02 具体性へ引き戻す・直毘

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

神直毘(かむなほひ)の神(言霊オ)。次に

大直毘(おほなほひ)の神(言霊ウ)。次に

伊豆能売(いずのめ)(言霊エ)

八十禍津日(やそまがつひ)の神と大禍津日(おほまがつひ)の神が災厄の神というわけではありません。主観的真理に頼った一般性と抽象性を立ててしまうことが「禍」というだけです。そしてこの一般性と抽象性を立てることは必ず起きる事で、禍でも病気でもありません。

前禍津日の両者による身禊では「速く、弱く」て十分な反省を加えることができませんでした。

そこで。

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次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、

意識の次元世界の、感情情緒や意志(言霊ア・イ)に依る身禊では不徹底なことが判明しました。しかしそうなるのは必然なのですから、否定したり無視したりはできません。「禍」を「禍津日」にするべく、意識の逸脱によって「禍」への逸脱をせずに済むような、意識の運用領域を検討することとなります。

残っているのは言霊オウエの領域で、逸脱をせずに済む直す霊(ナオヒ)とできるか検討に入ります。言霊アイの意識を逸脱せずに持ち来らせ表明することができるか、見てみます。そのためには残っている三領域を活用し、それぞれの領域でア・イと共に身禊を行なえるかを実践します。

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神直毘(かむなほひ)の神(言霊オ)。次に

大直毘(おほなほひ)の神(言霊ウ)。次に

伊豆能売(いずのめ)(言霊エ)

「禍」を直さんと意識の実質的な内容を受け持つ三領域が出てきます。それは当初からある、イマココの、イマココにありあることが持続していることと、イマココにあることは過去から来たことに結ばれ結び付き、イマココにあることが未来に向けて配置され展開されていく、これらの三様態を実現できるかを見るためのものです。

神直毘(かむなほひ)の神(言霊オ)

カムナホヒは過去から持ち来ったものに噛み合わせて、神直毘の担当する言霊オから現出してくる知識概念記憶に噛み合わせて、それを掬い上げられ蘇生復活しているかをみます。

大直毘(おほなほひ)の神(言霊ウ)

オホナホヒは現にある事象が、大直毘の担当する言霊ウから現出してくる五感感覚による欲望意識に、大いに掬い上げられて蘇生復活しているかをみます。

伊豆能売(いずのめ)(言霊エ)

イズノメは現に有るものをこれから配置するのに適当であるかを、伊豆能売の担当する言霊エから現出してくる選択配分の意識を持って行なうのに、それに依れば出でて立ち上げることができ(イズ)、実践英知による再生復活の芽になるかをみます。

こうして両禍津日の神もウオエに掬い上げられます。

石上神宮の「布留の言本日文」に「カ ウオエ ニサリヘテ」とあり、カ(明らかな意識・禍津日の二神)をその実相であるウオエの次元世界に、配分展開して(サリヘテ)とあります。

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続いてどのように運用すればいいのかにとりかかります。