08- 淤能碁呂島(おのごろ)

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「古事記と言霊」講座 その八 <第百六十七号>平成十四年五月号

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろ)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

前号まで七回の講義によって人間の心の先天構造(天津磐境)を構成する十七個の言霊が出揃いました。先天構造を説明いたしますのに七回もの講義を要しました。そのように長い説明が何故必要かと申しますと、次の様な事が言えるでありましょう。

心の先天構造が活動することによって、後天の現象(出来事)が発生します。意識で捉えることが出来る現象が現れるには、意識で捉えることが出来る以前の、意識で捉え得ない心の先天構造の活動を必要とします。先天活動があるから後天活動が発生します。この事を仏教の般若心経では「色(意識で捉えた現象)即是空(意識で捉え得ない先天現象)、空即是色」と言います。またこの時、意識で捉える後天の現象の姿を「諸法実相」と言い、これと即の関係にある意識で捉えることが出来ない先天構造の働きを「諸法空相」と呼びます。

「母親は何故子を叱ったのか」という問に「子が悪戯(いたずら)をしたから」という答えも確かに答えとなります。これは一つの現象をそれに関連するもう一つの現象で答えた事です。これは形而下の答えであります。しかし答となるのはこれだけではありません。叱られた子という事を捨象し、叱った母親の心というものだけに限定して「母親はあの場合何故叱る態度をとったのか」という答えを出すことも出来ます。こうなりますと、叱った母親の心の中、「叱る」という後天現象を生むことになった原因となる母親の心の先天構造を探ることも一つの答えとなります。この探究の仕方は「形而上学」と呼ばれる分野と言えます。

以上一つの例を挙げてお話申上げましたが、一つの現象を他の関連する現象から説明すると同時に、その現象を生じる先天構造の活動からも説明することが出来れば、説明は完璧なものとなります。形而下の説明と形而上の説明がピタリと合致した時、一つの現象の説明は完結されます。この事を逆に考えますと、一つの眼に見える現象を、それに関連ある他の現象だけでする説明は「風が吹くと桶屋が儲かる」式に、その説明は限りなく続かねばならなくなるでしょう。そして限りなく続いて行く内に原点の現象の説明の影は次第に現実から遠ざかって行きます。一切の現象の説明は、その出来事が起る主体と客体の諸法空想と諸法実相の立場から考えられるべきものであります。この為に、現象が起る絶対的な原因となる人間の精神の先天構造を事細かく解説して来た次第なのであります。心の先天と後天の両構造を、心と言葉の最小要素である言霊によって解明する事が出来た言霊学が世界で唯一つ物事の真実の姿を見ることが出来るのだ、という事を御理解頂けたと思います。

さて、心の先天構造を構成する十七の先天言霊が出揃い、その最後に現れました伊耶那岐・伊耶那美の二神(言霊イ・ヰ)が「いざ」と立上り、此処に後天現象の最小単位である言霊子音の創生が始まります。古事記は実際に子音を生む記述の前に、子音を生む時の状況、生れ出る子音の場所、位置等を予め設定する事から始めています。それがどういう事か、説明して参ります。

ここに天津神諸の命以ちて、

これを文章通りに解釈しますと「先天十七神の命令によって、……」となります。これでは古事記神話が言霊学の教科書である、という意味は出て来ません。ではどうすればよいか。「神様が命令する」のではなく、「神様自身が活動する」と変えてみると言霊学の文章が成立します。「さてここで先天で十七神が活動を開始しまして……」となります。

