けば粉(こ)(子・現象子音)が出来る臼に似ていることから、その語源となったのです。

言霊原理をマスターして、言霊スと澄みおさまった者が、活動の機会が来れば、やおら立ち上がり、ス―ウ―アワ―……と活動を開始して、人類文明創造の大業を成就し、最終的に元のスの座に落ち着きます。言霊スからスまでの活動です。その終わりのスは始めのスからの活動の終着点であり、スの座からの活動の現在完了形で終る処からスに濁点がついてズとなります。即ちスよりズへの活動であることから、これをスズ(鈴)の原理と呼びます。以上のことから、言霊学勉学の道は臼の原理であり、勉学し終えた人が言霊原理に基づいて人類文明を創造する道が鈴の原理ということが出来るでありましょう。果たしてこの臼の原理と鈴の原理が現在の言霊の会の在り方と関係があるのか、ないのか、今暫くの観察が必要でありましょう。

ただ私の心の深い処に微(かすか)かな予感のようなものを感じます。それはこの会報の題名を「言霊研究」から「コトタマ学」に改めた時の「お知らせ」の中で書いたことですが、「研究」の時代から「実行」「実践」の時代への転換を予想したことでした。今、その時が実際に近付いたのではないか、と思わせる微候が幾つか私の心の内に見え隠れして来た事です。勿論、それは誰の目にも映ずるようなはっきりした現象ではなく、現象以前のものです。聖書のイエスの言葉「目を目覚ましておれ」という警告の範囲のものです。けれど単なる予感かというと、そうでもありません。何故か。それが人類に愛を抱く人ならば何人でも予感する心の徴候であることであります。と同時に、現在の地球上の国際的政治・経済の状況を、何らの予見無しで率直に俯瞰することが出来るならば、人類社会が求心的に一つの渦を巻いて落ち着く処に流れて行っている事を明瞭に読みとることが出来ることによります。読者の皆様の御感想は如何でありましょうか。

数ヶ月以前、人間精神の次元的自覚の進化の段階の順序ウオアエイ五母音に一音「る」を結んで、うる、おる、ある、える、いる、のそれぞれの心構えの実相についてお話したことがありました。覚えていらっしゃいましょうか。私が現在、四十年間、聞き、学んだ言霊学が全部消えた如く心の表面から遠のいてしまい、ただ私という人間がポツンと地球上の表面に、否、宇宙の一点に独り坐っているということ、これが日本語の「いる」ということではなかろうか、と思っています。「いる」の客体形「ゐる」の「ゐ」の象形文字はと示されています[石上神宮、十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の雑々(くさぐさ)物の比礼(ひれ)]。これは神や仏がこの宇宙に一人、黙然としている形でもあるそうです。人は生まれながらに神であり、仏だと謂われます。神も仏も宇宙でただ一人です。人間の孤独感とは神や仏の孤独に由来しているそうであります。

端坐して 吾と私語する 霜夜かな 櫻比古

蒼天や 零余子(むかご)の顔に 見入りけり 琪山人

経験知識が意識の関心から消えてしまい、ただ一人の人間として取り残された私を如何に観察し、考え、思っても、孤独な一人であることに変りはありません。その一人ぽっちの人間にも自分の過ぎし日の事を振り返ることは出来ます。それに来年二月には会報「コトタマ学」は発刊以来二百号を迎えます。遅くともその時までには、私の新しい活動が始まることでしょう。イエス・キリストは死んで三日にして蘇ったと聖書にあります。奥手の私にはそんな早い芸当は望めません。来年の立春頃までには私の心にも新しい春が訪れることを期待して、今は私の拙い昔語りを少々申上げることといたします。御了承下さい。

私がこの世に呱呱(ここ)の声をあげたのは一九二五年、大正十四年七月十七日、場所は銀座五丁目の守宗産科医院であります。父親は島田岩見、島根県江津市浅利の産。母親はまつ、チャキチャキの江戸っ子、浅草の産。父親の職業は銀座西二丁目(現在二丁目)で建築設計並びに土木建築資料通信という小月刊新聞の発行をしておりました。小新聞でありましたが、その発送先には樺太や委任統治領の南洋群島などがあったことを覚えております。

七月の半(なか)ばに生まれた子は親不孝だ、と聞いたことがあります。理由は簡単です。その子を出産する前も、出産した後も、猛暑の続く季節、空調設備のない当時では母親泣かせであったでありましょう。言われた通り、私の一生は親不孝を絵に画いたようなものだと思っています。「恒産なければ恒心なし」(孟子)と謂われます。安定した収入のない人は心も安定を得られない、の意です。私は一定の職業に就いたのが五十才から六十才までの十年間位のことで、後の六十数年は無鉄砲というか、無茶苦茶な生活を押し通して来ました。恒産もなし、恒心もなし、むしろその無恒産、無恒心の波風を心のバネとして、自分の心の目標に飛び上がろうとした一生だった、と言えるかも知れません。若し両親が生きていたら、涙を流して悲しがったに違いありません。

そんな私でしたが、親から見れば何かの取得(とりえ)を感じたのでしょうか、父親は死ぬ一ヶ月程前に私を枕元に坐らせ、遺言らしき言葉を遺したのをはっきり覚えています。その最初の出だしの文句が、今で言う恰好(かっこう)よかったものですから、それと共にお伝えしましょう。「中国の十八史略という本に、『鳥の将(まさ)に死せんとする、その声や悲し。人の将に死せんとする、その言や良し』とある。父の最後の言葉だと思って、よく覚えておきなさい。」という出だしに次いで「人の一生はただの一度しかない。だから後で悔やむことのないよう、思ったことを真直ぐに進みなさい。どんなに辛いことがあっても挫けずに進みなさい。ただ自分の決めた道は自分の責任なのだから、決して他人に迷惑をかけないようにしなさい。これが言いたい言葉です。次は付け足しだが、人は年老いて来ると、仕事から離れる時が来る。年とって何もすることがないというのは味気ないものだから、お前も暇がある時には何か一つ、自分の身に合った趣味を持つよう心掛けるといい。これが私の言いたいことだ。聞いてくれて有難う。」

父親がこのとき程偉い、存在感のある人と感じたことはありません。敗戦前の家庭の中の父親というものは、全く雲の上の人と言った位で、私が父親と一緒に外出した経験は全部で二度か三度位しかなかったと記憶しています。その分だけ母親の方に親近感を感じ、甘えもしたものでした。母親は浅草で十数代続いた餅菓子屋の娘だと聞きました。当時、上京して内務省建築課に勤めていた父が母親の店の前を通りかかり、たまたま店が忙しいので手伝いに出ていた母に一目惚れし、酒好きの父が繁々と店に通って母を射止めたという話を母の姉(伯母)から聞いた時、「あの威厳顔の父にして……」と面白く思ったものでした。

その母が私が十四才の時、父が十七才の時になくなりました。父がなくなった時には、住居は銀座を離れ、世田谷区上町に移っていました。家の隣から広々とした畠が遥か遠くまで続き、「遥けくも来つるものかな」と思う程の田舎でありました。銀座の家は仕事場に改造され、終戦の年の五月、B29爆撃機による五百キログラムの爆弾の直撃を受け、跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。爆撃を受けた時、家には家の人も他人もいなかったため、人的被害のなかったことは不幸中の幸いでありました。

さて、私は初め父の事業の後を継ぐつもりで理科系の学校に入ったのですが、昭和十九年から翌二十年の敗戦にかけて、学徒動員、茨城県勝田へのアメリカ潜水艦による艦砲射撃、学校所在地の水戸市空襲、友達の死等々のことが重なり、建築家への希望は消え、「死とは、生とは、国家とは……何であるか」の哲学的、倫理的思考の勉強に走り、学校の授業や成績のことなど念頭から全く消えて行ったのでした。

私の一生を決定づけたのは、私の偉友、O氏と親しく世界人類の将来について語り合うことが出来たことが挙げられます。氏は御自身の一身上のことで入信しておられた宗教団体(私も後に研究のため関係することになるのですが)の教理に従ってでありましょうか、「日本は勿論、全人類は数千年に一度の精神的大転換の時を迎えている。それは戦争で日本が勝つか負けるか、アメリカがどうかなどの事ではなく、もっと全人類に関係する大きな転換の問題であり、この人類的大転換というものを根底にして考える時、人類の明日を見通すことが出来るようになる」という意見でありました。この人類の歴史的大転換という言葉が私の脳裏にグサリと突き刺さり、その「大転換」とは何か、を知るために一生を賭けることになります。

三千年に一度の人類の歴史の大転換という問題を教えてくれる大学も、また個人も終戦直後の日本に存在する訳がありません。一九四七年以降、私の孤独な、盲滅法の勉強が始まりました。いくら勉強しても一銭にもならないことが始めから分かっている勉強です。でもどうしても知りたいという願望に突き動かされているように、私の全くのアウトサイダーの精神放浪が続きました。哲学、倫理学、歴史学、心理学、深層心理学、超心理学、深層治療心理学、文明評論等々の書を読み漁り、思索しました。

世の中で功成り名遂げた種々の人々にめぐり会うことも出来ました。偉い、尊敬すべき人もあり、変人もあり、それぞれに学ぶ所が有りました。中学在学中、片道二十キロメートルの道を往復徒歩で通学し、一日も休むことがなかったというお医者さん、この方は終戦後の総理大臣吉田茂氏の主治医をしていたと聞きました。裁判の時、滔々と霊現象を喋り、検事を煙に巻いてしまう弁護士さん、この方は長いこと東京弁護士会の副会長を務め、後年、私に宗教団体を創設して私がその教祖にならないかと真面目にすすめに来たことがありました。長年、無肥料、無農薬で稲を栽培し、立派な米を作り続けている精農家、この人は野良着に純毛の紺色のラシャを用いていました。寒さには勿論、暑い時でもラシャの着物は心地がよいと言っていました。また日本で十年、アメリカで十年、医学を勉強し、日本へ帰って来て開業したお医者さん、この方の診療所の受付には「診療費御相談に応じます」との札が下がっていました。東京の渋谷の道玄坂で占(うらない)の手相を見て暮らす白髪の老人と語ったことがあります。手相は見ても占はしない、と言っていました。私が「占は当るかね」と尋ねると「九十パーセントは当る。けれど真の信仰心を持った人は当る率がぐっと下がるね。執着が少なくなるせいだろう」とユニークな答えが返って来ました。大正天皇の治医を長年務めたという老医師を訪ねたことがあります。その人から自分で手刷りしたという伊勢神宮内宮の御神体、八咫の鏡の裏の拓本を見せられたのには驚きました。そこにはヘブライ語で「イチョラヤエ」とあるそうです。私には読めませんが、「唯一人の神、エホバ」という意味だそうです。

言霊学に関係ない拙い昔話を長々と続けて来ました。お気に召さなかったらお詫びします。ただ、この昔話を続けるのには一つの意図があるからです。それは志を持ちながら、この世の中にいてどうしてよいか分からぬ一人のアウトサイダーの心中が、如何に強がりを言っても、内心常に不安であり、血も凍りつく程の孤独感に嘖(さいな)まれるか、その結果、如何に光の当る世界に憧れるか、光と影の問題を浮き彫りにして、言霊学の結論である言霊子音の自覚、即ち「霊駆(ひか)り」の原理に結び付ける意図があるからです。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第百九十八号>平成十六年十二月号

梅の花

もう十年以上も前のことです。関西旅行をした時、京都駅前から「わびコース」という観光バスに乗ったことがありました。京都の有名なお寺の庭園と茶室を見せてくれるコースだと聞きました。

最初に一名竹寺と呼ばれる光悦寺の庭園を見学し、次に大徳寺に行きました。すぐに見学できるのかと思いきや、乗客全員、庭園に面した広い廊下に座らされて、若いお坊さんが説法を始めたのには驚きました。話はなかなか終りません。退屈極まった筆者は席をそっと抜け出しました。人気のない広い長い廊下を歩きながら、優雅な大徳寺の部屋部屋をのぞいて廻ったのでした。

ある部屋の前に来た時、襖が開けたままになっていて、部屋の床の間に掛軸がかかっています。五字の詩(仏教で偈といいます)が一行、幼稚とも思える素朴な筆で、しかも達筆に、

「梅花破雪香」(梅花雪を破って香し)

と書かれています。「長い冬の白一色の雪の景色を突き破るように、春の初めの息吹の梅の花が咲いて香りを放っている」という意味の詩です。上手な詩です。さらに驚いたことには、それが禅宗のお坊さんの作だと思われるからでした。仏教の偈というのは、お坊さんが修行の途上で悟ることの出来た心の仕組みを自然の風物に託して表現した詩であるからです。

一面の雪は、現象としては何も起っていない心の宇宙、お坊さんのいう「空」をたとえています。その心の宇宙から意識の息吹・萌芽が生まれ出て来ます。梅の花は万物がまだ冬の眠りにある間に、いち早く春を告げて独り咲き出します。心の宇宙の中に初めて生まれる兆しに日本人の祖先はウの一音(言霊ウ)を当てました。梅の花は正しく「ウの芽」に当ります。日本語の梅の語源なのです。

昔、大徳寺にえらいお坊さんがいて、修行の末に空を悟り、その空々漠々たる心の宇宙から意識の芽が生まれ出て来る瞬間の消息を心の内に観じて偈に表現したのでしょう。この偈の掛軸を前にして、日本語の梅の語源が、心の先天構造の天津磐境の最初の原理である言霊ウの「芽」であることを今更のように驚きをもって心に留めたのでした。

松風

梅の偈の掛軸のある部屋の隣の部屋の前に来ました。やはり襖が開けてあります。見ると同じような床の間に、同じような表装の掛軸が掛かっています。

「余坐聴松風」(余坐に松風を聴く)

と同じ筆で書かれています。ますます驚きました。心の先天構造の第二則が見事に詩として表現されているのです。

余坐とは次の座ということです。何の次の座かというと、心の宇宙の中に何かが生まれ出てきたと感じる兆し(言霊ウ)の次の座のはずです。それは「何かな」という疑問が起ると同時に、図示したように一つの宇宙が主体と客体、アとワに分かれます。松の葉は生え際から二本に分かれています。∧の形です。この主体と客体に分かれることを「松風を聴く」と大層風流に詩的に表現したのです。

二つの詩を続けて書いてみましょう。

梅花雪を破って香し、余坐に松風を聴く

心の構造を見事に表現した偈ではありませんか。心楽しくなった私は、手帳に二つの偈を書き取ってからもと来た廊下を引き返しました。観光客相手の若いお坊さんの説法は、丁度終ろうとしているところでした。

(次号に続く)

過ぎし日々のことなど(言霊学随想)その二

最近、平成十五年から今年にかけて、それまで熱心に言霊学講習会に来られていた方で、ある月からパタっと来られなくなった方が数人いらっしゃいます。言霊の学問が全くお分かりにならない方なら兎も角、理論的には相当御理解なさっておられる方が勉学を諦めてしまうのですから、お気の毒というか、残念というか、言いようのないことです。諦める理由は何処にあるのか、種々考えてみますと、どの方も同様に言霊学の理論の理解からご自分の心による実際の自覚へ進む段階で起る現象の作用であることによっているように思われます。今月号は表題の如く昔話を申上げることになりますが、それに入る前に、この勉学の障害について一寸お話申上げることといたします。

毎度申上げることですが、人間の心の内容の自覚は言霊ウオアエイの順に進化をします。ウ(五官感覚に基づく欲望)、オ(経験知識の獲得とそれによる判断)、ア(感情、純粋愛の世界)、エ(実践智)、イ(言霊、言葉)の順であります。この心の自覚の進化の段階でその進化の障害に出合うのは、言霊オからアの段階へ移る時であります。このオからアへの進化の勉学の方法が現代人にとって大層不得手な、またユニークなやり方でありますので、”障害“となって立ちはだかることになります。その消息を説明してみましょう。

現代人にとって進化という言葉を聞くと、どんな印象を持つでしょうか。進化、即ち進んで変わる(化)という意味から勉強を積み重ねて行って、その内容がある段階に来ると、その時までとは全く違った内容に変わって行く、という所謂生物学的進化を思い浮かべるのではないでしょうか。例えば、蝶が初めの卵から幼虫となり、蛹となり、終に成虫となって空中に羽化して飛び出す姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

ところが、人間の心の自覚進化は右の如き蝶の進化(変態)とは全く違ったものなのです。その違うことの理由は先ず次のことが挙げられます。蝶は変態して卵、幼虫、蛹、蝶と四段階が全く異った形に変態して進化します。人間の精神進化はそういう変態をしません。人間は生まれた時からウオアエイの五段階の精神性能を与えられているのです。そしてその五つの性能は、それを自覚すると否とに関係なく常に働いています。ですから言霊学を学ぶことによってそれ等の性能を一つ一つ身に付け、開発して行くわけではありません。生ある限り人はそれらの性能を働かせて生活を営んでいることに何人たりとも違いはないのです。違うのは、自分の心を省みることによって、それらの性能を一つ一つ内容を自覚して行くことなのです。そして自覚することが出来た段階に於ては、その次元の視点に立って自由に物事を判断し、それに適応した行動を実践することが可能となります。

では言霊オからアへの自覚の進化の時のユニークな障害とはどういうものなのでしょうか。人は言霊ウの五官感覚に基づく欲望性能では、その人がそのものを欲しがるから行動を起こします。全く欲しないのに食べたり、飲んだりする人は少ないはずです。次の言霊オの経験知性能に於ても、人は自らの好奇心に基づいて考えたり、観察したりします。自分が知りたいから知識として集めます。またその知識によって判断を下します。自分の持っている知識では判断出来ない物事に遭遇すれば、判断を可能にする新しい知識を集めようとします。これも自分にとって必要と思うからです。

ところが次の言霊アの感情性能では事情が違って来ます。恐怖におそわれた、悲しみにうちひしがれた、嬉しさがこみ上げて来た、憎しみに燃えた……など、自分自身が欲したわけではないけれど、自分の意志如何に関係なく起ったように言われます。自我を越えた精神領域から自我の中に入って来るように感じます。感謝の念が湧いて来る、などもその例です。涙は自我の意志で何時も流せるものではありません。

以上お話申上げましたように、自我の希望するところから出発する言霊オの経験知性能から、自我領域以外に 源 を発する感情性能である言霊アへの自覚の進化は当然のこととして、言霊ウ―オの進化の延長上には求められないことが御理解頂けることと思います。それは「欲しい、欲しい……」の言霊ウの性能から「知りたい、知りたい……」の言霊オへの自覚の進化がそれ程意識しなくても容易に実行し得るのとは全然趣が異なるものなのです。

言霊ウ、オから言霊ア(エ、イ)への自覚の進化を更に難しくするものに「自我意識」があります。言霊ウの「食べたい、欲しい・……」の性能だけの幼い時にはそんなでもないのですが、言霊オの性能が活発となる年齢になりますと、欲しくて手に入れたものと知ることの出来た経験知を「自分のもの」と思うようになり、果はそれが「自分」だという意識を持つことになります。それが自らのプライバシィを気にする年齢に達すると、強固な自我意識が形成されます。占有する物質と経験知の総量を「自我」だと思い込むようになります。キリスト教の旧約聖書にある「禁断の木の実を食べた」とはこのことであり、「神に代って物を見、考えるようになり、自らの裸を恥ずかしく思う」ようになります。

ところが言霊オから次に自覚を進めようとする言霊アの性能は、右に述べた如く自我意識外から自我に移入して来るものでありますから、この自覚を確実なものにするためには、人が自らだと思い込んでいる自我意識そのものが邪魔をすることになります。そこで言霊アの感情性能全体を自覚するには、どうしても自分の心の中に形成された自我意識を否定しなければなりません。否定しないまでも、自我意識を自らの心の中心から脇の方へ退かせることが必要となります。「今まで自分自身と思っていた自我は、実は言霊ウとオとの性能で手に入れた総体の内容なのであり、自分自身ではなかった。それに自分が集めた物質財産は勿論、経験知識も自分自身ではなく、自分の生きるがための道具に過ぎないのだ」ということになります。言霊アの自覚に進むためにはこの反省を繰返し実行しなければなりません。

この反省による経験知の自我否定は現代人にとって「言うは易く、行うは難し」の行為であるかも知れません。現代人にとっては、物質科学の勉学の如く、経験知識を有機構造的に合理的に沢山集め、身につける程社会に於ける優秀な人材と思っていたものが、その勉学方法とは全く反対に、「それは自分自身ではない」と否定して行く所謂退歩の学だからです。物心がつき出した時から努力して集めた経験知を否定して、即ち自分自身だと思い込んでいた経験知識を否定して、生まれたばかりの赤ちゃんに帰ることだからです。新約聖書はいみじくも「汝、翻りて幼児の如くならざれば天国に入るを得ず」と言っています。

ただ私の心の深い処に微(かすか)かな予感のようなものを感じます。それはこの会報の題名を「言霊研究」から「コトタマ学」に改めた時の「お知らせ」の中で書いたことですが、「研究」の時代から「実行」「実践」の時代への転換を予想したことでした。今、その時が実際に近付いたのではないか、と思わせる微候が幾つか私の心の内に見え隠れして来た事です。勿論、それは誰の目にも映ずるようなはっきりした現象ではなく、現象以前のものです。聖書のイエスの言葉「目を目覚ましておれ」という警告の範囲のものです。けれど単なる予感かというと、そうでもありません。何故か。それが人類に愛を抱く人ならば何人でも予感する心の徴候であることであります。と同時に、現在の地球上の国際的政治・経済の状況を、何らの予見無しで率直に俯瞰することが出来るならば、人類社会が求心的に一つの渦を巻いて落ち着く処に流れて行っている事を明瞭に読みとることが出来ることによります。読者の皆様の御感想は如何でありましょうか。

