大祓祝詞講座 1 コトタマノマナビ

大祓祝詞講座 1 コトタマノマナビ

大祓祝詞講座

全文コトタマノマナビからの引用です。http://imakoko.seesaa.net/archives/201310-1.html

読者の皆様へ

いつも弊HP並びにブログをご訪問、ご愛顧ありがとうございます。

島田正路師が四年前亡くなられた時に、多くの方から弔辞をいただきました。その時、別に用意してはおりませんでしたが日頃、先生がおっしゃっていた言葉をお返しいたしました。

「言霊は未来を創る原理です。今ここで目を覚ましておりなさい。」

今、世間では古事記ブームだそうです。確かにテレビやネットでは俄に注目されて、古代史や歴史に関心が集まっています。記紀が一般で解釈される神々の物語と当ブログが公開してきた「古事記と言霊」は読者の心の中で「そういう解釈もありかな」の情報として読まれたか、好奇心旺盛な方は「オー!」とただ、驚かれ、俄に信じ難い、と思われたでしょうか。

「私には関係ない」、「何かワクワクする」、口に出さずとも、心の中で瞬時に発した言葉そのものが‘いのち’であることを知らないだけのこと。生まれた時から外ばかりに目を向ける教育をされて来ましたから、至極当然なことなのですが、しかも、意識できる自分が自分であると思い込んでいる内は、‘いのち’の本体である心の宇宙を知る由もありません。

意識できない心の宇宙を知りたければ、人間は生まれた時から本具として授かっている‘いのち’が本体であるのに「自分はかくある自分である」幻想に惑わされているだけのことなのです。自分は人間であること間違いない、ということは「自分とは何者か」は「人間とは何ぞや」ということに通じます。

----------------

大祓祝詞・六月晦大祓 十二月之に准ふ

大祓祝詞全文読み上げ

これだけ読みまして「こういうことですか、承知しました」で済まされないと思います、又、神社関係者の方も正当な意味を理解なさっているかと言えばまずいらっしゃらないようにお見受けします。いろんな神社の相当上の位に居る方に伺いましても、神社神道的な解釈はされておりますが、まさかゝゝゝの内容です。

数千年から一万年前に亘り日本の古代の霊(ひ)知りであるスメラミコトがどういうご計画の基に日本列島に於いて国を打ち立てて、どういう理念の本に日本の国を通して世界人類文明を創造されたか。

又、時代が下って人類文明創業の時の目的を忘れてしまい、自分の利益ばかりに志を働かせて世の中が混乱する時に起こってくる人間の心の罪汚れの内容、それをどう祓ったらよろしいのか、とどのつまり、人類が絶体絶命の境地に至った時、本の理想の世界の姿に押し戻し、禍根を永久に断つ方法は何であるか。又、それが成功した末に恒久平和な時代が来る暁にはどんな政治を行えば良いのか。

以上のようなことが書いております、これだけのことを簡単明瞭に書いてあるこの大祓祝詞がいつ頃の時代に制定されたのか。歴史学、国語学には正式の記録が何も遺されておりません。ですから何方も正解を持っていらっしゃらない。ですが民間に伝わる竹内古文献とか、阿部文献には祝詞を作られた方のことが書かれております。

----------------------

大祓祝詞・三千七百年前からの唱え言

神武天皇から昭和天皇までを神倭(カンヤマト)朝と申します。神武天皇が生きている時の名前が神倭伊波礼琵古命(カンヤマトイハレヒコノミコト)と申します。神倭王朝よりももっと前、その時代が鵜萱不合(ウガヤフキアエズ)王朝です、第三十八代天津太祝詞子天皇が大祓祝詞を制定した。

いつ頃かと申しますと神武天皇から遡ること大凡千年、今から三千七百年前と推定されます。それ以後、水無月の六月と師走の十二月の毎年二回、朝廷の大祓の儀式の時に唱えられてきました。

今から三四千年前、鵜萱不合王朝第六十九代の神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の時にユダヤの王である「モーゼ来朝す」と書いてあります。初めて聞いた方はショックかもしれませんが、これは絶対の事実です。

