007 直訳と意訳 1)オノコロ

007 直訳と意訳 オノコロと後天現象

オノゴロ島の段落に入ります。次々に神を産んできましたが、ここでは生みません。古事記は心の物語でオノゴロ島とは己の心の島のことですが、心を話す段落になったのに何も神を生むことがありません。

こころの主体が働いて神々を創造していくように思われていましたが、ここでは働き活動する心そのものをまず出現させます。そして心の働く場が定められ、心が働く準備が整います。

御中主は心の働きを生むのではなく、心に元々ある働きに働きかけ動く様にいざないます。ですのでこころは御中主の系列の子供ではなく、始めからある心の性能を呼び覚ますことになります。しかしひとたび心が成立しますと今度は現象という形で、御中主と協力して神々を生んでいきます。

それでこの段落には御中主によって創造される神は出てきませんが、心が成立するや否や、心は御中主(先天十七神)と共に神々を創造していきます。心は思って考えて自由勝手に自分を働かすようですが、先天十七神の依頼を受け入れる形でその性能が働くようになります。

こころには十七の構造を持つ原理が先天的にあるという発見が古代八千年以上前にありました。これは原理としてどの場面にも貫徹していきます。

その原理は神と結びづけられていますが、宗教でいう人の外にいる神ではなく、人の意識と実体に明らかに認められ、こころの実となる、人に明らかなに与えられるものをカミとしました。

先天原理を構成する十七神(言霊)が、実体側と働き側として出揃いました。実体側、ウアオエはそれ自体で存在し他に依存せず働きます。今度はその全体が自我主体の中でウ<アワと同じ構造を取るようになります。オノコロ島とは己のこころの島のことで客体の十七先天原理構造が載る相手側です。オノコロ(自分の心)側にも対応する十七の先天構造が出てきます。つまりこころは自分で作ったものではなく、自我というのも最初はありません。

【 ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、

直訳・・『ここで場面が変わり、こころの先天構造である十七の言霊が活動を開始して、先天構造が自らの意識に載って』

意訳・・「先天構造が出揃った今は吾の眼(あめ)は十七神の全体になっていて、自らの活動を開始するための剖判が準備されます。」

・先天構造が自らを意識に載せることを、○に・を入れる(ひふみ神示)といいます。

・先天構造によってこころが創られる段落です。先天構造に対するこころですが、物質世界でも作用反作用の無意識的な動因の交互作用があるように、ここでも十七神の実体がこころの実体を動かします。そこで動かす側と動かされる側が必要となり次段へいく。「天津神」はここでは働きと実体が未剖。

・こころの全容とは十七神の先天構造全体のことで、その主体側と客体側、その働きかけと同時に働きかけられる働きであり、働きかけるものであり同時に働きかけられるもので、と、それによってできた現象です。こころのあり場所は、その全てとしての先天構造にあり、一つであると同時にそれぞれ個別の場にあり、またそのように成るものとしてあります。

・まず剖判の原理があり(ウ<アワ)、次いでこころの客体側(言霊ヲ)がありました。

・先天十七神が活動を開始するや否や、自らに対応するの相手対象である相手側の十七神が出てきます。

・ここではこころの天津神が剖判し、こころを創ろうとするところです。

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【 伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

・天津十七神がギミの神に命令をしたのではなく、天津十七神に内在する働きを能動側と受動側に分けました。ここはギミの実体ではなくはたらき(ミコト)です。能動受動に剖判することによって実体側も主体客体に剖判します。

直訳・・『十七神全体(ウ)はアワ、 伊耶那岐の命(実体に働きかける側・ア)と伊耶那美の命(働きかけられる側・ワ)に剖判し、それぞれの働きがはじまりますます。 』

意訳・・「十七神がこころに載り(宣命、○に・が入り)主客、私とあなた、いきさまとありさま等に剖判します。」

・ここでは既にまず、先天十七神が自らを分けて、客観構造と成る先天客体側と先天の自我と成る先天主体側にわけています。その結果が世界対自分で、今度は自分の中を分けて自分を分けたから自分が分かる事へ進みます。こうして自我内の構造が自分の対象となって自我の構築が始まります。だだし現象となった自我ではなく先天の自我です。

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【「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、

・人の意識は何を為すべきか?