聖書はまた「金持ちと学者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい」とも言っています。「幸福なるかな、心貧しき人。天国はその人のものなり」だからです。金持や学者でなくとも、経済のことに自信を持ち、学生時代に優秀な成績を挙げ、そのことに心中自負している人にとっても、この反省、退歩の学は難行苦行に思えるかも知れません。それらの自負心の強さは強い自我意識を形成し、その自我意識の内容であるただ一つの経験知の否定が、あたかも自分の全人格の崩壊の如く感じてしまいます。恐怖感におそわれます。「こんな恐ろしい目に度々会ったら生命がいくつあっても間に合わない」と思い込んでしまいます。

端坐して 吾と私語する 霜夜かな 櫻比古

蒼天や 零余子(むかご)の顔に 見入りけり 琪山人

心中の障害や恐怖心を物ともせず、喜び勇んで自らの心の内容を反省し、自我意識を克服して行く方法はないのでしょうか。あります。信仰です。真っ暗な夜道を行く不安も、この道の向こうに明るい燈火の温かい我が家があると思えば、不安の心を吹き飛ばしてくれる真実の信仰です。仏儒耶等の宗教教典です。「なーんだ、信仰か」とがっかりした声を上げる人がいます。「人類全体の真理を標榜する言霊学が古臭い宗教をすすめるとは……」という落胆した声を聞いたことがあります。勘違いしてはいけません。私が申上げているのは、外国に於ては三千年前、日本に於ては二千年前、言霊の原理の実際の政治への適用を中止した時、日本の聖の祖先、皇祖皇宗がその後の二、三千年間に招来するであろう人類の暗黒時代の人々の心の支えとして、また時が来て、言霊原理が世に復活する際の原理への入門の手引書として、東洋の釈迦、孔子・孟子、イエス・キリスト、マホメット等に命じて創始させた世界の四大宗教の原教典に基づいた信仰のことを言っているのです。現代に見られる末法の寺院、教会の個人の物品的、身心的な幸福の獲得へ勧誘する御利益信仰のことではありません。

言霊学を学んだ目でこれ等の教典を読むならば、儒教が伝える結縄の 政 とは言霊原理に基づく人類文明創造の政治のことであり、仏教が教える人生第一義・教菩薩法・仏所護念とは言霊原理のことであり、観普賢菩薩行法経の説く真髄は言霊原理の表徴である三種の神器に異ならない事、またキリスト教の聖書が伝える「神の口から出ずる言葉であるマンナ」とは言霊のことであり、降臨する生命の城とはアイウエオ五十音図のことであること、等々が明らかに読みとれることとなりましょう。これ等の宗教の教典が、人間の心と言葉の究極の真理である言霊の原理に基づく人類文明創造の御経綸の中のものであることが一目瞭然なのであります。

以上が人間の心の五段階性能、言霊ウオアエイの自覚進化に於ける言霊ウオから言霊アに進む時の障害と、その障害克服のための信仰心についての解説であります。前に進むことばかりを仕事として考え、時には退くことの大切さを知らぬ現代人にとっては、理解に苦しむ話かも知れません。しかし言霊学の理論をある程度理解し、その上で信仰心によって自意識なるものが言霊ウオの性能発展の途上に於て形成された、実際には存在しない虚像なのだ、という事を知ったならば、精神宇宙の五次元構造の実在、言霊アオウエイの天之御柱が心の中にスックと立っている姿を自らの心の中に紛うことなく直感することが出来ましょう。言霊アの自覚によって人間の心の本体が宇宙そのものであることを知るなら、更なる自覚の進化段階にある言霊エとイが、その言霊アの宇宙の内容なのであり、その内容である言霊イの言霊の所在と言霊エの実践智の活動の消息を知るに到るならば、宗教心の最高目標となる神・仏なるものは信仰上假りに設定された虚像であり、その実態が言霊学に於ける言霊原理の把持者であり、その原理の適用・活用によって人類文明を創造する歴史の経綸者である天津日嗣スメラミコトという実在者であることを確認することにもなりましょう。

言霊アの自覚に関係する話が大分長くなり失礼をいたしました。「過ぎし日々のことなど」の話を続けることといたします。一九四七年より始まった私の精神放浪の一人旅は、私の二十二歳から三十三歳位までの十数年間続きました。その間、私の生活は一生の中でも最も貧しく、恒産も恒心も全く無に等しいようなものでありましたが、その気概は成鳥になりたての鳥が翼の赴くままに大空を駈けるように、若い力をありったけ発散させるような生活の連続でありました。人類文明の進展の節目に関係する書籍に出合った時には、時間を惜しんで一日の食事の回数を一食減らして書物に読み耽り、昼も夜もなく読書に没頭した事もありました。何か知りませんが、奇妙に田舎の道を歩きたくなると、住む町の西を流れる鬼怒川の堤防を朝から日暮れまで一日五十kmを数日散歩して過ごしたこともありました。ある宗教団体の霊的病気治療に奔走し、一日二時間の睡眠で三百六十五日、一日の休みもなく働いた事を思い出します。また化学肥料や殺虫剤の薬害などがまだ叫ばれていない時、自然農法に熱を入れ、高さが三メートルもある里藷畑を育てたり、三百坪の田圃を借りて、無肥料、無農薬で、近所の農家を驚かせるような見事な水稲栽培に成功し、その田として最高の収穫をあげた事も楽しい思い出となりました。

そんな自由奔放な、自らの「三千年の歴史の節目」の内容に関した心が動くすべてのことを自らが満足するまで追求しようとする生活が十年余続いたのですが、その生活にも漸く終止符を打つ日が来ました。「人類の将来を展望する為に知識を追求し、気力を充実させて来たが、自分一人でやれることと言ったら、もうこの位の所かな」という限界の気持ちが心の片隅に芽生えたのでした。そうなりますと、十年余の勉学と体験の記録を著述としてまとめてみようという気持ちが強くなります。確か一九五八年の春だったと記憶します。思い立った日の朝、八畳間の、廊下に面した柱の前に大き目の座布団を置き、その前に小さな卓袱台を据え、その右の畳の上に十年余の研究・思索の日記風の記憶帳を置き、私は柱を背にして座布団の上に坐り、分厚な便箋に横書きで十年余の勉学の結論を序論から一気に書いて行きました。記憶帳の内容は何回、何十回と反芻したものですので、そのほとんどは覚えています。何のよどみもなく十年余の勉強の集大成の筆は進みました。眠くなると、後の柱に倚りかかって数分か数十分間まどろみ、目をさますと、また書き続け、少量の食事とトイレへ行く以外は座を離れず、横に臥せることもしませんでした。

書き始めてから七日目の朝、太陽の光が部屋に差込み始めた頃、「人類新時代の展望」(仮称)は完成しました。十年余の学業を七日間でまとめることが出来たのでした。その時の爽快な気分と、書き終わった後、毛布を取り出して長時間眠った事を覚えております。そして多分、夢の中で学生時代に覚えた、何時も私の心をやさしくしてくれる歌を歌っていたに違いありません。

わが世の杜を見返れば

野の家の灯に笑みたもう

母の膝こそ親しけれ

夢円かなる青空を

駈ける小鳥と身を成しき

若き日の三十三年間の生甲斐を一気にまとめ上げたこの文章が、その後私の生活を全く予想もしない方向に押し流す切っ掛けになろうことなど私自身その時は夢にも思っていなかったのです。

四百字詰原稿用紙四百枚の論文を書いたのですから、誰か興味を持ってくれる人に読んでもらい、批評もしてもらいたいのは山々です。けれどその時の私にはそれをお願い出来る人は一人として思い浮かびませんでした。便箋を綴じて一冊の手書きの本の形にし、表紙も自分で工夫しましたが、ただ手許に置いておくだけで、日一日と時が経って行きます。自分がやるべきことはやってしまったという感じで、毎日を朝から夕方まで散歩で過ごしていました。その年の八月、以前東京で霊的治療を仕事とする人達が月一回会合を開く医学界の理事をしている懇意なお医者さんから「暑さを避けて、貴方の住居の近くの筑波山の中腹のホテルで一泊二日の医学研究会を開くから、参加しないか」の誘いを受けたのでした。筑波山は私の住む町からバスで三十分の距離です。出席の返事を出しました。

当日はよく晴れた暑い日でしたが、ホテルは標高五百メートル程の所にあり、窓から入る風に涼をとりながら、午後一時から五時までの研究討論が行われ、六時から宴会となりました。四、五十人が集まったようでした。乾杯が終わり、酒宴となった時、私の右隣に坐った老紳士から、昼間の討論会で私が発言した短い論旨について質問されました。宴会の席を示す卓上の札にMr.Sと書いてあります。その質問の要旨が私の発言に対して大層的を得た言葉であるのに気付き、宴会の時間のほとんどをその紳士との談笑で過ごしたのでした。前にもお話した事がありますが、私は妙に私よりズット年上の方と話が合います。S氏とも直ぐ親しくなりました。そして談笑の間に、私はふと「この人なら私の書いた”新時代の展望“を本気に見て下さるかもしれない」と思うようになり、宴会が終わりに近付いた頃、思い切って論文の内容を簡単に説明し、「読んで御批判を賜りませんか」とお願いしました。S氏は呆気ない程即座に「私でよかったら…」と引き受けて下さったのです。有り難いことでありました。私は研究会が終わり、家に帰りまして、直ちに私の論文の手製の本を荷造りしてS氏宛速達で送りました。後で心霊医学会の理事のお医者さんから聞いた所、S氏は四国の愛媛県新居浜市の沖、瀬戸内海に浮かぶ四阪島の銅山の工場長を長く勤め、世界中の銅の精錬技術に多大の貢献をした有名な技術者であり、その功績により幾多の褒賞を授かった有名人で、住友金属の重役、新聞社の顧問を務められる方だそうであります。私にとって全く思いもかけないお方にお会い出来たものでありました。

一週間程経った頃、S氏より手紙が届きました。要旨は「文章にザッと目を通しました。読んでいる間に貴方のひたむきな熱気が伝わって来るようで面白い。これから一行々々精読をするつもりであるから、少なくとも二、三ヶ月の猶予を見て欲しい。また内容が多岐にわたり、その中には私の未知の分野も含まれているので、暇をみて拙宅へ来て説明して貰いたい。泊りがけでいらっしゃい」という御厚意の内容でありました。その後私は二度程、千葉の船橋市にあるS氏の御自宅に伺い、夜更けるまでビールを飲みながら談笑したものであります。S氏はまことに気さくな方で、私が伺うと、すぐに御自慢の五右衛門風呂を御自分で薪を燃やし、「どうぞ、どうぞ」と言って書生の私を初湯に入れて頂いたものです。光栄この上もないことと、今でもはっきり記憶しております。

S氏よりの批評が届くまでの三ヶ月の間、私の心の中に、私という人生に自信と明るさが到来するような期待の気持でワクワクするものがあったのは事実です。けれどその気持ちよりもっと大きな、もっと深い所で、私の目は私の論文が関係する当面の事態よりはもっと遠い所を凝視していた事を覚えております。どういう事かと申しますと、私の論文がその後の日本や人類世界に対してどの様な関係を持つのか、また持ち得るのであろうか、という大きな歴史の進行に対する自分の責任如何という所に、着眼していたように思われます。その潜在的な意識は日一日と顕在化し、大きくなって行きました。十余年前世界の歴史の大きな転換期という言葉に触れ、自分の一切のものを捨ててその真相を知ることに没頭して来て今、理論的にその内容を展望し得たと思った記録の帳面を眼を凝らして読み直してみました。理論的には一行一行「ふん、ふん」と頷きながら、読み終わった私の心の中に、満たされない何かを感じていました。それは何か。私の頭が真っ白になったようなショックでした。何日もの間、その事ばかり考えました。心は自然に「三千年の歴史転換の真相」の究明に、何ごとをも措いて私を追い立てた当時の私の心に帰って行きました。理論をまとめ終えて、私は原点に帰ることが出来たのです。その結果は途方もなく大切な事に気付いたのでした。「十年以上前、私の意志を一つ覚えの如く駆り立てた、その意志が拠って来る所、意志の根源、同様に人類をして転換期の事実を知ったなら、狂気の如く変革に勇躍させるその意志の記述が私の論文には書き込まれていない。意志力の欠如した論文は絵に画かれた餅、砂上の楼閣に過ぎない。創造の意志が備わった文章なら、歴史の転換を可能とする計画とその手順が当然導き出されるものであるべきだ。人類の歴史転換という大業の前には、私の論文など蟷螂の斧にも当らない。この私の文章は断然「没」にすべきものなのだ。……」まるで呼吸していない人間の様になりました。得意の絶頂から奈落の底に落ちて行く気持ちでした。「もう私の及ぶ所ではない。」………

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第百九十九号>平成十七年一月号

謹賀新年

人が朝目覚める時を例に挙げて、心の先天構造を説明してきました。何もない宇宙の中に言霊ウの意識が動き出し、次に「何かな」の疑問が始まると同時にアとワ、吾と汝の主と客に分かれました。意識の目覚めがさらに進んだらどうなるでしょうか。

主体と客体に分かれますと、次は目の前にあるもの(客体)は果たして何なのだろうか、と考えます。この時記憶が呼び覚まされます。色々な過去の経験の記憶が蘇り、目の前のものは何だと決まります。この記憶を呼ぶ主体が母音である言霊オであります。その結果「あぁ、あれであったのか」と心の中から呼び覚まされてきた対象の客体世界が、半母音ヲということです。

言霊オとヲは過去の経験の記憶が出て来る宇宙です。この記憶と記憶の関連性を調べることから学問・科学が成立してきます。経験知の世界です。記憶の関連性を喪失してしまうことをボケといいます。記憶の関連性のことを昔の人は生命の玉の緒といいました。

さらに目覚めが進みますと、「さて今日起きて何をするかな」と考えます。色々なことが考えられます。その中から「よし、今日はこれをしよう」と選択的決定をします。この実践智の出て来る主体の宇宙を言霊エといいます。選択された客体の宇宙を言霊ヱというのです。それは選ぶ知恵の世界のことです。今までに出てきた言霊で先天構造を図に示すと次のようになります。

(次号に続く)

神路山

神路山深くたどれば二道に千木(ちぎ)の片削(かたそぎ)出で合いなまし

上は伊勢神宮に伝わる古歌である。そのことから神路山とは神即ち「人間の生命とは如何」を探究する道の意にとることが出来る。「この探究の道を何処までも深く追求して行くと、次の如くなるであろう(なまし)」の意である。ではどうなるか。千木とは神社の屋根の棟の両端から天空に突出している二本づつの木のことである。千木は「道(ち)の気(き)」の意で人間の心の働きの事。千木に二種類がある。先端を水平に切ったものを内削(うちそぎ)といい、垂直に切ったものを外削という。内削とは心の演繹法を表わし、外削は帰納法を示している。「演繹法とは一般から特殊を導き出す思考方法。帰納法とは帰納による推理方法」と辞書に見える。人間の心の働きに於ける演繹法の根本原理は太古の日本に於て内に心を省みることによりアイウエオ五十音言霊布斗麻邇として確認された。これに対し、現代科学は心の外に物質を対象として探究し、今や身体の根本法則としてDNA法則を発見し、物質の根本存在として十六個の原子核内コークを確認した。DNA法則もコークの基本存在としての法則も近い将来完成されるであろう。

同じ生命を、片や人間の内に求めた言霊の原理と、外に求めたDNA並びにコーク法則という科学の成果とが対称として如何なる関係になるのか、人類の文明創造上の極めて興味ある問題であるが、伊勢神宮の古歌は両者が同一に一致するのではなく、二道は相似形に出合うと予言しているのである。

人間精神の深奥を究めた言霊原理から見るならば、人類が直面しようとしているこの大問題を平然と予言し得る事が可能なのである。この一事からみても、人類が二、三千年の暗黒の夢から目覚め、光輝く第三生命文明時代の幕開けに向って努力する時が来たと言い得るであろう。

(この項終わり)

古事記と人間生命

言霊学のことをアイウエオ五十音言霊布斗麻邇と言い、また三種の神器の学ともいう。そしてその言霊学の唯一の教科書が古事記上巻の神話である。これ等言霊学、布斗麻邇、三種の神器、古事記の神話が如何なる関係にあるか、を考えてみよう。

太古より日本皇室に伝わる三種の神器とは草薙釼(釼)、八坂の曲玉(玉)、八咫鏡(鏡)である。この一つ一つについて簡単に述べよう(詳しくは「コトタマ学入門」138頁「三種の神器」参照)。

先ずは釼(つるぎ)であるが、古代の日本の釼は双刃(もろは)である。釼とは人間の持つ判断力の表徴である。双刃は片や“断ち(たち)”を、もう一方は“連気(つるき)”を表わしている。人が物事の内容を知るには、そのものを分析即ち断たなければならない。その判断力は「太刀」である。断ってその部分々々の内容が分かったら、その内容を総合して元の姿に戻す必要がある。この総合の働きを連気(釼)という。草薙釼とは人間の持つ天与の釼即ち判断力の表徴なのである。

次に曲玉であるが、人間天与の太刀(たち)の判断力を以って人の心を分析して行くと、最終的に五十個の言霊(ことたま)が現われる。この要素を曲玉で表現する。言霊とは人の心の究極の要素であると同時に言葉の究極の要素でもあるものである。即ち人の心は五十個の言霊で構成されており、それより多くも少なくもない。これを表徴するのが八坂の曲玉である。

人の心を分析して、五十個の言霊で構成されていることが分かったなら、次に天与の判断力の釼(つるぎ)の総合力で元の心の姿に戻す作業が行われる。そして最後に人間精神の最高理想の構造に到達する。この五十音の言霊で構成された最高の構成図を天津太祝詞音図という。この五十音図を八つの父韻を基調として並べた八角構造の音図のことを八咫鏡(やたのかがみ)と呼ぶ。

以上、釼・曲玉・鏡の三種の神器の内容と関係を簡単に述べたが、言霊学の唯一の教科書である古事記上巻の神話も、言霊学の記述に当り、矢張り三種の神器の釼・曲玉・鏡の順序に従うかの如く説明しているのである。この事を検討してみよう。

古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。……」という文章から始まり、次々に神が現われ、伊耶那岐の神、伊耶那美の神で一段落する。天の御中主の神より伊耶那美の神まで十七神が登場する。この最初に現われる十七神が古事記で「天津神 諸 の命」という、人間の心の先天構造、即ち人間の天与の判断力の実体である十七個の言霊(天名=あな)である。三種の神器の釼とはこの心の先天構造を表徴している。

釼が十七個の言霊で構成されている心の先天構造であることを説明した古事記は、次に判断力の太刀の力である分析の働きを以って人間の心の現象を分析して行く。古事記の文章の「既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき」とある所である。そして後天子音である大事忍男神=おおことおしを(言霊タ)以下三十二神(言霊)を生んで行く。先天十七神、後天三十二神、計四十九神(言霊)、それに言霊を神代文字化する言霊ン、総合計五十個の言霊となる。人間の心を分析して五十個の言霊が要素として現われる。この全部で五十個の言霊を糸で連結した分析の結論が三種の神器の曲玉を以って表徴される。

人間天与の判断力を十七の言霊で構成された心の先天構造(天津神諸=あまつもろもろの命・天津磐境)として自覚し、その働きによって人間の心が全部で五十個の言霊で出来ている事を確認した古事記は、今度は天与の判断力の釼(連気)の総合力によって生れ出た五十個の言霊を総合し、整理・活用して、元の生命の姿に戻す作用が開始される。これが金山毘古の神より須佐男の命までの五十神で示される作業のことである。

言霊五十音の整理・復元の作業は三段階に行われる。初めの金山毘古神(かなやまひこ)より和久産巣日神(わくむすび)までは五十個の言霊の初期整理の段階で、そこで得た整理の五十音構造を天津菅麻(音図)という。生れたばかりの赤ちゃんが持つ精神構造である。第二段階は、第一段階で得た菅麻(すがそ)音図を下敷として、これに更に整理・活用の為の手を加え、人間が人間社会の中で生産される種々の文化を受け入れて、人類の文明を創造するために如何様な心構えが必要であるかを、人間の主体内原理・法則として確立しようとする作業である。その結果として人間の主体内に於てのみ自覚された人類文明創造の法則を得て、これを建御雷の男の神と呼ぶ。人類が初めて主観内に自覚した人間最高理想の精神構造である(これが如何なる精神構造であるか、は古事記はこの段階では明らかに示さない。詳細は古事記神話の総結論である「三貴子(みはしらのうずみこ)」の誕生に於て明らかにされる)。

その人本人の心の内容を分析によって知り、それを再び総合によって元の姿に返す仕方の心構えを、今度は世界各地で生産される諸々の文化を吸収して、世界文明創造に役立たせる、所謂禊祓の原理として確立するために、人間の判断力(総合)は如何にあるべきか、の実際の探究と、その完全な証明が最後の段階である。この事の検討によって建御雷の男の神という主観内真理が、如何なる外国文化に適用しても成功して誤ることのない真理であることの証明が完成する。人間が持ち得る最高理想の心構えの確立となる。この様な精神的行法を古事記は「禊祓(みそぎはらい)」と呼んでいる。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身の祓せむ」とのりたまひて、竺紫の日向の 橘 の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓ひたまひき。

古事記「身禊」の章は右の文章の如く説き起す。禊祓については幾度も説明して来たことで、今回は後に続く文章に関連する所を簡単に触れることとする(詳しくは「古事記と言霊」身禊の章参照)。