何故、絶対の事実かと言えば、モーゼが来朝しました時に既に水無月と師走の大祓祝詞は唱えられておりました。この古式がモーゼに伝わりましてモーゼのペンタトーチ、旧約聖書の第一章から第五章までのエジプト記。モーゼが神の命令を受けてエジプトのファラオの奴隷となっていたユダヤの民族を救い出し、有名な紅海の海を別けてイスラエルの国家を創ったとされるモーゼの五書。

--------------------

大祓祝詞・サッパリ分からない理由

この原罪から逃れる方法をキリスト教では教えておりません。ヨーロッパ、キリスト信徒には永遠の謎とされている。古神道の言霊学においては原罪の正体を明らかにしております。原罪を祓うには人類の生存の危機に見舞われた時に活用するよう秘められてきました。

国津罪といわれる個人の罪、犯罪、これは詳細にモーゼに教えましたので、特にレビ記に書かれております。モーゼの以後、神武天皇以後、日本の朝廷では祝詞を年に二回唱え続け、奈良朝時代に歌人の柿本人麻呂が西暦692~700年頃脚色いたしまして、祝詞は美辞麗句に書き換えられたと伝えられています。

しかしながら、先ほど申し上げましたが、これを読んでも何のことかサッパリ分からないというのが実情ですし、神社神道関係者や学者でも、この内容を正確に解釈することが出来る人は日本では一人もいらっしゃらない。全然いらっしゃらないという訳では有りませんが、所謂、神社神道風に解釈はしますが、人類の歴史の根本、政治を予言し、政治の法則を述べている雄大な宏謨であることは何方も解釈いたしておりません。

これから大祓祝詞の話を何回かに分けていたしますが、なかなか難解なのはどういうことかと申しますと、言霊の原理が世の中の常識であった時に、それを踏まえて書いたものですから、現代では言霊の原理が隠されておりましたので、大祓祝詞の意味も分からなくなったのが実状です。

-------------------

大祓祝詞・言霊の原理の復活

今から百年前に明治天皇と皇后さまが始められた言霊の原理の復活運動が、いよいよここに来まして、昔と同じ精密さで復活しましたので、言霊の原理から観た大祓祝詞の説明が出来るようになってきました。

私の先生の小笠原孝次氏が初めて古事記の解釈をした本を書きましたのが昭和44年、今から31年前、古事記解義・言霊百神という本です。その翌年に37頁の冊子「大祓祝詞解義」を出されました。

言霊の学問の総てを投入いたしまして大祓祝詞を解きました。ものすごい名文です、私が今からお話するのはこれを下敷きにしますが、この冊子をコピーして皆さんにお配りすればいいじゃないかってお思いになるかもしれません。

私の先生はあまりに頭が良すぎまして、言霊の原理を既に知っている立場から説いていらっしゃる。当時の会報を出していたのは第三文明会と申しますが、日本でも有数の貧乏の会。

------------------

大祓祝詞・経済大国になった次

ご覧に成ってお分かりになるでしょうが、印刷ではありません。先生がお書きになったものを写真印刷したものです。私もお手伝いした記憶があります。その文章の完璧なこと、人技を離れています。

そのためか知りませんが常時血圧が200を超えた状態でお亡くなりになりました。冊子の末書きには「わら半紙の寄付をお願いします」と必ず書いてありました。わら半紙を買うお金がなかった。

たった37頁に言霊の学問総てを投入して纏めましたから、大祓祝詞の文章も難解、解説している用語もそれ以上に難しい。言霊の学問に精通しておられる方だったら、簡潔明瞭に書いてあると賞賛されるでしょうが、言霊の学問を知らない方にとっては、ますます謎が深まるのではなかろうかと。(小笠原孝次著・大祓祝詞解義PDF版)

そういうことから、私の解釈を以て少しでもご理解いただけるのでないかと。解説の説明をすることになります。37年前に書かれました内容ですが、先生は既に「この敗戦国日本は遠からずして世界の経済大国になるだろうが、それは末端のことであって、経済大国になった次が大変なのだ」と見通されておりました。

-------------------

大祓祝詞・政治の本

先生が今迄「こうなるよ」と言ったことに外れたことがない。世界が危機一髪の時にこの大祓祝詞をただ「分かった」と言っているだけでは何もならない、それじゃこの本でお祓いをすればいいのかって、(笑)、それも何もならない。