「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」です。

・意識の始まる第一印象を得る以前のことです。構成を表す要素と働きは全部揃いましたが先天内のことで、組んで(く)似せて(に)物事を表すには至りません。

直訳・・『あるけれど固有の居所を得られない不定な組んで似せる要素を人の手の内に納め創造固め確認して意識による文明社会を構築せよ』

意訳・・「人間に与えられている天与の性能を働かせて、宇宙の中で人間に関係する一切のものを創造し、確認して、それぞれに名を付け、人間の生活にふさわしい文明社会を建設していく事であります。

そこに物があっても、見る人が居なければ何も始まりません。名前がないこと、それが物事が始まる以前、全ての物の始まりです。人が居て、ものを確認し、それに名前をつけること、それが物があるということになります。名前がなければ、それが何であるかが分からず、混沌ということです。」

◎ 特注。 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

この文章は次のような段階をふみます。

一) 先天における 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

二) 主体側における 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

三) 客体側における 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

四) 二、三の両者によって現象を生むことにおける 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

五) 現象を名前とすることにおける 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

六) 日常創造活動・言葉の発展における 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」

一~六は全て同じ構造ですが、「国」の場面次元が違います。

三)は 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」の客体側、物質側からの見方では、物質社会の構築になる。

六)は その表現は精神の構築物である言葉の文明になります。

例えばひふみ神示にはフジは晴れたり日本晴れというのがありますが、これを客体物質方面から見ると山である富士になり、霊峰として拝んだり山の掃除だとか晴れたり曇りの天気予報になっていきます。

しかしひふみ神示を精神の書として読むと、フジという心を表すものとなります。心のフジに漢字を配当しますと、不二、不治、不似、等からこころの二本晴れが探されるようになるでしょう。(主客の似ていない・不一致・が晴れる、似る・フトマニ・ということです。)

この段落はひふみ神示でも触れられていて、金で世を治めて金で潰して地固めしてみろくの世と致すのぢゃ、と金を例にしていますが、札束の金ではなく、金をカナと読替え、こころの仮名の謎を解くようにと誘っています。

そして主客の新しい見方から新しい創造が生まれてくるでしょう。

一~六は全て同じ構造ですが、「国」の場面次元が違います。

三)は 「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」の客体側、物質側からの見方では、物質社会の構築になる。

六)は その表現は精神の構築物である言葉の文明になります。

例えばひふみ神示にはフジは晴れたり日本晴れというのがありますが、これを客体物質方面から見ると山である富士になり、霊峰として拝んだり山の掃除だとか晴れたり曇りの天気予報になっていきます。

しかしひふみ神示を精神の書として読むと、フジという心を表すものとなります。心のフジに漢字を配当しますと、不二、不治、不似、等からこころの二本晴れが探されるようになるでしょう。(主客の似ていない・不一致・が晴れる、似る・フトマニ・ということです。)

この段落はひふみ神示でも触れられていて、金で世を治めて金で潰して地固めしてみろくの世と致すのぢゃ、と金を例にしていますが、札束の金ではなく、金をカナと読替え、こころの仮名(かな、金)の謎を解くようにと誘っています。

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【 天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。

・矛を武器とすると武器に関する文明、その示す象徴を探すことになります。

・ここではこころに関係するもの、主体内のことを矛で示しています。

・矛は両刃の太刀で、舌の形をしています。物を切る道具で物事の判断をするという象徴です。沼(ぬ)とついていますので判断切断したものを縫(ぬ)い合わせ繋げること(剣・つるぎ・連る気)まで併せ持ったものです。

・古事記のフトマニ言霊学では、父韻の実体側を示しています。

直訳・・『先天の性能を持つ舌を使って、心を表すようにさせた。』

意訳・・「修理め固め成す主客の実体は準備が整いましたが、あるものたちを付き合わせ作用させる要因が必要で、ぬぼこを振り回してこころを励起させるものがいります。」

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【 かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、