伊耶那岐の大神

諸々の文化を生産する黄泉国=よもつくに(高天原日本以外の国)の主宰神である伊耶那美の命をも自らの責任として取り込んだ主体プラス客体である宇宙神の立場。

衝立つ船戸(つきたつふなど)の神

禊祓の行為の方針として掲げた建御雷の男の神の音図。

道の長乳歯(みちながちは)の神、時置師(ときおかし)の神、煩累の大人(わずらひのうし)の神、道俣(みちまた)の神、飽昨の大人(あきぐひのうし)の神。

上の五神は禊祓をするに当り、摂取する黄泉国の文化の内容を予め調べるための五つの観点。

奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神、奥津甲斐弁羅(かいぺら)の神。辺疎(へさかる)の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。

上の六神は、黄泉国で生産された文化が今、人類全体の文明の中に吸収されようとする時、その文化は現在どういう内容を主張しているか、その内容を世界文明の中ではどういう役目として取り入れられるべきか、そしてそれを可能にするには如何なる変革が必要か、が調べられる段階の働きを表わす神名。

八十禍津日(やそまがつひ)の神、大禍津日(おほまがつひ)の神、神直毘(おむなほび)の神、大直毘(おほなおび)の神、伊豆能売(いづのめ)。

然らば諸々の文化を世界文明に摂取するための変革は、人間に天与されている五つの性能の中のどの性能に於て行わるべきか、が検討され、人間の持つ五性能のそれぞれの役割が決定され、更に世界各地の文化を世界人類の文明に吸収する方法は、「あっちを削り、こっちを足す」という変革ではなく、闇の中の文化に光を差し入れ、それぞれの文化をそのままの姿で光の世界文明に吸収するやり方が適当である、と決定し、その観点からの変革を実行することが決定される。

底津綿津見(そこつわたつみ)の神、底筒(そこつつ)の男(を)の命、中(なか)津綿津見の神、中(うは)筒の男の命、上津綿津見の神、上筒の男の命。

光による変革とは、黄泉国の諸文化を光である言霊原理によって作られた言葉で表現することで世界人類が挙げて祝福する文明にまで吸い上げることだ、と証明され、主観的原理である建御雷の男の神の人間精神構造は晴れて人類の歴史創造の永遠の真理であることが自覚される。天照大神(言霊エ)、月読の命(言霊オ)、須佐男の命(言霊ウ)の三貴子の誕生となる。建御雷の男の神の音図はここに天津太祝詞音図となって人類最高の道徳規範が決定される。

以上が三種の神器の釼(天津磐境=あまついはさか)の連気の総合作用で言霊五十音が元の姿に復元される過程である。三種の神器の釼・曲玉・鏡の順序に従って古事記の「言霊学の教科書」としての神話が編纂されていることを御理解頂けたことと思う。またその過程の記述が余りにも簡潔すぎることを不審に思われる方も多いかも知れない。何故その様な記述をしたか、それはここまでの文章はこれから始まる「古事記と人間生命」という本題の前提文として書かれたものだからである。さて本題に入ることとしよう。

既に話した如く、心の先天、後天の構造とか、禊祓に於ける光の言葉による人類文明創造などと言うと、如何にも難解であり、またその難解な言霊学をマスターし、活用し得る人はどんなにか頭脳明晰で高潔な人格の持主であり、我々凡人から見ると雲の上の人の如く思われるかも知れない。例えば大宗教の開祖、教祖についてその人間放れした神人らしい記述が書かれているせいもあろう。実を言うと、かくいう筆者も自身の日常生活が余りにも世間知らずで、オッチョコチョイな生活態度を思うにつけ、昔の孔子様やお釈迦様、またイエス・キリスト様などは端正な態度で、すべてのことを承知した偉人、聖人であったのであろうと思うことが多かったものである。特に「論語」にある「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」などの文章を読むと、「あっちに突き当たり、こっちにぶつかる」自分なんか遠く及ぶものではない、と自棄を起したりする。

先月下旬に入った或る夜、連日の多忙で少々疲労気味で元気がなかった。静坐して自分の意気地なさを反省した。大切な言霊学を勉強させて頂いておりながら、時々弱気が起こる。自分には感謝の念が足りないのであろうか。自責の念が続いた。その時、ふと思った。尊い皇祖皇宗の人類文明創造の仕事に参画させて頂きながら、私は疲れるとついつい弱音を吐く。全く情けない人間だ。何時も「もっとしっかりせねば」と思いながら、改められない。「三つ子の魂百までも」と言うが、私のこの性質も変わりようがない。私はこういう人間なのだ。とつくづく知った。すると同時に、こういう人間でも生きている。こういう人間でも生命(いのち)は何時も変わりなく私を守り、生かして下さっている。生命とは言霊イの道即ち「いのち」である。そうだ。言霊学が言霊イの道であり、人間の道の学問であるから、言霊学とは私の如き横着で意気地がない人間そのものを映し出した学問なのだ。聖人君子を映し出した学問ではない。平凡な人間の空相と実相をそのまま映し出した学問なのである。そう気付いたのであった。

人間、この世に生きていれば、気の合う人にも、気が合わぬ奴(やつ)にも会う。ぶん殴ってやりたい奴もいる。喜怒哀楽交々(こもごも)である。ストレスを溜めない人などいるわけがない。にもかかわらず人は生きている。言霊イの次元の生命が他のウオアエの四次元の現象を総合して「霊駆(ひか)り」の調和を以って包み、新生活の創造に取り込んで下さるからだ。生命は頼まれなくても、言霊学で謂う「禊祓」を時々刻々、分また分、一秒一秒毎に行ってくれている。言霊学はただその創造行為を理論的に、行動力学的に映し出したに過ぎない。

人間の肉体は必ずしも健康によいことのみを行っているわけではない。目出度いと言って酒を呑み、気に入らんと思って深酒をする。太ると知りながら甘いものに目がない者もいる。健康によいものをと手当次第保健薬を飲む人、体に悪いから煙草を吸うな、と言われ、吸えないくらいなら死んだほうがましだなどと一日に五・六十本も吸う人、人はまちまちである。けれどそんな人でも結構生きている。生命は身体の我侭や無理を程よくカバーし、調和して、明日の活動力を与えてくれる。これも生命のおかげである。その生命も自らの生命自身の内なるものなのである。禊祓は肉体の面でも日一日、分また分と滞りなく行われている。

言霊学を極めたからといって、平々凡々な人間より一歩たりとも上に出るわけではない。矢張り平凡な人間に他ならない。では言霊学を極めた人と、言霊学を知らぬ人との間に何も相違はないか、否、唯一つある。それは何か。

物事を言霊の原理によって見ることが出来る人は、世界人類のことを自分一人のこととして考えることが出来ることである。

(おわり)

過ぎし日々のことなど(言霊学随想)その三

十年余の勉強の成果を心血を注いで書いた論文が、人類の新時代創造という目的に何の役にも立たないもの、と分かった後では、燃え滾(たえぎ)っていた希望も意欲も破裂した風船のように萎んでしまいました。まるで死んでしまった人間のような二、三日が経ちました。その時、待っていたS氏より手紙が届きました。以前の心境なら小躍りして喜んだであろうような内容が書いてあります。「貴方の論文精読を終えました。人々がまだ気付いていないユニークな観点から人類の新しい時代の到来を予想する興味ある内容の文章です。私が関係する日刊K新聞社から単行本として出すよう手配したいと思います。ただ素人には馴染みのない用語が何箇所かにありますので、分かり易い言葉に換えて頂かねばなりません。打ち合わせもありますから近い内に一度おいで下さい。……」自分の論文を「没」と決めてしまった後では、喜ぶどころか、御厚意に応えることが出来ない恐縮さに心も縮む思いで手紙を読みました。早速その翌日お宅に伺い、初の挨拶の後、直ぐ私の心境を縷縷(るる)お話申上げ、自分の身勝手をお詫びし、「今回のことはなかったことにして頂き度い」とお願いしました。S氏は初め怪訝な顔で聞いて下さっていましたが、終りには私の率直な心を理解して下さってか、笑い顔になられ、「惜しいですな。これは君、売れますよ」と言って下さいました。……

S氏はその数ヵ月後、急逝されました。S氏の如き若者のお手本になるような高潔な方にお会い出来たことを有り難く思っております。「人類新時代の展望」という手製の本は未だに誰の目に触れることなく現在も書棚の奥に眠っています。……

希望も、それに関係する仕事も失った私は、その後数日間、自分でも何をしたか全然覚えていないような日々を送りました。やがて死んだ人間が蘇生するように、我に帰りま オた。気持ちが素直になっていました。何もなくなったけれど、食べなければなりません。「そうだ、何処でもいい、自分の出来る仕事に就き、自分の食べるだけのものは稼ぎ、静かに暮らそう」と思いました。丁度その時、信州に嫁に行った私の一番上の姉から便りがあり、姉の連合(つれあい)(義兄に当る)が経営している小さい精密機械製造の工場が人手が足りないで困っている、という事が書いてあります。「そこで機械をいじりながら暮らそう」心は一発で決まりました。長年勉強に、研究に、そして散歩に過ごした茨城県の住み慣れたS町を離れ、信州安曇野の、隣の家まで近い所で三百メートルはあるという工場の一軒家に住み込みで働くこととなりました。希望を失い、ただ生きている私にとっても、住居の窓から北アルプスが一望出来る眺めと、澄み切った空気、深い緑、それに冬は湯気を立てて流れる湧水、その素晴らしさが私を慰めてくれます。「これからの人生、どうなって行くんだろう」そう思いながら、連峰の景色に見入ったものであります。

工場の生活は過去や将来についての感慨に耽(ふけ)る暇もない程忙しいものでした。朝八時から夕方五時まで、そこで帰る工員は一人もいません。早くて夜八時、遅い人は十時、時に徹夜をする人もいる程です。シェイパー一年、旋盤三年、組立て八年、火造り十三年というのだそうですが、二年もすると私は大概の仕事はこなすようになっていました。工場にとってなくてはならぬ一員となりました。そんな中でも、夜目覚めて寝付かれぬ時、また偶にとった日曜の休日の時など、「人類新時代の展望」の事が頭に浮かびます。その文章に加筆する何事も思いつきません。にも拘らず、脳裏を擽るのです。「未練だ」と分かっても頭をもたげるように追い立てられます。だからと言って、一歩も前に出る術を持ち合わしていない自分であることを知っているのです。このようにして信州の暮らしは過ぎて行きました。

一九六二年(昭和三十七年)冬も終りに近い夜、私は生れて初めてという自然現象の光景を目にしました。それは素晴らしいというか、物凄いというか、形容の言葉もない光景でした。夜十一時頃、疲れて早々と床に入り、一眠りした後、ふと目を覚ました時のことです。風のない、空気が飽くまで澄みきった夜でした。何となく夜空が見たくなり、外に出ました。地面は凍て上っています。夜空に雲一つありません。夜空を見上げました。その時の驚きを一生忘れることはないでしょう。空一面を覆(おお)う星の群(むれ)、その数、数百万個か、夜空の面積より星の面積の方が遥かに大きいと思われるような無数の星、魂が転倒したように声も出ません。それは美しさを通り越して凄まじさです。星の一つ一つがはっきり判別できる明るさを持ちながら、それ等が夜空一杯にまるで截金細工の如くちりばめられています。私は右手を頭上に延ばし、親指と人指指で丸を作ってみました。その穴から空を見て星を数えました。その数、数百個は下りません。その凄まじさ、声も出ず見上げていました。頭を棒で殴られたように何が何だか分からなくなりました。………足元の冷たさに震えて家の中に入り、暫く「ボー」としていました。そして心が次第に静まった時、私は口の中で私自身に向って叫んでいました。

「お前はあの十数年の勉学の時、世界人類の将来の可能性についてのすべてを見たというのか。可能性を可能にする人類の過去の営みのすべてを知ったと思うのか。お前は、現代の人類の心の底にあるすべての領域の真実を見たと思うのか。さっき仰ぎ見た大空の星の数を以前から予想し得ていたか。頭を低くし、度量を大きくし、魂の琴線の感覚を鋭くして待つことだ。それでも何も起らなかったら、その時こそ以って瞑すべしだ。」……

その年の春が過ぎ、夏が逝き、秋の風が信州安曇野を吹き抜ける頃、前にもお話したことのある東京の弁護士O氏より部厚な手紙が届きました。「最近、市井の聖者とも思われる素晴らしい人に出会いました。小笠原孝次氏といい、日本の古代より伝統の三種の神器の学である言霊(ことたま)学の日本唯一の研究者だそうです。君も上京の折は尋ねてみられたらいい。参考のため、氏の発行したパンフレットを同封する。……」

そのパンフレットには藁半紙に手書文字で「皇学研究所、第三文明研究、言霊原理から見た古代の前円後方墳について」と題字として謄写印刷してありました。……

(おわり)

「コトタマ学とは」 <第二百号>平成十七年二月号

生命意志

前にもこの言霊イとヰ、父韻の八音の言霊の説明は難しいといいました。何故なら「物事現象は何故起るのか、現象が起ったと、どうして人間は認識することが出来るのか」という哲学者や宗教者がここ三千年間、求め続けている精神の根本問題であり、未だよく分かっていないことだからです。言霊のイとヰ、それに八つの父韻の説明が難しいといいますのは、その完全には分かっていない宗教や哲学の用語では、その根本問題を説明するには不十分だからです。そこで難しい用語を使わず、いとも簡単な例を挙げて説明を進めてみることにしましょう。これはまた言霊の学問の根本問題でもあるのです。

ここに一本の木が立っています(図参照)。この単純な事柄と思えることについて考えてみましょう。木が立っているなと見る人がいなければ、この事実は成立しません。またその木が物として存在しなければ見ることが出来ず、やはり事実とはなり得ません。このように現象があるということは、見る方の主体と見られる方の客体の双方に関係しています。

見る主体(人)と見られる客体(木)との関係は、単に木があるなと感じる五官感覚(言霊ウ)だけではありません。この木は何の木だったか、植物図鑑では何の種類に属しているか、という学問の世界(言霊オ)の関係もあります。その他、この木は絵に描くとすると何号のカンバスが最も映えるかな、という芸術的関係(言霊ア)や、この木を切り倒して道路を作った方が良いか、それとも保存して環境保護を優先すべきか、といった政治道徳的関係(言霊エ)も成立します。

ここで図をご覧ください。見ている人だけで、木がないとしたら現象は起りません。ですから、人は現象にならない純粋の主体です。母音ウオアエイです。逆に木が立っているが、見る人がいないとしたら、木は現象にならない純粋の客体で、半母音ウヲワヱヰで表わされます。この主体のウオアエイと客体のウヲワヱヰがどんな交渉で現象となるのでしょうか。

緑の葉を付けた茶色の幹と枝の木が立っていて、人間の眼がそれをそのまま見るだけだと思われる方が多いことでしょう。確かにその通りかも知れないのですが、そう簡単なわけにもいかないのです。別の例を考えてみましょう。

鐘があります。棒で突いてみます。鐘が振動して空気を震わせ、空気中に波動が伝わっていきます。けれどこの波動自体がゴーンという音を立てているわけではありません。この波動が人間の耳に入った時、初めてゴーンという音に聞こえるのです。突かれた鐘は、無音の波動を出しているだけなのです。客体である鐘の出す波動と、主体である人間の認識知性の波動、またはリズムといったものがぶつかって、双方の波動の波長がある調和を得た時、すなわち感応同交(シンクロナイズ)した時、初めて人間は鐘がゴーンと鳴ったなと認識することになります。

もう一つ例を挙げましょう。雨の後に大空に虹がかかる時があります。この虹はそれ自体が七色の色を発しているわけではありません。七種の光の波動を出しているだけです。その波動が人間の認識の主体波動と感応同交する時、初めて七つの色の虹として主体の側において認識されることになります。

再び前の図に戻りましょう。主体と客体が、正確に言いますと、主体と客体の五つの次元のそれぞれであるウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱ、それにイとヰがシンクロナイズしてそれぞれの現象を生むのですが、母音も半母音もそれだけでは結び付く働きを起すことのない存在です。それぞれを結び付ける能動的な架け橋となるものが必要です。この役目をするのが最後に母音・半母音として残った人間の創造意志(言霊イ・ヰ)の実際の働きであるキシチヒミリイニの八つの父韻なのです。純主体と純客体とを結び付けて現象を生む人間の創造知性とでもいうもの、その韻律が八つの父韻で表わされます。主体と客体とを結び付けるバイブレーションは、この八種しかありません。

するとこの八つの父韻が四次元の結び付きを生むのですから――8×4=32で合計三十二個の子音を生むことになります。この三十二の子音がこの世の中のすべての現象の最小の単位ということになります。

(次号に続く)

会報「コトタマ学」二百号記念

言霊の会発行の会報「コトタマ学」が今月号(平成十七年二月号)を以って二百号を数えることとなりました。十六年と八ヶ月前、第一号の発行以来一度の休刊もなく今日を迎えることが出来ましたことは、日本人の遠い聖の祖先、皇祖皇宗の人類文明創造の歴史的御経綸の御稜威(みいず)の賜でありますと同時に、会員の皆様方の並々ならぬ御協力と御鞭撻の御蔭と厚く御礼申上げる次第で御座います。

第一号創刊の初頭に先師小笠原孝次氏の言葉

世界は唯一の空間の拡がり

世界は唯一の歴史の流れ

世界は唯一の人類の集まり

世界は唯一の真理の流れ

を掲げ、人類が保有する最高唯一の精神真理でありますアオウエイ五十音言霊布斗麻邇の原理の解明と普及のために号を重ねて参りました。その結果、言霊の数五十、その用五十、計百の道であります古事記解義言霊百神の真理は、今や現代の日本語を以って平易に説明し、その道理を日常茶飯の出来事の如く実行し得ることが可能となって来たのであります。このことは暗黒の地獄に沈まんとする人類の明日に大光明を掲げる大慶事であり、日本人はもとより世界人類と共に慶賀喝采すべき事と言うことが出来ましょう。人類の明日(あした)を云々することが出来る基礎理論とその実行の方策は既に完成しました。残るは唯一つ、画龍点睛を施す時を待つのみであります。会員の皆様の一層の御協力と御鞭撻をお願い申上げる次第でございます。

さてお堅い話はこれ位にして、雑談形式で話を進めることといたします。世の中に温故知新(古きを温めて新しきを知る)という言葉があります。古き過去をすべて自分のものと把握してしまうならば、これよりどう生きて行ったらよいかは自ら分かって来る、というような意味であります。先師小笠原氏は若い時から胃の虚相という持病をお持ちであり、その治療として知人であり、高名な漢方医である矢数道明先生の調合した漢方の煎じ薬を常用しておられました。私もお手伝いで先生の代りに矢数先生の医院へ薬を頂きに行った事がありましたが、矢数医院の部屋の額に確か温古堂矢数医院と書いてあったと記憶します。そんな事もあって温故知新という言葉を印象深く思い出されるのですが、その言葉に従って言霊の会の会報の一号から二百号までをざっと振り返ってみたいと思います。

私は時々、創刊号の「霊能・易ブームについて」を読んでいます。その文章が上手に書けているからではなく、書いた私自身がまるで金縛(しば)りにでもされているように文章が堅すぎる事を反省するためです。当時、若い人々の間に霊能や易に興味を持つ方が多く、知人から是非その事について書いて欲しいという希望を頂いたためでした。それより以前、私は他の会の会報に寄稿したことは幾度かありましたが、自分が主宰する会の会報を書くことは初めてであり、創刊号として特別の十頁の文章を知っている限りの知識を総動員して一気に書き上げたものでした。勢いその文章は次から次へと知識の羅列となり、お読み下さった方は恐らく筆者の主張を理解なさるのに難渋なさったことであろうと、今でも冷汗もので読むのです。申訳ないことであります。

この文章の堅さから解放されたのは第二十号の「五目色不動」連載の頃でありました。日蓮宗の坊さんで、百九歳まで生き、徳川初代家康から秀忠、家光と歴代の将軍の政治の帷幄に参画した天海僧上という人が江戸城の守り神として城の五方に黄赤青黒白の五色の目の色をした不動尊を祀ったことに始まる五目色不動探訪記であります。言霊学でいう天之御柱、五つの母音が心中に自覚された状態と関係することから会報に取り挙げたのですが、探訪記でありますので、文章が柔らかくならざるを得ないのは当然ですが、それ以外に筆者の文章を柔らかくする裏話があったのです。

創刊以来数十号までは頒布する相手が定まっている訳ではなく、ほとんどは無料でこちらから「読んで下さい」と知人、友人に送っていたものでした。その中に小学校時代の友であり、尊敬する畏友であった直木賞作家のM氏も入っていました。書生風の堅い難解な会報(当時、私の書いた原稿を家内がワープロで打ち、そのゲラをスーパー・マーケットのコピー機でコピーした読みにくい会報でした)を送りつけられて、さぞ迷惑なことであったでしょうが、私の予想に反して年額三千円(当時)の会費を送って下さり、「金を出すから口も出す」の謂(いわれ)で次のようにアドバイスを頂いたのでした。「会報の奥付に一部いくらと値段を書く以上は、読んで頂く方は皆お客様の筈です。文章を書く自分の傍に読む自分を常に置いておかないと、文章は自分勝手なものになり、他人からそっぽを向かれてしまうのではないかな」というのです。完全に一本取られました。文章書きは彼が先輩です。それ以来、アドバイスを胸に畳み込んで、書く自分の中に読む自分を同居させることを心掛けている次第であります。

