『08 心象の形成』

心象論

先天の活動が頭の中で形にまとまり(心象という物象になり)、言葉に組み結ばれるまで。

吉本隆明という人が、「心像とは心像そのものである」という、全く時間を考慮しないままで結論を出しています。とはいってもそこで扱うのは心象ではなく、出来上がっている形である像を扱っているのでそういうことになるでしょうが。本論は吉本のいう像ではなく、像を形成する象を考えます。心像を心像が現われればそこに心像があるというのは、頭脳の働きの速度を瞬時としているからで、それは分かりますが、それでも心像を得た者と心像を認知した者の、同一の頭脳内での、時間の流れとその構造構成や次元の移動進化変態等をないがしろにしたものです。

あったものがあるものとされ、あるものがありつつあるものとされ、あるものがあるだろうものとされています。心像としてあるものが最初からあるという形を与えられていくので、過去現在未来においてもどこでもそこにある心像が顔を出します。

心象はそれ以前の元の形から現われ、形成されたのであり、形成されているのであり、その形を持続していくのであり、心象という物象から物象という現象になり、現象という創造結果となる形成過程にあります。

佐渡の島 ・先天から現象子音物象の創出へ

古事記で心象に相当するのは次の部分です。

先天が考えにまとまってきて頭脳内のイメージ、夢等の物象とはなっているが言葉と結ばれていない前半部と言葉に結ばれた後半部があります。次い出来あがった心象の拡散流通部と到達後の認知了解されてまた先天に戻る循環の終結部となります。

次の原文は前半部と後半部であり、心像に近づけた心象論としては後半部を解読しようと思います。

前半、津島の領域。言葉に載るまでの心象。

既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は 大事忍男(おほことおしを)の神、次に 石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に 石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に 大戸日別(おほとひわけ)の神を生みたまひ、次に 天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に 大屋昆古(おほやひこ)の神を生みたまひ、次に 風木津別(かざもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に 海(わた)の神名は大綿津見(おほわたつみ)の神を生みたまひ、次に 水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に 妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。

(次段に繋がる心象としての概略。)

大事忍男(おほことおしを)の神(言霊タ) 先天が、先天十七神全体の構成構造が、そのまま大いなる心象現象として押し出されてくる。大いなる第一印象となった全人格の現れ。

石土昆古(いはつちひこ)の神(言霊ト) それは心象を十の行である五十音言霊で表現するしかなくそう働きそのように培われる。時間の働き世界。

石巣(いはす)比売の神(言霊ヨ) そして心象は四つの段になっている五十音言霊音図の中に秘められている。次元の実態世界。

大戸日別(おほとひわけ)の神(言霊ツ) 五十音言霊音図にある心象を引き分け大いなる創造意志の霊がツーッと働き世界と実態世界に近づく。言霊トがイ段をもって言霊ヨに夜這いする。言霊ト-ヨ-ツで父韻-母音-まぐわいとなる。

天の吹男(あめのふきを)の神(言霊テ) その内実は八種の父韻だがその時処位の選択が行なわれる。吹き男の号令一下、言霊ト-ヨ-ツの掛け合わせが行なわれます。各次元での配列順位が形成されます。

大屋昆古(おほやひこ)の神(言霊ヤ) 父韻の八種のそれぞれが選択して構造物となる。頭脳内・心の中でより具体的な構成構造となり大いなる形象として頭脳内にイメージを構え固定化して現象してくる。 頭脳内から家屋のような構造体(イメージ)が矢のように脳裏、眼球奥、前頭葉に突き刺さり現われる。

風木津別(かざもつわけ)の忍男(おしを)の神(言霊ユ) 脳裏に現われるイメージ体は未だ言葉によって規定できていない(次段になる)が、それ自身として霊と体、主観と客観、前項の神々の内容を保持してきている。そしてそれが湯水の湧くごとく連綿と出てくる。