・原注で立つを多多志と読めという。

・客観物の話ならギミのミコトが橋の上に起立してという能動的な動きですが、己の心が出来上がろうとする心の場面です。

・天の浮橋は先天の主客、こことあっち、私とあなた、原因と結果、見るものと見られるもの等の始めと終わりにかける橋で、主体と客体の間の両者を渡す橋です。

・ギミのミコトの働きを表す場を示します。

直訳・・『ギミのミコトは父韻列となっている橋に両端に立たせられて』

意訳・・「能動的な活動を始めるため先天的な活動場が与えられ、それぞれが始点と終点(はし)に立たせられます。」

・受動的に立たせられて立つ場所を与えられると、そこで能動的な活動を開始します。

・また活動の始点と終点が与えられたので、中間の活動が自在になっていきます。ここにはし(端)があるお蔭で活動の開始もあります。

(後に、この両端は奥・辺疎のみそぎ神になる。)

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【 その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、

・ 指し下(おろ)しは意識が現実界にまで降りてくることで、ここまでの段階では先天の心がわたしのこころの活動場まで降りてくるところです。 この後各自のこころができていきます。

直訳・・『舌(父韻)指し降ろして手ごたえを得るため掻き回してみる』

意訳・・「ギミのミコトが二人して舌を出し合って、ギの父韻の手ごたえと、ミのミコトの父韻の手ごたえの 一致を探します。」

・ギミのそれぞれが舌、父韻を出し合って同じ舌触りを求めるので、直接キッスをするのではありません。

・同じ舌触りを求めるこころの場が十四領域あります(島生み)。

・主客の直接の接触が蛭子、母音同士の接触が淡島で、さらに意識創造の各島領域での通過ごとに生まれるものと、無事全部通過した後の、現象(子音)の創造となります。これはその後言霊の運用領域にも適用されます。

・ここは鳥居の思想の原型です。二本の柱はギミのミコトで、上に渡してある笠木は笠で頭に被るもの頭を抑える先天の気、で笠気・木、天の浮橋のこと、その下に、島木、島は締りをつける領域・心の領域(後の十四島)があり、その心の領域ができると各島においてそれを貫いて落下、通過すること(貫)で現象を生む、となります。 鳥居をくぐるというのは理想的な意識創造活動をしようとすることです。

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【 塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、

・塩はシホ、四穂、実体言霊アオウエの四つのありさま世界、同時に、潮時・折りのよい好機、機を創造して行くいきさま父韻世界のこと。地の塩となって味が付けられる。

・こおろこおろは、折りのよい機を得て子を降ろす、現象を産む、子(こ)を降ろ(おろ)す子現象を生む(こおろ)ということ。

直訳・・『機を得て子を降臨させようと言霊母音と父韻世界を掻き混ぜ回して機を探し』

意訳・・「人の働きは実体を必要とし、ものの実体は働きにおいて現われるので、その相互の呼応(鳴り合い・成り合い)を起こして」

・実体アオウエ側のありさまの受動する働きは、いきさま父韻チイキミシりヒ二の内チキシヒの能動の働きと、イミリ二の受動の働きによる掻き混ぜの場となり、そこで手ごたえ、舌触り、肌触り、ちょうどよい塩味が得られると合体して凝り固まっていく。 実体側ワヰウヱヲが成立する。

・こうして父韻の働きが実体の受動側に乗り、父韻の働きと共に実体の働きとなって出てくる。その重みで降りてくる(比喩・天から降りてくる、頭脳内では形を持った言葉になってくる。)

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【 引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、

・自我領域を作る場面です。先天のマグワイ。

・まずは先天の自我の実在領域を作り自己の活動場・土俵、アの眼を付けて智恵と成すの付ける対象たる地をつくります。

・引き上げるというのですから反作用を得たということです。ここでは捉えどころの無い先天領域が頭脳内に載ったということでしょう。天(あめ)の先天に対して地に付くものの手ごたえがありました。島という精神の自己領域が出来てきます。

