17- 伊賦夜坂(いぶやさか)。みそぎ。

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伊耶那美の命のりたまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、…」とは夫君である伊耶那岐の命が千引の石を挟んで、向い合い、離婚宣言をしたので、の意味であります。「私と離婚するならば、貴方の国、即ち高天原日本の国の人を一日に千人頚を絞めて殺しますよ」と伊耶那美の命が言ったのであります。すると伊耶那岐の命は「貴方がそのような事をするのなら、私は対向上一日に千五百の産屋を立てましょう。即ち一日に千五百人の人を生みましょう」と言ったのであります。この故事(こじ)に基づいて、これ以後一日に千人の人が必ず死に、また一日に千五百人の人が必ず生れることになったのです、と言う事になります。どうも話が物騒な事になりました。角川書店版の古事記では、その注に「人口増殖の起源説話」と説明され、また岩波書店版の古事記には「人の生と死の起源を説明するが本義の神話」と注釈されています。けれど必ずしもこの神話は人間の生死について説かれたものではありません。この事について少々説明してみようと思います。

人を千人絞り殺す事に対して、千五百人の人を生もう、というこの説話は伊耶那美の命の「貴方がこのように私との離婚を宣言なさるなら、…」という高天原と黄泉国との間の往来の禁止、その事によって高天原の主宰者である伊耶那岐の命と、黄泉国(よもつくに)の主宰者である伊耶那美の命との離婚となった訳です。では何故そのような事態になったのか、と言えば、前号に述べられていますように、伊耶那岐の命は伊耶那美の命を追って黄泉国に行き、その無秩序・不整理の文化に接し、驚いて高天原に逃げ帰ります。その帰途、十拳剣を後手(しりへで)に振って、黄泉国の物事を客観的に見て研究する文化の内容を見極め、それ等の諸文化を高天原の物事を主観的に見る建御雷の男の神という鏡に照らすならば、世界人類の文明に統合する事が可能である事の證明をも自覚する事が出来た為に、高天原の精神文明と黄泉国の物質文明は同一の場では論じる事が出来ないと判断し、その結果、高天原と黄泉国との両主宰者の離婚宣言となった訳であります。

右の岐美二神の交渉の経緯から考えまして人を生むとか殺すとかいう話は、感情的に憎む・恨むという行動ではなく、精神文明と物質科学文明との研究内容の問題として考える方が妥当であろうと思われます。そこで次の如き解釈が生れます。

精神文明と物質科学文明とを問わず、その文明の根幹を担うものは言葉と数と文字であります。この三つの要素の中で、今取り上げるべきものは言葉と文字、とりわけ言葉でありましょう。言葉の中で特に高天原日本の言葉は先天・後天現象の究極の要素である言霊を物事の実相に即して組合せて作った言葉でありますから、文字通りその言葉は物事の実相を表わしており、その他に何の説明をも要しないものです。その高天原の言葉に対し、黄泉国の言葉は如何なるものでありましょうか。物質科学の研究は物を分析して、即ち破壊してそれを構成している部分々々に別け、その性質・内容を調べる事から始まります。物を分析・破壊するとは、その物の名を破壊することでもあります。そして分析した部分々々に、言霊ではない言葉、即ち研究者の経験知識より生み出された言葉によって物質科学の世界での言葉を附けることとなります。例えば水(みず)を分析し、そこに分解された水素と酸素との二者を命名し、元の水にH2Oの名を与えます。高天原の言葉である「みず」は殺され、H2Oという黄泉国の名前になりました。この様にして黄泉国の物質文明が発展して行く裏には高天原の美しい名によって表わされた物事の実相は一日に千どころか、その何倍もの言葉が絞り殺されて行きます。「一日に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ」と伊耶那美の命は言った筈であります。それに対して伊耶那岐の命は「貴方がそうするなら高天原の美しい実相を表わす言葉を一日に千五百も作りましょう」と言ったのであります。此処に取上げる神話の実意は人口増殖とか、人間の生と死の問題ではなく、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明との根底部分、即ちそれぞれの領域での言葉の相違を述べたものであることを御理解頂けたものと思います。