それじゃどうしたらいいんだ、人間の心を洞察いたしまして、どうしても動かざるを得ない一番の深みに灯をともす、人類が危機に陥った時の政治の働きがこの大祓祝詞です。政治の要点がズバッと書かれておりますから、政治の本でもあります。

ところが、皆さん政治と聞きますと何を思い出されますか?この三千年間はまず権力の政治です。武力・金力、強権を発動して言うことを聞かなければ、牢屋に閉じ込め、首をちょん切るぞというのが常套手段であります。

そういう政治を祝詞には書かれておりません。何方も安心して「なるほどその通りだな」と感心されるほど合理的に政治の要項が書かれております。では、それがどうして可能になるのか、そこから大祓祝詞の話を始めませんと「へぇー」で終わってしまいます。

---------------

大祓祝詞・歴史の担い手

この間も或る方から「世界はどうなりますか?」と質問されました。私は「どうなりますかね」と答えましたら、「先生は全部ご存知だというからわざわざ伺ったのですから『どうなりますかね』では困ります。」

そこまで言われますとこっちは江戸っ子ですから、それじゃあ言いますが、一つ条件があります。私がこうなりますよと言いましたら、貴方は絶対に信じて私にくっついてくれますか?どんなことがあろうと、関東大震災が十も二十も起こっても私にしがみついて「離れません」とおっしゃるならお答えしますよ。

「そりゃ困る」と困惑されましたので、歴史というのはこうなりますよと言って来るものじゃない。明日になって太陽が出て朝が来ますというのは、言わなくてもそうなります。人間が逆立ちしようが太陽は昇る。

ですが、歴史は自然現象ではございません。人間が「こうなるよ」とやらない限りは成し得ません。歴史を負う立場になられる方にそれを言うことは出来ますが、そうでなければ返って害を及ぼすのではないかと思いますと答えました。

----------------

大祓祝詞・人類のお尻に火が付いた

キョトンとされましたから、あなたを占って差し上げます、あなたは今35歳だとおっしゃった、後50年は寿命がおありでしょう、その時は大金持ちになられていて、しかも二三日の煩いでポコっと死にますと言いましたらどうなさいますか?

そうしますと貴方は明日から働かなくなってしまうかもしれません。そうしましたら「請け合ってくれるならそうなるでしょう」って、何で私が請け負わなければならないのか話の筋がずれてしまいました。

大祓祝詞にも言えることなんです。昔の人が言っていたんですか…で済まない時代になってしまった。人類のお尻に火が付いた、こう書かれているが自分としてどう考えていけば良いのかなの心算を持っていただかないとならない時代です。

学問、知識としてのお話を含めながら、それが個人の気持ちと反映していくかを主文として、先生の大祓祝詞の冊子をご希望の方にはお貸しいたしますが、先生とは違う立場でお話申し上げようと思っております。

-------------------

言霊 大祓祝詞・いくら努力しても行けない所

権力覇道の政治ではなく、昔の神話にあるような聖人の王様の言うことを皆が聞いて和やかな世の中が出来る、全世界60億人(平成13年現在)が、二三人の聖人、または神様と言われるような人に「右向け右」と言われれば右を向いているような単純なものではありません。

そういうのではないのです、これは。人間の心の深奥、現代人の考えも及ばないところに踏み込み総てを掌握した上で、その心のメカニズム、法則に従って、歴史を述べられたところを掴んだ上で、お話申し上げますとお分かりになるかと思います。

人間の心の奥の奥へ掘り下げればどういうことになるか、深奥の領域から世界を観たのがこの大祓の言葉です。これ以上は人間がいくら努力しても行けない所へ行った方の言葉です。その時はどういう心構えでそれを言ったのか。

-------------------------

言霊 大祓祝詞・人間の心の進化

人間の心はオギャーと生まれましてから進化いたします。蝶々は三段階の変態をいたします。卵から幼虫に、それから蛹になる、それから成虫して羽化して空に飛び立つ。蝶々の変態はまったく異なった進化です。