伊耶那岐の命伊耶那美の命に詔りたまひて、

先天十七神即ち先天構造を構成する十七個の言霊が活動を開始しますと、伊耶那岐・伊耶那美の二神、言霊イ・ヰは次の様な事を実行することとなります。

「この漂へる国を修理め固め成せ」と、

この漂へる国とは、先天構造の十七の言霊は出揃ったが、その十七言霊が実際にどんな構造の先天であるのか、またその先天が活動することによって如何なる子音が生れるのか、その子音がどの様な構造を構成するのか、またその子音によって実際にどんな世の中が生れて来るのか、…等々がまだ何も分ってはいない、という様に事態はまだ全く流動的状態であるという事であります。「修理め固め成せ」を漢字だけ取り出しますと、「修理固成」となります。どういう事かと申しますと、「修理」とは不完全なものを整え繕う事、「固成」とは流動的で秩序が定まっていないものに秩序をつけ、流動的なものに確乎とした形を与えることであります。実際にはどういう事をすることになるかと申しますと、宇宙大自然の中にあって、およそ人間の営みに関係するもの一切を創造し、それに名前をつけることによって生活の秩序を整え、人類としての文化を発展させて行く事であります。

前にもお話しましたが、創造というと物を造り、道路や橋やビルを建設したり、芸術作品を創作したりする事と思われています。これ等も創造である事に間違いありませんが、精神内の創造とはそれ等の外に今までの経験を生かし、それに新しいアイデアを加えて物事を創造すると共に、その創り出されたものに言葉の道理に則って新しい名前を附けること、これも大きな創造です。言葉というもの自体から言うなら、この様に新しいものに附けられる名前の発展、これが創造の本質と言うことが出来ます。

天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。

この文章をそのままにとりますと「伊耶那岐・美の二神に天の沼矛を授けて、実行するよう依頼しました」となります。けれどそれでは言霊学の教科書としては通用しません。この文章もまた人間の心の内部に関する叙述なのです。そのつもりで説明を進めます。

沼矛の矛とは両刃の剱に長い柄をつけたもの、と辞書にあります。しかし矛という武器は言霊学と関係がないものです。では矛という言葉を使うのは何故か。文章の前後を慎重に検討しますと、言葉の学問に対して矛とは何を表徴しているのか、それは人間の発声器官である舌の事でありましょう。人の舌の形は矛に似ています。人は舌を上手に使って言葉を話します。けれど舌だけで言葉を話すわけではありません。それは心が動くからです。心が活動して、更に舌が動く事によって、霊と音声が一緒になり、言霊子音を生みます。この現象子音である言霊によって漂へる国を修理固成し、人類の文明創造が行われる事となって行きます。

かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、

母音と半母音、私とあなた、主体と客体だけでは現象は起りません。母音と半母音の間に言霊イ・ヰの働きである八つの父韻チイキミシリヒニの天の浮橋が懸かり、私と貴方が結ばれますと、現象子音が生れます。「二柱の神、天の浮橋に立たして」とは言霊イとヰが主体と客体とを結ぶ天の浮橋の両端に立って、の意であります。天の浮橋の「天の」とは「先天」の意。

その沼矛を指し下して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴して、引き上げたまひし時に、

沼矛(ぬぼこ)の沼(ぬ)は貫(ぬ)で縦横の横の意です。チイキミシリヒニの八父韻を表わします。八父韻を発音してみて下さい。舌の巧妙な使い方が必要な事がお分かりになると思います。次に塩が出て来ます。塩と言いますと、二つの意味があります。一つは四穂(しほ)で五母音の中の言霊イを除いた他の四言霊(ほ)の事であり、二つには機(しほ)または潮時(しほどき)の事で、これは時の変化の相を示す八つの父韻の事であります。ここに「塩こをろこをろに画き鳴して」とある塩は四つの母音エアオウの事でありましょう。

ここで図を御覧下さい。対立する私と貴方、母音(イエアオウ)と半母音(ヰヱワヲウ)が両側に縦に並び、双方を結ぶ天の浮橋が横に懸かります。言霊イとヰ、伊耶那岐の神と伊耶那美の神は天の浮橋の両端に立ちます。そして沼矛を指し下して、四つの母音を画(か)き即ち撹き廻してみると、どんな事が起るでありましょうか。舌を使って八つの父韻チイキミシリヒニで四つの母音エアオウを撹いてみると、父韻と母音の結合が起ります。キとエでケ(K+E=KE)、チとアでタ(T+A=TA)……の如く現象の子音が生れ出て来ます。舌で母音を撹き廻して、引き上げますと、現象子音8×4=32の子音の音が鳴ります。