直訳・・『舌を使って父韻と母音を掻き回し、父母の交わりの手ごたえを得てその実体が出来てきます。舌の先から滴るのは音で、音による実体の島・締り・先天宇宙が占有し内容を区別する領域を明らかにします。』

意訳・・「引き上げる働きと引き上げる物が揃い引き上げの現象が出てくる時に、舌の先から出てくるのは音で、滴り出てくるのはそれぞれ一つ一つの締り(島)を持ったものであり、宇宙実在(塩)の一部分を占めるもので、それぞれが積もって成れる領域を形成していきます。」

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【 これ淤能碁呂島(おのころ)なり。

・おのれのこころの締りをつける島で、おのころ、です。おのころはオが過去ー今ー未来をころがるようにします。

・一つは、過去ー今へ流れる尾・緒の残れる締り、記憶概念による区切りを占有している、緒の個々の島となる、おのれのこころの締りです。

・他の一つには、緒・尾のころがり今が未来へ付く締りで、滴り落ちるこころの塩のその一つ一つの味が違い音の違いが締めくくられていて、それぞれが各要素となっていきます。塩の違いはこころの違いの現われになっていきます。

直訳・・『この明らかにされた領域が載っているところが、おのれというこころに対してはオノコロ島となり、それが一つの宇宙領域となり、他の積もった塩も別の宇宙領域となります。』

意訳・・「先天宇宙領域は一つの同じ物ですが、おのれのこころの島として積もり積もっていくと、それぞれのオノコロ島ができていきます。」

・そしておのころはおのれの子(現象)を降ろす(産む)ということになります。

現象として三十二のこころの島ができます。この世の現象のあり方は、例えば今ここにものがあるというあり方は三十二通りあります。

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【 その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

・こころの構造の話です。柱と殿という比喩です。出来上がり固定した殿を指す物ではなく、始めは塩の一粒のように小さい物から拡がっていくこころの構造を指します。八つを尋ね拡げる神殿、こころの御殿。

・まず、先天のこころの働く領域場が設定されます。こころの現れる実行場が無ければ心も表れようがありません。

・先天十七神の実在次元層ウオアエと八父韻との組み合わせが、ギミのミコトの根源動因からのはたらきである縁の下の底力を受け取ります。

・その結果、三十二通りのあり方の全体とその全体の動きが 八尋殿(やひろどの) になっていきます。

直訳・・『自己意識の領域に立ち、先天の自己規範を打ち立てありさま実体を得、いきさま・はたらきを自在に得る八つの殿中・間を得る設定が創られます。』

意訳・・「自己意識の創造因たるギミのミコトは両者の共通な交流の領域場としてオノコロ島を得て、そのこころの島内で及び島自体を拡大発展させる手始めに、まず自身をいきさまとありさまとに剖判しこころの御殿を創造していく基盤ができました。」

・積もった塩が固まってこころの領域を形成しました。その島に柱を立てるとは、立てた柱を島全体と見る絶対的な見方と、島の端から端までを指す相対的な見方があります。

・また島は、八(父韻)が拡がるこころのみあらか(殿)として発展拡大していく物としてあります。

・つまり島は、広がる島と実体の島に剖判しつつ発展していきます。

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◆ 心とは。

先天十七神の構造が明かされて、次いで十七神が働く場となる主体構造も明かされました。

主体場は先天構造が載り・宣り・働くので全く同じ構造を持ち、それはオノコロ・自我・主体・心等と呼ばれています。神代の巻きは心とは何かを数千年間に解決してしまったことを、千三百年前に書きとめた書物で現代の科学思想をも保障するものですが、今はその表現言葉のせいで逆の立場に置かれています。

こころとは何かの原理を明かしたものなのにそうは見られていません。神名がずらずら出てくるだけでは当然です。科学思考分析の技巧化に対して単に神名を守って、拝んでいるだけでは振り向きもされません。

しかし、この神名でしかこころを表せないように神名が選択されているので、科学思考の成果に関わりなく自分の心を見ていけば、神名はこころのそれぞれの場面の表現であることに気づいてきます。