この五目色不動探訪には後日譚があります。この探訪は、天海僧上が江戸城の周(まわ)りに祀ったとされる位置が、その後の社会変動の影響で在所が移転してしまい、すぐに見付かったのは三ノ輪の目黄不動と目白の目白不動と目黒の目黒不動の三不動であり、目赤不動と目青不動は私と家内が歩き廻った末の発見でありました。(現在は東京の名所として名所地図に載っております)この歩き廻って探した努力の結果、言霊イエアオウの順に色相として黄赤青黒白が並ぶことを潜在意識に叩き込まれたのでした。当時から十数年も経った頃、言霊の会に旧官幣大社の春秋の大祭の時、その神社に天皇から下賜される御物が持ち込まれ、「言霊原理と関係がありますか」と質問を受けたことがありました(会報百六十一号「道と器」参照)。お許しを得て中を開けて見ましたところ、立派な絹布の巻物が上に五本並び、その染色の順が五目色不動の色相でアイエオウと並び、天津太祝詞音図と一致することが明白だと直ちに理解されたことでした。見た瞬間に分かること、これが考古学的判断には必要欠く可からざることであると思ったのであります。その点五目色不動探訪のご利益と申せるかも知れません。(御物の絹の配色はアイエウオの順でウとオに変動がありますが、「道と器」を御覧になれば分かりますように、五本の絹織物以外の構造は言霊学原理そのものであるところからウとオの順の逆は後世の人間の思惑の影響と思われました。)

五目色不動に続いて「神様の戸籍」の文章が連続で十二号、ズート後で穂高神社の一号、合計十三号が続きます。神様あるいは神社とは、二・三千年前、世界人類の文明創造の原理であった五十音言霊の学が皇祖皇宗の政治の御経綸のため、その方便として世の中の表面から陰没されることとなりました。そして古神道言霊学に代って、言霊原理を構成する言霊百神の神々が神社神道の神として各地神社に祀られることとなりました。言霊学に関係する神々を天津神、それ以外の神霊を国津神と呼ぶのであります。「神様の戸籍」はそれ等天津神の一神々々を言霊学の立場から言霊百音図のどの音に当る神なのか、を明らかにする作業でありました。

筆者は家内と共に年二・三回のフルムーン旅行をするのが常でしたが、その旅行先に天津神の神社があれば少々の廻り道をしても寄ってお詣りしたものです。百神の御祭神をただ書斎でその名について思案するよりも、時に大きな示唆を与えられることが分かっていたからであります。特にその効用が大きかったのは長野県の戸隠神社、木曾御嶽神社、それに天津神ではありませんが大分県の宇佐八幡神宮等でありました。「神様の戸籍」をお読み下されば詳細に説明されていることでありますが、一例として戸隠神社参拝を挙げておきましょう。戸隠神社は上中下社と分かれてお宮があります。上社の御祭神を手力男命(たぢからをのみこと)と申します。上社より気持ちのよい林の道を下りますと中社に着きます。中社の立札に祭神名が八意思金命とあるのを見て、膝を叩いたのでした。手力男命とは古事記「天の岩戸」の章で、岩戸の中に隠れていらっしゃる天照大神を、岩戸の戸を力まかせに開いて、天照大神を岩戸の外に連(つ)れ出す役目の神名です。神話物語としてはこれでよろしいでしょうが、言霊学では如何なることなのか、以前より気になっていました。それが中社の神名を見て、疑義は氷解したのでした。その神名、八意思金命(やごころおもいかねのみこと)の八意とは意(こころ)を単に心と書かず、意志の意を用いることによって、八つの意志の働き、即ち八父韻を指しています。思金の金は神音即ち後天現象音である子音を表わします。すると神名八意思金命とは八つの父韻の自覚の上から後天現象三十二の子音の理解に進もうとする人、ということになります。天照大神を岩戸の外に引き出し、この世の中を明るい世界に転換させる手始めの作業とは、八つの父韻の働きを自らの心の中に知り、それによって三十二子音の自覚、認識を完遂させようとすること、と受け取れるではありませんか。三十二の子音認識は言霊学の奥の院であり、奥義でもあります。中社のこの祭神名を見なかったら、かくも明瞭に「天の岩戸」を開けることの真の意義を知ることは尚将来のこととなったでありましょう。(埼玉県秩父市の秩父神社にもこの祭神名、八意思金命を見ることが出来ます。)

次に会報五十八号「旗印」を取り挙げることにしましょう。この号は筆者が先師小笠原孝次氏に初めてお会いすることが出来た日(昭和三十七年)から平成五年頃までの言霊の会の歴史的経過を書いたものです。その期間には先師より教えられ、また雑談として話をして頂いた、私にとって一つ一つが珠玉の如き真理であるものが詰まって活動していた時代でした。一日一日、一月一月、そして一年一年が忘れることの出来ない思い出に光り輝いている時でありました。計らずも、全く計らずも先生にお会いし、夢にも見ず、予想もしていなかった日本民族伝統の言霊の真理の中に没入することが出来、「人とは、人類とは何ぞや」を身の中に浸み込むように教えて頂き、またそれを一つ一つ体験させて頂いた日々でありました。

その期間の私の生活は言霊(ヒ)が走る光の学問を教えられそれを体験して行く、謂わば光の修業時代とでも言ったら良いものでした。自分個人は全く醜い性格でありながら、一度光の学問に入るとそこは全く普段と異なる光の世界、光と闇の間を往復しているような生活でした。その光の部分を書き綴ったのが旗印という文章であったのです。最近筆者は先師にお会いする以前の、生れてから三十七歳までの生立ちを「過ぎし日の事など」として三回に分けて文章を会報に載せました。その生活は先師にお会いしてからの日々と較べますと、闇から闇へ手探りの毎日であったように思われます。遥か彼方に見ることのない光があると信じて一歩々々闇の中を歩いていた日々でありました。暗黒から光明の世界へ、言霊学は言霊という光の学問であることを最近漸く知り得た気持です。そして光の学問がマスター出来る時、今まで闇と思われていた一切のものが、矢張り光の影に過ぎなかったのだ、という事を感じています。そして今や、世界人類のすべての人々の魂の中の光が輝き出しつつあることを確信出来るように感じております。ここで先師の遺した言葉をお伝えしましょう。

我は人類である。人類とは我である。人類を知ろうとするならば我を知ることである。それ以外の方法はない。

次に会報八十六号(平成七年八月号)を思い出します。この会報の末尾に「筆者退院の弁」が載せてあります。筆者が入院前六ヶ月、入院期間六ヶ月、計一年間の療養生活を終えて無事退院した時の挨拶です。長い一年間でありました。この期間に於ても会報を一月の休みもなく発行することが出来ました事は、会員の皆様方の御協力の賜でありました。そして筆者個人にとりましては、むしろ短い期間でもあったように感じさせて頂いています。法定伝染病でありますので、外出は出来ませんが、それ以外は全くの自由、眠るなら二十四時間、目覚めていたいなら、これまた二十四時間、自由な身の上であります。「禍転じて福となす」の諺に従い筆者は生活の主体を昼から夜に移しました。夜九時の消灯時間と共に起き上がり、ベッドの上に正座して、思念をある一点に集中させる作業に取り掛かりました。古事記百神の中で、どうしても解明出来ない神名六つの解明であります。これは先師よりの宿題であり、筆者が古事記神話の解明の完結に当り避けては通れない懸案でもありました。奥疎(おきさかる)神・奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)神・奥津甲斐弁羅(かひべら)神、辺(へ)疎神・辺津那芸佐毘古神・辺津甲斐弁羅神の六神名です。この六神名はその以前から考えていたもので、どうしてもぴったりした解明を得ることが出来ない問題でした。神名を字句の意味上で煮詰めて行き、六神とその前後の神々の名とが連続して、その筋道が合理的に通る、という答えを得ることが出来た、と一瞬思うことがあります。けれどその内容を禊祓の実際の行法として見ると心中に断層が出来て、うまく繋がらなくなります。反対に行法の上ではうまく繋がるように思えるのだが、字句解釈とは全然一致しないことになり、これも失敗です。

入院して三ヶ月程して、少々この夜中の正座の思索も種が尽きた感じで、どう考え、自らの心を反省しても迷路にはまって進むことも退くも出来ない状態に陥りました。どうにもならない私は朝食が終るとすぐに、身の廻りの物の整理や下着の洗濯を始めました。久しぶりに身体を動かした感じは誠に新鮮でありました。六神名の内容が同時にスラスラと解けたのはその晩のことでありました。それは何ヶ月も、何年間も考えて来たことが馬鹿に思える程、その解釈の成立は数秒間の出来事でした。自分自身が禊祓の実行者であったら、必ずこの心の過程を踏むに違いないという確信も同時に湧いて来ました。先師の宿題を果す事が出来た、出来たのだ、と心中叫んだものでした。この関門を通過して、禊祓のその後の行法も比較的スラスラと解釈が進みました。この六神名の内容を奈良の石上神宮の布留の言本、日文は「ユヰツワヌ」の五言霊で示しております。当会出版の「古事記と言霊」はこうして刊行することが出来ました。入院万歳であります。

会報二百号記念のお話は先を急ぐことにします。平成十三年十一月、会報百六十一号より会報の表題を「言霊研究」より「コトタマ学」に変更しました。そしてこの題字のバックも満開になった桜の花びらに変えました。何故このように変えたのか、筆者の心が当時それ程はっきりした意図を持っていたことではない、と記憶します。ただ心の片隅でボヤッと何かが閃(ひらめ)いたのです。その何かとは何であるか、は変更した百六十一号から現在の二百号にいたる三年と数ヶ月の間に徐々に分かって来ました。それは小さい小さいこの言霊の会が、歴史的変動によって大いに揺(ゆ)れ動く現代世界に対してどの様な役割を持っており、その役割がどのような手順を踏んで実行に移されて行くのか、の消息が次第に明らかになって来た事であります。

会報の改題が行われた時より数ヶ月前、「大祓祝詞(のりと)の話」という題で講習会が行われました。この大祓祝詞の話の中でそれまでは余り話されることがなかった「光と影」の問題が提起されました。光が当れば闇は立ちどころに消えます。暗がりは何処かに移動したのではなく、消えたのです。この道理は大祓祝詞にも、また古事記の禊祓の行法にも通用する根本課題となりました。奥疎神以下六神の解明と、光(言霊駆り=ひかり)という観点が分かると、大祓祝詞も古事記の禊祓の意義も従来の解釈が全面的に書き換えられました。「古事記と言霊」の禊祓の章の訂正のために第二改訂版が出版され、それと同時に大祓祝詞の「天津祝詞の太祝事を宣れ(ふとのりとごとをのれ)」の意義が掌を指さす如く平易で簡潔(かんけつ)な文章で言い表わすことが可能となりました。

光(言霊駆り)という観点の登場で、言霊の会の霊位が言霊ウオアの段階から飛躍して言霊エイの眼で世界を見ることが出来るようになったのです。会報誌の名前が「言霊研究」から「コトタマ学」に改題されたのは、それが根本理由である、と今になって言うことが出来ます。理論探究の仕事が略々(ほぼ)完了して、実行の段階に進んだことになります。

「コトタマ学」と改題して三年と三ヶ月を経て、言霊の会も人類世界の臨時政府の役目を漸くにして担う立場に立ったことになります。実行の時に入ったと申しましても、表立った宣伝もデモもお祭り騒ぎも一切する事はありません。そんな必要はありません。会員各位がそれぞれの居所に於て言霊学を学び、言霊学で示されるウオアエイの次元の自覚進化を行えばよいのです。霊駆りの松明(たいまつ)を高く暗黒の世界に掲げるだけで用は足ります。会報「コトタマ学」は今後とも皆様の御勉学のお手伝いをさせて頂く所存であります。

会報「コトタマ学」二百号記念の御挨拶のしめくくりとして、末法千年の中の第一人者、浄土真宗の親鸞上人の言葉をお借りして、人類の歴史一万年にわたる皇祖皇宗の御経綸を言寿がさせて頂きます。

人類歴史転換に際し、如何なる善も要にあらず。皇祖皇宗の御経綸にまさる善なき故に。如何なる悪も恐るべからず。皇祖皇宗の御経綸を乱す程の悪なき故に。

(おわり)

「コトタマ学とは」 <第二百一号>平成十七年三月号

生命意志(前号に続く)

人間の創造意志である言霊イとヰについて、もう少し詳しく説明しましょう。先に五母音の説明のところで、この言霊イの宇宙は他の四つの母音宇宙を根底から支え、統合している宇宙であるとお話しました。根底で統合するといっても、内容がはっきりしないかも知れません。もっと平たくいいますと、この言霊イという創造意志は、他の四音の世界の現象を生む原動力だということです。五官感覚による欲望の宇宙である言霊ウも、経験知の宇宙の言霊オも、感情の宇宙の言霊アも、実践智の宇宙の言霊エも、生命の創造意志である言霊イが働かない限り、何の現象も生れないということです。

欲望が起るのも生きる意志があってです。経験を積む好奇心も、嬉しい悲しいの感情も、今・此処でいかなる道を選ぶかで悩むのも、すべて生きようとする意志が縁の下の力持ちとなって働くからであります。

そして、その縁の下の力持ちとなって働く力、それが言霊イの実際の働きであるキシチヒミリイニの八つの父韻です。それは主体が客体と結び付くために働く力動のバイブレーションです。これによって主体と客体がシンクロナイズして、現象である全部で三十二の子音を生むことになります。

言霊イには以上の他にもう一つ重要な働きがあります。それについては誰も想像もしないことなのですが、人間が生きるということにとって重要なことなのです。

主体と客体が結ばれて現象を生むとは、どういうことなのでしょうか。「赤い花が咲いた」というのは一つの現象です。この時、その事実を認識する人間がいなかったら、それが現象として起ったかどうか分りません。さらにそれを見る人間がいたとしても、その事実に対して「赤い」「花」「咲いた」という事や物にそれぞれ名が付けられないならば、ただ「アーアー」というばかりで現象にはならないでしょう。主体的に現象を生むということは、名を付けることでもあります。現象を生み、それに名を付けること、それが生命意志である言霊イの働きです。

人間の創造意志である言霊イについて以上のことを総合しますと、言霊イとは――

一、母音として他の四つの母音ウオアエを統一して支え、

二、その実際の働きである八つの父韻ヒチシキミリイニとなって、母音、半母音に働きかけて現象を生み、

三、生れ出た現象に名を付ける役目を果たす。

という、宇宙の根本活動をすべて一手にやっている存在ということが出来ます。そこで母音イと半母音ヰとを他の母音・半母音から区別して親音と呼んでいます。この言霊イとヰの存在と働きに対して、宗教の教義では「創造主」と呼んで崇めています。

先に、人が朝目を覚まして、意識が段々はっきりしていく時のことを例にとって心の先天の構造を説明してきましたが、言霊イとヰが出揃ったところで、先天の十七音言霊の構造は完結したことになります。この十七音言霊が活動して、現象である子音を生んでいくこととなるのですが、先天構造の言霊による図をまとめますと、次のようになります。

人が眠りから目覚め、まだ完全に意識が働かないが、何かが動き出す気配が漠然としてきて、頭の中で形にはならない先天の宇宙が次第に活動し、それに人間知性のバイブレーションである八つの父韻が働きかけて刺激し、最後に生命の創造意志が最も奥の部分で発動すると、遂に心の現象が起って子音が生まれてくるという、心の先天構造の経過は以上の図によって示されました。

人間はこの十七個の言霊によって構成されている頭脳の活動によって物を思い、考え、行動し、文化を創造していきます。それは国家・人種の区別なく人類全てが皆同様です。また人類がホモ・サピエンスとしての種を保つ限り、この頭脳構造は永久に変わることなく続くことでしょう。

地球上には幾多の国家、人種があります。その言葉も多種多様です。けれど人間である限り、その頭脳は右の十七音の言霊で構成されています。そしてその頭脳の構造をこれ以上に正確に解明するものは、他にあり得ないことでしょう。人間の頭脳の精神構造は、人類の歴史の上で、すでに数千年の昔に明らかにされているのです。

古代人が野蛮だったなどとは、間違っても言えるものではありません。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百二号>平成十七年四月号

五種類の五十音図

五十音図といいますと、私たちは小学校の時から教えられたアイウエオ五十音図がただ一つあるだけと思ってきました。その上、五十音図が何故縦にアイウエオと並び、横にアカサタナハマヤラワと並ぶのかなどということは、全く考えたこともなかったというのが実情でしょう。そもそも音図とは何なのでしょうか。

今までにお話してきたように、人間の心は全部で五十個の最小単位の要素である言霊から成立しています。その内訳は五つの母音、四つの半母音、八つの父韻、それに三十二の子音であります。人間の心はこれで全部ですし(言霊ンを加えて)、これ以上でもこれ以下でもありません。

遠い昔、日本人の祖先は、心は五十の言霊から成立しているということを解明し、それと同時に、その五十音の言霊をどのように並べたら人間のその時その時の心の理想的な持ち方を表わすことが出来るかを明らかにしました。それが五十音図なのです。

この五十音を配列する場合、自分自身である私の心の宇宙(心の五重)である母音を右側に並べます。そして行動の相手であるあなたの心の宇宙(半母音)を左側に並べます。その上で私とあなた、母音と半母音を結ぶ架け橋となる意志の運び方である八つの父韻を右から左へ横に並べます。

さて、縦の母音(半母音)の並び方の順はどのように定めるのでしょうか。横の八つの父韻の順はどうなのでしょうか。それが問題です。

先ず母音の順序です。この場合、人間のその時の最も行動の主眼となる心の次元を五母音の中心に置くことになります。図を参照して下さい。

例えば、商売をする人の心の場合です。その心の主眼となるのは欲望です。言霊ウです。ですからウを五母音の中心に置きます。商売の心の世界が欲望ウだからといって、商人の心の中に他の四つの次元、経験知(オ)・感情(ア)・実践智(エ・道徳心)それに意志がないわけではありません。ただ商人は商売をする時、ウ言霊である欲望性能以外の次元はウ次元の目的を達成するための手段(道具)に使うこととなります。長年の経験(オ)も、明るい人柄(ア)も、そして嘘をつかない正直さ(エ)も意志の強さも、すべて商売を成立させる手段となります。

その手段であり道具となる他の四つの次元の中で、目的達成に有効なものほど中心のウに近く配列していきます。そうしますとウ言霊を中心にして行動する人の心の母音は、上からアイウエオと並ぶこととなります。

以上で縦の母音の並び方の法則は分りました。次に私とあなた、母音と半母音を結ぶ八つの父韻の並べ方についてです。

八つの父韻といいますのは、私と貴方とを結んで私自身の行為の目的を達成させるための意志の運び方です。この意志の発動の仕方に八種類があり、それぞれ特有の動きがあります。また、八種類で動きのすべてです。他にはありません。ただ残念なことには、意志の動きというものは心の奥の奥のものですから、言葉で簡単に、そして分り易く表現することは困難です。これは言霊学の最も難解な箇所なのです。ですから、本書では八つの父韻の並べ方が、心の次元によって全く違って来るということを申上げておきます。一つ一つの父韻の動きに関しては、既刊「古事記と言霊」を御参照ください。

そして音図の向って右の母音の私から意志が発動され、半母音のあなたと結び付いて行為が完結します。意志の動きは、右から左に向って流れることになります。そのようにして商売をする人の意志の順序は、意志を表わす言霊イの段階のキシチニヒミイリと決められました。

そうしますと、縦に母音がアイウエオと並び、横に父韻がキシチニヒミイリとなって、五十音図は前に示したような、私たちが日頃使っているアイウエオ五十音図が完成されます。この音図のことを昔、古神道では天津金木(音図)と呼びました。

私たちが日頃これだけしかないと思っていたアイウエオ五十音図は、実は人間の性能の一つである欲望(言霊ウ)の目的を達成するのに最も適した心の持ち方を示す音図(天津金木)だったのです。物質文明を中心としたここ二千年の人類の中では、この音図で示された心の構造が最も頼りになるという事実から考えますと、当然のことと頷かれます。

現在、私たちはアイウエオの五十音図しか使っていないといいましても、今お話しました五十音図を作る法則を考えますと、このアイウエオの音図の他にさらに四つの音図がなければならない勘定になります。言霊オ(経験知・学問)、ア(芸術・宗教)、エ(実践智・道徳)、イ(創造意志)をそれぞれ中心とする音図です。現在は全く見慣れないのですが、大昔にすでに確定していた音図なのです(音図表参照)。人間の持つ心の性能をよくよく観察して見届けますと、それを五十音図としてまとめて表わすことの出来た私たちの祖先の、精神の緻密さに驚嘆するばかりです。

しかし、四つの五十音図のうち、言霊イの天津菅麻(音図)だけは、母音と父韻とも、先にお話しました配列の法則と趣を異にします。何故なら人間の創造意志は他の四つの性能に働きかけて現象を起させる原動力でありますが、意志それ自体は直接に現象として現われることがないからです。従って八つの父韻の定まった順もありません。

〔注〕アイウエオ五十音図の起源はたかだか数百年だ、というのが現在学会の通説です。その理由は、それ以前には五十音表の書かれた文書が史実の上で見当たらないためです。けれど私たちが使っていた日本語が、先にお話しました先天構造の原理と五十音図の原理から作られたという事実が理解されますと、五十音図が作られたのは大昔であることが了解されるでしょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百三号>平成十七年五月号

天地の初発(はじめ)の時

偉大な宗教書や民族の神話は「天地のはじめ」を説いています。日本人も世界の人々も随分長い間、この「天地のはじめ」ということについて、途方もない間違った解釈をしていました。その誤解から世界の歴史は紛争の歴史となり、人々の心がどんなに歪められてきたことでしょうか。

今こそ、その誤解を改める時です。きっと、人々の心は暗雲が去ったあとの青天白日のような晴れやかさを取り戻すことでしょう。

「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時」

日本の古典である「古事記」をお読みになったことのある方は多いことと思います。その古事記の神代の巻の最初の文章には、「天地の初発の時、高天原に成(な)りませる神の名は……」とあります。またキリスト教の旧約聖書の創世記第一章の最初に「元始(はじめ)に神天地を創造たまへり……」と書かれています。