人間は赤ちゃんから年寄りになる迄、外形は成長して大きくはなりますが、外形の変態はいたしません。ところが人間の心の方は目を見張る五段階の進化を遂げます。一段階毎に想像もつかない、人が変わったと思われるくらい進化をいたします。

言霊で申し上げますとウオアエイ五母音の進化です。赤ちゃんは教えられなくとも乳を吸います、お腹が空いたら飯を食べる、本能、性能を授かっています、それは言霊ウ、五官感覚に基づく欲望の段階。

次に成長するにつれ、「綺麗な服を着たい」、「楽をしたい」、「ハンサムな人と一緒になりたい」、「美人な奥さんと結婚したい」、「アパートから一軒家に住みたい」、「一財産を作りたい」、「議員になって国務大臣ぐらいにはなってみたい」、「総理大臣は俺の出番かな」というような欲望の段階。

-------------------

大祓祝詞・心の進化

小さい、大きいの差はございますが、この第一の段階だけが人生の目的だと信じて一生を終える方も多い。ここで満足される方も多いです。言霊ウの社会活動は産業・経済の分野です。仏教では「衆生」と申します。

次の二の段階は言霊オ、これは尾っぽの‘オ’です。過ぎ去ったことを頭の中で再現して現象間の関連性を法則化する性能。これは哲学、物質科学の分野、経験知の段階です。仏教では「声聞」と申します。

次の三の段階は言霊アです、喜怒哀楽の感情、心の発露となる本を全部見通して「分かった」、それが宗教的に申しますと悟りです。ウの段階ではいろいろな障害が出てくる、大臣になりたくとも選挙民が投票してくれなければなれない、他の議員たちの推薦がいる、オの段階では研究知識の葛藤がございます。

ア次元からウオの次元の出来事がどういう消息から起こってくるのか、その根源を観ることが出来る。人間の心の宇宙を見渡すことが出来る。この段階に進化しますと心の自由を得る初地の仏さまになる。仏教では「縁覚」と申します。

-----------------------

大祓祝詞・初地の仏

「空」を悟りと申しますが、総ての現象がそこから起こり、そこへまた還ってくる大本の何にもない宇宙、それを自分の心の中で内観いたします。

ウの商人や経済人からは学者の気持ち、「一生勉強して何してんだ」ということになりますし、オの学者からしたらアの気持ち、「一人でジーッとして何が分かるのか、人生履き違えたんじゃないのか」というように思えます。

次はエの段階、選ぶ、アからウとオを観ましたら、家族や親戚、些細なしがらみでジタバタと悩んでいる、自分の過去もそうだった、一生懸命自分のために努力するんじゃなくて他人のために努力して自分が幸せになったご恩返しをしようじゃないか、仏教で「菩薩」と申します。

大勢の人を救おうと発心します。ところが自分を救うのは比較的容易い。自分が心の自由を得る「空」は十分もあれば、本当に欲したならそれほど難しくはない。後でお話しいたします。

--------------------

大祓祝詞・救世主への道

エの次元(菩薩)は、大勢の人を救おうと発心します。ところが自分を救うということは比較的やさしい、「空」を知るには5年どころか、10分もあれば出来る。その人が本当に欲するならです、そのお話は後でさせていただきます。自分は幸せだからもういい、他の人の不幸せを見てられない、‘ア’~‘エ’に引き上げようとする。

良い先生にお会いして、その人の言う通りになさっていれば、そんなに難しいことではございませんが、何故なら自分のことさえしておればいい。地球上には60億人くらいいるらしいですが、全世界の人々を救うとなると永遠の時間がかかるかもしれない。

阿弥陀如来が仏様になる前の名前が宝蔵菩薩と申しました。仏の教えを聞いて、世界中の一人でも仏にならないと発心する人がいなければ、私は仏にはならないと四十八の願をかけた、無量寿経という経文がございます。

一人の人間が超人努力しても、どんな宗教をしても普く人々を救うとなると気の遠くなる歳月を要する、それは大変なことです。

----------------

--

大祓祝詞・行ける道が厳然と二つある

中国の高僧、寒山の漢詩を引用しますと「天台山にキ樹(鳥居=五十音図)あり、その宝の木によじ上ろうと何度も試みたけれど、一生かかったけれど上れなかった。どうしてもよじ上ることができない、何もすることができず、白髪交じる人生の暮れが来てしまった。」