こころの物語の一番初めの言葉は冒頭のアメツチです。

冒頭がアメツチということは、意識の初めもアメツチということで吾(ア)の眼(メ)を付けて(ツ)智恵(エ)と成す、がアメツチに隠されていることは既に見ました。

そこで始めの初めはアと成りますが、御中主の言霊ウが最初にあることと矛盾していると見られるかもしれません。

アメツチの吾(ア)の眼(メ)を付(ツ)けて智恵(エ)と成すアはこの冒頭の段階では全体意識を指して、欲望感覚、考え、思い、感情、意思等の総体で、ウのように意識の発展していく初めの欲望を指したものではありません。

そこで眼を閉じて開けた時の意識の始めを見ると、色々な現象が現われようとする瞬間の時に、原始的な自覚体の一点に自覚発展していく意識に言霊ウと名づけましたが、アメツチのアはその意識活動の元と成るもので、意識の自覚体・実体以前の総体です。他の古文書には天譲日天狭霧国禅月国狭霧の尊(アマユズルヒアマサギリクニユズルツキサギリノミコト)がいて、闇夜の霊動・天地を揺するものを始原としているのがあります。

こころが主体的個性的に働いていくには自らが個別であることを知る規範が必要です。人は相対するものを見たり聞いたりするとき、自我を意識しますが、その判定となるものは相対する双方を超えた第三者です。

剖判と第三者。

主体と客体に分かれる、その主体と客体に分かれるのは宇宙が分かれる。ウアワの冒頭造化三神です。

こういう風に分かれたと知るのは後天現象を指しますから意識において明かされますが、そのためには先天宇宙において剖判が用意されていなければなりません。

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失敗談ではなく一般性。

・ここに先天原理が活動をはじめて後天現象を産んでいきますが、まずは失敗談が出てきます。これはもちろん失敗談を借りて精神性能を語ったものです。後天として生まれてきたものは、ものの個々別々の区別が付くようになりますが、その個別性を引き出すのはそこに基準と成る一般抽象性があるからで、その一般性をまず生み出したということです。

【 こ こにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、

【「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、

直訳・・『ここに先天宇宙の天津神が美のミコトに先天宇宙がどのように備わっているか尋ねます。』

意訳・・「おのれのこころの領域は出来たが、その領域は先天宇宙を反映できるのか、どのように反映するのかが問われます。

そこで天津神がといますが、実際はギのミコトの働きとして表れますからギのミコトが問います。あなたはどうなっているか、私の質問に対応しているか ?」

美のミコトは客体側としてギのミコトの相手をしますから、ここでの天津神の問いかけは天津神の全性格を持ったイザナギのミコトが問う形をとります。

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そこで受動側は答えます。全てに対応応答できるが、ひとたび答えると、答える自分の応答を止められません。

【「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

直訳・・『わたしはどのようなあなたからの能動的な働きかけに対応できますが、その対応を収束し現すことができません。』

意訳・・「ひとたび意識が受動側に向けられると、受動側は全ての角度からの見方を受け入れることができ、そのところを開示しますが、開示しっ放しになってしまい、対応して受けて示す物がどこにありどこになるのか定まりません。」

問いに対してあるあるあるといくらでもいえるけれど、何があるかの答えができない。

言霊学ではここは母韻のアオウエイが同じ音が続いているところに注目しています。

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これに対してギのミコトが言いますが、これは、問われて答えるのではなく、自主的なもので能動側をしめしています。

相手対象の実体実在を確認したなら、そこに乗る、載る、 詔るということです。

【ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

直訳・・『一方ギのミコトは自らの動因が発動していき、何に対しても働きかけていくが働きかけてしまうという止めようの無い動きがある。』

意訳・・「自分の持っている発動因が動いてしまうと全てに係わろうとし、見境無く働きかけようとしていく。」

ギのミコトの方は問われて答えるのではなく、先天的な霊動性、能動性を発揮発動していきます。能動性は成り成り、先天的に動き廻り止みません。ひとたび弾みがついてしまうと、何に対してもこの動き廻り停止するところがないというのが成り余れる一所というわけです。

