21- 三柱の綿津見の神

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「古事記と言霊」講座 その二十一 <第百八十号>平成十五年六月号

底津・中津・上津の綿津見の神と底・中・上の筒の男の命の六神の働きによって、先に伊耶那岐の大神が心中に確認した建御雷の男の神(衝立つ船戸の神)を鏡とするならば、如何なる黄泉国外国の文化も禊祓によって世界人類全体の文明に摂取し、新しい生命を与える事が出来るという事が証明されました。単なる主観内真理であった建御雷の男の神が名実共に主観的と同時に客観的な、即ち絶対の人類文明創造の原理となったのであります。

言い換えますと、禊祓によって外国文化を世界文明に引上げる時に起る現象の変化、底筒の男の命(エ段)のテケメヘレネエセ、中筒の男の命(ウ段)のツクムフルヌユス、上筒の男の命(オ段)のトコモホロノヨソの三段の言霊八子音それぞれの現象を経るならば、外国文化は間違いなく世界文明に吸収出来る事が証明されたのであります。このエウオ三段のそれぞれの八つの現象子音と、その時禊祓を実行する人の心に起る感情ア次元タカマハラナヤサの八子音を加え、合計三十二の現象子音の実相が、祓祓の実行者の心中に焼き付く如く明らかに自覚されます。この自覚された四段の八子音を特に霊葉(ひば)、即ち光の言葉と呼びます。

それは高天原の言霊原理に基づく事のない言葉で構成されている黄泉国外国の暗黒の文化に生命の光を注(そそ)ぎ、人類の光の文明に引上げる言葉であるからです。生命が躍動している今・此処(永遠の今)の内容である言霊五十音原理に基づいた実相そのものの言葉だからであります。

綿津見・筒の男六神に続く古事記の文章の解釈に入ります。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)等が祖神と斎く神なり。

連(むらじ)とは「姓(かばね)の一。神別に賜わり、臣(おみ)と共に朝政にあずかる名家で、その統領を大連(おおむらじ)という」と辞書に載っています。底津綿津見・中津綿津見・上津綿津見の三柱の神は阿曇の連等が先祖としてお祭りする神です、の意であります。阿曇(あづみ)とは明(あき)らかに続(つづ)いて現われる(み)の意。綿津見は外国の文化を摂取して世界文明の内容として表わすという事でありますから、綿津見と阿曇とは意味が同じ事となります。太古はその人の仕事としていた官職を以て姓とするのが慣習でありましたから、阿曇の一族とは、後世外国の文化を摂取するに当り、受け入れる外国の言葉を、言霊原理に則ってその実相がよく分る大和言葉で表わす官職についていた人達であろうと推察されます。

かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子、宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。

綿津見の神の子、とある神の子というのは神様の子という事ではなく、その神の内容の応用、またはその内容を仕事とする人の意であります。宇都志日(うつしひ)金柝の命の宇都志(うつしひ)とは現(うつし)しで、現実に、の意。日は言霊の事、金柝(かなさく)とは神名(かな)で綴って言葉とし、世の中に咲(さ)かせる、の意。命の名の全部で「現実に外国の言葉を言霊原理に則った言葉で表わして、世の中に流布(るふ)させる人(命)」という事になります。底・中・上の綿津見の神が禊祓によって外国の文化を摂取して世界人類の文明の内容に消化・吸収して行く事の可能性を確認する働きの事でありますから、その働きの応用として宇都志日金柝の命から阿曇の連と続く家系とその官職の相続となる事が窺えます。

古事記の宇都志日金柝の命の事を竹内古文献では萬言文造主(よろずことぶみつくりぬし)の命と呼んでおります。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前(みまえ)の大神なり。

墨の江の墨(すみ)は統(す)見、総(す)見、澄(す)見の意であり、江(え)とは智恵(ちえ)の事です。底・中・上の三筒の男の命によって外国の文化を世界文明の中に吸収して新しい生命を与える可能性を言霊子音の配列ではっきりと証明する事が出来ました。その結果、言霊学の総結論となる天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神が誕生する前提となる条件とその内容はすべて出揃った事になります。総見とは総べみそなわす、の意で、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神は人間の営みの一切のものの総覧者であります。三筒の男の命はその総覧者の持つ智恵の全内容の事でありますので、総見(すみ)の恵(え)の三前(みまえ)の大神と呼ぶのであります。世界人類一切の総覧者の誕生の前提となる三つの智恵の働き、という事であります。