古事記で「天地の初発(はじめ)の時」といい、旧約聖書に「元始に」と書かれている「はじめ」とは、何のことを指しているのでしょうか。大方の人は私たちが生きているこの大きな宇宙が形成される初めの時、と考えることでしょう。現在ばかりでなく昔の人も、宗教学者でさえそのように考え、疑うことさえしなかったようです。幾十億年、いや幾百億年、幾千億年か昔、宇宙が混沌として何もはっきりした形をしていなかった時、人の知恵では計ることのできない偉大な、眼には見えない力を持った神が、銀河系を、星雲を、太陽を、地球を創造していったと解釈して来たようです。

「その神の愛子であるイエス・キリストのお生まれになった我等の地球が宇宙の中心であり、従ってその地球の周りを太陽が動いているのであって、地球が太陽の周りを動いているなどと主張する地動説は神への冒涜である」といって天文学者ガリレオ・ガリレイはローマ教会によって宗教裁判にかけられました。これも「元始に神天地を創造たまへり」を教会自体が「この宇宙や地球は、神様がまるで私たちが手工芸で何かを作るようにお作りになった」と解釈していたためでしょう。

宗教界の主張に反して、近代の科学は太陽の周りを地球が動くという地動説を完全に証明してしまいました。宗教の私達人類の生活に及ぼす影響力は、日々年々低下していくのが実情のようです。

このような論争や混乱は、すべて「天地の初発」とか「元始」のとんでもない間違った解釈から来ているのです。私たち人類は、いつ頃からこの「初発」について見当違いをしはじめたのでしょうか。多分この二千年間、次第に進歩して来た物質科学の影響のためでしょう。

「古事記」の「天地の初発の時」も聖書の「元始に」も、それを聞くと私たち現代人はすぐに、幾百年も昔のことを思い浮かべるかも知れません。しかし、それは天文学的や地球物理学的な宇宙―太陽や地球など―が形成された初めの時のことではありません。神話や宗教書のいう「天地」とか宇宙というのは、今まで説明して来ましたように、心の宇宙のことを指していっているのです。

人が何も思ったり、考えたりしないでいる時、心は宇宙そのものです。エネルギーが満ち満ちていて、しかも何もない広い宇宙です。その宇宙に何かが起ろうとする瞬間、それが「天地の初発の時」であり、「元始に」の時なのであります。ですから、その「初発」というのは幾百億年も昔のことではなくて、常に「今」のことをいっていることになります。何かが心に起ろうとする瞬間が、人にとって「今」なのであり「ここ」でなければならないでしょう。神話や宗教書の「元始に」とは必ずその「今・ここ」の心が現象を起そうとする初めのことをいっています。

人の心は、実はいつもこの「今・ここ」に生きています。ただ私たちは過ぎ去った出来事にわだかまりを持ったり、これから先のことに不安を抱いたりして、「今・ここ」をともすると見失いがちになっています。それらのことに心を煩わされず、広い宇宙のような心持ちでいられたら、どんなにか楽しい人生を送ることが出来るでしょう。

古代の日本人は、この「今・ここ」に生きる術を心得ていたようです。昔の人は「今・ここ」を中今(続日本紀)と呼んでいました。その宇宙そのもののような広い心こそ、愛と芸術が尽きることなく流れ出て来る心なのです。万葉集の中に見られる素直で心情溢れる歌も、昔の日本人の明るい心から生れ出たものでありましょう。

以上のように世界中の神話や宗教書がいう「天地の初発」とか「元始に」ということが、常に「今・ここ」で心の宇宙から何かが生まれようとしている時と解釈しますと、もう決して物質科学の研究と宗教・神話は葛藤を起すことはありません。科学は精神科学を含めて研究の対象を、自己本体の外側に客観として見る研究学問です。それに引き換え、宗教や神話は自己の内面を主観として省みる学問研究である、という区別がはっきりとつくからです。

科学との葛藤がなくなるばかりでなく、人間の心を純粋に主観として見て心の構造を明らかにした言霊の学問では、人間が科学を研究するその心、科学する心の構造まではっきりと解明することが出来たのでした。

次の項から話を本筋に戻して、先天構造の研究を先に進めることにしましょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百四号>平成十七年六月号

古事記

先に「天地の初発(はじめ)の時」の意味の取り方についてお話した項で、「古事記」の名を出しました。ここでは「古事記」の神代の巻の内容とその解釈について、現代人にとって全く耳新しいことをお話することにします。

「古事記」という書物は、七一二年(和銅五年)太安萬呂(おおのやすまろ)によって選上されました。ご承知のことと思いますが、全部漢字で書かれています。と言っても漢文ではありません。日本の言語一語一語に、同音または同意の漢字を当てはめて文章としたのです。私たちは難しい漢字や外国語に振り仮名をします。それと同様に「古事記」は日本語に振り漢字をしたようなものです。例えば「そらみつ 大和の国は」の言葉を「虚見津 山跡乃国者」と文章にしている、といった具合です。そして一七九八年、本居宣長によって「古事記伝」として正式の日本文に翻訳されたのでした。

「古事記」には上中下の三巻があります。ここで取り上げようとするのは、上巻の「神代の巻」です。さてこの「古事記」の神代の巻が、古代の日本人が考えた単なる神話や文学作品なのではなく、神話の形式を借りた言霊の学問の手引書、教科書であるといったら、読者はどう思われるでしょうか。多分「まさか」の言葉が返ってくるのではないでしょうか。でもそれは紛れもない事実なのです。説明を進めていくことにしましょう。

神代の巻は、その最初の文章が先にお話しましたように「天地の初発の時…」と始まります。この「天地の初発(はじめ)」は、今までの世の中の人が考えていたような、天体物理学や天文学で取り扱う物質宇宙の初めのことではなく、精神宇宙に関することを書いている、というお話でした。何百億年も昔の宇宙や銀河系や太陽系が形成された時のことではなく、心の宇宙から人間の思いが始まろうとしている瞬間のことをいっているのです。実際に生きている人間の思いや考えが始まろうとする瞬間とは、常に「今・ここ」でなければならないでしょう。

神代の巻には「天地の初発の時」に続く文章で色々な神様の名前が次から次へと出て来ます。「天地の初発の時」が物質の天や地の形成された時ではなく、心の宇宙に人間の思いが始まろうとする時ということになりますと、その次に出て来る色々な神様の名前も天や地や太陽や月、木や風、川や海などの自然を神格化した神様なのではなく、「今・ここ」で人間の思いが始まろうとしている心の宇宙の内容についての何かを表現しているのだ、ということになります。

この本の「コトタマとは」の項で、私たち日本人の祖先は、人間の心を形成している言霊の数は先天十七個、後天三十三個、合計五十個であり、その五十個の言霊を操作する運用法も五十あるとお話しました。総合計百個の原理ということなります。

このことを頭に入れておいて、「古事記」の最初に出て来る神様の天の御中主(あめのみなかぬし)の神から天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読命(つきよみのみこと)・須佐男命(すさのをのみこと)の三神まで数えてみますと、驚くことにちょうど百個の神名が登場してくるのです。最後の須佐男命が生れた後で、「吾は子を生み生みて、生みの終に、三柱の貴子を得たり」と言って伊耶那岐の命が大層喜ばれたと「古事記」にありますから、最初の天の御中主の神から須佐之男命までを数えたわけです。ちょうど百個の神名、それは言霊の百個の原理と数が一致するではありませんか。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百五号>平成十七年七月号

古事記(前号に続く)

それだけではありません。神代の巻の最初の章「天地の初発」の中に出て来る神様の名前が全部で十七、これは人間の頭脳の先天構造の言霊の数十七とも一致するのです。「天地のはじめ」とは、精神的にいえば先天のことということが出来るでしょう。少々長くなりますが、「古事記」の「天地のはじめ」の章を書いてみましょう。

天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に国稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅の神。次に天の常立の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、国の常立の神。次に豊雲野の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に成りませる神の名は、宇比地邇の神。次に妹須比智邇の神。次に角杙の神。次に妹活杙の神。次に意富斗能地の神。次に妹大斗乃弁の神。次に於母陀流の神。次に妹阿夜訶志古泥の神。

次に伊耶那岐の神。次に妹伊耶那美の神。

以上が「古事記」神代の巻の第一章「天地のはじめ」の全文章です(角川文庫「古事記」、武田祐吉訳注)。確かに神様の名前が十七出て来ます。日本の古代の大和言葉に同音または同意の漢字を当てた文章ですから、それぞれの神様の名前がどんな意味を持っているのか想像もつかないでしょう。けれど「天地のはじめ」が「何物もない心の宇宙から人間の思いが現われようとしている時」のことをいっているのだ、ということを心に留めておいて、この本の「思考のはじまり」の項でお話しました人間の目覚めの時の意識の動きの構造を考え合わせてみますと、「古事記」の神名と言霊との関係が次第に鮮明に理解されてくるのです。

心の宇宙の中に何かの思いが起ろうとして、まだ実際には現れてこないうち、言い換えますと心の先天構造の内容を言霊で示した図を再び取り上げます(図参照)。

この図を心に留めておいて「古事記」の最初に出て来る神名、天の御中主の神を考えてみます。心の先天の中に「今・此処」で何かが起ろうとする瞬間、その動き、うごめき、生まれようとする気配の宇宙に言霊ウと名付けたことは以前にお話しました。さて天の御中主の神の天は心の先天部分を示しているということが出来ましょう。その先天の中に何かの意識が起ろうとしています。実際に起ろうとする意識は「今・ここ」以外にはありません。そしてその意識がいかに小さいものであっても、宇宙は無限に広いものですから、一点をどこにとっても、それは宇宙の中心に位置しています。しかもその中心の自覚者(主)です。そうしますと「古事記」が「天地のはじめ」の章で示した天の御中主の神という神名は正しく言霊ウの宇宙をそのまま指し示しているではありませんか。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百六号>平成十七年八月号

古事記(前号に続く)

心の先天の二段階に入りましょう。何かは分らないが、心の中に生れようとする気配の宇宙である言霊ウは、次の瞬間、これは何だろうという意識が起こると同時にあなたと私、客体と主体に分れる、すなわち言霊ワとアに分れるということでした。

「古事記」ではどうでしょうか。高御産巣日の神と神産巣日の神の二神です。この神の名前は当漢字のためにちょっと気付かないですが、読み方だけを取ってみますと「タカミマスビノカミ」と「カミムスビノカミ」となります。片方に「タ」の一字が有るか無いかの違いだけなのです。「タ」の音は言霊の学では純主体性を表わす音です。「カミムスビ」とは噛み合わさって結ぶという意味です。主体と客体が悩み合わさる。言い換えると主体と客体が感応同交して現象を生むために結ばれる宇宙という意味となります。これも正しく主体である言霊アと客体であるワを差し示している神名ということが出来ます。

心の宇宙の中に何かの思いが起ろうとして、まだ実際には現れてこないうち、言い換えますと心の先天構造の内容を言霊で示した図を再び取り上げます(図参照)。

このように言霊というものの内容を「古事記」の神様の名前が、一つ一つ神話の中の謎々の形で指し示していることが理解されてきます。筆者が「古事記」神代の巻は言霊の学問の手引書、教科書だという理由はここにあります。本書は「古事記」の講義書りでありませんから、言霊と神名を一つ一つ検討していくことはあまりに長くなりますので省略することにして、人間の心の先天構造を表わす言霊と「古事記」の神名の関係を右に示すに留めましょう。

以上の説明でも現代の大方の人はあまりに唐突な主張とお思いになることでしょう。そこで右の図にある神名のうち、さらに二つばかりを取り上げて説明しておきましょう。

言霊オ・天の常立の神

従来の「古事記」の註釈書では「天の常立の神」を「天の確立を意味する神名」と解釈しています。言霊学でみるとどうでしょうか。言霊オとは過去の現象を思い出して、その現象同志の因果関係を調べる、いわゆる経験知の出て来る天の宇宙ということでした。天の常立の神という名前は、この経験知をよく表わしているではありませんか。宇宙大自然(天)を恒常に(常)成立させる(立)実体(神)であると「古事記」は説明しているのです。それは学問・科学そのもののことであります。

言霊エ・国の常立の神

言霊エの宇宙とは言霊ウ(欲望)・オ(経験知)・ア(感情)という人間性能のうち、今はどの性能で事に対処したらよいかの選択知、実践智が出て来る宇宙の次元です。この働きが社会的になったのが道徳であり、政治というものです。この働きを指示する「古事記」の神名は国の常立の神です。国家(国)が恒常に(常)成立する(立)実在(神)という意味であり、言霊エの宇宙の内容そのものではありませんか。「古事記」の神名が言霊を指示していることを証明する良い例でありましょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百七号>平成十七年九月号

易経

人間の精神の先天構造を前章(先月号)のように図で表わしますと、中国から始まったといわれる易をご存知の方はすぐにお気付きになることでしょう。「易の太極図と全く同じだな」と。そうです、同じです。ただ違うことは、言霊図が物事の最小単位の実体である言霊で構成されているのに対し、太極・陽儀・隠儀……という概念用語と―とか--という数理をもって示されていることです。まず局の太極図と二種類掲げることにします(図参照)。

易というと現代人はよく大道で見られるように、筮竹(ぜいちく)の数をかぞえて人の吉凶禍福を占うものと考えるでしょう。けれど、この局の教えが今から数千年以前、中国の伏羲(ふぎ)という聖王が始めた東洋哲学の奥義であり、有名な孔子が十翼といわれる十篇の注釈書を書いたことを知る人は少ないようです。

上に示しました太極図について注釈書には「この故に易に太極(たいきょく)あり。之、両儀(ぎ)を生ず。両儀四象を生じ、四象(しょう)は八卦(け)を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」と説明しています。註釈に使われている言葉自体が東洋哲学の難しい概念ですから、意味が分かりにくいのですが、易経をよく読んでみると、この太極図が前の章で示した言霊十七個による心の先天構造と全く同じように、何もない宇宙から現象が現われてくる過程を説明しているのだ、ということが理解されます。

それなら、心の先天の構造を表わした局の太極図と現在行われている筮竹の占いとは、どんな関係なのかを考えてみましょう。

中国の古代の「左伝」という書物に「聖人は卜筮(ぼくぜい)を(わずら)はえず」とあります。また「筍子」という書物の大略篇には「善く易を爲(おさ)むる者は占はず」と書いてあります。聖人とは、人生の道理について深く悟った人ということでしょう。聖人の聖という字は耳と口の王様と書きます。耳と口と言えば言葉だとすぐ分ります。他人の言葉を耳で聞いて、その意味を正確に判断し、その答えを道理にかなって出す人、ということです。となると、先にお話しました心の先天構造をよく分っている人と同じ意味になりましょう。

従来の「古事記」の註釈書では「天の常立の神」を「天の確立を意味する神名」と解釈しています。言霊学でみるとどうでしょうか。言霊オとは過去の現象を思い出して、その現象同志の因果関係を調べる、いわゆる経験知の出て来る天の宇宙ということでした。天の常立の神という名前は、この経験知をよく表わしているではありませんか。宇宙大自然(天)を恒常に(常)成立させる(立)実体(神)であると「古事記」は説明しているのです。それは学問・科学そのもののことであります。

つまり「人の心がよく分かった人は筮竹で占うことはしない」ということです。

「善(よ)く易を為(おさ)むる者は占はず」も同様な意味の言葉です。易の太極図を心でよく悟った人は、筮竹を使わないというのです。

聖人は筮竹の占いをしませんでした。聖人の考えることは易の太極図の道理そのものだった、ということが出来ます。中国に孔子・孟子以後、聖人がいなくなりました。そこで、将来の不安から逃れるために筮竹の法が流行し出したのです。

さて、日本で天津磐境(あまついはさか)と呼ばれる心の先天構造図と中国の易の太極図とは、原理の上で、また歴史的ににどんな関係にあったのでしょうか。どちらが古くて、どちらが歴史的に新しいのでしょうか。世の大方の人々はもちろん「中国五千年の歴史」といわれ、日本の歴史はたかだか二千年なのだから、中国の太極図の方が古いに決まっていると思われることでしょう。果たしてそうなのでしょうか。何千年の昔のことを明らかにする問題でもあるのですが、その話は後に譲ることにします。ここでは天津磐境と太極図が表現は違っても内容は同じものなのだ、ということだけに留めておきます。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百八号>平成十七年十月号

第四章 言霊学の歴史

私達日本人の先祖が言霊の原理を発見してから、数千年の年月が経ちます。その間、言霊の学問は、幾多の変遷を重ねて来ました。そしてその変遷の都度、世の中に大きな影響を与えてきました。言霊学の変遷は、社会相を根底から揺り動かすこととなります。その歴史についてお話しましょう。

言霊学の歴史 その一

言霊について今まで色々とお話をしてきました。言霊の学問は世界の屋根といわれる高原地帯が発祥の地だとか、聖(霊知り)の集団が推定八千年前頃この日本に渡って来て、その原理に基づいて日本語を作ったとか……現代人があまり耳にしていないようなお話でした。これまでお読み下さった読者は、一様に不審に思われるのではないでしょうか。それは「それほど確信をもって著者が言霊の存在と意義を主張するにしては、日本の社会にあまり知れ渡っていないのはどうした訳なのか?」の疑問でありましょう。

それは当然の疑問です。筆者も三十年ほど前、初めて言霊の学問に出会った時、日本語の起源である言霊の学問の奥深さと合理的なことに驚くと同時に、その疑問を感じたものでした。ある時代に盛んであったものが、時の経過とともに人々から忘れ去られていくということはもちろん珍しいことではありません。けれど私たち日本人が数千年の間日常使っている自分達の言葉の起源となる法則が、ただ「コトタマ」という言葉だけを残して世の中から埋もれてしまうことなんてあるのだろうか。それとも国家民族にとって一番大切なもの―その民族の言葉の起源法則―が人々の関心を失ってしまうには、何か事情があるのだろうか。筆者はその当時、そう考えたこともありました。

そんな疑問が、筆者の言霊学の師であった小笠原孝次氏という方から日本の古典である「古事記」「日本書紀」の講義を聞いて即座に吹き飛んでしまったのでした(氏は昭和五十七年十一月二十九日東京都渋谷区幡ヶ谷で七十九年の一生を終えられました。生涯を言霊学の研究に捧げられた方です)。

師の「古事記」「日本書紀」の講義は、歴史学・東洋哲学・西洋哲学・宗教学・心理学・言語学・文学等々にわたる、広い知識に裏付けられた厳格であるとともに明快なものでありました。

師の遺著「古事記解義、言霊百神」の一番初めの章を数行ご紹介します。

〔天地のはじめの時〕

天地(あめつち)は今・此処で絶えず開闢(かいびゃく)しつつある。「古事記」が説く「天地のはじめ」とは天文学や生物学や歴史の上の観念で取り扱うところの事物の初めを言っているのではない。「古事記」神代巻は必ずしも過ぎ去った大昔の事を取り扱っているわけではない。今が、そして此処が、すなわちnow-hereが恒常に天地の初めの時であり場所である。すなわち天地は実際に今、此処で絶えず剖判し開闢しつつある。その今を永遠の今という。この事を禅では「一念普観無量劫、無量劫事即如今」(無門関)などという。「永劫の相」(スピノザ)とも言う。そしてその場所が常に宇宙の中心である。この今、此処を「中今(なかいま)」(続日本紀)と言う。

明治生まれの師の文章は、時に現代人にとって難解なところがありましたが、「古事記」の神代の巻の最初の文章である「天地の初発の時」を、計り知れないほど大昔の始まりのことではなく、心の宇宙の内部に人間の思考が始まろうとする一瞬の時、すなわち、「今」なのであることを発見したことは、従来の「古事記」の解釈に百八十度の転換をもたらすこととなりました。

そこで当然、「古事記」の神代の巻の文章は、大昔宇宙や太陽や地球が始まったことをいっているのではなく、心の宇宙の内部に人間の思いや考えが始まり、次第に頭の中で練られ、一つのまとまった言葉として現われてくる、人間の心の構造を示している、ということになります。しかもその事情を神話の形式で書き表しているのです。何故そんな回りくどい神話形式をとって、心の構造をズバリそのまま書かなかったのでしょうか。

「そんな、こんな」を頭に入れながら「古事記」を読んでいきますと、日本の古代の歴史の経緯(いきさつ)や言霊の歴史、それに古代の私たち日本人が到達していた心の知識の奥深さ等々をはっきりと窺(うかが)い知ることが出来ます。

「古事記」や「日本書紀」は単なる古典文学というだけではなく、日本語の起源である言霊の学問の伝言書でもあることです。またそれによって言霊の学問の消長の歴史も明瞭に知ることが出来るのです。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百九号>平成十七年十一月号

言霊学の歴史 その二

日本の古典である「古事記」や「日本書紀」の神代の巻は、単なる神話ではなく、神話の形式を借りた言霊原理の手引書であり、教科書なのだということを前項、前々項でお話をしてきました。「古事記」は七一二年太安万呂により、また「日本書紀」は七二〇年舎人(とねり)親王らにより撰上されたものです。

「もしそうなら、太安万呂や舎人親王たちは何故に言霊の原理をそのものズバリと書かず、神話の形式をとったり、煩雑な神様の名前などを使ったりして、全く廻りくどい方法を用いたりしたのか?」という疑問が当然起ってきます。

それが民間の一個人の書いた小説や民話のようなものならともかく、「古事記」や「日本書紀」は、その当時の行政府の事業として計画され、完成されたものであることが記されています。とするなら、その記述が言霊の原理そのものを明らさまに書くことなく、神話の形式をとって、一見謎々のような文章にあえてしなければならない確乎とした理由があったに違いないのです。しかも、暗示している対象の言霊の原理は、人間の精神の究極最高の真理であり日本語の原典なのです。

この事情を歴史学的に説明しようとしますと、少なくともこの本一冊分くらいの紙数が必要となりますから、ここでは結論を手短にお話するに留めることにしましょう。箇条書きにすると、次のようにいうことが出来ます。