言霊学ではここは父韻のチイキミシリヒ二の音が二段になっているところに注目しています。

● ここで「我が身」は、総体へ向かう「我」という一般動因と、 「我が身」 の意識された個別な具象動因とがあり、ミのミコトが開示している内容に対応する「我が身」に両者を内包しています。

ミはミで何にでも開示していくのでその対応にギの動因が当てはまって行きますが、ギの動因にひとたび時間空間次元の意識が付きますと、ギは総称性から具象性にあらわれの次元を変化させていきます。

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そこで、動き放しと開き放しの合意一致を探り、双方が自身をあらわし確かめ合おうとします。

そしてその後、確かめ方に違いがあることが見出されます。

まずは上記●印の「両者」共に顔を出したいと実現に向けた動きがあらわれます。

【 故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

直訳・・『動き放しの働きに形を与え、開き放しに確定した形を与えるためここで合意しようではないかどうだろうか。その通りです。』

意訳・・「われわれは単に成り成りてを治めるのではなく、成り成りてある実相を創造によって表現し、表現したものが成り成りていくような言語表現を創造しようと思うがどうだろうか。動きを止め形に表しても動く実相に似た言葉を作りたい。よろしいでしょう。」

刺(さ)し塞(ふた)ぎて、は動き廻るに反することで自己実現にはこの自己撞着を矛盾無く止揚しなくてはなりません。そのためには、国土・クニ・組(く)んで似(に)せる事で、物事の真実の姿に似せて、そのものズバリの言葉の要素を造ることです。

物事の真実が言葉に載れば、言葉は人の心に載り、物事の真実が言葉としてこころに載ります。その場合言葉が表現され発音されることがそのまま物事の実相を現さなければなりません。

そこで国土をクニと読み、物事の実相に言葉を組(く)んで似(に)せる事になります。大和の日本語は事の実相に似せるので、全世界の外国語のように単に指示するのでもなく意味内容を付け加えるのでもありません。 ひふみ神示の出だしの句が不似は晴れたり二本晴れとなっています。

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ここで確かめ合いが始まります。今までの解説では神聖な柱信仰とかまぐあいは性交だとか言われますが心の原理教科書としても精神の運用原理としてもふさわしいものではありません。

柱は心の次元層を表し、廻りはマワリで間割りになって、心の次元層である五つの間を割り裂くこと。

美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)は実獲る(ミト)間の喰(ク)い合いで、父韻橋の働きと母音柱のことです。

ここで動き放しと開き放しの合意一致を探すことになります。

鳥居、両側が母音半母音の柱で上がイ段(父韻)になる中が空の五十音図、を思ってください。中空部分に子ができます。子音。

【ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。

直訳・・『能動側ギのミコトが自身の動き放しのあり方の八種を示し、柱の間を裂き、自身の八種の間を絡めまぐあいします。』

意訳・・「能動側ギの父韻は二つのことが同時に進行し、母音行の開き放しの間を割り五行の一つを獲り、と同時に自らの八つの間の一つを喰らいつかせます。」

これら働きはギのミコトに先天的に八通りのはたらきと、実在側に五つの次元層があることの上で行われます。

ギのミコトは動き放しのまま開き放しのままのミのミコトに向かい、同時に八種の個別なあり方も示します。

こうして、ミのあり続けるありさまとギの動き続けるいきさまは両者とも永遠にあり続けると共に、ギの八種の個別化によって具体化現象が起きてきます。

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かく期(ちぎ)りて は、それぞれを固有のものの互いの対応にしようということで、各時処位はそれぞれの時処位が相手をし、一般は一般、個別は個別、カイザル​の​もの​は​カイザル​に​返し​なさいにしようということです。