その矛の末より垂り落つる塩の累積りて成れる島は、

父韻チイキミシリヒニを操って四つの母音エアオウを撹き廻して引き上げて来ます。すると父韻に付着した母音がしたたり落ちて積もります。そしてそれぞれの島を造ります。島(しま)とは「締(し)まり」の意。若し「カ」という音が島となるという事は、およそ人間の営みに関係する事柄の中で「カ」と名付けるべきすべての物事を統率して、心の宇宙の他の物事から区別します。ばくち打ちの言葉に「島」があります。それぞれの組の勢力範囲といった言葉です。単音の一音一音が、それぞれの音独特の内容を持ち、他の音とは混同出来ない島を占有している事であります。

これ淤能碁呂島なり。

己(おの)れの心の締まりの意であります。八父韻でもって四つの母音を撹き廻し、三十二の現象子音を生みました。意識で捉えることの出来る眼前の現象界宇宙をこれ等三十二の子音はそれぞれ特有の内容の島を分け持ち、混同したり、重複したりすることがありません。それ等現象子音の単音はそれぞれ独特の光を輝かし、集まって素晴らしい光の交響楽を奏でています。

古事記は以上の如く、心の先天構造十七言霊を活用して、初めて人間が自分自身の心を言霊を以て表現し得る道理を発見した事、即ち「己れの心の締まり」である現象子音を生む事が出来た時の状況をこの様に述べているのです。人類が歴史上初めて人間の生命法則に則った掛替えのない真実の言葉を発見した喜びを日本書紀では次のように表現しています。「二神(伊耶那岐・伊耶那美)天霧の中に立たして曰はく、吾れ国を得んとのたまひて、乃ち天瓊矛を以て指し垂して探りしかは馭盧島を得たまひき。則ち矛を抜きあげて喜びて曰はく、善きかな国のありけること。」

如何なる国や民族の言語であっても、その言語を以て人間の営みを初めて表現することが出来た時には、同じように喜ぶのではないか。何も日本語だけに限ったものではない、と思われるかも知れません。そう思われるのも尤もな事でありますが、古代日本語の時には特にその意義は大きいと言わなければなりません。何故なら、現代社会を見ても分りますように、この世に存在する一切のものを締めくくり、限定、分類して表現する時、その規準として思考的な論理的な概念を用います。概念による思考は物事の実相を表現する場合、その実相を薄ぼんやりとした月の光の下で見る如く、真実の姿を見ること、表現することが出来ません。この点に於て古代日本語の如く、概念を一切使わず、そのものの実相ズバリの現象子音言霊の単音を以てする方法は他の世界の言語に類例を見ない優秀なものであります。物事の実相がそのまま表現されるからであります。この事は、その言語を使用する日本人の喜びであると同時に、世界人類の宝とも言うべきものなのであります。

その島に天降りまして、天之御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。

天之御柱とは人が自らの主体である言霊母音アオウエイの次元を自覚し、確立した姿の事を言います。この主体の柱に対して客体であるワヲウヱヰの半母音の畳わりの姿を国之御柱といいます。この主体と客体との二本の柱で示される宇宙の実在の有り様に二つの場合があります。この事は先にお話した事でありますが、二本の主体・客体の柱が合一した絶対の実在として心の中心に一本となって立っている場合と、相対的に二本の柱が主体・客体の対立として立っている場合とがあります。この二本の柱は一切の現象がここより生れ、またここに帰って行く宇宙の根本実在であります。

