ブログ056~。現象子音・クムスルソセホヘ

【つ】

②、佐渡。先天の活動がイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分。

佐渡のク ・ 先天からイメージ形成を経て、イメージが有声音となる変態を遂げるところです。「タ」という発音をして了解するまではまだまだ遠いのですが、ほんの瞬間の事がどうしてこんなに長くなるのか呆れ返るばかりです。しかし古事記の記述に導かれて進んでいるだけなので楽ちんです。流れを古事記に合わせていれば説明は下手くそながら世界最高の学問思想に参加できているという気がします。

古事記の手順では先天構造、イメージ、物象から有声音発音の物理世界、五感による受容で物象に戻しそしてイメージに戻し内容を了解して、また先天世界にばら蒔かれるまでの最初の一順目が終了になるまで変態に継ぐ変態が続きます。その度に進行次元が変わるので、まるでウソみたいな話ですが、古事記にそう書いてあるのですから真似るしかありません。

『 この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海(かわうみ)によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、』

河と海の境界

先天構造は全体として意識に載り大事忍男の神となってイメージの全体像になりました。速秋津までの経過は、イメージがまとまってくるということでもあり、イメージの詳細が明瞭化してくることでもありますが、ここでは先天が物象化されイメージ現象となっていますから、佐渡の島へ渡される場合には物象化された現象となります。ですのでイメージとして有る無しの区別が出てきています。

ここではすでに形がある領域カラ来たものですから全部が妹背の関係、芸美、あめ(天)くに(国)、霊と体の対で出てきます。イメージが言葉に結ばれるのですからイメージ内の霊と体はバラバラでは用をなさないので互いに助け合い進行していきます。佐渡の佐は助けるという意味です。

イメージが言葉へ渡るのは瞬時に決定してしまい(速秋津)ます。意識上の条件反射みたいなものでしょうか。

速秋津のニ神が 河海(かわうみ)によりて持ち別けて生みたまふで、河海は頭脳内の先天からイメージ形成の狭い領域を河に見立て、言葉となって世界へ渡される所を海に見立てたものです。それは同時に、皮、表皮、外見を、言葉の皮を河にかけ、実、身、言葉の内容を海のミにとったものです。速秋津の日子(霊)と比売(体)のケメ(細く集約された毛とその発芽)が世間の大海となるところです。

どのように一筋の毛が大海になる、一とは全体であるという説明です。神名はアワナギとアワナミでアワとナギナミ(凪波、イザナギイザナミ)がヒントです。泡、シャボン玉に男女神があるというのが既定の説明ですがそれでは意味が通じません。

アワは主体と客体、こっちとあっち、五十音図のあ行とわ行、吾ワタシと我アナタ、言霊ケメの霊と体で速秋津がイメージを出たところで芽生え、その全体は言葉の芽に全体が載っていなければなりません。その全体をアワで示し五十音全体としています。アとワの単音ではありません。あ行からわ行までの全言葉があれば心のイメージはすべて言葉に載ることができます。アとワはここでは単音のアワではなく、終わりを全うできる終わりに至る始めのアであり、始めの確かな終わりのワです。こうしてイメージは自らのどのような姿も言葉に載せることができ、また言葉に載らないイメージは現れてくることができません。イメージはあるんだ凄いイメージを持っているんだとは言いますが、内容はありません。

そこには主客を渡り合うイザナギイザナミのナギナミの動き(波)と形成して静止(凪)がないからです。親神であるイザナギとイザナミの佐渡の助け渡す先天の見えない働きを受けなければ何も形成されません。ナギとナミというのは先天のイザナギ、イザナミのこととなります。

そこでイメージは物象・言葉と組まれていきます。佐渡の島の始めは組むのクの言霊です。物象を構成する主体側となります。イメージが音を得るには母音と父韻がまぐわいをしてわ行に渡らなくてはならないのですが、イメージが自らの姿を音として見つけるには、何でもいいから音をあてがわれてそう決めるか、イメージの内容を音として表出するかです。前者はコト「ダ」マで言葉の内容を魂というコトダマですが、後者はコト「タ」マで言葉と言葉の内容が一致している言の魂ですのでコトタマとなります。世界で唯一大和言葉とそれを使用する日本人だけが継承しているものです。

しかしその物象(音)は何処にあるのでしょうか。ここにイザナギとイザナミが出てきます。この二神の創造意志のまぐあいが佐渡の島の領域で妹背の神の構成に力を与えます。音を組み込むには二者が力を発揮し、互いに助け合う・佐(助け)を渡し合うことで自身の子音現象を生んでいきます。言霊(神)の連鎖はクム・スル・ソセ・ホヘとなっていて、有声音の言葉と組(ク)んで結(ム)ばれ、言葉の静止(ス)と動き(ル)を得て、注(ソ)ぎとせ(セ)き止めでエネルギーを得て、持続する火(ホ)となって舳(へ)先に向かいます。言葉の発生の流れであると同時に、前領域次元を超えて有音の島へきていますので、ここでは初めの音でもあります。

前領域の最後は水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神とあるように、御名を与える港の口(口を開ける戸を開ける)にいます。いままさに口(戸)を開いて発音しようという次元です。赤ん坊を見れば分けの分からない言葉をアワアワワーと言い出そうと

