②-2 伊豫の二名島・主客

高御産巣日(たかみむすび)の神。次に

神産巣日(かみむすび)の神。

この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。

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高御産巣日・タカミムスビは、高(タカ)天原に霊(ミ)を結(ムス)び

神産巣日は・カミムスビは、噛(カ)み合せて実(ミ)を結(ムス)び

と読み解き、漢語表記から解放すれば、同じ読みにタが付くだけの違いとなっています。タの有る無しの違いは、主体の能動性の有る無しを示し、後に自覚した知覚意識の元で行なわれるものかどうかの違いとなってきます。(タとカの吾の間)

意識現象の主体側の能動作用の最初になり、タはタァーと出てきた時に形に現われる最初の音で、タと共に意識が立ち上がり、先天を絶ちそれを経った能動性を発った所に心が立ち上がった意識の田(全体規範)を従えています。高天原の意識界で霊(ミ)側の全体を立ち上げ、それを噛み交えて霊(ミ)となすものです。

渾然一体たる蠢く予兆の御中主言霊ウが自らを最初に示す内容が、た・かみむすびの二者で、言霊アとワです。自身のうごめきをアッと気付くとき、その動きの自身に対する全体感情が発生します。そこでそれが自身のものであると了解されると、了解している自分側がア、気付かれた自分側がワになります。剖判するといいます。

意識界の剖判は物質が半分に割れたり分かれたりではなく、また、生物界の細胞分裂のように成長進化して元の姿形が跡形もなくなくなるのではありません。

言霊ウがアワに剖判するといいますが、ウは個別的に持続していきますし、アとワもそれぞれ独立して存続し続けます。

存続というと時間の流れの中のことになってしまい、時系列の解剖の分野が成り立ちますが、言霊学では瞬時における全体の同時存在と存続を基盤にしています。それを中今と古語でいいます。今現在という瞬時に過去現在未来の同時存続と過去から未来の流れが含まれているということです。

従って心の原理論としての古事記はこの上に載り沿って理解されていきます。

言霊アとワ。

心のうごめく動きの言霊ウが表記表音されますとウとなるように、動いたことを了解すると了解している心の持ち主と了解されている心の相手対象となるものの両者が分かれて出てきます。

ア-ァッ、と自己の息吹が全開して、自分の存続が確認されます。

すると同時に、ゥワァッワ、と自己の存続の対象化されたものの知情意を頭脳内(高天原)に得ます。

これらが表記表音されると、アとワになります。

ウの一者が剖判して二者になるといいますが、物質や卵細胞のように単に二分されるのではありません。物質には外力が加わり、卵には精子の衝力が加わって分かれるように、ウにもそれを剖判になびかせるものが必要です。とはいっても恣意的意識的に働くものではなく、人の先天構造内に備わっているものです。それが言霊アワの意識領域に名付けられた伊予の二名島に関連しています。

伊予の二名島。

伊予は地名ではなく(古事記の地名は実在の地名ではなく地名で呪示された意識のこと)、伊はいざなみ・いざなみの二神のことです。この二神が予めアワの名に秘められていて、後に意識の重要な四部位になる予め二神で示されている領域ということです。

伊の予めというように蓋に名(ふたな)が記されています。蓋を開けると名の中身が秘められた形で入っています。