釈迦以来の釈迦と言われた高僧の寒山だったからこそ、この嘆きがある。自分が幸せで満足した人であれば、そんなことは感ぜずに一生を終えます。人を助けその向こうにお釈迦様がその功徳によって「お前はそのうちに成仏できるよ」と約束したと経文には書かれている。

教えがついに分からなかったならば、56億7千万年待って弥勒となす、そういうお経がございます。その菩薩に聞けば分かるよ、それは太陽が出来て現在までの年数。ということは諦めなさいということです。

お釈迦様が「行けるよ」と言ったことを信じるのは信仰、行ける道が厳然と二つあって、一つは自分の因果を悟って遠い将来かもしれないが仏の位に行くことができるであろうと一生懸命励むのは因位の菩薩といいます。もう一つは既に仏となった者が修行済度の菩薩の姿になって現れてきた果位の菩薩。観世音菩薩、整地菩薩、普賢菩薩などがそれに当たりますが、では仏教ではその菩薩になるにはどうしたらいいのかは教えておりません。

菩薩がどういうことをしたのかは書いてございますが、行く道は説かれておりません。その道は一つしか人類に許されていないからです。それは言霊五十音による禊祓の道。それを自分の心の中に照らして人間にはそういうことが有り得るんだな、本具として授かっているんだな、それ等を自覚して一つ一つ確かめればいいだけです。

----------------------------

大祓祝詞・日本語を知らなければ行けない

ただそれだけのことなんですが、たった一つの道を行くには日本語しか通用しない。そんな馬鹿なことがあるかって、何故なら禊祓の方法はアイウエオ五十音一音一音を心の中に確かめていく道だからです。

アの次元へ行くには日本語を話さずとも、知らずとも行けます。ですが、エの次元に行くには日本語を知らなければ行けません。日本語とはそういう内容を持った言葉なのです。

言霊の原理から作られた日本語を日常で使っていて国であり民族ですから、この国のことを「霊の本」、霊というのは原理を指します。こればかりはどうしようもない。他の言語では雲を掴むような分からない道なのです。

次のイ次元はオギャアと生まれた生命が人類の歴史を創り出して行く、万人が明日を創造していく。その創造意志の法則が言霊の原理、それ以外は存在しない次元。五十音は真邇(マニ)と申します。真実であることに一番近いから真邇です。

-------------------------------

大祓祝詞・唱えただけでは何も起こらない、知ったところで何もならない

どんなに頭の良い人でも、人間である以上、五十音しか自覚できません。その言霊の原理に則って書き上げられ、制定されたのが大祓祝詞ということです。イの次元から世界を観て、こういう状況だからこうなっているよ、その次にはこうなるよ、最後にはこういうことが起こると新しい世の中が出来上がりますよ、三千七百年前に予言されている。

人間の生命の総てを知り尽くした上で書かれました祝詞ですから、これしか人間の生きる道はないということを説いております。ただし日本では二千年前に言霊の原理が完全に隠されまして伊勢神宮の天照大神という信仰の形で奉られましたから、その真相が国民から忘れ去られてしまいました。

足下の日本人でさえ忘れてしまった至る現在、宮中では訳も分からず二千年間唱え続けられてきた大祓祝詞。ですから唱えただけでは何も起こらない。六月と十二月の二回だけでなく毎月唱えたところで、毎日唱えても絵に描いた餅。

ですが、知らなかったら実行も出来ないけれど、知ったところで何もならない。何故なら生命意志なのですから、人間が‘イ’次元まで進化させて、それから実行すれば世の中はたちどころに変わります。

ここまでいくと神様になってしまうのか、そうではなくて、神様というのはなくなってしまう。人間が本当の人間になれば。人間の分際はハッキリ分かっている、無限の可能性なんてものは大嘘。人間は五十音でしか生きられない、無限という言葉は有りません。言葉はあったとしても実際が伴わない。無限の中に何があるのか、五十音の言霊しかございません。