ているところでしょう。

前段からは御名を明らかにするという創造意志を受け継いでいます。ですのでここではまず発音となる物象を組み込もうとします。発音はその後になります。イメージと発音では全く違うものですが電光石火のごとく頭脳内では次元の転換が起きていきます。ハヤアキツとは巧いことを言ったものです。では実際にどうなっているのかそれは脳を切開しても見えません。河と海の境目で船荷の積み替えが起きます。イメージから音声へ転換されその際もイメージの内容は有声音に全部載らないと心が通じなくなってしまいます。

そこで音声側が待ち受けているのがアからワの全体です。イメージがどれだけ分けもなく奇天烈であっても、アワの大海に放たれればすくい上げる事ができるというわけです。しかし、イメージと音声の対応がどうなっているのか、山のイメージを持っていてそれを何故ヤマというのか、「タ」のイメージを持ってどうしてそれをタと言うのかという問いは、順序から言うと逆です。イメージの時はまだ言葉は無いのですから。実際はスメラミコト達の創造した言語体系を使用していますから、この順序が逆でも奇怪しいと感じていません。既に出来上がってあるものの中にいます。

しかしそこで、まだ有声音と対応を見つけていないイメージの相手となる音を初めて発声するときには、また元に戻って言語発生の先天から始めなければなりません。

先天から始めてハヤアキツヒコとヒメまで来て、アワナギとアワナミを生んで、有声音の世界に「タ」なら「タ」、「山」なら「ヤマ」の音声がある事がこの二神のアワの世界にあることが確認されます。

そして次いで顎頬が動き(頬那芸(つらなぎ)の神)、それを動かすエネルギー(天の水分(みくまり)の神)を得て、発音される内容と皮(体)がイメージから久しく続いている(天の久比奢母智(くひざもち)の神)事が確認され、そのあとで始めて風に乗って「フッ」と発声される(風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神)という次第です。

佐渡のム ・

神名は沫那芸(あわなぎ)の神、言霊クと対の沫那美(み)の神 言霊ムです。同じ神名の対がどうしてクとムになるのか確かめたいと思います。

要点はアワとナギナミでアワをこっちとあっち、五十音図のあ行とわ行に見て、ナギナミをアワ間の橋渡しにします。

言霊クは来(く)・杭(くい)・食(くう)・悔(くい)・加(くわる)・暗(くらい)・繰(くる)・括(くくる)・草(くさ)・潜(くぐる)・挫(くじく)等に使われ、イメージが最初に形象になるところでその霊・気・主体側をさします。

言霊ムは六(む)・向(むかう)・迎(むかう)・昔(むかし)・麦(むぎ)・剥(むく)・婿(むこ)・虫(むし)・蒸(むす)・結(むすび)等に使われ、イメージが最初に形象になるところでその身・音・客体側をさします。

クとムは速秋津二神の子供で単音となっているものであると同時にクとムの二神で組み結ぶ働きをしてイメージを言葉に結んでいきます。この場合には沫(あわ)の二神が両親の位置に来ます。(言霊も人も同じ) 続く対の神々も同じ関係です。

言霊循環の一順目(単音の発生)では続いてクム・スルソセホヘですが、ここでクムを両親の立場にするとこの下に子供が生まれます(つまり別次元領域に移り、現象子音三十二の可能性を得ます)。クに続く言葉となりますが、ここではまだ一順目ですから佐渡の島のクということです。「タ」の発生の続きですので、「タ」が発生する時の佐渡の領域での「タ」の性質のクが生まれたところです。続いて「タ」の性質のムが続き、全三十二の性質を得て「タ」の下に続ける言葉(子)が生めることになります。ややこしい言い方で下手な説明ですが、動物も人も言霊も同じ原理の内にありますが、人は三十二の現象を産むことができ、動物は欲望次元の現象を産むだけです。

佐渡のス ・

佐渡のル ・

アワのナギ(名の気・霊)とアワのナミ(名の実・音)が組み結ばれます。先天の心は見えも聞こえもせずでしたがイメージとなって頭脳内に載りました。頭脳に載ったものは先天の十七の実在実体ありさまと先天の働きいきさまを継承していきます。各次元領域を経ることで変態を完成しつつ現象創造へ向かいます。ここではイメージが物象となる音に結ばれ、心と音が同時に現れようとします。しかし、結ばれたものがあるだけでは自他ともに何の用も成しません。それは実際に動くとか止まるとか発音されるとかの働きが示されなければなりません。

ここに【 言霊 ス】頬那芸(つらなぎ)の神、次に、【言霊 ル】頬那美の神の二神が生まれます。霊と体側です。

発音されることで実際に動いて音声が出てきますが、それを示す為に頰の筋肉と骨と顎と口腔と頭脳内とがつら(頬・つら)なっているとされています。妹背で常に霊と体との組み合わせで出てきます。言葉音声の空気振動の濃淡になっても霊(ほ)の緒・尾(お・を)を連ねているという暗喩です。

こうして組み合わされた霊と音に動く働き(ル)と静止蓄電の(ス)働きが出てきました。組まれたものが静止蓄電している様子が言霊スで、動いている方が言霊ルです。

言霊スに漢字を振りますと、主(す)、澄(す)む、巣(す)、州(す)、住(す)む・素(す)・吸(す)う、好(す)き、末(すえ)、廃(すた)れる、……等があります。スは静まり静止して何も無いのではなく、そこから一切のものが生まれ出るエネルギーで充満している状態です。

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