古事記の文章に戻ります。

かれその伊耶那美の命に号(なず)けて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて道敷(ちしき)の大神ともいへり。

伊耶那岐の命と伊耶那美の命が千引きの石を挟んで離婚をしました。その事によって伊耶那美の命は黄泉国の物質科学文明創造を分担する総覧者であり、主宰神であることがはっきりと決まりました。その主宰神としての名前を黄泉津大神といいます。また伊耶那美の命が伊耶那岐の命を追いかけて黄泉津比良坂の坂本まで行った事によって、その黄泉国と高天原との間に越す事が出来ない道理の境界線が決定いたしましたから、道敷(ちしき)の大神とも呼ぶのであります。

またその黄泉(よみ)の坂に塞(さは)れる石(いは)は、道反(ちかへ)しの大神ともいひ、塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。

黄泉(よみ)の坂とは黄泉比良坂の事であります。その坂に置かれ「此処より先は来るな」と言って遮ぎる千引の石は、道反(ちかへ)しの大神と言います。道反しとは、高天原から見れば「ここまでは高天原、ここから先は黄泉国」という事であり、反対に黄泉国から見れば、「ここまでが黄泉国、ここより先は高天原」と、人が自由には越す事が出来ない印(しるし)となる石でありますから、道反し、即ちここまでで人が引き返す印の石という訳であります。またその石は塞へます黄泉戸の大神ともいいます。黄泉国から来て、高天原に入る口に置かれ、人が高天原に入れないように遮(さえぎ)っている戸、の意であります。

ここで言霊学を勉強しようとなさる方々に一言申上げ度い事があります。言霊の学問の初心者の方の中に「言霊学は難しくてよく分からない」と言われる方がいらっしゃいます。何故「難しい」と言われるのか、と申しますと、右に述べました道反しの大神、またの名、塞へます黄泉戸の大神に引掛(ひっかか)ってしまうからであります。どういう事かと言いますと、高天原と申します処は言霊五十音で構成されている心の領域です。それ以外のものは存在しません。言霊といいますのは、人間の心を構成する究極の要素であると同時に言葉の要素でもあるものです。この五十個の言霊を結ぶ事によって高天原日本の言葉は作られました。ですからその言葉は物事の実相(真実の姿)をそのまま表わします。それに対して現代の人々の言葉は、人それぞれの経験に基づいて構成された智識を表現した言葉なのです。それは謂わば高天原の言葉に対する黄泉国の言葉でもあります。経験知識によって作られた言葉で生きている人が言霊学を学ぼうとする時、必ずぶつかってしまうのが、黄泉国と高天原との間に置かれた千引きの石、即ち道反しの大神、または塞へます黄泉戸の大神という事になります。言霊学という高天原の学問の門を入ろうとするならば、道反しの大神またの名、塞へます黄泉戸の大神の許可を貰わなければならぬ、という訳であります。以上、御参考にして頂ければ幸甚であります。

かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲(いずも)の国の伊賦夜坂(いぶやさか)といふ。

黄泉比良坂とは黄泉国の文字の性質・内容という意であります。現実の上り下りの坂の事ではありません。でありますから、伊織夜坂と言いますのも現実の地図上の場所の事ではありません。精神世界の中の或る場所を示す謎です。角川版古事記の訳註に「島根県八束郡東出雲町揖屋。揖屋神社がある」と記され、岩波版には「所在不明」とあります。共に古事記神話の真義を知らぬ為の見当違いの訳註です。

では出雲の国の伊賦夜坂とは如何なる意味でありましょうか。出雲の国とは地名である島根県のことではありません。出る雲の意です。大空に雲がムクムクと湧き出て来るように、物質界の研究によって頭脳から発現して来る種々のアイデアで満ちている領域、という事です。伊賦夜坂とは、母音イの次元の言葉(賦)、即ち言霊の意味が暗くて(夜[や])よく見えなくなっている性質(坂)、それは取りも直さず黄泉国の文字の性質という事となります。出雲の国の伊賦夜坂の全体では、雲が湧き出るが如く発明されて来る経験知によるアイデアの世界の、高天原の言霊で作られた言葉の内容が薄ボンヤリとしか見えない字の性質、という事であります。黄泉比良坂とはそういう内容の黄泉国の文字の性質だ、という事であります。古事記神話の編者太安万侶が高天原と黄泉国との言葉と文字の決定的な相違について繰返し示した老婆心とも受取る事が出来ましょう。