右の経緯を前号の随想でお知らせしました言霊と数霊との関係で説明してみましょう。禊祓の実行に用いられる判断力の事を十拳(とつか)の剣と申します。一つの行為を始めから終りまで十数を以て区切ってする判断のことです。伊耶那岐の大神が自らの心を心とし、世界人類の心を自らの身体として始める禊祓の出発を一とし、一二三四五……と禊祓の行が進展して行き、判断の九数目に六七八九(むなやこ)と子音(言霊コ)の並びで示される筒の男の命の段階となります。言霊子音の配列によって物事の内容は確定し、物事は終いに終結します。一二三四……と続いた禊祓の行は最後に九十(こと)となり、物事はコトとして成立し、終ります。また言霊トは「桑田変じて海となる」「わが物とする」の如く、物事の転化の帰着する処を

示す音でもあります。以上、禊祓の行を言霊と数霊との関係で説明しました。

更に綿津見と筒の男の内容を古事記と日本書紀双方の文章を比較しながら解釈を試みることにしましょう。「古事記と言霊」の書の二六○頁の注に――

日本書紀の千引の石(ちびきのいは)の章に「時に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)乃ち其の杖(つえ)を投(なげう)ちて曰く、此還(このかた)雷来(いかづちく)な。是を岐神(ふなどのかみ)と謂う。此の本の名をば来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)と曰う」とある。岐神(ふなどのかみ)は古事記では衝立つ船戸(つきたつふなど)の神(かみ)と呼ぶ。その本の名は来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)である。来名戸とは「ここより来るな」の意と同時に、九十七の戸の意味でもある。九十七の数は「墨江の三前」即ち底筒の男・中筒の男・上筒の男の三神、言霊百神の中の三つ手前(前提)の九十七の意味である。高天原の主観的真理と黄泉国の客観的真理探究の二つの世界の間の結界(千引の石)とは筒の男三神が明らかにする言霊三十二の子音の自覚であることを示している。――

とあります。来名戸とは「ここより来るな」の意でありますが、これは旧約聖書ヨブ記の「海の水ながれ出て、胎内より湧きいでし時、誰が戸を以て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒闇(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を超ゆるべからず、汝の高波ここに止まるべしと」あるのと同様のことであります。古事記の「言戸の度(わた)し」の文章の中で、千引の石を挟んで伊耶那岐の命と伊耶那美の命が明らかに離婚を宣言します。この離婚宣言によって、一つの生命を内に観じて探究する主観的精神の学問と、外に見て客観的に研究する物質的科学とは、双方の完成された姿に於てのみ比較が可能であり、その結果は双方が相似形となること、そこまで行かぬ途中の状態での比較と同一性の論議は必ず合理性を欠く事になるという事実が示されたのであります。そしてその宣言の決定的証明が今お話申上げました三筒の男の命の子音の自覚という事になります。

「古事記と言霊」講座と題しました過去二十回余のお話によりまして、講座の総結論となります三貴子(みはしらのうずみこ)、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の章に入る一切の準備が整いました。これより古事記の三貴子の章に入ります。

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

ここに古事記の文章では初めての選り分けの言葉、左の御目、右の御目、御鼻という言葉が出て来ました。どういう事か、と申しますと、阿波岐原の川の流れを上中下の三つに分けました。上はア段、下はイ段、そして中はオウエの三段としました。その中つ瀬のオウエを各々選り分ける為に底中上の三つの言葉を使いました。次にその底中上について重ねて現象を述べるに当り、底中上の区別を二回続けるのは芸がない、と思った為でありましょうか。太安万侶は全く別の表現を使ったと考えられます。それが顔の中の左の目、右の目、鼻の区別なのであります。顔とは伊耶那岐の命の音図、即ち天津菅麻(すがそ)音図の事です。菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。この母音の列を倒して上にしますと、左より右にアオウエイと並び、その中の中央の三母音を顔に見立てますと、言霊エは左の目、言霊オは右の目、鼻は言霊ウとなります(図参照)。

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。

そこで左の御目を洗いますと、天照らす大御神が誕生することとなります。その内容は言霊エで始まり、エ段の子音(底筒の男の命)テケメヘレネエセが続き、最後に言霊ヱで終る、人間の基本的性能である実践智、道徳智の究極の鏡の構造が出来上がりました。この構造原理を基本原理として、人類一切の生活の営みを統轄し、人類全体の歴史創造の経綸を行う働きの規範の誕生です。これを天照大御神と申します。またその統轄原理を言霊五十音を以て表わした言霊図を八咫の鏡と呼びます。伊勢神宮正殿床上中央に祭られる御神体です。またその五十音言霊図を天津太祝詞(音図)と呼びます。