八尋殿とは文字通り八つを尋ねる宮殿の意です。宮殿と申しましたのは、心を形成している典型的な法則を図形化したものだからです(図①②参照)。この二つの図形のそれぞれの八つの間に八つの父韻チイキミシリヒニが入ります。この図形は基本数である八の数理を保ちながら何処までも発展します(図③参照)。そこで八尋殿を一名弥広殿とも呼びます。

天之御柱(国之御柱)と八尋殿を以上の如く説明して置いて、この文章の始めにある「その島に天降りまして」の意味について考えてみましょう。「古事記と言霊」の講座が始まってから前号までの話はすべて人間の心の先天構造即ち意識で捉える事が出来ない部分の説明でありました。そして今号より後天子音を生む話に移って来たわけであります。十七個の先天言霊が活動して、現象子音である淤能碁呂島が出来ました。「その島に天降りまして」とは岐美二神が先天の立場から己れの心を形成している三十二の子音の場所である後天の立場に降って来た、という意味であります。その後天の立場から見て、先天と後天を合わせた宇宙の構造を頭の中で図形を画いて見る状態を文章にしているというわけであります。すると、此処の文章は次の様に解釈することが出来ましょう。

「舌を使って八つの父韻チイキミシリヒニを働かせて、四つの母音エアオウの宇宙を撹き廻してみると、現象子音が生れて来ました。その音のそれぞれが自分の心を構成しているそれぞれの部分の内容を表現している事が分かって来ました。そこで今度は自分の心の部分々々の立場(淤能碁呂島)に立って全宇宙を見ると、自らの心の中心に宇宙の実在であるアオウエイ・ワヲウヱヰの柱がスックと立っている事が確認され、またその柱を中心として八つの父韻の原理に則して後天世界の構造が何処までも発展・展開している事が分って来たのでした(図④参照)。

天之御柱と八尋殿について世界の各宗教に於て種々説明されています。天之御柱の事を神道に於ては神道五部書に「一心之霊台、諸神変通の本基」とあり、伊勢神宮では心柱または御量柱(みはかりばしら)、また忌柱と呼んで尊ばれ、内外宮本殿床中央の真下の床下に約五尺の角の白木の柱によって象徴として安置されており、仏教に於ては単的に古い寺院にある五重塔で示されています。ここでは天之御柱と八尋殿について易経との関係をお話することにしましょう。

中国の易経という本の中に河図・洛書という言葉が出て来ます。その文章を引用すると「河、図を出し、洛、書を出して、聖人之に則る」とあります。この文章だけでは何の事かお分かりにならないでしょうから、説明を加えます。「河図」とは辞書に次の様にあります。「伏羲の世、黄河に現れた龍馬(りゅうめ)の背に生えている旋毛(つむじ)に象取(かたど)ったという文様のこと。」また「洛書」とは「太古、中国で禹王が洪水を治めた時、洛水から現れた神亀の背中にあったといわれる九つの文様。書経中の洪範(こうはん)九畴(ちゅう)はこれに基づいて禹が説いたものという」とあります。

この様に辞書の文章を引用しても尚お分りにならない事と思います。そこで河図と洛書を易経は如何に表わすかを図で示して見ます。ズバリ申上げますが、河図は天之御柱を数の図形で、洛書は八尋殿を数学の魔方陣の形で示したものなのです。

日本の古文献竹内歴史には「鵜草葺不合王朝五十八代御中主幸玉天皇の御宇(みよ)、伏羲(ふぎ)来る。天皇これに天津金木を教える」と記されています。天津金木とは言霊原理の中の言霊ウ(五官感覚に基づく欲望)を中心に置いた五十音図の法則の事を謂います。天皇は伏羲に天津金木音図そのものを授けず、その法則を中国の言語概念と数の原理に脚色して授けたのでした。伏羲は故国に帰り、この法則を基礎として「易」を興したと伝えられています。中国の書「易経」には「伏羲が始めて八卦を画し、文王が彖辞(てんじ)を作り、周公が爻辞(こうじ)を作り、孔子が十翼(よく)という解説書を作った」と記されています。この様な易学の発展の途上で、日本並びに世界の文明創造上の方針の転換が実施され、天津金木を含む言霊の原理は世の表面から隠没することとなりました。その結果、易の起源が日本の言霊原理であることも秘匿されました。従って易の起源は空想的な事柄に設定されたのです。そこに現れた物語が「伏羲の世、黄河に現れた龍馬の背に生えている旋毛に象取って河図(かと)の法則を考案し、また禹王が洛水から現れた神亀の背中にあったといわれる九つの文様から洪範九畴の洛書を説いた」というおとぎ話となった訳であります。