ここで道反(ちかへ)しの大神または塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神という神名について附け加えて置き度い一つの話があります。「古事記と言霊」の二○一頁に詳しく書いてありますが、念のため一言申上げておきます。旧約聖書のヨブ記に次のような文章があります。「海の水流れ出て、胎内より湧き出でし時、誰が戸を以(も)て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒暗(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を越ゆるべからず、汝の高波ここに止(とど)まるべしと」(旧約聖書ヨブ記三十八章八~十一)。ヨブはキリスト以前のキリストと呼ばれる聖者であり、そのヨブ記に古事記の道反しの大神・塞へます黄泉戸の大神の記述と全く同じ内容の文章が見られる事は誠に興味深い事であります。伊耶那美の命の精神的後継者である須佐之男命は、古事記神話に「汝は海原を治(し)らせ」と言霊ウの名(な)の原(領域)、即ち五官感覚に基づく欲望の次元の主宰者であり、その「海」がヨブ記の「海の水流れ出て…」と記されているのです。詳細な解説は「古事記と言霊」を見て頂く事として、人類文明創造上の重要な法則に関して、地球上の時も処も違う日本の古事記、イスラエルのヨブ記に全く同様の内容の記述が見られる事は、単なる偶然とは考え難く、人類文明創造の歴史を考えるに当り、大きな示唆を与えるものとして、簡単ながら一言挿入いたしました。内容の詳細は「古事記と言霊」を御参照下さい。

以上にて、伊耶那岐の命が自己精神内に確立した建御雷の男の神という人類文明創造の原理が、高天原以外の国々の文化に適用しても通用するか、どうか、を證明する為に妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国へ出て行き、そこで黄泉国の整理されていない、種々雑多な発明・発見が我勝ちの主張をする様子を体験し、高天原に逃げて帰る「黄泉国」と題する文章の解説を終る事といたします。この物語の中の岐・美二神の言行によって、この章の文章が単なる伊耶那岐の命の黄泉国見聞記なのではなく、その中の岐・美二神の言葉のやり取りによって、伊耶那岐の命が自らの主観的自覚の建御雷の男の神なる原理を、どの様にして人類文明創造の大真理にまで高めて行ったか、の経緯が物語的に述べられたのであります。

この「黄泉国」の章に続く「身禊」(みそぎ)の章では、物語的に綴られた伊耶那岐の命の心の進化過程を、今度は厳密な言霊の学問上の理論として、言霊学の最高峰であり、総結論である「三貴子誕生」まで一気に駆け登って行く心の過程が述べられます。今までの章で述べられて来ました五十音の言霊が、何一つ取り残される事なく、すべての言霊が生命の躍動となって、最後に天照大神、月読の命、須佐之男の命の三貴子を中核として、八咫の鏡に象徴される人間の全生命の構造とその動きの全貌が読者の前に明らかにされて行きます。今から始まる「身禊」の章は読者御自身の生命が読者にその全体像を明らかにする章なのであります。

これより「身禊」の章に入り、解説して行きます。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

ここを以ちて、とは伊耶那岐の命が妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国の文化を体験し、その内容と、黄泉国の文化を摂取して世界人類の文明創造に組み入れる方法をも確認し、その結果、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明とでは同一の場で語り合う事は出来ないという決定的相違を知り、岐の命と美の命とは高天原と黄泉国との境に置かれた千引の石を挟んで向き合い、離婚宣言をした事を受けての言葉であります。

伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、……

この文章を読んで奇異に感じる方もいらっしゃるかと思います。今までの古事記の文章では伊耶那岐の命または伊耶那岐の神といわれて来ました。ここに来て初めて伊耶那岐の大神と大の字が附けられたのは、ただ単に尊称として大の字を附したのではありません。そこには重大な意味が含まれています。この事について説明して参ります。古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係として、相対的立場と絶対的立場という事をお話した事があったのを御記憶の方もいらっしゃると思います。相対的立場とは主体と客体が相対立した場合の立場であり、絶対的立場とは一体となった場合の事であります。正(まさ)しく伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。二人の命が一体となる、とはどういう事なのでありましょうか。この事を理解しませんと、これより説明をします古事記の総結論に導く「禊祓」の法というものの理解が難かしくなってしまう事が考えられます。そこで、この大神という名の意味を詳しく説明いたします。

客体と一体となった主体の心とはどんな心なのでしょう。卑近な例で言えば、お母さんが赤ちゃんに対する心と言う事が出来ます。赤ちゃんが普段と違う泣き声をしている。掌を頭に当てて見て「あっ、熱があるみたい」と思う時は、赤ちゃんとお母さんはまだ主体と客体が対立した相対的立場に立っている、という事です。熱を計り、「三十八度近くある」と知り、「どうしてだろう」と考えている時もお母さんは赤ちゃんの事を客体として観察しています。けれど「昨夜、暖かいと思って薄着にさせたのがいけなかったに違いない」と知って、お母さんが反省した時からは、お母さんは自分が病気になった時以上に申訳なく思い、心配します。赤ちゃんを病気にさせたのは百パーセント自分のせいだ、という様に悔やみ、心配します。この時、お母さんと赤ちゃんは一体となっています。主体と客体が一体となる絶対の立場となります。

主体と客体の相対と絶対の立場をもう少し掘り下げて考えてみましょう。時々お話する事ですが、人間の心は五段階の進化を遂げます。人間は生まれた時から五段階の性能が備わっています。ウオアエイの五次元性能です。けれど人間はそれを知りません。言霊学に出合って初めてそれを知り、言霊学を学ぶ事によって一段々々とその自覚を確立させる事が出来ます。その自覚の進化の順序はウ(五官感覚による欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(創造意志)の順です。以上の五段階の進化の中で、人間の主体と客体との関係はどう変わっているか、を考えることにします。

先ずは言霊ウの欲望性能では、何々が欲しい、何々になりたい、という欲望行為は、その欲望の対象であるものを客体として、その獲得のために努力し、また手練手管を駆使してその対象である目的に近づきます。この段階の主体と客体は飽くまで相対関係にあります。次の言霊オの経験知識性能ではどうでしょう。研究したいものを客体とし、主体はその客体について観察、比較等を繰り返して、客体の動きを法則化して行きます。この次元の場合も主体と客体とは飽くまで対立し、相対の立場にあると言えます。

第三段階の言霊ア(感情)の性能に到って様相を異にして来ます。醜いもの、臭いもの、嫌なものを見聞きして、「いやだ、気持悪い、憎い」と思っている内は主体と客体は相対の立場をとっていますが、大層美しい物や事に遭遇しますと、自然感動し、我を忘れます。また気の毒な人に会うと同情します。美しいものに感動し、自分ならざる人に同情する心、それは純粋感情と呼ばれ、愛とか慈悲の心、滅私の心であり、主体(自我)と客体が同一化してしまった場合に見られます。先程述べた赤ちゃんに対するお母さんの心もその一例でしょう。この時、主体と客体は絶対の関係となります。