次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。

右の御目に相当する次元は言霊オの経験知です。禊祓の実行によって人間の経験知、それから発生する人類の諸種の精神文化(麻邇を除く)を摂取・統合して人類の知的財産とする働きの究極の規範が明らかに把握されました。月読の命の誕生です。その精神構造を言霊麻邇によって表わしますと、上筒の男の神に於て示された如く、オ・トコモホロノヨソ・ヲとなります。

次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。

顔の真中の鼻に当るのは言霊ウの性能、五官感覚に基づく欲望です。その働きの社会に於ける活動は産業・経済です。禊祓によって人間の欲望性能に基づく世界各地の産業・経済活動を統轄して世界人類の物質的福祉に寄与させる働きの最高の精神規範の自覚の完成が確認されました。建速須佐の男の命の誕生です。その原理を言霊麻邇を以て表わしますと、中筒の男の命で明らかにされました如く、ウ・ツクムフルヌユス・ウとなります。

両児島(ふたご)またの名は天之両屋(あめのふたや)

以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。

伊耶那岐の大神の顔に譬えられた左の御目、右の御目、御鼻から生まれました天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。言霊百神、布斗麻邇の学問の総結論であります。幾度か繰返す事ですが、古事記神話の始め天の御中主の神(言霊ウ)より火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までの五十神が心の構成要素である五十個の言霊、次に五十一番目の神、金山毘古の神より百番目の建速須佐の男の命までの五十神が言霊の操作法を示す神名であります。前の言霊五十神が鏡餅の上段、後の五十神が鏡餅の下段に当り、二段の鏡餅で言霊百神、即ち百(も)の道(ち)の原理となります。現在の伊勢神宮は五十の言霊を祭る宮であり、その古名は柝釧(裂口代[さくしろ])五十鈴(いすず)宮であります。また言霊の操作法五十神を祭る宮は石上神宮であり、太古より神宮に伝わる「布留の言本(ふるのこともと)」日文四十七文字は、言霊四十七を重複することなく並べて、五十音の操作法を教えております。

以上をもちまして古事記神話冒頭の天之御中主の神より建速須佐の男の命までの言霊百神の学の講義は終了いたしました。後少々、言霊原理の後日譚といたしまして一、二回のお話を残すだけとなりました。ここで念の為、過去二十一回の講座を振り返り、復習をする事にいたします。先ず簡単に今まで続いて来た話の題(章)を書き連ねます。

一、天地初発の時(先天十七言霊)

二、淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島)

三、島々の生成(宇宙区分、十四島)

四、神々の生成(三十二子音と神代文字言霊ン)

五、五十音の整理と活用(和久産巣日の神、建御雷の男の神)

六、神代文字の原理(八山津見の神)

七、黄泉国(よもつくに)

八、言戸度(わた)し(伊耶那岐・美二神の離婚)

九、禊祓(伊耶那岐の大神、御身[おほみま])

十、三貴子(天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命)

言霊布斗麻邇の学問の教科書である古事記神話の内容を箇条書にすると右の十の章に分けられます。第一章の「天地の初発の時」は言霊学の発端であり、最後の章「三貴子」は結論となります。アルファからオメガまでの間に八つの章で示される経緯があります。全編の十章は一大スペクタクルのドラマの如く、「人間の精神」という主題を一から十まで一分の隙もなく画きながら、生命の流れを流れ下るように解明して行く大小説を読む感があります。読者におかれましては、神話を始めから結末まで順序よく何回でも読み返して下さり、その話の筋道をスラスラと御自身の心の中に実現する如く作り上げて行って頂き度いものであります。その結果、人間の心の構造とその働きが自分自身の心を振り返るよすがとなる鏡の如く、そのイメージがはっきり結ばれて来るに違いありません。その鏡こそ昔から伊勢神宮の御神体と称せられているものの実体なのです。その鏡が完成したら、喜び勇んで鏡を鏡としてご自分の心の宇宙の楽しい旅に御出発下さい。その旅は必ず第三生命文明時代という人類の楽園に導いてくれる事でありましょう。

(以下次号)