[運用 23]の下  黄泉の国

黄泉の国

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

伊耶那岐の命が自身の精神領域である高天原から外へ出て行き、黄泉国(よみのくに)(黄泉国・予母津国(よもつくに)などとも書きます)という他の領域を初体験するという「黄泉国」の章と、これに続く「禊祓」の章にて古事記神話はクライマックスを迎えることとなります。この章を迎えるまでに、「古事記と言霊」講座は十四回開かれた事となります。毎月一回、十四ヶ月にわたる講話でありますので、それを文章でお読み下さる方には、ともすると古事記神話が始めから終りまで筋道が一貫している言霊布斗麻邇の学問の話なのであるという事をお忘れになるのではないか、という心配が御座います。そこで古事記神話のクライマックスに入る前に、今までの十四回の講座を簡単に振返ってみることとします。

古事記は初めに「天地の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、……」と書き出されます。この「天地の初発の時」とは、私たちが客体として見る天と地、宇宙空間のことではなく、これら対象を見る主体である私達の心のことを言っているのだ、という事を申しました。外観として見る宇宙がただ一つであると同様に、それを見る心の広がり(宇宙)もただ一つなのだ、という事も説明しました。そしてその心の宇宙の中に天之御中主の神を始めとして豊雲野(とよくもの)の神まで、言霊母音・半母音の宇宙、ウアワオエヲヱを示す七神が成り出でます。次に宇比地邇(うひぢに)の神より妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)の神まで、母音と半母音宇宙を結んで現象子音を生み出す人間智性の根本性能である言霊父韻チイキミシリヒニを示す八神が現われます。次に母音・半母音でありながら、上述の母音七音、父韻八音計十五音を総合・統轄する二神、伊耶那岐の神・伊耶那美の神、言霊親音イ・ヰが現われます。以上合計十七神、十七言霊が「天地の初発の時」と言われる人間の心の先天構造(意識で捉えることの出来ない人間精神の先験部分)を構成する精神要素の事であります。これ等十七神が登場する文章には何らの物語的な叙述はありません。何故なら、十七神は先天構造を構成する言霊の存在を示すもので、この世に生れて来る人間なら誰しもが生まれながらに授かっている精神要素であり、この要素の働きによって天地間の現象のすべてが生れますが、その十七要素自体は人間という種が存する限り、永遠に変わることのない人間の根本の精神構造でありまして、「何故そうなっているか」の思惟が通用し得ない領域の存在と性能であるからです。言い換えますと、人はこれに関して「そうか」と肯定し、覚えるより他には対応の出来ぬものなのだ、という事であります。

次にこれら先天構造の十七神・十七言霊が活動を始め、その代表である伊耶那岐、伊耶那美の命が先天構造から後天現象の世界である淤能碁呂島(おのころじま)(自れの心の島)に下り立って、後天現象の究極要素である言霊子音を示す三十二の神々(大事忍男(おほことおしを)の神・言霊タより大宜都比売の神(おほげつひめ)・言霊コまで)を生みます。

次に伊耶那岐・美の二神は先天十七、後天三十二の合計四十九音の言霊を粘土板上に書き、彫り刻んで神代表音文字・言霊ンを示す火の迦具土(ほのかぐつち)の神を生みます。此処で夫神伊耶那岐の神と協同で三十三の子音言霊を生み終えた伊耶那美の神は子種が無くなり、高天原の仕事を成し遂げましたので、本来の領域である客観世界の文明創造の主宰神となって黄泉国(よもつくに)に去って行きます。

主体世界の責任者である伊耶那岐の命は、一人で言霊五十音の整理・活用法の検討に入ります。そして先ず最初の整理(金山毘古(かなやまひこ)の神より和久産巣日(わくむすび)の神までの操作の方法)によって最も初歩的な五十音整理の音図である和久産巣日の神を手に入れます。この音図は人間が生れながらに授かっている心の構成図である天津菅麻(すがそ)音図であります。

更に伊耶那岐の命(神)は右の菅麻音図を土台として整理・活用法の検討を進め、表音文字の五十音表(迦具土の神)の頚(くび)を十拳の剣で斬り、斬った十拳の剣である主体側の心の構造を検討・確認する作業(石柝(いはさく)の神より桶速日の神まで)によって人類文明創造のための最も理想の精神構造図を示す建御雷(たけみかづち)の男(を)の神を手にいたします。人間が自己の主体内に自覚した最高の精神原理の事であります。

伊耶那岐の命は更にこの主体内に自覚された建御雷の男の神という言霊原理を数霊(かずたま)によって運用する二つの方法、闇淤加美(くらおかみ)の神、闇御津羽(くらみつは)の神の手法も確立することが出来ました。建御雷の男の神という言霊原理をこの二つの手法を以って運用するならば、物事の実相の把握と、その把握した法則を掟として、制度として実践・活用し得る事を自覚したのであります。ここに於て、五十音言霊の原理の把握とその実践・活用の方法は、少なくとも人間精神の主体的真理としては確立された事となります。