「中国文化五千年、わが国の文化二千年」という言葉が常識となった今日、日本の言霊学と中国の易経との関係を右の様に書きますと、読む人によっては「何を迷事(よまいごと)を言って」とお笑いになるかも知れません。けれど前にも述べました如く言霊学の天之御柱・八尋殿は共に物事の実相の究極単位である言霊によって組立てられているのに対し、中国の河図・洛書は実相音の指月の指あるいは概念的説明である数理によって表わされています。どちらが先で、どちらが後なのか、は自(おの)ずから明らかであります。この一事を取ってみましても、日本国の紀元が今の歴史書の示す高々二千年なるものではなく、世人の想像も及ばない程太古より始まっている事、またその時代に行われていた国家体制が人類の精神的秘宝である言霊原理に則って行われていた事、また今より二千年前、神倭朝十代崇神天皇の御宇、皇祖皇宗の世界文明創造という遠大な計画の下に、この言霊原理が政治の原器としての役割の座から一時的に故意に隠される事になったという事実に思いを馳せる事が出来るでありましょう。

* * *

「古事記と言霊」の書には、子音創生の章の中に「思うと考えるという事」なる一節が挿入されています。これについて簡単に解説を加えることにしましょう。現代では「思う」と「考える」とはほとんど同じ事と考えられています。しかし日本語の原点である言霊学から見ると「思う」と「考える」という事は違った意味を持つ事になります。「思う」とはその文字に見られますように田の心の事です。これだけでは言霊学との関りは分りませんが、田という字の意味を説明しますと、明瞭になって来ます。この講座が先に進み言霊五十音を使って人間の各次元の心の構造を表わす段階に入りますと、縦五音・横十音の五十音図が出来上がります。これを昔田と呼びました。それは人間の心のすべて、即ち人格全体を表わします。「思う」という人間の心の動きの内容はこの田の心という事で明らかに示されます。「思う」とは、人間の精神構造はそれを知ると否とに関らず、厳然と決まったその構造の法則が存在し、その法則から物事の結論は必然的に導き出されるという心の働きの事です。一を知っていれば十は自ずから導き出される、という哲学で謂う演繹法のことです。この心の働きは図形で表わされ、その動きの数霊は四または八であります。

「考える」の語源は「神帰(かみかえ)る」です。種々の出来事を観察し、それらの現象が出て来る共通の原因(神)を突き止める(帰る)の意です。十から元の一に帰るやり方です。これは哲学で帰納法と呼ばれます。その心の働きは図形で示され、その動きの数霊は三または六です。

この「思う」と「考える」の二つの心の動かし方は、人間の頭脳内に於ても、また人類の歴史の上でのこの三千年間は共に相容れることなく平行線をたどり、歴史創造の主導権を競い合って来ました。地球上の地域は「思う」は主として東洋に於て、「考える」は西欧に於て発展しました。今、ここに日本から第三の思考法、言霊布斗麻邇が昔の姿そのままに復活を遂げました。その数霊は五または十であり、その言霊的意味に於ても、また数霊的意味に於ても、「思う」(宗教)と「考える」(科学)の双方の心の働きを共に生かしながら人類の福祉のためにコントロールすることが出来る精神機能を発揮させる時が来た事を教えてくれます。

(次号に続く)