(わた)の神名は大綿津見(おほわたつみ)の神(言霊エ) イメージ体として主客の内容が湧き出てくるので、脳裏に集積するようになる。そこで独自のイメージの運動が始まるが如何せん言葉に結ばれる以前のことなので、自らを明らかにすることができない。そこで、世間一般の言葉の大海(大綿)に渡して(津)明らかになろう(見)とする。イメージの自由奔放な自己運動が始まる。

水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神(言霊ケ) 集積場(港)に集まったイメージ体はそれ自体の自己運動を許すと夢遊状態を引き起こしてしまう。(夢やイメージ過剰や妄想夢想)そこで、イメージ体の主体内容側は速やかに明らかに言葉物象に渡してしまおうとする。

(いも)速秋津比売の神(言霊メ) 同様に、イメージ体の客体形態側は速やかに明らかに言葉物象に秘め渡してしまおうとする。

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この十神の段落には多くの「男」(お、主体の活動を現わす)が出てきて、やばり先天から頭脳活動への橋渡しの難しさを感じます。

言葉とまだ結ばれていないイメージ体の主体側と客体側が速秋津、速やかに明らかに渡す、として誕生しました。しかしこれは先天ギミのミコトに依るもので、次段からは動かせる現象としてより実体化されるために言葉と結ばれようとします。

そこで常に言霊循環が起こり主客(速秋津)のマグワイが起きます。主体能動側と客体受動側がありますが、主体能動側実体があるだけでは働きかけることはできません。同様に受動側もそこにいるだけでは受け取ることができません。

そこで主客の感応同交を得るため実体と働きが用意されます。

それが次の八神の段落になります。

ここで言葉と結ばれる準備が成されます。表記はされていませんが、速秋津に宣(の)った八種の父韻の働きとなります。主客・男女が現われるときには必ず父韻の働きが秘められています。

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後半、言葉に組み結ばれる心象。佐渡の島(助けて渡す領域)。

この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、 前段の十の過程経過の全体がここでいう「生みたまふ」になる。前承する言霊循環。河は頭脳内を勝手に流れる心象、夢、イメージの個人的な範囲のもので、それが言葉を得ると世間の大海に流用できる共通性を得ることになる。相手に伝わらない言葉は言葉として機能していない。心象が個人の頭脳内にありながら、公海で航海できるその構造が構築される。

いまはその境目にきている。その為の主客の条件状況が新たに生まれることになる。言葉と結び付かない心象の主客の両面が生まれました。これは放っておくと勝手気ままな夢想をつくりだします。そこで速やかに言葉の時処位に閉じ込めそのことによって大海へ飛び立たせなくてはなりません。葦船に入れて流しやりつとなるところですが、今回は言葉の大海を航海させます。個人的に河川を勝手に上下するのではなく、多くの港へ寄港するための公的に通用する公用性の準備が必要となります。

沫那芸(あわなぎ)の神。≪言霊ク≫ 先天世界で自己意識の領域を確定しその上に宣(の)って現われるごとく、この後天現象領域にも自分の心の置き場を定めておかねばなりません。速秋津という心象主体が現われたのならばその主体が向う意向が八父韻で示されます。と同時に落ち着く先もなければなりません。そこでまずア行からワ行へ向う主体ア行のアオウエイ次元のどの次元世界を向けて向いたいのかを自らに組み込みます。

アワナギは水泡とは関係なく、ア~ワへ向う主体の主張する名(ナ)の内容である気(キ)の次元世界を組み込むことです。簡単に言えば五十音図アイウエオのどの次元を選んで選択しどの次元の話をしたいかです。そこでアイウエオのどれかを自らに組み込みますが、組み込んで相手対象へ向うのは主体側だけで、その行為を起こすのは父韻です。