更に伊耶那岐の命は、迦具土の神という五十音図表の検討に於て、神代表音文字を作成する八種類の方法(八山津見の神)をも発見することが出来ました。この様に五十音言霊図を縦横に分析・総合して、自由に文明を創造して行く判断力(十拳の剣)に天の尾羽張の名を附けたのであります。

以上、過去十四回の「古事記と言霊」講座によって明らかにされました言霊の学問の概要であります。古事記神話に基づく言霊学の話は、此処で大きく転回し、これまでに確立された主体内真理としての言霊原理が、広く世界の人類文明創造の真理として通用するか、否か、の実験・検討という古事記神話のドラマのクライマックスに突入して行く事となります。この大きな実験とその探究によってアイエオウ五十音言霊布斗麻邇の原理が世界人類の文明創造の原器として、またその任に当る天津日嗣スメラミコトの体得すべき大原理として確立し、今に伝わる三種の神器の根本内容の学問として人間精神の自覚に確立される事となります。この自覚に立った伊耶那岐の命は、この主体内の真理が人類文明の中の如何なる文化内容をも摂取して誤りなく歴史創造の糧として生かす事が出来るか、言い換えますと、自己主観内の真理を客観世界に運用しても誤りのない、主観と同時に客観的真理として通用し得るか、の検討の作業に入って行く事となります。以下、古事記の文章の順に従って説明してまいります。

ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。

文章をそのまま解釈しますと「伊耶那岐の命は、先に高天原の仕事を終え、本来の自らの領域である客観世界の国である黄泉国(よもつくに)に去って行った伊耶那美の命に会いたいと思い、高天原から黄泉国に伊耶那美の命を追って出て行きました」という事になります。けれど事の内容はそう簡単なものではありません。伊耶那岐・美の二神は共同で言霊子音を生み、生み終えた伊耶那美の命は客観的文明世界建設のため黄泉国に去って行きます。伊耶那岐の命は唯一人で五十音言霊の整理・運用の方法を検討し、終に自らの主観内に於てではありますが、人類文明創造の最高原理である建御雷の男の神という精神構造を発見・自覚することが出来ました。さてここで、伊耶那岐の命は自分の主観の中に自覚した創造原理を客観世界の文化に適用して、誤りなくその文化を人類文明に摂取し、創造の糧として生かす事が出来るか、を確認しなければなりません。その事によってのみ建御雷の男の神という主観内真理が、主観内真理であると同時に客観的真理でもある事が證明されます。以上の意図を以て岐の命は黄泉国に美の命を追って出て行く事となります。

この文章に黄泉国(よみのくに、よもつくに)の言葉が出て来ました。古事記の中にも上記の二つの読み方が出て来ます。特にその欄外の訳注に「地下にありとされる空想上の世界」(角川書店)とか、「地下にある死者の住む国で穢れた所とされている」(岩波書店)と書かれています。また「黄泉の文字は漢文からくる」ともあります。すべては古事記神話の真意を知らない人の誤った解釈であります。黄泉(こうせん)の言葉は仏教の死後の国の事で、古神道布斗麻邇が隠没した後に、仏教の影響でその様な解釈になったものと思われます。また「よもつくに」を予母都国、または四方津国と書くこともあります。予母都国と書けば予(あらかじ)めの母なる都の国と読めます。人類一切の諸文化は日本以外の国で起り、その諸文化を摂取して、言霊原理の鏡に照し合わせて人類全体の文明として取り入れ、所を得しめるのが昔の高天原日本の使命でありました。四方津国と書けば、その日本から四方に広がっている外国という事となります。また外国は人類文明に摂取される前の、予めなる文化の生れる母なる都、という訳であります。

ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、

縢戸をくみど、とざしど、さしどなどとの読み方があります。また殿の騰戸とする写本もあります。この場合はあげど、あがりどと読むこととなります。縢戸と読めば閉った戸の意であり、高天原と黄泉国とを隔てる戸の意となります。騰戸と読めば、風呂に入り、終って上って来る時に浴びる湯を「上り湯」という事から、別の意味が出て来ます。

殿とは「との」または「あらか」とも読みます。御殿(みあらか)または神殿の事で、言霊学から言えば五十音図表を示します。五十音図では向って右の母音から事は始まり、八つの父韻を経て、最左側の半母音で結論となります。すると、事が「上る」というのは半母音に於てという事となり、騰戸(あがりど)とは五十音図の半母音よりという事と解釈されます。高天原より客体である黄泉に出て行くには、半母音ワ行より、という事が出来ます。騰戸(あがりど)と読むのが適当という事となりましょう。

伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。

伊耶那岐の命は伊耶那美の命に語りかけました。「愛する妻神よ、私と貴方が力を合わせて作って来た国がまだ作りおえたわけではありません。これからも一緒に仕事をするために帰って来てはくれませんか。」岐美の二命は共同で言霊子音を生み、次に岐の命は一人で五十音言霊の整理・運用法を検討し、建御雷の男の神という文明創造の主観原理を確認しました。この主観内原理が客観的にも真理である事が確認された暁には、また岐美二神は力を合わせて人類文明を創造して行く事が出来る筈です。ですから帰ってきて下さい、という訳であります。

ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と 論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、

伊耶那美の命は答えました。「残念な事です。お別れして直ぐに尋ねて来て下さいませんでした。その間に私は自分の責任領域である外国の客観世界の学問や言葉を覚えてしまいました。けれど愛する貴方様がわざわざ来て下さった事は恐れ多い事ではあります。ですから帰ることにしましょう。しかし、その前に外国の学問や文字の神々と将来の事を相談しなければなりません。その間私の姿を見ないで下さいね」と。黄泉国の学問・文化はまだその頃は研究が始まったばかりで、はっきりした成果があがっていない事を伊耶那美の命は恥ずかしく思い、姿を見ないで下さい、と言ったのであります。

かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

そう言って伊耶那美の命はその責任領域である客観世界に還って行きましたが中々出て来ません。伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れてしまいました。客観的物質文明はこの揺籃時代より今日まで、その建設に四・五千年を要した事を考えますと、岐の命が待ち草臥れた、という事も頷かれます。

かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、

髻(みづら)とは古代の男の髪の形の一種で、頭髪を左右に分けて耳の辺りで輪にします。湯津爪櫛とは前出の湯津石村と同じで、湯津とは五百箇(いはつ)の意であります。五数を基調とした百箇の意。爪櫛(つまぐし)とは髪(かみ)(神・五十音言霊)を櫛(くし)けずる道具です。五十音図は櫛の形をしています。そこで湯津爪櫛の全体で五十音言霊図の意となります。男柱とは櫛を言霊図に喩えた時の向って一番右側の五母音の並び、言霊アオウエイの事であります。その一箇(ひとつ)ですから五つの母音の中の一つの事を指します。妻神伊耶那美の命恋(こい)し、と思う心なら言霊アであり、黄泉国の様子に好奇心を持ってなら言霊オとなりましょう。その一つの心でもって黄泉国の中に入って行って、その国の客観的世界の有様をのぞき見たのであります。

蛆たかれころろぎて、

伊耶那岐の命が黄泉国の中をのぞいて見ると、伊耶那美の命の身体には蛆(うじ)が沢山たかっていた、という事です。蛆(うじ)とは言霊ウの字の事を指します。言霊ウの性能である人間の五官感覚に基づく欲望の所産である種々の文化の事を謂います。この頃の客観世界の物質文化はまだそれ程発達しておらず、高天原の精神文化程整然としたものではなかったのです。その雑多の物質科学の研究の自己主張が伊耶那美の命にたかり附いて、音をたてていた、という事であります。「ころろきて」とは辞書に「喉(のど)がコロコロと鳴る様」とあります。

頭(かしら)には 大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。

雷神(いかづちかみ)とは、五十神である五十音言霊を粘土板に刻んで素焼にしたもの、と前に説明した事がありましたが、ここに出る雷神は八種の神代表音文字である山津見の神のことではなく、黄泉国外国の種々雑多な言葉・文字の事であります。高天原から黄泉国に来て暫く日が経ちましたので、伊耶那美の命の心身には外国の物の考え方、言葉や文字の文化が浸みこんでしまって、そのそれぞれの統制のない自己主張の声が轟(とどろ)き渡っていた、という事であります。ここに出ます黒雷より伏雷までの八雷神は黄泉国の言葉と文字の作成の方法のことで、言霊百神の数には入りません。

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。

先月号にて解説しました古事記の文章「ここにその妹伊耶那美の命を相見ましくおもほして、黄泉国に追ひ往でましき。……」より、今取り上げました「出雲の国の伊織夜坂といふ」までが、伊耶那岐の命が自らの主体内真理の自覚である建御雷の男の神という精神構造を、主体であると同時に客体的にも真理である事を證明するために、高天原から黄泉国に出て行き、其処で伊耶那美の命の主宰する黄泉国の整理されていない諸文化を体験し、その騒々しさに驚いて高天原に逃げ帰るまでの話であります。

以上の高天原の精神文明と黄泉国の物質文明との関係、伊耶那岐の命と伊耶那美の命との交渉という経緯を、古事記は物語的に「黄泉国」と題して叙述し、次にその経緯を純粋に言霊学による検討として「禊祓」と題して原理的に解明し、それによってアイエオウの言霊五十音布斗麻邇の学問の総結論を導き出して行くのであります。この作業によって人間の心の全構造とその運用法の全体が残る処なく解明され、三種の神器の学問体系が確立されます。以上順を追って解説して参ります。

ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、

伊耶那美の命の身体に「蛆たかれころろぎて」という、黄泉国の国中に物質文化の発明の主張が我先に自己主張している乱雑さに驚いて、伊耶那岐の命は高天原に逃げ帰ろうとしました。ただ単に逃げ帰るのではなく、黄泉国での体験を基にして、如何にしたらその文化を高天原の建御雷の男の神という精神内原理で吸収し、世界人類の文明として生かして行く事が出来るか、を思考しながら帰って行ったのであります。主体内原理を適用して、それが客体的にも通用する絶対の真理となる為の検討をしながら帰還の道を急いだのです。