一、大昔、日本人の祖先の長年の研究の末に人間の心の構造が解明され、アイウエオ五十音言霊の原理として完成されました。

二、その原理を保持した聖の集団が地球の高原地帯からこの日本列島に渡って来ました。そして、まず、原理に基づいて日本語を作ったのです。また、その日本語が表現する実相そのままの社会・国家体制を築き理想の精神文明を創造しました。

三、精神文明の成果は世界中に伝播し、地球上には数千年にわたって精神文明繁栄の時代が続いたのです。世界の各民族に今なお現存する神話は例外なく「大昔、精神的に豊かな平和な理想時代が存在した」ことを伝えています。これらは事実存在した精神時代を、神代という表現で後世に伝えたものなのです。

四、歴史のある時点に、その時までの精神文明に次いで物質文明の創造が急務であることを感じた聖の集団は、精神文明の基礎である言霊の原理を一定の期間、方便として世界の人々の意識から隠してしまう方策を決定したのでした。なぜなら物質文明は生存競争の場においてのみ、その創造は促進されるからです。物質科学研究は弱肉強食の競争社会において、最も急速な進歩を遂げることは現代人がよく認識するところでしょう。平和・互譲の精神時代は方便として終焉を告げることとなりました。三千年程前、日本からの精神文明の輸出は停止され、二千年前、日本においても言霊原理の社会への運用は完全に停止されてしまいました。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」 <第二百十号>平成十七年十二月号

言霊学の歴史 その二(前号に続く)

五、この文明創造の方針の大変革に当って、日本の政府では種々の準備に万全を期しました。そのいくつかの例を次に列挙することにしましょう。

A.言霊の原理の自覚を表す三種の神器(鏡・曲玉・剣)は、代々天皇の御座所近くにおかれていました。二千年前、崇神天皇の御代、三種の神器を伊勢五十鈴の宮に天照大神という神様としてお祭りして、天皇から切り離してしまいました。この事実は「日本書紀」崇神天皇の章に詳しく載っています。天皇が実践智の鏡である言霊の原理の自覚を失ってしまったことを意味します。この歴史的事実を「天皇と神器との同床共殿制度の廃止」と呼んでいます。

B.言霊の原理はただ世の中から忘却されたのではなく、物質文明促進のため、一定期間、方便のため世の表面から隠されたものです。だから物質文明が進歩し、完成に近づいた時には、再び日本人の脳裏に蘇ってこなければなりません。そのための施策が色々講ぜられたのです。

C.三種の神器のうち、特に八咫鏡を天照大神としてお祭りした伊勢の神宮の本殿の構造を現代まで「唯一神明造り」と呼んでいます。その建築構造は、時が来て言霊の原理からみると、アイウエオ五十音図にそっくりそのまま写しかえることが出来るように造られています。五十音の言霊を並べて人間の精神の理想構造を表したものを器物として形どったのが八咫鏡なのです。唯一神明造りとはただ一つの神の内容が明らかとなるよう造られたもの、という意味です。例えば神宮の最高の秘儀として尊ばれる本殿下の「心の御柱」を初めとして本殿の構造、千木、鰹木に至るまで、言霊の原理に則って形づくられています。

D.宮中の重要な儀式の中に言霊の原理は巧妙に取り入れられました。例えば先に行われた天皇一代に一度の大嘗祭や、天皇の子が皇太子として立つ儀式の一つである壺切りの儀など、今では宮内庁の人々でもその意義が分からなくなってしまっていますが、言霊の原理からみると、どうしてその様な形式で行うのかが一目瞭然となります。日本人の宝である原理を儀式の形で後世に伝えようとしたわけであります。

E.そしてこの章の主題である「古事記」・「日本書紀」の神代の巻の神話も、以上お話してきました趣旨に基づいて編纂されたものです。崇神天皇が言霊の原理を信仰の対象として神様に祭ってしまって七百年、言霊の原理は名実ともに日本人の意識から完全に忘れられようとしている頃、方策の最後の手段として計画され編纂されたのが「古事記」・「日本書紀」だったというわけです。

言霊の原理は、将来の日本人の意識に甦る時に供えて確かに後世に伝えねばならず、そうはいっても当面の方針に従って明らさまに書くわけにいかず、当時の聖達はさぞ苦心したことでしょう。その結果、神話という形で言霊の原理の詳細を遺すこととしたのです。その苦心は見事に「古事記」・「日本書紀」の神代の巻としてまとめられました。今、言霊の原理がはっきりと解明され、理解された眼で記・紀の両書を読みますと、一字一字、一行一行驚くべき新鮮さで心の中に神話の物語が元の言霊の原理となって甦ってきます。最初の「天の御中主の神」から五十番目の「火之迦具土神」までが、それぞれ言霊の五十音を表徴した神名であり、五十一番目の金山毘古の神から百番目の須佐男の命までが、言霊五十の運用法なのであることが明らかに理解されてくるのです。

しかも最初の五十の神々が五十音のどれを表すかの要点は、宮中の賢所に二千年間保存されてあったと聞きます。賢所とは文字通り世界中で最も賢い所であるということがいえましょう。

「古事記」や「日本書紀」の神代の巻の神話が、日本固有の学問である言霊の原理の教科書なのだという筆者の主張に対して、当然起って来る疑問に対する解答をお話してきました。これをお読みになった読者の中には「そんな話は日本のどんな歴史書にも載っていない」と眉に唾される方が多いことでしょう。ただ話を聞いただけではそう思われるのも当然のことです。しかし、もし読者が「古事記」の示す天の御中主の神言霊ウ……と、先に心の先天構造の項でお話したことを読者ご自身の心の中に分け入って確められるならば、そして言霊の原理が確かに生きている人間の心の構造を明らかにしている事実に気付かれるならば、この本に書かれたことが真実かも知れない、と思われるに違いありません。それらの証明は、この章の次からお話いたします事柄の数々によって、確めていただきたいと思います。

さて、今まで言霊の原理が世の中の表面から隠されてしまったことについてお話をしてきたのですが、それなら、隠されたものがどんな経緯で今お話しているような言霊の学問として蘇ってきたのか、ということになります。隠されたものが、真に二千年の長い間隠されていたのですが、それがこの世に現われる歴史については次項「言霊学の歴史 その三」としてお話することにします。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」謹賀新年 平成十八年一月号

言霊学の歴史 その三(前号に続く)

筆者が事細かく言霊のお話をしますと、読者の中には、二千年も前に世の中から隠されてしまった言霊の原理というものが、どうして再びこの世の中に復活してくることが出来たのだろう、と疑問を持たれる方もいらっしゃることと思います。そこで近代の言霊の原理についての歴史をお話することにしましょう。

物は焼けてしまえば跡形もなくなります。けれどもその物を作ったり見たりした人の記憶は長い間残ります。一度人の心の記憶に印画されたものは、その人一代はもちろん、子々孫々の心の中に受継がれ、消え去ることはありません。そして必要があれば、その責任を負う人の頭脳を通じて記憶として蘇るものなのです。ましてそれが民族の言語を生んだ原理ともなれば、その言語がその民族によって語られ、それによって民族の歴史が創られている限り、言霊の原理が時到らば再び復活することは当然ということが出来ましょう。

第十代崇神天皇により言霊の原理の政治への適用が廃止され、世の人々から言霊の原理の存在は次第に忘れ去られていったのですが、その後の歴史の中で、その行跡や遺された文章などによって言霊の原理を明らかに、またはある程度知っていたと思われる人々の名前を挙げることが出来ます。「古事記」を撰上した太安万呂、日本書紀撰上の舎人親王、その他役小角(えんのおづぬ)、柿本人麻呂、菅原道真、空海、日蓮等々です。

これらの人たちが遺された行跡や文章から、言霊のことをどのように表現していたかを考察するのは興味溢れる問題ではありますが、紙数の関係上、今回は省略することに致します。

近代になって初めて言霊の原理の存在を知り、言霊研究の先鞭をつけられたのは明治天皇であります。天皇のお歌の中には「敷島の道」とか「言の葉の誠の道」という言葉が数多く見られますが、これらの言葉は、現在世の中でいわれているような単なる三十一文字(みそひともじ)の和歌の道のことではなく、言霊の原理を指したものなのです。

明治天皇の御製に次のような歌があります。

聞き知るはいつの世ならむ敷島大和言葉の高き調べを

しるべする人をうれしく見出でけり我が言の葉の道の行手に

天地を動かすばかり言の葉の誠の道をきはめてしかな

古代においては三十一文字の和歌は、ただ単に事物や感情を歌うだけでなく、その中に言霊の原理を巧みに織り込むことによって言霊の原理(布斗麻邇)の修行を積む方法であったのです。万葉集から古今集までの和歌にはそのような歌が幾多発見されます。

明治天皇の皇后となられた昭憲皇太后が一条家よりお輿入れの折、そのお道具の中に言の葉の誠の道に関する書物が入っていて、天皇は皇后と共に言霊の存在に気付かれた、と伝えられています。明治天皇が日本民族の伝統である言の葉の誠の道(言霊布斗麻邇)の真理に精通しようといかに希望されていらっしゃったか、前記のお歌がよくそれを物語っているように思われます。

明治天皇・皇后お二方の「古事記」上つ巻に基づく言霊学研究のお相手を務めたのが、山腰弘道氏(旧尾張藩士、皇后付きの書道家)でありました。氏は筆者に言霊学を教えてくれました小笠原孝次氏の、そのまた先生であった山腰明将氏の父親であります。

太平洋戦争後に亡くなられた山腰明将氏の遺された文章の中に、「古事記」の神代の巻に出て来る神様の名前がそれぞれアイウエオ五十音の一つ一つと結び合わされていました。前に説明したことですが、「古事記」の神様の名前と五十音の一つ一つを結び付ける作業は一人や二人の人の研究だけでは到底出来ない言霊学の奥義でありますので、この奥義は、多分長い間宮中に秘蔵されていたものであろうことが推測されます。

山腰氏の学問を受継いだ小笠原孝次氏の生涯をかけた研究によって、その時までは全く信仰的・哲学的でありました言霊の学問が、現在に生きている人間の心の学問として、考える人間の心の構造を明らかにした精神の科学としてまとめ上げられたのでした。

希望する人ならば誰でも、古代の日本人の祖先がそうであったそのままの姿で、人類の第一の文明の真髄であった精神の原理をマスターすることが出来るようになりました。アイウエオ五十音言霊の原理は、二千年の暗黒の歴史の中から不死鳥のように蘇った、ということが出来るでありましょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十二号 平成十八年二月号

第五章 日本神道について

現在の日本の神道は、「神社神道」と呼ばれています。神社神道が興る以前、その原型がありました。それが言霊布斗麻邇の学問であり、神社神道と比べて「古神道」といわれています。 古神道から神社神道へ、内容はどう変わったのかをお話することにしましょう。

神様に対する態度

現代人が神様(仏様)に対する態度は、どのようなものでしょうか。

まずは神を信じること、次には神を信じないことの二種類が考えられます。その他に、「人間は誠心誠意励んでいれば、拝まなくても神は守ってくれるはずだ」という人がいます。この人も神の存在を心の底では信じているのでしょう。

古代の日本人の神様に対する態度は、大変はっきりしていました。その態度は二種類あり、言葉の上で明快に区別されていました。一つは「斎(いつ)く」であり、もう一つは「拝(おろが)む」ことです。

斎(いつ)くを説明しましょう。斎くの語源は「五作(いつく)る」です。五を作るとはどういうことなのでしょうか。そこに言霊が登場です。人間の心は五つの母音の重畳で出来ています。心の先天構造の項でお話しましたが、五官感覚による欲望の宇宙(言霊ウ)、経験知の宇宙(言霊オ)、感情が出て来る元の宇宙(言霊ア)、実践智道徳の宇宙(言霊エ)、それに創造意志の宇宙(言霊イ)の五段階の宇宙です。

「五作る」の作るとは、よく理解して使い分けるという意味です。人は物事を考える場合、ともすると眼前の事態を欲望の問題として対処すべきか(言霊ウ)、過去の経験知に全面的に頼るのがよいか(言霊オ)、それとも感情の赴くままに解決すればよいか(言霊ア)……等々、問題の捉え方に迷って考えあぐむことがよくあるものです。この場合、人がもしそれぞれの異なる心の宇宙や次元を自分の心中にはっきり区別し、認識して、それぞれの次元の心がどう動くかのメカニズムの相違を熟知しているとしたら、その人はどんな問題にも気持よく対処して行くことが出来るはずです。迷うことはありません。

そういう人間になろうとすれば、どうしても自分の心の中で、ウオアエイの五つの母音宇宙をしっかりと把握しなければなりません。この五つの母音宇宙を把握し、自覚することを「斎く」(五を作る)と名付けたのでした。この五つの母音宇宙を把握している人を、霊を知る人の意味で聖と昔の人は呼んだのです。斎くとは神に対する最高の態度であると同時に、神そのものの態度である、ということが出来ましょう。

「拝む」に移りましょう。拝むとは神様の前で頭を下げて、誓いをしたり、ご利益を願ったりする態度です。今より二千年前、崇神天皇という天皇は、その時まで人間精神の構造を表し、日本の言葉の原典であり、政治の鏡でもあった言霊の原理を、天照大神という名の神様として伊勢の神宮に祭ってしまいました。それ以来、生きた聖がこの世に次第にいなくなっていったのです。人間の心の住み家である五つの母音宇宙(家・五重)のうち、人々は最高段階にある生命の創造意志(言霊イ)と、その意志の法則である言霊の原理に則って行う実践智(言霊エ)である英智の自覚を失ってしまいました。

人々は生命を支配する法則と、その運用法である実践智の自覚を失った結果、その大きなものを神と見立てた神社の前で頭を下げ、身の安全と幸福を願い求めるより他に方法がなくなったのです。これが拝む態度です。

古代には現代社会が持っているような物質科学や機械文明はありませんでした。だからといって、大昔の人が野蛮人であったのではありません。現代人が想像も出来ないような精神文明が花開いていたのです。その時代の人間の精神程度からすれば、現代人はやっとティーンエイジに届くか届かないかの「青二才」なのかも知れません。

「拝む」と「愚か」とは語源を同じくしています。拝むということは神に対して愚か者のとる態度ということが出来るのです。 現代の科学は、まことに素晴らしい成果を人類にもたらしました。物質文明は、その頂点を極めようとする勢いです。と同時に、その半面、人類社会に大きな危険というお土産も持ってきました。原爆戦争・地球的規模の公害、その他種々のハイテクによる底知れない生命の不安等々。昔では考えられなかった問題が山積しています。譬えて言えば、人類を全滅させることの出来る殺人道具を運転管理しているのは、やっと年十歳に達した鼻たれ小僧というわけです。生命の法則である神を拝むのではなく、その法則を自己の心の中に自覚・実現する「斎く」人の世の中に早くなることを、世界の人々に大声で叫びたいと思うのです。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十三号 平成十八年三月号

神社には拝殿の軒から綱を垂れ大きな鈴が付けてあります。参拝者は先ず綱を振って鈴を鳴らし、それからお詣りします。何故鈴を鳴らすのか、ご存知でしょうか。

それは神様にお詣りする前に気持を引き締めるためでもなく、または心を込めてお詣りしますから神様どうか私の願事をよく聞いてください、と神様の注意をこちらに向けようとして鳴らすわけでもありません。鈴を鳴らす理由は言霊に関係しているのです。

古代の日本人は、神様といえば何であるかを知っていました。それが分からなくなったのは二、三千年前からのことです。人間がそれによってこの世に生を受け、それによって生活し、人間がどう行動すれば結果はどうなるかをすべて知っている大いなるもの、それを人間は神と呼びます。とするなら、その神とは言霊に他ならないことをお気付きになるでしょう。人間の心は言霊によって構成され、人は言霊の法則通りに生活し、その法則の枠から出ることが出来ません。人間の生命すべては言霊なのです。言霊こそ神なのです。

神社参拝の折に人々が綱を振って鳴らす鈴はその古代の名残なのです。鈴の形をよくご覧下さい(図参照)。鈴の形は何かに似ていませんか。そうです。人が口を開けたところの形を表徴しているのです。口を開けば言葉が出ます。その言葉を構成している一音一音の単位が言霊です。一音一音は単に音だけのものではありません。音と同時に、例えば「タ」といえば広い宇宙の中の「タ」と名付けるべきすべての内容を含んでいます。「タ」という言霊です。

参拝者にとって正面の本殿の奥にいます神様とは、実はあなたが今手で綱を振って鳴らしている鈴の音、それに表徴されている言霊なのだよ、ということを教えてくれているのです。

三重県に伊勢神宮があります。御祭神は、内宮が天照大神、外宮は豊受(とようけ)姫大神です。このお宮は昔、拆釧五十鈴宮(さくくしろいすずのみや)と呼ばれました。釧(くしろ)とは古代の腕(うで)に巻く飾(かざ)りのことです。その周りに小さい数個の鈴がついているものがあるので、五十鈴にかかる枕詞となったと辞書にあります。先に書きましたように、五十鈴すなわち五十個の鈴とはアイウエオ五十音の言霊のことです。伊勢神宮の御祭神天照大神とは、実は五十音の言霊を以って表わした人間の行動の鏡となる精神の構造に与えられた神名のことなのです。

神社の拝殿前の鈴と言霊との関係をご理解いただけたことと思います。神社で行う色々な儀式習慣には、多くの現代人には想像も出来ない特別な風習が沢山あります。先年行われた天皇即位の大嘗祭の儀式の様式についても、その様式の理由や起源について「分からなくなった」という記録が、すでに室町時代の宮中祭官の記録に残っている程です。けれどそれらの神道の儀式の様式や風習の起源とその理由について、言霊の原理はすべて明白に解明してくれます。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十四号 平成十八年四月号

二拍手

昔、崇神天皇の時、言霊の原理は人々の意識から消えていくような仕組がとられた、と先項で書きました。そして将来、時が来れば再び人々の意識に蘇えるよう色々な施策が行われたこともお話しました。これからお話することも、世の中の色々なところで言霊の原理の表徴として遺されたものです。「あれっ、そうなの!」というようなものがありますから、期待してお読みください。

先に、神社の拝殿の前で鳴らす鈴の意味についてお話しました。鈴の形は人間が言葉を発している口を形どったもので、その音は口より出る言葉の言葉である言霊なのであり、それが拝む対象の神様の実体なんだよ、と暗示したものでした。それなら御神前で打つ二拍手は何のためか、それをお話しましょう。

拝殿前の鈴と同様、拍手も「これからお詣りしますから、神様どうかよろしく」と神様の眼を自分の方に向けようとするためのものではありません。言霊のことを表徴した動作なのです。言霊の原理のことを昔は、「フトマニ」と呼びました。漢字を当てますと「太占」または「布斗麻邇」となります。フトマニのフトとは二十の意味であり、マニは言霊のことです。全部で二十の言霊ということになります。二十個の言霊が何故言霊全体の原理という意味になるのでしょうか。

五十音図をご覧ください。横の十行のうち濁点が付けられるのはカサタハの四行です。他の行には濁点は付けることが出来ません。濁点を付けられるカサタハの四行の音は全部で二十あります。この二十個の音が言霊五十音全体を代表する音とみなして、二十個の言霊(マニ)で言霊全体の原理・法則の意味に使っているのです。何故カサタハの四行が言霊全体を代表することになるのでしょうか。

再び五十音図をご覧下さい。音図に向って一番右の行は母音で示した「私」の内容です。反対の一番左の行は半母音で示される「あなた」の内容です。この「私」と「あなた」の間に八つの父韻という眼に見えぬ火花が飛び交うと現象が起こることは今までにお話して来ました。この八つの父韻は実は陰陽、夫婦、作用・反作用の関係にある二つ四組の父韻なのです。チイ、キミ、シリ、ヒニの四組です。四組のどれも、濁点が付くものと付かないものの組み合わせになっています。その各々が陰陽、作用と反作用の関係にあるわけです。

言霊を勉強する立場からみますと、以上の濁点が付けられる四行、二十音の言霊が理解出来ますと、言霊に関する全部の法則を理解することが出来たことになります。このカサタハの二十音が言霊五十音の全体を代表する音だと昔の人が考えた理由がここにあります。

さて以上のようにお話しますと、もう二拍手の意味はお分かりのことと思います。片手で五本の指、両手で十本、それが二拍手で二十本。この拍手でフトマニの二十を表徴していることになります。二拍手とは言霊の原理全体を現わす動作なのです。

古代の日本には言霊の原理はありましたが、哲学用語はありませんでした。言霊を知るということは物事の真実の姿そのものを知ることになりますので、その他の物事の概念的説明の必要がなかったためでしょう。ですから言霊の原理が隠されてしまった時代、その原理を暗示するためには、自然現象や人間の動作などの形として示す方法がとられたものでありましょう。神前の二拍手もその一つなのです。

神社の御神前で二拍手するということは、祈願する礼拝の対象である神様とは、実は人間の精神の究極の構造である言霊布斗麻邇なのだよ、ということを示そうとして昔の人が後世に遺したメッセージなのであります。また同時にその二拍手とは、神様の実際の姿である五十音言霊の原理と祈願する人の心とのリズムが合致して、願い事が成就するようにとの祈りの方法ともなるのです。

以上、御神前での二拍手の意味をお分かりいただけたでありましょうか。ちなみに、フトマニのマニは日本語であると同時に世界語でもあることをお話しましょう。日本神道で麻邇といいます。仏教では摩尼と呼びます。観世音菩薩が手に持つ円満玲瓏な摩尼宝珠とは言霊のことを表徴したものです。キリスト教旧約聖書にはマナmannaとあります。「マナは神の口より出ずる言葉なり」と記されています。ヒンズーでは「マヌ」と呼ばれます。ヒンズー教の最高法典をマヌの法典といいます。