汝は右より廻り逢へは、柱を左右に回ることではなく、ミの 受動側はを実を切り出し(ミキり)提供し、ギの実の応対を受け、

我は左より廻り は、ヒタリ、霊足りで、それぞれの意味内容の間割りの間の喰い合いを対応させ合おうというもです。

◎ ここで重要なことが起きます。

◎ ギのミコト側の対応する相手がいないのです。ミのミコトの イエウオアの五次元実体世界がありますが、成り成りて開き放しでしかありません。

◎ ギのミコトは動き放しと開き放しで応対をして、まず一般性を生みます。

◎ 次いで八種を使用してミの間の各次元に対して個別性現象を産んでいきます。

◎ そしてこれを、ギのミコトの対応する相手、自身の創造物を自身の対応物とすることで、自身の 期(ちぎ)りを実現します。

◎ これが自分がやることが自分のものになる原理です。

さて、まず、一般性を創造します。

【 かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、

直訳・・『能動側と受動側、主客の対応はそれぞれに見合った時処位にしよう、汝は実体実在の間を割り実となるものを提供しわたしはそれに答え、わたしは霊意味内容が垂れ込み足り満ちるようにわたしの間を提供しよう。こうしてそれぞれの時処位の間を割り与え合おう。』

意訳・・「実体実在世界を相手にするときには、お前のあり続ける一般性が目に付いてしまうので、お前を相手にわたしの個別具体性をもった現象を産みたい。そこでお前は自身の実在の時処位の間を割り区別し、わたしはわたしの意味内容の間を割り区別してお互いにかけ合おう。」

右より廻り。実を切り出し間を割り裂く。

左より廻り 。霊を足り満たし間を割り当てる。

ここで間割りの間とは母音実体世界の五次元の天の御柱国の御柱と、父韻の八つの橋板で出来た天の浮き橋のそれぞれの時処位のことで、イエウオアとヒチシキミリヰ二のことになります。

ある一つの動きが現れる時には必ず以下のどれかの一つの現われになります。

宇比地邇(うひぢに)の神。 言霊チ こころの内容がそのまま全体となって現れて表面となる。

妹須比智邇(いもすひぢに)の神。 言霊ヰ。 こころの内容を持続させることを表面とする。

角杙(つのぐひ)の神。 言霊キ。 こころの内容が表面と見立てた過去を取り入れて表面とする。

妹活杙(いくぐひ)の神。 言霊ミ。 こころの内容を見立てることが表面となる。

意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ。 こころの内容の選択していくことが表面となる。

妹大斗(おほとのべ)の神。 言霊り。 こころの内容で選択された行為を表面とする。

於母陀流(おもだる)の神。 言霊ヒ。 こころの内容を表立たせることが表面となる。

妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 言霊二 こころの内容を煮詰めることを表面とする。(父韻の項目より)

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父韻が実在母音の成り鳴り放しをふさぎ止めるとそこに形が出てきます。その時の形の出方が二種あります。

まず始めに、成り鳴り放しの実体を見つめる方面から。次いで個別の実体を生んでいるという方面から。

【 伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。

直訳・・『ミのミコトは 成り鳴り放しの方面から見て創造物は引き続き表現されているので、愛らしく、を(緒、創造されたもの)となっても、えを常(とこ、とわに)実在していく、と言うと、ギのミコトは獲たヲは留め(エ・ヲ・トメ)なくてはならないのに、先に口出しをしてしまったね、と言った。 』

意訳・・「 ミのミコトは実在の永続を受け持っているので、選択(エ)されたもの(ヲ)を、常(トコ)にしたく、先に口にし、ギのミコトは形のない働きにその表れを与えたく創造されたもの(ヲ)固定して留め(トメ)たかった。 」

をとこ、ヲを常、とこにする。

をとめ、ヲを止める。

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ギのミコトは自らに似せて自らの形を現すつもりでいたが、母音に先に発音され一般性を表すことになってしまった。

【 おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。

直訳・・『二人はそれぞれの思惑から自分の創造物への思いを述べたが、ギのミコトによる国土(くに)生みなさむと思ふはいかにという契りの内容を満たさなかった。あるものはこれからもあるのだと開示し放しを繰り返すのは、現象を産んだことにならず、あることがあるというだけになってしまった。』

意訳・・「ギのミコトは自らの働きを形にして自身を現したいのに、これでは働き一般の現われが形となった名しか出てこないのでふさわしいことではない。」

おみな、創造するものの実の名。

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しかし、一般的な共通の価値を持った物がないと社会集団の共通規範が無くなってしまう。