その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。

「我をな視たまひそ」と言って伊耶那美の命は黄泉国の殿内に入りました。けれど伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れて中を覗(のぞ)いて見てしまいましたので、伊耶那美の命は怒って「私に辱(はじ)をかかせましたね」と言って、黄泉醜女(しこめ)に後を追わせたのであります。醜女とは醜(みにく)い女、また女とは男の言葉に対して女は文字を表わします。黄泉醜女で黄泉国の合理的とは言えない文字の原理を意味します。美の命は黄泉国の文字の文化で岐の命を誘惑しようとした訳であります。

ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。

縵(かづら)は鬘(かづら)とも書き、鬘(かつら)とは書き連ねるの意であり、また頭にかぶせる事から、五十音図の上段であるア段の横の列の事を指します。黒御縵の黒は白に対する色で、白は陽で、主体側の父韻タカサハを表わし、黒は陰で、客体側のヤマラナの事となります。主体側は問いかけ、客体側はその問に答える事でありますから、黒御縵全体で、五十音図の上段の客体側の列のこと、即ち物事や現象を精神である主体から見た時の結論という事となります。伊耶那岐の命は黄泉醜女の誘惑に対して、精神から物事を見た時の結論を投げ与えてやった、という訳であります。すると蒲子(えびかづら)が生(は)えた、といいます。蒲子(えぴかづら)とはエ(智恵)の霊(ひ)(言霊)を書き連ねたもの、の意であります。現象を観察・研究するのに有用な精神原理の事であります。尚、蒲子とは山葡萄(やまぶどう)の事です。

こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。

「これはよい物がある」と、黄泉醜女が拾って自分のものにしようとしている間に伊耶那岐の命は高天原への帰還の道を急ぎました。醜女は尚追って来ましたので、岐の命は右の御髻(みみづら)に刺した湯津爪櫛を投げ棄(す)てましたところ、筍(たけのこ)が生えました。御髻とは以前にも出ましたが、頭髪を左右に分け、耳の所で輪に巻いたものです。顔を五十音言霊図に喩えますと、右の御髻は五十音図の向って左の五半母音の並びとなります。そこに刺している湯津爪櫛と言えば、湯津とは五百箇(いはつ)の意で、五を基調とした百音図のことで、また爪櫛とは髪(かみ)(神・言霊)を櫛(くしけずる)もので、湯津爪櫛全部で五十音言霊の原理となります。左の御髻は五母音であり、主体であり、物事の始めです。反対に右の御髻は五半母音であり、客体であり、物事の終りであり、結果・結論を意味します。そこで右の御髻に刺した湯津爪櫛を投げたという事は、伊耶那岐の命は醜女に言霊原理から見た時の客観世界の現象の結論を投げ与えた、という事になります。すると筍が生えました。笋(たかむな)とは田の神(か)(言霊)によって結(むす)ばれた現象の名という事で言霊より見た物事の現象の原理と同意義となります。筍(たけのこ)と読んでも同様であります。

実際に人類史上、物質科学研究が起こった初期の頃は、精神の原理を物質研究に当てはめた方法が用いられました。今に遺る天文学・幾何学・東洋医学等を見れば了解出来ましょう。また日本の一部で伝えられているカタカムナの学問も同様の事であります。伊耶那岐の命が「右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄てた」という精神原理から見た物質現象の結論を黄泉醜女が取り入れて研究した、と解釈しますと、その消息が理解されます。

こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。

笋を抜いて食べている間に伊耶那岐の命は高天原への道を急ぎました。すると伊耶那美の命は黄泉国の文字を作る八種の原理に千五百の黄泉国の軍隊を加えて伊耶那岐の命を追わせました。八くさの雷神とは黄泉国の言葉を文字に表わす八種類の文字の作成法のことです。千五百の黄泉軍(よもついくさ)とは、先に千五百人の黄泉国の軍隊と書きましたが、それは古事記の文章の直訳で、実際では全く違ったものであります。三千を「みち」即ち道と取りますと、千五百はその半分です。三千の道の中で、その半分は精神の道、残りの半分は物質の現象を研究する道の事となります。また千五百(ちいほ)の五百(いほ)は五数を基調とする百の道理の意でもあります。五数を基調とする道理となりますと、主として東洋の物の考え方が考えられます。例えば、儒教の五行、印度哲学の五大もそうです。としますと、八くさの雷神と千五百の黄泉軍という事は西洋と東洋の物の考え方、即ち高天原日本以外の世界の思想のすべてという事となりましょう。その世界中の物の考え方が伊耶那岐の命を虜(とりこ)にしようとして追いかけて来たというわけであります。

ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、

世界中の客観的現象の研究の考え方が誘惑しようとして追って来ましたので、伊耶那岐の命は十拳の剣を抜いて後向きに振りながら逃げて来ました。十拳の剣とは、前にも出ましたが、物事を十数を基調として分析・総合する天与の判断力の事であります。この判断力を前手(まえで)に振ると、一つの原理から推論の分野を広げて行き「一二三四五……」と次々に関連する現象の法則を発見して行く、所謂哲学でいう演繹的(えんえき)思考の事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手(しりへで)に振ったのですから、その反対に、物事の幾多の現象を観察し、そこに働く法則を見極め、それ等の法則が最終的に如何なる大法則から生み出されて行ったものであるか、演繹法とは逆に「十九八七六五……」と大元の法則に還元して行く、哲学で謂う帰納法の思考のことであります。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振る思考作業によって、黄泉国の客観的に物事を見る種々の文化・主義・主張を観察し、その実相と法則を五十音言霊で示されるどの部分を担当すべき研究であるか、を見定め、それによって黄泉国の文化のそれぞれを人類文明創造のための糧(かて)として生かす事が出来るか、を検討し、その事によって自らの主観内に自覚されている建御雷の男の神という五十音図の原理が、黄泉国の文化全般に適用しても誤りない客観的・絶対的真理であるか、を確認しながら高天原に急いだのであります。

なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、

八くさの雷神と千五百の黄泉軍(いくさ)はなお追って来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に来ました。黄泉比良坂とは、比良は霊顕(ひら)で文字の事で、比良坂の坂とは性(さが)の意です。黄泉比良坂で黄泉国の文字の性質・内容という事となります。その坂本とありますから、黄泉国の文字の根本原理という事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振りて、黄泉国すべての文化を高天原の言霊原理に還元してその夫々を人類文明創造の糧として生かす事が出来るかを検討し、その結果、黄泉国の文字作成の根本法則(坂本)に至りました。という事は、伊耶那岐の命が黄泉国の文化の根元を隅々まで知り尽くし、それを吸収し、揚棄して、人類文明に役立てる事が出来るという自覚に立ち至ったという事を意味するでありましょう。即ち伊耶那岐の命は自らの心の中に自覚した建御雷の男の神の音図構造が、如何なる外国の文化に適用しても誤りない客観的真理であること、そこで主観的真理であると同時に客観的真理でもある絶対的真理である事の證明を確立した事になります。

その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。

高天原日本以外の国々のすべての文化を十拳の剣で分析・総合し、黄泉国の文字の根本原理の内容を悉く知り尽くしました。黄泉国の文化の内容の全部の検討が終り、黄泉比良坂の坂本に到着したという事は、坂本が黄泉国と高天原との境界線になっているという事が出来ます。言い換えますと、此処までが黄泉国、ここから先は高天原となるという地点であります。となりますと、坂本に至ったという事は高天原への入口に到着した事ともなります。先に伊耶那岐の命は妻神を追って高天原より殿の騰戸(あがりど)から黄泉国に出て行きました。騰戸とは高天原の言霊構成図で半母音のワヰヱヲウの事と説明しました。殿の騰戸と言えば、高天原から黄泉国への出口であり、黄泉比良坂の坂本と言えば、黄泉国から高天原への入口という事になります。

黄泉比良坂まで逃げ帰った伊耶那岐の命は、坂本と境をなす高天原の五半母音の列(左図参照)の中のヱヲウの三言霊を手にとって、黄泉軍を撃ったのであります。言霊五十、その運用法五十、計百個の原理を桃(百[も])と言います。その子三つとは半母音ヱヲウの三言霊です。伊耶那岐の命は黄泉国より逃げ帰りながら、十拳の剣を後手に振って、黄泉国の文化の一切を人類文明に吸収処理する方法を確立する事が出来ました。その処理法には主として三つがあります。一つは黄泉国の五官感覚に基づく欲望性能より現出する産業・経済活動を処理する方策の結論である言霊ウ、次に経験知よりの主張を処理する結論である言霊ヲ、また、その次の総合運用法の処理法である言霊ヱの三つを「桃の子(み)三つ」と呼びます。この三つを持って八くさの雷神と千五百の黄泉軍を撃ちますと、「我々黄泉国の文化の客観的研究法からでは到底これ等の処理法を手にすることは不可能だ」と恐れ入って逃げ帰ってしまったのであります。

ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。

伊耶那岐の命は桃の実に申しました。「お前が私を助けたように、この日本の国に住むすべての人々が、困難な場面に陥って苦しい目にあう時には、助けてやって呉れよ」と言って意富加牟豆美の命という名を授けました。意富加牟豆美とは大いなる(意富[おほ])神(加牟[かむ])の御稜威[みいづ](豆美[づみ])の意であります。御稜威とは権威とか力とかいう意味です。

余談を申しますと、梅若の狂言にある「桃太郎」では、仕手[しで](主役)の桃太郎は自らを意富加牟豆美の命と名乗ります。おとぎ話の桃太郎は川に流れてきた桃の実から生まれ、お爺さんとお婆さん(伊耶那岐の命・伊耶那美の命)が育てる。桃とは言霊百神の事であり、百神の原理より生まれた太郎(長男)と言えば、三貴子(みはしらのうづみこ)天照大神、月読命、須佐之男命の一番上の子、即ち天照大神のこととなります。古事記神話の桃の子三つとは五十音言霊図の一番終わりの列(五半母音)の結論を表わします。そのヱヲウの三音が桃の子(み)三つという事になりますから、意富加牟豆美の命と天照大神とは同じ内容であることが分ります。