二拍手の意味の説明について、もう一つ付け加えておきたいことがあります。八つの父韻である意志のバイブレーションが陰陽二つ一組で、全部で四組(チイ、キミ、シリ、ヒニ)であると申しました。この八父韻について「古事記」では最初の章「天地のはじめ」に出て来ます。その神様の名前を見ますと、一組が陰陽、作用・反作用の働きである事が明示されているのに気付きます。ご参考のためにお話しておきます。

……次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢに)の神(言霊チ)、次に妹須比地邇(いもすひぢに)の神(言霊イ)、次に角杙(つのぐひ)の神(言霊キ)、次に妹生杙(いもいくぐひ)の神(言霊ミ)、次に意富斗能地(おおとのぢ)の神(言霊シ)、次に妹大斗乃弁(いもおおとのべ)の神(言霊リ)、次に於母陀流(おもだる)の神(言霊ヒ)、次に妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)の神(言霊ニ)。

以上が言霊の創造意志である八つの父韻にあたる「古事記」の神名です。作用・反作用の反作用に当たる神名に皆「妹(いも)」の字が頭に付いているのがお分かりだと思います。二つ一組は陰陽、夫婦の関係にあることをはっきりと示しているのです。それぞれの神名がどうして八つの父韻を指し示していることになるのかは、人間の心の中の動きを説明しなければなりません。煩雑になるのを省くためにも、今は触れないことといたします。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十五号 平成十八年五月号

鏡 餅

日本には、正月に床の間に上下二段のお供え餅を飾ってお祝いする風習があります。これを鏡餅と呼んでいます。神社では正月に限らず御神前に鏡餅をお供えしてあるところもあるようです。神社では鏡餅のほかに酒・米・塩・魚・菜っ葉…等々を御神前にお供えします。鏡餅をはじめ、これ等のお供えものをするのは何のためなのでしょうか。

まず常識で考えますと、人間の日々の労働の結果授かった日常の糧を神様に捧げて、生きることの喜びに対する感謝の意を表すのだということになりましょう。「神様はお供えものをいつ、どうやって食べるの」と子供が母親に尋ねます。母親の答えは「神様は人の真心と食物の香りを召し上がるんだよ」でした。この答えを聞いて「うまいことをいうものだ」と感心したことを覚えています。

この常識的な考えはまことにもっともなことですが、ただそればかりでは理解することが出来ない点もあります。人は餅を食べます。その感謝としてお餅を神様に供えることは理解できますが、丸い形の二段の鏡餅としてお供えするのは何故なのか、と疑問を持つことも出来るわけです。本章の冒頭でお話しましたように、人が神様に対する態度には「斎(いつ)く」と「拝(おろが)む」の二種類があります。感謝の心を込めて色々な食物を神様にお供えするという考えは、「拝む」人間の態度から出た答えであることは確かです。神様を拝み、その御利益に対する感謝のお供えものというわけです。

しかしそれだけでは説明のつかないものについては、人間の真の本質は神であるという「斎く」立場から、言い換えますと、言霊の立場から解釈しなければならなくなります。「斎く」ことが常識的であった太古の時代が、後世に遺した教訓と伝統が役に立ちます。

鏡餅は上下二段に丸い餅が重ねられています。上の段は、人間の心を構成している五十個の言霊を表しています。そして下の段は、その五十個の言霊を操作運用する五十の方法を示しているのです。五十個の言霊を順序正しく五十の操作をしてますと、その結果として人間の社会的行為の基準となる三つの精神構造が出来上がります。「古事記」はこれら三つの構造を「三貴子(みはしらのうずみこ)」と呼んでいます。神様の名前でいいますと天照大神、月読命、須佐男命です。それぞれ政治・道徳、宗教・芸術、科学・産業という三つの活動の行動の基準となる精神構造を表わしています。

基準となる構造を鏡と呼びます。餅は「百道(もち)」の意味を示します。言霊の数五十、その運用法五十。計百の原理、道です。百の原理で作られた鏡の意味で鏡餅を御神前に飾ります。社殿の奥にいる神様とは、実はこの鏡餅で示される百の道なんだよ、と参拝者に教えているというわけです。

鏡餅の言霊の学問上の意味についてお話したついでに、御神前にお供えする品物についてその言霊学上の意味を取り上げておきましょう。お供えものの主なものとしては、酒・米・魚・菜・塩等があります。順に説明しましょう。

酒は「さか」で性質を意味します。物事のすべての性質は、言霊の段階で捉える時、初めて真の姿が現われるぞ、という教えです。米は「いね」で「い」とは五つの母音のうち創造意志を表わす母音です。その意志の音といえば言霊のこととなります。魚は昔「ナ」と呼ばれました。今でも岩魚と呼ばれる魚があります。言霊によって作られた物の名、それは物事の真実の姿です。それはまた神様そのものでもありましょう。菜も同様「名」の表示です。では塩は何の意味を表わしているのでしょうか。

塩は食物に味を付ける最も一般的な調味料です。塩気のない料理は考えられません。と同時に人生に味付けをするもの、それは生命意志の法則である八つの父韻です。八父韻が四つの母音宇宙に働きかけて初めて現象を生み出します。父韻の働きかけを「潮時」として母音から現象が生れます。八つの父韻は陰陽二つが組となった四組のバイブレーションであることを先にお話しました。また海の潮が干満のあることから、潮をもって父韻を表わすことがあります。「潮の八百路(やおぢ)」とか「潮の八百会(やおあい)」の言葉が大祓祝詞にみえますし、仏教の法華経には八父韻を表徴して「海潮音」と呼びます。

以上のことから御神前に供える塩は八つの父韻言霊を呪示したものなのです。聖書の「汝は地の塩なり」とは有名な言葉です。人は社会の中にあって、その社会の発展と調和に役立つことがこの世に生まれてきた使命なのだ、と教えているのです。

以上、簡単に日本神道で御神前にお供えするいくつかの物の言霊学上の意味についてお話いたしました。現代人と太古の人との心の相違について御参考になれば幸いです。さらに鏡餅に添える品物(橙(だいだい)・海老(えび)・裏白(うらじろ))についても説明を加えると次のようになります。

橙は世々代々の意で問題はありません。海老は慧の霊の意です。慧とは仏教で般若と呼ぶもので、実践智(言霊エ)を表わします。鏡餅の下に敷く裏白には面白い意味が秘められています。白は昔「申す」と読み、言葉の事を指しています。それはまた言葉の法則である言霊の原理に通じます。鏡餅の下に裏白を敷いて、この二千年間は鏡餅の真の姿である言霊の原理は世の中の「裏」に隠れてしまっているのだよ、と教えているのです。含蓄のある比喩ではありませんか。

さらについでに申し上げますと、日本の言霊の原理が仏教や儒教にも影響して、言霊の学問を知らないとなかなか解釈し難い言葉を遺しています。仏教で「言辞の相」という言葉があり、儒教に「白法」という文字を見ることが出来ます。皆、日本の言霊の原理を指した言葉であります。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十六号 平成十八年六月号

春の七草

せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろといえば、春の七草です。昔、その年の邪気を払い、万病を除くとして、一月七日に吸い物として、後には粥の中に入れて食べる習慣がありました。実はこの行事も、今より二千年前、故あって世の人の意識の底に隠されてしまった言霊の原理を後世に黙示として伝えるために広められた習慣なのです。

すずな(蕪[かぶ]の古名)は、鈴の形に似る人間の口から発音される言葉の名である言霊を指します。すずしろ(大根の古名)は、言葉が耕される代(畑)の意味で五十音言霊図のことです。なづな(ペンペン草)は名の綱で、五十音図は名(言霊)が綱のごとく縦横に連なっている事を教えています。ごぎょう(よもぎ)は、五行で儒教の木火土金水、言霊学のアイウエオ五母音のことで、人間の精神宇宙の五つの次元・界層を表わす言葉です。せり(芹)は、選(せ)るを示し、人間の選択・実践の英知の働き(言霊エ)を示しています。はこべら(はこべ)は運ぶ、運用・活用の意を表わします。言霊五十音の精神要素を選り、運用していった結果、最後にほとけのざ(かすみぐさ)である人間精神の最高道徳の鏡(八咫鏡)の実態である五十音図(天津太祝詞[あまつふとのりと]音図)が完成します。春の七草の行事は、この言霊学の霊妙な働きを謎の形で後世に伝えようとしています。

七草粥で新しい年を祝い、精神の七草である言霊の原理でもって世界三千年の邪気を祓って「梅で開いて松でおさめる」(大本教お筆先)新しい人類の世紀を創造することが、日本語で生きる日本人の使命ということが出来ましょう。

(この項終わり)

ちはやぶる――枕詞(まくらことば)、千早振る。辞書に「いちはやぶる、の意で勢いの鋭いの意とある。神にかかる。続柄まだ不明」とあります。言霊の学で見れば意味は明瞭、「道が早く振る」の意。「道」とは道理または言霊原理のこと。「振る」とは活用すること。言霊原理の早い活用が可能であったの意で、神代といわれる時代は言霊の原理が現実に活用されていたので、「千早振る」は神または神代にかかる枕詞でありました。

(枕詞と言霊学)

「コトタマ学とは」第二百十七号 平成十八年七月号

第六章 皇室と言霊

日本の皇室には、昔から色々な伝統の行事やその行事に使われる器物などが伝承されています。しかし、国民にはそれらの内容や意義はほとんど知らされてはいません。実はそれらの行事を司る宮内庁の祭官の方々も、その意義を知らないことが多いのだそうです。天皇即位の式典である大嘗祭につきましても「その祭典の形式の意義が全く分からなくなってしまった」と室町時代のある公卿の日記にかかれていると聞きました。

言霊学の理解が進みますと、それらの皇室の行事や器物の内容と意義が手に取るように分かってきます。今回はその中から周知の二点についてお話します。

三種の神器

昭和から平成に変わり、日本の皇室は以前よりは国民に近い存在と感じられるようになりました。それでも天皇の即位式とか大嘗祭、皇太子の立太子式などの皇室の儀式をテレビで見ますと、国民生活の中では見慣れない形式や道具類が多いようです。これらの儀式が遠い昔からの皇室の伝統に従って行われていることはお分かりのことでしょうが、その一つ一つの意味内容については、一般の国民はもちろん、その筋の専門家や国学者の方々にも理解されていない点が多いように見受けられます。

前にもお話しましたように、今から二千年ほど前、道徳と政治(実践智)の法則である言霊の原理を世の中の表面から隠してしまった時、その原理が永久に忘れられてしまうことを心配して、色々な建造物や宮中の儀式の形式に表徴として遺す政策がとられたのでした。天皇即位式、大嘗祭、立太子式などの形式もその方針によって作られたものであります。

ですから、二千年前と同じ姿で、今、完全に復活した言霊の原理の立場から、これら宮中の伝統儀式を見ますと、その形式が意味する内容は手に取るように明らかに理解することが出来るのです。今から、比較的説明の簡単なものを取り上げてみましょう。

先年平成天皇の即位式が行われました時、三種の神器という言葉をテレビで耳にしました。実は、三種の神器とは、先の第二次世界大戦時までは天皇のいらっしゃる所には必ずお側に置かれることに定められた、天皇の位の証の宝物でありました。その三つとは剣・曲玉・鏡であります。

三つの宝物を固有名詞で呼びますと、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」・「八坂曲玉(やさかのまがたま)」・「八咫鏡(やたのかがみ)」です。それぞれの固有名詞の由来については今は省略しまして、何故天皇の位を示すものとして三種の神器があるのかに的を絞ってお話しましょう。

中国の古書に「形而上を道といい、形而下を器という」という文章があります。「精神的な法則を道と呼び、それを表徴して作られた物体を器というのだ」という意味です。その意味で、三種の神器という器物は人間の精神的な原理・法則を表したものということが出来ます。まず剣から始めることにしましょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十八号 平成十八年八月号

第六章 皇室と言霊 三種の神器

剣(つるぎ)

古代の日本の刀は両刃でした(図参照)。それを太刀(たち)または剣(つるぎ)といいます。剣は精神の何を表しているのでしょうか。剣によって表わされるのは、人間が生まれた時から授かっている判断力のことなのです。物事を理解しようとする場合、言い換えますと物事を分かろうとする場合、そのものを分析すなわち分けなければなりません。分析すなわち分けなければ永久に分かりません。分けるから分かるのです。日本語はよく出来ているではありませんか。この分析する・分ける働きを表徴する器物を太刀と呼びます。太刀は「断ち」に通じます。

物事を分析すると、そのものの細部については、はっきりしてきます。例えば映画について考えてみましょう。まずその映画の物語の筋はうまく出来ていたか。役者の演技は上手だったか。色彩は良かったか。音響効果はどうか等々が分析されます。しかしそれだけで映画を理解したことにはなりません。細部の部分部分が理解されたならば、今度は再び部分部分を総合して元の姿に返して初めて全体としてそのものが理解されたことになります。この映画は全体として良い作品か、否かの判断が出来ます。この総合する働きを「剣(つるぎ・連気)」と呼ぶわけです。現在でも一緒に何かすることを「つるむ」といいます。

右に説明しましたように、分析(太刀)と総合(剣)の両方の働きを表わして古代の剣は図で見るように両刃でありました。これに対して物事を断ち切るだけの働きの剣は刀(片名)と呼ばれました。

剣でもって人間の天与の判断力を表現したのは日本ばかりではありません。世界の宗教書には多くみることが出来ます。新約聖書の中に「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。平和にあらず、返って剣を投ぜんために来れり」というイエス・キリストの言葉があります。「私はただ世の中を平和にするために来たのではない。人々に正しい判断力とは何かを知ってもらうために来たのです」という意味であります。

仏教の禅宗には「両頭を截断すれば、一剣天に倚(よ)って寒し」などという格好のいい言葉があります。「あれか、これか、ああしたらよいか、こうしたらよいか、という経験知の迷いをすっぱりと捨て去ってしまうと、物事の正邪善悪を即座に決定することが出来る人間天与の判断力が精神宇宙を貫いて立っているのを自ら感じることが出来るのだ」という意味でありましょう。

このように、剣とは人間の判断力のことを表わしています。そして古代の日本人はその判断力の精神構造まではっきりと自覚していたのです。それが先に「心の先天構造」の項で説明した天津磐境(あまついはさか)と呼ばれる言霊十七個で構成された、人間誰しもが与えられている頭脳の思考構造です。ウ―アワ―オエヱヲ―ヒチシキミリイニ―イヰの十七個の言霊の構造のことです。

以上、三種の神器の内の剣の意味についてお話してきました。三種の神器の草薙の剣などというと、何か神話のおおとぎ話のようで、現代人にとっては遠い世の中のことぐらいにしか思われないでしょうが、しかしそういう器物で表されたものが実は読者自身の生まれながらに持っている判断力の構造を表徴したものなのだと知ったなら、それは身近なものとなってくるのではないでしょうか。

人が判断するとはどういうことなのか、と三種の神器の剣は現代人に無言の問いかけをしているのです。単なる宮中の儀式の道具なのではありません。大昔の霊知りの天皇は、この天与の判断力を見事に行使出来る人だったのです。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百十九号 平成十八年九月号

第六章 皇室と言霊 三種の神器

曲玉(まがたま)

三種の神器の第二は「八坂の曲玉(やさかのまがたま)」です。曲玉とは丸い玉でなく、玉に尾が生えたように巴形になったものをいいます(図参照)。八坂の曲玉は玉の真中に穴を開け、幾つもの玉を集めて紐を通して数珠(じゅず)(ロザリオ)にしたものです。曲玉とは、またそれを数珠にしたことは、何を表徴しているのでしょうか。

一瞬一瞬千差万別に移り変わる人間の複雑な心の現象を、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と表徴される人間の判断力で切り、分析していきますと、最終的には人間の心というものは五十個の要素から成り立っていることが分かって来ました。そのそれぞれに、アイウエオ五十音の単音を当てはめて言霊と呼びました。それをまた麻邇とも呼びます。五十個の要素のうち、現象としては決して現われることのない心の先天構造の要素が十七個、現象として現れた最小の後天の要素が三十三個であり、合計で五十個というわけです。人の心をいくら分析しても、この五十個より多くも少なくもなり得ません。

この五十個の言霊は口から発音される音(言葉)の最小要素であると同時に、心の内容の要素の単位でもありますから、この世の一切のものの単位ということが出来ます。日本語でこれを麻邇と呼びますが、この名は世界共通語であり、キリスト教でマナ、仏教では摩尼(まに)、ヒンズー教ではマヌと呼んでいます。

八坂曲玉は言霊を表わす五十個の玉の真中に穴を開け、紐を通して数珠(ロザリオ)としました。心を剣で分けていくと、結局五十個の麻邇を得ることになり、心の宇宙とはこの五十個の麻邇ですべてなのだということを表わしているのです。八坂という名が冠されているのは、現象として現われた三十三個の言霊がすべて八つの性質(八つの父韻)に裏付けられていることを表現しているのです。八坂の坂は性質である性を示した言葉です。

また単に玉といわないで巴形の曲玉としたのは、現象というものは一瞬も一定の状態に留まることがなく、次から次へと変化するものであることを表現しようとしたからです。○丸では回っても動くように見えません。そのために上図の曲玉を用いたのでした。巴形の図形は玉が動き、ころがる姿を表わしています。

以上、三種の神器の第二の曲玉が示す人間の精神上の意味について説明してきましたが、この人間の心の究極の要素に因んで日本の皇室の立太子の儀式についてお話しましょう。

立太子式の一つの行事として壷切(つぼきり)の儀というのがあります。皇太子として立つ人は、立太子式に際して天皇から「壷切りの太刀(たち)」を授かります。壷切りとは壷を切ることではなく、壷の封印を切って中に入っているものを見ることです。壷の中には何が入っているのでしょうか。

壷の中には、アイウエオ五十音を一音ずつ粘土板に刻んで焼いた素焼の板が入っています。その五十枚の素焼の板を見る、それが皇太子として立つ徴(しるし)となることを意味するのです。

古代の天皇(スメラミコトといいました)は人間の精神の構造を明らかにした言霊の原理を知った人でありました。霊知(ひし)り(聖)です。人間の心のすべてを言霊の原理によって把握して、その上で政治を行っていたのです。古代の精神文明の時代がそうでした。それが今から約二千年前、第十代崇神天皇の時、言霊の原理は世の中の表面から隠されてしまい、それ以後の世の中は言霊の自覚のない天皇の時代となったのです。言霊の原理は政治との縁を全く切られてしまったのでした。

しかし時が来たならば、天皇となる人は古代にそうであったように、御自身が霊知りのスメラミコトに返り、言霊の原理を自覚して道徳の政治を行うようにとの教えを遺すために、立太子の儀式の形式として壷切りの儀を定めたのです。皇太子として立つ人は壷の中を見て、そこにあるアイウエオ五十音の学を勉強し、天皇(すめらみこと)となる時の準備をすべしという黙示なのであります。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十号 平成十八年十月号

第六章 皇室と言霊 三種の神器

三種の神器の第三番目は「八咫鏡(やたのかがみ)」であります。鏡というのは姿や顔を映して見る道具です。精神的な内容として考えますと、心の善悪・正邪・美醜や物事の正誤・当否等々をたちどころに判定する基準になるものを意味しています。八咫鏡の咫はアタといって、太古の尺度の名前です。アタとは人間の人差し指と中指を開いた広さだそうです(図参照)。この咫を八つ集めた大きさの八辺形の鏡という意味です。

三種の神器の第一である剣には、精神的にいうと二つの働き(双刃)があることをお話しました。その一つは分析(太刀=たち)であり、もう一つは総合(連気=つるぎ)であります。人間の心をとことん断ち切って分析していき、もうこれ以上切ることが出来ない所まできた時、究極の要素として五十個の言霊を手にしました。一つ一つの要素の内容とその名前をはっきりと把握することが出来ました。そのそれぞれを表わしたのが、三種の神器の第二の曲玉でありました。

次に分析して得た五十個の言霊を剣(連気)の力で総合していくことになります。この総合の過程の操作にもちょうど五十の手段があって、ついに人間精神として理想の組織を持った構造図が完成することになります。この五十音の言霊で組織された人間精神の実践智の構造を昔の人は「天津太祝詞(音図)」と呼びました(図a参照)。

さらにこの構造を創造意志の働きである八つの父韻を中心に並べ替えて八角形の構造に収めたもの(その過程は煩雑を避けて省略します)、それが八咫鏡と呼ばれるものです(図b参照)。

人間の心を隅から隅まで分析して、その要素の性質内容をすべて明らかにした上で、その五十個の要素を理想の構造に組み立てた人間の行動の基準なのですから、この鏡に照らし合わせれば、人間がやること、これからやろうとしていることが適当かどうか、すぐに分かってしまいます。これは当然のことといえましょう。

以上、日本皇室の宝物とされています三種の神器―剣・曲玉・鏡―についてお話しました。それは天与の判断力、心の要素の全部、人間の心の鏡の構造という人間にとって最も大切なものを器物として表徴しているものであります。単にそれは皇室の宝というだけでなく、人間が人間としての種を続ける限り、人間精神の宝であることをお分かりいただけたのではないでしょうか。 三種の神器が人間の心の基本法則を暗示していることを知って、その眼で世界の宗教書をみますと、キリスト教の聖書や仏教のお経の中に同様の三種の宝のことが書いてあるのに気付きます。そのことに簡単に触れておきましょう。