---------------------------------

大祓祝詞・序文の削除

先月は大祓祝詞のどういう見地から書かれたかをお話申し上げましたが、中身の説明に入らせていただきます。序文の処を読みます。

六月(みなつき)晦(つもごり)大祓(おおはらへ)

十二月(しはす)之(これ)に准(なぞら)ふ

集(うご)侍(な)はれる、親王(みこ)、諸王(おほきみ)、諸臣(まえつきみ)、百官人達(もものつかさびと)諸聞召せと宜る。天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕へ奉る、比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂(か)くる伴男(とものを)、靱(ゆき)負ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十伴男を始めて、官(つかさ)々に仕へ奉る人達の、過ち犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪を、今年の六月晦の大祓に、祓ひ清め給ふ事を、諸聞召せと宣る。

大祓祝詞の話をそのまま申し上げようとしましたが、言霊の会の会員の方が今、神社本庁で出している大祓祝詞をお持ち下さいました。それで昔から唱えられている大祓祝詞と現在の大祓祝詞を比べて最初に気が付きましたのは、今読み上げました序文にあたる文章が全く削除されてしまっております。

--------------------------------

大祓祝詞・神前の逆位置

現在は次に出て参ります「高天原に神留ります、皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以ちて~」の処から始まります。神社で挙げる祝詞と違っておりますから、序文から違ってまいりますので「変だな」と思われるでしょうから少し説明させていただきます。

言霊の原理を自覚しそれを保持している天津日嗣天皇といわれるスメラミコトの先祖の集団が大昔に他所から日本列島へやって来まして、その時の国土の状況を第一に書かれました。

次にどうやってスメラミコトの持っている言霊の原理の通りにこの国を開発し、国を肇めたか、という国家を建設する方針を述べています。

次にその方針に則って歴史が創られていきますが、その途上で国中の人々に過ちが起こって来た、その過ちはどういう罪穢れがあるのかの説明。

次に世界中が積もりに積もった罪穢れのために、どうにもこうにもならなくなった時に、最後の手段としてどういうようにすれば、昔のように豊かで平和な世界にすることが出来るかの罪穢れを徹底的に祓う方法を述べています。

最終の章では、それが成功した暁に世界はどういう政治を行うようになるかが述べられています。

--------------------------------

大祓祝詞・神は拝む対象となった

序文の他に五つの章がございます。その五つの章に倣って昔の大祓は大体三千年間、宮中において天皇が政を行うに当たり、このような方針で治めて行くのだぞということを六月と十二月の晦の年二回、宮中に仕える総ての人たちを集めて天皇の詔として、国民に対して年に二度繰り返し々々々々宣言いたしました。

昔は一番奥に天皇がいらして、北を背に南を前にしてスメラミコトがお座りになる。その前に大中臣、今で言う総理大臣が、スメラミコトを背にして前にいる文武百官の方を向いてその宣言をいたします。

ところが今から二千年前、第十代崇神天皇の時に言霊の原理であります布斗麻邇をいわゆる伊勢神宮の神様として信仰の対象にして世の中から隠してしまいます。「人間とは何ぞや」を明らかにした学問を、言霊の原理を実行するのを止めると同時にそれを拝む対象の「神」として伊勢神宮にお祀りしてしまいました。

その天皇のおくり名を崇神天皇と申します、神と崇める天皇。政治的に大きな意味を持ちますが、言霊だけで捉えますと懐に隠してしまった、良いとか悪いとかを別にして新しい世の中に変えてしまいました。

--------------------------------

大祓祝詞・神とは何を指しているのか

この言霊の原理に関しまして、全然違う世の中を創ったおくり名に「神」が付く天皇が三人いらっしゃいます。神武天皇がまずそういう世の中にするよと大宣言をいたしました方針を決めた天皇。次に実際隠してしまった第十代崇神天皇。政治に限り文明創造に関しては外国から輸入する方針を打ち出したのが第十五代の応神天皇です。

日本は神の国であるというくらいですが、百二十五代続いた天皇家には「神」が付く天皇はその三人だけです。「神」は何を指しているのか、日本の歴史を占うための需要な要素になります。