最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。

黄泉国の言葉から作成する八種の文字原理全部と高天原以外の外国の文化すべてが、伊耶那岐の命が手にした桃の子三つの真理には遠く及ばない事を知って引き返してしまいましたので、黄泉国には高天原の言霊原理に太刀打ちする事が出来るものは一つもなくなりましたので、黄泉国の文明創造の責任者・主宰者である伊耶那美の命自身が自ら伊耶那岐の命を追いかけて来ました。いよいよ高天原と黄泉国の両総覧者が向い合って力比べをする事となります。

ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、

ここまでは黄泉国、これから先は高天原という境界線が黄泉比良坂です。その高天原と黄泉国との境界線に千引の石を、越す事ができないものとして据え置いて、その千引の石を中にして伊耶那岐の命と伊耶那美の命とは各自向き合って立ち、言葉の戸(事戸)を境界線に沿って張りめぐらす時に、の意味となります。事戸を度す事を日本書紀では「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)と書いております。即ち夫婦の離婚の宣言という事になります。事戸または言戸を夫婦の中に置きわたす事とは、夫と妻とが双方の関係を絶って(事戸)、今まで共通していた言葉に戸を立て、話が通じなくなってしまう事も同様に夫婦離婚という意味と受取られます。高天原を構成する言霊五十音を伊耶那岐・美の二神は協力して生んで来ました。それなのに今になって離婚する事態に立ち至ったのは如何なる訳でありましょうか。

先ず千引(ちびき)の石(いは)の解釈から始めます。千引の石の千引とは道引き、または血引きと考えられます。石(いは)は五十葉(いは)で五十音言霊の事です。字引きとは字の意味・内容を示す書の事です。千引を道(ち)引きととれば、道である物事の道理・原理である五十音となります。千引を血引きととれば、伊耶那岐の命と伊耶那美の命両方の血を引いて生れた言霊五十音、特にその中の三十二個の言霊子音の事と解することが出来ます。

伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命を追って客観世界研究の領域である黄泉国へ行き、その文化を体験し、その不整備・雑然さに驚いて主観世界の整備された高天原へ逃げて来ました。その高天原への帰途、追いかけて来る黄泉国の一切の客観世界の文化を、十拳の剣を後手に振る事によって分析・検討し、その上に自己内に自覚した建御雷の男の神という原理を投入し、その原理によるならば、一切の黄泉国の文化を摂取して、人類文明の創造の糧として役立たせ、所を得しめる事ができる事を證明したのであります。その検討・分析の結果の一つとして、黄泉国の客観世界研究の方法は、伊耶那岐の命が完成・自覚した高天原の主観世界の研究方法とは全く異質のものであり、黄泉国の研究とその成果は、少なくともその研究の究極の完成を見るまでは、高天原の精神文明の成果と比較・照合・附会(ごじつける)する事が出来ないという事がはっきり分ったのであります。その為に伊耶那岐の命は黄泉国の一切の主義・主張・研究・言語・文字の内容を確認し終り、高天原へ帰還する直前に、黄泉国と高天原の境界線である黄泉比良坂に於て、言霊五十音、特にその奥義である言霊子音三十二個を以て言葉の戸を立て廻らし、黄泉国の思想が決して高天原には入って来られない様に定め、伊耶那岐の命は伊耶那美の命に事戸の度し、日本書紀で謂う「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)なる離婚宣言をする事となります。古事記の中のこの「事戸の度し」は単なる岐美二神の離婚の物語として述べられておりますが、言霊学上の「事戸の度し」は、人類の文明創造上の厳然たる法則として、精神界の法則と物質界の法則とは、その研究途上の法則にあっては、決して同一場に於て論議することの出来ないものであるという大原則を宣言したものなのであります。古事記の編者、太安万侶が完成された精神文明と、発展し続け、遠い将来に於ての完成が望まれる物質科学文明との双方にわたりかくも深い洞察力を持っていた事を思う時、畏敬の念を新たにするのであります。

伊耶那美の命のりたまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。

「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、…」とは夫君である伊耶那岐の命が千引の石を挟んで、向い合い、離婚宣言をしたので、の意味であります。「私と離婚するならば、貴方の国、即ち高天原日本の国の人を一日に千人頚を絞めて殺しますよ」と伊耶那美の命が言ったのであります。すると伊耶那岐の命は「貴方がそのような事をするのなら、私は対向上一日に千五百の産屋を立てましょう。即ち一日に千五百人の人を生みましょう」と言ったのであります。この故事(こじ)に基づいて、これ以後一日に千人の人が必ず死に、また一日に千五百人の人が必ず生れることになったのです、と言う事になります。どうも話が物騒な事になりました。角川書店版の古事記では、その注に「人口増殖の起源説話」と説明され、また岩波書店版の古事記には「人の生と死の起源を説明するが本義の神話」と注釈されています。けれど必ずしもこの神話は人間の生死について説かれたものではありません。この事について少々説明してみようと思います。

