古事記の冒頭=心の構造

古事記の冒頭の構造とはこころの構造のことです。

色々な学問思想宗教が心とは何かに我を誇り主張していますが、ここでは古事記そのものを心の意識構造になっているものとします。

意識はどのように造られどのような構造になっているのかは、古事記ここにありというだけですが、現代語では解けない謎々となってしまっているため解説が必要となります。

一言で古事記の構造=心・意識の構造を言うと、≪天地≫ということです。これはテンチとは読まず、アメツチと読みます。漢語読みにせず大和の日本語で読みます。

心・意識は、冒頭の初めの言葉、天地を『あ、め、つ、ち』と読むことから謎が解け始めてきます。「てんち」と読んでしまう天と地や全世界を指すだけで、それを指した心の意識は不特定で勝手気ままなものとなってしまいます。

あめつち とは、

吾()の

眼()を

付()けて

智()となすこと で、

それが取りも直さずその人の天地世界です。

吾(あ)とはあたし・わたしのこと

吾の眼とは私の見る眼、私の心・意識

その私の意識を相手対象に向けて、付けて

相手対象から得られものを実践智識として

私の意識・心と成し、それが私に戻り吾の眼となり、

私、吾の世界天地となります。

このア・メ・ツ・チの循環を示したのが古事記の冒頭です。

古事記は百の神様の名を借りて意識の最初の一順目を示したものなのです。別の言葉で言えば、今という瞬間を百の神名でもって解明したものです。

吾の眼を自分で確認するのはそれこそ瞬時のことで、イマココの瞬間を百の神名でもって百の過程、実体、時間の流れ、次元の違い、要するに百の構造で示しました。ですので、百の神がいるというのではなく、百を以て終わったときに初めの一が、初めの一番目の神の説明が、百神を以て終了するという関係です。これを言霊循環といいます。

従って古事記で言うような個々の神様はいないし、古事記は神話でもなく、八百万のアニミズムを示したものでもありません。

未だに世界で誰も成し得ていない、心とは何かどう働くかの原理を解明した人類の至宝なのです。しかし千三百年前に書かれた古事記が、つまり太安万侶や当時の官僚や出来上がりを了解したスメラミコトと皇族が、それを成したのではありません。

心の構造は既に一万年前には完成していました。大和の日本語の体系が心の構造通りに構築されていたからです。(歴史編で扱います。)

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構造の取り方

構造は要素の取り方で様々な見方になってしまいます。一旦要素の取り方が決まると通常はそれそれに凝り固まるため、それぞれ個別の成果として主張されていきます。実体的な見方であったり、働きによる見方であったり、時間経過であったり、素材であったり、組まれ方であったり、可能性と現象であったり、等々と構造の取り扱いは多様です。

しかし心は自由自在ですから、構造とかで縛られることもありません。こうした変幻自在な心を文章にすることはできません。心は何時何処で何がどのように出てくるかは不定ですから、それを起承転結にまとめることができません。そこで構造と称する適当に選択されたお気に入りから始めることになってしまいます。

ところが、この手本となる原理構造を示したものが古事記の冒頭の百神です。

その特徴は初めの一句、冒頭の「天地」を『ア・メ・ツ・チ』と読み、吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)と成したものと読み替えるところから始まります。

それの何が特徴かというと、構造に値する特徴がないというところから始まっていることです。

吾(私)の眼の付けどころはあるが、どのようなものかに成るかは決まっていない何だかまだ分からないところから始めます。

構造を考えるのに現象となっているものから始めると混乱を引き継ぐことになります。例えば、固体は死ぬが類としては永続する等とすると、固体というものと類というものの実体から始めてしまいますから、聖徳太子や織田信長は個としては死んでも、毎年永遠不滅に生き返っているではありませんか、類として信長が生きるとはなんですかと言われます。

構造は体を形成していますから説明するべき体を体で語ることはできません。できるのは導き出される命題のつまみ食いです。

構造を説明するのに構造をもってしてはできませんが、唯一可能なのは説明される構造を完璧な先天構造の元で、構造の生成に沿って構造的に語ることです。

この一見矛盾した過程を可能にするのが、古事記の冒頭の言霊原理となっている百神です。その内初めの十七神が精神意識の原理中の原理たる天津イハサカと呼ばれるものです。

イハサカ(五葉性)と呼ばれる通り、精神意識を五つの言霊要素の性質の違いに分けたものです。

ですので全ての構造要素はここから出てきます。

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島生みとは意識の領域(島・締まり)を生むこと

心はころころ動き変化するものですから、心の全体構造とは何かとなかなか言いにくいものです。それでも心の全体構造が動いてその時その時の心になるとすると、その時の心の全体構造があり、その心の先天構造がその時の心の現れとなるといえます。古事記はそのことを島生みで示しています。

島とは心の締り領域(シマ)のことです。

古事記によると島の数は十四、この十四が心の全体です。謎の言葉で示される場合は豊(トヨ・十四)があり、日本国の古名にある豊秋津島のトヨで、日本民族は心の要素全体を用いて豊に話すことができる民族ということです。

十四の各心の締まりが計百の神によって古事記の冒頭で説明されているということになります。

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