【 然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。

直訳・・『それでも個別性具体性のない 霊流子でも、一般規範として必要なので、そのまま人々の共通性を確保するものとして流通させなくてはならない。』

意訳・・「とは言ってもこれからギのミコトが産む各事物において、八種の創造物のそれぞれの違いを獲るには一般基準が必要である。取りあえずはギの思いに対応するものではないけれど共通規範として人々に一般化しておこう。」

水蛭子(ひるこ)は、霊流子。

葦船(あしぶね)は、言霊五十音図。

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そこで致し方ないことだが 世に一般規範が流布されると、こんどはその一般性が一人歩きを始めだす。

【 次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

直訳・・『ア行からワ行へ一般性だけで結論を出すようになる。ギの思いに似せることがないので、ギのミコトが子現象を産んだとはいえない。』

意訳・・「一般規範が流布されると、一般論だけでの応対が生まれてきたり、結論から結論へと飛び回ることがあるが、そのようなことは正式な思惟の運用とはならない。」

淡島は、アとワの締り。 五十音図のア母音行から途中を省みずに、直ちにワ行へと一般から一般、結論から結論へ飛び回る領域。

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ギミのミコトは当初心を組あわしてこころの思いに似たもの(国土くに)を生みなさむと思っていたが、その結果はこころの一般性になってしまった。そこで二人は思い通りに生むことのできなかったことを反省した。

こころに思っていたことを形として現そうとして子現象を得たがふさわしくなかった。

もう一度元に戻ってみよう。

【 ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。

直訳・・『父韻と母音の掛け合わせで後天現象を創造したが子音創造とはいえない。そこで当初に依拠した原理に戻って反省してみよう。』

意訳・・「父韻と母音の掛け合わせで第三者が創造できることは分かったが、手ごたえのある個別的な具体性はなく、こころに思うことと似てもいなく、単に一般性を獲ただけだった。

そこで反省したところ、二人が元来たこの道帰えりゃんせとあるように、手にした一般性に拘泥することなく、はじめの時点にまいのぼり最初からやり直そうということにした。」

一旦全てを精算して始めなおす事。

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それでは始め直すといっても二人の拠り所は常に十七神の先天構造で変わることはありません。どうするか。

【 ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。

直訳・・『そこで先天原理に照らし合わせて、フトマニの運用の仕方に立ち返ってみると、母音を先に発音して子音を発生させようとしたのがまずかったと気づき改める事にした。』

意訳・・「戻る地点を探すと、吾の眼を付けて地に成すのアメツチになり、アの主体意識を先に働かすことになる。客体受動側が先に立ってしまうと主体の行き場が無くなり隠れてしまう。」

太卜(ふとまに)、太占は後代の当て漢字で、こころの裏合えとなって占いの意味になった。フトマニは五十の言霊の運用原理で、その内二十(フト)の主体側の言霊(心の真似、マニ)から運用し始める原理をしめしている。

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五次元の実在母音側の間を五つに割りその 実を切り出し、八つの働き父韻側の間を割り心の思いの霊(ひ)を満たすように掛け合わせれば良いことがわかった。

【 かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。

直訳・・『それぞれが各時処位の準備をしてそれぞれの対応するところを提供し合い、』

意訳・・「前のように内容を割り出し、働きかけの割り出しをして」

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【 ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、

直訳・・『主体側の働きがその心の思いの一つを発して、自身の内容が居つく相手場所を求めてそれはお前だとまず指定し、ついでミが受け入れを表明する。』

意訳・・「ギのミコトが思いの一つを差し込む前にやはり感情表現の一般性を表明します。この感情の一般性にせよ表明がないとミのミコトとの関わりが出てきません。ここではミは沈黙を持って受け入れますがそれは次にギの思いの一つがすぐ控えているためです。ミはギの感情表現を受け入れる形でその個別的なギの 思いを受け入れます。」

このようにアの感情表現は最初から付いて回ります。受動側では普通は沈黙していますが分けも分からず火山の噴火のようなこともおきることがあります。

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▲▲▲ここからこころの領域を産む▲▲▲

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「こころの十四領域」 につづく

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