人を千人絞り殺す事に対して、千五百人の人を生もう、というこの説話は伊耶那美の命の「貴方がこのように私との離婚を宣言なさるなら、…」という高天原と黄泉国との間の往来の禁止、その事によって高天原の主宰者である伊耶那岐の命と、黄泉国(よもつくに)の主宰者である伊耶那美の命との離婚となった訳です。では何故そのような事態になったのか、と言えば、前号に述べられていますように、伊耶那岐の命は伊耶那美の命を追って黄泉国に行き、その無秩序・不整理の文化に接し、驚いて高天原に逃げ帰ります。その帰途、十拳剣を後手(しりへで)に振って、黄泉国の物事を客観的に見て研究する文化の内容を見極め、それ等の諸文化を高天原の物事を主観的に見る建御雷の男の神という鏡に照らすならば、世界人類の文明に統合する事が可能である事の證明をも自覚する事が出来た為に、高天原の精神文明と黄泉国の物質文明は同一の場では論じる事が出来ないと判断し、その結果、高天原と黄泉国との両主宰者の離婚宣言となった訳であります。

右の岐美二神の交渉の経緯から考えまして人を生むとか殺すとかいう話は、感情的に憎む・恨むという行動ではなく、精神文明と物質科学文明との研究内容の問題として考える方が妥当であろうと思われます。そこで次の如き解釈が生れます。

精神文明と物質科学文明とを問わず、その文明の根幹を担うものは言葉と数と文字であります。この三つの要素の中で、今取り上げるべきものは言葉と文字、とりわけ言葉でありましょう。言葉の中で特に高天原日本の言葉は先天・後天現象の究極の要素である言霊を物事の実相に即して組合せて作った言葉でありますから、文字通りその言葉は物事の実相を表わしており、その他に何の説明をも要しないものです。その高天原の言葉に対し、黄泉国の言葉は如何なるものでありましょうか。物質科学の研究は物を分析して、即ち破壊してそれを構成している部分々々に別け、その性質・内容を調べる事から始まります。物を分析・破壊するとは、その物の名を破壊することでもあります。そして分析した部分々々に、言霊ではない言葉、即ち研究者の経験知識より生み出された言葉によって物質科学の世界での言葉を附けることとなります。例えば水(みず)を分析し、そこに分解された水素と酸素との二者を命名し、元の水にH2Oの名を与えます。高天原の言葉である「みず」は殺され、H2Oという黄泉国の名前になりました。この様にして黄泉国の物質文明が発展して行く裏には高天原の美しい名によって表わされた物事の実相は一日に千どころか、その何倍もの言葉が絞り殺されて行きます。「一日に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ」と伊耶那美の命は言った筈であります。それに対して伊耶那岐の命は「貴方がそうするなら高天原の美しい実相を表わす言葉を一日に千五百も作りましょう」と言ったのであります。此処に取上げる神話の実意は人口増殖とか、人間の生と死の問題ではなく、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明との根底部分、即ちそれぞれの領域での言葉の相違を述べたものであることを御理解頂けたものと思います。

古事記の文章に戻ります。

かれその伊耶那美の命に号(なず)けて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて道敷(ちしき)の大神ともいへり。

伊耶那岐の命と伊耶那美の命が千引きの石を挟んで離婚をしました。その事によって伊耶那美の命は黄泉国の物質科学文明創造を分担する総覧者であり、主宰神であることがはっきりと決まりました。その主宰神としての名前を黄泉津大神といいます。また伊耶那美の命が伊耶那岐の命を追いかけて黄泉津比良坂の坂本まで行った事によって、その黄泉国と高天原との間に越す事が出来ない道理の境界線が決定いたしましたから、道敷(ちしき)の大神とも呼ぶのであります。

またその黄泉(よみ)の坂に塞(さは)れる石(いは)は、道反(ちかへ)しの大神ともいひ、塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。

黄泉(よみ)の坂とは黄泉比良坂の事であります。その坂に置かれ「此処より先は来るな」と言って遮ぎる千引の石は、道反(ちかへ)しの大神と言います。道反しとは、高天原から見れば「ここまでは高天原、ここから先は黄泉国」という事であり、反対に黄泉国から見れば、「ここまでが黄泉国、ここより先は高天原」と、人が自由には越す事が出来ない印(しるし)となる石でありますから、道反し、即ちここまでで人が引き返す印の石という訳であります。またその石は塞へます黄泉戸の大神ともいいます。黄泉国から来て、高天原に入る口に置かれ、人が高天原に入れないように遮(さえぎ)っている戸、の意であります。

ここで言霊学を勉強しようとなさる方々に一言申上げ度い事があります。言霊の学問の初心者の方の中に「言霊学は難しくてよく分からない」と言われる方がいらっしゃいます。何故「難しい」と言われるのか、と申しますと、右に述べました道反しの大神、またの名、塞へます黄泉戸の大神に引掛(ひっかか)ってしまうからであります。どういう事かと言いますと、高天原と申します処は言霊五十音で構成されている心の領域です。それ以外のものは存在しません。言霊といいますのは、人間の心を構成する究極の要素であると同時に言葉の要素でもあるものです。この五十個の言霊を結ぶ事によって高天原日本の言葉は作られました。ですからその言葉は物事の実相(真実の姿)をそのまま表わします。それに対して現代の人々の言葉は、人それぞれの経験に基づいて構成された智識を表現した言葉なのです。それは謂わば高天原の言葉に対する黄泉国の言葉でもあります。経験知識によって作られた言葉で生きている人が言霊学を学ぼうとする時、必ずぶつかってしまうのが、黄泉国と高天原との間に置かれた千引きの石、即ち道反しの大神、または塞へます黄泉戸の大神という事になります。言霊学という高天原の学問の門を入ろうとするならば、道反しの大神またの名、塞へます黄泉戸の大神の許可を貰わなければならぬ、という訳であります。以上、御参考にして頂ければ幸甚であります。

かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲(いずも)の国の伊賦夜坂(いぶやさか)といふ。

黄泉比良坂とは黄泉国の文字の性質・内容という意であります。現実の上り下りの坂の事ではありません。でありますから、伊織夜坂と言いますのも現実の地図上の場所の事ではありません。精神世界の中の或る場所を示す謎です。角川版古事記の訳註に「島根県八束郡東出雲町揖屋。揖屋神社がある」と記され、岩波版には「所在不明」とあります。共に古事記神話の真義を知らぬ為の見当違いの訳註です。

では出雲の国の伊賦夜坂とは如何なる意味でありましょうか。出雲の国とは地名である島根県のことではありません。出る雲の意です。大空に雲がムクムクと湧き出て来るように、物質界の研究によって頭脳から発現して来る種々のアイデアで満ちている領域、という事です。伊賦夜坂とは、母音イの次元の言葉(賦)、即ち言霊の意味が暗くて(夜[や])よく見えなくなっている性質(坂)、それは取りも直さず黄泉国の文字の性質という事となります。出雲の国の伊賦夜坂の全体では、雲が湧き出るが如く発明されて来る経験知によるアイデアの世界の、高天原の言霊で作られた言葉の内容が薄ボンヤリとしか見えない字の性質、という事であります。黄泉比良坂とはそういう内容の黄泉国の文字の性質だ、という事であります。古事記神話の編者太安万侶が高天原と黄泉国との言葉と文字の決定的な相違について繰返し示した老婆心とも受取る事が出来ましょう。

ここで道反(ちかへ)しの大神または塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神という神名について附け加えて置き度い一つの話があります。「古事記と言霊」の二○一頁に詳しく書いてありますが、念のため一言申上げておきます。旧約聖書のヨブ記に次のような文章があります。「海の水流れ出て、胎内より湧き出でし時、誰が戸を以(も)て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒暗(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を越ゆるべからず、汝の高波ここに止(とど)まるべしと」(旧約聖書ヨブ記三十八章八~十一)。ヨブはキリスト以前のキリストと呼ばれる聖者であり、そのヨブ記に古事記の道反しの大神・塞へます黄泉戸の大神の記述と全く同じ内容の文章が見られる事は誠に興味深い事であります。伊耶那美の命の精神的後継者である須佐之男命は、古事記神話に「汝は海原を治(し)らせ」と言霊ウの名(な)の原(領域)、即ち五官感覚に基づく欲望の次元の主宰者であり、その「海」がヨブ記の「海の水流れ出て…」と記されているのです。詳細な解説は「古事記と言霊」を見て頂く事として、人類文明創造上の重要な法則に関して、地球上の時も処も違う日本の古事記、イスラエルのヨブ記に全く同様の内容の記述が見られる事は、単なる偶然とは考え難く、人類文明創造の歴史を考えるに当り、大きな示唆を与えるものとして、簡単ながら一言挿入いたしました。内容の詳細は「古事記と言霊」を御参照下さい。

以上にて、伊耶那岐の命が自己精神内に確立した建御雷の男の神という人類文明創造の原理が、高天原以外の国々の文化に適用しても通用するか、どうか、を證明する為に妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国へ出て行き、そこで黄泉国の整理されていない、種々雑多な発明・発見が我勝ちの主張をする様子を体験し、高天原に逃げて帰る「黄泉国」と題する文章の解説を終る事といたします。この物語の中の岐・美二神の言行によって、この章の文章が単なる伊耶那岐の命の黄泉国見聞記なのではなく、その中の岐・美二神の言葉のやり取りによって、伊耶那岐の命が自らの主観的自覚の建御雷の男の神なる原理を、どの様にして人類文明創造の大真理にまで高めて行ったか、の経緯が物語的に述べられたのであります。

この「黄泉国」の章に続く「身禊」(みそぎ)の章では、物語的に綴られた伊耶那岐の命の心の進化過程を、今度は厳密な言霊の学問上の理論として、言霊学の最高峰であり、総結論である「三貴子誕生」まで一気に駆け登って行く心の過程が述べられます。今までの章で述べられて来ました五十音の言霊が、何一つ取り残される事なく、すべての言霊が生命の躍動となって、最後に天照大神、月読の命、須佐之男の命の三貴子を中核として、八咫の鏡に象徴される人間の全生命の構造とその動きの全貌が読者の前に明らかにされて行きます。今から始まる「身禊」の章は読者御自身の生命が読者にその全体像を明らかにする章なのであります。