例えば旧約聖書の中にユダヤの「三種の神宝」としてアロンの杖・黄金のマナ壷・モーゼの十戒石があったと伝えられています。この三種の神宝を木の箱に入れ、箱に棒をつけて人が担ぎ、民族の先頭に立ってヨルダン川を渡ったという故事が書かれています(このことが日本に伝わり、神社のお神輿を担ぐことの先例となったのだという話もあります)。三種の神器と神宝とを比べてみますと、草薙の剣がアロンの杖に、曲玉が黄金のマナ壷に、鏡がモーゼの十戒石に相当することになります。

仏教では観普賢菩薩行法経というお経の中に「象の頭の上に三化人あり、一は金輪(こんりん)を把(と)り、一は摩尼珠(まにしゅ)を持ち、一は金剛杵(こんごうしゅ)を把れり」と書かれています。金輪が鏡に、摩尼珠が曲玉に、金剛杵が剣に当たりましょう。その他仏説に閻魔大王の浄瑠璃(じょうはり)の鏡が説かれています。この鏡は亡者の生前の善悪の業が立ちどころに映し出されるといわれます。これで三種の神器の精神的な意味についての説明を終えようと思いますが、実際の三種の神器は第十代崇神天皇の時、宮中より移され、諸処を廻り、最終的に現在の伊勢の皇太神宮に祭られました。その経過は「日本書紀」に詳しく書かれています。その後、神器のうちの草薙剣は第十二代景行天皇の時、日本武尊の東征に関係して現在の名古屋の熱田神宮に祭られ、今日に到っています。宮中にある三種の神器はイミテーションということになります。

なお、神器をお祭りしてあります伊勢神宮の数々の神秘については、項を改めてお伝えすることといたします。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十一号 平成十八年十一月号

第六章 皇室と言霊 三種の神器

菊の御紋章

天皇家は代々十六弁の菊花の紋章を用いています(図参照)。三種の神器に次いでこの菊の紋章の言霊学的由来をお話することにしましょう。

天皇のことを昔はスメラミコトといいました。スメラは「統べる、統一する」の意です。ミコトとは言葉の意味。スメラミコトで国中の、世界中の言葉を聞こし召して、それを統一していく人の意となります。霊知り(聖)であった天皇はそれが可能でありました。菊の紋章の菊は「聞く」の表徴であります。聞く、とは何を聞くのかという意味で十六弁の菊花は天皇を中心とした十六方位の地方・国々を表わしているという説があります。この説も一つの説明ではあります。けれど、それなら何故天皇にはそれが可能であるか、という天皇としての資格が明らかになりません。古代の天皇は国家権力や武力によって国を治めていたのではなく、徳の高さ、能力の大きさによって政治を敷く責任者であったのです。

人間は他から入ってくる言葉の音声を耳で聞きます。そして耳で聞いた音声を頭脳に還元してその真実の内容が探られます。

人はおかしい時に笑い、悲しい時には泣きます。けれどおかしい時に泣き、悲しい時に笑うことだってあります。他から来る音声の真相は果たしてどうなのか、を頭脳で判断します。その頭脳の働きといわれるのが、心の先天の部分ということが出来ます。言霊学で天津磐境(あまついはさか)と呼ぶ十七個の言霊から成り立っている機能のことです(図参照)。

耳から入った音声は頭脳に還元され、人間の思考の先天構造の中で洗練され、濾過されて「ああ、言葉の真相はこうだったのだな」と了解されます。この場合、頭脳の先天を形成している十七個の言霊をしっかり自分の心の中で把握し、自覚している人(霊知り)であるならば、どんなに心理的に複雑な言葉であっても、その真実の姿を聞き取ることが出来るでありましょう。それがスメラミコトの位を嗣ぐ資格であり、条件であったのです。

さてこの人間の思考頭脳の先天の構造を形づくっている十七個の言霊のうち、十六番目の言霊イと十七番目の言霊ヰを一体化した働き、すなわち創造意志の主体と客体とを一体化して、宇宙でただ一つの創造の原動力とみなした力、これを宗教的には創造主、または創造主神と呼ぶのです。この創造主という立場からみますと、人間の思考の先天構造は全部で十六個の要素から成り立っているということが出来ます。

国家や世界の一切の言葉を聞こし召す(菊)スメラミコトの能力は、言霊十六個から成り立っています。これが天皇のご紋章に十六弁の菊の花が用いられる理由なのです。

以上、天皇のご紋章として用いられる十六弁の菊花の言霊学上の意味についてお話してきました。これに因(ちな)んだ話を一つ付け加えておきましょう。天皇の菊花紋章ほどには知られておりませんが、皇后様の徴として桐の葉と花を形どったご紋章のあるのをご存知でしょうか。天皇の菊花が「聞く」の暗示であるのに対し、皇后の桐は「切る」、前にお話しました「太刀」である人間天与の判断力のことを表徴しているのです。

宮中において行われる各種の行事やそのお道具で、古代の言霊の原理を形式として後世に遺すために制定されたものは右の他にもまだ数多くあります。この本ではあまり深く立入る事を避け、ほんのさわりをご紹介させていただくに留め、次の章では伊勢神宮についての神秘の謎解きに入りたいと思います。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十二号 平成十八年十一月号

第七章 伊勢神宮と言霊

伊勢神宮は今から二千年ほど前、崇神天皇の御宇に創建されました。御祭神は内宮は天照大神です。どんな経緯があって建てられたのかは、千二百年前に書かれた「日本書紀」に詳しく載っています。しかし、ことさらに書かれなかったことも多くあります。伊勢神宮と言霊との関係です。これよりその関係について数項目にわたって説明しましょう。私達日本人の先祖の素晴らしい合理的精神に驚かれることと思います。

伊勢神宮

伊勢神宮は、かっては「お伊勢詣り」といって国民信仰の神宮でありました。現在でも伊勢神宮には絶え間なく観光客が訪れています。千古変わる事なく清らかな流れの五十鈴川を渡り、内宮の参道を進んだ参拝者が神宮正殿の「唯一神明造り」と呼ばれる社殿を仰ぎ見る時、ブルーノ・タウトが「世界で最も美しい建造物の一つ」と称賛しましたその姿と雰囲気に「身も心も洗われた気持ちになる」とは大勢の人から聞く話です。

「何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」とは伊勢神宮を詠んだ西行法師の歌であります。けれど、「何事のおわしますかは知らねども」の時代は過ぎ去ったのです。言霊の原理が世の中に蘇えってきました今では、この原理に照らして、伊勢神宮に秘められ暗示されている数々の神秘の扉を大きく開くことが出来るようになりました。

この項では神宮の神秘の扉を開けて、その内容に入っていくことにしましょう。沢山ある神秘の暗示の中から主だったものを、謎のベールを取り払って新しい時代の光を当てることにします。先ず伊勢神宮の概略を書くことにしましょう。

伊勢神宮、通称お伊勢さん。内宮と外宮があります。所在地を書きますと、内宮は三重県伊勢市宇治、外宮は伊勢市山田。御祭神は内宮が天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮は豊受姫(とようけひめ)神であり、内・外宮併せて伊勢神宮と申します。

神宮はいつから始まったのでしょうか。内宮は崇神天皇(約二千年前)の創祀であり、外宮は雄略天皇(約千五百年前)の時に祭られました。現在見るような建築様式となったのは欽明天皇の頃(約千四百年前)と推定されています。

また神宮は二十年ごとに建て替えられ、遷宮が行われることになっています。この二十年ごとの式年遷宮の制度が定められたのは天武天皇の時代(約千三百年前)でありました。

さあこれから伊勢神宮の神秘の謎解きに入ることにしましょう。

唯一神明造り

伊勢神宮の内宮と外宮の社殿の建て方(建築様式)を唯一神明造(ゆいつしんめいづく)りと呼びます。その意味は全く文字通り「天照大神という神様の真実の姿を明らかに示す唯一つの建築の形式」ということであります。そのような建築の様式が何故工夫されることになったのでしょうか。

それは先に何度かお話しましたように、人類最初の文明である精神文明についで第二の物質文明の進歩を促進させるための一時的な方便として、精神文明の基礎となっていた言霊の原理を実際の政治に適用することを中止し、次第に人々の脳裏から忘れ去られるようにし、さらに時が来た時、再びその原理が人々の記憶の底から浮かび上がってくるよう、言霊の原理の内容を神宮の社殿の建築の様式で象るように設計し、建造したのです。

言い換えますと、将来、物質文明が計画通り完成されようとする時、人々が昔言霊の原理があったのだということに気が付いて、その眼で伊勢神宮の正殿を見るならば、天照大神と尊ばれている神様の真実の精神内容とは、こういう内容であったのだと後世の人々が理解することが出来るよう、神宮の構造を工夫して造ったのです。

人の心とはどういうものなのか、ということをすべて知り尽くしていた日本人の祖先が、人間の心の言霊による構造をそっくりそのまま形式として表わした建物が伊勢神宮なのです。このような建築様式を唯一神明造りといいます。

それではアイウエオ五十音の言霊の原理がどの様に伊勢神宮の正殿の構造によって表わされているかを調べていくことにしましょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十三号 謹賀新年 平成十八年十二月号

心の御柱(しんのみはしら)

さてこれから伊勢神宮正殿の建築様式についてお話することになるのですが、ご存知の方も多いことでしょうが、神宮の正殿の建物には一般の人は手を触れることが許されていません。また正殿は周りの垣や樹々に囲まれていて、近くに寄って見ることも出来ません。伊勢神宮は神秘のベールに包まれています。

特に今からお話しようとしている「心の御柱」は神宮の建造物の中でも秘中の秘とされているものなのです。ですからその説明は、遺されている文献に頼るよりほか方法がありません。そこで一冊の文献からの引用をお許しいただくことにしましょう。その本は「謎を秘めた伊勢神宮の建築」(伊藤ていじ著、旭屋出版刊)であります。

「外宮も内宮も二十年ごとに建て替えられることになっている。……遷宮の儀式が終わると正殿を始め東西の宝殿、四重の御垣とそこに開かれた各種の御門など、古い建物の一切は取り払われ、その殿地は単なる石敷きの原に変わり果てる。……すべては自然物に還元されたかのように見える。しかし実際にはそうではない。その殿地を見渡すと、もとあった正殿の位置に小さな覆屋が残されているのを知る。……それにしてもあれは何なのだろうか。そここそが心の御柱といわれる神聖の柱が埋納されている場所なのである。もちろんそれを見た人は稀であるし……正確な実体については不明というほかはないが、伝えられているところによれば次のようなものである。

第一にこれは、檜の柱だということである。現在のものは内宮で長さ六尺(一八二センチ)、太さ九寸(二十七センチ)といわれる。……尤もこの柱の長さと太さとは時代によって変遷があったらしく、弘安二年(一二七九)の「内宮仮遷記」によると外宮のものは約五尺(一五○センチ)となっている。大きさについては外宮のものが経四寸(十二センチ)としている。

第二は、内宮の場合にはこの柱はすべて地中に埋納されているのに対し、外宮のものは半分以上が地上に突き出ていることである。前にあげた鎌倉時代の史料によると、外宮の心の御柱五尺のうち三尺が地上に出て、二尺が地中に入っていることになっている。また元来は内宮のものも外宮と同様に地上に出ていたらしく、前記の史料によると、地上に三尺三寸(1メートル)くらい出て地中には二尺(六○センチ)くらいが埋まっていた。……」

以上が伊勢神宮の内・外宮の正殿の床下に置かれた「心の御柱」についての他本よりの引用です。この心の御柱がどんな意味を持っているものなのか、色々な学説があるようですが、はっきりした定説はありません。

一説によりますと、昔、榊の木の枝に鏡を懸け、天照大神の神霊の降下を祈願した風習が、いつしか鏡と榊が別々になり、榊の代わりに心の御柱が立てられたのだ、といわれます。その証拠には心の御柱は床下の地中に埋められており、御神体である鏡はその真上の正殿の床上に置かれているというのです。

またある説では、心の御柱とは男の性器を象ったのだと主張しています。昔男女の性交を神聖化した風習が信仰の対象にまで転化され、心の御柱になったのだというのです。それに対する反論もあります。内宮の天照大神も外宮の豊受姫神も女性であり、男の性器説は根拠がないというわけです。

このほかにも色々な説がありますが、これといった決め手に欠けていて、心の御柱の意義については定説がないというのが実情なのです。日本の神道信仰の最高の神宮である伊勢の内・外宮の、そのまた最高の神秘とされる「心の御柱」の意味が分らないというのはどういうことなのでしょうか。否、分らないのではありません。日本語の起原であり、人間精神の原理である言霊の原理の学問の立場からみるならば、心の御柱の意味は明快に謎解きされるのです。その意味を理解することが出来た時は、私達日本人の祖先の素晴らしい知恵と、長い歴史に対する鋭い洞察を知って驚嘆せざるを得ないことでしょう。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十四号 平成十九年一月号

心の御柱(しんのみはしら)(続き)

さて、心の御柱の言霊学による説明を始めましょう。

目を開いて一人の人間と対面していると想像してください。相手について、この人は背が高い、色白だ、丸顔だと感じます。これは五官感覚による観察です。次にその人と話をしてみたら、物知りで、学問に優れた人だと知りました。これは知性的観察です。次にこの人は芸術的趣味がある、愛情があると感じます。これは感情的観察です。次にこの人は道徳的に立派で、機転がきき、決断も早いと知りました。これは実践理性的観察です。

今度は眼を閉じてご自分の心を考えてください。眼を閉じると同時に相手の姿は消えてしまいます。あるのは自分の心だけとなります。すると自分自身の心の色々な働きが出て来る広い心の広がり、宇宙があることに気付くでしょう。精神宇宙の存在です。この心の宇宙は五つの段階から成り立っていることが分ってきます。

まず第一に背が高い、色白だ、という五官感覚の判断が出て来る宇宙です。またこの宇宙から背が高くありたい、色白になりたいという欲望も出て来ます。この五官感覚が出て来る元の宇宙に、言霊学は五十音のうちの母音のウを当てて名を付けました。言霊ウであります。

次の学問的知性の宇宙は言霊オ、第三番目の感情現象の宇宙は言霊ア、次の実践智である理性の宇宙を言霊エと名付けました。

そして最後の五番目の宇宙を言霊イと呼びます。この宇宙は普通漫然と暮らしている時は気が付くことのない宇宙なのですが、それでいて他のウオアエの四つの宇宙の現象を生み出す原動力となり、またそれら四つの宇宙をコントロールしている根本的な創造意志の宇宙なのです。

以上お話しましたように、人間の心は言霊ウオアエイの重なった宇宙を住み家としています。そして人間がこの世に生れてきた時、大自然から授かっている生れたままの心の構造はどうなっているかを考えてみますと、その構造は五つの母音で表わされる宇宙の段階が上からアオウエイの順で並ぶことになります。この心の住み家である精神の主体の構造を、古神道言霊学は天の御柱(あめのみはしら)と呼びます。目に見えるわけでもなく、普通そんな自覚もありませんが、この天の御柱が人間の中にスックと立っているのです。人間はこの天与の天の御柱でもって人生のすべての問題を判断して生きていくのです。

(この人間の生れたままの天与の心の構造を、言霊五十音で表わしたものを天津菅麻(あまつすがそ)音図と呼びます。心のすがすがしい衣という意味です。「古事記」の神話の神様でいいますと、伊耶那岐の神様の音図ということになります。その他、人間の心の持ち方によって色々な五十音図が考えられます。)

こうした心の現象を生み出す元の宇宙、心の住み家の宇宙を器物として形として表徴したのが伊勢神宮の内・外宮の正殿の床下に祭られてある「心の御柱」なのです。

先の項で、言霊イというのはこの世界すべてのものの創造主だ、というお話をしました。創造主はこの心の御柱を上がったり、下がったりしながら他の四つの母音の人間性能を働かせ、それらをコントロールして、小にしては人間個人の生活を推進させ、大にしては国家・人類世界の歴史を理性をもって創造していきます。心の御柱は人間の、そして人類の心の住み家を表わしています。

心の御柱の意味を以上のように理解した上で、神宮正殿の床下の心の御柱の祭られ方をみますと、驚くべき真実に突き当たることとなります。

(次号に続く)

「コトタマ学とは」第二百二十五号 平成十九年二月号

心の御柱(しんのみはしら)(続き)

現在、外宮の心の御柱は、その長さ五尺のうち二尺が地表より下に埋まり、残りの三尺が地表から上に出ているということです(図参照)。また鎌倉時代の記録によれば、内宮の心の御柱も同様であったと伝えられています。

このような神宮の正殿の構造、特に内宮の心の御柱の変化が何故起こったのでしょうか。それは神宮を創建した当時は、はっきり人々によって意識されていた心の御柱の意義が、時代の経過とともに忘れ去られ、御遷宮の際にその時々の人の考え方が入り込んだためでありましょう。しかし幸い、神宮の構造様式の大部分はまだ昔のままに継承され保存されています。

さて話の本筋に戻りましょう。心の御柱が長さ五尺ということは、それがアオウエイの五母音の言霊を表徴しているということにほかなりません。そして心の御柱の下二尺が地表より下に埋もれているのは、五つの母音のうちの下の二音であるエとイが人間の意識の表面から埋没し、忘れ去られてしまっていることをはっきりと示しているではありませんか。

言霊イとは人間の創造意志の世界を意味します。その法則が言霊の原理です。言霊エとは、その原理に基づいた実践智の世界です。道徳や道徳による政治の社会のことです。

今から二千年の昔、崇神天皇の時、天皇と八咫鏡が常に同じところにあるという同床共殿の制度が廃止されて以来、言霊の原理(言霊イ)は日本人の意識から次第に薄れていきました。同時に、言霊の原理を実際の政治に適用実践(言霊エ)していくことも停止されたのでした。古代の道徳政治は終わりを告げました。

人々はその時以来、道徳的な理性に厳然とした心の法則があることを忘れてしまいました。以後、道徳といえば「何々すべし」、「何々すべからず」式のものだけとなりました。言霊イと言霊エの二つの次元は日本人の自覚意識から失われてしまったということが出来ます。日本語がどのようにして作られたかが分らない世となりました。同時に政治といえば、弱肉強食の権力闘争(言霊ウ)の場と人々は考えるようになったのです。

五尺の「心の御柱」の下二尺が地表から下に埋まっているということが、右に挙げた事実を見事に表徴しているのです。

天与の人間の性能のうち残されたものは、五官感覚による欲望活動(言霊ウ)と経験知の集まりである学問(言霊オ)と人間の感情に由来する宗教・芸術活動(言霊ア)の三つの次元だけとなります。この二千年の間、日本人は、また世界の人々は、この三つの次元の性能だけがこの世に生きていくために頼るべきものなのだと思い込んでしまっています。心の御柱が上部三尺だけ地表から上に出されていることで、右の事実を適確に示しているではありませんか。

以上、伊勢神宮の内・外宮の正殿の床下に祭られてある「心の御柱」の神秘を、言霊の原理によって謎解きしました。「なんだ、ただそんなことか」と軽く受け取られる方もいらっしゃるかも知れません。けれど人間の心の構造とか、人類の歴史とかの難しい問題にかけて考えますと、心の御柱が驚くべきことを物語っているのに気付くのです。

伊勢神宮は二十年ごとに建て替えられ遷宮が行われます。その遷宮の儀式のうちで、この心の御柱の儀式が何よりも厳かに、そして秘密のうちに行われると聞きます。それは心の御柱の祭り方の意味するものが、単に日本ばかりでなく、世界人類の文明を創造する上での大秘儀だからなのであります。

人類の第二の文明である物質科学文明の発達を促進させるための方便として、人類の第一の精神文明の中心となってきた言霊の原理を、時が来るまで隠してしまうという歴史創造上の計画が、日本人の祖先たちによって立てられたという証拠を、はっきりと後世の人々が知ることが出来るよう工夫され、祭られたのが、この「心の御柱」なのです。

それは現代人が、日常に使っている日本語の中に秘められている言霊の原理に気が付き、その原理を自分自身の心の構造と照らし合わせて確認することが出来るならば、誰もが容易に伊勢神宮の正殿の床下に秘められている「心の御柱」の意義の重大さに気付くことが出来ます。そして日本人の祖先が示した知恵とその洞察力の深さに驚嘆するでありましょう。

(「心の御柱」終わり)

「コトタマ学とは」第二百二十六号 平成十九年三月号

心の御柱とご神体

伊勢神宮の内宮の御祭神である天照大神の御神体は八咫鏡であります。八咫鏡は正殿の床下に埋められた「心の御柱」のちょうど真上の船形の御船代(みふねしろ)の上に安置されています。船は石船(いはふね)と呼ばれます。 正殿床下の心の御柱は先にお話したように、人間が生れたままの自然の心の構造を五十音で表わした伊耶那岐(美)の神の音図(天津菅麻[すがそ]音図)の母音の並びを形どったものです。この生れたままの天与の五十個の言霊を操作し、運用して人類の歴史を創造していく規範となる最高の精神構造を完成しました。この完成された構造を天照大神と呼びます。またその構造を形どったのが御神体である八咫鏡です。

ですから伊耶那岐(美)神は親で、天照大神はその子供です。心の御柱は歴史を創造する土台であり、八咫鏡は創造のための完成された規範である、ということが出来ましょう。 神宮正殿の床下の心の御柱と、そのちょうど真上の床の上に安置された八咫鏡との関係は、以上のようになります。

言葉というものは、人の心を乗せて相手に運び、心を伝えます。いわば言葉は心の乗り物です。八咫鏡は言葉の言葉である言霊によって表現された人間の理想の精神のことですから、八咫鏡は乗り物を意味する船の形をした御船代の上に安置されているわけです。

またその船は石船と呼ばれています。石(いは)は五十葉の意味であって、五十音言霊のことです。五十音の言霊で出来ている人間精神の完成体を安置する船ですので、石船と呼ばれるのです。 伊勢神宮が五十音の言霊をお祭りしてある五十鈴の宮であることをご理解いただけることと思います。

(以下次号)