何故かというと古来の日本には「神」に対して頭を下げる風習はこれっぽっちもなかった。神様というのは自分だということを誰もが知っていた社会でした。第十代崇神天皇が言霊の原理を隠してしまいましたので、世の中が180度回転した価値観になりましたので、天皇が宣る宣言は神様の前でどうしたらいいのか、結局のところ古神道言霊学が世の中の裏に隠れましたので神社神道が興りました。

神社神道というものは大和民族にはございませんでしたので、どういう形式で神を祀るのか、外来の儒教、仏教の形式を取り入れて神主が祭壇に向かって祝詞を挙げるようになりました。

-------------------------------

大祓祝詞・形だけの猿芝居

となると天皇の言葉として宣言しておりましたのが、今度は神が宣言することになり、序文を削除した理由です。言葉を換えますと「ええぃ、面倒くさい、ここを切ってしまおう」ということになり、二千年前に政の方針が180度の転換をしたということだけご承知下さいませ、ということで今の宮中で六月と十二月の末に唱える大祓祝詞の形になりました。

その時にいろいろ形式を定めたようです。私がのこのこ出て行って大晦日に大祓祝詞を唱えている宮中を見たわけではございません。

私の先生が書いた文章を読み上げますので参考になさって下さいませ。大祓祝詞の意味が分かりますと宮中でどういうことをしているか、形だけの猿芝居をやっておられるのです。

でもご苦労なことです、意味が全然わからないのにやるのですが猿芝居であっても時が来ればその格好が本当の意味を知る縁(よすが)になる。実際に見ればこの箇所はこういう象っているのだなということで作られているとは思います。

---------------------------------

民間にない言葉

小笠原先生の文章を読みます。

大祓の儀式については大宝令の神祇令(じんいれい)に「凡そ六月、十二月晦日の大祓は東西(大和、河内)の文部祓刀(あやべはらいがたな)を奉り、祓詞(はらいことば)を読む、百官男女(もものつかさおのこおみな)を祓所に聚集し、中臣祓詞を宣り、卜部解除(うらべはらえ)を為す」とある。延喜式によるとこの時「御麻」「荒世(あらよ)、和世(にごよ)」「壺」等の「御贖(みあか)」の儀が行われ、その時宜陽殿の南頭にて奏せられる宣命が即ち大祓祝詞である。

以上のような言葉の資料を持ち合わせておらず、一つ一つの言葉だけでも民間にない言葉ですから分からないと思います。「荒世、和世、壺、御贖」等分からない言葉が並びましたが、私が調べましたところだけお話しようと思います。

大宝律令が政府から発布されます。‘律’とは罪人を裁く法律、‘令’とは政治の制度について述べられた法律。延喜式は律令が世の中の法律として行う時代々々によって事情が変わる補足の法律、これを‘格(しゃく)’と言うのだそうです。

「荒世(あらよ)」は水無月の祓いの時に着る目の粗いあらたえの衣、「和世(にごよ)」は水無月と晦日の宮中の儀式の時に天皇の身長を量る竹、または節折に着る絹の衣のこと。「あがもの」は罪をあがなう料として祓いの時に供える。「節折」は節目、水無月と晦日の荒世・和世の竹の枝で天皇、皇后、皇太子の身の丈の寸法を量って行う祓い。

---------------------------------

何故こういう形式の仕草をするのか

何の意味なのかを知ってそのような儀式を見た方、知っている方がいらっしゃるのでしたら、意味を知って見ますとなかなか面白いと思います。室町時代に神主を務める神祓官である公家の日記に宮中の昔からあること、何故こういう形式の仕草をするのかが宮内庁でも分からなくなってしまったと書かれております。

現代の宮内庁で行われている儀式の意味も分からない、そういうことから「猿芝居」と言われる所以でございます。このことの意味がよく分かりますと「なるほどな」とうなずける。そういう儀式であることをお話申し上げました。

次に序文の意味をお話しすることにします。

時間が余りましたら、大祓祝詞とは直接関係ございませんが、現代になりまして言霊の学問が復活してまいりまして、この学問をどうすればマスターできる一番の早道か、私の体験談を交えながらお話できる時間があればと思います。

---------------------------------

----------------------------------