10【言霊キ】 角杙の神(つのぐひのかみ)

10【言霊キ】 角杙の神(つのぐひのかみ)

宇比地邇の神・妹須比智邇の神(父韻チ・イ)に続く角杙の神・妹生杙の神(父韻キ・ミ)の一組・二神は八父韻の中で文字の上では最も理解し易い父韻ではないか、と思われます。角杙の神から解説しましょう。角杙の角とは昆虫の触覚の働きに似た動きを持つ韻と言ったらよいでしょうか。「古事記と言霊」の父韻の項で、この父韻の働きを「心の宇宙の中の過去の経験、または経験知を掻き寄せようとする韻」と説明してあります。目の前に出されたもの、それを「時計だ」と認識します。いとも簡単な認識のように思えます。若し、この人が時計を見たことが一度もない人だとしたらどうなるでしょうか。その人は目の前で如何にその物を動かされたとしても、唯黙って見ているより他ないでしょう。「時計だ」と認識するためには、それを見た人が自分が以前に見た物の中から眼前に出された物に最も似ている物を心の宇宙の中から思い出し、それが時計と呼ばれていた記憶に照らして、「あゝ、これは時計だ」と認識する事となります。人間の頭脳はこの働きを非常な速さでこなす能力が備わっているから出来ることなのです。この様に、心の宇宙の中から必要な記憶を掻き繰って来る原動力、これが父韻キの働きであります。

以上のように説明しますと、「あゝ、父韻キとはそういう働きなんだ」と理解することは出来ます。けれどその父韻が実際に働いた瞬間、自分の心がどんなニュアンスを感じるか(これを直感というのですが)、を心に留めることは出来ません。そこには“自覚”というものが生れません。そこで一つの話を持ち出すことにしましょう。

ある日、会社の中で同じ会社の社員と言葉を交わす機会がありました。日頃から人の良さそうな人だな、と遠くから見ての感じでしたが、言葉を交わしてみると、何となく無作法で、高慢な人だな、という印象を受けました。それ以来、会社の中で会うと、向うから頭を下げて来るのですが、自分からは「嫌な奴」という気持から抜け出られません。顔を合わせた瞬間、「嫌な奴」の感じが頭脳を横切ります。自分には利害関係が全く無い人なのに、どうしてこうも第一印象に執らわれてしまうのだろうか、と反省するのですが、「嫌な奴」という感情を克服することが出来ません。或る日、ふと「そういえば、自分も同じように相手に無作法なのではないか」と思われる言葉を言うことのあるのに気付きました。「なーんだ、自分も同じ穴の狢だったんだ」と思うとおかしくなって笑ってしまいました。「あの人に嫌な奴と思うことがなかったら、今、私に同じ癖があるのに気づかなかったろう。嫌な奴、ではなく、むしろ感謝すべき人なんだ」と気付いたのでした。そんなことに気付いてから、会社でその人にあっても笑顔で挨拶が出来るようになりました。

この日常茶飯に起こる物語は、父韻キについて主として二つの事を教えてくれます。その一つは、人がある経験をし、それが感情性能と結びついてしまいますと、それ以後その人は同様の条件下では条件反射的に同じ心理状態に陥ってしまい、その癖から脱却することが中々難しくなる、ということです。同じ条件下に於ては、反射的に何時も同じ状況にはまってしまうこと、そして反省によってその体験と自分の心理との因果に気付く時、自分の心の深奥に働く父韻キの火花の発動を身に沁みて自覚することが出来ます。因果の柵(しがらみ)のとりことなり、反省も出来ず、一生をその因果のとりことなって暮らすこと、これを輪廻(りんね)と言います。そこに精神的自由はありません。第二の教えが登場します。物語の人は、嫌な奴と思った人と同様の欠点を自分も持っていたことを知って、「嫌な奴」の心がむしろ感謝の心に変わります。因果のとりこであった心が感謝の心を持つことによって、容易に因果から脱却出来ました。この心理の変化を敷衍して考えますと、八父韻全般を理解しようとするには、言霊ウ・オの柵にガンジガラメになっている身から言霊アの自由な境地に進むことが大切だ、という事に気付くこととなります。言霊父韻とは正しく心の宇宙の深奥の生命の活動なのですから。