以上の言霊アの性能が社会の活動となって現われたものが芸術や宗教であります。芸術の美と宗教の愛の活動によって世の中に明るさ(光)と慈(いつく)しむ心(愛)が芽生え、楽しい社会がもたらされます。それは感動と同情の心の発露によりましょう。しかしながら愛や慈悲、同情や美的感情が客観としての社会に影響を及ぼすのは個人または家庭、更には区域社会に限られます。広く国家全体、ひいては世界人類に対してはほとんど何らの影響を与える事が出来ないのが現状です。何故なのでしょうか。芸術や宗教は人間のヒューマニズム的心情に光を与える事はあっても、人類全体の歴史をどう見るか、人類の明日よりの創造を如何に計画するか、の方策と理論を持ち合わせていない為であります。言霊学の教える人間の心の進化の三段目である言霊アの確認は出来ても、第四、第五の次元、言霊エとイへの進化の自覚が欠けているからであります。言霊アの感情性能は人対人、人対地域社会での主体と客体との絶対関係を立てる事は出来ても、人対人類の主体と客体の関係は相対的なものに終り、人即人類世界の絶対関係に立つ事が不可能だからです。それ故に人は宗教と芸術活動に於いて人類を愛する感情はあっても、人一人が世界と合一し、世界をわが事と思い、愛すると同時に世界歴史の今を合理的に認識し、それに光明を与えて、明日の世界創造の唯一無二の指針を生み出すことが出来ないのです。

人類世界という自らの外の存在を自らの内に引き寄せ、人類世界と自らが主客絶対の境地に入る為には、言霊学の所謂第四の言霊エ(実践智)と第五の言霊イ(創造意志)の人間性能の自覚が不可欠となります。言霊五十音の原理は人間進化の第五段階、言霊イの次元に存在し、その原理に基づく世界の明日を築く実践智は第四段階の言霊エから発現します。この第四と第五の進化の自覚の下に人は「我は人類であり、人類とは我の事である」の我と人類との絶対関係が成立し、その活動は人間の心の今・此処(中今)に於て行われ、人類が歩むべき道が絶対至上命令として発動されます。

長々とお話をして参りましたが、古事記の禊祓に登場する伊耶那岐の大神とは、右の如き立場に立った伊耶那岐の命の事をいうのであります。それは主体である伊耶那岐の命が客体である伊耶那美の命を包含した主体の事であり、それはまた高天原の建御雷の男の神なる精神構造を心とし、黄泉国の次々と生産される文化の総体を体とするところの世界身、宇宙身としての伊耶那岐の命のことでもあります。以上伊耶那岐の大神の意味・内容について解説いたしました。

「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、……

いな醜め醜めき穢なき国とは黄泉国の事であります。そこでは人各自の経験知による客観世界の研究の成果を自分勝手に自己主張して、乱雑で整理されていない大層みにくい、汚(きた)ない国だ、という事です。穢なきとは生田無(きたな)いの意。生々した整理された五十音図表の如き整然さを欠いている文化の国といった意味であります。そういう汚ない国へ行って来たので自分の身体の禊祓(みそぎはらひ)をしよう、と言った訳であります。但し、禊祓とは現在の神社神道が言う様な滝や川の水を浴びたりして、個人の罪穢れを払拭するという個人救済の業ではありません。そのために「身体」と言わず「御身」(おほみま)という言葉が使われています。伊耶那岐の大神で説明いたしましたように、御身とは単なる伊耶那岐の命の身体という事ではなく、黄泉国の主宰者である伊耶那美の命という客体を中に取り込んだ主体としての伊耶那岐の命、高天原の言霊原理を心とし、黄泉国の全文化を身体とした意味での我(われ)である伊耶那岐の命、即ち伊耶那岐の大神の身体を御身(おほみま)と呼びます。

でありますから、「御身の禊(はらひ)せむ」とは、単に「自身の穢れを払おう」というのではなく、「黄泉国へ行って、乱雑極まりない自己主張の文化を体験して来た今までの自分自身の過去の姿をよく見極め、それを五十音言霊図上にてそれぞれの時所位を決定し、それに新しい生命の光を与えて、世界人類の文明を創造する糧に生かして行こう」という行為なのであります。何故「御身の禊せむ」がこの様な意味となるかは、これより始まる古事記の禊祓の行法の詳細がそれを教えてくれます。

右の事に関して挿話を一つ申上げます。この古事記の文章の「御身」に対して、岩波書店版は「みみ」とルビを振り、角川書店版は「おほみま」とルビしておりますが、右の一連の解説から推察して「おほみま」の方が正しいように思われます。

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。

伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。

(以下次号)