主体側アワナギはその次元世界を持ち心象イメージを形作りますが、形(像)としては動けず自らを相手の上に現わすことができません。

この八神の段落には父韻の働きを示す「男」が出てきませんが、前承する言霊循環によって前段の三つの父韻の次元経過をそれぞれ通過します。大事忍男、天の吹男、風木津別の忍男はそれぞれ父韻の第一印象の全体心象を形成し、現われた実体にツーと近づきその順位の心象を形成し、その配列配置において霊体一致の湯水のような心象を形成し、速秋津のイメージ体の形成に到ります。

この男の三神(大事忍男、天の吹男、風木津別の忍男)の流れを繰り返します。脳裏眼前にイメージ心象を得るまでの経過です。

大事忍男。前次元段階での完成体、先天の構造が頭脳に感じられる構造体となって全面的にあらわれる。

天の吹男。心象となった構造体自体に自ら動き働きかけの動因が得られる。

風木津別の忍男。働きかける相手対象の次元世界に感応同交を得て心象の確証を得て自らを表出しようとする。

こうしてまだ言葉とは結ばれていないが心象という物象が所有されていることが明らかとなる。沫那芸(あわなぎ)はアからワへ渡るために心象の名(ナ)を付けそれを内容の気(キ)にしようとする。

沫那美の神。 ≪言霊ム≫ これに対して沫那美(あわなみ)は、アからワへ渡ってくるものを引き寄せるために心象の名(ナ)を付けそれを実体の実(ミ)にしようとする。ここで感応マグワイがうまくいけば、命名された実体(ミ)がその内容(キ)を現わすことになる。こうして他国語のように象徴表現や指示契約事表出にはならない組み結ばれた言語体系の始めができる。

しかしそれは運用されることが出来なくてはならず、次いで運用をするという言霊スとルが続きます。

頬那芸(つらなぎ)の神。 ≪言霊ス≫ 運用するには実体構造物がなくてはならず、言霊形成においてここでは発音上の頰(つら)骨の生理運動がうまい具合に象徴されています。アワの名の気と名の実は自らの名を肉体的発声器官五感感覚機能に感知され、連なるようにならねばなりません。そこで名の気と実(那芸と那美)は発音発声という方向を目指して身体機能に連なるようになります。その表面上の動きを顎骨の動きと捉えて頰つら骨の表徴表現を取りました。

身体機能にうまく連なったならばそれはとりもなおさず先天の言語規範に組み込まれたことになります。(どの場面においても同じことが起きますが、ここでは言語を生成進行中でありながら既にある言語規範に組み込まれたとあり、無いものと組むわけにはゆかないのではないかという疑問が出るかと思います。これは子現象創造上の循環を示していて、出産以前に子供が出来たというようなものです。)

こうして組み込まれたものが本人および本人の身体側が同一となって新しい主体側となります。つまり、喋っていることが自分で喋っていること、発音された声が自分の声となります。ここで発音されて主体側となっているものが言霊スですが、スは澄む済む巣洲で動きの無い状態のようですがそこから一切のものが生まれ出るエネルギーで充満していながら静かに澄んでいる動かないエネルギー体です。

頬那美の神。 ≪言霊ル≫ 一方頰那美の言霊はルで流露流離の流れていく流ですが、これは主体的なものではなく、頰那芸言霊スのエネルギーによって押し出された受動態です。

心象にしろ何にしろ、自分の頭に出てきたものは何故自分のものかということがここの言霊「クムスル」で形成されます。通常は自分の頭脳内に出てきたものは自動的に自分のものとして扱いますが、それも心象が物象と結び付いて、結び付いた心象物象がそれ自身新しい主体側へと脱皮変身しているからです。病的所見では新しい次元としての心象主体が形成されていないとき、そこに客体側の「心像」だけを見て行くと疾患があるとされるようです。

よくス神ということが言われます。親神とか元神とかの位置づけです。

実はス神の考察は「元々は何か」と際限なく気になる思考の性(さが)を反映したものです。留まる所を知らないまま始めとして設定されたものがス神です。ですので設定されるだけの条件が整ったときに出てきますが、その性格は元々の元は何かという性格をあたえられていますので、表象可能な心象が物象となるまでは意識上にはあらわれません。しかし、その条件が整うやいなや元々の原初という意識に取って代わり「元、素、主、ス」という位置に居すわります。元々という意識の癖の位置を主張するだけですから、次段(天の水分の神)以降の現象による規定説明は不用となっています。しかし、スが有ることによって意識は安心してそこからの誕生形成に精を出すことができます。

天の水分(みくまり)の神。 ≪言霊ソ≫ ミクマリは水分補給、エネルギー供給の意です。今までの先天や意識内での出来事では、活動力は主体側の気の内容が活動源となりその元が八父韻にありました。しかし前段で言葉という物象に組まれそれが動くことになるに及んで物象の移動に要するエネルギー源が必要となってきました。物理現象は物理力が作用し念力や思いで飛行機が飛ぶわけではありません。発語も生理的な物理力によって呼気が働きます。そこには現象を産むための消費供給のためのエネルギーが要ります。

今は頰骨を動かすところまで来ているので発語する上での口腔の筋肉エネルギーだとか唾液の供給とかになるでしょう。しかし水分だからといって生理物理上の水を指すのではありません。象徴されている神名は水分・みくまりで、水そのものではなくではなく水配りです。前段で言語規範に組まれ動き出した心がエネルギーの供給を受けて配分されることです。

具体的には、単音単語文章の適切な供給をすることです。短すぎも長すぎもせず大きすぎも小さすぎもせず、余計な語呂合わせや約束事新たな象徴を付け加えることもなく、時処位の心に沿った単音単語文章を提供配分することです。その内容霊的な方面を天の水分・ミクマリといい、体的な方面を国の水分の神といいます。心を配分表現するのに、心の示している示したい所だけを心として心の表現にすることです。

国の水分の神。 ≪言霊セ≫ 組まれた心の配分は天の水分では注ぐ削ぐ添える等の心の現わされる配分量を決めるものとして現象し、国の水分では配分のあらわれた形となる急(せ)かす、責める、せき止める、瀬のセとして現象します。例を挙げれば与えられている言語規範の五十音図から、心に沿った時処位を配分するには必要なものを注ぎ不必要なものは出てこないように関を作ることになります。

天の久比奢母智(くひざもち)の神、 ≪言霊ホ≫ こうして心の表現に必要なものだけが用意できました。口腔の洲に集まりエネルギーを注がれその堰を解かれるのを待っています。久比奢母智とは久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意で、天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。

心が組まれ、クム、動き、スル、注ぎせき止められ、ソセ、保持向かいます、ホヘ。

国の久比奢母智の神。 ≪言霊ヘ≫ 打ち上げを待つ花火の尺玉はやがて夜空に花開きますが地上にあるときは小さなものです。その小さな玉の中に全てが詰まっていました。しかし炸裂した後には刹那の花が咲いて散ります。

言葉の場合には炸裂して終わりというわけではありません。もし言葉の機能を連絡用とその拡がりとして捕らえているだけなら、相手側に届けばいいだけのことで花火のようにそこで消えてもかまいません。久比奢母智の久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち(母智)続ける事がそこでストップします。

しかし言霊学でいう言葉の機能は通信伝達までではないのでそこで終りません。

せっかく久しく内容を持ち続けるという神様が出てきているのです、内容の指示を伝えれば終わりというわけにはいきません。

肝心な自分にまで回帰する意識を獲るまで行かねばなりません。そうでなければ出っ放しで放棄することになります。ワ行の無い世界の国のコミュニケーションは主語が発する働きかけをすることで終わりです。しかし日本のコミュニケーションは発せられた主語が主体に獲られ確認了解されるまでは終りません。それが久比奢母智の久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち(母智)続ける事です。

ここからは物象論の回帰了解の過程へ続く